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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒スポンサー広告⇒『夫れ未だ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わざるに廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは敗る。況んや算无きに於いてをや。吾れ此れを以て之れを観るに、勝負見わる。』:本文注釈孫子 兵法 大研究!トップ⇒本文注釈:孫子 兵法 大研究!⇒『夫れ未だ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わざるに廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは敗る。況んや算无きに於いてをや。吾れ此れを以て之れを観るに、勝負見わる。』:本文注釈
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2012-07-26 (木) | 編集 |
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『夫れ未だ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わざるに廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは敗る。況んや算无きに於いてをや。吾れ此れを以て之れを観るに、勝負見わる。』:本文注釈

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「宋本十一家註本」では「…算少なきは勝たず。而るを況んや算なきに於いてをや。」と「況」の字の前に「而」の字が見える。
   
一度にこれだけの文を解釈するのには最初少し違和感があったが、昔から注釈者達は一度にこれだけの長文をひとまとめにして解釈していたので私も伝統に則ることにする。


廟算-びょう‐さん【廟算】ベウ‥廟策(びょうさく)に同じ。 びょう‐さく【廟策】ベウ‥廟堂すなわち朝廷のはかりごと。廟謨(びょうぼ)。廟算。

算-①数をかぞえる。②思いはかる。見つもる。見込み。③年齢。④「算木さんぎ」の略【解字】会意。「竹」+「具」(=そろえる)。数とりの竹をそろえてかぞえる意。

得-①手に入れる。求めて自分のものにする。うまくかなう。②…できる。…しうる。→動詞のあとにつくこともある。③理解して自分の身につける。さとる。④もうけ(をとる)。利益。【解字】形声。右半部は音符で、「貝」(=財貨)+「寸」(=手)。財貨を手にする意。「彳」(=ゆく)を加えて、出かけて行って物を手に入れる意。

勝負-しょう‐ぶ【勝負】①かちまけ。勝敗。②争ってかちまけを決すること。③ばくちをすること。かけごとをすること。

見-①みる。みえる。②物のみかた。考え。③人にあう。対面する。まみえる。④あらわれる。まのあたり。目の前に。同義「現」。⑤受け身を表す助字。「る」「らる」と訓読する。→そういう目に会うの意から。【解字】会意。「目」+「人」。人が目にとめる意。



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○金谷孫子:廟算-開戦出兵に際しては、祖先の霊廟で画策し、儀式を行なうのが、古代の習慣であった。廟算は『淮南子』兵略篇の廟戦と同じで、宗廟で目算すること。兵略篇「凡そ用兵者は必ず先ず自ら廟戦す。…故に籌(はかりごと)を廟堂の上に運(めぐ)らして勝を千里の外に決す。」

○浅野孫子:●廟算-開戦に先立ち、祖先の霊を祀る宗廟において、計算用の竹製の棒(籌(ちゅう))を運用して、彼我の勝算を比較・計量し、それに基づいて作戦計画を立案・策定すること。
 ●之-『孫子』全体の構成や竹簡本『孫子兵法』の記述からして、「之れを観る」とは、具体的には呉と越の戦争を想定した表現であろう。

○町田孫子:<廟算>宗廟での作戦会議。『淮南子』の「廟戦」と同じ。その兵略篇に「凡そ兵を用うる者は必ず先ず廟戦す。…故に籌(はかりごと)を廟堂の上に運らして勝を千里の外に決す」とある。この廟算をうけたものであろう。

○天野孫子:◎未戦而廟筭勝者得筭多也 「未戦」について『評註』は「未だ戦はずとは、即ち篇目の始の字なり」と。『武経』は始計篇に作っている。その「始」の由来を示す。「廟」は祖先の霊をまつるところ。国家に大事があれば、君臣ともにみたまやに至り、その事を君主の祖先の霊に報告し、霊前において大事を議す。『諺義』は「吉は事の大なるをば潔斎して祖廟に告ぐ。況んや軍旅を起すは国家の大事なるを以て、君臣とも祖廟にいたり、謹んで軍旅を起すことを告げ、而して廟前において軍事を相談し、はかりごとなす」と。「筭」は算の本字。かぞえる、計と同じ。『評註』は「計を換へて算と為す」と。「廟筭」は彼我両国の軍備の優劣を比較し、その得点の数を計算すること。一説に朝廷(廟堂)ではかりごとをなすと。これは前述の軍備の優劣と無関係に言う。張預は「籌策(ちゅうさく)深遠なれば、則ち其の計得る所の者多し。故に未だ戦はずして先づ勝つ。謀慮浅近なれば、則ち其の計得る所の者少なし。故に未だ戦はずして先づ負く」と。籌策ははかりごと。『諺解』などもこの見解。これについて『直解』は「按ずるに筭は即ち計なり。正に五事七計を指して言ふ。別に一意を立てて説く可からず。恐らくは孫子の本意に非ず。道・天・地・将・法の五者は国を治むるの常事なり。故に経と曰ふ」と。また一説に『思想史』は「廟算といふのは、祖廟の前で、五事・七計・詭道を計量し勝敗の数を算定することである」と。「得筭多」とは彼我両国の軍備の優劣を道・将・天・地・法の五部門においてそれぞれ比較して得点の数の多いこと。『直解』は「五事七計を以て、之を校量するに、或は八九を得れば是れ筭を得ること多くして必ず勝つ」と。一説にはかりごとを十分にねると。『諺義』は「多算と云ふは、談合の品々いくへいんもいたして、勝敗の義をかずかずはかるを云ふ」と。
 ◎不勝者得筭少也 『直解』は『五事七計を以て之を校量するに、或は四、五を得れば、是れ筭を得ること少なくして勝たざるなり」と。また一説に『諺義』は「少算は談合こまやかならず、計、品すくなきを云ふ」と。
 ◎而況於無筭乎 得点の数がないにおいては、全く勝たないことは言うまでもない。一説に『諺義』は「無算は、廟に告げたる計にて談合評議の内習これ無きことを云ふ」と。内習は下稽古。
 ◎吾以此観之勝負矣 「此」は廟筭を受ける。「之」はそのさすものが漠然としている。一説に『詳解』は「之の字は戦の字を指す」と。
「以此観之」は廟筭の立場から見るとの意。「見」は現と同じ、現われる。以上の文について、王晳は「此れは、学者先に伝ふ可からざるの説に惑ふを懼る。故に復た計篇の義を言ふ」と。

○守屋孫子:開戦に先だつ作戦会議で、勝利の見通しが立つのは、勝利するための条件がととのっているからである。逆に、見通しが立たないのは、条件がととのっていないからである。条件がととのっていれば勝ち、ととのっていなければ敗れる。勝利する条件がまったくなかったら、まるで問題にならない。この観点に立つなら、勝敗は戦わずして明らかとなる。

○フランシス・ワン孫子:一、本項は本篇の結言であるが、冒頭の句「兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」と呼応して、孫子の戦争観・用兵思想を一層明らかにするものである。
  一、「廟算」 廟算とは、前段で説く五事・七計による彼我の戦力の客観的な算定・評価の上に立って、後段に説く政・戦略による形勢(状勢)作為と詭道を本質とする用兵による戦争の可能性を検討すること、つまり、主体的な努力によって、どのような性格と輪郭の戦争が可能となるか、逆に言えば、どのような戦争をすれば勝算が見出せるかを検討し総合評価することである。
  一、しかるに、現在の我国の孫子研究では、この「廟算」を五事・七計のこととのみ解する者が少なくない。無論、その原因は、大東亜戦争に於て敵の物量の前に完敗したこと、それが未だに決定的印象となって残っていることがあげられる。しかし、他にも有力な理由があるのである。それは、即ち、本項の結句「吾れ、此れを以て之を観るに勝負見(あら)わる」と全く同趣旨と思われる句が、既に前段の結句として述べられているからである。即ち「吾れ、此れを以て勝負を知る」(十四項)であるが、この場合の「此れ」が、五事・七計を意味することは明らかである。このため、両者の意義と関係、つまり存在理由を把握しかねた者の中には、「観る」と「知る」、或いは「見わる」の字義の違いを詮索する者もいる。また、両者は同義語であるから何れか一方を削除すべきであると主張し、なかには、十五項以降二十七項までは単なる戦略・戦術論(用兵論)で計篇には適してなく、衍文であろうとする者もいる。しかし、曹操はさすがに孫子の意を得て明快である。既述の如く、彼は、十四項では「七事を以て之を計れば勝負を知る(察知できる)」と註しているが、本項では、「我が道を以て之を観るなり(観察する)と註している。つまり、本項の「此れ」は「吾が道」のことであり、「吾が道」とは、十五項以降に述べる「詭道」を以て本質とする用兵のことと解するのである。戦争は五事、七計によって知ることのできる国力(戦力)が基本であるが、勝負は単にそれだけで決するものではない。その国力(戦力)に相応した勝ち方・勝負の法があるのであって、それによって戦争はその形態と帰趨を大きく異にしてくる。而して、それが政・戦略と用兵(詭道)の効用である、と孫子は言うのである。
 一、五事・七計と兵法(詭道)との関係  たとえば、日露戦争である。その本質は大東亜戦争と同じであるが、五事・七計からすれば、国力・軍事力の相対比は、より貧弱であり絶望的ですらあった。極言すれば、日露戦争の勝利は、短期・限定化を目途とした政・戦略と用兵の勝利以外の何物でもなかったと言い得るのである。米国の朝鮮戦争以降の各種の失敗、就中ベトナム戦争に於ける敗退を、彼らの国力・軍事力が劣弱であったためと考える者はいまい。彼らが「我々は自己の戦力を過信し、政・戦略不在の戦争を行った」と慨歎していることは、天下周知の事実であろう。興味をそそられるのは、日・米がともに、勝利の場合は、五事・七計に基づく客観的な戦力判断と主体的な要素である政・戦略が一体化し縦横の機略を発揮する者でありながら、敗北の場合は、これが遊離し、徒に当面の詭道(機略)を弄(もてあそ)ぶ者となっていることである。人が必ずしも経験と共に進歩する者ではなく、特に勝利者がその勝利に学ぶ者とはならないという歴史の教訓は、ここにも見ることができる。しかし、現在の我々にとっての問題は、我々が、米国の保護下に、敗北にも学ぶ者でなくなっていることであろう。
 一、「多算勝ち、少算は勝たず」 廟算の結果が「算を得ること多き」場合とは、無論、その総合的国力・物理的戦力が敵に比して優勢な場合だけを言うものではない。そのような算定ならば、中学生と雖もなし得る所である。また、もしそれだけで勝負が定まるのであれば、古来見られる、強大国の弱小国に対する敗北の如きはありえず、そもそもこの世に、大国と小国との戦争といった事態は成立するはずがないのである。繰り返すが、廟算とは、次の意である。即ち、曹操が「(戦争は)七事を以て之を計れば勝負を知る」とした上で、「吾が道(詭道)を以て之を観るなり」と言えるが如く、客観的な戦力の算定に基づいて彼我の状勢を察知し、之を詭道を以て本質とする主体的な政・戦略と用兵の面から観察、どのような目的を追求することが可能か、つまり、どのような戦争をすれば勝算を見出せるかを総合判断することである。
一、「而るを況んや算無きに於てをや」 注意すべきは、孫子は、算が多い場合は戦争にふみ切ってもよいとか、算が少ない場合は戦争を用いてはならないなどと言っているのではないことである。彼は、「多算は勝ち、少算は勝たず」が原則であるから、廟算(戦争判断)に際しての問題点は、本篇の後段に述べる詭道による状勢作為と用兵によって、その算をいかに高め得るかにあり、決断はその上に立って下すべきであると言うのである。而して、その算が見出せない場合は、結果は明らかであるから、戦争は断念或いは回避して後図を策するのが賢明である、と。 この種の状況に於ける決心については、易経の蹇(けん)の卦(か)でも、「険を見て能く止まるは知なる哉」と言っている。しかし、この種の決心の奨めが、単に戦争さえ回避すれば後はどうにかなるなどといった無責任な思考に発するものではないことは言うまでもあるまい。なぜなら戦争を回避しても、そもそも戦争をすら覚悟せざるをえなかった事態(状勢)の原因は、何ら解消するものではないからである。このことは、我々が、もし大東亜戦争を回避した場合、その後にはどのような事態を迎えたであろうかを想像すれば分かるであろう。従って、易経は続けて次の如く言っている。「この種の”険を見て止まる”決心は、それだけで終わるものではなく、次のような行動を要求する。即ち、このような困難な時節(時代史的状況)に於ては、さらに、偉大な人物を指導者と仰ぎ、上下一致して国家を正しくする道を守り、逆境を切り抜ける努力をしなければならない。状勢が閉塞した蹇難の時に於ける働き-国家・社会の領導と運用は-誠に重大である」と。即ち、戦争を回避することによって迎えるであろう事態を運命は、ただ赤旗・白旗を立てて降参すれば万事目出度くすむといった論者が想像するようなものではない。恐らくは戦争(敗北)に匹敵する、否、それを上回る困難な事態であり、もし之に対処する覚悟と用意がなく行ったものであれば、より深刻な災厄と不幸を招くだけのものとなろう、と警告するのである。このことは現に見る所であり、例証の必要はないと思う。
 一、我々の歴史に於ける「而るを況んや算無きに於てをや」の場合の決断の典型は、日清戦争直後の露・独・仏の三国干渉に対し、時の明治政府が行った遼東半島の還付を伴う戦争回避の決断であろう。而して、これが、その後に迎えねばならぬ長い臥薪嘗胆の日々を、国民が政府と志を一にして甘受するであろうとの信頼の上になされたものであること、また国民が之を裏切る者でなかったことは、我々の今も忘れえざる所であるが、思えば僅かに百年前のことである。それにしても、日露戦争後の特色となり、第二次大戦の経験にも拘らず、今も変ることなく我々を毒している精神、即ち「何も考えないで済むような論理に身を委ねて、すぐに絶対という言葉を振りかざすだけの精神構造」(哲学者・田中美知太郎)と較べる時、その何と異なることか。ドゴールは、このような精神構造・心理を批判して次の如く言っている。「これは危険きわまりない傾向である。危機や意外な事態を回避し制圧できる原理を所有していると信じこんだ時、人間の精神活動は弛緩し、未知の状況は無視してもよいという幻想が生まれてくる」と。
 一、最後に言及しておきたいことがある。それは、現在の我々の軽佻浮薄なる、孫子の解釈にも現れ、本篇を以て、戦争の勝敗は単に物理的な戦力の優劣によって定まることを説くものとし、なかには、孫子自体を「不戦の書」とあがめ、得々として軍備無用論の根拠とする愚か者も出てきていることである。しかし、これらは、何れも大東亜戦争の悲惨な体験に淫して事実を見る目を失った結果生じたものであり、また、大東亜戦争を以て唯一普遍の戦争とする考えに立った所論にすぎない。そもそも、孫子が、彼らの言うが如き書であるならば、始計篇はもとより、以下の各篇も悉く無意味な存在となり、むしろ無きに如かずとなることを、我々は思うべきであろう。

○重沢孫子:実戦突入以前、廟算-最高首脳会議-の情勢分析・討論の段階で勝ったのは、得点が多いからであり、勝たなかったのは、得点が少ないからである。多いのは勝ち、少ないのは勝たない。ましてや得点零においてをや。この事実をもって観察すれば、実戦で勝つか負けるかは、ありありと目に見える。

○田所孫子:◎未戦而廟算勝者とは、まだ戦争にはならないうちに、朝廷で御前会議を開き、勝敗の要因を数えて勝つということになるとの意。
 ◎得算多也とは、戦勝の要因が多いこと。
 ◎多算勝とは戦勝の要因の多いものは勝つとの意。
 ◎而況於無算乎とは、戦勝の要因が無ければ、負けるにきまっているとの意。
 ◎吾以此観之とは、戦勝の要因によって観察してみるとの意。
 ◎勝負見矣とは、勝敗の決が明らかにわかっているとの意。

○大橋孫子:廟算-先祖をまつった廟堂で状況を判断する  算多し-勝つ見込みが多い

○武岡孫子:廟算-政府内で行なう推算のこと。古代の習慣

○佐野孫子:◎夫未戦而廟算勝者 「廟算」とは、前段で説く五事・七計による彼我の戦力の客観的な算定・評価の上に立って、後段に説く政・戦略による形勢(状勢)作為と詭道を本質とする用兵による戦争の可能性を検討すること、つまり、主体的な努力によって、どのような戦争をすれば勝算が見出せるかを検討し総合評価をすることを言う(F・ワン仏訳「孫子」)。
 ▼而況於無算乎 孫子は、算が多い場合は戦争にふみ切ってもよいとか、算が少ない場合は戦争を用いてはならないなどと言っているのではない。彼は、「多算は勝ち、少算は勝たず」が原則であるから、廟算(戦争判断)に際しての問題点は、本篇の後段に述べる詭道による状勢作為と用兵によって、その算をいかに高め得るかにあり、決断はその上に立って下すべきであると言うのである(F・ワン仏訳「孫子」)。そして、戦争を用いると決断した場合に於ても、直ちに武力行使と言う短絡的な思考ではなく、飽く迄も<第三篇 謀攻>に曰う「戦わずして勝つ」即ち、「上兵は謀を伐つ、其の次は交を伐つ」を第一義とする両面作戦の構えが必要であると言うのである。換言すれば、兵法「三十六計」の第十計に曰う「笑裏蔵刀(笑いの裏に刀を蔵(かく)す、即ち敵には武力行使はないと信じこませ、油断させ、たかをくくらせておき、こちらは密かに積極的に準備し、時機を待って不意打ちに出る謀略)」の意である。例えば、ペルーの日本大使公邸人質事件に於けるフジモリ大統領の戦略・戦術の如きである。即ち、一九九六年十二月十七日、天皇誕生日の祝賀レセプションで賑わうリマの日本大使館がトゥパク・アマル革命運動のテロリスト十四人の武装グループに襲われ、ゲストら多数が人質となった。平和解決と人質の安全を優先する日本政府の動きで突入はないと安心しているテログループの虚に乗じ、事件発生後から百二十七日目の四月二十二日午後三時二十三分、百四十人のペルー軍特殊部隊をもって地下トンネル及び地上から突入、三十七分間の掃討でテロリスト全員を射殺、人質を解放した(この際、人質一人と突入将校二名が死亡した)。これを逆の立場から曰うものが<第九篇 行軍>の「辞の卑(ひく)くして備えを益す者は、進むなり」、「約なくして和を請う者は、謀るなり」と解する。又、見方を変えれば、この事件におけるフジモリ大統領の多角度・多面的な作戦は正しく孫子が<第二篇 作戦>で曰う「拙速(勝ち易きに勝つ)」を地で行くものであり、従って又、自らの責任で武力突入を決断した最高指導者としてのフジモリ大統領の心境は、正に本篇巻頭言に曰う「兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり」であった筈である。
 ◎吾以此観之 「此」は廟算を受ける。「之」は「戦」を指すと解する。

○著者不明孫子:【夫】「発語の辞」といわれる。何かを言い始めるときに最初に発する語。そもそも・さて。 【廟算】宗廟(国君の先祖を祭ってあるお霊屋)において計算する。戦争開始に先立ち、宗廟で軍議を開き、諸般の事態について検討し、有利な条件と不利な条件を比較して数える。これを「廟算」という。そのとき、恐らく算木(数取りの棒)を使ってそれを数えたであろう。算が多いとか少ないとかいうのは、その棒の多少をいうものと思われる。
 【而況於無算乎】「而況於…乎」(しかるをいはんや…においてをや)は漢文の基本的な句法の一つ。「まして…の場合はなおさらだ(なおさら勝ちめはない)」の意。 【以此觀之】以上のことから考えると。「此」は上文にあることを受けていう。「觀之」は観察する意。「之」は特定の語を指さない。
 【見矣】「見」は現と同じ。現れる、分かる。「矣」は強くいう感じを表す。

○孫子諺義:廟算と云ふは、古は事の大なるをば潔斎して祖廟に告ぐ、況や軍旅をおこすは、國家の大事なるを以て、君臣とも祖廟にいたり、謹みて軍旅を起すことを告げ、而して廟前において各々軍事を相談し、はかりごとをなす、是れを廟算と云ふ也。算は計の字と同意にして、はかりごとの數をかぞへて評議せしむるの心也。第一は先祖を敬するの心、第二は君臣相敬して其の心を一にするの心、第三には謀を洩す可からざるの心也。多算と云へば、談合の品々をいくへにもいたして、勝敗の義を、かずかずはかるを云ひ、少算は談合こまかならず、計品すくなきを云ふ。無算は廟に告げたる計りにて、談合評議の内習之れ無きことを云ふ。云ふ心は、未だ戦はざる以前に廟算せしうるに、勝つべきものは、内習重習幾通もこれあり、勝つ可からざるものは内習もつぶさならず、はかりごとも詳しからざる也。然れば同じ談合内習ありても、其の多少によつて勝負あり。況や内習談合も之れ無くして兵をあげんことは云ふに足らざること也。算の字について説多しといへども之れを用ひず。此の一段は始計一篇の結句にして、計算の道未だ詳かならざることを以て兵法の本とす。乃ち是れ上文の詭道を押へ、遂に又計算のことを云ひてこれを結ぶ也。吾れ此れに於て之れを觀れば勝負見はる矣とは、この計算の多少を以て彼れと我れとの勝負をみるに遁る可からざる也。孫子の兵、勝を廟堂の上に決して後に兵を外に用ふるは、此の心也。此の段は一篇の意を統べて、變詐に依らずして始計を以て兵の要と為すを申(の)ぶ。計算の少き者は、兵を輕んじ事を易んじて怠驕の多き也。故に未だ戦はずして廟算勝負此の如し、況や五事七計の校量無く、明辨審算無き者をや。孫子兵の勝敗を觀るに、始計に於て顯然たり矣。觀は視の詳也。李靖も亦曰はく、多算は少算に勝ち、少算は無算に勝つ。張昭(宋代の學者)曰はく、有數は無數を擒にすと。是れ皆計算の説也。大全に云はく、始計一篇は算字を以て結尾とす。妙最なり。夫れ算は個の廟算を説く。而して算字は重きを歸する處、却りて多字の上に在り。這は未だ戦はざるは是れ竟に戦はざるにあらず。尚ほ未だ戦はざるに過ぎず。這の勝は是れ竟に勝つにあらず。算の勝つに過ぎず。未だ戦ざるの時に當り、廟算已に勝有り了(おわ)る。豈是れ算を得るの多きにあらざずや。然る後去りて戦ふ。自ら是れ一戦一勝、百戦百勝なり。又云はく、多は是れ千萬の説にあらず。少は一二三の説に非ず。總て是れ校計して情を索めば、一著千慮の上に超ゆ。

○孫子国字解:此段は、一篇の結語なり。夫は發語の詞にて、詞の端を更むる時置く詞なり。前に戦に臨み、兵の勢をなすことを云たるによりて、爰(ここ)に至て一篇の主意に反り、語の端を更めて、又五事七計を説て、一篇を結びたるなり。廟算と云は、廟は墓のことには非ず。宗廟とて先祖を祭る處なり。國王の宮殿の東の方にあり。總じて、軍は國の大事にて、其國の存亡のかかるわけゆへ、軍を起さんとする時は、國の老臣を宗廟へ集め、先祖の神主の前にて、右の五事七計にて軍の勝負を目算するなり。是を廟算と云、得算多少と云は、右の五事七計にてめやすを立てて、算木を以て數をとり、敵にいくつ、味方にいくつと、目算するなり。其時その算木の數を多く得たる方勝ち、少く得たる方負くるなり。少きさへ負るを、まして況んや五事七計の内に、一つも叶はずして、算木を一つも置べき様なきをや、是を算なしと云。滅亡すべきこと決定せりとなり。吾れ孫子この廟算を以て、合戦の勝負を觀るに、其勝負のさかひ、明かに見ゆるとなり。

○孫子評註:未だ戦はずとは即ち篇目の「始」の字なり。計を換へて算と為し、悠然として本意に歸入す。勝負見るは「勝負を知る」と照應す。讀みて篇末に至りて然る後五事を囘顧すれば、方(まさ)に始めて著實(ちゃくじつ)(文意がおちつく)なり。蓋し算の多からんことを欲せば、經するに五事を以てするに如くはなし。
 ○五事以て之れを内に經し、計(前述の七計によって、いくさの諸要件を外敵とひきくらべてみる。)以て之れを外に校し、詭道以て之れを外に佐く。此の篇特(ひと)り十三篇の總括たるのみならず、乃ち天下古今の事、孰れか其の範圍を出づるものぞ。大學(儒教の経典、四書の一。もと『礼記』(らいき)の一編。学問修養にもとづく政治の理想を述べている。)の一書の如き、亦唯だ道の字の註解のみ。孫武の立言、未だ必ずしも然らずと雖も、讀書は須(すべか)らく此(か)くの如く觀るべきなり。

○曹公:吾が道を以て之れを觀るなり。

○李筌:夫れ戦う者は勝ちを廟堂に決し、然る後に人と利を爭う。凡そ叛を伐つは遠きを懷す。亡を推すは存を固にす。弱きを兼ねるは昩を攻む。皆物の出づる所、中外の離心、商周の師の如き者は、是れ未だ戦わずして廟算して勝を為す。太一遁甲は算を置くの法なり。六十算自り已上は多算と為す。六十算已下は少算と為す。客多算にして少算に臨まば、主人敗る。客少算にして多算に臨まば、主人勝つ。此れ皆勝敗見われ易きなり。

○杜牧:廟算とは廟堂の上に於いて計算するなり。

○梅堯臣:多算、故に未だ戦わずして廟謀先ず勝つ。少算、故に未だ戦わずして廟謀勝たず。是れ算無しとする可からず。

○王晳:此れ學者先ず傳う可からざるの説に惑うを懼る。故に復た計篇の義を言うなり。

○何氏:計は巧拙有り。成敗は繫ぐなり。

○張預:古くは師を興し将を命ずるに、必ず齋 廟に致す。授くは成算を以て、然る後に之を遣わす。故に之れ廟算を謂う。籌策 深遠ならば則ち其の計得る所の者多し。故に未だ戦わずして先ず勝つ。謀慮 淺近ならば、則ち其の計得る所の者少なし。故に未だ戦わずして先ず負く。多計は勝つ。少計は勝たず。其の計無きは安くんぞ敗ること無きを得ん。故に曰く、勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求む。敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む、と。計有る計無し、勝負見われ易し。


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○金谷孫子:一体、開戦の前にすでに宗廟(おたまや)で目算して勝つというのは、[五事七計に従って考えた結果、]その勝ちめが多いからのことである。開戦の前にすでに宗廟で目算して勝てないというのは、[五事七計に従って考えた結果、]その勝ちめが少ないからのことである。勝ちめが多ければ勝つが、勝ちめが少なければ勝てないのであるから、まして勝ちめが全く無いというのではなおさらである。わたしは以上の[廟算という]ことで観察して、[事前に]勝敗をはっきりと知るのである。

○浅野孫子:そもそもまだ開戦もしないうちから、廟堂で籌策してすでに勝つのは、五事七計を基準に比較・計量して得られた勝算が、相手よりも多いからである。まだ戦端も開かぬうちから、廟堂で籌算して勝たないのは、勝算が相手よりも少ないからである。勝算が相手よりも多い側は、実戦でも勝利するし、勝算が相手よりも少ない側は、実戦でも敗北する。ましてや勝算が一つもないというに至っては、何をか言わんやである。私がこうした比較・計算によって、この戦争の行方を観察するに、もはや勝敗は目に見えている。

○町田孫子:いったい、開戦の前の宗廟(おたまや)での作戦会議で、あらかじめ勝利の見こみがたつというのは、上のような五事七計で考えてみて、勝利の条件が多いからのことである。作戦会議で勝利の見こみがたたないのは、勝利の条件が少ないからのことである。勝利の条件が多ければ勝てるし、少なければ勝てない。勝利の条件が全くないというのでは、これは話にならない。わたしは、以上のような観点から、勝敗のゆくえをはっきり見抜くことができるのである。

○天野孫子:戦争に先立って祖先の霊を祭るみたまやで、彼我両国の軍備の優劣を道・将・天・地・法の五部門において計算するに、戦って勝つ者はその得点の数が多く、戦って敗れる者はその得点の数が少ない。得点の数が多ければ戦に勝ち、少なければ勝たない。まして得点の数がないにおいては全く勝つことはできない。このみたまやにおける計算からみると、彼我両国の戦の勝負は既に明らかに現われている。

○フランシス・ワン孫子:扨て、政府・軍首脳による戦争決断会議に於て、客観的総合算定が敵よりも味方の”力”が優勢を告げるものであれば、勝利を意味する。若しも味方の劣勢を告げるものであれば、敗北を意味する。多方面から(客観的)算定をする者は勝利を可能とすることができるが、あまりにも僅かな方面から-主観的・手前勝手な算定しかなさない者には、勝利は不可能である。しかるに、この計算を全くなさない者は、自ら勝利のチャンスを逸する者と言える。私が戦争の勝敗の決末を予測できるのは、以上のような算定によって状況を詳(つまびら)かにするからである。

○大橋孫子:開戦を決するには祖先を祭る霊廟の前で軍議を開くが、ここで心を清め、純白な頭脳をもって合理的に判断した結果、勝利の見込みが多ければ勝ち、少なければ負ける。まして勝つ見込みがないのに勝てることなど絶対にない。合理的に判断すれば、勝算の多少・有無は開戦前でも必ずわかる。無謀なことをしてはならない。兵は国の大事なのである。

○武岡孫子:さて、政府・軍首脳部による宗廟(みたまや)における和戦決定会議において、客観的勝算の算定結果が敵より味方の方が優勢なら勝てる。反対に少なければ敗れる。したがってその算が見出せない場合は戦争は回避・断念すべきである。以上の思考過程によって勝算の有無を詳細に検討すれば、戦争の勝敗を事前に予測することは可能である。

○著者不明孫子:さて、そもそも戦争を始める前に宗廟で五事七計について比較勘定した場合、戦って勝つほうは、有利な条件の数が多く得られ、勝てないほうは、その数が少ししか得られない。有利な条件が多ければ勝ち、少なければ勝てないのであって、まして有利な条件がゼロの場合には全然勝てるはずがない。私は、以上のことから考えて、どちらが勝ちどちらが負けるかが分かるのである。

○学習研究社孫子:こういう現場での変化ということはあるにしても、戦う以前に宗廟(祖先の御霊屋)での計画の段階で勝つというのは、勝つ要素が多いということである。戦う以前に、宗廟での計画の段階で勝てないというのは、勝つ要素が少ないということである。勝つ要素が多い者が勝ち、少ない者は勝てない。まして、勝つ要素が全くないものは、もちろん勝てない。私は、こういう観点から判断して、勝敗を知るのである。

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