2012-03-15 (木) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『法とは、曲制・官道・主用なり。』:本文注釈
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法-①おきて。規則。②(儀式の)しきたり。礼式。規範。③てだて。やりかた。④基準となる数。【解字】[灋]の略体。会意。「水」+「廌」(=珍獣の名)+「去」(=ひっこむ)。珍獣をおりの中に囲みこむ意。転じて、おきて・のりの意。
註
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○金谷孫子:曲制-曲は部曲すなわち軍隊の部わけ。それについての制度をいう。以下「主用」までの六字を六種に分けて解釈する説もある。 官道-道は治と同じ。軍中の職分の治め方。
○浅野孫子:曲制-軍隊内の部曲・部署分けの制度を定めた軍法をいう。 官道-軍を監督する官吏の職制や権限を定めた軍法。古代中国の軍制では、行軍篇に「吏の怒る者は倦むなり」と見えるように、常に各種の官吏が同行して軍を監督した。 主用-軍の運用について、君主と将軍との間に取り決められた、指揮命令系統上の軍法を指す。地形篇に「戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うも、必ず戦いて可なり。戦道勝たざれば、主は必ず戦えと曰うも、戦う無くして可なり」とあるように、古代中国の軍制では、君主は割り符を持たせた使者を前線の将軍のもとへ派遣して、背後から軍の運用を指揮・制御した。
○武岡孫子:曲制-編制 官道-服務規律 主用-軍用品
○天野孫子:法者曲制官道主用也-「曲制」「官道」「主用」について『孫子』十三篇にそれを説くものがない。『鶡冠子』天則篇に「法とは曲制官備主用なり」とあって、それは行政上の諸官制度として述べてあるが、この句も同様であろう。その具体的内容は知り得ないが、一応「曲制」とは国政上つぶさに整備された制度、「官道」とは諸官の地位・職務などの規定、「主用」とは用をつかさどることであるから、国政上の種々の運営の意に解する。『新釈』は「孫子は素より兵法の書ではあるけれども、戦勝の根柢を強固にする為に政治・経済等の全般に亘って説いてをるのである。五事の如きは一国の国政の大綱を論じてをるのであって、決して軍隊内部の事のみに限定せられてをるのではない。此の事は既に『道』の定義に於て孫子が『卒』と言はずして『民』と明瞭に言ってをる所に表はれてゐる。この『法』も亦一国の国政全般に関する法であって、決して軍隊のみの編制や坐作[すわることとたつこと。たちい。動作。]進退の法に限ったものではない」として、「曲制」を分課分掌の制度、「官道」を上下官職の秩序、「主用」を曲制・官道共に其の運用の宜しきを得ることとしている。一説に兵法上のことと解して、梅堯臣は「曲制とは、部曲、隊伍、分画に必ず制あるなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道あるなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度あるなり」と。また、曲制官道主用を三分して解釈する外に、六分して解釈するのがある。王晳は「曲とは卒伍の属、制とは其の行列進退を節制するなり。官とは群吏偏裨なり。道とは軍行及び舎る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ」と。部・曲・隊・伍はいずれも軍隊の編成単位。裨は裨将すなわち副将。偏は裨と同じ。校は指揮官。
○フランシス・ワン孫子:「法」とは、軍事制度(軍事体制)のことであるが、その中で「官道」即ち人事を、仏訳は「将校を適所へ昇進させる能力」と解して特色がある。
○守屋孫子:「法」とは、軍の編成、職責分担、軍需物資の管理など、軍制に関する問題である。 「法」とは軍制、軍律の意である。これがないと、兵士の一人ひとりがいかに強くても、軍としてのまとまりを欠き、たんなる烏合の衆と化してしまう。
○田所孫子:法とは、軍隊の編成組織のことで、これを三つに分けて、曲制・官道・主用となし、その曲制とは大隊・中隊・小隊・分隊等のような部隊編成であり、その官道とはそれぞれの部隊を統率指揮する部将のことであり、主用とは兵糧・弾薬等を取扱う兵站部のことである。
○重沢孫子:第五の”法”は、字面からも大体わかるように、部隊の戦闘力を保持するために不可欠な、体制保持の問題として理解します。曲は部曲などともいわれ、部隊の編成単位をなす隊列のこと。隊列の乱れは部隊の秩序に重大な混乱を生じますから、厳守します。制は、号令や情報などの伝達手段としての銅鑼・太鼓。旗幟などの規定を指します。官は、部隊の戦闘行動を側面から支える、裏方的な公務一般。道は、文字どおり道路のこと。部隊の行動はもちろん、戦闘資材や食糧の輸送などを確保するために、道路はきわめて重要です。主は、部隊が必要とする資財の管理。用は、部隊の所要経費。以上の五者、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。
○著者不明孫子:【曲制】部隊の編制の仕方。「曲」は部分・分けるの意で、ここでは軍隊を部分けした隊伍をいう。 【官道】指揮官の統率。「官」は各単位の部隊の隊長・副隊長その他の軍官。「道」は導く・指導・統率の意。「官道は裨校首長の統率必ず道有るなり」(裨校首長は副将以下の各級幹部)と注する梅堯臣の説がほぼ近い。その他、道を糧道とする説(曹操)その他諸説があるが、いずれも落ち着かない。 【主用】経理の運用の仕方。「主」は軍の経理を主管すること、またその人。「用」は軍の経費、またはその運用。
○諺義:法者、曲制官道主用也-曲は人衆を分つの法也。衆寡により士卒によつて、品々の法あること也。一よりおこり伍にいたり、伍よりくみわけて、百千萬に至れり。其のわかつ作法あること也。制は人衆をつかふの制法也。人相あつまるときは、紛雜[ごたごたとこみいっていること。紛錯(ふんさく)。]して聲通ぜず、このゆゑに其の耳目を一つにいたすため、金鼓旌旗烟火を用ひて、色と音とに約束を定め、人を進退せしめ、遠近を一にする、これを制法と云ふ。官は兵士それぞれに頭をつけ奉行をおきて、その下知をなさしむること也。五人より百千萬まで、段々に其のつかさを定めておくときは、衆又寡に同じきがごとくつかはるる也。心の四支をつかひ四支の指をうごかすが如くならしむるは官也。道は往来の道を考へ、其の遠近について、用法をつまびらかにきはめ、營法糧道利不利をはかること也。主はもののあづかりつかさどるの類を云ふ。粮食文書等にいたるまで、掌る所あるは主也。官と云ふに同義に似たりといへども、官は士卒についての長奉行を云ひ、主は事物大小事ともに皆そのあづかるものあること也。用は軍用也。諸色の品々多し。人馬・器械・用具・粮食・衣服にいたるまで、軍用をさして用と云ふ也。主用は舊説[旧説]皆二つに分てり。講義に主将の用と注して、主将の用を主用といへり。魏武帝及び李筌は主の掌の儀也と注す。全書(武徳全書)には、主者主守之人也と注す。留守をつかさどるものを云ふといへり。しかれども六段にわけて注すること、つまびらかにして相通ずる也。張賁はこれを三段にわかてり。部曲制有り、分官道有り、各をして其の用を主ら使むと。是れ三段にみるの説也。武経大全に云はく、一説に、制は必ずしも金鼓旗幟と指定せず、凡そ軍中の擧動皆一個の制有りと。亦是也。以上五事、孫子自ら注解して是れを以て兵法の経とし、軍事を治むるの要領とす。孫子十三篇は論ずるに及ばず、すべて此の五事は主将事を為すの大要也と知る可き也。
○孫子国字解:法とは、曲制、官道、主用なり。-是は五事の内の五曰法とある。其法と云は、如何様のことを云ぞと、其わけを説けり。法は法令なり。軍中の法度掟を云なり。人の生れの一様ならざること、面の異なるが如し。けなげ[①勇ましいさま。勇健。②しっかりして強いさま。すこやかなさま。健康。③殊勝。④(子供など弱い者が)けんめいに努めるさま。]なる人あり。臆病なる人あり。目のはやき[関心や注意が、すばやく向く。即座に見てとる。]人あり。手はしかき人あり。手ぬるき[きびしくない。扱いが寛大である。きっぱりせずまだるっこい。]人あり。足はやき人あり。おそき人あり。其外気だてかたぎ[気質-(「形木(かたぎ)」から転じて)①物事のやり方。慣習。ならわし。②顔やからだの様子。また、性質や気だて。③(「形気」「容気」「形儀」とも書く)身分・職業・年齢などに相応した特有の類型的な気風。]一様ならず。大将一人一人を直にひきまはさば、大将の心の如くになるべけれども、是又ならぬことなり。士大将の心々、又各別なれば、たとへば連碁[数人の者が二組に分かれ、一局の碁を何手かずつ代わる代わる打つこと。また、その碁。]を打が如し。一人よき手をすれば、次の人あしき手をうちて、前うちたる石は無になるは、心の一致せざる故なり。心一致すれば、千萬人の力ひとつに合て、一人の力となるゆへ、千萬人がけの力なり。心一致せざれば、千萬人われわれになりて、一人づつの力なり。故に軍には法度掟を定めて、千萬人の力を一人の力となすことなり。世間にきやりと云ふことあり。木やりを云ておんどを取り、ゑい音をそろへて、是をあぐれば、十人しても擧らぬ重き物も、五人してもあがるなり。十人の力よはきに非ず。五人の力つよきに非ず。力の一致すると、一致せぬとの違ひなり。きやりと云法に非れば、多くの人の力一致せざる如く、軍にも法と云もの有て、百萬の軍兵も我身を使ふが如し。されば道、天、地、将、法の五は、何れも一つとしてかけて叶はぬことなれども、道将法の三を又肝要とするなり。士卒の思ひつかざる大将の、士卒の一致したる大将と戦て勝つと云ふこと、古今其ためしなければ、道の肝要なること勿論なれども、それは平生のことにて、軍に臨んでは、将法の二にきはまる。将に五徳備るれば、天の時、地の利をあやまつことは、決してなきことなり。又法も、五徳備りたる将の、法度掟のあしきことはあるましき様なれども、何ほど五徳備るとも、いまだ聖人の地に至らずんば法の微妙を盡すことあたふまじ。よく名将の法を傳受して、つねづねも心をつけて吟味して、士卒につねづね是をならはしめ、よく練熟せざれば、たとひ五徳備る将とても、士卒吾が手足を使ふ如にならぬゆへ、法と云ものにてはなきなり。されば五事の内にても、尤法を肝要の至極とやすべき。古より名将のよく法を立置たる跡は、二代目の大将つぎにても、兵威先代にをとらぬことなりとぞ。扨この曲制、官道、主用と云に、古来様々の説あり。梅堯臣[北宋の詩人。字は聖兪。宣州宛陵(安徽宣城)の人。官は尚書都官員外郎。詩は深遠古淡。著「宛陵先生集」。(1002~1060)]茅元儀が説は、曲制と、官道と、主用と、三にわけて説けり。まづ曲制とは、備分陣取の法制なり。備立の根本は、人の家に東西南北の四の隣ありて、合て五を五人組と定むるより、五人を一伍と云、是備の元なり。十伍を一隊と云、五十人なり。二隊を一曲と云、百人なり。何萬人なりとも、是より段々に組立るゆへ、曲と云時は、備のことは皆こもるなり。備分の法制とは、如何様なることぞと云に、旗馬印[【旗標・旗印】戦場で、目じるしとして旗につける紋所・文字または種々のかたち。 【馬印・馬標・馬験】戦陣で、大将の馬側に立ててその所在を示す目標としたもの。天正(1573~1592)の頃はじまる。秀吉の千生瓢箪(せんなりびょうたん)、家康の開き扇の類。]、笠印[【笠標・笠符】戦陣で味方の目じるしに兜などにつけた標識。多くは小旗を用いた。]、袖印[【袖標・袖印】合印(あいじるし)の一種。戦陣などで敵・味方を見分けるため、鎧の左右の袖につけた小旗・布片の類。]、金太鼓、坐作進退の合圖なり。是にて何萬の人數にても、分合自在の變を、一人を使ふ如くならしむ。官道とは官の道なり。官と云は、軍中には、組頭、小組頭、旗奉行、鐵砲大将、弓大将、長柄頭[槍頭]、目付、使番[①安土桃山時代、戦時に伝令使となり、また、軍中に巡察した者。②江戸幕府の職名。若年寄に属し、戦陣では主命を伝え、平時には遠国役人の監察使・国目付・巡見使などを勤める。③江戸時代、将軍家の大奥の女中の職名。④走り使いをする者。]などとて、それぞれの役儀あり。是官なり。官の道と云は、各其役儀役儀にて、士卒をすべくくりて、それぞれのすぢ道あり。是は士大将のいろふこと、物頭のいろふこと、目付のいろふこと、いろはぬことと云筋みちあるなり。それゆへ曲制にて分ちて、官道にてつらぬくなり。主用と云は、用度をば主る人ありと云意なり。用度とは、兵粮、小荷駄、金銀米穀等、陣取の具、城攻の具、或は賓客のもてなし、褒美に與ふる物などなり。是皆主る役人別に有て、合戦を司る人はかまはぬことなるゆへ、官道の外に、又主用と云なり。軍中の法度掟は、右の三の上に立つことなるゆへ、法者曲制、官道、主用也と云なり。劉寅が説には、曲制官道を皆備分のことなりと云へり。其時は十伍を隊とし、二隊を曲とす。前に見へたり、二曲を官と云二百人なり。然れば曲も官も皆備組のことにて、曲制は備の法制なり。前の説と同じ。官道は備立陣取には往来の道を明け、又は備押の次第、兵粮の運送など皆道なり。扨主用と云は、主とし用ると云ことなり。曲制官道の仕形[仕方]、いかやうの陣法を主とし用ると云こと有て、是にて軍の勝負分るるゆへ、敵は何を主とし用る、味方は何を主とし用ると云ことを、たくらべはかりて、勝負を察すると云ことなりと云へり。此説も文勢の上にて云へば、宜しく聞ゆるなり。前の説と合せ見れば、事たらぬ様なれども、役分も用度も、備に付たるものなれば、右の二の説をよきとやすべき、又杜牧張預が説も、大抵右の二説の意に出ず。
○孫子評註:「法とは曲制(軍隊の部隊の編制。)・官道(各種の役職によって士卒を統御する組織。)・主用(経理・兵器・食料等の用度に関すること。)なり。」-張賁(唐代の学者。)云はく、「部曲(部隊。)、制あり、分官(役職の組織。)、道あり、各々其の用を主とせしむ」と。按ずるに、主用とは實用を主とするなり。曲制や官道や、何れの國かあることなからん。特(た)だ其の空文たるを患(うれ)ふるのみ。 ○地の字は、明かに地形・九地の二篇に於て詳かに之れを説き、法は則ち軍形・兵勢に具し、道と将と其の中に在り。
○曹公:曲制とは部曲旛[はた]幟金鼓の制なり。官とは百官の分なり。道とは糧路なり。主用とは主な軍費用なり。
○李筌:曲は部曲なり。制は節度なり。官は爵賞なり。道は路なり。主は掌なり。用とは軍費用なり。皆師の常法にして、将の治る所なり。
○杜牧:曲とは部曲・隊伍に分畫有るなり。制とは金鼓・旌旗に節制有るなり。官とは偏裨校列に、各官司有るなり。道とは營陳開闔[闔-とじる。]に、各道徑有るなり。主とは管庫・廝養[たきぎ取り、馬の世話などの雑役をする者。めしつかい。こもの。]職を守り、其の事を主張することなり。用とは車馬・器械、三軍須用[なくてはならないもの。]の物なり。荀卿曰く、械[道具]を用うるに數有り。兵とは食を以て本と為す。須らく先ず糧道を計利し、然る後師を興すべし。
○梅堯臣:曲制とは部曲、隊伍・分画に必ず制有るなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道有るなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度有るなり。
○王晳:曲とは卒伍の屬、制とは其の行列進退を節制することなり。官とは羣吏偏裨なり。道とは軍行及び舍る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ。
○張預:曲とは部曲なり。制とは節制なり。官とは偏裨[将軍の官名]の任を分つを謂う。道とは糧餉[餉-(携帯用に)ほした飯。かれいい。かれい。弁当。兵糧。]の路を利するを謂う。主とは軍資を職掌するの人なり。用とは費用の物を計度するなり。六者は兵を用いるの要なり。宜しく處置は其の法に有るべし。
意訳
○浅野孫子:第五の法とは、軍隊の部署割りを定めた軍法、軍を監督する官僚の職権を定めた軍法、君主が軍を運用するため将軍と交した、指揮権に関する軍法などのことである。
○金谷孫子:[第五の]法とは、軍隊編成の法規や官職の治め方や主軍の用度[などの軍制]のことである。
○天野孫子:第五の法とは、万端遺漏のない制度と、諸官の地位・職務の規定と、それらの運営とを言う。
○フランシス・ワン孫子:軍事制度(軍事体制)によって、彼我の軍の組織・編成、管理・統率力と将校を適所へ昇進させる能力(人事)、兵站ルートの管理・運営と軍の必需品に対する国家の供給能力をしるのである。
○町田孫子:法とは、軍隊編成の法規や官職の担当分野のきまりや、主軍の用度などについての軍制のことである。
○武岡孫子:法とは軍事制度に基づく軍隊の組織、編制、管理、統率力、人事、兵站の管理・運営と兵員および軍需品に対する国家の供給力。
○著者不明孫子:法とは、部隊の建制、軍官の統率、経理の運用などのことである。
○学習研究社孫子:法とは、詳細に定められた制度と、官吏の行動規則と、財政の運用をいうのである。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『法とは、曲制・官道・主用なり。』:本文注釈
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法-①おきて。規則。②(儀式の)しきたり。礼式。規範。③てだて。やりかた。④基準となる数。【解字】[灋]の略体。会意。「水」+「廌」(=珍獣の名)+「去」(=ひっこむ)。珍獣をおりの中に囲みこむ意。転じて、おきて・のりの意。
註
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○金谷孫子:曲制-曲は部曲すなわち軍隊の部わけ。それについての制度をいう。以下「主用」までの六字を六種に分けて解釈する説もある。 官道-道は治と同じ。軍中の職分の治め方。
○浅野孫子:曲制-軍隊内の部曲・部署分けの制度を定めた軍法をいう。 官道-軍を監督する官吏の職制や権限を定めた軍法。古代中国の軍制では、行軍篇に「吏の怒る者は倦むなり」と見えるように、常に各種の官吏が同行して軍を監督した。 主用-軍の運用について、君主と将軍との間に取り決められた、指揮命令系統上の軍法を指す。地形篇に「戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うも、必ず戦いて可なり。戦道勝たざれば、主は必ず戦えと曰うも、戦う無くして可なり」とあるように、古代中国の軍制では、君主は割り符を持たせた使者を前線の将軍のもとへ派遣して、背後から軍の運用を指揮・制御した。
○武岡孫子:曲制-編制 官道-服務規律 主用-軍用品
○天野孫子:法者曲制官道主用也-「曲制」「官道」「主用」について『孫子』十三篇にそれを説くものがない。『鶡冠子』天則篇に「法とは曲制官備主用なり」とあって、それは行政上の諸官制度として述べてあるが、この句も同様であろう。その具体的内容は知り得ないが、一応「曲制」とは国政上つぶさに整備された制度、「官道」とは諸官の地位・職務などの規定、「主用」とは用をつかさどることであるから、国政上の種々の運営の意に解する。『新釈』は「孫子は素より兵法の書ではあるけれども、戦勝の根柢を強固にする為に政治・経済等の全般に亘って説いてをるのである。五事の如きは一国の国政の大綱を論じてをるのであって、決して軍隊内部の事のみに限定せられてをるのではない。此の事は既に『道』の定義に於て孫子が『卒』と言はずして『民』と明瞭に言ってをる所に表はれてゐる。この『法』も亦一国の国政全般に関する法であって、決して軍隊のみの編制や坐作[すわることとたつこと。たちい。動作。]進退の法に限ったものではない」として、「曲制」を分課分掌の制度、「官道」を上下官職の秩序、「主用」を曲制・官道共に其の運用の宜しきを得ることとしている。一説に兵法上のことと解して、梅堯臣は「曲制とは、部曲、隊伍、分画に必ず制あるなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道あるなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度あるなり」と。また、曲制官道主用を三分して解釈する外に、六分して解釈するのがある。王晳は「曲とは卒伍の属、制とは其の行列進退を節制するなり。官とは群吏偏裨なり。道とは軍行及び舎る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ」と。部・曲・隊・伍はいずれも軍隊の編成単位。裨は裨将すなわち副将。偏は裨と同じ。校は指揮官。
○フランシス・ワン孫子:「法」とは、軍事制度(軍事体制)のことであるが、その中で「官道」即ち人事を、仏訳は「将校を適所へ昇進させる能力」と解して特色がある。
○守屋孫子:「法」とは、軍の編成、職責分担、軍需物資の管理など、軍制に関する問題である。 「法」とは軍制、軍律の意である。これがないと、兵士の一人ひとりがいかに強くても、軍としてのまとまりを欠き、たんなる烏合の衆と化してしまう。
○田所孫子:法とは、軍隊の編成組織のことで、これを三つに分けて、曲制・官道・主用となし、その曲制とは大隊・中隊・小隊・分隊等のような部隊編成であり、その官道とはそれぞれの部隊を統率指揮する部将のことであり、主用とは兵糧・弾薬等を取扱う兵站部のことである。
○重沢孫子:第五の”法”は、字面からも大体わかるように、部隊の戦闘力を保持するために不可欠な、体制保持の問題として理解します。曲は部曲などともいわれ、部隊の編成単位をなす隊列のこと。隊列の乱れは部隊の秩序に重大な混乱を生じますから、厳守します。制は、号令や情報などの伝達手段としての銅鑼・太鼓。旗幟などの規定を指します。官は、部隊の戦闘行動を側面から支える、裏方的な公務一般。道は、文字どおり道路のこと。部隊の行動はもちろん、戦闘資材や食糧の輸送などを確保するために、道路はきわめて重要です。主は、部隊が必要とする資財の管理。用は、部隊の所要経費。以上の五者、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。
○著者不明孫子:【曲制】部隊の編制の仕方。「曲」は部分・分けるの意で、ここでは軍隊を部分けした隊伍をいう。 【官道】指揮官の統率。「官」は各単位の部隊の隊長・副隊長その他の軍官。「道」は導く・指導・統率の意。「官道は裨校首長の統率必ず道有るなり」(裨校首長は副将以下の各級幹部)と注する梅堯臣の説がほぼ近い。その他、道を糧道とする説(曹操)その他諸説があるが、いずれも落ち着かない。 【主用】経理の運用の仕方。「主」は軍の経理を主管すること、またその人。「用」は軍の経費、またはその運用。
○諺義:法者、曲制官道主用也-曲は人衆を分つの法也。衆寡により士卒によつて、品々の法あること也。一よりおこり伍にいたり、伍よりくみわけて、百千萬に至れり。其のわかつ作法あること也。制は人衆をつかふの制法也。人相あつまるときは、紛雜[ごたごたとこみいっていること。紛錯(ふんさく)。]して聲通ぜず、このゆゑに其の耳目を一つにいたすため、金鼓旌旗烟火を用ひて、色と音とに約束を定め、人を進退せしめ、遠近を一にする、これを制法と云ふ。官は兵士それぞれに頭をつけ奉行をおきて、その下知をなさしむること也。五人より百千萬まで、段々に其のつかさを定めておくときは、衆又寡に同じきがごとくつかはるる也。心の四支をつかひ四支の指をうごかすが如くならしむるは官也。道は往来の道を考へ、其の遠近について、用法をつまびらかにきはめ、營法糧道利不利をはかること也。主はもののあづかりつかさどるの類を云ふ。粮食文書等にいたるまで、掌る所あるは主也。官と云ふに同義に似たりといへども、官は士卒についての長奉行を云ひ、主は事物大小事ともに皆そのあづかるものあること也。用は軍用也。諸色の品々多し。人馬・器械・用具・粮食・衣服にいたるまで、軍用をさして用と云ふ也。主用は舊説[旧説]皆二つに分てり。講義に主将の用と注して、主将の用を主用といへり。魏武帝及び李筌は主の掌の儀也と注す。全書(武徳全書)には、主者主守之人也と注す。留守をつかさどるものを云ふといへり。しかれども六段にわけて注すること、つまびらかにして相通ずる也。張賁はこれを三段にわかてり。部曲制有り、分官道有り、各をして其の用を主ら使むと。是れ三段にみるの説也。武経大全に云はく、一説に、制は必ずしも金鼓旗幟と指定せず、凡そ軍中の擧動皆一個の制有りと。亦是也。以上五事、孫子自ら注解して是れを以て兵法の経とし、軍事を治むるの要領とす。孫子十三篇は論ずるに及ばず、すべて此の五事は主将事を為すの大要也と知る可き也。
○孫子国字解:法とは、曲制、官道、主用なり。-是は五事の内の五曰法とある。其法と云は、如何様のことを云ぞと、其わけを説けり。法は法令なり。軍中の法度掟を云なり。人の生れの一様ならざること、面の異なるが如し。けなげ[①勇ましいさま。勇健。②しっかりして強いさま。すこやかなさま。健康。③殊勝。④(子供など弱い者が)けんめいに努めるさま。]なる人あり。臆病なる人あり。目のはやき[関心や注意が、すばやく向く。即座に見てとる。]人あり。手はしかき人あり。手ぬるき[きびしくない。扱いが寛大である。きっぱりせずまだるっこい。]人あり。足はやき人あり。おそき人あり。其外気だてかたぎ[気質-(「形木(かたぎ)」から転じて)①物事のやり方。慣習。ならわし。②顔やからだの様子。また、性質や気だて。③(「形気」「容気」「形儀」とも書く)身分・職業・年齢などに相応した特有の類型的な気風。]一様ならず。大将一人一人を直にひきまはさば、大将の心の如くになるべけれども、是又ならぬことなり。士大将の心々、又各別なれば、たとへば連碁[数人の者が二組に分かれ、一局の碁を何手かずつ代わる代わる打つこと。また、その碁。]を打が如し。一人よき手をすれば、次の人あしき手をうちて、前うちたる石は無になるは、心の一致せざる故なり。心一致すれば、千萬人の力ひとつに合て、一人の力となるゆへ、千萬人がけの力なり。心一致せざれば、千萬人われわれになりて、一人づつの力なり。故に軍には法度掟を定めて、千萬人の力を一人の力となすことなり。世間にきやりと云ふことあり。木やりを云ておんどを取り、ゑい音をそろへて、是をあぐれば、十人しても擧らぬ重き物も、五人してもあがるなり。十人の力よはきに非ず。五人の力つよきに非ず。力の一致すると、一致せぬとの違ひなり。きやりと云法に非れば、多くの人の力一致せざる如く、軍にも法と云もの有て、百萬の軍兵も我身を使ふが如し。されば道、天、地、将、法の五は、何れも一つとしてかけて叶はぬことなれども、道将法の三を又肝要とするなり。士卒の思ひつかざる大将の、士卒の一致したる大将と戦て勝つと云ふこと、古今其ためしなければ、道の肝要なること勿論なれども、それは平生のことにて、軍に臨んでは、将法の二にきはまる。将に五徳備るれば、天の時、地の利をあやまつことは、決してなきことなり。又法も、五徳備りたる将の、法度掟のあしきことはあるましき様なれども、何ほど五徳備るとも、いまだ聖人の地に至らずんば法の微妙を盡すことあたふまじ。よく名将の法を傳受して、つねづねも心をつけて吟味して、士卒につねづね是をならはしめ、よく練熟せざれば、たとひ五徳備る将とても、士卒吾が手足を使ふ如にならぬゆへ、法と云ものにてはなきなり。されば五事の内にても、尤法を肝要の至極とやすべき。古より名将のよく法を立置たる跡は、二代目の大将つぎにても、兵威先代にをとらぬことなりとぞ。扨この曲制、官道、主用と云に、古来様々の説あり。梅堯臣[北宋の詩人。字は聖兪。宣州宛陵(安徽宣城)の人。官は尚書都官員外郎。詩は深遠古淡。著「宛陵先生集」。(1002~1060)]茅元儀が説は、曲制と、官道と、主用と、三にわけて説けり。まづ曲制とは、備分陣取の法制なり。備立の根本は、人の家に東西南北の四の隣ありて、合て五を五人組と定むるより、五人を一伍と云、是備の元なり。十伍を一隊と云、五十人なり。二隊を一曲と云、百人なり。何萬人なりとも、是より段々に組立るゆへ、曲と云時は、備のことは皆こもるなり。備分の法制とは、如何様なることぞと云に、旗馬印[【旗標・旗印】戦場で、目じるしとして旗につける紋所・文字または種々のかたち。 【馬印・馬標・馬験】戦陣で、大将の馬側に立ててその所在を示す目標としたもの。天正(1573~1592)の頃はじまる。秀吉の千生瓢箪(せんなりびょうたん)、家康の開き扇の類。]、笠印[【笠標・笠符】戦陣で味方の目じるしに兜などにつけた標識。多くは小旗を用いた。]、袖印[【袖標・袖印】合印(あいじるし)の一種。戦陣などで敵・味方を見分けるため、鎧の左右の袖につけた小旗・布片の類。]、金太鼓、坐作進退の合圖なり。是にて何萬の人數にても、分合自在の變を、一人を使ふ如くならしむ。官道とは官の道なり。官と云は、軍中には、組頭、小組頭、旗奉行、鐵砲大将、弓大将、長柄頭[槍頭]、目付、使番[①安土桃山時代、戦時に伝令使となり、また、軍中に巡察した者。②江戸幕府の職名。若年寄に属し、戦陣では主命を伝え、平時には遠国役人の監察使・国目付・巡見使などを勤める。③江戸時代、将軍家の大奥の女中の職名。④走り使いをする者。]などとて、それぞれの役儀あり。是官なり。官の道と云は、各其役儀役儀にて、士卒をすべくくりて、それぞれのすぢ道あり。是は士大将のいろふこと、物頭のいろふこと、目付のいろふこと、いろはぬことと云筋みちあるなり。それゆへ曲制にて分ちて、官道にてつらぬくなり。主用と云は、用度をば主る人ありと云意なり。用度とは、兵粮、小荷駄、金銀米穀等、陣取の具、城攻の具、或は賓客のもてなし、褒美に與ふる物などなり。是皆主る役人別に有て、合戦を司る人はかまはぬことなるゆへ、官道の外に、又主用と云なり。軍中の法度掟は、右の三の上に立つことなるゆへ、法者曲制、官道、主用也と云なり。劉寅が説には、曲制官道を皆備分のことなりと云へり。其時は十伍を隊とし、二隊を曲とす。前に見へたり、二曲を官と云二百人なり。然れば曲も官も皆備組のことにて、曲制は備の法制なり。前の説と同じ。官道は備立陣取には往来の道を明け、又は備押の次第、兵粮の運送など皆道なり。扨主用と云は、主とし用ると云ことなり。曲制官道の仕形[仕方]、いかやうの陣法を主とし用ると云こと有て、是にて軍の勝負分るるゆへ、敵は何を主とし用る、味方は何を主とし用ると云ことを、たくらべはかりて、勝負を察すると云ことなりと云へり。此説も文勢の上にて云へば、宜しく聞ゆるなり。前の説と合せ見れば、事たらぬ様なれども、役分も用度も、備に付たるものなれば、右の二の説をよきとやすべき、又杜牧張預が説も、大抵右の二説の意に出ず。
○孫子評註:「法とは曲制(軍隊の部隊の編制。)・官道(各種の役職によって士卒を統御する組織。)・主用(経理・兵器・食料等の用度に関すること。)なり。」-張賁(唐代の学者。)云はく、「部曲(部隊。)、制あり、分官(役職の組織。)、道あり、各々其の用を主とせしむ」と。按ずるに、主用とは實用を主とするなり。曲制や官道や、何れの國かあることなからん。特(た)だ其の空文たるを患(うれ)ふるのみ。 ○地の字は、明かに地形・九地の二篇に於て詳かに之れを説き、法は則ち軍形・兵勢に具し、道と将と其の中に在り。
○曹公:曲制とは部曲旛[はた]幟金鼓の制なり。官とは百官の分なり。道とは糧路なり。主用とは主な軍費用なり。
○李筌:曲は部曲なり。制は節度なり。官は爵賞なり。道は路なり。主は掌なり。用とは軍費用なり。皆師の常法にして、将の治る所なり。
○杜牧:曲とは部曲・隊伍に分畫有るなり。制とは金鼓・旌旗に節制有るなり。官とは偏裨校列に、各官司有るなり。道とは營陳開闔[闔-とじる。]に、各道徑有るなり。主とは管庫・廝養[たきぎ取り、馬の世話などの雑役をする者。めしつかい。こもの。]職を守り、其の事を主張することなり。用とは車馬・器械、三軍須用[なくてはならないもの。]の物なり。荀卿曰く、械[道具]を用うるに數有り。兵とは食を以て本と為す。須らく先ず糧道を計利し、然る後師を興すべし。
○梅堯臣:曲制とは部曲、隊伍・分画に必ず制有るなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道有るなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度有るなり。
○王晳:曲とは卒伍の屬、制とは其の行列進退を節制することなり。官とは羣吏偏裨なり。道とは軍行及び舍る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ。
○張預:曲とは部曲なり。制とは節制なり。官とは偏裨[将軍の官名]の任を分つを謂う。道とは糧餉[餉-(携帯用に)ほした飯。かれいい。かれい。弁当。兵糧。]の路を利するを謂う。主とは軍資を職掌するの人なり。用とは費用の物を計度するなり。六者は兵を用いるの要なり。宜しく處置は其の法に有るべし。
意訳
○浅野孫子:第五の法とは、軍隊の部署割りを定めた軍法、軍を監督する官僚の職権を定めた軍法、君主が軍を運用するため将軍と交した、指揮権に関する軍法などのことである。
○金谷孫子:[第五の]法とは、軍隊編成の法規や官職の治め方や主軍の用度[などの軍制]のことである。
○天野孫子:第五の法とは、万端遺漏のない制度と、諸官の地位・職務の規定と、それらの運営とを言う。
○フランシス・ワン孫子:軍事制度(軍事体制)によって、彼我の軍の組織・編成、管理・統率力と将校を適所へ昇進させる能力(人事)、兵站ルートの管理・運営と軍の必需品に対する国家の供給能力をしるのである。
○町田孫子:法とは、軍隊編成の法規や官職の担当分野のきまりや、主軍の用度などについての軍制のことである。
○武岡孫子:法とは軍事制度に基づく軍隊の組織、編制、管理、統率力、人事、兵站の管理・運営と兵員および軍需品に対する国家の供給力。
○著者不明孫子:法とは、部隊の建制、軍官の統率、経理の運用などのことである。
○学習研究社孫子:法とは、詳細に定められた制度と、官吏の行動規則と、財政の運用をいうのである。
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