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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2012-05-10 (木) | 編集 |
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『兵とは詭道なり。』:本文注釈

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ここで、孫子兵法の大綱である『五事・七計・詭道』がそろったわけである。(ちなみに前にも述べたが計は七計に限られたものではない。言葉の言い回しがよいので便宜上『七計』といっているだけであることをことわっておく。) 
 常経である五事七計を正とすれば、権変を代表する詭道は奇である。孫子兵法は、常に正と奇、常法と変法を用いていくことが大切であることを説いている。十三篇を通じてこの思想は一貫している。 
 詭道とは奇に属することから、臨機応変の処置を指す。この「能なるも~其の不意に出づ。」までの十四箇条をわが国の武学者は『詭道十四変』と呼び、「我」と「敵」との形に互いに応ずる形を『応変』とよんでいた。十四変は七計とおなじで、もとより一部の例であり、本来は限りないものである。この『応変』を理解するうえで、勢篇の『故に善く敵を動かす者は、之れに形すれば敵必ず之れに従い、これに予(あた)うれば敵必ず之れを取る~。』の言葉が参考になるだろう。
 詭道とは敵に、たとえば正を奇、奇を正、實を虚、虚を實、動を静、静を動、形を勢、勢を形、守を攻、攻を守、利を害、害を利と誤らせ、我に有利な状況をつくることが目的である。孫子兵法では敵を欺くことが戦争の本質であり、これなくしては勝利は得られない(「勢篇:正を以て合い、奇を以て勝つ」、つまり詭道は「奇」であるから、この活用がなければ勝利はないということ。)といっていることから、この言葉は「孫子兵法」の中核をなす言葉のひとつであることがわかる。
 「孫子」を読み進めていけばわかることだが、詭道は、春秋・戦国時代のこの「孫子」が編纂されたであろう当時、外交政策において常套手段として用いられていた。行軍篇に『辞の卑くして備えを益す者は進むなり。辞の強くして進駆する者は退くなり。』や『約なくして和を請う者は謀なり』の言葉がみえる。
 孫子は相手の裏をかく戦法を、戦争においては第一に考えていた。そして、実際にどのように詭道を用いるべきかということを、次に述べている。たとえば、孫子は、自分が詭詐を用いる場合は、相手が有利を感じるようにし、かつ、味方が不利に見えるようにするべきだと述べている。一旦相手が利を手中にしたと感じたならば、そう簡単にはその「利」を手離そうとはしないだろう。とりわけ自分の命に直接係ってくる戦場においては、一度手に入れた「利」を手離すことは、底知れない不安と恐怖を覚えるはずである。それが未知の土地や敵地の奥深くに侵攻している場合だとなおさらのはずである。「利」を与え続ければ相手は守勢に入り、冒険をせずにその「利」に従うのである、と孫子は言っているのである。 
では、相手が自分自身に不利な状況を作ってきたらどう対処すべきであろうか。普通、こんな虫のいい話はないはずである。「孫子」は、まず自分の行動を慎んでから、相手の周辺を調べ、我は負けることのない態勢をつくり(不敗の地に立ち)、攻勢の時を待つようにせよ。時が来たら攻めよ、と言っている。調べた結果、伏兵などの罠がない場合は、敵将は無能であることがわかる。「孫子」でいえば、この時点で自軍はすでに勝っているため、あとは戦うだけである。正攻法で戦ってもよし、正を以て合い奇を以て勝つ「孫子」の常道を用い、権変の法を以てすればさらに敵を散々に打破ることができるだろう。また罠があると分かった場合は、攻撃を仕掛けないのも一つの手である(正)。罠にかかったふりをして(利を示して)敵を自軍の有利な地点まで誘い込み、これを破る(奇)のも手であろう。しかし相手が不敗の地に立ったまま進撃してきた場合は、これを打ち破るのは困難である。「孫子」ではこういう場合は、こちらの守りを万全にすることで、敵が我が軍を攻めることができないようにすることを第一に行ない、それから敵に弱点ができるのを待ち、弱点が確認されてから攻めに移れ、と言っている。まず相手が容易に攻めることができない態勢づくりが大事であるということである。このことからもわかるように、「孫子」は攻めよりも守りを重要視している。しかし、決して攻めを軽視しているということではない。弱点が出現するのを待って、時がきたら積極的に攻め、打破れといっているのである。それでは敵の弱点はどのようにして出現させるのだろうか。こちらは、敵の弱点が出てくるのを待つわけであるが、実はただ待っているということではない。「孫子」では「まず、敵が愛する所を奪え」「敵が必ず救援せざるをえない所を攻めよ」と言っている。それにより、敵の兵力を分散(要は弱体化)させ、手薄になったところ(虚)を撃つ(虚実篇:「実を避けて虚を撃つ」)というのである。「詭道」により油断させ、(始めは処女の如く)兵の形を水に象る無形の戦術と、集団の大きな力である「勢」を利用した用兵を駆使しながら、なおかつ神速(九地篇:「兵の情は速を主とす」)をもって(無形も勢も用いることができなければ速さのみでもよい(この場合は「孫子」の言う「拙速」となる))相手の形に応変すれば(後は脱兎の如し)、敵はこちらに対処しきれず、崩壊する(敵拒(ふせ)ぐに及ばず)ということである。
しかしながら、まずは、自軍の実力を見極め、相手を見てから兵を起すことが何より重要であるということも孫子はいっている。このことが「五事(己を知る)・七計(彼を知る)(治内・知外)であり、「詭道」の前提条件でもあり、孫子の根本となる思想であることを忘れてはならない。


詭-①いつわる。あざむく。こじつける。②あやしい。普通とちがっている。

詭道-人を欺くようなやりかた。正しくない手段。



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孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:金谷治○金谷孫子:詭道-「詭」はいつわり欺くの意。正常なやり方に反した、あいての裏をかくしわざ。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:浅野裕一○浅野孫子:詭道-相手を詐り欺くやり方。正常な戦法(正道)とは違った、詭詐・権謀を重視する戦法。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:天野鎮雄○天野孫子:兵者詭道也-「兵」は戦争・戦闘の意。「詭」はあざむくこと。ここでは敵をあざむくを言う。軍争篇に「兵は詐を以て立つ」と。「道」はある目的地に通じている道のことで、人はその道を歩いてその所に達するから、ある事をするにはそれに由って行なわなければならない、その道の意。一説に「詭」を多義に解して『国字解』は「詭はいつはりとも、あやしとも、たがふとも読む。是は唐の文字に倭国のことばを付けて、文字の訓を定むるに、一言にてとくと、其字の意を云ひ取られぬことあるによりて、一字に二つも三つも字訓あるなり。世のつね詭道と云へば、いつはりと云ふ訓ばかりに泥みて、合戦と云へば、とかく表裡たばかりを、軍の本意と定むるは僻事なり。あやしとは敵よりあやしみ、何とも合点のゆかぬことなり。たがふと読む時は、詩経の詭随、孟子の詭遇などの、詭の字の意にて、正しき定格を守らぬことなり。故に兵は詭道なりと云ふは、軍の道はとかく手前を敵にはかり知られず、見すかされぬ様にして、千変万化定まりたることのなきを、軍の道とするなり。されば敵よりは是をたばかると思ふ故、いつはりとも訓ずるなり」と。「詭」を多義に解する結果、本来の意味するところを失っている。後述によって知るように、敵にはかられぬようにすることは主として無形の戦術であり、千変万化することは主として九変の戦術である。この句は「兵の道は詭道なり」の約で、兵を行なうには道がある、それは敵をあざむく道であるの意。ここでは道の意を軽くみて、戦闘行為は敵をあざむく行為であると解す。一説に『外伝』は「詐譎(さけつ)を用ふるも亦兵の道なり。詭を専らにするに非ざるなり。後学の者誤り視ること勿かれ」と。詐譎はいつわりあざむくこと。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:守屋洋○守屋孫子:詭道-相手の眼をくらまし、判断を惑わすこと。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:一、戦争の性格と輪郭は五事・七計によって定まるが、それは、さらに、兵法という要素が加わっていることによって、単なる力の争い・国力の対決の場から智略の争いの場へと変質するのである。而して、その兵法(作戦・用兵)は詭道を以て本質とする、と言うのである。曹操は、「兵には常形無し。詭詐を以て道と為す」と註している。  一、クラウゼヴィッツの詭計との比較 「詭道」は、一般には詭計と訳されている。このため、往々にして、クラウゼヴィッツの次の所論と比較される所である。即ち、「戦略的行動を指揮し、之に活力を与えるために最も適合した要素の一つは詭計である。…、奇襲の一般的要素から考えても、このことは想像できる。というのも、凡そ奇襲なるものは、その根底に詭計の要素がなければ、その実行は不可能である」と。一見、孫子の思想と合致、その解説として用いらるかの如く思える。しかし、クラウゼヴィッツは詭計を評価するとはいっても、それは、単に奇襲の如き一作戦・一軍事行動を成功させるための要素として重視しているに過ぎない。これに対し、孫子は「兵は詭道なり」と言っている如く、詭道を以て、戦争行為特にその中心をなす軍事戦略のすべて-つまり戦略から戦術場面に至る行動・方略のすべてを領導する基本思想とせねばならない、とするのである。彼は、このことを、軍争篇では「兵は詐を以て立つ」と言っている。両者の違いは明白であろう。 一、孫子が、詭道を以て戦争行為・用兵の本質とすべきであるとした理由の根底には次の歴史的事実があると思われる。即ち、戦争を、従来の如き漫然たる力の争い・力の対決の場となすことは、戦争を徒らなる殺戮の場と化するだけで、敵の抵抗を強化して戦争を長期・無制限化し、たとえ「戦勝攻取」(火攻篇)しても、天下が疲弊する場合が多く、経世済民のため覇王として天下の統一を志す所以ではない。それどころか、その勝利が転じて、却って次の衰亡を準備するものとなっていることが少なくない歴史的事実である。詭道を以て本質とする戦争指導・軍事戦略は、戦争を短期・限定化するのみならず、これによって禍害の及ぶ所をよく制限し、覇王が本来の戦争目的とする所を達成せしむるものである。孫子と時代を同じくする老子も、「正を以て国を治め、奇を以て兵を用う」と。つまり、国の長久安定を図るためには、政治は正を以て統治するものでなければならないが、戦争は奇を以て勝ち速やかに事態を収拾するものでなければならず、それが国を利する所以であると言うのである。両者はその立場を異にする者であるが、我々は、彼らが期せずして同一の軍事思想・戦争観を抱くに至っているのを見る。恐らく、戦いに明け暮れて止むことのない春秋・戦国の惨憺たる戦争の実態が、この種思想を生じさせたのであろう。第一次大戦後、戦争の惨禍を軽減するためとして、西欧の軍事界に制限戦争論・少数精鋭軍隊論の如き思想が登場し、また現代では、一般民衆を戦禍にまきこまぬための兵器・戦法開発の思想の発生も見られるが、何れも軌を一にするものと言えよう。しかし、孫子の、この「詭道」を以て用兵の本質とする思想の根本精神は、実際には、未だに理解されているとは言い難い。と言うよりも、米・ソの如き超大国の場合、理解していないと言うべきであるが、特に支那人(漢民族)の場合然りである。彼らの場合、この「詭道」を以て、どこまでも(止め度なく)、状況(敵の慮)につけこむことを以て賢明とする教えとし、自制する所を知らない。自他を不幸にする所以であるが、猛省すべきであろう。無論、このことは、我々にその資格ありとして言うのではない。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:大橋武夫○大橋孫子:詭道-いつわり。あざむくこと。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:詭道-トリック、策略

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:佐野寿龍○佐野孫子:兵者、詭道也-戦争の性格と輪郭は五事七計によって定まるが、それは、更に、兵法と言う要素が加わることによって、単なる力の争い・国力の対決の場から智略の争いの場へと変質するのである。而して、その兵法(作戦・用兵)は詭道を以て本質とする、と言うのである。曹操は、「兵には常形無し。詭詐を以て道と為す」と註している。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:田所義行○田所孫子:○兵者、詭道也の兵とは、兵法とか軍略の意で、戦闘に臨むかけひき。それが杓子定規の法則によらないで、変幻自在であるとの意。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:重沢俊郎○重沢孫子:もともと作戦用兵は詐術を本質とする。

○著者不明孫子:【詭道】「詭」は偽る、欺く意。「詭道」は詭を事とする道、詭を本質とする事柄。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:詭は權也勢也、音奇と同じ、故に奇と相通ずる也。云ふ心は、兵は奇詭を以て勝を制する道也。必ず正法に拘りて一途になづむときは變に合ふを知らず。このゆゑ仁義道徳を以て、内をととのへ、人民相和すと云ふとも、戦に臨み敵に應ずるときは、其の勢にしたがつて、詭道を以て外をたすけざれば其の兵必ず敗る。古の能く仁義道徳に達する人は、其の時にしたがつて權道を用ふ。しからざれば事物全からざる也。孫子が兵は詭道也と云へるに付きて、後學の儒生、兵は奇詐の術也、用ふるに足らずと云ふこと、尤もあやまれり。聖人と云へども兵を用ふるときは、詭詐[いつわりあざむくこと。うそ。譎詐。]を用ひざればかなはず、然らざれば兵必ず敗るる也。兵計りにかぎらず、日用の事物應節亦然り。道の字かるく見てよし。魏武注に詭詐を以て道と為すと云へるは、甚だあやまれり。經傳に道の字を云ふ處多し。君子の道、小人の道、財を生むに、盗を為すに道有りなど云ふ、皆其の術をさして云ふ。道の字甚だ軽し。兵は詭詐の術なりと云へる意也。往年余兵法を學ぶとき、北條氏長此の一句を以て詭亦道也と為す、余亦嘗て皇其の説を張して、詭も道也、いつはりを行ふも皆大道にあたると云ふ心とす。近來に至りて牽合附會して其の説を興盛ならしむるの弊より出でたることをしれり。詭詐を以て道とすると云ふにはあらず、詭詐もまた道其の中に在りとは云ひつべき也。正と奇と陰と陽とは、其の差別各々こと(異)也。陰をさして陽と云ひ、火をさして水と云ふは、皆堅白同異[①[史記[孟子荀卿伝]]中国戦国時代、公孫竜の説いた一種の詭弁。例えば、堅く白い石があるとすると、目で見た時はその白いことはわかるが堅いことはわからない。手にふれた時はその堅いことはわかるが色の白いことはわからない。故に堅石と白石とは同一のものではないと説く論法。堅石白馬。②転じて、詭弁。]の論にして、辯者の云ふ處也。文は正也、武は奇也、武の内にも兵事は猶ほ以て凶器末徳にまぎれあらざれども、已むを得ずしてこれを用ふ。之れを用ふるにも正あり奇あり、内謀あり外佐あり。五事七計の校は正也、内謀也。權危の勢は奇也。外佐也。直に奇權を以て正也と云ふべからず。殺していかし、おさへてあげ、曲げて直にいたすの道也。故に詭りて正其の中に在りは、(この句、論語子路篇第十八章に出づ)父は子の為めに隱し、子は父の為めに隱し、直きこと其の中に在りと云ふ(と)同意也。此の段は兵法詭權を論ずるの言ゆゑに、兵は詭道也といひ出して、詭道の品々をあげたる也。前段五事七計は内計、此の段は皆勢奇の論なりと、二段にわけてみて、内外正奇明白にしるるなり。此の段講義に云ふ、當時の君唯だ近効を圖る、此において奇に非れば以て濟ふに足らず、正に此の意也と。此の説尤もあやまれり。予嘗て孫子句讀を述ぶ。其の説に云はく、兵詭詐を以て本と為さば、則何ぞ道を以て五事の第一と為さん哉。孫子は五事七計を以て内と為し、勢を以て外の佐と為し、自ら勢を註して曰はく、利に因りて權を制すと。又用間を以て篇末と為す。是れ權謀の先にす可からざる也。然らば則ち孫子詭詐を以て道と為さざること明なり。而して兵は詭道也と曰ふは、兵は凶器なり。天道之れを悪む。已むを得ずして之れを用ふ。故に權道を以て用と為す。權道は常法に反して常法に同じきなり。詭詐は兵家亦好まざる所也。然れも已むを得ざれば常法に反して常法に反せず。是れ兵の權道也。故に詭道は猶權道と曰ふがごとし。詭詐を以て道と為すヰは則大に誤也。曹公已以為(おもへらく)詭詐を以て道と為すと云々。問對中(李衛公太宗問對武經七書の一)、太宗五行の陣を問ふ。靖も亦曰はく、兵は詭道也、故に強ひて五行と名づくと。同下に、太宗謂ふ、陰陽術數之れを廢して可なからんかと。靖又曰はく、不可なり、兵は詭道也、之れに托するに陰陽術數を以てせば、則貧を使ひ愚を使ふ、玆れ廢す可からざる也、云々。舊説皆此の如し、故に後世兵を談ずるの士皆詭變を以て本と為す、甚だ孫子の本源に違ふ、五事七計の外は、權道を以て事を制する也、是れ奇正起る所也。三略に曰はく、變動常無し、敵に因りて轉化すと云々。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:是は上の文に、因利而制其權と云へるをうけて、此權と云ものを、合戦の上にて大切にするわけを云へり。總じて合戦の道は詭道なり。詭道と云は、詭はいつはりとも、あやしとも、たがふともよむ。是は唐の文字に倭國のことばを付て、文字の訓を定むるに、一言にてとくと、其字の意を云ひ取られぬことあるによりて、一字に二つも三つも字訓あるなり。よのつね詭道と云へば、いつはりと云訓ばかりに泥みて、合戦と云へば、とかく表裡たばかりを、軍の本意と定むるは僻事なり。あやしとは敵よりあやしみ、何とも合點のゆかぬことなり。たがふとよむ時は、詩經の詭隨、孟子の詭遇なとの、詭の字の意にて、正しき定格を守らぬことなり。故に兵は詭道なりと云は、軍の道は、とかく手前を敵にはかり知られず、見すかされぬ様にして、千變萬化定まりたることのなきを、軍の道とするなり。されば、敵よりは是をたばかると思ふゆへ、いつはりとも訓ずるなり。易の師の卦に、聖人の兵法を明し玉へり。師の卦は、外坤の卦にて、内坎の卦なり。坤は至静をあらはし、坎は至險をあらはす。至て静にして動かず。聲もなく臭もなき中に、はかり知られず、犯しさはられぬ物ある。是軍の本體にして、八陣の根元なり。孫子が兵者詭道也と云をも、ここに本づきて是を伺はば、其妙處に至るべし。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:「兵は詭道(味方の様子を敵に察知されないようにして、千変万化、正常なやり方に反した、相手の裏をかくしわざ。)なり。」-是れ計の用なり、亦計に非ず。此の句は是れ經(「經・伝」の意は、聖人の書を経といい、その注釈を伝という。)、十四目は是れ傳。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:北条氏長:士鑑用法○北条氏長『士鑑用法』(正保三年)(1646):孫子に兵は詭道なりとあるを、あしく心得て、直実の道にあらずと思へり、是大なる誤なり。常にあらずんば、いかでか敵に随て転化することをえん。孫子云ところは、詭も道なりと云義也。

○北条氏長『孫子外伝』(『士鑑用法』の後の作):詭道の詭は詐詭也。実を示さずなり。言うこころは、詐譎を用いるも亦兵の道也。詭を専らにするに非ず。後学の者誤り視ること勿れ。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:兵は常形無し。詭詐を以て道を為す。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:杜佑:孫子十家註○杜佑:兵は常形無し。詭詐を以て道を為す。息侯蔡を誘い、楚子宋を謀るが若し。

○李筌:兵は詐を厭わず。

孫子の兵法:兵とは詭道なり。:兵者詭道也。:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:譎に非ざれば以て權を行なう可からず。權に非ざれば、以て敵を制す可からず。

○王晳:詭とは敵に勝ちを求める所以にして、衆を御するに必ず信を以てするなり。

○張預:兵を用いるは仁義を本とすと雖も、然るに其の勝を取るに必ず詭詐在り。故に柴を曳き塵を揚げるは、欒枝の譎なり。萬弩齊えて發するは、孫臏の奇なり。千牛俱に奔るは、田單の權なり。沙を囊し水を壅ぐは、淮陰の詐なり。此れ皆詭道を用いて勝を制するなり。


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○金谷孫子:戦争とは詭道-正常なやり方に反したしわざ-である。

○浅野孫子:戦争とは、敵をだます行為である。

○町田孫子:戦争とは、詭道つまり敵の意表をつくことをならいとする。

○天野孫子:そもそも戦闘行為は敵をあざむく行為である。

○大橋孫子:戦いは合理的な正攻法を基本とするが、効果的に勝つには、敵をあざむく駆け引きを併用する必要がある。

○武岡孫子:戦争行為の本質は、敵を欺くことにある。したがって戦略立案にあたっては詭道を策案の中心にしなければならない。そのトリックの一例をあげれば次のものがある。

○フランシス・ワン孫子:戦争行為の本質は、敵を欺くことにある。

○著者不明孫子:戦争は相手の裏をかくことを本質とする。

○学習研究社孫子:①戦争とは、カモフラージュと回り道の世界である。②それというのは、戦争とは一つのうその世界である。

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