2012-01-25 (水) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
篇名『計』:本文注釈
「武経七書」・「平津館本『魏武注孫子』」では「始計第一」とある。「宋本十一家註孫子」では「計」とある。「古文孫子」では「計篇第一」とある。「竹簡孫子」は篇名が欠けているため不明であるが、「宋本十一家註孫子」とほかの篇名がほぼ一致することから「計」であると考えられる。
○浅野裕一「孫子」:開戦前に自国と敵国の状況を比較し、いずれに勝算があるかを計謀すべきことの重要性を説く。
○佐藤堅司「孫子の思想史的研究」:祖廟の前で五事・七計・詭道を計量し、勝敗の数を算定すること。
○天野鎮雄「孫子」:本篇は、この彼我両国の軍備の優劣の数を計算するというその計算から、計篇の篇名が生じたものである。始はいまだ戦わざる前という意味である。 「孫子・呉子」:開戦の前に自国と敵国の状況を、冷静的確に比較判断し、どちらに勝算があるかを検討すべきことを述べる
○学習研究社「孫子」:戦争を計算的なものとし、状況の優劣を冷静に計算すること。
○フランシス・ワン仏訳「孫子」:戦争に於ける諸要素を事前に算定・評価し、未だ戦わざるにまず勝つ道を求めること。
○大橋武夫「兵法孫子」:始めに考えを練ること。状況判断。
○田所義行「孫子」:始計とは、計画をはじめること。ここでは戦争するについて、あらゆる計画を始めるとの意。
○金谷治「孫子」:「計」とは、はかり考える意味。開戦の前によく熟慮すべきことを述べる。
○武岡淳彦「新釈孫子」:計とは、はかり考えることである。何を計り考えるのか。それはこの戦争を行った場合、勝つか負けるかの予想である。
○重沢俊郎「孫子の兵法」:彼我の総合的戦力をあらゆる角度から徹底かつ精密に分析・計量した上で、勝敗についての責任ある見通しを立て、同時に作戦計画上の重要事項を決定すること。
○守屋洋「孫子の兵法」:事前に的確な見通しをたてて取り掛かること。
○「孫子」著者不明:はかる。計謀・計算両様の意味を含む。戦争の開始に先立って、比べ、数え、考え、調べる。
○吉田松陰「孫子評註」:始計は未だ戦わずして廟算(朝廷で作戦計画をたてる。)するなり。「之れ(戦争を諸要件(後出の主・将・天地・法令・兵衆・士卒・賞罰など七つのこと)の計算によって検討する。)を校するに計を以てす」とは即ち其の事なり。前人多く謂ふ、「古書の篇目は率(おおむ)ね後人の定むる所に係る」と。今其の信(まこと)に然るを覺ゆ。而して其の名づくる所以は、或は徒だ篇首の數字を摘み、或は明かに篇中の要言を取り、或は暗に篇中の意を含む。此の篇(『古文孫子』では篇名が単に「計」となっている。)本(も)と唯だ計篇にして、是れ明かに取れるものなり。又始の字を加へたるは、是暗に未だ戦はざるの意を含む、語孟(『論語』『孟子』の篇名は、学而篇あるいは梁恵王篇のように、篇首の字の二、三を取り出してつけたものである。)の篇目と異なり。
○荻生徂徠「孫子国字解」:始ははじめなり。計ははかりごとなり。はかりごとを始めとすと讀むなり。文字の意を知らぬものは、はかりごとと云へば、はや人をたばかりいつはることと心得るは僻事なり。兵は詭道なれば、人をたばかるも計の内の一つなるべけれども、計の字の意は、ものをつもりはかり目算をすることなり。此始計の篇は、總じて軍をせんと思はば、まづ敵と味方をはかりくらべて、軍に勝べきか勝ましきかと云ことを、とくと目算して見て、果して勝べき圖をきはめて軍をすべきことを云へり。孫子一部は専ら合戰の道をば説かず。かやうに前方に目算をせず了簡を究めずして合戰に勝つと云ことはなきわけなるゆへ、此篇を孫子の開巻第一義とするなり。第一とは次第の一と云ふ意にて、孫子十三篇の最初なればかく云へり。…。
○山鹿素行「孫子諺義」:此の篇を始計と云ふことは、発端にしるす處のごとく、軍旅の事は死生存亡のかかる大事なるがゆゑに、起こさざるの以前に詳にはかり考へよと云へる義を以て、始にはかると云ふ篇を、十三篇の巻頭にしるせる也。始は、はじめとよめり。始と云ふ時は終る心をふくむ。始において終を考ふる心あり。計は謀と云ふ字と同意也。しかれども計會計算の字義ありて、彼此をよく考へはかるの心あり。しかれば此の計の字は、唯だはかりごととばかり見る可からず、敵味方の様を詳に合せかんがふるの心なり。此の篇にも之れを校ふるに計を以てすと出でたり。校も計も彼我をあはせて、その有餘不足をかんがへ、足らざる所をあらため調ふるの心なり。故に計は謀の字義とは少し心得かはるといへる也。此の篇の始謀と言わずして始計と云ふこと、尤も孫子が兵法の心得也。古来兵を用ふるものは、敎閲治兵と號して四時の獵漁に必ず兵をならはすことあり、武を講ずと云ふ是れ也。始計と云ふとは、其の心かはれり。敎閲はかねて兵法をならはし置くのこと也。此の篇は兵を用ふるの大概大要をつづめて此の篇とす。このゆゑに始計は兵法の再閲重習など云ふ心に相かなへり。
○伊藤鳳山「孫子詳解」:始計第一 始計は篇の名なり。作戦謀攻の類皆同じ。始とは先なり。國語の晋語一に曰く、安に始めて而して可なると。韋注に曰く、計は算なり、と是なり。始計とは、師を興し衆を動かすの初め、先ず七計を用い、而して五事得失の多寡を算し、我を審にし彼を知り以て豫め勝負の實を決するを謂うなり。管子の參患篇に曰く、計必ず先ず定まって而して後、兵 境を出ず。計未だ定まらずして、而して兵 境を出ずるときは則ち戦いの自ら敗れ、攻の自ら毀る者なり、と。孫子の此の篇蓋し此の意に本づく。覇兵の法は管仲を最大と為す。故に孫子の兵法多く、管子に依る学者宜しく參攷(参考)すべし。第とは順序を紀するの目。一とは數を擧ぐるの首なり。
○恩田仰岳「孫子纂注」:計は算なり。出師の初、先づ彼我の優劣を計算し、必勝を料りて而る後に動く。
○曹公(曹操):計とは、将を選び、敵を量り、地を度り、卒を料り、遠近険易を廟堂に於いて計るなり。
○杜牧:計は算なり。曰く、算は何れの事か計る。曰く、下の五事は所謂、道・天・地・将・法なり。廟堂の上に於いて、先ず彼我の五事を以て算し、優劣を計り、然る後に勝負定む。勝負既に定むれば、然る後に師を興し、衆を動かす。兵を用いるの道は、此の五事より先は莫し。故に著し篇首と為すのみ。
○王皙:計とは、主将・天地・法令・兵衆・士卒・賞罰を計ることを謂うなり。
○張預:管子曰く、計とは先ず内に於いて定め、而る後に兵を境に出す。故に兵を用いるの道は計を以て首と為すなり。或ひと曰く、兵は敵に臨みて宜しきを制するを貴ぶ。曹公、廟堂に於いて計るを謂うのは何ぞや。曰く、将の賢愚、敵の強弱、地の遠近、兵の衆寡なり。安くんぞ先ず及びて之を計らざるを得んや。両軍相臨み、變に動き相應ずれば、則、将の裁く所在り。以て隃度る可きに非ずなり。
○李筌:計とは、兵の上なり。太乙・遁甲とは、先ず計り、神を以て徳を宮に加え、以て主客を成敗し斷ず。故に孫子、兵を論じ亦計を以て篇首と為す。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!
篇名『計』:本文注釈
「武経七書」・「平津館本『魏武注孫子』」では「始計第一」とある。「宋本十一家註孫子」では「計」とある。「古文孫子」では「計篇第一」とある。「竹簡孫子」は篇名が欠けているため不明であるが、「宋本十一家註孫子」とほかの篇名がほぼ一致することから「計」であると考えられる。
○浅野裕一「孫子」:開戦前に自国と敵国の状況を比較し、いずれに勝算があるかを計謀すべきことの重要性を説く。
○佐藤堅司「孫子の思想史的研究」:祖廟の前で五事・七計・詭道を計量し、勝敗の数を算定すること。
○天野鎮雄「孫子」:本篇は、この彼我両国の軍備の優劣の数を計算するというその計算から、計篇の篇名が生じたものである。始はいまだ戦わざる前という意味である。 「孫子・呉子」:開戦の前に自国と敵国の状況を、冷静的確に比較判断し、どちらに勝算があるかを検討すべきことを述べる
○学習研究社「孫子」:戦争を計算的なものとし、状況の優劣を冷静に計算すること。
○フランシス・ワン仏訳「孫子」:戦争に於ける諸要素を事前に算定・評価し、未だ戦わざるにまず勝つ道を求めること。
○大橋武夫「兵法孫子」:始めに考えを練ること。状況判断。
○田所義行「孫子」:始計とは、計画をはじめること。ここでは戦争するについて、あらゆる計画を始めるとの意。
○金谷治「孫子」:「計」とは、はかり考える意味。開戦の前によく熟慮すべきことを述べる。
○武岡淳彦「新釈孫子」:計とは、はかり考えることである。何を計り考えるのか。それはこの戦争を行った場合、勝つか負けるかの予想である。
○重沢俊郎「孫子の兵法」:彼我の総合的戦力をあらゆる角度から徹底かつ精密に分析・計量した上で、勝敗についての責任ある見通しを立て、同時に作戦計画上の重要事項を決定すること。
○守屋洋「孫子の兵法」:事前に的確な見通しをたてて取り掛かること。
○「孫子」著者不明:はかる。計謀・計算両様の意味を含む。戦争の開始に先立って、比べ、数え、考え、調べる。
○吉田松陰「孫子評註」:始計は未だ戦わずして廟算(朝廷で作戦計画をたてる。)するなり。「之れ(戦争を諸要件(後出の主・将・天地・法令・兵衆・士卒・賞罰など七つのこと)の計算によって検討する。)を校するに計を以てす」とは即ち其の事なり。前人多く謂ふ、「古書の篇目は率(おおむ)ね後人の定むる所に係る」と。今其の信(まこと)に然るを覺ゆ。而して其の名づくる所以は、或は徒だ篇首の數字を摘み、或は明かに篇中の要言を取り、或は暗に篇中の意を含む。此の篇(『古文孫子』では篇名が単に「計」となっている。)本(も)と唯だ計篇にして、是れ明かに取れるものなり。又始の字を加へたるは、是暗に未だ戦はざるの意を含む、語孟(『論語』『孟子』の篇名は、学而篇あるいは梁恵王篇のように、篇首の字の二、三を取り出してつけたものである。)の篇目と異なり。
○荻生徂徠「孫子国字解」:始ははじめなり。計ははかりごとなり。はかりごとを始めとすと讀むなり。文字の意を知らぬものは、はかりごとと云へば、はや人をたばかりいつはることと心得るは僻事なり。兵は詭道なれば、人をたばかるも計の内の一つなるべけれども、計の字の意は、ものをつもりはかり目算をすることなり。此始計の篇は、總じて軍をせんと思はば、まづ敵と味方をはかりくらべて、軍に勝べきか勝ましきかと云ことを、とくと目算して見て、果して勝べき圖をきはめて軍をすべきことを云へり。孫子一部は専ら合戰の道をば説かず。かやうに前方に目算をせず了簡を究めずして合戰に勝つと云ことはなきわけなるゆへ、此篇を孫子の開巻第一義とするなり。第一とは次第の一と云ふ意にて、孫子十三篇の最初なればかく云へり。…。
○山鹿素行「孫子諺義」:此の篇を始計と云ふことは、発端にしるす處のごとく、軍旅の事は死生存亡のかかる大事なるがゆゑに、起こさざるの以前に詳にはかり考へよと云へる義を以て、始にはかると云ふ篇を、十三篇の巻頭にしるせる也。始は、はじめとよめり。始と云ふ時は終る心をふくむ。始において終を考ふる心あり。計は謀と云ふ字と同意也。しかれども計會計算の字義ありて、彼此をよく考へはかるの心あり。しかれば此の計の字は、唯だはかりごととばかり見る可からず、敵味方の様を詳に合せかんがふるの心なり。此の篇にも之れを校ふるに計を以てすと出でたり。校も計も彼我をあはせて、その有餘不足をかんがへ、足らざる所をあらため調ふるの心なり。故に計は謀の字義とは少し心得かはるといへる也。此の篇の始謀と言わずして始計と云ふこと、尤も孫子が兵法の心得也。古来兵を用ふるものは、敎閲治兵と號して四時の獵漁に必ず兵をならはすことあり、武を講ずと云ふ是れ也。始計と云ふとは、其の心かはれり。敎閲はかねて兵法をならはし置くのこと也。此の篇は兵を用ふるの大概大要をつづめて此の篇とす。このゆゑに始計は兵法の再閲重習など云ふ心に相かなへり。
○伊藤鳳山「孫子詳解」:始計第一 始計は篇の名なり。作戦謀攻の類皆同じ。始とは先なり。國語の晋語一に曰く、安に始めて而して可なると。韋注に曰く、計は算なり、と是なり。始計とは、師を興し衆を動かすの初め、先ず七計を用い、而して五事得失の多寡を算し、我を審にし彼を知り以て豫め勝負の實を決するを謂うなり。管子の參患篇に曰く、計必ず先ず定まって而して後、兵 境を出ず。計未だ定まらずして、而して兵 境を出ずるときは則ち戦いの自ら敗れ、攻の自ら毀る者なり、と。孫子の此の篇蓋し此の意に本づく。覇兵の法は管仲を最大と為す。故に孫子の兵法多く、管子に依る学者宜しく參攷(参考)すべし。第とは順序を紀するの目。一とは數を擧ぐるの首なり。
○恩田仰岳「孫子纂注」:計は算なり。出師の初、先づ彼我の優劣を計算し、必勝を料りて而る後に動く。
○曹公(曹操):計とは、将を選び、敵を量り、地を度り、卒を料り、遠近険易を廟堂に於いて計るなり。
○杜牧:計は算なり。曰く、算は何れの事か計る。曰く、下の五事は所謂、道・天・地・将・法なり。廟堂の上に於いて、先ず彼我の五事を以て算し、優劣を計り、然る後に勝負定む。勝負既に定むれば、然る後に師を興し、衆を動かす。兵を用いるの道は、此の五事より先は莫し。故に著し篇首と為すのみ。
○王皙:計とは、主将・天地・法令・兵衆・士卒・賞罰を計ることを謂うなり。
○張預:管子曰く、計とは先ず内に於いて定め、而る後に兵を境に出す。故に兵を用いるの道は計を以て首と為すなり。或ひと曰く、兵は敵に臨みて宜しきを制するを貴ぶ。曹公、廟堂に於いて計るを謂うのは何ぞや。曰く、将の賢愚、敵の強弱、地の遠近、兵の衆寡なり。安くんぞ先ず及びて之を計らざるを得んや。両軍相臨み、變に動き相應ずれば、則、将の裁く所在り。以て隃度る可きに非ずなり。
○李筌:計とは、兵の上なり。太乙・遁甲とは、先ず計り、神を以て徳を宮に加え、以て主客を成敗し斷ず。故に孫子、兵を論じ亦計を以て篇首と為す。
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