2012-06-24 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『佚にして之れを労し、』:本文注釈
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これまで二句を連続して解釈してきたので、この文もそのように解釈していく。
「佚而労之 親而離之」のこの文は、本来「用間」により敵を欺き、味方を有利にする方法を述べていたものと思われる。よって、「佚而労之」の意味は、
①敵軍が安佚の状態であれば、謀(計)をたてスパイを用いて疲れさせる。
②敵国が安佚の状態であれば、謀を用いスパイを活用して敵国の国家財政を疲弊させる、となる。
(注釈者の中には、孫子兵法の第一篇が「計篇」であるから、本来「比較・計算する」の意味で「計」の字が使われたのに、後の編纂者が混同して、「謀」の意味の「計」も同じ漢字であるからこの第一篇に「詭道」の文を後世加えたとする説を唱える者もいる。)
このように、「佚する」と「労する」の対象になると考えられるのが、敵味方の「軍」と「国」である。ただしこの本文の解釈の仕方によっては「軍」と「国」の両方があてはまる場合もあるが、一方の意味でしか相応しくないと思われるものもある。
「佚而労之」の文だけでは、何をもって欺き敵を労するのかはっきりとしないが、次の句の「親而離之」、つまり「敵国の君主と臣の仲を裂く」の意から考えてみると、君主と臣を引き裂くためには、敵国において活動することが最も効率的であると考えられることから、「間(スパイ)」を用いることで敵を欺き労することが、この本文「佚而労之 親而離之」の主旨と為り得ると思われる(あくまでこの二句を連続させて解釈した場合である)。よってこの本文の本来の意味は、『「間」を用いることで敵を「労する」のであって、軍隊の戦術によって敵を「労する」ということではない』と考えられる。いずれにせよ、「間」を用うるも用いずとも、謀(計)を用いて敵を欺き、味方を有利に導くというのが、この本文の真意となるであろう。
兵を起す算段となった場合、自軍の側にとって、敵が「佚」の状態は好ましくないものであるし、敵が「労」の状態であればよりいっそう敵を攻略しやすくなるものであるから、ここの本文の意味は、「佚なれば之れを労す」でよいと思われる。次句の「親而離之」の解釈も、同様に「親なれば之れを離す」でよいだろう。ここでの「佚」と「労」も反義語同士として捉えて間違いないと思う。
さて、「佚而労之」の文もいろいろ解釈が可能である。
①「佚にして之れを労す」と読んだ場合、自分を安逸の状態にしておいて、敵を疲れさせる、となる。
②「佚なるも之れを労せしむ」と読んだ場合、自分は本当は安逸の状態でありながら、敵に疲労した状態に見せかける、となる。
③「佚なれば之れを労す」と読んだ場合、敵が安逸の状態にあれば、疲れさせる、となる。
④「佚なれば之れを労せしむ」と読んだ場合、敵が安逸の状態であれば、味方を疲れた状態にみせかけて、敵を誘い込む、となる。
以上がこの文の解釈として相応しいと考えられるものである。
豊臣秀吉は城攻めにおいてこの「佚而労之」が大得意であった。敵に「佚」の状態を示して敵を疲れさせるといった戦法としては、敵城を味方が多数で囲んだ上で、芸者を呼び踊ったり、茶会を開いたり、妻妾を国元から呼び寄せたりするなど、敵には絶対できずに羨ましがられるようなことをよくおこない敵の士気を下げた。また、敵が佚ならば疲れさせるといった戦法としては、敵を兵糧攻めにするために、敵が戦のため金銭が入用だからとその機に乗じ、敵の城に備蓄されている兵糧を自分の息がかかった商人にわざと高値で買い取らせることで、敵にもっと儲けたいからと調子に乗らせ必要以上に備蓄米を吐き出させることで、兵糧攻めをしやすくするという深謀遠慮の策がみられた。これ以外にも、夜に鬨の声をあげ、敵の城兵を眠らせないようにし疲れさせるということもおこなっている。
このように、謀は相手に対し千変万化するものであり、一定のものではない。また「佚而労之」を含む「謀(計)」は「五事・七計」(彼を知り己を知る)の上に成り立つものであり、絶対にこの大原則を踏み外してはならないのである。
私見を述べさせてもらえば、この二句は、後世付け足された文であると思われる。この二句は「竹簡孫子」に記載されていないのが一つの理由である。また現行の「孫子」が「用間篇」を末篇としているのに対し、「竹簡孫子」では「火攻篇」が十三篇の末篇となっており、後世において「用間篇」が末篇に移換された可能性がある。その移換に伴って「用間篇」が重視されるようになってからこの本文が追加されたか、また、何者かが歴史における出来事や自らの経験則をもとにして元の本文にこの二句を付け足し、その二句を付け足された「用間」を重視する「孫子」を再編者がみて、「孫子」の末篇には「用間篇」こそ相応しいと考え、「火攻篇」と「用間篇」を入れ替えたかのいずれかではないか、と思われる。
佚-①気ままに楽しむ。②しまりがない。みだら。③所在がわからなくなる。失う。④世をのがれる。「逸」と同意。
逸-①のがれ去る。走り去る。とりにがす。②世間から隠れる。所在が分からなくなる。③それる。きまりからはずれる。㋐気ままに楽しむ。㋑わがまま。【解字】会意。「辶」+「兔」(=うさぎ)。うさぎが手からすりぬけて逃げ去る意。転じて、一定のわくからはずれる意。
労-①力をつくして事にあたる。はたらく。骨折り。②骨折ってくたびれる。心や体をつかれさす。苦しみ。③つかれをねぎらう。いたわる。【解字】会意。「熒」(=かがり火)の省略形+「力」。火を燃やし尽くすように力を尽くす意。
註
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○天野孫子:佚而労之-わざと安逸に見せて、敵を苦労させる。一説に敵にゆとりがあって安泰であれば、これを苦労させると。『諺義』は「彼みだりに動かず、安んじて兵をつからかさざる時は、手立を設けて彼がつかるるごとくならしむ」と。虚実篇に「敵佚すれば能く之を労す」と。一説に「佚して之を労す」と読み、梅堯臣は「我の佚を以て彼の労を待つ」と。これは詭道にならない。
○フランシス・ワン孫子:一、「佚に対しては之を労す」の意である。「佚」は安逸の逸に通じ、敵が安定或いは余裕・安全の状態に在ることである。「労す」とは、その安定した状況・地歩に在る敵をゆさぶって奔命に疲れしむることを言い、虚実篇では「敵、佚なれば能く之を労す」と言っている。しからば、いかにして労するのか。曹操曰く「利(害)を以て之を労す」と。
一、戦わんと欲する者は、優勢・劣勢の如何を問わず、すべからく敵を労するの方策を講じ、その地歩の安定・強化を妨げねばならないのである。たとえば、中共軍は、我軍と国民党軍に対する戦いに於て、ゲリラ戦を用いることによって奔命に疲れしめ、当初の劣勢を覆して優勢に立つことに成功している。また、米軍も、太平洋の戦場に於ける反攻開始までの間を、漫然と手を束(つか)ねて、我軍の防衛態勢の強化を許すものではなかった。我軍の能力の限度を越えた過大進出・過剰展開の欠陥を咎めた彼は、潜水艦・航空機・奇襲部隊を多用して我が虚に乗ずる作戦を展開、我軍の弱化を図る一方、自軍の反攻に有利な形勢をつくりあげている。ところで、日・中戦争、大東亜戦争の何れの場合も、我軍は、初期作戦に於ては圧倒的な成果を収めながら、その後は忽ちにして主導権を敵手に委(い)する者となり、その労する所となって敗退しているわけであるが、注目すべきは、これが決して初めてではないことである。秀吉の朝鮮戦役に於ても、また遡れば古代日本の朝鮮経営に於ても、同じパターン、同じ推移を辿って総撤退に至っていることである。考うべきであろう。今や、我々は、無敵の経済力に驕りはじめているが、関係諸国に惑わされて、労する者とならねば幸である。
○守屋孫子:休養十分な敵は奔命に疲れさせ、
○田所孫子:佚而労之とは、相手方が安佚を好むときは、いよいよ安佚を楽しませるようにしむけて、たわむれ遊びつからせるとの意。
○重沢孫子:怠慢を装うことによって、敵を不安がらせ疲労させる。
○大橋孫子:佚-安楽にして体力充実
○武岡孫子:佚なれば-安楽にして給養、休養十分
○佐野孫子:佚而労之-「佚」は安逸の逸に通じ、敵が安定或いは余裕・安全の状態に在ることを言う。
○著者不明孫子:【佚而労之】 「佚」は労の反対。逸と同じ。安逸。楽をすること。「労」は疲れる、疲れさせる。
○孫子諺義:「佚するときは之れを労し、」 かれみだりに動かず、やすんじて兵をつからかさざるときは、手立てをまうけてかれがつかるるごとくならしむ。彼れ陣を堅うして兵を休し、相對して動かざるがごときときは、或は兵は其の左右にはたらかしめ、敵地を放火せしめ、刈田せしめ、民家を亂暴亂取せしめて、かれをつからかすの手段を設くべき也。或はあへしらひ、勢或はかくれあそびを用ひて、彼れ出づれば引取り、かへれば我れ出で、左を救へば右をうち、右を救はば左をうつ、皆是れ佚するときは之れを労すなり、孫子が力を治むると云ふの術是れ也。又梅堯臣の注に、我の佚を以て彼の勞を待つ云々。
○孫子国字解:「佚するをば之を勞らかし」 佚するとは安逸なり。敵の上下安逸なれば、兵の力全くして、破れがたき國なり。然らば方便を以て是をつからかすべし。昔呉の公子光と云大将、楚國を伐つべき謀を、伍員に尋ねたりければ、伍員が謀にて、軍兵を三手に作り、二手をばかくしおき、一手の軍兵を以て、楚國の境へ働き入り、楚より是を打拂(うちはらわ)んとて、人數を出せば引き、敵引たりとて、楚の軍兵引けば、又打て出て、楚又出れば其まま引き、一年の内に七度まで懸け合たり。終りに楚國の疲れたるを見て、三手の軍兵一度に起りて、是を破りしことなども、此本文の意なり。
○曹公:利を以て之れを勞す。
○李筌:敵佚にして我れ之れを勞す者は善功なり。呉 楚を伐つ。公子光 計を伍子胥に問う。子胥曰く、三師を為し以て肄(なら)[①学習する。練習する。②苦労。骨折り。③切り株から生え出た芽。ひこばえ。]う可し。我一師至る。彼れ必ず衆を盡して出づ。彼れ出づるとき我れ歸る。而して肄(い)を以て之を疲れしむ。多いに方(まさ)に以て之を誤らしむ。然る後三師以て之を繼(つ)ぐ。必ず大いに克たんとすれば、之に從わん。楚是に於いて始めて呉に病むなり。
○杜牧:呉 公子光 楚を伐つに伍員に問う。員曰く、三軍を為し以て肄う可し。我れ一師至る。彼れ必ず盡して出づ。彼れ出づれば則ち歸る。亟(すみやか)に肄を以て之を疲れしむ。多いに方に以て之を誤らしむ。然る後三師以て之を繼ぐ。必ずや大いに克たんとすれば、之に從わん。是に於いて子 重ねて一歳に七奔命[ほん‐めい【奔命】①君命に従って奔走すること。②いそがしく活動すること。]す。是に於いてや始めて呉に病む。終に郢に入る。後漢末曹公既に劉備を破る。備 奔るとき、袁紹兵を引くとき、曹公與(とも)に戦わんと欲す。別に駕[馬・馬車に乗る。乗り物をあやつる。乗り物。]す田豊[田豊は、沮授と並ぶ袁紹軍の二大知将と評することができる。曹操は、もし袁紹が田豊の献策を用いていたら、自分と袁紹の立場は全く逆のものとなっていたであろうと語っており、『三国志』魏書袁紹伝の注によると、歴史家の孫盛は、「田豊と沮授の智謀は張良、陳平に匹敵する」と賞賛している。田豊は、袁紹に先見性のある進言を何度もおこなったが、剛直な性格で歯に衣着せぬ厳しい発言をしたため、次第に袁紹に疎まれるようになった。この点については、曹操の参謀である荀彧が「剛情で上に逆らう」と指摘した通りである。また、『三国志』の注釈者である裴松之も「主君を誤ったがために忠節を尽くして死ななければならなかった」と慨嘆している。]曰く、操 善く兵を用いるに、未だ輕擧す可からず。如らざれば久しきを以て之を持つ。将軍山河の固に據るに、四州の地に有り。外に英豪を結び、内に農戦を修めて、然る後其の精鋭を揀(えら)ぶ。分けて奇兵を為す。虚に乗じて迭(かわ)りて出づるに以て河南を擾(みだ)す。右を救わんとすれば則ち其の左を撃つ。左を救わんとすれば其の右を撃つ。敵をして奔命に疲れ使む。人 業に安ぜず。我れ未だ勞せず。而して彼れ已に困るなり。三年及ばざれば坐して克つ可きなり。今廟勝の策を釋(す)て成敗一戦に決す。悔いて及ぶこと無し。紹 従わざる故に敗る。
○梅堯臣:我れの佚を以て彼れの勞を待つ。
○王晳:奇兵を多くするなり。彼れ出づれば則ち歸る。彼れ歸らば則ち出づ。左を救わば則ち右、右を救わば則ち左、以て勞して之れを罷む所以なり。
○何氏:孫子 力を治むるの法有り。佚を以て勞を待つ。故に論じて敵 佚なれば我れ宜しく多いに方(まさ)に以て之を勞弊すべし。然る後以て勝ちを制す可し。
○張預:我れ則ち力全きにし、彼れ則ち道に敝(やぶ)る。晉楚 鄭に爭う。久しくして決せず。晉の知武子 乃ち四軍を分ちて三部を為す。晉各(おのおの)一動す。而して楚に三來たる。是に于(ゆ)き三駕して、楚之れと爭う能わず。又 申公巫臣 呉 楚を伐つを敎え、是に於いて子 重ねて一歳に七奔命すは是れなり。
意訳
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○金谷孫子:[敵が]安楽であるときはそれを疲労させ、
○町田孫子:安楽にしているものは疲労させ、
○天野孫子:わざと安逸におるように見せて敵を苦労させたり、
○フランシス・ワン孫子:常に行動を強要して、敵を疲労困憊(ぱい)させよ。
○大橋孫子:敵が楽をしているときには、謀を用いてこれを疲労させる。
○武岡孫子:また敵がゆったりしているときは、夜な夜なゲリラを出没させて敵を寝かせず疲れさせる。
○著者不明孫子:楽をしていれば疲れさせ、
○学習研究社孫子:敵が安佚な状態の時は、疲れるようにしむける。
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『佚にして之れを労し、』:本文注釈
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これまで二句を連続して解釈してきたので、この文もそのように解釈していく。
「佚而労之 親而離之」のこの文は、本来「用間」により敵を欺き、味方を有利にする方法を述べていたものと思われる。よって、「佚而労之」の意味は、
①敵軍が安佚の状態であれば、謀(計)をたてスパイを用いて疲れさせる。
②敵国が安佚の状態であれば、謀を用いスパイを活用して敵国の国家財政を疲弊させる、となる。
(注釈者の中には、孫子兵法の第一篇が「計篇」であるから、本来「比較・計算する」の意味で「計」の字が使われたのに、後の編纂者が混同して、「謀」の意味の「計」も同じ漢字であるからこの第一篇に「詭道」の文を後世加えたとする説を唱える者もいる。)
このように、「佚する」と「労する」の対象になると考えられるのが、敵味方の「軍」と「国」である。ただしこの本文の解釈の仕方によっては「軍」と「国」の両方があてはまる場合もあるが、一方の意味でしか相応しくないと思われるものもある。
「佚而労之」の文だけでは、何をもって欺き敵を労するのかはっきりとしないが、次の句の「親而離之」、つまり「敵国の君主と臣の仲を裂く」の意から考えてみると、君主と臣を引き裂くためには、敵国において活動することが最も効率的であると考えられることから、「間(スパイ)」を用いることで敵を欺き労することが、この本文「佚而労之 親而離之」の主旨と為り得ると思われる(あくまでこの二句を連続させて解釈した場合である)。よってこの本文の本来の意味は、『「間」を用いることで敵を「労する」のであって、軍隊の戦術によって敵を「労する」ということではない』と考えられる。いずれにせよ、「間」を用うるも用いずとも、謀(計)を用いて敵を欺き、味方を有利に導くというのが、この本文の真意となるであろう。
兵を起す算段となった場合、自軍の側にとって、敵が「佚」の状態は好ましくないものであるし、敵が「労」の状態であればよりいっそう敵を攻略しやすくなるものであるから、ここの本文の意味は、「佚なれば之れを労す」でよいと思われる。次句の「親而離之」の解釈も、同様に「親なれば之れを離す」でよいだろう。ここでの「佚」と「労」も反義語同士として捉えて間違いないと思う。
さて、「佚而労之」の文もいろいろ解釈が可能である。
①「佚にして之れを労す」と読んだ場合、自分を安逸の状態にしておいて、敵を疲れさせる、となる。
②「佚なるも之れを労せしむ」と読んだ場合、自分は本当は安逸の状態でありながら、敵に疲労した状態に見せかける、となる。
③「佚なれば之れを労す」と読んだ場合、敵が安逸の状態にあれば、疲れさせる、となる。
④「佚なれば之れを労せしむ」と読んだ場合、敵が安逸の状態であれば、味方を疲れた状態にみせかけて、敵を誘い込む、となる。
以上がこの文の解釈として相応しいと考えられるものである。
豊臣秀吉は城攻めにおいてこの「佚而労之」が大得意であった。敵に「佚」の状態を示して敵を疲れさせるといった戦法としては、敵城を味方が多数で囲んだ上で、芸者を呼び踊ったり、茶会を開いたり、妻妾を国元から呼び寄せたりするなど、敵には絶対できずに羨ましがられるようなことをよくおこない敵の士気を下げた。また、敵が佚ならば疲れさせるといった戦法としては、敵を兵糧攻めにするために、敵が戦のため金銭が入用だからとその機に乗じ、敵の城に備蓄されている兵糧を自分の息がかかった商人にわざと高値で買い取らせることで、敵にもっと儲けたいからと調子に乗らせ必要以上に備蓄米を吐き出させることで、兵糧攻めをしやすくするという深謀遠慮の策がみられた。これ以外にも、夜に鬨の声をあげ、敵の城兵を眠らせないようにし疲れさせるということもおこなっている。
このように、謀は相手に対し千変万化するものであり、一定のものではない。また「佚而労之」を含む「謀(計)」は「五事・七計」(彼を知り己を知る)の上に成り立つものであり、絶対にこの大原則を踏み外してはならないのである。
私見を述べさせてもらえば、この二句は、後世付け足された文であると思われる。この二句は「竹簡孫子」に記載されていないのが一つの理由である。また現行の「孫子」が「用間篇」を末篇としているのに対し、「竹簡孫子」では「火攻篇」が十三篇の末篇となっており、後世において「用間篇」が末篇に移換された可能性がある。その移換に伴って「用間篇」が重視されるようになってからこの本文が追加されたか、また、何者かが歴史における出来事や自らの経験則をもとにして元の本文にこの二句を付け足し、その二句を付け足された「用間」を重視する「孫子」を再編者がみて、「孫子」の末篇には「用間篇」こそ相応しいと考え、「火攻篇」と「用間篇」を入れ替えたかのいずれかではないか、と思われる。
佚-①気ままに楽しむ。②しまりがない。みだら。③所在がわからなくなる。失う。④世をのがれる。「逸」と同意。
逸-①のがれ去る。走り去る。とりにがす。②世間から隠れる。所在が分からなくなる。③それる。きまりからはずれる。㋐気ままに楽しむ。㋑わがまま。【解字】会意。「辶」+「兔」(=うさぎ)。うさぎが手からすりぬけて逃げ去る意。転じて、一定のわくからはずれる意。
労-①力をつくして事にあたる。はたらく。骨折り。②骨折ってくたびれる。心や体をつかれさす。苦しみ。③つかれをねぎらう。いたわる。【解字】会意。「熒」(=かがり火)の省略形+「力」。火を燃やし尽くすように力を尽くす意。
註
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○天野孫子:佚而労之-わざと安逸に見せて、敵を苦労させる。一説に敵にゆとりがあって安泰であれば、これを苦労させると。『諺義』は「彼みだりに動かず、安んじて兵をつからかさざる時は、手立を設けて彼がつかるるごとくならしむ」と。虚実篇に「敵佚すれば能く之を労す」と。一説に「佚して之を労す」と読み、梅堯臣は「我の佚を以て彼の労を待つ」と。これは詭道にならない。
○フランシス・ワン孫子:一、「佚に対しては之を労す」の意である。「佚」は安逸の逸に通じ、敵が安定或いは余裕・安全の状態に在ることである。「労す」とは、その安定した状況・地歩に在る敵をゆさぶって奔命に疲れしむることを言い、虚実篇では「敵、佚なれば能く之を労す」と言っている。しからば、いかにして労するのか。曹操曰く「利(害)を以て之を労す」と。
一、戦わんと欲する者は、優勢・劣勢の如何を問わず、すべからく敵を労するの方策を講じ、その地歩の安定・強化を妨げねばならないのである。たとえば、中共軍は、我軍と国民党軍に対する戦いに於て、ゲリラ戦を用いることによって奔命に疲れしめ、当初の劣勢を覆して優勢に立つことに成功している。また、米軍も、太平洋の戦場に於ける反攻開始までの間を、漫然と手を束(つか)ねて、我軍の防衛態勢の強化を許すものではなかった。我軍の能力の限度を越えた過大進出・過剰展開の欠陥を咎めた彼は、潜水艦・航空機・奇襲部隊を多用して我が虚に乗ずる作戦を展開、我軍の弱化を図る一方、自軍の反攻に有利な形勢をつくりあげている。ところで、日・中戦争、大東亜戦争の何れの場合も、我軍は、初期作戦に於ては圧倒的な成果を収めながら、その後は忽ちにして主導権を敵手に委(い)する者となり、その労する所となって敗退しているわけであるが、注目すべきは、これが決して初めてではないことである。秀吉の朝鮮戦役に於ても、また遡れば古代日本の朝鮮経営に於ても、同じパターン、同じ推移を辿って総撤退に至っていることである。考うべきであろう。今や、我々は、無敵の経済力に驕りはじめているが、関係諸国に惑わされて、労する者とならねば幸である。
○守屋孫子:休養十分な敵は奔命に疲れさせ、
○田所孫子:佚而労之とは、相手方が安佚を好むときは、いよいよ安佚を楽しませるようにしむけて、たわむれ遊びつからせるとの意。
○重沢孫子:怠慢を装うことによって、敵を不安がらせ疲労させる。
○大橋孫子:佚-安楽にして体力充実
○武岡孫子:佚なれば-安楽にして給養、休養十分
○佐野孫子:佚而労之-「佚」は安逸の逸に通じ、敵が安定或いは余裕・安全の状態に在ることを言う。
○著者不明孫子:【佚而労之】 「佚」は労の反対。逸と同じ。安逸。楽をすること。「労」は疲れる、疲れさせる。
○孫子諺義:「佚するときは之れを労し、」 かれみだりに動かず、やすんじて兵をつからかさざるときは、手立てをまうけてかれがつかるるごとくならしむ。彼れ陣を堅うして兵を休し、相對して動かざるがごときときは、或は兵は其の左右にはたらかしめ、敵地を放火せしめ、刈田せしめ、民家を亂暴亂取せしめて、かれをつからかすの手段を設くべき也。或はあへしらひ、勢或はかくれあそびを用ひて、彼れ出づれば引取り、かへれば我れ出で、左を救へば右をうち、右を救はば左をうつ、皆是れ佚するときは之れを労すなり、孫子が力を治むると云ふの術是れ也。又梅堯臣の注に、我の佚を以て彼の勞を待つ云々。
○孫子国字解:「佚するをば之を勞らかし」 佚するとは安逸なり。敵の上下安逸なれば、兵の力全くして、破れがたき國なり。然らば方便を以て是をつからかすべし。昔呉の公子光と云大将、楚國を伐つべき謀を、伍員に尋ねたりければ、伍員が謀にて、軍兵を三手に作り、二手をばかくしおき、一手の軍兵を以て、楚國の境へ働き入り、楚より是を打拂(うちはらわ)んとて、人數を出せば引き、敵引たりとて、楚の軍兵引けば、又打て出て、楚又出れば其まま引き、一年の内に七度まで懸け合たり。終りに楚國の疲れたるを見て、三手の軍兵一度に起りて、是を破りしことなども、此本文の意なり。
○曹公:利を以て之れを勞す。
○李筌:敵佚にして我れ之れを勞す者は善功なり。呉 楚を伐つ。公子光 計を伍子胥に問う。子胥曰く、三師を為し以て肄(なら)[①学習する。練習する。②苦労。骨折り。③切り株から生え出た芽。ひこばえ。]う可し。我一師至る。彼れ必ず衆を盡して出づ。彼れ出づるとき我れ歸る。而して肄(い)を以て之を疲れしむ。多いに方(まさ)に以て之を誤らしむ。然る後三師以て之を繼(つ)ぐ。必ず大いに克たんとすれば、之に從わん。楚是に於いて始めて呉に病むなり。
○杜牧:呉 公子光 楚を伐つに伍員に問う。員曰く、三軍を為し以て肄う可し。我れ一師至る。彼れ必ず盡して出づ。彼れ出づれば則ち歸る。亟(すみやか)に肄を以て之を疲れしむ。多いに方に以て之を誤らしむ。然る後三師以て之を繼ぐ。必ずや大いに克たんとすれば、之に從わん。是に於いて子 重ねて一歳に七奔命[ほん‐めい【奔命】①君命に従って奔走すること。②いそがしく活動すること。]す。是に於いてや始めて呉に病む。終に郢に入る。後漢末曹公既に劉備を破る。備 奔るとき、袁紹兵を引くとき、曹公與(とも)に戦わんと欲す。別に駕[馬・馬車に乗る。乗り物をあやつる。乗り物。]す田豊[田豊は、沮授と並ぶ袁紹軍の二大知将と評することができる。曹操は、もし袁紹が田豊の献策を用いていたら、自分と袁紹の立場は全く逆のものとなっていたであろうと語っており、『三国志』魏書袁紹伝の注によると、歴史家の孫盛は、「田豊と沮授の智謀は張良、陳平に匹敵する」と賞賛している。田豊は、袁紹に先見性のある進言を何度もおこなったが、剛直な性格で歯に衣着せぬ厳しい発言をしたため、次第に袁紹に疎まれるようになった。この点については、曹操の参謀である荀彧が「剛情で上に逆らう」と指摘した通りである。また、『三国志』の注釈者である裴松之も「主君を誤ったがために忠節を尽くして死ななければならなかった」と慨嘆している。]曰く、操 善く兵を用いるに、未だ輕擧す可からず。如らざれば久しきを以て之を持つ。将軍山河の固に據るに、四州の地に有り。外に英豪を結び、内に農戦を修めて、然る後其の精鋭を揀(えら)ぶ。分けて奇兵を為す。虚に乗じて迭(かわ)りて出づるに以て河南を擾(みだ)す。右を救わんとすれば則ち其の左を撃つ。左を救わんとすれば其の右を撃つ。敵をして奔命に疲れ使む。人 業に安ぜず。我れ未だ勞せず。而して彼れ已に困るなり。三年及ばざれば坐して克つ可きなり。今廟勝の策を釋(す)て成敗一戦に決す。悔いて及ぶこと無し。紹 従わざる故に敗る。
○梅堯臣:我れの佚を以て彼れの勞を待つ。
○王晳:奇兵を多くするなり。彼れ出づれば則ち歸る。彼れ歸らば則ち出づ。左を救わば則ち右、右を救わば則ち左、以て勞して之れを罷む所以なり。
○何氏:孫子 力を治むるの法有り。佚を以て勞を待つ。故に論じて敵 佚なれば我れ宜しく多いに方(まさ)に以て之を勞弊すべし。然る後以て勝ちを制す可し。
○張預:我れ則ち力全きにし、彼れ則ち道に敝(やぶ)る。晉楚 鄭に爭う。久しくして決せず。晉の知武子 乃ち四軍を分ちて三部を為す。晉各(おのおの)一動す。而して楚に三來たる。是に于(ゆ)き三駕して、楚之れと爭う能わず。又 申公巫臣 呉 楚を伐つを敎え、是に於いて子 重ねて一歳に七奔命すは是れなり。
意訳
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○金谷孫子:[敵が]安楽であるときはそれを疲労させ、
○町田孫子:安楽にしているものは疲労させ、
○天野孫子:わざと安逸におるように見せて敵を苦労させたり、
○フランシス・ワン孫子:常に行動を強要して、敵を疲労困憊(ぱい)させよ。
○大橋孫子:敵が楽をしているときには、謀を用いてこれを疲労させる。
○武岡孫子:また敵がゆったりしているときは、夜な夜なゲリラを出没させて敵を寝かせず疲れさせる。
○著者不明孫子:楽をしていれば疲れさせ、
○学習研究社孫子:敵が安佚な状態の時は、疲れるようにしむける。
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2012-06-18 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『卑にして之れを驕らせ、』:本文注釈
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「卑にして之を驕らせ~親にして之を離す」までの文は「竹簡孫子」には存在しない。「竹簡孫子」をみてみると、「怒にして之を撓め」の句の後に、「其の無備を攻め」と続いているようである。このことからも「卑にして」~以下の文は後世に作られた文であることがわかる。孫氏学派(「孫子」の子孫や弟子たち)はそれまでの孫武の残したものや、歴史上、これまでの戦において有効であったと思われるものをピックアップし、「孫子」にふさわしいと思うものを付け足していったのであろう。
この文は、自分から遜(へりくだ)ることで、相手を驕り高ぶらせ、油断させることを説いている。この文の解釈にも諸説ある。
①卑屈な態度を相手に示し、相手を驕らせる。
②相手がへりくだった態度をとっている場合、相手を驕らせる。
などがある。
詐術としてふさわしいのは①の方であろう。 この文を、戦場において活用する場合は、相手に自分が戦いの素人であることを示すことや、自軍が相手軍より不利な状況にあると思わせることが有効であろう。たとえば、隊形を乱し、退却を重ねればそれだけで相手はこちらを侮るであろうし、いざ決戦の地へ相手を誘った時には、相手は最早こちらの軍を見縊(みくび)っており、油断しているはずである。そこを神速・無形・衆をもって寡を撃つ・気勢・地勢・因勢[平田昌司「孫子」:『淮南子』兵略訓は、気勢・地勢・因勢の”三勢”について、こう説明する。 将軍が勇気にあふれて敵をのんでかかり、兵士は果敢で自発的に戦う。三軍[全軍]の人びと、百万人の部隊が、目標をめざす気持ちは大空の雲まで上り、意気は突風のごとく、ときの声はいかずちのごとく、真剣さや集中力の強さで敵を威圧すること、これを気勢という。狭い道、渡し場、関所、そびえる山、世に知られた城-龍や蛇がとぐろを巻き、笠を伏せたかのような[山のつづく]地形、羊の腸のように曲がりくねった道、魚をとる簗(やな)のように[入れば]二度と出られない谷の入口、そこで一人が隘路を守っているだけで、千人[の敵]でさえも通ろうとはしないこと、これを地勢という。敵の肉体や精神の疲労、たるみ、混乱、飢え、渇き、凍え、暑気あたりに乗じて、倒れそうな者を突きころがし、立ち上がろうとする者をおしつぶす。これを因勢という。]などを用い万全の態勢で相手を撃破するというのである。しかしながら、もちろん五事・七計がきちんと為された上でのことでないと、相手に逆手にとられてしまいかねないので、人・地・天の要素は十分深慮しなければならない。また、外交においてこの文の内容を活用する場合は、こちらの態度をひくくして相手を必要以上に大げさにもちあげることで、相手を驕らせるのである。
卑-①身分・地位がひくい。取るに足らない。自分をへりくだっていう語としても用いる。②態度・心持ちが下品である。③ひくくする。他人または自分を、いやしめる。みくびる。【解字】会意。上半部は、ひらたい楕円形のしゃもじのような道具。下半部は、手に持つさま。うすべったい意。
驕-おごりたかぶる。ほしいままにする。わがまま。
註
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○天野孫子:卑而驕之- わざとへりくだって敵をおごりたかぶらせる。『国字解』は「智勇ともにすぐれたる人も慢心はあるものなれば、手前をひきさげて、殊の外にあがめ尊べば、必ず驕(おごり)生じて、油断するものなり」と。一説に「卑なれば之を驕らす」と読み、『約説』(何言の「孫子約説」)は「敵卑にして、之を驕大にす」と。
○フランシス・ワン孫子:たとえば敵が持重して動かざる場合等、故意に我が方が劣勢或いは戦意の低下せるが如き状勢を作為して驕慢の心を生ぜしめ、敵の失策を誘うのである。なお、「卑ければ、而(すなわ)ち之を驕らしむ」と読む者もいる。この場合は、敵が慎重である場合はの意となるが、大意を変えるものではない。
○田所孫子:卑而驕之とは、相手方が他を卑めて驕慢になりたがるような場合は、その逆手をつかって相手方を卑しめる言動を弄して、相手方をいよいよ驕慢にならしめるとの意。こちらが卑屈な態度に出て、相手方を驕慢ならしめるとの説もあるが、これは前後の文の語法から見てとらない。
○守屋孫子:低姿勢に出て油断をさそう。
○重沢孫子:敵に向かって故意に卑屈な態度を示すことによって、敵を思いあがらせる。
○武岡孫子:卑くして-へり下った恰好、敵を恐れている様子
○著者不明孫子:【卑而驕之】 「卑」は驕(音ケウ。傲慢)の反対。へりくだる、控えめでつけ上がらないこと。
○孫子諺義:「卑うして之れを驕らしめ」 我れへりくだり自ら卑うして、かれをうやまひ、かれが驕を出來せしむべき也。驕るときは必ず怠りあり、怠るときは必ず之れを敗る可き也。彼れ本より我れをいやしめば、我れ尚ほへりくだりて其の心を驕らしむべし。卑は辭を卑うし賂(まいない)を厚うし、或は我が怯弱を示す、皆卑也。杜佑は上句と連續して之れを見る、亦通ず。
○孫子国字解:「卑くすこと之を驕らし」 智勇ともにすぐれたる人も、慢心はあるものなれば、手前をひきさげて、殊の外にあがめ尊べば、必驕生じて、油斷するものなり。是を卑而驕之と云なり。卑くすとは、吾を卑くひきさげ、向ひを敬ひ尊ぶことなり。越王勾踐の、呉王夫差を敬ひ、唐の高祖の李密を敬ひ玉へるなど、皆敵の心を驕らせて、油斷させ、終にこれを退治せるなり。
○孫子評註:卑しくしてとは我れ卑しきを示すなり。
○杜佑:彼れ其れ國を擧げ師を興すに、怒りて進まんと欲すれば、則ち當に外に屈撓[くっ‐とう【屈撓】‥タウ かがみたわむこと。かがめたわめること。]を示し、以て其の志を高くすべし。惰歸を俟(ま)つ[あてにする。期待する。]に要にして之を撃つ。故に王子曰く、善く法を用いる者は、狸之れ鼠か、力之れ智かの如く、之れを示すに猶卑靜にして之れを下す。
○李筌:幣重[天子や客への贈り物。礼物。]して言うは甘し。其の志小ならず。後に趙の石勒 王の浚に臣を稱す。左右之を撃たんと欲す。浚曰く、石公來るに我れを奉ぜんと欲するのみ。敢えて撃たんと言う者は斬る。饗禮を設け以て之れを待つ。勒乃ち牛羊數萬頭を驅け、言いて上に禮を聲す。實を以て諸街巷に塡(うず)めるに、浚 兵をして發し得ざら使むれば、乃ち薊城(けいじょう)に入る。浚 廳(庁)に於いて擒にす。之れを斬りて燕に并(なら)ぶ。卑(くだ)りて之を驕らしむとは、則ち其の義なり。
○杜牧:秦の末匈奴冒頓[ぼくとつ‐ぜんう【冒頓単于】匈奴帝国の第2代の王。実質上の建国者。東胡・月氏を破り、漢に侵入、高祖の軍を破って、歳貢を約束させた。]初めて立つ。東胡強し。使いをして冒頓に謂い使めて曰く、頭曼時に千里の馬を得んと欲す。冒頓以て羣臣に問う。羣臣皆曰うに、千里の馬は國の寶なれば與えること勿れ。冒頓曰く、奈何(いかん)ぞ人と國を鄰にして、一馬を愛せんや。遂に之を與う。居ながら之の頃、東胡の使いをして來ら使め曰うに、願わくは単于一閼氏を得よ。冒頓羣臣に問う。皆怒りて曰うに、東胡無道なれば乃ち閼氏を求む。請う之れを撃たん。冒頓曰く、人と國を鄰にして、一女子を愛せんや。之を與う。居ながら之の頃、東胡復た曰く、匈奴棄地千里有り。吾之れ有せんと欲す。冒頓羣臣に問う。羣臣皆曰うに、之を與うも亦可なり。與えずも亦可なり。冒頓大いに怒りて曰く、地とは國の本なり。本を何ぞ與う可くや。諸與うを言う者は皆之れを斬る。冒頓馬に上り國中に令す。後者有るは斬る。東 東湖襲う。東湖 冒頓を輕んず。之れ備えを為さず。冒頓撃つに之を滅す。冒頓 遂に西は月氏を撃ち、南は樓煩白羊河南を并せ、北は燕・代を侵す。悉く復た秦 蒙恬をして奪う所を使て之れ匈奴の地を收むるなり。
○陳皡:欲する所必ず顧恡する所無し。子女以て其の心を惑わす。玉帛[ぎょく‐はく【玉帛】 ①玉ときぬ。②先秦時代に諸侯が朝覲(ちょうきん)・聘問(へいもん)の際に用いた礼物。]以て其の志を驕らす。范蠡・鄭武の謀なり。
○梅堯臣:示すに卑弱を以てし、以て其の心を驕らす。
○王晳:卑弱を示し以て之を驕らす。彼れ我虞れずして其の間を撃つ。
○張預:或は辭を卑くし賂を厚くし、或は師を羸[やせる。つかれる。よわる。よわい。](るい)し佯北[いつわりて逃げる]す。皆 其れをして驕怠せ令む所以なり。呉子齊を伐つ。越子衆を率いて朝す[朝す-諸侯が天子にお目にかかる。転じて、外国から天子の国に参る。]。王及びて列士皆賂有り。呉人皆喜ぶ。惟子胥懼れて曰く、是れ呉を豢(やしな)[①家畜を飼う。②利益で人をさそいこむ。]うなり。後に果たして越滅する所と為す。楚 庸を伐つ。七遇皆北(そむ)く[逃げる]。庸人曰く、楚 與(とも)に戦うに足らざるなり。遂に備え設けず。楚子乃ち二隊を為し、以て之を伐つ。遂に庸を滅す。皆其の義なり。
意訳
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○金谷孫子:[敵が]謙虚なときはそれを驕りたかぶらせ、
○町田孫子:謙虚なものは驕りたかぶらせ、
○天野孫子:味方がわざとへりくだって敵をおごらせたり、
○フランシス・ワン孫子:劣勢をよそおい、敵の驕りを助長せよ。
○大橋孫子:下手に出て敵を驕りたかぶらせて過失をおかさせ、
○武岡孫子:敵が恐ろしくてたまらないふりをして、敵がみくびるように装ってみせる。
○著者不明孫子:控えめであればつけ上がらせ、
○学習研究社孫子:敵が低姿勢の時は、敵が驕り高ぶるようにしむける。
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『卑にして之れを驕らせ、』:本文注釈
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「卑にして之を驕らせ~親にして之を離す」までの文は「竹簡孫子」には存在しない。「竹簡孫子」をみてみると、「怒にして之を撓め」の句の後に、「其の無備を攻め」と続いているようである。このことからも「卑にして」~以下の文は後世に作られた文であることがわかる。孫氏学派(「孫子」の子孫や弟子たち)はそれまでの孫武の残したものや、歴史上、これまでの戦において有効であったと思われるものをピックアップし、「孫子」にふさわしいと思うものを付け足していったのであろう。
この文は、自分から遜(へりくだ)ることで、相手を驕り高ぶらせ、油断させることを説いている。この文の解釈にも諸説ある。
①卑屈な態度を相手に示し、相手を驕らせる。
②相手がへりくだった態度をとっている場合、相手を驕らせる。
などがある。
詐術としてふさわしいのは①の方であろう。 この文を、戦場において活用する場合は、相手に自分が戦いの素人であることを示すことや、自軍が相手軍より不利な状況にあると思わせることが有効であろう。たとえば、隊形を乱し、退却を重ねればそれだけで相手はこちらを侮るであろうし、いざ決戦の地へ相手を誘った時には、相手は最早こちらの軍を見縊(みくび)っており、油断しているはずである。そこを神速・無形・衆をもって寡を撃つ・気勢・地勢・因勢[平田昌司「孫子」:『淮南子』兵略訓は、気勢・地勢・因勢の”三勢”について、こう説明する。 将軍が勇気にあふれて敵をのんでかかり、兵士は果敢で自発的に戦う。三軍[全軍]の人びと、百万人の部隊が、目標をめざす気持ちは大空の雲まで上り、意気は突風のごとく、ときの声はいかずちのごとく、真剣さや集中力の強さで敵を威圧すること、これを気勢という。狭い道、渡し場、関所、そびえる山、世に知られた城-龍や蛇がとぐろを巻き、笠を伏せたかのような[山のつづく]地形、羊の腸のように曲がりくねった道、魚をとる簗(やな)のように[入れば]二度と出られない谷の入口、そこで一人が隘路を守っているだけで、千人[の敵]でさえも通ろうとはしないこと、これを地勢という。敵の肉体や精神の疲労、たるみ、混乱、飢え、渇き、凍え、暑気あたりに乗じて、倒れそうな者を突きころがし、立ち上がろうとする者をおしつぶす。これを因勢という。]などを用い万全の態勢で相手を撃破するというのである。しかしながら、もちろん五事・七計がきちんと為された上でのことでないと、相手に逆手にとられてしまいかねないので、人・地・天の要素は十分深慮しなければならない。また、外交においてこの文の内容を活用する場合は、こちらの態度をひくくして相手を必要以上に大げさにもちあげることで、相手を驕らせるのである。
卑-①身分・地位がひくい。取るに足らない。自分をへりくだっていう語としても用いる。②態度・心持ちが下品である。③ひくくする。他人または自分を、いやしめる。みくびる。【解字】会意。上半部は、ひらたい楕円形のしゃもじのような道具。下半部は、手に持つさま。うすべったい意。
驕-おごりたかぶる。ほしいままにする。わがまま。
註
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○天野孫子:卑而驕之- わざとへりくだって敵をおごりたかぶらせる。『国字解』は「智勇ともにすぐれたる人も慢心はあるものなれば、手前をひきさげて、殊の外にあがめ尊べば、必ず驕(おごり)生じて、油断するものなり」と。一説に「卑なれば之を驕らす」と読み、『約説』(何言の「孫子約説」)は「敵卑にして、之を驕大にす」と。
○フランシス・ワン孫子:たとえば敵が持重して動かざる場合等、故意に我が方が劣勢或いは戦意の低下せるが如き状勢を作為して驕慢の心を生ぜしめ、敵の失策を誘うのである。なお、「卑ければ、而(すなわ)ち之を驕らしむ」と読む者もいる。この場合は、敵が慎重である場合はの意となるが、大意を変えるものではない。
○田所孫子:卑而驕之とは、相手方が他を卑めて驕慢になりたがるような場合は、その逆手をつかって相手方を卑しめる言動を弄して、相手方をいよいよ驕慢にならしめるとの意。こちらが卑屈な態度に出て、相手方を驕慢ならしめるとの説もあるが、これは前後の文の語法から見てとらない。
○守屋孫子:低姿勢に出て油断をさそう。
○重沢孫子:敵に向かって故意に卑屈な態度を示すことによって、敵を思いあがらせる。
○武岡孫子:卑くして-へり下った恰好、敵を恐れている様子
○著者不明孫子:【卑而驕之】 「卑」は驕(音ケウ。傲慢)の反対。へりくだる、控えめでつけ上がらないこと。
○孫子諺義:「卑うして之れを驕らしめ」 我れへりくだり自ら卑うして、かれをうやまひ、かれが驕を出來せしむべき也。驕るときは必ず怠りあり、怠るときは必ず之れを敗る可き也。彼れ本より我れをいやしめば、我れ尚ほへりくだりて其の心を驕らしむべし。卑は辭を卑うし賂(まいない)を厚うし、或は我が怯弱を示す、皆卑也。杜佑は上句と連續して之れを見る、亦通ず。
○孫子国字解:「卑くすこと之を驕らし」 智勇ともにすぐれたる人も、慢心はあるものなれば、手前をひきさげて、殊の外にあがめ尊べば、必驕生じて、油斷するものなり。是を卑而驕之と云なり。卑くすとは、吾を卑くひきさげ、向ひを敬ひ尊ぶことなり。越王勾踐の、呉王夫差を敬ひ、唐の高祖の李密を敬ひ玉へるなど、皆敵の心を驕らせて、油斷させ、終にこれを退治せるなり。
○孫子評註:卑しくしてとは我れ卑しきを示すなり。
○杜佑:彼れ其れ國を擧げ師を興すに、怒りて進まんと欲すれば、則ち當に外に屈撓[くっ‐とう【屈撓】‥タウ かがみたわむこと。かがめたわめること。]を示し、以て其の志を高くすべし。惰歸を俟(ま)つ[あてにする。期待する。]に要にして之を撃つ。故に王子曰く、善く法を用いる者は、狸之れ鼠か、力之れ智かの如く、之れを示すに猶卑靜にして之れを下す。
○李筌:幣重[天子や客への贈り物。礼物。]して言うは甘し。其の志小ならず。後に趙の石勒 王の浚に臣を稱す。左右之を撃たんと欲す。浚曰く、石公來るに我れを奉ぜんと欲するのみ。敢えて撃たんと言う者は斬る。饗禮を設け以て之れを待つ。勒乃ち牛羊數萬頭を驅け、言いて上に禮を聲す。實を以て諸街巷に塡(うず)めるに、浚 兵をして發し得ざら使むれば、乃ち薊城(けいじょう)に入る。浚 廳(庁)に於いて擒にす。之れを斬りて燕に并(なら)ぶ。卑(くだ)りて之を驕らしむとは、則ち其の義なり。
○杜牧:秦の末匈奴冒頓[ぼくとつ‐ぜんう【冒頓単于】匈奴帝国の第2代の王。実質上の建国者。東胡・月氏を破り、漢に侵入、高祖の軍を破って、歳貢を約束させた。]初めて立つ。東胡強し。使いをして冒頓に謂い使めて曰く、頭曼時に千里の馬を得んと欲す。冒頓以て羣臣に問う。羣臣皆曰うに、千里の馬は國の寶なれば與えること勿れ。冒頓曰く、奈何(いかん)ぞ人と國を鄰にして、一馬を愛せんや。遂に之を與う。居ながら之の頃、東胡の使いをして來ら使め曰うに、願わくは単于一閼氏を得よ。冒頓羣臣に問う。皆怒りて曰うに、東胡無道なれば乃ち閼氏を求む。請う之れを撃たん。冒頓曰く、人と國を鄰にして、一女子を愛せんや。之を與う。居ながら之の頃、東胡復た曰く、匈奴棄地千里有り。吾之れ有せんと欲す。冒頓羣臣に問う。羣臣皆曰うに、之を與うも亦可なり。與えずも亦可なり。冒頓大いに怒りて曰く、地とは國の本なり。本を何ぞ與う可くや。諸與うを言う者は皆之れを斬る。冒頓馬に上り國中に令す。後者有るは斬る。東 東湖襲う。東湖 冒頓を輕んず。之れ備えを為さず。冒頓撃つに之を滅す。冒頓 遂に西は月氏を撃ち、南は樓煩白羊河南を并せ、北は燕・代を侵す。悉く復た秦 蒙恬をして奪う所を使て之れ匈奴の地を收むるなり。
○陳皡:欲する所必ず顧恡する所無し。子女以て其の心を惑わす。玉帛[ぎょく‐はく【玉帛】 ①玉ときぬ。②先秦時代に諸侯が朝覲(ちょうきん)・聘問(へいもん)の際に用いた礼物。]以て其の志を驕らす。范蠡・鄭武の謀なり。
○梅堯臣:示すに卑弱を以てし、以て其の心を驕らす。
○王晳:卑弱を示し以て之を驕らす。彼れ我虞れずして其の間を撃つ。
○張預:或は辭を卑くし賂を厚くし、或は師を羸[やせる。つかれる。よわる。よわい。](るい)し佯北[いつわりて逃げる]す。皆 其れをして驕怠せ令む所以なり。呉子齊を伐つ。越子衆を率いて朝す[朝す-諸侯が天子にお目にかかる。転じて、外国から天子の国に参る。]。王及びて列士皆賂有り。呉人皆喜ぶ。惟子胥懼れて曰く、是れ呉を豢(やしな)[①家畜を飼う。②利益で人をさそいこむ。]うなり。後に果たして越滅する所と為す。楚 庸を伐つ。七遇皆北(そむ)く[逃げる]。庸人曰く、楚 與(とも)に戦うに足らざるなり。遂に備え設けず。楚子乃ち二隊を為し、以て之を伐つ。遂に庸を滅す。皆其の義なり。
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○金谷孫子:[敵が]謙虚なときはそれを驕りたかぶらせ、
○町田孫子:謙虚なものは驕りたかぶらせ、
○天野孫子:味方がわざとへりくだって敵をおごらせたり、
○フランシス・ワン孫子:劣勢をよそおい、敵の驕りを助長せよ。
○大橋孫子:下手に出て敵を驕りたかぶらせて過失をおかさせ、
○武岡孫子:敵が恐ろしくてたまらないふりをして、敵がみくびるように装ってみせる。
○著者不明孫子:控えめであればつけ上がらせ、
○学習研究社孫子:敵が低姿勢の時は、敵が驕り高ぶるようにしむける。
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孫子 兵法 大研究!
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『怒にして之れを撓め、』:本文注釈
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この文の解釈にも諸説ある。「怒」について言えば、
①相手が「怒」っている、
②こちらが「怒」っている(怒りを示している)、
③相手を「怒」らす、
という三種類の解釈がある。
「撓」の解釈も諸説あり、
①曲げるの意味で、いなす。弱らせる。
②かき乱す。
の二種類が主である。
また、「能なるも之に不能を示し~強にして之を避く」までは、二つの文を連続させて解釈する注釈者も多かったが、この文以降からは単独で解釈されるのが一般的である。孫子が「乱」の字を用いず、「撓」の字を用いたのは、「心理的に動揺させる」、という意味をつたえたかったためであろう。この文は、戦場においても、外交においても応用できる。ただし、戦場においては、戦の直前や、混戦となれば常に双方から怒号が飛び交うので、自分を奮い立たせるには「怒」を示すことは効果があるだろうが、相手を撓ませる効果は相手を劣勢に追い込んでからでないとあまり期待できないであろう。例えば相手を退却に追い詰めた場合などには、最大の効果を発揮すると思われる。
この『怒にして之を撓め、卑にして之を驕らす』の文は本来、外交上の「詭道」を示していたものと思われる。よって、この二句は連続した解釈をとる。ここでは、「外交において、相手に『怒』を示すことで、相手を立場上弱くして(弱国に対しては怒りを示すだけでうろたえさせることができ、強国に対しては天下に義や信を問うことで激しい感情をこちらから示し相手の心情を惑わせる。)心を乱させる。」という意味となる。
ここでもうひとつの解釈を示してみる。
「怒而撓之~親而離之」まで、すべて「而」の字を挟み反対語を並べている。つまり、「怒」と「撓」、「卑」と「驕」、「佚」と「労」、「親」と「離」はすべて反対の意味を為す。前者が有利で、後者が不利の状態を指す。これらの句の前に「能なるも之れに不能を示し、用なるも之れに不用を示す」の文がある。よってこれらの反対語同士の前者が「能」で、後者が「不能」であるから、「怒(気張って猛り狂う)」の状態であっても、「撓(気力がない)」の状態に見せかける、という意味となり、また、後続文も取り上げてみると、「卑・佚・親」の状態が本来の姿であっても、敵には「驕・労・離」の状態にみせる、という解釈が成り立つ。この場合「○なるも之れを○せしむ」と読む。
また、後述の文で、「先には伝う可からざるなり」とあるが、これは「詭道」は予め前もって伝えることができないものである、という意味である(この文の意味は、各注釈者の訳を参照すると、さらに三つに細分化されることが分かる。)。この文の意を各句に反映させると、「怒・卑・佚・親」なれば「撓・驕・労・離」にするという解釈が成り立つが、ここには主体性がなく、敵に優位性があったならば劣勢に転じさせるといった受動的な意味しかないとも捉えることができる。また、この意味では、敵を欺く意思がどこにも存在しない。よって、「○なれば○」という解釈は不適切であることが分かる。
怒-①腹を立てる。いかる。②たけりくるう。【解字】形声。「心」+音符「奴」(=力をはりつめる)。気ばる、気ばっていかる意。
撓-しな・う【撓う】シナフ 逆らわずにしたがう。
たお・む【撓む】タヲム 気力がなくなる。気力をなくす。
たわ・む【撓む】 ①おされてまがる。しなう。ゆがむ。②つかれていやになる。気力がなくなる。たゆむ。
註
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○金谷孫子:撓-敵の怒りに乗じて精神的にかき乱すこと。
○浅野孫子:撓-敵の態勢を攪乱すること。
○天野孫子:怒而撓之-味方が故意に怒りを示して敵をかき乱す。この句は次の句と対になっているので、このように解する。『評註』は「怒とは我、怒を示すなり」と。『折衷』は「時ありてか威怒を示して之を屈撓す」と。一説に「怒らして之を撓す」と読み、敵を怒らして、敵を混乱させると。『諺義』は「彼を怒るごとく致して、其心をみだすべし。怒る時は必ず無理の行をなす」と。この意に解するものが多いが、これでは次の句と対にならない。また一説に「怒れば之を撓す」と読み、孟氏は「敵人盛んに怒れば当に之を屈擾すべし」と。これは詭道にならない。
○フランシス・ワン孫子:一、戦争に於ける君主(最高政治指導者)と将軍(最高軍事指導者)ほど手腕の発揮・功名手柄を期待され、一方、彼ら自身その誘惑に駆られる地位もないであろう。また、これほどに嫉妬と愛憎・毀誉褒貶の嵐が吹きまき、人間がその本性上の弱点と欠陥を露呈、以て国家の運命に至大の影響を与える葛藤の場もないのではなかろうか、と言われている。まことに、それは、凡庸の人物では到底その職責を全うすることのできぬ至難にして危険な地位であり、孫子が「進みて名を求めず、退きて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて、利を主に合わす」(地形篇)精神と器量を有する「国の宝」ともいうべき人物にして、はじめてつき得る地位である、と言う所以である。しかし、古今東西、実際にその地位につくのは、意外に貧弱な人物が多いのである。また、たまたま、「智・信・仁・勇・厳」の諸徳を体した理想の将帥が登庸されるという国家にとっての幸運に恵まれた場合に於ても、周囲は必ずしも喜びとせず、却ってその長所を以て乗ずべき短所とし、没落を図るのである。我国では大楠公の場合の如きである。また、独裁者によく見られる所であるが、ナポレオンやヒットラー、或いは支那歴代の創業の帝王の如き一世の雄であっても、やがて、本人自身がその長所を短所とする精神の衰えの時機を迎えるに至るのが通例である。古来「人間世界の事、また難い哉」の歎が繰り返される所以である。
一、しかし、敵手の立場に立った場合、このことを利用しない手はないのである。実際、そこには、勝敗の如何を問わず-つまり、勝利の場合はその勝利を、敗北の場合はその敗北をめぐって-やがて必ず不和・葛藤が生ずるのであり、特に戦勢非なる場合は然りである。ドゴールは次の如く言っている。「共存すべき政府と軍司令部の不和は、戦争の歴史、つまり世界の歴史と同じくらい古いものであり、その処方箋を、各民族は叡知を絞って捜し求めてきた。今日でさえ数々の提言がなされている。果して人間はこの至難な軍事と政治の関係を調整しうるものであろうか」と。してみれば、敵手にとっては、相手がたとえ完璧な関係にあると思える場合でも、心理的策謀を用うる余地は必ずあることを確信すべきである。曹操は「その(精神的・心理的)衰懈(すいかい)(衰え)を待つなり」と註している。
一、敵手の「怒らして之を撓(たわ)む(撓(みだ)す)」方略によって、相手の指導者が苛だって精神を惑乱させ、戦争指導を誤った最近の例としては、ベトナム戦争に於ける米国の大統領ジョンソンがあげられよう。この場合、敵手であるベトナムが用いた方略の主体は、米国民に対しては勿論、広く世界に亙り行った世論工作である。なお、孫子は、本項に言う所を、九変篇に於て「将の五危」として取り上げ、味方の戒めとすると共に、敵に対して積極的に利用すべき心理作戦として説明している。
一、本項は「怒なれば(若しくは、怒れば)、而(すなわ)ち之を撓む(撓す)」とも読み、敵が熱(いき)り立ってその勢が猛烈な場合は、之を惑乱して奔命に疲らしむるの意と解するテキストもある。また、「怒りて之を撓む」と読む者もいる。この場合は、怒るのは我が方で、故意に怒って敵を混乱に導く恫喝作戦のことと解するのである。これが、米・ソの弱国に対する常套手段であることは、指摘するまでもあるまい。
○守屋孫子:わざと挑発して消耗させ、
○重沢孫子:「怒りて之を撓(よわ)からしめ、」-わが軍の威厳をことさらにひけらかして、敵の士気を弱める。
○佐野孫子:【校勘】「怒而撓之、卑而驕之。佚而労之、親而離之」 「十一家註本」、「武経本」は「怒而撓之、卑而驕之。佚而労之、親而離之」と作るが、「竹簡孫子」には「怒而撓之」とあり「卑而驕之。佚而労之、親而離之」の三句が無い。「竹簡孫子」の写し漏れか、将又、前漢(西漢)以降附加された後人の敷衍の文かとも思われるが、ある方が文意がより明快となるためここでは「十一家註本」、「武経本」に従う。 【語釈】◎怒而撓之 「撓」は「撓乱(どうらん)」で「かき乱す」の意。
○著者不明孫子:【怒而撓之】 「怒」は敵がいきりたって猛烈な勢いであること。「撓」は音ダウ。乱す、曲げる、たわめるなどの意。勢いをそらす、いなすこと。
○孫子諺義:「怒らしめて之れを撓(みだ)し、」 彼れをいかるごとくいたして、其の心をみだすべし。怒るときは必ず無理の行をなす、このゆゑにいからしめてみだす也。撓は亂也。本よりかれ怒る心ふかきときは、猶ほ以ていかるごとくいたしかけてみだらしむる也。
○孫子国字解:「怒らして之を撓(みだ)し、」 敵武功の将にして、輙[輒-すなわち。そのたびごとに。[輙]は異体字。]く勝利を得がたき時、其将短慮なりと知らば、計を以て是を怒らすべし。易にも、身を脩るみちを説きて、忿を懲(こら)し、慾を窒(ふさぐ)くと云へる。二つばかりを擧玉へり。さばかりの人も、制し難きは怒なり。怒る時は、兼ての計略をもかきみだされて、必敵を侮り、すまじき合戦をもするものなれば、是又方略の一つなり。されども尉繚子に、寛なれば激して怒らす可からずと云へり。生れつき寛大なる人には、怒るべき様なることをすれども、曾て動ぜぬ人あり。諸葛孔明、司馬仲達と對陣せし時、仲達戦へば必孔明に破らるることを知りて、様々にすれども、壘を堅くして兵を出さず、其時孔明、巾幗[きん‐かく【巾幗】‥クワク 女性の頭の飾り、または、喪中にかぶる頭巾。転じて、女性。]と云ものを贈れり。女のかふりものなり。臆病なること女の如し。おのここの気概はなきとて、仲達をあざけりたる意なり。されども仲達動せざりしかば、孔明もせんかたなかりき。是又尉繚子の心なり。
○曹公:其の衰懈を待つなり。
○孟氏:敵人盛んに怒らしめて、當に之を屈擾すべし。
○李筌:将の多いに怒る者は、権必ず亂れ易し。性は堅からず。漢の相 陳平 楚の權を撓めんと謀り、太牢[たい‐ろう【大牢・太牢】‥ラウ [礼記[王制]]①中国で、天子が社稷(しゃしょく)をまつる時の供物、すなわち牛・羊・豚の3種の犠牲(いけにえ)。②転じて、立派な御馳走。③江戸小伝馬町の牢屋敷のうち、人別帳に原籍を有する庶民の犯罪者を入れる雑居房。]の具えを以て楚の使いに進む。驚き是れ亜父の使いや。乃(なんじ)項王の使いや。此れ怒らしめて之を撓ます者なり。
○杜牧:大将剛にして戻る[①もとる。そむく。道理にはずれる。②もとの位置・状態にもどす。もどる。【解字】会意。「戸」(=とびら)+「犬」。とじこめられた犬があばれて言うことをきかない意。②は日本での用法。]者は、之を激して怒ら令める可ければ、則ち志を逞しく意を快にす。士氣撓亂し、本より謀顧みざるなり。
○梅堯臣:彼れ褊急[へん‐きゅう【偏急・褊急】‥キフ 度量が狭くて性急なこと。]にして怒り易ければ、則ち之を撓め憤急輕戦せ使む。
○王晳:敵 持重[じ‐ちょう【持重】ヂ‥ 軽々しくふるまわないこと。大事をとって動かないこと。]すれば、則ち激怒を以て之を撓めん。
○何氏:怒りて之を撓めるとは、漢兵 曹咎(そうきゅう)を汜水に撃つは是れなり。
○張預:彼の性 剛忿なれば則ち之を辱め怒ら令む。士氣撓め惑わせば、則ち謀らずして輕進す。晉人 苑春を執るに以て楚を怒らすが若くは是れなり。尉繚子に曰く、寛なれば激して怒る可からず。言うこころは性 寛なる者は則ち激怒して之を致す可からざるなり。
意訳
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○金谷孫子:[敵が]怒りたけっているときはそれをかき乱し、
○浅野孫子:敵が怒りはやっているときは、わざと挑発して敵軍の態勢をかき乱す。
○町田孫子:怒りたけっているものは攪乱し、
○天野孫子:味方がわざと怒りを示して敵をかき乱したり、
○フランシス・ワン孫子:敵将は苛(いら)だたせ、その精神を惑乱させよ。
○大橋孫子:敵を脅してその勢いをくじき、
○武岡孫子:敵を苛立たせて相手の心をかき乱したり、
○著者不明孫子:憤激していればいなし、
○学習研究社孫子:敵の戦闘意欲が高揚している時は、衝突せずにかわす。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『怒にして之れを撓め、』:本文注釈
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この文の解釈にも諸説ある。「怒」について言えば、
①相手が「怒」っている、
②こちらが「怒」っている(怒りを示している)、
③相手を「怒」らす、
という三種類の解釈がある。
「撓」の解釈も諸説あり、
①曲げるの意味で、いなす。弱らせる。
②かき乱す。
の二種類が主である。
また、「能なるも之に不能を示し~強にして之を避く」までは、二つの文を連続させて解釈する注釈者も多かったが、この文以降からは単独で解釈されるのが一般的である。孫子が「乱」の字を用いず、「撓」の字を用いたのは、「心理的に動揺させる」、という意味をつたえたかったためであろう。この文は、戦場においても、外交においても応用できる。ただし、戦場においては、戦の直前や、混戦となれば常に双方から怒号が飛び交うので、自分を奮い立たせるには「怒」を示すことは効果があるだろうが、相手を撓ませる効果は相手を劣勢に追い込んでからでないとあまり期待できないであろう。例えば相手を退却に追い詰めた場合などには、最大の効果を発揮すると思われる。
この『怒にして之を撓め、卑にして之を驕らす』の文は本来、外交上の「詭道」を示していたものと思われる。よって、この二句は連続した解釈をとる。ここでは、「外交において、相手に『怒』を示すことで、相手を立場上弱くして(弱国に対しては怒りを示すだけでうろたえさせることができ、強国に対しては天下に義や信を問うことで激しい感情をこちらから示し相手の心情を惑わせる。)心を乱させる。」という意味となる。
ここでもうひとつの解釈を示してみる。
「怒而撓之~親而離之」まで、すべて「而」の字を挟み反対語を並べている。つまり、「怒」と「撓」、「卑」と「驕」、「佚」と「労」、「親」と「離」はすべて反対の意味を為す。前者が有利で、後者が不利の状態を指す。これらの句の前に「能なるも之れに不能を示し、用なるも之れに不用を示す」の文がある。よってこれらの反対語同士の前者が「能」で、後者が「不能」であるから、「怒(気張って猛り狂う)」の状態であっても、「撓(気力がない)」の状態に見せかける、という意味となり、また、後続文も取り上げてみると、「卑・佚・親」の状態が本来の姿であっても、敵には「驕・労・離」の状態にみせる、という解釈が成り立つ。この場合「○なるも之れを○せしむ」と読む。
また、後述の文で、「先には伝う可からざるなり」とあるが、これは「詭道」は予め前もって伝えることができないものである、という意味である(この文の意味は、各注釈者の訳を参照すると、さらに三つに細分化されることが分かる。)。この文の意を各句に反映させると、「怒・卑・佚・親」なれば「撓・驕・労・離」にするという解釈が成り立つが、ここには主体性がなく、敵に優位性があったならば劣勢に転じさせるといった受動的な意味しかないとも捉えることができる。また、この意味では、敵を欺く意思がどこにも存在しない。よって、「○なれば○」という解釈は不適切であることが分かる。
怒-①腹を立てる。いかる。②たけりくるう。【解字】形声。「心」+音符「奴」(=力をはりつめる)。気ばる、気ばっていかる意。
撓-しな・う【撓う】シナフ 逆らわずにしたがう。
たお・む【撓む】タヲム 気力がなくなる。気力をなくす。
たわ・む【撓む】 ①おされてまがる。しなう。ゆがむ。②つかれていやになる。気力がなくなる。たゆむ。
註
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○金谷孫子:撓-敵の怒りに乗じて精神的にかき乱すこと。
○浅野孫子:撓-敵の態勢を攪乱すること。
○天野孫子:怒而撓之-味方が故意に怒りを示して敵をかき乱す。この句は次の句と対になっているので、このように解する。『評註』は「怒とは我、怒を示すなり」と。『折衷』は「時ありてか威怒を示して之を屈撓す」と。一説に「怒らして之を撓す」と読み、敵を怒らして、敵を混乱させると。『諺義』は「彼を怒るごとく致して、其心をみだすべし。怒る時は必ず無理の行をなす」と。この意に解するものが多いが、これでは次の句と対にならない。また一説に「怒れば之を撓す」と読み、孟氏は「敵人盛んに怒れば当に之を屈擾すべし」と。これは詭道にならない。
○フランシス・ワン孫子:一、戦争に於ける君主(最高政治指導者)と将軍(最高軍事指導者)ほど手腕の発揮・功名手柄を期待され、一方、彼ら自身その誘惑に駆られる地位もないであろう。また、これほどに嫉妬と愛憎・毀誉褒貶の嵐が吹きまき、人間がその本性上の弱点と欠陥を露呈、以て国家の運命に至大の影響を与える葛藤の場もないのではなかろうか、と言われている。まことに、それは、凡庸の人物では到底その職責を全うすることのできぬ至難にして危険な地位であり、孫子が「進みて名を求めず、退きて罪を避けず、唯だ民を是れ保ちて、利を主に合わす」(地形篇)精神と器量を有する「国の宝」ともいうべき人物にして、はじめてつき得る地位である、と言う所以である。しかし、古今東西、実際にその地位につくのは、意外に貧弱な人物が多いのである。また、たまたま、「智・信・仁・勇・厳」の諸徳を体した理想の将帥が登庸されるという国家にとっての幸運に恵まれた場合に於ても、周囲は必ずしも喜びとせず、却ってその長所を以て乗ずべき短所とし、没落を図るのである。我国では大楠公の場合の如きである。また、独裁者によく見られる所であるが、ナポレオンやヒットラー、或いは支那歴代の創業の帝王の如き一世の雄であっても、やがて、本人自身がその長所を短所とする精神の衰えの時機を迎えるに至るのが通例である。古来「人間世界の事、また難い哉」の歎が繰り返される所以である。
一、しかし、敵手の立場に立った場合、このことを利用しない手はないのである。実際、そこには、勝敗の如何を問わず-つまり、勝利の場合はその勝利を、敗北の場合はその敗北をめぐって-やがて必ず不和・葛藤が生ずるのであり、特に戦勢非なる場合は然りである。ドゴールは次の如く言っている。「共存すべき政府と軍司令部の不和は、戦争の歴史、つまり世界の歴史と同じくらい古いものであり、その処方箋を、各民族は叡知を絞って捜し求めてきた。今日でさえ数々の提言がなされている。果して人間はこの至難な軍事と政治の関係を調整しうるものであろうか」と。してみれば、敵手にとっては、相手がたとえ完璧な関係にあると思える場合でも、心理的策謀を用うる余地は必ずあることを確信すべきである。曹操は「その(精神的・心理的)衰懈(すいかい)(衰え)を待つなり」と註している。
一、敵手の「怒らして之を撓(たわ)む(撓(みだ)す)」方略によって、相手の指導者が苛だって精神を惑乱させ、戦争指導を誤った最近の例としては、ベトナム戦争に於ける米国の大統領ジョンソンがあげられよう。この場合、敵手であるベトナムが用いた方略の主体は、米国民に対しては勿論、広く世界に亙り行った世論工作である。なお、孫子は、本項に言う所を、九変篇に於て「将の五危」として取り上げ、味方の戒めとすると共に、敵に対して積極的に利用すべき心理作戦として説明している。
一、本項は「怒なれば(若しくは、怒れば)、而(すなわ)ち之を撓む(撓す)」とも読み、敵が熱(いき)り立ってその勢が猛烈な場合は、之を惑乱して奔命に疲らしむるの意と解するテキストもある。また、「怒りて之を撓む」と読む者もいる。この場合は、怒るのは我が方で、故意に怒って敵を混乱に導く恫喝作戦のことと解するのである。これが、米・ソの弱国に対する常套手段であることは、指摘するまでもあるまい。
○守屋孫子:わざと挑発して消耗させ、
○重沢孫子:「怒りて之を撓(よわ)からしめ、」-わが軍の威厳をことさらにひけらかして、敵の士気を弱める。
○佐野孫子:【校勘】「怒而撓之、卑而驕之。佚而労之、親而離之」 「十一家註本」、「武経本」は「怒而撓之、卑而驕之。佚而労之、親而離之」と作るが、「竹簡孫子」には「怒而撓之」とあり「卑而驕之。佚而労之、親而離之」の三句が無い。「竹簡孫子」の写し漏れか、将又、前漢(西漢)以降附加された後人の敷衍の文かとも思われるが、ある方が文意がより明快となるためここでは「十一家註本」、「武経本」に従う。 【語釈】◎怒而撓之 「撓」は「撓乱(どうらん)」で「かき乱す」の意。
○著者不明孫子:【怒而撓之】 「怒」は敵がいきりたって猛烈な勢いであること。「撓」は音ダウ。乱す、曲げる、たわめるなどの意。勢いをそらす、いなすこと。
○孫子諺義:「怒らしめて之れを撓(みだ)し、」 彼れをいかるごとくいたして、其の心をみだすべし。怒るときは必ず無理の行をなす、このゆゑにいからしめてみだす也。撓は亂也。本よりかれ怒る心ふかきときは、猶ほ以ていかるごとくいたしかけてみだらしむる也。
○孫子国字解:「怒らして之を撓(みだ)し、」 敵武功の将にして、輙[輒-すなわち。そのたびごとに。[輙]は異体字。]く勝利を得がたき時、其将短慮なりと知らば、計を以て是を怒らすべし。易にも、身を脩るみちを説きて、忿を懲(こら)し、慾を窒(ふさぐ)くと云へる。二つばかりを擧玉へり。さばかりの人も、制し難きは怒なり。怒る時は、兼ての計略をもかきみだされて、必敵を侮り、すまじき合戦をもするものなれば、是又方略の一つなり。されども尉繚子に、寛なれば激して怒らす可からずと云へり。生れつき寛大なる人には、怒るべき様なることをすれども、曾て動ぜぬ人あり。諸葛孔明、司馬仲達と對陣せし時、仲達戦へば必孔明に破らるることを知りて、様々にすれども、壘を堅くして兵を出さず、其時孔明、巾幗[きん‐かく【巾幗】‥クワク 女性の頭の飾り、または、喪中にかぶる頭巾。転じて、女性。]と云ものを贈れり。女のかふりものなり。臆病なること女の如し。おのここの気概はなきとて、仲達をあざけりたる意なり。されども仲達動せざりしかば、孔明もせんかたなかりき。是又尉繚子の心なり。
○曹公:其の衰懈を待つなり。
○孟氏:敵人盛んに怒らしめて、當に之を屈擾すべし。
○李筌:将の多いに怒る者は、権必ず亂れ易し。性は堅からず。漢の相 陳平 楚の權を撓めんと謀り、太牢[たい‐ろう【大牢・太牢】‥ラウ [礼記[王制]]①中国で、天子が社稷(しゃしょく)をまつる時の供物、すなわち牛・羊・豚の3種の犠牲(いけにえ)。②転じて、立派な御馳走。③江戸小伝馬町の牢屋敷のうち、人別帳に原籍を有する庶民の犯罪者を入れる雑居房。]の具えを以て楚の使いに進む。驚き是れ亜父の使いや。乃(なんじ)項王の使いや。此れ怒らしめて之を撓ます者なり。
○杜牧:大将剛にして戻る[①もとる。そむく。道理にはずれる。②もとの位置・状態にもどす。もどる。【解字】会意。「戸」(=とびら)+「犬」。とじこめられた犬があばれて言うことをきかない意。②は日本での用法。]者は、之を激して怒ら令める可ければ、則ち志を逞しく意を快にす。士氣撓亂し、本より謀顧みざるなり。
○梅堯臣:彼れ褊急[へん‐きゅう【偏急・褊急】‥キフ 度量が狭くて性急なこと。]にして怒り易ければ、則ち之を撓め憤急輕戦せ使む。
○王晳:敵 持重[じ‐ちょう【持重】ヂ‥ 軽々しくふるまわないこと。大事をとって動かないこと。]すれば、則ち激怒を以て之を撓めん。
○何氏:怒りて之を撓めるとは、漢兵 曹咎(そうきゅう)を汜水に撃つは是れなり。
○張預:彼の性 剛忿なれば則ち之を辱め怒ら令む。士氣撓め惑わせば、則ち謀らずして輕進す。晉人 苑春を執るに以て楚を怒らすが若くは是れなり。尉繚子に曰く、寛なれば激して怒る可からず。言うこころは性 寛なる者は則ち激怒して之を致す可からざるなり。
意訳
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○金谷孫子:[敵が]怒りたけっているときはそれをかき乱し、
○浅野孫子:敵が怒りはやっているときは、わざと挑発して敵軍の態勢をかき乱す。
○町田孫子:怒りたけっているものは攪乱し、
○天野孫子:味方がわざと怒りを示して敵をかき乱したり、
○フランシス・ワン孫子:敵将は苛(いら)だたせ、その精神を惑乱させよ。
○大橋孫子:敵を脅してその勢いをくじき、
○武岡孫子:敵を苛立たせて相手の心をかき乱したり、
○著者不明孫子:憤激していればいなし、
○学習研究社孫子:敵の戦闘意欲が高揚している時は、衝突せずにかわす。
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