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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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2012-06-01 (金) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『遠くとも之れに近きを視す。』:本文注釈

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○守屋孫子:近づくと見せかけて遠ざかる。

○重沢孫子:敵から離れて遠ざかろうとする場合は、近づくように見せかける。

○孫子諺義:右のうら也、遠所にて相戦ふときは、近所にわざと兵を出して遠所に戦なきことを示す。或は遠き敵をうつに反つて近きを示す。或はひそかに引退きてかれに遠ざかるとき、わざと近處にあるごとくみせて引とることあり。又長陣をはり久しく對陣する時、わざと急にせめうつて、其の位をみるも同意。


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○金谷孫子:遠方にあっても敵には近く見せかけ、

○浅野孫子:実際は目的地から遠く離れているにもかかわらず、敵に対しては、すでに目的地に近づいたかのように見せかける。

○天野孫子:遠いのでありながら敵に近いように示したり、

○町田孫子:遠ざかっていても近くにいるようにみせかけるのである。

○大橋孫子:遠くにいるのに近くにいるように、敵にみせかける。

○武岡孫子:またその反対の行動をとる。

○著者不明孫子:遠ざかるときには近づくように見せかけ、

○学習研究社孫子:遠くにいても、近くにいるように見せかける。

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2012-05-30 (水) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

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『近くとも之れに遠きを視し、』:本文注釈

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近-①へだたりが少ない。㋐距離的にちかい。㋑時間的にちかい。ちかごろ。㋒つながりがちかい(者)。②ちかづく。そばに寄る。【解字】形声。「辶」+音符「斤」(=わずか)。わずかの道のりの意。

遠-①へだたりが大きい。とおい(所・将来)。おくふかい。②とおざける。とおざかる。③「遠江国」の略。【解字】形声。「辶」+音符「袁」(=長い)。長く歩いて行く意。転じて、道のりがとおい意。



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○天野孫子:近而示之遠、遠而示之近-「遠」「近」は空間上について言うばかりでなく時間上についても言う。一説に『略解』は「遠近は地の里数で云ふ。時の久と急とを遠近と説くは非なり」と。なお「遠」「近」はわれの行為をあらわすものとして用いているから、遠ざかる、近づく、遠くにおる、近くにおる、遠い将来に撃つ、近い中に撃つなどの意を持つと解される。「近而示之遠」は敵に近づくのに遠ざかるように見せる、敵に近くいて遠くにいるように見せる、近い中に敵を攻めるのにのちのちになって敵を攻めるように見せる、などの意。従ってこれは前二句の意と同意である。「遠而示之近」は、前述と反対の意。従ってこれは「不能而示之能、不用而示之用」と同意。この両句は、その意図するところ前二句の意と同じであるから前二句の意に基づいて生じたもの。一説に『国字解』は「近国を攻むべきと思はば、遠国を攻めるふりにもてなし、遠国に働くべきとする時は、近所に働くふりをすることなり」と。

○守屋孫子:遠ざかると見せかけて近づき、

○フランシス・ワン孫子:『近而示之遠、遠而示之近。』 一、仏訳は、本項の遠近を位置と距離のことと解しているが、無論、時間も含まれる。真珠湾作戦に於て、我が海軍は、攻撃部隊の進出を秘匿して内地に在るが如く思わせることに成功したが、これは、「近くして之に遠きを示す」位置の例とすることができる。有名な明智光秀の「敵は本能寺に在り」の奇襲要領も、同様に、位置と距離の例とすることができる。しかし、そもそも、織田信長に、その謀叛はあってもまだ先のことと判断せしめていた行動要領の面からすれば、時間の例とすべきであろう。第四次中東戦争に於て、エジプトが開戦を決意しながら、遠近の計によって戦意なき者の如くよそおい、イスラエルをして、戦争は生ずるとしてもまだ数年先のことと判断せしめたのは、時間の例である。  一、本項の遠近の計は、古来、侵略もしくは不意打ちを意図する国が必ず用いる所である。しかし、現在の我国では、このことを殊更に認めまいとする。それは、たとえば、近年話題となった「ソ連の意図と能力」という愚かしさを通りこした論争にも見ることができよう。李筌は「(遠近の計は)、敵をして備えを失わしむるなり」と註しているが、我々が、ソ連の謀略或は米国マスコミの貧すりゃ鈍する思考様式に迷わされて、備えを失う者とならねば幸である。

○重沢孫子:敵に近づいて襲撃しようとする時は、敵から遠ざかるように、

○田所孫子:近而示之遠、遠而示之近とは、時日・距離等の遠近をすべて反対に見せかけておくこと。

○著者不明孫子:【近而示之遠】 「近・遠」は「近づく・遠ざかる」という動詞(戦場あるいは敵のいる位置に近づく、そこから遠ざかる意)として理解した。諸注もだいたいそのように説明している。距離が「近い・遠い」という意味の形容詞と解することもできるが、距離を違うように見せかけるのはきわめて困難であろう。

○諺義:是れは我れ實は近き所より直に働きてかれをうつべきを、彼れには遠くみせて遠をふせがしめ、近所を虚ならしむる也。又速に攻撃すべき奥意を以て、わざと長陣の體を示すも同意也。

○孫子国字解:『近くして之に遠きを示し、遠くして之に近を示す』 近國を攻むべきと思はば、遠國を攻るふりにもてなし、遠國に働くべきとする時は、近處に働くふりをすることなり。


十家註孫子:『近くして之に遠を示し、遠くして之に近を示し、』

○杜佑:進まんと欲して去る道理なり。言うこころは多く宜しく其の近を設け耀く敵軍を誑かすべし。之を示すに遠を以てし、本より其の近に従う。韓信の安邑を襲い、舟 臨晉に陳して夏陽に渡るが若し。

○李筌:敵をして備えを失わ令むるなり。漢の将韓信 魏王豹を虜にす。初めて舟を陳し臨晉に渡らんと欲す。乃ち師を潜み木?を浮かべ、夏陽に従い安邑を襲う。而して魏備えを失するなり。耿弇の張歩して往く。亦先ず臨淄を攻める。皆遠勢を示すなり。

○杜牧:近くに敵を襲わんと欲すれば、必ず示すに遠きに去るの形を以てす。遠きに敵を襲わんと欲すれば、必ず示すに近くに進むの形を以てす。韓信 兵臨淄に盛んにして、夏陽に渡る。此れ乃ち示すに近きを形に以てして、遠き敵を襲うなり。後漢の末 曹公・袁紹官渡に相持す。紹 将 郭圖・淳于瓊・顔良等 東郡太守 劉延を白馬より攻め遣わす。紹 兵を引いて黎陽に至る。将に渡河せんとす。曹公北は延津を救う。荀攸曰く、今兵少なく敵ならず、兵勢を分てば乃ち可なり。公 兵延津に致る。将に兵を渡さんと欲し其の後に向かう。紹 必ず西は之に應じんとす。然る後軽兵白馬を襲う。其の不備を掩(おお)う。顔良 擒とす可し。公 之に従う。紹 兵渡すを聞かば即ち留まる。兵を分ち西は之に應ず。公 乃ち引きて白馬に趨く。未だ十餘里に至らずして、良 大いに驚き来たり戦う。張遼・関羽前進せ使む。撃破し顔良を斬る。白馬圍みを解く。此れ乃ち示すに遠形を以てして、近くに敵を襲うなり。

○賈林:去就我に在り。敵何に由りて知る。

○梅堯臣:其の測ること能わざら使む。

○王晳:上註に同じ。

○何氏:遠にして之に近きを示すとは、韓信 舟臨晉に陳して、夏陽に渡す是なり。近くして之に遠きを示すとは、晉侯虢を伐つ。道于 虞(おそれ)を假にす是なり。

○張預:近くに之を襲わんと欲せば、反して示すに遠きを以てす。呉 越と水来るに相拒む。越左右句卒を為し、相去りて各五里。夜爭いて鼓鳴りて進む。呉人分ちて以て之を御す。越の潜(ひそ)みて渉る。呉の中軍に當りて之を襲う。呉の大敗是なり。遠きに之を攻めんと欲せば、反して示すに近きを以てす。韓信 兵臨晉に陳して、夏陽に渡す是なり。


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○金谷孫子:近づいていても敵には遠く見せかけ、

○浅野孫子:実際は目的地に近づいていながら、敵に対しては、まだ目的地から遠く離れているかのように見せかけ、

○天野孫子:近いのでありながら敵に遠いように示したり、

○町田孫子:近づいていても遠くにいるようにみせかけ、

○フランシス・ワン孫子:『近而示之遠、遠而示之近』 近くに居る時は遠くに居る如く思わせ、遠く離れている時は近くに居る如く思わせよ。

○大橋孫子:近くにいるのに遠くにいるように、

○武岡孫子:主力部隊は近くにいるのにかくさせておいて、遠くに主力がいるように行動させて敵を欺く。

○著者不明孫子:近づくときには遠ざかるように見せかけ、

○学習研究社孫子:近くにいながら、遠くにいるように見せかけ、

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2012-05-24 (木) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

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『用なるも之れに不用を視し、』:本文注釈

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各注釈者によって、「用」の意味は千差万別である。

用-①つかう。役立てる。もちいる。②はたらき(がある)。③する必要のある仕事。必要な金品。④もって(=以)。【解字】長方形の板に「卜」(=棒)を加え、板に棒で穴をあける意を示す会意文字。力や道具の働きの意。


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○天野孫子:用而示之不用-「用」は用いること。『略解』は「用は上の能と同じく広く云ふ。人を用ゆるも、謀を用ゆるも、器を用ゆるも、地を用ゆるも、皆兼ねてみるべし」と。以上の二句について『諺義』は「此二句皆裏を心得べし。能くせずして能くすることを示し、用ひずして用ふることを示すも、同意なり」と。その通りであるが、しかし本部隊・主力部隊の戦術を説くのが主目的であるから、「能而示之不能、用而示之不用」の戦術が中心となっている。「能而示之不能、用而示之不用」は、一小部隊において取る戦術である。従って両戦術を同一視することはできない。なお以上の二句は後述によって知るように詭道の基本を示したもの。

○大橋孫子:用いて-ある方法をとる  之に-敵に

○武岡孫子:用いて-ある方法をとる  これに-相手方に

○守屋孫子:必要なのに不必要と見せかける。

○田所孫子:用而示之不用とは、有力な武器など使用するはずだが、一向そんなものは使用しないように見せかけるとの意。

○重沢孫子:わが部隊を動かしても、敵には動かさないように見せかける。

○著者不明孫子:【用而示之不用】 「而」は乃(すなわち)と同じ。「…ならば」という接続詞。「之」は特に指すものはない。「示之」は要するに「示す、見せかける」こと。強いていえば、敵に見せかけること。「用」は指揮官・兵士や武器など(あるいはそれらの総体としての軍隊)が有用であること(杜牧の説がこれに近い)。軍隊を用いて戦争をする意味にとる説(李筌など)もあるが、上文の「能・不能」とだいたい同じことを別の語で表したものと理解される。

○孫子諺義:用ひてとは其の謀其の事を實は用ひて、彼れには用ひざることを示す也。此の二句皆うらを心得べし。能くせずして能くすることを示し、用ひずして用ふることを示すも同意也。よわきをつよくみせ、小勢を大勢にみせ、なきものをあるごとくみせ、退くはすすむ如くみせて、其の心を虚ならしむる同意也。此の如く取推して用ふる也。是れ能く變に應ずるの兵法なり。

○杜佑:言うこころは己は實にして能く師を用い、外は之に怯を示すなり。孫臏 竈を減らして龐涓を制すが若きなり。

○李筌:言うこころは己は實にして師を用い、外は之に怯を示すなり。漢の将 陳豨 反(そむ)き 兵匈奴を連ね、高祖十輩を遣使わし之を視る。皆言うは撃つ可し。復た劉敬を遣わす。報じて曰く、匈奴撃つ可からず。上其の故を問う。對えて曰く、夫れ兩國相制す。宜しく其の長を矜誇(ほこ)るべし。今臣往く。徒(いたずら)に羸老(るいろう)[老い衰えること。また、その人。]を見る。此れ必ず能くして之れに不能を示す。臣以て撃つ可からざるを為すなり。高祖怒りて曰く、齊虜口舌を以て官を得る。今妄(みだ)りに吾が衆を沮(はば)む。婁敬 廣く武を械[①からくり。しかけ。道具。②かせ。手かせ・足かせ。【解字】形声。「木」+音符「戒」(=いましめる)。木製のかせの意。]す。三十萬の衆を以て白登に至る。高祖匈奴圍む所を為して七日、食乏し。此れ師外に之を示し怯を以てすの義なり。

○杜牧:此れ乃ち詭詐にして形を藏す。夫れ形する者は敵に見ら使む可からず。敵人形を見れば必ず應ずる有り。傳に曰く、鷙鳥将に撃たんとすれば、必ず其の形を藏す。匈奴羸老[老い衰えること。また、その人。]を漢の使いに示す如きの義なり。

○王晳:強にして弱きを示す。勇にして怯を示す。治めて亂を示す。實にして虚を示す。智にして愚を示す。衆にして寡を示す。進みて退くを示す。速きにして遅きを示す。取りて捨を示す。彼に此れを示す。

○何氏:能にして之に不能を示すとは単于[匈奴の君主の称号。] 羸師[羸-やせる。つかれる。よわる。よわい。] 高祖を誘い平城に圍むが如き是れなり。用にして之に不用を示すとは、李牧 兵 雲中[戦国時代の趙の地。今の山西省北部。歴代北方異民族との接触地。秦では雲中郡、唐では雲中都護府(のちの単于都護府)を置く。]に按じて[①おさえる。または、なでる。もむ。②考えをめぐらす。③調べる。]匈奴大敗す是れなり。

○張預:戦わんと欲して之に退くを示す。速きを欲して之に緩を示す。班超[後漢の将軍。字は仲升。班彪の子。班固の弟。西域諸国を鎮撫し西域都護となり、定遠侯に封ぜられた。97年、部下の甘英を大秦に派遣した。( 32~102)] 莎車を撃ち、趙奢 秦軍を破るの類なり。


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○金谷孫子:勇敢でも敵にはおくびょうに見せかけ、

○浅野孫子:本当は自軍がある効果的な運用ができる状態にあっても、敵に向けては、そうした効果的運用ができない状態にあるかのように見せかけ、

○町田孫子:兵を動かしていても動いていないようにみせかけ、

○天野孫子:味方がある事を用いるのに敵にそれを用いないように示したり、

○大橋孫子:たとえば、ある戦法を用いているのに用いていないように、

○武岡孫子:すでに使っているのに使っていないふりをする。

○著者不明孫子:役に立てば役に立たぬように見せかけ、

○学習研究社孫子:実際によく指揮ができても、指揮が伝わらないように見せかける。

○フランシス・ワン孫子:「用而示之不用」-積極的に出んとするときは、消極的であるかの如くよそおうべきである。

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