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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2012-01-25 (水) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり。』:本文注釈

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「死生の地」は、戦争により兵士の生き死にが決まる場の事を言っている。「存亡の道」は、在るか亡いかであるから、国家のことを言っている。「察せざるべからざる也」は、孫子のお決まりのフレーズで、何回も使いまわされている言葉であり、孫子の口癖ではないかとも言われている。「察せざるべからず」は、深く知らないということがあってはならない、という意味だから、これを知らなければ話しにもならない、ということであろう。「兵は国の大事なり。死生の地・存亡の道」の文は、それだけ特に孫子が強調したい言葉であったことがわかる。恐らく、当時戦争を起す際、勝つための算を充分に立てるというようなことはあまり行われず、一時の流れや、君主の怒りの感情によって突発的に戦争を起すことが、常態化していたのではないだろうか。もちろん、一方ではきちんと勝算を立ててから戦争を起す君主もいたであろうが、この文は明らかに、これから君主になるであろう呉王闔閭に向けたもので、「戦争は民(兵士)の生死・国家の存亡に関わるものであるから、決して軽々しく起すものではなく、又勝算を得ることなく、勝つための方法を知らずして戦争を起してはならない」と、強く注意を促した言葉であろう。逆に、闔閭がこの言葉を軽んじていたならば、孫武は呉を去っていたであろうから、孫武が呉に残り将軍となったということは、闔閭は孫武のこの意見を呑んだということであろう。そればかりか、全面的に信頼しなければ将軍とはなれなかったはずであるから、孫武の仕官の計は大成功を収めた、ということであろう。これは、呉王闔閭がどういう人物であったかを事前に調査していなければできないことであろうから、何らかの協力者がいたに違いない。
孫武が呉王闔閭に初会見したときの宮廷の女達を兵士に見立てたときのエピソードは有名なものであるが、何と言ってもクライマックスは、呉王の寵姫二名を斬った場面であろう。呉王が斬らないでくれといっているのに、王命に逆らって、しかも呉王の寵姫を斬るということは、仕官前の者という立場などを考えても、常人ではできぬことである。それだけ軍の規律というものは絶対であるということを、呉王にも他の周りの者たちにも知らしめたかったということであろうが、この時の呉王の様子と、孫武のセリフを『史記』から読み取り、推測してみると、呉王は軍の規律がどれだけ重要であるかはわかっていたようであるが、本当に寵姫を斬られるとは思っていなかったため、深く落ち込んでいたようである。そして、その後孫武が「王様は兵法はお好きのようだが、上っ面だけのようだな」、と呉王をバカにしたようなことを言っているが、これは大変危険な事である。結果としては、呉王はこの言も許容し、孫武を将軍に任命したわけである。闔閭は、この孫武の挑発ともいえる発言も、寵姫二人を斬られたことも許したわけであるが、これは呉を一大強国にしたいという大きな理想があったからのことであろう。この行動や発言から見るに、孫武は異端の人のようにみえなくもない。時代が戦争に明け暮れていることが常態化した異常な狂った世の中であるから、これを治めるには常軌を逸した人物でなければ治まらないと、呉王闔閭は考えたに違いない。部下として見たとき、孫武はある意味呉王闔閭の理想の人物であったことだろう。
その後の孫武のことを考えれば、この仕官時の孫武の言動は、すべて計算づくのことであったであろうことが窺われる。というのは、孫武は『李衛公問対』によると、張良・范蠡と同じく、後に国の要職から、すんなりと静かに引退したことが知られている。名誉も地位も平気でドブに捨てれるような智者でなければ、こうはできない。余談であるが、孫武が呉を去った理由を考えてみよう。闔閭の死後、息子の夫差が王となったが、夫差はご存知越の王、勾践と共に「臥薪嘗胆」の故事で知られ、後に覇王となる人物である。その部下であり、闔閭の時代では孫武と共に重臣であった伍子胥がいるが、伍子胥は最初夫差のもとで大きく取り立てられていたが、最後は夫差に誅殺されてしまうことになる。このことからもわかるように、孫武は夫差の性格を、あらかじめ間諜の報告やまわりの評判、直に対面したときの様子・印象からもある程度(というか相当)把握していたはずであるから、夫差が王となる時、自分の行く末についても予想できたはずである。つまり、私の予想では、闔閭が死に、夫差が王となると決まった時に、新しく王に決まった夫差に対して失礼とならないよう、老齢を理由に国政から外してもらう、又は病を装うなどの、呉から出る策を考案済みだったに違いない。又々私の予想だが、恐らく孫武が呉を出る際、夫差や周りの者には故郷に帰ると告げたにちがいあるまい。それは呉ではないことは確かである(孫武は夫差は呉の国を滅ぼすと思っていたに違いないから)。ではどこかというと、それは「斉」である。『史記』をみると、孫武の出身地は「斉」であるといっていることから(呉越春秋では「呉」の人となっているから本当はどちらかわからないが)おそらくそうであろう。だが、本当に孫武一向が斉に向かったかどうかは分からないが、「斉」に向かうと周りの者に告げたことは間違いないと思う。その際、孫武は夫差に、自分は無価値な人間であることをアピールしなければ、出向かう先の斉をいずれ強国にしてしまう可能性があるとして、夫差に殺されてしまう可能性があることも考えたに違いない。
そして、このための用心も当然したことであろうと思われる。又、一方で夫差に対して自分は信頼のおける人物であるということもアピールしたであろうと考えられる。なにしろ孫武は、父闔閭の時代の重臣であり、名将の名をほしいままにした者である。夫差は当然このことを知っていたから、自分に対して実力者である孫武が盾突かないかどうかというのは、孫武を免職し、出国を許す際の重要なポイントとなったにちがいない。そして、孫武は夫差の信頼を勝ち得、次代の人間として夫差にとっては必要ない人物であると判断されたことで、孫武は命を長らえたということであろうと思う。このように推測されることから、やはり孫武は並々ならぬ智謀の人であったということが言えるであろう。

死生-し‐せい【死生】死と生。いきしに。しょうじ。 し‐しょう【死生】‥シヤウ 死と生。生死。しせい。

存亡-そん‐ぼう【存亡】‥バウ 存在することと滅亡すること。のこるかほろびるか。

察-①あきらかに(する)。くわしく知る。細かにしらべる。②おしはかる。思いやる。【解字】形声。「宀」(=いえ)+音符「祭」(=神に供える肉を十分に清める)。家の中を十分に清める意。転じて、曇りなく清らか、はっきりする、の意。


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孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:佐野寿龍○佐野寿龍「戦わずして勝つ 孫子兵法 その科学的体系と思想を講む」:不可不察也-「察」は研究。ここでは「真摯(まじめでひたむきなこと)に考察しなければならない」の意。

○著者不明孫子:「死生之地」-人々の生死が決定する場。 「存亡之道」-国家の存続または滅亡に通ずる道。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:金谷治○金谷孫子:察也-桜田本では「察焉」。[この「焉」は語勢を強めるもので読まない。]

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:天野鎮雄○天野孫子:「地」は草木発生の地で、ここでは死生を生ぜしめる地の意。「道」はここでは存への道を亡への道とのわかれ道の意。この句は兵を地・道に即して比喩したもので、戦争は死生・存亡を左右するの意。死生は国民について、存亡は国家について言う。…「地」「道」については諸説ある。「察」はあきらかにする、つまびらかに知る。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:田所義行○田所孫子:死生之地とは、人間が生きるか死ぬかの境地との意。存亡之道とは、一国の亡びるか栄えるかの分れ道との意。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:死生之地と云は、地は場所なり。軍は場所を大切なりとす。死する場あり生る場あるゆへ死生の地と云なり。存亡之道とは存は家のたつことなり。亡はほろぶるなり。道とは軍に勝て家のたつ道と負て家の亡る道とあることを云なり。不可不察也とは明かに察し知らずしてはならぬ事なりと云意なり。されば死生之地存亡之道不可不察也とは、兵は国の大事にて多くの人の生死も家の存亡も軍の勝負によることなれば、かやうなるを軍に勝て生べき地とし、かやうなるを軍に負けて死すべき地とす。かやうにするは軍にかちて家の存する道なり。かやうにするは軍にまけて家の亡る道なりと云ことを察し知らずして叶はぬことなりと云意なり。かやうに説出して勝負の知りやうを下の文に説きたるなり。…。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:死生之地、存亡之道とは、兵の用法当たらざれば、人民これに死し、ついで其の国亡ぶ。用法その理にあたるときは、人民命を全くして国興る。これ兵の大事なるゆゑなり。死生には地と云ひ、存亡には道と云ふ。地はところと云ふの儀なり。死生する處と云ふ心と見る可し。道は存亡のよる處と云ふ心也。地の字、道の字、深く心をつくるところにあらず。諸説多しといへども、甚だ鑿して之を用ひざるなり。…察はふかく考ふる心也。孫子の内處々に察の字あり、心をつけて其の内外始終をよく考ふるを察と云ふ也。視観察(事物を精詳に視観察するを云ふ)の察の字の心也。…今案ずるに、死生之地を存亡之道の先にいへることは、兵事は戦也。戦は民人士卒の生死よりおこりて、つひには国家存亡のもとたり。これ自然に先後あるゆゑんなり。凡そ文道は祀を大事とし、武義は兵事を大事とす。武文と相対すること、地の天に対し陰の陽に対するがごとし。文にくらぶれば武はたけくいさみて、物をそこなふ處あり。このゆゑに老子云はく、兵は凶器也と。荘子云はく、末徳也と。范蠡云はく、勇は逆徳也、争は事之末也と。孔明は云はく、兵は凶器、将は凶任也といへり。しかれども、一日も武を忘るれば忽ち其の患有り。春夏に秋冬の相つくがごとし。天地の理皆此の如し。武義の品(種類)兵事を用ふるを以て大事とす。兵を用ふることは已むを得ざるのことわりより出でたり。三略に云はく、聖人(王)之兵を用ふること之れを樂むに非ず(也)。将に以て暴を誅し亂を討たんとする也。夫れ兵は不祥之器なり。天道之れを惡む。已むを得ずして之れを用ふと。是れ天道といへり。然れば兵を大事也と論ずること尤もそのゆゑあり。後世の学者古来聖賢の道を詳らかにせずして、兵法を疎にする事、甚だあやまれり。

○平山兵原「孫子折衷」:今、兵師を以て国政中の最大事と為すは何ぞや。蓋し民の死生、国の存亡、皆兵に之れ由るを以ての故なり。

○劉寅「七書直解」:死生は戦陳を以て言ふ。故に地と曰ひ、存亡は得失を以て言ふ。故に道と曰ふと。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:太公望呂尚:六韜○六韜:太公曰く、兵者国之大事、存亡之道なり、命は将に在りと、孫子は此の段之語意を力むる也。

○鄭友賢「孫子遺説」:或ひと問ふ、死生之地は、何を以て存亡之道に先なるか。曰はく武(孫武子)の意は兵事之大は将其の人を得るに在り、将能ならば則兵勝ちて生く、兵外に生くれば則国内に存す、将不能なれば則兵敗れて死す、兵外に死すれば則国内に亡ぶ、是れ外之生死は内之存亡に繫るを以て也。是の故に兵長平(戦国時代趙の邑(くに、むら)なり。秦の白起大いに趙括の軍を敗り降卒四十萬人を坑にせし處なり。)に敗れて趙亡び、師遼水(隋の煬帝高麗を攻む。遼河に於て大敗す。隋の衰運はこれより始まると云ふなり)に喪ひて隋滅ぶ。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:太公望呂尚:六韜○六韜:太公曰く、知略大謀無く彊勇輕戦せば、軍を敗り、衆を散じ以て社稷(昔の中国で、建国のとき、天子・諸侯が壇を設けて祭った土地の神(社)と五穀の神(稷)。国家。朝廷。)を危くす。王者慎みて将為ら使むる勿れ。此れ其の先後之次也。故に曰く、兵を知る之将は生民之司命、国家安危之主也と。

○宋の施子美「七書講義」:兵に勝負あれば則民に死生あり、兵に当否あれば則国に存亡あり。死生は民に係る。故に地を以て言ふ。存亡は国に係る。故に道を以て言ふ。

○張預:民の死生、此に兆せば、則国の存亡彼に見はる。然れども死生に地と曰ひ、存亡に道と曰ふは、死生は勝負の地に在りて、存亡は得失の道に繫るを以てなり。重ねて愼みて審らかに察せざるを得んや。[重ねて慎みて審らかに察しないでいられようか、察せざるにいられるわけはない。]

○李筌:兵は凶器なり。死生・存亡は此に繫がるなり。是を以て之れ重し。人軽く行うことを恐るる也。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:杜牧:孫子十家註○杜牧:国之存亡は人之死生は皆兵に由る。故に須からく審らかに察すべし(審らかに察することが大切である(必要である))

○賈林:地も猶所なり。亦師が陣し、旅が振う戦陳の地を謂う。其の利を得れば則生き、其の便を失わば則死す。故に死生之地と曰う。道とは、權機に立ちて勝の道なり[権→支配する力。物事を処置する威力]。之を得れば則存す。之を失わば則亡ぶ。故に察せざるべからざるなり。書に曰く、存する道有りとは、輔[力を添えてたすける。解字:形声。「車」+音符「甫」(=ぴったりくっつく)。車を補強するそえ木の意。]にして之を固め、亡ぶ道有りとは推[解字形声。「手」+音符「隹」(=ずしりと重みをかける)。圧力を加えておし出す意。]して之を亡ぼす。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅聖兪:地は死生の勢有り。戦は存亡の道有り。

○王晳:兵擧がれば則死生存亡之に繫がる。


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○金谷孫子:(国民の)死活がきまるところで、(国家の)存亡のわかれ道であるから、よくよく熟慮せねばならぬ。

○天野孫子:国民の生死を決めるものであり、国家の存亡を左右するものである。この事は慎重に考察しなければならない。

○浅野孫子:軍の死生を分ける戦場や、国家の存亡を分ける進路の選択は、慎重に明察しなければならない。

○フランシス・ワン孫子:戦争は、国民にとって生死が決せられる所であり、国家にとっては、存続するか滅亡するかの岐れ道である。我々は徹底的に研究する必要がある。

○守屋孫子:国民の生死、国家の存亡がかかっている。それゆえ、細心な検討を加えなければならない。

○大橋孫子:国の死活に関し、国家の存亡に関する。よくよく考えねばならない。

○重沢孫子:個個の人間にとっては、それが死か生かの分れる場であり、国にとっては、存立か滅亡かの分れる道程といえるからに外なりません。これほど深刻で決定的な重みをもつ以上、戦争は人間としても国家としても、軽軽しく踏みこむべき性質のものではない。国をあげての頭脳を動員した上で、あらゆる主観的・客観的条件を、洗いざらい慎重に検討する作業からまず着手しなければならない。

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