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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2012-08-21 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『孫子曰く、凡そ用兵の法、馳車千駟、革車千乗、帯甲十萬、千里にして糧を饋らんとすれば、』:本文注釈

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凡-①全体をおしなべて。すべて(の)。およそ(の)。②なみの。ありふれた。つまらぬ。【解字】板または広げた布の形を描いた象形文字。広く全体をおおう意を表す。

用兵-よう‐へい【用兵】戦いで軍隊を動かすこと。

馳-馬や車を速く走らせる。はせる。速く走る。

車-①主軸を中心に回転する輪。くるま。②輪の回転を利用して人や物を運ぶ道具。③はぐき。下あごの骨。【解字】くるまの象形文字。

駟-(速力の速い)四頭だての馬車。

革-①毛を除いて陰干しにした獣皮。なめしがわ。②獣皮で作った武具や楽器。③古いものを新しく変える。あらためる。あらたまる。【解字】象形。動物の全身の皮をはぎ、さらしてぴんと広げた形。たるんだものをぴんと張る意から、あらためる意に用いる。

乗-①車・船・馬などにのる。のせる。のりもの。②機会をうまく利用する。つけいる。③〔仏〕衆生を悟りの世界に導く方便。仏法。のりものの意。④記録。史書。記しのせる意。⑤兵車の数を数える語。中国で古くは兵車数が国力の程度を示すものとされた。⑥〔数〕ある数をある数にかける。掛け算。【解字】会意。「大」+「舛」+「木」。人が木の上で両足を大きく開いて踏んばっている(=のる)意。

帯甲-たい‐こう【帯甲】‥カフ 甲(よろい)を着た者、すなわち兵士。

里-①人家の集まっている所。むらざと。②いなか。民間。同義語:俚。③行政区画の名。④周代では人家二十五戸、漢・唐代では百戸、明代では百十戸のまとまり。⑤大宝令では、五十戸のまとまり。⑥みちのりを計る単位。一里は古くは六町、日本では後世三十六町(=約三・九キロ)。古代の耕地で六町平方の区画をも「里」という。【解字】会意。「田」(=四角く区切った田地)+「土」。縦横にきちんと区画した田畑や居住地の意。現代中国語では「裏」の簡体字としても用いる。

糧-かて。食料。旅行や行軍に携帯する米。【解字】形声。「米」+音符「量」(=はかる)。重さや量をはかって用いる主食の意。一説に、「量」は「良」に通じ、良質の食事の意。[粮]は異体字。

饋-おくる。食物や金品を贈る。おくりもの。





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○金谷孫子:馳車千駟-戦闘用の軽車千台。駟は一台ごとの四頭だての馬のこと。 革車-輜重の重車。

○浅野孫子:●馳車-四頭だての小型の戦車。 ●革車-皮革で装甲を施し、多くの兵員が乗り込む大型の戦車。『呉子』図国篇に、「革車は戸を奄(おお)い、輪を縵(ゆる)くし、轂(こしき)を籠(つつ)む」とある。 ●帯甲-甲(よろい)を身にまとった歩兵。 ●千里-約四百キロメートルの距離。 

○町田孫子:<馳車千駟>馳車は戦闘用の軽車。駟は四頭立ての車の単位。 <革車千乗>革車は輜重用の重車。輜重車千台のこと。

○天野孫子:○凡用兵之法 「凡」は総括して言う時にその意を表わす語。ここでは、次の文によって知るように、どの国においても、いかなる時代においても、おしなべてという意。「兵」は戦争、戦闘。『口義』は「いくさ」と。「用兵」は戦争・戦闘を行なうこと。「法」は法則。
 ○馳車千駟 「馳車」は軽車とも言い、戦車のこと。『国字解』は「馳車は、曹操(魏武帝)・梅堯臣・施子美(『講義』)が注に、軽車也と云ふ。李筌は戦車也と注し、張預は攻車也と注す。合戦をする車なり。車を小くこしらへ馳引自在なる様にする故、様々の名あり」と。「駟」は馬四匹。戦車一台を馬四匹で引く。『諺義』は「車一両に馬四疋を用ひてこれを引かしむ。二疋は車の轅(ながゑ)の内にあり、二疋は轅の外にあり」と。「千駟」は、馬四千匹。戦車一台を引く馬を駟馬と言うから、千台で「千駟」となる。戦車一台に甲士(車上におる士)三人、歩卒(徒歩の兵)七十二人がつく。范寧『穀梁伝』(文公十四年)注に「甲士三人、歩兵七十二人」と。戦車千台で七万五千人。この句は戦車の数の極めて多いことを表わす。
 ○革車千乗 「革車」とは皮革で車をおおって堅固にしたもので、食糧・器械・衣服などを運ぶ輜重車。『国字解』は「革車は曹操・梅堯臣・施子美、いづれも重車也と注す。杜牧は輜車重車也と注し、張預は守車也と注す。兵具兵糧衣服等、諸道具をのする車なり。小荷駄のことを輜重と云ふ。重き荷物をのせて馳引自在ならず。革にてつつみて丈夫にこしらへ、守りて動かざる故、あまたの名あり」と。「千乗」は千台。輜重車一台について張預は「炊子(すゐし)十人、守装五人、廐養五人、樵汲(せうきふ)五人、共に二十五人」と。炊子は炊事係。守装は器財・衣類係。廐養は牛馬係。樵汲はたきぎ取り、水汲みの雑役係。この句は輜重車の数の極めて多いことを言う。なお「馳車」「革車」について諸説があるのは他書における用例と異なるからである。『纂注』は「按ずるに、曹公馳車を以て軽車と為し、革車を重車と為すの意は必ず受くる所あらん。然れども孟子・礼記・呉子・淮南子等の諸書、革車と称するは皆戦車にして重車に非ず。且つ馳車の名、古書に甚だ少なし。管子七臣七主篇に瑤台玉餔は処るに足らず、馳車千駟は乗るに足らずの語あり。此は田車を謂ふなり。此を以て之を観れば、馳車は車の名に非ずして、其の馳騁軽捷を言ふなり」と。
 ○帯甲十万 「帯」は身につける。「甲」はよろい。馳車千台と革車千台とで十万の将兵となる。この句は兵数の極めて多いことを言う。
 ○千里饋糧 「千里」は極めて長い道のりを表わす。周代の千里は今の約四百キロ余り。「饋糧」は食糧を送る。

○守屋孫子:およそ戦争というのは、戦車千台、輸送車千台、兵卒十万もの大軍を動員して、千里の遠方に糧秣を送らなければならない。
※馳車千駟 馳車は軽戦車。駟は四頭立ての馬車。当時の戦車は馬に引かせた車であった。千駟は千台という意味。
 ※革車千乗 革車は重装備の戦車。千乗は千台。
 ※千里 およそ四百キロ。
 ■孫武の時代は、戦車による車戦で勝敗を決した。ただし、戦車といっても、馬に引かせた車、すなわち馬車である。一台の戦車には原則として三人の戦士が乗り、これを四頭の馬に引かせた。各戦車にはそれぞれ農民兵が従卒として従ったが、その数は七十五人説、三十人説、十人説などがあってはっきりしない。戦車千台の軍備を有する国を「千乗の国」と称したが、これは当時にあっては相当な大国と言ってよい。

○大橋孫子:馳車-速力の速い戦闘用の馬車  千駟-四頭だての輓馬千組  革車千乗-輸送用車千輌  帯甲-武装兵

○武岡孫子:馳車-戦闘馬車、四頭立て牽き、軽車、兵車ともいう  千駟-千両  帯甲-武装兵

○佐野孫子:【校勘】千里而饋糧 「竹簡孫子」には「里」の下に「而」の字があるが、「十一家註本」、「武経本」にはない。「而」は「に・して・にして」などと読み、順接の意を表す接続助詞である。これを補う方が適当であるため、「竹簡孫子」に従って改める。
 【語釈】◎馳車千駟 「馳車」は、甲士を乗せて敵を攻める戦車で軽車とも言う。「駟」は一台の軽車を引く馬四頭を指し、この意味から、四頭だての軽車を「一駟」と言う。「馳車千駟」とは、戦車千台の意。因みに、軽車一台に甲士(車上におる士)三人、歩卒七十二人がつくため、軽車千台で七万五千人となる。この句は、概数であって、必ずしも具体的な数をいっているのではない、と解する。
 ◎革車千乗 「革車」とは皮革で車をおおって堅固にしたもので、食料・器械・衣服などを運ぶ輜重用の重車。輜重車一台については二十五人がつく。「千乗」は千台の意。因みに、革車千台で兵士は二万五千人となる。
 ◎帯甲十万 「帯甲」とは甲(よろい)(革製のよろい)を身につけた兵士の意。「十万」とは軽車・重車それぞれ千台で、兵士は合計十万人となるの意。
 ◎千里而饋糧 「里」は周代の場合、今の約四百メートルであり、従って千里は約四百キロメートルとなるが、ここでは極めて長い道のりを表す、と解する。「饋」とは運送の意。

○田所孫子:○用兵之法とは、軍隊が戦闘態勢につくまでの行動法式。
 ○馳車千駟とは、馬四頭立ての戦車千台。一台には士官三人、兵卒七十二人がつく。
 ○革車千乗とは、兵糧・武器等を運ぶ軍用トラック千台。一台には、装備兵卒、調理兵卒等二十五人つく。
 ○帯甲十万とは、甲冑をつけた軍人十万。
 ○千里饋糧とは、千里も故国を離れた戦場に兵糧を送ること。中国の当時の一里は約五二四米。

○重沢孫子:用兵の一般的な原則は、馳車-攻撃用の戦闘車が千台、革車-輜重用の非戦闘車が千台、武装兵士十万人。この編成部隊を国外千里もの地域に出動させて、駟-馬四頭、馳車一台を四頭で引く。
 里-当時の一里は半粁(キロメートル)弱。

○著者不明孫子:【凡用兵之法】 「凡」はすべての意。「用兵」は軍隊を動かす、戦争をすること。「法」は道と同じ。方法の意であるが、単なる方法でなく、根本的な在りかたという意味を含む。
 【馳車千駟】 「馳車」は軽快に走り回れる戦闘用の兵車で、馬四頭に引かせる。「駟」は馬四頭、また四頭立ての馬車。
 【革車千乗】 「革車」は皮革を張った車。諸説があるが、大きくて丈夫な兵車とする説を採る。兵車一台を一乗という。
 【帯甲】 甲(よろい)を帯びる(身につける)つまり、武装すること。ここは武装した兵士・部隊をいう。けっきょく、「帯甲十万」と下の「十万之師」とは同じこと。
 【饋】 食糧を送る、また単に「送る」意。

○孫子諺義:『孫子曰はく、凡そ兵を用ふるの法、馳車千駟、革車千乗、帯甲十萬、』
 兵を用ふるの法とは軍旅の作法を云ふ也。馳車は四方へかけはせを自由にいたす車、即ち戦車也。輕車とも云ふ。車一兩に馬四疋を用ひてこれを引かしむ。二疋は車のながえ(轅)の内にあり、二疋はながえのそとにあり、是れを駟馬と云ふ、ゆゑに千駟と云へり。千兩と云ふの心也。革車は荷物糧食諸具をつめる小荷駄の車也、是れを重車と號す。車のこしらへ風雨寒暑にもそこねざるごとくならしむるゆゑに、車をおほふに革を以てす。このゆゑにはせ引自由なる車にあらず。是れは牛を以て引かしむ。千乗とは是れ又千兩と云ふの心也。革車は軍のときは備へのあとにおく。古來皆車戦を用ふ、ゆゑに車戦の法をいへる也。異國は土地平陸の處多くして車を用ふるに利多し。このゆゑに古來車戦を用ふる也。近來は車戦の法すたりて、騎戦歩戦を用ふ。唐の房琯(ぼうかん)(唐代の人、自ら謂うて将となり、古代車戦の法を用ひて大敗す)と云ふもの、後世も車戦の法然る可しとて、車戦を用ひ大いにやぶれたることあり。しかれば時代によつて用捨あること也。馳車千兩、革車千兩にては、大數甲武者(よろいむしゃ)十萬也。馳車一兩に士三人、卒七十二人、合せて上下七十五人、革車一兩に夫に付くもの廿五人の大法にて、以上百人なり。これを千兩あわせて十萬の都合たり。馳車・革車について、委細の説多しといへども、ここにはこれを略す。この段の心は十萬の兵を用ふるの大數を論ぜんために、いへることばなれば、ここにこまかなる議論益なき也。

○孫子国字解:『孫子曰、凡兵を用るの法、馳車千駟、革車千乗、帯甲十萬、千里に糧を饋るときは、則内外の費え、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日々に千金を費やして然して後に十萬の師擧ぐ(矣)。』
 則の字なき本もあり。此段は長陣の害を云ん為め、軍をするは費多きことを云へり。凡用兵之法とは、總じて軍をする作法と云ことなり。馳車千駟とは、馳車は、曹操、梅堯臣、施子美が注に、輕車也と云、李筌は戦車也と注し、張預は攻車也と注す。合戦をする車なり。車を小く輕くこしらへ、馳引自在なる様にするゆへ、様々の名あり。千駟とは、駟は馬四匹なり。車一つに馬四匹かくるなり。兩服兩驂とて、轅の内に二匹、これを兩服と云。轅の外に二匹、是を兩驂と云。それゆへ合戦をする車千と云ことを、馳車千駟と云なり。革車千乗とは、革車は曹操、梅堯臣、施子美いづれも重車也と注す。杜牧は輜車重車也と注し、張預は守車也と注す。兵具兵糧衣服等、諸道具をのする車なり。小荷駄のことを輜重と云。重き荷物をのせて馳引自由ならず、革にてつつみて丈夫にこしらへ、守て動かざるゆへ、あまたの名あり。牛十二匹にて引かする也。馳車をは千駟と云ひ、革車をば千乗と云。何れも車千のことなれども、馳車は馬にかけ、はせ引きを第一にするゆへ、馬へかけて詞を立てて、幾駟と云なり。革車は荷物をのする為め、幾乗と云なり。總じて古は車戦と云ことありて、軍には又車を用ゆ。それゆへ軍の字も車に從ふなり。異國は大國にて、平地多きゆへ、車を用たると見えたり。押前には馳車を先へ立て、革車を後にす。陣を取る時は馳車をまはりに置き、革車を中にをく。戦に臨ては車をならべて備を立て、是にて矢鐵砲をも防ぎ、又休息をもするなり。懸れども妄に懸らず、崩るる時も、大崩れすることなし。故に三代戦國の間、專ら是を用ひらるなり。後代に及で、騎兵を專にして合戦をするゆへ自ら車戦の法すたれ、御者の法も、車の制度も、皆絶て傳らず、節制の軍に心ある名将、車戦の法をとり起んとすれども叶はず、代々北狄の禍中國にたえざるも、此法すたれたる故なりと云へり。實に北狄の夷は、馬の名人なれば、馬入れを止むこと、車戦に非んば叶ひ難かるべし。帯甲十萬とは、帯甲は甲を帯すとよむ。武者のことなり。武者十萬とは、馳車には甲士三人、歩卒七十二人、合て七十五人なり。甲士は大将にて車の上にあり。前拒、左角、右角とて、二十四人づつ前と左と右とに備を三つに分けて立るなり。革車には炊子とて、食事を拵(こしらえ)る者十人、守装とて、衣類兵具を司る者五人、厩養とて、馬牛を詞ふ者五人、橅汲とて、薪を取り水を汲むもの五人にて、合て二十五人。然れば馳車一つ、革車一つにて、人數百人づつ、馳車千駟、革車千乗にては、都合十萬人なり。然れども帯甲とある時は、合戦をする武者ばかりのことなれば、馳車の方ばかりを數へて、七十五人づつ、都合七萬五千なるを、孫子大數を擧て十萬と云へるなり。梅堯臣が説には、馳車の方に、甲士歩卒合て二十五人、革車の方に、甲士歩卒合て七十五人にて、都合十萬人と云へり。尤時の手配りによりて、箇様にもあるべけれども、曹操の新書の説より、代々諸家の説前に述る如し、大數を擧ぐと云説に從ふべし。扨十萬と云詞も、大抵百里四方の國を領する、千乗の諸侯の上にて云へるなり。千里饋糧とは、右の人數十萬、馬四千匹、牛一萬二千匹の總數を以て、千里の外へ押出さんに、其兵粮米馬の豆芻等を運ぶことを云なり。但し異國の千里と云は、右は周尺八尺を一歩とす。周の一尺は日本今の曲尺の七寸二分弱なり。これを知ることは、唐書に開元通寶徑八分とあり、今世に殘り傳る開元錢を、曲尺にてはかるに、又八分あり。是唐の尺は即今の曲尺と同きなり。扨周尺は隋書に、後周の玉尺は、晉前尺に比するに、一尺一寸五分八釐と云ひ、通典に、玉尺を論して、大尺の六之五に當ると云り、晉前尺は即周尺なり。大尺は唐尺にて、即今の曲尺なり。因てこれを算して、周尺は今の七寸一分九厘六毫三絲に當ると知る。故に七寸二分弱と云たるなり。一里を三百歩とする時は、曲尺の百七十二丈八尺にて、四町四十八間、千里は四千八百町なれば、百三十三里餘なり。周の末には、或は六尺を一歩とし、或は六尺四寸を一歩として、其制諸國同じからず。秦に至て一統して、六尺一歩に定めたり。六尺を一歩とする時は、一里三百歩は、今の三町三十六間にて、千里は三千六百町即百里なり。されば本文に千里饋粮と云は、大抵日本の里數にて、百里より百二三十里ほどの道なれば、平生の道にして、十日路程を兵粮をはこぶことなり。内外之費とは、内は領内なり。外は軍所なり。賓客之用とは、客人のまかなひなり。軍あれば隣國より使者の往來もあり。又反間游説の士にも入用を考へ、金銀を與へて、諸國へうち散し、計策をなさしむ。漢の高祖の千金を陳平に與へ、反間をなさしむる類、又は軍中にて士卒へ饗應[きょう‐おう【饗応】キヤウ‥(キョウヨウとも)①酒食を供して、もてなすこと。供応。②迎合すること。]を賜るも、軍用の外なれば、この賓客之用と云内にこもると、王晳、施子美が注にあり。膠漆之材とは、弓其外諸の兵具に用る、にかはうるしなり。材と云は、材木の材にて、にかはうるしは、其領内より出るものなれば、是を買取るに及ばず、材木を山より伐り取て使ふ如く、其國より出るものを直に用るを云なり。車甲之奉とは、車は軍車なり。甲は甲冑なり。奉は奉養[ほう‐よう【奉養】‥ヤウ 親や目上の人に仕えて養うこと。]の意にて、車は軍をのせ、甲冑は軍士にきすれば、皆軍士を奉養するものゆへ、奉と云なり。右の膠漆之材は、細かなる費をあげ、車甲之奉は、大きなる費をあげたり。日費千金とは、右の如く十萬の軍兵に、四千匹の馬、萬二千匹の牛を、十日路の外へ出す時は、領内軍所の入目、賓客のもてなし、細にしては膠漆の類、大きにして車甲冑の類、押し合せて云はば、一日に千金の入目を入れずんば、軍用調ふべからずとなり。然後十萬之師擧矣とは、さやうに日々千金づつ入目を入れて、其後やうやうに、十萬の人數はおし出さるると云意なり。さやうの費をいとひては、大軍をやすやすと、十日路の遠方へ運び出すことはならぬとなり。千金と云は、公羊傳[くようでん【公羊伝】‥ヤウ‥「春秋」の注釈書。春秋三伝の一つ。11巻。公羊高の伝述したものを、その玄孫の寿と弟子の胡母生らとが録して一書としたものとされる。]の注には、百萬の錢を百金と云とあれば、千金は千萬の錢なるゆゑ、錢一萬貫のことなり。又漢の食貨志[しょっか‐し【食貨志】シヨククワ‥中国の正史中の一分野。経済に関する記録。]には、黄金四方一寸にて重さ一斤を一金と云とあれば、千金は黄金百六十貫目のことなり。然れども、沈存中が筆談に、古今秤目の不同を論じて、一斤は四十三匁(もんめ)三分なりと云ひ、明の王元美が宛委餘編に、黄金の重さ四十三錢三分は、錢十貫か二十貫にあたると云へり。然れば、公羊傳の注と、大抵符合せり。されども皆大概を云たるものなれば、強ちに千金の數に泥(なず)むべからず。まして今日本の物價とは、はるかに違あるべしと思はる。されども後來の考の為め、里數斤目のことをもあらましを記すなり。

○孫子評註:『孫子曰く、凡そ兵を用ふるの法、馳車千駟(戦車千台、駟は四頭立ての馬車)、革車千乗(革でおおってじょうぶにし、兵具・兵糧・衣服等、諸道具を乗せた車千台。乗は車を数えることば。)、帯甲十萬(よろいを着た将兵。)、千里糧を饋る。』
 糧を饋るの下に、或は「則」の字あるも、語勢險急、恐らくは此の字を著(つ)け得ざらん。十萬十里は全篇を通貫す。

孫子十家註:『孫子曰く、凡そ兵を用ふる之法、馳車千駟(御覧は千乗に作る。)、革車千乗、帯甲十萬、』

○曹公:馳車とは輕車なり。駟馬を駕[①馬・馬車に乗る。乗り物をあやつる。乗り物。②のりこえる。しのぐ。](が)す。凡そ千乗なり。革車とは重車なり。萬騎の重を言うなり。一車は四馬を駕す。卒十騎は一重なり。養二人は炊を主る。家子一人は衣装を固く守りて主に保つ。廏二人は馬を養うを主る。凡そ五人なり。歩兵十人は重なり。大車を以て牛を駕す。養二人は炊を主る。家子一人は衣装を守るを主る。凡そ三人なり。帯甲十萬とは士卒の數なり。

○李筌:馳車は戦車なり。革車は輕車なり。帯甲は歩卒なり。車一兩を駕すに駟馬を以てし、歩卒七十人なり。計千駟の軍とは、帯甲七萬、馬四千匹なり。孫子約して軍資の數を以て、十萬を以て率いるを為さば、則ち百萬知る可し、となり。

○杜牧:輕車とは乃ち戦車なり。古くは車戦は、革車輜車重車なり。器械財貨衣装を載するなり。司馬法に曰く、一車 甲士三人、歩卒七十二人、炊家子十人、固守衣装五人、廏養五人、橅汲五人。輕車七十五人。重車二十五人。故に二乗は一百人を兼ね一隊を為す。十萬の衆を擧げるに革車千乗、其の費用を校べ度計れば、則ち百萬の衆皆知る可きなり。

○梅堯臣:馳車は輕車なり。革車は重車なり。凡そ輕車一乗は、甲士歩卒二十五人。重車一乗は、甲士歩卒七十五人。二車各千乗を擧げるに、是れ帯甲者十萬人。

○王晳:曹公曰く、輕車なり。駟馬を駕すは凡そ千乗。晳謂へらく、馳車は革車を駕すを謂うなり。一乗四馬は駟を為す。千駟とは則ち革車千乗なり。曹操曰く、重車なり。晳謂へらく、革車は兵車なり。五戎千乗の賦有り。諸侯の大なる者なり。曹公曰く、帯甲十萬は歩卒の數なり。晳謂へらく、井田の法、甸[①郊外。②都城周辺の、天子直属の地。③周代の税制で、六十四井の土地。→井田④統治する。⑤農産物。⑥狩り。]は兵車一乗、甲士三人、歩卒七十二人を出す。千乗は總七萬五千人。此れ帯甲十萬を言う。豈に當に時權を制すべきか。

○何氏:十萬は成數を擧げるなり。

○張預:馳車は即ち功車なり。革車は即ち守車なり。按ずるに、曹公新書に云わく、攻車一乗は、前拒一隊、左右角二隊、共に七十五人。守車一乗は、炊子十人、守装五人、廐養五人、橅汲五人、共に二十五人。攻守二乗は凡そ一百人、師を興すに十萬なれば、則ち車を用いるは二千。輕重各半。此れを與えるに同じなり。

孫子十家註:『千里糧を饋くる』

○曹公:境を越すに千里なり。

○李筌:道を理(おさ)めるに縣[中国の行政区画の一つ。春秋時代、国を滅ぼして県とすることが一般化。戦国時代以後郡の下に県が置かれ、後代、州または府で県を統べ、民国初めには道の下に県を置く。現在は省(および自治区・直轄市)の下に県がある。]を遠にす。


意訳
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○金谷孫子:孫子はいう。およそ戦争の原則としては、戦車千台、輜重車千台、武具をつけた兵士十万で、千里の外に食糧を運搬するというばあいには、

○浅野孫子:孫子は言う。およそ軍隊を運用するときの一般原則としては、軽戦車千台、重戦車千台、歩兵十万人の編成規模で、千里の外に兵糧を輸送する形態の場合には、

○町田孫子:孫子はいう。およそ戦争の原則は、戦車千台、輜重車千台、武装の兵士が十万で、千里の外に出兵して食糧を輸送するという際には、

○天野孫子:孫子は次のように言う。およそ戦争を行なう場合の法則として、戦車千台、輜重車千台、武装の軍隊十万人を整え、千里の遠方に食糧を輸送するならば、

○フランシス・ワン孫子:およそ戦争には四頭立ての快速戦車千輌と四頭立ての革の装甲輜重車千輌、さらに、鎧・甲(かぶと)の武装兵十万が必要である。遠方千里に食糧を送り、

○大橋孫子:戦いを始め、快速戦車千輌、輸送車千輌、武装兵十万を千里の遠くに出征させ、これに糧秣を送れば、
○武岡孫子:孫子はいう。戦争の一例として、戦車千台を基幹に、軍需品輸送車千台、武装兵十万を伴った軍団を、千里の彼方に派遣し、これに本国から食糧を追送する作戦を行なう場合には、

○著者不明孫子:そもそも軍隊を動かす場合の原則は-四頭立ての軽兵車千台、重兵車千台、戦時装備の兵員十万をそろえて、千里の遠くまで軍糧を運べば、

○学習研究社孫子:孫子は言った-。通常、軍隊を動かす規準を考えてみるに、軽戦車千台、重戦車千台、武装兵十万人を動員し、千里先まで食糧輸送するという設定ならば、

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