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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2012-04-06 (金) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『法令孰れか行なわる、』:本文注釈

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令-①上からの言いつけ。命ずる。②法制上のきまり。のり。特に、古代国家の(行政法などの)法典。③おさ。長官。④よい。美しい。よくする。他人の親族に対する敬称にも用いる。⑤使役の助字。「…をして…(せ)しむ」とよむ。…させる。⑥仮定の助字。もし。たとい。【解字】会意。上半部は、集める意。下半部「卩」は、人がひざまずいた形。人を集めてひざまずかせ、したがわせる意。

行-①ゆく。㋐歩いていく。すすむ。㋑よそへ出かける。旅(にゆく)。㋒ゆかせる。すすめる。動かす。㋓持ちあるく。㋔歩きながら。ゆくゆく。②おこなう。㋐ある事をする。おこない。ふるまい。㋑ギョウ〔仏〕悟りにいたるための実践。③とどこおらない。㋐ギョウ漢字の書体の一つ。㋑漢詩の一体。音調がとどこおらない詩。④ギョウ(文字の)たてのならび。⑤ギョウ令制で、官位を称する際、官が位に相応せず低い官である場合に挿入する語。⑥問屋。みせ。「銀行・行員」もと、同列に並ぶ意から、中国の唐・宋そう以後に起こった同業組合の称。【解字】十字路を描いた象形文字。人通りの多い大通り(を歩いて進む)の意。

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○天野孫子:「法」はおきて、制度。ここでは広く国の政治上のおきてを言う。「令」は命令。「法」が恒常的なものであるのに対して「令」は臨時的なもの。「行」は法令通り行なわれる、法令が守られるの意。一説に『諺義』は「法は曲制官道主用なり。令は号令なり。主将の下知を号令と云へり」と。この句について一説に『旧』[旧岩波文庫 山田準・阿多俊介『孫子』]は「軍規の厳正如何を見ること」と。

○守屋孫子:四、法令は、どちらが徹底しているか。

○重沢孫子:第四は、前記”法”の項に列挙された事項が、より規定どおりに正しく処理されているのは、どちらの国なのか。軍の規律の問題です。これで五事関係は完了。

○著者不明孫子:【法令】軍法と軍令。「令」のほうが具体的な命令をいうのであろう。

○諺義:法は曲制・官道・主用也、令は號令也、主将の下知を號令と云へり。三略に云はく、将の威を為す所以の者は、號令なり、戦の勝を全うする所以の者は、軍政なり、士の戦を軽んずる所以の者は、命を用ふるなり、故に将は令を還す無し、と云へり。法令ありと云へども、おこなはれざれば正しからず。このゆゑに行の字を用ふる也。舊説に法令を以て法度下知の心也と、一つにいたしみるは非也。

○孫子国字解:法は法度なり。令は下知なり。されば法はかねて定るを云、令は當座の下知なり。行はるるとは、下知法度のきくことなり。上より下知法度をたてても、下たる者是を守らず、或は表向ばかり守る様にして、實は是を守らざるは、行るると云ものにてはなき也。是は人の守り難き法度をたて、又賞罰に依怙贔負ある時は、法令行れぬなり。總じて下知法度は事多きを嫌ふなり。法度の箇條すくなくして、法を犯す時は、たとへ貴人高位にてもゆるさず、法におこなふ時は、下知法度のきかぬと云ことはなきなり。魏の曹操此段を注して、設て犯さず、犯せば必誅すと云へり。誠に名言なり。設とは法を立ることなり。上より法度を立るに、下たる者是を犯すなれば、法度と云ものにてはなきなり。法は下たる人の犯さざるを以て法と云なり。故に設て犯さずと云なり。法度を犯す時は、誰人によらず必誅するなれば、法を立る程にて、犯す者はなきなり。故に犯せば必ず誅すと云なり。古の名将皆かくの如し。孫子始て呉王闔廬にまみへたる時、闔廬女にも軍法をならはすべしやと問ふ。孫子答て、女なればとて、敎らるまじきに非ずと云。闔廬則、宮女百八十人を出さる。孫子其内にて、闔廬の寵愛の美人二人を組頭と定め、百八十人に戟をもたせ、二組にわけて備を立て、下知して曰く、汝何れもむねと、左右の手と、せなかとを知やと問ふ。宮女何れもなるほど存知たりと云。孫子が曰く、前は胸を見よ、左は左の手を見よ、右は右の手を見よ、後は背を見よと云。何れも畏まると云。孫子則合圖の太鼓を打てば、宮女大きに笑ふ。孫子が曰く、合圖の示し合せ調はざるは、士卒の罪に非ず、将の罪なりとて、又右の如く委細に云ひ含め、再び合圖の太鼓を打つ時、宮女大きに笑ふ。孫子が曰く、合圖の示し合せをもとくとしたるに、法を守らざるは士卒の罪なりとて、組頭と定めたる両人の宮女を斬んとす。闔廬大きに驚き赦すべきよしを仰せけれども、将たるもの、軍に在ては君命を受ざる所ありとて、遂に是を誅し、二番目の宮女を組の頭と定め、再合圖の太鼓を打しかば、坐作進退みな法の如にして、一人として法に背くものなかりきなり。又呉子魏の國の軍兵を率ひて、秦の國と取合ひける時、一人の勇士ありて、下知なきに敵陣にかけ入り、首取て歸る。軍法に違ひぬれば、功あればとて赦すべきに非ずとて、呉子是を誅したり。又齊の景公の時、燕晋両国より齊の國を攻て、味方軍に利を失ふこと有し時、晏平仲と云賢臣、司馬穰苴を薦む。景公則穰苴を将軍の官になし、燕晋両国の敵を禦しむ。穰苴申して曰く、臣賤しき者にて、今にはかに将軍の官となれば、士卒重んぜず、願くは君の寵臣を一人軍の奉行になし玉へと云。景公則荘賈と云寵臣を添らる。穰苴荘賈と約束するやう、日中に軍門に来り玉へと云。荘賈君の寵臣なれば、もとより穰苴が下知を用ひず、漸く暮時になりて軍門に来る。穰苴なに故遅く来るやと問ふ。荘賈答て曰、親類の者共なごりを惜み、餞するに隙をとりて遅かりしと答ふ。穰苴が曰く、将たる者は、家をも身をも、親類をも忘るるを以て忠とす。今敵深く我国に攻入り、国中騒動し、君の憂甚し。汝かやうなる重き任を受ながら、何として親類のなごりを惜て、出陣の刻限を違たるやとて、軍正を呼て問ふて曰く、軍の法には、合圖の日限刻限を遅なはりたる人をば、如何様の罪科に處するやと問ふ。軍正が曰く、斬罪なりと答ふ。穰苴則荘賈を誅して其由を軍中に相觸る。士卒大きに恐れて、穰苴が法を違へず。遂に燕晋の敵を逐拂て取られたる郡を取返したるなり。又孔明が下の士大将に、馬謖と云しもの、孔明が下知を守らずして敗軍に及しかば、孔明涕を流して是を誅す。呉の呂蒙も、我同郷の人の、幼少よりなじみたるもの軍中にて笠を盗たれば、涕を流して是を斬る。又魏の曹操は、士卒に田畠を蹂み作物をそこなふべからず、背くものは斬罪に處せんと、法令を出せしに、曹操の馬はなれて、麥畠を蹂損したり。我が出したる法令を、自身破るべきに非ずとて、既に自害せんとす。群臣様々と諫ければ、されば是なりとも、我頸の代にすべきとて、自身我髪を切たり。是等は皆古今にすぐれたる名将の、一たび法を出しては、かりそめにも破ることをせざりしためしなり。かやうなる程なれば、法令よく行はるるなり。敵味方をたくらべはかるに、何れかかやうに法令の行るると考ることを、本文に、法令孰行と云たるなり。

○曹公:設けて犯さず。犯せば必ず誅す。

○杜佑:設けて犯さず。犯せば必ず誅す。號を發し令を出すこと、知んぬ誰か能く施行する[いったい誰がよく施行するであろうか]

○杜牧:法に縣け令を設ける。貴賤一の如し。魏絳僕を戮し、曹公髪を斷ずるは是なり。

○梅堯臣:衆を齊えるに法を以い、衆を一にするに令を以いる。

○王晳:孰れか能く法を明らかにし令すれば便ち、人聽きて從うなり。

○張預:魏絳 揚干を戮す。穰苴 荘賈を斬る。呂蒙 郷人を誅す。臥龍馬謖を刑す。茲に謂う所[所謂-古人の謂う所の、の意。ここでは曹操の言を指す。]の「設けて犯さず、犯せば必ず誅す」とは、誰か此の如く為さん。


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○金谷孫子:法令はどちらが厳守されているか、

○浅野孫子:軍法や君主と将軍が下す命令はどちらが徹底して遂行されているか、

○天野孫子:いずれが制度と命令がよりよく遵守されていようか。

○町田孫子:法令はどちらのほうが徹底して行なわれているか、

○フランシス・ワン孫子:軍紀に対しては、何れの軍隊の方がより大きな敬意を払い、命令はよりよく実行されているか。

○大橋孫子:法令はどちらがよく行われているか。

○武岡孫子:規則や命令はどちらがよく行われているか。

○田所孫子:第四には軍の編成兵站等について、

○著者不明孫子:軍法はどちらがきちんと励行されているか、

○学習研究社孫子:第四に、法令は、どちらがゆきわたっているか。

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