2013-02-05 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『故に敵を殺す者は怒なり。』:本文注釈
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「故に敵を殺す者は怒なり。」の主な解釈としては二つ知られている。
①一つは、敵を殺すのは怒りの感情(又は励まし)によるものである、という解釈で、敵は生かすよりも殺すものであるとも解釈できる。この思想は、行き過ぎれば殲滅主義とも捉えられかねない。もちろん、降伏・投降してきた国や兵においては別であろうとは思うが、基本としては敵は殺すということであろう。火攻篇の最後の段で、怒りは禁物であるという旨の文があるが、これは君主の一時の感情で戦争を起してはならないということで、もはや戦争が始まった段階で戦場に於いて敵と遭遇した場合に於いては、怒りの感情(励まし)によって、敵を攻撃するということは、ごく自然のことであろう。ただ目の前に殺し合いが迫っているということで、士気が下がるといった状況パターンも考えられるため、兵を鼓舞するためには怒りの感情を引出すのだ、と孫武が言ったということがここでは考えられるだろう。又、この文が、戦争は速戦速決の方がよいという文や、食糧や軍の用度品(武器やさまざまな道具)はできるだけ敵から奪え、という文の後に続くことから、この文は怒りの感情をもとにして速戦速決し、敵の物を奪い我がものとせよという意味であろうと推測される。しかし、怒り狂っていては、敵の物を奪うまでもなく、破壊してしまう可能性も少なからず出てくると考えられる。つまりここでいう「怒」とは、一般に思うような怒り猛り狂った状態というよりは、ある程度抑制のきく精神の高揚状態にある敵愾心というようなものと考えられなくもない。すでに述べてあるが、計篇の「怒にして之れを撓め」、の文の「怒」も同様の意味の可能性がある。ただし、火攻篇の最後の段の「怒」の説明は、明らかに悪い意味で戒めの対象となっていることから、これには当てはまらないと考えてもおかしくない。しかし、利益を考えず、興奮した感情をもとに戦争を起してはならない、と解釈すればおかしくはならないであろう。
②二つ目の解釈は、火攻篇の最後の段で、「主は怒りを以て師を興こすべからず。将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず。」の文があることを根拠として、「怒りは軍を滅ぼす愚かな感情であるから、これを戒めよ。」とするものである。この場合、「速戦速決、敵の物を我がものとせよ」の文の後に続くこの文の解釈としては、「速戦速決や敵の物を自分のものとするには、歯止めがきかない猛り狂った怒りの感情ではなく、理性的な精神・行動によるものが不可欠である」、という意味になる。火攻篇の怒りを禁じた文の主旨は、「国を安んじ軍を保全させるには、怒りの感情で軍を起こしてはならず、利益に照らして行動することを君主や将は心がけよ。」、となる。よって作戦篇の「故に敵を殺す者は怒なり。」の文も、怒りを戒め、利益に照らして将は軍を行動させよ、ということをいっていると考えられる。
この二つの解釈に共通な点は、自軍の利益を主眼におき、「速戦速決・敵の物を自分のものとする」精神に矛盾しない所にある。一番目の解釈と二番目の解釈と違いが生じていることから、以降の文にも、それぞれの解釈の違いが引き継がれていくと考えて間違いない。まず一つ目の解釈では、敵兵を自軍に組み入れるという発想は少なくとも第一義としては存在しない(ただし、食糧や軍の用度品は別。)ことから、以下の文の解釈もそれを踏まえたものになる。二つ目の解釈では、敵軍の投降兵を自軍に組み入れ増強させるという方法を否定はしないことから、敵兵を我が軍に組み入れ役立たせるといった、敵兵を活用するやり方を踏まえた解釈を以下の文にも適用していってもおかしくはない、ということになる。
『老子』に、「善為士者不武善戦者不怒」 (善い知識人たる者はたけだけしくない。善い戦士は、激しくない(怒らない)。 )という言葉がある。『孫子』のこの文の「怒」は将の「怒」ではなく、兵の「怒」であることは明白であるが、『老子』のいうような怒りを否定するものなのか、はたまた怒りを肯定するものなのかどうかは定かではない。ただし、「怒」の意味に迫っていくには、いくつかの手掛かりがある。その中の一つは、この段の後に「故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。」とあることである。つまり、この「故に敵を殺す者は怒なり。」の文は、戦争の早期の勝利に役立っているということを言っている。この事を考えると、二番目の解釈では、速戦速決には直ちにはつながるものではないことがわかる。逆に、一番目の解釈は、怒りの感情(はげまし)をもって速戦速決を計る、という意味に捉えられることから、こちらの方が後ろの文の「故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。」とのつながりがよいことがわかる。もうひとつは、「故に敵を殺す者は怒なり。」の前の文の「故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。」との文意のつながりにある。こちらは「敵の物を自分のものとして利用していく」、という考えの文のあとに、「故に敵を殺す者は怒なり。」の文が来ていることから、「敵の資源は味方の資源になりえるからむやみに敵の資源を役に立たなくする行為は慎め」、というように流れがつながっていくことになる。この場合は、二番目の解釈の方がよりふさわしいということがわかる。しかし、この段のまとまりの点から考えると、よくまとまるのは一番目の解釈である。このようにいろいろ考えてみると、私自身の考えとしては、二番目の解釈は言いたいことはわかるのだけれど、少々まわりくどいような感じがする。『孫子』は抽象的な表現が多いが、この文の表記だけではそこまでの意味とはならないような気がするのだがどうであろうか。二番目の解釈をとれば、敵兵は我軍に吸収されることもありうるが、この場合はもちろんその兵士を新たに養っていくということである。しかし、その費用はいったいどこから出していくというのであろうか。食糧や武器などの道具はいくらあってもまず困ることはないが(輸送の手間はもちろんかかるが)、兵士の場合、吸収した兵の多寡によっては費用も莫大なものとなりかねない。又、敵兵にも当然故郷に家族がいて、仲間もいるに違いない。昨日までの仲間を敵として殺せと命令されても、当然士気は上がるものではない。それよりも見逃してやると言って、恩を与えて解放し、又はその中から優秀と思われる者を自国のスパイとして養成した方が長い目で見れば、より有益であろう。以上のような理由から、「故に敵を殺す者は怒なり」を、「怒」を戒め敵の食糧を我物とする意味として捉える所まではいいのだが、敵兵を我軍に吸収し自軍を増強していくことを促すものとして捉えることは、それから様々な問題点を抱えていくことになり、現実として応用していくのはより困難なものとなるであろう。よって次の文では、食糧や軍の用度品は利となると言っていることから、食糧や軍の用度品を敵から奪うことは有利であることは明白であるが、敵兵を我軍に組み入れることは必ずしもそうではないことはもはやお分かりのことと思う。例えば捕えた(降参した)敵兵が、言語も通じず、文化も大きく異なっている様子であれば、こちらとしてはより扱いにくくなることは想像に難くない。又、「智将は務めて敵に食む」と言っていることからも、信用のできない敵兵を自軍に組み入れて、いたずらに軍費を消耗することは常識的に考えても考えられないことである。しかし、例えば投降兵を囮に使い、逃げられても構わない、または死んでも構わないといったことを前提にした用兵を行なうというような場合は別であろう。このような用兵も『孫子』では否定はしていない。また、当時は敵国の身分の低い捕虜を奴隷として使うことも何らおかしいことではなかったから、投降兵を国に送り奴隷とするという選択肢もあったであろう。『孫子』では自国の民や国の財産を保全することが、戦の最終目的であることを、火攻篇の末尾で述べているから、そのためには計篇でも言っているように、自軍を保全するためなら、敵をどのように欺いてもよいのである。
「孫子」の文の意味を一概にそうであると考えることは、思考を停止させ利を手離すことにつながりかねない。「孫子」の文面のみ、表面のみをとらえて解釈することは危険につながり、また、自分のものとするには程遠くなる。論語の言葉で「故(ふる)きを温めて(たずねて)新しきを知る」という言葉がある。この温故知新の精神をもって、「孫子」を自家薬篭中の物[自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの) 自分の薬箱の中の薬のように、いつでも自分のために役立て得る物や人。思うままに使いこなせるもの。]としていくことがわれわれの理想といえるだろう。
殺-一 サツ・セツ ①命を絶つ。ころす。②そぐ。除く。消し去る。③程度がはなはだしい。はげしく…する。 二 サイ へらす。【解字】会意。「乄」(=刈りとる)+「朮」(=もちあわ)+「殳」(=動詞の記号)。もちあわを刈り取って実をそぎ落とす意。
怒-①腹を立てる。いかる。②たけりくるう。【解字】形声。「心」+音符「奴」(=力をはりつめる)。気ばる、気ばっていかる意。
註
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○天野孫子:○殺敵者怒也 「怒」ははげむ、奮い立つの意。敵愾心を言う。『諺義』は「怒ははげますと云ふ心なり。かれをいからしめて、心を激しはげます。乃ち作戦の篇註に(作について)しるせるごとく、振作の心なり。荘子(逍遙遊篇)に怒飛と云ふも、はげんでとぶと云ふの心なり」と。一説にいかりの意として、この句について趙本学は「士卒に敵を殺さしめんと欲すれば、当に之を激して怒らしむべし」と。また一説にこの句は怒りを慎むべきことを言うと。『兵法択』は「旧説皆、吏士を激怒せしむれば、則ち敵、殺す可しと謂ふ。最も其の義を失ふ。孫武の一書は、未だ嘗て殺すを言はず。且つ是の篇の如きは兵に久しくするを以て、戒めと為す。故に曰く、兵を知るの将は民の司令なりと。安んぞ其の敵を殺して以て吾人を激する者に在らんや。武且つ言あり。曰く、主は怒りを以て師を興す可からず、将は慍りを以て戦を致す可からず。亡国は以て復た存す可からず。死者は以て復た生く可からず。故に曰く、明主は之を慎み、良将は之を警む、と(火攻篇)。其の警戒の意、亦復た此の如し。読者、察せざる可からず」と。『新釈』もこの意見である。
○フランシス・ワン孫子:註 一、「故に」は、本篇の前段である十五項までを受けて言うものである。つまり、戦争に於ては、内外ともに、これほどの労苦と犠牲・困難の克服を必要とし、しかも問題が生ずるのを避けることはできないのであるから、ただ敵を殲滅し殺傷するだけを目的とするが如き戦争(作戦)は敵の抵抗を強化し、戦争を長期化させるだけの狂気の沙汰であり、激情に駆られて思慮分別(理性・冷静さ)を失ったものと言うべく、それは、覇王にとって、本来の戦争目的を達成する所以ではない、と。
一、「拙速」を以て方針とし、戦争の長期化を避けてその目的を達成せんとする以上は、戦争指導・用兵も、すべてこの思想を以て一貫し、その実現を目指すものでなければならないのである。孫子にあっては、支那の古戦史が好んで記す「敵の何十万を坑(あな)にす」といった如き形態の戦争(作戦)はとらざる所である。なぜなら、そのような敵の覆滅を企図する戦争(作戦)は、平時より多大の軍備を必要とするのみならず、戦時その遂行に於ては、エネルギー節約の戦争経済の法則に反するものとなるからである。また、かかる絶対型戦争は、自身にも耐え難い損害を与えることが多く、たとえ勝利を得た場合に於ても、「諸侯、その弊に乗じて起る」状勢を招来し、結局は自ら斃るる道をつくるものとなる虞(おそ)れが大きいからである。このことは、第一次大戦に於てドイツに、第二次大戦に於ては日・独に対し、絶対型戦争指導を行った連合国が、米・ソ以外は、その勝利にも拘らず却って弱化し、特に第二次大戦後は、その弊に乗じて起った植民地の抵抗・独立運動をめぐって苦慮した事態を見れば明らかであろう。のみならず、勝ち誇って世界を二分支配したかに思えた米・ソも、歴史の命運とはいえ、僅かに四十年にして、早くもその覇権には動揺が生じている。絶対型戦争指導或いは孫子のいわゆる「戦勝攻取するも其の功を修めざる」(火攻篇)式の戦争指導が与える損害の中には、勝利をも空しくする驕慢の心・精神の荒廃の発生があるのであり、成功に心傲った彼らは盲目となり、積年の非道・横暴に対して天の摂理とも言うべき歴史的性格の復讐を受けながら、なおこれに気付くことができないでいるのである。無論、我々に、この事を嗤う資格はない。
一、従って、孫子は「敵を殺すことだけを目的とするのは思慮を失った用兵である」(仏訳)とし、以下、戦争指導(作戦)は、すべからく「敵に勝ちて強を益す」(二十項)ことを以て主眼とするものでなければならない、と説くのである。つまり、戦争に於ては、単に敵の打倒だけを目的とするのではなく、敵の財貨・器材はもとより、その兵も味方のものとし、再使用することを企図する者でなければならない、と言うのである。いわゆる王者の軍である。しかし、この事は、その場の思い付きでできることではない。それは、戦争(計画)の当初より全軍が一致して有する理念・思想となっており、且つその実行について、予め具体的にして明確な工夫・配慮が行われている場合にのみ実現が可能となるものである。本項以下は、素朴であるが、この事について例をあげて説くものと言えよう。
一、ところで、この孫子の「敵に勝ちてその強を益す」思想は、従来の単純なる敵の覆滅のみを事とする戦争を否定するものであるが、恐らくは、孫子一人の心に生じた思想ではあるまい。戦争の愚による悲惨から万民を救うため、群雄割拠を打破して天下の一統を実現する必要を痛感していた当時の識者にとって、その促進を図る有効な道として、認識せられはじめていたのではなかろうか。古い起源を有する将棋が、敵方の駒をとって場合、それを味方の駒として再使用することを許すルールとなっていることは、当時の戦争に対する考え・現実の反映であろう。
一、この古代支那に誕生した思想は、近世に於ては忘れられる所となっていたが、現代に至って、たとえば(敵に寝返りを打たせる)人民戦争の如き概念となって復活し、一時期、共産主義国・社会主義国が自己の思想的武器として専売特許の如く使用、威力を発揮し、現代戦争の性格の重要な一面を形成するものとして、無視することを許さぬものとなったことは周知の事実であろう。しかし、これも、彼らの理想とする所の実態が明らかとなり、単なる方便に過ぎぬことが認識されるにつれて、急速に信を失い、再び忘れ去られつつある。
一、しかし、この思想の根本精神は、そもそも「皇軍」を自称した我軍が理想とし建軍の本義とした所であり、今もその価値を失っていない。確かに我々も、昭和の戦争に於ては消化不良を起し、その実現に失敗している。しかし、我々は、過去の失敗に懲りることなく、この思想が、本来我々が軍事思想として有する神武-神武にして戈(ほこ)を止むの意-の精神に合致し、建国以来伝統としてきた諸民族を大和せしむることを以て理想とする祖宗の精神を具現する所以であることを再確認し、信念を以てその復活に取り組むべきであろう。実際、この思想的武器なくして我軍はありえないのである。なお、苦しむ敗者を救い、その武徳により、期せずして彼を傘下に入れた例は、我国では、大楠公の渡辺橋の例を始めとし、今次大戦に於てすら無数である。
一、本項に対する誤解 ところで、本項も、一般には仏訳の如く解釈されてはいず、殆どは、軍隊を勇敢に戦わせて敵を殺傷するためには、軍隊を激励して憤怒させる(敵愾心を起させる)必要があることを説くものと解しているのである。曹操の如きも「威怒は以て敵を致すなり」と註している。このため、本句は作戦篇には似合しからぬ唐突の言句として、その存在に疑問を呈する者も少なくない。無論、このような意に解すれば当然であろう。しかし、これは、六項の「拙速」に対する誤解と同じく、本篇が作戦篇であることを忘れたために生じた誤解である。
○守屋孫子:兵士を戦いに駆りたてるには、敵愾心を植えつけなければならない。
○重沢孫子:もともと兵士が敵を殺すのは、敵に対する怒気のためであり、
○田所孫子:○故殺敵者怒也、取敵之利者貨也とは、敵を制圧する戦闘力は怒、すなわち敵愾心であるが、敵から取上げてわが戦闘力を旺盛ならしめるものは、敵のもっている貨財であるとの意。
○大橋孫子:怒-敵愾心
○武岡孫子:怒-思慮を欠いた浅はかな用兵。敵愾心と訳したら後の文章と意味が合わなくなる。 本文の最初の「敵を殺す者は怒なり」を「敵を殺すのは奮い立った気勢による」と解釈する者が多い。怒を敵愾心とするからである。だがこの解釈では後の文章とつながらないばかりでなく、金や物資の重要性を述べた作戦篇とそぐわない唐突な解釈となる。したがってこの文は先の通解のように解釈すべきである。
○佐野孫子:○故殺敵者、怒也 「怒」は励む、奮い立つの意。この句は一般に「兵士を敵との戦いに駆り立て、進んで敵を殺すものは奮い立った敵愾心(戦意)である」と説明される。用兵上、闘争本能を活性化させ、兵士の士気を高揚させることは勿論重要であり、そのために、「怒り」などの非理性的な心理を活用することは有効な手段となる。然し乍(なが)ら、これはあくまでも指揮操作の対象となる兵士全体について言うものであり、指揮の主体者たる将軍個人の「怒り」を指すものでないことは明らかである。老子曰く「善く戦う者は怒らず」と。<第十二篇 火攻>にも「故に、明主は之を慎み、賢将は之を警(いまし)む」とあるが如く、指揮する者は、むしろ常に冷静さが要求される。つまりこの句は、将軍たる者、必要に応じ時には兵士の敵愾心を煽り、軍の戦意高揚に努める場合もあるが、それはあくまでも一つの方便にすぎず基本的には本来の戦争目的(兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず)を達成するために「敵に勝ちて強を益す」方策、即ち敵の力の有効活用を常に企図するものでなければならないと言外に言うものである。斯る見地よりすれば、「敵を殺す」と言う選択肢以外に、他の方法(敵の力の逆用・活用)があり、然もそれが可能であるにも拘わらず、むやみやたらに敵を殺す者は、単に怒りの激情に駆られただけの思慮分別を失った無益な行為(即ち斯るやり方は敵の抵抗を強化し、戦争を長期化させるだけの狂気の沙汰であり我にとって利とならないもの)にすぎず、賞賛の対象どころか、むしろ批判されるべき行為であると断ずるのである。孫子はこの意味で、「故に、敵を殺すものは怒りなり」と曰うのである。これに対して、「敵の利を取るものは貨(物資等の価値あるもの、ここでは人も含むと解する)なり」は、本来の戦争目的を達成する所以たるものであり、これを実行する者は我にとって利、つまり敵に勝ちて強を益すものとなるため、大いに賞賛すべきであると言うのである。況んやその一例として、敵の戦車ばかりでなく、その乗員までも捕獲することは、前記のただ怒りにまかせて敵を殲滅し殺傷するだけの無益な行為に比べ、はるかにレベルの高い仕事だと評価するのである。故に、当然の結果として「その先ず得たる者を賞する」のである。右の如く解することにより、本篇の前段である「糧は敵に因る」と後段である「敵の利を取る者は貨なり」の説明が本句をキーワードとして何等矛盾することなく繫がり、然も孫子の意に適うものとなるのである。
○著者不明孫子:【故】「故に」という接続詞は、上文の内容を理由として「だから…」「それゆえに…」と下文に続けていく場合に用いられる(もっと強くいう場合は、「是の故に」「…を以ての故に」などの表現をとる)が、いつもそうであるとはかぎらず、「そこで」「このように」「かくて」というほどの軽い意味に用いられる場合も多く、また、「そして」「さて」など、上文の内容とは違うことを言い出す場合の接続詞としても用いられる。
【殺敵者怒也】「怒」は憤激の情。「こん畜生」と思っていきりたつ気持ち。計篇第一の五「怒而撓之」の怒と同じ。そういう気持ちがあってはじめて敵を殺すことができるということ。
○孫子諺義:『故に敵を殺す者は怒(はげま)せばなり。』
怒ははげますと云ふ心也。かれをいからしめて、心を激しはげます。乃ち作戦の篇註にしるせるごとく、振作の心也。荘子に怒飛と云ふも、はげんでとぶと云ふの心也。云ふ心は、味方の兵士戦ふことをこのみ、敵を撃殺することを快くすることは、兵士をはげまし、其の氣を振作して、いさましむるにある也。凡そ良将の兵をつかふこと、よく士卒の勇を考へて、或はこれをかくし或はこれを出し、或は抑揚し、或は褒貶す。皆是れ士卒の氣をはげましいさましむべきの術也。故にかれ戦をこのむといへどもわざと戦はず、かれ出でんことを欲すれどもわざと出でず、彼れ勇力をあらはさんと欲すれどもわざと勇力をあらはさしめず。紀渻子(假設の人、列子黄帝第二及び荘子外篇十九に出づ、要は闘鶏を養ふに、始めは殺気を養ひ、後には沈著にして威あり、敵自ら伏するに至らしむとなり)が雞を養ふ術のごとくならしめて、其の機をはり、其の心をはげましむること、良将の作略也。尉繚子云はく、民の以て戦ふ可き者は、氣也と。百戦奇法(武徳全書中章氏闘書編にありと云ふ)に云はく、凡そ敵と戦ふ、須らく士卒を激勵し、忿怒せ使めて後に出で戦ふべし。法に曰ふ、敵を殺す者は怒り也と。大全に云はく、怒は軍に蔵くす、心觸るる有れば斯に發す、發する有れば則勝つ、而して機權以て之れを激する有るに在り。之れを激すれば則怒り心從り生ず。以て水に入るも濡れず、火を蹈(ふ)むも烈(もえ)ざる可し。其の敵を殺すに於て也何か有らん。田單燕を誑(たぶらか)し城外の塚墓を掘らしめて、士卒遂に激怒して燕を攻むるが如き、是れ也。
○孫子国字解:『故に敵を殺すは、怒なり。』
故とは、又上の文を承けたるなり。上の文に云へる如く、遠境へ働き長陣を張ては、國家の費夥しく、士卒の氣たるむものなるゆへ、士卒の勇氣たはまず、きほひぬけぬ内に、戦を決して早く引取り、長く敵地に居らぬ様にせよと云ことを云たるなり。殺敵者怒也とは、總じて平生怯きもの弱くかひなき人も、一旦怒に乗じては、人と爭ひ闘爭にも及ぶなり。然るに合戦と云ものは、上の催促によりて我に意趣も遺恨もなき人と戦て、是を殺んとす。上下心を同くして、上の怒り玉ふを見ては、我私の仇の如く骨髄に徹して怒るに非んば、誠に世話に云る軍役と云ものになりて、精力を奮て、是非ともにこれを殺んとまでは思ふまじきなり。名将は人情のかくあることを明かに知て、方略を設けて士卒の氣を奮激せしめ、その奮激の氣に乗じて、一戦をはじむる時は、よくわが私の仇を伐つ如く、身命を忘れて戦ふゆゑ、多くの敵を殺して、大軍をも切り崩すことなり。然れば敵を殺して勝利をなすは、此奮激の氣なり。もし長陣に及で、力疲れきほひぬけ、奮激の氣たゆむ時は、軍に勝つことあるべからず。此篇を作戦篇と名付けたるも、此意にて、上の文に長陣を戒めたるも、專ら此道理を説ん為なれば、此一句尤この篇の肝文と云つべし。但しこの怒と云に付て、古來の名將、方略を設て士卒を怒らしめ、軍に勝たるためし少ならず。齊の國七十餘城を燕の國の將軍樂毅に攻め落され、僅に莒即墨の二城のこりたる時、樂毅は讒によりて本國に喚反され、別の大將代りに來れり。即墨の城には田單こもりけるが、田單反間を放つて城中より降參したる者は、城中のものと意趣ありて、殊の外に悪むなり。悉く劓りなば城中の士卒喜ぶべしと云はせければ、彼將尤と思ひ悉く劓る。城中の者ども悪き燕の大將のしかたかな、命の惜しきとて、さやうに辱められては生たるかひなし、降參はすまじきことぞとて、愈々(いよいよ)城を固く守りける。田單また反間をはなつて、城中の者共は、先祖の墓をほり崩され、死骸を焚く。城中のもの涕を流し無念がり、怒氣奮激するを見て、田單切ていで、燕國の軍を追くつし、齊の七十餘城を取りかへしけり。又後漢の班超天子の命を銜(くわえ)て西域へ使に行き、鄯(ぜん)善國へ至り、蹔(しばら)く滞留したりし時、折節匈奴より使來る。鄯善王匈奴の使者を殊の外に馳走しければ、班超か下司の士僅に三十六人ありけるが、班超これに向て云やう、匈奴の士はの來りけれは、それを馳走して、吾々をは輕しむる體(てい)たらく、悪き仕形なり。いかさまにも吾々をからめとり、匈奴に送るべしと思はる。然らば身を犲(読み⇒さい:やまいぬ)狼の食にせられ、空しく朽はてんことの腹立しさよ。虎穴に入らざれば虎子をば得ぬぞとて、夜に入り大風に乗して、風上より匈奴の使者の居處へ火をかけ、三十六人の内十人に太鼓を打せ、火の手上るを合圖にして、夥しく太鼓を打たせ、おめきさけんで切入りければ、匈奴の使者は大勢なりしかども、班超がわつか三十六人の手勢を、夥しき大軍と思ひ、驚き亂れてにげちるを、悉く打取りしかば、此比までは漢と匈奴と兩方へ從ひて、漢へ全くは從はざりし鄯善王、終に降參して、班超抜群の賞に預りしも、怒を以て士卒を激せしゆへ、味方もなき它國のおぼつかなき處にて、成がたき大功を立たり。このやうなる類猶もあるべけれども、畢竟士卒を怒らすると云は、士卒の勇氣を專一にすることなり。怒らざれは敵を殺すこと能はずと云には非ず。張預この段を注して、尉繚子を引き、民の戦う所以は氣なり。氣怒るときは則ち人人自ら戦を謂ふと云へり。氣怒ると云は、怒る時の如く、勇氣の專一なることを云なり。荘子に大鵬と云鳥の、九萬里の天に飛上ることを、怒て飛と云へり。これは彼鳥力を出し氣を奮て飛上ることを、人の怒に喩へて、怒て飛と云て、何も腹立ことあるを云には非ず。故に荘子をよむもの、怒ると云字をはげむと訓じて、はげんで飛とよめり。此本文の怒の字を荘子と同じ意に見て、只勇氣を專一に奮ふことと見ば、孫子が本意に通徹せんか。強ちに士卒を怒らしむるが、孫子の本意と思ひ、事の便りもなきに、強ゐて士卒を怒らしめんとのみ思はば、却て文字に滞り泥(なづ)むなるべし。まして本文一篇の文勢、長陣をして氣のたゆむことを云て、其次に此段を云へば、戦は氣にあるわけ、本文の骨髓なるべし。
○孫子評註:『故に敵を殺すものは怒なり。』
此の句唯だ以て下を起す、意義あることなし。猶ほ詩の所謂興(中国古代の詩の六義(六つの形式)の一つで、ある事物を比喩にかりて、自分の所感を述べるもの。)のごとし。然れども兵理に於て則ち然り。
○曹公:威怒を以て敵を致す。
○李筌:怒とは軍威なり。
○杜牧:萬人 能同じうして心皆怒るに非ず。我れ之れを激して勢を以て然ら使めるに在るなり。田單即墨を守るに、燕人をして降る者の劓(鼻をき)らしめ、城中の人の墳墓を掘らすの類是れなり。
○賈林:人の怒る無ければ、則ち肯(あ)えて殺さず。
○王晳:兵は威怒を主(つかさど)る。
○何氏:燕 齊の即墨を圍み、齊の降る者盡く劓(鼻を切)る。齊の人皆怒る。愈(いよいよ)堅く守る。田單又反間を縦(ほしいまま)にし曰うに吾れ燕の人 吾が城外の家墓を掘らば、先人を戮辱し、為に寒心となるべし。燕軍 盡く墓を掘り死人を燒く。即墨の人 城上に從い望み見て皆泣涕す。其れ出でて戦を欲し、怒りて自ら十倍す。單 士卒を用うる可きを知れり。遂に燕の師を破る。後漢 班超 西域に使う。鄯善に到りて、其の吏士三十六人と會う。共に酒を飲み酣(たけなわ)となる。因りて之れを激怒して曰く、今俱に絶域に在り。大功を立て以て富貴を求めんと欲す。虜使 到りて裁き数日にして、王禮貌 即ち廢す。如(し)吾が屬を収め匈奴に送らば、骸骨長じて豺狼の食と為すなり。官屬皆曰うに、今危亡の地に在り。死生司馬に從う。
超曰く、虎穴に入らずんば虎子を得ず。當に今之の計をすべし。獨り夜に因りて火を以て虜を攻め、彼をして我れ多少知らざらしむ。必ず大いに震怖[しん‐ぷ【震怖】ふるえおそれること。]し、殄[すべてがほろびる。絶えはてる。ほろぼしつくす。]盡(つく)る可し。此の虜を滅さば則ち功成り事立つなり。衆曰く、善し。初夜 吏士を将とし虜營に奔る。天の大風に會う。超 十人をして鼓を持たせ虜舍の後ろに蔵す。約して曰く、火然ざれば皆當に鼓を鳴らし大いに呼ぶべし。餘人悉く弓弩を持ち、門に來りて伏す。超風に順い火を縦にす。虜衆驚亂す。衆悉く燒き死ぬ。蜀の龐統 劉備に勸むに益州の牧 劉璋を襲え、と。備曰く、此れ大事なり。倉卒[そう‐そつ【倉卒・草卒】サウ‥(「怱卒」とも書く)①あわただしいさま。あわてるさま。②にわかなさま。突然。]とするべからず。璋 備をして張魯を撃たせしむに及ぶ。乃ち璋に從い萬兵及び資寶を求め、以て東行せんと欲す。璋 但だ兵四千を許し、其の餘り皆半ばを給す。備因りて其の衆に激怒して曰く、吾れ益州の為に強敵を征す。師徒に勤瘁す。寧ろ居に遑あらず。今帑藏(かねぐら)の財積みて功を賞し恡[おしむ、やぶさか、ねたむ]む。士大夫の為に死力を出し戦いに望むに其れ得べけんや。是れに由りて相與に璋を破る。
○張預:吾が士卒を激す。上下をして同じく怒らしむれば、則ち敵殺すべし。尉繚子に曰く、民の戦う所以の者は氣なり。謂ふに氣怒らば則ち人人自ら戦う。
意訳
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○金谷孫子:そこで、敵兵を殺すのは、ふるいたった気勢によるのであるが、
○浅野孫子:そこで、敵兵を殺すのは、忿怒の感情からであるが、
○町田孫子:そこで、戦士に敵兵を殺させるものは、軍中にみなぎる殺気であるが、
○天野孫子:それゆえ、進んで敵を殺すものは奮いたった心であり、
○フランシス・ワン孫子:従って、敵を殺すだけを目的とするのは、思慮を失った無謀の用兵である。
○大橋孫子:敵を急速に圧倒するには敵愾心が必要である。
○武岡孫子:したがって、敵を殺すことだけを目的とする作戦は、思慮を欠いた無謀の用兵である。
○著者不明孫子:さて、敵を殺すのは憤激の情により、
○学習研究社孫子:そこで、敵を殺すことは、戦闘意欲という心の作用によるのであるが、
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『故に敵を殺す者は怒なり。』:本文注釈
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「故に敵を殺す者は怒なり。」の主な解釈としては二つ知られている。
①一つは、敵を殺すのは怒りの感情(又は励まし)によるものである、という解釈で、敵は生かすよりも殺すものであるとも解釈できる。この思想は、行き過ぎれば殲滅主義とも捉えられかねない。もちろん、降伏・投降してきた国や兵においては別であろうとは思うが、基本としては敵は殺すということであろう。火攻篇の最後の段で、怒りは禁物であるという旨の文があるが、これは君主の一時の感情で戦争を起してはならないということで、もはや戦争が始まった段階で戦場に於いて敵と遭遇した場合に於いては、怒りの感情(励まし)によって、敵を攻撃するということは、ごく自然のことであろう。ただ目の前に殺し合いが迫っているということで、士気が下がるといった状況パターンも考えられるため、兵を鼓舞するためには怒りの感情を引出すのだ、と孫武が言ったということがここでは考えられるだろう。又、この文が、戦争は速戦速決の方がよいという文や、食糧や軍の用度品(武器やさまざまな道具)はできるだけ敵から奪え、という文の後に続くことから、この文は怒りの感情をもとにして速戦速決し、敵の物を奪い我がものとせよという意味であろうと推測される。しかし、怒り狂っていては、敵の物を奪うまでもなく、破壊してしまう可能性も少なからず出てくると考えられる。つまりここでいう「怒」とは、一般に思うような怒り猛り狂った状態というよりは、ある程度抑制のきく精神の高揚状態にある敵愾心というようなものと考えられなくもない。すでに述べてあるが、計篇の「怒にして之れを撓め」、の文の「怒」も同様の意味の可能性がある。ただし、火攻篇の最後の段の「怒」の説明は、明らかに悪い意味で戒めの対象となっていることから、これには当てはまらないと考えてもおかしくない。しかし、利益を考えず、興奮した感情をもとに戦争を起してはならない、と解釈すればおかしくはならないであろう。
②二つ目の解釈は、火攻篇の最後の段で、「主は怒りを以て師を興こすべからず。将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず。」の文があることを根拠として、「怒りは軍を滅ぼす愚かな感情であるから、これを戒めよ。」とするものである。この場合、「速戦速決、敵の物を我がものとせよ」の文の後に続くこの文の解釈としては、「速戦速決や敵の物を自分のものとするには、歯止めがきかない猛り狂った怒りの感情ではなく、理性的な精神・行動によるものが不可欠である」、という意味になる。火攻篇の怒りを禁じた文の主旨は、「国を安んじ軍を保全させるには、怒りの感情で軍を起こしてはならず、利益に照らして行動することを君主や将は心がけよ。」、となる。よって作戦篇の「故に敵を殺す者は怒なり。」の文も、怒りを戒め、利益に照らして将は軍を行動させよ、ということをいっていると考えられる。
この二つの解釈に共通な点は、自軍の利益を主眼におき、「速戦速決・敵の物を自分のものとする」精神に矛盾しない所にある。一番目の解釈と二番目の解釈と違いが生じていることから、以降の文にも、それぞれの解釈の違いが引き継がれていくと考えて間違いない。まず一つ目の解釈では、敵兵を自軍に組み入れるという発想は少なくとも第一義としては存在しない(ただし、食糧や軍の用度品は別。)ことから、以下の文の解釈もそれを踏まえたものになる。二つ目の解釈では、敵軍の投降兵を自軍に組み入れ増強させるという方法を否定はしないことから、敵兵を我が軍に組み入れ役立たせるといった、敵兵を活用するやり方を踏まえた解釈を以下の文にも適用していってもおかしくはない、ということになる。
『老子』に、「善為士者不武善戦者不怒」 (善い知識人たる者はたけだけしくない。善い戦士は、激しくない(怒らない)。 )という言葉がある。『孫子』のこの文の「怒」は将の「怒」ではなく、兵の「怒」であることは明白であるが、『老子』のいうような怒りを否定するものなのか、はたまた怒りを肯定するものなのかどうかは定かではない。ただし、「怒」の意味に迫っていくには、いくつかの手掛かりがある。その中の一つは、この段の後に「故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。」とあることである。つまり、この「故に敵を殺す者は怒なり。」の文は、戦争の早期の勝利に役立っているということを言っている。この事を考えると、二番目の解釈では、速戦速決には直ちにはつながるものではないことがわかる。逆に、一番目の解釈は、怒りの感情(はげまし)をもって速戦速決を計る、という意味に捉えられることから、こちらの方が後ろの文の「故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。」とのつながりがよいことがわかる。もうひとつは、「故に敵を殺す者は怒なり。」の前の文の「故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。」との文意のつながりにある。こちらは「敵の物を自分のものとして利用していく」、という考えの文のあとに、「故に敵を殺す者は怒なり。」の文が来ていることから、「敵の資源は味方の資源になりえるからむやみに敵の資源を役に立たなくする行為は慎め」、というように流れがつながっていくことになる。この場合は、二番目の解釈の方がよりふさわしいということがわかる。しかし、この段のまとまりの点から考えると、よくまとまるのは一番目の解釈である。このようにいろいろ考えてみると、私自身の考えとしては、二番目の解釈は言いたいことはわかるのだけれど、少々まわりくどいような感じがする。『孫子』は抽象的な表現が多いが、この文の表記だけではそこまでの意味とはならないような気がするのだがどうであろうか。二番目の解釈をとれば、敵兵は我軍に吸収されることもありうるが、この場合はもちろんその兵士を新たに養っていくということである。しかし、その費用はいったいどこから出していくというのであろうか。食糧や武器などの道具はいくらあってもまず困ることはないが(輸送の手間はもちろんかかるが)、兵士の場合、吸収した兵の多寡によっては費用も莫大なものとなりかねない。又、敵兵にも当然故郷に家族がいて、仲間もいるに違いない。昨日までの仲間を敵として殺せと命令されても、当然士気は上がるものではない。それよりも見逃してやると言って、恩を与えて解放し、又はその中から優秀と思われる者を自国のスパイとして養成した方が長い目で見れば、より有益であろう。以上のような理由から、「故に敵を殺す者は怒なり」を、「怒」を戒め敵の食糧を我物とする意味として捉える所まではいいのだが、敵兵を我軍に吸収し自軍を増強していくことを促すものとして捉えることは、それから様々な問題点を抱えていくことになり、現実として応用していくのはより困難なものとなるであろう。よって次の文では、食糧や軍の用度品は利となると言っていることから、食糧や軍の用度品を敵から奪うことは有利であることは明白であるが、敵兵を我軍に組み入れることは必ずしもそうではないことはもはやお分かりのことと思う。例えば捕えた(降参した)敵兵が、言語も通じず、文化も大きく異なっている様子であれば、こちらとしてはより扱いにくくなることは想像に難くない。又、「智将は務めて敵に食む」と言っていることからも、信用のできない敵兵を自軍に組み入れて、いたずらに軍費を消耗することは常識的に考えても考えられないことである。しかし、例えば投降兵を囮に使い、逃げられても構わない、または死んでも構わないといったことを前提にした用兵を行なうというような場合は別であろう。このような用兵も『孫子』では否定はしていない。また、当時は敵国の身分の低い捕虜を奴隷として使うことも何らおかしいことではなかったから、投降兵を国に送り奴隷とするという選択肢もあったであろう。『孫子』では自国の民や国の財産を保全することが、戦の最終目的であることを、火攻篇の末尾で述べているから、そのためには計篇でも言っているように、自軍を保全するためなら、敵をどのように欺いてもよいのである。
「孫子」の文の意味を一概にそうであると考えることは、思考を停止させ利を手離すことにつながりかねない。「孫子」の文面のみ、表面のみをとらえて解釈することは危険につながり、また、自分のものとするには程遠くなる。論語の言葉で「故(ふる)きを温めて(たずねて)新しきを知る」という言葉がある。この温故知新の精神をもって、「孫子」を自家薬篭中の物[自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの) 自分の薬箱の中の薬のように、いつでも自分のために役立て得る物や人。思うままに使いこなせるもの。]としていくことがわれわれの理想といえるだろう。
殺-一 サツ・セツ ①命を絶つ。ころす。②そぐ。除く。消し去る。③程度がはなはだしい。はげしく…する。 二 サイ へらす。【解字】会意。「乄」(=刈りとる)+「朮」(=もちあわ)+「殳」(=動詞の記号)。もちあわを刈り取って実をそぎ落とす意。
怒-①腹を立てる。いかる。②たけりくるう。【解字】形声。「心」+音符「奴」(=力をはりつめる)。気ばる、気ばっていかる意。
註
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○天野孫子:○殺敵者怒也 「怒」ははげむ、奮い立つの意。敵愾心を言う。『諺義』は「怒ははげますと云ふ心なり。かれをいからしめて、心を激しはげます。乃ち作戦の篇註に(作について)しるせるごとく、振作の心なり。荘子(逍遙遊篇)に怒飛と云ふも、はげんでとぶと云ふの心なり」と。一説にいかりの意として、この句について趙本学は「士卒に敵を殺さしめんと欲すれば、当に之を激して怒らしむべし」と。また一説にこの句は怒りを慎むべきことを言うと。『兵法択』は「旧説皆、吏士を激怒せしむれば、則ち敵、殺す可しと謂ふ。最も其の義を失ふ。孫武の一書は、未だ嘗て殺すを言はず。且つ是の篇の如きは兵に久しくするを以て、戒めと為す。故に曰く、兵を知るの将は民の司令なりと。安んぞ其の敵を殺して以て吾人を激する者に在らんや。武且つ言あり。曰く、主は怒りを以て師を興す可からず、将は慍りを以て戦を致す可からず。亡国は以て復た存す可からず。死者は以て復た生く可からず。故に曰く、明主は之を慎み、良将は之を警む、と(火攻篇)。其の警戒の意、亦復た此の如し。読者、察せざる可からず」と。『新釈』もこの意見である。
○フランシス・ワン孫子:註 一、「故に」は、本篇の前段である十五項までを受けて言うものである。つまり、戦争に於ては、内外ともに、これほどの労苦と犠牲・困難の克服を必要とし、しかも問題が生ずるのを避けることはできないのであるから、ただ敵を殲滅し殺傷するだけを目的とするが如き戦争(作戦)は敵の抵抗を強化し、戦争を長期化させるだけの狂気の沙汰であり、激情に駆られて思慮分別(理性・冷静さ)を失ったものと言うべく、それは、覇王にとって、本来の戦争目的を達成する所以ではない、と。
一、「拙速」を以て方針とし、戦争の長期化を避けてその目的を達成せんとする以上は、戦争指導・用兵も、すべてこの思想を以て一貫し、その実現を目指すものでなければならないのである。孫子にあっては、支那の古戦史が好んで記す「敵の何十万を坑(あな)にす」といった如き形態の戦争(作戦)はとらざる所である。なぜなら、そのような敵の覆滅を企図する戦争(作戦)は、平時より多大の軍備を必要とするのみならず、戦時その遂行に於ては、エネルギー節約の戦争経済の法則に反するものとなるからである。また、かかる絶対型戦争は、自身にも耐え難い損害を与えることが多く、たとえ勝利を得た場合に於ても、「諸侯、その弊に乗じて起る」状勢を招来し、結局は自ら斃るる道をつくるものとなる虞(おそ)れが大きいからである。このことは、第一次大戦に於てドイツに、第二次大戦に於ては日・独に対し、絶対型戦争指導を行った連合国が、米・ソ以外は、その勝利にも拘らず却って弱化し、特に第二次大戦後は、その弊に乗じて起った植民地の抵抗・独立運動をめぐって苦慮した事態を見れば明らかであろう。のみならず、勝ち誇って世界を二分支配したかに思えた米・ソも、歴史の命運とはいえ、僅かに四十年にして、早くもその覇権には動揺が生じている。絶対型戦争指導或いは孫子のいわゆる「戦勝攻取するも其の功を修めざる」(火攻篇)式の戦争指導が与える損害の中には、勝利をも空しくする驕慢の心・精神の荒廃の発生があるのであり、成功に心傲った彼らは盲目となり、積年の非道・横暴に対して天の摂理とも言うべき歴史的性格の復讐を受けながら、なおこれに気付くことができないでいるのである。無論、我々に、この事を嗤う資格はない。
一、従って、孫子は「敵を殺すことだけを目的とするのは思慮を失った用兵である」(仏訳)とし、以下、戦争指導(作戦)は、すべからく「敵に勝ちて強を益す」(二十項)ことを以て主眼とするものでなければならない、と説くのである。つまり、戦争に於ては、単に敵の打倒だけを目的とするのではなく、敵の財貨・器材はもとより、その兵も味方のものとし、再使用することを企図する者でなければならない、と言うのである。いわゆる王者の軍である。しかし、この事は、その場の思い付きでできることではない。それは、戦争(計画)の当初より全軍が一致して有する理念・思想となっており、且つその実行について、予め具体的にして明確な工夫・配慮が行われている場合にのみ実現が可能となるものである。本項以下は、素朴であるが、この事について例をあげて説くものと言えよう。
一、ところで、この孫子の「敵に勝ちてその強を益す」思想は、従来の単純なる敵の覆滅のみを事とする戦争を否定するものであるが、恐らくは、孫子一人の心に生じた思想ではあるまい。戦争の愚による悲惨から万民を救うため、群雄割拠を打破して天下の一統を実現する必要を痛感していた当時の識者にとって、その促進を図る有効な道として、認識せられはじめていたのではなかろうか。古い起源を有する将棋が、敵方の駒をとって場合、それを味方の駒として再使用することを許すルールとなっていることは、当時の戦争に対する考え・現実の反映であろう。
一、この古代支那に誕生した思想は、近世に於ては忘れられる所となっていたが、現代に至って、たとえば(敵に寝返りを打たせる)人民戦争の如き概念となって復活し、一時期、共産主義国・社会主義国が自己の思想的武器として専売特許の如く使用、威力を発揮し、現代戦争の性格の重要な一面を形成するものとして、無視することを許さぬものとなったことは周知の事実であろう。しかし、これも、彼らの理想とする所の実態が明らかとなり、単なる方便に過ぎぬことが認識されるにつれて、急速に信を失い、再び忘れ去られつつある。
一、しかし、この思想の根本精神は、そもそも「皇軍」を自称した我軍が理想とし建軍の本義とした所であり、今もその価値を失っていない。確かに我々も、昭和の戦争に於ては消化不良を起し、その実現に失敗している。しかし、我々は、過去の失敗に懲りることなく、この思想が、本来我々が軍事思想として有する神武-神武にして戈(ほこ)を止むの意-の精神に合致し、建国以来伝統としてきた諸民族を大和せしむることを以て理想とする祖宗の精神を具現する所以であることを再確認し、信念を以てその復活に取り組むべきであろう。実際、この思想的武器なくして我軍はありえないのである。なお、苦しむ敗者を救い、その武徳により、期せずして彼を傘下に入れた例は、我国では、大楠公の渡辺橋の例を始めとし、今次大戦に於てすら無数である。
一、本項に対する誤解 ところで、本項も、一般には仏訳の如く解釈されてはいず、殆どは、軍隊を勇敢に戦わせて敵を殺傷するためには、軍隊を激励して憤怒させる(敵愾心を起させる)必要があることを説くものと解しているのである。曹操の如きも「威怒は以て敵を致すなり」と註している。このため、本句は作戦篇には似合しからぬ唐突の言句として、その存在に疑問を呈する者も少なくない。無論、このような意に解すれば当然であろう。しかし、これは、六項の「拙速」に対する誤解と同じく、本篇が作戦篇であることを忘れたために生じた誤解である。
○守屋孫子:兵士を戦いに駆りたてるには、敵愾心を植えつけなければならない。
○重沢孫子:もともと兵士が敵を殺すのは、敵に対する怒気のためであり、
○田所孫子:○故殺敵者怒也、取敵之利者貨也とは、敵を制圧する戦闘力は怒、すなわち敵愾心であるが、敵から取上げてわが戦闘力を旺盛ならしめるものは、敵のもっている貨財であるとの意。
○大橋孫子:怒-敵愾心
○武岡孫子:怒-思慮を欠いた浅はかな用兵。敵愾心と訳したら後の文章と意味が合わなくなる。 本文の最初の「敵を殺す者は怒なり」を「敵を殺すのは奮い立った気勢による」と解釈する者が多い。怒を敵愾心とするからである。だがこの解釈では後の文章とつながらないばかりでなく、金や物資の重要性を述べた作戦篇とそぐわない唐突な解釈となる。したがってこの文は先の通解のように解釈すべきである。
○佐野孫子:○故殺敵者、怒也 「怒」は励む、奮い立つの意。この句は一般に「兵士を敵との戦いに駆り立て、進んで敵を殺すものは奮い立った敵愾心(戦意)である」と説明される。用兵上、闘争本能を活性化させ、兵士の士気を高揚させることは勿論重要であり、そのために、「怒り」などの非理性的な心理を活用することは有効な手段となる。然し乍(なが)ら、これはあくまでも指揮操作の対象となる兵士全体について言うものであり、指揮の主体者たる将軍個人の「怒り」を指すものでないことは明らかである。老子曰く「善く戦う者は怒らず」と。<第十二篇 火攻>にも「故に、明主は之を慎み、賢将は之を警(いまし)む」とあるが如く、指揮する者は、むしろ常に冷静さが要求される。つまりこの句は、将軍たる者、必要に応じ時には兵士の敵愾心を煽り、軍の戦意高揚に努める場合もあるが、それはあくまでも一つの方便にすぎず基本的には本来の戦争目的(兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず)を達成するために「敵に勝ちて強を益す」方策、即ち敵の力の有効活用を常に企図するものでなければならないと言外に言うものである。斯る見地よりすれば、「敵を殺す」と言う選択肢以外に、他の方法(敵の力の逆用・活用)があり、然もそれが可能であるにも拘わらず、むやみやたらに敵を殺す者は、単に怒りの激情に駆られただけの思慮分別を失った無益な行為(即ち斯るやり方は敵の抵抗を強化し、戦争を長期化させるだけの狂気の沙汰であり我にとって利とならないもの)にすぎず、賞賛の対象どころか、むしろ批判されるべき行為であると断ずるのである。孫子はこの意味で、「故に、敵を殺すものは怒りなり」と曰うのである。これに対して、「敵の利を取るものは貨(物資等の価値あるもの、ここでは人も含むと解する)なり」は、本来の戦争目的を達成する所以たるものであり、これを実行する者は我にとって利、つまり敵に勝ちて強を益すものとなるため、大いに賞賛すべきであると言うのである。況んやその一例として、敵の戦車ばかりでなく、その乗員までも捕獲することは、前記のただ怒りにまかせて敵を殲滅し殺傷するだけの無益な行為に比べ、はるかにレベルの高い仕事だと評価するのである。故に、当然の結果として「その先ず得たる者を賞する」のである。右の如く解することにより、本篇の前段である「糧は敵に因る」と後段である「敵の利を取る者は貨なり」の説明が本句をキーワードとして何等矛盾することなく繫がり、然も孫子の意に適うものとなるのである。
○著者不明孫子:【故】「故に」という接続詞は、上文の内容を理由として「だから…」「それゆえに…」と下文に続けていく場合に用いられる(もっと強くいう場合は、「是の故に」「…を以ての故に」などの表現をとる)が、いつもそうであるとはかぎらず、「そこで」「このように」「かくて」というほどの軽い意味に用いられる場合も多く、また、「そして」「さて」など、上文の内容とは違うことを言い出す場合の接続詞としても用いられる。
【殺敵者怒也】「怒」は憤激の情。「こん畜生」と思っていきりたつ気持ち。計篇第一の五「怒而撓之」の怒と同じ。そういう気持ちがあってはじめて敵を殺すことができるということ。
○孫子諺義:『故に敵を殺す者は怒(はげま)せばなり。』
怒ははげますと云ふ心也。かれをいからしめて、心を激しはげます。乃ち作戦の篇註にしるせるごとく、振作の心也。荘子に怒飛と云ふも、はげんでとぶと云ふの心也。云ふ心は、味方の兵士戦ふことをこのみ、敵を撃殺することを快くすることは、兵士をはげまし、其の氣を振作して、いさましむるにある也。凡そ良将の兵をつかふこと、よく士卒の勇を考へて、或はこれをかくし或はこれを出し、或は抑揚し、或は褒貶す。皆是れ士卒の氣をはげましいさましむべきの術也。故にかれ戦をこのむといへどもわざと戦はず、かれ出でんことを欲すれどもわざと出でず、彼れ勇力をあらはさんと欲すれどもわざと勇力をあらはさしめず。紀渻子(假設の人、列子黄帝第二及び荘子外篇十九に出づ、要は闘鶏を養ふに、始めは殺気を養ひ、後には沈著にして威あり、敵自ら伏するに至らしむとなり)が雞を養ふ術のごとくならしめて、其の機をはり、其の心をはげましむること、良将の作略也。尉繚子云はく、民の以て戦ふ可き者は、氣也と。百戦奇法(武徳全書中章氏闘書編にありと云ふ)に云はく、凡そ敵と戦ふ、須らく士卒を激勵し、忿怒せ使めて後に出で戦ふべし。法に曰ふ、敵を殺す者は怒り也と。大全に云はく、怒は軍に蔵くす、心觸るる有れば斯に發す、發する有れば則勝つ、而して機權以て之れを激する有るに在り。之れを激すれば則怒り心從り生ず。以て水に入るも濡れず、火を蹈(ふ)むも烈(もえ)ざる可し。其の敵を殺すに於て也何か有らん。田單燕を誑(たぶらか)し城外の塚墓を掘らしめて、士卒遂に激怒して燕を攻むるが如き、是れ也。
○孫子国字解:『故に敵を殺すは、怒なり。』
故とは、又上の文を承けたるなり。上の文に云へる如く、遠境へ働き長陣を張ては、國家の費夥しく、士卒の氣たるむものなるゆへ、士卒の勇氣たはまず、きほひぬけぬ内に、戦を決して早く引取り、長く敵地に居らぬ様にせよと云ことを云たるなり。殺敵者怒也とは、總じて平生怯きもの弱くかひなき人も、一旦怒に乗じては、人と爭ひ闘爭にも及ぶなり。然るに合戦と云ものは、上の催促によりて我に意趣も遺恨もなき人と戦て、是を殺んとす。上下心を同くして、上の怒り玉ふを見ては、我私の仇の如く骨髄に徹して怒るに非んば、誠に世話に云る軍役と云ものになりて、精力を奮て、是非ともにこれを殺んとまでは思ふまじきなり。名将は人情のかくあることを明かに知て、方略を設けて士卒の氣を奮激せしめ、その奮激の氣に乗じて、一戦をはじむる時は、よくわが私の仇を伐つ如く、身命を忘れて戦ふゆゑ、多くの敵を殺して、大軍をも切り崩すことなり。然れば敵を殺して勝利をなすは、此奮激の氣なり。もし長陣に及で、力疲れきほひぬけ、奮激の氣たゆむ時は、軍に勝つことあるべからず。此篇を作戦篇と名付けたるも、此意にて、上の文に長陣を戒めたるも、專ら此道理を説ん為なれば、此一句尤この篇の肝文と云つべし。但しこの怒と云に付て、古來の名將、方略を設て士卒を怒らしめ、軍に勝たるためし少ならず。齊の國七十餘城を燕の國の將軍樂毅に攻め落され、僅に莒即墨の二城のこりたる時、樂毅は讒によりて本國に喚反され、別の大將代りに來れり。即墨の城には田單こもりけるが、田單反間を放つて城中より降參したる者は、城中のものと意趣ありて、殊の外に悪むなり。悉く劓りなば城中の士卒喜ぶべしと云はせければ、彼將尤と思ひ悉く劓る。城中の者ども悪き燕の大將のしかたかな、命の惜しきとて、さやうに辱められては生たるかひなし、降參はすまじきことぞとて、愈々(いよいよ)城を固く守りける。田單また反間をはなつて、城中の者共は、先祖の墓をほり崩され、死骸を焚く。城中のもの涕を流し無念がり、怒氣奮激するを見て、田單切ていで、燕國の軍を追くつし、齊の七十餘城を取りかへしけり。又後漢の班超天子の命を銜(くわえ)て西域へ使に行き、鄯(ぜん)善國へ至り、蹔(しばら)く滞留したりし時、折節匈奴より使來る。鄯善王匈奴の使者を殊の外に馳走しければ、班超か下司の士僅に三十六人ありけるが、班超これに向て云やう、匈奴の士はの來りけれは、それを馳走して、吾々をは輕しむる體(てい)たらく、悪き仕形なり。いかさまにも吾々をからめとり、匈奴に送るべしと思はる。然らば身を犲(読み⇒さい:やまいぬ)狼の食にせられ、空しく朽はてんことの腹立しさよ。虎穴に入らざれば虎子をば得ぬぞとて、夜に入り大風に乗して、風上より匈奴の使者の居處へ火をかけ、三十六人の内十人に太鼓を打せ、火の手上るを合圖にして、夥しく太鼓を打たせ、おめきさけんで切入りければ、匈奴の使者は大勢なりしかども、班超がわつか三十六人の手勢を、夥しき大軍と思ひ、驚き亂れてにげちるを、悉く打取りしかば、此比までは漢と匈奴と兩方へ從ひて、漢へ全くは從はざりし鄯善王、終に降參して、班超抜群の賞に預りしも、怒を以て士卒を激せしゆへ、味方もなき它國のおぼつかなき處にて、成がたき大功を立たり。このやうなる類猶もあるべけれども、畢竟士卒を怒らすると云は、士卒の勇氣を專一にすることなり。怒らざれは敵を殺すこと能はずと云には非ず。張預この段を注して、尉繚子を引き、民の戦う所以は氣なり。氣怒るときは則ち人人自ら戦を謂ふと云へり。氣怒ると云は、怒る時の如く、勇氣の專一なることを云なり。荘子に大鵬と云鳥の、九萬里の天に飛上ることを、怒て飛と云へり。これは彼鳥力を出し氣を奮て飛上ることを、人の怒に喩へて、怒て飛と云て、何も腹立ことあるを云には非ず。故に荘子をよむもの、怒ると云字をはげむと訓じて、はげんで飛とよめり。此本文の怒の字を荘子と同じ意に見て、只勇氣を專一に奮ふことと見ば、孫子が本意に通徹せんか。強ちに士卒を怒らしむるが、孫子の本意と思ひ、事の便りもなきに、強ゐて士卒を怒らしめんとのみ思はば、却て文字に滞り泥(なづ)むなるべし。まして本文一篇の文勢、長陣をして氣のたゆむことを云て、其次に此段を云へば、戦は氣にあるわけ、本文の骨髓なるべし。
○孫子評註:『故に敵を殺すものは怒なり。』
此の句唯だ以て下を起す、意義あることなし。猶ほ詩の所謂興(中国古代の詩の六義(六つの形式)の一つで、ある事物を比喩にかりて、自分の所感を述べるもの。)のごとし。然れども兵理に於て則ち然り。
○曹公:威怒を以て敵を致す。
○李筌:怒とは軍威なり。
○杜牧:萬人 能同じうして心皆怒るに非ず。我れ之れを激して勢を以て然ら使めるに在るなり。田單即墨を守るに、燕人をして降る者の劓(鼻をき)らしめ、城中の人の墳墓を掘らすの類是れなり。
○賈林:人の怒る無ければ、則ち肯(あ)えて殺さず。
○王晳:兵は威怒を主(つかさど)る。
○何氏:燕 齊の即墨を圍み、齊の降る者盡く劓(鼻を切)る。齊の人皆怒る。愈(いよいよ)堅く守る。田單又反間を縦(ほしいまま)にし曰うに吾れ燕の人 吾が城外の家墓を掘らば、先人を戮辱し、為に寒心となるべし。燕軍 盡く墓を掘り死人を燒く。即墨の人 城上に從い望み見て皆泣涕す。其れ出でて戦を欲し、怒りて自ら十倍す。單 士卒を用うる可きを知れり。遂に燕の師を破る。後漢 班超 西域に使う。鄯善に到りて、其の吏士三十六人と會う。共に酒を飲み酣(たけなわ)となる。因りて之れを激怒して曰く、今俱に絶域に在り。大功を立て以て富貴を求めんと欲す。虜使 到りて裁き数日にして、王禮貌 即ち廢す。如(し)吾が屬を収め匈奴に送らば、骸骨長じて豺狼の食と為すなり。官屬皆曰うに、今危亡の地に在り。死生司馬に從う。
超曰く、虎穴に入らずんば虎子を得ず。當に今之の計をすべし。獨り夜に因りて火を以て虜を攻め、彼をして我れ多少知らざらしむ。必ず大いに震怖[しん‐ぷ【震怖】ふるえおそれること。]し、殄[すべてがほろびる。絶えはてる。ほろぼしつくす。]盡(つく)る可し。此の虜を滅さば則ち功成り事立つなり。衆曰く、善し。初夜 吏士を将とし虜營に奔る。天の大風に會う。超 十人をして鼓を持たせ虜舍の後ろに蔵す。約して曰く、火然ざれば皆當に鼓を鳴らし大いに呼ぶべし。餘人悉く弓弩を持ち、門に來りて伏す。超風に順い火を縦にす。虜衆驚亂す。衆悉く燒き死ぬ。蜀の龐統 劉備に勸むに益州の牧 劉璋を襲え、と。備曰く、此れ大事なり。倉卒[そう‐そつ【倉卒・草卒】サウ‥(「怱卒」とも書く)①あわただしいさま。あわてるさま。②にわかなさま。突然。]とするべからず。璋 備をして張魯を撃たせしむに及ぶ。乃ち璋に從い萬兵及び資寶を求め、以て東行せんと欲す。璋 但だ兵四千を許し、其の餘り皆半ばを給す。備因りて其の衆に激怒して曰く、吾れ益州の為に強敵を征す。師徒に勤瘁す。寧ろ居に遑あらず。今帑藏(かねぐら)の財積みて功を賞し恡[おしむ、やぶさか、ねたむ]む。士大夫の為に死力を出し戦いに望むに其れ得べけんや。是れに由りて相與に璋を破る。
○張預:吾が士卒を激す。上下をして同じく怒らしむれば、則ち敵殺すべし。尉繚子に曰く、民の戦う所以の者は氣なり。謂ふに氣怒らば則ち人人自ら戦う。
意訳
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○金谷孫子:そこで、敵兵を殺すのは、ふるいたった気勢によるのであるが、
○浅野孫子:そこで、敵兵を殺すのは、忿怒の感情からであるが、
○町田孫子:そこで、戦士に敵兵を殺させるものは、軍中にみなぎる殺気であるが、
○天野孫子:それゆえ、進んで敵を殺すものは奮いたった心であり、
○フランシス・ワン孫子:従って、敵を殺すだけを目的とするのは、思慮を失った無謀の用兵である。
○大橋孫子:敵を急速に圧倒するには敵愾心が必要である。
○武岡孫子:したがって、敵を殺すことだけを目的とする作戦は、思慮を欠いた無謀の用兵である。
○著者不明孫子:さて、敵を殺すのは憤激の情により、
○学習研究社孫子:そこで、敵を殺すことは、戦闘意欲という心の作用によるのであるが、
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