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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒スポンサー広告⇒『故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。』:本文注釈孫子 兵法 大研究!トップ⇒本文注釈:孫子 兵法 大研究!⇒『故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。』:本文注釈
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2013-01-27 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。』:本文注釈

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当時、食糧の輸送は困難を極めたことを証明する文章である。よって、孫武よりも昔の名将と呼ばれた武将も、敵の食糧をいただくことを常に考えていたということがわかる。逆に考えれば、それだけ食糧(輜重隊)をえさにして、敵を誘い込むといった謀は相当有効であった、ということが考えられるであろう。また、時代が経つにつれ、それが常套手段になっていったであろうことも想像に難くない。罠か、罠でないかを見抜くには偵察隊の老練な目によるより他はなかったであろう。また、この文は、自国内での速戦速決を計る軍隊には当てはまらず、敵国の中まで入りこんでいる軍隊の対処法であることがわかる。自軍が敵国に入った場合は、自軍の食糧は敵国の食糧に依存するようつとめればよいが、敵に妨害されたり、食糧をえさに誘き出されるという事態も起こりかねない。逆に、敵が自国に攻め込んできた場合は、敵が自国の食糧を奪わんと躍起になってくるであろうから、十分気を付けなければならないであろう。戦争というのはこのように大量の資源が必要となるものだから、孫子は戦争を長びかさないよう常に心がけていたに違いない。このころの時代は、相手国を滅ぼすという考えは存在しなく、講和により終止符がうたれていた。この時代が、まだ長期の戦に耐えられるほど、食糧の備蓄も整わなかったのは、農業もまだ十分に発展していなかったということが考えられる。逆に、農業が発展し、備蓄を多くすることが可能となってくると、軍隊の数も多くなってくる。戦国時代では強国となると、十万~百万ちかくまで軍隊の数が膨らみ、相手国を滅ぼすまで戦争が続けられるようになった。自国だけで食糧の大量生産による供給が可能となったからである。それにしても、曹操は屯田兵をつくり、食糧の供給という面では、革命的なものを生み出したにも関わらず、注にはそのことは記述されていないのだが、皆さんはお気づきになったであろうか。謙遜して書かなかったのであろうと私は思うのだが、このあたりが真の曹操の魅力といえるものではなかろうか。

この文は、自軍の兵士の食糧と馬の食糧の二つを、敵側の食糧を奪うことによって、自分の軍を養うのだ、ということをいっている。方法としては、敵軍の兵糧が備蓄されている場所や輜重隊から貨物を奪ったり、敵の農地から農作物を刈り取ったり、などということが考えられるだろう。


務-引き受けた役割を遂行するために力を出す。つとめる。つとめ。【解字】もと、力部9画。形声。音符(=ほこを使って困難を排する)+「力」。力を尽くして困難を打開する意。

鍾-①あつめる。かたまってあつまる。②中国周代の容積の単位。約四九・七リットル。③かね。つりがね。鐘。④酒器。さかつぼ。さかずき。

石-こく【石】 (慣用音。漢音はセキ) ①体積の単位。主として米穀をはかるのに用い、1石は10斗、約180リットル。斛。②和船の積量で、10立方尺。③材木などで、10立方尺の実積の称。約0.28立方メートル。④鮭さけ・鱒ますなどを数える語。鮭は40尾、鱒は60尾を1石とする。⑤大名・武士などの知行高を表す単位。





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○金谷孫子:敵の一鍾を…-一鍾は六斛(こく)四斗のかさ。日本の斗升の約十分の一にあたるから、今の約120リットル。遠くへ運搬する間の費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるという意味。
 一石-は豆がら、はわら、一石は百二十斤(きん)の重さ。二千四百粒の黍(きび)の重さを両といい、十六両が一斤。

○浅野孫子:○鍾-容量の単位。一鍾は約五十リットル。
 ○-は豆がら、(稈)はわら。
 ○石-重量の単位。一石は約三十キログラム。

○町田孫子:<二十鍾に当たる>鍾は古い量(ます)の名、一鍾は中国の六斛(こく)四斗(と)で、約百二十リットル。輸送のあいだの費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるというのである。
 <一石>百二十斤の重量。約三十キログラム。

○天野孫子:○智将務食於敵 「智将」は兵法に通じてよく智恵を働かせる将軍。「務」は精力を出すの意。「食」はここでは食糧を食う意。
 ○食敵一鍾当吾二十鍾 「一鐘」は現在の約五十リットルに該当する。この句について孟氏は「千里の転運を計るに、道路に耗費し、二十鍾にして一鍾を軍中に致す可し」と。二十鍾と一鍾は概略の計算で、これは経験から割り出したものであろう。
 ○ 「」は箕(き)に同じ。豆の実を取り去ったあとの茎、まめがら。「」は稈(かん)と同じ。稲などの穀物の茎、わら。「」も「」もともに牛馬の飼料。
 ○一石 百二十斤を言う。一斤は二百五十六グラム。一石は約三十キログラム。

○フランシス・ワン孫子:註
 一、「敵に食(は)む」は、「糧は敵に因る」と同意語であり、掠奪・掠取の意ではない。仏訳の如く、利用する・充当するの意である。既述の如く、それは、古代にあっても調達によって可能となるのであり、掠奪に頼るときは、忽ち四散・消滅して自らを苦しめるものとなるのみならず、住民の背反・抵抗を招いて、軍隊行動を危殆(きたい)に陥れることが少なくなかった。このため、ギリシアの古戦史等を見ても、軍は対価の支払いにつとめており、状況によっては、むしろ対価以上の支払いを積極的に行うことによって、その獲得・集積に成功している。物が不足している場合と雖も、相場以上のものを払えば集まる道理は、当時も今も変りはないのである。
 一、しかし、現代戦が動員する大軍の場合は、たとえ相応の対価を支払うとも、現地調達に依存し得る割合は著しく低下し、今や殆どを後方からの補給に依存するより外はなくなっているのが実状である。このため、「遠輸」の問題も、単に戦争経済上だけではなく、文字通り軍隊の生存に関わる問題となり、戦略範囲・戦場決定上の重要要素となっている。
 一、なお、掠奪・掠取の問題に関連して、さらに一言しておく。それは、敵の糧秣倉庫・集積地を攻撃し奪取する、若しくはこれに脅威を与える意義は、当時にあっては、現代に比して遙かに重要且つ決定的であり、時としては、戦わずしてその軍を崩壊に至らしめることもあった。このため、このこと自体を作戦目標の一つとすることも珍しくなかった。現代で言えば、真珠湾攻撃に於て、着意されることはなかったが、攻撃目標に敵の石油施設の破壊を加えるようなものである。

○守屋孫子:一鍾-六斛(こく)四斗。今の一二〇リットルに相当するという。
 一石-は豆がら、はあわがら。ともに牛馬の飼料。一石は一二〇斤。
 こういう事態を避けるため、知謀にすぐれた将軍は、糧秣を敵地で調達するように努力する。敵地で調達した穀物一鍾は自国から運んだ穀物の二十鍾分に相当し、敵地で調達した飼料一石は自国から運んだ飼料の二十石分に相当するのだ。

○田所孫子:○智将務食於敵とは、智将は本国からの糧秣輸送にたよらないで、務めて敵国内の物資によって糧秣を充足するとの意。
 ○食敵一鍾、当吾二十鍾とは、敵国の占領地から一鍾すなわち六斛四斗の食糧の徴発を行なえば、本国から二十鍾の輸送を受けたことに当るとの意。
 ○とは、は豆がら、は稲藁のこと。
 ○一石とは中国では百二十斤くらい。

○重沢孫子:(以上のように糧食の長距離輸送は経済の破滅を招くから)、有能な指揮官はつとめて敵地において糧食を手に入れる。敵地で手に入れる一鍾の穀物は、本国の二十鍾に相当し、一石の藁(わら)は本国の二十石に相当するのである。

○大橋孫子:一鍾-六石四斗
 -豆の茎や米麦のわらなど牛馬の飼料

○武岡孫子:敵に食む-敵地の食糧を奪って食べる
 一鍾-六石四斗、今の約三〇リットル
 -豆やわら等の牛馬飼料

○佐野孫子:○食敵一鍾 「鍾」は春秋時代の容量の単位で、六斛(こく)四斗(斗は十升、斛は十斗であるから、六百四十升)。当時の一升(日本の斗升の約十分の一)は〇.一九四リットルにあたるから「一鍾」は今の約一二〇リットル。
 ○一石 「(き)」は「箕(き)」(まめがら・豆の実を取り去った枝や茎)に同じ。「(かん)」は稈(かん)(わら)と同じ。「」・「」ともに牛馬の飼料。「一石」は百二十斤(きん)(当時の一斤は二五六グラム、一石は約三十キログラム)の重さ。

○著者不明孫子:【食於敵】敵地の食糧を食らうこと。
 【一鍾】「鍾」は容量の単位。一鍾は六斛四斗。当時の一鍾は約一二五リットル。
 【稈一石】「」は豆がら。「稈」は稲わら。牛馬の飼料。「石」は重量の単位。一石は百二十斤。当時の一石は三十キログラム。なお、石を、容量の単位である斛と同じに用いることもある。

○孫子諺義:『故に智将は食を敵に務む。敵の一鍾を食ふは、吾が二十鍾に当る。一石は、吾が二十石に当たる。』
 智将は智恵辨才ある大将、孫子将の五徳を論ずるに第一に智を以てす。しかれば智将は良将の通稱也。務むとははげましつとむるなり。糧食の用一日もかくるときは士卒力つくるゆゑに、糧食をして有餘ならしむるの法、我が國より運送せんことは甚だ其のつひえあれば、敵地の所々において是れを相聚めて、彼れが地の糧食を用ふるがごとくはかるべし。彼の地にて粮一鍾をうるときは、我が國よりももちはこぶ廿鍾にあたる也。も亦然り。これ百姓二十鍾をつひやさざれば、一鍾を運送すること叶はざる也。古人糧を敵に因るのゆゑん尤も大也。鍾は六石四斗のこと也、石は百二十斤也。は太豆也、又云ふ豆稭(ろうかつ)也。は禾藁わらくさ也。は牛馬の食也。人の食ありても牛馬の食あらざれは不足ゆゑに、此の兩種をあぐる也。王晳云はく、は今萁(き)に作る。稈は故書芊に為る。當に稈に作るべし。又云はく、敵の米穀稈を奪ひ取りて、味方に用ふるのことをいへる。是れ乃ち本朝の亂取せしむる心也。此の説亦通ず。敵國所々にて糧米をあつめしめ、尚ほ足らざるときは止むを得ずして民屋を追捕し亂取をいたし、間人を發して敵の粮米をうばふのはかりごとをなすべし。開宗に云はく、蓋し轉輸の法、費え十にして方に其の十を得、況や敵一鍾一石を失ひ、我れ又一鍾一石を多くす。故に二十鍾二十石に當る可し。大全に云はく、食を敵に務むは、糧を敵に因ると、旨趣相同じと雖も、但だ務の字と因の字と各所説有り。因は其の空隙に乗じて之れに因るに過ぎざるなり。務は則ち専ら敵の糧を注して、以て必ず得るを求むるの意、孫子前に糧を敵に因ると説く。人の視て偶ま一たび之れを為すの事と為すを恐る。所以(このゆえ)に又一の務の字を説き、人の必ず敵に食するを要するの意を以てす。以上第三段也。

○孫子国字解:『故に智将は敵に食することを務む。敵の一鍾を食すれは吾が二十鍾に當る。一石は吾が二十石に當る。』
 この段は上に千里に糧を饋る費を説たるをうけて、又糧に敵に因るわけを云へり。智将は智の深き大将なり。務食於敵とは、敵の兵糧を食することを務ると云ことなり。務るとは是を專一のこととして、精を出してかやうにすることなり。前の段に云ふ如く、本國より兵糧を運ふ費莫大なるゆへ、智深き大将は、さしあたる合戦の勝負に心を用るばかりに非ず。合戦に勝ちても、末々國のよはりになることを慮て、敵の兵糧を食することを專一とするとなり。されとも敵の兵糧を食すること、是又智将に非れば能はざることなり。一鍾とは六石四斗を一鍾とす。日本の六斗ばかりなり。當吾二十鍾と云は、敵の兵糧を一鍾食すれば、手前の兵糧二十鍾がけの、つよみなりと云意なり。そのわけは、轉輸(の)之法、千里に糧を輸せは、二十を費して一を得とあり、是は治世の如くに馬次にても、他領の人馬を用べきに非ず。吾國より敵國の陣場まで、日本道百里ばかりの長途の、舟のかよはぬ陸地を、兵糧をはこぶ時は、人馬の食物諸事の入目を引て、二十分一ならでは、さきへ届かぬと云ことなり。いかさまに一疋の馬をつぎもせず、一人の夫かはりもせず、衣類雨具まで取付けて百里ほどの道をゆかば、次第に人馬もくたびるべければ、日數も往來かけては三十日に近かるべし。馬にも多くは駄すること叶ふまじく、路次の警固、野陣の入目をかけては、二十分とつもりたる名将の法、違まじく思はるるなり。前漢の趙充國[趙 充国(ちょう じゅうこく、紀元前137年~紀元前52年)は、前漢の将軍。字は翁孫。隴西郡上邽の人で、後に金城郡令居に移住。]が語に、一馬を以て、自ら三十日の食を駄負すと云へり。三十日の食とは、米二斛四斗、麥[麦]八斛にて、一日の食人に米八升、馬に麥二斗六升のつもりなり。日本の升目にしては、人に米七合、馬に麥二升餘のつもりなり。一疋の馬につけたる食物を、人一人馬一疋にて三十日に食ひ盡すなれば、三十日路ほどある處へ、兵粮を本國より送ることはなり難きはずなり。然れば味方より取りよすれば、二十倍の物入かかるを、敵地にて直に敵の兵粮を食するなれば、一鍾當二十鍾なり。とは、は萁の字と同じく、豆がらのことなり。は稈ともかきて、いねわらのことなり。是皆馬の食物なり。一石と云ははかりめなり。百二十斤を一石と云、前に論ずる如く、一斤は四十三錢三分なれば、一石と云は、五貫百九十六錢なり。古は豆がら稻わら何れもちぎりにて、重さをはかりて用るゆへかく云へり。二十分一のつもり前に同じ。二句の意は、智将は務て敵の兵粮を食するは、二十倍のつよみになる故なりと云意なり。

○孫子評註:『故に智将は敵に食することを務む。』
 智将は即ち上の「善く兵を用ふる者」なり。但し彼れは略にして此れは詳(つまびら)かなり。文乃ち複せず。食の字は活讀す(動詞に読むことをいう。)。下の食敵の食と同じ(次の節の「食敵一鍾」の食敵。)
『敵の一鍾(周・春秋戦国時代の量の名。一鍾は六斛(こく)四斗(異説もある)。日本の斗升の約十分の一にあたるから、今の約一二〇リットル。遠くへ運搬する間の費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるという意。)を食へば吾が二十鍾に當り、(豆がらとわら。いずれも馬の飼料。一石(せき)は一二〇斤(きん)の重さ。二四〇〇粒の黍(きび)の重さを両といい、一六両が一斤。)一石は吾が二十石に當る。』
 此の篇多く算數を以て言ふ。一を食へば二十に當るとは、是れ遙かに千里に照す(前の「千里糧を饋(おく)る」に照応する)。頗(すこぶ)る所謂算博士に似たり。然れども兵家の切要(大切で重要なこと。)は則ちそこに在り。

孫子十家註:『故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に當り、一石は吾が二十石に當る。』 

○曹公:六斛四は鍾を為す。計りて千里に轉運す。二十鍾は而して一鍾を軍中に致るなり。は豆稭なり。は禾藁なり。石とは一百二十斤なり。轉輸の法は、二十石を費やし一石を得る。一に云わく、の音は忌にして、豆なり。七十斤は一石を為す。吾が二十に當る。遠くに費やすを言うなり。

○孟氏:十斛は鍾を為す。計りて千里に轉運す。道路耗して費やす。二十鍾は一鍾を軍中に致るべし。

○李筌:遠くに師すれば一鍾の粟を轉じ、二十鍾を費やし方(まさ)に達するべし。軍将の智なり。務めて敵に食む、を以て己の費を省くなり。

○杜牧:六石四は一鍾を為す。一石は一百二十斤なり。は豆稭なり。は禾藁なり。或いは言わく、は藁なり。秦 匈奴を攻めるに、天下の運糧を黄瑯琊負海の郡に起る。北河に轉輸し、率(おおむ)ね三十鍾にして一石致る。漢武建元の中、西南夷を通り、作る者數萬人、千里に負擔(ふたん)し糧を饋る。率ね十餘鍾にして一石致る。今 孫子の言を校するに、敵に食む一鍾は、吾が二十鍾に當る。蓋し平地の千里轉輸の法を約す。二十石を費やし一石を得るは道里を約さず。蓋し漏闕なり。黄の音直(ただ)瑞反す。又音誰ぞ。東萊北河に在れば、即ち今の朔方郡なり。

○梅堯臣:注は曹公に同じ。

○王晳:曹公曰く、は豆稭なり。は藁なり。石とは百二十斤なり。轉輸の法は二十を費やせば乃ち一を得る。晳謂へらく上文の千里にして糧を饋らば、則ち轉輸の法は千里を謂うのみ。は今萁に作る。は故(すなわ)ち書に芉と為す。當にと作るべし。

○張預:六石四は鍾を為す。一百二十斤は石を為す。は豆稭なり。は禾藁なり。千里にして量を饋らば、則ち二十鍾石を費やし、而して一鍾石は軍所に到り得ん。若し險阻を越えらば則ち猶お啻[ただ。ただそれだけ。「不啻…」は「ただに…のみならず」と訓読し、単に…だけでなく、の意を表す。]のみならず。故に秦 匈奴を征するに、率ね三十鍾にして一石致る。此の言は能ある将は必ず糧を敵に因るなり、と。


意訳

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○金谷孫子:だから、智将は[遠征したら]できるだけ敵の兵糧を奪って食べるようにする。敵の一鍾を食べるのは身方の二十鍾分に相当し、豆がらやわら[の馬糧]一石は身方の二十石分に相当するのである。

○浅野孫子:だからこそ遠征軍を率いる智将は、できる限り敵地で食糧を調達するよう務める。敵方の穀物一鍾を食(くら)うのは、自国から供給される二十鍾分にも相当し、牛馬の飼料となる豆がらや稈(わら)一石は、自国から供給される二十石分にも相当する。

○町田孫子:だから、智将はなるべく敵の食糧を奪取してまにあわせる。敵の一鍾を奪って食うのは味方の二十鍾分に相当し、敵の馬料の豆がらや藁(わら)一石(せき)は味方の二十石分に相当するのである。

○天野孫子:それゆえに、智恵ある将軍はつとめて敵の食糧によって軍を養う。敵国から食糧の一鍾は自国から転送した食糧の二十鍾に該当し、敵国から得た牛馬の糧秣、すなわち豆がら・わらの一石は自国から転送したそれの二十石に該当する。

○フランシス・ワン孫子:従って、智将(先見の明ある将軍)は、軍が敵地の食糧を利用できるように配慮する。なぜなら、敵地で充当する一桝の食糧は本国の二十桝に相当し、敵地の秣(まぐさ)五十瓩(キロ)は本国の一噸(トン)に相当するからである。

○大橋孫子:ゆえに智将はつとめて敵国の食糧によって軍を養い、追送糧秣にたよらないようにする。敵国の食糧一鍾は追送食糧二十鍾の価値があり、敵国の馬糧一石は追送馬糧二十石に相応する。現地物資の利用は輸送力を必要とせず、国内の糧秣を減らさず、敵国の糧秣を減らすからである。

○武岡孫子:だから頭のよい将軍は、敵地の食糧を奪って賄おうとする。敵の百二十リットルの食糧は、実に国から追送する食糧の二十倍に相当し、馬糧も同様に一石が二十石に相当するからだ。

○著者不明孫子:そこで、智将は敵地の食糧を利用することに努める。敵地の食糧を一鍾食べれば、その価値は自国の食糧二十鍾に相当し、敵地の豆がらや稲わらなどの飼料一石は、自国の二十石に相当するのである。

○学習研究社孫子:そこで、知恵のある指揮官は、食糧を敵から取ることに務める。敵から食糧一鍾(しゅ)を取るということは、我が方の二十鍾分にも相当する価値がある。豆がらやわら一石を取るということは、我が方の二十石を輸送してきたことに相当する。

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