2012-03-29 (木) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『故に之れを効すに計を以てし、以て其の情を索む。』:本文注釈
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竹簡孫子以外の諸本では『故に之れを校ぶるに計を以てして、其の情を索む。』につくる。
七つの計がここでは列挙されているが、計は七つと限定しないで解釈したほうがよい。戦に関係ないようなどんな些細なことでも情報収集をおこない、活用することで、勝負の帰趨が決まる。「故」の字は「だから」などの意味のほかに、孫子兵法の文においては、昔から伝わっている有名な言い回しの言葉や、以前に孫子が言った言葉を指している場合が度々ある。また、「故」の字は文章をまとめただけの意味で用いられることがあり、訳すときは、単に改行するだけの方が良い場合もある。
註

○天野孫子:「故」-前文から後文が展開することを示す役割をしているが、ここでは後文が前文の「凡此五者将莫不聞、知之者勝、不知者不勝」から展開するものではない。文意上、後文は「経之以五事、一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法」から展開する。それは軍備をなすことを示すものであり、一方、後文は両国の軍備を比較することを述べている。従って「故」は、両国間にいよいよ事が急な時、そこでの意を表わす。一説に『詳解』は「故の字は上の二句(知之者勝と不知者不勝)を受く」と。
○重沢孫子:五事についての各論が終わったので、いよいよ五事を含む七つの事項について、彼我の実態を比較計量し、勝敗の条件を探索する段階に入ります。
○守屋孫子:さらに、次の七つの基本条件に照らし合わせて、彼我の優劣を比較検討し、戦争の見通しをつける。
○田所孫子:校之以計とは、敵と味方との道天地将法の五事をくらべ合せて、計算するとの意。而索其情とは、敵と味方の実情を探索するとの意。
○諺義:此の故の字は、上の句をうけたる言也。五事をしるものは勝ち、知らざるものは勝たず、ここを以て此の五事を彼我に引合せてはかるを計と云ふ。物をかぞへてはかるは皆計の字也。このすべ(術)の七つをかぞへあげて、いづれか有餘不足とはかる、是れ乃ち計也。此の一句、重ねて之れを言ひて七計の發端とする也。
○孫子国字解:故とは、上の文をうけて、かやうにあるゆへにと云意なり。上文にある如く、五事の至極に通達する人は勝ち、通達せぬ人はまくるゆへに、此五事を目録にして、是にて敵味方をくらべはかり、目算して、その軍情をもとむると云意なり。
○孫子評註:是れ所謂計なり。而して此の一段は是れ一篇の主意なり。 ○計と五事とは唯だ是れ同意にして、而も又未だ嘗て相犯さず。但し五事は道と法と最も重く、計は則ち主と将と最も重し。「將、吾が計を聽く」以下に至りては、専ら將を以て重しと為して看よ。他の言各々當るあり。
○曹公:其の情を索むとは、勝負の情なり。
○杜佑:其の勝負の情を索む。索の音山格に反す。捜索の義なり。
○杜牧:上の五事を謂う。将に聞知せんと欲す。彼我の優劣を校量・計算し、然る後に其の情状を捜索すれば、乃ち能く必勝す。爾ざれば則敗る。
○賈林:書に云わく、知ることは之れ艱しからず、行なうは之れ惟だ難し、と。
○王晳:當に盡く知るべし。言うこころは五事を周知すと雖も、七計を待つを以て其の情を盡すなり。
○張預:上已に五事を陳べる。此れより下、方に彼我の得失を考校し、勝負の情状を探索すべし。
意訳

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○金谷孫子:それゆえ、[深い理解を得た者は、七つの]目算で比べあわせてその時の実情を求めるのである。
○浅野孫子:そこで観念論に陥る危険を避け、彼我の死生の地や存亡の道を明瞭に策定するため、優劣を具体的に比較・計量する基準を双方に当てはめる手段を用い、実際に両者の実情を探索してみるのである。
○町田孫子:だから、真に理解している者は、七つの計算で敵味方の力量を比べあわせて、その実情を求めるのである。
○天野孫子:事急な時、そこでいよいよ彼我両国の軍備を比較するのに、優劣の数を計算して、彼我両国の実情を求め知る。
○フランシス・ワン孫子:戦争計画を立案するに当っては、次の要素をつぶさに吟味し、比較検討せねばならない。
○大橋孫子:よく知るには、次の七つの条件を検討して状況判断する。
○武岡孫子:こうして軍事力を整備しているうちに、かねてから憂慮されていた国との関係が悪化し、戦うか否かの国策を決めなければならなくなったときは、先の五つの基本要因に沿って相手国の最新情報を集め、次の七つの要因に基づいてさらに細かく現状をよく捉えたうえで双方の戦力比較をしなければならない。
○学習研究社孫子:そこで、比較によって力量を判断し、我と敵の実情を知るのである。
○著者不明孫子:そこで、七計について彼我を比較することによって、実情をとらえるように努める。
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『故に之れを効すに計を以てし、以て其の情を索む。』:本文注釈
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竹簡孫子以外の諸本では『故に之れを校ぶるに計を以てして、其の情を索む。』につくる。
七つの計がここでは列挙されているが、計は七つと限定しないで解釈したほうがよい。戦に関係ないようなどんな些細なことでも情報収集をおこない、活用することで、勝負の帰趨が決まる。「故」の字は「だから」などの意味のほかに、孫子兵法の文においては、昔から伝わっている有名な言い回しの言葉や、以前に孫子が言った言葉を指している場合が度々ある。また、「故」の字は文章をまとめただけの意味で用いられることがあり、訳すときは、単に改行するだけの方が良い場合もある。
註


○天野孫子:「故」-前文から後文が展開することを示す役割をしているが、ここでは後文が前文の「凡此五者将莫不聞、知之者勝、不知者不勝」から展開するものではない。文意上、後文は「経之以五事、一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法」から展開する。それは軍備をなすことを示すものであり、一方、後文は両国の軍備を比較することを述べている。従って「故」は、両国間にいよいよ事が急な時、そこでの意を表わす。一説に『詳解』は「故の字は上の二句(知之者勝と不知者不勝)を受く」と。
○重沢孫子:五事についての各論が終わったので、いよいよ五事を含む七つの事項について、彼我の実態を比較計量し、勝敗の条件を探索する段階に入ります。
○守屋孫子:さらに、次の七つの基本条件に照らし合わせて、彼我の優劣を比較検討し、戦争の見通しをつける。
○田所孫子:校之以計とは、敵と味方との道天地将法の五事をくらべ合せて、計算するとの意。而索其情とは、敵と味方の実情を探索するとの意。
○諺義:此の故の字は、上の句をうけたる言也。五事をしるものは勝ち、知らざるものは勝たず、ここを以て此の五事を彼我に引合せてはかるを計と云ふ。物をかぞへてはかるは皆計の字也。このすべ(術)の七つをかぞへあげて、いづれか有餘不足とはかる、是れ乃ち計也。此の一句、重ねて之れを言ひて七計の發端とする也。
○孫子国字解:故とは、上の文をうけて、かやうにあるゆへにと云意なり。上文にある如く、五事の至極に通達する人は勝ち、通達せぬ人はまくるゆへに、此五事を目録にして、是にて敵味方をくらべはかり、目算して、その軍情をもとむると云意なり。
○孫子評註:是れ所謂計なり。而して此の一段は是れ一篇の主意なり。 ○計と五事とは唯だ是れ同意にして、而も又未だ嘗て相犯さず。但し五事は道と法と最も重く、計は則ち主と将と最も重し。「將、吾が計を聽く」以下に至りては、専ら將を以て重しと為して看よ。他の言各々當るあり。
○曹公:其の情を索むとは、勝負の情なり。
○杜佑:其の勝負の情を索む。索の音山格に反す。捜索の義なり。
○杜牧:上の五事を謂う。将に聞知せんと欲す。彼我の優劣を校量・計算し、然る後に其の情状を捜索すれば、乃ち能く必勝す。爾ざれば則敗る。
○賈林:書に云わく、知ることは之れ艱しからず、行なうは之れ惟だ難し、と。
○王晳:當に盡く知るべし。言うこころは五事を周知すと雖も、七計を待つを以て其の情を盡すなり。
○張預:上已に五事を陳べる。此れより下、方に彼我の得失を考校し、勝負の情状を探索すべし。
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○金谷孫子:それゆえ、[深い理解を得た者は、七つの]目算で比べあわせてその時の実情を求めるのである。
○浅野孫子:そこで観念論に陥る危険を避け、彼我の死生の地や存亡の道を明瞭に策定するため、優劣を具体的に比較・計量する基準を双方に当てはめる手段を用い、実際に両者の実情を探索してみるのである。
○町田孫子:だから、真に理解している者は、七つの計算で敵味方の力量を比べあわせて、その実情を求めるのである。
○天野孫子:事急な時、そこでいよいよ彼我両国の軍備を比較するのに、優劣の数を計算して、彼我両国の実情を求め知る。
○フランシス・ワン孫子:戦争計画を立案するに当っては、次の要素をつぶさに吟味し、比較検討せねばならない。
○大橋孫子:よく知るには、次の七つの条件を検討して状況判断する。
○武岡孫子:こうして軍事力を整備しているうちに、かねてから憂慮されていた国との関係が悪化し、戦うか否かの国策を決めなければならなくなったときは、先の五つの基本要因に沿って相手国の最新情報を集め、次の七つの要因に基づいてさらに細かく現状をよく捉えたうえで双方の戦力比較をしなければならない。
○学習研究社孫子:そこで、比較によって力量を判断し、我と敵の実情を知るのである。
○著者不明孫子:そこで、七計について彼我を比較することによって、実情をとらえるように努める。
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2012-03-26 (月) | 編集 |
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『凡そ此の五者は、将は聞かざること莫きも、之れを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。』:本文注釈
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「道」で自国の民の協力度を計れば、やれることが限定されてくる。「天」で戦における自然的な要素を把握し、「地」により具体的な局地戦の場所が特定でき、「将」で優秀な人物を任務につけ、権力を集中させることで将の能力を十分発揮させ、「法」により将や兵卒を統制し、法を破るものは厳罰に処するようにすることで、軍のもっている力を最大限活用する。
註

○天野孫子:「凡」は総括して言う時にその意を表わすものとして用いる語。「此五者」とは前文の五事とそれについての説明とを受ける。「将」は将軍、一国の総大将。「知」はここでは心にとどめて理解するの意。五者を知る知らないで戦いに勝つ勝たないというのは言い過ぎであろう。一説に「知」は、つかさどる、おさめるの意であると。『評註』は「知は即ち王守仁謂ふ所の知州・知県の知なり」と。この説によると、将軍は五事についての全責任者となる。五事においては、君主と将軍とはその責任を異にし、軍備の責任、従って戦争の責任は君主と将軍とにあることとなっていて、ここに矛盾が生ずる。この句は単に五事の重要性を強調するために、後から附加したものと解される。
○佐野孫子:孫子の曰う「知る」とは、単に頭で理解したと言う意味ではなく、それを自家薬篭中のものとして自由に使いこなすことの意をも含むものである。書経に曰く、「之を知ることの難きに非ず、之を行うことの難きなり」と。
○守屋孫子:この五つの基本原則は、将帥たるもの誰でも一応は心得ている。しかし、これを真に理解している者だけが勝利を収めるのだ。中途半端な理解では、勝利はおぼつかない。
○田所孫子:将莫不聞とは、将軍・大将たるものは、以上の五事をすべて承知しないものはないはずであるとの意。
○重沢孫子:以上の五者は、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。一般に、以上の五者は、将たるものが耳にしていないことはない。しかし、それだけでは不十分で、真に理解しているかどうかが勝敗の分れるところ。真によく理解していれば勝てるし、そうでなければ勝てないことを、孫子は鋭く指摘します。
○著者不明孫子:【将莫不聞】この「将」は大将の意にとるのが普通の解釈であるが、「まさに…す」という助字(聞かないものはないだろうの意)と解した。杜牧の注に「将欲聞知」とあるのも、そのように解したものと思われる。
○諺義:凡そと云ふ者は、大概と云ふに同じ。莫しの字、下知之言也。此の五つの者は主将聞かずして叶はざる事也。このゆゑに聞かざるといふこと莫しと、主将をいましめたる也。此の五事をしるものは勝つ、知らざるものは勝たず、されば之れを聞かざるといふこと莫しといましむる也。知の字尤も心あり、察の字と相通じて見る可し。講義・直解・開宗の舊説皆(莫字を)なしと云ふ心に用ひて、人々同聞と注するはあやまりなり。案ずるに、之れを知る者は勝つ、知らざるものは勝たずの一句は、下七計を云ふべきための言也。下の句と引合はせてよむべき也。李卓吾云はく、凡そ将為る者は孰れか之れを熟聞せざらんや。荀子或は之れを語るに此の五事を以てせば、又孰れか以て皆老将の常談[つねの話。普通の話。]する所と為さざらんや。然れども其の実は知れざるなり。其の実知らざれば則日に五事を聞くと雖も何の益あらんや。故に曰はく、此の五つの者は将聞かざるということ莫し。之れを知る者は勝つ、知らざる者は勝たずと。之れを聞きて知らず。此れ将の難き所以なり。大全に云はく、聞かざるということ莫れとは言ふこころは五事皆聞くなり。聞の字知の字に較ぶれば略ぼ分別有り。聞は耳に聞き、知は心に知る。文を作るには吞吐[呑むことと吐くこと。呑んだり吐いたりすること。]を要し、下知の字を虚含す。知の字は大に議論を発するを要す。勝は乃ち是れ知の效験[(古くコウゲンとも)はたらきかけた結果のしるし。ききめ。祈祷や治療のしるし。]の處、惟だ其れ知の實落功夫有り。所以に往くとして勝たざる無し。
○孫子国字解:此段は、右の五事の變極の理に通達すべきことを云へり。凡とは、總じてと云ことなり。此五者とは、右の五事を云。将は主将なり。聞と云も知ることなり。知れども變極の理に通達せぬを、孫子は聞と云、變極の理に通達するを知と云なり。變極の理に通達すとは、右の五事の上に於て、千變萬化する所を、一々に其至極にぬけとをりて、我物とすることなり。總じて右の五事をば、主将たる程の人は、誰も皆知たることにて、珍らしきことには非ず。されども人々われも知たるとは思へども、其變極の理に通達する人はまれなり。通達する人は軍に勝ち、通達せぬ人は負く。通達せずして叶はぬことなりとぞ。
○孫子評註:莫(原文「将莫不聞」の莫の字に注したもの。)とは者なきなり。知とは即ち王守仁(王陽明のこと。陽明は知行を論じ、知とは知州知県の知であると言った。伝習録の「人の学を論ずるに答ふる書」参照。また第九巻『西遊日記』参照。)の所謂、知州知縣の知なり。
○曹公:同じく五者を聞く。将其の變極を知れば即ち勝つなり。
○張預:以上の五事は人々同聞す。但し深く變極の理を曉れば則勝つ。然ざれば則敗る。
意訳

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○金谷孫子:およそこれら五つの事は、将軍たる者はだれでも知っているが、それを深く理解している者は勝ち、深く理解していない者は勝てない。
○浅野孫子:およそこれら五つの基本事項は、いやしくも将軍である以上、誰でも聞き知ってはいるが、これらの重要性を骨の髄まで思い知っている者は勝ち、単に観念的知識としてしか知らない者は勝てない。
○町田孫子:およそこの五つの事項については、将軍たる者だれでも一応は心得ているが、真に理解している者は勝ち、真に理解していない者は勝てない。
○フランシス・ワン孫子:此の五点を耳にしたことのない将軍はいない。これを体得した者は勝利し、体得しない者は敗北する。
○天野孫子:およそ将軍はこの五つの事を聞かないものはない。そしてこれをよく知っている者が戦争に勝ち、よく知らない者は戦争に敗れるのである。
○武岡孫子:この五項目で敵味方を比べ、どちらが整備できているかが、いざ戦争となるとものをいう。このことは将軍たるものは誰でも知っているが、本当に深く理解しているものは少ない。したがってよく認識して施策に反映させるものは勝てるが、そうでないものは敗れる。
○著者不明孫子:以上の五者は、だれも聞かない者はいないはずであるが、それをよく知っているほうは勝ち、よく知らないほうは勝てない。
○学習研究社孫子:通常、この五つの観点から軍事力を判断するということは、指揮官ならば知らない者はいないが、しかし、実際に調査している者は勝ち、調査しない者は勝てない。
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『凡そ此の五者は、将は聞かざること莫きも、之れを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。』:本文注釈
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「道」で自国の民の協力度を計れば、やれることが限定されてくる。「天」で戦における自然的な要素を把握し、「地」により具体的な局地戦の場所が特定でき、「将」で優秀な人物を任務につけ、権力を集中させることで将の能力を十分発揮させ、「法」により将や兵卒を統制し、法を破るものは厳罰に処するようにすることで、軍のもっている力を最大限活用する。
註


○天野孫子:「凡」は総括して言う時にその意を表わすものとして用いる語。「此五者」とは前文の五事とそれについての説明とを受ける。「将」は将軍、一国の総大将。「知」はここでは心にとどめて理解するの意。五者を知る知らないで戦いに勝つ勝たないというのは言い過ぎであろう。一説に「知」は、つかさどる、おさめるの意であると。『評註』は「知は即ち王守仁謂ふ所の知州・知県の知なり」と。この説によると、将軍は五事についての全責任者となる。五事においては、君主と将軍とはその責任を異にし、軍備の責任、従って戦争の責任は君主と将軍とにあることとなっていて、ここに矛盾が生ずる。この句は単に五事の重要性を強調するために、後から附加したものと解される。
○佐野孫子:孫子の曰う「知る」とは、単に頭で理解したと言う意味ではなく、それを自家薬篭中のものとして自由に使いこなすことの意をも含むものである。書経に曰く、「之を知ることの難きに非ず、之を行うことの難きなり」と。
○守屋孫子:この五つの基本原則は、将帥たるもの誰でも一応は心得ている。しかし、これを真に理解している者だけが勝利を収めるのだ。中途半端な理解では、勝利はおぼつかない。
○田所孫子:将莫不聞とは、将軍・大将たるものは、以上の五事をすべて承知しないものはないはずであるとの意。
○重沢孫子:以上の五者は、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。一般に、以上の五者は、将たるものが耳にしていないことはない。しかし、それだけでは不十分で、真に理解しているかどうかが勝敗の分れるところ。真によく理解していれば勝てるし、そうでなければ勝てないことを、孫子は鋭く指摘します。
○著者不明孫子:【将莫不聞】この「将」は大将の意にとるのが普通の解釈であるが、「まさに…す」という助字(聞かないものはないだろうの意)と解した。杜牧の注に「将欲聞知」とあるのも、そのように解したものと思われる。
○諺義:凡そと云ふ者は、大概と云ふに同じ。莫しの字、下知之言也。此の五つの者は主将聞かずして叶はざる事也。このゆゑに聞かざるといふこと莫しと、主将をいましめたる也。此の五事をしるものは勝つ、知らざるものは勝たず、されば之れを聞かざるといふこと莫しといましむる也。知の字尤も心あり、察の字と相通じて見る可し。講義・直解・開宗の舊説皆(莫字を)なしと云ふ心に用ひて、人々同聞と注するはあやまりなり。案ずるに、之れを知る者は勝つ、知らざるものは勝たずの一句は、下七計を云ふべきための言也。下の句と引合はせてよむべき也。李卓吾云はく、凡そ将為る者は孰れか之れを熟聞せざらんや。荀子或は之れを語るに此の五事を以てせば、又孰れか以て皆老将の常談[つねの話。普通の話。]する所と為さざらんや。然れども其の実は知れざるなり。其の実知らざれば則日に五事を聞くと雖も何の益あらんや。故に曰はく、此の五つの者は将聞かざるということ莫し。之れを知る者は勝つ、知らざる者は勝たずと。之れを聞きて知らず。此れ将の難き所以なり。大全に云はく、聞かざるということ莫れとは言ふこころは五事皆聞くなり。聞の字知の字に較ぶれば略ぼ分別有り。聞は耳に聞き、知は心に知る。文を作るには吞吐[呑むことと吐くこと。呑んだり吐いたりすること。]を要し、下知の字を虚含す。知の字は大に議論を発するを要す。勝は乃ち是れ知の效験[(古くコウゲンとも)はたらきかけた結果のしるし。ききめ。祈祷や治療のしるし。]の處、惟だ其れ知の實落功夫有り。所以に往くとして勝たざる無し。
○孫子国字解:此段は、右の五事の變極の理に通達すべきことを云へり。凡とは、總じてと云ことなり。此五者とは、右の五事を云。将は主将なり。聞と云も知ることなり。知れども變極の理に通達せぬを、孫子は聞と云、變極の理に通達するを知と云なり。變極の理に通達すとは、右の五事の上に於て、千變萬化する所を、一々に其至極にぬけとをりて、我物とすることなり。總じて右の五事をば、主将たる程の人は、誰も皆知たることにて、珍らしきことには非ず。されども人々われも知たるとは思へども、其變極の理に通達する人はまれなり。通達する人は軍に勝ち、通達せぬ人は負く。通達せずして叶はぬことなりとぞ。
○孫子評註:莫(原文「将莫不聞」の莫の字に注したもの。)とは者なきなり。知とは即ち王守仁(王陽明のこと。陽明は知行を論じ、知とは知州知県の知であると言った。伝習録の「人の学を論ずるに答ふる書」参照。また第九巻『西遊日記』参照。)の所謂、知州知縣の知なり。
○曹公:同じく五者を聞く。将其の變極を知れば即ち勝つなり。
○張預:以上の五事は人々同聞す。但し深く變極の理を曉れば則勝つ。然ざれば則敗る。
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○金谷孫子:およそこれら五つの事は、将軍たる者はだれでも知っているが、それを深く理解している者は勝ち、深く理解していない者は勝てない。
○浅野孫子:およそこれら五つの基本事項は、いやしくも将軍である以上、誰でも聞き知ってはいるが、これらの重要性を骨の髄まで思い知っている者は勝ち、単に観念的知識としてしか知らない者は勝てない。
○町田孫子:およそこの五つの事項については、将軍たる者だれでも一応は心得ているが、真に理解している者は勝ち、真に理解していない者は勝てない。
○フランシス・ワン孫子:此の五点を耳にしたことのない将軍はいない。これを体得した者は勝利し、体得しない者は敗北する。
○天野孫子:およそ将軍はこの五つの事を聞かないものはない。そしてこれをよく知っている者が戦争に勝ち、よく知らない者は戦争に敗れるのである。
○武岡孫子:この五項目で敵味方を比べ、どちらが整備できているかが、いざ戦争となるとものをいう。このことは将軍たるものは誰でも知っているが、本当に深く理解しているものは少ない。したがってよく認識して施策に反映させるものは勝てるが、そうでないものは敗れる。
○著者不明孫子:以上の五者は、だれも聞かない者はいないはずであるが、それをよく知っているほうは勝ち、よく知らないほうは勝てない。
○学習研究社孫子:通常、この五つの観点から軍事力を判断するということは、指揮官ならば知らない者はいないが、しかし、実際に調査している者は勝ち、調査しない者は勝てない。
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『法とは、曲制・官道・主用なり。』:本文注釈
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法-①おきて。規則。②(儀式の)しきたり。礼式。規範。③てだて。やりかた。④基準となる数。【解字】[灋]の略体。会意。「水」+「廌」(=珍獣の名)+「去」(=ひっこむ)。珍獣をおりの中に囲みこむ意。転じて、おきて・のりの意。
註

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○金谷孫子:曲制-曲は部曲すなわち軍隊の部わけ。それについての制度をいう。以下「主用」までの六字を六種に分けて解釈する説もある。 官道-道は治と同じ。軍中の職分の治め方。
○浅野孫子:曲制-軍隊内の部曲・部署分けの制度を定めた軍法をいう。 官道-軍を監督する官吏の職制や権限を定めた軍法。古代中国の軍制では、行軍篇に「吏の怒る者は倦むなり」と見えるように、常に各種の官吏が同行して軍を監督した。 主用-軍の運用について、君主と将軍との間に取り決められた、指揮命令系統上の軍法を指す。地形篇に「戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うも、必ず戦いて可なり。戦道勝たざれば、主は必ず戦えと曰うも、戦う無くして可なり」とあるように、古代中国の軍制では、君主は割り符を持たせた使者を前線の将軍のもとへ派遣して、背後から軍の運用を指揮・制御した。
○武岡孫子:曲制-編制 官道-服務規律 主用-軍用品
○天野孫子:法者曲制官道主用也-「曲制」「官道」「主用」について『孫子』十三篇にそれを説くものがない。『鶡冠子』天則篇に「法とは曲制官備主用なり」とあって、それは行政上の諸官制度として述べてあるが、この句も同様であろう。その具体的内容は知り得ないが、一応「曲制」とは国政上つぶさに整備された制度、「官道」とは諸官の地位・職務などの規定、「主用」とは用をつかさどることであるから、国政上の種々の運営の意に解する。『新釈』は「孫子は素より兵法の書ではあるけれども、戦勝の根柢を強固にする為に政治・経済等の全般に亘って説いてをるのである。五事の如きは一国の国政の大綱を論じてをるのであって、決して軍隊内部の事のみに限定せられてをるのではない。此の事は既に『道』の定義に於て孫子が『卒』と言はずして『民』と明瞭に言ってをる所に表はれてゐる。この『法』も亦一国の国政全般に関する法であって、決して軍隊のみの編制や坐作[すわることとたつこと。たちい。動作。]進退の法に限ったものではない」として、「曲制」を分課分掌の制度、「官道」を上下官職の秩序、「主用」を曲制・官道共に其の運用の宜しきを得ることとしている。一説に兵法上のことと解して、梅堯臣は「曲制とは、部曲、隊伍、分画に必ず制あるなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道あるなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度あるなり」と。また、曲制官道主用を三分して解釈する外に、六分して解釈するのがある。王晳は「曲とは卒伍の属、制とは其の行列進退を節制するなり。官とは群吏偏裨なり。道とは軍行及び舎る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ」と。部・曲・隊・伍はいずれも軍隊の編成単位。裨は裨将すなわち副将。偏は裨と同じ。校は指揮官。
○フランシス・ワン孫子:「法」とは、軍事制度(軍事体制)のことであるが、その中で「官道」即ち人事を、仏訳は「将校を適所へ昇進させる能力」と解して特色がある。
○守屋孫子:「法」とは、軍の編成、職責分担、軍需物資の管理など、軍制に関する問題である。 「法」とは軍制、軍律の意である。これがないと、兵士の一人ひとりがいかに強くても、軍としてのまとまりを欠き、たんなる烏合の衆と化してしまう。
○田所孫子:法とは、軍隊の編成組織のことで、これを三つに分けて、曲制・官道・主用となし、その曲制とは大隊・中隊・小隊・分隊等のような部隊編成であり、その官道とはそれぞれの部隊を統率指揮する部将のことであり、主用とは兵糧・弾薬等を取扱う兵站部のことである。
○重沢孫子:第五の”法”は、字面からも大体わかるように、部隊の戦闘力を保持するために不可欠な、体制保持の問題として理解します。曲は部曲などともいわれ、部隊の編成単位をなす隊列のこと。隊列の乱れは部隊の秩序に重大な混乱を生じますから、厳守します。制は、号令や情報などの伝達手段としての銅鑼・太鼓。旗幟などの規定を指します。官は、部隊の戦闘行動を側面から支える、裏方的な公務一般。道は、文字どおり道路のこと。部隊の行動はもちろん、戦闘資材や食糧の輸送などを確保するために、道路はきわめて重要です。主は、部隊が必要とする資財の管理。用は、部隊の所要経費。以上の五者、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。
○著者不明孫子:【曲制】部隊の編制の仕方。「曲」は部分・分けるの意で、ここでは軍隊を部分けした隊伍をいう。 【官道】指揮官の統率。「官」は各単位の部隊の隊長・副隊長その他の軍官。「道」は導く・指導・統率の意。「官道は裨校首長の統率必ず道有るなり」(裨校首長は副将以下の各級幹部)と注する梅堯臣の説がほぼ近い。その他、道を糧道とする説(曹操)その他諸説があるが、いずれも落ち着かない。 【主用】経理の運用の仕方。「主」は軍の経理を主管すること、またその人。「用」は軍の経費、またはその運用。
○諺義:法者、曲制官道主用也-曲は人衆を分つの法也。衆寡により士卒によつて、品々の法あること也。一よりおこり伍にいたり、伍よりくみわけて、百千萬に至れり。其のわかつ作法あること也。制は人衆をつかふの制法也。人相あつまるときは、紛雜[ごたごたとこみいっていること。紛錯(ふんさく)。]して聲通ぜず、このゆゑに其の耳目を一つにいたすため、金鼓旌旗烟火を用ひて、色と音とに約束を定め、人を進退せしめ、遠近を一にする、これを制法と云ふ。官は兵士それぞれに頭をつけ奉行をおきて、その下知をなさしむること也。五人より百千萬まで、段々に其のつかさを定めておくときは、衆又寡に同じきがごとくつかはるる也。心の四支をつかひ四支の指をうごかすが如くならしむるは官也。道は往来の道を考へ、其の遠近について、用法をつまびらかにきはめ、營法糧道利不利をはかること也。主はもののあづかりつかさどるの類を云ふ。粮食文書等にいたるまで、掌る所あるは主也。官と云ふに同義に似たりといへども、官は士卒についての長奉行を云ひ、主は事物大小事ともに皆そのあづかるものあること也。用は軍用也。諸色の品々多し。人馬・器械・用具・粮食・衣服にいたるまで、軍用をさして用と云ふ也。主用は舊説[旧説]皆二つに分てり。講義に主将の用と注して、主将の用を主用といへり。魏武帝及び李筌は主の掌の儀也と注す。全書(武徳全書)には、主者主守之人也と注す。留守をつかさどるものを云ふといへり。しかれども六段にわけて注すること、つまびらかにして相通ずる也。張賁はこれを三段にわかてり。部曲制有り、分官道有り、各をして其の用を主ら使むと。是れ三段にみるの説也。武経大全に云はく、一説に、制は必ずしも金鼓旗幟と指定せず、凡そ軍中の擧動皆一個の制有りと。亦是也。以上五事、孫子自ら注解して是れを以て兵法の経とし、軍事を治むるの要領とす。孫子十三篇は論ずるに及ばず、すべて此の五事は主将事を為すの大要也と知る可き也。
○孫子国字解:法とは、曲制、官道、主用なり。-是は五事の内の五曰法とある。其法と云は、如何様のことを云ぞと、其わけを説けり。法は法令なり。軍中の法度掟を云なり。人の生れの一様ならざること、面の異なるが如し。けなげ[①勇ましいさま。勇健。②しっかりして強いさま。すこやかなさま。健康。③殊勝。④(子供など弱い者が)けんめいに努めるさま。]なる人あり。臆病なる人あり。目のはやき[関心や注意が、すばやく向く。即座に見てとる。]人あり。手はしかき人あり。手ぬるき[きびしくない。扱いが寛大である。きっぱりせずまだるっこい。]人あり。足はやき人あり。おそき人あり。其外気だてかたぎ[気質-(「形木(かたぎ)」から転じて)①物事のやり方。慣習。ならわし。②顔やからだの様子。また、性質や気だて。③(「形気」「容気」「形儀」とも書く)身分・職業・年齢などに相応した特有の類型的な気風。]一様ならず。大将一人一人を直にひきまはさば、大将の心の如くになるべけれども、是又ならぬことなり。士大将の心々、又各別なれば、たとへば連碁[数人の者が二組に分かれ、一局の碁を何手かずつ代わる代わる打つこと。また、その碁。]を打が如し。一人よき手をすれば、次の人あしき手をうちて、前うちたる石は無になるは、心の一致せざる故なり。心一致すれば、千萬人の力ひとつに合て、一人の力となるゆへ、千萬人がけの力なり。心一致せざれば、千萬人われわれになりて、一人づつの力なり。故に軍には法度掟を定めて、千萬人の力を一人の力となすことなり。世間にきやりと云ふことあり。木やりを云ておんどを取り、ゑい音をそろへて、是をあぐれば、十人しても擧らぬ重き物も、五人してもあがるなり。十人の力よはきに非ず。五人の力つよきに非ず。力の一致すると、一致せぬとの違ひなり。きやりと云法に非れば、多くの人の力一致せざる如く、軍にも法と云もの有て、百萬の軍兵も我身を使ふが如し。されば道、天、地、将、法の五は、何れも一つとしてかけて叶はぬことなれども、道将法の三を又肝要とするなり。士卒の思ひつかざる大将の、士卒の一致したる大将と戦て勝つと云ふこと、古今其ためしなければ、道の肝要なること勿論なれども、それは平生のことにて、軍に臨んでは、将法の二にきはまる。将に五徳備るれば、天の時、地の利をあやまつことは、決してなきことなり。又法も、五徳備りたる将の、法度掟のあしきことはあるましき様なれども、何ほど五徳備るとも、いまだ聖人の地に至らずんば法の微妙を盡すことあたふまじ。よく名将の法を傳受して、つねづねも心をつけて吟味して、士卒につねづね是をならはしめ、よく練熟せざれば、たとひ五徳備る将とても、士卒吾が手足を使ふ如にならぬゆへ、法と云ものにてはなきなり。されば五事の内にても、尤法を肝要の至極とやすべき。古より名将のよく法を立置たる跡は、二代目の大将つぎにても、兵威先代にをとらぬことなりとぞ。扨この曲制、官道、主用と云に、古来様々の説あり。梅堯臣[北宋の詩人。字は聖兪。宣州宛陵(安徽宣城)の人。官は尚書都官員外郎。詩は深遠古淡。著「宛陵先生集」。(1002~1060)]茅元儀が説は、曲制と、官道と、主用と、三にわけて説けり。まづ曲制とは、備分陣取の法制なり。備立の根本は、人の家に東西南北の四の隣ありて、合て五を五人組と定むるより、五人を一伍と云、是備の元なり。十伍を一隊と云、五十人なり。二隊を一曲と云、百人なり。何萬人なりとも、是より段々に組立るゆへ、曲と云時は、備のことは皆こもるなり。備分の法制とは、如何様なることぞと云に、旗馬印[【旗標・旗印】戦場で、目じるしとして旗につける紋所・文字または種々のかたち。 【馬印・馬標・馬験】戦陣で、大将の馬側に立ててその所在を示す目標としたもの。天正(1573~1592)の頃はじまる。秀吉の千生瓢箪(せんなりびょうたん)、家康の開き扇の類。]、笠印[【笠標・笠符】戦陣で味方の目じるしに兜などにつけた標識。多くは小旗を用いた。]、袖印[【袖標・袖印】合印(あいじるし)の一種。戦陣などで敵・味方を見分けるため、鎧の左右の袖につけた小旗・布片の類。]、金太鼓、坐作進退の合圖なり。是にて何萬の人數にても、分合自在の變を、一人を使ふ如くならしむ。官道とは官の道なり。官と云は、軍中には、組頭、小組頭、旗奉行、鐵砲大将、弓大将、長柄頭[槍頭]、目付、使番[①安土桃山時代、戦時に伝令使となり、また、軍中に巡察した者。②江戸幕府の職名。若年寄に属し、戦陣では主命を伝え、平時には遠国役人の監察使・国目付・巡見使などを勤める。③江戸時代、将軍家の大奥の女中の職名。④走り使いをする者。]などとて、それぞれの役儀あり。是官なり。官の道と云は、各其役儀役儀にて、士卒をすべくくりて、それぞれのすぢ道あり。是は士大将のいろふこと、物頭のいろふこと、目付のいろふこと、いろはぬことと云筋みちあるなり。それゆへ曲制にて分ちて、官道にてつらぬくなり。主用と云は、用度をば主る人ありと云意なり。用度とは、兵粮、小荷駄、金銀米穀等、陣取の具、城攻の具、或は賓客のもてなし、褒美に與ふる物などなり。是皆主る役人別に有て、合戦を司る人はかまはぬことなるゆへ、官道の外に、又主用と云なり。軍中の法度掟は、右の三の上に立つことなるゆへ、法者曲制、官道、主用也と云なり。劉寅が説には、曲制官道を皆備分のことなりと云へり。其時は十伍を隊とし、二隊を曲とす。前に見へたり、二曲を官と云二百人なり。然れば曲も官も皆備組のことにて、曲制は備の法制なり。前の説と同じ。官道は備立陣取には往来の道を明け、又は備押の次第、兵粮の運送など皆道なり。扨主用と云は、主とし用ると云ことなり。曲制官道の仕形[仕方]、いかやうの陣法を主とし用ると云こと有て、是にて軍の勝負分るるゆへ、敵は何を主とし用る、味方は何を主とし用ると云ことを、たくらべはかりて、勝負を察すると云ことなりと云へり。此説も文勢の上にて云へば、宜しく聞ゆるなり。前の説と合せ見れば、事たらぬ様なれども、役分も用度も、備に付たるものなれば、右の二の説をよきとやすべき、又杜牧張預が説も、大抵右の二説の意に出ず。
○孫子評註:「法とは曲制(軍隊の部隊の編制。)・官道(各種の役職によって士卒を統御する組織。)・主用(経理・兵器・食料等の用度に関すること。)なり。」-張賁(唐代の学者。)云はく、「部曲(部隊。)、制あり、分官(役職の組織。)、道あり、各々其の用を主とせしむ」と。按ずるに、主用とは實用を主とするなり。曲制や官道や、何れの國かあることなからん。特(た)だ其の空文たるを患(うれ)ふるのみ。 ○地の字は、明かに地形・九地の二篇に於て詳かに之れを説き、法は則ち軍形・兵勢に具し、道と将と其の中に在り。
○曹公:曲制とは部曲旛[はた]幟金鼓の制なり。官とは百官の分なり。道とは糧路なり。主用とは主な軍費用なり。
○李筌:曲は部曲なり。制は節度なり。官は爵賞なり。道は路なり。主は掌なり。用とは軍費用なり。皆師の常法にして、将の治る所なり。
○杜牧:曲とは部曲・隊伍に分畫有るなり。制とは金鼓・旌旗に節制有るなり。官とは偏裨校列に、各官司有るなり。道とは營陳開闔[闔-とじる。]に、各道徑有るなり。主とは管庫・廝養[たきぎ取り、馬の世話などの雑役をする者。めしつかい。こもの。]職を守り、其の事を主張することなり。用とは車馬・器械、三軍須用[なくてはならないもの。]の物なり。荀卿曰く、械[道具]を用うるに數有り。兵とは食を以て本と為す。須らく先ず糧道を計利し、然る後師を興すべし。
○梅堯臣:曲制とは部曲、隊伍・分画に必ず制有るなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道有るなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度有るなり。
○王晳:曲とは卒伍の屬、制とは其の行列進退を節制することなり。官とは羣吏偏裨なり。道とは軍行及び舍る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ。
○張預:曲とは部曲なり。制とは節制なり。官とは偏裨[将軍の官名]の任を分つを謂う。道とは糧餉[餉-(携帯用に)ほした飯。かれいい。かれい。弁当。兵糧。]の路を利するを謂う。主とは軍資を職掌するの人なり。用とは費用の物を計度するなり。六者は兵を用いるの要なり。宜しく處置は其の法に有るべし。
意訳

○浅野孫子:第五の法とは、軍隊の部署割りを定めた軍法、軍を監督する官僚の職権を定めた軍法、君主が軍を運用するため将軍と交した、指揮権に関する軍法などのことである。
○金谷孫子:[第五の]法とは、軍隊編成の法規や官職の治め方や主軍の用度[などの軍制]のことである。
○天野孫子:第五の法とは、万端遺漏のない制度と、諸官の地位・職務の規定と、それらの運営とを言う。
○フランシス・ワン孫子:軍事制度(軍事体制)によって、彼我の軍の組織・編成、管理・統率力と将校を適所へ昇進させる能力(人事)、兵站ルートの管理・運営と軍の必需品に対する国家の供給能力をしるのである。
○町田孫子:法とは、軍隊編成の法規や官職の担当分野のきまりや、主軍の用度などについての軍制のことである。
○武岡孫子:法とは軍事制度に基づく軍隊の組織、編制、管理、統率力、人事、兵站の管理・運営と兵員および軍需品に対する国家の供給力。
○著者不明孫子:法とは、部隊の建制、軍官の統率、経理の運用などのことである。
○学習研究社孫子:法とは、詳細に定められた制度と、官吏の行動規則と、財政の運用をいうのである。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『法とは、曲制・官道・主用なり。』:本文注釈
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法-①おきて。規則。②(儀式の)しきたり。礼式。規範。③てだて。やりかた。④基準となる数。【解字】[灋]の略体。会意。「水」+「廌」(=珍獣の名)+「去」(=ひっこむ)。珍獣をおりの中に囲みこむ意。転じて、おきて・のりの意。
註


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○金谷孫子:曲制-曲は部曲すなわち軍隊の部わけ。それについての制度をいう。以下「主用」までの六字を六種に分けて解釈する説もある。 官道-道は治と同じ。軍中の職分の治め方。
○浅野孫子:曲制-軍隊内の部曲・部署分けの制度を定めた軍法をいう。 官道-軍を監督する官吏の職制や権限を定めた軍法。古代中国の軍制では、行軍篇に「吏の怒る者は倦むなり」と見えるように、常に各種の官吏が同行して軍を監督した。 主用-軍の運用について、君主と将軍との間に取り決められた、指揮命令系統上の軍法を指す。地形篇に「戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うも、必ず戦いて可なり。戦道勝たざれば、主は必ず戦えと曰うも、戦う無くして可なり」とあるように、古代中国の軍制では、君主は割り符を持たせた使者を前線の将軍のもとへ派遣して、背後から軍の運用を指揮・制御した。
○武岡孫子:曲制-編制 官道-服務規律 主用-軍用品
○天野孫子:法者曲制官道主用也-「曲制」「官道」「主用」について『孫子』十三篇にそれを説くものがない。『鶡冠子』天則篇に「法とは曲制官備主用なり」とあって、それは行政上の諸官制度として述べてあるが、この句も同様であろう。その具体的内容は知り得ないが、一応「曲制」とは国政上つぶさに整備された制度、「官道」とは諸官の地位・職務などの規定、「主用」とは用をつかさどることであるから、国政上の種々の運営の意に解する。『新釈』は「孫子は素より兵法の書ではあるけれども、戦勝の根柢を強固にする為に政治・経済等の全般に亘って説いてをるのである。五事の如きは一国の国政の大綱を論じてをるのであって、決して軍隊内部の事のみに限定せられてをるのではない。此の事は既に『道』の定義に於て孫子が『卒』と言はずして『民』と明瞭に言ってをる所に表はれてゐる。この『法』も亦一国の国政全般に関する法であって、決して軍隊のみの編制や坐作[すわることとたつこと。たちい。動作。]進退の法に限ったものではない」として、「曲制」を分課分掌の制度、「官道」を上下官職の秩序、「主用」を曲制・官道共に其の運用の宜しきを得ることとしている。一説に兵法上のことと解して、梅堯臣は「曲制とは、部曲、隊伍、分画に必ず制あるなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道あるなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度あるなり」と。また、曲制官道主用を三分して解釈する外に、六分して解釈するのがある。王晳は「曲とは卒伍の属、制とは其の行列進退を節制するなり。官とは群吏偏裨なり。道とは軍行及び舎る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ」と。部・曲・隊・伍はいずれも軍隊の編成単位。裨は裨将すなわち副将。偏は裨と同じ。校は指揮官。
○フランシス・ワン孫子:「法」とは、軍事制度(軍事体制)のことであるが、その中で「官道」即ち人事を、仏訳は「将校を適所へ昇進させる能力」と解して特色がある。
○守屋孫子:「法」とは、軍の編成、職責分担、軍需物資の管理など、軍制に関する問題である。 「法」とは軍制、軍律の意である。これがないと、兵士の一人ひとりがいかに強くても、軍としてのまとまりを欠き、たんなる烏合の衆と化してしまう。
○田所孫子:法とは、軍隊の編成組織のことで、これを三つに分けて、曲制・官道・主用となし、その曲制とは大隊・中隊・小隊・分隊等のような部隊編成であり、その官道とはそれぞれの部隊を統率指揮する部将のことであり、主用とは兵糧・弾薬等を取扱う兵站部のことである。
○重沢孫子:第五の”法”は、字面からも大体わかるように、部隊の戦闘力を保持するために不可欠な、体制保持の問題として理解します。曲は部曲などともいわれ、部隊の編成単位をなす隊列のこと。隊列の乱れは部隊の秩序に重大な混乱を生じますから、厳守します。制は、号令や情報などの伝達手段としての銅鑼・太鼓。旗幟などの規定を指します。官は、部隊の戦闘行動を側面から支える、裏方的な公務一般。道は、文字どおり道路のこと。部隊の行動はもちろん、戦闘資材や食糧の輸送などを確保するために、道路はきわめて重要です。主は、部隊が必要とする資財の管理。用は、部隊の所要経費。以上の五者、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。
○著者不明孫子:【曲制】部隊の編制の仕方。「曲」は部分・分けるの意で、ここでは軍隊を部分けした隊伍をいう。 【官道】指揮官の統率。「官」は各単位の部隊の隊長・副隊長その他の軍官。「道」は導く・指導・統率の意。「官道は裨校首長の統率必ず道有るなり」(裨校首長は副将以下の各級幹部)と注する梅堯臣の説がほぼ近い。その他、道を糧道とする説(曹操)その他諸説があるが、いずれも落ち着かない。 【主用】経理の運用の仕方。「主」は軍の経理を主管すること、またその人。「用」は軍の経費、またはその運用。
○諺義:法者、曲制官道主用也-曲は人衆を分つの法也。衆寡により士卒によつて、品々の法あること也。一よりおこり伍にいたり、伍よりくみわけて、百千萬に至れり。其のわかつ作法あること也。制は人衆をつかふの制法也。人相あつまるときは、紛雜[ごたごたとこみいっていること。紛錯(ふんさく)。]して聲通ぜず、このゆゑに其の耳目を一つにいたすため、金鼓旌旗烟火を用ひて、色と音とに約束を定め、人を進退せしめ、遠近を一にする、これを制法と云ふ。官は兵士それぞれに頭をつけ奉行をおきて、その下知をなさしむること也。五人より百千萬まで、段々に其のつかさを定めておくときは、衆又寡に同じきがごとくつかはるる也。心の四支をつかひ四支の指をうごかすが如くならしむるは官也。道は往来の道を考へ、其の遠近について、用法をつまびらかにきはめ、營法糧道利不利をはかること也。主はもののあづかりつかさどるの類を云ふ。粮食文書等にいたるまで、掌る所あるは主也。官と云ふに同義に似たりといへども、官は士卒についての長奉行を云ひ、主は事物大小事ともに皆そのあづかるものあること也。用は軍用也。諸色の品々多し。人馬・器械・用具・粮食・衣服にいたるまで、軍用をさして用と云ふ也。主用は舊説[旧説]皆二つに分てり。講義に主将の用と注して、主将の用を主用といへり。魏武帝及び李筌は主の掌の儀也と注す。全書(武徳全書)には、主者主守之人也と注す。留守をつかさどるものを云ふといへり。しかれども六段にわけて注すること、つまびらかにして相通ずる也。張賁はこれを三段にわかてり。部曲制有り、分官道有り、各をして其の用を主ら使むと。是れ三段にみるの説也。武経大全に云はく、一説に、制は必ずしも金鼓旗幟と指定せず、凡そ軍中の擧動皆一個の制有りと。亦是也。以上五事、孫子自ら注解して是れを以て兵法の経とし、軍事を治むるの要領とす。孫子十三篇は論ずるに及ばず、すべて此の五事は主将事を為すの大要也と知る可き也。
○孫子国字解:法とは、曲制、官道、主用なり。-是は五事の内の五曰法とある。其法と云は、如何様のことを云ぞと、其わけを説けり。法は法令なり。軍中の法度掟を云なり。人の生れの一様ならざること、面の異なるが如し。けなげ[①勇ましいさま。勇健。②しっかりして強いさま。すこやかなさま。健康。③殊勝。④(子供など弱い者が)けんめいに努めるさま。]なる人あり。臆病なる人あり。目のはやき[関心や注意が、すばやく向く。即座に見てとる。]人あり。手はしかき人あり。手ぬるき[きびしくない。扱いが寛大である。きっぱりせずまだるっこい。]人あり。足はやき人あり。おそき人あり。其外気だてかたぎ[気質-(「形木(かたぎ)」から転じて)①物事のやり方。慣習。ならわし。②顔やからだの様子。また、性質や気だて。③(「形気」「容気」「形儀」とも書く)身分・職業・年齢などに相応した特有の類型的な気風。]一様ならず。大将一人一人を直にひきまはさば、大将の心の如くになるべけれども、是又ならぬことなり。士大将の心々、又各別なれば、たとへば連碁[数人の者が二組に分かれ、一局の碁を何手かずつ代わる代わる打つこと。また、その碁。]を打が如し。一人よき手をすれば、次の人あしき手をうちて、前うちたる石は無になるは、心の一致せざる故なり。心一致すれば、千萬人の力ひとつに合て、一人の力となるゆへ、千萬人がけの力なり。心一致せざれば、千萬人われわれになりて、一人づつの力なり。故に軍には法度掟を定めて、千萬人の力を一人の力となすことなり。世間にきやりと云ふことあり。木やりを云ておんどを取り、ゑい音をそろへて、是をあぐれば、十人しても擧らぬ重き物も、五人してもあがるなり。十人の力よはきに非ず。五人の力つよきに非ず。力の一致すると、一致せぬとの違ひなり。きやりと云法に非れば、多くの人の力一致せざる如く、軍にも法と云もの有て、百萬の軍兵も我身を使ふが如し。されば道、天、地、将、法の五は、何れも一つとしてかけて叶はぬことなれども、道将法の三を又肝要とするなり。士卒の思ひつかざる大将の、士卒の一致したる大将と戦て勝つと云ふこと、古今其ためしなければ、道の肝要なること勿論なれども、それは平生のことにて、軍に臨んでは、将法の二にきはまる。将に五徳備るれば、天の時、地の利をあやまつことは、決してなきことなり。又法も、五徳備りたる将の、法度掟のあしきことはあるましき様なれども、何ほど五徳備るとも、いまだ聖人の地に至らずんば法の微妙を盡すことあたふまじ。よく名将の法を傳受して、つねづねも心をつけて吟味して、士卒につねづね是をならはしめ、よく練熟せざれば、たとひ五徳備る将とても、士卒吾が手足を使ふ如にならぬゆへ、法と云ものにてはなきなり。されば五事の内にても、尤法を肝要の至極とやすべき。古より名将のよく法を立置たる跡は、二代目の大将つぎにても、兵威先代にをとらぬことなりとぞ。扨この曲制、官道、主用と云に、古来様々の説あり。梅堯臣[北宋の詩人。字は聖兪。宣州宛陵(安徽宣城)の人。官は尚書都官員外郎。詩は深遠古淡。著「宛陵先生集」。(1002~1060)]茅元儀が説は、曲制と、官道と、主用と、三にわけて説けり。まづ曲制とは、備分陣取の法制なり。備立の根本は、人の家に東西南北の四の隣ありて、合て五を五人組と定むるより、五人を一伍と云、是備の元なり。十伍を一隊と云、五十人なり。二隊を一曲と云、百人なり。何萬人なりとも、是より段々に組立るゆへ、曲と云時は、備のことは皆こもるなり。備分の法制とは、如何様なることぞと云に、旗馬印[【旗標・旗印】戦場で、目じるしとして旗につける紋所・文字または種々のかたち。 【馬印・馬標・馬験】戦陣で、大将の馬側に立ててその所在を示す目標としたもの。天正(1573~1592)の頃はじまる。秀吉の千生瓢箪(せんなりびょうたん)、家康の開き扇の類。]、笠印[【笠標・笠符】戦陣で味方の目じるしに兜などにつけた標識。多くは小旗を用いた。]、袖印[【袖標・袖印】合印(あいじるし)の一種。戦陣などで敵・味方を見分けるため、鎧の左右の袖につけた小旗・布片の類。]、金太鼓、坐作進退の合圖なり。是にて何萬の人數にても、分合自在の變を、一人を使ふ如くならしむ。官道とは官の道なり。官と云は、軍中には、組頭、小組頭、旗奉行、鐵砲大将、弓大将、長柄頭[槍頭]、目付、使番[①安土桃山時代、戦時に伝令使となり、また、軍中に巡察した者。②江戸幕府の職名。若年寄に属し、戦陣では主命を伝え、平時には遠国役人の監察使・国目付・巡見使などを勤める。③江戸時代、将軍家の大奥の女中の職名。④走り使いをする者。]などとて、それぞれの役儀あり。是官なり。官の道と云は、各其役儀役儀にて、士卒をすべくくりて、それぞれのすぢ道あり。是は士大将のいろふこと、物頭のいろふこと、目付のいろふこと、いろはぬことと云筋みちあるなり。それゆへ曲制にて分ちて、官道にてつらぬくなり。主用と云は、用度をば主る人ありと云意なり。用度とは、兵粮、小荷駄、金銀米穀等、陣取の具、城攻の具、或は賓客のもてなし、褒美に與ふる物などなり。是皆主る役人別に有て、合戦を司る人はかまはぬことなるゆへ、官道の外に、又主用と云なり。軍中の法度掟は、右の三の上に立つことなるゆへ、法者曲制、官道、主用也と云なり。劉寅が説には、曲制官道を皆備分のことなりと云へり。其時は十伍を隊とし、二隊を曲とす。前に見へたり、二曲を官と云二百人なり。然れば曲も官も皆備組のことにて、曲制は備の法制なり。前の説と同じ。官道は備立陣取には往来の道を明け、又は備押の次第、兵粮の運送など皆道なり。扨主用と云は、主とし用ると云ことなり。曲制官道の仕形[仕方]、いかやうの陣法を主とし用ると云こと有て、是にて軍の勝負分るるゆへ、敵は何を主とし用る、味方は何を主とし用ると云ことを、たくらべはかりて、勝負を察すると云ことなりと云へり。此説も文勢の上にて云へば、宜しく聞ゆるなり。前の説と合せ見れば、事たらぬ様なれども、役分も用度も、備に付たるものなれば、右の二の説をよきとやすべき、又杜牧張預が説も、大抵右の二説の意に出ず。
○孫子評註:「法とは曲制(軍隊の部隊の編制。)・官道(各種の役職によって士卒を統御する組織。)・主用(経理・兵器・食料等の用度に関すること。)なり。」-張賁(唐代の学者。)云はく、「部曲(部隊。)、制あり、分官(役職の組織。)、道あり、各々其の用を主とせしむ」と。按ずるに、主用とは實用を主とするなり。曲制や官道や、何れの國かあることなからん。特(た)だ其の空文たるを患(うれ)ふるのみ。 ○地の字は、明かに地形・九地の二篇に於て詳かに之れを説き、法は則ち軍形・兵勢に具し、道と将と其の中に在り。
○曹公:曲制とは部曲旛[はた]幟金鼓の制なり。官とは百官の分なり。道とは糧路なり。主用とは主な軍費用なり。
○李筌:曲は部曲なり。制は節度なり。官は爵賞なり。道は路なり。主は掌なり。用とは軍費用なり。皆師の常法にして、将の治る所なり。
○杜牧:曲とは部曲・隊伍に分畫有るなり。制とは金鼓・旌旗に節制有るなり。官とは偏裨校列に、各官司有るなり。道とは營陳開闔[闔-とじる。]に、各道徑有るなり。主とは管庫・廝養[たきぎ取り、馬の世話などの雑役をする者。めしつかい。こもの。]職を守り、其の事を主張することなり。用とは車馬・器械、三軍須用[なくてはならないもの。]の物なり。荀卿曰く、械[道具]を用うるに數有り。兵とは食を以て本と為す。須らく先ず糧道を計利し、然る後師を興すべし。
○梅堯臣:曲制とは部曲、隊伍・分画に必ず制有るなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道有るなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度有るなり。
○王晳:曲とは卒伍の屬、制とは其の行列進退を節制することなり。官とは羣吏偏裨なり。道とは軍行及び舍る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ。
○張預:曲とは部曲なり。制とは節制なり。官とは偏裨[将軍の官名]の任を分つを謂う。道とは糧餉[餉-(携帯用に)ほした飯。かれいい。かれい。弁当。兵糧。]の路を利するを謂う。主とは軍資を職掌するの人なり。用とは費用の物を計度するなり。六者は兵を用いるの要なり。宜しく處置は其の法に有るべし。
意訳


○浅野孫子:第五の法とは、軍隊の部署割りを定めた軍法、軍を監督する官僚の職権を定めた軍法、君主が軍を運用するため将軍と交した、指揮権に関する軍法などのことである。
○金谷孫子:[第五の]法とは、軍隊編成の法規や官職の治め方や主軍の用度[などの軍制]のことである。
○天野孫子:第五の法とは、万端遺漏のない制度と、諸官の地位・職務の規定と、それらの運営とを言う。
○フランシス・ワン孫子:軍事制度(軍事体制)によって、彼我の軍の組織・編成、管理・統率力と将校を適所へ昇進させる能力(人事)、兵站ルートの管理・運営と軍の必需品に対する国家の供給能力をしるのである。
○町田孫子:法とは、軍隊編成の法規や官職の担当分野のきまりや、主軍の用度などについての軍制のことである。
○武岡孫子:法とは軍事制度に基づく軍隊の組織、編制、管理、統率力、人事、兵站の管理・運営と兵員および軍需品に対する国家の供給力。
○著者不明孫子:法とは、部隊の建制、軍官の統率、経理の運用などのことである。
○学習研究社孫子:法とは、詳細に定められた制度と、官吏の行動規則と、財政の運用をいうのである。
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2012-03-04 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『将とは、智・信・仁・勇・厳なり。』:本文注釈
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将-①軍隊をひきいる(人)。近衛(こんえ)府や近代的軍隊組織で長官・次官級の武官名にも用いる。②ひきつれる。たずさえ持つ。③まさに…せんとす。今にも…しようとする。④はた。はたまた。あるいは。【解字】「將」は、もと寸部8画。形声。「月」(=肉)+「寸」(=手)+音符「爿」(=大きい台)。机上に肉をのせて神にそなえすすめる意。神をまつる者は族長なので、統率者の意味が生じたという。
智-①頭のはたらき。理解し判断する力。②物事を判断する能力にすぐれている。かしこい。ものしり。
信-①まこと。うそ・いつわりを言わない。誠実。儒教で、五常[①儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。②[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。③[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。④[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]の一つ。②(相手の言葉を)まこととして疑わない。心から従う。③たより。手紙。伝達手段。④「信濃国」の略。【解字】会意。「人」+「言」。その人の言葉と心が一致している意。
仁-①人としての思いやり。いつくしみ。なさけ。②ひと。人物。③果実の核の中身。【解字】形声。「人」+音符「二」。人が二人並ぶ意を表し、仲間としての親しみを意味する。孔子はこの仲間意識を広く人に及ぼすことを説き、「仁」を儒教の根本理念とした。
勇-いさましい(気力)。いさむ。恐れず意気がさかんである。思い切りがいい。おじけず心を奮い立たせる。【解字】形声。「力」+音符「甬」(=わき出る)。体内からわき出る力の意。
厳-①おごそか(にする)。いかめしい。犯しがたい。②きびしい。はげしい。家庭内で母親の「慈」に対して父親に関する語として用いる。【解字】形声。「嚴」の下半部は音符で、きびしい、きつい意。「口」二つ(=口うるさく責める)を加えて、きびしくいましめる意。
註

○守屋孫子:「将」とは、知謀、信義、仁慈、勇気、威厳など将帥の器量にかかわる問題である。
○著者不明孫子:【将】将軍・大将。各単位各級の将があるが、ここは全軍の最高統率者である一人の主将・大将を指すのであろう。 【信】信義の信。うそをつかない。偽りがないこと。
○田所孫子:将とは、智と信と仁と勇と厳とを兼備した人物でなければならぬとの意。
○重沢孫子:第四は、指揮官の問題です。およそ指揮官たる者は、その地位の高下にかかわりなく、すべてこの五種の能力を身につけていなければならない。智は、創造性ゆたかな、思考・判断能力の総称。もちろん臨機応変の作戦能力を含みます。信は、他人を欺かない、他人に欺かれない道徳性。仁は、自分自身と同じように、他人を大切にする道徳性。当然、犠牲的精神が含まれます。勇は、正義を愛し不義を憎む実践的精神力。厳は、他人に対するのと同じように、自己に対して厳格である道徳性。この五者を兼ね備えていない限り、死生を争う条件下で部隊を指揮し、勝利を得ることはできないと、孫子は考えるのでした。ここにいう”将”は現地の指揮官を意味し、中央のいかなる高官でもまた君主でもありません。部隊の指揮官としてひとたび君命を受けた時点から、その部隊の全責任は完全に指揮官の手中に収められ、任命権者の君主でさえも何ら干渉できないという、厳然たる掟があります。このくらい厳格な指揮系統を確立しておかないと、実戦部隊の実効的活動に支障を来す可能性があったためですが、”将”に要求されているこの五条件は、こういう実情を背景において考えるとき、その必然性がよく理解できるのではないでしょうか。
○天野孫子:将者智信仁勇厳也-「将」は一国の軍の総大将。その下の武将は地形篇・行軍篇で、大吏・吏と言う。「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。『直解』は「人の情に達し、事の微を見、詐も惑はす能はず、讒も入る能はず、変に応じて常無く、禍を転じて福と為す。此れ将の智なり」と。「信」は将の部下からの信頼。九地篇に「令せずして信あり」と。一説に『直解』は「進んで重賞あり、退きて重罰あり。賞は親しきに私せず、罰は貴きを避けず。政に二三無く、誠に能く衆を服す。此れ将の信なり」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。地形篇に「卒を視ること嬰児の如し」と。「勇」は何ものにも恐れない勇気。『諺義』は「勇は恐れざるなり。強きものに臨んでよく忍びつとめ、危きを恐れざるなり。専ら勇剛の一事をさすにあらず」と。「厳」は軍の統率力としての威厳。行軍篇に「軍、擾るるは、将、重からざるなり」と。『直解』は「軍政整斉し、号令一の如く、三軍、将を畏れて敵を畏れず、令を奉じて詔を奉ぜず。望む可くして近づく可からず、殺す可くして敗る可からず。此れ将の厳なり」と。
○佐野孫子:将者、智・信・仁・勇・厳也-「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。「信」は将の部下からの信頼。孔子曰く「人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり」、「民、信なければ立たず」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。「勇」は、強きものに臨んでよく忍びつとめること。「厳」は軍の統率力としての威厳。此等を「将の五徳」とも云う。
○孫子諺義:将とは主の下にて兵をつかさどる武将を云ふ也。武将此の五つをそなふるものを用ひざれば、兵事全からざる也。戦の勝敗は、一将にかかる、国家の大事のよるところなれば、そのえらび尤も重し。智は智慧也、謀を好みて事を行ふを智と云ふ。智恵あらざれば、物に通じ變に應ずることを得ざる也。此の篇に察と云ひ、経と云ひ、索と云ふ、智を本として皆しるせる言也。されば智あらざれば物に惑ひて決せず、先づ智なきゆゑに事機に通ぜざる也。信はまこと也。心正しくしていつはりなく、能くまことある也。大事を任ずるの大将、いつはりあつては大軍のつかさなりがたく、急に臨みて節を變ずるになりぬべし。仁は心の温和にして下より事を云ひ、よくやはらかなる也。仁愛の心うすくしては諸卒の心をうることかたし。勇は強きを恐れず、ものに臨んでよくしのびつとめあやふきを恐れざる也。専ら勇剛の一事をさすにあらず。厳は威儀あつておごそかなること也。威あつて壮厳なきときは、将の器そなはらず。此の五事一つもかくるときは武将の実にあらざる也。武将より下すゑずゑ(末々)の物頭[①物の長。かしら。②武家時代、弓組・鉄砲組などを率いる者。物主(ものぬし)。武頭(ぶがしら)・ものがしら。足軽大将。③能楽で、頭にいただく冠り物。]・物奉行と云へども、此の心得を以て用捨いたし選ぶ可きもの也。此の五徳相備ふるものはいつとてもまれなるべし。しかれども此の書は、きはめて其の極を論ずるがゆゑに此の如く五徳をさす也。此の五つかねては智仁勇也。孫子が云ふ所は、智の一字にて四をつかぬる也。智は四の内をはなれざる也。ゆゑに七計の内に至りては将を論ずるに能を以てする也。 今案ずるに、太公は将を論じ、勇智仁信忠を以て将の五材と為し、自ら之れを釋[意味をとき明かす。]して曰はく、勇あるヰは則犯す可からず、智あるヰは則乱す可からず、仁あるヰは則人を愛し、信あるヰは則欺く可からず、忠あるヰは則二心無しと。李騰芳・施子美は謂ふ、太公克つことを重んず。故に勇を以て先と為す。孫子は始計を重んず。故に智を以て先と為すと。愚[自分(に関する物事)をへりくだっていう語。]謂ふに太公は兵を治世談ず。故に勇を以て先と為す。孫子は兵を戦国に談ず。故に智を以て先と為す。治世は勇を用ふるに所無し。故に勇必ず足らず。戦国には智を練るに暇あらずして、勇自ずから餘り有り。太公孫子共に足らざるを揚げて、教と為す。各人君時勢の抑揚に據りて当る所有り。何ぞ優劣を論ぜんや。司馬法に曰はく、仁を以て本と為すと。此れは是れ聖人兵を用ひて以て天下を愛するの心也。将を論ずるの事に非ず。観る者玩味[意義をよく味わうこと。]す可しなり。案ずるに、古人云はく、古の臣を使ふには、仁者をして賢者を佐け使め、賢者をして仁者を佐け使めず。言うこころは仁者は惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]の心有り、多才の者の権略[臨機応変の計略。権謀。]有るに如かず、是将帥は材知を以て體と為し、仁を以て佐と為す也。然れども不仁なるときは則多材亦之れを用ふるに足らず。知宣子(晋の卿、このこと国語の晋語九に出づ)将に瑤を以て後と為んとす。知果(知氏の一族)が曰はく、宵に如かず。宣子云ふ、宵や狠[①心がねじけている。残忍。凶悪。②はなはだ。③こらえる。④怒る。憤る。]れりと。知果が云はく、宵が之狠るは面[人の顔。おもて。つら。]に在り、瑤が之狠るは心に在り、心狠るときは国を敗り、面狠るは害あらず、瑤が之人に賢れる者五、其の逮ばざる一、(仁也)美髩の長大なるは則賢り、射御[弓術と馬術。射騎。]力足るは(原本の讀方なり、足力とも讀み得)則賢り、伎藝[歌舞音曲など芸能に関するわざ。遊芸。]畢給たるは則賢り、巧文辯惠則賢り、彊毅[心が強く、しっかりしていること。]果敢[決断力が強く、大胆に物事を行うさま。]則賢れり、是の如くにして甚だ不仁なり、其の五賢を以て人を陵ぎて不仁を以て之れを行ふ、其れ誰か能く之れを待たん、若し果たして瑤を立てば、知が宗は必ず滅びんと。聽か弗。知果族を于太史に別ちて、輔氏と為る、知氏が之亡ぶるに及びて、唯だ輔果のみ在り。凡そ撰擧の道は、本末有り常變有り、一齊に之れを議[①はかる。寄り合って相談する。論じ合って是非を決める。②相談の内容。意見。③思いはかる。意見を言う。批判する。【解字】形声。「言」+音符「義」(=道にかなって正しい)。話し合って事のよろしきを定める意。]す可からず。
○孫子国字解:『将とは、智、信、仁、勇、厳なり』 此段は、五事の内にて、四曰将とある。其将と云は如何様なることぞと、其わけを云へり。将は大将なり。大将たる人は、此五つの徳を備ふべきことなりと云意なり。智は智慧なり。智慧と云は世間に云ふ、利口発明なることにも非ず。又学問博くして、様々のことを知たるにも非ず。又弓馬剣術、鎗長刀等の、種々の芸能の奥義を究めたるにも非ず。又悟道発明して、三世[①〔仏〕過去・現在・未来。また、前世・現世・後世(来世)。三際。②父・子・孫の3代。]に通達したる智慧にもあらず。唯よく人情にぬけとをりて、上たる者下たる者、敵となり味方となる、様々の人の心あんばいをよく知り、かやうなることを喜び、かやうなることをいやがり、一旦はかやうなることを悦べども、奥意はかやうなることに云意なる、人の心ゆきをよく知り、事の大くならぬ前に此事は末にかやうになると云ことを、早く見付けて、如何様なる詐りにてもだまされず、如何様なる讒言にても惑はされず、又事の變の来る時、其變に應じてそれぞれに取扱ふこと、定まりたることなく、よく其宜しきに叶ひ、禍の来るをよく取扱て福となす。是等を将たる者の智と云なり。信はまことなり。まこととは平生人のうろん[①乱雑であること。いいかげんであること。また、不誠実なこと。②疑わしいこと。うさんくさいこと。]なるを嫌ひ、物の眞實なるを好み、我も少しの約束をも違へぬ様にし、前方かやうに云たる詞あるに、今かやうにせば、誰か心に恥かしきなどと云ふ様なるを、世間にては信と覺ゆれども、それは兒女子の信にて、将たる人の信に非ず。心至てせばく、たよはくせまりたる人のすることなり。将たる人の信と云は、賞罰の定めの上に付て、かやうなるをは賞すべきと號令を出したらば、たとひ吾がにくき人なりとも、約束の如く賞し、吾が贔負なる人なりとても、軽き功を重く賞せず、又かやうなるをば罰すべきと、號令を出したらば、貴人をも避けず、親類をも贔負せず、気に合たる人をも、過あれば是を罰す。下知法度を變じかゆることなく、我身の大儀なることにても、先だちて出したる法度なれば、少しもかゆることなく、とかく賞罰號令などの様なる、萬民へわたることを、約束の違はぬ様にすれば、将の誠、民士卒の心にぬけとをりて、民士卒深く心服し、少しも上を疑ひうろんに思ふことなし。是を将たる人の信と云ふ也。仁と云は慈悲なり。慈悲と云へばとて、かほつき愛敬らしく、もの云ひやさしくて、人をだまし、或は金銀綿帛を與へて人をだまし、或は慈悲善根とて、非人乞食に物をとらせ、僧法師を供養する類は、婦人の仁にして、大将の仁に非ず。利勘[利益を打算してかかること。勘定高いこと。]細かにして、少しつつの規模立身をさせて、人をいさまする方便[手ががり。手段]をしかけ、手をよく物やはらかにして、人をだます類は、皆眞實の仁に非ず。大将たる人の仁は、ただ人の飢寒をよく知り、士卒と辛苦を同じくし、萬民を安堵なさしむることなり。士卒の病気を尋ては顔色をしはめ、手疵をかふふり、打死したると聞ては、涕をながし、功ある人の子孫を棄ず、ふるきなじみを忘れず、民士卒の妻子を養ひ、朝夕安堵の思ひをなす様にするを、将たる人の仁とは云なり。勇は武勇なり。是も武勇を鼻にかけ、高慢甚だしく、陽気を専らにし、喧嘩口論をこのみ、或は力つよきを武と思ひ、或は武芸はやわざを武と心得るたぐひは、将たる人の勇には非ず。将の勇と云は、大軍を畏れず、猛勢をも物の數ともせず、小勢にても戦ふべき圖をはずさづ、敗軍しての後にも勇気くじけず、敵に逢ては心鬭ひ、後詰[後方に配置する陣立て。後続の軍隊。]をするには、大敵の内へも飛入り、又大敵に圍れては打破て必出で、危き場にもひるまぬを、将たる人の勇と云なり。厳はきびしきと讀て、威[①人をおそれ従わせる勢力や品格(をそなえている)。いかめしい。②人をおそれさせる。おどす。よろいの札(さね)をつづり合わせる意の「おどす」にもこの字を当てる。【解字】会意。「女」+「戊」(=ほこ)。弱い女をほこでおどす意。]の強きことなり。されども威を強くすればとて、頷にて人を使ひ、目にて人を使ひ、かほつきをけうとくして、人のよりつかぬ様にすることにも非ず。又あらけなく[(ナシは甚だしいの意)荒々しい。大層乱暴である。]人をしかり、少しのことをとがめ、瑣細なる法度を立て、諫言の舌を箝ましむる[箝-口をふさぐ。つぐむ]ことを云にも非ず。将たる人の厳と云は、軍中の法令千萬人を使ふも、一人使ふ如く、人馬の足音ばかり聞えて、物云ふ音はせず。陣取、備立[軍陣を用意すること。陣立て。]、役分、行列、金太鼓の作法、旗の進めやう、懸るも引も、合も分るるも變化自在にして手間とることなく、軍兵将を畏れて敵を畏れず、将の下知を守て君の下知をも用ひず、かやうなる将は、忍び入て殺すことはなるべけれども、其備を敗ることは曾て叶はぬなり。皆将たる人の一心の威より起て、一人をも殺さねども、よく三軍の心を畏れしむ。是将たる人の厳なり。大凡智ある人は勇たらず、勇なる人は智たらず、仁なれば厳ならず、厳なれば仁ならず、四の徳備はりても、信また備り難し。敵の将と味方の将とを、此五徳を以てたくらべはかりて、其優劣を以、軍の勝負を知ことを云なり。近頃の学者に、この五徳を仁義禮智信の五常[儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。㋐[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。㋑[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。㋒[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]に引合せて、曲説を云ものあり。五常は人の心に具はる理なり。此五徳は将の器量を云て、各別のことなり。用べからず。
○孫子評註:太公(太公望呂尚。「将を論ずるや云々」は、呂尚の著と称される『六韜』の論将篇に将の五材をあげて、勇・智・仁・信・忠と言っているのを指す。)の将を論ずるや勇を先にす。而して孫子は智を先にす。呉子(呉子は呉起。彼の書いた兵書を『呉子』という。「勇の将に於ける云々」は同書の論将篇の語。)云はく、「勇の将に於けるや、乃ち數分の一のみ」と。又太公は忠を言ひ、而して孫子は嚴を言ふ。嚴とは是れ荘重(おごそかで重々しいこと。)にして犯すべからざるなり。孫子の持論全くここに在り。故に篇々此の意を見る。而して史遷(漢の太史司馬遷。『史記』の著者。姫を斬った事は『史記』の孫子呉起列伝にある。孫武が呉王闔閭にまみえ、美姫百八十名を二隊に分け、みずから将となって用兵の術を試みた。王の愛姫が隊長になって将の命に従わなかったので、孫武は遂にこれを斬った。隊士は始めて粛然としたという。)の孫武を傳するや、獨り姫を斬るの一事を論じて、殊に其の他に及ばず。洞識(深い見識。)と謂ふべし。
○曹公:将は五徳備わるに宜しきなり。
○李筌:此の五者は将の徳を為す。故に師は丈人[長老の敬称。]の稱有るなり。
○杜牧:先王の道は仁を以て首と為す。兵家者流は智を用い先と為す。蓋し智者は能く機権・變通[臨機応変に事を処すること。物事に拘泥せず、自由自在に変化・適応して行くこと。]を識るなり。信とは人をして刑賞に惑わしめざるなり。仁とは人を愛し物を憫れみ勤労を知るなり。勇とは勝ちを決し勢に乗り逡巡[ぐずぐずすること。ためらうこと。しりごみすること。]せざるなり。厳とは威刑を以て三軍を肅する[①心をひきしめてかしこまる。つつしむ。②規律などをひきしめる。③ひきしまっていて物音がしない。しいんとしている。]なり。楚は申包胥をして越に使わしむ。越王勾践将に呉を伐たんとす。焉に戦を問う。夫れ戦の智は始を為す。仁は之に次ぐ。勇は之に次ぐ。智ならずば則民の極を知る能わず。以て天下の衆寡を詮度[詮-①言葉を尽くして道理を説く。②つきつめる。③最終的な効果。かい。④究極の手だて。②以下は、①から転じた日本での用法。]すること無し。仁ならずば則三軍を與え飢労の殃を共にすること能わず。勇ならずば則疑いを斷じ以て大計を發すること能わずなり。
○賈林:専ら智に任せば則賊[①武器で人を傷つける。害を与える。そこなう。②他人の財貨を盗みとる者。ぬす人。③天子や国に害をなす者。謀反人。【解字】形声。「戈」(=ほこ)+音符「則」(=傷つける)の変形。武器で相手を傷つける意。一説に、「貝」(=財貨)+「戎」(=武器)の会意文字で、相手を武器で傷つけて財貨をとる意。]となり、仁を施せば則固なり。信を守れば則愚なり。勇力に恃めば則暴なり。令厳に過ぎれば則殘う。五者は兼備す。其用に適えば則将帥を為す可し。
○梅堯臣:智は能く謀を發す。信は能く賞罰す。仁は能く衆に附く。勇は能く果断[思い切ってするさま。]す。厳は能く威を立つ。
○王晳:智とは先ず見して惑わず、能く謀慮・権變に通ずるなり。信とは號令の一なり。仁とは恵撫[めぐみ愛すること。]・惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]・人心[人間の心。ひとびとの心。民心。]を得るなり。勇とは義に狥し懼れず、能く果毅[決断がよく、意志の強いこと。]するなり。厳とは威厳[堂々としておごそかなこと。いかめしいこと。]を以て衆心を肅するなり。五者は相須いる。一に闕[かける。ぬけ落ちる。あき。]ければ可ならず。故に曹公曰く、将は五徳備わるに宜しきなり。
○何延錫:智に非ずんば以て敵を料り機に應ず可からず。信に非ずんば以て人に訓え下を率いる可からず。仁に非ずんば以て衆に附き士を撫する可からず。勇に非ずんば以て謀を決し戦を合わす可からず。厳に非ずんば以て強に服し衆を齊う可からず。此の五才を全きすれば将の體なり。
○張預:智は亂す可からず。信は欺く可からず。仁は暴する可からず。勇は懼れる可からず。厳は犯す可からず。五徳皆備えば、然る後以て大将と為る可きなり。
意訳

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○天野孫子:第四の将とは、智恵と信頼と仁愛と勇気と威厳とを言う。
○浅野孫子:第四の将とは、物事を明察できる智力、部下からの信頼、部下を思いやる仁慈の心、困難に挫けない勇気、軍律を維持する厳格さなどの、将軍が備える能力のことである。
○金谷孫子:[第四の]将とは、才智や誠信や仁慈や勇敢や威厳[といった将軍の人材]のことである。
○町田孫子:将とは、才知や誠信や仁慈や勇気や威厳など、将軍の器量についてのことである。
○武岡孫子:将とは将帥の軍事能力、指揮官としての信頼度、仁愛の心、気力、威厳度などリーダーとしての資質や能力。
○著者不明孫子:将とは、頭が切れるか、偽りがないか、情け深いか、勇気があるか、威厳があるかどうか、という大将の人物のことである。
○学習研究社孫子:指揮官の優秀さとは、臨機応変の知恵と、人民の心を一つにする信頼性、恵のある心と、勇気と、叛く者を出さない厳粛さをいうのである。
○フランシス・ワン孫子:将帥の能力とは、彼我の将帥の知慧・誠実(正義感・公平に対する感覚)・仁愛・勇気・厳格さ等の資質を知ることである。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『将とは、智・信・仁・勇・厳なり。』:本文注釈
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将-①軍隊をひきいる(人)。近衛(こんえ)府や近代的軍隊組織で長官・次官級の武官名にも用いる。②ひきつれる。たずさえ持つ。③まさに…せんとす。今にも…しようとする。④はた。はたまた。あるいは。【解字】「將」は、もと寸部8画。形声。「月」(=肉)+「寸」(=手)+音符「爿」(=大きい台)。机上に肉をのせて神にそなえすすめる意。神をまつる者は族長なので、統率者の意味が生じたという。
智-①頭のはたらき。理解し判断する力。②物事を判断する能力にすぐれている。かしこい。ものしり。
信-①まこと。うそ・いつわりを言わない。誠実。儒教で、五常[①儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。②[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。③[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。④[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]の一つ。②(相手の言葉を)まこととして疑わない。心から従う。③たより。手紙。伝達手段。④「信濃国」の略。【解字】会意。「人」+「言」。その人の言葉と心が一致している意。
仁-①人としての思いやり。いつくしみ。なさけ。②ひと。人物。③果実の核の中身。【解字】形声。「人」+音符「二」。人が二人並ぶ意を表し、仲間としての親しみを意味する。孔子はこの仲間意識を広く人に及ぼすことを説き、「仁」を儒教の根本理念とした。
勇-いさましい(気力)。いさむ。恐れず意気がさかんである。思い切りがいい。おじけず心を奮い立たせる。【解字】形声。「力」+音符「甬」(=わき出る)。体内からわき出る力の意。
厳-①おごそか(にする)。いかめしい。犯しがたい。②きびしい。はげしい。家庭内で母親の「慈」に対して父親に関する語として用いる。【解字】形声。「嚴」の下半部は音符で、きびしい、きつい意。「口」二つ(=口うるさく責める)を加えて、きびしくいましめる意。
註



○著者不明孫子:【将】将軍・大将。各単位各級の将があるが、ここは全軍の最高統率者である一人の主将・大将を指すのであろう。 【信】信義の信。うそをつかない。偽りがないこと。








○李筌:此の五者は将の徳を為す。故に師は丈人[長老の敬称。]の稱有るなり。

○賈林:専ら智に任せば則賊[①武器で人を傷つける。害を与える。そこなう。②他人の財貨を盗みとる者。ぬす人。③天子や国に害をなす者。謀反人。【解字】形声。「戈」(=ほこ)+音符「則」(=傷つける)の変形。武器で相手を傷つける意。一説に、「貝」(=財貨)+「戎」(=武器)の会意文字で、相手を武器で傷つけて財貨をとる意。]となり、仁を施せば則固なり。信を守れば則愚なり。勇力に恃めば則暴なり。令厳に過ぎれば則殘う。五者は兼備す。其用に適えば則将帥を為す可し。

○王晳:智とは先ず見して惑わず、能く謀慮・権變に通ずるなり。信とは號令の一なり。仁とは恵撫[めぐみ愛すること。]・惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]・人心[人間の心。ひとびとの心。民心。]を得るなり。勇とは義に狥し懼れず、能く果毅[決断がよく、意志の強いこと。]するなり。厳とは威厳[堂々としておごそかなこと。いかめしいこと。]を以て衆心を肅するなり。五者は相須いる。一に闕[かける。ぬけ落ちる。あき。]ければ可ならず。故に曹公曰く、将は五徳備わるに宜しきなり。
○何延錫:智に非ずんば以て敵を料り機に應ず可からず。信に非ずんば以て人に訓え下を率いる可からず。仁に非ずんば以て衆に附き士を撫する可からず。勇に非ずんば以て謀を決し戦を合わす可からず。厳に非ずんば以て強に服し衆を齊う可からず。此の五才を全きすれば将の體なり。
○張預:智は亂す可からず。信は欺く可からず。仁は暴する可からず。勇は懼れる可からず。厳は犯す可からず。五徳皆備えば、然る後以て大将と為る可きなり。
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○天野孫子:第四の将とは、智恵と信頼と仁愛と勇気と威厳とを言う。
○浅野孫子:第四の将とは、物事を明察できる智力、部下からの信頼、部下を思いやる仁慈の心、困難に挫けない勇気、軍律を維持する厳格さなどの、将軍が備える能力のことである。
○金谷孫子:[第四の]将とは、才智や誠信や仁慈や勇敢や威厳[といった将軍の人材]のことである。
○町田孫子:将とは、才知や誠信や仁慈や勇気や威厳など、将軍の器量についてのことである。
○武岡孫子:将とは将帥の軍事能力、指揮官としての信頼度、仁愛の心、気力、威厳度などリーダーとしての資質や能力。
○著者不明孫子:将とは、頭が切れるか、偽りがないか、情け深いか、勇気があるか、威厳があるかどうか、という大将の人物のことである。
○学習研究社孫子:指揮官の優秀さとは、臨機応変の知恵と、人民の心を一つにする信頼性、恵のある心と、勇気と、叛く者を出さない厳粛さをいうのである。
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