2012-01-30 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『道とは民をして上と意を同じうせ令むる者なり。』:本文注釈
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道とは、民の意志を上が考えている意志と同じくさせることだとここで述べている。同じくさせる意志とは、敵に対する戦意や、一致団結して戦っていこうという意志のことであろう。ここで「道」の意味について考えてみたい。孫武は、道とは国民に主君が考えている方針といったものを理解してもらい、同じ道を進んでいこうとさせることであると言っているが、この意味だと「道」は「導」の意味を連想させる。「道」は「導」の意味としても使われてきた漢字であるから、どちらの意味でも本来構わないはずである。だが、「導く」の意味だと、五事にはふさわしくないような気がする。「道」とは、ここでは、世の中を支配する真理や条理という意味であるとすれば、ここでいう「道」とは、戦争に特化した意味を持つことを前提としたうえで考えれば、後ろの文に民との関係を述べていることから、戦争に勝つために国の礎である国民とうまく付き合っていくための理を述べたものと解釈できる。民が兵士となり、国のために戦う訳であるから、民と君主と一心同体となることを理想としたわけである。要するに、「人の和」が第一であると孫武はここで提唱し、君主と民が一致団結して大事である戦争に向かって対処すべきであると、ここでことわったわけである。そして、具体的にどのようにするかというのが次の文で述べられている。
註
○守屋孫子:「道」とは大義名分の意である。中国人はむかしから「師を出すに名(大義名分)あり」でなければならないと考えてきた。大義名分のない軍事行動は「無名の師」として退けられてきたのである。なぜ大義名分が必要なのか。言うまでもなく、それがなければ、将兵を奮起させることができず、挙国一致の態勢がとれないからである。
○フランシス・ワン孫子:一、「道」とは、本来は真直な道・人の履み行うべき理義の意であり、個々の人間は勿論、その人間が構成するあらゆる団体・社会・国家にとって、その存在の本義を問う道理であり道徳である。しかし、孫子が本項で言う「道」とは、一国の政治(内政・治績)の如何であり、仏訳は、端的に「政府特に君主(最高政治指導者)と国民の関係」と解する。言うまでもなく、戦争は国民の自覚とその上下が一体となることの如何によって、その帰趨を大きく異にしてくるものである。
一、しからば、国民をして指導者を信頼し、一体的努力をなさしむるためには何が必要かと言うに、他の何物にもまして必要なことは、「君主(指導者)が、正義・仁愛・誠実の諸徳を踏まえて行動する」ことである。…。曹操は、後句に「之を導くに教令を以てするを謂う。危うき者は(国民の)危疑なり」と註している。即ち、戦争の遂行に当り国家として最も警戒せねばならぬことは、国民と軍隊がその指導者と政府にたいして危疑の念を抱くことであり、之を防止するためには、教令を以て導かねばならないと言うのである。…。
一、孫子が戦争判断に於ける根本要素とする五事の中で、「道」を第一にあげたのは、決して衒学[衒学-学問のあることをひけらかし、自慢すること。]のためではない。実際にその意義と価値を重視する者であったからである。彼が、この問題を重視する者であったかは、以下の各論の末尾に於て必ず展開する将帥論によって、一層よく理解することができよう。この「道」の問題を軽視する所に戦争の遂行また真の勝利(戦争目的の達成)などありえない、とするのも彼の根本思想の一つであり、一貫して説く所である。…。
○田所孫子:道とは人民が君主と同意するもので、人民が君主と死生をともにし、しかもそれをおそれたりあやぶんだりしないものであるとの意。
○金谷孫子:同意也故-竹簡本には「意」の下に「者」の字がある。武経本・平津本・桜田本には「也故」の二字がない。
○重沢孫子:まず第一の”道”というのは、大きくみれば支配階級と人民との、小さく見れば現場の指揮官と兵卒との間の結びつき方、つまり戦時下における信頼関係のあるべき姿を意味します。人民と上層部との意志が完全に一致しているならば、信頼度は百パーセント、もっとも望ましい状態ですから、死ぬにしろ生きるにしろ、よろこんで運命を共にし、人民や兵士が一身の危険を恐れるようなことはなくなります。戦争の前夜、世論の統一に向ってあらゆる手段が用いられるのは、結局”道”を確立するために外なりません。
○町田三郎「孫子」:<道とは民をして…>『淮南子』兵略篇の「兵の勝敗はもと政にあり。政其の民に勝ちて、下其の上に附けば、則ち兵強し…」を参考にして理解するとよかろう。
○天野孫子:『道者令民与上同意也、故可以与之死、可以与之生而不畏危』
「道」は後文の「主孰れか有道なる」の道の意であるが、この句はその意に解することが疑わしい。一説に孟氏は「道とは之を道くに政令を以てし、之を斉ふるに礼教を以てするを言ふ。故に能く民の志を化服して、上下と同一なり。故に兵を用ふるの妙は権術を以て道と為す」と。「上」は一国の君主。「意」は心中の思いの意。『新釈』は「『意』は意志・意向・希望・思想・感情等を包含する字である。即ちこれ亦含蓄性と曖昧性とを有する広義の文字である。従って又決して善事のみを意志するのではない。善悪に拘らず上の向かふ所、下同じく之に向かひ、上の欲する所、下同じく之を欲し、上の好む所、下同じく之を好むのである」と。「之」は上を受ける。一説に民を受くと。『国字解』は「二つの之と云ふ字は民を指して云ふなり」と。なお『武経』各書には「同意也故」の也故の二字がなく、また「以」の字(上と下とで二字)がなく、「不畏危」の下に「也」の字がある。『古文』には「以」の字のみがない。この句について一説に「道」を道徳の意に解して『思想史』は「道は上下一心、君臣一体のよりどころとなるべき徳、すなはち仁愛の徳に該当する。…君の仁愛が下の士民に徹底すれば、士民の側でも、その父に孝をつくすやうに、君に忠誠をはげみ、君と生死を与にし、身命の危険を畏れないやうになる」と。また一説に『外伝』は「道は一種の兵道にして聖人の道を謂ふにあらず」と。『俚諺鈔』は「孫子が説くところは兵道なり。全く今日我になつかざる人をして、我が方より、作為[①ことさらに手を加えること。こしらえること。②〔法〕積極的な行為・動作または挙動。金銭を渡す、人を殺すなどがその例。]按排[(「塩梅」(アンバイ)はエンバイの転で、「按排」「按配」とは本来別系統の語であるが、混同して用いる。「案配」は代用字) ①塩と梅酢で調味すること。一般に、料理の味加減を調えること。また、その味加減。②物事のほどあい。かげん。特に、身体の具合。③ほどよく並べたり、ほどよく処理したりすること。]して、力め行つて、民の従ふ如くに、日日に諸卒をなつけて、水火の中へおもむくと云へども、我と死生存亡を同じくせんと、一筋に思ひ入るる如くにするなり。さる依つて、本文に令の字を以て其意を指し示せり」と。また一説に『直解』は「孫子の謂ふ所の道は蓋し王覇を兼ねて言ふなり」と。なお『武経』に基づく『俚諺鈔』などは本文を「道とは民をして上と意を同くして、之と死す可く之と生く可くして危を畏れざらしむ」と読んでいる。それについて『諺義』は「令民与之同意、此六字一句。令の字、不畏危よりかへりよむべからず。上下をして一致せしむ、是れ道なり。此の如くならば則ち死生を与にして危を畏れざる可きなり」と。
○著者不明孫子:【同意】心を一つにする。「意」は、こうしようと心に思うこと。
○孫子国字解:『道者、民をして上と意を同じくして、之と死す可く、之と生く可くして畏れ危まざら令むる也。』
此段は、上の文の一曰道とある、道の字のことを説けり。民と云は、異国にては、百姓をおもに心得べし。子細は、異国にては民兵とて、専ら民を軍兵に用る也。故に民を云て官人はこもるなり。我国にても、上代は異国の如くなれども、今は民を軍兵に用ることはなきゆへ、民と云ふ字を、士卒と云ふ字に直して心得べし。さりとて一向に、民はかやうにあれば、いよいよのことなるべし。まづ異国と我国と、事の様の違ひたることを辨へねば[弁える-物の道理を十分に知る。よく判断してふるまう。ものの区別を知る。弁別する。]、異国の書の義理はすまぬものゆへ、かく斷はるなり。令民與上同意とは、上の思ふ様に士卒のなることなり。可與之死可與之生とは、上と士卒と生死を一つにして、懸るも引も、死ぬるも生るも、上たる人をすてぬことなり。二つの之と云ふ字は、民を指して云なり。畏れ危ぶまざらしむとは、畏れ気遣ふべき場、危きことをも、士卒が畏れず危まぬ様にあらしむることなり。是も生死を一つにすると同じことなれども、生死を一つにすると云は、士卒の心の一致なることを云て、畏れ危まざらしむと云は、士卒の気の剛なる様にすることなり。尤士卒の心親切なれば、おのづから剛なるわけもあれども、左様に見るは理窟の上のことなり。士卒の上と生死をひとつにするは、士卒の心を取る所にありて、士卒の剛なる様にするは、士卒の気をたくましくする所にあるなり。たとへば三国の時分、蜀の劉備の曹操に追落され、新野と云ふ處を落ち玉へる時、數萬の民ともが劉備の跡を追て、道もとをられぬ程おち行きけることあり。かやうに民に深く慕はれたる劉備なれども、此數萬の民を以て戦ふことはならざりし。是民上と生死を一つにすれども、民の心の剛になる様にする所の、いまだ足らぬ故なり。かやうなる差別あるゆへ、孫子が意を加へて、詞を添たるなるべし。扨この段の主意は、上の段に、一曰道と云たる其道と云は、いかやうなることを云となれば、士卒が上と心を一つにして、いかやうにも上の思ふ様になり、生死をひとつにして、しかも其心剛にして、物を畏れ危ぶむことなき様にあらしむる、是を道と云なり。この道を箇條の一つにして、この箇條にて云はば、敵が箇様にあるか、味方が箇様にあるかと、たくらべはかるべしと云ふ意なり。この道と云に付て、是は王道なりと云ふ説もあり。また覇道なりと云説もあり。王覇を兼たると見たる説もあり。是みな後人の憶説にて、何れ孫子が意に叶ひたりとも云がたし。孫子は王道とも、覇道とも、又王覇を兼たるとも云はぬ也。ただ令民與上同意、可與之死、可與之生、而不畏危也と云たるなれば、孫子が意は、王道にてもあれ、又覇道にてもあれ、又何の道にてもそれには搆はず、ただ士卒をかやうにあらしむるを、道とは云たるなり。孫子が意は一の令と云ふ字の上にあり。士卒にかやうあらしむることは、上のせしむる所にありて、別にむつかしく、なりにくきことにてはなし。如何様にも、せしめばせしめらるることなりと云意なり。誠に兵家者流の奥意は、上に天もなく、下に地もなし。天地人ともに我一本の団扇に握て、我心のままに自在なる妙處、この一字に露顯するなり。味ふべきことなり。但しかやうにばかり云はば初心の人は、如何様にして民をかやうにあらしめんと惑ふべきによりて、孫子が意にも叶ふべからん様なる説をここに擧るなり。張預が説に、恩信し、民を使ふとあり。恩は恩澤[恩沢-めぐみ。なさけ。おかげ。]なり。信はもののたがはぬことなり。賞罰は勿論、大将たる人は、何にてももののたがはぬ様にすべし。是信なり。恩あれば民上にしたしみなつく、信なれば民上を疑ひけすむことなり。故に恩信の二にて、上と下との心ひとつになりて、へたへたにならぬゆへ、民を此本文の如くあらしむることなるべきなり。また黄獻臣か説に、上下の情に通ずと云へり。是又神妙なる説なり。上下の情に通ずとは、上たる人、下の情をとくとよく知ることなり。位高く身富み、境界もかはるによりて、聡明才智の人も、下の情は知りがたきものなり。下の情を知らざれば、慈悲と思ひてすることも、下の為にならず。物のたがはぬ様にすべきと思ひても、することにつかゆること出来て、たがへねばならぬ様になりゆくなり。故に上下の情に通ぜねば、恩信もたたぬなり。古の名将は、身を高上に持なさず、下を親み近つけて、よく下の情を知たるゆへ、恩信もよく恩信の用をなし、民を此本文の如くあらしめたること、書典に歴々たれば、かやうに心をつけて見ば、孫子が心にも遠かるまじく思はる。尤時に臨て、急に民を此本文の如くあらしむることも、名将の左様にあることなれども、此篇の文勢は、軍の前に、敵味方をはかりくらぶる上のことを云たれば、まづ平日の上のことと心得べきなり。
○孫子諺義:『道とは、民をして上と意を同じくせ令め、之と死す可く、之と生く可くして危きを畏れざるなり。』
令は使也、畏は懼[懼-びくびくする。おどおどする。]也、危は危難なり。是れ孫子自ら五事に注して、道の字義後世の疑惑を散ずる也。道は民よく上におもひついて、死生一大事をも上とともになさんと存じ、危きにいたりても上の下知を重んじて主将とともに事をなす、是れを道と云ふ也。たとひ文学あり才徳の稱美[ほめること、賞美]ある人なりとも、此の處かくるときは、道あるの人と云ふにたらず。民はすべて人民をさす。士卒ばかりにかぎらざる也。これ国政にかかる言也。七計にいたつては士卒兵衆と直に軍旅の士をさせり。此の一句は主将道を存するのしるしを云へり。此の如く人民の思ひついて志を一つにいたすことは、かねて主将に其の道なくては、通ず可からざること也。往年此の一句に疑あり、此の一句をみるときは、道と云ふものは民をおもひつかしむべきための道也と云ふに似たり。聖人之道は当然ののりにして人の思ひつくをまつにあらず、孫子が所謂道は覇者の所説なるゆゑに此の如くいへりと。今案ずるに、此の説実に道をしらざるゆゑ也。道は人民のための道なり、民人をのけて別に道なし。我道にかなへりと思ふとも、衆心我に背くときは、道にあらざる也。凡そ衆心向背の事、太誓(書経の泰誓)に云はく、民の欲する所、天必ず之れに従ふと。傳(左傳僖公丗三年に天に違へば不祥なりと出づ、天と衆と意味相通ず。)に云はく、衆に違へば不祥なりと。晉の郭偃(晋の大夫なり、又卜偃とも云ふ。下記のこと国語の晋語中に出づ。)云はく、夫れ衆口は、禍福[わざわいとしあわせ。]之門なり。是を以て君子は衆を省て動き、監戒[とりしまり、いましめる。]して謀り、謀り度りて行ふ。故に濟[なしとげる。]ならざる無し。内謀外度、考省倦まず。日に考へて習はば戒備[用心し、備える。]畢る[ことごとくおわる。]と。鄭の子産(公孫僑、子産は字、春秋時代、鄭國の名大夫。)云はく、衆怒は犯し難しと。(天下篇)荘子墨子を論じて云はく、恐は其れ以て聖人の道と為す可からざらん、天下の心に反して天下堪へず、墨子獨り任ゆと雖も、天下を奈何せん、天下を離るれば、其の王を去ることや遠しと。是れ皆衆心の向背[従うことと、背くこと。]を考へて、衆とともに志を一にいたすのをしえ也。しかれども、 蘇子(蘇軾、字は子瞻、東坡と號す。)瞻の所謂、国を為むる者は、未だ行事の是非を論ぜず、先づ衆心の向背を觀る と云ふの説に至りては、又古人の議論なきにあらざる也。直解(明の学者劉寅の著、七書直解)に道の字を解して、孫子の所謂道は、蓋し[まさしく、本当に、確かに]王覇を兼て言ふ也と、其の説詳なることは詳にして、向上にいたりて、又兵法の実を得ざる也。兵法より云ふ時は、令の一字尤も高味あること也。主将士卒の志を知りて其の用法当座のつくりごとのごとくにいたすにはあらず。時にとつて士卒の志をはかり、或は賞祿[賞としてあたえる禄。]し或は重罰して、人心を一つにするもまた道の一端と心得可き也。三略に、軍国の要は、(衆の)心を察し百務を施すと云へり。又志を衆に通ず、好惡を同じくすと同義也。案ずるに、七計にいたつて主孰れか道有ると云ふときは、此の道の字専ら主にかかる言也。将は五事の一也、しかれば将の兵をつかふの道とみんことはいかが也。又云はく、民をして上と意を同くせ令め、此の六字一句、令の字危きを畏れずよりかへりよむべからず、上下一致せ令む、是れ道也、此の如くなれば、則死生を與にす可くして危きを畏れざる也。武経大全に云はく、令の字講粗了す可からず[理解を雑にしてはならない]、民の意最も紛[ばらばらで乱れている。]にして最も強、豈上と同じくし易からんや[どうして上と意を同じくすることがたやすかろうか、たやすいことではない。]惟だ其の好惡を通じ、甘苦を共にすれば、自ずから然る[その通りになる。]を期せずして然るの妙有り、故に道の至る所は、即ち意の至る所、與に生き與に死すと雖も、自然に意を同うする難からず、是れ不令の令と為す、何の畏危か之有らん、道の字着実に発揮するを要す。武経通鑑に云はく、西魏の将王思政(南北朝の西魏の人、落城の後捕はる、敵その忠義を称し厚遇す、後北齊の時代に都官尚書に挙げらる)潁川郡に守たり、東魏師十萬を帥ヰて之れを攻む、備に攻撃の術を盡し、潁水(河南省の川の名)を以て城に灌ぎて之れを陷る、思政事の濟ならざるを知り、左右を率いて謂ひて曰はく、義士恩を受け、遂に王命を辱しむ、力屈し道窮まり、計出づる所無し、惟だ當に死を効して以て朝恩[朝廷の恩。天子の恩。]を謝すべき耳と、因りて天を仰ぎ大に哭す、左右皆號慟[身もだえして、大声でなげきかなしむ。]す、思政西に向かひて再び拜し、便ち自刎[みずから首をはねて死ぬこと。]せんと欲す、衆共に之れを止め、引決するを得ず、城陷るの日に及び、潁川の士卒八千、存する者纔に三千人、終に叛く者無し、此れ民をして上と意を同くせ令む是れ也。直解開宗合參(明の学者、張居正外三氏の著、正しくは武経直解開宗合參と云ふ)に云はく、問ふ、孫子首めに民をして上と意を同くせ令むと言ひ、呉子も亦首めに先づ和して大事を造なすと、曰はく同曰はく和と、果して皆人和の旨[心の内、考えている内容。]か、非歟、曰はく、孫子は同と言ひ、呉子は和と言ふ、意類せざるに似たり、然れども皆民の為めに見を起す、同と曰ふは民を同くする也、斷然人の和を以て主と為す、但だ同は上之をして同くせ使め、和は上之をして和せ使むと道ふを知る、此の如く発揮せば方に議論有らん。李卓吾(李贄、明の学者)云はく、一に曰はく道と、孫子已に自ら註し得て明白なり、曰はく道は、民をして上と意を同くせ令め、之れと死す可く、之れと生く可くして、危きを畏れざる是れ也、夫れ民にして之れと死生を同くす可くんば也、即ち手足の頭目を扞ぎ[ふせぐ、まもる、こばむ。]、子弟の父兄を衞る[まわりにいてまもる。]も、啻ならず[普通のさまでない。尋常ではない。]過ぎたり、孔子の所謂民信ず、孟子の所謂民心を得る是れ也、此れ始計の本謀、用兵の第一義にして、魏武は乃ち之れを導くに政令を以てするを以て之れを解くも、其の本を失するなり、魏武平生好みて權詐[たくらんでだますこと。いつわりのはかりごと。たくらみ。]を以て、一時の豪傑を籠絡[巧みに言いくるめて人を自由にあやつること。まるめこむこと。]して、遁[のがれる。逃げる]徳仁義を以て迂腐[世間知らずで役に立たないこと。]と為すに縁る、故に只だ自家の心事を以て註解を作す、是れ豈至極の論、萬世共に由るの説ならんや、且つ夫れ之れを道くに政令を以てすは、只だ得せる法令孰れか行はるの一句の経を解す耳、噫此れ孫武子の至聖至神にして、天下萬世以て復た加ふる無しと為す所以の者也、惜しいかな儒者は以て取らず、士は故を以て棄置して読まず、遂に判れて兩途と為り、別ちて武経と為し、文を右[上位]にして武を左[下位]にす、今日に至りては、則左して又左す、蓋し之れを左する甚し、是の如くしてその干樽爼の間に折衝[(敵の衝いて来るほこさきをくじきとめる意から)外交その他の交渉での談判またはかけひき。利害の異なる相手と問題を解決するために話し合うこと。]し、戸庭[門戸と庭園。家の中。]を出でず、堂堦を下らずして、變を萬里[1万里ほどの極めて遠い距離]の外に制するを望むも、得可けん耶。
○孫子評註:「道とは、民をして上と意を同じくして、之れと與(とも)に死すべく、之れと與に生くべくして、危きを畏れざらしむるなり。」
-傳文、大いなるもの三處、文法皆變ず。道の字、甚しくは説破(十分に説きつくすこと。)せず、却つて行軍・地形・九地の諸篇に於て之れを講ず。文乃ち淺からず雜ならず。是れ此の(孫武のこと)老の老成の處なり。令(「令の字」「也の字」は、いずれも前文の原文についていう。)の字、貫いて也の字に到る、方(まさ)に作用あり。
○張預:恩信・道義を以て衆を撫づれば[いつくしむ。かわいがる。大事にする。]。則三軍一心となる。上が用を為すに楽なり。易に曰く、悦[よろこび。心のしこりを解く意。]は以て難を犯し、民は其の死を忘るる、と。
意訳
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○金谷孫子:[第一の]道とは、人民たちを上の人と同心にならせる[政治のあり方の]ことである。
○浅野孫子:第一の道とは、民衆の意志を統治者に同化させる、内政の正しい在り方のことである。
○大橋孫子:道とは、国民が指導者と心を一にし、死生をともにすることをためらわないようにする政治。
○武岡孫子:道とは国民が為政者と同じ心になって、死生をともにして疑わないようにさせる政治のことである。
○フランシス・ワン孫子:主権者と国民との精神的関係によって、国民が恐れ気もなく家庭や職場を投げ打ち、その指導者達と生死を共にするほどに心を一つにしているかどうかを知るのである。
○天野孫子:第一の道とは、国民を君主と一心同体ならしめることである。
○町田孫子:道というのは、人民の心を上に立つ人の心と一つにさせ、生死をともにして疑わないようにさせる政治のことである。
○守屋孫子:「道」とは、国民と君主を一心同体にさせるものである。これがありさえすれば、国民は、いかなる危険も恐れず、君主と生死を共にする。
○著者不明孫子:ここにいう道とは、民衆を上に立つ者と心を一つにさせることである。
○学習研究社孫子:道の作用は、民をして上層部と心や考えを一つにさせることである。
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『道とは民をして上と意を同じうせ令むる者なり。』:本文注釈
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道とは、民の意志を上が考えている意志と同じくさせることだとここで述べている。同じくさせる意志とは、敵に対する戦意や、一致団結して戦っていこうという意志のことであろう。ここで「道」の意味について考えてみたい。孫武は、道とは国民に主君が考えている方針といったものを理解してもらい、同じ道を進んでいこうとさせることであると言っているが、この意味だと「道」は「導」の意味を連想させる。「道」は「導」の意味としても使われてきた漢字であるから、どちらの意味でも本来構わないはずである。だが、「導く」の意味だと、五事にはふさわしくないような気がする。「道」とは、ここでは、世の中を支配する真理や条理という意味であるとすれば、ここでいう「道」とは、戦争に特化した意味を持つことを前提としたうえで考えれば、後ろの文に民との関係を述べていることから、戦争に勝つために国の礎である国民とうまく付き合っていくための理を述べたものと解釈できる。民が兵士となり、国のために戦う訳であるから、民と君主と一心同体となることを理想としたわけである。要するに、「人の和」が第一であると孫武はここで提唱し、君主と民が一致団結して大事である戦争に向かって対処すべきであると、ここでことわったわけである。そして、具体的にどのようにするかというのが次の文で述べられている。
註
○守屋孫子:「道」とは大義名分の意である。中国人はむかしから「師を出すに名(大義名分)あり」でなければならないと考えてきた。大義名分のない軍事行動は「無名の師」として退けられてきたのである。なぜ大義名分が必要なのか。言うまでもなく、それがなければ、将兵を奮起させることができず、挙国一致の態勢がとれないからである。
○フランシス・ワン孫子:一、「道」とは、本来は真直な道・人の履み行うべき理義の意であり、個々の人間は勿論、その人間が構成するあらゆる団体・社会・国家にとって、その存在の本義を問う道理であり道徳である。しかし、孫子が本項で言う「道」とは、一国の政治(内政・治績)の如何であり、仏訳は、端的に「政府特に君主(最高政治指導者)と国民の関係」と解する。言うまでもなく、戦争は国民の自覚とその上下が一体となることの如何によって、その帰趨を大きく異にしてくるものである。
一、しからば、国民をして指導者を信頼し、一体的努力をなさしむるためには何が必要かと言うに、他の何物にもまして必要なことは、「君主(指導者)が、正義・仁愛・誠実の諸徳を踏まえて行動する」ことである。…。曹操は、後句に「之を導くに教令を以てするを謂う。危うき者は(国民の)危疑なり」と註している。即ち、戦争の遂行に当り国家として最も警戒せねばならぬことは、国民と軍隊がその指導者と政府にたいして危疑の念を抱くことであり、之を防止するためには、教令を以て導かねばならないと言うのである。…。
一、孫子が戦争判断に於ける根本要素とする五事の中で、「道」を第一にあげたのは、決して衒学[衒学-学問のあることをひけらかし、自慢すること。]のためではない。実際にその意義と価値を重視する者であったからである。彼が、この問題を重視する者であったかは、以下の各論の末尾に於て必ず展開する将帥論によって、一層よく理解することができよう。この「道」の問題を軽視する所に戦争の遂行また真の勝利(戦争目的の達成)などありえない、とするのも彼の根本思想の一つであり、一貫して説く所である。…。
○田所孫子:道とは人民が君主と同意するもので、人民が君主と死生をともにし、しかもそれをおそれたりあやぶんだりしないものであるとの意。
○金谷孫子:同意也故-竹簡本には「意」の下に「者」の字がある。武経本・平津本・桜田本には「也故」の二字がない。
○重沢孫子:まず第一の”道”というのは、大きくみれば支配階級と人民との、小さく見れば現場の指揮官と兵卒との間の結びつき方、つまり戦時下における信頼関係のあるべき姿を意味します。人民と上層部との意志が完全に一致しているならば、信頼度は百パーセント、もっとも望ましい状態ですから、死ぬにしろ生きるにしろ、よろこんで運命を共にし、人民や兵士が一身の危険を恐れるようなことはなくなります。戦争の前夜、世論の統一に向ってあらゆる手段が用いられるのは、結局”道”を確立するために外なりません。
○町田三郎「孫子」:<道とは民をして…>『淮南子』兵略篇の「兵の勝敗はもと政にあり。政其の民に勝ちて、下其の上に附けば、則ち兵強し…」を参考にして理解するとよかろう。
○天野孫子:『道者令民与上同意也、故可以与之死、可以与之生而不畏危』
「道」は後文の「主孰れか有道なる」の道の意であるが、この句はその意に解することが疑わしい。一説に孟氏は「道とは之を道くに政令を以てし、之を斉ふるに礼教を以てするを言ふ。故に能く民の志を化服して、上下と同一なり。故に兵を用ふるの妙は権術を以て道と為す」と。「上」は一国の君主。「意」は心中の思いの意。『新釈』は「『意』は意志・意向・希望・思想・感情等を包含する字である。即ちこれ亦含蓄性と曖昧性とを有する広義の文字である。従って又決して善事のみを意志するのではない。善悪に拘らず上の向かふ所、下同じく之に向かひ、上の欲する所、下同じく之を欲し、上の好む所、下同じく之を好むのである」と。「之」は上を受ける。一説に民を受くと。『国字解』は「二つの之と云ふ字は民を指して云ふなり」と。なお『武経』各書には「同意也故」の也故の二字がなく、また「以」の字(上と下とで二字)がなく、「不畏危」の下に「也」の字がある。『古文』には「以」の字のみがない。この句について一説に「道」を道徳の意に解して『思想史』は「道は上下一心、君臣一体のよりどころとなるべき徳、すなはち仁愛の徳に該当する。…君の仁愛が下の士民に徹底すれば、士民の側でも、その父に孝をつくすやうに、君に忠誠をはげみ、君と生死を与にし、身命の危険を畏れないやうになる」と。また一説に『外伝』は「道は一種の兵道にして聖人の道を謂ふにあらず」と。『俚諺鈔』は「孫子が説くところは兵道なり。全く今日我になつかざる人をして、我が方より、作為[①ことさらに手を加えること。こしらえること。②〔法〕積極的な行為・動作または挙動。金銭を渡す、人を殺すなどがその例。]按排[(「塩梅」(アンバイ)はエンバイの転で、「按排」「按配」とは本来別系統の語であるが、混同して用いる。「案配」は代用字) ①塩と梅酢で調味すること。一般に、料理の味加減を調えること。また、その味加減。②物事のほどあい。かげん。特に、身体の具合。③ほどよく並べたり、ほどよく処理したりすること。]して、力め行つて、民の従ふ如くに、日日に諸卒をなつけて、水火の中へおもむくと云へども、我と死生存亡を同じくせんと、一筋に思ひ入るる如くにするなり。さる依つて、本文に令の字を以て其意を指し示せり」と。また一説に『直解』は「孫子の謂ふ所の道は蓋し王覇を兼ねて言ふなり」と。なお『武経』に基づく『俚諺鈔』などは本文を「道とは民をして上と意を同くして、之と死す可く之と生く可くして危を畏れざらしむ」と読んでいる。それについて『諺義』は「令民与之同意、此六字一句。令の字、不畏危よりかへりよむべからず。上下をして一致せしむ、是れ道なり。此の如くならば則ち死生を与にして危を畏れざる可きなり」と。
○著者不明孫子:【同意】心を一つにする。「意」は、こうしようと心に思うこと。
○孫子国字解:『道者、民をして上と意を同じくして、之と死す可く、之と生く可くして畏れ危まざら令むる也。』
此段は、上の文の一曰道とある、道の字のことを説けり。民と云は、異国にては、百姓をおもに心得べし。子細は、異国にては民兵とて、専ら民を軍兵に用る也。故に民を云て官人はこもるなり。我国にても、上代は異国の如くなれども、今は民を軍兵に用ることはなきゆへ、民と云ふ字を、士卒と云ふ字に直して心得べし。さりとて一向に、民はかやうにあれば、いよいよのことなるべし。まづ異国と我国と、事の様の違ひたることを辨へねば[弁える-物の道理を十分に知る。よく判断してふるまう。ものの区別を知る。弁別する。]、異国の書の義理はすまぬものゆへ、かく斷はるなり。令民與上同意とは、上の思ふ様に士卒のなることなり。可與之死可與之生とは、上と士卒と生死を一つにして、懸るも引も、死ぬるも生るも、上たる人をすてぬことなり。二つの之と云ふ字は、民を指して云なり。畏れ危ぶまざらしむとは、畏れ気遣ふべき場、危きことをも、士卒が畏れず危まぬ様にあらしむることなり。是も生死を一つにすると同じことなれども、生死を一つにすると云は、士卒の心の一致なることを云て、畏れ危まざらしむと云は、士卒の気の剛なる様にすることなり。尤士卒の心親切なれば、おのづから剛なるわけもあれども、左様に見るは理窟の上のことなり。士卒の上と生死をひとつにするは、士卒の心を取る所にありて、士卒の剛なる様にするは、士卒の気をたくましくする所にあるなり。たとへば三国の時分、蜀の劉備の曹操に追落され、新野と云ふ處を落ち玉へる時、數萬の民ともが劉備の跡を追て、道もとをられぬ程おち行きけることあり。かやうに民に深く慕はれたる劉備なれども、此數萬の民を以て戦ふことはならざりし。是民上と生死を一つにすれども、民の心の剛になる様にする所の、いまだ足らぬ故なり。かやうなる差別あるゆへ、孫子が意を加へて、詞を添たるなるべし。扨この段の主意は、上の段に、一曰道と云たる其道と云は、いかやうなることを云となれば、士卒が上と心を一つにして、いかやうにも上の思ふ様になり、生死をひとつにして、しかも其心剛にして、物を畏れ危ぶむことなき様にあらしむる、是を道と云なり。この道を箇條の一つにして、この箇條にて云はば、敵が箇様にあるか、味方が箇様にあるかと、たくらべはかるべしと云ふ意なり。この道と云に付て、是は王道なりと云ふ説もあり。また覇道なりと云説もあり。王覇を兼たると見たる説もあり。是みな後人の憶説にて、何れ孫子が意に叶ひたりとも云がたし。孫子は王道とも、覇道とも、又王覇を兼たるとも云はぬ也。ただ令民與上同意、可與之死、可與之生、而不畏危也と云たるなれば、孫子が意は、王道にてもあれ、又覇道にてもあれ、又何の道にてもそれには搆はず、ただ士卒をかやうにあらしむるを、道とは云たるなり。孫子が意は一の令と云ふ字の上にあり。士卒にかやうあらしむることは、上のせしむる所にありて、別にむつかしく、なりにくきことにてはなし。如何様にも、せしめばせしめらるることなりと云意なり。誠に兵家者流の奥意は、上に天もなく、下に地もなし。天地人ともに我一本の団扇に握て、我心のままに自在なる妙處、この一字に露顯するなり。味ふべきことなり。但しかやうにばかり云はば初心の人は、如何様にして民をかやうにあらしめんと惑ふべきによりて、孫子が意にも叶ふべからん様なる説をここに擧るなり。張預が説に、恩信し、民を使ふとあり。恩は恩澤[恩沢-めぐみ。なさけ。おかげ。]なり。信はもののたがはぬことなり。賞罰は勿論、大将たる人は、何にてももののたがはぬ様にすべし。是信なり。恩あれば民上にしたしみなつく、信なれば民上を疑ひけすむことなり。故に恩信の二にて、上と下との心ひとつになりて、へたへたにならぬゆへ、民を此本文の如くあらしむることなるべきなり。また黄獻臣か説に、上下の情に通ずと云へり。是又神妙なる説なり。上下の情に通ずとは、上たる人、下の情をとくとよく知ることなり。位高く身富み、境界もかはるによりて、聡明才智の人も、下の情は知りがたきものなり。下の情を知らざれば、慈悲と思ひてすることも、下の為にならず。物のたがはぬ様にすべきと思ひても、することにつかゆること出来て、たがへねばならぬ様になりゆくなり。故に上下の情に通ぜねば、恩信もたたぬなり。古の名将は、身を高上に持なさず、下を親み近つけて、よく下の情を知たるゆへ、恩信もよく恩信の用をなし、民を此本文の如くあらしめたること、書典に歴々たれば、かやうに心をつけて見ば、孫子が心にも遠かるまじく思はる。尤時に臨て、急に民を此本文の如くあらしむることも、名将の左様にあることなれども、此篇の文勢は、軍の前に、敵味方をはかりくらぶる上のことを云たれば、まづ平日の上のことと心得べきなり。
○孫子諺義:『道とは、民をして上と意を同じくせ令め、之と死す可く、之と生く可くして危きを畏れざるなり。』
令は使也、畏は懼[懼-びくびくする。おどおどする。]也、危は危難なり。是れ孫子自ら五事に注して、道の字義後世の疑惑を散ずる也。道は民よく上におもひついて、死生一大事をも上とともになさんと存じ、危きにいたりても上の下知を重んじて主将とともに事をなす、是れを道と云ふ也。たとひ文学あり才徳の稱美[ほめること、賞美]ある人なりとも、此の處かくるときは、道あるの人と云ふにたらず。民はすべて人民をさす。士卒ばかりにかぎらざる也。これ国政にかかる言也。七計にいたつては士卒兵衆と直に軍旅の士をさせり。此の一句は主将道を存するのしるしを云へり。此の如く人民の思ひついて志を一つにいたすことは、かねて主将に其の道なくては、通ず可からざること也。往年此の一句に疑あり、此の一句をみるときは、道と云ふものは民をおもひつかしむべきための道也と云ふに似たり。聖人之道は当然ののりにして人の思ひつくをまつにあらず、孫子が所謂道は覇者の所説なるゆゑに此の如くいへりと。今案ずるに、此の説実に道をしらざるゆゑ也。道は人民のための道なり、民人をのけて別に道なし。我道にかなへりと思ふとも、衆心我に背くときは、道にあらざる也。凡そ衆心向背の事、太誓(書経の泰誓)に云はく、民の欲する所、天必ず之れに従ふと。傳(左傳僖公丗三年に天に違へば不祥なりと出づ、天と衆と意味相通ず。)に云はく、衆に違へば不祥なりと。晉の郭偃(晋の大夫なり、又卜偃とも云ふ。下記のこと国語の晋語中に出づ。)云はく、夫れ衆口は、禍福[わざわいとしあわせ。]之門なり。是を以て君子は衆を省て動き、監戒[とりしまり、いましめる。]して謀り、謀り度りて行ふ。故に濟[なしとげる。]ならざる無し。内謀外度、考省倦まず。日に考へて習はば戒備[用心し、備える。]畢る[ことごとくおわる。]と。鄭の子産(公孫僑、子産は字、春秋時代、鄭國の名大夫。)云はく、衆怒は犯し難しと。(天下篇)荘子墨子を論じて云はく、恐は其れ以て聖人の道と為す可からざらん、天下の心に反して天下堪へず、墨子獨り任ゆと雖も、天下を奈何せん、天下を離るれば、其の王を去ることや遠しと。是れ皆衆心の向背[従うことと、背くこと。]を考へて、衆とともに志を一にいたすのをしえ也。しかれども、 蘇子(蘇軾、字は子瞻、東坡と號す。)瞻の所謂、国を為むる者は、未だ行事の是非を論ぜず、先づ衆心の向背を觀る と云ふの説に至りては、又古人の議論なきにあらざる也。直解(明の学者劉寅の著、七書直解)に道の字を解して、孫子の所謂道は、蓋し[まさしく、本当に、確かに]王覇を兼て言ふ也と、其の説詳なることは詳にして、向上にいたりて、又兵法の実を得ざる也。兵法より云ふ時は、令の一字尤も高味あること也。主将士卒の志を知りて其の用法当座のつくりごとのごとくにいたすにはあらず。時にとつて士卒の志をはかり、或は賞祿[賞としてあたえる禄。]し或は重罰して、人心を一つにするもまた道の一端と心得可き也。三略に、軍国の要は、(衆の)心を察し百務を施すと云へり。又志を衆に通ず、好惡を同じくすと同義也。案ずるに、七計にいたつて主孰れか道有ると云ふときは、此の道の字専ら主にかかる言也。将は五事の一也、しかれば将の兵をつかふの道とみんことはいかが也。又云はく、民をして上と意を同くせ令め、此の六字一句、令の字危きを畏れずよりかへりよむべからず、上下一致せ令む、是れ道也、此の如くなれば、則死生を與にす可くして危きを畏れざる也。武経大全に云はく、令の字講粗了す可からず[理解を雑にしてはならない]、民の意最も紛[ばらばらで乱れている。]にして最も強、豈上と同じくし易からんや[どうして上と意を同じくすることがたやすかろうか、たやすいことではない。]惟だ其の好惡を通じ、甘苦を共にすれば、自ずから然る[その通りになる。]を期せずして然るの妙有り、故に道の至る所は、即ち意の至る所、與に生き與に死すと雖も、自然に意を同うする難からず、是れ不令の令と為す、何の畏危か之有らん、道の字着実に発揮するを要す。武経通鑑に云はく、西魏の将王思政(南北朝の西魏の人、落城の後捕はる、敵その忠義を称し厚遇す、後北齊の時代に都官尚書に挙げらる)潁川郡に守たり、東魏師十萬を帥ヰて之れを攻む、備に攻撃の術を盡し、潁水(河南省の川の名)を以て城に灌ぎて之れを陷る、思政事の濟ならざるを知り、左右を率いて謂ひて曰はく、義士恩を受け、遂に王命を辱しむ、力屈し道窮まり、計出づる所無し、惟だ當に死を効して以て朝恩[朝廷の恩。天子の恩。]を謝すべき耳と、因りて天を仰ぎ大に哭す、左右皆號慟[身もだえして、大声でなげきかなしむ。]す、思政西に向かひて再び拜し、便ち自刎[みずから首をはねて死ぬこと。]せんと欲す、衆共に之れを止め、引決するを得ず、城陷るの日に及び、潁川の士卒八千、存する者纔に三千人、終に叛く者無し、此れ民をして上と意を同くせ令む是れ也。直解開宗合參(明の学者、張居正外三氏の著、正しくは武経直解開宗合參と云ふ)に云はく、問ふ、孫子首めに民をして上と意を同くせ令むと言ひ、呉子も亦首めに先づ和して大事を造なすと、曰はく同曰はく和と、果して皆人和の旨[心の内、考えている内容。]か、非歟、曰はく、孫子は同と言ひ、呉子は和と言ふ、意類せざるに似たり、然れども皆民の為めに見を起す、同と曰ふは民を同くする也、斷然人の和を以て主と為す、但だ同は上之をして同くせ使め、和は上之をして和せ使むと道ふを知る、此の如く発揮せば方に議論有らん。李卓吾(李贄、明の学者)云はく、一に曰はく道と、孫子已に自ら註し得て明白なり、曰はく道は、民をして上と意を同くせ令め、之れと死す可く、之れと生く可くして、危きを畏れざる是れ也、夫れ民にして之れと死生を同くす可くんば也、即ち手足の頭目を扞ぎ[ふせぐ、まもる、こばむ。]、子弟の父兄を衞る[まわりにいてまもる。]も、啻ならず[普通のさまでない。尋常ではない。]過ぎたり、孔子の所謂民信ず、孟子の所謂民心を得る是れ也、此れ始計の本謀、用兵の第一義にして、魏武は乃ち之れを導くに政令を以てするを以て之れを解くも、其の本を失するなり、魏武平生好みて權詐[たくらんでだますこと。いつわりのはかりごと。たくらみ。]を以て、一時の豪傑を籠絡[巧みに言いくるめて人を自由にあやつること。まるめこむこと。]して、遁[のがれる。逃げる]徳仁義を以て迂腐[世間知らずで役に立たないこと。]と為すに縁る、故に只だ自家の心事を以て註解を作す、是れ豈至極の論、萬世共に由るの説ならんや、且つ夫れ之れを道くに政令を以てすは、只だ得せる法令孰れか行はるの一句の経を解す耳、噫此れ孫武子の至聖至神にして、天下萬世以て復た加ふる無しと為す所以の者也、惜しいかな儒者は以て取らず、士は故を以て棄置して読まず、遂に判れて兩途と為り、別ちて武経と為し、文を右[上位]にして武を左[下位]にす、今日に至りては、則左して又左す、蓋し之れを左する甚し、是の如くしてその干樽爼の間に折衝[(敵の衝いて来るほこさきをくじきとめる意から)外交その他の交渉での談判またはかけひき。利害の異なる相手と問題を解決するために話し合うこと。]し、戸庭[門戸と庭園。家の中。]を出でず、堂堦を下らずして、變を萬里[1万里ほどの極めて遠い距離]の外に制するを望むも、得可けん耶。
○孫子評註:「道とは、民をして上と意を同じくして、之れと與(とも)に死すべく、之れと與に生くべくして、危きを畏れざらしむるなり。」
-傳文、大いなるもの三處、文法皆變ず。道の字、甚しくは説破(十分に説きつくすこと。)せず、却つて行軍・地形・九地の諸篇に於て之れを講ず。文乃ち淺からず雜ならず。是れ此の(孫武のこと)老の老成の處なり。令(「令の字」「也の字」は、いずれも前文の原文についていう。)の字、貫いて也の字に到る、方(まさ)に作用あり。
○張預:恩信・道義を以て衆を撫づれば[いつくしむ。かわいがる。大事にする。]。則三軍一心となる。上が用を為すに楽なり。易に曰く、悦[よろこび。心のしこりを解く意。]は以て難を犯し、民は其の死を忘るる、と。
意訳
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○金谷孫子:[第一の]道とは、人民たちを上の人と同心にならせる[政治のあり方の]ことである。
○浅野孫子:第一の道とは、民衆の意志を統治者に同化させる、内政の正しい在り方のことである。
○大橋孫子:道とは、国民が指導者と心を一にし、死生をともにすることをためらわないようにする政治。
○武岡孫子:道とは国民が為政者と同じ心になって、死生をともにして疑わないようにさせる政治のことである。
○フランシス・ワン孫子:主権者と国民との精神的関係によって、国民が恐れ気もなく家庭や職場を投げ打ち、その指導者達と生死を共にするほどに心を一つにしているかどうかを知るのである。
○天野孫子:第一の道とは、国民を君主と一心同体ならしめることである。
○町田孫子:道というのは、人民の心を上に立つ人の心と一つにさせ、生死をともにして疑わないようにさせる政治のことである。
○守屋孫子:「道」とは、国民と君主を一心同体にさせるものである。これがありさえすれば、国民は、いかなる危険も恐れず、君主と生死を共にする。
○著者不明孫子:ここにいう道とは、民衆を上に立つ者と心を一つにさせることである。
○学習研究社孫子:道の作用は、民をして上層部と心や考えを一つにさせることである。
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