2012-04-20 (金) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』:本文注釈
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解釈を二通り示してみます。
①この文の解釈には諸説あるが、浅野裕一氏の解釈が最も妥当で優れていると思う。呉王闔閭に謁見したときはまだ孫武は将軍でも軍師でもないため、将軍の罷免権も当然もっていない。よって、私の言うことを用いる将軍は留めよ、用いない者は罷免せよ、と解釈するのは不自然すぎる。また「将」を呉王闔閭と解釈するのはやや抵抗がある。これまで主君のことを「主」と表わしてきたものがなぜ「将」になるのか、これも疑問が残る。以上の事から、「将」は「もし」と解釈し、留まる・去るというのは孫武自身の去就を指す、とした方が最も自然であると考えられる。
孫子兵法には、のちに孫氏学派と呼ばれる後世の学者たちが付け加えた文章をみることができる。そのなかでも、孫子(孫武や孫臏)が語ったとされる言葉がしばらく後に歴史的にその通りになったというものもしばしばある。この『将し吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留まらん。将し吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』の言葉も、あるいは孫子の最後の時の形をあらわしている可能性がある。歴史上、孫子(孫武)は呉で活躍した後、その後どうなっていったのかということは不明のままであるが、この文章から推察するに、孫武は最後に自分の計を受け入れられない主、あるいは将に会い、呉の国を去って行ったのではないであろうか。それを孫氏学派はあたかも予言をしたかの如く孫子が言ったかのように記述したのではなかろうか。そう思えてならない。ちなみに『李衛公問対』によると、張良、孫武、范蠡の三人は功なり遂げた後、うまく引退できたという記述があるので、闔閭亡き後うまく引退できたのではなかろうかというのが私の予想である。
②「孫子」を子細に検討してみると、『孫子兵法十三篇』は明らかに孫武一人の著作ではなく、文章も前後のつながりに欠ける箇所がかなり多い。このことからも『孫子兵法十三篇』は孫武とその他の人物(孫臏など)の口述・著述を集めた名言集である可能性が高いと思われる。また、このことからも、今に伝わる『孫子兵法十三篇』は当時呉王闔閭に奏上された孫武著作の「兵法」そのままの形のものではないことは明白である。よってこの『孫子兵法十三篇』を解釈していく上で、『孫子兵法十三篇』は、呉王闔閭に実際奏上した「兵法」とは異なるということを念頭に入れて、読み進めていかねばならないであろう。そして、また、この「孫子十三篇」は純粋な「兵法」の塊としてみるべきであろう。
それを考えた時、この『将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之。』は、孫武が立案した計謀が、採用されるか否かにより孫武自身が去就を決める、というように解釈するということは有り得ることなのであろうか。「兵法」である以上、軍を孫武が指揮していくというのなら話がわかるが、自分の計謀が採用されないため、自分が軍を去ろう、と解釈するのは有り得ないことではないだろうか。よって、この『将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之。』は『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』と読み、『将が、吾が計を聴きいれて正しくさばけば、兵を用いれば必ず勝つ。その場合その将を留任させる。聴きいれずに誤った用兵をすれば必ず敗れる。その場合、その将を罷免させる。』と解釈すべきであろう。当時、軍師は将軍の任命権や罷免権などの人事権を有した絶大な権力を手に入れていたことがこの文から推測できる。
註
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○金谷孫子:『将 吾が計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これを留めん。 将 吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る、これを去らん。』 将-助字とみて「もし、あるいは、」の意にとる説も有力。そのばあいには、「これを留めん」「これを去らん」は、孫子自身がその国に留まり、また去ることと解される。
○浅野孫子:『将し吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留まらん。将し吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』 ●将-「もし」の意を表す助辞。将軍の意に解する説も有力であるが、以下の理由から成立しがたい。『史記』孫子呉起列伝や竹簡本『孫子兵法』見呉王篇の伝記によれば、斉から呉にやってきた孫武は、あらかじめ十三篇の兵法書を呉王に提出して自己の任用を求め、それを読んだ呉王に会見して、才能を認められた後に将軍職に就任している。もっとも呉王は、会見の時点ですでに孫武を将軍と呼んでいるが、これは呉王がはじめから孫武を将軍として採用せんとする意志を表明して、相手への敬意を示そうとしたことと、現に孫武が婦人の部隊を指揮して、将軍役を演じていたことによるもので、孫武はまだ正式に将軍とはなっていない。とすれば、『孫子』十三篇は、このとき孫武が呉王に提出した兵書であるように全体が構成・叙述されているから、いまだ任用が確定していない外臣としての不安定な立場上、その時点で孫武が、現在の将軍の去就に口出ししたように記述されることはありえない。しかも将軍の意に取ると、将軍が孫武の計略を聞き入れた場合、孫武は将軍ではなく軍師・参謀として、呉に留まろうと考えていたことになるが、婦人を兵卒に見立てて指揮し、将軍としての有能さを実証せんとする孫武の言動は、最初から将軍就任を望む孫武の意志を表しており、両者は矛盾をきたす。さらに十三篇は直接呉王に対して提出した兵書とされており、その間に将軍は全く介在していないから、孫武の計謀を受納するか否かを決断する相手としては、呉王のみが想定されていたを見なければならない。以上の理由から、ここの将は助辞と解釈して、自説の採否の如何によって、呉に留まるか国外に退去するか、自己の去就を判断するとの孫武の発言として、全体が叙述されていると理解すべきであろう。
○町田孫子:『将、吾が計を聴かば、これを用いて必ず勝たん。これに留まらん。将、吾が計を聴かずんば、これを用いるといえども必ず敗れん。これを去らん』 <将、吾が…これを去らん>将軍がわたしのはかりごとをきき入れるなら、その将軍を任用しなさい。しないなら解雇しなさい、とも解釈できる。「将」を「もし」と読む説もある。
○天野孫子:『将 吾が計を聴きて之を用ふれば、必ず勝たん。之に留まらん。将 吾が計を聴きて之を用ひずんば、必ず敗れん。之をさらん。』 ○将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之- 「将」はここでは呉王闔廬を言う。君主は必ずしも将軍ではないが、呉王闔廬は一国の将軍としても活躍した人物。この文は、孫武が闔廬に仕えることを求める言として解釈する。陳皥は「闔閭軍を行り師を用ふ。多く自ら将たり。故に主と言はずして将と言ふなり」と。『講義』『解』『略解』『合契』などはこの見解。「将」について諸説がある。『新釈』は「(孫子は)此の書によって呉王に自分を自薦してをるのである。そこで此所の意味も孫子は自分の計を呉王に聴き入れて貰いたいといふ気持があるのであらう。故に此の『将』の字を呉王を指すと見れば意味がよく通ずるのである。故に古来の註の中には左様に見てをるのもある。然し孫子十三篇を通じて孫子は決して王のことを『将』とは呼んでをらない。王のことは『主』と呼んで明かに『将』と区別してゐる。七計中に於ても『主の道』と『将の能』とは明かに区別してをったのである。故に『将」は呉王を指すと見る説は明かに誤りである」として『新釈』は王の輔佐役たる将を指しながら王を言外に表わしたものとしている。また一説に孟氏は「将とは裨将なり」と。裨将は副将。これに伴って後文の「之を留めん」「之を去らん」の「之」は副将をさすこととなる。この見解をとるものに趙本学がおる。また一説に主将(将帥)を指すと。『諺義』『正義』『管窺』『詳解』がそれ。ただ『諺義』は孫子みずから去留を決するとするのに対して、『詳解』は「蓋し孫子、汎く世の人主に将帥を去留するの道を告ぐる者なり。注家は闔閭一人に告ぐると為す。其見狭し。此将も亦世の諸将を指す。或は裨将と為し、或は語辞と為すは皆非なり」と。また一説に『直解』は「二将の字は、君に対すれば大将を指して言ひ、将に対すれば偏裨を指して言ふ」と。この説に従うものに『開宗』『評識』『義疏』がある。その他単に「将」としているのに『提要』『口義』『評註』がある。また一説に副詞として「まさに…せんとす」または「はた」と読む。この場合省かれた主語を呉王としている。梅堯臣・張預・『国字解』『集説』『活説』『存疑』などがそれである。「吾」は孫武自身を言う。「計」ははかりごと、すなわち平生軍備をなし、いよいよ事急な時彼我の軍備の優劣を計算するという、このはかりごと。一説に孟氏は「計画」と、陳皥は「計策」と。また一説に七計と。『国字解』は「右の七計を云ふなり」と。『諺義』は「吾計とは、孫子が右に云ふ処の五事七計をさす。その内、計の字は全く七計の上に心あり」と。「用之」の「之」は吾計を受ける。『開宗』『国字解』『折衷』『略解』などがそれ。一説に兵を指すと。張預・『講義』『約説』『諺義』『評註』『活説』『纂注』『存疑』などがそれ。この場合「不聴吾計用之」を「吾計を聴かずして、之を用ふれば」と読む。また一説に将をさすと。『直解』・趙本学・『約説』『義疏』『正義』『詳解』『大意抄』などがそれ。この場合「之を留めよ」「之を去らせよ」と読む。
○フランシス・ワン孫子:『将の吾が計を聴く、之を用うれば必ず勝つ之を留めよ。将の吾が計を聴かざる、之を用うれば必ず敗る。之を去れ。』 一、計篇の講義は十四項までが前段で、以下後段に移るのであるが、その開始に当たって、孫子は次の如く言うのである。即ち、前段で述べた如く、戦争はその基本要素である五事を知り之を七計を以て校量することによって「その情」(勝敗の情・戦争の性格と輪郭)を把握することができ、従って勝敗の帰趨も予測が可能となる。而して、五事・七計は客観的要素であるが故に、その評価・算定は誰しもが納得する所となる。しかし、戦争の特質は、以下述べる、五事・七計に立脚した兵法(政・戦略と作戦・用兵)という主体的要素が加わることによってその内容と様相を変え、従って勝敗もまた姿を異にしてくる所にある。つまり、戦争に於ては、いわゆる兵法に出番があるのである。しかし、兵法は詭道を以て本質とし要素とするものであるが故に、人はその意義と価値を頭では理解しても、実際の状勢・問題に適用する場合には、必ずしもその価値と効用を納得するものではなく、またその万人が納得せず認識しえない所に価値と特質がある-つまり兵法(作戦・用兵)は原則自体に秘密があるわけではないのである- 而して、戦争指導・作戦用兵に於て最も重要なことは、君主(最高政治指導者)と将軍が、その詭道の計画と実行に於て思想的に一致し、そこに相互信頼があることであり、これなくしては戦争の遂行はもとより、勝利の収穫もありえない。従って、自己(孫子)が軍師として用いられる以上は、以下述べる用兵原則とそれに基づく作戦・用兵を納得できないとする者は、将軍に起用してはならない、と。無論、言外に、それが入れられない以上、自分もまた用いられることをしないであろうの意を含んでいる。 一、史記を見るに、孫子は、当時既に著名な兵法家であったようである。しかし、当然のことであるが、呉国の君臣特に呉王は、その所説に対し疑う色が濃かったのであろう。このため、孫子は、列席の将軍にことよせて、もし自分の所論が真面目に聴かれないのであれば講義をやめて帰ってもよい、つまり、自己の進退に関して宣言したわけである。曹操は「(吾が方略を聴きて)、計を定ること能わざれば、則ち退きて去らんとなり」と註している。なお、本項は次の如くも読む。即ち、「将、吾が計を聴きて之を用うれば必ず勝つ。之に留らん。将、吾が計を聴かずして之を用うれば必ず敗る。之を去らん」と。この場合の「将」は王将即ち呉王若しくは呉王の将軍を指し、「之に留らん」の「之」は軍師(軍事指導者)としての地位を指す。梅堯臣は次の如く註している。「王将、我が計を聴きて戦いを用うれば必ず勝つ。我は当に此に留まるべし。王将、吾が計を聴かずして戦いを用うれば必ず敗る。我は当に此を去るべしとなり」と。「将」は、別に「将し」(もし)或は「将に」(まさに)など読む者もいるが、意味を変えるものではない。 一、しかし、本項は、孫子が自身の任用を求めての駆引きの言とする者も少なくない。たとえば、張豫は「将に辞せんとするなり。…此を以て辞を激しくして、呉王に用いんことを求むるなり」と、いかにも支那的解釈をしている。しかし、孫子が、本項以降全篇に亙って展開している将帥論から見れば、斯の如き見解は浅薄で見当違いと言わざるをえない。本項は、孫子の自己の兵法に対する自信のほどを示す言と解すべきであろう。 一、何れにせよ、孫子にあっては、戦争に於ける将軍の存在は絶対であり、またその将軍と君主(政治指導者・政府)との間には絶対の相互信頼関係がなければならないのである。従って、最高指揮官の任免に於て、その能力を無視した政治的妥協の如きは許さるべきではなく、ましてや、最高方略に反対若しくは納得せぬ将帥を起用したり或いは留任せしむるが如きは論外である。我々としては、昭和の陸軍の派閥人事、或いは海軍のいわゆるハンモック・ナンバー(海兵の卒業序列)による人事が生んだ、数々の遺憾な事態を思い浮かべざるをえぬ所であろう。
○守屋孫子:王が、もしわたしのはかりごとを用い、軍師として登用するなら、必ず勝利を収めることができる。それなら、わたしは貴国にとどまろう。逆にわたしのはかりごとを用いなければ、かりに軍師として戦いにのぞんだとしても、必ず敗れる、それなら、わたしは貴国にとどまる意志はない。 ■「史記」孫子列伝によれば、孫武が呉王闔廬に見(まみ)えたときにの様子がつぎのように記されている。 「孫子武は斉人なり。兵法を以って呉王闔廬に見ゆ。闔廬曰く、『子の十三篇われ尽くこれを観る。以って少しく試みに兵を勒すべきか』対えて曰く、『可なり』。闔廬曰く、『試みに婦人を以ってすべきか』。曰く、『可なり』」 ということで、このあと孫武が婦人部隊を練兵する有名な場面が紹介されている。この『史記』の記述によると、孫武は、すでに『孫子』十三篇を著し、それをもって闔廬に謁見を求めたことがわかる。したがって、訳文に王とあるのは闔廬、貴国とあるのは呉の国のことである。孫武は、このときの実地試験にパスし、闔廬の軍師としてとどまることになった。
○田所孫子:『将に吾計を聴き、これを用ひんとすれば、必ず勝ち、これに留まらん。将に吾計を聴き、これを用ひざらんとすれば、必ず敗れ、これを去らん。』 ○吾計とは、孫子の五事の計。留之・去之の之は呉王のところをさす。
○重沢孫子:『将(=若)しわが計に聴きて之を用いれば、必ず勝つ。ここに留らん。将しわが計に聴きて之を用いざれば、必ず敗る。ここを去らん。』 勝利への見通しがはっきりした後をうけて、孫子は自分の考えている作戦の基本的性格について語りはじめます。相手は、呉国(江蘇省地域)の君主でその名は闔閭。もしわが作戦に耳を傾けてそれをお取り上げになれば、必ず勝ちますから、私はこの呉国に留まります。もしわが作戦に耳を傾けもせず、お取り上げにもならなければ、敗れるに決まっていますから、私はここを立ち去ります。
○大橋孫子:『将、吾が計を聴き、之を用うれば必ず勝つ。之に留まらん。将、吾が計を聴き、之を用いざれば必ず敗る。之を去らん。』 之を去らん-我が進言を採用しない将のもとにはとどまらない。
○武岡孫子:『将、吾が計を聴き、これを用うれば必ず勝つ。これを留めん。将、吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る。これを去らん。』 これを去らん-我が進言を採用しないような将軍は敗北が必至だから罷免せよ
○佐野孫子:◎将聴吾計、用之必勝、留之 「将」は副詞として、「これから~しようとする」、「~となるであろう」又は「もし・もしや」の意味で、近い未来に関する意思や予想・事態の進行を表わす語。この場合、主語である「主(呉王を指す)」は省かれていると解する。「吾」は孫武自身を言う。「用之」の「之」は、呉王の兵(軍隊)を指す。「用之」とは、孫武が将軍として呉王の兵の作戦を指揮することを言う。「留之」の「之」は呉国を指して言う。ここでは、戦略と戦術あるいは目的と手段の関係に言及し、戦略なき戦術は無意味であり、戦略の失敗は戦術で補えないことを言うものである。即ち、戦場で自己の指揮作戦が効果を発揮するためには、自己の戦略思想が「主」と一致し、これが受け入れられていることが大前提であり、然ざれば、例え戦場で自己の用兵術を巧みに用いたとしても、所詮は敗北せざるを得ない、と言うのである。
○著者不明孫子:『将に吾が計を聴きて之を用ひんとすれば、必ず勝ちて之に留らん。将に吾が計を聴きて之を用ひざらんとすれば、必ず敗れて之を去らん。』 【将聴吾計用之】この「将」の理解には諸説ある。呉王闔廬に向かって王を指すとする説(陳暭)、将軍とする説(孟氏)、行う意の動詞とする説(王晳)、助字とする説(杜牧ほか)など。下文とのつながりぐあいから、助字とみて「…することになるなら」の意に解するのがよい。なお、杜牧は「将」を「若」(もし)と説明している。「聴」は聴従の聴。聞き入れる、それに従う意。「吾計」の計は七計ではなく、一般的な計謀・画策などの意。また、「聴いて用いる」主格をだれとするかによって、下の「去」も、孫子自身がそこを去ると解するか、将をやめさせると解するか、解釈が分かれる。今、「将聴…」の主語を国君(呉王とはかぎらない)と解し、したがって、「去る」のは孫子がその国あるいは国君の下を去ると解する説をとる。下の「将不聴…」の解釈も同様。
○学習研究社孫子:『将、吾が計を聴かば、之を用うれば必ず勝つ。之を留めん。将、吾が計を聴かざれば、之を用うれば必ず敗る。之を去らす。』 之-彼
○諺義:『将吾が計を聴きて之れを用ひば必ず勝たん、之(一)留まらん、将吾が計を聴かずして之れを用ひば必ず敗れん、之(一)去らん、』 ((一)素行はかかる場合の之字を讀まざること多し) 将は主将をさす。聽とはよくききいれてそれにしたがふこと也。吾が計とは孫子が右に云ふ處の五事七計をさす。その内計の字は全く七計の上に心あり、之れを用ひばとは兵を擧げ軍をなすこと也。云ふ心は、主将吾が云ふ處を信用し相從つて軍旅を用ひば、必勝の道あり、故に我れ又ここにとどまるべき也。之れを聽かずして兵を用ふるにおいては必ず敗るべし。此の如き處は吾れ速に去つて留る可からざる也。この比(ころ)孫子兵を談じて諸侯に師たり。故に危邦(論語秦伯篇第十三章に、「危邦には入らず、亂邦には居らず」とあり)には入らず、亂邦には居らずの心なれば、我が計にしたがふべき大将の地にはとどまるべし、然らざれば去つて留る可からずと云へる也。此の段に必勝必敗の兩事をあぐ。凡そ兵に必勝の理あり、必勝あるときは又必敗あり。今孫子は所謂五事七計を以て相計るときは、勝敗忽ちあらはれて之れを隱くす可からず、是れ必勝也、必敗也。勝敗を兩陣の間に爭ふは下策にして上兵にあらず。勝を廟堂の上にきはめ門戸を出でず兵を暴(さらさ)ずして、古今にたくらべ萬世にしめして、其の勝疑ふ可からざるを必勝の兵と云ふ、是れ乃ち孫子が所謂必勝也。三略に云はく、夫れ義を以て不義を誅するは江河を決して(三略諺義第三には、決の字を捜字に作る)爝火に漑ぎ、不測に臨みて墜ちんと欲するを擠すが若し、其の克つことや必せり。是れ又必勝の理をつくせる也。此の段留之の二字、孫子自稱の言也。陳皡・梅堯臣・王晳・張預が説及び講義之れに從ふ。劉寅が直解、鄭希山が武經通鑑には、将の任を留めてまかすると将の任をさらしむると見る也。中にも直解は、孫子が去留と云ふときは、此れ忠厚の心に非ず、恐らくは孫子の本意を失はんと。袁了凡云はく、此れ勝を制する者は先づ将の去留を選むを言ふ、二轉して上を結び下を起す云云と、是れ又将の任を去留せしむるの心とみたり。魏武帝・杜牧が註には、我れと彼れと引合せかんがふるに、我が計にかなふときは其の地に留まりて戦ふ、然らざればひいてさるべしとみる也。今案ずるに、此の如き所は一篇の文段にして、させる義理のあることにあらず、いづれの注にしたがひても害なし。只だ必勝必敗の字によく心をつくべし。但し鄙見にまかせて云へば、孫子が去留とみてよし。然らざれば文段附會にちかし。況や孫子自稱して吾が計といへれば、時の大将に對していへる言に疑ひ無き也。舊説に呉王を激して用ひんことを求むと云へるはあやまり也。孫子が自らの出處去就を云ふ也。直解の説は張其の説を皇して覺えず附會するの言也と。之れを取る可からず。其の書をよくとかんために入らざることに言をつひやして、附會牽合するは學者の通弊也。余往昔尤も此の病有り。将の字平聲に用ふるときは語の辭也、まさにともはたともよむべし。魏武・張昭・王晳・張預・杜牧皆しかり。陳皡・孟氏及び講義・全書(武徳全書の著者は李氏と云ふ、その他不明)には大将の字義とす。陳皡云はく、其の時闔閭軍を行り師を由ふるに、多く自ら将と為る、故に主と言はずして将と言ふ。全書に云はく、是れの二つの将字は活看を要す、人君に在りては則大将を指し、大将に在りては則褊裨を指す云云。
○孫子国字解:『将(はた)吾計を聽て之を用ひば必勝ん、之に留まらん、将(はた)吾計を聽て之を用ひずば、必去ん。』 此段は、勝負の道は、右の五事七計にて明かに分るることを、丁寧に云へり。将(はた)とは辭なり。もしと云意なり。吾計とは、即孫子が勝負のつもりなり。右の七計を云なり。もし呉王闔廬孫子が、右の如く五事七計にてはかりつもりて、此戦は勝なり、負なりと定めたるを、尤と聽入れて用ひ玉はば、必勝利あるべし。尤と思はず、聽入れず用ひ玉はずは、必敗北に及ぶべし。されば右の七計を尤と思召さば、留まりて仕へ奉るべし。用玉はずば、留り仕へてもせんなきことなるゆへ、立去るべしと云ことなり。然れば孫子が心は、合戦の勝負は此五事七計にて、戦はぬ前に定まると云わけを、第一とするなり。将の字をはたと讀むこと、王晳張預が説なり。陳皡梅堯臣は将の字を主将と見る。一段の意は王晳張預と同じけれども、總じて始計篇の内にて、主将を将とは云ず、文例相違せり。はたとよむ説宜しからん。又孟氏が説は、裨将と見る。是は大将の下の士大将のことなり。施子美が説には、はたと讀むと、諸将と見ると、兩説をあげたり。黄獻臣は、君より見れば總大将を指し、總大将より見れは士大将を指すと云へり。将の字を總大将士大将と見る時は、下の文を、これに留めん、これを去んとよむべし。吾計を用ひぬ士大将をば、除き去るべし。用る士大将をば、留め置て召仕ふべしと云意なり。一段の義理は、何れにても通ずるなり。されども此段の吾計と云は、即上文の七計のことなれば、聽用ると聽用ざるをば主将へかけ、留まると去をば孫子へかけて見ねば、始計一篇の文勢通貫せぬなり。さるにても将の字をはたとよまずして、主将と見ることは、文例に合はぬゆへ、今王晳張預が説に從ふなり。尤吾申すことを用ひ玉はずは立去るべしと云こと、忠臣の道にはづれたる様なれども、戦國七雄の時は、いまだ君臣の約束をなさねども、客卿客将などとて、他國の人来て其國に居るもの多し。孫子も齊の國人にて、この時呉國へ来り、呉王闔廬といまだ君臣の分定まらざる前に、此書を作りて獻じたりと見えたり。故に史記の孫子が傳にも、孫子初て呉王にまみえたる時、呉王の詞に、子之十三篇悉觀之矣とあるなり。又本文の用之とある字を、兵を用ると見る説あり。其時は、はた吾計を聽ずしてこれを用ひばとよむなり。字法穩ならず。從ふべからず。
○孫子評註:「将、吾が計を聴いて之れを用ふれば必ず勝つ。之れ(将軍として留めよう。松陰の解釈は本注のとおりであるが、「将」を「もし、あるいは」の意の助字と考え、「留之」「去之」は孫子自身がその国に留まり、また去ることと解する説もある。)を留めん。将吾が計を聴かずして之れを用ふれば必ず敗る。之れ(将軍をやめさせよう。)を去らん。」-是れ自(おのずから)ら一段、将を以て重しと為す。諸々の「吾」と稱するは、孫子自ら吾れとするなり。其の立言を觀るに譬(たと)へば齊威(普通の説に従えば、『孫子』の著者孫武は春秋時代斉の人で呉王に仕えた。孫臏はそれより百年あまり後の人であって斉の威王の軍師となった。田忌はその時の将軍である。昔の軍師は今の参謀長のようなものであるが、軍師は時には将軍の地位をも左右したことが下文によって知られる。)、田忌を以て将と為し、孫臏之れが師となれるが如し。之れを用ふとは兵を用ふなり。留去は用捨を言ふなり。是の時に當り、田忌の用捨、孫師(軍師孫臏。)の言下に在り。噫(ああ)畏るべきかな。此れ(作戦計画をたてるうえで、軍師の権限を強く打ち出しているところが孫武の本領であるという意。)に非ずんば何を以て孫武と為さんや。
○曹公:計定まる能わざれば、則退きて去るなり。
○孟氏:将は裨将なり。吾計畫を聽きて勝たば、則之に留まらん。吾計畫に違えて敗らば、則之を除去せん。
○杜牧:若し彼自ずから備え護らば、我が計に從わず、形勢均等にして以て相加うること無し。用いて戦えば必ず敗る。引て去らん。故に春秋傳に曰く、允當たれば則歸るなり、と。
○陳皡:孫武書を以て闔閭に干して曰く、用いて吾計策を聴かば、必ず能く敵に勝つ。我當に之に留まり去らざるべし。吾計策を聴かざれば必ず當に負敗すべし。我之を去りて留まらず。此れを以て感動す。庶必ず用い見る。故に闔閭曰く、子の十三篇、寡人盡く之を觀る。其の時闔閭軍を行るに師を用う。多くは自ら将と為す。故に主を言わずして将を言うなり。
○梅堯臣:武 十三篇を以て呉王闔閭に干す。故に首篇此の辭を以て之を動かす。謂へらく王将吾が計を聽きて用いて戦えば必ず勝つ。我當に此れに留まるべし。王将我が計を聽かずして用いて戦えば必ず敗る。我當に此れを去るべし。
○王晳:将に行かんとす。用とは兵を用いるを謂うのみ。言うこころは行きて吾此の計を聽きて兵を用うれば、則必ず勝つ。我當に留まるべし。行きて吾此の計を聽かずして兵を用うれば、則必ず敗る。我當に去るべし。
○張預:将とは辭なり。孫子謂へらく今将し吾陳する所の計を聽きて兵を用うれば則必ず勝つ。我乃ち此れに留まるなり。将し我が陳する所の計を聽かずして兵を用うれば則必ず敗る。我乃ち去りて他國に之かん。此の辭を以て呉王を激して用を求む。
意訳
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○金谷孫子:将軍がわたしの[上にのべた五事七計の]はかりごとに従うばあいには、彼を用いたならきっと勝つであろうから留任させる。将軍がわたしのはかりごとに従わないばあいには、彼を用いたならきっと負けるであろうから辞めさせる。
○浅野孫子:もし主君が、私が先に述べた五事七計の計謀を採用されるならば、あなたの軍隊を私が将軍として運用して必ず勝利します。ですから私はこの地に留まりましょう。もし主君が私の計謀を採用されないときは、たとえ私が将軍としてあなたの軍隊を運用しても敗北は必至です。そうであれば、私はこの国を退去いたしましょう。
○町田孫子:将軍が、このわたしのはかりごとをおききとどけ下さるなら、わたしにお任せになって、勝利は間違いございますまい。わたしはあなたのもとにとどまりましょう。はかりごとをおききとどけ下さらぬなら、わたしを任用なさっても敗れるに決まっています。わたしはこの地を立ち去りましょう。
○天野孫子:主君がわたしの以上のようなはかりごとを聞き入れて、このはかりごとを用いたなら、必ず敵に勝つでしょう。そうすればわたしはこの国にとどまりましょう。主君がもしわたしのはかりごとを聞き入れて用いることがないならば、必ず敵に敗れるでしょう。そうすればわたしはこの国を去りましょう。
○フランシス・ワン孫子:私の説く軍事論(戦略・方法)を心に留めて、これを実行に移す将軍を起用すれば、勝利は必定である。彼を手離してはならない。この方策の採用を拒む将軍を起用すれば、敗北は必定である。彼は罷免すべきである。
○大橋孫子:このような考えをもつ私の献策を、将軍が採用すれば必ず勝てるから、そのもとにとどまって働くが、採用しないような将軍は必ず敗れるから、そんなところからは去る。
○武岡孫子:私の説くこのような戦略理論を心に留めて聴くような将軍なら、彼は必ず勝つであろうから、その地位に留めさせたらよい。反対に聴こうとしないような将軍なら、その人は必ず敗れるであろうから解任すべきである。
○著者不明孫子:右のような私の方策を聞き入れて採用してくれるなら、必ず勝つであろうから、私はその国にとどまろう。私の方策を聞き入れて採用してくれないなら、必ず敗れるであろうから、私はその国を去ろう。
○学習研究社孫子:指揮官が、私の計を聴き入れるときは、その指揮官を用いたならば必ず勝つから、彼を留める。指揮官が、私の計を聴きいれない時は、彼を用いると必ず敗れるから、彼を罷免する。
○佐藤堅司 孫子の思想史的研究:呉王が私(孫子)の計(五事七計)を採用して戦争をするなら、必ず勝つに相違ないから、私は軍師となつて留らう。王が私の計を受け入れないで戦争をするなら、敗北は疑ひないことであるから、私は直ちに立ち去らうと思ふ。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』:本文注釈
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解釈を二通り示してみます。
①この文の解釈には諸説あるが、浅野裕一氏の解釈が最も妥当で優れていると思う。呉王闔閭に謁見したときはまだ孫武は将軍でも軍師でもないため、将軍の罷免権も当然もっていない。よって、私の言うことを用いる将軍は留めよ、用いない者は罷免せよ、と解釈するのは不自然すぎる。また「将」を呉王闔閭と解釈するのはやや抵抗がある。これまで主君のことを「主」と表わしてきたものがなぜ「将」になるのか、これも疑問が残る。以上の事から、「将」は「もし」と解釈し、留まる・去るというのは孫武自身の去就を指す、とした方が最も自然であると考えられる。
孫子兵法には、のちに孫氏学派と呼ばれる後世の学者たちが付け加えた文章をみることができる。そのなかでも、孫子(孫武や孫臏)が語ったとされる言葉がしばらく後に歴史的にその通りになったというものもしばしばある。この『将し吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留まらん。将し吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』の言葉も、あるいは孫子の最後の時の形をあらわしている可能性がある。歴史上、孫子(孫武)は呉で活躍した後、その後どうなっていったのかということは不明のままであるが、この文章から推察するに、孫武は最後に自分の計を受け入れられない主、あるいは将に会い、呉の国を去って行ったのではないであろうか。それを孫氏学派はあたかも予言をしたかの如く孫子が言ったかのように記述したのではなかろうか。そう思えてならない。ちなみに『李衛公問対』によると、張良、孫武、范蠡の三人は功なり遂げた後、うまく引退できたという記述があるので、闔閭亡き後うまく引退できたのではなかろうかというのが私の予想である。
②「孫子」を子細に検討してみると、『孫子兵法十三篇』は明らかに孫武一人の著作ではなく、文章も前後のつながりに欠ける箇所がかなり多い。このことからも『孫子兵法十三篇』は孫武とその他の人物(孫臏など)の口述・著述を集めた名言集である可能性が高いと思われる。また、このことからも、今に伝わる『孫子兵法十三篇』は当時呉王闔閭に奏上された孫武著作の「兵法」そのままの形のものではないことは明白である。よってこの『孫子兵法十三篇』を解釈していく上で、『孫子兵法十三篇』は、呉王闔閭に実際奏上した「兵法」とは異なるということを念頭に入れて、読み進めていかねばならないであろう。そして、また、この「孫子十三篇」は純粋な「兵法」の塊としてみるべきであろう。
それを考えた時、この『将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之。』は、孫武が立案した計謀が、採用されるか否かにより孫武自身が去就を決める、というように解釈するということは有り得ることなのであろうか。「兵法」である以上、軍を孫武が指揮していくというのなら話がわかるが、自分の計謀が採用されないため、自分が軍を去ろう、と解釈するのは有り得ないことではないだろうか。よって、この『将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之。』は『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』と読み、『将が、吾が計を聴きいれて正しくさばけば、兵を用いれば必ず勝つ。その場合その将を留任させる。聴きいれずに誤った用兵をすれば必ず敗れる。その場合、その将を罷免させる。』と解釈すべきであろう。当時、軍師は将軍の任命権や罷免権などの人事権を有した絶大な権力を手に入れていたことがこの文から推測できる。
註
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○金谷孫子:『将 吾が計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これを留めん。 将 吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る、これを去らん。』 将-助字とみて「もし、あるいは、」の意にとる説も有力。そのばあいには、「これを留めん」「これを去らん」は、孫子自身がその国に留まり、また去ることと解される。
○浅野孫子:『将し吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留まらん。将し吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』 ●将-「もし」の意を表す助辞。将軍の意に解する説も有力であるが、以下の理由から成立しがたい。『史記』孫子呉起列伝や竹簡本『孫子兵法』見呉王篇の伝記によれば、斉から呉にやってきた孫武は、あらかじめ十三篇の兵法書を呉王に提出して自己の任用を求め、それを読んだ呉王に会見して、才能を認められた後に将軍職に就任している。もっとも呉王は、会見の時点ですでに孫武を将軍と呼んでいるが、これは呉王がはじめから孫武を将軍として採用せんとする意志を表明して、相手への敬意を示そうとしたことと、現に孫武が婦人の部隊を指揮して、将軍役を演じていたことによるもので、孫武はまだ正式に将軍とはなっていない。とすれば、『孫子』十三篇は、このとき孫武が呉王に提出した兵書であるように全体が構成・叙述されているから、いまだ任用が確定していない外臣としての不安定な立場上、その時点で孫武が、現在の将軍の去就に口出ししたように記述されることはありえない。しかも将軍の意に取ると、将軍が孫武の計略を聞き入れた場合、孫武は将軍ではなく軍師・参謀として、呉に留まろうと考えていたことになるが、婦人を兵卒に見立てて指揮し、将軍としての有能さを実証せんとする孫武の言動は、最初から将軍就任を望む孫武の意志を表しており、両者は矛盾をきたす。さらに十三篇は直接呉王に対して提出した兵書とされており、その間に将軍は全く介在していないから、孫武の計謀を受納するか否かを決断する相手としては、呉王のみが想定されていたを見なければならない。以上の理由から、ここの将は助辞と解釈して、自説の採否の如何によって、呉に留まるか国外に退去するか、自己の去就を判断するとの孫武の発言として、全体が叙述されていると理解すべきであろう。
○町田孫子:『将、吾が計を聴かば、これを用いて必ず勝たん。これに留まらん。将、吾が計を聴かずんば、これを用いるといえども必ず敗れん。これを去らん』 <将、吾が…これを去らん>将軍がわたしのはかりごとをきき入れるなら、その将軍を任用しなさい。しないなら解雇しなさい、とも解釈できる。「将」を「もし」と読む説もある。
○天野孫子:『将 吾が計を聴きて之を用ふれば、必ず勝たん。之に留まらん。将 吾が計を聴きて之を用ひずんば、必ず敗れん。之をさらん。』 ○将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之- 「将」はここでは呉王闔廬を言う。君主は必ずしも将軍ではないが、呉王闔廬は一国の将軍としても活躍した人物。この文は、孫武が闔廬に仕えることを求める言として解釈する。陳皥は「闔閭軍を行り師を用ふ。多く自ら将たり。故に主と言はずして将と言ふなり」と。『講義』『解』『略解』『合契』などはこの見解。「将」について諸説がある。『新釈』は「(孫子は)此の書によって呉王に自分を自薦してをるのである。そこで此所の意味も孫子は自分の計を呉王に聴き入れて貰いたいといふ気持があるのであらう。故に此の『将』の字を呉王を指すと見れば意味がよく通ずるのである。故に古来の註の中には左様に見てをるのもある。然し孫子十三篇を通じて孫子は決して王のことを『将』とは呼んでをらない。王のことは『主』と呼んで明かに『将』と区別してゐる。七計中に於ても『主の道』と『将の能』とは明かに区別してをったのである。故に『将」は呉王を指すと見る説は明かに誤りである」として『新釈』は王の輔佐役たる将を指しながら王を言外に表わしたものとしている。また一説に孟氏は「将とは裨将なり」と。裨将は副将。これに伴って後文の「之を留めん」「之を去らん」の「之」は副将をさすこととなる。この見解をとるものに趙本学がおる。また一説に主将(将帥)を指すと。『諺義』『正義』『管窺』『詳解』がそれ。ただ『諺義』は孫子みずから去留を決するとするのに対して、『詳解』は「蓋し孫子、汎く世の人主に将帥を去留するの道を告ぐる者なり。注家は闔閭一人に告ぐると為す。其見狭し。此将も亦世の諸将を指す。或は裨将と為し、或は語辞と為すは皆非なり」と。また一説に『直解』は「二将の字は、君に対すれば大将を指して言ひ、将に対すれば偏裨を指して言ふ」と。この説に従うものに『開宗』『評識』『義疏』がある。その他単に「将」としているのに『提要』『口義』『評註』がある。また一説に副詞として「まさに…せんとす」または「はた」と読む。この場合省かれた主語を呉王としている。梅堯臣・張預・『国字解』『集説』『活説』『存疑』などがそれである。「吾」は孫武自身を言う。「計」ははかりごと、すなわち平生軍備をなし、いよいよ事急な時彼我の軍備の優劣を計算するという、このはかりごと。一説に孟氏は「計画」と、陳皥は「計策」と。また一説に七計と。『国字解』は「右の七計を云ふなり」と。『諺義』は「吾計とは、孫子が右に云ふ処の五事七計をさす。その内、計の字は全く七計の上に心あり」と。「用之」の「之」は吾計を受ける。『開宗』『国字解』『折衷』『略解』などがそれ。一説に兵を指すと。張預・『講義』『約説』『諺義』『評註』『活説』『纂注』『存疑』などがそれ。この場合「不聴吾計用之」を「吾計を聴かずして、之を用ふれば」と読む。また一説に将をさすと。『直解』・趙本学・『約説』『義疏』『正義』『詳解』『大意抄』などがそれ。この場合「之を留めよ」「之を去らせよ」と読む。
○フランシス・ワン孫子:『将の吾が計を聴く、之を用うれば必ず勝つ之を留めよ。将の吾が計を聴かざる、之を用うれば必ず敗る。之を去れ。』 一、計篇の講義は十四項までが前段で、以下後段に移るのであるが、その開始に当たって、孫子は次の如く言うのである。即ち、前段で述べた如く、戦争はその基本要素である五事を知り之を七計を以て校量することによって「その情」(勝敗の情・戦争の性格と輪郭)を把握することができ、従って勝敗の帰趨も予測が可能となる。而して、五事・七計は客観的要素であるが故に、その評価・算定は誰しもが納得する所となる。しかし、戦争の特質は、以下述べる、五事・七計に立脚した兵法(政・戦略と作戦・用兵)という主体的要素が加わることによってその内容と様相を変え、従って勝敗もまた姿を異にしてくる所にある。つまり、戦争に於ては、いわゆる兵法に出番があるのである。しかし、兵法は詭道を以て本質とし要素とするものであるが故に、人はその意義と価値を頭では理解しても、実際の状勢・問題に適用する場合には、必ずしもその価値と効用を納得するものではなく、またその万人が納得せず認識しえない所に価値と特質がある-つまり兵法(作戦・用兵)は原則自体に秘密があるわけではないのである- 而して、戦争指導・作戦用兵に於て最も重要なことは、君主(最高政治指導者)と将軍が、その詭道の計画と実行に於て思想的に一致し、そこに相互信頼があることであり、これなくしては戦争の遂行はもとより、勝利の収穫もありえない。従って、自己(孫子)が軍師として用いられる以上は、以下述べる用兵原則とそれに基づく作戦・用兵を納得できないとする者は、将軍に起用してはならない、と。無論、言外に、それが入れられない以上、自分もまた用いられることをしないであろうの意を含んでいる。 一、史記を見るに、孫子は、当時既に著名な兵法家であったようである。しかし、当然のことであるが、呉国の君臣特に呉王は、その所説に対し疑う色が濃かったのであろう。このため、孫子は、列席の将軍にことよせて、もし自分の所論が真面目に聴かれないのであれば講義をやめて帰ってもよい、つまり、自己の進退に関して宣言したわけである。曹操は「(吾が方略を聴きて)、計を定ること能わざれば、則ち退きて去らんとなり」と註している。なお、本項は次の如くも読む。即ち、「将、吾が計を聴きて之を用うれば必ず勝つ。之に留らん。将、吾が計を聴かずして之を用うれば必ず敗る。之を去らん」と。この場合の「将」は王将即ち呉王若しくは呉王の将軍を指し、「之に留らん」の「之」は軍師(軍事指導者)としての地位を指す。梅堯臣は次の如く註している。「王将、我が計を聴きて戦いを用うれば必ず勝つ。我は当に此に留まるべし。王将、吾が計を聴かずして戦いを用うれば必ず敗る。我は当に此を去るべしとなり」と。「将」は、別に「将し」(もし)或は「将に」(まさに)など読む者もいるが、意味を変えるものではない。 一、しかし、本項は、孫子が自身の任用を求めての駆引きの言とする者も少なくない。たとえば、張豫は「将に辞せんとするなり。…此を以て辞を激しくして、呉王に用いんことを求むるなり」と、いかにも支那的解釈をしている。しかし、孫子が、本項以降全篇に亙って展開している将帥論から見れば、斯の如き見解は浅薄で見当違いと言わざるをえない。本項は、孫子の自己の兵法に対する自信のほどを示す言と解すべきであろう。 一、何れにせよ、孫子にあっては、戦争に於ける将軍の存在は絶対であり、またその将軍と君主(政治指導者・政府)との間には絶対の相互信頼関係がなければならないのである。従って、最高指揮官の任免に於て、その能力を無視した政治的妥協の如きは許さるべきではなく、ましてや、最高方略に反対若しくは納得せぬ将帥を起用したり或いは留任せしむるが如きは論外である。我々としては、昭和の陸軍の派閥人事、或いは海軍のいわゆるハンモック・ナンバー(海兵の卒業序列)による人事が生んだ、数々の遺憾な事態を思い浮かべざるをえぬ所であろう。
○守屋孫子:王が、もしわたしのはかりごとを用い、軍師として登用するなら、必ず勝利を収めることができる。それなら、わたしは貴国にとどまろう。逆にわたしのはかりごとを用いなければ、かりに軍師として戦いにのぞんだとしても、必ず敗れる、それなら、わたしは貴国にとどまる意志はない。 ■「史記」孫子列伝によれば、孫武が呉王闔廬に見(まみ)えたときにの様子がつぎのように記されている。 「孫子武は斉人なり。兵法を以って呉王闔廬に見ゆ。闔廬曰く、『子の十三篇われ尽くこれを観る。以って少しく試みに兵を勒すべきか』対えて曰く、『可なり』。闔廬曰く、『試みに婦人を以ってすべきか』。曰く、『可なり』」 ということで、このあと孫武が婦人部隊を練兵する有名な場面が紹介されている。この『史記』の記述によると、孫武は、すでに『孫子』十三篇を著し、それをもって闔廬に謁見を求めたことがわかる。したがって、訳文に王とあるのは闔廬、貴国とあるのは呉の国のことである。孫武は、このときの実地試験にパスし、闔廬の軍師としてとどまることになった。
○田所孫子:『将に吾計を聴き、これを用ひんとすれば、必ず勝ち、これに留まらん。将に吾計を聴き、これを用ひざらんとすれば、必ず敗れ、これを去らん。』 ○吾計とは、孫子の五事の計。留之・去之の之は呉王のところをさす。
○重沢孫子:『将(=若)しわが計に聴きて之を用いれば、必ず勝つ。ここに留らん。将しわが計に聴きて之を用いざれば、必ず敗る。ここを去らん。』 勝利への見通しがはっきりした後をうけて、孫子は自分の考えている作戦の基本的性格について語りはじめます。相手は、呉国(江蘇省地域)の君主でその名は闔閭。もしわが作戦に耳を傾けてそれをお取り上げになれば、必ず勝ちますから、私はこの呉国に留まります。もしわが作戦に耳を傾けもせず、お取り上げにもならなければ、敗れるに決まっていますから、私はここを立ち去ります。
○大橋孫子:『将、吾が計を聴き、之を用うれば必ず勝つ。之に留まらん。将、吾が計を聴き、之を用いざれば必ず敗る。之を去らん。』 之を去らん-我が進言を採用しない将のもとにはとどまらない。
○武岡孫子:『将、吾が計を聴き、これを用うれば必ず勝つ。これを留めん。将、吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る。これを去らん。』 これを去らん-我が進言を採用しないような将軍は敗北が必至だから罷免せよ
○佐野孫子:◎将聴吾計、用之必勝、留之 「将」は副詞として、「これから~しようとする」、「~となるであろう」又は「もし・もしや」の意味で、近い未来に関する意思や予想・事態の進行を表わす語。この場合、主語である「主(呉王を指す)」は省かれていると解する。「吾」は孫武自身を言う。「用之」の「之」は、呉王の兵(軍隊)を指す。「用之」とは、孫武が将軍として呉王の兵の作戦を指揮することを言う。「留之」の「之」は呉国を指して言う。ここでは、戦略と戦術あるいは目的と手段の関係に言及し、戦略なき戦術は無意味であり、戦略の失敗は戦術で補えないことを言うものである。即ち、戦場で自己の指揮作戦が効果を発揮するためには、自己の戦略思想が「主」と一致し、これが受け入れられていることが大前提であり、然ざれば、例え戦場で自己の用兵術を巧みに用いたとしても、所詮は敗北せざるを得ない、と言うのである。
○著者不明孫子:『将に吾が計を聴きて之を用ひんとすれば、必ず勝ちて之に留らん。将に吾が計を聴きて之を用ひざらんとすれば、必ず敗れて之を去らん。』 【将聴吾計用之】この「将」の理解には諸説ある。呉王闔廬に向かって王を指すとする説(陳暭)、将軍とする説(孟氏)、行う意の動詞とする説(王晳)、助字とする説(杜牧ほか)など。下文とのつながりぐあいから、助字とみて「…することになるなら」の意に解するのがよい。なお、杜牧は「将」を「若」(もし)と説明している。「聴」は聴従の聴。聞き入れる、それに従う意。「吾計」の計は七計ではなく、一般的な計謀・画策などの意。また、「聴いて用いる」主格をだれとするかによって、下の「去」も、孫子自身がそこを去ると解するか、将をやめさせると解するか、解釈が分かれる。今、「将聴…」の主語を国君(呉王とはかぎらない)と解し、したがって、「去る」のは孫子がその国あるいは国君の下を去ると解する説をとる。下の「将不聴…」の解釈も同様。
○学習研究社孫子:『将、吾が計を聴かば、之を用うれば必ず勝つ。之を留めん。将、吾が計を聴かざれば、之を用うれば必ず敗る。之を去らす。』 之-彼
○諺義:『将吾が計を聴きて之れを用ひば必ず勝たん、之(一)留まらん、将吾が計を聴かずして之れを用ひば必ず敗れん、之(一)去らん、』 ((一)素行はかかる場合の之字を讀まざること多し) 将は主将をさす。聽とはよくききいれてそれにしたがふこと也。吾が計とは孫子が右に云ふ處の五事七計をさす。その内計の字は全く七計の上に心あり、之れを用ひばとは兵を擧げ軍をなすこと也。云ふ心は、主将吾が云ふ處を信用し相從つて軍旅を用ひば、必勝の道あり、故に我れ又ここにとどまるべき也。之れを聽かずして兵を用ふるにおいては必ず敗るべし。此の如き處は吾れ速に去つて留る可からざる也。この比(ころ)孫子兵を談じて諸侯に師たり。故に危邦(論語秦伯篇第十三章に、「危邦には入らず、亂邦には居らず」とあり)には入らず、亂邦には居らずの心なれば、我が計にしたがふべき大将の地にはとどまるべし、然らざれば去つて留る可からずと云へる也。此の段に必勝必敗の兩事をあぐ。凡そ兵に必勝の理あり、必勝あるときは又必敗あり。今孫子は所謂五事七計を以て相計るときは、勝敗忽ちあらはれて之れを隱くす可からず、是れ必勝也、必敗也。勝敗を兩陣の間に爭ふは下策にして上兵にあらず。勝を廟堂の上にきはめ門戸を出でず兵を暴(さらさ)ずして、古今にたくらべ萬世にしめして、其の勝疑ふ可からざるを必勝の兵と云ふ、是れ乃ち孫子が所謂必勝也。三略に云はく、夫れ義を以て不義を誅するは江河を決して(三略諺義第三には、決の字を捜字に作る)爝火に漑ぎ、不測に臨みて墜ちんと欲するを擠すが若し、其の克つことや必せり。是れ又必勝の理をつくせる也。此の段留之の二字、孫子自稱の言也。陳皡・梅堯臣・王晳・張預が説及び講義之れに從ふ。劉寅が直解、鄭希山が武經通鑑には、将の任を留めてまかすると将の任をさらしむると見る也。中にも直解は、孫子が去留と云ふときは、此れ忠厚の心に非ず、恐らくは孫子の本意を失はんと。袁了凡云はく、此れ勝を制する者は先づ将の去留を選むを言ふ、二轉して上を結び下を起す云云と、是れ又将の任を去留せしむるの心とみたり。魏武帝・杜牧が註には、我れと彼れと引合せかんがふるに、我が計にかなふときは其の地に留まりて戦ふ、然らざればひいてさるべしとみる也。今案ずるに、此の如き所は一篇の文段にして、させる義理のあることにあらず、いづれの注にしたがひても害なし。只だ必勝必敗の字によく心をつくべし。但し鄙見にまかせて云へば、孫子が去留とみてよし。然らざれば文段附會にちかし。況や孫子自稱して吾が計といへれば、時の大将に對していへる言に疑ひ無き也。舊説に呉王を激して用ひんことを求むと云へるはあやまり也。孫子が自らの出處去就を云ふ也。直解の説は張其の説を皇して覺えず附會するの言也と。之れを取る可からず。其の書をよくとかんために入らざることに言をつひやして、附會牽合するは學者の通弊也。余往昔尤も此の病有り。将の字平聲に用ふるときは語の辭也、まさにともはたともよむべし。魏武・張昭・王晳・張預・杜牧皆しかり。陳皡・孟氏及び講義・全書(武徳全書の著者は李氏と云ふ、その他不明)には大将の字義とす。陳皡云はく、其の時闔閭軍を行り師を由ふるに、多く自ら将と為る、故に主と言はずして将と言ふ。全書に云はく、是れの二つの将字は活看を要す、人君に在りては則大将を指し、大将に在りては則褊裨を指す云云。
○孫子国字解:『将(はた)吾計を聽て之を用ひば必勝ん、之に留まらん、将(はた)吾計を聽て之を用ひずば、必去ん。』 此段は、勝負の道は、右の五事七計にて明かに分るることを、丁寧に云へり。将(はた)とは辭なり。もしと云意なり。吾計とは、即孫子が勝負のつもりなり。右の七計を云なり。もし呉王闔廬孫子が、右の如く五事七計にてはかりつもりて、此戦は勝なり、負なりと定めたるを、尤と聽入れて用ひ玉はば、必勝利あるべし。尤と思はず、聽入れず用ひ玉はずは、必敗北に及ぶべし。されば右の七計を尤と思召さば、留まりて仕へ奉るべし。用玉はずば、留り仕へてもせんなきことなるゆへ、立去るべしと云ことなり。然れば孫子が心は、合戦の勝負は此五事七計にて、戦はぬ前に定まると云わけを、第一とするなり。将の字をはたと讀むこと、王晳張預が説なり。陳皡梅堯臣は将の字を主将と見る。一段の意は王晳張預と同じけれども、總じて始計篇の内にて、主将を将とは云ず、文例相違せり。はたとよむ説宜しからん。又孟氏が説は、裨将と見る。是は大将の下の士大将のことなり。施子美が説には、はたと讀むと、諸将と見ると、兩説をあげたり。黄獻臣は、君より見れば總大将を指し、總大将より見れは士大将を指すと云へり。将の字を總大将士大将と見る時は、下の文を、これに留めん、これを去んとよむべし。吾計を用ひぬ士大将をば、除き去るべし。用る士大将をば、留め置て召仕ふべしと云意なり。一段の義理は、何れにても通ずるなり。されども此段の吾計と云は、即上文の七計のことなれば、聽用ると聽用ざるをば主将へかけ、留まると去をば孫子へかけて見ねば、始計一篇の文勢通貫せぬなり。さるにても将の字をはたとよまずして、主将と見ることは、文例に合はぬゆへ、今王晳張預が説に從ふなり。尤吾申すことを用ひ玉はずは立去るべしと云こと、忠臣の道にはづれたる様なれども、戦國七雄の時は、いまだ君臣の約束をなさねども、客卿客将などとて、他國の人来て其國に居るもの多し。孫子も齊の國人にて、この時呉國へ来り、呉王闔廬といまだ君臣の分定まらざる前に、此書を作りて獻じたりと見えたり。故に史記の孫子が傳にも、孫子初て呉王にまみえたる時、呉王の詞に、子之十三篇悉觀之矣とあるなり。又本文の用之とある字を、兵を用ると見る説あり。其時は、はた吾計を聽ずしてこれを用ひばとよむなり。字法穩ならず。從ふべからず。
○孫子評註:「将、吾が計を聴いて之れを用ふれば必ず勝つ。之れ(将軍として留めよう。松陰の解釈は本注のとおりであるが、「将」を「もし、あるいは」の意の助字と考え、「留之」「去之」は孫子自身がその国に留まり、また去ることと解する説もある。)を留めん。将吾が計を聴かずして之れを用ふれば必ず敗る。之れ(将軍をやめさせよう。)を去らん。」-是れ自(おのずから)ら一段、将を以て重しと為す。諸々の「吾」と稱するは、孫子自ら吾れとするなり。其の立言を觀るに譬(たと)へば齊威(普通の説に従えば、『孫子』の著者孫武は春秋時代斉の人で呉王に仕えた。孫臏はそれより百年あまり後の人であって斉の威王の軍師となった。田忌はその時の将軍である。昔の軍師は今の参謀長のようなものであるが、軍師は時には将軍の地位をも左右したことが下文によって知られる。)、田忌を以て将と為し、孫臏之れが師となれるが如し。之れを用ふとは兵を用ふなり。留去は用捨を言ふなり。是の時に當り、田忌の用捨、孫師(軍師孫臏。)の言下に在り。噫(ああ)畏るべきかな。此れ(作戦計画をたてるうえで、軍師の権限を強く打ち出しているところが孫武の本領であるという意。)に非ずんば何を以て孫武と為さんや。
○曹公:計定まる能わざれば、則退きて去るなり。
○孟氏:将は裨将なり。吾計畫を聽きて勝たば、則之に留まらん。吾計畫に違えて敗らば、則之を除去せん。
○杜牧:若し彼自ずから備え護らば、我が計に從わず、形勢均等にして以て相加うること無し。用いて戦えば必ず敗る。引て去らん。故に春秋傳に曰く、允當たれば則歸るなり、と。
○陳皡:孫武書を以て闔閭に干して曰く、用いて吾計策を聴かば、必ず能く敵に勝つ。我當に之に留まり去らざるべし。吾計策を聴かざれば必ず當に負敗すべし。我之を去りて留まらず。此れを以て感動す。庶必ず用い見る。故に闔閭曰く、子の十三篇、寡人盡く之を觀る。其の時闔閭軍を行るに師を用う。多くは自ら将と為す。故に主を言わずして将を言うなり。
○梅堯臣:武 十三篇を以て呉王闔閭に干す。故に首篇此の辭を以て之を動かす。謂へらく王将吾が計を聽きて用いて戦えば必ず勝つ。我當に此れに留まるべし。王将我が計を聽かずして用いて戦えば必ず敗る。我當に此れを去るべし。
○王晳:将に行かんとす。用とは兵を用いるを謂うのみ。言うこころは行きて吾此の計を聽きて兵を用うれば、則必ず勝つ。我當に留まるべし。行きて吾此の計を聽かずして兵を用うれば、則必ず敗る。我當に去るべし。
○張預:将とは辭なり。孫子謂へらく今将し吾陳する所の計を聽きて兵を用うれば則必ず勝つ。我乃ち此れに留まるなり。将し我が陳する所の計を聽かずして兵を用うれば則必ず敗る。我乃ち去りて他國に之かん。此の辭を以て呉王を激して用を求む。
意訳
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○金谷孫子:将軍がわたしの[上にのべた五事七計の]はかりごとに従うばあいには、彼を用いたならきっと勝つであろうから留任させる。将軍がわたしのはかりごとに従わないばあいには、彼を用いたならきっと負けるであろうから辞めさせる。
○浅野孫子:もし主君が、私が先に述べた五事七計の計謀を採用されるならば、あなたの軍隊を私が将軍として運用して必ず勝利します。ですから私はこの地に留まりましょう。もし主君が私の計謀を採用されないときは、たとえ私が将軍としてあなたの軍隊を運用しても敗北は必至です。そうであれば、私はこの国を退去いたしましょう。
○町田孫子:将軍が、このわたしのはかりごとをおききとどけ下さるなら、わたしにお任せになって、勝利は間違いございますまい。わたしはあなたのもとにとどまりましょう。はかりごとをおききとどけ下さらぬなら、わたしを任用なさっても敗れるに決まっています。わたしはこの地を立ち去りましょう。
○天野孫子:主君がわたしの以上のようなはかりごとを聞き入れて、このはかりごとを用いたなら、必ず敵に勝つでしょう。そうすればわたしはこの国にとどまりましょう。主君がもしわたしのはかりごとを聞き入れて用いることがないならば、必ず敵に敗れるでしょう。そうすればわたしはこの国を去りましょう。
○フランシス・ワン孫子:私の説く軍事論(戦略・方法)を心に留めて、これを実行に移す将軍を起用すれば、勝利は必定である。彼を手離してはならない。この方策の採用を拒む将軍を起用すれば、敗北は必定である。彼は罷免すべきである。
○大橋孫子:このような考えをもつ私の献策を、将軍が採用すれば必ず勝てるから、そのもとにとどまって働くが、採用しないような将軍は必ず敗れるから、そんなところからは去る。
○武岡孫子:私の説くこのような戦略理論を心に留めて聴くような将軍なら、彼は必ず勝つであろうから、その地位に留めさせたらよい。反対に聴こうとしないような将軍なら、その人は必ず敗れるであろうから解任すべきである。
○著者不明孫子:右のような私の方策を聞き入れて採用してくれるなら、必ず勝つであろうから、私はその国にとどまろう。私の方策を聞き入れて採用してくれないなら、必ず敗れるであろうから、私はその国を去ろう。
○学習研究社孫子:指揮官が、私の計を聴き入れるときは、その指揮官を用いたならば必ず勝つから、彼を留める。指揮官が、私の計を聴きいれない時は、彼を用いると必ず敗れるから、彼を罷免する。
○佐藤堅司 孫子の思想史的研究:呉王が私(孫子)の計(五事七計)を採用して戦争をするなら、必ず勝つに相違ないから、私は軍師となつて留らう。王が私の計を受け入れないで戦争をするなら、敗北は疑ひないことであるから、私は直ちに立ち去らうと思ふ。
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