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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2012-05-19 (土) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『故に能なるも之れに不能を視し、』:本文注釈

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「視」の字は『竹簡孫子』のみにみられる。他の諸本はすべて『示』の字につくる。

この「故に能なるも…」~「親にして之れを離す。」までは解釈に諸説あり、どの解釈をとるかで非常に悩まされる。文の区切りにも諸説ある。

村山孚の『中国兵法の発想』によると、「「孫子兵法」に「相敵法」-つまり「敵ヲ相(ミ)ル法」というのがある(『孫子』行軍篇)。このなかに、ポジの世界では正体のわからない敵を観察する法があるのだ。もともと、「みる」にはいろいろな「みかた」があり、それぞれちがう文字があてられている。現在はそれほど厳密に区別して使われてはいないが、本来からいうと、「見る」は目にうつったものをそのままみるのであり、「観る」は離れたところからながめること、「覧る」はながめまわす、そして「視る」は調べてみるという意味であったという。ところで、『孫子』にいう「相ル」は、これらのみかたとはまたちがっていて、「表面的な姿かたちから推して、その中身を判断する」という意味をもっている。そこで『孫子』の相敵法だが、いずれも、わずかな兆候から推して敵情を判断する方法であり、むかしから有名な、「鳥がとびたつのは伏兵のいる証拠である」などというのもその一つなのである。この相敵法には、全部で三十三の具体的な方法があげられており、なかでもユニークなのが、「敵の意図を見ぬく法」と「敵の内情を見ぬく法」である。…。」とある。このことから「視」の字の解釈を「視」の字の本来の字義から「調べて見る」という意味、または行軍篇に載っている「敵情看破法」としての「表面的な姿形から推測して、その中身を判断する」という意味としてとらえると、『まず、敵が有能であっても、この敵の中に不能である点を見抜き、』となり、この文の意味は従来とらえられてきた文意とは全く異なるものとなる。以下に続く文についても、『敵が役立てて働きかけているものの中に、用を為していないものを見抜き、』『近くにあると思っているものも、遠くに実はあるものではないかと調べて見て、』『遠くにあると思っていても、実は近くにあるのではないかと調べて見る。』となり、従来考えられてきた文意とは異なるものとなるが、また実に的を射た文意となる。一考の価値はあろう。

能-①仕事をしとげる力。はたらき。わざ。②よくする。うまくできる。はたらきがある。③はたらきかける。④ききめ。効果。作用。⑤猿楽さるがくから展開した日本固有の歌舞劇。⑥「能登国」の略。【解字】大きな口をあけ、尾をふりあげた動物を描いた象形文字。「熊」の原字。くまが力の強い動物であるところから、強い力を持ってはたらく意となった。もと、肉部。

視-①みる。注意してよくみる。②みなす。…として扱う。【解字】もと、見部4画。形声。「見」+音符「示」。目をとめてじっと見る意。

示-表して見せる。教える。さしずする。しめす。【解字】神霊を招き降ろす祭壇を描いた象形文字。そこに神意がしめされるところから、「しめす」意を表す。



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○天野孫子:『能而示之不能』 「能」はなし得ること。『国字解』は「能(よ)くするとは、吾力にかなひ、吾手ぎわになることなり」と。手ぎわとは手腕の意。なにをなし得るかは、その場合によって異なり、ここではなし得る範囲を限定していない。以下も同様である。「之」は敵をさす。以下も同様。

○フランシス・ワン孫子:「能而示之不能、用而示之不用」 一、本項以下は、前項の趣旨を受けて、形勢作為の方策について述べたものであるが、その中でも、本項は、他のすべての詭道の根本をなすものと言える。本項は、「能くするも之に能くせざるを示し、用うるも之に用いざるを示す」の如く読む者もいるが、意味に変りはない。

○守屋孫子:たとえば、できるのにできないふりをし、

○田所孫子:能而示之不能とは、こちらに十分能力があるが、相手国に対しては如何にも能力がないように見せかけるとの意。

○重沢孫子:それ故に、我に実力がありながら、敵に対しては無いように見せかける。

○孫子諺義:『故に能くして之れに能くせざることを示し』 能と云ふは兵の形勢にかかれる言也。主将・士卒・兵衆の強弱・勇怯・陳法・營法ともにこの心得あり。一事をとらへて之れを論ず可からざる也。舊説に大将の材能ときはめてみる注之れを用ひず、云ふ心は我れ實にこれをよくして而して敵には能くせざるがごとくみせて、かれが虚のいできたるごとくいたす也。

○孫子国字解:『故に能くして之に能はずを示す。用ひて之に用ひずを示す。』 故とは上の文を承る詞なり。上の文にある如く、兵は詭道なるゆへ、かやうかやうと詭道の作略を、是より下十四句に説けり。是皆上に云へる兵の勢なり。能するとは、吾力にかなひ、吾手ぎわになることなり。不能とは、力に叶はず、手にあまることなり。示すとは見せかくることなり。用ふとは、取用ることなり。たとへば、戦て勝ことがなれども、ならぬ様に思はせ、城を攻落すことがやすやすとなれども、ならぬ様にして見せかくるは、能而示之不能なり。又ここにてはかやうのてだてをせんなど、敵の氣つかふ處なれば、左様なる手だてをばせぬ様に見せかけ、何々の兵具を用ひて利ある所あれば、それをば用ひぬ様に思はせ、我臣にも、敵の手を置くものをば用れども、用ひぬ様に見せかくるなど、みな用而示之不用なり。皆敵に油断をさせ、度に迷はる道なり。

○孫子評註:『故に能くすれば之れに能くせざるを示し、用ふれば之れに用ひざるを示し、近ければ之れに遠きを示し、遠ければ之れに近きを示し、利して之れを誘ひ、亂して之れを取り、實なれば之れに備へ、強ければ之れを避け、怒りて之れを撓(たわ)め、卑しくして之れを驕(おご)らしめ、佚(逸に同じ。安んじること。)すれば之れを勞(つか)らし、親しければ之れを離す。』 能(原文「能而示之不能」の能。)は、即ち「将孰れか能ある(前出。)」の能なり。先づ将の能より説き下す。十四事皆是れ将の事、並びに「計利にして以て聴かる」の上に就きて言を立つ。能而(この類の注釈は以下にも多い。原漢文を参照のこと。)、用而、近而、遠而、實而、強而、佚而、親而の而は皆「則(すなわち)」なり。利而、亂而、怒而、卑而の而は皆「以(もって)」なり。之の字は皆敵を斥(さ)す。怒りてとは我れ怒を示すなり。卑しくしてとは我れ卑しきを示すなり。 ○實なれば備へ、強ければ避くるは、孫子の慣手段なり。深く此の理を知るものは楠河内(大楠公、楠木正成。)及び吾が洞春公(毛利元就。萩藩の祖、故に「吾が」という。)の如し。世に多くはあらず。

○張預:實とは強にして之に弱きを示す。實とは勇にして之に怯を示す。李牧 匈奴に敗れ、孫臏 龐涓を斬るの類なり。


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○金谷孫子:それゆえ、強くとも敵には弱く見せかけ、

○浅野孫子:だから、本当は自軍にある作戦行動が可能であっても、敵に向けては、自軍にはとてもそうした作戦行動が不可能であるかのように見せかけ、

○町田孫子:だから、じゅうぶんの力があってもないようにみせかけ、

○天野孫子:それゆえ、味方に能力がありながら敵に能力がないように示したり、

○フランシス・ワン孫子:「能而示之不能、用而示之不用」-それ故に、実力をもっていてももっていない如く見せかける。積極的に出んとするときは、消極的であるかの如くよそおうべきである。

○大橋孫子:(この部分の訳が欠落。)

○武岡孫子:たとえばある戦法が使えるのに使えないふりをする。

○著者不明孫子:だから、有能であれば無能であるように見せかけ、

○学習研究社孫子:だから、実際に強くても、敵には弱いように見せかけて、敵の判断を誤らせるのである。

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