2012-03-04 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『将とは、智・信・仁・勇・厳なり。』:本文注釈
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将-①軍隊をひきいる(人)。近衛(こんえ)府や近代的軍隊組織で長官・次官級の武官名にも用いる。②ひきつれる。たずさえ持つ。③まさに…せんとす。今にも…しようとする。④はた。はたまた。あるいは。【解字】「將」は、もと寸部8画。形声。「月」(=肉)+「寸」(=手)+音符「爿」(=大きい台)。机上に肉をのせて神にそなえすすめる意。神をまつる者は族長なので、統率者の意味が生じたという。
智-①頭のはたらき。理解し判断する力。②物事を判断する能力にすぐれている。かしこい。ものしり。
信-①まこと。うそ・いつわりを言わない。誠実。儒教で、五常[①儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。②[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。③[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。④[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]の一つ。②(相手の言葉を)まこととして疑わない。心から従う。③たより。手紙。伝達手段。④「信濃国」の略。【解字】会意。「人」+「言」。その人の言葉と心が一致している意。
仁-①人としての思いやり。いつくしみ。なさけ。②ひと。人物。③果実の核の中身。【解字】形声。「人」+音符「二」。人が二人並ぶ意を表し、仲間としての親しみを意味する。孔子はこの仲間意識を広く人に及ぼすことを説き、「仁」を儒教の根本理念とした。
勇-いさましい(気力)。いさむ。恐れず意気がさかんである。思い切りがいい。おじけず心を奮い立たせる。【解字】形声。「力」+音符「甬」(=わき出る)。体内からわき出る力の意。
厳-①おごそか(にする)。いかめしい。犯しがたい。②きびしい。はげしい。家庭内で母親の「慈」に対して父親に関する語として用いる。【解字】形声。「嚴」の下半部は音符で、きびしい、きつい意。「口」二つ(=口うるさく責める)を加えて、きびしくいましめる意。
註
○守屋孫子:「将」とは、知謀、信義、仁慈、勇気、威厳など将帥の器量にかかわる問題である。
○著者不明孫子:【将】将軍・大将。各単位各級の将があるが、ここは全軍の最高統率者である一人の主将・大将を指すのであろう。 【信】信義の信。うそをつかない。偽りがないこと。
○田所孫子:将とは、智と信と仁と勇と厳とを兼備した人物でなければならぬとの意。
○重沢孫子:第四は、指揮官の問題です。およそ指揮官たる者は、その地位の高下にかかわりなく、すべてこの五種の能力を身につけていなければならない。智は、創造性ゆたかな、思考・判断能力の総称。もちろん臨機応変の作戦能力を含みます。信は、他人を欺かない、他人に欺かれない道徳性。仁は、自分自身と同じように、他人を大切にする道徳性。当然、犠牲的精神が含まれます。勇は、正義を愛し不義を憎む実践的精神力。厳は、他人に対するのと同じように、自己に対して厳格である道徳性。この五者を兼ね備えていない限り、死生を争う条件下で部隊を指揮し、勝利を得ることはできないと、孫子は考えるのでした。ここにいう”将”は現地の指揮官を意味し、中央のいかなる高官でもまた君主でもありません。部隊の指揮官としてひとたび君命を受けた時点から、その部隊の全責任は完全に指揮官の手中に収められ、任命権者の君主でさえも何ら干渉できないという、厳然たる掟があります。このくらい厳格な指揮系統を確立しておかないと、実戦部隊の実効的活動に支障を来す可能性があったためですが、”将”に要求されているこの五条件は、こういう実情を背景において考えるとき、その必然性がよく理解できるのではないでしょうか。
○天野孫子:将者智信仁勇厳也-「将」は一国の軍の総大将。その下の武将は地形篇・行軍篇で、大吏・吏と言う。「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。『直解』は「人の情に達し、事の微を見、詐も惑はす能はず、讒も入る能はず、変に応じて常無く、禍を転じて福と為す。此れ将の智なり」と。「信」は将の部下からの信頼。九地篇に「令せずして信あり」と。一説に『直解』は「進んで重賞あり、退きて重罰あり。賞は親しきに私せず、罰は貴きを避けず。政に二三無く、誠に能く衆を服す。此れ将の信なり」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。地形篇に「卒を視ること嬰児の如し」と。「勇」は何ものにも恐れない勇気。『諺義』は「勇は恐れざるなり。強きものに臨んでよく忍びつとめ、危きを恐れざるなり。専ら勇剛の一事をさすにあらず」と。「厳」は軍の統率力としての威厳。行軍篇に「軍、擾るるは、将、重からざるなり」と。『直解』は「軍政整斉し、号令一の如く、三軍、将を畏れて敵を畏れず、令を奉じて詔を奉ぜず。望む可くして近づく可からず、殺す可くして敗る可からず。此れ将の厳なり」と。
○佐野孫子:将者、智・信・仁・勇・厳也-「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。「信」は将の部下からの信頼。孔子曰く「人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり」、「民、信なければ立たず」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。「勇」は、強きものに臨んでよく忍びつとめること。「厳」は軍の統率力としての威厳。此等を「将の五徳」とも云う。
○孫子諺義:将とは主の下にて兵をつかさどる武将を云ふ也。武将此の五つをそなふるものを用ひざれば、兵事全からざる也。戦の勝敗は、一将にかかる、国家の大事のよるところなれば、そのえらび尤も重し。智は智慧也、謀を好みて事を行ふを智と云ふ。智恵あらざれば、物に通じ變に應ずることを得ざる也。此の篇に察と云ひ、経と云ひ、索と云ふ、智を本として皆しるせる言也。されば智あらざれば物に惑ひて決せず、先づ智なきゆゑに事機に通ぜざる也。信はまこと也。心正しくしていつはりなく、能くまことある也。大事を任ずるの大将、いつはりあつては大軍のつかさなりがたく、急に臨みて節を變ずるになりぬべし。仁は心の温和にして下より事を云ひ、よくやはらかなる也。仁愛の心うすくしては諸卒の心をうることかたし。勇は強きを恐れず、ものに臨んでよくしのびつとめあやふきを恐れざる也。専ら勇剛の一事をさすにあらず。厳は威儀あつておごそかなること也。威あつて壮厳なきときは、将の器そなはらず。此の五事一つもかくるときは武将の実にあらざる也。武将より下すゑずゑ(末々)の物頭[①物の長。かしら。②武家時代、弓組・鉄砲組などを率いる者。物主(ものぬし)。武頭(ぶがしら)・ものがしら。足軽大将。③能楽で、頭にいただく冠り物。]・物奉行と云へども、此の心得を以て用捨いたし選ぶ可きもの也。此の五徳相備ふるものはいつとてもまれなるべし。しかれども此の書は、きはめて其の極を論ずるがゆゑに此の如く五徳をさす也。此の五つかねては智仁勇也。孫子が云ふ所は、智の一字にて四をつかぬる也。智は四の内をはなれざる也。ゆゑに七計の内に至りては将を論ずるに能を以てする也。 今案ずるに、太公は将を論じ、勇智仁信忠を以て将の五材と為し、自ら之れを釋[意味をとき明かす。]して曰はく、勇あるヰは則犯す可からず、智あるヰは則乱す可からず、仁あるヰは則人を愛し、信あるヰは則欺く可からず、忠あるヰは則二心無しと。李騰芳・施子美は謂ふ、太公克つことを重んず。故に勇を以て先と為す。孫子は始計を重んず。故に智を以て先と為すと。愚[自分(に関する物事)をへりくだっていう語。]謂ふに太公は兵を治世談ず。故に勇を以て先と為す。孫子は兵を戦国に談ず。故に智を以て先と為す。治世は勇を用ふるに所無し。故に勇必ず足らず。戦国には智を練るに暇あらずして、勇自ずから餘り有り。太公孫子共に足らざるを揚げて、教と為す。各人君時勢の抑揚に據りて当る所有り。何ぞ優劣を論ぜんや。司馬法に曰はく、仁を以て本と為すと。此れは是れ聖人兵を用ひて以て天下を愛するの心也。将を論ずるの事に非ず。観る者玩味[意義をよく味わうこと。]す可しなり。案ずるに、古人云はく、古の臣を使ふには、仁者をして賢者を佐け使め、賢者をして仁者を佐け使めず。言うこころは仁者は惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]の心有り、多才の者の権略[臨機応変の計略。権謀。]有るに如かず、是将帥は材知を以て體と為し、仁を以て佐と為す也。然れども不仁なるときは則多材亦之れを用ふるに足らず。知宣子(晋の卿、このこと国語の晋語九に出づ)将に瑤を以て後と為んとす。知果(知氏の一族)が曰はく、宵に如かず。宣子云ふ、宵や狠[①心がねじけている。残忍。凶悪。②はなはだ。③こらえる。④怒る。憤る。]れりと。知果が云はく、宵が之狠るは面[人の顔。おもて。つら。]に在り、瑤が之狠るは心に在り、心狠るときは国を敗り、面狠るは害あらず、瑤が之人に賢れる者五、其の逮ばざる一、(仁也)美髩の長大なるは則賢り、射御[弓術と馬術。射騎。]力足るは(原本の讀方なり、足力とも讀み得)則賢り、伎藝[歌舞音曲など芸能に関するわざ。遊芸。]畢給たるは則賢り、巧文辯惠則賢り、彊毅[心が強く、しっかりしていること。]果敢[決断力が強く、大胆に物事を行うさま。]則賢れり、是の如くにして甚だ不仁なり、其の五賢を以て人を陵ぎて不仁を以て之れを行ふ、其れ誰か能く之れを待たん、若し果たして瑤を立てば、知が宗は必ず滅びんと。聽か弗。知果族を于太史に別ちて、輔氏と為る、知氏が之亡ぶるに及びて、唯だ輔果のみ在り。凡そ撰擧の道は、本末有り常變有り、一齊に之れを議[①はかる。寄り合って相談する。論じ合って是非を決める。②相談の内容。意見。③思いはかる。意見を言う。批判する。【解字】形声。「言」+音符「義」(=道にかなって正しい)。話し合って事のよろしきを定める意。]す可からず。
○孫子国字解:『将とは、智、信、仁、勇、厳なり』 此段は、五事の内にて、四曰将とある。其将と云は如何様なることぞと、其わけを云へり。将は大将なり。大将たる人は、此五つの徳を備ふべきことなりと云意なり。智は智慧なり。智慧と云は世間に云ふ、利口発明なることにも非ず。又学問博くして、様々のことを知たるにも非ず。又弓馬剣術、鎗長刀等の、種々の芸能の奥義を究めたるにも非ず。又悟道発明して、三世[①〔仏〕過去・現在・未来。また、前世・現世・後世(来世)。三際。②父・子・孫の3代。]に通達したる智慧にもあらず。唯よく人情にぬけとをりて、上たる者下たる者、敵となり味方となる、様々の人の心あんばいをよく知り、かやうなることを喜び、かやうなることをいやがり、一旦はかやうなることを悦べども、奥意はかやうなることに云意なる、人の心ゆきをよく知り、事の大くならぬ前に此事は末にかやうになると云ことを、早く見付けて、如何様なる詐りにてもだまされず、如何様なる讒言にても惑はされず、又事の變の来る時、其變に應じてそれぞれに取扱ふこと、定まりたることなく、よく其宜しきに叶ひ、禍の来るをよく取扱て福となす。是等を将たる者の智と云なり。信はまことなり。まこととは平生人のうろん[①乱雑であること。いいかげんであること。また、不誠実なこと。②疑わしいこと。うさんくさいこと。]なるを嫌ひ、物の眞實なるを好み、我も少しの約束をも違へぬ様にし、前方かやうに云たる詞あるに、今かやうにせば、誰か心に恥かしきなどと云ふ様なるを、世間にては信と覺ゆれども、それは兒女子の信にて、将たる人の信に非ず。心至てせばく、たよはくせまりたる人のすることなり。将たる人の信と云は、賞罰の定めの上に付て、かやうなるをは賞すべきと號令を出したらば、たとひ吾がにくき人なりとも、約束の如く賞し、吾が贔負なる人なりとても、軽き功を重く賞せず、又かやうなるをば罰すべきと、號令を出したらば、貴人をも避けず、親類をも贔負せず、気に合たる人をも、過あれば是を罰す。下知法度を變じかゆることなく、我身の大儀なることにても、先だちて出したる法度なれば、少しもかゆることなく、とかく賞罰號令などの様なる、萬民へわたることを、約束の違はぬ様にすれば、将の誠、民士卒の心にぬけとをりて、民士卒深く心服し、少しも上を疑ひうろんに思ふことなし。是を将たる人の信と云ふ也。仁と云は慈悲なり。慈悲と云へばとて、かほつき愛敬らしく、もの云ひやさしくて、人をだまし、或は金銀綿帛を與へて人をだまし、或は慈悲善根とて、非人乞食に物をとらせ、僧法師を供養する類は、婦人の仁にして、大将の仁に非ず。利勘[利益を打算してかかること。勘定高いこと。]細かにして、少しつつの規模立身をさせて、人をいさまする方便[手ががり。手段]をしかけ、手をよく物やはらかにして、人をだます類は、皆眞實の仁に非ず。大将たる人の仁は、ただ人の飢寒をよく知り、士卒と辛苦を同じくし、萬民を安堵なさしむることなり。士卒の病気を尋ては顔色をしはめ、手疵をかふふり、打死したると聞ては、涕をながし、功ある人の子孫を棄ず、ふるきなじみを忘れず、民士卒の妻子を養ひ、朝夕安堵の思ひをなす様にするを、将たる人の仁とは云なり。勇は武勇なり。是も武勇を鼻にかけ、高慢甚だしく、陽気を専らにし、喧嘩口論をこのみ、或は力つよきを武と思ひ、或は武芸はやわざを武と心得るたぐひは、将たる人の勇には非ず。将の勇と云は、大軍を畏れず、猛勢をも物の數ともせず、小勢にても戦ふべき圖をはずさづ、敗軍しての後にも勇気くじけず、敵に逢ては心鬭ひ、後詰[後方に配置する陣立て。後続の軍隊。]をするには、大敵の内へも飛入り、又大敵に圍れては打破て必出で、危き場にもひるまぬを、将たる人の勇と云なり。厳はきびしきと讀て、威[①人をおそれ従わせる勢力や品格(をそなえている)。いかめしい。②人をおそれさせる。おどす。よろいの札(さね)をつづり合わせる意の「おどす」にもこの字を当てる。【解字】会意。「女」+「戊」(=ほこ)。弱い女をほこでおどす意。]の強きことなり。されども威を強くすればとて、頷にて人を使ひ、目にて人を使ひ、かほつきをけうとくして、人のよりつかぬ様にすることにも非ず。又あらけなく[(ナシは甚だしいの意)荒々しい。大層乱暴である。]人をしかり、少しのことをとがめ、瑣細なる法度を立て、諫言の舌を箝ましむる[箝-口をふさぐ。つぐむ]ことを云にも非ず。将たる人の厳と云は、軍中の法令千萬人を使ふも、一人使ふ如く、人馬の足音ばかり聞えて、物云ふ音はせず。陣取、備立[軍陣を用意すること。陣立て。]、役分、行列、金太鼓の作法、旗の進めやう、懸るも引も、合も分るるも變化自在にして手間とることなく、軍兵将を畏れて敵を畏れず、将の下知を守て君の下知をも用ひず、かやうなる将は、忍び入て殺すことはなるべけれども、其備を敗ることは曾て叶はぬなり。皆将たる人の一心の威より起て、一人をも殺さねども、よく三軍の心を畏れしむ。是将たる人の厳なり。大凡智ある人は勇たらず、勇なる人は智たらず、仁なれば厳ならず、厳なれば仁ならず、四の徳備はりても、信また備り難し。敵の将と味方の将とを、此五徳を以てたくらべはかりて、其優劣を以、軍の勝負を知ことを云なり。近頃の学者に、この五徳を仁義禮智信の五常[儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。㋐[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。㋑[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。㋒[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]に引合せて、曲説を云ものあり。五常は人の心に具はる理なり。此五徳は将の器量を云て、各別のことなり。用べからず。
○孫子評註:太公(太公望呂尚。「将を論ずるや云々」は、呂尚の著と称される『六韜』の論将篇に将の五材をあげて、勇・智・仁・信・忠と言っているのを指す。)の将を論ずるや勇を先にす。而して孫子は智を先にす。呉子(呉子は呉起。彼の書いた兵書を『呉子』という。「勇の将に於ける云々」は同書の論将篇の語。)云はく、「勇の将に於けるや、乃ち數分の一のみ」と。又太公は忠を言ひ、而して孫子は嚴を言ふ。嚴とは是れ荘重(おごそかで重々しいこと。)にして犯すべからざるなり。孫子の持論全くここに在り。故に篇々此の意を見る。而して史遷(漢の太史司馬遷。『史記』の著者。姫を斬った事は『史記』の孫子呉起列伝にある。孫武が呉王闔閭にまみえ、美姫百八十名を二隊に分け、みずから将となって用兵の術を試みた。王の愛姫が隊長になって将の命に従わなかったので、孫武は遂にこれを斬った。隊士は始めて粛然としたという。)の孫武を傳するや、獨り姫を斬るの一事を論じて、殊に其の他に及ばず。洞識(深い見識。)と謂ふべし。
○曹公:将は五徳備わるに宜しきなり。
○李筌:此の五者は将の徳を為す。故に師は丈人[長老の敬称。]の稱有るなり。
○杜牧:先王の道は仁を以て首と為す。兵家者流は智を用い先と為す。蓋し智者は能く機権・變通[臨機応変に事を処すること。物事に拘泥せず、自由自在に変化・適応して行くこと。]を識るなり。信とは人をして刑賞に惑わしめざるなり。仁とは人を愛し物を憫れみ勤労を知るなり。勇とは勝ちを決し勢に乗り逡巡[ぐずぐずすること。ためらうこと。しりごみすること。]せざるなり。厳とは威刑を以て三軍を肅する[①心をひきしめてかしこまる。つつしむ。②規律などをひきしめる。③ひきしまっていて物音がしない。しいんとしている。]なり。楚は申包胥をして越に使わしむ。越王勾践将に呉を伐たんとす。焉に戦を問う。夫れ戦の智は始を為す。仁は之に次ぐ。勇は之に次ぐ。智ならずば則民の極を知る能わず。以て天下の衆寡を詮度[詮-①言葉を尽くして道理を説く。②つきつめる。③最終的な効果。かい。④究極の手だて。②以下は、①から転じた日本での用法。]すること無し。仁ならずば則三軍を與え飢労の殃を共にすること能わず。勇ならずば則疑いを斷じ以て大計を發すること能わずなり。
○賈林:専ら智に任せば則賊[①武器で人を傷つける。害を与える。そこなう。②他人の財貨を盗みとる者。ぬす人。③天子や国に害をなす者。謀反人。【解字】形声。「戈」(=ほこ)+音符「則」(=傷つける)の変形。武器で相手を傷つける意。一説に、「貝」(=財貨)+「戎」(=武器)の会意文字で、相手を武器で傷つけて財貨をとる意。]となり、仁を施せば則固なり。信を守れば則愚なり。勇力に恃めば則暴なり。令厳に過ぎれば則殘う。五者は兼備す。其用に適えば則将帥を為す可し。
○梅堯臣:智は能く謀を發す。信は能く賞罰す。仁は能く衆に附く。勇は能く果断[思い切ってするさま。]す。厳は能く威を立つ。
○王晳:智とは先ず見して惑わず、能く謀慮・権變に通ずるなり。信とは號令の一なり。仁とは恵撫[めぐみ愛すること。]・惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]・人心[人間の心。ひとびとの心。民心。]を得るなり。勇とは義に狥し懼れず、能く果毅[決断がよく、意志の強いこと。]するなり。厳とは威厳[堂々としておごそかなこと。いかめしいこと。]を以て衆心を肅するなり。五者は相須いる。一に闕[かける。ぬけ落ちる。あき。]ければ可ならず。故に曹公曰く、将は五徳備わるに宜しきなり。
○何延錫:智に非ずんば以て敵を料り機に應ず可からず。信に非ずんば以て人に訓え下を率いる可からず。仁に非ずんば以て衆に附き士を撫する可からず。勇に非ずんば以て謀を決し戦を合わす可からず。厳に非ずんば以て強に服し衆を齊う可からず。此の五才を全きすれば将の體なり。
○張預:智は亂す可からず。信は欺く可からず。仁は暴する可からず。勇は懼れる可からず。厳は犯す可からず。五徳皆備えば、然る後以て大将と為る可きなり。
意訳
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○天野孫子:第四の将とは、智恵と信頼と仁愛と勇気と威厳とを言う。
○浅野孫子:第四の将とは、物事を明察できる智力、部下からの信頼、部下を思いやる仁慈の心、困難に挫けない勇気、軍律を維持する厳格さなどの、将軍が備える能力のことである。
○金谷孫子:[第四の]将とは、才智や誠信や仁慈や勇敢や威厳[といった将軍の人材]のことである。
○町田孫子:将とは、才知や誠信や仁慈や勇気や威厳など、将軍の器量についてのことである。
○武岡孫子:将とは将帥の軍事能力、指揮官としての信頼度、仁愛の心、気力、威厳度などリーダーとしての資質や能力。
○著者不明孫子:将とは、頭が切れるか、偽りがないか、情け深いか、勇気があるか、威厳があるかどうか、という大将の人物のことである。
○学習研究社孫子:指揮官の優秀さとは、臨機応変の知恵と、人民の心を一つにする信頼性、恵のある心と、勇気と、叛く者を出さない厳粛さをいうのである。
○フランシス・ワン孫子:将帥の能力とは、彼我の将帥の知慧・誠実(正義感・公平に対する感覚)・仁愛・勇気・厳格さ等の資質を知ることである。
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将-①軍隊をひきいる(人)。近衛(こんえ)府や近代的軍隊組織で長官・次官級の武官名にも用いる。②ひきつれる。たずさえ持つ。③まさに…せんとす。今にも…しようとする。④はた。はたまた。あるいは。【解字】「將」は、もと寸部8画。形声。「月」(=肉)+「寸」(=手)+音符「爿」(=大きい台)。机上に肉をのせて神にそなえすすめる意。神をまつる者は族長なので、統率者の意味が生じたという。
智-①頭のはたらき。理解し判断する力。②物事を判断する能力にすぐれている。かしこい。ものしり。
信-①まこと。うそ・いつわりを言わない。誠実。儒教で、五常[①儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。②[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。③[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。④[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]の一つ。②(相手の言葉を)まこととして疑わない。心から従う。③たより。手紙。伝達手段。④「信濃国」の略。【解字】会意。「人」+「言」。その人の言葉と心が一致している意。
仁-①人としての思いやり。いつくしみ。なさけ。②ひと。人物。③果実の核の中身。【解字】形声。「人」+音符「二」。人が二人並ぶ意を表し、仲間としての親しみを意味する。孔子はこの仲間意識を広く人に及ぼすことを説き、「仁」を儒教の根本理念とした。
勇-いさましい(気力)。いさむ。恐れず意気がさかんである。思い切りがいい。おじけず心を奮い立たせる。【解字】形声。「力」+音符「甬」(=わき出る)。体内からわき出る力の意。
厳-①おごそか(にする)。いかめしい。犯しがたい。②きびしい。はげしい。家庭内で母親の「慈」に対して父親に関する語として用いる。【解字】形声。「嚴」の下半部は音符で、きびしい、きつい意。「口」二つ(=口うるさく責める)を加えて、きびしくいましめる意。
註
○守屋孫子:「将」とは、知謀、信義、仁慈、勇気、威厳など将帥の器量にかかわる問題である。
○著者不明孫子:【将】将軍・大将。各単位各級の将があるが、ここは全軍の最高統率者である一人の主将・大将を指すのであろう。 【信】信義の信。うそをつかない。偽りがないこと。
○田所孫子:将とは、智と信と仁と勇と厳とを兼備した人物でなければならぬとの意。
○重沢孫子:第四は、指揮官の問題です。およそ指揮官たる者は、その地位の高下にかかわりなく、すべてこの五種の能力を身につけていなければならない。智は、創造性ゆたかな、思考・判断能力の総称。もちろん臨機応変の作戦能力を含みます。信は、他人を欺かない、他人に欺かれない道徳性。仁は、自分自身と同じように、他人を大切にする道徳性。当然、犠牲的精神が含まれます。勇は、正義を愛し不義を憎む実践的精神力。厳は、他人に対するのと同じように、自己に対して厳格である道徳性。この五者を兼ね備えていない限り、死生を争う条件下で部隊を指揮し、勝利を得ることはできないと、孫子は考えるのでした。ここにいう”将”は現地の指揮官を意味し、中央のいかなる高官でもまた君主でもありません。部隊の指揮官としてひとたび君命を受けた時点から、その部隊の全責任は完全に指揮官の手中に収められ、任命権者の君主でさえも何ら干渉できないという、厳然たる掟があります。このくらい厳格な指揮系統を確立しておかないと、実戦部隊の実効的活動に支障を来す可能性があったためですが、”将”に要求されているこの五条件は、こういう実情を背景において考えるとき、その必然性がよく理解できるのではないでしょうか。
○天野孫子:将者智信仁勇厳也-「将」は一国の軍の総大将。その下の武将は地形篇・行軍篇で、大吏・吏と言う。「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。『直解』は「人の情に達し、事の微を見、詐も惑はす能はず、讒も入る能はず、変に応じて常無く、禍を転じて福と為す。此れ将の智なり」と。「信」は将の部下からの信頼。九地篇に「令せずして信あり」と。一説に『直解』は「進んで重賞あり、退きて重罰あり。賞は親しきに私せず、罰は貴きを避けず。政に二三無く、誠に能く衆を服す。此れ将の信なり」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。地形篇に「卒を視ること嬰児の如し」と。「勇」は何ものにも恐れない勇気。『諺義』は「勇は恐れざるなり。強きものに臨んでよく忍びつとめ、危きを恐れざるなり。専ら勇剛の一事をさすにあらず」と。「厳」は軍の統率力としての威厳。行軍篇に「軍、擾るるは、将、重からざるなり」と。『直解』は「軍政整斉し、号令一の如く、三軍、将を畏れて敵を畏れず、令を奉じて詔を奉ぜず。望む可くして近づく可からず、殺す可くして敗る可からず。此れ将の厳なり」と。
○佐野孫子:将者、智・信・仁・勇・厳也-「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。「信」は将の部下からの信頼。孔子曰く「人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり」、「民、信なければ立たず」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。「勇」は、強きものに臨んでよく忍びつとめること。「厳」は軍の統率力としての威厳。此等を「将の五徳」とも云う。
○孫子諺義:将とは主の下にて兵をつかさどる武将を云ふ也。武将此の五つをそなふるものを用ひざれば、兵事全からざる也。戦の勝敗は、一将にかかる、国家の大事のよるところなれば、そのえらび尤も重し。智は智慧也、謀を好みて事を行ふを智と云ふ。智恵あらざれば、物に通じ變に應ずることを得ざる也。此の篇に察と云ひ、経と云ひ、索と云ふ、智を本として皆しるせる言也。されば智あらざれば物に惑ひて決せず、先づ智なきゆゑに事機に通ぜざる也。信はまこと也。心正しくしていつはりなく、能くまことある也。大事を任ずるの大将、いつはりあつては大軍のつかさなりがたく、急に臨みて節を變ずるになりぬべし。仁は心の温和にして下より事を云ひ、よくやはらかなる也。仁愛の心うすくしては諸卒の心をうることかたし。勇は強きを恐れず、ものに臨んでよくしのびつとめあやふきを恐れざる也。専ら勇剛の一事をさすにあらず。厳は威儀あつておごそかなること也。威あつて壮厳なきときは、将の器そなはらず。此の五事一つもかくるときは武将の実にあらざる也。武将より下すゑずゑ(末々)の物頭[①物の長。かしら。②武家時代、弓組・鉄砲組などを率いる者。物主(ものぬし)。武頭(ぶがしら)・ものがしら。足軽大将。③能楽で、頭にいただく冠り物。]・物奉行と云へども、此の心得を以て用捨いたし選ぶ可きもの也。此の五徳相備ふるものはいつとてもまれなるべし。しかれども此の書は、きはめて其の極を論ずるがゆゑに此の如く五徳をさす也。此の五つかねては智仁勇也。孫子が云ふ所は、智の一字にて四をつかぬる也。智は四の内をはなれざる也。ゆゑに七計の内に至りては将を論ずるに能を以てする也。 今案ずるに、太公は将を論じ、勇智仁信忠を以て将の五材と為し、自ら之れを釋[意味をとき明かす。]して曰はく、勇あるヰは則犯す可からず、智あるヰは則乱す可からず、仁あるヰは則人を愛し、信あるヰは則欺く可からず、忠あるヰは則二心無しと。李騰芳・施子美は謂ふ、太公克つことを重んず。故に勇を以て先と為す。孫子は始計を重んず。故に智を以て先と為すと。愚[自分(に関する物事)をへりくだっていう語。]謂ふに太公は兵を治世談ず。故に勇を以て先と為す。孫子は兵を戦国に談ず。故に智を以て先と為す。治世は勇を用ふるに所無し。故に勇必ず足らず。戦国には智を練るに暇あらずして、勇自ずから餘り有り。太公孫子共に足らざるを揚げて、教と為す。各人君時勢の抑揚に據りて当る所有り。何ぞ優劣を論ぜんや。司馬法に曰はく、仁を以て本と為すと。此れは是れ聖人兵を用ひて以て天下を愛するの心也。将を論ずるの事に非ず。観る者玩味[意義をよく味わうこと。]す可しなり。案ずるに、古人云はく、古の臣を使ふには、仁者をして賢者を佐け使め、賢者をして仁者を佐け使めず。言うこころは仁者は惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]の心有り、多才の者の権略[臨機応変の計略。権謀。]有るに如かず、是将帥は材知を以て體と為し、仁を以て佐と為す也。然れども不仁なるときは則多材亦之れを用ふるに足らず。知宣子(晋の卿、このこと国語の晋語九に出づ)将に瑤を以て後と為んとす。知果(知氏の一族)が曰はく、宵に如かず。宣子云ふ、宵や狠[①心がねじけている。残忍。凶悪。②はなはだ。③こらえる。④怒る。憤る。]れりと。知果が云はく、宵が之狠るは面[人の顔。おもて。つら。]に在り、瑤が之狠るは心に在り、心狠るときは国を敗り、面狠るは害あらず、瑤が之人に賢れる者五、其の逮ばざる一、(仁也)美髩の長大なるは則賢り、射御[弓術と馬術。射騎。]力足るは(原本の讀方なり、足力とも讀み得)則賢り、伎藝[歌舞音曲など芸能に関するわざ。遊芸。]畢給たるは則賢り、巧文辯惠則賢り、彊毅[心が強く、しっかりしていること。]果敢[決断力が強く、大胆に物事を行うさま。]則賢れり、是の如くにして甚だ不仁なり、其の五賢を以て人を陵ぎて不仁を以て之れを行ふ、其れ誰か能く之れを待たん、若し果たして瑤を立てば、知が宗は必ず滅びんと。聽か弗。知果族を于太史に別ちて、輔氏と為る、知氏が之亡ぶるに及びて、唯だ輔果のみ在り。凡そ撰擧の道は、本末有り常變有り、一齊に之れを議[①はかる。寄り合って相談する。論じ合って是非を決める。②相談の内容。意見。③思いはかる。意見を言う。批判する。【解字】形声。「言」+音符「義」(=道にかなって正しい)。話し合って事のよろしきを定める意。]す可からず。
○孫子国字解:『将とは、智、信、仁、勇、厳なり』 此段は、五事の内にて、四曰将とある。其将と云は如何様なることぞと、其わけを云へり。将は大将なり。大将たる人は、此五つの徳を備ふべきことなりと云意なり。智は智慧なり。智慧と云は世間に云ふ、利口発明なることにも非ず。又学問博くして、様々のことを知たるにも非ず。又弓馬剣術、鎗長刀等の、種々の芸能の奥義を究めたるにも非ず。又悟道発明して、三世[①〔仏〕過去・現在・未来。また、前世・現世・後世(来世)。三際。②父・子・孫の3代。]に通達したる智慧にもあらず。唯よく人情にぬけとをりて、上たる者下たる者、敵となり味方となる、様々の人の心あんばいをよく知り、かやうなることを喜び、かやうなることをいやがり、一旦はかやうなることを悦べども、奥意はかやうなることに云意なる、人の心ゆきをよく知り、事の大くならぬ前に此事は末にかやうになると云ことを、早く見付けて、如何様なる詐りにてもだまされず、如何様なる讒言にても惑はされず、又事の變の来る時、其變に應じてそれぞれに取扱ふこと、定まりたることなく、よく其宜しきに叶ひ、禍の来るをよく取扱て福となす。是等を将たる者の智と云なり。信はまことなり。まこととは平生人のうろん[①乱雑であること。いいかげんであること。また、不誠実なこと。②疑わしいこと。うさんくさいこと。]なるを嫌ひ、物の眞實なるを好み、我も少しの約束をも違へぬ様にし、前方かやうに云たる詞あるに、今かやうにせば、誰か心に恥かしきなどと云ふ様なるを、世間にては信と覺ゆれども、それは兒女子の信にて、将たる人の信に非ず。心至てせばく、たよはくせまりたる人のすることなり。将たる人の信と云は、賞罰の定めの上に付て、かやうなるをは賞すべきと號令を出したらば、たとひ吾がにくき人なりとも、約束の如く賞し、吾が贔負なる人なりとても、軽き功を重く賞せず、又かやうなるをば罰すべきと、號令を出したらば、貴人をも避けず、親類をも贔負せず、気に合たる人をも、過あれば是を罰す。下知法度を變じかゆることなく、我身の大儀なることにても、先だちて出したる法度なれば、少しもかゆることなく、とかく賞罰號令などの様なる、萬民へわたることを、約束の違はぬ様にすれば、将の誠、民士卒の心にぬけとをりて、民士卒深く心服し、少しも上を疑ひうろんに思ふことなし。是を将たる人の信と云ふ也。仁と云は慈悲なり。慈悲と云へばとて、かほつき愛敬らしく、もの云ひやさしくて、人をだまし、或は金銀綿帛を與へて人をだまし、或は慈悲善根とて、非人乞食に物をとらせ、僧法師を供養する類は、婦人の仁にして、大将の仁に非ず。利勘[利益を打算してかかること。勘定高いこと。]細かにして、少しつつの規模立身をさせて、人をいさまする方便[手ががり。手段]をしかけ、手をよく物やはらかにして、人をだます類は、皆眞實の仁に非ず。大将たる人の仁は、ただ人の飢寒をよく知り、士卒と辛苦を同じくし、萬民を安堵なさしむることなり。士卒の病気を尋ては顔色をしはめ、手疵をかふふり、打死したると聞ては、涕をながし、功ある人の子孫を棄ず、ふるきなじみを忘れず、民士卒の妻子を養ひ、朝夕安堵の思ひをなす様にするを、将たる人の仁とは云なり。勇は武勇なり。是も武勇を鼻にかけ、高慢甚だしく、陽気を専らにし、喧嘩口論をこのみ、或は力つよきを武と思ひ、或は武芸はやわざを武と心得るたぐひは、将たる人の勇には非ず。将の勇と云は、大軍を畏れず、猛勢をも物の數ともせず、小勢にても戦ふべき圖をはずさづ、敗軍しての後にも勇気くじけず、敵に逢ては心鬭ひ、後詰[後方に配置する陣立て。後続の軍隊。]をするには、大敵の内へも飛入り、又大敵に圍れては打破て必出で、危き場にもひるまぬを、将たる人の勇と云なり。厳はきびしきと讀て、威[①人をおそれ従わせる勢力や品格(をそなえている)。いかめしい。②人をおそれさせる。おどす。よろいの札(さね)をつづり合わせる意の「おどす」にもこの字を当てる。【解字】会意。「女」+「戊」(=ほこ)。弱い女をほこでおどす意。]の強きことなり。されども威を強くすればとて、頷にて人を使ひ、目にて人を使ひ、かほつきをけうとくして、人のよりつかぬ様にすることにも非ず。又あらけなく[(ナシは甚だしいの意)荒々しい。大層乱暴である。]人をしかり、少しのことをとがめ、瑣細なる法度を立て、諫言の舌を箝ましむる[箝-口をふさぐ。つぐむ]ことを云にも非ず。将たる人の厳と云は、軍中の法令千萬人を使ふも、一人使ふ如く、人馬の足音ばかり聞えて、物云ふ音はせず。陣取、備立[軍陣を用意すること。陣立て。]、役分、行列、金太鼓の作法、旗の進めやう、懸るも引も、合も分るるも變化自在にして手間とることなく、軍兵将を畏れて敵を畏れず、将の下知を守て君の下知をも用ひず、かやうなる将は、忍び入て殺すことはなるべけれども、其備を敗ることは曾て叶はぬなり。皆将たる人の一心の威より起て、一人をも殺さねども、よく三軍の心を畏れしむ。是将たる人の厳なり。大凡智ある人は勇たらず、勇なる人は智たらず、仁なれば厳ならず、厳なれば仁ならず、四の徳備はりても、信また備り難し。敵の将と味方の将とを、此五徳を以てたくらべはかりて、其優劣を以、軍の勝負を知ことを云なり。近頃の学者に、この五徳を仁義禮智信の五常[儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。㋐[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。㋑[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。㋒[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]に引合せて、曲説を云ものあり。五常は人の心に具はる理なり。此五徳は将の器量を云て、各別のことなり。用べからず。
○孫子評註:太公(太公望呂尚。「将を論ずるや云々」は、呂尚の著と称される『六韜』の論将篇に将の五材をあげて、勇・智・仁・信・忠と言っているのを指す。)の将を論ずるや勇を先にす。而して孫子は智を先にす。呉子(呉子は呉起。彼の書いた兵書を『呉子』という。「勇の将に於ける云々」は同書の論将篇の語。)云はく、「勇の将に於けるや、乃ち數分の一のみ」と。又太公は忠を言ひ、而して孫子は嚴を言ふ。嚴とは是れ荘重(おごそかで重々しいこと。)にして犯すべからざるなり。孫子の持論全くここに在り。故に篇々此の意を見る。而して史遷(漢の太史司馬遷。『史記』の著者。姫を斬った事は『史記』の孫子呉起列伝にある。孫武が呉王闔閭にまみえ、美姫百八十名を二隊に分け、みずから将となって用兵の術を試みた。王の愛姫が隊長になって将の命に従わなかったので、孫武は遂にこれを斬った。隊士は始めて粛然としたという。)の孫武を傳するや、獨り姫を斬るの一事を論じて、殊に其の他に及ばず。洞識(深い見識。)と謂ふべし。
○曹公:将は五徳備わるに宜しきなり。
○李筌:此の五者は将の徳を為す。故に師は丈人[長老の敬称。]の稱有るなり。
○杜牧:先王の道は仁を以て首と為す。兵家者流は智を用い先と為す。蓋し智者は能く機権・變通[臨機応変に事を処すること。物事に拘泥せず、自由自在に変化・適応して行くこと。]を識るなり。信とは人をして刑賞に惑わしめざるなり。仁とは人を愛し物を憫れみ勤労を知るなり。勇とは勝ちを決し勢に乗り逡巡[ぐずぐずすること。ためらうこと。しりごみすること。]せざるなり。厳とは威刑を以て三軍を肅する[①心をひきしめてかしこまる。つつしむ。②規律などをひきしめる。③ひきしまっていて物音がしない。しいんとしている。]なり。楚は申包胥をして越に使わしむ。越王勾践将に呉を伐たんとす。焉に戦を問う。夫れ戦の智は始を為す。仁は之に次ぐ。勇は之に次ぐ。智ならずば則民の極を知る能わず。以て天下の衆寡を詮度[詮-①言葉を尽くして道理を説く。②つきつめる。③最終的な効果。かい。④究極の手だて。②以下は、①から転じた日本での用法。]すること無し。仁ならずば則三軍を與え飢労の殃を共にすること能わず。勇ならずば則疑いを斷じ以て大計を發すること能わずなり。
○賈林:専ら智に任せば則賊[①武器で人を傷つける。害を与える。そこなう。②他人の財貨を盗みとる者。ぬす人。③天子や国に害をなす者。謀反人。【解字】形声。「戈」(=ほこ)+音符「則」(=傷つける)の変形。武器で相手を傷つける意。一説に、「貝」(=財貨)+「戎」(=武器)の会意文字で、相手を武器で傷つけて財貨をとる意。]となり、仁を施せば則固なり。信を守れば則愚なり。勇力に恃めば則暴なり。令厳に過ぎれば則殘う。五者は兼備す。其用に適えば則将帥を為す可し。
○梅堯臣:智は能く謀を發す。信は能く賞罰す。仁は能く衆に附く。勇は能く果断[思い切ってするさま。]す。厳は能く威を立つ。
○王晳:智とは先ず見して惑わず、能く謀慮・権變に通ずるなり。信とは號令の一なり。仁とは恵撫[めぐみ愛すること。]・惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]・人心[人間の心。ひとびとの心。民心。]を得るなり。勇とは義に狥し懼れず、能く果毅[決断がよく、意志の強いこと。]するなり。厳とは威厳[堂々としておごそかなこと。いかめしいこと。]を以て衆心を肅するなり。五者は相須いる。一に闕[かける。ぬけ落ちる。あき。]ければ可ならず。故に曹公曰く、将は五徳備わるに宜しきなり。
○何延錫:智に非ずんば以て敵を料り機に應ず可からず。信に非ずんば以て人に訓え下を率いる可からず。仁に非ずんば以て衆に附き士を撫する可からず。勇に非ずんば以て謀を決し戦を合わす可からず。厳に非ずんば以て強に服し衆を齊う可からず。此の五才を全きすれば将の體なり。
○張預:智は亂す可からず。信は欺く可からず。仁は暴する可からず。勇は懼れる可からず。厳は犯す可からず。五徳皆備えば、然る後以て大将と為る可きなり。
意訳
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○天野孫子:第四の将とは、智恵と信頼と仁愛と勇気と威厳とを言う。
○浅野孫子:第四の将とは、物事を明察できる智力、部下からの信頼、部下を思いやる仁慈の心、困難に挫けない勇気、軍律を維持する厳格さなどの、将軍が備える能力のことである。
○金谷孫子:[第四の]将とは、才智や誠信や仁慈や勇敢や威厳[といった将軍の人材]のことである。
○町田孫子:将とは、才知や誠信や仁慈や勇気や威厳など、将軍の器量についてのことである。
○武岡孫子:将とは将帥の軍事能力、指揮官としての信頼度、仁愛の心、気力、威厳度などリーダーとしての資質や能力。
○著者不明孫子:将とは、頭が切れるか、偽りがないか、情け深いか、勇気があるか、威厳があるかどうか、という大将の人物のことである。
○学習研究社孫子:指揮官の優秀さとは、臨機応変の知恵と、人民の心を一つにする信頼性、恵のある心と、勇気と、叛く者を出さない厳粛さをいうのである。
○フランシス・ワン孫子:将帥の能力とは、彼我の将帥の知慧・誠実(正義感・公平に対する感覚)・仁愛・勇気・厳格さ等の資質を知ることである。
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