2012-03-15 (木) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
にほんブログ村
『法とは、曲制・官道・主用なり。』:本文注釈
⇒意訳に移動する
法-①おきて。規則。②(儀式の)しきたり。礼式。規範。③てだて。やりかた。④基準となる数。【解字】[灋]の略体。会意。「水」+「廌」(=珍獣の名)+「去」(=ひっこむ)。珍獣をおりの中に囲みこむ意。転じて、おきて・のりの意。
註
人気ブログランキングへ
○金谷孫子:曲制-曲は部曲すなわち軍隊の部わけ。それについての制度をいう。以下「主用」までの六字を六種に分けて解釈する説もある。 官道-道は治と同じ。軍中の職分の治め方。
○浅野孫子:曲制-軍隊内の部曲・部署分けの制度を定めた軍法をいう。 官道-軍を監督する官吏の職制や権限を定めた軍法。古代中国の軍制では、行軍篇に「吏の怒る者は倦むなり」と見えるように、常に各種の官吏が同行して軍を監督した。 主用-軍の運用について、君主と将軍との間に取り決められた、指揮命令系統上の軍法を指す。地形篇に「戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うも、必ず戦いて可なり。戦道勝たざれば、主は必ず戦えと曰うも、戦う無くして可なり」とあるように、古代中国の軍制では、君主は割り符を持たせた使者を前線の将軍のもとへ派遣して、背後から軍の運用を指揮・制御した。
○武岡孫子:曲制-編制 官道-服務規律 主用-軍用品
○天野孫子:法者曲制官道主用也-「曲制」「官道」「主用」について『孫子』十三篇にそれを説くものがない。『鶡冠子』天則篇に「法とは曲制官備主用なり」とあって、それは行政上の諸官制度として述べてあるが、この句も同様であろう。その具体的内容は知り得ないが、一応「曲制」とは国政上つぶさに整備された制度、「官道」とは諸官の地位・職務などの規定、「主用」とは用をつかさどることであるから、国政上の種々の運営の意に解する。『新釈』は「孫子は素より兵法の書ではあるけれども、戦勝の根柢を強固にする為に政治・経済等の全般に亘って説いてをるのである。五事の如きは一国の国政の大綱を論じてをるのであって、決して軍隊内部の事のみに限定せられてをるのではない。此の事は既に『道』の定義に於て孫子が『卒』と言はずして『民』と明瞭に言ってをる所に表はれてゐる。この『法』も亦一国の国政全般に関する法であって、決して軍隊のみの編制や坐作[すわることとたつこと。たちい。動作。]進退の法に限ったものではない」として、「曲制」を分課分掌の制度、「官道」を上下官職の秩序、「主用」を曲制・官道共に其の運用の宜しきを得ることとしている。一説に兵法上のことと解して、梅堯臣は「曲制とは、部曲、隊伍、分画に必ず制あるなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道あるなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度あるなり」と。また、曲制官道主用を三分して解釈する外に、六分して解釈するのがある。王晳は「曲とは卒伍の属、制とは其の行列進退を節制するなり。官とは群吏偏裨なり。道とは軍行及び舎る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ」と。部・曲・隊・伍はいずれも軍隊の編成単位。裨は裨将すなわち副将。偏は裨と同じ。校は指揮官。
○フランシス・ワン孫子:「法」とは、軍事制度(軍事体制)のことであるが、その中で「官道」即ち人事を、仏訳は「将校を適所へ昇進させる能力」と解して特色がある。
○守屋孫子:「法」とは、軍の編成、職責分担、軍需物資の管理など、軍制に関する問題である。 「法」とは軍制、軍律の意である。これがないと、兵士の一人ひとりがいかに強くても、軍としてのまとまりを欠き、たんなる烏合の衆と化してしまう。
○田所孫子:法とは、軍隊の編成組織のことで、これを三つに分けて、曲制・官道・主用となし、その曲制とは大隊・中隊・小隊・分隊等のような部隊編成であり、その官道とはそれぞれの部隊を統率指揮する部将のことであり、主用とは兵糧・弾薬等を取扱う兵站部のことである。
○重沢孫子:第五の”法”は、字面からも大体わかるように、部隊の戦闘力を保持するために不可欠な、体制保持の問題として理解します。曲は部曲などともいわれ、部隊の編成単位をなす隊列のこと。隊列の乱れは部隊の秩序に重大な混乱を生じますから、厳守します。制は、号令や情報などの伝達手段としての銅鑼・太鼓。旗幟などの規定を指します。官は、部隊の戦闘行動を側面から支える、裏方的な公務一般。道は、文字どおり道路のこと。部隊の行動はもちろん、戦闘資材や食糧の輸送などを確保するために、道路はきわめて重要です。主は、部隊が必要とする資財の管理。用は、部隊の所要経費。以上の五者、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。
○著者不明孫子:【曲制】部隊の編制の仕方。「曲」は部分・分けるの意で、ここでは軍隊を部分けした隊伍をいう。 【官道】指揮官の統率。「官」は各単位の部隊の隊長・副隊長その他の軍官。「道」は導く・指導・統率の意。「官道は裨校首長の統率必ず道有るなり」(裨校首長は副将以下の各級幹部)と注する梅堯臣の説がほぼ近い。その他、道を糧道とする説(曹操)その他諸説があるが、いずれも落ち着かない。 【主用】経理の運用の仕方。「主」は軍の経理を主管すること、またその人。「用」は軍の経費、またはその運用。
○諺義:法者、曲制官道主用也-曲は人衆を分つの法也。衆寡により士卒によつて、品々の法あること也。一よりおこり伍にいたり、伍よりくみわけて、百千萬に至れり。其のわかつ作法あること也。制は人衆をつかふの制法也。人相あつまるときは、紛雜[ごたごたとこみいっていること。紛錯(ふんさく)。]して聲通ぜず、このゆゑに其の耳目を一つにいたすため、金鼓旌旗烟火を用ひて、色と音とに約束を定め、人を進退せしめ、遠近を一にする、これを制法と云ふ。官は兵士それぞれに頭をつけ奉行をおきて、その下知をなさしむること也。五人より百千萬まで、段々に其のつかさを定めておくときは、衆又寡に同じきがごとくつかはるる也。心の四支をつかひ四支の指をうごかすが如くならしむるは官也。道は往来の道を考へ、其の遠近について、用法をつまびらかにきはめ、營法糧道利不利をはかること也。主はもののあづかりつかさどるの類を云ふ。粮食文書等にいたるまで、掌る所あるは主也。官と云ふに同義に似たりといへども、官は士卒についての長奉行を云ひ、主は事物大小事ともに皆そのあづかるものあること也。用は軍用也。諸色の品々多し。人馬・器械・用具・粮食・衣服にいたるまで、軍用をさして用と云ふ也。主用は舊説[旧説]皆二つに分てり。講義に主将の用と注して、主将の用を主用といへり。魏武帝及び李筌は主の掌の儀也と注す。全書(武徳全書)には、主者主守之人也と注す。留守をつかさどるものを云ふといへり。しかれども六段にわけて注すること、つまびらかにして相通ずる也。張賁はこれを三段にわかてり。部曲制有り、分官道有り、各をして其の用を主ら使むと。是れ三段にみるの説也。武経大全に云はく、一説に、制は必ずしも金鼓旗幟と指定せず、凡そ軍中の擧動皆一個の制有りと。亦是也。以上五事、孫子自ら注解して是れを以て兵法の経とし、軍事を治むるの要領とす。孫子十三篇は論ずるに及ばず、すべて此の五事は主将事を為すの大要也と知る可き也。
○孫子国字解:法とは、曲制、官道、主用なり。-是は五事の内の五曰法とある。其法と云は、如何様のことを云ぞと、其わけを説けり。法は法令なり。軍中の法度掟を云なり。人の生れの一様ならざること、面の異なるが如し。けなげ[①勇ましいさま。勇健。②しっかりして強いさま。すこやかなさま。健康。③殊勝。④(子供など弱い者が)けんめいに努めるさま。]なる人あり。臆病なる人あり。目のはやき[関心や注意が、すばやく向く。即座に見てとる。]人あり。手はしかき人あり。手ぬるき[きびしくない。扱いが寛大である。きっぱりせずまだるっこい。]人あり。足はやき人あり。おそき人あり。其外気だてかたぎ[気質-(「形木(かたぎ)」から転じて)①物事のやり方。慣習。ならわし。②顔やからだの様子。また、性質や気だて。③(「形気」「容気」「形儀」とも書く)身分・職業・年齢などに相応した特有の類型的な気風。]一様ならず。大将一人一人を直にひきまはさば、大将の心の如くになるべけれども、是又ならぬことなり。士大将の心々、又各別なれば、たとへば連碁[数人の者が二組に分かれ、一局の碁を何手かずつ代わる代わる打つこと。また、その碁。]を打が如し。一人よき手をすれば、次の人あしき手をうちて、前うちたる石は無になるは、心の一致せざる故なり。心一致すれば、千萬人の力ひとつに合て、一人の力となるゆへ、千萬人がけの力なり。心一致せざれば、千萬人われわれになりて、一人づつの力なり。故に軍には法度掟を定めて、千萬人の力を一人の力となすことなり。世間にきやりと云ふことあり。木やりを云ておんどを取り、ゑい音をそろへて、是をあぐれば、十人しても擧らぬ重き物も、五人してもあがるなり。十人の力よはきに非ず。五人の力つよきに非ず。力の一致すると、一致せぬとの違ひなり。きやりと云法に非れば、多くの人の力一致せざる如く、軍にも法と云もの有て、百萬の軍兵も我身を使ふが如し。されば道、天、地、将、法の五は、何れも一つとしてかけて叶はぬことなれども、道将法の三を又肝要とするなり。士卒の思ひつかざる大将の、士卒の一致したる大将と戦て勝つと云ふこと、古今其ためしなければ、道の肝要なること勿論なれども、それは平生のことにて、軍に臨んでは、将法の二にきはまる。将に五徳備るれば、天の時、地の利をあやまつことは、決してなきことなり。又法も、五徳備りたる将の、法度掟のあしきことはあるましき様なれども、何ほど五徳備るとも、いまだ聖人の地に至らずんば法の微妙を盡すことあたふまじ。よく名将の法を傳受して、つねづねも心をつけて吟味して、士卒につねづね是をならはしめ、よく練熟せざれば、たとひ五徳備る将とても、士卒吾が手足を使ふ如にならぬゆへ、法と云ものにてはなきなり。されば五事の内にても、尤法を肝要の至極とやすべき。古より名将のよく法を立置たる跡は、二代目の大将つぎにても、兵威先代にをとらぬことなりとぞ。扨この曲制、官道、主用と云に、古来様々の説あり。梅堯臣[北宋の詩人。字は聖兪。宣州宛陵(安徽宣城)の人。官は尚書都官員外郎。詩は深遠古淡。著「宛陵先生集」。(1002~1060)]茅元儀が説は、曲制と、官道と、主用と、三にわけて説けり。まづ曲制とは、備分陣取の法制なり。備立の根本は、人の家に東西南北の四の隣ありて、合て五を五人組と定むるより、五人を一伍と云、是備の元なり。十伍を一隊と云、五十人なり。二隊を一曲と云、百人なり。何萬人なりとも、是より段々に組立るゆへ、曲と云時は、備のことは皆こもるなり。備分の法制とは、如何様なることぞと云に、旗馬印[【旗標・旗印】戦場で、目じるしとして旗につける紋所・文字または種々のかたち。 【馬印・馬標・馬験】戦陣で、大将の馬側に立ててその所在を示す目標としたもの。天正(1573~1592)の頃はじまる。秀吉の千生瓢箪(せんなりびょうたん)、家康の開き扇の類。]、笠印[【笠標・笠符】戦陣で味方の目じるしに兜などにつけた標識。多くは小旗を用いた。]、袖印[【袖標・袖印】合印(あいじるし)の一種。戦陣などで敵・味方を見分けるため、鎧の左右の袖につけた小旗・布片の類。]、金太鼓、坐作進退の合圖なり。是にて何萬の人數にても、分合自在の變を、一人を使ふ如くならしむ。官道とは官の道なり。官と云は、軍中には、組頭、小組頭、旗奉行、鐵砲大将、弓大将、長柄頭[槍頭]、目付、使番[①安土桃山時代、戦時に伝令使となり、また、軍中に巡察した者。②江戸幕府の職名。若年寄に属し、戦陣では主命を伝え、平時には遠国役人の監察使・国目付・巡見使などを勤める。③江戸時代、将軍家の大奥の女中の職名。④走り使いをする者。]などとて、それぞれの役儀あり。是官なり。官の道と云は、各其役儀役儀にて、士卒をすべくくりて、それぞれのすぢ道あり。是は士大将のいろふこと、物頭のいろふこと、目付のいろふこと、いろはぬことと云筋みちあるなり。それゆへ曲制にて分ちて、官道にてつらぬくなり。主用と云は、用度をば主る人ありと云意なり。用度とは、兵粮、小荷駄、金銀米穀等、陣取の具、城攻の具、或は賓客のもてなし、褒美に與ふる物などなり。是皆主る役人別に有て、合戦を司る人はかまはぬことなるゆへ、官道の外に、又主用と云なり。軍中の法度掟は、右の三の上に立つことなるゆへ、法者曲制、官道、主用也と云なり。劉寅が説には、曲制官道を皆備分のことなりと云へり。其時は十伍を隊とし、二隊を曲とす。前に見へたり、二曲を官と云二百人なり。然れば曲も官も皆備組のことにて、曲制は備の法制なり。前の説と同じ。官道は備立陣取には往来の道を明け、又は備押の次第、兵粮の運送など皆道なり。扨主用と云は、主とし用ると云ことなり。曲制官道の仕形[仕方]、いかやうの陣法を主とし用ると云こと有て、是にて軍の勝負分るるゆへ、敵は何を主とし用る、味方は何を主とし用ると云ことを、たくらべはかりて、勝負を察すると云ことなりと云へり。此説も文勢の上にて云へば、宜しく聞ゆるなり。前の説と合せ見れば、事たらぬ様なれども、役分も用度も、備に付たるものなれば、右の二の説をよきとやすべき、又杜牧張預が説も、大抵右の二説の意に出ず。
○孫子評註:「法とは曲制(軍隊の部隊の編制。)・官道(各種の役職によって士卒を統御する組織。)・主用(経理・兵器・食料等の用度に関すること。)なり。」-張賁(唐代の学者。)云はく、「部曲(部隊。)、制あり、分官(役職の組織。)、道あり、各々其の用を主とせしむ」と。按ずるに、主用とは實用を主とするなり。曲制や官道や、何れの國かあることなからん。特(た)だ其の空文たるを患(うれ)ふるのみ。 ○地の字は、明かに地形・九地の二篇に於て詳かに之れを説き、法は則ち軍形・兵勢に具し、道と将と其の中に在り。
○曹公:曲制とは部曲旛[はた]幟金鼓の制なり。官とは百官の分なり。道とは糧路なり。主用とは主な軍費用なり。
○李筌:曲は部曲なり。制は節度なり。官は爵賞なり。道は路なり。主は掌なり。用とは軍費用なり。皆師の常法にして、将の治る所なり。
○杜牧:曲とは部曲・隊伍に分畫有るなり。制とは金鼓・旌旗に節制有るなり。官とは偏裨校列に、各官司有るなり。道とは營陳開闔[闔-とじる。]に、各道徑有るなり。主とは管庫・廝養[たきぎ取り、馬の世話などの雑役をする者。めしつかい。こもの。]職を守り、其の事を主張することなり。用とは車馬・器械、三軍須用[なくてはならないもの。]の物なり。荀卿曰く、械[道具]を用うるに數有り。兵とは食を以て本と為す。須らく先ず糧道を計利し、然る後師を興すべし。
○梅堯臣:曲制とは部曲、隊伍・分画に必ず制有るなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道有るなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度有るなり。
○王晳:曲とは卒伍の屬、制とは其の行列進退を節制することなり。官とは羣吏偏裨なり。道とは軍行及び舍る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ。
○張預:曲とは部曲なり。制とは節制なり。官とは偏裨[将軍の官名]の任を分つを謂う。道とは糧餉[餉-(携帯用に)ほした飯。かれいい。かれい。弁当。兵糧。]の路を利するを謂う。主とは軍資を職掌するの人なり。用とは費用の物を計度するなり。六者は兵を用いるの要なり。宜しく處置は其の法に有るべし。
意訳
○浅野孫子:第五の法とは、軍隊の部署割りを定めた軍法、軍を監督する官僚の職権を定めた軍法、君主が軍を運用するため将軍と交した、指揮権に関する軍法などのことである。
○金谷孫子:[第五の]法とは、軍隊編成の法規や官職の治め方や主軍の用度[などの軍制]のことである。
○天野孫子:第五の法とは、万端遺漏のない制度と、諸官の地位・職務の規定と、それらの運営とを言う。
○フランシス・ワン孫子:軍事制度(軍事体制)によって、彼我の軍の組織・編成、管理・統率力と将校を適所へ昇進させる能力(人事)、兵站ルートの管理・運営と軍の必需品に対する国家の供給能力をしるのである。
○町田孫子:法とは、軍隊編成の法規や官職の担当分野のきまりや、主軍の用度などについての軍制のことである。
○武岡孫子:法とは軍事制度に基づく軍隊の組織、編制、管理、統率力、人事、兵站の管理・運営と兵員および軍需品に対する国家の供給力。
○著者不明孫子:法とは、部隊の建制、軍官の統率、経理の運用などのことである。
○学習研究社孫子:法とは、詳細に定められた制度と、官吏の行動規則と、財政の運用をいうのである。
⇒このページのTopに移動する
⇒トップページに移動する
⇒計篇 全文に移動する
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
にほんブログ村
『法とは、曲制・官道・主用なり。』:本文注釈
⇒意訳に移動する
法-①おきて。規則。②(儀式の)しきたり。礼式。規範。③てだて。やりかた。④基準となる数。【解字】[灋]の略体。会意。「水」+「廌」(=珍獣の名)+「去」(=ひっこむ)。珍獣をおりの中に囲みこむ意。転じて、おきて・のりの意。
註
人気ブログランキングへ
○金谷孫子:曲制-曲は部曲すなわち軍隊の部わけ。それについての制度をいう。以下「主用」までの六字を六種に分けて解釈する説もある。 官道-道は治と同じ。軍中の職分の治め方。
○浅野孫子:曲制-軍隊内の部曲・部署分けの制度を定めた軍法をいう。 官道-軍を監督する官吏の職制や権限を定めた軍法。古代中国の軍制では、行軍篇に「吏の怒る者は倦むなり」と見えるように、常に各種の官吏が同行して軍を監督した。 主用-軍の運用について、君主と将軍との間に取り決められた、指揮命令系統上の軍法を指す。地形篇に「戦道必ず勝たば、主は戦う無かれと曰うも、必ず戦いて可なり。戦道勝たざれば、主は必ず戦えと曰うも、戦う無くして可なり」とあるように、古代中国の軍制では、君主は割り符を持たせた使者を前線の将軍のもとへ派遣して、背後から軍の運用を指揮・制御した。
○武岡孫子:曲制-編制 官道-服務規律 主用-軍用品
○天野孫子:法者曲制官道主用也-「曲制」「官道」「主用」について『孫子』十三篇にそれを説くものがない。『鶡冠子』天則篇に「法とは曲制官備主用なり」とあって、それは行政上の諸官制度として述べてあるが、この句も同様であろう。その具体的内容は知り得ないが、一応「曲制」とは国政上つぶさに整備された制度、「官道」とは諸官の地位・職務などの規定、「主用」とは用をつかさどることであるから、国政上の種々の運営の意に解する。『新釈』は「孫子は素より兵法の書ではあるけれども、戦勝の根柢を強固にする為に政治・経済等の全般に亘って説いてをるのである。五事の如きは一国の国政の大綱を論じてをるのであって、決して軍隊内部の事のみに限定せられてをるのではない。此の事は既に『道』の定義に於て孫子が『卒』と言はずして『民』と明瞭に言ってをる所に表はれてゐる。この『法』も亦一国の国政全般に関する法であって、決して軍隊のみの編制や坐作[すわることとたつこと。たちい。動作。]進退の法に限ったものではない」として、「曲制」を分課分掌の制度、「官道」を上下官職の秩序、「主用」を曲制・官道共に其の運用の宜しきを得ることとしている。一説に兵法上のことと解して、梅堯臣は「曲制とは、部曲、隊伍、分画に必ず制あるなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道あるなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度あるなり」と。また、曲制官道主用を三分して解釈する外に、六分して解釈するのがある。王晳は「曲とは卒伍の属、制とは其の行列進退を節制するなり。官とは群吏偏裨なり。道とは軍行及び舎る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ」と。部・曲・隊・伍はいずれも軍隊の編成単位。裨は裨将すなわち副将。偏は裨と同じ。校は指揮官。
○フランシス・ワン孫子:「法」とは、軍事制度(軍事体制)のことであるが、その中で「官道」即ち人事を、仏訳は「将校を適所へ昇進させる能力」と解して特色がある。
○守屋孫子:「法」とは、軍の編成、職責分担、軍需物資の管理など、軍制に関する問題である。 「法」とは軍制、軍律の意である。これがないと、兵士の一人ひとりがいかに強くても、軍としてのまとまりを欠き、たんなる烏合の衆と化してしまう。
○田所孫子:法とは、軍隊の編成組織のことで、これを三つに分けて、曲制・官道・主用となし、その曲制とは大隊・中隊・小隊・分隊等のような部隊編成であり、その官道とはそれぞれの部隊を統率指揮する部将のことであり、主用とは兵糧・弾薬等を取扱う兵站部のことである。
○重沢孫子:第五の”法”は、字面からも大体わかるように、部隊の戦闘力を保持するために不可欠な、体制保持の問題として理解します。曲は部曲などともいわれ、部隊の編成単位をなす隊列のこと。隊列の乱れは部隊の秩序に重大な混乱を生じますから、厳守します。制は、号令や情報などの伝達手段としての銅鑼・太鼓。旗幟などの規定を指します。官は、部隊の戦闘行動を側面から支える、裏方的な公務一般。道は、文字どおり道路のこと。部隊の行動はもちろん、戦闘資材や食糧の輸送などを確保するために、道路はきわめて重要です。主は、部隊が必要とする資財の管理。用は、部隊の所要経費。以上の五者、部隊の活動にとって不可欠なものですから、すべて規定に従って処理されなければならないという観点から、”法”として一括提示されています。部隊組織が乱れたり、金銭や物資の処理に不正が生じる可能性は、古今を問わず常にあったにちがいありません。
○著者不明孫子:【曲制】部隊の編制の仕方。「曲」は部分・分けるの意で、ここでは軍隊を部分けした隊伍をいう。 【官道】指揮官の統率。「官」は各単位の部隊の隊長・副隊長その他の軍官。「道」は導く・指導・統率の意。「官道は裨校首長の統率必ず道有るなり」(裨校首長は副将以下の各級幹部)と注する梅堯臣の説がほぼ近い。その他、道を糧道とする説(曹操)その他諸説があるが、いずれも落ち着かない。 【主用】経理の運用の仕方。「主」は軍の経理を主管すること、またその人。「用」は軍の経費、またはその運用。
○諺義:法者、曲制官道主用也-曲は人衆を分つの法也。衆寡により士卒によつて、品々の法あること也。一よりおこり伍にいたり、伍よりくみわけて、百千萬に至れり。其のわかつ作法あること也。制は人衆をつかふの制法也。人相あつまるときは、紛雜[ごたごたとこみいっていること。紛錯(ふんさく)。]して聲通ぜず、このゆゑに其の耳目を一つにいたすため、金鼓旌旗烟火を用ひて、色と音とに約束を定め、人を進退せしめ、遠近を一にする、これを制法と云ふ。官は兵士それぞれに頭をつけ奉行をおきて、その下知をなさしむること也。五人より百千萬まで、段々に其のつかさを定めておくときは、衆又寡に同じきがごとくつかはるる也。心の四支をつかひ四支の指をうごかすが如くならしむるは官也。道は往来の道を考へ、其の遠近について、用法をつまびらかにきはめ、營法糧道利不利をはかること也。主はもののあづかりつかさどるの類を云ふ。粮食文書等にいたるまで、掌る所あるは主也。官と云ふに同義に似たりといへども、官は士卒についての長奉行を云ひ、主は事物大小事ともに皆そのあづかるものあること也。用は軍用也。諸色の品々多し。人馬・器械・用具・粮食・衣服にいたるまで、軍用をさして用と云ふ也。主用は舊説[旧説]皆二つに分てり。講義に主将の用と注して、主将の用を主用といへり。魏武帝及び李筌は主の掌の儀也と注す。全書(武徳全書)には、主者主守之人也と注す。留守をつかさどるものを云ふといへり。しかれども六段にわけて注すること、つまびらかにして相通ずる也。張賁はこれを三段にわかてり。部曲制有り、分官道有り、各をして其の用を主ら使むと。是れ三段にみるの説也。武経大全に云はく、一説に、制は必ずしも金鼓旗幟と指定せず、凡そ軍中の擧動皆一個の制有りと。亦是也。以上五事、孫子自ら注解して是れを以て兵法の経とし、軍事を治むるの要領とす。孫子十三篇は論ずるに及ばず、すべて此の五事は主将事を為すの大要也と知る可き也。
○孫子国字解:法とは、曲制、官道、主用なり。-是は五事の内の五曰法とある。其法と云は、如何様のことを云ぞと、其わけを説けり。法は法令なり。軍中の法度掟を云なり。人の生れの一様ならざること、面の異なるが如し。けなげ[①勇ましいさま。勇健。②しっかりして強いさま。すこやかなさま。健康。③殊勝。④(子供など弱い者が)けんめいに努めるさま。]なる人あり。臆病なる人あり。目のはやき[関心や注意が、すばやく向く。即座に見てとる。]人あり。手はしかき人あり。手ぬるき[きびしくない。扱いが寛大である。きっぱりせずまだるっこい。]人あり。足はやき人あり。おそき人あり。其外気だてかたぎ[気質-(「形木(かたぎ)」から転じて)①物事のやり方。慣習。ならわし。②顔やからだの様子。また、性質や気だて。③(「形気」「容気」「形儀」とも書く)身分・職業・年齢などに相応した特有の類型的な気風。]一様ならず。大将一人一人を直にひきまはさば、大将の心の如くになるべけれども、是又ならぬことなり。士大将の心々、又各別なれば、たとへば連碁[数人の者が二組に分かれ、一局の碁を何手かずつ代わる代わる打つこと。また、その碁。]を打が如し。一人よき手をすれば、次の人あしき手をうちて、前うちたる石は無になるは、心の一致せざる故なり。心一致すれば、千萬人の力ひとつに合て、一人の力となるゆへ、千萬人がけの力なり。心一致せざれば、千萬人われわれになりて、一人づつの力なり。故に軍には法度掟を定めて、千萬人の力を一人の力となすことなり。世間にきやりと云ふことあり。木やりを云ておんどを取り、ゑい音をそろへて、是をあぐれば、十人しても擧らぬ重き物も、五人してもあがるなり。十人の力よはきに非ず。五人の力つよきに非ず。力の一致すると、一致せぬとの違ひなり。きやりと云法に非れば、多くの人の力一致せざる如く、軍にも法と云もの有て、百萬の軍兵も我身を使ふが如し。されば道、天、地、将、法の五は、何れも一つとしてかけて叶はぬことなれども、道将法の三を又肝要とするなり。士卒の思ひつかざる大将の、士卒の一致したる大将と戦て勝つと云ふこと、古今其ためしなければ、道の肝要なること勿論なれども、それは平生のことにて、軍に臨んでは、将法の二にきはまる。将に五徳備るれば、天の時、地の利をあやまつことは、決してなきことなり。又法も、五徳備りたる将の、法度掟のあしきことはあるましき様なれども、何ほど五徳備るとも、いまだ聖人の地に至らずんば法の微妙を盡すことあたふまじ。よく名将の法を傳受して、つねづねも心をつけて吟味して、士卒につねづね是をならはしめ、よく練熟せざれば、たとひ五徳備る将とても、士卒吾が手足を使ふ如にならぬゆへ、法と云ものにてはなきなり。されば五事の内にても、尤法を肝要の至極とやすべき。古より名将のよく法を立置たる跡は、二代目の大将つぎにても、兵威先代にをとらぬことなりとぞ。扨この曲制、官道、主用と云に、古来様々の説あり。梅堯臣[北宋の詩人。字は聖兪。宣州宛陵(安徽宣城)の人。官は尚書都官員外郎。詩は深遠古淡。著「宛陵先生集」。(1002~1060)]茅元儀が説は、曲制と、官道と、主用と、三にわけて説けり。まづ曲制とは、備分陣取の法制なり。備立の根本は、人の家に東西南北の四の隣ありて、合て五を五人組と定むるより、五人を一伍と云、是備の元なり。十伍を一隊と云、五十人なり。二隊を一曲と云、百人なり。何萬人なりとも、是より段々に組立るゆへ、曲と云時は、備のことは皆こもるなり。備分の法制とは、如何様なることぞと云に、旗馬印[【旗標・旗印】戦場で、目じるしとして旗につける紋所・文字または種々のかたち。 【馬印・馬標・馬験】戦陣で、大将の馬側に立ててその所在を示す目標としたもの。天正(1573~1592)の頃はじまる。秀吉の千生瓢箪(せんなりびょうたん)、家康の開き扇の類。]、笠印[【笠標・笠符】戦陣で味方の目じるしに兜などにつけた標識。多くは小旗を用いた。]、袖印[【袖標・袖印】合印(あいじるし)の一種。戦陣などで敵・味方を見分けるため、鎧の左右の袖につけた小旗・布片の類。]、金太鼓、坐作進退の合圖なり。是にて何萬の人數にても、分合自在の變を、一人を使ふ如くならしむ。官道とは官の道なり。官と云は、軍中には、組頭、小組頭、旗奉行、鐵砲大将、弓大将、長柄頭[槍頭]、目付、使番[①安土桃山時代、戦時に伝令使となり、また、軍中に巡察した者。②江戸幕府の職名。若年寄に属し、戦陣では主命を伝え、平時には遠国役人の監察使・国目付・巡見使などを勤める。③江戸時代、将軍家の大奥の女中の職名。④走り使いをする者。]などとて、それぞれの役儀あり。是官なり。官の道と云は、各其役儀役儀にて、士卒をすべくくりて、それぞれのすぢ道あり。是は士大将のいろふこと、物頭のいろふこと、目付のいろふこと、いろはぬことと云筋みちあるなり。それゆへ曲制にて分ちて、官道にてつらぬくなり。主用と云は、用度をば主る人ありと云意なり。用度とは、兵粮、小荷駄、金銀米穀等、陣取の具、城攻の具、或は賓客のもてなし、褒美に與ふる物などなり。是皆主る役人別に有て、合戦を司る人はかまはぬことなるゆへ、官道の外に、又主用と云なり。軍中の法度掟は、右の三の上に立つことなるゆへ、法者曲制、官道、主用也と云なり。劉寅が説には、曲制官道を皆備分のことなりと云へり。其時は十伍を隊とし、二隊を曲とす。前に見へたり、二曲を官と云二百人なり。然れば曲も官も皆備組のことにて、曲制は備の法制なり。前の説と同じ。官道は備立陣取には往来の道を明け、又は備押の次第、兵粮の運送など皆道なり。扨主用と云は、主とし用ると云ことなり。曲制官道の仕形[仕方]、いかやうの陣法を主とし用ると云こと有て、是にて軍の勝負分るるゆへ、敵は何を主とし用る、味方は何を主とし用ると云ことを、たくらべはかりて、勝負を察すると云ことなりと云へり。此説も文勢の上にて云へば、宜しく聞ゆるなり。前の説と合せ見れば、事たらぬ様なれども、役分も用度も、備に付たるものなれば、右の二の説をよきとやすべき、又杜牧張預が説も、大抵右の二説の意に出ず。
○孫子評註:「法とは曲制(軍隊の部隊の編制。)・官道(各種の役職によって士卒を統御する組織。)・主用(経理・兵器・食料等の用度に関すること。)なり。」-張賁(唐代の学者。)云はく、「部曲(部隊。)、制あり、分官(役職の組織。)、道あり、各々其の用を主とせしむ」と。按ずるに、主用とは實用を主とするなり。曲制や官道や、何れの國かあることなからん。特(た)だ其の空文たるを患(うれ)ふるのみ。 ○地の字は、明かに地形・九地の二篇に於て詳かに之れを説き、法は則ち軍形・兵勢に具し、道と将と其の中に在り。
○曹公:曲制とは部曲旛[はた]幟金鼓の制なり。官とは百官の分なり。道とは糧路なり。主用とは主な軍費用なり。
○李筌:曲は部曲なり。制は節度なり。官は爵賞なり。道は路なり。主は掌なり。用とは軍費用なり。皆師の常法にして、将の治る所なり。
○杜牧:曲とは部曲・隊伍に分畫有るなり。制とは金鼓・旌旗に節制有るなり。官とは偏裨校列に、各官司有るなり。道とは營陳開闔[闔-とじる。]に、各道徑有るなり。主とは管庫・廝養[たきぎ取り、馬の世話などの雑役をする者。めしつかい。こもの。]職を守り、其の事を主張することなり。用とは車馬・器械、三軍須用[なくてはならないもの。]の物なり。荀卿曰く、械[道具]を用うるに數有り。兵とは食を以て本と為す。須らく先ず糧道を計利し、然る後師を興すべし。
○梅堯臣:曲制とは部曲、隊伍・分画に必ず制有るなり。官道とは、裨校首長、統率に必ず道有るなり。主用とは、主軍の資糧、百物に必ず用度有るなり。
○王晳:曲とは卒伍の屬、制とは其の行列進退を節制することなり。官とは羣吏偏裨なり。道とは軍行及び舍る所なり。主とは其の事を主守するなり。用とは凡そ軍の用、輜重糧積の属を謂ふ。
○張預:曲とは部曲なり。制とは節制なり。官とは偏裨[将軍の官名]の任を分つを謂う。道とは糧餉[餉-(携帯用に)ほした飯。かれいい。かれい。弁当。兵糧。]の路を利するを謂う。主とは軍資を職掌するの人なり。用とは費用の物を計度するなり。六者は兵を用いるの要なり。宜しく處置は其の法に有るべし。
意訳
○浅野孫子:第五の法とは、軍隊の部署割りを定めた軍法、軍を監督する官僚の職権を定めた軍法、君主が軍を運用するため将軍と交した、指揮権に関する軍法などのことである。
○金谷孫子:[第五の]法とは、軍隊編成の法規や官職の治め方や主軍の用度[などの軍制]のことである。
○天野孫子:第五の法とは、万端遺漏のない制度と、諸官の地位・職務の規定と、それらの運営とを言う。
○フランシス・ワン孫子:軍事制度(軍事体制)によって、彼我の軍の組織・編成、管理・統率力と将校を適所へ昇進させる能力(人事)、兵站ルートの管理・運営と軍の必需品に対する国家の供給能力をしるのである。
○町田孫子:法とは、軍隊編成の法規や官職の担当分野のきまりや、主軍の用度などについての軍制のことである。
○武岡孫子:法とは軍事制度に基づく軍隊の組織、編制、管理、統率力、人事、兵站の管理・運営と兵員および軍需品に対する国家の供給力。
○著者不明孫子:法とは、部隊の建制、軍官の統率、経理の運用などのことである。
○学習研究社孫子:法とは、詳細に定められた制度と、官吏の行動規則と、財政の運用をいうのである。
⇒このページのTopに移動する
⇒トップページに移動する
⇒計篇 全文に移動する
2012-03-04 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
にほんブログ村
『将とは、智・信・仁・勇・厳なり。』:本文注釈
⇒意訳に移動する
将-①軍隊をひきいる(人)。近衛(こんえ)府や近代的軍隊組織で長官・次官級の武官名にも用いる。②ひきつれる。たずさえ持つ。③まさに…せんとす。今にも…しようとする。④はた。はたまた。あるいは。【解字】「將」は、もと寸部8画。形声。「月」(=肉)+「寸」(=手)+音符「爿」(=大きい台)。机上に肉をのせて神にそなえすすめる意。神をまつる者は族長なので、統率者の意味が生じたという。
智-①頭のはたらき。理解し判断する力。②物事を判断する能力にすぐれている。かしこい。ものしり。
信-①まこと。うそ・いつわりを言わない。誠実。儒教で、五常[①儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。②[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。③[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。④[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]の一つ。②(相手の言葉を)まこととして疑わない。心から従う。③たより。手紙。伝達手段。④「信濃国」の略。【解字】会意。「人」+「言」。その人の言葉と心が一致している意。
仁-①人としての思いやり。いつくしみ。なさけ。②ひと。人物。③果実の核の中身。【解字】形声。「人」+音符「二」。人が二人並ぶ意を表し、仲間としての親しみを意味する。孔子はこの仲間意識を広く人に及ぼすことを説き、「仁」を儒教の根本理念とした。
勇-いさましい(気力)。いさむ。恐れず意気がさかんである。思い切りがいい。おじけず心を奮い立たせる。【解字】形声。「力」+音符「甬」(=わき出る)。体内からわき出る力の意。
厳-①おごそか(にする)。いかめしい。犯しがたい。②きびしい。はげしい。家庭内で母親の「慈」に対して父親に関する語として用いる。【解字】形声。「嚴」の下半部は音符で、きびしい、きつい意。「口」二つ(=口うるさく責める)を加えて、きびしくいましめる意。
註
○守屋孫子:「将」とは、知謀、信義、仁慈、勇気、威厳など将帥の器量にかかわる問題である。
○著者不明孫子:【将】将軍・大将。各単位各級の将があるが、ここは全軍の最高統率者である一人の主将・大将を指すのであろう。 【信】信義の信。うそをつかない。偽りがないこと。
○田所孫子:将とは、智と信と仁と勇と厳とを兼備した人物でなければならぬとの意。
○重沢孫子:第四は、指揮官の問題です。およそ指揮官たる者は、その地位の高下にかかわりなく、すべてこの五種の能力を身につけていなければならない。智は、創造性ゆたかな、思考・判断能力の総称。もちろん臨機応変の作戦能力を含みます。信は、他人を欺かない、他人に欺かれない道徳性。仁は、自分自身と同じように、他人を大切にする道徳性。当然、犠牲的精神が含まれます。勇は、正義を愛し不義を憎む実践的精神力。厳は、他人に対するのと同じように、自己に対して厳格である道徳性。この五者を兼ね備えていない限り、死生を争う条件下で部隊を指揮し、勝利を得ることはできないと、孫子は考えるのでした。ここにいう”将”は現地の指揮官を意味し、中央のいかなる高官でもまた君主でもありません。部隊の指揮官としてひとたび君命を受けた時点から、その部隊の全責任は完全に指揮官の手中に収められ、任命権者の君主でさえも何ら干渉できないという、厳然たる掟があります。このくらい厳格な指揮系統を確立しておかないと、実戦部隊の実効的活動に支障を来す可能性があったためですが、”将”に要求されているこの五条件は、こういう実情を背景において考えるとき、その必然性がよく理解できるのではないでしょうか。
○天野孫子:将者智信仁勇厳也-「将」は一国の軍の総大将。その下の武将は地形篇・行軍篇で、大吏・吏と言う。「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。『直解』は「人の情に達し、事の微を見、詐も惑はす能はず、讒も入る能はず、変に応じて常無く、禍を転じて福と為す。此れ将の智なり」と。「信」は将の部下からの信頼。九地篇に「令せずして信あり」と。一説に『直解』は「進んで重賞あり、退きて重罰あり。賞は親しきに私せず、罰は貴きを避けず。政に二三無く、誠に能く衆を服す。此れ将の信なり」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。地形篇に「卒を視ること嬰児の如し」と。「勇」は何ものにも恐れない勇気。『諺義』は「勇は恐れざるなり。強きものに臨んでよく忍びつとめ、危きを恐れざるなり。専ら勇剛の一事をさすにあらず」と。「厳」は軍の統率力としての威厳。行軍篇に「軍、擾るるは、将、重からざるなり」と。『直解』は「軍政整斉し、号令一の如く、三軍、将を畏れて敵を畏れず、令を奉じて詔を奉ぜず。望む可くして近づく可からず、殺す可くして敗る可からず。此れ将の厳なり」と。
○佐野孫子:将者、智・信・仁・勇・厳也-「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。「信」は将の部下からの信頼。孔子曰く「人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり」、「民、信なければ立たず」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。「勇」は、強きものに臨んでよく忍びつとめること。「厳」は軍の統率力としての威厳。此等を「将の五徳」とも云う。
○孫子諺義:将とは主の下にて兵をつかさどる武将を云ふ也。武将此の五つをそなふるものを用ひざれば、兵事全からざる也。戦の勝敗は、一将にかかる、国家の大事のよるところなれば、そのえらび尤も重し。智は智慧也、謀を好みて事を行ふを智と云ふ。智恵あらざれば、物に通じ變に應ずることを得ざる也。此の篇に察と云ひ、経と云ひ、索と云ふ、智を本として皆しるせる言也。されば智あらざれば物に惑ひて決せず、先づ智なきゆゑに事機に通ぜざる也。信はまこと也。心正しくしていつはりなく、能くまことある也。大事を任ずるの大将、いつはりあつては大軍のつかさなりがたく、急に臨みて節を變ずるになりぬべし。仁は心の温和にして下より事を云ひ、よくやはらかなる也。仁愛の心うすくしては諸卒の心をうることかたし。勇は強きを恐れず、ものに臨んでよくしのびつとめあやふきを恐れざる也。専ら勇剛の一事をさすにあらず。厳は威儀あつておごそかなること也。威あつて壮厳なきときは、将の器そなはらず。此の五事一つもかくるときは武将の実にあらざる也。武将より下すゑずゑ(末々)の物頭[①物の長。かしら。②武家時代、弓組・鉄砲組などを率いる者。物主(ものぬし)。武頭(ぶがしら)・ものがしら。足軽大将。③能楽で、頭にいただく冠り物。]・物奉行と云へども、此の心得を以て用捨いたし選ぶ可きもの也。此の五徳相備ふるものはいつとてもまれなるべし。しかれども此の書は、きはめて其の極を論ずるがゆゑに此の如く五徳をさす也。此の五つかねては智仁勇也。孫子が云ふ所は、智の一字にて四をつかぬる也。智は四の内をはなれざる也。ゆゑに七計の内に至りては将を論ずるに能を以てする也。 今案ずるに、太公は将を論じ、勇智仁信忠を以て将の五材と為し、自ら之れを釋[意味をとき明かす。]して曰はく、勇あるヰは則犯す可からず、智あるヰは則乱す可からず、仁あるヰは則人を愛し、信あるヰは則欺く可からず、忠あるヰは則二心無しと。李騰芳・施子美は謂ふ、太公克つことを重んず。故に勇を以て先と為す。孫子は始計を重んず。故に智を以て先と為すと。愚[自分(に関する物事)をへりくだっていう語。]謂ふに太公は兵を治世談ず。故に勇を以て先と為す。孫子は兵を戦国に談ず。故に智を以て先と為す。治世は勇を用ふるに所無し。故に勇必ず足らず。戦国には智を練るに暇あらずして、勇自ずから餘り有り。太公孫子共に足らざるを揚げて、教と為す。各人君時勢の抑揚に據りて当る所有り。何ぞ優劣を論ぜんや。司馬法に曰はく、仁を以て本と為すと。此れは是れ聖人兵を用ひて以て天下を愛するの心也。将を論ずるの事に非ず。観る者玩味[意義をよく味わうこと。]す可しなり。案ずるに、古人云はく、古の臣を使ふには、仁者をして賢者を佐け使め、賢者をして仁者を佐け使めず。言うこころは仁者は惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]の心有り、多才の者の権略[臨機応変の計略。権謀。]有るに如かず、是将帥は材知を以て體と為し、仁を以て佐と為す也。然れども不仁なるときは則多材亦之れを用ふるに足らず。知宣子(晋の卿、このこと国語の晋語九に出づ)将に瑤を以て後と為んとす。知果(知氏の一族)が曰はく、宵に如かず。宣子云ふ、宵や狠[①心がねじけている。残忍。凶悪。②はなはだ。③こらえる。④怒る。憤る。]れりと。知果が云はく、宵が之狠るは面[人の顔。おもて。つら。]に在り、瑤が之狠るは心に在り、心狠るときは国を敗り、面狠るは害あらず、瑤が之人に賢れる者五、其の逮ばざる一、(仁也)美髩の長大なるは則賢り、射御[弓術と馬術。射騎。]力足るは(原本の讀方なり、足力とも讀み得)則賢り、伎藝[歌舞音曲など芸能に関するわざ。遊芸。]畢給たるは則賢り、巧文辯惠則賢り、彊毅[心が強く、しっかりしていること。]果敢[決断力が強く、大胆に物事を行うさま。]則賢れり、是の如くにして甚だ不仁なり、其の五賢を以て人を陵ぎて不仁を以て之れを行ふ、其れ誰か能く之れを待たん、若し果たして瑤を立てば、知が宗は必ず滅びんと。聽か弗。知果族を于太史に別ちて、輔氏と為る、知氏が之亡ぶるに及びて、唯だ輔果のみ在り。凡そ撰擧の道は、本末有り常變有り、一齊に之れを議[①はかる。寄り合って相談する。論じ合って是非を決める。②相談の内容。意見。③思いはかる。意見を言う。批判する。【解字】形声。「言」+音符「義」(=道にかなって正しい)。話し合って事のよろしきを定める意。]す可からず。
○孫子国字解:『将とは、智、信、仁、勇、厳なり』 此段は、五事の内にて、四曰将とある。其将と云は如何様なることぞと、其わけを云へり。将は大将なり。大将たる人は、此五つの徳を備ふべきことなりと云意なり。智は智慧なり。智慧と云は世間に云ふ、利口発明なることにも非ず。又学問博くして、様々のことを知たるにも非ず。又弓馬剣術、鎗長刀等の、種々の芸能の奥義を究めたるにも非ず。又悟道発明して、三世[①〔仏〕過去・現在・未来。また、前世・現世・後世(来世)。三際。②父・子・孫の3代。]に通達したる智慧にもあらず。唯よく人情にぬけとをりて、上たる者下たる者、敵となり味方となる、様々の人の心あんばいをよく知り、かやうなることを喜び、かやうなることをいやがり、一旦はかやうなることを悦べども、奥意はかやうなることに云意なる、人の心ゆきをよく知り、事の大くならぬ前に此事は末にかやうになると云ことを、早く見付けて、如何様なる詐りにてもだまされず、如何様なる讒言にても惑はされず、又事の變の来る時、其變に應じてそれぞれに取扱ふこと、定まりたることなく、よく其宜しきに叶ひ、禍の来るをよく取扱て福となす。是等を将たる者の智と云なり。信はまことなり。まこととは平生人のうろん[①乱雑であること。いいかげんであること。また、不誠実なこと。②疑わしいこと。うさんくさいこと。]なるを嫌ひ、物の眞實なるを好み、我も少しの約束をも違へぬ様にし、前方かやうに云たる詞あるに、今かやうにせば、誰か心に恥かしきなどと云ふ様なるを、世間にては信と覺ゆれども、それは兒女子の信にて、将たる人の信に非ず。心至てせばく、たよはくせまりたる人のすることなり。将たる人の信と云は、賞罰の定めの上に付て、かやうなるをは賞すべきと號令を出したらば、たとひ吾がにくき人なりとも、約束の如く賞し、吾が贔負なる人なりとても、軽き功を重く賞せず、又かやうなるをば罰すべきと、號令を出したらば、貴人をも避けず、親類をも贔負せず、気に合たる人をも、過あれば是を罰す。下知法度を變じかゆることなく、我身の大儀なることにても、先だちて出したる法度なれば、少しもかゆることなく、とかく賞罰號令などの様なる、萬民へわたることを、約束の違はぬ様にすれば、将の誠、民士卒の心にぬけとをりて、民士卒深く心服し、少しも上を疑ひうろんに思ふことなし。是を将たる人の信と云ふ也。仁と云は慈悲なり。慈悲と云へばとて、かほつき愛敬らしく、もの云ひやさしくて、人をだまし、或は金銀綿帛を與へて人をだまし、或は慈悲善根とて、非人乞食に物をとらせ、僧法師を供養する類は、婦人の仁にして、大将の仁に非ず。利勘[利益を打算してかかること。勘定高いこと。]細かにして、少しつつの規模立身をさせて、人をいさまする方便[手ががり。手段]をしかけ、手をよく物やはらかにして、人をだます類は、皆眞實の仁に非ず。大将たる人の仁は、ただ人の飢寒をよく知り、士卒と辛苦を同じくし、萬民を安堵なさしむることなり。士卒の病気を尋ては顔色をしはめ、手疵をかふふり、打死したると聞ては、涕をながし、功ある人の子孫を棄ず、ふるきなじみを忘れず、民士卒の妻子を養ひ、朝夕安堵の思ひをなす様にするを、将たる人の仁とは云なり。勇は武勇なり。是も武勇を鼻にかけ、高慢甚だしく、陽気を専らにし、喧嘩口論をこのみ、或は力つよきを武と思ひ、或は武芸はやわざを武と心得るたぐひは、将たる人の勇には非ず。将の勇と云は、大軍を畏れず、猛勢をも物の數ともせず、小勢にても戦ふべき圖をはずさづ、敗軍しての後にも勇気くじけず、敵に逢ては心鬭ひ、後詰[後方に配置する陣立て。後続の軍隊。]をするには、大敵の内へも飛入り、又大敵に圍れては打破て必出で、危き場にもひるまぬを、将たる人の勇と云なり。厳はきびしきと讀て、威[①人をおそれ従わせる勢力や品格(をそなえている)。いかめしい。②人をおそれさせる。おどす。よろいの札(さね)をつづり合わせる意の「おどす」にもこの字を当てる。【解字】会意。「女」+「戊」(=ほこ)。弱い女をほこでおどす意。]の強きことなり。されども威を強くすればとて、頷にて人を使ひ、目にて人を使ひ、かほつきをけうとくして、人のよりつかぬ様にすることにも非ず。又あらけなく[(ナシは甚だしいの意)荒々しい。大層乱暴である。]人をしかり、少しのことをとがめ、瑣細なる法度を立て、諫言の舌を箝ましむる[箝-口をふさぐ。つぐむ]ことを云にも非ず。将たる人の厳と云は、軍中の法令千萬人を使ふも、一人使ふ如く、人馬の足音ばかり聞えて、物云ふ音はせず。陣取、備立[軍陣を用意すること。陣立て。]、役分、行列、金太鼓の作法、旗の進めやう、懸るも引も、合も分るるも變化自在にして手間とることなく、軍兵将を畏れて敵を畏れず、将の下知を守て君の下知をも用ひず、かやうなる将は、忍び入て殺すことはなるべけれども、其備を敗ることは曾て叶はぬなり。皆将たる人の一心の威より起て、一人をも殺さねども、よく三軍の心を畏れしむ。是将たる人の厳なり。大凡智ある人は勇たらず、勇なる人は智たらず、仁なれば厳ならず、厳なれば仁ならず、四の徳備はりても、信また備り難し。敵の将と味方の将とを、此五徳を以てたくらべはかりて、其優劣を以、軍の勝負を知ことを云なり。近頃の学者に、この五徳を仁義禮智信の五常[儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。㋐[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。㋑[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。㋒[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]に引合せて、曲説を云ものあり。五常は人の心に具はる理なり。此五徳は将の器量を云て、各別のことなり。用べからず。
○孫子評註:太公(太公望呂尚。「将を論ずるや云々」は、呂尚の著と称される『六韜』の論将篇に将の五材をあげて、勇・智・仁・信・忠と言っているのを指す。)の将を論ずるや勇を先にす。而して孫子は智を先にす。呉子(呉子は呉起。彼の書いた兵書を『呉子』という。「勇の将に於ける云々」は同書の論将篇の語。)云はく、「勇の将に於けるや、乃ち數分の一のみ」と。又太公は忠を言ひ、而して孫子は嚴を言ふ。嚴とは是れ荘重(おごそかで重々しいこと。)にして犯すべからざるなり。孫子の持論全くここに在り。故に篇々此の意を見る。而して史遷(漢の太史司馬遷。『史記』の著者。姫を斬った事は『史記』の孫子呉起列伝にある。孫武が呉王闔閭にまみえ、美姫百八十名を二隊に分け、みずから将となって用兵の術を試みた。王の愛姫が隊長になって将の命に従わなかったので、孫武は遂にこれを斬った。隊士は始めて粛然としたという。)の孫武を傳するや、獨り姫を斬るの一事を論じて、殊に其の他に及ばず。洞識(深い見識。)と謂ふべし。
○曹公:将は五徳備わるに宜しきなり。
○李筌:此の五者は将の徳を為す。故に師は丈人[長老の敬称。]の稱有るなり。
○杜牧:先王の道は仁を以て首と為す。兵家者流は智を用い先と為す。蓋し智者は能く機権・變通[臨機応変に事を処すること。物事に拘泥せず、自由自在に変化・適応して行くこと。]を識るなり。信とは人をして刑賞に惑わしめざるなり。仁とは人を愛し物を憫れみ勤労を知るなり。勇とは勝ちを決し勢に乗り逡巡[ぐずぐずすること。ためらうこと。しりごみすること。]せざるなり。厳とは威刑を以て三軍を肅する[①心をひきしめてかしこまる。つつしむ。②規律などをひきしめる。③ひきしまっていて物音がしない。しいんとしている。]なり。楚は申包胥をして越に使わしむ。越王勾践将に呉を伐たんとす。焉に戦を問う。夫れ戦の智は始を為す。仁は之に次ぐ。勇は之に次ぐ。智ならずば則民の極を知る能わず。以て天下の衆寡を詮度[詮-①言葉を尽くして道理を説く。②つきつめる。③最終的な効果。かい。④究極の手だて。②以下は、①から転じた日本での用法。]すること無し。仁ならずば則三軍を與え飢労の殃を共にすること能わず。勇ならずば則疑いを斷じ以て大計を發すること能わずなり。
○賈林:専ら智に任せば則賊[①武器で人を傷つける。害を与える。そこなう。②他人の財貨を盗みとる者。ぬす人。③天子や国に害をなす者。謀反人。【解字】形声。「戈」(=ほこ)+音符「則」(=傷つける)の変形。武器で相手を傷つける意。一説に、「貝」(=財貨)+「戎」(=武器)の会意文字で、相手を武器で傷つけて財貨をとる意。]となり、仁を施せば則固なり。信を守れば則愚なり。勇力に恃めば則暴なり。令厳に過ぎれば則殘う。五者は兼備す。其用に適えば則将帥を為す可し。
○梅堯臣:智は能く謀を發す。信は能く賞罰す。仁は能く衆に附く。勇は能く果断[思い切ってするさま。]す。厳は能く威を立つ。
○王晳:智とは先ず見して惑わず、能く謀慮・権變に通ずるなり。信とは號令の一なり。仁とは恵撫[めぐみ愛すること。]・惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]・人心[人間の心。ひとびとの心。民心。]を得るなり。勇とは義に狥し懼れず、能く果毅[決断がよく、意志の強いこと。]するなり。厳とは威厳[堂々としておごそかなこと。いかめしいこと。]を以て衆心を肅するなり。五者は相須いる。一に闕[かける。ぬけ落ちる。あき。]ければ可ならず。故に曹公曰く、将は五徳備わるに宜しきなり。
○何延錫:智に非ずんば以て敵を料り機に應ず可からず。信に非ずんば以て人に訓え下を率いる可からず。仁に非ずんば以て衆に附き士を撫する可からず。勇に非ずんば以て謀を決し戦を合わす可からず。厳に非ずんば以て強に服し衆を齊う可からず。此の五才を全きすれば将の體なり。
○張預:智は亂す可からず。信は欺く可からず。仁は暴する可からず。勇は懼れる可からず。厳は犯す可からず。五徳皆備えば、然る後以て大将と為る可きなり。
意訳
人気ブログランキングへ
○天野孫子:第四の将とは、智恵と信頼と仁愛と勇気と威厳とを言う。
○浅野孫子:第四の将とは、物事を明察できる智力、部下からの信頼、部下を思いやる仁慈の心、困難に挫けない勇気、軍律を維持する厳格さなどの、将軍が備える能力のことである。
○金谷孫子:[第四の]将とは、才智や誠信や仁慈や勇敢や威厳[といった将軍の人材]のことである。
○町田孫子:将とは、才知や誠信や仁慈や勇気や威厳など、将軍の器量についてのことである。
○武岡孫子:将とは将帥の軍事能力、指揮官としての信頼度、仁愛の心、気力、威厳度などリーダーとしての資質や能力。
○著者不明孫子:将とは、頭が切れるか、偽りがないか、情け深いか、勇気があるか、威厳があるかどうか、という大将の人物のことである。
○学習研究社孫子:指揮官の優秀さとは、臨機応変の知恵と、人民の心を一つにする信頼性、恵のある心と、勇気と、叛く者を出さない厳粛さをいうのである。
○フランシス・ワン孫子:将帥の能力とは、彼我の将帥の知慧・誠実(正義感・公平に対する感覚)・仁愛・勇気・厳格さ等の資質を知ることである。
⇒このページのTopに移動する
⇒トップページに移動する
⇒計篇 全文に移動する
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
にほんブログ村
『将とは、智・信・仁・勇・厳なり。』:本文注釈
⇒意訳に移動する
将-①軍隊をひきいる(人)。近衛(こんえ)府や近代的軍隊組織で長官・次官級の武官名にも用いる。②ひきつれる。たずさえ持つ。③まさに…せんとす。今にも…しようとする。④はた。はたまた。あるいは。【解字】「將」は、もと寸部8画。形声。「月」(=肉)+「寸」(=手)+音符「爿」(=大きい台)。机上に肉をのせて神にそなえすすめる意。神をまつる者は族長なので、統率者の意味が生じたという。
智-①頭のはたらき。理解し判断する力。②物事を判断する能力にすぐれている。かしこい。ものしり。
信-①まこと。うそ・いつわりを言わない。誠実。儒教で、五常[①儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。②[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。③[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。④[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]の一つ。②(相手の言葉を)まこととして疑わない。心から従う。③たより。手紙。伝達手段。④「信濃国」の略。【解字】会意。「人」+「言」。その人の言葉と心が一致している意。
仁-①人としての思いやり。いつくしみ。なさけ。②ひと。人物。③果実の核の中身。【解字】形声。「人」+音符「二」。人が二人並ぶ意を表し、仲間としての親しみを意味する。孔子はこの仲間意識を広く人に及ぼすことを説き、「仁」を儒教の根本理念とした。
勇-いさましい(気力)。いさむ。恐れず意気がさかんである。思い切りがいい。おじけず心を奮い立たせる。【解字】形声。「力」+音符「甬」(=わき出る)。体内からわき出る力の意。
厳-①おごそか(にする)。いかめしい。犯しがたい。②きびしい。はげしい。家庭内で母親の「慈」に対して父親に関する語として用いる。【解字】形声。「嚴」の下半部は音符で、きびしい、きつい意。「口」二つ(=口うるさく責める)を加えて、きびしくいましめる意。
註
○守屋孫子:「将」とは、知謀、信義、仁慈、勇気、威厳など将帥の器量にかかわる問題である。
○著者不明孫子:【将】将軍・大将。各単位各級の将があるが、ここは全軍の最高統率者である一人の主将・大将を指すのであろう。 【信】信義の信。うそをつかない。偽りがないこと。
○田所孫子:将とは、智と信と仁と勇と厳とを兼備した人物でなければならぬとの意。
○重沢孫子:第四は、指揮官の問題です。およそ指揮官たる者は、その地位の高下にかかわりなく、すべてこの五種の能力を身につけていなければならない。智は、創造性ゆたかな、思考・判断能力の総称。もちろん臨機応変の作戦能力を含みます。信は、他人を欺かない、他人に欺かれない道徳性。仁は、自分自身と同じように、他人を大切にする道徳性。当然、犠牲的精神が含まれます。勇は、正義を愛し不義を憎む実践的精神力。厳は、他人に対するのと同じように、自己に対して厳格である道徳性。この五者を兼ね備えていない限り、死生を争う条件下で部隊を指揮し、勝利を得ることはできないと、孫子は考えるのでした。ここにいう”将”は現地の指揮官を意味し、中央のいかなる高官でもまた君主でもありません。部隊の指揮官としてひとたび君命を受けた時点から、その部隊の全責任は完全に指揮官の手中に収められ、任命権者の君主でさえも何ら干渉できないという、厳然たる掟があります。このくらい厳格な指揮系統を確立しておかないと、実戦部隊の実効的活動に支障を来す可能性があったためですが、”将”に要求されているこの五条件は、こういう実情を背景において考えるとき、その必然性がよく理解できるのではないでしょうか。
○天野孫子:将者智信仁勇厳也-「将」は一国の軍の総大将。その下の武将は地形篇・行軍篇で、大吏・吏と言う。「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。『直解』は「人の情に達し、事の微を見、詐も惑はす能はず、讒も入る能はず、変に応じて常無く、禍を転じて福と為す。此れ将の智なり」と。「信」は将の部下からの信頼。九地篇に「令せずして信あり」と。一説に『直解』は「進んで重賞あり、退きて重罰あり。賞は親しきに私せず、罰は貴きを避けず。政に二三無く、誠に能く衆を服す。此れ将の信なり」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。地形篇に「卒を視ること嬰児の如し」と。「勇」は何ものにも恐れない勇気。『諺義』は「勇は恐れざるなり。強きものに臨んでよく忍びつとめ、危きを恐れざるなり。専ら勇剛の一事をさすにあらず」と。「厳」は軍の統率力としての威厳。行軍篇に「軍、擾るるは、将、重からざるなり」と。『直解』は「軍政整斉し、号令一の如く、三軍、将を畏れて敵を畏れず、令を奉じて詔を奉ぜず。望む可くして近づく可からず、殺す可くして敗る可からず。此れ将の厳なり」と。
○佐野孫子:将者、智・信・仁・勇・厳也-「智」は事を見通し、また臨機応変するところの智恵。「信」は将の部下からの信頼。孔子曰く「人にして信なくんば、其の可なるを知らざるなり」、「民、信なければ立たず」と。「仁」は部下に対する仁愛の心情。「勇」は、強きものに臨んでよく忍びつとめること。「厳」は軍の統率力としての威厳。此等を「将の五徳」とも云う。
○孫子諺義:将とは主の下にて兵をつかさどる武将を云ふ也。武将此の五つをそなふるものを用ひざれば、兵事全からざる也。戦の勝敗は、一将にかかる、国家の大事のよるところなれば、そのえらび尤も重し。智は智慧也、謀を好みて事を行ふを智と云ふ。智恵あらざれば、物に通じ變に應ずることを得ざる也。此の篇に察と云ひ、経と云ひ、索と云ふ、智を本として皆しるせる言也。されば智あらざれば物に惑ひて決せず、先づ智なきゆゑに事機に通ぜざる也。信はまこと也。心正しくしていつはりなく、能くまことある也。大事を任ずるの大将、いつはりあつては大軍のつかさなりがたく、急に臨みて節を變ずるになりぬべし。仁は心の温和にして下より事を云ひ、よくやはらかなる也。仁愛の心うすくしては諸卒の心をうることかたし。勇は強きを恐れず、ものに臨んでよくしのびつとめあやふきを恐れざる也。専ら勇剛の一事をさすにあらず。厳は威儀あつておごそかなること也。威あつて壮厳なきときは、将の器そなはらず。此の五事一つもかくるときは武将の実にあらざる也。武将より下すゑずゑ(末々)の物頭[①物の長。かしら。②武家時代、弓組・鉄砲組などを率いる者。物主(ものぬし)。武頭(ぶがしら)・ものがしら。足軽大将。③能楽で、頭にいただく冠り物。]・物奉行と云へども、此の心得を以て用捨いたし選ぶ可きもの也。此の五徳相備ふるものはいつとてもまれなるべし。しかれども此の書は、きはめて其の極を論ずるがゆゑに此の如く五徳をさす也。此の五つかねては智仁勇也。孫子が云ふ所は、智の一字にて四をつかぬる也。智は四の内をはなれざる也。ゆゑに七計の内に至りては将を論ずるに能を以てする也。 今案ずるに、太公は将を論じ、勇智仁信忠を以て将の五材と為し、自ら之れを釋[意味をとき明かす。]して曰はく、勇あるヰは則犯す可からず、智あるヰは則乱す可からず、仁あるヰは則人を愛し、信あるヰは則欺く可からず、忠あるヰは則二心無しと。李騰芳・施子美は謂ふ、太公克つことを重んず。故に勇を以て先と為す。孫子は始計を重んず。故に智を以て先と為すと。愚[自分(に関する物事)をへりくだっていう語。]謂ふに太公は兵を治世談ず。故に勇を以て先と為す。孫子は兵を戦国に談ず。故に智を以て先と為す。治世は勇を用ふるに所無し。故に勇必ず足らず。戦国には智を練るに暇あらずして、勇自ずから餘り有り。太公孫子共に足らざるを揚げて、教と為す。各人君時勢の抑揚に據りて当る所有り。何ぞ優劣を論ぜんや。司馬法に曰はく、仁を以て本と為すと。此れは是れ聖人兵を用ひて以て天下を愛するの心也。将を論ずるの事に非ず。観る者玩味[意義をよく味わうこと。]す可しなり。案ずるに、古人云はく、古の臣を使ふには、仁者をして賢者を佐け使め、賢者をして仁者を佐け使めず。言うこころは仁者は惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]の心有り、多才の者の権略[臨機応変の計略。権謀。]有るに如かず、是将帥は材知を以て體と為し、仁を以て佐と為す也。然れども不仁なるときは則多材亦之れを用ふるに足らず。知宣子(晋の卿、このこと国語の晋語九に出づ)将に瑤を以て後と為んとす。知果(知氏の一族)が曰はく、宵に如かず。宣子云ふ、宵や狠[①心がねじけている。残忍。凶悪。②はなはだ。③こらえる。④怒る。憤る。]れりと。知果が云はく、宵が之狠るは面[人の顔。おもて。つら。]に在り、瑤が之狠るは心に在り、心狠るときは国を敗り、面狠るは害あらず、瑤が之人に賢れる者五、其の逮ばざる一、(仁也)美髩の長大なるは則賢り、射御[弓術と馬術。射騎。]力足るは(原本の讀方なり、足力とも讀み得)則賢り、伎藝[歌舞音曲など芸能に関するわざ。遊芸。]畢給たるは則賢り、巧文辯惠則賢り、彊毅[心が強く、しっかりしていること。]果敢[決断力が強く、大胆に物事を行うさま。]則賢れり、是の如くにして甚だ不仁なり、其の五賢を以て人を陵ぎて不仁を以て之れを行ふ、其れ誰か能く之れを待たん、若し果たして瑤を立てば、知が宗は必ず滅びんと。聽か弗。知果族を于太史に別ちて、輔氏と為る、知氏が之亡ぶるに及びて、唯だ輔果のみ在り。凡そ撰擧の道は、本末有り常變有り、一齊に之れを議[①はかる。寄り合って相談する。論じ合って是非を決める。②相談の内容。意見。③思いはかる。意見を言う。批判する。【解字】形声。「言」+音符「義」(=道にかなって正しい)。話し合って事のよろしきを定める意。]す可からず。
○孫子国字解:『将とは、智、信、仁、勇、厳なり』 此段は、五事の内にて、四曰将とある。其将と云は如何様なることぞと、其わけを云へり。将は大将なり。大将たる人は、此五つの徳を備ふべきことなりと云意なり。智は智慧なり。智慧と云は世間に云ふ、利口発明なることにも非ず。又学問博くして、様々のことを知たるにも非ず。又弓馬剣術、鎗長刀等の、種々の芸能の奥義を究めたるにも非ず。又悟道発明して、三世[①〔仏〕過去・現在・未来。また、前世・現世・後世(来世)。三際。②父・子・孫の3代。]に通達したる智慧にもあらず。唯よく人情にぬけとをりて、上たる者下たる者、敵となり味方となる、様々の人の心あんばいをよく知り、かやうなることを喜び、かやうなることをいやがり、一旦はかやうなることを悦べども、奥意はかやうなることに云意なる、人の心ゆきをよく知り、事の大くならぬ前に此事は末にかやうになると云ことを、早く見付けて、如何様なる詐りにてもだまされず、如何様なる讒言にても惑はされず、又事の變の来る時、其變に應じてそれぞれに取扱ふこと、定まりたることなく、よく其宜しきに叶ひ、禍の来るをよく取扱て福となす。是等を将たる者の智と云なり。信はまことなり。まこととは平生人のうろん[①乱雑であること。いいかげんであること。また、不誠実なこと。②疑わしいこと。うさんくさいこと。]なるを嫌ひ、物の眞實なるを好み、我も少しの約束をも違へぬ様にし、前方かやうに云たる詞あるに、今かやうにせば、誰か心に恥かしきなどと云ふ様なるを、世間にては信と覺ゆれども、それは兒女子の信にて、将たる人の信に非ず。心至てせばく、たよはくせまりたる人のすることなり。将たる人の信と云は、賞罰の定めの上に付て、かやうなるをは賞すべきと號令を出したらば、たとひ吾がにくき人なりとも、約束の如く賞し、吾が贔負なる人なりとても、軽き功を重く賞せず、又かやうなるをば罰すべきと、號令を出したらば、貴人をも避けず、親類をも贔負せず、気に合たる人をも、過あれば是を罰す。下知法度を變じかゆることなく、我身の大儀なることにても、先だちて出したる法度なれば、少しもかゆることなく、とかく賞罰號令などの様なる、萬民へわたることを、約束の違はぬ様にすれば、将の誠、民士卒の心にぬけとをりて、民士卒深く心服し、少しも上を疑ひうろんに思ふことなし。是を将たる人の信と云ふ也。仁と云は慈悲なり。慈悲と云へばとて、かほつき愛敬らしく、もの云ひやさしくて、人をだまし、或は金銀綿帛を與へて人をだまし、或は慈悲善根とて、非人乞食に物をとらせ、僧法師を供養する類は、婦人の仁にして、大将の仁に非ず。利勘[利益を打算してかかること。勘定高いこと。]細かにして、少しつつの規模立身をさせて、人をいさまする方便[手ががり。手段]をしかけ、手をよく物やはらかにして、人をだます類は、皆眞實の仁に非ず。大将たる人の仁は、ただ人の飢寒をよく知り、士卒と辛苦を同じくし、萬民を安堵なさしむることなり。士卒の病気を尋ては顔色をしはめ、手疵をかふふり、打死したると聞ては、涕をながし、功ある人の子孫を棄ず、ふるきなじみを忘れず、民士卒の妻子を養ひ、朝夕安堵の思ひをなす様にするを、将たる人の仁とは云なり。勇は武勇なり。是も武勇を鼻にかけ、高慢甚だしく、陽気を専らにし、喧嘩口論をこのみ、或は力つよきを武と思ひ、或は武芸はやわざを武と心得るたぐひは、将たる人の勇には非ず。将の勇と云は、大軍を畏れず、猛勢をも物の數ともせず、小勢にても戦ふべき圖をはずさづ、敗軍しての後にも勇気くじけず、敵に逢ては心鬭ひ、後詰[後方に配置する陣立て。後続の軍隊。]をするには、大敵の内へも飛入り、又大敵に圍れては打破て必出で、危き場にもひるまぬを、将たる人の勇と云なり。厳はきびしきと讀て、威[①人をおそれ従わせる勢力や品格(をそなえている)。いかめしい。②人をおそれさせる。おどす。よろいの札(さね)をつづり合わせる意の「おどす」にもこの字を当てる。【解字】会意。「女」+「戊」(=ほこ)。弱い女をほこでおどす意。]の強きことなり。されども威を強くすればとて、頷にて人を使ひ、目にて人を使ひ、かほつきをけうとくして、人のよりつかぬ様にすることにも非ず。又あらけなく[(ナシは甚だしいの意)荒々しい。大層乱暴である。]人をしかり、少しのことをとがめ、瑣細なる法度を立て、諫言の舌を箝ましむる[箝-口をふさぐ。つぐむ]ことを云にも非ず。将たる人の厳と云は、軍中の法令千萬人を使ふも、一人使ふ如く、人馬の足音ばかり聞えて、物云ふ音はせず。陣取、備立[軍陣を用意すること。陣立て。]、役分、行列、金太鼓の作法、旗の進めやう、懸るも引も、合も分るるも變化自在にして手間とることなく、軍兵将を畏れて敵を畏れず、将の下知を守て君の下知をも用ひず、かやうなる将は、忍び入て殺すことはなるべけれども、其備を敗ることは曾て叶はぬなり。皆将たる人の一心の威より起て、一人をも殺さねども、よく三軍の心を畏れしむ。是将たる人の厳なり。大凡智ある人は勇たらず、勇なる人は智たらず、仁なれば厳ならず、厳なれば仁ならず、四の徳備はりても、信また備り難し。敵の将と味方の将とを、此五徳を以てたくらべはかりて、其優劣を以、軍の勝負を知ことを云なり。近頃の学者に、この五徳を仁義禮智信の五常[儒教で、人の常に守るべき5種の道徳。㋐[白虎通[情性]]仁・義・礼・智・信。㋑[孟子]父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信。㋒[書経[舜典、伝]]父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝。]に引合せて、曲説を云ものあり。五常は人の心に具はる理なり。此五徳は将の器量を云て、各別のことなり。用べからず。
○孫子評註:太公(太公望呂尚。「将を論ずるや云々」は、呂尚の著と称される『六韜』の論将篇に将の五材をあげて、勇・智・仁・信・忠と言っているのを指す。)の将を論ずるや勇を先にす。而して孫子は智を先にす。呉子(呉子は呉起。彼の書いた兵書を『呉子』という。「勇の将に於ける云々」は同書の論将篇の語。)云はく、「勇の将に於けるや、乃ち數分の一のみ」と。又太公は忠を言ひ、而して孫子は嚴を言ふ。嚴とは是れ荘重(おごそかで重々しいこと。)にして犯すべからざるなり。孫子の持論全くここに在り。故に篇々此の意を見る。而して史遷(漢の太史司馬遷。『史記』の著者。姫を斬った事は『史記』の孫子呉起列伝にある。孫武が呉王闔閭にまみえ、美姫百八十名を二隊に分け、みずから将となって用兵の術を試みた。王の愛姫が隊長になって将の命に従わなかったので、孫武は遂にこれを斬った。隊士は始めて粛然としたという。)の孫武を傳するや、獨り姫を斬るの一事を論じて、殊に其の他に及ばず。洞識(深い見識。)と謂ふべし。
○曹公:将は五徳備わるに宜しきなり。
○李筌:此の五者は将の徳を為す。故に師は丈人[長老の敬称。]の稱有るなり。
○杜牧:先王の道は仁を以て首と為す。兵家者流は智を用い先と為す。蓋し智者は能く機権・變通[臨機応変に事を処すること。物事に拘泥せず、自由自在に変化・適応して行くこと。]を識るなり。信とは人をして刑賞に惑わしめざるなり。仁とは人を愛し物を憫れみ勤労を知るなり。勇とは勝ちを決し勢に乗り逡巡[ぐずぐずすること。ためらうこと。しりごみすること。]せざるなり。厳とは威刑を以て三軍を肅する[①心をひきしめてかしこまる。つつしむ。②規律などをひきしめる。③ひきしまっていて物音がしない。しいんとしている。]なり。楚は申包胥をして越に使わしむ。越王勾践将に呉を伐たんとす。焉に戦を問う。夫れ戦の智は始を為す。仁は之に次ぐ。勇は之に次ぐ。智ならずば則民の極を知る能わず。以て天下の衆寡を詮度[詮-①言葉を尽くして道理を説く。②つきつめる。③最終的な効果。かい。④究極の手だて。②以下は、①から転じた日本での用法。]すること無し。仁ならずば則三軍を與え飢労の殃を共にすること能わず。勇ならずば則疑いを斷じ以て大計を發すること能わずなり。
○賈林:専ら智に任せば則賊[①武器で人を傷つける。害を与える。そこなう。②他人の財貨を盗みとる者。ぬす人。③天子や国に害をなす者。謀反人。【解字】形声。「戈」(=ほこ)+音符「則」(=傷つける)の変形。武器で相手を傷つける意。一説に、「貝」(=財貨)+「戎」(=武器)の会意文字で、相手を武器で傷つけて財貨をとる意。]となり、仁を施せば則固なり。信を守れば則愚なり。勇力に恃めば則暴なり。令厳に過ぎれば則殘う。五者は兼備す。其用に適えば則将帥を為す可し。
○梅堯臣:智は能く謀を發す。信は能く賞罰す。仁は能く衆に附く。勇は能く果断[思い切ってするさま。]す。厳は能く威を立つ。
○王晳:智とは先ず見して惑わず、能く謀慮・権變に通ずるなり。信とは號令の一なり。仁とは恵撫[めぐみ愛すること。]・惻隠[いたわしく思うこと。あわれみ。]・人心[人間の心。ひとびとの心。民心。]を得るなり。勇とは義に狥し懼れず、能く果毅[決断がよく、意志の強いこと。]するなり。厳とは威厳[堂々としておごそかなこと。いかめしいこと。]を以て衆心を肅するなり。五者は相須いる。一に闕[かける。ぬけ落ちる。あき。]ければ可ならず。故に曹公曰く、将は五徳備わるに宜しきなり。
○何延錫:智に非ずんば以て敵を料り機に應ず可からず。信に非ずんば以て人に訓え下を率いる可からず。仁に非ずんば以て衆に附き士を撫する可からず。勇に非ずんば以て謀を決し戦を合わす可からず。厳に非ずんば以て強に服し衆を齊う可からず。此の五才を全きすれば将の體なり。
○張預:智は亂す可からず。信は欺く可からず。仁は暴する可からず。勇は懼れる可からず。厳は犯す可からず。五徳皆備えば、然る後以て大将と為る可きなり。
意訳
人気ブログランキングへ
○天野孫子:第四の将とは、智恵と信頼と仁愛と勇気と威厳とを言う。
○浅野孫子:第四の将とは、物事を明察できる智力、部下からの信頼、部下を思いやる仁慈の心、困難に挫けない勇気、軍律を維持する厳格さなどの、将軍が備える能力のことである。
○金谷孫子:[第四の]将とは、才智や誠信や仁慈や勇敢や威厳[といった将軍の人材]のことである。
○町田孫子:将とは、才知や誠信や仁慈や勇気や威厳など、将軍の器量についてのことである。
○武岡孫子:将とは将帥の軍事能力、指揮官としての信頼度、仁愛の心、気力、威厳度などリーダーとしての資質や能力。
○著者不明孫子:将とは、頭が切れるか、偽りがないか、情け深いか、勇気があるか、威厳があるかどうか、という大将の人物のことである。
○学習研究社孫子:指揮官の優秀さとは、臨機応変の知恵と、人民の心を一つにする信頼性、恵のある心と、勇気と、叛く者を出さない厳粛さをいうのである。
○フランシス・ワン孫子:将帥の能力とは、彼我の将帥の知慧・誠実(正義感・公平に対する感覚)・仁愛・勇気・厳格さ等の資質を知ることである。
⇒このページのTopに移動する
⇒トップページに移動する
⇒計篇 全文に移動する
2012-02-21 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
にほんブログ村
『地とは、高下・広狭・遠近・険易・死生なり。』:本文注釈
⇒意訳に移動する
竹簡孫子のみ「高下」の文字がある。『淮南子』や後世の孫子注釈書に「生死」は「高下」を指す旨の注があるので、重複となるから後世に除外されたのであろう。
「地」とは勝利のための条件となる、当時の戦にとっては最も重要な要素である地形を中心とした(造形物を含む)『空間把握力』であり、『戦闘に有利なポイントとなる場所の見極め』のことである。古代は陸上戦が主だったが、現代に照らして考えれば、空中戦や海戦も考えられるので、現代の戦争を対象にして考慮すれば、空や海の空間の特徴もこの「地」に含まれることになるだろう(例えば、高さの違いによる気圧の高低や、海の深度の違いによる水圧の上下など)。また、「高下~険易」までは空間的なものを指しているが、「死生」は全く別ものである。(「死生」が出た途端に血しぶきが飛ぶ激しい戦場の姿が思い起こされる。)つまり、孫武は戦場となりそうな場所での戦闘を想像し、自軍に有利な地点(敵を押し出せるポイント)、不利な地点(敗走を余儀なくされるポイント)を割り出すことが大事であると言っているのである。要するに、「地」を自軍に有利なものとするには、空間把握力だけでは不足であり、それプラス、将の智、いわゆる人心の機微を洞察する知恵をもって、敵味方の立場に立って考え、対象となっている「地」がどんな意味をもつ「地」なのかを把握する必要があるということである。(その「地」の種類が「孫子」で語られるところの「九地」である。)そして、自軍に有利な「地」を選択し、状況に応じた判断をしていくといったことを瞬時に行なう決断力と実行力が将に求められる『智』なのである(『智』とは「五事」の「将の五材」の一。)。
「地を知る」という言葉は「孫子」を学べば、頻出の語句であることがわかるが、この「地を知る」は将の能力にかかっている。故に「五事・七計」が最も重要であることがわかる。そしてこれは勝を完全なものとする要素の一つなのである。ゆえに、「孫子」地形篇の結語に「彼を知り、己を知れば勝ち乃ち殆うからず。天を知りて地を知れば勝ち乃ち全かる可し」といっているのである。
天と地とは切っても切れ離すことができないものである。天、すなわち大自然の法則があればこそ、地、すなわち空間がある。『孫子』の場合は、天、すなわち勝利の法則があれば、地、すなわち空間は戦場となる。また逆に戦場があれば(地)、勝利の法則を見出すことができる。つまり、「孫子」はこの関係の理解を我々に求めており、『常在戦場』の心構えと、『勝利の方程式』の体得をせよ、といっているのである。
地-①天の下にある、土の部分。陸。つち。②ところ。㋐一定の場所。領土。㋑心や身のおきどころ。境遇。③(書物・荷物などの)下部。④副詞をつくる接尾辞。…の状態にある。…的。⑤手を加えぬ、本来の状態。㋐(ほかならぬ)その土地。㋑うまれつき。もちまえ。㋒ありのままの材料。㋓文章の、会話以外の、説明の部分。㋔実際。事実。【解字】形声。「土」+音符「也」(=のびひろがる)。平らにひろがる土の意。
註
○浅野孫子:死生-軍隊の死生を決める地勢。前の「死生の地」と同じ。「死地」の説明は九地篇に詳しい。
○金谷孫子:死生-高低のこと。『淮南子』兵略篇の注に「高きものを生、ひくきものを死という。」とある。
○町田孫子:<死生>死地・生地。死地は荒れ地のこと。生地は行軍篇に「生を視て高きに処り」とあるその生地であろう。草木の生いしげっている地のこと。
○天野孫子:地者遠近険易広狭死生也 「地」は地形・環境の意。「遠近」は両地点間の距離。「険易」は険しい地と平らな地。「広狭」は土地の面積、幅を言う。「死生」は死地と生地。九地篇に「疾く戦へば存し、疾く戦はざれば亡ぶるを死地と為す」と。死地とは生命を失う条件をそなえた環境を言う。従って「生地」は生命を保つに有利な条件をそなえた環境。死生は戦闘上有利・不利な環境。遠近・険易・広狭は客観的基準による分類であるが、死生は主観的な判断によるもの。なお、この句について一説に『略解』は「句義、上と同じく遠近・険易・広狭の死生なりの義にみるべし。遠きは宜しく緩にして、速かにすれば死となり、近きは宜しく速かにして、緩にすれば死となる。険は宜しく歩を用ゆべきに騎を用ゆれば死となり、易は宜しく騎を用ゆべきに歩を用ゆれば死となる。これに反すれば生となるの類を云ひて、地利を量って死地になるを避けて生地となるやうにするを云ふ」と。
○大橋孫子:死生-死地生地
○佐野孫子:「十一家註本」、「武経本」には、「高下」の字がない。又、「竹簡孫子」には「広狭」が「遠近」の前にある。斯る地理的条件もまた「順逆の理」が巧みに活用されなければならない。
○守屋孫子:「地」とは、行程の間隔、地勢の険阻、地域の広さ、地形の有利不利などの地理的条件を指している。
○田所孫子:地には、遠い地あり、近い地あり、険阻な地あり、平易な地あり、広い地あり、狭い地あり、易々と生きのびられる地あり、如何に努力しても容易に死から免れない地があるとの意。
○著者不明孫子:【険易】「険」は険阻、「易」は平坦。 【死生】「死」は低、「生」は高。行軍篇第九の一に「死を前にし生を後にす」とあり、そこの杜牧の注に「死は下きなり、生は高きなり」という(梅堯臣・張預の注も同様の解釈。なお、金谷治『孫子』は『淮南子』兵略訓に「生を後にし死を前にす」とあり、その高誘の注に「高き者を生と為し、低き者を死と為す」とあるのを引く)。常識的に考えると、「死生」はそこで戦えば死に陥るか生き延びられるかの地理的条件を指すと理解され(ここの李筌や梅堯臣の注もそのような説で、行軍篇の李筌以下の注にも同様の解釈が見える)、それでも通じないことはないが、高低の意にとるのが簡明でよい。
○重沢孫子:第三の”地”は、遠近から広狭までの戦場を中心にした地形に関する知識に加え、死か生かという重大な判断がそこに求められています。その拠点・陣地あるいは占領地域をあくまで死守すべきか、それとも生を求めて放棄撤収すべきかの判断は、その地域の地形と不可分の関連にあります。また原則として主戦場を他国に想定する孫子の兵法論にあっては、死生に深くつながる本国政府との情報伝達、ならびに武器や食料等必需物資の輸送問題においても、地形や距離の重要性は否定できません。
○諺義:地者、遠近険易廣狭死生也、 地は地形なり。地形に此の八箇條あり。天下の地形此の八形を出でざる也。遠近はその道のり也、險は山川阻澤あつてけはしき也、易は平陸原野也、廣はひろし、狭はせばき也。険易広狭は地の形兵を用ふるの場の考也。其の地によれば敗る可きを死地と云ひ、其の地によれば勝つ可きを生地と云ふ。おしゆくにも陣をはるにも大いにきらふ處と大いにこのむ處の地也。ゆゑに死生は地の用也、此の場をよく知りてそれに随つて兵の用捨あること也。凡そ動くに遠近ありて軍用諸色のつもりかはれり。相對して兵を動かすにも、労逸のたがひあり。険形は守るに利あつて戦ふに利薄し、ゆゑに守成の地と云ふ。易形は守るにたよりなくして戦ふにたよりあり、ゆゑに草業の地と云ふ。廣きところにては大軍をつかふに利あり、せばき處にては小勢を用ふるに利あり。死地をば速に退き、生地にては先づ我れこれをとる。此の如く能く心をつくる時は又死を變じて生とし、険易・遠近・広狭相變じて用ふるの術あり。
○孫子国字解:『地者、遠近、険易、広狭、死生也』 此段は五事の内にて、三曰地とある、地と云はいかなることぞと、其わけを説けり。地とは地の利なり。如何様なる地形にても、皆それぞれの勝利備はりてあるものゆへ、地の利と云なり。遠近は遠きと近きとなり。険とは難處、易は平地なり。廣はひろき地なり。狭はせばき地なり。死は死地とて引處もなく、逃る處もなく、残らず敵に打ちころさるべき地なり。生地とは命を全うするに便りある地を云ふなり。近方を先にして、遠方をばゆるやかにすべし。難處は歩立に宜しく、平地は騎馬に宜し。廣地は大軍に宜く、生地は守るに宜し、是皆一定したる地の利の大概なり。神功皇后[仲哀天皇の皇后。名は息長足媛(おきながたらしひめ)。開化天皇第5世の孫、息長宿祢王の女(むすめ)。天皇とともに熊襲(くまそ)征服に向かい、天皇が香椎宮で死去した後、新羅(しらぎ)を攻略して凱旋し、誉田別皇子(ほむたわけのみこ)(応神天皇)を筑紫で出産、摂政70年にして没。(記紀伝承による)]は近き熊襲をさし置て、遠き朝鮮を征伐し玉ひ、義経は馬にて鵯越を落したり。或は廣地も小勢を用べからざるに非ず。狭地も大軍を用ひまじきには限るまじ。死地を守り、生地に戦ふも、時の變によりて必しもせざることには非ず。其上地の利のことは、此本文の八品にも限るべからず。尚又九地篇など考合はすべし。とかく本文の意は、敵が地の利を得たるか、失ひたるか、味方が地の利を得たるか、失ひたるかと云ふことを、たくらべ考ふべき為に、かく云へるなり。
○孫子評註:「地とは、遠近・険易(けわしい地と、平らな地。)・死生(死は死地で、退く所も逃げる所もなく残らず敵にうち殺される地。生は生地で、命を全うする条件のそなわっている地。)なり。- 地の重んずる所は死生の二字に在り。○經は是れ平素の事なり。天地の經たるは、粗心の者或は察せざらん。
○曹公:言うこころは九地形勢同ならずに以てして、時に因りて利を制するなりと。論じて九地篇中に在り。
○李筌:形勢の地を得れば、死生の勢有り。
○梅堯臣:形勢の利害を知ることなり。凡そ兵を用うるに先ず地形を知るを貴ぶ。遠近を知れば則能く迂直の計を為す。険易を知れば則能く歩騎の利を審らかにす。広狭を知れば則能く衆寡の用を度る。死生を知れば則能く戦敗の勢を識るなり。
意訳
人気ブログランキングへ
○天野孫子:第三の地とは、両地点間の距離と、地形上の険しさと、土地の広さと、戦闘上の有利不利の環境とを言う。
○金谷孫子:[第三の]地とは、距離や険しさや広さや高低[などの土地の情況]のことである。
○浅野孫子:第三の地とは、地形の高い低い、国土や戦場の広い狭い、距離の遠い近い、地形の険難さと平易さ、軍を敗死させる地勢と生存させる地勢などのことである。
○町田孫子:地とは、距離の遠近、険しいのと平坦なのと、広いのと狭いのと、死地と生地と、それら地勢のことである。
○武岡孫子:地とは予想される戦場への距離、予想戦場とそこに至る険阻、広狭・高低などの地形、地質。
○フランシス・ワン孫子:地理的条件によって、戦場の遠近・踏破の難易、また、そこは平坦な地形か狭隘な地形か、そして、そこは彼我何れに生のチャンスを与え死のチャンスを与えるものとなるかを知るのである。
○学習研究社孫子:地というのは、戦場が遠くにあるか近くにあるか、険しい所か平坦な所か、広いか狭いか、活動できない所か自由に動ける所か、といったことをいうのである
。
○著者不明孫子:地とは、戦場が遠いか近いか、険しいか平らであるか、広いか狭いか、高いか低いか、などの地勢に関することである。
⇒このページのTopに移動する
⇒トップページに移動する
⇒計篇 全文に移動する
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
にほんブログ村
『地とは、高下・広狭・遠近・険易・死生なり。』:本文注釈
⇒意訳に移動する
竹簡孫子のみ「高下」の文字がある。『淮南子』や後世の孫子注釈書に「生死」は「高下」を指す旨の注があるので、重複となるから後世に除外されたのであろう。
「地」とは勝利のための条件となる、当時の戦にとっては最も重要な要素である地形を中心とした(造形物を含む)『空間把握力』であり、『戦闘に有利なポイントとなる場所の見極め』のことである。古代は陸上戦が主だったが、現代に照らして考えれば、空中戦や海戦も考えられるので、現代の戦争を対象にして考慮すれば、空や海の空間の特徴もこの「地」に含まれることになるだろう(例えば、高さの違いによる気圧の高低や、海の深度の違いによる水圧の上下など)。また、「高下~険易」までは空間的なものを指しているが、「死生」は全く別ものである。(「死生」が出た途端に血しぶきが飛ぶ激しい戦場の姿が思い起こされる。)つまり、孫武は戦場となりそうな場所での戦闘を想像し、自軍に有利な地点(敵を押し出せるポイント)、不利な地点(敗走を余儀なくされるポイント)を割り出すことが大事であると言っているのである。要するに、「地」を自軍に有利なものとするには、空間把握力だけでは不足であり、それプラス、将の智、いわゆる人心の機微を洞察する知恵をもって、敵味方の立場に立って考え、対象となっている「地」がどんな意味をもつ「地」なのかを把握する必要があるということである。(その「地」の種類が「孫子」で語られるところの「九地」である。)そして、自軍に有利な「地」を選択し、状況に応じた判断をしていくといったことを瞬時に行なう決断力と実行力が将に求められる『智』なのである(『智』とは「五事」の「将の五材」の一。)。
「地を知る」という言葉は「孫子」を学べば、頻出の語句であることがわかるが、この「地を知る」は将の能力にかかっている。故に「五事・七計」が最も重要であることがわかる。そしてこれは勝を完全なものとする要素の一つなのである。ゆえに、「孫子」地形篇の結語に「彼を知り、己を知れば勝ち乃ち殆うからず。天を知りて地を知れば勝ち乃ち全かる可し」といっているのである。
天と地とは切っても切れ離すことができないものである。天、すなわち大自然の法則があればこそ、地、すなわち空間がある。『孫子』の場合は、天、すなわち勝利の法則があれば、地、すなわち空間は戦場となる。また逆に戦場があれば(地)、勝利の法則を見出すことができる。つまり、「孫子」はこの関係の理解を我々に求めており、『常在戦場』の心構えと、『勝利の方程式』の体得をせよ、といっているのである。
地-①天の下にある、土の部分。陸。つち。②ところ。㋐一定の場所。領土。㋑心や身のおきどころ。境遇。③(書物・荷物などの)下部。④副詞をつくる接尾辞。…の状態にある。…的。⑤手を加えぬ、本来の状態。㋐(ほかならぬ)その土地。㋑うまれつき。もちまえ。㋒ありのままの材料。㋓文章の、会話以外の、説明の部分。㋔実際。事実。【解字】形声。「土」+音符「也」(=のびひろがる)。平らにひろがる土の意。
註
○浅野孫子:死生-軍隊の死生を決める地勢。前の「死生の地」と同じ。「死地」の説明は九地篇に詳しい。
○金谷孫子:死生-高低のこと。『淮南子』兵略篇の注に「高きものを生、ひくきものを死という。」とある。
○町田孫子:<死生>死地・生地。死地は荒れ地のこと。生地は行軍篇に「生を視て高きに処り」とあるその生地であろう。草木の生いしげっている地のこと。
○天野孫子:地者遠近険易広狭死生也 「地」は地形・環境の意。「遠近」は両地点間の距離。「険易」は険しい地と平らな地。「広狭」は土地の面積、幅を言う。「死生」は死地と生地。九地篇に「疾く戦へば存し、疾く戦はざれば亡ぶるを死地と為す」と。死地とは生命を失う条件をそなえた環境を言う。従って「生地」は生命を保つに有利な条件をそなえた環境。死生は戦闘上有利・不利な環境。遠近・険易・広狭は客観的基準による分類であるが、死生は主観的な判断によるもの。なお、この句について一説に『略解』は「句義、上と同じく遠近・険易・広狭の死生なりの義にみるべし。遠きは宜しく緩にして、速かにすれば死となり、近きは宜しく速かにして、緩にすれば死となる。険は宜しく歩を用ゆべきに騎を用ゆれば死となり、易は宜しく騎を用ゆべきに歩を用ゆれば死となる。これに反すれば生となるの類を云ひて、地利を量って死地になるを避けて生地となるやうにするを云ふ」と。
○大橋孫子:死生-死地生地
○佐野孫子:「十一家註本」、「武経本」には、「高下」の字がない。又、「竹簡孫子」には「広狭」が「遠近」の前にある。斯る地理的条件もまた「順逆の理」が巧みに活用されなければならない。
○守屋孫子:「地」とは、行程の間隔、地勢の険阻、地域の広さ、地形の有利不利などの地理的条件を指している。
○田所孫子:地には、遠い地あり、近い地あり、険阻な地あり、平易な地あり、広い地あり、狭い地あり、易々と生きのびられる地あり、如何に努力しても容易に死から免れない地があるとの意。
○著者不明孫子:【険易】「険」は険阻、「易」は平坦。 【死生】「死」は低、「生」は高。行軍篇第九の一に「死を前にし生を後にす」とあり、そこの杜牧の注に「死は下きなり、生は高きなり」という(梅堯臣・張預の注も同様の解釈。なお、金谷治『孫子』は『淮南子』兵略訓に「生を後にし死を前にす」とあり、その高誘の注に「高き者を生と為し、低き者を死と為す」とあるのを引く)。常識的に考えると、「死生」はそこで戦えば死に陥るか生き延びられるかの地理的条件を指すと理解され(ここの李筌や梅堯臣の注もそのような説で、行軍篇の李筌以下の注にも同様の解釈が見える)、それでも通じないことはないが、高低の意にとるのが簡明でよい。
○重沢孫子:第三の”地”は、遠近から広狭までの戦場を中心にした地形に関する知識に加え、死か生かという重大な判断がそこに求められています。その拠点・陣地あるいは占領地域をあくまで死守すべきか、それとも生を求めて放棄撤収すべきかの判断は、その地域の地形と不可分の関連にあります。また原則として主戦場を他国に想定する孫子の兵法論にあっては、死生に深くつながる本国政府との情報伝達、ならびに武器や食料等必需物資の輸送問題においても、地形や距離の重要性は否定できません。
○諺義:地者、遠近険易廣狭死生也、 地は地形なり。地形に此の八箇條あり。天下の地形此の八形を出でざる也。遠近はその道のり也、險は山川阻澤あつてけはしき也、易は平陸原野也、廣はひろし、狭はせばき也。険易広狭は地の形兵を用ふるの場の考也。其の地によれば敗る可きを死地と云ひ、其の地によれば勝つ可きを生地と云ふ。おしゆくにも陣をはるにも大いにきらふ處と大いにこのむ處の地也。ゆゑに死生は地の用也、此の場をよく知りてそれに随つて兵の用捨あること也。凡そ動くに遠近ありて軍用諸色のつもりかはれり。相對して兵を動かすにも、労逸のたがひあり。険形は守るに利あつて戦ふに利薄し、ゆゑに守成の地と云ふ。易形は守るにたよりなくして戦ふにたよりあり、ゆゑに草業の地と云ふ。廣きところにては大軍をつかふに利あり、せばき處にては小勢を用ふるに利あり。死地をば速に退き、生地にては先づ我れこれをとる。此の如く能く心をつくる時は又死を變じて生とし、険易・遠近・広狭相變じて用ふるの術あり。
○孫子国字解:『地者、遠近、険易、広狭、死生也』 此段は五事の内にて、三曰地とある、地と云はいかなることぞと、其わけを説けり。地とは地の利なり。如何様なる地形にても、皆それぞれの勝利備はりてあるものゆへ、地の利と云なり。遠近は遠きと近きとなり。険とは難處、易は平地なり。廣はひろき地なり。狭はせばき地なり。死は死地とて引處もなく、逃る處もなく、残らず敵に打ちころさるべき地なり。生地とは命を全うするに便りある地を云ふなり。近方を先にして、遠方をばゆるやかにすべし。難處は歩立に宜しく、平地は騎馬に宜し。廣地は大軍に宜く、生地は守るに宜し、是皆一定したる地の利の大概なり。神功皇后[仲哀天皇の皇后。名は息長足媛(おきながたらしひめ)。開化天皇第5世の孫、息長宿祢王の女(むすめ)。天皇とともに熊襲(くまそ)征服に向かい、天皇が香椎宮で死去した後、新羅(しらぎ)を攻略して凱旋し、誉田別皇子(ほむたわけのみこ)(応神天皇)を筑紫で出産、摂政70年にして没。(記紀伝承による)]は近き熊襲をさし置て、遠き朝鮮を征伐し玉ひ、義経は馬にて鵯越を落したり。或は廣地も小勢を用べからざるに非ず。狭地も大軍を用ひまじきには限るまじ。死地を守り、生地に戦ふも、時の變によりて必しもせざることには非ず。其上地の利のことは、此本文の八品にも限るべからず。尚又九地篇など考合はすべし。とかく本文の意は、敵が地の利を得たるか、失ひたるか、味方が地の利を得たるか、失ひたるかと云ふことを、たくらべ考ふべき為に、かく云へるなり。
○孫子評註:「地とは、遠近・険易(けわしい地と、平らな地。)・死生(死は死地で、退く所も逃げる所もなく残らず敵にうち殺される地。生は生地で、命を全うする条件のそなわっている地。)なり。- 地の重んずる所は死生の二字に在り。○經は是れ平素の事なり。天地の經たるは、粗心の者或は察せざらん。
○曹公:言うこころは九地形勢同ならずに以てして、時に因りて利を制するなりと。論じて九地篇中に在り。
○李筌:形勢の地を得れば、死生の勢有り。
○梅堯臣:形勢の利害を知ることなり。凡そ兵を用うるに先ず地形を知るを貴ぶ。遠近を知れば則能く迂直の計を為す。険易を知れば則能く歩騎の利を審らかにす。広狭を知れば則能く衆寡の用を度る。死生を知れば則能く戦敗の勢を識るなり。
意訳
人気ブログランキングへ
○天野孫子:第三の地とは、両地点間の距離と、地形上の険しさと、土地の広さと、戦闘上の有利不利の環境とを言う。
○金谷孫子:[第三の]地とは、距離や険しさや広さや高低[などの土地の情況]のことである。
○浅野孫子:第三の地とは、地形の高い低い、国土や戦場の広い狭い、距離の遠い近い、地形の険難さと平易さ、軍を敗死させる地勢と生存させる地勢などのことである。
○町田孫子:地とは、距離の遠近、険しいのと平坦なのと、広いのと狭いのと、死地と生地と、それら地勢のことである。
○武岡孫子:地とは予想される戦場への距離、予想戦場とそこに至る険阻、広狭・高低などの地形、地質。
○フランシス・ワン孫子:地理的条件によって、戦場の遠近・踏破の難易、また、そこは平坦な地形か狭隘な地形か、そして、そこは彼我何れに生のチャンスを与え死のチャンスを与えるものとなるかを知るのである。
○学習研究社孫子:地というのは、戦場が遠くにあるか近くにあるか、険しい所か平坦な所か、広いか狭いか、活動できない所か自由に動ける所か、といったことをいうのである
。
○著者不明孫子:地とは、戦場が遠いか近いか、険しいか平らであるか、広いか狭いか、高いか低いか、などの地勢に関することである。
⇒このページのTopに移動する
⇒トップページに移動する
⇒計篇 全文に移動する