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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2013-02-10 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『敵の利を取る者は貨なり。』:本文注釈

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この文の解釈には諸説あるが、まずは「貨」の意味から考えていきたいと思う。貨には金銭、財貨、品物、または非常に価値のある物という意味がある。仮りに貨の意味を財貨としてみると、ここの文は「…は財貨である」という意味になる。次にこの文の後に続く文を見てみる。後には「故に車戦して車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し…。」と続く。ここで「其の先ず得たる者を賞し」の文に注目していただきたい。この「其の先ず得たる者を賞し」であるが、仮りにこの文がなくとも実はスムーズに文の流れが続いていくのである。つまり、必ずしもこの文は必要はないということである。ということは、逆に考えればこの「其の先ず得たる者を賞し」の文は、別になにかしらの必然性があって記されたものと解釈せざるを得ない。これが何を意味するかであるが、この本文が存在する理由を考えながらこの文の意味を考えると、「最も貴重な軍備品である上に、戦場で大いに戦力となる戦車を敵から手に入れた者には、兵士は財貨を欲するがゆえに財貨を以てその功に報いよ。」という意味が考えられる。今風に言えば「貴重な戦車を手に入れた者にはマネーなり」であり、意味は「敵の戦車を手に入れた者にはお金を与えよ」となる。そして、「敵の利を取る」とはこの文の場合、「敵の車十乗已上を得たこと」である。現代においての戦闘機一機分くらいの価値が、当時の戦車にはあったといわれていることから、十乗以上ともなると、莫大な価値があったにちがいない。また、「敵の利」は戦車以外にもいろいろあるだろうから、これを踏まえて改めて本文に戻り解釈をおこなうと、「敵の有利・利益となっている物を奪い取る(得る)には、財貨を以て兵士に報いよ」となる。しかし、これだけでは本文の記述が、「敵の利を取る者は貨なり」、と「貨」の一言ですませている理由を考えた場合、今一歩何かが足りないような気がする。つまり、私が言ったような意味ならば、本文の記述も分かりやすく、「敵の利を取る者は貨を以て報ず」や、「敵の利を取る者は貨を欲す」等となるはずである。よって「貨」の意味を、これから十分に考察していく必要がある。
さて、この本文の後に続く文の中に、「金銭・品物・財貨・貴重なもの」に相当するものは「敵の車十乗以上」が該当する。このことから、本文の「利」と「貨」は『孫子』本文の転記の際、誤って入れ替わったものとする注釈者もおり、その場合「敵の貨を取る者は利なり」と読ませている。この説は合理的であるし、これまでの諸本と竹簡孫子の本文とで、意味が全く真逆になりえるものもでてきているため、可能性としてありえないことではないが、私はそれまでの諸本の本文を尊重し、直ちにこの説を採ることはしない。又、後ろに続く文も「こちらの利となること」を語っているが、結文は「是れを敵に勝ちて強を益すと謂う」となっている。つまり、勝って敵の貨を得て自軍を増強するのであると言っており、増強するには敵の貨が重要であるということを言っている。つまり、ここの本文は、「…者は貨なり(である)」と結ぶのが妥当であろうと私は考える。作文のテクニックの一つとして重要な事を言いたい場合、それは最後に述べた方が読者にとって強烈な印象を与えることになるのは間違いないからである。
ここで、一方でこの本文を「敵に取るの利は貨なり」と読ませる説があることについて触れてみたい。仮りに「貨」を「財貨」と訳していくと、この場合「敵から得て我れに有利なもの、利益とは財貨である」、というような意味となる。しかし、敵から得て利益となるものは財貨に限らずいろいろあるであろうと私は考える。例えば、地の利や人(敵将や敵のスパイ(間))、またはいささか脱線気味だが、当時陰陽思想が流行っていたことを考えると、「敵の運」までをも考えられるであろう。よって、この場合の「貨」とは「財貨」ではなく、「貴重なもの」という意味に捉えると解釈がスムーズに行える。「敵の車十乗已上」も当然「貴重なもの」であるからである。しかしながら、私はこの文の「貨」を「貴重なもの」という意味で捉えることには何か違和感を感じるのである。『呂氏春秋』にも「奇貨居く可し」と言ったように、貨は品物(つまり財貨も同義)という意味に捉えた方が当時において、より一般的だったのではないかと思うのである。或いは金貨や貨幣などで漢字として使われている、「貨」の「金銭」という意味が日常的な意味ではなかったのではないだろうかと思うのである。よって、「貨」を「貴重なもの」とする説には、ややまわりくどい感があるため釈然としないのでこの説は私は採らない。また、この本文を「敵の利を奪い取るということは、貴重な事である」と訳すと文意がおかしくなる。よって、「貨」を「貴重なもの」とは訳さない。
では、ここで「貨」の意味についてもう一度よく考えてみたい。「貨」とは金銭・品物・財貨などの意味が主であろうと私は考える。これらは金銭そのものであり、金銭に換えられるものであり、それ相応の価値があるものである。ここで、「貨」の主な意味である「金銭」「財貨」に共通するものを考えてみると、「貨」を「価値ある物」と考えることができる。これを踏まえて本文を訳してみると、「敵の利を取ることは価値のあることである」となる。この場合、この文を前の文の「故に敵を殺す者は怒なり」の対句として扱ってもうまく文意がつながっていく。つまり「無思慮な怒りを戒めよ、敵の利を取る行為こそに価値があるのだ」、と訳すことができる。しかしながら、「故に敵を殺す者は怒なり」を戒めの言葉として捉えるならば、孫子特有の言い回し「察せざるべからず」などが、文の後ろについてもよさそうなものである。よって、ここでは「怒」を否定的な意味ではなく肯定的な意味として捉えていってみる。そうすると、文の区切りとしては「故に敵を殺す者は怒なり。敵の利を取る者は貨なり」で一区切りで考えた方がわかりやすい。これらの文は孫武が戦争で勝つための言葉を将に向けて言ったものである。このことは後に、「兵を知るの将は民の司命云々」という文が見えることからも間違いないと思われる。「敵の利を取る者は貨なり」の文の、その後の「故に車戦して…卒は善くして之れを養わしむ。」は、敵の利を取って価値あるものの一例を挙げた文と考えられる。また、「是れを敵に勝ちて強を益すと謂う」の一例を挙げた文でもあろう。この場合、「其の先ず得たる者を賞し」の文も、敵に勝って強を益すというやり方の単なる一例を示しているものとなる。このように考えると、文の流れや区切りも後々まで綺麗にまとまっていくことになる。


取-手ににぎる。自分のものにする。えらびとる。【解字】もと、又部6画。会意。「耳」+「又」(=手)。獲物の耳を手でつかむ意。

貨-①ねうちのある品物。財宝。商品。②交易のなかだちをするもの。金銭。かね。③ ほかのものと取り替えることのできない、特に大切なもの。また、かけがえのない人。【解字】形声。「貝」+音符「化」(=かわる)。交換して他の品物にかわる貝の意。昔は子安貝を貨幣として用いた。





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孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:金谷治○金谷孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 ※利者貨也-文意からすると、「利」と「貨」とは誤倒であろう。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:町田三郎○町田孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 宋本には「取敵之利者貨也」とあるが、文意からして「利」と「貨」とは誤倒であろうとする金谷治の説にしたがって改めた。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:天野鎮雄○天野孫子:「敵に取るの利は貨なり」
 ○取敵之利者貨也 「貨」は金銭・珠玉・布帛の類を言うが、ここでは主として穀物・武器などを指す。この句は敵から奪い取ってわれに有利なものは敵の財貨であるの意。『詳解』は「敵より奪取して利益多きは糧穀・(きかん)を取るに如くは無きを言ふ」と。この句について諸説がある。一説にこの句を「敵を取るの利は貨なり」と読んで、敵を取った味方の兵に褒美として財貨を与えると。梅堯臣は「敵を取れば、則ち吾人を利するに貨を以てす」と。また一説にこの句を「敵の利を取るは貨なり」と読む。この場合、種々の解釈がある。一つはおのれの貨で敵の物を手中に収めると。『国字解』は「敵の利を此方に取って、我が利とするは貨なりと云ふことなり。敵之利とは敵の所持したる土地・人民・士卒・兵糧の類なり、貨とは金銀・財宝なり」と。一つは敵の利を取るのは味方の貨を貪る心によってであると。『講義』は「人の能く敵の利を取る所以の者は其の貨を貪るを以てなり」と。また一つは「貨」をまいないする(宝を贈る)の意に解して、趙本学は「士卒に敵の利を取らしめんと欲すれば、当に其貨を以て之を賞すべし」と。この解釈に従う註家が多い。また一説に「之利」を衍字とするものがある。『発微』がそれで、「敵を取るは貨なり」と読んで、その意は計篇の「利して之を誘ひ、乱して之を取る」と同じとする。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:「敵に取るの利は貨なり」
  一、つまり、戦争(作戦)計画に於ては、敵を殺すことを主目的とすべきではなく、その兵員・器材・物資を諸共に我が有にすることを以て目的とすべきである、と言うのであり、前項とともに、「敵に勝ちて強を益す」の思想を明らかにするのである。
  一、しかし、本項も一般には仏訳の如き解釈はとらず、作戦篇とは無縁の解釈が行われている。たとえば、「敵の利を取る者は貨なり」と読み、敵の物資の奪取は、将兵がそれによって利益をえようとする(分け前にあずかろうとする)精神による、といった如き解釈である。梅堯臣は、本項は前項の「敵を殺す者は怒りなり」の対句として、「敵を殺すには、則ち吾れ人を激するに怒を以てし、敵を取るには、則ち吾れ人を利するに貨を以てす」と註し、敵の兵員・物資・器材を取るためには、将兵に財貨を与えることが必要である、の意と解している。曹操は「軍に財無ければ士来らず。軍に賞無ければ士往かず」と。しかし、何れも、本項だけの理解としてならば説得力はあるが、作戦篇の思想との関連を欠いた解釈である。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:守屋洋○守屋孫子:「敵の利を取るものは貨なり」
 また、敵の物資を奪取させるには、手柄に見合うだけの賞賜[しょう‐し【賞賜】シヤウ‥賞して物を賜うこと。また、そのもの。]を約束しなければならない。
 ■人事管理のコツ このくだりはまた、企業の人事管理の参考にもすることができる。「敵を殺すものは怒りなり、敵の利を取るものは貨なり」とは、①やる気を起こさせる、②業績は正当に評価してやる、ということに通じよう。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:重沢俊郎○重沢孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 敵の物資を奪い取るのは、利益のためなのである。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:田所義行○田所孫子:「敵に取るの利は貨なり」
 ○故殺敵者怒也、取敵之利者貨也とは、敵を制圧する戦闘力は怒、すなわち敵愾心であるが、敵から取上げてわが戦闘力を旺盛ならしめるものは、敵のもっている貨財であるとの意。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:大橋武夫○大橋孫子:「敵の利を取る者は貨なり」
 貨-兵器や軍需品

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:「敵の貨を取る者は利なり」
 貨-兵器や軍需品

○著者不明孫子:「敵の利を取る者は貨なり」
 【取敵之利者貨也】 諸説があるが、いずれも分かりにくい。敵の有利な条件を奪うのは財貨(広い意味での財貨、つまり兵器・食糧などをも含む)による、敵の財貨を奪い利用することによって敵の利を取り上げることができる、という意味に解した。これを「敵を(または「敵に」)取るの利は貨なり」と読みこともでき、天野鎮雄『孫子』は「敵に取る…」と読んで「敵から奪い取って我に有利なものは敵の財貨である」と訳している。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『敵の利を取るの者(は)、貨(たから)すればなり』
 貨とは、士卒に財寶をあたへ其の志をいさましめ、賞功を厚くして士卒の志をうる也。士卒敵地に入りて敵の利する處をいさみすすんで奪ひ取ることは、かれ賞厚を喜ぶがゆゑ也。三略に云はく、軍に財無きは士來らず、軍に賞無きは往かずの心也。李卓吾云はく、敵の利を取る者は貨、貨を以て人に與ふ、乃ち敵を取る可し、趙充國(漢代の名将軍、蕃族西羌叛する時将軍年七十餘、命を受け出陣し忽ちにして降し屯田兵の制を設け後患なからしむ。先零は羌族の一種。)金城を守り、羌豪を誘ひ、自ら相斬捕し、一人を獲る毎に、錢四十萬を予ふ、羌人自ら攜(くづれ)(摧カ)、先零坐して困しむが如き、是れ也。又云はく、敵の利を取るとは、敵人の民家を亂取し敵の倉庫をやぶつて、かれが利あるの所を我が士卒いさみて奪ふことは、これをうれば貨を多く得ると思ふゆゑ也と云ふ説あり。又敵をうつと(討取)れば必ず利をうるとおもふは、賞功のむくいあつければ也。これ杜佑が説也。人敵に勝つときは厚賞の利有るを知らば、則白刄を冒し矢石に當る、而して樂しみて以て進み戦ふ者は、皆貨財賞勞の誘に酬ゆれば也。このときは敵を取ること之れ利とするは、貨也とよむべし。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:『敵の利を取るは、貨なり。』
 この段の意は、敵の利を此方へ取て、我か利とするは貨なりと云ことなり。敵之利とは、敵の所持したる、土地、人民、士卒、兵粮等のるいなり。貨とは金銀財寶なり。尤上の段に云如く、敵を殺して猛威をふるふは士卒の奮激の氣を以て、小勢にて大敵をも挫けども、そればかりにては全き利を得ることかたかるべし。總じて身あるもの欲心あらずと云ことなし。故に金銀財寶を以て、或は敵方の郷民を味方へ引付けて案内をさせ、間道より攻入り、或は放火し、或は兵粮を奪ふ便とし、或は敵方の将吏の、欲心あるものを味方に引入れて、方便を以て敵の土地人民士卒兵粮、何にても敵の利となるものを味方の利となすこと、是全き勝を取る道なり。かくの如く、智将は威を以て挫き、利を以て誘(おび)き、一たびはおどし、一たびはなづけて勝利を得ること速なるゆへ、長陣の費なしと云意なり。この篇は作戦篇と名づけて、戦を説たる篇なるに、孫子たたかひの一途を專にせぬ意を説けるは、其心地活潑にして、圓機妙轉せること、後人の及ぶべきに非ず。一説に貨と云を、重賞之(の)下、必ず勇夫有りと注して、味方の士卒に、金銀財寶を與へ、軍功を褒美して、軍に勝ち、敵の利を此方へ取る意に見たる説あり。是にても苦しかるまじけれども、其意は、上の句の殺敵者怒也と云内に備れり。其上其説は、とかく戦を以て敵に勝つと云ばかりに歸して、戦わずして人の兵を屈するところ、孫子が深意なることを知らぬなり。此深意を會得して後よく、火急に戦を決して、軍兵の氣のたゆまぬ様にすること掌に握るが如し。故に上の殺敵者怒也、取敵之利者貨也と二句を並べて云へるなるべければ、今其説に從はず。又一説に、取敵之利と云を、敵を取るの利とよませて、貨と云は何にても士卒の敵方より奪ひ來る物を、直に褒美として、士卒に與ることと見たる説あり。かくある時は、吾士卒敵を打取ることの吾に利あることを知るゆへ、戦を勵むと云意なり。この説にても、とかく戦を以て敵に勝つと云ばかりに歸するなり。其上士卒に亂妨をすすむる意あれば從ふべからず。此段の微意、前の段に、因粮於敵と云は、貨を以て敵方の将吏郷民を味方へ引入れずんば、なり難しと云意を含で云へるなり。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『敵の利を取るものは貨なり。』
 怒は以て敵を殺すべし。私忿(しふん)公怒、皆自(おのずか)ら用ふべく、之れを用ふるは将に存す。貨は以て利を取るべし。利は是れ敵に食ふなり。然れども啻(ただ)に敵に食ふのみに非ず、「車に乗り卒を養ふ」、是の類何ぞ限らん。之れを取るは貨に在り。貨は下の賞養を兼ねて言ふ。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:軍に財無くば士來ず。軍に賞無くば士往かず。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:杜佑:孫子十家註○杜佑:人 敵に勝ちて厚賞の利有るを知らば、則ち白刄を冒し矢石に當たる。而して以て進みて戦い楽しむ者は、皆貨財 勳に酬い勞を賞すの誘なり。

○李筌:利とは軍の寶を益すことなり。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:杜牧:孫子十家註○杜牧:士をして敵に取るの利を見らしむ者は貨財なり。謂うに敵の貨財を得れば必ず以て之れを賞す。人をして皆欲有らしめば、各(おのおの)自ら戦いを為す。後漢荊州刺史 度尚 桂州の賊帥卜陽潘鴻等を討つ。南海に入り其の三屯を破る。多く珍寶を獲りて鴻等黨(党)を聚(あつ)め猶お衆たり。士卒驕りて富めり。鬭志有る莫し。尚曰く、卜陽潘鴻賊を作(な)し十年なり。皆攻守に習う。當に須らく諸郡 力を併せて之れを攻むる可し。今軍恣(ほしいまま)に射獵をすと聴く。兵士喜悦す。大小相與え禽に從う。尚ほ乃ち密かに人をして潜めしめ其の營を焚く。珍積 皆盡く。獵する者は還り來たる。泣涕せざる莫し。尚曰く、卜陽等の財貨 數世を富ますに足れり。諸卿但だ力を併せざるのみ。亡き所少少なり。何をか意を介すに足りて衆聞きて咸(みな)憤踴し戦うを願う。尚 馬の秣(牛馬の飼料。まぐさ。)の蓐(しとね:草を編んだ敷き物。ねどこ。)を食らわしむ。明けて晨(朝)徑(みち)に賊の屯(たむろする。多くのものが寄り集まって一か所にとどまる。)に赴く。陽鴻備えを設けず。吏士鋭に乗じて遂に之れを破る。此れ乃ち是れなり。

○孟氏:杜牧の註に同じ。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:敵を殺さんとすれば、則ち吾れ人を激すに怒を以てす。敵を取らんとすれば、則ち吾れ人を利するに貨を以てす。

○王晳:厚賞を設くを謂うのみ。若し衆をして利を貪るに自ら取らしめば、則ち或いは節制を違えるのみ。

○張預:貨を以て士を啗(くら)わすなり。人をして自ら戦を為さしめば、則ち敵の利を取る可し。故に曰く、重き賞の下、必ず勇夫有り。皇朝太祖 将を命じ蜀を伐つ。之れを諭(さと)して曰く、得る所の州邑當に我れに與えるべし。竭くる帑(かねぐら)庫を傾きて以て士卒を饗(もてな)す。國家欲す所惟だ土を彊くするのみ。是に於いて将吏死して戦う。至る所皆下す。遂に蜀を平す。


意訳
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○金谷孫子:敵の物資を奪い取るのは実際の利益のためである。

○浅野孫子:敵の物資を奪い取るのは、利益を得ようとする精神がそうさせるのである。

○町田孫子:敵の物資を奪い取らせるものは、その褒賞である。

○天野孫子:敵から奪い取ってわれに有利なものは敵の財貨である。

○フランシス・ワン孫子:思慮深き者は、敵の兵員・器材・物資を我が物とせんと図るのである。

○大橋孫子:敵の利を取るためにはその財貨を奪うことである。

○武岡孫子:国力の重要性に思いを致すものは、作戦に当り敵の兵員・兵器・資材および戦略物資の鹵獲[ろ‐かく【鹵獲】‥クワク (「鹵」は捕らえて奪う意)戦勝の結果、敵の軍用品などを奪い取ること。]を目的として行なうべきである。

○著者不明孫子:敵の利を奪い取るのは財貨による。

○学習研究社孫子:敵から取る利益は、物質的な財産でなければならない。

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