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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2013-02-24 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。』:本文注釈

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この文の「是れ」とは、「故に敵を殺す者は、怒なり。~卒は共して之れを養わしむ。」までの文を指す。兵法を知らぬ者は、戦争をすれば互いに兵力を消耗し合い、利益となるものなどないと考えるだろう。しかし、歴史を振り返ってみれば、戦争に勝ってどんどん兵力が増してゆくという本来ありえないことが起きている。これはなぜか。孫子は敵の軍需品を我物とするからだ、と言っている。これが戦場における軍のパワーアップのやりかたである。当然できることなら、敵の投降兵や捕えた兵も自国の兵に組み入れられるものなら組み入れたほうがよいだろう。
あと孫子はここでは述べていないが、兵力を増やすには、領土を増やし敵国の民百姓を自国のものとするという考え方もあったであろう。しかし、『孫子』には敵の領土を奪取すれば自国の有利となる、という漠然とした考えは述べていない。戦いに即した要害の地を得る、とか戦いのやり方そのものを述べている。つまり、敵の領土をいたずらに占領しても、戦のポイントの場所を押さえずに領土にのみこだわっていれば、軍の大敗は免れないと言っているのである。だがことわっておくが、孫子は全く領土というものに興味がないというわけではなく、大ありなのである。なぜなら一番最初に「国の存亡は戦争に懸っている」と言っているからである。だが、戦いのポイントとなる地を押さえなければ国を守ることも、敵よりも優位に立つこともできないといっているのである。敵の領土にある要害の地を占領することで、敵の領土を我が領土とし、国や軍を強くできるのである。だが、領土を奪うというのは大仕事である。それよりは、我軍を強くするには敵軍から兵器や軍需品を奪うほうがたやすいことであろう。また、こういう積み重ねがどんどん軍を強くしていくことは誰の目から見ても明らかである。だが、これこそがなかなか戦場ではできないことである。普通は戦に勝ってしまえばそれで終わりだからである。だから、この「敵に勝ちて強を益す」という、敵に勝って自軍の強さを増すというやり方は、兵法家の秘伝のようなものであったにちがいない。当然、敵に勝って強さを増すというやり方は、『孫子』に記載されているやり方以外にもいろいろあったであろうことは想像できる。おそらく、その秘伝は、代々「孫氏の兵法家」たちに伝わっていったことであろう。『孫子十三篇』にはいちいち例を記載していないが、多分、相当詳しい例が載っている「孫子」の伝書みたいなものがほかにもあったのではなかろうか。わたしはこういうのも含めて、たとえば、班固の『漢書』芸文志の『呉孫子兵法八十二篇』なども組まれたのではないかと推察する。しかし、時代の変化により、戦闘方法なども変化し、次の世代に残す価値もないと判断され歴史上徐々に失われていったのではないだろうか。『孫臏兵法』が世の中から失われていったことを考えるとそうとしか思えない。


強-①がっちりしてかたい。気力・体力・勢力が十分でつよい。(心が)しっかりしている。かたくこわばっている。②つよめる。力をつける。③無理をおす。しいる。しいて。あながち。④その数よりやや数量が多い。【解字】形声。「彊」(=じょうぶな弓)の省略形が音符。「虫」を加え、かたいからをかぶった虫の意。転じて、かたくてじょうぶの意。

益-①ます。ふやす。加える。多くなる。②ますます。③ためになる。役に立つ。④もうけ。【解字】会意。上半部は「水」の字を横にした形。「皿」を加えて、皿から水があふれ出る意。





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孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:天野鎮雄○天野孫子:註なし。抜け落ちか。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:註
 一、杜牧は「敵の卒を得るなり。敵の資に因って己の強を益す」と註し、梅堯臣は「卒を得れば即ちその長とする所に任じ、之を養うに恩を以てすれば、必ず我が用と為るなり」と。王晳も「敵卒を得れば則ち之を養うに吾が卒と同じくし、善き者は之を侵辱すること勿れ、と謂うなり」と。
 一、満州事変でも見られた現象であるが、支那事変の当初に於ても、我軍が北支に進攻するや、住民があげて歓迎し、その後も協力を続ける地区が少なくなかった。特に大東亜戦争に於ては、東南亜地方の住民は、より一層の熱意を以て我軍を歓迎し、印度国民軍の誕生の如きもあり、明るい積極的協力の空気が漲っていたことは、参加将兵の未だに忘れ得ざる所であろう。一方、ドイツ軍も、ウクライナに進入するや、独立を希望する同地区の住民が、民族軍を編成してまで協力する状況に遭遇している。しかし、日・独共に、宣撫工作に任じた機関に属した人士を除いては、概ね、この状勢を利用するに必要な根本の思想と精神に於て充分ならず、むしろ征服者として行動することによって事々に彼らの期待を裏切り、遂には敵にまわして、今日に禍根を残すに至っている。特に我軍の場合、日清・日露戦争時に於ける軍との相違・あまりの変化が問題とされる所である。前述の如く、このことに成功したのは、最近では中共軍であり、これを思想的武器にまで高めた彼らは、蒋介石の率いる国民軍を次々と背反させ、「自己の用」となしている。
 一、なお、戦時下の我軍の占領地区に於ける行動について、現在では、あまりにも誤解が多いので、これを正し且つ本項の意義を理解する参考として、次に筆者の同期生桑原嶽氏の言を記してみる。「結局は中国民衆の心をつかんだ者が最後の勝利者となるという見地から、軍に於ても、中国民心の収攬・把握に賢明の努力を続けたのである。…、歴代連隊長・大隊長・中隊長など各級指揮官のすべて、その部下に対する精神教育に於ては、この点を最も重視し、中国民衆を我の味方に引き入れるためには、軍はいかにあるべきや、また兵の平素の心構えはどうあるべきかと、懸命に説きかつ実践につとめたのである。町に外出した兵が、中国人に対して些細なことをしても、それが憲兵の耳に入れば、すぐ取り上げられ、憲兵隊から部隊に連絡がある。中隊長がその弁明に大童(おおわらわ)となるというようなことも、ままあったことである。九九・九パーセントの兵は、よく支那事変の意義を理解し、軍人勅諭の「慈愛を専一と心掛け」のお言葉を、そのまま中国民衆に対してもあてはめて、その行動を律していたことは事実である。ただ、〇・一パーセントの不心得者がいたため、皇軍の名誉が傷付けられ、それが戦後誇大に報ぜられていることは、まことに残念の極みである。我が占領下の中国民衆の心の中はどうあったか。それは別として、表面上は頗る従順で協力的であったことは、まぎれもない事実である。この従順と協力があったればこそ、あの広大な地域を一握りの僅かな兵力で治安を確保できたのである。これは、中国人の国民性による所も大であるが、中国民衆に対する我軍の取扱いが、寛厳よろしきを得たことも見逃してはならない。あの長期間にわたる日本軍の占領下に於て、一度たりとも中国民衆の蜂起暴動が発生しなかったことは、これを歴史的に観察したとき、特筆大書すべきことではないだろうか。ナチス独逸占領下の各地に於ける民衆の反独闘争、またベトナム戦争に於ける米軍占領下の治安状況と対比してみたとき、自ら判然とするのである。作戦戦闘に於て、中国の民衆が我方の労務者として、荷物の運搬、道路・陣地の構築などその労働力を提供し、我に協力した事実を忘れてはならない。兵力の不足している我軍にとって、彼らの労働力の提供がなければ、我の作戦戦闘そのものが成立しなかったと言っても、決して過言ではない。まさしくその労働力は貴重な戦力であった。勿論、彼らは日本軍に強制的に徴集され、心ならずも命令に従っただけのものであろう。しかし彼らの動きは積極的であって、嫌々ながら適当にやるという非能率的なものでは決してなかった。事実、敵弾の飛んでくる下でも、弾丸運びなどしているのである。我が師団が五年間の長期にわたり、その作戦・警備任務が支障なく完遂できたのも、一に中国民衆の協力あったればこそである。また、彼らをそうさせるために、我軍将兵が懸命に努力した事実も忘れてはならない。特に、作戦戦闘の出動に際しては、指揮官は必ず第一に、軍紀風紀の確立を要望し、中国民衆に対する心得を訓示していたのである」(以上、『風濤-一軍人の軌跡』より)。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:守屋洋○守屋孫子:勝ってますます強くなるとは、これをいうのだ。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:田所義行○田所孫子:○是謂勝而益強とは、敵に勝つたびにわが戦闘力を強大にするとの意。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:重沢俊郎○重沢孫子:こういうやり方こそ、敵に勝ってますます強くなるものといえよう。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:敵に勝ちて強を益す-敵に勝利して敵の兵器、軍需品を味方の戦力として補強し、味方の戦力を強化する

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『是れを敵に勝ちて其の強を益すと謂ふ』
 此の如くいたすときは、戦勝ちて日々に士卒つよる(強よる。強くなる。)也。勝つといへども、将おこたりて有功のひはん(批判)もなくわかたずんば、勝ちて後、士卒二度戦をなす心あるべからず。然れば勝ちて後いよいよまけになるべき也。以上第四段也。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『是れを敵に勝ちて強を益すと謂ふ。』
 一句反應す。已(すで)に勝ちて強を益す、啻(ただ)に鈍挫屈彈(「兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫(つく)せば云々」の鈍・挫・屈・殫をさす。)を患へざるのみならざるを言ふ。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:己の強を益す。

○李筌:後漢光武 銅馬賊を南陽に破る。虜衆數萬。各部曲を配す。然るに人心未だ安らかならず。光武 各本營をして歸らしむ。乃ち其の閒輕行し、以て之れを勞す。相謂いて曰く、蕭王 赤心を推して人の腹中に置く[○赤心を推して人の腹中に置く(せきしんをおしてひとのふくちゅうにおく)[後漢書[光武紀上]]まごころを以て人に接し、少しもへだてをおかないこと。また、人を信じて疑わないこと。]。安くんぞ死を投ぜずを得んや。是に於いて漢益振すれば、則ち其の義なり。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:杜牧:孫子十家註○杜牧:敵の卒を得るなり。敵の資に因りて、己の強を益す。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:卒を獲らば則ち其の長なる所に任す。之れを養うに恩を以てせば、必ず我が用を為すなり。

○王晳:敵の卒を得れば則ち之を養う。吾が卒と同じ。善くする者は之れを侵辱すること勿れと謂うなり。若し初めに附くに厚撫すれば、或は人心を失う。

○何氏:敵に因りて以て敵に勝つ。何(いづ)くに往(ゆ)くとして強からざらんや。[「安往而不○」-いったいどこに行ったとて…ない所があろうか、どこに行っても…される。]

○張預:其れ敵に勝ちて其の車と卒とを獲る。既に我用を為さば、則ち是れ己の強を增す。光武 赤心を推して人人死を投ずの類なり。


意訳
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○金谷孫子:これが敵に勝って強さを益すということである。

○浅野孫子:こうしたやり方が、敵に勝つたびに、自軍の戦力の強さを増してゆくということなのである。

○町田孫子:これこそ敵に勝っていよいよ強さを増す方法というものである。

○天野孫子:これを敵に勝って益々わが軍を強大にするという。

○フランシス・ワン孫子:これこそが、勝つほどに益々強大となる用兵であり方策であると言える。

○大橋孫子:これこそ、敵に勝っても戦力を消耗せず、逆にますますわが軍を強くする方法である(普通は、戦えば、たとえ勝っても戦力を消耗する)。

○武岡孫子:これが敵に勝って強さを増すということである。

○著者不明孫子:これを「敵に勝って強さを増す」というのである。

○学習研究社孫子:これが、敵に勝って、こちらが強さを増すということである。

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