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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒スポンサー広告⇒『其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、則ち兵を頓らせ鋭を挫く。城を攻むれば、則ち力屈き、久しく師を暴さば、則ち国用足らず。』:本文注釈 孫子 兵法 大研究!トップ⇒本文注釈:孫子 兵法 大研究!⇒『其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、則ち兵を頓らせ鋭を挫く。城を攻むれば、則ち力屈き、久しく師を暴さば、則ち国用足らず。』:本文注釈
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2012-10-07 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、則ち兵を頓らせ鋭を挫く。城を攻むれば、則ち力屈き、久しく師を暴さば、則ち国用足らず。』:本文注釈

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竹簡本では「…用戦勝久則頓…」となっている。これは「其の戦いを用いての勝は、久しくせしめんとす。則ち兵を頓れしめ鋭を挫けしむ。城を攻むらしめて、則ち力を屈せしめ、久しく師を暴さしめて、則ち国用足らざらしむ。」とも読め、「戦を用いて勝つとは、相手を長期にわたり戦争に奔走させることである。そうして、相手の兵力を疲弊させ、盛んな士気をくじけさせるのである。城を攻めらせることで戦闘力を尽きさせ、長いこと敵軍を戦場に曝させれば、敵国の国費を不足の状態とさせることができる。」とも解釈することができる。一般的な解釈である「勝っても長期にわたって戦争が続けば、兵を疲弊させ鋭気を挫かせてしまう。」という意味に捉えても当然有用であることは疑いない。また、もう一つ有力な解釈に、「戦争をおこなうということは、勝つということが至上目的(勝つことを貴ぶということ)である。だらだらと戦争を続けていれば兵力も国力も尽きてしまう。」というような解釈がある。これも有用である。なお、趙本学の説に『其の戦いを用うるや、勝つことを貴ぶ』と、勝の字の上に貴の字を入れた方がよい、というものがあるが、この場合、のちにでてくる「故に、兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず」の文と非常に相性がよくなる。この説も説得力がある。今文の読み方を「其の戦いを用うるは勝たんとす。久しければ則ち…」としてもいいと思う。勝つことが戦の目的なのに、戦争が長びくうちに、戦争を続けることが目的となってしまうような錯覚に陥りやすいため、戦争の目的とはあくまでも勝つことである、とここでことわった、ということも考えられる。ところで『城を攻むれば、則ち力屈く』の文は、なにか唐突に文の真ん中に入っているような気がするが、当時、城を攻めるということがどれだけ消耗戦につながったかということがこの文からわかる。攻城戦を強く戒めるために文中に入れたものであろう。


也-①断定の助字。なり。…である。②提示の助字。や。…は。…ということは。③疑問・詠嘆の語気を表す助字。や。中国では中世以後、「亦」と同じく、…もまた、…もやはり、の意味に用いられるようになり、現代に及んでいる。

久-ひさしい。時間的に長い。長時間そのままになっている。【解字】会意。背の曲がった老人と、これを引き止める意を示す印とから成る。曲がりくねって長い意、長く止まる意などを表す。

則-①きまり。規定。のり。②手本として従う。のっとる。③すなわち。㋐上の条件を受けて下に帰結を示す助字。…ならば(その場合は)。…すると。㋑他と区別して強調する助字。…については。…の場合は。【解字】会意。「鼎」(=かなえ)の省略形+「刀」。かなえにナイフを添える意から、ぴったりよりそってはなれない意。

頓-①ぬかずく。ひたいを地につけておじぎをする。②一ところにとどまる・とどめる。とどこおる。おちつける。③すぐその場で。たちどころに。にわかに。とみに。→字訓「とみ」は字音「トン」の転化。

鋭-①するどい。刃物などの先がとがっている。②勢いが強い。反応がはやい。動きがすばやい。③するどくする。【解字】形声。「金」+音符「兌」(=外がわをはぎとる)。金属の外がわをけずり取ってとがらす。

挫-くじき折る。途中で勢いが衰える。くじける。

屈-①折れまがる。折りまげる。かがむ。かがめる。②やりこめられる。くじける。③ゆきづまる。④つよい。頑丈である。【解字】会意。「尸」(=しり)+「出」。からだをまげてしりをつき出す意。

暴-①力ずくで人をそこなう。あばれる。あらあらしい。②度を過ごす。むやみに。③思いがけなく急に。にわかに。④素手で打つ。⑤あばく。日にさらす。【解字】会意。「日」と両手と動物をさいてひらいた皮革の形とから成る。動物の皮革を両手でささげて日光にさらす意。内の物を外に出す意から転じて、勢いよくふるまう、あばれるの意に用いるようになった。

国用-こく‐よう【国用】 国家の費用。国費。





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○金谷孫子:勝久-『太平御覧』巻二百九十三では「久」の字だけで、上下の意味からするとそれがよい。 
 兵を鈍らせ-鈍は謀攻篇の「兵頓せず」の頓と同じ。竹簡本では「頓」。弊の意。軍の器材が損傷するばかりで補充がつかずに疲弊すること。 
 屈-竭の意。尽くす。

○浅野孫子:◎頓-疲弊する、疲れ苦しむ、つまずき倒れるの意。 ◎屈-尽と同じで、尽きはてるの意。

○町田孫子:(1)宋本では「久」の上に「勝」の字があるが、『太平御覧』の引用にしたがって除いた。

○天野孫子:○其用戦也勝久則鈍兵挫鋭
 「其」は「十万之師」を受ける。「用」はおこなう。「久」はここでは戦争が長期にわたるの意。「兵」は兵力。「鈍兵」は兵力をにぶらせるの意。一説に「鈍」は「頓」の意として、つかれると。魏武帝は「鈍は弊なり」と。張預は「兵疲る」と。また一説に兵器をにぶらせると。趙本学は「其兵鋒を鈍らす」と。「鋭」は鋭気の意。軍争篇に「善く兵を用ふる者は其鋭気を避けて、其惰帰を撃つ」と。なお「鈍兵」「挫鋭」について一説に『発微』は「鈍兵・挫鋭は互文なり」と。また『略解』は「鈍兵は兵器のなまる事を云ひて、士卒の志の怠る事を云ひ、挫鋭も矛戟の切先の折れくぢける事を云ひて士卒の気のたはむ事を云ふ」と。この句について賈林は「戦ひて人に勝つと雖も、久しければ則ち利無し」と。一説に杜牧は「勝久とは淹久(えんきゅう)にして而る後に能く勝つなり。敵と相持し、久しくして而る後に勝たば則ち甲兵鈍弊し、鋭気挫衂(ざぢく)するを言ふ」と。淹久は久しきにわたる。挫衂はくじける。この場合「勝つに久しければ」と読む。また一説に『直解』は「其の之を用ひて以て戦ふや、速にして必ず勝つに在るを貴ぶ。若し相持すに日久しければ、則ち吾の兵鋒を鈍らし吾の鋭気を挫く」と。この場合「其の用ひて戦ふや勝たんとす。久しければ則ち…」と読む。趙本学は「勝の上、疑ふらくは一の貴の字を脱せん」と。
 ○攻城則力屈
 「攻城」は敵を攻める中で最も下策な攻めかた。謀攻篇に「上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む」と。『発微』は「城を攻むとは久しく城を攻むるを言ふ」と。「屈」について魏武帝は「尽なり」と。つきる意。「力屈」は戦闘力がつきる。
 ○久暴師則国用不足
 「暴」はさらす。ここでは山野にさらす。「師」は大軍。「用」は費用。

○守屋孫子:たとい戦って勝利を収めたとしても、長期戦ともなれば、軍は疲弊し、士気も衰える。城攻めをかけたところで、戦力は底をつくばかりだ。長期にわたって軍を戦場にとどめておけば、国家の財政も危機におちいる。

○大橋孫子:暴す-戦場におく

○武岡孫子:暴せば-戦場におく

○佐野孫子:【校勘】其用戦也
 「竹簡孫子」には「戦」の下に「也」の字がない。この「也」は、「~は、~の時には」の意で、物事を提示しており、あった方が文意はより明確である。「十一家註本」、「武経本」に従って補う。
 【語釈】◎久暴師則国用不足
 「暴」はさらす。ここでは山野にさらす。「国用」とは、国家の財政・経済をいう(F・ワン仏訳「孫子」)。

○フランシス・ワン孫子:『其用戦也貴勝。久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈。』 
註 一、「その戦いを用うるや、勝つを貴ぶ」
 本項は、本篇の結語である「故に、兵は勝つことを貴ぶも、久しきは貴ばず」(二十一項)と呼応する言であり、以下の孫子の用兵論を貫く骨幹の思想である。「勝つことを貴ぶ」は、仏訳は、「勝利こそが戦争の第一の目的である」と解しているが、ではそれはどのような勝利であるかというに、速やかに勝つことを貴ぶ、即ち戦争は切り上げの早きことを以て肝要とするの意であり、孫子はこれを六項に於て「拙速」なる言を用いて説明している。
 一、「久しければ、即ち兵を鈍らし鋭を挫き、城を攻むれば則ち力屈す」
 曹操は「鈍らすとは、(国民と軍隊の)弊(つか)るるなり。屈すとは、(国力と兵力の)尽くるなり」と註しているが、その語感には悲痛を覚えざるをえぬものがある。君主にして将帥をも兼ねた曹操の、国家と戦争の経営に於ける苦心のほどが偲ばれてくる所である。当時、曹操に対抗して天下の覇を争うべく、蜀漢帝国の経営に腐心した諸葛孔明も、本項の問題について「後出師の表」で次の如く述べている。「臣が漢中に到りしより、まだ一年に過ぎない。然るに、趙雲以下の軍の骨幹である勇将・猛士を多数失ってしまった。彼らは一州の有する所にあらず。皆、十数年の歳月をかけて四方より糾合せる所であり、天下の精鋭である。もし戦争が長期化し、さらに数年続くとすれば、残りの三分の二も損耗させてしまうこととなろう。その場合は何を以て敵を図ることができようか」と。戦力の不足・国力の未充実にも拘らず、長期戦を回避し、敢えて決戦的攻勢に出る所以を説いて、これまた悲痛である。
 一、近代の長期戦である第一次大戦について、ドイツのフォン・デル・ゴルツ元帥がその著『国民皆兵論』で語る所に聞いてみよう。「戦争が長年月に亙るに従って、軍隊が初に発揮した不断の活動は漸次衰退してくる。数次の会戦を経た軍隊は優良なる将兵を失い、戦闘を交うる毎に優良なる分子を減じて、而もその補充に苦しむに至るのである。軍は磁鉄の如く使用するに従って益々その効力を益すというわけには行かぬ。元来、兵士は、何れも皆、或る期間までは戦争の困苦欠乏を甘んじて忍ぶものであるが、数ヶ月・数年に亙って同一の忠誠心・奉公心を以て之に堪えるというわけには行かぬ。初心の勇士が美しい空想を描いている所の会戦や戦闘は、人間の力には堪え難いほどの労苦がある。それがため、将兵の勇気は漸次消沈し、国家の大事に付いての自覚などは起こらなくなる。心身の過度の疲労は、人をして無感覚に陥らせる。また、内地国民の堅実なる態度も、戦争が長期化するに従って、その重荷に苦しむようになってくる」と。以上は、殆ど、第二次大戦に於ける我々の体験を語るものとして用うることができるのではなかろうか。而して、この長期戦に伴う国民の心理的経過は、ベトナム戦争や中近東の戦争、近くはアフガニスタンに於ても見る所であり、優勢を誇る超大国と雖も例外ではないのである。
 一、なお、本項は一般には次の如くなっている。「其用戦也、勝久則鈍兵挫鋭、(以下は同文)」と。即ち「其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、…」である。意味を変えるものではないが、仏訳は「其の戦いを用うるや、勝つことを貴ぶ」の方をとっている。結言との関係から言えば、仏訳が適当である。
『久暴師則国用不足。』
 註 「国用」とは、国家の財政・経済を言う。

○重沢孫子:実際に武器をとって渡りあう段階になると、何よりも勝つことが一番。長引けば武器は鈍るし、兵士の鋭気は挫折する。敵の拠城を攻めれば、力屈して続かない。長期間部隊を外地にむき出しにしておけば、国の費用は足りなくなる。

○田所孫子:○其用戦也とは、その国が戦争するにはというほどの意。
 ○勝久則鈍兵挫鋭とは、たとえ勝っても、戦が長引けば、武器の鋭さが鈍り挫け、士気が衰えるとの意。
 ○攻城則力屈とは、城を攻めても余り長引けば、将兵の力がたるんで来るとの意。
 ○久暴師則国用不足とは、長い間軍隊を戦場に出しておけば、国家の費用も足りなくなる[との意。]。

○著者不明孫子:【其用戦也】 「用戦」は「用兵」と同じような意味であるが、「用兵」よりも狭く、具体的に戦場で軍隊をどう動かすかという戦闘の問題を指すのであろう。「其」は「用戦」という語そのものを指示し強める。「也」も強めの助字。
 【挫鋭】 「鋭」は士卒の鋭気。
 【攻城】 城を包囲攻撃する。とかく戦いが長引くし、味方の損害が大きいからいけないというのであろう。次の謀攻篇第三の二でも「城を攻める」ことは「下」だとされている。あるいは本来「久しく城を攻めれば」と「久」の字があったかも知れない。
 【力屈】 「力」は人的および物的戦力をいう。「屈」は縮小する、なくなる。
 【暴師】 「暴」は音バク。野外にさらす。「暴師」は軍隊を戦場にさらす、つまり、軍隊を戦闘状態に置いておくこと。

○孫子諺義:『其の戦を用ひて勝つや、久しきときは則兵を鈍し鋭を挫き、城を攻むるときは則力屈す。』
 其の戦を用ひて勝つやと云ふは、十萬の兵日に千金のつひてあり、かるがゆゑに、其の戦を用ひて敵に勝つの術、野合の對陣、日月をふること久しきときには、兵具そこね、士卒の氣ことごとくつかる。況や城をせむるときは、軍勢力きはまり屈するなり。屈は竭(つ)くす也。兵は兵器をさす。鈍は弓をれ矢そこね、劔戟もにぶく、諸々の兵器やぶるる也。鋭は士卒の氣のするどなるなり。兵士の氣はじめいさみすすむといへども、長陣なるときは、退屈して鋭氣みなひしげかじくる也。挫は折也。力屈すとは、城を攻むるは力を用ふるものなるゆゑに、久しくして城落ちざるときは、兵士力屈する也。以上野合の對陣幷(ならび)に城攻ともに久しきをきらふことをいへるなり。戦は交戦と城攻と兩様に(を)出でざるゆゑ也。舊説に、勝久を一句にいたせるあり。杜牧は之れに從ひ、勝ちて久しければ亦利あらずと也。又勝の字の上に雖の字を入れて、戦の用ふるや勝つと雖も久しきときは則利無しと云ふ心にもみる。賈林・梅堯臣の注是れ也。しかれども其の戦を用ひて勝つやと句をきりて見る可し、也の字、勝の字の下にある心にみてよし。古人の文法此の如きもの多し。又云はく、戦を用ひて勝つやとは、言(いふこころ)は戦を用ふるは速に勝つを貴ぶと也。この注のときは勝たんと也と云ふ心なり。戦はすみやかにかつべきがためなりと云ふ心也。一説に、其用戦也勝、五字上文に連續せしめて一句とす。然る後に十萬之軍擧ぐ矣、其の戦を用ふる也勝つと、是れまで連續す。袁了凡此の説を用ふ。しかれども其の説味なし。李卓吾云はく、前後勝の字相應ず。
『久しく師を暴すときは、則國用足らず。』
 以前には、軍前戦のつひえを論ず。是れは國内の財寶用事不足を云へり。師を暴すとは、永々對陣せしめ、士卒外に居り、兵器ことごとく風雨にあたりさらさるるを云ふ。暴は家をはなれて外にあらはれをるを云ふ也。

○孫子国字解:『其の戦を用ること、勝つも久ければ則兵を鈍らし鋭を挫く、城を攻れば則力屈く、久く師を暴せば則國用足らず、』
 上の段には、まづ軍の物入の夥(おびただ)しきことを云て、此段には長陣の害を云へり。其用戦也、勝久則鈍兵挫鋭とは、上の段をうけて、箇様に十萬の人數にて、千里の外に働くは費多きことなるが、其人數にて戦をなさば、とかく手間を取らず、日數をくらぬ様にすべきなり。たとひ戦に勝つとも、久しく日數をくり、長陣をすれば、勇氣たゆみ、将も卒も皆惰る氣になりて、思はぬ不覺を取るものなり。兵を鈍らすとは、兵は兵具なり。鈍らすとは、わざのよき切れものの刃こぼれ、鈍刀になるに喩へて、勇氣のぬくることを云なり。鋭を挫くは、鋭はするどなりとよみて、矛の先き劍の先きの、とがりたることを云なり。劍戟のきつさきのくじけ折たる如く、武勇の鋒なまるとなり。むかし楽毅と云名将、燕の昭王の命を銜み、齊の國へ攻入り、暫時の間に、齊の國の七十餘城を落したりしかども、莒と即墨との二城をおとしかねて、三年まで平け得ず、遂に田單に破られたるも、久しきの失なり。攻城則力屈とは、これも上下の句の勢にて、久しくと云字を言外にこめたり。久く城を攻と見るべし。落かぬる城を、久しく日數を費して攻れは、将も士卒も力くたびれ屈するなり。其間に必さまざまの變出て來て、縦ひ城を攻落したりとも、其益なきことなり。むかし玄宗の時、安禄山が亂起りしに、張巡許遠と云大将、睢陽城にこもりたりしを、敵の大将、尹子奇令狐潮これを攻む。張巡許遠天に誓ひ、命をすてて城を守りしかば、年月を經て漸くに攻落したり。城は落たれども、敵の勢もこれより衰へたること、唐書に見えたり。故に漢の韓信百萬の兵をひきゐて三秦を落し、趙魏を平け、向ふ所敵なく、破竹の勢の如く攻なびけ、其勢に乗じて燕の國を攻んとせしかば、廣武君諫めて、将軍倦み疲れたる兵を擧て、堅城の下に頓しめば、恐くは城を抜くこと能はじと云けるも、此段の意なり。久暴師則國用不足とは、師とは大軍を云、暴すとはもと日にてらるることを云により、人數を敵國へ押出しては、野にふし、山にふし、雨にうたれ、日にてらるると云意にて、暴師と云なり。大軍を遠國へ押出しては、兵粮の運送、金銀の入目夥しく、國家の用度必不足して、君も臣も民も皆貧困に及ぶなり。漢の世に文帝景帝二代倹約を專にして、民を撫養ひ玉ひしかば、國豊かに民富みける。武帝に至て、天下富饒なる力に乗じて、大軍を催し、匈奴と云ける北の夷を攻め、其外朝鮮を平け、南越交趾を退治し、西域を從へらる。武帝もとより英雄の主にして、賢臣名将朝廷にみちみちたれども、數十年の間四方を征伐し玉ふゆゑ、遂には上も下も悉く貧困して、盗賊盛んに起り、已に騒動に及ばんとせしも、孫子が此誡めを犯せるゆへなり。

○孫子評註:『其の戦を用ふるや勝つも。』
 戦を用ふるは即ち作戦なり。勝の字は始計篇に接して來る。
 ○俗人は勝(かち)を以て絶大の事と為す。而して孫子は曰く、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」と。呉子は曰く、「五たび勝つものは禍あり(『呉子』図国篇に出ている。これに続いて「三たび勝つものは覇たり、二たび勝つものは王たり、一たび勝つものは帝たり」とある。)、四たび勝つものは弊(つい)ゆ(民を疲れさせ苦しめることになる。)。此の處亦應(まさ)に是(か)くの如きの觀を作(な)すべし。
 『久しければ(長期戦におちいると。)則ち兵を鈍らし鋭を挫き(武器が損傷し補充もできず、軍を疲弊させ志気を衰えくじけさせる。)、城を攻むれば則ち力屈し、久しく(長期間、軍隊を遠国へ派遣していると、兵糧の運送・金銀の支出などがおびただしいので、国の用度が不足してくるという意。)師を暴せば則ち國用足らず。』
 三句、句法錯落(さくらく)(入りまじる。)、而して則の字を以て之れを齊(ととの)ふ。


孫子十家註:『其戦に用ふるや、勝つこと久しければ則ち兵を鈍らし、鋭を挫く。城を攻むれば則ち力屈す。』

○曹公:鈍弊なり。屈し盡すなり。

○杜牧:勝つも久しければとは、淹[①水にひたす。漬ける。茶をいれる。②久しくとどまる。とどこおる。③深い。広い。]れるも久しくして後に能く勝つことなり。言うこころは敵と相持し、久しくして後に勝てば、則ち甲兵 鈍弊す、鋭気挫衄す。城を攻むれば則ち人力殫盡し、屈折するなり。

○賈林:戦は人勝つと雖も、久しければ則ち利無し。兵は全き勝を貴ぶ。兵を鈍らし鋭を挫き、士傷つき馬疲るれば則ち屈す。

○梅堯臣:勝と雖も且つ久しければ、則ち必ず兵仗(ひょうじょう、へいじょう)[①兵器。刀や戟の総称。②宮殿の護衛。③つえ(にする)。]鈍らし弊す。而して軍氣 鋭を挫く。城を攻むるも久しければ、則ち力必ず殫屈す。

○王晳:屈窮するなり。勝を求めるも久しくを以てすれば、則ち鈍弊 折挫す。城を攻むれば則ち益(ますます)甚だし。

○張預:兵を交らし合戦に及ぶや、久しくして後に能く勝てば、則ち兵疲れ氣沮[①はばむ。ふせぐ。じゃまをする。②(気が)くじける。がっかりする。]むなり(矣)。千里にして城を攻むれば、力必ず困屈す。


孫子十家註:『久しく師を暴せば、則ち國用足らず。』

○孟氏:久しく師を暴すとは、衆千里の外に露(あら)わすことなり。則ち軍國費用相供に足らず。

○梅堯臣:師久しく外に暴せば、則ち輸用給せず。

○張預:日に千金を費やし、師久しく暴せば、則ち國用豈に能く給するや。漢武帝窮征し深く討つ。久しくして解せず。其の國用空虚に及ぶ。乃ち哀痛の詔を下すが若しは是れなり。


意訳
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○金谷孫子:[従って、]そうした戦いをして長びくということでは、軍を疲弊させて鋭気をくじくことにもなる。[それで]敵の城に攻めかけることになれば戦力も尽きて無くなり、[だからといって]長いあいだ軍隊を露営させておけば国家の経済が窮乏する。

○浅野孫子:こうした規模と形態の軍が戦闘という行動様式を用いるにあたり、対陣中の敵に勝利するまで長期持久戦をすることになれば、軍を疲労させ鋭気を挫く結果になり、また敵の城を攻囲すれば、戦力を消耗しつくしてしまい、また野戦も攻城もせずにいたずらに行軍や露営をくり返して、長期にわたり軍を国外に張りつけておけば、国家経済は窮乏する。

○町田孫子:さて、戦争をはじめたなら、それが長びけば軍を疲弊させ、鋭気をも挫き、城攻めにでもなれば、戦力は尽きはててしまい、だからといって長期にわたる軍の露営は、国家の財政をはなはだしく損(そこな)う。

○天野孫子:十万の大軍が敵と戦って、勝つとしても、それが持久戦であれば、兵力をにぶらせ、盛んな士気をくじけさせる。敵の城を攻めると、戦闘力は尽きてしまう。久しい間大軍を戦場にさらすと、国家の費用は足りなくなる。

○フランシス・ワン孫子:勝利こそが戦争の第一の目的である。戦争が長期化すれば、武器・装備は劣弱となり、軍隊は戦力を失って士気は鈍る。敵の本拠地である城塞都市を攻撃するころには、その力は尽き果てていよう。軍が長期戦にのめりこめば(陥れば)、いかなる国力を以てしても、その必要を充たせるものではない。

○大橋孫子:したがって、戦争では、たとえ勝っても、長くなれば、兵力を弱め、士気を衰えさせるし、城を攻めれば、戦力を消耗する。また長い間軍を戦場におけば、国費は不足する。

○武岡孫子:したがって戦いが長引けば、たとえ敵に勝っても軍は疲れ、士気はくじけ、そこで城攻めともなれば戦力も尽き果てる。だからといって包囲状態で露営させておけば国の経済がもたない。

○著者不明孫子:作戦を行っていくには-戦いには勝っても、長い間戦ったうえで勝つのでは、武器を傷め士気をくじく結果になる。城をせめたりすると、戦力が尽き果てる。また、長らく軍隊を戦場にさらしておくと、国家の財政が賄えなくなる。

○学習研究社孫子:そして、軍隊を戦闘に動かすと、勝っても戦いが長期間になれば、兵卒は疲弊し、士気の鋭さもなくなってしまう。城を攻めた時は、体力・軍備力の消耗がひどい。また、長期間、軍隊を出動させるだけで、国家の経済力は不足してしまう。

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