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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2013-01-20 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『公家の費、破車罷馬、兵戟矢弩、甲冑楯櫓、丘牛大車、十に其の七を去る。』:本文注釈

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竹簡孫子では「十に其の七」となっており、それ以外の諸本では「十に其の六」となっている(六か七かは、どちらでもそんなに変わりはないから気にする必要はないだろう。)。「兵戟矢弩」、「甲冑楯櫓」の語も、本によって若干表現が違う。


公家-こう‐か【公家】朝廷。官家。おおやけ。

破車-やれ‐ぐるま【破れ車】こわれた車。

罷-①中途でやめる。中止する。②官職からしりぞける。やめさせる。③つかれる。疲。④まかる。退出する。日本での用法。つとめをやめて帰る意から。【解字】会意。「罒」(=あみ)+「能」(=力がある)。力のある者があみにかかって動けなくなる、つかれる、の意。

甲冑-かっ‐ちゅう【甲冑】‥チウ 鎧と冑。戦闘に際して戦士が身体を保護するためにまとう武具。平時も用心のために、または儀礼に威儀を添えるために着用することもあった。





○金谷孫子:『公家の費、破車罷馬、甲冑弓矢、戟楯矛櫓(戟楯蔽櫓)、丘牛大車、十に其の六を去る。』
 矢弩-武経本・平津本は「矢弓」。桜田本は「弓矢」で『御覧』と合う。
 蔽櫓-武経本・平津本・桜田本では「矛櫓」。『御覧』も同じ。
 其六-古注に一本では「其七」とあるという。竹簡本と合う。

○浅野孫子:兵戟-ここでの兵は、矛や戈などの武器・兵器の意。戟も兵の一種であるから、戟だけ別にして兵と並べるのは厳密さを欠くようであるが、古代の文献にはこうした表現がしばしば見られる。
 丘牛-まるで丘のような巨牛と解する説もある。しかし、物資の運搬には極めて多数の牛が動員されるが、それらがすべて丘のように巨大であったとは考えにくい。前記の兵賦の中には、丘ごとに馬一頭と牛三頭を供出する規定が存在した。ゆえに丘牛は、荷車の牽引用に、丘里より軍役の一環として徴発した牛を指すと解するのがよい。

○町田孫子:『公家の費は破車罷馬、甲冑弓矢、戟楯矛櫓、丘牛大車、十に其の六を去る。』
 ○宋本は「矢弩」とある。桜田本や『太平御覧』の引用によって改めた。
 ○宋本は「蔽櫓」とあるが、諸本にしたがう。

○天野孫子:○公家之費  「公家」は朝廷。以下朝廷の費用の主な品目を挙げる。
 ○破車  損傷した戦車。
 ○罷馬  疲労した馬 
○甲冑  「甲」はよろい。「冑」はかぶと。
 ○矢弩  『七書』は「矢弓」、他の『武経』は「弓矢」に作る。『古文』も同じ。「弩」は石弓、矢や石などをばねじかけで射る強弓。
 ○戟楯  「戟」は二つの枝のあるほこ。「楯」はたて。
 ○蔽櫓  車の上に立てる大きなたて。『武経』『古文』は矛櫓に作る。「矛」はほこ。
 ○丘牛大車  「丘牛」は丘役の牛。「丘役」参照。『詳解』は「蓋し牛馬は皆是れ公家の物なり。平常無事の時丘甸の民但(ただ)之を畜養するのみ」と。一説に大牛と。李筌は「丘は大なり」と。「大車」は輜重車。張預は「大車は必ず革車ならん。始め破車・疲馬と言ふは、攻戦の馳車を謂ふ。次に丘牛・大車を云ふ。丘牛とは丘は大なり。大きな牛と云ふことなり。その牛をかけて引かする大車のことなり」と。以上の品目はいずれも戦闘に用ひるものと解する。前段の文に「用を国に取」るとあり、その用とは以上の品々と解するからである。車と馬のみ、破車・罷馬とあるのは、「十去其六」を後に誤解して役に立たなくなったものを意味するとして、「破」「罷」を後から附加したのであろう。一説に『直解』は「車破損して馬罷困し、甲冑・弓矢・戟楯・矛櫓・丘牛・大車に至るまで或は損壊し或は遺失す」と。『発微』も「車・馬は破・罷と曰ふ。而るに甲冑・弓矢以下は破・罷と曰はず。是れも亦省文なり」と。
 ○十去其六  戦闘に用ひる器材、その補給など、戦闘力を維持するために費す費用が、朝廷の収入の十分の六に当たる。残りの十分の四は朝廷の維持費となる。趙本学は「公家に於て之を計るに、破車・罷馬と器用とに費すこと、其の財の官に在る者、十分して当に其の六を去るべし」と。一説に前述のように、諸器材など破損、罷困、遺失して、公家の費用の十分の六を去ると。『新釈』は「政府の費用に於ては、戦車を破損し軍馬を疲労せしめ、其の他、甲冑弓矢、戟盾矛櫓、輜重車等、凡ての破損を計算すれば、政府の全財産の十分の六が消費し去られる」と。百姓が十去其七で、公家が十去其六であるのは、朝廷は他国との友好などの体面上のことなどがあって、その維持費がかかるものであろう。一説に「十去其七」と「十去其六」とは互文であると。『国字解』『正義』『発微』などがそれである。これに対し『評註』は「七を去り、六を去るは、百姓を重くして言ふ。互文に非ず」と。なお『孫子集註』に、一本は「十去其七」と作る、と。李筌本がそれ。

○フランシス・ワン孫子:註  「矢弩」は「弓矢」、「蔽櫓」は「矛櫓」となっているテキストもある。また、「十に其の六を去る」は、一本には「十に其の七を去る」と作る、と。仏訳はこれをとっている。

○守屋孫子:蔽櫓  大盾でおおった攻城用の兵器。
 丘牛  大牛に引かせた輜重車。
 また、国家財政の六割までが、戦車の破損、軍馬の損失、武器・装備の損耗、車輛の損失などによって失われてしまう。

○重沢孫子:国の経済的損失は、破損車両・廃馬・甲冑・矢・大弓・戟・楯・大型の楯・大牛・輜重車などで、十のうちその六を消耗している。

○田所孫子:○公家之費、破車罷馬、甲冑弓矢、戟楯矛櫓、丘牛大車、十去其六とは、公家すなわち卿大夫のような家では、車は破れ、馬はなくなり、その他甲冑弓矢、戟楯矛櫓、農耕用の牛、貨物輸送車等々貨財や武器等の六割が徴発されてなくなるとの意。

○大橋孫子:公家-国家
  戟-大型なほこ
  矛-小型なほこ
  櫓-大型なたて
  丘牛-役牛

○武岡孫子:公家の費-国家の経費
  櫓-大型のたて
  丘牛大車-役牛の牽引する大きな運搬用の車

○佐野孫子:○公家之費  「公家」は、君主の家、王室、国家。ここでは国家財政の意。
 ○破車罷馬  「破車」とは、破損した戦車(軽車)。「罷」は「疲」と同じで「罷馬」とは、疲労して走るに耐えられない馬の意。
 ○甲冑矢弩  「甲」は「革製のよろい(金属製を鎧という)。「冑」は兜。「弩」は石弓(ばねじかけで矢や石を射る武器)。
 ○戟楯蔽櫓  「戟」とは、枝刃のある矛の意。「楯」はたて。「蔽櫓」とは、おおだて(戦車の上で防禦する武具)。
 ○丘牛大車  「丘牛」は輸送用に徴発した丘役の牛。「大車」は輜重車(重車)。

○著者不明孫子:【公家】公(国家・官)の機関をいう。
 【罷馬】「罷」は疲れる意。
 【戟楯矛櫓】「戟」と「矛」とはともにほこの一種。「楯」は盾とも書く。たて。「櫓」は大きな盾。地上に立て並べて矢や石を防ぐ。
 【丘牛大車】「丘牛」は大牛(李筌・張預の説)。上文の「破車罷馬」は戦闘用の馳車についていい、「丘牛大車」は輜重運搬用の革車についていったものとする張預の説が分かりよい。「丘牛」は丘役として徴収する牛、「大車」も賦課として徴収する兵車とする説(曹操など)もあるが、それでは「公家の費」に含めがたい。

○孫子諺義:『公家の費、車を破り馬を罷(つか)らかし、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十にして其の六を去る。』
 公家はおほやけ也、朝廷を指す。車馬甲冑矢弩は字の如し。弩は大弓也、あやつりを以て大弓をはつて大矢を射出すを云ひ、遠きを射、大勢を射る弓也。戟はほこ也、ほこは今のやりの類也。楯はたてなり。蔽櫓は士卒をおほふ大たて也。又蔽は士卒をおほふ小屋具・陣具。帷幕の類也。一本に蔽を矛に作る、矛も又ほこ也。丘牛は民の役にて出しおく牛也。又云はく、丘は大也、大牛と云ふ心也と。大車は雜具荷物をつむ車也。破車罷馬の車はいくさ車也。以上是れ等のつひえ朝廷又十にして六分の失あり。一本に十其の七を去るとある本之れ有り。廣註(書名、李卓吾著)に云はく、但言ふ國用足らざれば、勢必ず足を民に取り、百姓則(財カ)竭くるに到る。直に是れ奈何ともす可き無し。此れ武子喫緊人を打動する處、費を算せざるを得ざるの意を見る。案ずるに、力屈し財殫き、中原内家に虚なるときは、百姓之費十にして其の七を去るとあるときは、車を破り馬を罷かし、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、公家之費十にして其の六を去るとかくべきを、孫子文を倒にして、互に相守りてかける也。兵書の内孫子が文章尤も奇文多し。

○孫子国字解:上三段には下の費を云て、此段には上の費のことを云へり。公家とは、公はおほやけとよう。家は國家の意にて、上の意のことを公家之費と云なり。甲はよろひ冑はかぶとなり。倭訓には取違て、甲をかぶと冑をよろひとよめり。矢弩は、矢はやなり弩は弩弓なり。弩弓を云へば常の弓もこもるなり。異朝には多く弩弓を用ゆ。材官蹶張とて、大力の男をえらび、脚にてふませて弓をはらするなり。萬鈞の弩、千鈞の弩とて、弓の至極つよきは、此弩弓にこえたることなし。一放しに矢の二三百も出る様にしかけたるもあり。弩弓ならでは弓の大わざはなきことなり。日本にても、古は大宰府などには、弩師とて弩弓を敎る役人ありて、習はしめたること、古書に見えたり。講義本には、矢弩を矢弓に作り、開宗説約大全などには、弓矢に作る、今集注本に從ふなり。戟楯とは戟はほこなり。かぎの二つあるほこなり。十文字のるいなり。楯はたてなり。蔽櫓は車の上に立る大盾なり。一本には矛櫓とあり。矛は長刀の如くにて、かぎのあるほこなり。丘牛大車とは、兵糧をはこぶ大車を云。丘牛とは、丘は大なり。大きなる牛と云ことなり。その牛をかけて引かする大車のことなり。一説には、前に注せる丘甸の法にて、五百七十六家より、牛十二疋を出すにより、民より軍役にて出す牛を丘牛と云とも云へり。然れば牛をば民より出し、車をば上より申付ると見えたり。十去其六と云は、是も過半の損亡と云ことなり。前の百姓の費には、十去其七と云ひ、ここの公家の費には、十去其六と云たるは、兩方文を互にして、十に六七を失ふと云ことなり。かたかたには七と云ひ、かたかたには六と云たるに拘るべからず。集注本の注に、一本作十去其七とあり、然れば兩方共に、七の字にかきたる本もありと見えたり。此段の意は、上の段にある如く、民百姓の費夥しく、それのみならず、上の費は戦車を打破り、馬もつかれ煩ひ、甲冑弓矢、戟もちたて、大盾小荷駄車まで、十のもの六七は損失するとなり。

○孫子評註:『公家の費(ついえ)、車を破り馬を罷(つから)し、甲冑弓矢、戟楯矛櫓(げきじゅんぼうろ)(戟と矛はほこ。楯と櫓はたて。)、丘牛大車(兵糧を運ぶ大車。丘牛(大きな牛)で引かせるからいう。この語は諸家の別説もある。)、十に其の六を去る。』
 公家の費、百姓の費、首尾に迭置し(前の節には節尾に百姓の費という句があり、この節には節首に公家の費という句を置く。迭置は交互に置くの意。)、章法長短同じからず。而も同じく「十に去る」の句を以て之れを整ふ。七を去り六を去るは百姓を重んじて言ふ。互文(置きかえれば同意になる文のこと。すなわち、ここを互文として解すると百姓の費と公家の費は二者一であって同じことを言ったことになる。)に非ず。

○曹公:丘牛は丘邑の牛を謂う。大車は乃ち長轂車なり。

○李筌:丘は大なり。此の數器は皆軍の須なる所なり。言うこころは遠近の費、公家の物、十に七を損するなり。

○梅堯臣:百姓 財糧力役を以て軍の費を奉じて、其の資十に七を損ぜんや。公家 牛馬器仗を以て軍の費を奉じて、其の資十に六を損ぜんや。是れ以て賦竭き兵窮し、百姓弊す。役急にして民貧しくして、國家虚し。

○王晳:楯は干なり。蔽は以て屏蔽すべし。櫓は大盾なり。丘牛は古の所謂匹馬丘牛なり。大車は牛車なり。易に曰く、大車以て載す、と。

○張預:兵は車馬を以て本と為す。故に先ず車馬疲蔽を言うなり。蔽は櫓楯なり。今 之れ彭排するを謂う。丘牛は大牛なり。大車は必ずや革車なり。始め車破り馬疲れるを言う者、攻戦の馳車を謂うなり。次に丘牛大車と言う者は、即ち輜重の革車なり。公家車馬器械亦十に其の六を損す。


意訳
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○金谷孫子:公家(おかみ)の経費も、戦車がこわれ馬はつかれ、よろいかぶとや弓矢や戟(刃の分かれたほこ)や楯や矛や櫓(おおだて)や、[運搬のための]大牛や大車などの入用で、十のうち六までも減ることになる。

○浅野孫子:一方、政府の経常支出も、戦車の破損や軍馬の疲労、戟をはじめとする武器や矢や弩、甲冑や楯や櫓(おおだて)、輸送用に村々から徴発した牛や大車などの損耗補充によって、平時の七割までもが削減される。

○町田孫子:公家(おかみ)の財政も、戦車がこわれ、馬は疲れ、甲冑(よろいかぶと)や弓矢、戟(ほこ)や楯や矛や櫓(おおだて)、運搬用の大牛や大車の入用で、十のうち六までが失われることになる。

○天野孫子:朝廷においては、その費用の中、破損した戦車、疲労した馬、よろいかぶと、矢と石弓、たてとほこ、大だて、牛と輜重車などの負担で、十分の六を失うに至る。

○フランシス・ワン孫子:政府の出費に関していえば、戦車の破損・軍馬の消耗、甲冑・弓矢・強弓、槍・大小の楯、運搬用の動物・輜重車のなどの補充による出費は、国庫の総計七割にのぼるであろう。

○大橋孫子:国家は破損した馬・甲冑・弓矢・大型ほこ・車用の大たて・役牛・荷車などの更新・補修・休養などのために、国費の六割を失う。

○武岡孫子:国の財政も、戦車はこわれ馬は疲れ、よろいかぶとや弓矢、戟や楯や矛、櫓(おおだて)や運搬用の大牛や大車などは十のうち六までも失ってしまう。

○著者不明孫子:国の財政も、壊れた車や疲れた馬、甲冑や弓矢、矛や盾の類、丘牛や大車などの補給のために十のうち六が失われる。

○学習研究社孫子:国家の費用も、車は壊れ、馬は疲れるという状態で、甲冑・矢・弩・戟・楯・大楯・大牛・大車は、十分の六を消費してしまう。

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2013-01-14 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

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『力を中原に屈くし、内は家を虚しうすれば、百姓の費、十に其の六を去る。』:本文注釈

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この文は読み方に諸説ある(当然読み方が変われば解釈も変る。)(しかし、「国民の生活がひどくなる」、という大意さえ押さえておけば、この文にそんなにこだわる必要はないだろう。)。また、諸本では「十に其の七を去る」と記載されているが、竹簡孫子のみ「十に其の六を去る」となっている。また、竹簡孫子と武経本、『御覧』には「財殫」の二字がない。


中原-ちゅう‐げん【中原】①広い野原の中央。②中国文化の発源たる黄河中流の南北の地域、すなわち河南および山東・山西の大部と河北・陝西せんせいの一部の地域。③天下の中央の地。転じて、競争の場。逐鹿場裡(ちくろくじょうり)。

内-①うち。㋐一定の範囲の中。㋑家庭。家の中㋒心のうち。精神。②朝廷。宮中。③表向きでない。ひそか(に)。うちうち。【解字】「内」は、もと入部2画。会意。「冂」(=屋根の形)+「入」。おおいの中にとりこむ、転じて、かこいのうちの意。

費-①金品や労力を使いへらす。ついやす。②物品を買ったり仕事をしたりするために使う金銭。ついえ。【解字】形声。「貝」(=財貨)+音符「弗」(=分散させる)。散財する意。

去-①その場から離れて行く。時間が経過してゆく。②遠ざける。とりのぞく。③漢字の四声の一つ。【解字】ふたつきのくぼんだ容器を描いた象形文字。くぼむ、ひっこむ意。一説に、からの容器からふたをはずした会意文字で、とりさる意。もと、厶部3画。





○金谷孫子:『力は中原に屈き用は家に虚しく、百姓の費、十に其の七を去る。』
 力屈財殫中原内虚於家-読み方に異説多く難解。竹簡本・武経本と『御覧』には「財殫」の二字が無い。恐らくそれがよく、「内」字は「用」の誤りであろう。力と用と対する。なお竹簡本では「屈力」となっている。

○町田孫子:宋本では「力屈(つ)き、財殫(つ)き、中原内は家に虚しく」とあるが、武内義雄『孫子考文』によって改めた。

○天野孫子:『力屈し財中原に殫き、内家に虚し。百姓の費、十に其の七を去る。』
 ○力屈財殫中原内虚於家  これについてはさらに二通りの読みかたがある。その一つ(前者)は「力屈し財殫き、中原の内、家に虚しく」と、他の一つ(後者)は「力屈し財殫き、中原の内虚し。家に於ては」と。主として「中原」の意味と文中におけるその役割とによって読み方を異にする。「中原」はいずれに属して読むも据(すわ)りが悪い。そこで『発微』は「中原内虚」を句とし「於家」を衍字とする。「力」はここでは民の運輸につくす力。張預は「糧を運べば則ち力屈す」と。一説に兵力と。『諺義』はこの句を前者の読み方をして「力屈すとは、軍旅の兵、気力のつかるるなり」と。なお前文に「力を屈し貨を殫す」とある。ただこの場合は、その前句の「城を攻むれば則ち力屈す」を受けて言う。ここで「力屈」は唐突である。『詳解』は「力屈」について「此の二字、疑ふらくは上文に因りて衍ならん」と。「財」は金銭・布帛・玉璧・粟米などを総称して言う。ここでは主として民の生産するものを言う。「財殫」の二字は太平御覧にない。『講義』もこの二字を欠いていて、「力、中原に屈し、内、家に虚し」と読んでいる。静嘉堂蔵『武経七書』(以下『七書』と略称す)も「財殫」の二字がない。「中原」は普通、黄河河畔の原野をさす。黄河河畔は文化発祥の地であるから天下の中央部の意味を持つが、ここでは自国内の原野を中原と称したと解する。『諺義』は「中原は国中の原野と云ふ心なり」と。『俚諺鈔』も「ここには国中を指して云ふ」と。一説に天下の中央部の意として『国字解』は「中原は中国を云ふ。…此の書は孫子が呉王に説きたる書にて呉国より遠境へ軍を出すと云へば、皆中原へ働くことなる故、遠国の陣処にて、民の精力屈し、財宝竭くると云ふことを、力屈して財中原に竭くと云ひたるなり」と。また一説に原野と。どこの原野か明示せずに、魏武帝は、「糧を運びて力を原野に尽す」と。また一説に『詳解』は「中原とは原中なり。猶中谷・中心の例のごとし。中原は戦場を指すの称なり」と。また一説に『外伝』は「中原は国中なり。国都を云ふなり」と。「内」は中原の外に対して家を言う。一説に国内であると。『国字解』は「内とは領内なり」と。この句を前者及び後者の読みかたをすると中原内の意となる。「虚」は内がからであるの意。「家」は下の百姓の家をさす。
 ○百姓之費十去其七  民は全収入の中の十分の七が軍事費で失われる。残りの十分の三は生活維持費。趙本学は前句について後者の読みかたをして「私家に於て之を計るに、百姓の遠輸と貴売と丘役とに費すこと、其の財の民に在る者、十分して当に其の七を去るべし」と。一説に『大系』は「遠輸の弊は百姓十を費して其七は軍費とならずして輸送等に費え、実際軍に供するところは三のみ」と。

○フランシス・ワン孫子:『力屈し財殫き、中原の内、家に虚し。百姓の費、十に其の七を去る。』
 註  本項は次の如く読む者もいる。即ち、「力屈し、財は中原に殫き、内、家は虚し。百姓の費、十に其の七を去る」(力屈、財殫中原、内、虚於家。百姓之費、十去其七)と。或いは、「力屈し、財殫き、中原、内に虚し。家に於ては、百姓の費、十に其の七を去る」と等。しかし意味に変りはない。

○守屋孫子:かくして、国力は底をつき、国民は窮乏のどん底につきおとされ、全所得の七割までが軍事費にもっていかれる。

○田所孫子:○中原内虚とは、中国の内地が空虚になるとの意。 ○於家百姓之費、十去其七とは、人民の家では、その資財の七割を徴発されてなくなるとの意。

○大橋孫子:力屈し-戦力弱化 財中原に殫き-国内が貧乏となり
 内家に虚しく-国民の家には何もなくなり
 百姓の費-国民の財産 十に其の七を去り-70%を失い

○武岡孫子:力は中原に屈き-戦力は中原の戦場でなくなり
 用は家に虚しく-国民の家には何もなくなり
 百姓の費-国民の財産 十に其の七を去る-70%を失い

○重沢孫子:こうして人民の力はゆき詰るし、財かはつきるというわけで、中央平野部の農業地域では家庭内がすっからかんになり、庶民の経済的損失は、十のうちその七を消耗し、

○佐野孫子:【校勘】○力屈中原、内虚於家 「十一家註本」には「力屈」の下に「財殫」の字があるが、「武経本」にはない。「竹簡孫子」では「屈力中原、内虚於家」となっている。意味を変えるものではないので、ここでは「武経本」に従う。
 ○百姓之費、十去其七 「竹簡孫子」では「十去其六」となっているが、ここでは「十一家註本」に従う。
【語釈】○力屈中原、内虚於家 「中原」は普通、黄河河畔の原野をさし、天下の中央部の意味をもつ。ここでは曹操註に従い、どこの原野か明示せずに、「糧を運びて力を原野に尽す」と解す。また一説に「中原は、戦場、戦地(前線)を指す」と。「内」は中原の外に対して国内(領内)の意と解する。「虚」は内がからであるの意。
 ○百姓之費、十去其七 民は全収入の中の十分の七が軍事費で失われる。

○著者不明孫子:【力屈中原】「力」は主として民衆の労働力を指すのであろう。「屈」はそれが低下し、なくなること。「中原」は野原。曹操以下、多く「原野」と注する。戦場や輸送路などを指し、食糧の輸送などのために民力が浪費されることをいう。「中原」はここではいわゆる中原の地(華北中央部)をいうのではない。
 【内虚於家】「内」は上文の「中原」に対して国内をいうのであろう。「家に虚し」とは民家の家の中において生気が欠乏して空虚なこと。
 【十去其七】十のうち七(つまり十分の七)を除く。七割を減ずる。

○孫子諺義:『力屈し財殫き中原内於は家に虚なるときは、百姓の費十にして其の七を去る。』
 力屈しとは軍旅の兵氣力のつかるる也。財竭きは百姓の財用ことごとくむなしき也。是れ外軍前を云へり。中原内家に虚なるときとは、國中原野の民、家業ことごとく虚する也。しかれば百姓の費十にして七分のつひえたる也。中原は國中原野と云ふ心也。國中は國の中也。原野は國外郊野をいへり。魏武は百姓力を原野に屈し財をうしなふと註せり。李筌・杜牧・講義之説亦之れに從ふ。故に中原の字を上へ連續せしむる也。力を以てするときは則中原に屈し、内を以てするときは則家虚なりと云ふ、是れ也。一本、力中原に屈しとあつて財竭の字之れ無きあり。王晳が註には、中原虚と句をきりて、國中公義の虚をさす。於家は百姓の家をさすとみたり、直解・通鑑皆之れに從ふ。しかれども力屈財殫と云ふ、是れ乃ち外軍前のつひえなり。中原内家に虚なると云ふ、是れ内百姓の家業を失ふ也。内の一字にて上の力屈し財殫きは外なることをしるべし。開宗に云はく、今七十萬家の力を以て、十萬の師に千里の外に供餉す、百姓安ぞ貧ならざるを得ん、秦皇の率は三十萬鍾にして一石を致し、漢武の率は十餘鍾にして一石を致し、關中進まずして民夷號泣し、西海戍守[じゅ‐しゅ【戍守】まもること。まもり。守戍。]して百姓業を失ふが如し。

○孫子国字解:『力屈し財中原に殫き、内家に虚しく、百姓の費十に其の七を去る。』
 一本に、財殫と云二字なくして、力屈中原とあり。上の二段に、領内と陣處にての費多きことを云たるを、此段に結びて云へり。皆下の費なり。上の費のことは下の段にあり。力屈財殫中原と云句は、上の近於師者貴賣、貴賣則百姓財竭、財竭則急於丘役と云三句を結て、陣處にての費を云へり。力屈するとは精力屈しくたびるることなり。中原は中國を云、中國と云は中華の總名をも云へとも、ここにては呉國より云たる詞にて、齊魯晉宋の國々は、諸國の中にて原野うちつづきたる國共なるゆへ、中原と云、呉の國、越の國、楚國などの様なる邊國の君、弓矢を取て軍をするには、中國の方へ打て出る時は、威名を天下にふるひ、覇王の業を成就するゆへ、是を專途とすること、日本にても戦國の時分は、京都の方へと働くを弓取の一のかせぎとするが如し。此書は孫子が呉王に説たる書にて、呉國より遠境へ軍を出すと云へば、皆中原へ働くことなるゆへ、遠國の陣處にて、民の精力屈し、財寶竭ると云ことを、力屈して財中原に竭くと云たるなり。古來の注には、中原を只野原のことと見て、大軍の陣處は大形野原なる意に心得て、陣處と云ことを、中原と云たると説けり。尤中原は只野原のことに用ること、詩経なとにはあれども、此書などにては、親切ならぬなり。内虚於家とは、上の國之貧於師者遠輸、遠輸則百姓貧と云二句を結びて、領内の費を云へり。内とは領内なり。家とは士卒の面々の家々なり。虚しとは財寶悉く竭て、家内には何もなきことなり。遠境へ兵粮を運ふ時は、領内の民家は皆空虚になると云意なり。百姓之費十去其七とは、中原の陣處も力屈し、財寶竭き、領内の民家も皆空虚なる様にある時は、下たる百姓の費は、十の物にして、七つほどなくなりたる積りなりと云意なり。十に七つと云は、只過半と云ことと心得べし。施子美が一説に、七十萬家を以て、十萬人を養ふと云算用にて注したれども、それは十に七を失ふとは云ひ難し。用べからず。

○孫子評註:『中原に力屈し財殫(つ)き、内、家に虚(むな)しく、百姓の費(ついえ)、十に其の七を去る。』
 中原は中國なり。呉の國より齊・晉を斥(さ)す。物茂卿(荻生徂徠。その著、『孫子国字解』(『漢籍国字解全書』に収めてある)参照。)之れを言へり。「力屈し」は直ちに「丘役に急なり」を承(う)け、「財殫き」は、超えて貧竭(ひんけつ)に接す。中原の句たる、直ちに「師に近き云々」を承け、「内、家に虚しく」の句は、超えて「師に貧し云々」に接す。一字一句、下し得て苟(いやしく)もせず。

○曹公:丘は十六井なり。百姓 財殫きること盡(ことごと)くして兵 解さずば、則ち運糧 力 原野に殫きるなり。十に其の七を去るとは破費する所なり。

○李筌:兵久しくして止まざれば、男女怨み曠[①むなしい。広々としてなにもない。②むなしくする。何もしないであけておく。]しくし、輸を輓[①ひく。㋐車や舟をひっぱる。㋑特に、葬式のひつぎ車をひく。②人をひきあげ用いる。③時代がおそい。]き丘役に困りて、力屈し財殫きて、百姓の費 十に其の七を去る。

○杜牧:司馬法に曰く、六尺は歩を為す。歩は百にして畝を為す。畝は百にして夫を為す。夫は三にして屋を為す。屋は三にして井を為す。四井は邑を為す。四邑は丘を為す。四丘は甸を為す。丘蓋し十六井なり。丘 戎馬一匹牛四頭有り。甸 戎馬四匹牛十六頭、丘車一乗、甲士三人、歩卒七十二人有り。今言う兵を解らざれば、則ち丘役益(ますます)急なり。百姓の糧盡き財竭き、力 原野に盡き、家業十に其の七を耗(へら)す。

○陳皡:丘を聚むるなり。賦役を聚斂[しゅう‐れん【聚斂】①あつめおさめること。②過重の租税をとりたてること。]し、以て軍須いて應ず。此の如くすれば則ち財 人に竭き、人困らざること無きなり。

○王晳:急とは常に賦を暴(さら)すなり。魯の成公 丘甲を作(な)すが若きは是れなり。此の如くすれば則ち民費太(はなはだ)半ばす。公費の差は減じらるを要す。故に十に七と云う。曹公曰く、丘十六井、兵解せざれば則ち運糧 力原野に盡く、と。

○何氏:國は民を以て本と為す。民は食を以て天と為す。人 上に居る者は、宜しく重く惜しむべからんや。

○張預:糧を運べば則ち力屈し、餉を輸(いた)さば則ち財殫き、原野の民、家産 内に虚し。其の費える所を度(たく)[計算する]さば、十に其の七を無くすなり。


意訳
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○金谷孫子:戦場では戦力が尽きて無くなり、国内の家々では財物がとぼしくなりて、民衆の生活費は十のうちの七までが減らされる。

○浅野孫子:こうして前線では国力を使いはたし、国内では人民の家財が底をつく状態になれば、民衆の生活費は普段の六割までもが削られる。

○町田孫子:外では軍隊が戦力を消耗しつくし、内では家々の財物も乏しく、こうして民衆の経費の十のうち七までが失われる。

○天野孫子:こうして国民は輸送に力を使いはたし、国内においては財貨が欠乏して、どの家も家の内には何もない。国民は軍事費のためその収入の十分の七を失うに至る。

○フランシス・ワン孫子:このように国民の力と財貨が消耗すれば、中原の民の暮しは極度に貧窮し、その資力の七割は水泡に帰することとなろう。

○大橋孫子:このようにして民力つき、国内では民家の外の財貨は欠乏し、民家の中は空になる。国民はその財産の七割を失う。

○武岡孫子:戦場では軍隊の戦力が尽き、国内では家々の財物が乏しくなって、民衆の生活は平素の三割にまで落ちこんでしまう。

○著者不明孫子:かくて、民衆の力は戦場で尽き果て、国内では生活が窮乏して、家計は十のうち七まで奪い去られる。

○学習研究社孫子:出兵した軍隊は、武力、体力ともに日一日と消耗していき、留守をあずかる本国は、財物がからっぽになってしまう。臣下の費用は、十分の七が失われる。

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2013-01-13 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『近市なれば貴売す。貴売すれば則ち財竭く。財竭くれば則ち以て丘役に急なり。』:本文注釈

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いうまでもなく、これは自軍が駐屯する場所の近くの、自国における「市」の状態を指す。敵国に侵入し、敵国の「市」で、敵国のものを高く買って軍資金を消耗することは通常ありえない。


市-①多くの人が集まって物品の売買や交易をする所。いち。転じて、取引。あきない。②人家の多い、にぎやかな所。まち。③行政区画の一つ。【解字】形声。音符「止」+「平」。

貴-①身分が高い。とうとい。あて。②ねだんが高い。ねだんが上がる。大切である。とうとぶ。③相手にかかわる事物に冠して、敬意を表す語。【解字】会意。本字は「貝」(=財貨)+「臾」(=両手で高く持ち上げる)。高いねだん、目だつ財貨の意。

竭-あるかぎりを出す。尽くす。尽きる。

丘-おか。小さい山。小高い地形。【解字】周囲が小高くて中央がくぼんだ盆地を描いた象形文字。孔子の名の「丘」は、頭の形がこれに似ていたので名づけたという。

役-一、ヤクの読み  ①割りあてられた仕事・任務。つとめ。職分。②割り当てられた(特別の)はたらき。  二、エキの読み  支配者が人民の労力を使う。働かせる。①人民に課された義務労働・租税。えだち。②いくさ。戦争。「慶長の役」「戦役」兵として役使される意から。【解字】会意。「彳」(=ゆく)+「殳」(=ほこを手に持つ)。武器を持って遠くへ行く意。転じて、苦しいつとめをする意。

急-①いそぐ。早く行き着こうとする。②進行がはやい。③変化がはやく、大きい。にわか。④さし迫っている。⑤傾斜の度合いが大きい。けわしい。【解字】形声。「心」+音符「及」(=追い付く)。追い付こうと気ぜわしい意。




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○金谷孫子:近於師者-武経本・平津本・桜田本には「於」の字が無く、『通典』『御覧』と合う。「戦場に近い所では」と解して、以下を出陣の兵士のことと見るのが通説であるが、落ちつかない。
 百姓財竭-『御覧』では「百姓虚、虚則竭、竭則急於丘役、」とある。
 丘役-丘はもと土地区劃(かく)の谿、ここでは村里の意。役は軍役。

○浅野孫子:丘役-丘は行政上の区画単位。一丘は百二十八戸。丘役は丘賦ともいい、丘ごとに課す軍事税。

○町田孫子:宋本では「近於師」と「近」の下に「於」の字があるが、ここでは諸本のないものによった。

○天野孫子:○近於師者貴売  「貴売」は売るを貴(たか)くすることで、物価を高くつり上げて売る。物価騰貴について『約説』は「師旅の地に近き者は、人多くして物少なし。售(しう)売必ず貴し」と。售は売ること。一説に魏武帝は「師に近き者は財を貪りて皆貴売す」と。『武経』には「於」の字がない。
 ○貴売則百姓財竭  「百姓」は自国の百姓。この句は物価が騰貴すればその物資を補給するために国民のたくわえている財貨は尽きはてるの意。『兵法択』は「其価暴貴すれば、則ち民の供給するに、其財尽きざるを得ず」と。一説に自国の従軍兵の持参した財貨がつきると。『国字解』は「百姓は味方の百姓なり。吾国の民の軍兵に調(えら)まれて敵国に在陣するものを指して云ふなり。士卒のことなりと見るべし。吾陣所の近辺にて、売物の価、高値なる時は、手前の軍兵の財宝竭くると云ふことを百姓財竭と云ふなり」と。また一説に師に近い地の自国の民の物資がつきはてると。梅堯臣は「遠き者は役に供して以て転饋し、近き者は利を貪りて貴売す。皆国を貧しくし民を匱(とぼ)しくする道なり」と。
 ○財竭則急於丘役  「兵役」とは一丘すなわち百二十八家の民に課する税。周代の制度に、九百畝を井形に九等分し、中央の田百畝は八家が共同耕作しその収穫物を税としておさめるところの公田とし、周囲の八つの私田は民八家が耕作して生活するという井田法がある。この八家を一井と言い、四井を邑、四邑を丘、四丘を甸と言う。一丘には馬一匹、牛三頭を税として課すが、戦時にはさらに増税して穀物牛馬を徴する。杜預の『左伝』成公元年注に「周礼に九夫井を為し、四井邑を為し、四邑丘を為す。丘の十六井は戎馬一匹、牛三頭を出す。四丘を甸と為す。甸の六十四井は長轂(こく)一乗、戎馬四匹、牛十二頭、甲士三人、歩卒七十二人を出す。此れ甸の賦す所なり」と。夫は田地畝を受ける一人前の男子。長轂は兵車。一説に丘は兵の誤りと。『発微』は「昔、錦城先生予に語りて曰く、丘役・丘牛の丘は皆当に兵に作るべし、と」と。『折衷』も同意見である。「急」は民が急ぐとみて、民が忙しくなること。『新釈』は「物資に余裕なき故に徴発に応ずべくいろいろやりくりに忙しい」と。一説に朝廷が急ぐとみて増税にいそぐと。『講義』に「上の人乃ち且つ財を得るに急にして、以て其の用に供す」と。

○守屋孫子:丘役-丘は古代の行政単位。今でいえば村にあたる。村ごとに軍役を課したので丘役という。
 また、軍の駐屯地では、物価の騰貴を招く。物価が騰貴すれば、国民の生活は困窮し、租税負担の重さに苦しむ。

○フランシス・ワン孫子:註
 一、「師に近き者」は、一般には軍隊に近き者はの意に解されているが、仏訳の如く、戦争となればの意とする方がより適切と言える。曹操は「軍を行(や)りて已(すで)に界(国境)に出づれば、師に近き者は戦を貪らんとして、皆、貴売す。則ち百姓の虚竭(けつ)するなり」と註する。「貴売」すとは貴(たか)く売るであり、その結果は物価高騰・インフレとなる。
 一、「丘役」とは、当時の軍の徴発の単位で、一井(せい)を九家、十六井を丘といった。百姓の財が涸渇した結果、人馬及び物資の実物徴発を急ぐに至るのである。
○大橋孫子:師に近き者は貴く売る-戦場付近では物価が上がり、軍費が増大し、国民が貧する 丘役に急-戦いのための賦役(一丘は百二十八家、一丘に課せられる賦役は馬一頭と牛三頭というが、ここでは労務提供であろう)の取り立てがきびしくなる

○武岡孫子:戦場付近では物価があがり、軍費が増大し、それを賄う国民は窮乏する 丘役は急となり-戦いのための賦役(一丘は百二十八家、一丘に課せられる賦役は馬一頭と牛三頭というが、ここでは労務提供であろう)の取立てがきびしくなる

○佐野孫子:【校勘】
○近師者貴売  「十一家註本」には「近」の下に「於」の字があるが、「武経本」、「桜田本」、「竹簡孫子」にはない。ここでは「於」の字を削る。「竹簡孫子」には「師」が「市(いち)」とある。「師」は多くの人々の意で、ここでは大軍と解する。即ち「市」とは軍隊が駐留する近所にできた軍市のことであり、この場合、「近師」なるときは「近市」でもあるため、ここでは「近師」に従う。曹操は「軍行きて已(すで)に界(さかい)を出ずれば、師に近き者は貴売し、貴売すれば則ち百姓の財竭く」と。
○貴売則百姓財竭  「竹簡孫子」は「近市(師)者貴□、□□□則□及丘役」に作る。「釈文校註」は「貴□」と「則の上の二字」に反復記号が附されていた可能性があるとする。それによれば前後の文脈からして不明の上四文字には「売、則、財、竭」の字が推定されるので本句は「近市(師)者貴売、貴売則財竭、財竭則□及丘役」と読まれる(因みに「急」の本字は「及+心」である)。特に意味を違えるものではないので、ここでは「十一家註本」に従う。尚、この場合の「百姓」は「遠者遠輸則百姓貧」における「百姓」即ち「民」の意とは異なり、「自国の従軍兵」と、又、次の「財竭則急於丘役」における「財竭」は、「軍兵の持参した財貨がつきる」意と解される。

○田所孫子:○近師者貴売とは、戦争にもなれば、物価が騰貴するとの意。
 ○貴売則百姓財竭とは、物価が騰貴すると、人民の資財が窮乏して経済生活が行詰るとの意。
 ○急於丘役とは、井田制の夫役を按じて、人馬・物資等の実物を徴発をきびしくするとの意。

○重沢孫子:というのは、軍の駐屯地近くの人びとは、(高値で売れるのをよいことに)物資を高く売りつける。その結果は、(一時的には儲かるようでも、最終的には)持てる財貨が底をついてしまうのである。財貨が底をついた以上、(徴発しようにも現物が乏しいのだから、生産の督促以外に方法はないので)例えば丘(百二十八戸の共同体組織)に対する役務を厳しくする。

○孫子諺義:『財竭くるときは則丘役に急なり。』
 丘役とは田地の大小廣狭について、役を出すを云ふ。十六井を一丘と為す、戎馬一匹牛四頭を出すといへり。丘甸(きゅうでん)の數、詳に司馬法に見ゆ。急とは迫也、せはしくなりてつぐのひなりにくきを云ふ。云ふ心は、民の財竭くれば定まれる役義を出すこと叶はざる也。課役を之れを出す能はざるときは、軍用之れを辨ずるを得ざる也。

○孫子国字解:『師さに近き者は貴かく賣る。貴賣ときは則ち百姓財竭く。財竭ときは則丘役に急也。』
 この一段は、下の費の内にて、戦場にての費を云なり。近於師者とは、師とは吾が陣處なりわが陣處の近邊に居る、敵方の在家を云なり。近於師者貴賣とは、大軍の陣を取りたる近邊は、其處のものども利を貪て、必諸色のもの、何によらず高直になるものなるを云ヘリ。貴賣則百姓財竭とは、百姓は味方の百姓なり。吾國の民の軍兵に調まれて、敵國に在陣するものを指して云なり。士卒のことなりと見るべし。吾陣所の近邊にて、賣物の價高直なる時は、手前の軍兵の財寶竭ると云ふことを、百姓財竭と云なり。財竭則急於丘役とは、丘役とは、十六井を丘と云、役は軍役なり。周の司馬の法に、民の家一軒に就て、百畝の田を耕し、九軒にて田九百畝を一井と名つけ、其一井を四つ合せて、民の家數四九三十六軒、田地高も四九三千六百畝を一邑と名つけ、其一邑を又四つ合せて、民の家數三四の十二に、又四六二十四合せて百四十四軒、田地の高も同し算用にて、一萬四千四百畝を一丘と名づく。是十六井を一丘と云なり。其一丘を又四ツ合て、一四の四に四々十六を二つ重ねて、民の家數五百七十六軒、田地の高も同じ算用にて、五萬七千六百畝を一甸と云て、此一甸よりの軍役、馬四匹、牛十二匹、軍車一兩、武者七十五人を仕立てて出す也。是を丘甸の役とも云ひ、丘役とも云なり。張預が注に七十萬家の力を以て、餉を十萬の師に供すると云たるも、右の算用にて、八分一のつもりに合なり。財竭則急於丘役とは、財竭ると云は、上の句の百姓財竭と云をうけたる詞にて、軍兵に調れたる百姓の、敵國に陣取て居るものどもの財寶を、陣場にて物の價高直なる故に、悉く使ひ竭したることを云なり。かく陣所にて財寶竭れば、國本の吾が組合ひ、一丘の民百四十四軒、一甸の民五百七十六軒へ、金銀を取にさしこすゆへ、右のなかまにて、もやひて出す金銀の高增して、勝手なことの仆にせはしくなることを、急於丘役とは云なり。

○孫子評註:『師に近きものは貴賣す(敵国に出陣している味方の軍隊の近くに居住する敵方の住民は物を高く売る。)。貴賣すれば則ち百姓の財竭く(人民の、軍隊に徴集されて士卒になっている人たちの財宝はなくなってしまう。)。財竭くれば則ち丘役に急なり(周代の井田法で、一里四方の土地を一井といって八家で耕し、四井を邑、四邑を一丘、四丘を一甸(てん)という。周の司馬の法では、一甸よりの軍役(軍事のための徴発)は馬四匹・牛十二匹・軍車一輛・士卒七五人であり、これを丘甸の役、又は丘役という。ここでは、戦陣にいる士卒の財宝が尽きるので、郷里からの徴発の必要が切実となってくることをいう。)
 財竭くるは即ち貧しきなり。但し百姓貧しとは、是れ國内の民貧しきなり。百姓の財竭くるは、是れ軍所の士卒の財竭くるなり。曰く貧し、曰く竭く、字各々當るあり。稍(や)や句法を變じ、粗(ほ)ぼ對偶(対句法。)を用ふ。乃ち「財竭くれば則ち急なり」の一句を安(すえ)て以て之れを結ぶ。

孫子十家註:『師に近き者は貴賣す。貴賣すれば則ち百姓財竭く。』

  御覧は百姓虚、虚とは則ち竭に作る。
 
○曹公:軍行きて已に界を出づ。師に近き者は財を貪りて皆貴賣すれば、則ち百姓虚竭するなり。

○杜佑:言うこころは軍の師に近き市は、非常の賣多し。當時に貴く貪りて、以て末の利を趨らば然る後財貨殫盡て、國家虚なり。

○李筌:夫れ軍に近きは必ず貨易有り。百姓財徇りて産殫きて之れに從うは竭くなり。

○賈林:師徒に聚する所、物皆暴貴す。人非常の利を貪りて、財物竭き以て之れを賣る。初めて利を獲り殊に多しと雖も、終に力疲れ貨竭くに當る。又云わく、既に非常の斂有り。故に賣者は價を求め厭無し。百姓力竭き之れを買う。自然(じねん)家國虚盡するなり。

○梅堯臣:遠き者は役を供し以て轉饋す。近き者は利を貪りて貴賣す。皆國に貪りて民を匱(とぼ)しくするの道なり。

○王晳:夫れ遠く輸さば則ち人労費す。近市は則ち物騰貴し是故に久しき師は則ち國患いを為すなり。曹公曰く、軍行きて已に界を出づ。師に近き者は財を貪りて皆貴賣す、と。晳謂わく将に界を出でんとするなり、と。

○張預:師に近きの民、必ず利を貪りて貨其物 遠く來る輸餉の人貴くせば、則ち財竭ざるを得ず。

孫子十家註:『財竭くれば則ち丘役に急なり。』

 御覧は財の字無し。

○張預:財力殫竭くれば、則ち丘井の役、急迫して供に易からざるなり。或いは曰く、丘役 魯の成公 丘甲を作るが如きを謂うなり。國用急迫して、乃ち兵 甸賦に出づら使む。常に制違うなり。丘十六井、甸六十四井。


意訳

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○金谷孫子:近くでの戦争なら物価が高くなり、物価が高くなれば民衆の蓄えが無くなる。[民衆の]蓄えが無くなれば村から出す軍役にも苦しむことになろう。

○浅野孫子:国境近くに軍隊が出動すれば、近辺の商工業者や農民たちは、物資の大量調達による物不足につけ込んで、物の値段をつり上げて売るようになる。物価が高騰すれば、政府は平時よりも高値で軍需物資を買い上げることになり、国家財政は枯渇してしまう。国家の財源が枯渇すれば、民衆に対する賦税も厳しさを増す。

○町田孫子:また、近くでの戦争の場合には、物価が騰貴するからである。物価が騰貴すれば民衆の蓄えはなくなる。民衆の蓄えがなくなれば、村ごとにわりあてられる人夫の徴用にも苦しみ、

○天野孫子:一方、大軍のおる地では物価が騰貴する。物価が騰貴すれば物資補給のための国民のたくわえた財貨は尽きはててしまう。国民の財貨が尽きはててしまえば、朝廷は増税して、国民はそれに応ずるため忙しくなる。

○フランシス・ワン孫子:戦争は自国並に関係諸国の物価を高騰させる。物価が高騰すれば、国民の貯えは涸渇する。国家の財貨(富)が底をつく時、国民は膏血を絞られることとなる。

○大橋孫子:なんとならば戦場の軍の付近にいる者は足もとをみて、品物を高く売るから、軍費は増大し、これをまかなうための増税で、国民は貧困となり、納税できなくなれば労役に駆り立てられる。

○武岡孫子:また戦場に近い處では物価が高くなり、物価が上がれば民衆の蓄えは無くなる。蓄えがなくなれば軍役に駆り出される羽目になる。

○著者不明孫子:また、戦争が近くである場合には物が高く売られ、高く売られると、物価が上がって民衆の財力が尽き果て、財力が尽きると、村に割り当てられる税の納入に追い立てられる。

○学習研究社孫子:一方、軍隊の駐屯地に近い地方では、物価が高くなる。物価が高くなれば、臣下の財産がなくなってしまう。臣下の財物がなくなれば、賦役を急(さしせま)って求めることになる。

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