2013-01-01 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!
孫子兵法問題集(3)
オリジナル問題集です。基本問題から難問までご用意いたしました。解けるかな~?
【1問目】我が国で、応仁の乱以前に著述されたと伝わっている「闘戦経」からの問題です。
「闘戦経」の本文で、「孫子十三篇。(1)の字を免れざるなり。」と言っていますが、(1)の空欄に入る言葉はどれ?
(1)懼
(2)詭譎
(3)奇
(4)軽
【2問目】甲州流武学中興の祖である小幡景憲の門人、北条氏長は、『孫子』の始計三本(五事・七計・詭道)の五事を(1)、七計を(2)、詭道を(3)という言葉に変えて表わしました。
さて、(1)、(2)、(3)に入る言葉はどれ?
(1)(1)主 (2)将 (3)士
(2)(1)治内 (2)知外 (3)応変
(3)(1)上 (2)中 (3)下
(4)(1)大綱領 (2)方円神心 (3)聖人之道
【3問目】有名な『孫子』注釈書である『孫子諺義』を著した山鹿素行は、その自伝の『配所残筆』で、「漸く八歳之頃迄に、(1)大方読み覚え候。」と記している。このことからも、幼少のころより大変な才能があったことがわかるが、さて、(1)に入る言葉はどれ?
(1)四書・五経・七書・詩文の書
(2)論語・孟子・大学・中庸・兵法の書
(3)孔孟・老荘・史書・医書・經書
(4)為政の書・経文・和漢の古への書
【4問目】『孫子』の有名な注釈者である山鹿素行は、『孫子』から、言葉をもらい「素行」の名前をつけましたが、この「素行」の名前の由来となった、「令、素より行われ、以て其の民を教うれば、則ち民服す。」の文は、『孫子』の何篇の言葉でしょう?
(1)九地
(2)九変
(3)軍争
(4)行軍
【5問目】『孫子』の他の篇の言葉から類似の意味の語句を拾い出し、その文章を説明するという、斬新な注釈法を以て著した、江戸時代中期の儒学者としても知られる新井白石の『孫子』注釈書の名前は?
(1)孫子新釈
(2)孫子事活鈔
(3)孫武兵法択
(4)孫子略解
【6問目】江戸時代の儒学者でもある新井白石は、自著の『孫子』注釈書の中で、「(1)」の文章二十余条を引用して、『孫子』を解説している。白石は、「(1)」と『孫子』は非常に関連性が高いと考えていた。『孫子』の原作者である孫武は、軍学において先輩である(1)の兵法を学んで『孫子十三篇』を書いたと、白石は確信していたのである。
さて、(1)に入る人物名はどれでしょう?
(1)老子
(2)諸葛孔明
(3)管子
(4)韓信
【7問目】『孫子』の『勢』篇の文で「戦勢は(1)に過ぎざるも、(1)の変は勝げて窮むべからざるなり。(1)の還りて相い生ずることは、環の端なきが如し。孰か能くこれを窮めんや。」とありますが、さて、(1)に入る言葉はどれ?
(1)虚実
(2)衆寡
(3)得失
(4)奇正
【8問目】『孫子』の最も有名な言葉で、「彼れを知り己れを知らば、百戦殆うからず。」がありますが、その後に続く言葉はあまり知られていません。この文のあとには、「彼れを知らずして己れを知らば、一勝一負す。彼れを知らずして己れを知らざれば、(1)」と続きますが、さて、(1)に入る言葉はどれでしょう?
(1)未だ勝つ者有らざるなり。
(2)戦う毎に必ず殆うし。
(3)百戦殆うし。
(4)当に其の地を離るるべし。
【9問目】『孫子』の有名な言葉より問題です。
『孫子』軍争篇に、「軍争の難きは、(1)を以て(2)と為し、患を以て利と為す。故に其の途を(1)にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先んじて至る。此れ(1)(2)の計を知る者なり。」とありますが、さて、(1)、(2)に入る言葉はどれ?
(1)(1)分 (2)合
(2)(1)詭 (2)詐
(3)(1)戦 (2)道
(4)(1)迂 (2)直
【10問目】孫子兵法に『用間』篇がありますが、さて、この篇名の『間』の字の意味は次のうちどれ?
(1)長さ・重さの測定法
(2)スパイ
(3)無(特に無形・無声を指す。)
(4)空間
【1問目解説】
(1)の「懼」が正解。
『闘戦経』の著者は、「剛毅・真鋭こそ、日本の武教である。これに反して、漢文(「孫子」のこと)は詭譎を説くにすぎない。」と、『孫子』を全否定している。
【2問目解説】
(1)、(3) 北条氏長は「兵は国の大事なり。」の「兵」を「士」と解釈した。そしてこれを「此士の内にも上中下あり、上は主、中は将、下は士の三段也」と注釈している。
(2)が正解。
(4) 「大綱領」とは、氏長の『孫子外伝』に出てくる言葉から引用した。『外伝』本文で、「兵は国の大事なり、此の語十三篇の大綱領。」と『孫子』の最初の文について解説している。
「方円神心」とは、氏長の『士鑑用法』で、「我流は方円神心の一理を以て始終を云。」と言っており、氏長流の兵理の根本のことを指している。
「聖人之道」とは、『外伝』の言葉から引用した。『外伝』の五事の「道」の説明で、「道は一種の兵の道なり。聖人の道を謂うに非ざるなり。」と本文にみえる。
【3問目解説】
(1)が正解。それにしてもすごい記憶力ですね!
(2)「論語・孟子・大学・中庸」は「四書五経」の内の「四書」です。
【4問目解説】
正解は(4)です。
素行は『孫子』の注釈書を何回か世に出しています。素行はとにかく『孫子』が大好きだったみたいですね。
【5問目解説】
(1)は藤塚鄰、森西洲が著した近代の注釈書。
(2)は江戸時代後期の薩摩藩の軍学者徳田邕興が著した注釈書。
(3)が正解。
(4)は江戸時代後期の仙台藩の藩士桜田迪が著した注釈書。
【6問目解説】
正解(3)
(2)と(4)の諸葛孔明と韓信は孫武より後の時代の人物。
(1)の老子は孫武と時代が同じで、孫武も学んでいた可能性が高いが、白石の注釈書で引用が多かったのは、(3)の管子(管仲)の文。管子は「管鮑の交わり」などで有名な中国春秋時代の斉の国の政治家。孫武より前の時代の人で、管子の兵法は『孫子』が世に出るまでは、当時としては有名な兵法書であったことは間違いない。
【7問目解説】
本文の「戦勢は(1)に過ぎざるも、(1)の変は勝(あ)げて窮むべからざるなり。(1)の還(めぐ)りて相い生ずることは、環の端なきが如し。孰(たれ)か能くこれを窮めんや。」の現代文訳は、「戦闘の勢いは、奇法と正法との二つの運用に過ぎないが、奇法と正法との混じり合った変化は、無数のもので、とても窮めつくせるものではありません。奇法と正法とが互いに生まれ出てくる(奇の中に正があり、正の中に奇があり、奇から正が生まれ、正から奇が生まれるという)その有様は、丸い輪に終点がないようなものです。誰にそれが窮められるでしょうか。」となる。
よって、正解は(4)の「奇正」。
【8問目解説】
正解は(2)です。ご存知の方も多かったとは思いますが、迷っていただくために選択肢づくりに苦心しました。
【9問目解説】
(4)が正解です。
『孫子』で有名な「迂直の計」の説明箇所です。作戦を以て、物理的(時間・距離・速さ)、心理的(意外)に、相手より先回りし、戦を有利にもっていくのが、迂直の計の真髄です。
【10問目解説】
(2)が正解。間は間諜(スパイ)のこと。

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!
孫子兵法問題集(3)
オリジナル問題集です。基本問題から難問までご用意いたしました。解けるかな~?
【1問目】我が国で、応仁の乱以前に著述されたと伝わっている「闘戦経」からの問題です。
「闘戦経」の本文で、「孫子十三篇。(1)の字を免れざるなり。」と言っていますが、(1)の空欄に入る言葉はどれ?
(1)懼
(2)詭譎
(3)奇
(4)軽
【2問目】甲州流武学中興の祖である小幡景憲の門人、北条氏長は、『孫子』の始計三本(五事・七計・詭道)の五事を(1)、七計を(2)、詭道を(3)という言葉に変えて表わしました。
さて、(1)、(2)、(3)に入る言葉はどれ?
(1)(1)主 (2)将 (3)士
(2)(1)治内 (2)知外 (3)応変
(3)(1)上 (2)中 (3)下
(4)(1)大綱領 (2)方円神心 (3)聖人之道
【3問目】有名な『孫子』注釈書である『孫子諺義』を著した山鹿素行は、その自伝の『配所残筆』で、「漸く八歳之頃迄に、(1)大方読み覚え候。」と記している。このことからも、幼少のころより大変な才能があったことがわかるが、さて、(1)に入る言葉はどれ?
(1)四書・五経・七書・詩文の書
(2)論語・孟子・大学・中庸・兵法の書
(3)孔孟・老荘・史書・医書・經書
(4)為政の書・経文・和漢の古への書
【4問目】『孫子』の有名な注釈者である山鹿素行は、『孫子』から、言葉をもらい「素行」の名前をつけましたが、この「素行」の名前の由来となった、「令、素より行われ、以て其の民を教うれば、則ち民服す。」の文は、『孫子』の何篇の言葉でしょう?
(1)九地
(2)九変
(3)軍争
(4)行軍
【5問目】『孫子』の他の篇の言葉から類似の意味の語句を拾い出し、その文章を説明するという、斬新な注釈法を以て著した、江戸時代中期の儒学者としても知られる新井白石の『孫子』注釈書の名前は?
(1)孫子新釈
(2)孫子事活鈔
(3)孫武兵法択
(4)孫子略解
【6問目】江戸時代の儒学者でもある新井白石は、自著の『孫子』注釈書の中で、「(1)」の文章二十余条を引用して、『孫子』を解説している。白石は、「(1)」と『孫子』は非常に関連性が高いと考えていた。『孫子』の原作者である孫武は、軍学において先輩である(1)の兵法を学んで『孫子十三篇』を書いたと、白石は確信していたのである。
さて、(1)に入る人物名はどれでしょう?
(1)老子
(2)諸葛孔明
(3)管子
(4)韓信
【7問目】『孫子』の『勢』篇の文で「戦勢は(1)に過ぎざるも、(1)の変は勝げて窮むべからざるなり。(1)の還りて相い生ずることは、環の端なきが如し。孰か能くこれを窮めんや。」とありますが、さて、(1)に入る言葉はどれ?
(1)虚実
(2)衆寡
(3)得失
(4)奇正
【8問目】『孫子』の最も有名な言葉で、「彼れを知り己れを知らば、百戦殆うからず。」がありますが、その後に続く言葉はあまり知られていません。この文のあとには、「彼れを知らずして己れを知らば、一勝一負す。彼れを知らずして己れを知らざれば、(1)」と続きますが、さて、(1)に入る言葉はどれでしょう?
(1)未だ勝つ者有らざるなり。
(2)戦う毎に必ず殆うし。
(3)百戦殆うし。
(4)当に其の地を離るるべし。
【9問目】『孫子』の有名な言葉より問題です。
『孫子』軍争篇に、「軍争の難きは、(1)を以て(2)と為し、患を以て利と為す。故に其の途を(1)にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先んじて至る。此れ(1)(2)の計を知る者なり。」とありますが、さて、(1)、(2)に入る言葉はどれ?
(1)(1)分 (2)合
(2)(1)詭 (2)詐
(3)(1)戦 (2)道
(4)(1)迂 (2)直
【10問目】孫子兵法に『用間』篇がありますが、さて、この篇名の『間』の字の意味は次のうちどれ?
(1)長さ・重さの測定法
(2)スパイ
(3)無(特に無形・無声を指す。)
(4)空間
【1問目解説】
(1)の「懼」が正解。
『闘戦経』の著者は、「剛毅・真鋭こそ、日本の武教である。これに反して、漢文(「孫子」のこと)は詭譎を説くにすぎない。」と、『孫子』を全否定している。
【2問目解説】
(1)、(3) 北条氏長は「兵は国の大事なり。」の「兵」を「士」と解釈した。そしてこれを「此士の内にも上中下あり、上は主、中は将、下は士の三段也」と注釈している。
(2)が正解。
(4) 「大綱領」とは、氏長の『孫子外伝』に出てくる言葉から引用した。『外伝』本文で、「兵は国の大事なり、此の語十三篇の大綱領。」と『孫子』の最初の文について解説している。
「方円神心」とは、氏長の『士鑑用法』で、「我流は方円神心の一理を以て始終を云。」と言っており、氏長流の兵理の根本のことを指している。
「聖人之道」とは、『外伝』の言葉から引用した。『外伝』の五事の「道」の説明で、「道は一種の兵の道なり。聖人の道を謂うに非ざるなり。」と本文にみえる。
【3問目解説】
(1)が正解。それにしてもすごい記憶力ですね!
(2)「論語・孟子・大学・中庸」は「四書五経」の内の「四書」です。
【4問目解説】
正解は(4)です。
素行は『孫子』の注釈書を何回か世に出しています。素行はとにかく『孫子』が大好きだったみたいですね。
【5問目解説】
(1)は藤塚鄰、森西洲が著した近代の注釈書。
(2)は江戸時代後期の薩摩藩の軍学者徳田邕興が著した注釈書。
(3)が正解。
(4)は江戸時代後期の仙台藩の藩士桜田迪が著した注釈書。
【6問目解説】
正解(3)
(2)と(4)の諸葛孔明と韓信は孫武より後の時代の人物。
(1)の老子は孫武と時代が同じで、孫武も学んでいた可能性が高いが、白石の注釈書で引用が多かったのは、(3)の管子(管仲)の文。管子は「管鮑の交わり」などで有名な中国春秋時代の斉の国の政治家。孫武より前の時代の人で、管子の兵法は『孫子』が世に出るまでは、当時としては有名な兵法書であったことは間違いない。
【7問目解説】
本文の「戦勢は(1)に過ぎざるも、(1)の変は勝(あ)げて窮むべからざるなり。(1)の還(めぐ)りて相い生ずることは、環の端なきが如し。孰(たれ)か能くこれを窮めんや。」の現代文訳は、「戦闘の勢いは、奇法と正法との二つの運用に過ぎないが、奇法と正法との混じり合った変化は、無数のもので、とても窮めつくせるものではありません。奇法と正法とが互いに生まれ出てくる(奇の中に正があり、正の中に奇があり、奇から正が生まれ、正から奇が生まれるという)その有様は、丸い輪に終点がないようなものです。誰にそれが窮められるでしょうか。」となる。
よって、正解は(4)の「奇正」。
【8問目解説】
正解は(2)です。ご存知の方も多かったとは思いますが、迷っていただくために選択肢づくりに苦心しました。
【9問目解説】
(4)が正解です。
『孫子』で有名な「迂直の計」の説明箇所です。作戦を以て、物理的(時間・距離・速さ)、心理的(意外)に、相手より先回りし、戦を有利にもっていくのが、迂直の計の真髄です。
【10問目解説】
(2)が正解。間は間諜(スパイ)のこと。

2013-01-01 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!
孫子兵法問題集(2)
オリジナル問題集です。これは難しいはず!
【1問目】『形』篇より問題です。
本文に、「是の故に勝兵は先づ勝ちて、而る後に戦を求め、敗兵は先づ戦いて、而る後に(1)を求む。」とありますが、この(1)に入る言葉はどれ?
(1)実
(2)全き
(3)勢
(4)勝
【2問目】『勢』篇より問題です。
本文に「凡そ戦は(1)を以て合い、(2)を以て勝つ。故に善く(2)を出す者、窮まり無きこと天地の如く…。」とありますが、この空欄(1)と(2)に入る言葉はどれ?
(1)(1)実 (2)虚
(2)(1)形 (2)勢
(3)(1)正 (2)奇
(4)(1)守 (2)攻
【3問目】『計』篇より問題です。
軍備をおさめる為に必要な基本項目として、孫子が挙げているものはどれ?
(1)曲制・官道・主用
(2)智・信・仁・勇・厳
(3)仁・義・礼・智・信
(4)道・天・地・将・法
【4問目】『呉越春秋』によると、孫子(孫武)はどこの出身?
(1)斉
(2)魏
(3)楚
(4)呉
【5問目】幕末維新期の軍学者『恩田仰岳』の著した『孫子』の注釈書はどれ?
(1)孫子纂注
(2)孫子講註
(3)孫子兵法択
(4)孫子詳解
【6問目】『謀攻』篇より問題です。
本文に「是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。」とみえますが、では、この文の「是の故」とは何を指すでしょう?
(1)已に敗るるに勝つ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(2)上兵は謀を伐つ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(3)窮寇には迫る勿かれ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(4)全きを以て上と為す、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
【7問目】『孫子』注釈書で、林羅山(江戸時代初期の朱子学派儒学者)が著したものではない注釈書が一つあります。さて、それはどれ?
(1)孫呉摘語
(2)孫子提要
(3)孫子諺解
(4)孫子抄
【8問目】孫子兵法の原作者である孫武が仕えた君主の名前は『闔廬』ですが、では、闔廬が楚に行っている間に呉でクーデターを起こして王となった、闔廬の弟の名前は?
(1)夫概
(2)諸樊
(3)僚
(4)寿夢
【9問目】『行軍』篇より問題です。
本文に「凡そ地に(1)有らば、必ず亟(すみや)かに之を去りて近づく勿かれ。吾は之に遠ざかり、敵は之に近づかしめ、吾は之を迎へ、敵は之を背にせしめよ。」とありますが、この(1)の空欄に入る言葉はどれでしょう?
(1)圮地・衢地・絶地・圍地・死地
(2)弛む者、陥る者、崩るる者、亂るる者、北ぐる者
(3)通なる者、挂なる者、支なる者、隘なる者、險なる者、遠なる者
(4)絶澗・天井・天牢・天羅・天陥・天隙
【10問目】孫子注釈書に『十一家注孫子』がありますが、つぎのうち『十一家』でない者は誰?
(1)何延錫
(2)趙本学
(3)梅聖兪
(4)曹操
【1問目解説】
正解(4)
戦の前に勝てるかどうか十分に考えてから戦わないと、戦に敗れるということを言っています。
【2問目解説】
正解(3)
「大体、戦というものは、正攻法で相見え、正攻法以外の思いもかけない奇策、謀を以て敵に勝つものである。」ということである。つまり、正攻法だけではなかなか勝利には結びつかない、ということを言っている。
【3問目解説】
正解(4)
(1)は五事の「法」の中身。
(2)は五事の「将」の中身。
(3)は儒教の五常(五徳)。
(4)が正解。この五事が軍事の大本となる。
【4問目解説】
正解(4)
『史記』によれば、孫武は「斉」の人、と紹介されている。しかし、『呉越春秋』では孫武は「呉」の人となっている。はて、真相は果たしてどっち?
【5問目解説】
(1)が正解。
(2)は有沢武貞が著したもの。
(3)は新井白石が著したもの。
(4)は伊藤鳳山が著したもの。
【6問目解説】
(1)「已に敗るるに勝つ」、とは「形篇」の言葉。
(2)「上兵は謀を伐つ」、とは「謀攻篇」の言葉。問題文の本文の後に続く文。
(3)「窮寇には迫る勿かれ」、とは「軍争篇」の言葉。
(4)が正解。戦って相手を破ることよりも、自国の資源を保全して、敵を負かすことを最上とした。
【7問目解説】
(2)が正解。「孫子提要」は久留米藩の儒官、梯隆恭(かけはしたかやす)の著したもの。
【8問目解説】
(1)が正解。ちなみにクーデターを起こしたあとは、闔廬にすぐに鎮圧され、楚に逃げて行った。
(2)諸樊は、春秋時代の呉の第2代の王。姓は姫。名は遏、あるいは謁と表記される。寿夢の子。紀元前561年9月、父の寿夢が死去すると、跡を継いで王となった。闔廬(闔閭)と夫概の父である。
(3)僚は、父は初代の王の寿夢あるいは第4代の王の余昧。闔廬に弑せられ、その後、闔廬は呉王となっている。
(4)寿夢は、春秋時代の呉の初代の王。姓は姫。名は乗。去斉の子。紀元前586年、父の去斉が死去すると跡を継いだ。寿夢の代に呉は強大となり、彼が初めて王を名乗った。
寿夢には4人の子がおり、それぞれ諸樊・余祭・余昧・季札といった。死に際し、寿夢は兄弟の中で最も優秀な末子の季札に跡を継がせようと考えたが、季札は兄たちに遠慮してこれを辞退した。そのため、寿夢の死後は王位を兄弟間で順番に継承する方式を採った。後に余昧の子である僚へと王位が継承されたが、この王位継承順に納得のいかなかった闔廬が反乱を起こし、闔廬が呉王となった。
【9問目解説】
(1)は九変篇の言葉。
(2)、(3)は地形篇の言葉。
(4)が正解。
絶澗とは、嶮(けわ)しい絶壁にはさまれた谷間。
天井とは、四方がそびえ中がくぼんで渓水の落ちこんでいる自然の井戸。
天牢とは、三面が囲まれて入りこむと出られない自然の牢獄。
天羅とは、草木が密生して行動できない自然の捕り網。
天陥とは、地形の落ち込んだ泥沼で自然の陥し穴。
天隙とは、ほら穴のように狭まった深く長い地隙。
いずれの地形も軍が圧倒的不利に陥ることは間違いない。このような地形には、相手を誘い込むことはあっても、絶対に自軍の本命の部隊を行かせてはならない。
【10問目解説】
(2)が正解。明の時代の人。『趙註孫子』を著した。
(3)は十一家である梅堯臣のこと。字を聖兪という。

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!
孫子兵法問題集(2)
オリジナル問題集です。これは難しいはず!
【1問目】『形』篇より問題です。
本文に、「是の故に勝兵は先づ勝ちて、而る後に戦を求め、敗兵は先づ戦いて、而る後に(1)を求む。」とありますが、この(1)に入る言葉はどれ?
(1)実
(2)全き
(3)勢
(4)勝
【2問目】『勢』篇より問題です。
本文に「凡そ戦は(1)を以て合い、(2)を以て勝つ。故に善く(2)を出す者、窮まり無きこと天地の如く…。」とありますが、この空欄(1)と(2)に入る言葉はどれ?
(1)(1)実 (2)虚
(2)(1)形 (2)勢
(3)(1)正 (2)奇
(4)(1)守 (2)攻
【3問目】『計』篇より問題です。
軍備をおさめる為に必要な基本項目として、孫子が挙げているものはどれ?
(1)曲制・官道・主用
(2)智・信・仁・勇・厳
(3)仁・義・礼・智・信
(4)道・天・地・将・法
【4問目】『呉越春秋』によると、孫子(孫武)はどこの出身?
(1)斉
(2)魏
(3)楚
(4)呉
【5問目】幕末維新期の軍学者『恩田仰岳』の著した『孫子』の注釈書はどれ?
(1)孫子纂注
(2)孫子講註
(3)孫子兵法択
(4)孫子詳解
【6問目】『謀攻』篇より問題です。
本文に「是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。」とみえますが、では、この文の「是の故」とは何を指すでしょう?
(1)已に敗るるに勝つ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(2)上兵は謀を伐つ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(3)窮寇には迫る勿かれ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(4)全きを以て上と為す、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
【7問目】『孫子』注釈書で、林羅山(江戸時代初期の朱子学派儒学者)が著したものではない注釈書が一つあります。さて、それはどれ?
(1)孫呉摘語
(2)孫子提要
(3)孫子諺解
(4)孫子抄
【8問目】孫子兵法の原作者である孫武が仕えた君主の名前は『闔廬』ですが、では、闔廬が楚に行っている間に呉でクーデターを起こして王となった、闔廬の弟の名前は?
(1)夫概
(2)諸樊
(3)僚
(4)寿夢
【9問目】『行軍』篇より問題です。
本文に「凡そ地に(1)有らば、必ず亟(すみや)かに之を去りて近づく勿かれ。吾は之に遠ざかり、敵は之に近づかしめ、吾は之を迎へ、敵は之を背にせしめよ。」とありますが、この(1)の空欄に入る言葉はどれでしょう?
(1)圮地・衢地・絶地・圍地・死地
(2)弛む者、陥る者、崩るる者、亂るる者、北ぐる者
(3)通なる者、挂なる者、支なる者、隘なる者、險なる者、遠なる者
(4)絶澗・天井・天牢・天羅・天陥・天隙
【10問目】孫子注釈書に『十一家注孫子』がありますが、つぎのうち『十一家』でない者は誰?
(1)何延錫
(2)趙本学
(3)梅聖兪
(4)曹操
【1問目解説】
正解(4)
戦の前に勝てるかどうか十分に考えてから戦わないと、戦に敗れるということを言っています。
【2問目解説】
正解(3)
「大体、戦というものは、正攻法で相見え、正攻法以外の思いもかけない奇策、謀を以て敵に勝つものである。」ということである。つまり、正攻法だけではなかなか勝利には結びつかない、ということを言っている。
【3問目解説】
正解(4)
(1)は五事の「法」の中身。
(2)は五事の「将」の中身。
(3)は儒教の五常(五徳)。
(4)が正解。この五事が軍事の大本となる。
【4問目解説】
正解(4)
『史記』によれば、孫武は「斉」の人、と紹介されている。しかし、『呉越春秋』では孫武は「呉」の人となっている。はて、真相は果たしてどっち?
【5問目解説】
(1)が正解。
(2)は有沢武貞が著したもの。
(3)は新井白石が著したもの。
(4)は伊藤鳳山が著したもの。
【6問目解説】
(1)「已に敗るるに勝つ」、とは「形篇」の言葉。
(2)「上兵は謀を伐つ」、とは「謀攻篇」の言葉。問題文の本文の後に続く文。
(3)「窮寇には迫る勿かれ」、とは「軍争篇」の言葉。
(4)が正解。戦って相手を破ることよりも、自国の資源を保全して、敵を負かすことを最上とした。
【7問目解説】
(2)が正解。「孫子提要」は久留米藩の儒官、梯隆恭(かけはしたかやす)の著したもの。
【8問目解説】
(1)が正解。ちなみにクーデターを起こしたあとは、闔廬にすぐに鎮圧され、楚に逃げて行った。
(2)諸樊は、春秋時代の呉の第2代の王。姓は姫。名は遏、あるいは謁と表記される。寿夢の子。紀元前561年9月、父の寿夢が死去すると、跡を継いで王となった。闔廬(闔閭)と夫概の父である。
(3)僚は、父は初代の王の寿夢あるいは第4代の王の余昧。闔廬に弑せられ、その後、闔廬は呉王となっている。
(4)寿夢は、春秋時代の呉の初代の王。姓は姫。名は乗。去斉の子。紀元前586年、父の去斉が死去すると跡を継いだ。寿夢の代に呉は強大となり、彼が初めて王を名乗った。
寿夢には4人の子がおり、それぞれ諸樊・余祭・余昧・季札といった。死に際し、寿夢は兄弟の中で最も優秀な末子の季札に跡を継がせようと考えたが、季札は兄たちに遠慮してこれを辞退した。そのため、寿夢の死後は王位を兄弟間で順番に継承する方式を採った。後に余昧の子である僚へと王位が継承されたが、この王位継承順に納得のいかなかった闔廬が反乱を起こし、闔廬が呉王となった。
【9問目解説】
(1)は九変篇の言葉。
(2)、(3)は地形篇の言葉。
(4)が正解。
絶澗とは、嶮(けわ)しい絶壁にはさまれた谷間。
天井とは、四方がそびえ中がくぼんで渓水の落ちこんでいる自然の井戸。
天牢とは、三面が囲まれて入りこむと出られない自然の牢獄。
天羅とは、草木が密生して行動できない自然の捕り網。
天陥とは、地形の落ち込んだ泥沼で自然の陥し穴。
天隙とは、ほら穴のように狭まった深く長い地隙。
いずれの地形も軍が圧倒的不利に陥ることは間違いない。このような地形には、相手を誘い込むことはあっても、絶対に自軍の本命の部隊を行かせてはならない。
【10問目解説】
(2)が正解。明の時代の人。『趙註孫子』を著した。
(3)は十一家である梅堯臣のこと。字を聖兪という。
