2012-11-19 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『夫れ兵久しくして国利あるは、未だ之れ有らざるなり。』:本文注釈
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日本では戦国時代末期に豊臣秀吉が北条攻めをおこなったが(有名な「小田原評定」がある。)、このときにはすでに長期戦のやり方が確立されていた。それまで秀吉は数々の兵糧攻めや水攻めなどの長期戦による攻略を経験しており、これまでの長期戦は不利という常識を覆していた。日本では、それまでは長期戦は不利であった。例えば城攻めの場合、城に立て籠もられ、城攻めが長引くと、近隣の敵から援軍を派遣され、城と救援軍から挟撃されるからである。救援が来ないうちや、無い場合のみ城攻めはまだありえる選択肢であった。また、それまでの日本には長期間兵を養っていけるだけの力をもった大名はいなかった。それが農業などの文明や経済の発展とともに、広い領地をもった大名が生まれ、長期戦を可能としていったのである。
註
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○天野孫子:○未之有也 歴史上そういう事はない。
○フランシス・ワン孫子:註
一、この言は、二千五百年前の当時、既に人々の心を貫くに足るものがあったが、現在の我々の心も貫いて重い。しかも、人類は、将来に於ても、その言う所を見ることとなろう。本項の註解には、長期戦の特質を捉えて一種の戦争哲学となっているものが多い。李筌は「春秋に曰く、兵は猶火の如きなり。戢(おさ)めざれば、将に自らを焚(や)かんとす」と。戢めるとは兵器を蔵(おさ)めること、つまり戦争をやめることである。その根本に於て戦いは戦いを呼ぶ性質を有するのであって、適時適切の収拾を図ることなく、状勢の赴くままに行動すれば、それは、敵の手を待たずして自ら斃るる道となる、と言うのである。賈林は「兵、久しくして功無ければ、諸侯に(謀反の)心生ず」と言い、杜佑は「兵は凶器なり。久しければ変生ず。…、戦いを好めば武窮まり、未だ亡びざる者は有らざるなり」と。戦争はまた戦争のための戦争へと堕する性質を有するのであって、このため、戦争が長期化すれば、たとえその目的・意義がどうであろうと、内外ともに自己の対応力・制御力を越えた状勢の変化が生じ、やがてその翻弄する所となって、戦争は当初の意図とは全く次元を異にするものへと変質するに至るのである。梅堯臣は「力屈し財殫くれば、何の利か之れ有らん」と曰い、張豫も「師老い財竭くれば国に何の利ぞ」と。我々としては、戦争終結(収拾)の聖断が、神明の加護とも言うべき実に人智による判断を越えた際(きわど)いタイミング-つまり、あの時以上に早くても不可、遅くても不可の時-に於て下されたことを思わざるをえぬ所であろう。
一、このため、本項は、一般にすべての長期戦を非とするものと解され、特に我国では昭和の戦争をただ断罪する者の利用する所となって、例の如く絶対のドクトリンとなり、戦争に於て長期戦は、その性格の如何に拘らず、何が何でも不可と言うものとなっている。しかし、このような理解は、またしても自己の思考を硬直させるものであり、我国をめぐる政・戦略状勢(環境)と地位を忘れさせて有害無益である。なぜなら、本項に言う所は、強者(覇王)が攻勢作戦(侵略戦争)を行う場合に於ける戦争型態・方略としての長期戦の利害と結果であり、弱者(被侵略者)が防衛戦争を行う場合の戦争型態としての長期戦の利害ではないからである。而して、現在の我々は曾ての如き大陸或いは大洋に強力な陸・海軍を出征せしめて攻勢戦略を行う強者の立場にはなく、専ら防衛を事とせねばならぬ弱者・被侵略者の立場に立つに至っているのである。つまり、今や時代は根本的に変化し、我々が四囲の国とその雌雄を決するために軍事力を行使することを許した政・戦略状勢は完全に消滅し、我々は幕末時と同じ状勢、即ち四隣の諸国から侵略或いは攻撃を受けることはあっても、我が方から進行することは不可能な状勢の中に置かれるに至っているのである。而して、この敵に城下の盟(ちかい)を求められることはあっても、之を相手国に求めることのできぬ立場は、遠い建国の初めより我国が置かれている基本的立場であり、我々は、この本来の立場にもどったわけであるが、このことは、恐らく、予見せらるる将来とも、変ることはないであろう。然るに、この変化を認識せず、依然として強国の立場からする長期戦の不利論を鵜呑みにし、したり顔をするが如きは哀れむべき滑稽であり、一知半解の愚か者と言わざるをえない。まして、未だに我国が再び軍事大国となり帝国主義的戦争を行う可能性と客観的状勢があるかの如く言い立て、国民を叱責或いは脅かすことを以て飯の種とする徒輩に至っては、国民を愚弄する者と言うべきである。
一、要するに、現在の我々が、本項から学ばねばならぬのは次の三つである。その第一は、長期戦の不利と害、而してその内包する危険を知り、之を最も恐れているのは、もはや我々ではなく、現在では、米・ソの覇権国、極東にあっては中国と北朝鮮の如き自国の内政上の矛盾を軍事行動によって解決せんとしている国であることである。従って、彼らの軍事戦略は、現在見る如く、すべて速戦速決を以て方針とし、国をあげて決戦能力の向上に狂奔しているのである。その二は、彼らの願望にも拘らず、現代戦の特質は、著しい劣勢にある弱者と雖も、一度決意して準備を固むれば、戦争を長期・持久化することが可能であり、これが攻撃者の泣き所、いわゆるアキレス腱となっていることである。今日、彼らが、昔日の大国にもましてあらゆる手段・術策を弄し、次篇に説く「戦わずして人の兵を屈する謀攻」に出て倦むことがないのは、このためである。その三は、国力・戦力の懸隔[けん‐かく【懸隔】 (古くはケンガクとも) ①かけ離れていること。②程度のはなはだしいこと。]が大である場合、劣勢国が優勢国と同一の方略・戦法をとることは、戦争を優勢国の望む型態とし短期戦としてしまうことである。このことは、大東亜戦争を見れば明らかであろう。大東亜戦争は一見長期戦の如く見える。しかし、我々は敵の長所に於て戦い、利とする所に於て勝負を求めるという誤った方略をとったため、初期に於て「已に敗るる者」(形篇)となり、米軍から見れば、後半はその力を誇示する愉快な掃蕩戦・殺戮ゲームに過ぎなかったと言えるのである。
一、つまり、本項は、現代の我々にとっては次のことを教うるものである。我々が、近隣の諸国に対して、もし彼らが侵略或いは攻撃行動に出た場合は、それは必ず長期戦となるであろうことを理解させる国家戦略・防衛体制をとることは、却って戦争を回避する道であり、また戦争となった場合に於ても、それは、破局を限定化し早期収拾へ導くことを可能にするものとなることである。第二次大戦に於て、スイスの中立を守り抜き救国の英雄と称えられた将軍アンリ・ギザンがとった国家戦略の概念はこれであり、それは現在に於ても揺るぎなく継承せられている。即ち、第二次大戦に於てフランスが崩壊し、スイスが独・伊の軍隊によって完全に包囲された時、彼は躊躇することなく持久戦略に転じ、スイス陸軍はその後の五年間、いわゆる「砦陣地」に立て籠もったのであるが、ギザン将軍は、その「とりで戦略」を決心した理由を次の如く説明している。即ち、「我々の今後の国土防衛の目的と根拠は、隣接する国々に”スイスとの戦争は必ず長引き、多額の費用の無駄使いとなる冒険であり、しかも、その結果はヨーロッパの中心部には無益でいつまでもくすぶり続ける戦場を残すのがおちである”ことを示すことに終始一貫して置くべきである。我々は、戦争を避けたいと思えば、我々の皮膚-国境-を最も高価なものにすべきである」(『将軍アンリ・ギザン』-植村英一著)と。而して現在のスイスの防衛体制は、「針ねずみならぬ、すずめ蜂の巣である」と言われている。
一、現在の我国の国家戦略・防衛体制は、周知の如く長期・持久戦の能力を完全に欠除しており、その戦略は米軍の来援に依拠して独善的、短期破滅型である。かくては、米国との同盟関係が損なわれもしくは失われた暁に於ては、国家を防衛するものとはならず、むしろ戦争を招来するものとなるであろう。なお、長期・持久の防衛態勢と戦略の必要を問題とする場合、必ず出てくるのは、我国にはそのための防衛空間がないという声である。しかし、近年の兵器・技術の進歩は、我国のような狭小国にも、強大国が有する地理的空間に匹敵する物理的・技術的空間を形成することを可能とするに至っているのである。それに、海は依然として偉大なる障壁である。我々は、単なる観念論から、この天与の賜物を無にする戦略をとることがあってはならない。
一、ところで、本項の意義を、以上の如き見地から理解することに疑問を抱く人もいるのではなかろうか。しかし、それが浅見であることは、後に取り上げる「孫子と呉王の兵法問答」を見ても明らかであろう。そこでは、呉王が劣勢若しくは準備未完の国が優勢国から先制攻撃(侵略)を受けた場合の対応の在り方・方略を問うているのであるが、孫子は次の如く答えているのである。即ち「その場合は、戦力・戦略態勢に均衡がとれ作戦の自由を得るまでは、敵を持久戦に引きずりこむべきである」と。そして、同じ原則も、立場と状況を異にする場合は、その理解・応用は反対となることを教えている。いかにそのドクトリンが気に入ったからといって、その理解が、自己の置かれた立場と政・戦略状勢、或いは国力・戦力を無視するものであれば、却って有害となることは、ドイツの軍事思想・用兵論に惚れこみ、これを以て金科玉条とした昭和の我が陸軍の失態を見れば明らかであろう。孫子もクラウゼヴィッツも礼讃するのは結構であるが、我々は、その普遍を知るとともに特殊を知り、その利用に当っては、自ら考える者でなければならないのである。
○守屋孫子:そもそも、長期戦が国家に利益をもたらしたことはないのである。
○重沢孫子:そもそも、戦争が長引いて国が利益を得たことは、まだ一度も例がない。
○佐野孫子:【語釈】◎未兵久而国利者、未之有也 李筌は「春秋に曰く、兵は猶(なお)火の如きなり。戢めざれば、将に自らを焚かんとす」と。「戢める」とは兵器を蔵(おさ)めること。つまり戦争をやめることである。その根本に於て戦いは戦いを呼ぶ性質を有するのであって、適時適切の収拾を図ることなく、状勢の赴くままに行動すれば、それは、敵の手を待たずして自ら斃るる道となる、と言うのである。
○著者不明孫子:【未之有也】あったためしがない。「これまでになかった」という意味を強くいう言いかた。
○孫子諺義:かさねて兵を用ふることの久しき失を論ずる也。久しく兵を外にさらして國に利あることは、あらざる也。たとへば其の軍にかつと云へども、國家のつひえ莫大なるゆゑに、國の敗亡の基たるべき也。兵久しくしては外軍旅のつひえ也。國は國内也。
○孫子国字解:『夫れ兵久して國の利なることは、未だ之有らざるなり。』
上の段にも夫と云て、ここにも又夫と云ことは、久く戦ふことを孫子深く誡めて、くりかへして云ゆへ、又語の端を更(あらた)めて云なり。軍久くやまずして、其國の利となることはなきことなりと云意なり。
○孫子評註:『夫れ兵久しくして、國、利あるものは未だ之れあらざるなり。』
三句(「久しければ則ち云々」以下の三句を指す。)を約して一句と為す。粗(ほ)ぼ數字(「夫れ兵を鈍らし云々」の所をさす。)を改め、則の字を以て斡旋し、以下層々轉折(幾重にも文勢が過度に変化して。)し、一つの矣(『孫子』の原文参照。)、二つの也、頓挫し得盡し、(修辞法で、文勢を急に変えること。)人をして凛々(心のひきしまるさま。)として、久しきを以て戒と為さしむ。然れども、是れ唯だ尋常の兵略(戦争の計略。)を以て言ふ、至論に非ず。且(しばら)く下段の分解を看よ。
○杜佑:兵とは凶器にして、久しければ則ち變を生ず。智伯 趙を圍(かこ)み、年逾(こ)えて歸らず、卒(にわか)に襄子 擒(とりこ)となる所と為す、身は死に國は分つが若し。故に新序傳に曰く、戦いを好めば武に窮す。未だ亡ばざる者有らざるなり。
○李筌:春秋に曰く、兵は猶火のごときなり。戢(おさ)めざれば、将に自らを焚(や)かんとす。
○賈林:兵久しければ功無し。諸侯 心を生ず。
○梅堯臣:力屈し貨殫くさば、何ぞ利之れ有らん。
○張預:師老いて財竭くさば、國に於いて何ぞ利あらん。
意訳
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○金谷孫子:そもそも戦争が長びいて国家に利益があるというのは、あったためしがないのだ。
○浅野孫子:そもそも戦争が長期化して国家の利益になったなどということは、いまだかつてあったためしはない。
○町田孫子:そもそも、戦争が長びいて国家に利益があったためしはないのである。
○天野孫子:持久戦となって国家に利益をもたらしたということは、今までになかったことである。
○フランシス・ワン孫子:長期戦に於て利益を得た国はない。
○大橋孫子:戦争が長引いて、國に利益をもたらしたという例はまだない。
○武岡孫子:つまり長期戦を行なって国に利益があったためしはない。
○著者不明孫子:そもそも、戦争が長く続いて国に利益があるなどということは、あったためしがないのである。
○学習研究社孫子:実際、戦闘が長びいて国家に利益があるということは、一度もなかったことである。
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日本では戦国時代末期に豊臣秀吉が北条攻めをおこなったが(有名な「小田原評定」がある。)、このときにはすでに長期戦のやり方が確立されていた。それまで秀吉は数々の兵糧攻めや水攻めなどの長期戦による攻略を経験しており、これまでの長期戦は不利という常識を覆していた。日本では、それまでは長期戦は不利であった。例えば城攻めの場合、城に立て籠もられ、城攻めが長引くと、近隣の敵から援軍を派遣され、城と救援軍から挟撃されるからである。救援が来ないうちや、無い場合のみ城攻めはまだありえる選択肢であった。また、それまでの日本には長期間兵を養っていけるだけの力をもった大名はいなかった。それが農業などの文明や経済の発展とともに、広い領地をもった大名が生まれ、長期戦を可能としていったのである。
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○天野孫子:○未之有也 歴史上そういう事はない。
○フランシス・ワン孫子:註
一、この言は、二千五百年前の当時、既に人々の心を貫くに足るものがあったが、現在の我々の心も貫いて重い。しかも、人類は、将来に於ても、その言う所を見ることとなろう。本項の註解には、長期戦の特質を捉えて一種の戦争哲学となっているものが多い。李筌は「春秋に曰く、兵は猶火の如きなり。戢(おさ)めざれば、将に自らを焚(や)かんとす」と。戢めるとは兵器を蔵(おさ)めること、つまり戦争をやめることである。その根本に於て戦いは戦いを呼ぶ性質を有するのであって、適時適切の収拾を図ることなく、状勢の赴くままに行動すれば、それは、敵の手を待たずして自ら斃るる道となる、と言うのである。賈林は「兵、久しくして功無ければ、諸侯に(謀反の)心生ず」と言い、杜佑は「兵は凶器なり。久しければ変生ず。…、戦いを好めば武窮まり、未だ亡びざる者は有らざるなり」と。戦争はまた戦争のための戦争へと堕する性質を有するのであって、このため、戦争が長期化すれば、たとえその目的・意義がどうであろうと、内外ともに自己の対応力・制御力を越えた状勢の変化が生じ、やがてその翻弄する所となって、戦争は当初の意図とは全く次元を異にするものへと変質するに至るのである。梅堯臣は「力屈し財殫くれば、何の利か之れ有らん」と曰い、張豫も「師老い財竭くれば国に何の利ぞ」と。我々としては、戦争終結(収拾)の聖断が、神明の加護とも言うべき実に人智による判断を越えた際(きわど)いタイミング-つまり、あの時以上に早くても不可、遅くても不可の時-に於て下されたことを思わざるをえぬ所であろう。
一、このため、本項は、一般にすべての長期戦を非とするものと解され、特に我国では昭和の戦争をただ断罪する者の利用する所となって、例の如く絶対のドクトリンとなり、戦争に於て長期戦は、その性格の如何に拘らず、何が何でも不可と言うものとなっている。しかし、このような理解は、またしても自己の思考を硬直させるものであり、我国をめぐる政・戦略状勢(環境)と地位を忘れさせて有害無益である。なぜなら、本項に言う所は、強者(覇王)が攻勢作戦(侵略戦争)を行う場合に於ける戦争型態・方略としての長期戦の利害と結果であり、弱者(被侵略者)が防衛戦争を行う場合の戦争型態としての長期戦の利害ではないからである。而して、現在の我々は曾ての如き大陸或いは大洋に強力な陸・海軍を出征せしめて攻勢戦略を行う強者の立場にはなく、専ら防衛を事とせねばならぬ弱者・被侵略者の立場に立つに至っているのである。つまり、今や時代は根本的に変化し、我々が四囲の国とその雌雄を決するために軍事力を行使することを許した政・戦略状勢は完全に消滅し、我々は幕末時と同じ状勢、即ち四隣の諸国から侵略或いは攻撃を受けることはあっても、我が方から進行することは不可能な状勢の中に置かれるに至っているのである。而して、この敵に城下の盟(ちかい)を求められることはあっても、之を相手国に求めることのできぬ立場は、遠い建国の初めより我国が置かれている基本的立場であり、我々は、この本来の立場にもどったわけであるが、このことは、恐らく、予見せらるる将来とも、変ることはないであろう。然るに、この変化を認識せず、依然として強国の立場からする長期戦の不利論を鵜呑みにし、したり顔をするが如きは哀れむべき滑稽であり、一知半解の愚か者と言わざるをえない。まして、未だに我国が再び軍事大国となり帝国主義的戦争を行う可能性と客観的状勢があるかの如く言い立て、国民を叱責或いは脅かすことを以て飯の種とする徒輩に至っては、国民を愚弄する者と言うべきである。
一、要するに、現在の我々が、本項から学ばねばならぬのは次の三つである。その第一は、長期戦の不利と害、而してその内包する危険を知り、之を最も恐れているのは、もはや我々ではなく、現在では、米・ソの覇権国、極東にあっては中国と北朝鮮の如き自国の内政上の矛盾を軍事行動によって解決せんとしている国であることである。従って、彼らの軍事戦略は、現在見る如く、すべて速戦速決を以て方針とし、国をあげて決戦能力の向上に狂奔しているのである。その二は、彼らの願望にも拘らず、現代戦の特質は、著しい劣勢にある弱者と雖も、一度決意して準備を固むれば、戦争を長期・持久化することが可能であり、これが攻撃者の泣き所、いわゆるアキレス腱となっていることである。今日、彼らが、昔日の大国にもましてあらゆる手段・術策を弄し、次篇に説く「戦わずして人の兵を屈する謀攻」に出て倦むことがないのは、このためである。その三は、国力・戦力の懸隔[けん‐かく【懸隔】 (古くはケンガクとも) ①かけ離れていること。②程度のはなはだしいこと。]が大である場合、劣勢国が優勢国と同一の方略・戦法をとることは、戦争を優勢国の望む型態とし短期戦としてしまうことである。このことは、大東亜戦争を見れば明らかであろう。大東亜戦争は一見長期戦の如く見える。しかし、我々は敵の長所に於て戦い、利とする所に於て勝負を求めるという誤った方略をとったため、初期に於て「已に敗るる者」(形篇)となり、米軍から見れば、後半はその力を誇示する愉快な掃蕩戦・殺戮ゲームに過ぎなかったと言えるのである。
一、つまり、本項は、現代の我々にとっては次のことを教うるものである。我々が、近隣の諸国に対して、もし彼らが侵略或いは攻撃行動に出た場合は、それは必ず長期戦となるであろうことを理解させる国家戦略・防衛体制をとることは、却って戦争を回避する道であり、また戦争となった場合に於ても、それは、破局を限定化し早期収拾へ導くことを可能にするものとなることである。第二次大戦に於て、スイスの中立を守り抜き救国の英雄と称えられた将軍アンリ・ギザンがとった国家戦略の概念はこれであり、それは現在に於ても揺るぎなく継承せられている。即ち、第二次大戦に於てフランスが崩壊し、スイスが独・伊の軍隊によって完全に包囲された時、彼は躊躇することなく持久戦略に転じ、スイス陸軍はその後の五年間、いわゆる「砦陣地」に立て籠もったのであるが、ギザン将軍は、その「とりで戦略」を決心した理由を次の如く説明している。即ち、「我々の今後の国土防衛の目的と根拠は、隣接する国々に”スイスとの戦争は必ず長引き、多額の費用の無駄使いとなる冒険であり、しかも、その結果はヨーロッパの中心部には無益でいつまでもくすぶり続ける戦場を残すのがおちである”ことを示すことに終始一貫して置くべきである。我々は、戦争を避けたいと思えば、我々の皮膚-国境-を最も高価なものにすべきである」(『将軍アンリ・ギザン』-植村英一著)と。而して現在のスイスの防衛体制は、「針ねずみならぬ、すずめ蜂の巣である」と言われている。
一、現在の我国の国家戦略・防衛体制は、周知の如く長期・持久戦の能力を完全に欠除しており、その戦略は米軍の来援に依拠して独善的、短期破滅型である。かくては、米国との同盟関係が損なわれもしくは失われた暁に於ては、国家を防衛するものとはならず、むしろ戦争を招来するものとなるであろう。なお、長期・持久の防衛態勢と戦略の必要を問題とする場合、必ず出てくるのは、我国にはそのための防衛空間がないという声である。しかし、近年の兵器・技術の進歩は、我国のような狭小国にも、強大国が有する地理的空間に匹敵する物理的・技術的空間を形成することを可能とするに至っているのである。それに、海は依然として偉大なる障壁である。我々は、単なる観念論から、この天与の賜物を無にする戦略をとることがあってはならない。
一、ところで、本項の意義を、以上の如き見地から理解することに疑問を抱く人もいるのではなかろうか。しかし、それが浅見であることは、後に取り上げる「孫子と呉王の兵法問答」を見ても明らかであろう。そこでは、呉王が劣勢若しくは準備未完の国が優勢国から先制攻撃(侵略)を受けた場合の対応の在り方・方略を問うているのであるが、孫子は次の如く答えているのである。即ち「その場合は、戦力・戦略態勢に均衡がとれ作戦の自由を得るまでは、敵を持久戦に引きずりこむべきである」と。そして、同じ原則も、立場と状況を異にする場合は、その理解・応用は反対となることを教えている。いかにそのドクトリンが気に入ったからといって、その理解が、自己の置かれた立場と政・戦略状勢、或いは国力・戦力を無視するものであれば、却って有害となることは、ドイツの軍事思想・用兵論に惚れこみ、これを以て金科玉条とした昭和の我が陸軍の失態を見れば明らかであろう。孫子もクラウゼヴィッツも礼讃するのは結構であるが、我々は、その普遍を知るとともに特殊を知り、その利用に当っては、自ら考える者でなければならないのである。
○守屋孫子:そもそも、長期戦が国家に利益をもたらしたことはないのである。
○重沢孫子:そもそも、戦争が長引いて国が利益を得たことは、まだ一度も例がない。
○佐野孫子:【語釈】◎未兵久而国利者、未之有也 李筌は「春秋に曰く、兵は猶(なお)火の如きなり。戢めざれば、将に自らを焚かんとす」と。「戢める」とは兵器を蔵(おさ)めること。つまり戦争をやめることである。その根本に於て戦いは戦いを呼ぶ性質を有するのであって、適時適切の収拾を図ることなく、状勢の赴くままに行動すれば、それは、敵の手を待たずして自ら斃るる道となる、と言うのである。
○著者不明孫子:【未之有也】あったためしがない。「これまでになかった」という意味を強くいう言いかた。
○孫子諺義:かさねて兵を用ふることの久しき失を論ずる也。久しく兵を外にさらして國に利あることは、あらざる也。たとへば其の軍にかつと云へども、國家のつひえ莫大なるゆゑに、國の敗亡の基たるべき也。兵久しくしては外軍旅のつひえ也。國は國内也。
○孫子国字解:『夫れ兵久して國の利なることは、未だ之有らざるなり。』
上の段にも夫と云て、ここにも又夫と云ことは、久く戦ふことを孫子深く誡めて、くりかへして云ゆへ、又語の端を更(あらた)めて云なり。軍久くやまずして、其國の利となることはなきことなりと云意なり。
○孫子評註:『夫れ兵久しくして、國、利あるものは未だ之れあらざるなり。』
三句(「久しければ則ち云々」以下の三句を指す。)を約して一句と為す。粗(ほ)ぼ數字(「夫れ兵を鈍らし云々」の所をさす。)を改め、則の字を以て斡旋し、以下層々轉折(幾重にも文勢が過度に変化して。)し、一つの矣(『孫子』の原文参照。)、二つの也、頓挫し得盡し、(修辞法で、文勢を急に変えること。)人をして凛々(心のひきしまるさま。)として、久しきを以て戒と為さしむ。然れども、是れ唯だ尋常の兵略(戦争の計略。)を以て言ふ、至論に非ず。且(しばら)く下段の分解を看よ。
○杜佑:兵とは凶器にして、久しければ則ち變を生ず。智伯 趙を圍(かこ)み、年逾(こ)えて歸らず、卒(にわか)に襄子 擒(とりこ)となる所と為す、身は死に國は分つが若し。故に新序傳に曰く、戦いを好めば武に窮す。未だ亡ばざる者有らざるなり。
○李筌:春秋に曰く、兵は猶火のごときなり。戢(おさ)めざれば、将に自らを焚(や)かんとす。
○賈林:兵久しければ功無し。諸侯 心を生ず。
○梅堯臣:力屈し貨殫くさば、何ぞ利之れ有らん。
○張預:師老いて財竭くさば、國に於いて何ぞ利あらん。
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○金谷孫子:そもそも戦争が長びいて国家に利益があるというのは、あったためしがないのだ。
○浅野孫子:そもそも戦争が長期化して国家の利益になったなどということは、いまだかつてあったためしはない。
○町田孫子:そもそも、戦争が長びいて国家に利益があったためしはないのである。
○天野孫子:持久戦となって国家に利益をもたらしたということは、今までになかったことである。
○フランシス・ワン孫子:長期戦に於て利益を得た国はない。
○大橋孫子:戦争が長引いて、國に利益をもたらしたという例はまだない。
○武岡孫子:つまり長期戦を行なって国に利益があったためしはない。
○著者不明孫子:そもそも、戦争が長く続いて国に利益があるなどということは、あったためしがないのである。
○学習研究社孫子:実際、戦闘が長びいて国家に利益があるということは、一度もなかったことである。
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