2012-04-01 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『曰く、主孰れか道なる、』:本文注釈
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現行孫子はいずれも「曰く、主孰れか有道なる、」につくる。竹簡孫子のこの部分の場所の竹簡が欠損しているため、原文を推定してみると、竹簡孫子の七計の説明の箇所において、「孰れか」の後が必ず漢字一文字で来ているため、「有道」ではなく「道」となっていたと思われる。なお、浅野孫子のみ「主は孰れか賢なる、」につくる。
主-①中心である。おも(な)。②つかさどる(人)。③中心となって管理する。④一家・一国・一団などの長。あるじ。ぬし。⑤宇宙の支配者。神。⑥それを中心とする。⑦他にはたらきかける側。他人を迎えて接待する側の人。客。⑧そこにとどまっているもの。みたましろ。【解字】燭台(しょくだい)の上で静止して燃えたつ炎をかたどった象形文字。一か所にじっと留まる意から、あるじの意となる。「住」「注」「駐」などはこれから派生。
註
○天野孫子:「主」は一国の君主。一説に『国字解』は「主は主将なり」と。「孰」はここでは彼我両国のいずれかの意で、その優劣を問う。「有道」は有徳と同じ。君の有徳。『約説』[何言の「孫子約説」]は「両国の主孰れか道徳ありと為す」と。この句は彼我両国の君主のいずれが有徳の政治を行なっているかの意。従って前段の文における道の定義とは異なった意味を持つ。前段の文の説明には、君の有徳の政治に触れることなく、政治の効果すなわち人心収攬のみを説いている。そこで『外伝』も言うように、それは聖人の道ではないと言われる。一説に梅堯臣は「誰か能く人心を得たる」と。また一説に「道」は民の道であるとして『新釈』は「五事中の『道』の定義を見ると『令民与上同意』であるから、寧ろ『民の道』である。故に主孰れか道あるといふのは『敵か味方か孰れの君主が、より強く民の道の中心となつてゐるか』といふ意である」と。
○重沢孫子:第一は主と道。彼我両国の君主について、そのどちらが前記の”道”の要素をより多く身につけているかを比較する。
○守屋孫子:一、君主は、どちらが立派な政治を行なっているか。
○田所孫子:主孰有道とは、敵と味方の君主のいずれが道に合っているかとの意。孰は敵と味方のどちらかとの意で、以下すべて同様。
○著者不明孫子:【主孰有道】「有道」は「戦うについての正しい道理が有る」との意であるが、この「道」は上の「五事」の第一項に挙げられた「道」であるから、直接には「人の和を得る、民心を得る」ことを意味する。「孰」は「どちらが」の意。
○諺義:『主孰れか道有る、将孰れか能有る、』 主は主人也。主は道を以て本とす。道を心得ざる主人は、たとひ才知かしこくとも人物の大義にくらし。このゆゑに、たとひ軍は當坐のかち(勝)ありともまことの勝をしる事之れ有る可からざる也。道は五事に注せる所の道、人民皆上にしたしみおもひ付きて危きを畏れざる也。孰とは彼我との二つを合せての言也。二國人心の向背いづれか人の心を得て道あるぞと校計してしる也。能と云ふは、材能也。材能と云ふときは、専ら智にかかれり。大将は智を以て第一とす。このゆゑに能と云へり。しかれどもすべて云ふときは智信仁勇厳をさす。此の五つ相備はるを能将と云ふ、乃ち良将の義也。彼の将と我が将といづれが此の五つのものをよくするぞと校計する也。主には道と云ひ、将には能と云ふ、尤も其の心得あること也。主は大要をつくすにあり、将は其のことわざを能く心得て、それそれのわざをつくすべき也。漢祖の将に将たるは道也、韓信の多々益々辨ずるは能也。項羽の嗚呼叱咤して(而)千人廢するは能也。漢祖の寛仁大度[寛大でなさけ深く、度量の大きいこと。]は道也。
○孫子国字解:この曰と云より下は、上文に校之以計と云へる、其たくらべ様を説けり。此品七つあるゆへ、曹操王晳が注より、是を七計と云ひ習はせども、五事の外に、別に、七計なしと知べし。主は主将なり。孰有道とは、敵の主将が道あるか、味方の主将が道あるかと、敵味方をたくらべはかることなり。有道と云は、則前の五事の内に、道者、令民與上同意、可與之死、可與之生、而不畏危也ある處に叶ふを、道あると云なり。むかし韓信項羽を背きて、高祖に歸したりし時、項羽は諸侯の権を取て、威天下に振ひたれども、生得あらけなき大将にて、人を殺すことを好み、さし當りは禮義ありて愛敬らしけれども、人に國郡を與ふることを惜み、又人の異見を用ひぬ人なれば、智謀ある人、みな項羽に従はず、又高祖はわづかに漢中の王にして、小身なれども、器量大やうにして、民を苦しめず、細かなる法度を立ず、面にむかひて人を悪口し、又人をうやまはぬ過あれども、人に國郡を與ることを惜まず、又よく人の諌を用る人なれば、始終の勝利は、高祖の方にあらんとはかりしが、後其はかりたりし如くなりしも、此本文の意なり。
○孫子評註:「曰く、主(双方の君主のうち、前述の君民一体の道を体しているのは、どちらであるか。)孰れか道ある。将孰れか能ある。」-五事には主の字を露(あらわ)さず、ここに至つて點出し、将と對す。智信の五字を約して一の能の字と為す。将とは大将なり。他皆之れに倣(なら)へ。
○杜牧:孰れは誰かなり。言うこころは我敵人の主と誰か能く佞[口先がうまい。へつらう。おもねる]を遠ざけ賢に親しみ、人に任せ疑わざるやとなり。
○梅堯臣:誰か能く人心を得たる。
○王晳:韓信 項王匹夫の勇、婦人の仁、名は覇を為すと雖も、實は天下 心を失う、を謂い漢王武關に入りて、秋毫害する所無く秦の苛法を除けば、秦民 大王の秦の王を欲さざる者は亡ぶを言うが若きは是なり。
○何氏:書に曰く、我撫せば則后にし、我虐げれば則讎す。撫虐の政、孰れか之れ有る。
○張預:先ず二國の主、誰か恩信の道有るを校ぶ。即ち上に所謂の民をして上と意を同じうせ令むる者の道なり。淮陰項王仁勇高祖に過ぎて有功を賞さず、婦人の仁を為して料るが若きは亦是なり。
意訳
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○浅野孫子:その内訳を述べれば、敵国と自国とで、君主はどちらが民心を掌握できる賢明を備えているか、
○金谷孫子:すなわち、君主は[敵と身方とで]いずれが人心を得ているか、
○町田孫子:すなわち、君主はどちらのほうが道を体得しているか、
○天野孫子:すなわち、彼我両国において、いずれの君主がよりよく有徳であろうか。
○フランシス・ワン孫子:為政者と国民の関係は、何れがより親密であるか(より大きな精神的影響力を持ち、民意を得ているか)。
○大橋孫子:すなわち、どちらの君主がよい政治をしているか。
○田所孫子:まず第一には、わが君主と敵の君主と、どちらが前述の道ということ、すなわち君主と兵士との間に意思の共通点がどれだけあるかということ、
○著者不明孫子:それは-君主はどちらが民衆の心をとらえているか、
○学習研究社孫子:そこで言う。「第一に、どちらの君主が、より多く道を体得しているか。
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現行孫子はいずれも「曰く、主孰れか有道なる、」につくる。竹簡孫子のこの部分の場所の竹簡が欠損しているため、原文を推定してみると、竹簡孫子の七計の説明の箇所において、「孰れか」の後が必ず漢字一文字で来ているため、「有道」ではなく「道」となっていたと思われる。なお、浅野孫子のみ「主は孰れか賢なる、」につくる。
主-①中心である。おも(な)。②つかさどる(人)。③中心となって管理する。④一家・一国・一団などの長。あるじ。ぬし。⑤宇宙の支配者。神。⑥それを中心とする。⑦他にはたらきかける側。他人を迎えて接待する側の人。客。⑧そこにとどまっているもの。みたましろ。【解字】燭台(しょくだい)の上で静止して燃えたつ炎をかたどった象形文字。一か所にじっと留まる意から、あるじの意となる。「住」「注」「駐」などはこれから派生。
註
○天野孫子:「主」は一国の君主。一説に『国字解』は「主は主将なり」と。「孰」はここでは彼我両国のいずれかの意で、その優劣を問う。「有道」は有徳と同じ。君の有徳。『約説』[何言の「孫子約説」]は「両国の主孰れか道徳ありと為す」と。この句は彼我両国の君主のいずれが有徳の政治を行なっているかの意。従って前段の文における道の定義とは異なった意味を持つ。前段の文の説明には、君の有徳の政治に触れることなく、政治の効果すなわち人心収攬のみを説いている。そこで『外伝』も言うように、それは聖人の道ではないと言われる。一説に梅堯臣は「誰か能く人心を得たる」と。また一説に「道」は民の道であるとして『新釈』は「五事中の『道』の定義を見ると『令民与上同意』であるから、寧ろ『民の道』である。故に主孰れか道あるといふのは『敵か味方か孰れの君主が、より強く民の道の中心となつてゐるか』といふ意である」と。
○重沢孫子:第一は主と道。彼我両国の君主について、そのどちらが前記の”道”の要素をより多く身につけているかを比較する。
○守屋孫子:一、君主は、どちらが立派な政治を行なっているか。
○田所孫子:主孰有道とは、敵と味方の君主のいずれが道に合っているかとの意。孰は敵と味方のどちらかとの意で、以下すべて同様。
○著者不明孫子:【主孰有道】「有道」は「戦うについての正しい道理が有る」との意であるが、この「道」は上の「五事」の第一項に挙げられた「道」であるから、直接には「人の和を得る、民心を得る」ことを意味する。「孰」は「どちらが」の意。
○諺義:『主孰れか道有る、将孰れか能有る、』 主は主人也。主は道を以て本とす。道を心得ざる主人は、たとひ才知かしこくとも人物の大義にくらし。このゆゑに、たとひ軍は當坐のかち(勝)ありともまことの勝をしる事之れ有る可からざる也。道は五事に注せる所の道、人民皆上にしたしみおもひ付きて危きを畏れざる也。孰とは彼我との二つを合せての言也。二國人心の向背いづれか人の心を得て道あるぞと校計してしる也。能と云ふは、材能也。材能と云ふときは、専ら智にかかれり。大将は智を以て第一とす。このゆゑに能と云へり。しかれどもすべて云ふときは智信仁勇厳をさす。此の五つ相備はるを能将と云ふ、乃ち良将の義也。彼の将と我が将といづれが此の五つのものをよくするぞと校計する也。主には道と云ひ、将には能と云ふ、尤も其の心得あること也。主は大要をつくすにあり、将は其のことわざを能く心得て、それそれのわざをつくすべき也。漢祖の将に将たるは道也、韓信の多々益々辨ずるは能也。項羽の嗚呼叱咤して(而)千人廢するは能也。漢祖の寛仁大度[寛大でなさけ深く、度量の大きいこと。]は道也。
○孫子国字解:この曰と云より下は、上文に校之以計と云へる、其たくらべ様を説けり。此品七つあるゆへ、曹操王晳が注より、是を七計と云ひ習はせども、五事の外に、別に、七計なしと知べし。主は主将なり。孰有道とは、敵の主将が道あるか、味方の主将が道あるかと、敵味方をたくらべはかることなり。有道と云は、則前の五事の内に、道者、令民與上同意、可與之死、可與之生、而不畏危也ある處に叶ふを、道あると云なり。むかし韓信項羽を背きて、高祖に歸したりし時、項羽は諸侯の権を取て、威天下に振ひたれども、生得あらけなき大将にて、人を殺すことを好み、さし當りは禮義ありて愛敬らしけれども、人に國郡を與ふることを惜み、又人の異見を用ひぬ人なれば、智謀ある人、みな項羽に従はず、又高祖はわづかに漢中の王にして、小身なれども、器量大やうにして、民を苦しめず、細かなる法度を立ず、面にむかひて人を悪口し、又人をうやまはぬ過あれども、人に國郡を與ることを惜まず、又よく人の諌を用る人なれば、始終の勝利は、高祖の方にあらんとはかりしが、後其はかりたりし如くなりしも、此本文の意なり。
○孫子評註:「曰く、主(双方の君主のうち、前述の君民一体の道を体しているのは、どちらであるか。)孰れか道ある。将孰れか能ある。」-五事には主の字を露(あらわ)さず、ここに至つて點出し、将と對す。智信の五字を約して一の能の字と為す。将とは大将なり。他皆之れに倣(なら)へ。
○杜牧:孰れは誰かなり。言うこころは我敵人の主と誰か能く佞[口先がうまい。へつらう。おもねる]を遠ざけ賢に親しみ、人に任せ疑わざるやとなり。
○梅堯臣:誰か能く人心を得たる。
○王晳:韓信 項王匹夫の勇、婦人の仁、名は覇を為すと雖も、實は天下 心を失う、を謂い漢王武關に入りて、秋毫害する所無く秦の苛法を除けば、秦民 大王の秦の王を欲さざる者は亡ぶを言うが若きは是なり。
○何氏:書に曰く、我撫せば則后にし、我虐げれば則讎す。撫虐の政、孰れか之れ有る。
○張預:先ず二國の主、誰か恩信の道有るを校ぶ。即ち上に所謂の民をして上と意を同じうせ令むる者の道なり。淮陰項王仁勇高祖に過ぎて有功を賞さず、婦人の仁を為して料るが若きは亦是なり。
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○浅野孫子:その内訳を述べれば、敵国と自国とで、君主はどちらが民心を掌握できる賢明を備えているか、
○金谷孫子:すなわち、君主は[敵と身方とで]いずれが人心を得ているか、
○町田孫子:すなわち、君主はどちらのほうが道を体得しているか、
○天野孫子:すなわち、彼我両国において、いずれの君主がよりよく有徳であろうか。
○フランシス・ワン孫子:為政者と国民の関係は、何れがより親密であるか(より大きな精神的影響力を持ち、民意を得ているか)。
○大橋孫子:すなわち、どちらの君主がよい政治をしているか。
○田所孫子:まず第一には、わが君主と敵の君主と、どちらが前述の道ということ、すなわち君主と兵士との間に意思の共通点がどれだけあるかということ、
○著者不明孫子:それは-君主はどちらが民衆の心をとらえているか、
○学習研究社孫子:そこで言う。「第一に、どちらの君主が、より多く道を体得しているか。
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