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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒スポンサー広告⇒『夫れ兵を頓らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くさば、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。』:本文注釈孫子 兵法 大研究!トップ⇒本文注釈:孫子 兵法 大研究!⇒『夫れ兵を頓らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くさば、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。』:本文注釈
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2012-10-21 (日) | 編集 |
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『夫れ兵を頓らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くさば、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。』:本文注釈

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竹簡孫子では「智者と雖も」。今文では「智者有りと雖も」となっているが、特に意味に重大な違いがでてくるわけではない。

夫れ-①成年に達した男子。一人前のおとこ。②おっと。③労働にたずさわる人。④発語の助字。それ。そもそも。いったい。【解字】頭に冠のかんざしを挿した人を描いた象形文字。成年男子の意を表す。

貨-①ねうちのある品物。財宝。商品。②交易のなかだちをするもの。金銭。かね。【解字】形声。「貝」+音符「化」(=かわる)。交換して他の品物にかわる貝の意。昔は子安貝を貨幣として用いた。

殫-①つきる。なくなる。つくす。②ことごとく。のこらず。

諸侯-しょ‐こう【諸侯】①昔、中国で、天子から受けた封土内の人民を支配した人。②江戸時代の大名を指す。

弊-①古くなっていたむ。ぼろぼろになる。やぶれる。ぐったりする。②たるんで生じた害。たるみ。③つたない。手前どもの。自分の属する物に冠して、へりくだりの気持ちを示す語。【解字】形声。「廾」(=両手)+音符「敝」(=破れてだめになる)。

起-①おきあがる。立つ。②おこす。㋐高くもちあげる。㋑活動をおこす。はじめる。③おこる。はじまる。【解字】形声。「走」+音符「巳」(=はじめ)。立って走りはじめる意。一説に、「巳」を目じるしと解し、足の動作を示す「走」を加えて、目立たなかったものがおきあがる意とする。

智者-ち‐しゃ【智者】①知恵のすぐれた人。賢い人。知者。②智識の高い僧。

雖-…といえども。…だけれども。たとえ…であっても。

能-①仕事をしとげる力。はたらき。わざ。②よくする。うまくできる。はたらきがある。③はたらきかける。④ききめ。効果。作用。⑤猿楽さるがくから展開した日本固有の歌舞劇。⑥「能登国」の略。【解字】大きな口をあけ、尾をふりあげた動物を描いた象形文字。「熊」の原字。くまが力の強い動物であるところから、強い力を持ってはたらく意となった。もと、肉部。





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○浅野孫子:殫(たん)-やはり尽と同じで、尽きはてる、使いはたすの意。

○天野孫子:○殫貨 「貨」はたから。金銭・珠玉(宝石)・布帛の類を総称して言う。「殫」はつきる。これは前句の「国用足らず」を言う。
 ○諸侯乗其弊而起 「弊」はつかれる、疲労。「乗其弊」はその疲弊につけこむ。「起」はたちあがる。諸侯がたちあがるとは、諸侯が兵をおこすこと。『発微』は「起るとは起りて之を攻撃するを云ふ」と。
 ○不能善其後矣 「能」はできる。「其」は前文の諸侯起こるを受ける。『詳解』は「其の後とは諸侯既に起るの後を指す」と。「善其後」とは事後の処理をよく行なうの意。これより善後策の語が生ず。一説に「後」を後文の「巧之久」に関係させて『正義』は「後は先後の後なり。拙速を先と曰ひ、巧久を後と曰ふ」と。

○守屋孫子:こうして、軍は疲弊し、士気は衰え、戦力は底をつき、財政危機に見舞われれば、その隙に乗じて、他の諸国が攻めこんでこよう。こうなっては、どんな知恵者がいても、事態を収拾することができない。

○フランシス・ワン孫子:『夫れ、兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くせば、則ち諸侯其の弊に乗じて起る。智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。』
 註 一、本項は、関係諸国の向背の問題について述べたものである。諸侯即ち第三国との関係は、決して盟約や協定等の上に安住することを許すものではない。戦力を失って形勢を損じ、国力の涸渇も明白となった国家に対しては、たとえ従来の経緯がどうあろうと、関係諸国が一方的に協約を破棄し、漁夫の利を獲んとする者となることは、歴史上常に見られる所である。我々としては、日・ソ不可侵条約の命運を思い出さざるをえぬ所であろう。しかも、斯の如き事態に立ち至れば、いかなる明察の士(論語に曰く”智者は惑わず”と)がいたとしても、もはや形勢を挽回することはおろか、その後(前途)に対する適切なる方策、いわゆる善後策を講ずることも不可能となるのである。このため、孫子は、関係諸国の向背についても、戦争計画の段階から対処を図らねばならぬ重要問題とするのであるが、それに止まらず、さらに、戦争の終末に至るまでの各種の段階に於て適切なる対処を行う必要のある問題とし、以下の各篇に於て、適時言及することを怠らない。
 一、ところで、戦争は、この世の他の勝負も同様であるが、その性格・形態の如何に拘らず、すべて序・中・終の段階を有し、之を経て終末に至るものである-このことは、短期決戦を企図、一見、序盤或いは中盤戦を欠いて一挙に終盤戦にもっていった(突入した)かの如く思える奇(急)戦の場合も変りはない-しかし、その勝負は、必ずしもこの順序によって求める必要はなく、状勢によっては、どの階程に於て求めてもよく、たとえ当初劣勢に在り或いは非勢に陥っている国と雖も、希望は常に在するのである。従って、劣勢国(軍)はもとより、本来は優勢国(軍)であっても、たとえば準備の立ち遅れ或いは戦力の推進・集中に時日を要する等の事情により不利な状況にある場合は、当初は、むしろ持久して戦力の均衡或いは戦勢の恢復につとめ、終盤に於ける勝利を目途とした戦略を採用する方を有利とする場合が少なくない。つまり、戦争は、何が何でも先制打倒(攻撃)する方式を有利とするわけではないのである。このため、絶対優勢を自認する国(軍)の中には、相手国(軍)を戦争(戦闘)に誘引する目的を以て、一見不利・非勢の政・戦略状勢を故意に作為する者も生じてくる。第一次・第二次大戦に於ける英・米の如きである。しかし、このような政戦略・戦争指導方式は戦争を長期化させる傾きがあり、敵国のみならず、自身また「兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くす」こととなって、その勝利も之を償うものとならず、「諸侯、其の弊に乗じて起り」、遂には戦争目的を失ってしまうことも少なくない。英・米・ソはその好例である。また、優勢国(強国)ではないが、日・中戦争に於ける勝利者蒋介石と国民党、延いては中共も同断と言える。しかも、彼らは、この事態に対して-たとえば、次の戦争は圧倒的武装によって短期戦を準備すべきであるといった-短絡的な反省はするが、それが、根本的には、彼らの世界に於ける覇権獲得或いは維持のための百年戦争的思考様式に起因するものであることを理解しようとはしないのである。而して、彼らのこの好戦的・権謀術数的思考様式が、彼ら独自の生物としての生存本能に基づくものである以上、之を放棄する時は、歴史上屢見られる如く、恐らくは、彼らが「智者有りと雖も、その後も善くすること能わず」の状況に陥った場合の外はないであろう。それまでは、我々は、夢想に耽ることなく、現実的対応を図っていくべきである。

○田所孫子:○屈力殫貨とは、武力もたるみ物資も無くなるとの意。
 ○諸侯乗其弊而起とは、隣国の諸侯がその国の弱ったのにつけこんで戦争(を)しかけてくるとの意。
 ○不能善其後矣とは、その後仕末をうまくやることができぬとの意。

○大橋孫子:その後-事後処理

○武岡孫子:其の後-事後処理

○佐野孫子:【校勘】 ●雖有智者 「十一家註本」、「武経本」では「雖有智者」に作る。「竹簡孫子」には「雖智者」とある。この段の文意を通観すると「雖有智者」の方が適当と解されるので、ここでは、「現行孫子」に従う。
 【語釈】◎不能善其後矣 「善其後」とは事後の処理をよく行うの意。これより善後策(うまく後始末をつけるための方策)の語が生ず。「其の後を善くする能わず」とは、例えば大坂夏の陣(一六一五年)に於て、大坂城が徳川方に十重二十重に囲まれてしまった場合、もはや形勢を挽回することはおろか、いわゆる「善後策」を講ずることも不可能となることを言うのであるが、裏を返せば「そうなる前に、そうならないように手を打つのが兵法である」と孫子は言いたいのである。

○重沢孫子:このように武器は鈍化し鋭気は挫折し、戦力はくじけ戦費は尽きるとなれば、この疲弊に乗じて諸侯が起ち上る。こうなると、たとえ有能な智者がいようとも、事後をうまく処理することはできない。

○著者不明孫子:【殫貨】「殫」は音タン。全部なくす意。「貨」は財貨。財政・経済力をいう。
 【弊】疲れる、破れる。
 【善其後】事後の処置を適切に行う。また、将来悪い結果が起こらぬように取り計らう。

○孫子諺義:『夫れ兵を鈍し鋭を挫き、力を屈し貨を殫くすときは、則諸侯其の弊に乗じて起る、智者有りと雖も其の後(のち)を(しりへを)善くすること能はず』
 此の段上文を結ぶ也。夫れの一字を以て語をおこせり。殫は盡也、弊は疲弊也、鈍兵挫鋭屈力は、軍前のつひえ也。貨を殫すは國用の足らざる也。此の如く内外のつひえあるときには、隣國の諸侯其の時を考へて其の弊にのつて兵を起し、我が國をうつことあり。此の時は智者ありと云へども、これをよくするの謀は叶ふ可からざる也。其の後を善くすること能はずとは、右の如くなりゆきてのあとをよくする事叶はざる也。此の極其の久しくす可からざるを言ふ也。一説に、我が兵をさらすこと久しきの時、其の留守をうかがつて近國よりおそひうつときは、其の後を善くすること能はずと云へり。此の説もまた通ず。然れどもこの段の心は、内外のつひえ多き後にはとひろくみてよし。

○孫子国字解:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫すときは、則諸侯其の弊に乗て起、智者有と雖、其の後を善すること能わず、故に兵拙速を聞、未だ巧なるが之久きを覩ざる也。』
 夫は發語の詞なり。詞の端を更め、發端の語を置くことは、上に軍に費多きことと、久しく陣を張れば、力疲れ勇たゆみ、費いよいよ甚しきことを云をうけて、爰(ここ)にて改めて端をおこして、合戦の速なるをよしとすることを云へり。鈍兵挫鋭とは、上文の其用戦也勝久則、鈍兵挫鋭とある句を、下の句ばかりくりかへして云たるなり。屈力とあるは、是も上の文の、攻城則力屈とある句を下ばかりくりかへして云なり。殫貨とあるは、是も上の久暴師則國用不足とあるを承けて、その國用不足と云意ばかり用て、詞をかへたるなり。諸侯とは隣國の諸侯なり。乗其弊而起とは、平生は力弱ければ、吾に畏れ從て居たる諸侯が、今吾が鈍兵挫鋭力屈貨殫たる弊にのりて、よき時節と思ひ、軍を起して攻め來ると云ことなり。善其後とは、後末々まで、何事なき様によくととのへて、治むることを云なり。拙速とは、拙はつたなし速はすみやかなり。合戦には謀もつたなく下手なれども、速に火急なるを以て勝利を得ることなり。巧とは合戦のてだてに上手なることなり。一段の意は久く戦て、勢ひたゆみ、勇氣もぬけ、力もつき、財寶もつくる時は、士卒は外に苦み、百姓は國に怨る弊あり。平生は力叶はず、我に從ふ隣國の諸侯、この弊をよき時節と、軍を起し、間に乗て攻め來り、遂に味方の滅亡に及ぶべし。たとひ味方に智謀深き者ありとも、かくの如く軍を遠方へ押出して、久しく戦ひたる國の後々末々まで、何事なくよくととのほり、全くさかふる様にすることはなるまじきとなり。故に合戦の道はたとひ計に拙く、軍に下手なりとも、疾雷耳を掩ふに及ばず(衣+十)(漢字)電目を瞬くに及ばざるごとく、火急に勝負を決して利を得ることは、古より多く其ほまれ聞えたれども、たとひ計に巧に合戦に上手にても、年月久しく、陣を張りて益あることをば、孫子はいまだ睹ずとなり。上には聞くと云ひ、下には睹ずと云たるは、文を互にしたるものにて、みるもきくも同じことなり。強ち泥むことなかれ。呂氏春秋に、兵は急捷を欲し一決して勝を取る所以なり。久しくして用いる可からずと云へり。急捷は急疾捷先とて、火急にしてはやわざに先をすることなり。軍は火急なるをよしとするゆへ、手ぬるく後になることなき様に、手ばしかき働きをこのむなり。その故は一時に勝負を決して、勝利を取るゆへなり。年月久しく戦ふべからずと云意なり。又呉明徹と云名将は、兵速に在るを貴ふと云ひ、杜佑は兵者凶噐なり。久ときは則變を生と云へり。凶噐はいまいましき物と云ことなり。軍は多くの人を殺すわざなれば、元來いまいましきことにて、人たるものの嫌ふべきわざなれども、悪人を退治し、亂逆を鎭るには、せで叶はぬわけにて、軍をするなり。此道理を知らず、是を好で久く戦をなせば、必下の怨みより、様々の變を生ずると云意なり。又李衞公は、兵は機事なり。速なるを以て神と為すと云へり。機事とは、たとへば禅機の如し。一機相投ずるところ、間に髪を容れず、此圖をはづさず戦て、大敵をも挫くわざなるゆへ、速なるを以て神妙とするなり。故に施子美は、此段を注して、機を得機を失ふは毫釐の間耳と云へり。圖にあたると圖にはづるると、一毫一釐の間だわづかのまなるを、ひたものに戦ふべき圖をはづし、退くべきぐわいを失ひ、おのづからに長陣をすること、誠に愚将のすることなり。

○孫子評註:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫せば、則ち諸侯其の弊に乗じて起る。智者ありと雖も、其の後を善くする能はず。』
 智者は即ち下の「智将」及び「兵を知るの将」是れなり。後に在りては則ち善くする能はず。先に在らば則ち民生くべく、國家安んずべし。是れ一篇の針線なり。

孫子十家註:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くせば、則ち諸侯其弊に乗じて起る。智者有りと雖も、其後を善くすること能はず。』 
○杜佑:當に時に兵を用いるの術有ると雖も、其の後の患を防ぐ能わず。

○李筌:十萬の衆挙がれば、日に千金を費やす。唯だ外に頓挫するに非ず、亦財 内に殫く。是れを以て聖人 師を暴すこと無きなり。隋 大業の初め、煬帝 兵を重んじ征を好み、力 鴈門の下に屈し、兵 遼水の上に挫く。河を疏(うとん)じ淮に引き、轉輸彌(いよいよ)廣し。師を出すに萬里、國用足らず。是に於いて楊元感・李密 其の弊に乗じて起る。縦蘇威・高熲、豈に能く之謀るを為すなり。

○杜牧:蓋し師久しく勝たず、財力俱に困るを以て、諸侯之に乗じて起る。智能の士有りと雖も、亦此の後に於いて、善く謀畫を為すこと能わざるなり。

○賈林:人離れ財竭き、伊呂復た生ずと雖も、亦此の亡敗を救う能わざるなり。

○梅堯臣:勝を取り城を攻めれば、師を暴し且つ久しければ、則ち諸侯此の弊に乗じて起り、我れを襲う。我れに智将有りと雖も、制する能わざるなり。

○王晳:其の弊甚だしきを以て、必ず危亡の憂い有り。

○何氏:其の後、兵勝たずして敵其の危殆に乗じ、智者と雖も、其れ善く計を盡して保全すること能わず。

○張預:兵已に疲れ、力已に困し、財已に匱(とぼ)しくして 鄰國 其の罷弊(疲れ)に因り、兵起すを以て之を襲えば、則ち縦(たと)え智能の人有りといえども、亦其の後の患いを防ぐ能わず。呉 楚を伐つに郢(えい)[地名。中国、春秋時代の楚その都。今の湖北省江陵県の西北にあった。]に入る。久しくして歸らず。越兵遂に當に是の時にすべしと伍員・孫武の徒有りと雖も、何ぞ嘗て能く善く謀り後に為さんや。


意訳
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○金谷孫子:そもそも軍も疲弊し鋭気もくじかれて[やがて]力も尽き財貨も無くなったということであれば、[外国の]諸侯たちはその困窮につけこんで襲いかかり、たとい[身方に]智謀の人がいても、とても[それを防いで]うまくあとしまつをすることはできない。

○浅野孫子:もし、このような戦い方をして軍が疲労し鋭気が挫かれたり、あるいは戦力が消耗しきったり、財貨を使いはたしたりする状態に陥れば、それまで中立であった諸侯も、その疲弊につけ込もうと兵を挙げる始末となる。いったん、こうした窮地に陥ってしまえば、いかに智謀の人であっても、その善後策を立てることはできない。

○町田孫子:このように、軍は疲弊し、鋭気は挫かれ、戦力も消耗し、財政もゆきづまったとなると、他の諸侯は、その隙につけこんで兵を挙げるに違いない。そうなれば、たとえ味方に智謀の士がいようとも、うまくあと始末をつけることはできない。

○天野孫子:このように兵力をにぶらせ、盛んな士気をくじけさせ、戦闘力が尽きはて、財貨を窮乏させるなら、諸国の君主はその疲弊につけこんで、軍を起こして攻めて来る。たとい智恵ある者がおるとしても、その事後の処理をうまく行なうことはできない。

○フランシス・ワン孫子:軍隊の戦力と士気が失われ、政府の戦争に対する情熱が冷め、国民の力が衰退し、国庫の財が底をつく頃ともなれば、隣邦の諸侯は、我が苦境に乗じて行動を起すこととなろう。この段階ともなると、たとえ我が方に明察の士がいたとしても、もはや、その前途に対する適切な策を講ずることは不可能となる。

○大橋孫子:兵力をにぶらせ、士気を衰えさせ、戦力を使い果たし、国庫を窮乏させれば、諸侯はこの疲弊につけこみ、軍を起こしてそむく。たとえ有能な政治家や将軍がいても、よく収拾することなでできるものではない。

○武岡孫子:もし軍が疲れ士気が挫け、やがて力尽き金も無くなれば、第三国の諸侯らが疲弊につけこみ襲いかかる。そうなればいかに智恵者がいてもうまく後仕末できない。

○著者不明孫子:そのように、武器を傷め士気をくじき、戦力をなくし財力を使い尽くせば、他の諸侯がその疲弊に乗じて兵を挙げる。いかに智者が現れたとしても、うまく事態を収束することはできない。

○学習研究社孫子:さて、兵卒が疲弊し、士気が衰え、軍備力がなくなり、経済力がつきてしまえば、諸侯は、その弊害につけ込んで、戦争をしかけてくるだろう。そうなると、知恵者であっても、出兵の後始末を上手にすることはできなくなる。

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