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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2012-03-26 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『凡そ此の五者は、将は聞かざること莫きも、之れを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。』:本文注釈

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「道」で自国の民の協力度を計れば、やれることが限定されてくる。「天」で戦における自然的な要素を把握し、「地」により具体的な局地戦の場所が特定でき、「将」で優秀な人物を任務につけ、権力を集中させることで将の能力を十分発揮させ、「法」により将や兵卒を統制し、法を破るものは厳罰に処するようにすることで、軍のもっている力を最大限活用する。

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○天野孫子:「凡」は総括して言う時にその意を表わすものとして用いる語。「此五者」とは前文の五事とそれについての説明とを受ける。「将」は将軍、一国の総大将。「知」はここでは心にとどめて理解するの意。五者を知る知らないで戦いに勝つ勝たないというのは言い過ぎであろう。一説に「知」は、つかさどる、おさめるの意であると。『評註』は「知は即ち王守仁謂ふ所の知州・知県の知なり」と。この説によると、将軍は五事についての全責任者となる。五事においては、君主と将軍とはその責任を異にし、軍備の責任、従って戦争の責任は君主と将軍とにあることとなっていて、ここに矛盾が生ずる。この句は単に五事の重要性を強調するために、後から附加したものと解される。

○佐野孫子:孫子の曰う「知る」とは、単に頭で理解したと言う意味ではなく、それを自家薬篭中のものとして自由に使いこなすことの意をも含むものである。書経に曰く、「之を知ることの難きに非ず、之を行うことの難きなり」と。

○守屋孫子:この五つの基本原則は、将帥たるもの誰でも一応は心得ている。しかし、これを真に理解している者だけが勝利を収めるのだ。中途半端な理解では、勝利はおぼつかない。

○田所孫子:将莫不聞とは、将軍・大将たるものは、以上の五事をすべて承知しないものはないはずであるとの意。

○重沢孫子:以上の五者は、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。一般に、以上の五者は、将たるものが耳にしていないことはない。しかし、それだけでは不十分で、真に理解しているかどうかが勝敗の分れるところ。真によく理解していれば勝てるし、そうでなければ勝てないことを、孫子は鋭く指摘します。

○著者不明孫子:【将莫不聞】この「将」は大将の意にとるのが普通の解釈であるが、「まさに…す」という助字(聞かないものはないだろうの意)と解した。杜牧の注に「将欲聞知」とあるのも、そのように解したものと思われる。

○諺義:凡そと云ふ者は、大概と云ふに同じ。莫しの字、下知之言也。此の五つの者は主将聞かずして叶はざる事也。このゆゑに聞かざるといふこと莫しと、主将をいましめたる也。此の五事をしるものは勝つ、知らざるものは勝たず、されば之れを聞かざるといふこと莫しといましむる也。知の字尤も心あり、察の字と相通じて見る可し。講義・直解・開宗の舊説皆(莫字を)なしと云ふ心に用ひて、人々同聞と注するはあやまりなり。案ずるに、之れを知る者は勝つ、知らざるものは勝たずの一句は、下七計を云ふべきための言也。下の句と引合はせてよむべき也。李卓吾云はく、凡そ将為る者は孰れか之れを熟聞せざらんや。荀子或は之れを語るに此の五事を以てせば、又孰れか以て皆老将の常談[つねの話。普通の話。]する所と為さざらんや。然れども其の実は知れざるなり。其の実知らざれば則日に五事を聞くと雖も何の益あらんや。故に曰はく、此の五つの者は将聞かざるということ莫し。之れを知る者は勝つ、知らざる者は勝たずと。之れを聞きて知らず。此れ将の難き所以なり。大全に云はく、聞かざるということ莫れとは言ふこころは五事皆聞くなり。聞の字知の字に較ぶれば略ぼ分別有り。聞は耳に聞き、知は心に知る。文を作るには吞吐[呑むことと吐くこと。呑んだり吐いたりすること。]を要し、下知の字を虚含す。知の字は大に議論を発するを要す。勝は乃ち是れ知の效験[(古くコウゲンとも)はたらきかけた結果のしるし。ききめ。祈祷や治療のしるし。]の處、惟だ其れ知の實落功夫有り。所以に往くとして勝たざる無し。

○孫子国字解:此段は、右の五事の變極の理に通達すべきことを云へり。凡とは、總じてと云ことなり。此五者とは、右の五事を云。将は主将なり。聞と云も知ることなり。知れども變極の理に通達せぬを、孫子は聞と云、變極の理に通達するを知と云なり。變極の理に通達すとは、右の五事の上に於て、千變萬化する所を、一々に其至極にぬけとをりて、我物とすることなり。總じて右の五事をば、主将たる程の人は、誰も皆知たることにて、珍らしきことには非ず。されども人々われも知たるとは思へども、其變極の理に通達する人はまれなり。通達する人は軍に勝ち、通達せぬ人は負く。通達せずして叶はぬことなりとぞ。

○孫子評註:莫(原文「将莫不聞」の莫の字に注したもの。)とは者なきなり。知とは即ち王守仁(王陽明のこと。陽明は知行を論じ、知とは知州知県の知であると言った。伝習録の「人の学を論ずるに答ふる書」参照。また第九巻『西遊日記』参照。)の所謂、知州知縣の知なり。

○曹公:同じく五者を聞く。将其の變極を知れば即ち勝つなり。

○張預:以上の五事は人々同聞す。但し深く變極の理を曉れば則勝つ。然ざれば則敗る。


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○金谷孫子:およそこれら五つの事は、将軍たる者はだれでも知っているが、それを深く理解している者は勝ち、深く理解していない者は勝てない。

○浅野孫子:およそこれら五つの基本事項は、いやしくも将軍である以上、誰でも聞き知ってはいるが、これらの重要性を骨の髄まで思い知っている者は勝ち、単に観念的知識としてしか知らない者は勝てない。

○町田孫子:およそこの五つの事項については、将軍たる者だれでも一応は心得ているが、真に理解している者は勝ち、真に理解していない者は勝てない。

○フランシス・ワン孫子:此の五点を耳にしたことのない将軍はいない。これを体得した者は勝利し、体得しない者は敗北する。

○天野孫子:およそ将軍はこの五つの事を聞かないものはない。そしてこれをよく知っている者が戦争に勝ち、よく知らない者は戦争に敗れるのである。

○武岡孫子:この五項目で敵味方を比べ、どちらが整備できているかが、いざ戦争となるとものをいう。このことは将軍たるものは誰でも知っているが、本当に深く理解しているものは少ない。したがってよく認識して施策に反映させるものは勝てるが、そうでないものは敗れる。

○著者不明孫子:以上の五者は、だれも聞かない者はいないはずであるが、それをよく知っているほうは勝ち、よく知らないほうは勝てない。

○学習研究社孫子:通常、この五つの観点から軍事力を判断するということは、指揮官ならば知らない者はいないが、しかし、実際に調査している者は勝ち、調査しない者は勝てない。

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2012/03/28(Wed) 20:56 |   |  #[ 編集]
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