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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2013-02-10 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『敵の利を取る者は貨なり。』:本文注釈

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この文の解釈には諸説あるが、まずは「貨」の意味から考えていきたいと思う。貨には金銭、財貨、品物、または非常に価値のある物という意味がある。仮りに貨の意味を財貨としてみると、ここの文は「…は財貨である」という意味になる。次にこの文の後に続く文を見てみる。後には「故に車戦して車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し…。」と続く。ここで「其の先ず得たる者を賞し」の文に注目していただきたい。この「其の先ず得たる者を賞し」であるが、仮りにこの文がなくとも実はスムーズに文の流れが続いていくのである。つまり、必ずしもこの文は必要はないということである。ということは、逆に考えればこの「其の先ず得たる者を賞し」の文は、別になにかしらの必然性があって記されたものと解釈せざるを得ない。これが何を意味するかであるが、この本文が存在する理由を考えながらこの文の意味を考えると、「最も貴重な軍備品である上に、戦場で大いに戦力となる戦車を敵から手に入れた者には、兵士は財貨を欲するがゆえに財貨を以てその功に報いよ。」という意味が考えられる。今風に言えば「貴重な戦車を手に入れた者にはマネーなり」であり、意味は「敵の戦車を手に入れた者にはお金を与えよ」となる。そして、「敵の利を取る」とはこの文の場合、「敵の車十乗已上を得たこと」である。現代においての戦闘機一機分くらいの価値が、当時の戦車にはあったといわれていることから、十乗以上ともなると、莫大な価値があったにちがいない。また、「敵の利」は戦車以外にもいろいろあるだろうから、これを踏まえて改めて本文に戻り解釈をおこなうと、「敵の有利・利益となっている物を奪い取る(得る)には、財貨を以て兵士に報いよ」となる。しかし、これだけでは本文の記述が、「敵の利を取る者は貨なり」、と「貨」の一言ですませている理由を考えた場合、今一歩何かが足りないような気がする。つまり、私が言ったような意味ならば、本文の記述も分かりやすく、「敵の利を取る者は貨を以て報ず」や、「敵の利を取る者は貨を欲す」等となるはずである。よって「貨」の意味を、これから十分に考察していく必要がある。
さて、この本文の後に続く文の中に、「金銭・品物・財貨・貴重なもの」に相当するものは「敵の車十乗以上」が該当する。このことから、本文の「利」と「貨」は『孫子』本文の転記の際、誤って入れ替わったものとする注釈者もおり、その場合「敵の貨を取る者は利なり」と読ませている。この説は合理的であるし、これまでの諸本と竹簡孫子の本文とで、意味が全く真逆になりえるものもでてきているため、可能性としてありえないことではないが、私はそれまでの諸本の本文を尊重し、直ちにこの説を採ることはしない。又、後ろに続く文も「こちらの利となること」を語っているが、結文は「是れを敵に勝ちて強を益すと謂う」となっている。つまり、勝って敵の貨を得て自軍を増強するのであると言っており、増強するには敵の貨が重要であるということを言っている。つまり、ここの本文は、「…者は貨なり(である)」と結ぶのが妥当であろうと私は考える。作文のテクニックの一つとして重要な事を言いたい場合、それは最後に述べた方が読者にとって強烈な印象を与えることになるのは間違いないからである。
ここで、一方でこの本文を「敵に取るの利は貨なり」と読ませる説があることについて触れてみたい。仮りに「貨」を「財貨」と訳していくと、この場合「敵から得て我れに有利なもの、利益とは財貨である」、というような意味となる。しかし、敵から得て利益となるものは財貨に限らずいろいろあるであろうと私は考える。例えば、地の利や人(敵将や敵のスパイ(間))、またはいささか脱線気味だが、当時陰陽思想が流行っていたことを考えると、「敵の運」までをも考えられるであろう。よって、この場合の「貨」とは「財貨」ではなく、「貴重なもの」という意味に捉えると解釈がスムーズに行える。「敵の車十乗已上」も当然「貴重なもの」であるからである。しかしながら、私はこの文の「貨」を「貴重なもの」という意味で捉えることには何か違和感を感じるのである。『呂氏春秋』にも「奇貨居く可し」と言ったように、貨は品物(つまり財貨も同義)という意味に捉えた方が当時において、より一般的だったのではないかと思うのである。或いは金貨や貨幣などで漢字として使われている、「貨」の「金銭」という意味が日常的な意味ではなかったのではないだろうかと思うのである。よって、「貨」を「貴重なもの」とする説には、ややまわりくどい感があるため釈然としないのでこの説は私は採らない。また、この本文を「敵の利を奪い取るということは、貴重な事である」と訳すと文意がおかしくなる。よって、「貨」を「貴重なもの」とは訳さない。
では、ここで「貨」の意味についてもう一度よく考えてみたい。「貨」とは金銭・品物・財貨などの意味が主であろうと私は考える。これらは金銭そのものであり、金銭に換えられるものであり、それ相応の価値があるものである。ここで、「貨」の主な意味である「金銭」「財貨」に共通するものを考えてみると、「貨」を「価値ある物」と考えることができる。これを踏まえて本文を訳してみると、「敵の利を取ることは価値のあることである」となる。この場合、この文を前の文の「故に敵を殺す者は怒なり」の対句として扱ってもうまく文意がつながっていく。つまり「無思慮な怒りを戒めよ、敵の利を取る行為こそに価値があるのだ」、と訳すことができる。しかしながら、「故に敵を殺す者は怒なり」を戒めの言葉として捉えるならば、孫子特有の言い回し「察せざるべからず」などが、文の後ろについてもよさそうなものである。よって、ここでは「怒」を否定的な意味ではなく肯定的な意味として捉えていってみる。そうすると、文の区切りとしては「故に敵を殺す者は怒なり。敵の利を取る者は貨なり」で一区切りで考えた方がわかりやすい。これらの文は孫武が戦争で勝つための言葉を将に向けて言ったものである。このことは後に、「兵を知るの将は民の司命云々」という文が見えることからも間違いないと思われる。「敵の利を取る者は貨なり」の文の、その後の「故に車戦して…卒は善くして之れを養わしむ。」は、敵の利を取って価値あるものの一例を挙げた文と考えられる。また、「是れを敵に勝ちて強を益すと謂う」の一例を挙げた文でもあろう。この場合、「其の先ず得たる者を賞し」の文も、敵に勝って強を益すというやり方の単なる一例を示しているものとなる。このように考えると、文の流れや区切りも後々まで綺麗にまとまっていくことになる。


取-手ににぎる。自分のものにする。えらびとる。【解字】もと、又部6画。会意。「耳」+「又」(=手)。獲物の耳を手でつかむ意。

貨-①ねうちのある品物。財宝。商品。②交易のなかだちをするもの。金銭。かね。③ ほかのものと取り替えることのできない、特に大切なもの。また、かけがえのない人。【解字】形声。「貝」+音符「化」(=かわる)。交換して他の品物にかわる貝の意。昔は子安貝を貨幣として用いた。





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孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:金谷治○金谷孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 ※利者貨也-文意からすると、「利」と「貨」とは誤倒であろう。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:町田三郎○町田孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 宋本には「取敵之利者貨也」とあるが、文意からして「利」と「貨」とは誤倒であろうとする金谷治の説にしたがって改めた。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:天野鎮雄○天野孫子:「敵に取るの利は貨なり」
 ○取敵之利者貨也 「貨」は金銭・珠玉・布帛の類を言うが、ここでは主として穀物・武器などを指す。この句は敵から奪い取ってわれに有利なものは敵の財貨であるの意。『詳解』は「敵より奪取して利益多きは糧穀・(きかん)を取るに如くは無きを言ふ」と。この句について諸説がある。一説にこの句を「敵を取るの利は貨なり」と読んで、敵を取った味方の兵に褒美として財貨を与えると。梅堯臣は「敵を取れば、則ち吾人を利するに貨を以てす」と。また一説にこの句を「敵の利を取るは貨なり」と読む。この場合、種々の解釈がある。一つはおのれの貨で敵の物を手中に収めると。『国字解』は「敵の利を此方に取って、我が利とするは貨なりと云ふことなり。敵之利とは敵の所持したる土地・人民・士卒・兵糧の類なり、貨とは金銀・財宝なり」と。一つは敵の利を取るのは味方の貨を貪る心によってであると。『講義』は「人の能く敵の利を取る所以の者は其の貨を貪るを以てなり」と。また一つは「貨」をまいないする(宝を贈る)の意に解して、趙本学は「士卒に敵の利を取らしめんと欲すれば、当に其貨を以て之を賞すべし」と。この解釈に従う註家が多い。また一説に「之利」を衍字とするものがある。『発微』がそれで、「敵を取るは貨なり」と読んで、その意は計篇の「利して之を誘ひ、乱して之を取る」と同じとする。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:「敵に取るの利は貨なり」
  一、つまり、戦争(作戦)計画に於ては、敵を殺すことを主目的とすべきではなく、その兵員・器材・物資を諸共に我が有にすることを以て目的とすべきである、と言うのであり、前項とともに、「敵に勝ちて強を益す」の思想を明らかにするのである。
  一、しかし、本項も一般には仏訳の如き解釈はとらず、作戦篇とは無縁の解釈が行われている。たとえば、「敵の利を取る者は貨なり」と読み、敵の物資の奪取は、将兵がそれによって利益をえようとする(分け前にあずかろうとする)精神による、といった如き解釈である。梅堯臣は、本項は前項の「敵を殺す者は怒りなり」の対句として、「敵を殺すには、則ち吾れ人を激するに怒を以てし、敵を取るには、則ち吾れ人を利するに貨を以てす」と註し、敵の兵員・物資・器材を取るためには、将兵に財貨を与えることが必要である、の意と解している。曹操は「軍に財無ければ士来らず。軍に賞無ければ士往かず」と。しかし、何れも、本項だけの理解としてならば説得力はあるが、作戦篇の思想との関連を欠いた解釈である。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:守屋洋○守屋孫子:「敵の利を取るものは貨なり」
 また、敵の物資を奪取させるには、手柄に見合うだけの賞賜[しょう‐し【賞賜】シヤウ‥賞して物を賜うこと。また、そのもの。]を約束しなければならない。
 ■人事管理のコツ このくだりはまた、企業の人事管理の参考にもすることができる。「敵を殺すものは怒りなり、敵の利を取るものは貨なり」とは、①やる気を起こさせる、②業績は正当に評価してやる、ということに通じよう。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:重沢俊郎○重沢孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 敵の物資を奪い取るのは、利益のためなのである。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:田所義行○田所孫子:「敵に取るの利は貨なり」
 ○故殺敵者怒也、取敵之利者貨也とは、敵を制圧する戦闘力は怒、すなわち敵愾心であるが、敵から取上げてわが戦闘力を旺盛ならしめるものは、敵のもっている貨財であるとの意。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:大橋武夫○大橋孫子:「敵の利を取る者は貨なり」
 貨-兵器や軍需品

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:「敵の貨を取る者は利なり」
 貨-兵器や軍需品

○著者不明孫子:「敵の利を取る者は貨なり」
 【取敵之利者貨也】 諸説があるが、いずれも分かりにくい。敵の有利な条件を奪うのは財貨(広い意味での財貨、つまり兵器・食糧などをも含む)による、敵の財貨を奪い利用することによって敵の利を取り上げることができる、という意味に解した。これを「敵を(または「敵に」)取るの利は貨なり」と読みこともでき、天野鎮雄『孫子』は「敵に取る…」と読んで「敵から奪い取って我に有利なものは敵の財貨である」と訳している。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『敵の利を取るの者(は)、貨(たから)すればなり』
 貨とは、士卒に財寶をあたへ其の志をいさましめ、賞功を厚くして士卒の志をうる也。士卒敵地に入りて敵の利する處をいさみすすんで奪ひ取ることは、かれ賞厚を喜ぶがゆゑ也。三略に云はく、軍に財無きは士來らず、軍に賞無きは往かずの心也。李卓吾云はく、敵の利を取る者は貨、貨を以て人に與ふ、乃ち敵を取る可し、趙充國(漢代の名将軍、蕃族西羌叛する時将軍年七十餘、命を受け出陣し忽ちにして降し屯田兵の制を設け後患なからしむ。先零は羌族の一種。)金城を守り、羌豪を誘ひ、自ら相斬捕し、一人を獲る毎に、錢四十萬を予ふ、羌人自ら攜(くづれ)(摧カ)、先零坐して困しむが如き、是れ也。又云はく、敵の利を取るとは、敵人の民家を亂取し敵の倉庫をやぶつて、かれが利あるの所を我が士卒いさみて奪ふことは、これをうれば貨を多く得ると思ふゆゑ也と云ふ説あり。又敵をうつと(討取)れば必ず利をうるとおもふは、賞功のむくいあつければ也。これ杜佑が説也。人敵に勝つときは厚賞の利有るを知らば、則白刄を冒し矢石に當る、而して樂しみて以て進み戦ふ者は、皆貨財賞勞の誘に酬ゆれば也。このときは敵を取ること之れ利とするは、貨也とよむべし。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:『敵の利を取るは、貨なり。』
 この段の意は、敵の利を此方へ取て、我か利とするは貨なりと云ことなり。敵之利とは、敵の所持したる、土地、人民、士卒、兵粮等のるいなり。貨とは金銀財寶なり。尤上の段に云如く、敵を殺して猛威をふるふは士卒の奮激の氣を以て、小勢にて大敵をも挫けども、そればかりにては全き利を得ることかたかるべし。總じて身あるもの欲心あらずと云ことなし。故に金銀財寶を以て、或は敵方の郷民を味方へ引付けて案内をさせ、間道より攻入り、或は放火し、或は兵粮を奪ふ便とし、或は敵方の将吏の、欲心あるものを味方に引入れて、方便を以て敵の土地人民士卒兵粮、何にても敵の利となるものを味方の利となすこと、是全き勝を取る道なり。かくの如く、智将は威を以て挫き、利を以て誘(おび)き、一たびはおどし、一たびはなづけて勝利を得ること速なるゆへ、長陣の費なしと云意なり。この篇は作戦篇と名づけて、戦を説たる篇なるに、孫子たたかひの一途を專にせぬ意を説けるは、其心地活潑にして、圓機妙轉せること、後人の及ぶべきに非ず。一説に貨と云を、重賞之(の)下、必ず勇夫有りと注して、味方の士卒に、金銀財寶を與へ、軍功を褒美して、軍に勝ち、敵の利を此方へ取る意に見たる説あり。是にても苦しかるまじけれども、其意は、上の句の殺敵者怒也と云内に備れり。其上其説は、とかく戦を以て敵に勝つと云ばかりに歸して、戦わずして人の兵を屈するところ、孫子が深意なることを知らぬなり。此深意を會得して後よく、火急に戦を決して、軍兵の氣のたゆまぬ様にすること掌に握るが如し。故に上の殺敵者怒也、取敵之利者貨也と二句を並べて云へるなるべければ、今其説に從はず。又一説に、取敵之利と云を、敵を取るの利とよませて、貨と云は何にても士卒の敵方より奪ひ來る物を、直に褒美として、士卒に與ることと見たる説あり。かくある時は、吾士卒敵を打取ることの吾に利あることを知るゆへ、戦を勵むと云意なり。この説にても、とかく戦を以て敵に勝つと云ばかりに歸するなり。其上士卒に亂妨をすすむる意あれば從ふべからず。此段の微意、前の段に、因粮於敵と云は、貨を以て敵方の将吏郷民を味方へ引入れずんば、なり難しと云意を含で云へるなり。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『敵の利を取るものは貨なり。』
 怒は以て敵を殺すべし。私忿(しふん)公怒、皆自(おのずか)ら用ふべく、之れを用ふるは将に存す。貨は以て利を取るべし。利は是れ敵に食ふなり。然れども啻(ただ)に敵に食ふのみに非ず、「車に乗り卒を養ふ」、是の類何ぞ限らん。之れを取るは貨に在り。貨は下の賞養を兼ねて言ふ。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:軍に財無くば士來ず。軍に賞無くば士往かず。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:杜佑:孫子十家註○杜佑:人 敵に勝ちて厚賞の利有るを知らば、則ち白刄を冒し矢石に當たる。而して以て進みて戦い楽しむ者は、皆貨財 勳に酬い勞を賞すの誘なり。

○李筌:利とは軍の寶を益すことなり。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:杜牧:孫子十家註○杜牧:士をして敵に取るの利を見らしむ者は貨財なり。謂うに敵の貨財を得れば必ず以て之れを賞す。人をして皆欲有らしめば、各(おのおの)自ら戦いを為す。後漢荊州刺史 度尚 桂州の賊帥卜陽潘鴻等を討つ。南海に入り其の三屯を破る。多く珍寶を獲りて鴻等黨(党)を聚(あつ)め猶お衆たり。士卒驕りて富めり。鬭志有る莫し。尚曰く、卜陽潘鴻賊を作(な)し十年なり。皆攻守に習う。當に須らく諸郡 力を併せて之れを攻むる可し。今軍恣(ほしいまま)に射獵をすと聴く。兵士喜悦す。大小相與え禽に從う。尚ほ乃ち密かに人をして潜めしめ其の營を焚く。珍積 皆盡く。獵する者は還り來たる。泣涕せざる莫し。尚曰く、卜陽等の財貨 數世を富ますに足れり。諸卿但だ力を併せざるのみ。亡き所少少なり。何をか意を介すに足りて衆聞きて咸(みな)憤踴し戦うを願う。尚 馬の秣(牛馬の飼料。まぐさ。)の蓐(しとね:草を編んだ敷き物。ねどこ。)を食らわしむ。明けて晨(朝)徑(みち)に賊の屯(たむろする。多くのものが寄り集まって一か所にとどまる。)に赴く。陽鴻備えを設けず。吏士鋭に乗じて遂に之れを破る。此れ乃ち是れなり。

○孟氏:杜牧の註に同じ。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:敵を殺さんとすれば、則ち吾れ人を激すに怒を以てす。敵を取らんとすれば、則ち吾れ人を利するに貨を以てす。

○王晳:厚賞を設くを謂うのみ。若し衆をして利を貪るに自ら取らしめば、則ち或いは節制を違えるのみ。

○張預:貨を以て士を啗(くら)わすなり。人をして自ら戦を為さしめば、則ち敵の利を取る可し。故に曰く、重き賞の下、必ず勇夫有り。皇朝太祖 将を命じ蜀を伐つ。之れを諭(さと)して曰く、得る所の州邑當に我れに與えるべし。竭くる帑(かねぐら)庫を傾きて以て士卒を饗(もてな)す。國家欲す所惟だ土を彊くするのみ。是に於いて将吏死して戦う。至る所皆下す。遂に蜀を平す。


意訳
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○金谷孫子:敵の物資を奪い取るのは実際の利益のためである。

○浅野孫子:敵の物資を奪い取るのは、利益を得ようとする精神がそうさせるのである。

○町田孫子:敵の物資を奪い取らせるものは、その褒賞である。

○天野孫子:敵から奪い取ってわれに有利なものは敵の財貨である。

○フランシス・ワン孫子:思慮深き者は、敵の兵員・器材・物資を我が物とせんと図るのである。

○大橋孫子:敵の利を取るためにはその財貨を奪うことである。

○武岡孫子:国力の重要性に思いを致すものは、作戦に当り敵の兵員・兵器・資材および戦略物資の鹵獲[ろ‐かく【鹵獲】‥クワク (「鹵」は捕らえて奪う意)戦勝の結果、敵の軍用品などを奪い取ること。]を目的として行なうべきである。

○著者不明孫子:敵の利を奪い取るのは財貨による。

○学習研究社孫子:敵から取る利益は、物質的な財産でなければならない。

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2013-02-05 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

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『故に敵を殺す者は怒なり。』:本文注釈

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「故に敵を殺す者は怒なり。」の主な解釈としては二つ知られている。
 ①一つは、敵を殺すのは怒りの感情(又は励まし)によるものである、という解釈で、敵は生かすよりも殺すものであるとも解釈できる。この思想は、行き過ぎれば殲滅主義とも捉えられかねない。もちろん、降伏・投降してきた国や兵においては別であろうとは思うが、基本としては敵は殺すということであろう。火攻篇の最後の段で、怒りは禁物であるという旨の文があるが、これは君主の一時の感情で戦争を起してはならないということで、もはや戦争が始まった段階で戦場に於いて敵と遭遇した場合に於いては、怒りの感情(励まし)によって、敵を攻撃するということは、ごく自然のことであろう。ただ目の前に殺し合いが迫っているということで、士気が下がるといった状況パターンも考えられるため、兵を鼓舞するためには怒りの感情を引出すのだ、と孫武が言ったということがここでは考えられるだろう。又、この文が、戦争は速戦速決の方がよいという文や、食糧や軍の用度品(武器やさまざまな道具)はできるだけ敵から奪え、という文の後に続くことから、この文は怒りの感情をもとにして速戦速決し、敵の物を奪い我がものとせよという意味であろうと推測される。しかし、怒り狂っていては、敵の物を奪うまでもなく、破壊してしまう可能性も少なからず出てくると考えられる。つまりここでいう「怒」とは、一般に思うような怒り猛り狂った状態というよりは、ある程度抑制のきく精神の高揚状態にある敵愾心というようなものと考えられなくもない。すでに述べてあるが、計篇の「怒にして之れを撓め」、の文の「怒」も同様の意味の可能性がある。ただし、火攻篇の最後の段の「怒」の説明は、明らかに悪い意味で戒めの対象となっていることから、これには当てはまらないと考えてもおかしくない。しかし、利益を考えず、興奮した感情をもとに戦争を起してはならない、と解釈すればおかしくはならないであろう。
 ②二つ目の解釈は、火攻篇の最後の段で、「主は怒りを以て師を興こすべからず。将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず。」の文があることを根拠として、「怒りは軍を滅ぼす愚かな感情であるから、これを戒めよ。」とするものである。この場合、「速戦速決、敵の物を我がものとせよ」の文の後に続くこの文の解釈としては、「速戦速決や敵の物を自分のものとするには、歯止めがきかない猛り狂った怒りの感情ではなく、理性的な精神・行動によるものが不可欠である」、という意味になる。火攻篇の怒りを禁じた文の主旨は、「国を安んじ軍を保全させるには、怒りの感情で軍を起こしてはならず、利益に照らして行動することを君主や将は心がけよ。」、となる。よって作戦篇の「故に敵を殺す者は怒なり。」の文も、怒りを戒め、利益に照らして将は軍を行動させよ、ということをいっていると考えられる。
 この二つの解釈に共通な点は、自軍の利益を主眼におき、「速戦速決・敵の物を自分のものとする」精神に矛盾しない所にある。一番目の解釈と二番目の解釈と違いが生じていることから、以降の文にも、それぞれの解釈の違いが引き継がれていくと考えて間違いない。まず一つ目の解釈では、敵兵を自軍に組み入れるという発想は少なくとも第一義としては存在しない(ただし、食糧や軍の用度品は別。)ことから、以下の文の解釈もそれを踏まえたものになる。二つ目の解釈では、敵軍の投降兵を自軍に組み入れ増強させるという方法を否定はしないことから、敵兵を我が軍に組み入れ役立たせるといった、敵兵を活用するやり方を踏まえた解釈を以下の文にも適用していってもおかしくはない、ということになる。
 『老子』に、「善為士者不武善戦者不怒」 (善い知識人たる者はたけだけしくない。善い戦士は、激しくない(怒らない)。 )という言葉がある。『孫子』のこの文の「怒」は将の「怒」ではなく、兵の「怒」であることは明白であるが、『老子』のいうような怒りを否定するものなのか、はたまた怒りを肯定するものなのかどうかは定かではない。ただし、「怒」の意味に迫っていくには、いくつかの手掛かりがある。その中の一つは、この段の後に「故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。」とあることである。つまり、この「故に敵を殺す者は怒なり。」の文は、戦争の早期の勝利に役立っているということを言っている。この事を考えると、二番目の解釈では、速戦速決には直ちにはつながるものではないことがわかる。逆に、一番目の解釈は、怒りの感情(はげまし)をもって速戦速決を計る、という意味に捉えられることから、こちらの方が後ろの文の「故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。」とのつながりがよいことがわかる。もうひとつは、「故に敵を殺す者は怒なり。」の前の文の「故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。」との文意のつながりにある。こちらは「敵の物を自分のものとして利用していく」、という考えの文のあとに、「故に敵を殺す者は怒なり。」の文が来ていることから、「敵の資源は味方の資源になりえるからむやみに敵の資源を役に立たなくする行為は慎め」、というように流れがつながっていくことになる。この場合は、二番目の解釈の方がよりふさわしいということがわかる。しかし、この段のまとまりの点から考えると、よくまとまるのは一番目の解釈である。このようにいろいろ考えてみると、私自身の考えとしては、二番目の解釈は言いたいことはわかるのだけれど、少々まわりくどいような感じがする。『孫子』は抽象的な表現が多いが、この文の表記だけではそこまでの意味とはならないような気がするのだがどうであろうか。二番目の解釈をとれば、敵兵は我軍に吸収されることもありうるが、この場合はもちろんその兵士を新たに養っていくということである。しかし、その費用はいったいどこから出していくというのであろうか。食糧や武器などの道具はいくらあってもまず困ることはないが(輸送の手間はもちろんかかるが)、兵士の場合、吸収した兵の多寡によっては費用も莫大なものとなりかねない。又、敵兵にも当然故郷に家族がいて、仲間もいるに違いない。昨日までの仲間を敵として殺せと命令されても、当然士気は上がるものではない。それよりも見逃してやると言って、恩を与えて解放し、又はその中から優秀と思われる者を自国のスパイとして養成した方が長い目で見れば、より有益であろう。以上のような理由から、「故に敵を殺す者は怒なり」を、「怒」を戒め敵の食糧を我物とする意味として捉える所まではいいのだが、敵兵を我軍に吸収し自軍を増強していくことを促すものとして捉えることは、それから様々な問題点を抱えていくことになり、現実として応用していくのはより困難なものとなるであろう。よって次の文では、食糧や軍の用度品は利となると言っていることから、食糧や軍の用度品を敵から奪うことは有利であることは明白であるが、敵兵を我軍に組み入れることは必ずしもそうではないことはもはやお分かりのことと思う。例えば捕えた(降参した)敵兵が、言語も通じず、文化も大きく異なっている様子であれば、こちらとしてはより扱いにくくなることは想像に難くない。又、「智将は務めて敵に食む」と言っていることからも、信用のできない敵兵を自軍に組み入れて、いたずらに軍費を消耗することは常識的に考えても考えられないことである。しかし、例えば投降兵を囮に使い、逃げられても構わない、または死んでも構わないといったことを前提にした用兵を行なうというような場合は別であろう。このような用兵も『孫子』では否定はしていない。また、当時は敵国の身分の低い捕虜を奴隷として使うことも何らおかしいことではなかったから、投降兵を国に送り奴隷とするという選択肢もあったであろう。『孫子』では自国の民や国の財産を保全することが、戦の最終目的であることを、火攻篇の末尾で述べているから、そのためには計篇でも言っているように、自軍を保全するためなら、敵をどのように欺いてもよいのである。
 「孫子」の文の意味を一概にそうであると考えることは、思考を停止させ利を手離すことにつながりかねない。「孫子」の文面のみ、表面のみをとらえて解釈することは危険につながり、また、自分のものとするには程遠くなる。論語の言葉で「故(ふる)きを温めて(たずねて)新しきを知る」という言葉がある。この温故知新の精神をもって、「孫子」を自家薬篭中の物[自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの) 自分の薬箱の中の薬のように、いつでも自分のために役立て得る物や人。思うままに使いこなせるもの。]としていくことがわれわれの理想といえるだろう。



殺-一 サツ・セツ ①命を絶つ。ころす。②そぐ。除く。消し去る。③程度がはなはだしい。はげしく…する。  二 サイ へらす。【解字】会意。「乄」(=刈りとる)+「朮」(=もちあわ)+「殳」(=動詞の記号)。もちあわを刈り取って実をそぎ落とす意。

怒-①腹を立てる。いかる。②たけりくるう。【解字】形声。「心」+音符「奴」(=力をはりつめる)。気ばる、気ばっていかる意。





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孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:天野鎮雄○天野孫子:○殺敵者怒也  「怒」ははげむ、奮い立つの意。敵愾心を言う。『諺義』は「怒ははげますと云ふ心なり。かれをいからしめて、心を激しはげます。乃ち作戦の篇註に(作について)しるせるごとく、振作の心なり。荘子(逍遙遊篇)に怒飛と云ふも、はげんでとぶと云ふの心なり」と。一説にいかりの意として、この句について趙本学は「士卒に敵を殺さしめんと欲すれば、当に之を激して怒らしむべし」と。また一説にこの句は怒りを慎むべきことを言うと。『兵法択』は「旧説皆、吏士を激怒せしむれば、則ち敵、殺す可しと謂ふ。最も其の義を失ふ。孫武の一書は、未だ嘗て殺すを言はず。且つ是の篇の如きは兵に久しくするを以て、戒めと為す。故に曰く、兵を知るの将は民の司令なりと。安んぞ其の敵を殺して以て吾人を激する者に在らんや。武且つ言あり。曰く、主は怒りを以て師を興す可からず、将は慍りを以て戦を致す可からず。亡国は以て復た存す可からず。死者は以て復た生く可からず。故に曰く、明主は之を慎み、良将は之を警む、と(火攻篇)。其の警戒の意、亦復た此の如し。読者、察せざる可からず」と。『新釈』もこの意見である。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:註 一、「故に」は、本篇の前段である十五項までを受けて言うものである。つまり、戦争に於ては、内外ともに、これほどの労苦と犠牲・困難の克服を必要とし、しかも問題が生ずるのを避けることはできないのであるから、ただ敵を殲滅し殺傷するだけを目的とするが如き戦争(作戦)は敵の抵抗を強化し、戦争を長期化させるだけの狂気の沙汰であり、激情に駆られて思慮分別(理性・冷静さ)を失ったものと言うべく、それは、覇王にとって、本来の戦争目的を達成する所以ではない、と。
 一、「拙速」を以て方針とし、戦争の長期化を避けてその目的を達成せんとする以上は、戦争指導・用兵も、すべてこの思想を以て一貫し、その実現を目指すものでなければならないのである。孫子にあっては、支那の古戦史が好んで記す「敵の何十万を坑(あな)にす」といった如き形態の戦争(作戦)はとらざる所である。なぜなら、そのような敵の覆滅を企図する戦争(作戦)は、平時より多大の軍備を必要とするのみならず、戦時その遂行に於ては、エネルギー節約の戦争経済の法則に反するものとなるからである。また、かかる絶対型戦争は、自身にも耐え難い損害を与えることが多く、たとえ勝利を得た場合に於ても、「諸侯、その弊に乗じて起る」状勢を招来し、結局は自ら斃るる道をつくるものとなる虞(おそ)れが大きいからである。このことは、第一次大戦に於てドイツに、第二次大戦に於ては日・独に対し、絶対型戦争指導を行った連合国が、米・ソ以外は、その勝利にも拘らず却って弱化し、特に第二次大戦後は、その弊に乗じて起った植民地の抵抗・独立運動をめぐって苦慮した事態を見れば明らかであろう。のみならず、勝ち誇って世界を二分支配したかに思えた米・ソも、歴史の命運とはいえ、僅かに四十年にして、早くもその覇権には動揺が生じている。絶対型戦争指導或いは孫子のいわゆる「戦勝攻取するも其の功を修めざる」(火攻篇)式の戦争指導が与える損害の中には、勝利をも空しくする驕慢の心・精神の荒廃の発生があるのであり、成功に心傲った彼らは盲目となり、積年の非道・横暴に対して天の摂理とも言うべき歴史的性格の復讐を受けながら、なおこれに気付くことができないでいるのである。無論、我々に、この事を嗤う資格はない。
 一、従って、孫子は「敵を殺すことだけを目的とするのは思慮を失った用兵である」(仏訳)とし、以下、戦争指導(作戦)は、すべからく「敵に勝ちて強を益す」(二十項)ことを以て主眼とするものでなければならない、と説くのである。つまり、戦争に於ては、単に敵の打倒だけを目的とするのではなく、敵の財貨・器材はもとより、その兵も味方のものとし、再使用することを企図する者でなければならない、と言うのである。いわゆる王者の軍である。しかし、この事は、その場の思い付きでできることではない。それは、戦争(計画)の当初より全軍が一致して有する理念・思想となっており、且つその実行について、予め具体的にして明確な工夫・配慮が行われている場合にのみ実現が可能となるものである。本項以下は、素朴であるが、この事について例をあげて説くものと言えよう。
 一、ところで、この孫子の「敵に勝ちてその強を益す」思想は、従来の単純なる敵の覆滅のみを事とする戦争を否定するものであるが、恐らくは、孫子一人の心に生じた思想ではあるまい。戦争の愚による悲惨から万民を救うため、群雄割拠を打破して天下の一統を実現する必要を痛感していた当時の識者にとって、その促進を図る有効な道として、認識せられはじめていたのではなかろうか。古い起源を有する将棋が、敵方の駒をとって場合、それを味方の駒として再使用することを許すルールとなっていることは、当時の戦争に対する考え・現実の反映であろう。
 一、この古代支那に誕生した思想は、近世に於ては忘れられる所となっていたが、現代に至って、たとえば(敵に寝返りを打たせる)人民戦争の如き概念となって復活し、一時期、共産主義国・社会主義国が自己の思想的武器として専売特許の如く使用、威力を発揮し、現代戦争の性格の重要な一面を形成するものとして、無視することを許さぬものとなったことは周知の事実であろう。しかし、これも、彼らの理想とする所の実態が明らかとなり、単なる方便に過ぎぬことが認識されるにつれて、急速に信を失い、再び忘れ去られつつある。
 一、しかし、この思想の根本精神は、そもそも「皇軍」を自称した我軍が理想とし建軍の本義とした所であり、今もその価値を失っていない。確かに我々も、昭和の戦争に於ては消化不良を起し、その実現に失敗している。しかし、我々は、過去の失敗に懲りることなく、この思想が、本来我々が軍事思想として有する神武-神武にして戈(ほこ)を止むの意-の精神に合致し、建国以来伝統としてきた諸民族を大和せしむることを以て理想とする祖宗の精神を具現する所以であることを再確認し、信念を以てその復活に取り組むべきであろう。実際、この思想的武器なくして我軍はありえないのである。なお、苦しむ敗者を救い、その武徳により、期せずして彼を傘下に入れた例は、我国では、大楠公の渡辺橋の例を始めとし、今次大戦に於てすら無数である。
 一、本項に対する誤解 ところで、本項も、一般には仏訳の如く解釈されてはいず、殆どは、軍隊を勇敢に戦わせて敵を殺傷するためには、軍隊を激励して憤怒させる(敵愾心を起させる)必要があることを説くものと解しているのである。曹操の如きも「威怒は以て敵を致すなり」と註している。このため、本句は作戦篇には似合しからぬ唐突の言句として、その存在に疑問を呈する者も少なくない。無論、このような意に解すれば当然であろう。しかし、これは、六項の「拙速」に対する誤解と同じく、本篇が作戦篇であることを忘れたために生じた誤解である。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:守屋洋○守屋孫子:兵士を戦いに駆りたてるには、敵愾心を植えつけなければならない。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:重沢俊郎○重沢孫子:もともと兵士が敵を殺すのは、敵に対する怒気のためであり、

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:田所義行○田所孫子:○故殺敵者怒也、取敵之利者貨也とは、敵を制圧する戦闘力は怒、すなわち敵愾心であるが、敵から取上げてわが戦闘力を旺盛ならしめるものは、敵のもっている貨財であるとの意。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:大橋武夫○大橋孫子:怒-敵愾心

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:怒-思慮を欠いた浅はかな用兵。敵愾心と訳したら後の文章と意味が合わなくなる。 本文の最初の「敵を殺す者は怒なり」を「敵を殺すのは奮い立った気勢による」と解釈する者が多い。怒を敵愾心とするからである。だがこの解釈では後の文章とつながらないばかりでなく、金や物資の重要性を述べた作戦篇とそぐわない唐突な解釈となる。したがってこの文は先の通解のように解釈すべきである。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:佐野寿龍○佐野孫子:○故殺敵者、怒也  「怒」は励む、奮い立つの意。この句は一般に「兵士を敵との戦いに駆り立て、進んで敵を殺すものは奮い立った敵愾心(戦意)である」と説明される。用兵上、闘争本能を活性化させ、兵士の士気を高揚させることは勿論重要であり、そのために、「怒り」などの非理性的な心理を活用することは有効な手段となる。然し乍(なが)ら、これはあくまでも指揮操作の対象となる兵士全体について言うものであり、指揮の主体者たる将軍個人の「怒り」を指すものでないことは明らかである。老子曰く「善く戦う者は怒らず」と。<第十二篇 火攻>にも「故に、明主は之を慎み、賢将は之を警(いまし)む」とあるが如く、指揮する者は、むしろ常に冷静さが要求される。つまりこの句は、将軍たる者、必要に応じ時には兵士の敵愾心を煽り、軍の戦意高揚に努める場合もあるが、それはあくまでも一つの方便にすぎず基本的には本来の戦争目的(兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず)を達成するために「敵に勝ちて強を益す」方策、即ち敵の力の有効活用を常に企図するものでなければならないと言外に言うものである。斯る見地よりすれば、「敵を殺す」と言う選択肢以外に、他の方法(敵の力の逆用・活用)があり、然もそれが可能であるにも拘わらず、むやみやたらに敵を殺す者は、単に怒りの激情に駆られただけの思慮分別を失った無益な行為(即ち斯るやり方は敵の抵抗を強化し、戦争を長期化させるだけの狂気の沙汰であり我にとって利とならないもの)にすぎず、賞賛の対象どころか、むしろ批判されるべき行為であると断ずるのである。孫子はこの意味で、「故に、敵を殺すものは怒りなり」と曰うのである。これに対して、「敵の利を取るものは貨(物資等の価値あるもの、ここでは人も含むと解する)なり」は、本来の戦争目的を達成する所以たるものであり、これを実行する者は我にとって利、つまり敵に勝ちて強を益すものとなるため、大いに賞賛すべきであると言うのである。況んやその一例として、敵の戦車ばかりでなく、その乗員までも捕獲することは、前記のただ怒りにまかせて敵を殲滅し殺傷するだけの無益な行為に比べ、はるかにレベルの高い仕事だと評価するのである。故に、当然の結果として「その先ず得たる者を賞する」のである。右の如く解することにより、本篇の前段である「糧は敵に因る」と後段である「敵の利を取る者は貨なり」の説明が本句をキーワードとして何等矛盾することなく繫がり、然も孫子の意に適うものとなるのである。

○著者不明孫子:【故】「故に」という接続詞は、上文の内容を理由として「だから…」「それゆえに…」と下文に続けていく場合に用いられる(もっと強くいう場合は、「是の故に」「…を以ての故に」などの表現をとる)が、いつもそうであるとはかぎらず、「そこで」「このように」「かくて」というほどの軽い意味に用いられる場合も多く、また、「そして」「さて」など、上文の内容とは違うことを言い出す場合の接続詞としても用いられる。
 【殺敵者怒也】「怒」は憤激の情。「こん畜生」と思っていきりたつ気持ち。計篇第一の五「怒而撓之」の怒と同じ。そういう気持ちがあってはじめて敵を殺すことができるということ。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『故に敵を殺す者は怒(はげま)せばなり。』
 怒ははげますと云ふ心也。かれをいからしめて、心を激しはげます。乃ち作戦の篇註にしるせるごとく、振作の心也。荘子に怒飛と云ふも、はげんでとぶと云ふの心也。云ふ心は、味方の兵士戦ふことをこのみ、敵を撃殺することを快くすることは、兵士をはげまし、其の氣を振作して、いさましむるにある也。凡そ良将の兵をつかふこと、よく士卒の勇を考へて、或はこれをかくし或はこれを出し、或は抑揚し、或は褒貶す。皆是れ士卒の氣をはげましいさましむべきの術也。故にかれ戦をこのむといへどもわざと戦はず、かれ出でんことを欲すれどもわざと出でず、彼れ勇力をあらはさんと欲すれどもわざと勇力をあらはさしめず。紀渻子(假設の人、列子黄帝第二及び荘子外篇十九に出づ、要は闘鶏を養ふに、始めは殺気を養ひ、後には沈著にして威あり、敵自ら伏するに至らしむとなり)が雞を養ふ術のごとくならしめて、其の機をはり、其の心をはげましむること、良将の作略也。尉繚子云はく、民の以て戦ふ可き者は、氣也と。百戦奇法(武徳全書中章氏闘書編にありと云ふ)に云はく、凡そ敵と戦ふ、須らく士卒を激勵し、忿怒せ使めて後に出で戦ふべし。法に曰ふ、敵を殺す者は怒り也と。大全に云はく、怒は軍に蔵くす、心觸るる有れば斯に發す、發する有れば則勝つ、而して機權以て之れを激する有るに在り。之れを激すれば則怒り心從り生ず。以て水に入るも濡れず、火を蹈(ふ)むも烈(もえ)ざる可し。其の敵を殺すに於て也何か有らん。田單燕を誑(たぶらか)し城外の塚墓を掘らしめて、士卒遂に激怒して燕を攻むるが如き、是れ也。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:『故に敵を殺すは、怒なり。』
 故とは、又上の文を承けたるなり。上の文に云へる如く、遠境へ働き長陣を張ては、國家の費夥しく、士卒の氣たるむものなるゆへ、士卒の勇氣たはまず、きほひぬけぬ内に、戦を決して早く引取り、長く敵地に居らぬ様にせよと云ことを云たるなり。殺敵者怒也とは、總じて平生怯きもの弱くかひなき人も、一旦怒に乗じては、人と爭ひ闘爭にも及ぶなり。然るに合戦と云ものは、上の催促によりて我に意趣も遺恨もなき人と戦て、是を殺んとす。上下心を同くして、上の怒り玉ふを見ては、我私の仇の如く骨髄に徹して怒るに非んば、誠に世話に云る軍役と云ものになりて、精力を奮て、是非ともにこれを殺んとまでは思ふまじきなり。名将は人情のかくあることを明かに知て、方略を設けて士卒の氣を奮激せしめ、その奮激の氣に乗じて、一戦をはじむる時は、よくわが私の仇を伐つ如く、身命を忘れて戦ふゆゑ、多くの敵を殺して、大軍をも切り崩すことなり。然れば敵を殺して勝利をなすは、此奮激の氣なり。もし長陣に及で、力疲れきほひぬけ、奮激の氣たゆむ時は、軍に勝つことあるべからず。此篇を作戦篇と名付けたるも、此意にて、上の文に長陣を戒めたるも、專ら此道理を説ん為なれば、此一句尤この篇の肝文と云つべし。但しこの怒と云に付て、古來の名將、方略を設て士卒を怒らしめ、軍に勝たるためし少ならず。齊の國七十餘城を燕の國の將軍樂毅に攻め落され、僅に莒即墨の二城のこりたる時、樂毅は讒によりて本國に喚反され、別の大將代りに來れり。即墨の城には田單こもりけるが、田單反間を放つて城中より降參したる者は、城中のものと意趣ありて、殊の外に悪むなり。悉く劓りなば城中の士卒喜ぶべしと云はせければ、彼將尤と思ひ悉く劓る。城中の者ども悪き燕の大將のしかたかな、命の惜しきとて、さやうに辱められては生たるかひなし、降參はすまじきことぞとて、愈々(いよいよ)城を固く守りける。田單また反間をはなつて、城中の者共は、先祖の墓をほり崩され、死骸を焚く。城中のもの涕を流し無念がり、怒氣奮激するを見て、田單切ていで、燕國の軍を追くつし、齊の七十餘城を取りかへしけり。又後漢の班超天子の命を銜(くわえ)て西域へ使に行き、鄯(ぜん)善國へ至り、蹔(しばら)く滞留したりし時、折節匈奴より使來る。鄯善王匈奴の使者を殊の外に馳走しければ、班超か下司の士僅に三十六人ありけるが、班超これに向て云やう、匈奴の士はの來りけれは、それを馳走して、吾々をは輕しむる體(てい)たらく、悪き仕形なり。いかさまにも吾々をからめとり、匈奴に送るべしと思はる。然らば身を犲(読み⇒さい:やまいぬ)狼の食にせられ、空しく朽はてんことの腹立しさよ。虎穴に入らざれば虎子をば得ぬぞとて、夜に入り大風に乗して、風上より匈奴の使者の居處へ火をかけ、三十六人の内十人に太鼓を打せ、火の手上るを合圖にして、夥しく太鼓を打たせ、おめきさけんで切入りければ、匈奴の使者は大勢なりしかども、班超がわつか三十六人の手勢を、夥しき大軍と思ひ、驚き亂れてにげちるを、悉く打取りしかば、此比までは漢と匈奴と兩方へ從ひて、漢へ全くは從はざりし鄯善王、終に降參して、班超抜群の賞に預りしも、怒を以て士卒を激せしゆへ、味方もなき它國のおぼつかなき處にて、成がたき大功を立たり。このやうなる類猶もあるべけれども、畢竟士卒を怒らすると云は、士卒の勇氣を專一にすることなり。怒らざれは敵を殺すこと能はずと云には非ず。張預この段を注して、尉繚子を引き、民の戦う所以は氣なり。氣怒るときは則ち人人自ら戦を謂ふと云へり。氣怒ると云は、怒る時の如く、勇氣の專一なることを云なり。荘子に大鵬と云鳥の、九萬里の天に飛上ることを、怒て飛と云へり。これは彼鳥力を出し氣を奮て飛上ることを、人の怒に喩へて、怒て飛と云て、何も腹立ことあるを云には非ず。故に荘子をよむもの、怒ると云字をはげむと訓じて、はげんで飛とよめり。此本文の怒の字を荘子と同じ意に見て、只勇氣を專一に奮ふことと見ば、孫子が本意に通徹せんか。強ちに士卒を怒らしむるが、孫子の本意と思ひ、事の便りもなきに、強ゐて士卒を怒らしめんとのみ思はば、却て文字に滞り泥(なづ)むなるべし。まして本文一篇の文勢、長陣をして氣のたゆむことを云て、其次に此段を云へば、戦は氣にあるわけ、本文の骨髓なるべし。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『故に敵を殺すものは怒なり。』
 此の句唯だ以て下を起す、意義あることなし。猶ほ詩の所謂興(中国古代の詩の六義(六つの形式)の一つで、ある事物を比喩にかりて、自分の所感を述べるもの。)のごとし。然れども兵理に於て則ち然り。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:威怒を以て敵を致す。

○李筌:怒とは軍威なり。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:杜牧:孫子十家註○杜牧:萬人 能同じうして心皆怒るに非ず。我れ之れを激して勢を以て然ら使めるに在るなり。田單即墨を守るに、燕人をして降る者の劓(鼻をき)らしめ、城中の人の墳墓を掘らすの類是れなり。

○賈林:人の怒る無ければ、則ち肯(あ)えて殺さず。

○王晳:兵は威怒を主(つかさど)る。

○何氏:燕 齊の即墨を圍み、齊の降る者盡く劓(鼻を切)る。齊の人皆怒る。愈(いよいよ)堅く守る。田單又反間を縦(ほしいまま)にし曰うに吾れ燕の人 吾が城外の家墓を掘らば、先人を戮辱し、為に寒心となるべし。燕軍 盡く墓を掘り死人を燒く。即墨の人 城上に從い望み見て皆泣涕す。其れ出でて戦を欲し、怒りて自ら十倍す。單 士卒を用うる可きを知れり。遂に燕の師を破る。後漢 班超 西域に使う。鄯善に到りて、其の吏士三十六人と會う。共に酒を飲み酣(たけなわ)となる。因りて之れを激怒して曰く、今俱に絶域に在り。大功を立て以て富貴を求めんと欲す。虜使 到りて裁き数日にして、王禮貌 即ち廢す。如(し)吾が屬を収め匈奴に送らば、骸骨長じて豺狼の食と為すなり。官屬皆曰うに、今危亡の地に在り。死生司馬に從う。
超曰く、虎穴に入らずんば虎子を得ず。當に今之の計をすべし。獨り夜に因りて火を以て虜を攻め、彼をして我れ多少知らざらしむ。必ず大いに震怖[しん‐ぷ【震怖】ふるえおそれること。]し、殄[すべてがほろびる。絶えはてる。ほろぼしつくす。]盡(つく)る可し。此の虜を滅さば則ち功成り事立つなり。衆曰く、善し。初夜 吏士を将とし虜營に奔る。天の大風に會う。超 十人をして鼓を持たせ虜舍の後ろに蔵す。約して曰く、火然ざれば皆當に鼓を鳴らし大いに呼ぶべし。餘人悉く弓弩を持ち、門に來りて伏す。超風に順い火を縦にす。虜衆驚亂す。衆悉く燒き死ぬ。蜀の龐統 劉備に勸むに益州の牧 劉璋を襲え、と。備曰く、此れ大事なり。倉卒[そう‐そつ【倉卒・草卒】サウ‥(「怱卒」とも書く)①あわただしいさま。あわてるさま。②にわかなさま。突然。]とするべからず。璋 備をして張魯を撃たせしむに及ぶ。乃ち璋に從い萬兵及び資寶を求め、以て東行せんと欲す。璋 但だ兵四千を許し、其の餘り皆半ばを給す。備因りて其の衆に激怒して曰く、吾れ益州の為に強敵を征す。師徒に勤瘁す。寧ろ居に遑あらず。今帑藏(かねぐら)の財積みて功を賞し恡[おしむ、やぶさか、ねたむ]む。士大夫の為に死力を出し戦いに望むに其れ得べけんや。是れに由りて相與に璋を破る。

○張預:吾が士卒を激す。上下をして同じく怒らしむれば、則ち敵殺すべし。尉繚子に曰く、民の戦う所以の者は氣なり。謂ふに氣怒らば則ち人人自ら戦う。


意訳
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○金谷孫子:そこで、敵兵を殺すのは、ふるいたった気勢によるのであるが、

○浅野孫子:そこで、敵兵を殺すのは、忿怒の感情からであるが、

○町田孫子:そこで、戦士に敵兵を殺させるものは、軍中にみなぎる殺気であるが、

○天野孫子:それゆえ、進んで敵を殺すものは奮いたった心であり、

○フランシス・ワン孫子:従って、敵を殺すだけを目的とするのは、思慮を失った無謀の用兵である。

○大橋孫子:敵を急速に圧倒するには敵愾心が必要である。

○武岡孫子:したがって、敵を殺すことだけを目的とする作戦は、思慮を欠いた無謀の用兵である。

○著者不明孫子:さて、敵を殺すのは憤激の情により、

○学習研究社孫子:そこで、敵を殺すことは、戦闘意欲という心の作用によるのであるが、

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2013-01-27 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。』:本文注釈

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当時、食糧の輸送は困難を極めたことを証明する文章である。よって、孫武よりも昔の名将と呼ばれた武将も、敵の食糧をいただくことを常に考えていたということがわかる。逆に考えれば、それだけ食糧(輜重隊)をえさにして、敵を誘い込むといった謀は相当有効であった、ということが考えられるであろう。また、時代が経つにつれ、それが常套手段になっていったであろうことも想像に難くない。罠か、罠でないかを見抜くには偵察隊の老練な目によるより他はなかったであろう。また、この文は、自国内での速戦速決を計る軍隊には当てはまらず、敵国の中まで入りこんでいる軍隊の対処法であることがわかる。自軍が敵国に入った場合は、自軍の食糧は敵国の食糧に依存するようつとめればよいが、敵に妨害されたり、食糧をえさに誘き出されるという事態も起こりかねない。逆に、敵が自国に攻め込んできた場合は、敵が自国の食糧を奪わんと躍起になってくるであろうから、十分気を付けなければならないであろう。戦争というのはこのように大量の資源が必要となるものだから、孫子は戦争を長びかさないよう常に心がけていたに違いない。このころの時代は、相手国を滅ぼすという考えは存在しなく、講和により終止符がうたれていた。この時代が、まだ長期の戦に耐えられるほど、食糧の備蓄も整わなかったのは、農業もまだ十分に発展していなかったということが考えられる。逆に、農業が発展し、備蓄を多くすることが可能となってくると、軍隊の数も多くなってくる。戦国時代では強国となると、十万~百万ちかくまで軍隊の数が膨らみ、相手国を滅ぼすまで戦争が続けられるようになった。自国だけで食糧の大量生産による供給が可能となったからである。それにしても、曹操は屯田兵をつくり、食糧の供給という面では、革命的なものを生み出したにも関わらず、注にはそのことは記述されていないのだが、皆さんはお気づきになったであろうか。謙遜して書かなかったのであろうと私は思うのだが、このあたりが真の曹操の魅力といえるものではなかろうか。

この文は、自軍の兵士の食糧と馬の食糧の二つを、敵側の食糧を奪うことによって、自分の軍を養うのだ、ということをいっている。方法としては、敵軍の兵糧が備蓄されている場所や輜重隊から貨物を奪ったり、敵の農地から農作物を刈り取ったり、などということが考えられるだろう。


務-引き受けた役割を遂行するために力を出す。つとめる。つとめ。【解字】もと、力部9画。形声。音符(=ほこを使って困難を排する)+「力」。力を尽くして困難を打開する意。

鍾-①あつめる。かたまってあつまる。②中国周代の容積の単位。約四九・七リットル。③かね。つりがね。鐘。④酒器。さかつぼ。さかずき。

石-こく【石】 (慣用音。漢音はセキ) ①体積の単位。主として米穀をはかるのに用い、1石は10斗、約180リットル。斛。②和船の積量で、10立方尺。③材木などで、10立方尺の実積の称。約0.28立方メートル。④鮭さけ・鱒ますなどを数える語。鮭は40尾、鱒は60尾を1石とする。⑤大名・武士などの知行高を表す単位。





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○金谷孫子:敵の一鍾を…-一鍾は六斛(こく)四斗のかさ。日本の斗升の約十分の一にあたるから、今の約120リットル。遠くへ運搬する間の費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるという意味。
 一石-は豆がら、はわら、一石は百二十斤(きん)の重さ。二千四百粒の黍(きび)の重さを両といい、十六両が一斤。

○浅野孫子:○鍾-容量の単位。一鍾は約五十リットル。
 ○-は豆がら、(稈)はわら。
 ○石-重量の単位。一石は約三十キログラム。

○町田孫子:<二十鍾に当たる>鍾は古い量(ます)の名、一鍾は中国の六斛(こく)四斗(と)で、約百二十リットル。輸送のあいだの費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるというのである。
 <一石>百二十斤の重量。約三十キログラム。

○天野孫子:○智将務食於敵 「智将」は兵法に通じてよく智恵を働かせる将軍。「務」は精力を出すの意。「食」はここでは食糧を食う意。
 ○食敵一鍾当吾二十鍾 「一鐘」は現在の約五十リットルに該当する。この句について孟氏は「千里の転運を計るに、道路に耗費し、二十鍾にして一鍾を軍中に致す可し」と。二十鍾と一鍾は概略の計算で、これは経験から割り出したものであろう。
 ○ 「」は箕(き)に同じ。豆の実を取り去ったあとの茎、まめがら。「」は稈(かん)と同じ。稲などの穀物の茎、わら。「」も「」もともに牛馬の飼料。
 ○一石 百二十斤を言う。一斤は二百五十六グラム。一石は約三十キログラム。

○フランシス・ワン孫子:註
 一、「敵に食(は)む」は、「糧は敵に因る」と同意語であり、掠奪・掠取の意ではない。仏訳の如く、利用する・充当するの意である。既述の如く、それは、古代にあっても調達によって可能となるのであり、掠奪に頼るときは、忽ち四散・消滅して自らを苦しめるものとなるのみならず、住民の背反・抵抗を招いて、軍隊行動を危殆(きたい)に陥れることが少なくなかった。このため、ギリシアの古戦史等を見ても、軍は対価の支払いにつとめており、状況によっては、むしろ対価以上の支払いを積極的に行うことによって、その獲得・集積に成功している。物が不足している場合と雖も、相場以上のものを払えば集まる道理は、当時も今も変りはないのである。
 一、しかし、現代戦が動員する大軍の場合は、たとえ相応の対価を支払うとも、現地調達に依存し得る割合は著しく低下し、今や殆どを後方からの補給に依存するより外はなくなっているのが実状である。このため、「遠輸」の問題も、単に戦争経済上だけではなく、文字通り軍隊の生存に関わる問題となり、戦略範囲・戦場決定上の重要要素となっている。
 一、なお、掠奪・掠取の問題に関連して、さらに一言しておく。それは、敵の糧秣倉庫・集積地を攻撃し奪取する、若しくはこれに脅威を与える意義は、当時にあっては、現代に比して遙かに重要且つ決定的であり、時としては、戦わずしてその軍を崩壊に至らしめることもあった。このため、このこと自体を作戦目標の一つとすることも珍しくなかった。現代で言えば、真珠湾攻撃に於て、着意されることはなかったが、攻撃目標に敵の石油施設の破壊を加えるようなものである。

○守屋孫子:一鍾-六斛(こく)四斗。今の一二〇リットルに相当するという。
 一石-は豆がら、はあわがら。ともに牛馬の飼料。一石は一二〇斤。
 こういう事態を避けるため、知謀にすぐれた将軍は、糧秣を敵地で調達するように努力する。敵地で調達した穀物一鍾は自国から運んだ穀物の二十鍾分に相当し、敵地で調達した飼料一石は自国から運んだ飼料の二十石分に相当するのだ。

○田所孫子:○智将務食於敵とは、智将は本国からの糧秣輸送にたよらないで、務めて敵国内の物資によって糧秣を充足するとの意。
 ○食敵一鍾、当吾二十鍾とは、敵国の占領地から一鍾すなわち六斛四斗の食糧の徴発を行なえば、本国から二十鍾の輸送を受けたことに当るとの意。
 ○とは、は豆がら、は稲藁のこと。
 ○一石とは中国では百二十斤くらい。

○重沢孫子:(以上のように糧食の長距離輸送は経済の破滅を招くから)、有能な指揮官はつとめて敵地において糧食を手に入れる。敵地で手に入れる一鍾の穀物は、本国の二十鍾に相当し、一石の藁(わら)は本国の二十石に相当するのである。

○大橋孫子:一鍾-六石四斗
 -豆の茎や米麦のわらなど牛馬の飼料

○武岡孫子:敵に食む-敵地の食糧を奪って食べる
 一鍾-六石四斗、今の約三〇リットル
 -豆やわら等の牛馬飼料

○佐野孫子:○食敵一鍾 「鍾」は春秋時代の容量の単位で、六斛(こく)四斗(斗は十升、斛は十斗であるから、六百四十升)。当時の一升(日本の斗升の約十分の一)は〇.一九四リットルにあたるから「一鍾」は今の約一二〇リットル。
 ○一石 「(き)」は「箕(き)」(まめがら・豆の実を取り去った枝や茎)に同じ。「(かん)」は稈(かん)(わら)と同じ。「」・「」ともに牛馬の飼料。「一石」は百二十斤(きん)(当時の一斤は二五六グラム、一石は約三十キログラム)の重さ。

○著者不明孫子:【食於敵】敵地の食糧を食らうこと。
 【一鍾】「鍾」は容量の単位。一鍾は六斛四斗。当時の一鍾は約一二五リットル。
 【稈一石】「」は豆がら。「稈」は稲わら。牛馬の飼料。「石」は重量の単位。一石は百二十斤。当時の一石は三十キログラム。なお、石を、容量の単位である斛と同じに用いることもある。

○孫子諺義:『故に智将は食を敵に務む。敵の一鍾を食ふは、吾が二十鍾に当る。一石は、吾が二十石に当たる。』
 智将は智恵辨才ある大将、孫子将の五徳を論ずるに第一に智を以てす。しかれば智将は良将の通稱也。務むとははげましつとむるなり。糧食の用一日もかくるときは士卒力つくるゆゑに、糧食をして有餘ならしむるの法、我が國より運送せんことは甚だ其のつひえあれば、敵地の所々において是れを相聚めて、彼れが地の糧食を用ふるがごとくはかるべし。彼の地にて粮一鍾をうるときは、我が國よりももちはこぶ廿鍾にあたる也。も亦然り。これ百姓二十鍾をつひやさざれば、一鍾を運送すること叶はざる也。古人糧を敵に因るのゆゑん尤も大也。鍾は六石四斗のこと也、石は百二十斤也。は太豆也、又云ふ豆稭(ろうかつ)也。は禾藁わらくさ也。は牛馬の食也。人の食ありても牛馬の食あらざれは不足ゆゑに、此の兩種をあぐる也。王晳云はく、は今萁(き)に作る。稈は故書芊に為る。當に稈に作るべし。又云はく、敵の米穀稈を奪ひ取りて、味方に用ふるのことをいへる。是れ乃ち本朝の亂取せしむる心也。此の説亦通ず。敵國所々にて糧米をあつめしめ、尚ほ足らざるときは止むを得ずして民屋を追捕し亂取をいたし、間人を發して敵の粮米をうばふのはかりごとをなすべし。開宗に云はく、蓋し轉輸の法、費え十にして方に其の十を得、況や敵一鍾一石を失ひ、我れ又一鍾一石を多くす。故に二十鍾二十石に當る可し。大全に云はく、食を敵に務むは、糧を敵に因ると、旨趣相同じと雖も、但だ務の字と因の字と各所説有り。因は其の空隙に乗じて之れに因るに過ぎざるなり。務は則ち専ら敵の糧を注して、以て必ず得るを求むるの意、孫子前に糧を敵に因ると説く。人の視て偶ま一たび之れを為すの事と為すを恐る。所以(このゆえ)に又一の務の字を説き、人の必ず敵に食するを要するの意を以てす。以上第三段也。

○孫子国字解:『故に智将は敵に食することを務む。敵の一鍾を食すれは吾が二十鍾に當る。一石は吾が二十石に當る。』
 この段は上に千里に糧を饋る費を説たるをうけて、又糧に敵に因るわけを云へり。智将は智の深き大将なり。務食於敵とは、敵の兵糧を食することを務ると云ことなり。務るとは是を專一のこととして、精を出してかやうにすることなり。前の段に云ふ如く、本國より兵糧を運ふ費莫大なるゆへ、智深き大将は、さしあたる合戦の勝負に心を用るばかりに非ず。合戦に勝ちても、末々國のよはりになることを慮て、敵の兵糧を食することを專一とするとなり。されとも敵の兵糧を食すること、是又智将に非れば能はざることなり。一鍾とは六石四斗を一鍾とす。日本の六斗ばかりなり。當吾二十鍾と云は、敵の兵糧を一鍾食すれば、手前の兵糧二十鍾がけの、つよみなりと云意なり。そのわけは、轉輸(の)之法、千里に糧を輸せは、二十を費して一を得とあり、是は治世の如くに馬次にても、他領の人馬を用べきに非ず。吾國より敵國の陣場まで、日本道百里ばかりの長途の、舟のかよはぬ陸地を、兵糧をはこぶ時は、人馬の食物諸事の入目を引て、二十分一ならでは、さきへ届かぬと云ことなり。いかさまに一疋の馬をつぎもせず、一人の夫かはりもせず、衣類雨具まで取付けて百里ほどの道をゆかば、次第に人馬もくたびるべければ、日數も往來かけては三十日に近かるべし。馬にも多くは駄すること叶ふまじく、路次の警固、野陣の入目をかけては、二十分とつもりたる名将の法、違まじく思はるるなり。前漢の趙充國[趙 充国(ちょう じゅうこく、紀元前137年~紀元前52年)は、前漢の将軍。字は翁孫。隴西郡上邽の人で、後に金城郡令居に移住。]が語に、一馬を以て、自ら三十日の食を駄負すと云へり。三十日の食とは、米二斛四斗、麥[麦]八斛にて、一日の食人に米八升、馬に麥二斗六升のつもりなり。日本の升目にしては、人に米七合、馬に麥二升餘のつもりなり。一疋の馬につけたる食物を、人一人馬一疋にて三十日に食ひ盡すなれば、三十日路ほどある處へ、兵粮を本國より送ることはなり難きはずなり。然れば味方より取りよすれば、二十倍の物入かかるを、敵地にて直に敵の兵粮を食するなれば、一鍾當二十鍾なり。とは、は萁の字と同じく、豆がらのことなり。は稈ともかきて、いねわらのことなり。是皆馬の食物なり。一石と云ははかりめなり。百二十斤を一石と云、前に論ずる如く、一斤は四十三錢三分なれば、一石と云は、五貫百九十六錢なり。古は豆がら稻わら何れもちぎりにて、重さをはかりて用るゆへかく云へり。二十分一のつもり前に同じ。二句の意は、智将は務て敵の兵粮を食するは、二十倍のつよみになる故なりと云意なり。

○孫子評註:『故に智将は敵に食することを務む。』
 智将は即ち上の「善く兵を用ふる者」なり。但し彼れは略にして此れは詳(つまびら)かなり。文乃ち複せず。食の字は活讀す(動詞に読むことをいう。)。下の食敵の食と同じ(次の節の「食敵一鍾」の食敵。)
『敵の一鍾(周・春秋戦国時代の量の名。一鍾は六斛(こく)四斗(異説もある)。日本の斗升の約十分の一にあたるから、今の約一二〇リットル。遠くへ運搬する間の費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるという意。)を食へば吾が二十鍾に當り、(豆がらとわら。いずれも馬の飼料。一石(せき)は一二〇斤(きん)の重さ。二四〇〇粒の黍(きび)の重さを両といい、一六両が一斤。)一石は吾が二十石に當る。』
 此の篇多く算數を以て言ふ。一を食へば二十に當るとは、是れ遙かに千里に照す(前の「千里糧を饋(おく)る」に照応する)。頗(すこぶ)る所謂算博士に似たり。然れども兵家の切要(大切で重要なこと。)は則ちそこに在り。

孫子十家註:『故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に當り、一石は吾が二十石に當る。』 

○曹公:六斛四は鍾を為す。計りて千里に轉運す。二十鍾は而して一鍾を軍中に致るなり。は豆稭なり。は禾藁なり。石とは一百二十斤なり。轉輸の法は、二十石を費やし一石を得る。一に云わく、の音は忌にして、豆なり。七十斤は一石を為す。吾が二十に當る。遠くに費やすを言うなり。

○孟氏:十斛は鍾を為す。計りて千里に轉運す。道路耗して費やす。二十鍾は一鍾を軍中に致るべし。

○李筌:遠くに師すれば一鍾の粟を轉じ、二十鍾を費やし方(まさ)に達するべし。軍将の智なり。務めて敵に食む、を以て己の費を省くなり。

○杜牧:六石四は一鍾を為す。一石は一百二十斤なり。は豆稭なり。は禾藁なり。或いは言わく、は藁なり。秦 匈奴を攻めるに、天下の運糧を黄瑯琊負海の郡に起る。北河に轉輸し、率(おおむ)ね三十鍾にして一石致る。漢武建元の中、西南夷を通り、作る者數萬人、千里に負擔(ふたん)し糧を饋る。率ね十餘鍾にして一石致る。今 孫子の言を校するに、敵に食む一鍾は、吾が二十鍾に當る。蓋し平地の千里轉輸の法を約す。二十石を費やし一石を得るは道里を約さず。蓋し漏闕なり。黄の音直(ただ)瑞反す。又音誰ぞ。東萊北河に在れば、即ち今の朔方郡なり。

○梅堯臣:注は曹公に同じ。

○王晳:曹公曰く、は豆稭なり。は藁なり。石とは百二十斤なり。轉輸の法は二十を費やせば乃ち一を得る。晳謂へらく上文の千里にして糧を饋らば、則ち轉輸の法は千里を謂うのみ。は今萁に作る。は故(すなわ)ち書に芉と為す。當にと作るべし。

○張預:六石四は鍾を為す。一百二十斤は石を為す。は豆稭なり。は禾藁なり。千里にして量を饋らば、則ち二十鍾石を費やし、而して一鍾石は軍所に到り得ん。若し險阻を越えらば則ち猶お啻[ただ。ただそれだけ。「不啻…」は「ただに…のみならず」と訓読し、単に…だけでなく、の意を表す。]のみならず。故に秦 匈奴を征するに、率ね三十鍾にして一石致る。此の言は能ある将は必ず糧を敵に因るなり、と。


意訳

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○金谷孫子:だから、智将は[遠征したら]できるだけ敵の兵糧を奪って食べるようにする。敵の一鍾を食べるのは身方の二十鍾分に相当し、豆がらやわら[の馬糧]一石は身方の二十石分に相当するのである。

○浅野孫子:だからこそ遠征軍を率いる智将は、できる限り敵地で食糧を調達するよう務める。敵方の穀物一鍾を食(くら)うのは、自国から供給される二十鍾分にも相当し、牛馬の飼料となる豆がらや稈(わら)一石は、自国から供給される二十石分にも相当する。

○町田孫子:だから、智将はなるべく敵の食糧を奪取してまにあわせる。敵の一鍾を奪って食うのは味方の二十鍾分に相当し、敵の馬料の豆がらや藁(わら)一石(せき)は味方の二十石分に相当するのである。

○天野孫子:それゆえに、智恵ある将軍はつとめて敵の食糧によって軍を養う。敵国から食糧の一鍾は自国から転送した食糧の二十鍾に該当し、敵国から得た牛馬の糧秣、すなわち豆がら・わらの一石は自国から転送したそれの二十石に該当する。

○フランシス・ワン孫子:従って、智将(先見の明ある将軍)は、軍が敵地の食糧を利用できるように配慮する。なぜなら、敵地で充当する一桝の食糧は本国の二十桝に相当し、敵地の秣(まぐさ)五十瓩(キロ)は本国の一噸(トン)に相当するからである。

○大橋孫子:ゆえに智将はつとめて敵国の食糧によって軍を養い、追送糧秣にたよらないようにする。敵国の食糧一鍾は追送食糧二十鍾の価値があり、敵国の馬糧一石は追送馬糧二十石に相応する。現地物資の利用は輸送力を必要とせず、国内の糧秣を減らさず、敵国の糧秣を減らすからである。

○武岡孫子:だから頭のよい将軍は、敵地の食糧を奪って賄おうとする。敵の百二十リットルの食糧は、実に国から追送する食糧の二十倍に相当し、馬糧も同様に一石が二十石に相当するからだ。

○著者不明孫子:そこで、智将は敵地の食糧を利用することに努める。敵地の食糧を一鍾食べれば、その価値は自国の食糧二十鍾に相当し、敵地の豆がらや稲わらなどの飼料一石は、自国の二十石に相当するのである。

○学習研究社孫子:そこで、知恵のある指揮官は、食糧を敵から取ることに務める。敵から食糧一鍾(しゅ)を取るということは、我が方の二十鍾分にも相当する価値がある。豆がらやわら一石を取るということは、我が方の二十石を輸送してきたことに相当する。

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