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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2012-05-30 (水) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『近くとも之れに遠きを視し、』:本文注釈

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近-①へだたりが少ない。㋐距離的にちかい。㋑時間的にちかい。ちかごろ。㋒つながりがちかい(者)。②ちかづく。そばに寄る。【解字】形声。「辶」+音符「斤」(=わずか)。わずかの道のりの意。

遠-①へだたりが大きい。とおい(所・将来)。おくふかい。②とおざける。とおざかる。③「遠江国」の略。【解字】形声。「辶」+音符「袁」(=長い)。長く歩いて行く意。転じて、道のりがとおい意。



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○天野孫子:近而示之遠、遠而示之近-「遠」「近」は空間上について言うばかりでなく時間上についても言う。一説に『略解』は「遠近は地の里数で云ふ。時の久と急とを遠近と説くは非なり」と。なお「遠」「近」はわれの行為をあらわすものとして用いているから、遠ざかる、近づく、遠くにおる、近くにおる、遠い将来に撃つ、近い中に撃つなどの意を持つと解される。「近而示之遠」は敵に近づくのに遠ざかるように見せる、敵に近くいて遠くにいるように見せる、近い中に敵を攻めるのにのちのちになって敵を攻めるように見せる、などの意。従ってこれは前二句の意と同意である。「遠而示之近」は、前述と反対の意。従ってこれは「不能而示之能、不用而示之用」と同意。この両句は、その意図するところ前二句の意と同じであるから前二句の意に基づいて生じたもの。一説に『国字解』は「近国を攻むべきと思はば、遠国を攻めるふりにもてなし、遠国に働くべきとする時は、近所に働くふりをすることなり」と。

○守屋孫子:遠ざかると見せかけて近づき、

○フランシス・ワン孫子:『近而示之遠、遠而示之近。』 一、仏訳は、本項の遠近を位置と距離のことと解しているが、無論、時間も含まれる。真珠湾作戦に於て、我が海軍は、攻撃部隊の進出を秘匿して内地に在るが如く思わせることに成功したが、これは、「近くして之に遠きを示す」位置の例とすることができる。有名な明智光秀の「敵は本能寺に在り」の奇襲要領も、同様に、位置と距離の例とすることができる。しかし、そもそも、織田信長に、その謀叛はあってもまだ先のことと判断せしめていた行動要領の面からすれば、時間の例とすべきであろう。第四次中東戦争に於て、エジプトが開戦を決意しながら、遠近の計によって戦意なき者の如くよそおい、イスラエルをして、戦争は生ずるとしてもまだ数年先のことと判断せしめたのは、時間の例である。  一、本項の遠近の計は、古来、侵略もしくは不意打ちを意図する国が必ず用いる所である。しかし、現在の我国では、このことを殊更に認めまいとする。それは、たとえば、近年話題となった「ソ連の意図と能力」という愚かしさを通りこした論争にも見ることができよう。李筌は「(遠近の計は)、敵をして備えを失わしむるなり」と註しているが、我々が、ソ連の謀略或は米国マスコミの貧すりゃ鈍する思考様式に迷わされて、備えを失う者とならねば幸である。

○重沢孫子:敵に近づいて襲撃しようとする時は、敵から遠ざかるように、

○田所孫子:近而示之遠、遠而示之近とは、時日・距離等の遠近をすべて反対に見せかけておくこと。

○著者不明孫子:【近而示之遠】 「近・遠」は「近づく・遠ざかる」という動詞(戦場あるいは敵のいる位置に近づく、そこから遠ざかる意)として理解した。諸注もだいたいそのように説明している。距離が「近い・遠い」という意味の形容詞と解することもできるが、距離を違うように見せかけるのはきわめて困難であろう。

○諺義:是れは我れ實は近き所より直に働きてかれをうつべきを、彼れには遠くみせて遠をふせがしめ、近所を虚ならしむる也。又速に攻撃すべき奥意を以て、わざと長陣の體を示すも同意也。

○孫子国字解:『近くして之に遠きを示し、遠くして之に近を示す』 近國を攻むべきと思はば、遠國を攻るふりにもてなし、遠國に働くべきとする時は、近處に働くふりをすることなり。


十家註孫子:『近くして之に遠を示し、遠くして之に近を示し、』

○杜佑:進まんと欲して去る道理なり。言うこころは多く宜しく其の近を設け耀く敵軍を誑かすべし。之を示すに遠を以てし、本より其の近に従う。韓信の安邑を襲い、舟 臨晉に陳して夏陽に渡るが若し。

○李筌:敵をして備えを失わ令むるなり。漢の将韓信 魏王豹を虜にす。初めて舟を陳し臨晉に渡らんと欲す。乃ち師を潜み木?を浮かべ、夏陽に従い安邑を襲う。而して魏備えを失するなり。耿弇の張歩して往く。亦先ず臨淄を攻める。皆遠勢を示すなり。

○杜牧:近くに敵を襲わんと欲すれば、必ず示すに遠きに去るの形を以てす。遠きに敵を襲わんと欲すれば、必ず示すに近くに進むの形を以てす。韓信 兵臨淄に盛んにして、夏陽に渡る。此れ乃ち示すに近きを形に以てして、遠き敵を襲うなり。後漢の末 曹公・袁紹官渡に相持す。紹 将 郭圖・淳于瓊・顔良等 東郡太守 劉延を白馬より攻め遣わす。紹 兵を引いて黎陽に至る。将に渡河せんとす。曹公北は延津を救う。荀攸曰く、今兵少なく敵ならず、兵勢を分てば乃ち可なり。公 兵延津に致る。将に兵を渡さんと欲し其の後に向かう。紹 必ず西は之に應じんとす。然る後軽兵白馬を襲う。其の不備を掩(おお)う。顔良 擒とす可し。公 之に従う。紹 兵渡すを聞かば即ち留まる。兵を分ち西は之に應ず。公 乃ち引きて白馬に趨く。未だ十餘里に至らずして、良 大いに驚き来たり戦う。張遼・関羽前進せ使む。撃破し顔良を斬る。白馬圍みを解く。此れ乃ち示すに遠形を以てして、近くに敵を襲うなり。

○賈林:去就我に在り。敵何に由りて知る。

○梅堯臣:其の測ること能わざら使む。

○王晳:上註に同じ。

○何氏:遠にして之に近きを示すとは、韓信 舟臨晉に陳して、夏陽に渡す是なり。近くして之に遠きを示すとは、晉侯虢を伐つ。道于 虞(おそれ)を假にす是なり。

○張預:近くに之を襲わんと欲せば、反して示すに遠きを以てす。呉 越と水来るに相拒む。越左右句卒を為し、相去りて各五里。夜爭いて鼓鳴りて進む。呉人分ちて以て之を御す。越の潜(ひそ)みて渉る。呉の中軍に當りて之を襲う。呉の大敗是なり。遠きに之を攻めんと欲せば、反して示すに近きを以てす。韓信 兵臨晉に陳して、夏陽に渡す是なり。


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○金谷孫子:近づいていても敵には遠く見せかけ、

○浅野孫子:実際は目的地に近づいていながら、敵に対しては、まだ目的地から遠く離れているかのように見せかけ、

○天野孫子:近いのでありながら敵に遠いように示したり、

○町田孫子:近づいていても遠くにいるようにみせかけ、

○フランシス・ワン孫子:『近而示之遠、遠而示之近』 近くに居る時は遠くに居る如く思わせ、遠く離れている時は近くに居る如く思わせよ。

○大橋孫子:近くにいるのに遠くにいるように、

○武岡孫子:主力部隊は近くにいるのにかくさせておいて、遠くに主力がいるように行動させて敵を欺く。

○著者不明孫子:近づくときには遠ざかるように見せかけ、

○学習研究社孫子:近くにいながら、遠くにいるように見せかけ、

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