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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2013-03-31 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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篇名:『謀攻』:本文注釈

謀-①問いはかる。人に相談して計画を立てる。たくらむ。はかりごと。②あれこれと思いはかる。よく考える。【解字】形声。「言」+音符「某」(=よく分からない)。分からぬ将来について相談してさぐり求める意。

攻-①兵を出して敵をうつ。相手の欠点を突いてとがめる。せめる。②玉や金属を磨いて加工する。転じて、知徳を磨く。研究する。おさめる。【解字】形声。音符「工」(=上下の面に穴を突き通す)+「攵」(=動詞の記号)。突っこむ、相手をせめる意。





孫子の兵法:謀攻篇:金谷治○金谷孫子:※桜田本は「攻篇第三」。武経本・平津本は「謀攻第三」。 一 謀りごとによって攻めること、すなわち戦わずして勝つの要道をいう。

孫子の兵法:謀攻篇:浅野裕一○浅野孫子:実際の戦闘によらず、計謀によって敵を攻略すべきことを述べる。『武経七書』本や平津館本の篇名は「謀攻第三」、十一家注本は「謀攻」である。竹簡本では篇名を記した竹簡が発見されていないが、やはり十一家注本と同じく「謀攻」であったと思われる。

孫子の兵法:謀攻篇:町田三郎○町田孫子:自国の保全を大前提として、そこから戦わずして勝つ方法、すなわち謀で攻むべきことについて説く。篇名を「攻」とするものもある。

孫子の兵法:謀攻篇:天野鎮雄○天野孫子:本篇は、戦争または局地的戦闘において、自国の軍隊に何の損傷をも来たさないことが最上の策であって、そのために取るべき方法のあることを論じたものである。戦争または戦闘において、自国の軍隊に損傷を来たせば来たすほどその取る方法は下策であるから、損傷を来たさないために取るべき戦術は、まず第一に戦う前に敵のはかりごとを察知して、これが実現する前に挫折させることである。もしそれが不可能であれば、次に敵への救援などを断ち切って敵を孤立無援にさせることである。もしそれも不可能であるならば、敵と対等の条件の下に交戦することである。最もまずい戦術は敵に城を攻めることである。本篇は兵をもって敵を攻めるのではなく、計謀(はかりごと)をもって敵を攻める方法を最上とするという意味で、謀攻を篇名としたものである。『古文』は攻篇に作る。

孫子の兵法:謀攻篇:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:前言 一、「謀攻」とは、攻むるを謀る若しくは謀を用いて攻むるの意であり、仏訳は端的に「攻勢戦略」と解し、曹操は「敵を攻めんと欲すれば、必ずまず謀る(謀を先にす)」と。本篇は、前篇の戦争(作戦)計画について、さらに、天下の覇者を志す呉王がとる攻勢戦略の見地から、次の如く論述するものである。即ち、覇者たらんとして戦争を用うる者の主眼は「久しきを貴ばず」・「敵に勝ちて強を益す」ことにあって、徒らに敵兵を殺傷し或いは敵国を破壊することではない。要は、「必ずや全きを以て天下を争う」(十一項)ことにある。従って、その攻勢戦略は、力戦によって敵を打倒するのではなく、「謀攻」によって、「人の兵を屈するも戦うには非るなり。人の城を抜くも攻むるには非るなり。人の国を毀(こぼ)つも久しきには非るなり」(十項)の状勢を実現することを以て理想とする、と。而して、そのための作戦・用兵の根本は彼我の状況を適時適確に把握していることにあるとして、有名な「彼を知り己を知らば、百戦殆うからず」を以て結言とするのである。なお、本篇は、古くは「攻篇」となっている。
 一、本篇はまた、以上と関連して次のことを強調するものである。即ち、謀攻を以て本質とする攻勢戦略・軍事力行使の成功のためには、作戦には兵力と状況に応じた用兵原則と勝を知る五つの道(要訣)があることを知る者でなければならない。もし、この事を理解しえずして、将軍から指揮の自由を奪い或いは拘束するようなことをすれば、たとえすぐれた謀攻であっても、それは絵空事に終るであろう、と。
 一、なお、前篇でも注意を促した所であるが、今や弱者(被侵略者)の立場に立つに至った我国にとっては、本篇は、強国(侵略者)が我国に対して行う謀攻の本質を教うるものとして理解すべきである。

孫子の兵法:謀攻篇:大橋武夫○大橋孫子:謀攻-はかりごとをもって敵を攻める

孫子の兵法:謀攻篇:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:謀攻-はかりごとをもって敵を攻める。または攻めるを謀る。英・仏訳には単に攻勢戦略とするものもある

孫子の兵法:謀攻篇:佐野寿龍○佐野孫子:【通観】 「謀攻」とは、謀(はかりごと)を用いて攻むる若しくは策謀で敵を攻略するの意で、政治・外交的手段はもとよりのこと、謀略(計謀)・調略等を用いて戦わずして敵の意図を封ずる軍事力運用の一形態を言う。ここでは右の定義を受ける形で、まず、戦争に於ける「目的と手段」の体系的構造に言及し、その当然の帰結として「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」を導き出し、そのための具体的手段として、自国の軍事力を裏付けとする「謀攻」の重要性を説くのである(老子曰く「善く士たる者は武ならず。善く戦う者は怒らず。善く敵に勝つ者は与(あらそ)わず」と)。因みに、孫子、マキアヴェッリと共に古今東西における政治・軍事論の嚆矢(こうし)とされるクラウゼウィッツは政治と戦争に於ける「目的と手段」の関係について次のように言う。即ち「政治的意見は目的であり、戦争はそのための手段である(いかなる場合でも、手段は目的を離れては考えることができない)。(斯る前提の上に)戦争とは、敵を屈服させて我が意思を実現しようとするために使われる武力行為(ゲバルト・実力行使)である。敵に我が意思を押しつけることが戦争の目的であり、この目的を達成するための手段として、敵の抵抗力を破砕することが、戦争行為の目標である」と。次に孫子は、(そういう訳であるから)最善の方策は敵国による自国侵攻の意図を逸速く諜知し、謀略を用いてその策謀を未然に打ち破ることであり、次善の策は、調略によって敵陣営を孤立化させ、戦意を喪失させることである。(それでも開戦のやむなきに至った場合)第三の策として敵軍を野戦に誘い込み、策を用いてこれを撃破することが適当であり、攻城戦は下策としてこれを避けるに若(し)くは無しとする。特に孫子はこの攻城戦に於ける「無策な力攻め」を例に挙げ、これを最も愚劣にして無益な戦法と断じている。ところで、謀略(計謀)・調略は言うまでもなく「戦わずして勝つ」の目的に対する一つの手段であるが、この策が効を奏さず、開戦のやむ無きに至ったときは、その目的も「戦わずして勝つ」から「戦って勝つ」に否応なく変わり、その手段も又、それに適合してものとなるのは蓋し当然のことである。孫子は斯る場合、何は扨措(さてお)きまず為すべきことは彼我両軍の兵力比を冷静に算定・評価し、それに応じた基本方針を明確にすることであり、これなくして(敵を謀るための)戦略・戦術は立てられないと言うのである(因みに「戦わずして勝つ」場合の大前提は敵国内部の状況把握にあることは言うまでもない)。尚、この段における兵力比互角の戦法を曰う「敵則能戦之」の句は、次篇<形>の主題として詳説されるものであり、又、「小は大に当ること能わざるなり」を曰う「少則能逃之」及び「不若則能避之」の句は、その故にこそ謂(いわゆる)「弱者の戦法」の理論的根拠を述べる<第六篇 虚実>と密接に関連するのである。次に、孫子は補佐役たる将と君主との関係、及び戦略・戦術の不一致による害を述べ、更に作戦・用兵の根本として「勝ちを知る」ための五条件に言及し、最後に有名な「彼を知り己を知らば、百戦殆(あや)うからず。彼を知らずして己を知らば、一勝一負す。彼を知らず、己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」を以て結言とするのである。
【校勘】第三篇 謀攻 「十一家註本」の篇名は「謀攻篇」。「武経本」では「謀攻第三」。「桜田本」は「攻篇第三」。「竹簡孫子」では篇名が欠落しているが、他の篇名が「十一家註本」とほぼ一致することから、やはり「謀攻」であったと推定される。ここでは、「竹簡博物館本」に従って「第三篇謀攻」とする。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:重沢俊郎○重沢孫子:読んで字の如く、謀をもって敵を攻める独自の戦術を論じます。物理的手段よりも智謀的手段を優先させるところに、孫武の兵法の重要な特徴がありました。それなら、勝利を追求することに変りはないにせよ、真の勝利とは何なのか、彼はいかなる勝ち方を求めていたのか、という種類の疑問が、おそかれ早かれ読者の大脳を走るでしょう。この篇で彼はそれに、いとも明快に答えています。読めばすぐわかりますが、言ってしまえば”無疵のままで、そっくり頂戴する”ことです。地上地下を問わず敵の全財産はもちろん、一人の兵士一本の刀も、彼我ともに損しないで勝利する-これを百パーセント実現するには、武器なき戦い以外に方法はありますまい。かくして高度の謀略戦登場という次第。謀略戦成功のためには、相手はもとより自分の実力を正確に知る必要があります。かくして名言登場-知彼知己者、百戦不殆(危)-。

孫子の兵法:謀攻篇:田所義行○田所孫子:○謀攻とは、はかりごとをもって敵を攻めること。

○著者不明孫子:【謀攻】攻(戦争の実行)を謀る。
 【補説】この篇は、「攻」(戦争行動を起こして敵に対する攻撃を行う)につき、その根本問題にまでさかのぼって、いかに考え、いかになすべきかを論じている。戦わずに勝ち、敵味方の一兵も損ぜず、一円の戦費も使わず、敵の国あるいは敵の軍隊をそっくり手つかずの状態で降服させ取ってしまうのが最上の戦いだという。これが孫子の兵法の真髄というべきものであろう。百戦百勝(戦えば必ず勝つ)というのは最善ではない、戦わずに敵を降すのが最善である、と孫子はいう。兵法(用兵の法、戦争の仕方)を説く孫子が、戦わずに敵に勝つこと、戦争なき戦争を主張するのは、一見矛盾するようでもあるが、ともかくこのように戦わずに勝つことを戦争の極意とするところに孫子の戦争観の大きな特色がある。戦争をして敵に勝つためには、敵を殺し、味方を殺し、敵・味方双方の労力と物資を空費し、民衆の生活と国家の経済を破壊する等々のマイナスを必然的に伴うから、上記のような孫子の戦争観は、非常に健全であったということができる。なお、この戦争観は『老子』と関係が深く、「民は不祥の器にして君子の器に非ず。已むを得ずして之を用ふれば、恬澹(てんたん)を上と為す。勝ちて美とせず。而して之を美とする者は、是れ人を殺すを楽しむ。夫れ人を殺すを楽しむ者は、志を天下に得可からず」(第三十一章)、「天かを取るには事無きを以てす。其の事有るに及びては、以て天下を取るに足らず」(第四十八章)などの語が想起される。思想において相通ずる点が多い。

孫子の兵法:謀攻篇:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:謀攻 作戦の次に此の篇を置くことは、所々の戦、かれ不利の後は、かれ必ず城にこもるもの也。我れ又はじめより城をせむることを好む可からず、敵を引出して野合の一戦をいたすべし。しかれども彼れ城の堅きをたのみてこれに楯籠れば、已むを得ずして之れを攻む。是れ乃ち戦の次に攻城を用ふるゆゑ也。其の旨趣前篇此の篇に明著也。凡そ作戦は戦ふことを論じ、謀攻は攻むることを云へり。攻は城を攻め、かたきをやぶるを云ふ。城をせめ堅きをやぶることは、勇将猛士の功名といたすことなれども、孫子が此の篇に云ふ處は全く然らず。謀を好んで鐵城忽ち落ち、堅陣忽ち屈し、力を費さざるごとくいたすにあり。このゆゑに謀の字を上に加へて謀攻と云へり。然れば謀を以てかれを屈せしむること是れ攻の本意にして、力を以てするにあらざること明白也。作戦は士卒の志を振作興起せしめて而る後に戦ひ、謀攻は謀を以て敵を屈し而る後に攻む。實に戦攻の本意也。舊説攻は城攻を云ふにあらず、攻撃の字にして敵をうつの意也。前篇に戦を云ひて未だ攻撃に及ばざるゆゑ、ここに攻撃のことをしるせりと註す。魏武の注之れに從ふ、直解・開宗皆同意也。案ずるに、攻の字は攻堅の字義たり。故に古來皆攻城を攻戦と云ひ、堅陣を攻撃するを攻と云ふ。敵の堅陣は城を以て極とす。しかれば謀攻は攻城の謀にきはまれり。攻城の謀を論ずる内に、堅陣を攻撃するの心得自ら相含む也。此の篇發端よりの語意皆力を以てするの誤をしるし、中間に攻城の義をあらはして之れを結ぶ。然れば攻の字全く城にかかりて、堅陣を攻撃の義亦其の内にありと見る可き也。案ずるに、前篇は戦をおこすの法、及び速かにして勝つの道、士卒の用法をつくし、此の篇は攻城の道、はかりごとにあることを論ず。兵の道は、戦と攻と兩段の外あらず。此の兩様をよくしるときは、兵をしると云ふ可き也。この二段にて兵法の戦の品は事すむ也。この二篇をよく考へて野合の戦、城の攻撃を詳に得心すべき也。謀の字、計の字にこと也。能く内に思ひはかつて、てだてをめぐらし謀をつくすを謀と云ふ也。今案ずるに、杜牧曰はく、廟堂の上計算已に定まり、戦争の具、粮食の費、悉く已に用ひ備へて以て謀攻す可し、云々、是れ謀字を以て輕しと為すなり。曹操・張預皆智謀を以て攻城と為す、是れ謀字を以て攻城の智謀と為すなり。愚謂へらく、謀字猶ほ輕し、此の一篇は全の字を以て主と為す、全は、謀の效也、且つ曰はく全を以て天下に爭ふ、故に兵頓(やぶ)れずして利全かる可し、此れ謀攻の法也、是れ謀字を以て甚だ重しと為す也。袁了凡曰わく、作戦は則ち戦を欲せず、謀攻は則ち攻むるを欲せず、是れ此の老の主意。

孫子の兵法:謀攻篇:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:謀攻とは、謀を以て攻るなり。陣を合するを戦と云ひ、城を圍むを攻と云と注して、陣は備立てなり。我備を以て敵の備と合せて、勝負を決するは戦なり。城を圍て落さんとするを攻と云。故に作戦篇の次に此篇を設けり。城を攻るには力を以て攻るを下とし、謀を以て攻るを上とす。故に謀攻篇と名付く。尤一篇の中、しろをせむることばかりを云には非れども、城を攻ることを本にして、外の事にも云ひ及せるなり。

孫子の兵法:謀攻篇:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:孫の文、句々著實(ちゃくじつ)なるものあり。始計・行軍・地形・九地の如き是れなり。通篇全く虚にして、一二の要言の以て之れを實にするものあり。軍形・虚實の如き是れなり。此の篇の如きは、前半(此の篇の大段は「大敵の擒なり」に在り。今、「此れ謀攻の法なり」に至るまでを謂ひて前半と為す)は是れ虚にして、謀を伐つの四要言を以て之れを實にす。後半は則ち句々著實にして、復た始計・行軍の下に在らず。註家多く虚實を分たず。瞶々(きき)(物事を見あやまる。瞶は目にひとみのないこと。)を致す所以なり。謀攻は謀を以て人を攻むるなり。篇中、謀を伐つ、國を全うす、爭を全うするは即ち其の事なり。謀を伐つに謀を以てするは、全しと為す所以なり。攻むるを以て城を攻むと為すものは拘(かかわ)れるかな。

孫子の兵法:謀攻篇:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:敵を攻めんと欲すれば必ず先ず謀る。

○李筌:陳を合して戦を為す。城を圍みて攻むるを曰う。此の篇を以て戦の下の次ぎとす。

孫子の兵法:謀攻篇:杜牧:孫子十家註○杜牧:廟堂の上、計算已に定まり、戦争の具え、粮食の費、悉く已に周りに備え、以て謀攻す可し。故に謀攻と曰う也。

○王晳:敵を攻むるの利害を謀る。當に全き策を以て之れを取るべし。兵を伐ち城を攻むるに鋭かざるなり。

○張預:計議已に定まり、戦具已に集まれば、然る後に智を以て攻を謀る可し。故に作戦の次とす。

意訳

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