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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2013-01-14 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『力を中原に屈くし、内は家を虚しうすれば、百姓の費、十に其の六を去る。』:本文注釈

⇒意訳に移動する

この文は読み方に諸説ある(当然読み方が変われば解釈も変る。)(しかし、「国民の生活がひどくなる」、という大意さえ押さえておけば、この文にそんなにこだわる必要はないだろう。)。また、諸本では「十に其の七を去る」と記載されているが、竹簡孫子のみ「十に其の六を去る」となっている。また、竹簡孫子と武経本、『御覧』には「財殫」の二字がない。


中原-ちゅう‐げん【中原】①広い野原の中央。②中国文化の発源たる黄河中流の南北の地域、すなわち河南および山東・山西の大部と河北・陝西せんせいの一部の地域。③天下の中央の地。転じて、競争の場。逐鹿場裡(ちくろくじょうり)。

内-①うち。㋐一定の範囲の中。㋑家庭。家の中㋒心のうち。精神。②朝廷。宮中。③表向きでない。ひそか(に)。うちうち。【解字】「内」は、もと入部2画。会意。「冂」(=屋根の形)+「入」。おおいの中にとりこむ、転じて、かこいのうちの意。

費-①金品や労力を使いへらす。ついやす。②物品を買ったり仕事をしたりするために使う金銭。ついえ。【解字】形声。「貝」(=財貨)+音符「弗」(=分散させる)。散財する意。

去-①その場から離れて行く。時間が経過してゆく。②遠ざける。とりのぞく。③漢字の四声の一つ。【解字】ふたつきのくぼんだ容器を描いた象形文字。くぼむ、ひっこむ意。一説に、からの容器からふたをはずした会意文字で、とりさる意。もと、厶部3画。





○金谷孫子:『力は中原に屈き用は家に虚しく、百姓の費、十に其の七を去る。』
 力屈財殫中原内虚於家-読み方に異説多く難解。竹簡本・武経本と『御覧』には「財殫」の二字が無い。恐らくそれがよく、「内」字は「用」の誤りであろう。力と用と対する。なお竹簡本では「屈力」となっている。

○町田孫子:宋本では「力屈(つ)き、財殫(つ)き、中原内は家に虚しく」とあるが、武内義雄『孫子考文』によって改めた。

○天野孫子:『力屈し財中原に殫き、内家に虚し。百姓の費、十に其の七を去る。』
 ○力屈財殫中原内虚於家  これについてはさらに二通りの読みかたがある。その一つ(前者)は「力屈し財殫き、中原の内、家に虚しく」と、他の一つ(後者)は「力屈し財殫き、中原の内虚し。家に於ては」と。主として「中原」の意味と文中におけるその役割とによって読み方を異にする。「中原」はいずれに属して読むも据(すわ)りが悪い。そこで『発微』は「中原内虚」を句とし「於家」を衍字とする。「力」はここでは民の運輸につくす力。張預は「糧を運べば則ち力屈す」と。一説に兵力と。『諺義』はこの句を前者の読み方をして「力屈すとは、軍旅の兵、気力のつかるるなり」と。なお前文に「力を屈し貨を殫す」とある。ただこの場合は、その前句の「城を攻むれば則ち力屈す」を受けて言う。ここで「力屈」は唐突である。『詳解』は「力屈」について「此の二字、疑ふらくは上文に因りて衍ならん」と。「財」は金銭・布帛・玉璧・粟米などを総称して言う。ここでは主として民の生産するものを言う。「財殫」の二字は太平御覧にない。『講義』もこの二字を欠いていて、「力、中原に屈し、内、家に虚し」と読んでいる。静嘉堂蔵『武経七書』(以下『七書』と略称す)も「財殫」の二字がない。「中原」は普通、黄河河畔の原野をさす。黄河河畔は文化発祥の地であるから天下の中央部の意味を持つが、ここでは自国内の原野を中原と称したと解する。『諺義』は「中原は国中の原野と云ふ心なり」と。『俚諺鈔』も「ここには国中を指して云ふ」と。一説に天下の中央部の意として『国字解』は「中原は中国を云ふ。…此の書は孫子が呉王に説きたる書にて呉国より遠境へ軍を出すと云へば、皆中原へ働くことなる故、遠国の陣処にて、民の精力屈し、財宝竭くると云ふことを、力屈して財中原に竭くと云ひたるなり」と。また一説に原野と。どこの原野か明示せずに、魏武帝は、「糧を運びて力を原野に尽す」と。また一説に『詳解』は「中原とは原中なり。猶中谷・中心の例のごとし。中原は戦場を指すの称なり」と。また一説に『外伝』は「中原は国中なり。国都を云ふなり」と。「内」は中原の外に対して家を言う。一説に国内であると。『国字解』は「内とは領内なり」と。この句を前者及び後者の読みかたをすると中原内の意となる。「虚」は内がからであるの意。「家」は下の百姓の家をさす。
 ○百姓之費十去其七  民は全収入の中の十分の七が軍事費で失われる。残りの十分の三は生活維持費。趙本学は前句について後者の読みかたをして「私家に於て之を計るに、百姓の遠輸と貴売と丘役とに費すこと、其の財の民に在る者、十分して当に其の七を去るべし」と。一説に『大系』は「遠輸の弊は百姓十を費して其七は軍費とならずして輸送等に費え、実際軍に供するところは三のみ」と。

○フランシス・ワン孫子:『力屈し財殫き、中原の内、家に虚し。百姓の費、十に其の七を去る。』
 註  本項は次の如く読む者もいる。即ち、「力屈し、財は中原に殫き、内、家は虚し。百姓の費、十に其の七を去る」(力屈、財殫中原、内、虚於家。百姓之費、十去其七)と。或いは、「力屈し、財殫き、中原、内に虚し。家に於ては、百姓の費、十に其の七を去る」と等。しかし意味に変りはない。

○守屋孫子:かくして、国力は底をつき、国民は窮乏のどん底につきおとされ、全所得の七割までが軍事費にもっていかれる。

○田所孫子:○中原内虚とは、中国の内地が空虚になるとの意。 ○於家百姓之費、十去其七とは、人民の家では、その資財の七割を徴発されてなくなるとの意。

○大橋孫子:力屈し-戦力弱化 財中原に殫き-国内が貧乏となり
 内家に虚しく-国民の家には何もなくなり
 百姓の費-国民の財産 十に其の七を去り-70%を失い

○武岡孫子:力は中原に屈き-戦力は中原の戦場でなくなり
 用は家に虚しく-国民の家には何もなくなり
 百姓の費-国民の財産 十に其の七を去る-70%を失い

○重沢孫子:こうして人民の力はゆき詰るし、財かはつきるというわけで、中央平野部の農業地域では家庭内がすっからかんになり、庶民の経済的損失は、十のうちその七を消耗し、

○佐野孫子:【校勘】○力屈中原、内虚於家 「十一家註本」には「力屈」の下に「財殫」の字があるが、「武経本」にはない。「竹簡孫子」では「屈力中原、内虚於家」となっている。意味を変えるものではないので、ここでは「武経本」に従う。
 ○百姓之費、十去其七 「竹簡孫子」では「十去其六」となっているが、ここでは「十一家註本」に従う。
【語釈】○力屈中原、内虚於家 「中原」は普通、黄河河畔の原野をさし、天下の中央部の意味をもつ。ここでは曹操註に従い、どこの原野か明示せずに、「糧を運びて力を原野に尽す」と解す。また一説に「中原は、戦場、戦地(前線)を指す」と。「内」は中原の外に対して国内(領内)の意と解する。「虚」は内がからであるの意。
 ○百姓之費、十去其七 民は全収入の中の十分の七が軍事費で失われる。

○著者不明孫子:【力屈中原】「力」は主として民衆の労働力を指すのであろう。「屈」はそれが低下し、なくなること。「中原」は野原。曹操以下、多く「原野」と注する。戦場や輸送路などを指し、食糧の輸送などのために民力が浪費されることをいう。「中原」はここではいわゆる中原の地(華北中央部)をいうのではない。
 【内虚於家】「内」は上文の「中原」に対して国内をいうのであろう。「家に虚し」とは民家の家の中において生気が欠乏して空虚なこと。
 【十去其七】十のうち七(つまり十分の七)を除く。七割を減ずる。

○孫子諺義:『力屈し財殫き中原内於は家に虚なるときは、百姓の費十にして其の七を去る。』
 力屈しとは軍旅の兵氣力のつかるる也。財竭きは百姓の財用ことごとくむなしき也。是れ外軍前を云へり。中原内家に虚なるときとは、國中原野の民、家業ことごとく虚する也。しかれば百姓の費十にして七分のつひえたる也。中原は國中原野と云ふ心也。國中は國の中也。原野は國外郊野をいへり。魏武は百姓力を原野に屈し財をうしなふと註せり。李筌・杜牧・講義之説亦之れに從ふ。故に中原の字を上へ連續せしむる也。力を以てするときは則中原に屈し、内を以てするときは則家虚なりと云ふ、是れ也。一本、力中原に屈しとあつて財竭の字之れ無きあり。王晳が註には、中原虚と句をきりて、國中公義の虚をさす。於家は百姓の家をさすとみたり、直解・通鑑皆之れに從ふ。しかれども力屈財殫と云ふ、是れ乃ち外軍前のつひえなり。中原内家に虚なると云ふ、是れ内百姓の家業を失ふ也。内の一字にて上の力屈し財殫きは外なることをしるべし。開宗に云はく、今七十萬家の力を以て、十萬の師に千里の外に供餉す、百姓安ぞ貧ならざるを得ん、秦皇の率は三十萬鍾にして一石を致し、漢武の率は十餘鍾にして一石を致し、關中進まずして民夷號泣し、西海戍守[じゅ‐しゅ【戍守】まもること。まもり。守戍。]して百姓業を失ふが如し。

○孫子国字解:『力屈し財中原に殫き、内家に虚しく、百姓の費十に其の七を去る。』
 一本に、財殫と云二字なくして、力屈中原とあり。上の二段に、領内と陣處にての費多きことを云たるを、此段に結びて云へり。皆下の費なり。上の費のことは下の段にあり。力屈財殫中原と云句は、上の近於師者貴賣、貴賣則百姓財竭、財竭則急於丘役と云三句を結て、陣處にての費を云へり。力屈するとは精力屈しくたびるることなり。中原は中國を云、中國と云は中華の總名をも云へとも、ここにては呉國より云たる詞にて、齊魯晉宋の國々は、諸國の中にて原野うちつづきたる國共なるゆへ、中原と云、呉の國、越の國、楚國などの様なる邊國の君、弓矢を取て軍をするには、中國の方へ打て出る時は、威名を天下にふるひ、覇王の業を成就するゆへ、是を專途とすること、日本にても戦國の時分は、京都の方へと働くを弓取の一のかせぎとするが如し。此書は孫子が呉王に説たる書にて、呉國より遠境へ軍を出すと云へば、皆中原へ働くことなるゆへ、遠國の陣處にて、民の精力屈し、財寶竭ると云ことを、力屈して財中原に竭くと云たるなり。古來の注には、中原を只野原のことと見て、大軍の陣處は大形野原なる意に心得て、陣處と云ことを、中原と云たると説けり。尤中原は只野原のことに用ること、詩経なとにはあれども、此書などにては、親切ならぬなり。内虚於家とは、上の國之貧於師者遠輸、遠輸則百姓貧と云二句を結びて、領内の費を云へり。内とは領内なり。家とは士卒の面々の家々なり。虚しとは財寶悉く竭て、家内には何もなきことなり。遠境へ兵粮を運ふ時は、領内の民家は皆空虚になると云意なり。百姓之費十去其七とは、中原の陣處も力屈し、財寶竭き、領内の民家も皆空虚なる様にある時は、下たる百姓の費は、十の物にして、七つほどなくなりたる積りなりと云意なり。十に七つと云は、只過半と云ことと心得べし。施子美が一説に、七十萬家を以て、十萬人を養ふと云算用にて注したれども、それは十に七を失ふとは云ひ難し。用べからず。

○孫子評註:『中原に力屈し財殫(つ)き、内、家に虚(むな)しく、百姓の費(ついえ)、十に其の七を去る。』
 中原は中國なり。呉の國より齊・晉を斥(さ)す。物茂卿(荻生徂徠。その著、『孫子国字解』(『漢籍国字解全書』に収めてある)参照。)之れを言へり。「力屈し」は直ちに「丘役に急なり」を承(う)け、「財殫き」は、超えて貧竭(ひんけつ)に接す。中原の句たる、直ちに「師に近き云々」を承け、「内、家に虚しく」の句は、超えて「師に貧し云々」に接す。一字一句、下し得て苟(いやしく)もせず。

○曹公:丘は十六井なり。百姓 財殫きること盡(ことごと)くして兵 解さずば、則ち運糧 力 原野に殫きるなり。十に其の七を去るとは破費する所なり。

○李筌:兵久しくして止まざれば、男女怨み曠[①むなしい。広々としてなにもない。②むなしくする。何もしないであけておく。]しくし、輸を輓[①ひく。㋐車や舟をひっぱる。㋑特に、葬式のひつぎ車をひく。②人をひきあげ用いる。③時代がおそい。]き丘役に困りて、力屈し財殫きて、百姓の費 十に其の七を去る。

○杜牧:司馬法に曰く、六尺は歩を為す。歩は百にして畝を為す。畝は百にして夫を為す。夫は三にして屋を為す。屋は三にして井を為す。四井は邑を為す。四邑は丘を為す。四丘は甸を為す。丘蓋し十六井なり。丘 戎馬一匹牛四頭有り。甸 戎馬四匹牛十六頭、丘車一乗、甲士三人、歩卒七十二人有り。今言う兵を解らざれば、則ち丘役益(ますます)急なり。百姓の糧盡き財竭き、力 原野に盡き、家業十に其の七を耗(へら)す。

○陳皡:丘を聚むるなり。賦役を聚斂[しゅう‐れん【聚斂】①あつめおさめること。②過重の租税をとりたてること。]し、以て軍須いて應ず。此の如くすれば則ち財 人に竭き、人困らざること無きなり。

○王晳:急とは常に賦を暴(さら)すなり。魯の成公 丘甲を作(な)すが若きは是れなり。此の如くすれば則ち民費太(はなはだ)半ばす。公費の差は減じらるを要す。故に十に七と云う。曹公曰く、丘十六井、兵解せざれば則ち運糧 力原野に盡く、と。

○何氏:國は民を以て本と為す。民は食を以て天と為す。人 上に居る者は、宜しく重く惜しむべからんや。

○張預:糧を運べば則ち力屈し、餉を輸(いた)さば則ち財殫き、原野の民、家産 内に虚し。其の費える所を度(たく)[計算する]さば、十に其の七を無くすなり。


意訳
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○金谷孫子:戦場では戦力が尽きて無くなり、国内の家々では財物がとぼしくなりて、民衆の生活費は十のうちの七までが減らされる。

○浅野孫子:こうして前線では国力を使いはたし、国内では人民の家財が底をつく状態になれば、民衆の生活費は普段の六割までもが削られる。

○町田孫子:外では軍隊が戦力を消耗しつくし、内では家々の財物も乏しく、こうして民衆の経費の十のうち七までが失われる。

○天野孫子:こうして国民は輸送に力を使いはたし、国内においては財貨が欠乏して、どの家も家の内には何もない。国民は軍事費のためその収入の十分の七を失うに至る。

○フランシス・ワン孫子:このように国民の力と財貨が消耗すれば、中原の民の暮しは極度に貧窮し、その資力の七割は水泡に帰することとなろう。

○大橋孫子:このようにして民力つき、国内では民家の外の財貨は欠乏し、民家の中は空になる。国民はその財産の七割を失う。

○武岡孫子:戦場では軍隊の戦力が尽き、国内では家々の財物が乏しくなって、民衆の生活は平素の三割にまで落ちこんでしまう。

○著者不明孫子:かくて、民衆の力は戦場で尽き果て、国内では生活が窮乏して、家計は十のうち七まで奪い去られる。

○学習研究社孫子:出兵した軍隊は、武力、体力ともに日一日と消耗していき、留守をあずかる本国は、財物がからっぽになってしまう。臣下の費用は、十分の七が失われる。

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