2012-01-25 (水) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『孫子曰く、兵は国の大事なり。』:本文注釈
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冒頭の言葉というのは、どのような書物においても特に重要な意味を持つ。例えば、『論語』の冒頭の言葉の、「子曰く、学びて時に之れを習う。亦説ばしからずや…。」は「小論語」と呼ばれているそうだが、『孫子』の「兵は国の大事なり」は、それこそ「小孫子」と呼ばれるに相応しい一文であろう。この一文のなかに、孫武の戦争に対する考え方・姿勢がすべて表れている。
古来から伝統的にこの「兵は国の大事なり」と用間篇の最後の、「此れ兵の要にして三軍の恃みて動く所なり」の文とは、一気通貫した戦争に対する厳とした思想のつながりがあり、始まりと締めの言葉として相応しいものであるという高評化が与えられていたが、1972年、山東省の銀雀山漢墓において、『竹簡孫子』が見つかり、そこには火攻篇が最後の篇として記録に残っていたことから、火攻篇の最後の言葉の、「此れ国を安んじ軍を全うするの道なり」が、『孫子』の最後を括るにやはり相応しい言葉であるとの説を採る者が多くなった。ちなみに、私は最初に『孫子』を読んだ時、最終篇の用間篇の終りの「此れ兵の要にして三軍の恃みて動く所なり」まで読み終わってから、何か歯切れの悪さを感じ、名言が並ぶ『孫子』の言葉の取りを飾る言葉としては、なにかどこかに違和感を感じていた。その時ふと気にかかり火攻篇の最後の文である「此れ国を安んじ軍を全うするの道なり」を改めて読み返した時、あれ?こっちの言葉の方が孫子の最後を締めくくるにはやっぱり相応しい言葉だな、と思ったものである。だからこの『竹簡孫子』で、火攻篇が最終篇であるという記録を確認できたとき、内心鬼の首でも取ったかのように嬉しかった。やはり自分の感覚は大事にしていかなくてはならないな、と再認識もできた。よって私は、用間篇ではなく火攻篇の最後の言葉こそが、この「兵は国の大事なり」と一貫した綱領の言葉であると今でも思っている。
戦争にとってより重要なことは、火攻めよりもスパイの方であることは、疑う余地もあるまいと思う。よって古来の注釈家も用間が最終篇に相応しいとしたこともよくわかる。が、しかしおそらくはどの注釈家も感じてはいたが、火攻篇を最終篇として置くことができなかったのは、魏の武帝曹操注の『魏武帝註孫子』によるものが大きいことは間違いない。『魏武帝註孫子』は、『孫子』注において最古のものである。伝統ある『孫子』の注釈作業において、篇の位置を変更するということは常識としてやってはならないことである。又、最古の資料であり、なおかつ相当程度信用に足る人物である曹操が残した資料ということで、一級の価値があったことも、火攻篇を最後の篇とできなかった理由の一つであろう。これだけでも『竹簡孫子』の発見は、学界の常識を覆すに十分なものであった。
「兵は国の大事なり」は、軽々に戦争を起してはならないと君主を戒めた言葉であろう。当時、将は戦争を起す権限はもっていないことからも、君主を対象にした言葉であることは間違いない。戦争を軽々しく起してはならない理由は、戦争には莫大な費用や人的な労費がかかるからである。そのことは作戦篇に詳しい。巧遅よりも拙速を善しとした言葉もこの事から生まれている。又、「遠い所に輸送をしても輸送先には二十分の一しか届かず、民の貯蓄も6・7割を失うことになる」と言っている作戦篇の記述は、戦争という非常時の一大事性を物語っている。それだけ当時は戦争と言うと国家の一大事であり、故に他国がどんなに挑発してこようと、軽々と戦争は起こすべきではないとし、孫武自身も殊に肝に銘じていたことだろう。そして、歴史を振り返ってみると、この「兵は国の大事なり」の文を読んで学んだと思われ、一時の感情に流されることなく、戦争を興すことに慎重に振る舞った君主は、実際存在していた。この「兵は国の大事なり」の一文で、無益な戦争を回避でき、人民の命や生活、財産が守られたという事実があったということは、これは賞賛すべき素晴らしいことである。また、『孫子』は兵法書であるが、その範疇を越えた書物であるという評価が一方で与えられている。『孫子』の言葉は真理をよくとらえており、ゴロも良く、抽象的な言葉が多いがゆえに、多くの分野において現在も広く活用され、人々に愛されている。
孫武は、この「兵は国の大事」であることを「察せざるべからず」と言っている。つまり、かなり強調しているのである。戦争は兵士や人民の生死が関わったものであり、国の存亡にも大きな影響を与えるものであるから、人民の死や国の滅亡につながるものを軽々しく決めるべきではないことを、この「兵は国の大事なり」の言葉によって、国の指導者はよくよく玩味すべきである。この真理は、太古の昔から変わることなく、今にも通じ、これからも続く永遠の真理であろう。科学も文化も一切の智恵も、人無くしては生まれず、社会的な秩序なくては日々の生活にも困窮することになるのである。「兵は国の大事なり」の文から、本当に戦争は必要なのか、勝算は十分にあっても、利に合わないのではないだろうかなどと熟考してみて、必要はない、又は割に合った利(国益)は生じない、と計算した結果思ったならば、戦争を回避するという選択肢を採るということも考えてみるべきである。『孫子の兵法』が戦争嫌いの書と言われる所以がここにある。
兵-①つわもの。武器をとって戦う者。軍隊。(軍隊では最下位の階級をいう。)②武器。③いくさ。戦争。【解字】会意。「斤」(=おの)+「廾」(=両手でささげる形)。両手で持つ手おのの意から、武器を表す。
国-①政権の支配下にある土地。②領土・人民・主権をもつ政治社会。③地方官・諸侯が治める土地。④自分のくに(の)。特に、日本(の)。【解字】会意。「囗」(=かこい)+「或」(=ほこで守る土地)。境界でくぎられた領土の意。[圀]は異体字。「圀」は、唐の則天武后が「國」字の「或」が「惑」を連想させるのを嫌ってこの字体を作る。「国」は俗字。
大事-だい‐じ【大事】①重大な事件。普通でない事。非常の事。②(一大事の略)出家して悟りを開くこと。③容易でない事。危うい事。④かけがえのないものとして大切に扱うべきさま。⑤重要。肝要。
「竹簡孫子」「桜田本」には、「大事」の下に「也」の字があるが、「十一家註本」、「武経本」にはない。
註
○金谷孫子:大事-桜田本には、この下に「也」の字がある。
○著者不明孫子:兵-戦争・軍事。ほかに、武器・兵士・軍隊などの意味がある。
○佐藤孫子:「兵」は戦争を意味する。
○天野孫子:「兵」には戦争・(局地的)戦闘・兵器・軍隊・兵士・軍事・計謀などの意味がある。ここでは戦争の意。…「国」は春秋時代の諸侯の国の意。ここではそれに拘泥しないで広く国家の意に解する。…「事」はできごと。「大事」は大事件。
○田所孫子:兵者、国之大事とは、戦争は国家の重大事であるとの意。兵とは兵士・軍隊・武器等の意味があるが、ここでは戦争の意。
○重沢孫子:兵-原義は木材を荒削りする刃物。それがまず武器→武器を使って仕事をする人→その組織集団→そういう集団の行動すなわち戦争、という方向へ転伸し、原義は殆んど消滅。
○大橋孫子:兵-軍隊、ここでは軍隊を用いること、すなわち戦争。
○北条氏長「士鑑用法」:兵と云は士をさして云。
○山鹿素行「孫子句読」(明暦二年 1656年):孫子所謂兵者士也。
○山鹿素行「孫子諺義」(寛文十三年 1673年):ここにては軍旅の事をさして兵と云也。…大事とは、国家にかかることを大事と云へり。…大事と云ふときは、国家人民の事にかからざれば、いはざる言也。
○荻生徂徠「孫子國字解」:此本文にては兵革などと云やうなる詞にて軍のことを兵と云。…国とは國郡の国には非ず、国家と云と同じ様なる詞にて諸侯の家を云なり。大夫の上にては家と云ひ、諸侯の上にては国と云、君の身の上より家来民百姓までをも籠めて云詞なり。されば兵者国之大事とは、軍と云ものは諸侯の身の上にては是に過たる大きなることはなしと云意なり。ひと軍にても物入夥しく、民の愁も甚しきこと、外のことには、かやうなる類またもなく、多くの人の生死、国の立つも亡るも軍の勝負にかかることなればかく云へり。
○徳田邕興「孫子事活鈔」:兵は剣戟武器の総名にて、これを交へ戦ふ軍戦を云ふなり。
○吉田松陰「孫子評註」:「兵(いくさ。戦争。)は国の大事、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず。」 開口の一語、十三篇を冒ひて餘りあり。先師(山鹿素行のこと)曾て「千載(千載は千年。永久にかわることのない格言。)不易の格言」を以て之れを評せり。旨い哉。兵は是れ軍旅の事[軍旅とは軍隊。軍勢。戦争。いくさ。]。死生存亡は乃ち大事たる所以の故なり。諸説多くは然り、異説を須(もち)ふることなかれ。地は是れ在る所、道は是れ由る所、察の字は虚(虚は実に対していう。いかに察するかの内容はまだ示していないので「虚に」と言う。)に下の經(後述)・校・佐の三字を掲げたり。全篇の骨子、此の字に在り。
○桜田景迪「孫子略解」:国は諸侯の上にて云ふなれども、専ら言ふなれば天下と云ふも同じなり。
○杜牧:傳に曰く、国の大事は、祀りて戎を與ることに在り。[戎とは兵士。軍隊。いくさ。]
○張預:国の安危は兵に在り。故に武を講じ、兵を練る。実に先ず務むるなり。
意訳
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○ほとんどの孫子注釈書:戦争とは、国家の重大事である。
○浅野孫子:軍事とは、国家の命運を決する重大事である。
○フランシス・ワン孫子:戦争とは、国家にとって回避することのできない重要な問題である。
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『孫子曰く、兵は国の大事なり。』:本文注釈
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冒頭の言葉というのは、どのような書物においても特に重要な意味を持つ。例えば、『論語』の冒頭の言葉の、「子曰く、学びて時に之れを習う。亦説ばしからずや…。」は「小論語」と呼ばれているそうだが、『孫子』の「兵は国の大事なり」は、それこそ「小孫子」と呼ばれるに相応しい一文であろう。この一文のなかに、孫武の戦争に対する考え方・姿勢がすべて表れている。
古来から伝統的にこの「兵は国の大事なり」と用間篇の最後の、「此れ兵の要にして三軍の恃みて動く所なり」の文とは、一気通貫した戦争に対する厳とした思想のつながりがあり、始まりと締めの言葉として相応しいものであるという高評化が与えられていたが、1972年、山東省の銀雀山漢墓において、『竹簡孫子』が見つかり、そこには火攻篇が最後の篇として記録に残っていたことから、火攻篇の最後の言葉の、「此れ国を安んじ軍を全うするの道なり」が、『孫子』の最後を括るにやはり相応しい言葉であるとの説を採る者が多くなった。ちなみに、私は最初に『孫子』を読んだ時、最終篇の用間篇の終りの「此れ兵の要にして三軍の恃みて動く所なり」まで読み終わってから、何か歯切れの悪さを感じ、名言が並ぶ『孫子』の言葉の取りを飾る言葉としては、なにかどこかに違和感を感じていた。その時ふと気にかかり火攻篇の最後の文である「此れ国を安んじ軍を全うするの道なり」を改めて読み返した時、あれ?こっちの言葉の方が孫子の最後を締めくくるにはやっぱり相応しい言葉だな、と思ったものである。だからこの『竹簡孫子』で、火攻篇が最終篇であるという記録を確認できたとき、内心鬼の首でも取ったかのように嬉しかった。やはり自分の感覚は大事にしていかなくてはならないな、と再認識もできた。よって私は、用間篇ではなく火攻篇の最後の言葉こそが、この「兵は国の大事なり」と一貫した綱領の言葉であると今でも思っている。
戦争にとってより重要なことは、火攻めよりもスパイの方であることは、疑う余地もあるまいと思う。よって古来の注釈家も用間が最終篇に相応しいとしたこともよくわかる。が、しかしおそらくはどの注釈家も感じてはいたが、火攻篇を最終篇として置くことができなかったのは、魏の武帝曹操注の『魏武帝註孫子』によるものが大きいことは間違いない。『魏武帝註孫子』は、『孫子』注において最古のものである。伝統ある『孫子』の注釈作業において、篇の位置を変更するということは常識としてやってはならないことである。又、最古の資料であり、なおかつ相当程度信用に足る人物である曹操が残した資料ということで、一級の価値があったことも、火攻篇を最後の篇とできなかった理由の一つであろう。これだけでも『竹簡孫子』の発見は、学界の常識を覆すに十分なものであった。
「兵は国の大事なり」は、軽々に戦争を起してはならないと君主を戒めた言葉であろう。当時、将は戦争を起す権限はもっていないことからも、君主を対象にした言葉であることは間違いない。戦争を軽々しく起してはならない理由は、戦争には莫大な費用や人的な労費がかかるからである。そのことは作戦篇に詳しい。巧遅よりも拙速を善しとした言葉もこの事から生まれている。又、「遠い所に輸送をしても輸送先には二十分の一しか届かず、民の貯蓄も6・7割を失うことになる」と言っている作戦篇の記述は、戦争という非常時の一大事性を物語っている。それだけ当時は戦争と言うと国家の一大事であり、故に他国がどんなに挑発してこようと、軽々と戦争は起こすべきではないとし、孫武自身も殊に肝に銘じていたことだろう。そして、歴史を振り返ってみると、この「兵は国の大事なり」の文を読んで学んだと思われ、一時の感情に流されることなく、戦争を興すことに慎重に振る舞った君主は、実際存在していた。この「兵は国の大事なり」の一文で、無益な戦争を回避でき、人民の命や生活、財産が守られたという事実があったということは、これは賞賛すべき素晴らしいことである。また、『孫子』は兵法書であるが、その範疇を越えた書物であるという評価が一方で与えられている。『孫子』の言葉は真理をよくとらえており、ゴロも良く、抽象的な言葉が多いがゆえに、多くの分野において現在も広く活用され、人々に愛されている。
孫武は、この「兵は国の大事」であることを「察せざるべからず」と言っている。つまり、かなり強調しているのである。戦争は兵士や人民の生死が関わったものであり、国の存亡にも大きな影響を与えるものであるから、人民の死や国の滅亡につながるものを軽々しく決めるべきではないことを、この「兵は国の大事なり」の言葉によって、国の指導者はよくよく玩味すべきである。この真理は、太古の昔から変わることなく、今にも通じ、これからも続く永遠の真理であろう。科学も文化も一切の智恵も、人無くしては生まれず、社会的な秩序なくては日々の生活にも困窮することになるのである。「兵は国の大事なり」の文から、本当に戦争は必要なのか、勝算は十分にあっても、利に合わないのではないだろうかなどと熟考してみて、必要はない、又は割に合った利(国益)は生じない、と計算した結果思ったならば、戦争を回避するという選択肢を採るということも考えてみるべきである。『孫子の兵法』が戦争嫌いの書と言われる所以がここにある。
兵-①つわもの。武器をとって戦う者。軍隊。(軍隊では最下位の階級をいう。)②武器。③いくさ。戦争。【解字】会意。「斤」(=おの)+「廾」(=両手でささげる形)。両手で持つ手おのの意から、武器を表す。
国-①政権の支配下にある土地。②領土・人民・主権をもつ政治社会。③地方官・諸侯が治める土地。④自分のくに(の)。特に、日本(の)。【解字】会意。「囗」(=かこい)+「或」(=ほこで守る土地)。境界でくぎられた領土の意。[圀]は異体字。「圀」は、唐の則天武后が「國」字の「或」が「惑」を連想させるのを嫌ってこの字体を作る。「国」は俗字。
大事-だい‐じ【大事】①重大な事件。普通でない事。非常の事。②(一大事の略)出家して悟りを開くこと。③容易でない事。危うい事。④かけがえのないものとして大切に扱うべきさま。⑤重要。肝要。
「竹簡孫子」「桜田本」には、「大事」の下に「也」の字があるが、「十一家註本」、「武経本」にはない。
註
○金谷孫子:大事-桜田本には、この下に「也」の字がある。
○著者不明孫子:兵-戦争・軍事。ほかに、武器・兵士・軍隊などの意味がある。
○佐藤孫子:「兵」は戦争を意味する。
○天野孫子:「兵」には戦争・(局地的)戦闘・兵器・軍隊・兵士・軍事・計謀などの意味がある。ここでは戦争の意。…「国」は春秋時代の諸侯の国の意。ここではそれに拘泥しないで広く国家の意に解する。…「事」はできごと。「大事」は大事件。
○田所孫子:兵者、国之大事とは、戦争は国家の重大事であるとの意。兵とは兵士・軍隊・武器等の意味があるが、ここでは戦争の意。
○重沢孫子:兵-原義は木材を荒削りする刃物。それがまず武器→武器を使って仕事をする人→その組織集団→そういう集団の行動すなわち戦争、という方向へ転伸し、原義は殆んど消滅。
○大橋孫子:兵-軍隊、ここでは軍隊を用いること、すなわち戦争。
○北条氏長「士鑑用法」:兵と云は士をさして云。
○山鹿素行「孫子句読」(明暦二年 1656年):孫子所謂兵者士也。
○山鹿素行「孫子諺義」(寛文十三年 1673年):ここにては軍旅の事をさして兵と云也。…大事とは、国家にかかることを大事と云へり。…大事と云ふときは、国家人民の事にかからざれば、いはざる言也。
○荻生徂徠「孫子國字解」:此本文にては兵革などと云やうなる詞にて軍のことを兵と云。…国とは國郡の国には非ず、国家と云と同じ様なる詞にて諸侯の家を云なり。大夫の上にては家と云ひ、諸侯の上にては国と云、君の身の上より家来民百姓までをも籠めて云詞なり。されば兵者国之大事とは、軍と云ものは諸侯の身の上にては是に過たる大きなることはなしと云意なり。ひと軍にても物入夥しく、民の愁も甚しきこと、外のことには、かやうなる類またもなく、多くの人の生死、国の立つも亡るも軍の勝負にかかることなればかく云へり。
○徳田邕興「孫子事活鈔」:兵は剣戟武器の総名にて、これを交へ戦ふ軍戦を云ふなり。
○吉田松陰「孫子評註」:「兵(いくさ。戦争。)は国の大事、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず。」 開口の一語、十三篇を冒ひて餘りあり。先師(山鹿素行のこと)曾て「千載(千載は千年。永久にかわることのない格言。)不易の格言」を以て之れを評せり。旨い哉。兵は是れ軍旅の事[軍旅とは軍隊。軍勢。戦争。いくさ。]。死生存亡は乃ち大事たる所以の故なり。諸説多くは然り、異説を須(もち)ふることなかれ。地は是れ在る所、道は是れ由る所、察の字は虚(虚は実に対していう。いかに察するかの内容はまだ示していないので「虚に」と言う。)に下の經(後述)・校・佐の三字を掲げたり。全篇の骨子、此の字に在り。
○桜田景迪「孫子略解」:国は諸侯の上にて云ふなれども、専ら言ふなれば天下と云ふも同じなり。
○杜牧:傳に曰く、国の大事は、祀りて戎を與ることに在り。[戎とは兵士。軍隊。いくさ。]
○張預:国の安危は兵に在り。故に武を講じ、兵を練る。実に先ず務むるなり。
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○ほとんどの孫子注釈書:戦争とは、国家の重大事である。
○浅野孫子:軍事とは、国家の命運を決する重大事である。
○フランシス・ワン孫子:戦争とは、国家にとって回避することのできない重要な問題である。
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