2ntブログ
かっぱさんのBookmarkBar
孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒スポンサー広告⇒篇名『作戦』:本文注釈孫子 兵法 大研究!トップ⇒本文注釈:孫子 兵法 大研究!⇒篇名『作戦』:本文注釈
-------- (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


2012-08-04 (土) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

篇名『作戦』:本文注釈
picture widgets


○金谷孫子:桜田本は「戦篇第二」。竹簡本は「作戦」、武経本・平津本は「作戦第二」。 一 軍を起こすについて。主として軍費のことをのべる。

○浅野孫子:作戦とは、戦いを作(おこ)すことをいう。国内で軍を編成したのち、外征軍を派遣するために必要な軍費と国家経済との関係について述べる。『武経七書』本や平津館本では「作戦第二」とあるが、竹簡本の篇名は十一家注本と同じく「作戦」である。

○町田孫子:戦争の経済について、主として長期戦は避けねばならないことや、遠征の心得などを説く。篇名を「戦」とするものもある。

○天野孫子:この篇は、戦争が国家の経済を甚だしく圧迫するから、戦争をおこすに当たって、その用いる戦法はともかく、速戦して戦争を終えなければならないことを述べる。戦争には十万の大軍を動員し、千里の遠方において戦闘を行なうから、食糧・兵器その他の補給など、一日に千金を消耗し、しかもそれが持久戦になると国家の経済は危機に瀕する。持久戦になって国家に利をもたらした例は過去に全くないから、戦法がたといまずくとも、戦争を速かに終結させることが必要である。本篇は戦争を作(おこ)すに当たって予めの心構えを論ずるという意味で作戦と名づけたものである。なお『古文』には戦篇に作る。

○フランシス・ワン孫子:前言 一、本篇の首題である「作戦」とは、戦いをこしらえる(作る)或いは作(おこ)すの意であり、現代で言う戦争(作戦)計画のことである。廟算の結果、勝利の算が多く、目的を達成するために戦争を用うると決定されたならば、将軍はその判断と構想に基づき戦争指導の方針と策案を定め、且つその遂行のための準備に関して大綱を企画しなければならない。而して、まず問題となるのは戦費であり、第二に軍の装備・資材と兵員の充足並びに補充、第三に糧食の補給、さらに関係諸国(同盟国・友好国・中立国・敵対国)の動向である。曹操は「戦わんと欲すれば、まず費務を算し、糧は敵に因れ、となり」と註している。
  一、しかし、本篇の特質は、単に以上の如き問題の戦争遂行上に於ける重要性を説く所にはない。実に、以上の如き諸問題を克服して戦争目的を達成するためには、「兵は勝つことを貴び、久しきは貴ばず」(二十一項)、従って、その戦争指導は「拙速」(六項)を以て主眼とし、「敵に勝ちて強を益す」(二十項)ものでなければならない、と説く所にあるのである。無論、当初にあげる問題は、当時にあっても、現代と同様に戦争遂行上の基本問題であり、損耗を顧みぬ力戦の連続、或いは自己の能力の限度を弁(わきま)えぬ戦争の拡大、或いは戦争の長期化(長期戦争)を許すものではなく、当然これに制約を加える要素であった。而して、之を無視する場合は、たとえ大国と雖も、その戦勝を空しくするのみならず、却って国家の基礎を動揺せしめ墓穴を掘る因となることは、歴史上常に見る所であったからである。
  一、なお、孫子は、用兵に於ては臨機応変、状況即応を説く者であるが、以上の如き戦争の基本問題に対しては、次の如く説いて対蹠的である。即ち、「拙速」・「敵に勝ちて強を益す」が如き戦争指導・方策は、その場の思い付きでできるものではない。それは、予め方針として構想され、方略(計画)としてその実行を準備し、全軍に徹底していることによって実現が可能となるものである。このことを無視するならば、たとえ勝利をえても、それは民の幸福と国家の安定という戦争目的を達成するものとはならないであろう(二十一項)と。而して、戦費の調達と敵地に於ける糧食の補給・中立諸国の向背の問題は、当時の戦争指導者が最も腐心した所である。
  一、なお再言するが、孫子を読むに当り、我々として心得ておかねばならぬのは次のことである。それは、即ち、孫子は用兵一般(普通的な用兵)を論ずる者ではなく、天下の覇者を志す呉王の立場に於て、「兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず」の見地から決戦的攻勢作戦の原則を説く者であることである。我々は、大東亜戦争に於て、全面的な決戦的攻勢作戦を行う米国に対し、同じく決戦的な反撃作戦を以て応じたわけであるが、反省せざるをえぬ所である。しかも、我々は、今なお自己の政戦略的環境・軍事的立場の基本を理解したとは言い難く、その防衛論に於て、敵の洋上撃滅或いは水際撃滅論、或いは戦車無用論の如き単発的軍事論が抜け抜けと登場し、国民を惑わせている。

○大橋孫子:作戦-戦いをおこす

○武岡孫子:作戦-戦いをおこす

○佐野孫子:【通観】 「作戦」と言う言葉は日本では一般に名詞として用いられており、「戦いを進めてゆく上のはかりごと(作戦を練る)」、又は「戦略単位以上の兵団の、ある期間にわたる対敵行動の総称(作戦計画)」の意と解されている。これに対し、中国で言う「作戦」は動詞と名詞の双方に用いられる言葉であり、取分動詞と解すると「戦う、戦争をする」の意となり、わが国で言う「作戦」とはだいぶ違ってくるのである。そして何よりも本篇では、軍隊を動かせば莫大な経費がかかること、戦争が長期にわたると国力が疲弊すること、国力が疲弊すると、たちまちそれに乗じて近隣の強国が攻め込んで来て、国は滅亡の危機に暴(さら)されるなど主として国家経済的見地よりする戦争論が述べられていて戦争の目的と目標、部隊の行動などを決定する謂(いわゆる)「作戦計画」はどこにも記されていないことから、この「作戦」とは、中国で言う動詞の意、つまり「戦争をする(について)」と解する方がより近い概念であると言える。この意味においては、「作戦」よりも「桜田本」にある「戦篇」の方が、本篇の篇名としてはより適当であると言えなくはない。即ち本篇は、謂(いわゆる)「作戦あるいは作戦計画」について言うものではなく、廟算の結果、勝利の算が多く、しかも目的を達成するために「已むを得ずして之を用うる」に当たって、いかなる戦争を構想するか、(具体的な作戦計画立案の前に)その予めの基本的な心構え(覚悟)を論ずるものである。…。
 【校勘】 第二篇 作戦 「十一家註本」の篇名は「作戦篇」。「武経本」では「作戦第二」。「桜田本」は「戦篇第二」。「竹簡孫子」は「作戦」に作る。ここでは、「竹簡孫子」と「竹簡博物館本」に従って「第二篇作戦」とする。

○田所孫子:作戦とは、いよいよ戦闘するについての準備、今日のいわゆる作戦計画。

○著者不明孫子:【作戦】戦争の計画をいう。

○孫子諺義:作戦  作は、造為也。此の篇戦をなすの大綱を論ずるを以て、作戦と云へり。始計相調ひて而して後に戦をおこすべし。故に始計につぐに此の篇を以てする也。又作戦・謀攻はおこして戦ひ、謀りて攻むと云ふの心に見る説あり。此の説にみるときは作の字興起の心あり。之れを鼓し之れを舞する之れを作と謂ふ、云ふ心は、つづみ太鼓にてはやしたてて舞ひうたはしむるの心也。軍を用ふることは士卒の志をふるひおこし、諸卒皆戦を願ふことをいたす。是れ乃ち士卒の心を興起せしむるのゆゑん也。此の如きときは兵士の心ことごとく相戦ふことを苦しまざるゆゑに、興起せしむるの字義あり。講義・全書(武經全書)等皆之れに從ふ。所謂戦氣を振作し、速に勝を取るを圖らば、宜しく持久すべからずと。魏武註及び大全・通鑑には只だ戦を為すの心とばかりみたり。直解に云ふ、説者の謂はく、士氣を作起し、之れをして死戦せ使むと、但だ已むことを得ずして深く死地に入り、氣衰へ力竭くるときは、之れを作して可也、死戦も亦可也、安んぞ師を出すの初にして、即ち此の計を為す有らんや、殆ど孫子が本意に非るや明らか矣し。案ずるに、此の篇末に士卒の氣を激し、賞功を正して其の志をいさましむることを論ず。しかれば興起振作の意ありとみるもたがひ(違)にあらざる也。しかれども前説は、すなほにて鑿(さく)することあらざる也。王鳳洲(王世貞。)曰はく、戦はんと欲せば必ず先づ其の費を算す、故に篇中屢ば久役の害を言ふ。袁了凡曰はく、此の篇先づ食を足らすを言ひ、後進み戦ふを言ふ、故に作戦を以て篇に名づく。李卓吾曰はく、始計の後、便ち作戦を言ふは、師を行らんと欲せば須らく日費の廣、饋糧の難を知り、必ず先づ士氣を振作し、速に勝を取るを圖り、宜しく持久すべからざるを言ふ也。

○孫子国字解:作戦第二  作はおこすと讀て、奮ひ作すことなり。戦は兵を交る也と註して、剣戟を交へて合戦することなり。軍をせんと思には、まつ勝負を目算して、勝つべき計を定めて、其後に合戦に及ぶゆへ、始計篇を第一として、作戦篇を第二とす。奮ひ作すと云こころは、軍兵を押出し、敵の境へ入らんに、日數を久しく經る程、その費大にして、而も兵氣次第にたるむものなるゆへ、士卒の勇氣を奮作して、合戦を速にすべしと云意にて、作戦篇と名付たり。是施子美が説にて、黄獻臣もこれを用たり。王晳張預が説には、作の字を、軍の支度をすることに云へり。此説にても通ずべけれども、一篇の主意、合戦の道、勇氣のたるまぬ様にすべきことを云へるゆへ、前の説に從ふなり。

○孫子評註:作戦第二  作戦(戦をすること。作戦の解にてついては諸家の説がある。)は即ち戦を用ふるなり。此の篇は孫の文の稍(や)や虚なるものなり。
 ○註家多く言ふ、「作戦篇は客(客となて長居することを嫌う、すなわち戦をしかけておいて、久しく戦うことを貴ばない。)となりて且つ久しきを貴ばず」と。是れ耳食(他人の説を聞いて、すぐそのまま信用すること。)のみ、曾て孫子を讀まざるなり。衞公(唐の太宗の臣李靖。衛国公に封じられた。太宗と李靖との兵法に関する問答を集めたものを李衛公問対といい、武経七書の一。この語はその書の太宗四章に出ている。)云はく、「客を變じて主と為し、主を變じて客と為す」と。破的(的に矢を射あてること。転じて言っていることが正しいこと。)と謂うべし。

○曹公:戦わんと欲せば必ず先ず其の費を算し、務めて糧を敵に因るなり。

○李筌:先ず計を定め、然る後に戦具を修む。是れを以て戦は計の篇の次なり。

○王晳:計を以て勝ちを知る。然る後に戦を興して、軍費を具え、猶お以て久しくす可からざるなり。

○張預:計算已に定むれば、然る後に車馬を完(まっ)とうし、器械を利し、糧草を運び、費用を約し、以て戦備を作す。故に計に次ぐ。


人気ブログランキングへ

⇒このページのTopに移動する

⇒トップページに移動する

⇒作戦篇 全文に移動する




















Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...


コメント:
この記事へのコメント:
コメント:を投稿
URL:
コメント:
パスワード:
非公開コメント: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック:
この記事のトラックバック URL
この記事へのトラックバック: