2012-10-21 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『夫れ兵を頓らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くさば、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。』:本文注釈
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竹簡孫子では「智者と雖も」。今文では「智者有りと雖も」となっているが、特に意味に重大な違いがでてくるわけではない。
夫れ-①成年に達した男子。一人前のおとこ。②おっと。③労働にたずさわる人。④発語の助字。それ。そもそも。いったい。【解字】頭に冠のかんざしを挿した人を描いた象形文字。成年男子の意を表す。
貨-①ねうちのある品物。財宝。商品。②交易のなかだちをするもの。金銭。かね。【解字】形声。「貝」+音符「化」(=かわる)。交換して他の品物にかわる貝の意。昔は子安貝を貨幣として用いた。
殫-①つきる。なくなる。つくす。②ことごとく。のこらず。
諸侯-しょ‐こう【諸侯】①昔、中国で、天子から受けた封土内の人民を支配した人。②江戸時代の大名を指す。
弊-①古くなっていたむ。ぼろぼろになる。やぶれる。ぐったりする。②たるんで生じた害。たるみ。③つたない。手前どもの。自分の属する物に冠して、へりくだりの気持ちを示す語。【解字】形声。「廾」(=両手)+音符「敝」(=破れてだめになる)。
起-①おきあがる。立つ。②おこす。㋐高くもちあげる。㋑活動をおこす。はじめる。③おこる。はじまる。【解字】形声。「走」+音符「巳」(=はじめ)。立って走りはじめる意。一説に、「巳」を目じるしと解し、足の動作を示す「走」を加えて、目立たなかったものがおきあがる意とする。
智者-ち‐しゃ【智者】①知恵のすぐれた人。賢い人。知者。②智識の高い僧。
雖-…といえども。…だけれども。たとえ…であっても。
能-①仕事をしとげる力。はたらき。わざ。②よくする。うまくできる。はたらきがある。③はたらきかける。④ききめ。効果。作用。⑤猿楽さるがくから展開した日本固有の歌舞劇。⑥「能登国」の略。【解字】大きな口をあけ、尾をふりあげた動物を描いた象形文字。「熊」の原字。くまが力の強い動物であるところから、強い力を持ってはたらく意となった。もと、肉部。
註
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○浅野孫子:殫(たん)-やはり尽と同じで、尽きはてる、使いはたすの意。
○天野孫子:○殫貨 「貨」はたから。金銭・珠玉(宝石)・布帛の類を総称して言う。「殫」はつきる。これは前句の「国用足らず」を言う。
○諸侯乗其弊而起 「弊」はつかれる、疲労。「乗其弊」はその疲弊につけこむ。「起」はたちあがる。諸侯がたちあがるとは、諸侯が兵をおこすこと。『発微』は「起るとは起りて之を攻撃するを云ふ」と。
○不能善其後矣 「能」はできる。「其」は前文の諸侯起こるを受ける。『詳解』は「其の後とは諸侯既に起るの後を指す」と。「善其後」とは事後の処理をよく行なうの意。これより善後策の語が生ず。一説に「後」を後文の「巧之久」に関係させて『正義』は「後は先後の後なり。拙速を先と曰ひ、巧久を後と曰ふ」と。
○守屋孫子:こうして、軍は疲弊し、士気は衰え、戦力は底をつき、財政危機に見舞われれば、その隙に乗じて、他の諸国が攻めこんでこよう。こうなっては、どんな知恵者がいても、事態を収拾することができない。
○フランシス・ワン孫子:『夫れ、兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くせば、則ち諸侯其の弊に乗じて起る。智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。』
註 一、本項は、関係諸国の向背の問題について述べたものである。諸侯即ち第三国との関係は、決して盟約や協定等の上に安住することを許すものではない。戦力を失って形勢を損じ、国力の涸渇も明白となった国家に対しては、たとえ従来の経緯がどうあろうと、関係諸国が一方的に協約を破棄し、漁夫の利を獲んとする者となることは、歴史上常に見られる所である。我々としては、日・ソ不可侵条約の命運を思い出さざるをえぬ所であろう。しかも、斯の如き事態に立ち至れば、いかなる明察の士(論語に曰く”智者は惑わず”と)がいたとしても、もはや形勢を挽回することはおろか、その後(前途)に対する適切なる方策、いわゆる善後策を講ずることも不可能となるのである。このため、孫子は、関係諸国の向背についても、戦争計画の段階から対処を図らねばならぬ重要問題とするのであるが、それに止まらず、さらに、戦争の終末に至るまでの各種の段階に於て適切なる対処を行う必要のある問題とし、以下の各篇に於て、適時言及することを怠らない。
一、ところで、戦争は、この世の他の勝負も同様であるが、その性格・形態の如何に拘らず、すべて序・中・終の段階を有し、之を経て終末に至るものである-このことは、短期決戦を企図、一見、序盤或いは中盤戦を欠いて一挙に終盤戦にもっていった(突入した)かの如く思える奇(急)戦の場合も変りはない-しかし、その勝負は、必ずしもこの順序によって求める必要はなく、状勢によっては、どの階程に於て求めてもよく、たとえ当初劣勢に在り或いは非勢に陥っている国と雖も、希望は常に在するのである。従って、劣勢国(軍)はもとより、本来は優勢国(軍)であっても、たとえば準備の立ち遅れ或いは戦力の推進・集中に時日を要する等の事情により不利な状況にある場合は、当初は、むしろ持久して戦力の均衡或いは戦勢の恢復につとめ、終盤に於ける勝利を目途とした戦略を採用する方を有利とする場合が少なくない。つまり、戦争は、何が何でも先制打倒(攻撃)する方式を有利とするわけではないのである。このため、絶対優勢を自認する国(軍)の中には、相手国(軍)を戦争(戦闘)に誘引する目的を以て、一見不利・非勢の政・戦略状勢を故意に作為する者も生じてくる。第一次・第二次大戦に於ける英・米の如きである。しかし、このような政戦略・戦争指導方式は戦争を長期化させる傾きがあり、敵国のみならず、自身また「兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くす」こととなって、その勝利も之を償うものとならず、「諸侯、其の弊に乗じて起り」、遂には戦争目的を失ってしまうことも少なくない。英・米・ソはその好例である。また、優勢国(強国)ではないが、日・中戦争に於ける勝利者蒋介石と国民党、延いては中共も同断と言える。しかも、彼らは、この事態に対して-たとえば、次の戦争は圧倒的武装によって短期戦を準備すべきであるといった-短絡的な反省はするが、それが、根本的には、彼らの世界に於ける覇権獲得或いは維持のための百年戦争的思考様式に起因するものであることを理解しようとはしないのである。而して、彼らのこの好戦的・権謀術数的思考様式が、彼ら独自の生物としての生存本能に基づくものである以上、之を放棄する時は、歴史上屢見られる如く、恐らくは、彼らが「智者有りと雖も、その後も善くすること能わず」の状況に陥った場合の外はないであろう。それまでは、我々は、夢想に耽ることなく、現実的対応を図っていくべきである。
○田所孫子:○屈力殫貨とは、武力もたるみ物資も無くなるとの意。
○諸侯乗其弊而起とは、隣国の諸侯がその国の弱ったのにつけこんで戦争(を)しかけてくるとの意。
○不能善其後矣とは、その後仕末をうまくやることができぬとの意。
○大橋孫子:その後-事後処理
○武岡孫子:其の後-事後処理
○佐野孫子:【校勘】 ●雖有智者 「十一家註本」、「武経本」では「雖有智者」に作る。「竹簡孫子」には「雖智者」とある。この段の文意を通観すると「雖有智者」の方が適当と解されるので、ここでは、「現行孫子」に従う。
【語釈】◎不能善其後矣 「善其後」とは事後の処理をよく行うの意。これより善後策(うまく後始末をつけるための方策)の語が生ず。「其の後を善くする能わず」とは、例えば大坂夏の陣(一六一五年)に於て、大坂城が徳川方に十重二十重に囲まれてしまった場合、もはや形勢を挽回することはおろか、いわゆる「善後策」を講ずることも不可能となることを言うのであるが、裏を返せば「そうなる前に、そうならないように手を打つのが兵法である」と孫子は言いたいのである。
○重沢孫子:このように武器は鈍化し鋭気は挫折し、戦力はくじけ戦費は尽きるとなれば、この疲弊に乗じて諸侯が起ち上る。こうなると、たとえ有能な智者がいようとも、事後をうまく処理することはできない。
○著者不明孫子:【殫貨】「殫」は音タン。全部なくす意。「貨」は財貨。財政・経済力をいう。
【弊】疲れる、破れる。
【善其後】事後の処置を適切に行う。また、将来悪い結果が起こらぬように取り計らう。
○孫子諺義:『夫れ兵を鈍し鋭を挫き、力を屈し貨を殫くすときは、則諸侯其の弊に乗じて起る、智者有りと雖も其の後(のち)を(しりへを)善くすること能はず』
此の段上文を結ぶ也。夫れの一字を以て語をおこせり。殫は盡也、弊は疲弊也、鈍兵挫鋭屈力は、軍前のつひえ也。貨を殫すは國用の足らざる也。此の如く内外のつひえあるときには、隣國の諸侯其の時を考へて其の弊にのつて兵を起し、我が國をうつことあり。此の時は智者ありと云へども、これをよくするの謀は叶ふ可からざる也。其の後を善くすること能はずとは、右の如くなりゆきてのあとをよくする事叶はざる也。此の極其の久しくす可からざるを言ふ也。一説に、我が兵をさらすこと久しきの時、其の留守をうかがつて近國よりおそひうつときは、其の後を善くすること能はずと云へり。此の説もまた通ず。然れどもこの段の心は、内外のつひえ多き後にはとひろくみてよし。
○孫子国字解:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫すときは、則諸侯其の弊に乗て起、智者有と雖、其の後を善すること能わず、故に兵拙速を聞、未だ巧なるが之久きを覩ざる也。』
夫は發語の詞なり。詞の端を更め、發端の語を置くことは、上に軍に費多きことと、久しく陣を張れば、力疲れ勇たゆみ、費いよいよ甚しきことを云をうけて、爰(ここ)にて改めて端をおこして、合戦の速なるをよしとすることを云へり。鈍兵挫鋭とは、上文の其用戦也勝久則、鈍兵挫鋭とある句を、下の句ばかりくりかへして云たるなり。屈力とあるは、是も上の文の、攻城則力屈とある句を下ばかりくりかへして云なり。殫貨とあるは、是も上の久暴師則國用不足とあるを承けて、その國用不足と云意ばかり用て、詞をかへたるなり。諸侯とは隣國の諸侯なり。乗其弊而起とは、平生は力弱ければ、吾に畏れ從て居たる諸侯が、今吾が鈍兵挫鋭力屈貨殫たる弊にのりて、よき時節と思ひ、軍を起して攻め來ると云ことなり。善其後とは、後末々まで、何事なき様によくととのへて、治むることを云なり。拙速とは、拙はつたなし速はすみやかなり。合戦には謀もつたなく下手なれども、速に火急なるを以て勝利を得ることなり。巧とは合戦のてだてに上手なることなり。一段の意は久く戦て、勢ひたゆみ、勇氣もぬけ、力もつき、財寶もつくる時は、士卒は外に苦み、百姓は國に怨る弊あり。平生は力叶はず、我に從ふ隣國の諸侯、この弊をよき時節と、軍を起し、間に乗て攻め來り、遂に味方の滅亡に及ぶべし。たとひ味方に智謀深き者ありとも、かくの如く軍を遠方へ押出して、久しく戦ひたる國の後々末々まで、何事なくよくととのほり、全くさかふる様にすることはなるまじきとなり。故に合戦の道はたとひ計に拙く、軍に下手なりとも、疾雷耳を掩ふに及ばず(衣+十)(漢字)電目を瞬くに及ばざるごとく、火急に勝負を決して利を得ることは、古より多く其ほまれ聞えたれども、たとひ計に巧に合戦に上手にても、年月久しく、陣を張りて益あることをば、孫子はいまだ睹ずとなり。上には聞くと云ひ、下には睹ずと云たるは、文を互にしたるものにて、みるもきくも同じことなり。強ち泥むことなかれ。呂氏春秋に、兵は急捷を欲し一決して勝を取る所以なり。久しくして用いる可からずと云へり。急捷は急疾捷先とて、火急にしてはやわざに先をすることなり。軍は火急なるをよしとするゆへ、手ぬるく後になることなき様に、手ばしかき働きをこのむなり。その故は一時に勝負を決して、勝利を取るゆへなり。年月久しく戦ふべからずと云意なり。又呉明徹と云名将は、兵速に在るを貴ふと云ひ、杜佑は兵者凶噐なり。久ときは則變を生と云へり。凶噐はいまいましき物と云ことなり。軍は多くの人を殺すわざなれば、元來いまいましきことにて、人たるものの嫌ふべきわざなれども、悪人を退治し、亂逆を鎭るには、せで叶はぬわけにて、軍をするなり。此道理を知らず、是を好で久く戦をなせば、必下の怨みより、様々の變を生ずると云意なり。又李衞公は、兵は機事なり。速なるを以て神と為すと云へり。機事とは、たとへば禅機の如し。一機相投ずるところ、間に髪を容れず、此圖をはづさず戦て、大敵をも挫くわざなるゆへ、速なるを以て神妙とするなり。故に施子美は、此段を注して、機を得機を失ふは毫釐の間耳と云へり。圖にあたると圖にはづるると、一毫一釐の間だわづかのまなるを、ひたものに戦ふべき圖をはづし、退くべきぐわいを失ひ、おのづからに長陣をすること、誠に愚将のすることなり。
○孫子評註:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫せば、則ち諸侯其の弊に乗じて起る。智者ありと雖も、其の後を善くする能はず。』
智者は即ち下の「智将」及び「兵を知るの将」是れなり。後に在りては則ち善くする能はず。先に在らば則ち民生くべく、國家安んずべし。是れ一篇の針線なり。
孫子十家註:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くせば、則ち諸侯其弊に乗じて起る。智者有りと雖も、其後を善くすること能はず。』
○杜佑:當に時に兵を用いるの術有ると雖も、其の後の患を防ぐ能わず。
○李筌:十萬の衆挙がれば、日に千金を費やす。唯だ外に頓挫するに非ず、亦財 内に殫く。是れを以て聖人 師を暴すこと無きなり。隋 大業の初め、煬帝 兵を重んじ征を好み、力 鴈門の下に屈し、兵 遼水の上に挫く。河を疏(うとん)じ淮に引き、轉輸彌(いよいよ)廣し。師を出すに萬里、國用足らず。是に於いて楊元感・李密 其の弊に乗じて起る。縦蘇威・高熲、豈に能く之謀るを為すなり。
○杜牧:蓋し師久しく勝たず、財力俱に困るを以て、諸侯之に乗じて起る。智能の士有りと雖も、亦此の後に於いて、善く謀畫を為すこと能わざるなり。
○賈林:人離れ財竭き、伊呂復た生ずと雖も、亦此の亡敗を救う能わざるなり。
○梅堯臣:勝を取り城を攻めれば、師を暴し且つ久しければ、則ち諸侯此の弊に乗じて起り、我れを襲う。我れに智将有りと雖も、制する能わざるなり。
○王晳:其の弊甚だしきを以て、必ず危亡の憂い有り。
○何氏:其の後、兵勝たずして敵其の危殆に乗じ、智者と雖も、其れ善く計を盡して保全すること能わず。
○張預:兵已に疲れ、力已に困し、財已に匱(とぼ)しくして 鄰國 其の罷弊(疲れ)に因り、兵起すを以て之を襲えば、則ち縦(たと)え智能の人有りといえども、亦其の後の患いを防ぐ能わず。呉 楚を伐つに郢(えい)[地名。中国、春秋時代の楚その都。今の湖北省江陵県の西北にあった。]に入る。久しくして歸らず。越兵遂に當に是の時にすべしと伍員・孫武の徒有りと雖も、何ぞ嘗て能く善く謀り後に為さんや。
意訳
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○金谷孫子:そもそも軍も疲弊し鋭気もくじかれて[やがて]力も尽き財貨も無くなったということであれば、[外国の]諸侯たちはその困窮につけこんで襲いかかり、たとい[身方に]智謀の人がいても、とても[それを防いで]うまくあとしまつをすることはできない。
○浅野孫子:もし、このような戦い方をして軍が疲労し鋭気が挫かれたり、あるいは戦力が消耗しきったり、財貨を使いはたしたりする状態に陥れば、それまで中立であった諸侯も、その疲弊につけ込もうと兵を挙げる始末となる。いったん、こうした窮地に陥ってしまえば、いかに智謀の人であっても、その善後策を立てることはできない。
○町田孫子:このように、軍は疲弊し、鋭気は挫かれ、戦力も消耗し、財政もゆきづまったとなると、他の諸侯は、その隙につけこんで兵を挙げるに違いない。そうなれば、たとえ味方に智謀の士がいようとも、うまくあと始末をつけることはできない。
○天野孫子:このように兵力をにぶらせ、盛んな士気をくじけさせ、戦闘力が尽きはて、財貨を窮乏させるなら、諸国の君主はその疲弊につけこんで、軍を起こして攻めて来る。たとい智恵ある者がおるとしても、その事後の処理をうまく行なうことはできない。
○フランシス・ワン孫子:軍隊の戦力と士気が失われ、政府の戦争に対する情熱が冷め、国民の力が衰退し、国庫の財が底をつく頃ともなれば、隣邦の諸侯は、我が苦境に乗じて行動を起すこととなろう。この段階ともなると、たとえ我が方に明察の士がいたとしても、もはや、その前途に対する適切な策を講ずることは不可能となる。
○大橋孫子:兵力をにぶらせ、士気を衰えさせ、戦力を使い果たし、国庫を窮乏させれば、諸侯はこの疲弊につけこみ、軍を起こしてそむく。たとえ有能な政治家や将軍がいても、よく収拾することなでできるものではない。
○武岡孫子:もし軍が疲れ士気が挫け、やがて力尽き金も無くなれば、第三国の諸侯らが疲弊につけこみ襲いかかる。そうなればいかに智恵者がいてもうまく後仕末できない。
○著者不明孫子:そのように、武器を傷め士気をくじき、戦力をなくし財力を使い尽くせば、他の諸侯がその疲弊に乗じて兵を挙げる。いかに智者が現れたとしても、うまく事態を収束することはできない。
○学習研究社孫子:さて、兵卒が疲弊し、士気が衰え、軍備力がなくなり、経済力がつきてしまえば、諸侯は、その弊害につけ込んで、戦争をしかけてくるだろう。そうなると、知恵者であっても、出兵の後始末を上手にすることはできなくなる。
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竹簡孫子では「智者と雖も」。今文では「智者有りと雖も」となっているが、特に意味に重大な違いがでてくるわけではない。
夫れ-①成年に達した男子。一人前のおとこ。②おっと。③労働にたずさわる人。④発語の助字。それ。そもそも。いったい。【解字】頭に冠のかんざしを挿した人を描いた象形文字。成年男子の意を表す。
貨-①ねうちのある品物。財宝。商品。②交易のなかだちをするもの。金銭。かね。【解字】形声。「貝」+音符「化」(=かわる)。交換して他の品物にかわる貝の意。昔は子安貝を貨幣として用いた。
殫-①つきる。なくなる。つくす。②ことごとく。のこらず。
諸侯-しょ‐こう【諸侯】①昔、中国で、天子から受けた封土内の人民を支配した人。②江戸時代の大名を指す。
弊-①古くなっていたむ。ぼろぼろになる。やぶれる。ぐったりする。②たるんで生じた害。たるみ。③つたない。手前どもの。自分の属する物に冠して、へりくだりの気持ちを示す語。【解字】形声。「廾」(=両手)+音符「敝」(=破れてだめになる)。
起-①おきあがる。立つ。②おこす。㋐高くもちあげる。㋑活動をおこす。はじめる。③おこる。はじまる。【解字】形声。「走」+音符「巳」(=はじめ)。立って走りはじめる意。一説に、「巳」を目じるしと解し、足の動作を示す「走」を加えて、目立たなかったものがおきあがる意とする。
智者-ち‐しゃ【智者】①知恵のすぐれた人。賢い人。知者。②智識の高い僧。
雖-…といえども。…だけれども。たとえ…であっても。
能-①仕事をしとげる力。はたらき。わざ。②よくする。うまくできる。はたらきがある。③はたらきかける。④ききめ。効果。作用。⑤猿楽さるがくから展開した日本固有の歌舞劇。⑥「能登国」の略。【解字】大きな口をあけ、尾をふりあげた動物を描いた象形文字。「熊」の原字。くまが力の強い動物であるところから、強い力を持ってはたらく意となった。もと、肉部。
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○浅野孫子:殫(たん)-やはり尽と同じで、尽きはてる、使いはたすの意。
○天野孫子:○殫貨 「貨」はたから。金銭・珠玉(宝石)・布帛の類を総称して言う。「殫」はつきる。これは前句の「国用足らず」を言う。
○諸侯乗其弊而起 「弊」はつかれる、疲労。「乗其弊」はその疲弊につけこむ。「起」はたちあがる。諸侯がたちあがるとは、諸侯が兵をおこすこと。『発微』は「起るとは起りて之を攻撃するを云ふ」と。
○不能善其後矣 「能」はできる。「其」は前文の諸侯起こるを受ける。『詳解』は「其の後とは諸侯既に起るの後を指す」と。「善其後」とは事後の処理をよく行なうの意。これより善後策の語が生ず。一説に「後」を後文の「巧之久」に関係させて『正義』は「後は先後の後なり。拙速を先と曰ひ、巧久を後と曰ふ」と。
○守屋孫子:こうして、軍は疲弊し、士気は衰え、戦力は底をつき、財政危機に見舞われれば、その隙に乗じて、他の諸国が攻めこんでこよう。こうなっては、どんな知恵者がいても、事態を収拾することができない。
○フランシス・ワン孫子:『夫れ、兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くせば、則ち諸侯其の弊に乗じて起る。智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。』
註 一、本項は、関係諸国の向背の問題について述べたものである。諸侯即ち第三国との関係は、決して盟約や協定等の上に安住することを許すものではない。戦力を失って形勢を損じ、国力の涸渇も明白となった国家に対しては、たとえ従来の経緯がどうあろうと、関係諸国が一方的に協約を破棄し、漁夫の利を獲んとする者となることは、歴史上常に見られる所である。我々としては、日・ソ不可侵条約の命運を思い出さざるをえぬ所であろう。しかも、斯の如き事態に立ち至れば、いかなる明察の士(論語に曰く”智者は惑わず”と)がいたとしても、もはや形勢を挽回することはおろか、その後(前途)に対する適切なる方策、いわゆる善後策を講ずることも不可能となるのである。このため、孫子は、関係諸国の向背についても、戦争計画の段階から対処を図らねばならぬ重要問題とするのであるが、それに止まらず、さらに、戦争の終末に至るまでの各種の段階に於て適切なる対処を行う必要のある問題とし、以下の各篇に於て、適時言及することを怠らない。
一、ところで、戦争は、この世の他の勝負も同様であるが、その性格・形態の如何に拘らず、すべて序・中・終の段階を有し、之を経て終末に至るものである-このことは、短期決戦を企図、一見、序盤或いは中盤戦を欠いて一挙に終盤戦にもっていった(突入した)かの如く思える奇(急)戦の場合も変りはない-しかし、その勝負は、必ずしもこの順序によって求める必要はなく、状勢によっては、どの階程に於て求めてもよく、たとえ当初劣勢に在り或いは非勢に陥っている国と雖も、希望は常に在するのである。従って、劣勢国(軍)はもとより、本来は優勢国(軍)であっても、たとえば準備の立ち遅れ或いは戦力の推進・集中に時日を要する等の事情により不利な状況にある場合は、当初は、むしろ持久して戦力の均衡或いは戦勢の恢復につとめ、終盤に於ける勝利を目途とした戦略を採用する方を有利とする場合が少なくない。つまり、戦争は、何が何でも先制打倒(攻撃)する方式を有利とするわけではないのである。このため、絶対優勢を自認する国(軍)の中には、相手国(軍)を戦争(戦闘)に誘引する目的を以て、一見不利・非勢の政・戦略状勢を故意に作為する者も生じてくる。第一次・第二次大戦に於ける英・米の如きである。しかし、このような政戦略・戦争指導方式は戦争を長期化させる傾きがあり、敵国のみならず、自身また「兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くす」こととなって、その勝利も之を償うものとならず、「諸侯、其の弊に乗じて起り」、遂には戦争目的を失ってしまうことも少なくない。英・米・ソはその好例である。また、優勢国(強国)ではないが、日・中戦争に於ける勝利者蒋介石と国民党、延いては中共も同断と言える。しかも、彼らは、この事態に対して-たとえば、次の戦争は圧倒的武装によって短期戦を準備すべきであるといった-短絡的な反省はするが、それが、根本的には、彼らの世界に於ける覇権獲得或いは維持のための百年戦争的思考様式に起因するものであることを理解しようとはしないのである。而して、彼らのこの好戦的・権謀術数的思考様式が、彼ら独自の生物としての生存本能に基づくものである以上、之を放棄する時は、歴史上屢見られる如く、恐らくは、彼らが「智者有りと雖も、その後も善くすること能わず」の状況に陥った場合の外はないであろう。それまでは、我々は、夢想に耽ることなく、現実的対応を図っていくべきである。
○田所孫子:○屈力殫貨とは、武力もたるみ物資も無くなるとの意。
○諸侯乗其弊而起とは、隣国の諸侯がその国の弱ったのにつけこんで戦争(を)しかけてくるとの意。
○不能善其後矣とは、その後仕末をうまくやることができぬとの意。
○大橋孫子:その後-事後処理
○武岡孫子:其の後-事後処理
○佐野孫子:【校勘】 ●雖有智者 「十一家註本」、「武経本」では「雖有智者」に作る。「竹簡孫子」には「雖智者」とある。この段の文意を通観すると「雖有智者」の方が適当と解されるので、ここでは、「現行孫子」に従う。
【語釈】◎不能善其後矣 「善其後」とは事後の処理をよく行うの意。これより善後策(うまく後始末をつけるための方策)の語が生ず。「其の後を善くする能わず」とは、例えば大坂夏の陣(一六一五年)に於て、大坂城が徳川方に十重二十重に囲まれてしまった場合、もはや形勢を挽回することはおろか、いわゆる「善後策」を講ずることも不可能となることを言うのであるが、裏を返せば「そうなる前に、そうならないように手を打つのが兵法である」と孫子は言いたいのである。
○重沢孫子:このように武器は鈍化し鋭気は挫折し、戦力はくじけ戦費は尽きるとなれば、この疲弊に乗じて諸侯が起ち上る。こうなると、たとえ有能な智者がいようとも、事後をうまく処理することはできない。
○著者不明孫子:【殫貨】「殫」は音タン。全部なくす意。「貨」は財貨。財政・経済力をいう。
【弊】疲れる、破れる。
【善其後】事後の処置を適切に行う。また、将来悪い結果が起こらぬように取り計らう。
○孫子諺義:『夫れ兵を鈍し鋭を挫き、力を屈し貨を殫くすときは、則諸侯其の弊に乗じて起る、智者有りと雖も其の後(のち)を(しりへを)善くすること能はず』
此の段上文を結ぶ也。夫れの一字を以て語をおこせり。殫は盡也、弊は疲弊也、鈍兵挫鋭屈力は、軍前のつひえ也。貨を殫すは國用の足らざる也。此の如く内外のつひえあるときには、隣國の諸侯其の時を考へて其の弊にのつて兵を起し、我が國をうつことあり。此の時は智者ありと云へども、これをよくするの謀は叶ふ可からざる也。其の後を善くすること能はずとは、右の如くなりゆきてのあとをよくする事叶はざる也。此の極其の久しくす可からざるを言ふ也。一説に、我が兵をさらすこと久しきの時、其の留守をうかがつて近國よりおそひうつときは、其の後を善くすること能はずと云へり。此の説もまた通ず。然れどもこの段の心は、内外のつひえ多き後にはとひろくみてよし。
○孫子国字解:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫すときは、則諸侯其の弊に乗て起、智者有と雖、其の後を善すること能わず、故に兵拙速を聞、未だ巧なるが之久きを覩ざる也。』
夫は發語の詞なり。詞の端を更め、發端の語を置くことは、上に軍に費多きことと、久しく陣を張れば、力疲れ勇たゆみ、費いよいよ甚しきことを云をうけて、爰(ここ)にて改めて端をおこして、合戦の速なるをよしとすることを云へり。鈍兵挫鋭とは、上文の其用戦也勝久則、鈍兵挫鋭とある句を、下の句ばかりくりかへして云たるなり。屈力とあるは、是も上の文の、攻城則力屈とある句を下ばかりくりかへして云なり。殫貨とあるは、是も上の久暴師則國用不足とあるを承けて、その國用不足と云意ばかり用て、詞をかへたるなり。諸侯とは隣國の諸侯なり。乗其弊而起とは、平生は力弱ければ、吾に畏れ從て居たる諸侯が、今吾が鈍兵挫鋭力屈貨殫たる弊にのりて、よき時節と思ひ、軍を起して攻め來ると云ことなり。善其後とは、後末々まで、何事なき様によくととのへて、治むることを云なり。拙速とは、拙はつたなし速はすみやかなり。合戦には謀もつたなく下手なれども、速に火急なるを以て勝利を得ることなり。巧とは合戦のてだてに上手なることなり。一段の意は久く戦て、勢ひたゆみ、勇氣もぬけ、力もつき、財寶もつくる時は、士卒は外に苦み、百姓は國に怨る弊あり。平生は力叶はず、我に從ふ隣國の諸侯、この弊をよき時節と、軍を起し、間に乗て攻め來り、遂に味方の滅亡に及ぶべし。たとひ味方に智謀深き者ありとも、かくの如く軍を遠方へ押出して、久しく戦ひたる國の後々末々まで、何事なくよくととのほり、全くさかふる様にすることはなるまじきとなり。故に合戦の道はたとひ計に拙く、軍に下手なりとも、疾雷耳を掩ふに及ばず(衣+十)(漢字)電目を瞬くに及ばざるごとく、火急に勝負を決して利を得ることは、古より多く其ほまれ聞えたれども、たとひ計に巧に合戦に上手にても、年月久しく、陣を張りて益あることをば、孫子はいまだ睹ずとなり。上には聞くと云ひ、下には睹ずと云たるは、文を互にしたるものにて、みるもきくも同じことなり。強ち泥むことなかれ。呂氏春秋に、兵は急捷を欲し一決して勝を取る所以なり。久しくして用いる可からずと云へり。急捷は急疾捷先とて、火急にしてはやわざに先をすることなり。軍は火急なるをよしとするゆへ、手ぬるく後になることなき様に、手ばしかき働きをこのむなり。その故は一時に勝負を決して、勝利を取るゆへなり。年月久しく戦ふべからずと云意なり。又呉明徹と云名将は、兵速に在るを貴ふと云ひ、杜佑は兵者凶噐なり。久ときは則變を生と云へり。凶噐はいまいましき物と云ことなり。軍は多くの人を殺すわざなれば、元來いまいましきことにて、人たるものの嫌ふべきわざなれども、悪人を退治し、亂逆を鎭るには、せで叶はぬわけにて、軍をするなり。此道理を知らず、是を好で久く戦をなせば、必下の怨みより、様々の變を生ずると云意なり。又李衞公は、兵は機事なり。速なるを以て神と為すと云へり。機事とは、たとへば禅機の如し。一機相投ずるところ、間に髪を容れず、此圖をはづさず戦て、大敵をも挫くわざなるゆへ、速なるを以て神妙とするなり。故に施子美は、此段を注して、機を得機を失ふは毫釐の間耳と云へり。圖にあたると圖にはづるると、一毫一釐の間だわづかのまなるを、ひたものに戦ふべき圖をはづし、退くべきぐわいを失ひ、おのづからに長陣をすること、誠に愚将のすることなり。
○孫子評註:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫せば、則ち諸侯其の弊に乗じて起る。智者ありと雖も、其の後を善くする能はず。』
智者は即ち下の「智将」及び「兵を知るの将」是れなり。後に在りては則ち善くする能はず。先に在らば則ち民生くべく、國家安んずべし。是れ一篇の針線なり。
孫子十家註:『夫れ兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫くせば、則ち諸侯其弊に乗じて起る。智者有りと雖も、其後を善くすること能はず。』
○杜佑:當に時に兵を用いるの術有ると雖も、其の後の患を防ぐ能わず。
○李筌:十萬の衆挙がれば、日に千金を費やす。唯だ外に頓挫するに非ず、亦財 内に殫く。是れを以て聖人 師を暴すこと無きなり。隋 大業の初め、煬帝 兵を重んじ征を好み、力 鴈門の下に屈し、兵 遼水の上に挫く。河を疏(うとん)じ淮に引き、轉輸彌(いよいよ)廣し。師を出すに萬里、國用足らず。是に於いて楊元感・李密 其の弊に乗じて起る。縦蘇威・高熲、豈に能く之謀るを為すなり。
○杜牧:蓋し師久しく勝たず、財力俱に困るを以て、諸侯之に乗じて起る。智能の士有りと雖も、亦此の後に於いて、善く謀畫を為すこと能わざるなり。
○賈林:人離れ財竭き、伊呂復た生ずと雖も、亦此の亡敗を救う能わざるなり。
○梅堯臣:勝を取り城を攻めれば、師を暴し且つ久しければ、則ち諸侯此の弊に乗じて起り、我れを襲う。我れに智将有りと雖も、制する能わざるなり。
○王晳:其の弊甚だしきを以て、必ず危亡の憂い有り。
○何氏:其の後、兵勝たずして敵其の危殆に乗じ、智者と雖も、其れ善く計を盡して保全すること能わず。
○張預:兵已に疲れ、力已に困し、財已に匱(とぼ)しくして 鄰國 其の罷弊(疲れ)に因り、兵起すを以て之を襲えば、則ち縦(たと)え智能の人有りといえども、亦其の後の患いを防ぐ能わず。呉 楚を伐つに郢(えい)[地名。中国、春秋時代の楚その都。今の湖北省江陵県の西北にあった。]に入る。久しくして歸らず。越兵遂に當に是の時にすべしと伍員・孫武の徒有りと雖も、何ぞ嘗て能く善く謀り後に為さんや。
意訳
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○金谷孫子:そもそも軍も疲弊し鋭気もくじかれて[やがて]力も尽き財貨も無くなったということであれば、[外国の]諸侯たちはその困窮につけこんで襲いかかり、たとい[身方に]智謀の人がいても、とても[それを防いで]うまくあとしまつをすることはできない。
○浅野孫子:もし、このような戦い方をして軍が疲労し鋭気が挫かれたり、あるいは戦力が消耗しきったり、財貨を使いはたしたりする状態に陥れば、それまで中立であった諸侯も、その疲弊につけ込もうと兵を挙げる始末となる。いったん、こうした窮地に陥ってしまえば、いかに智謀の人であっても、その善後策を立てることはできない。
○町田孫子:このように、軍は疲弊し、鋭気は挫かれ、戦力も消耗し、財政もゆきづまったとなると、他の諸侯は、その隙につけこんで兵を挙げるに違いない。そうなれば、たとえ味方に智謀の士がいようとも、うまくあと始末をつけることはできない。
○天野孫子:このように兵力をにぶらせ、盛んな士気をくじけさせ、戦闘力が尽きはて、財貨を窮乏させるなら、諸国の君主はその疲弊につけこんで、軍を起こして攻めて来る。たとい智恵ある者がおるとしても、その事後の処理をうまく行なうことはできない。
○フランシス・ワン孫子:軍隊の戦力と士気が失われ、政府の戦争に対する情熱が冷め、国民の力が衰退し、国庫の財が底をつく頃ともなれば、隣邦の諸侯は、我が苦境に乗じて行動を起すこととなろう。この段階ともなると、たとえ我が方に明察の士がいたとしても、もはや、その前途に対する適切な策を講ずることは不可能となる。
○大橋孫子:兵力をにぶらせ、士気を衰えさせ、戦力を使い果たし、国庫を窮乏させれば、諸侯はこの疲弊につけこみ、軍を起こしてそむく。たとえ有能な政治家や将軍がいても、よく収拾することなでできるものではない。
○武岡孫子:もし軍が疲れ士気が挫け、やがて力尽き金も無くなれば、第三国の諸侯らが疲弊につけこみ襲いかかる。そうなればいかに智恵者がいてもうまく後仕末できない。
○著者不明孫子:そのように、武器を傷め士気をくじき、戦力をなくし財力を使い尽くせば、他の諸侯がその疲弊に乗じて兵を挙げる。いかに智者が現れたとしても、うまく事態を収束することはできない。
○学習研究社孫子:さて、兵卒が疲弊し、士気が衰え、軍備力がなくなり、経済力がつきてしまえば、諸侯は、その弊害につけ込んで、戦争をしかけてくるだろう。そうなると、知恵者であっても、出兵の後始末を上手にすることはできなくなる。
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2012-10-07 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、則ち兵を頓らせ鋭を挫く。城を攻むれば、則ち力屈き、久しく師を暴さば、則ち国用足らず。』:本文注釈
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竹簡本では「…用戦勝久則頓…」となっている。これは「其の戦いを用いての勝は、久しくせしめんとす。則ち兵を頓れしめ鋭を挫けしむ。城を攻むらしめて、則ち力を屈せしめ、久しく師を暴さしめて、則ち国用足らざらしむ。」とも読め、「戦を用いて勝つとは、相手を長期にわたり戦争に奔走させることである。そうして、相手の兵力を疲弊させ、盛んな士気をくじけさせるのである。城を攻めらせることで戦闘力を尽きさせ、長いこと敵軍を戦場に曝させれば、敵国の国費を不足の状態とさせることができる。」とも解釈することができる。一般的な解釈である「勝っても長期にわたって戦争が続けば、兵を疲弊させ鋭気を挫かせてしまう。」という意味に捉えても当然有用であることは疑いない。また、もう一つ有力な解釈に、「戦争をおこなうということは、勝つということが至上目的(勝つことを貴ぶということ)である。だらだらと戦争を続けていれば兵力も国力も尽きてしまう。」というような解釈がある。これも有用である。なお、趙本学の説に『其の戦いを用うるや、勝つことを貴ぶ』と、勝の字の上に貴の字を入れた方がよい、というものがあるが、この場合、のちにでてくる「故に、兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず」の文と非常に相性がよくなる。この説も説得力がある。今文の読み方を「其の戦いを用うるは勝たんとす。久しければ則ち…」としてもいいと思う。勝つことが戦の目的なのに、戦争が長びくうちに、戦争を続けることが目的となってしまうような錯覚に陥りやすいため、戦争の目的とはあくまでも勝つことである、とここでことわった、ということも考えられる。ところで『城を攻むれば、則ち力屈く』の文は、なにか唐突に文の真ん中に入っているような気がするが、当時、城を攻めるということがどれだけ消耗戦につながったかということがこの文からわかる。攻城戦を強く戒めるために文中に入れたものであろう。
也-①断定の助字。なり。…である。②提示の助字。や。…は。…ということは。③疑問・詠嘆の語気を表す助字。や。中国では中世以後、「亦」と同じく、…もまた、…もやはり、の意味に用いられるようになり、現代に及んでいる。
久-ひさしい。時間的に長い。長時間そのままになっている。【解字】会意。背の曲がった老人と、これを引き止める意を示す印とから成る。曲がりくねって長い意、長く止まる意などを表す。
則-①きまり。規定。のり。②手本として従う。のっとる。③すなわち。㋐上の条件を受けて下に帰結を示す助字。…ならば(その場合は)。…すると。㋑他と区別して強調する助字。…については。…の場合は。【解字】会意。「鼎」(=かなえ)の省略形+「刀」。かなえにナイフを添える意から、ぴったりよりそってはなれない意。
頓-①ぬかずく。ひたいを地につけておじぎをする。②一ところにとどまる・とどめる。とどこおる。おちつける。③すぐその場で。たちどころに。にわかに。とみに。→字訓「とみ」は字音「トン」の転化。
鋭-①するどい。刃物などの先がとがっている。②勢いが強い。反応がはやい。動きがすばやい。③するどくする。【解字】形声。「金」+音符「兌」(=外がわをはぎとる)。金属の外がわをけずり取ってとがらす。
挫-くじき折る。途中で勢いが衰える。くじける。
屈-①折れまがる。折りまげる。かがむ。かがめる。②やりこめられる。くじける。③ゆきづまる。④つよい。頑丈である。【解字】会意。「尸」(=しり)+「出」。からだをまげてしりをつき出す意。
暴-①力ずくで人をそこなう。あばれる。あらあらしい。②度を過ごす。むやみに。③思いがけなく急に。にわかに。④素手で打つ。⑤あばく。日にさらす。【解字】会意。「日」と両手と動物をさいてひらいた皮革の形とから成る。動物の皮革を両手でささげて日光にさらす意。内の物を外に出す意から転じて、勢いよくふるまう、あばれるの意に用いるようになった。
国用-こく‐よう【国用】 国家の費用。国費。
註
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○金谷孫子:勝久-『太平御覧』巻二百九十三では「久」の字だけで、上下の意味からするとそれがよい。
兵を鈍らせ-鈍は謀攻篇の「兵頓せず」の頓と同じ。竹簡本では「頓」。弊の意。軍の器材が損傷するばかりで補充がつかずに疲弊すること。
屈-竭の意。尽くす。
○浅野孫子:◎頓-疲弊する、疲れ苦しむ、つまずき倒れるの意。 ◎屈-尽と同じで、尽きはてるの意。
○町田孫子:(1)宋本では「久」の上に「勝」の字があるが、『太平御覧』の引用にしたがって除いた。
○天野孫子:○其用戦也勝久則鈍兵挫鋭
「其」は「十万之師」を受ける。「用」はおこなう。「久」はここでは戦争が長期にわたるの意。「兵」は兵力。「鈍兵」は兵力をにぶらせるの意。一説に「鈍」は「頓」の意として、つかれると。魏武帝は「鈍は弊なり」と。張預は「兵疲る」と。また一説に兵器をにぶらせると。趙本学は「其兵鋒を鈍らす」と。「鋭」は鋭気の意。軍争篇に「善く兵を用ふる者は其鋭気を避けて、其惰帰を撃つ」と。なお「鈍兵」「挫鋭」について一説に『発微』は「鈍兵・挫鋭は互文なり」と。また『略解』は「鈍兵は兵器のなまる事を云ひて、士卒の志の怠る事を云ひ、挫鋭も矛戟の切先の折れくぢける事を云ひて士卒の気のたはむ事を云ふ」と。この句について賈林は「戦ひて人に勝つと雖も、久しければ則ち利無し」と。一説に杜牧は「勝久とは淹久(えんきゅう)にして而る後に能く勝つなり。敵と相持し、久しくして而る後に勝たば則ち甲兵鈍弊し、鋭気挫衂(ざぢく)するを言ふ」と。淹久は久しきにわたる。挫衂はくじける。この場合「勝つに久しければ」と読む。また一説に『直解』は「其の之を用ひて以て戦ふや、速にして必ず勝つに在るを貴ぶ。若し相持すに日久しければ、則ち吾の兵鋒を鈍らし吾の鋭気を挫く」と。この場合「其の用ひて戦ふや勝たんとす。久しければ則ち…」と読む。趙本学は「勝の上、疑ふらくは一の貴の字を脱せん」と。
○攻城則力屈
「攻城」は敵を攻める中で最も下策な攻めかた。謀攻篇に「上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む」と。『発微』は「城を攻むとは久しく城を攻むるを言ふ」と。「屈」について魏武帝は「尽なり」と。つきる意。「力屈」は戦闘力がつきる。
○久暴師則国用不足
「暴」はさらす。ここでは山野にさらす。「師」は大軍。「用」は費用。
○守屋孫子:たとい戦って勝利を収めたとしても、長期戦ともなれば、軍は疲弊し、士気も衰える。城攻めをかけたところで、戦力は底をつくばかりだ。長期にわたって軍を戦場にとどめておけば、国家の財政も危機におちいる。
○大橋孫子:暴す-戦場におく
○武岡孫子:暴せば-戦場におく
○佐野孫子:【校勘】其用戦也
「竹簡孫子」には「戦」の下に「也」の字がない。この「也」は、「~は、~の時には」の意で、物事を提示しており、あった方が文意はより明確である。「十一家註本」、「武経本」に従って補う。
【語釈】◎久暴師則国用不足
「暴」はさらす。ここでは山野にさらす。「国用」とは、国家の財政・経済をいう(F・ワン仏訳「孫子」)。
○フランシス・ワン孫子:『其用戦也貴勝。久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈。』
註 一、「その戦いを用うるや、勝つを貴ぶ」
本項は、本篇の結語である「故に、兵は勝つことを貴ぶも、久しきは貴ばず」(二十一項)と呼応する言であり、以下の孫子の用兵論を貫く骨幹の思想である。「勝つことを貴ぶ」は、仏訳は、「勝利こそが戦争の第一の目的である」と解しているが、ではそれはどのような勝利であるかというに、速やかに勝つことを貴ぶ、即ち戦争は切り上げの早きことを以て肝要とするの意であり、孫子はこれを六項に於て「拙速」なる言を用いて説明している。
一、「久しければ、即ち兵を鈍らし鋭を挫き、城を攻むれば則ち力屈す」
曹操は「鈍らすとは、(国民と軍隊の)弊(つか)るるなり。屈すとは、(国力と兵力の)尽くるなり」と註しているが、その語感には悲痛を覚えざるをえぬものがある。君主にして将帥をも兼ねた曹操の、国家と戦争の経営に於ける苦心のほどが偲ばれてくる所である。当時、曹操に対抗して天下の覇を争うべく、蜀漢帝国の経営に腐心した諸葛孔明も、本項の問題について「後出師の表」で次の如く述べている。「臣が漢中に到りしより、まだ一年に過ぎない。然るに、趙雲以下の軍の骨幹である勇将・猛士を多数失ってしまった。彼らは一州の有する所にあらず。皆、十数年の歳月をかけて四方より糾合せる所であり、天下の精鋭である。もし戦争が長期化し、さらに数年続くとすれば、残りの三分の二も損耗させてしまうこととなろう。その場合は何を以て敵を図ることができようか」と。戦力の不足・国力の未充実にも拘らず、長期戦を回避し、敢えて決戦的攻勢に出る所以を説いて、これまた悲痛である。
一、近代の長期戦である第一次大戦について、ドイツのフォン・デル・ゴルツ元帥がその著『国民皆兵論』で語る所に聞いてみよう。「戦争が長年月に亙るに従って、軍隊が初に発揮した不断の活動は漸次衰退してくる。数次の会戦を経た軍隊は優良なる将兵を失い、戦闘を交うる毎に優良なる分子を減じて、而もその補充に苦しむに至るのである。軍は磁鉄の如く使用するに従って益々その効力を益すというわけには行かぬ。元来、兵士は、何れも皆、或る期間までは戦争の困苦欠乏を甘んじて忍ぶものであるが、数ヶ月・数年に亙って同一の忠誠心・奉公心を以て之に堪えるというわけには行かぬ。初心の勇士が美しい空想を描いている所の会戦や戦闘は、人間の力には堪え難いほどの労苦がある。それがため、将兵の勇気は漸次消沈し、国家の大事に付いての自覚などは起こらなくなる。心身の過度の疲労は、人をして無感覚に陥らせる。また、内地国民の堅実なる態度も、戦争が長期化するに従って、その重荷に苦しむようになってくる」と。以上は、殆ど、第二次大戦に於ける我々の体験を語るものとして用うることができるのではなかろうか。而して、この長期戦に伴う国民の心理的経過は、ベトナム戦争や中近東の戦争、近くはアフガニスタンに於ても見る所であり、優勢を誇る超大国と雖も例外ではないのである。
一、なお、本項は一般には次の如くなっている。「其用戦也、勝久則鈍兵挫鋭、(以下は同文)」と。即ち「其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、…」である。意味を変えるものではないが、仏訳は「其の戦いを用うるや、勝つことを貴ぶ」の方をとっている。結言との関係から言えば、仏訳が適当である。
『久暴師則国用不足。』
註 「国用」とは、国家の財政・経済を言う。
○重沢孫子:実際に武器をとって渡りあう段階になると、何よりも勝つことが一番。長引けば武器は鈍るし、兵士の鋭気は挫折する。敵の拠城を攻めれば、力屈して続かない。長期間部隊を外地にむき出しにしておけば、国の費用は足りなくなる。
○田所孫子:○其用戦也とは、その国が戦争するにはというほどの意。
○勝久則鈍兵挫鋭とは、たとえ勝っても、戦が長引けば、武器の鋭さが鈍り挫け、士気が衰えるとの意。
○攻城則力屈とは、城を攻めても余り長引けば、将兵の力がたるんで来るとの意。
○久暴師則国用不足とは、長い間軍隊を戦場に出しておけば、国家の費用も足りなくなる[との意。]。
○著者不明孫子:【其用戦也】 「用戦」は「用兵」と同じような意味であるが、「用兵」よりも狭く、具体的に戦場で軍隊をどう動かすかという戦闘の問題を指すのであろう。「其」は「用戦」という語そのものを指示し強める。「也」も強めの助字。
【挫鋭】 「鋭」は士卒の鋭気。
【攻城】 城を包囲攻撃する。とかく戦いが長引くし、味方の損害が大きいからいけないというのであろう。次の謀攻篇第三の二でも「城を攻める」ことは「下」だとされている。あるいは本来「久しく城を攻めれば」と「久」の字があったかも知れない。
【力屈】 「力」は人的および物的戦力をいう。「屈」は縮小する、なくなる。
【暴師】 「暴」は音バク。野外にさらす。「暴師」は軍隊を戦場にさらす、つまり、軍隊を戦闘状態に置いておくこと。
○孫子諺義:『其の戦を用ひて勝つや、久しきときは則兵を鈍し鋭を挫き、城を攻むるときは則力屈す。』
其の戦を用ひて勝つやと云ふは、十萬の兵日に千金のつひてあり、かるがゆゑに、其の戦を用ひて敵に勝つの術、野合の對陣、日月をふること久しきときには、兵具そこね、士卒の氣ことごとくつかる。況や城をせむるときは、軍勢力きはまり屈するなり。屈は竭(つ)くす也。兵は兵器をさす。鈍は弓をれ矢そこね、劔戟もにぶく、諸々の兵器やぶるる也。鋭は士卒の氣のするどなるなり。兵士の氣はじめいさみすすむといへども、長陣なるときは、退屈して鋭氣みなひしげかじくる也。挫は折也。力屈すとは、城を攻むるは力を用ふるものなるゆゑに、久しくして城落ちざるときは、兵士力屈する也。以上野合の對陣幷(ならび)に城攻ともに久しきをきらふことをいへるなり。戦は交戦と城攻と兩様に(を)出でざるゆゑ也。舊説に、勝久を一句にいたせるあり。杜牧は之れに從ひ、勝ちて久しければ亦利あらずと也。又勝の字の上に雖の字を入れて、戦の用ふるや勝つと雖も久しきときは則利無しと云ふ心にもみる。賈林・梅堯臣の注是れ也。しかれども其の戦を用ひて勝つやと句をきりて見る可し、也の字、勝の字の下にある心にみてよし。古人の文法此の如きもの多し。又云はく、戦を用ひて勝つやとは、言(いふこころ)は戦を用ふるは速に勝つを貴ぶと也。この注のときは勝たんと也と云ふ心なり。戦はすみやかにかつべきがためなりと云ふ心也。一説に、其用戦也勝、五字上文に連續せしめて一句とす。然る後に十萬之軍擧ぐ矣、其の戦を用ふる也勝つと、是れまで連續す。袁了凡此の説を用ふ。しかれども其の説味なし。李卓吾云はく、前後勝の字相應ず。
『久しく師を暴すときは、則國用足らず。』
以前には、軍前戦のつひえを論ず。是れは國内の財寶用事不足を云へり。師を暴すとは、永々對陣せしめ、士卒外に居り、兵器ことごとく風雨にあたりさらさるるを云ふ。暴は家をはなれて外にあらはれをるを云ふ也。
○孫子国字解:『其の戦を用ること、勝つも久ければ則兵を鈍らし鋭を挫く、城を攻れば則力屈く、久く師を暴せば則國用足らず、』
上の段には、まづ軍の物入の夥(おびただ)しきことを云て、此段には長陣の害を云へり。其用戦也、勝久則鈍兵挫鋭とは、上の段をうけて、箇様に十萬の人數にて、千里の外に働くは費多きことなるが、其人數にて戦をなさば、とかく手間を取らず、日數をくらぬ様にすべきなり。たとひ戦に勝つとも、久しく日數をくり、長陣をすれば、勇氣たゆみ、将も卒も皆惰る氣になりて、思はぬ不覺を取るものなり。兵を鈍らすとは、兵は兵具なり。鈍らすとは、わざのよき切れものの刃こぼれ、鈍刀になるに喩へて、勇氣のぬくることを云なり。鋭を挫くは、鋭はするどなりとよみて、矛の先き劍の先きの、とがりたることを云なり。劍戟のきつさきのくじけ折たる如く、武勇の鋒なまるとなり。むかし楽毅と云名将、燕の昭王の命を銜み、齊の國へ攻入り、暫時の間に、齊の國の七十餘城を落したりしかども、莒と即墨との二城をおとしかねて、三年まで平け得ず、遂に田單に破られたるも、久しきの失なり。攻城則力屈とは、これも上下の句の勢にて、久しくと云字を言外にこめたり。久く城を攻と見るべし。落かぬる城を、久しく日數を費して攻れは、将も士卒も力くたびれ屈するなり。其間に必さまざまの變出て來て、縦ひ城を攻落したりとも、其益なきことなり。むかし玄宗の時、安禄山が亂起りしに、張巡許遠と云大将、睢陽城にこもりたりしを、敵の大将、尹子奇令狐潮これを攻む。張巡許遠天に誓ひ、命をすてて城を守りしかば、年月を經て漸くに攻落したり。城は落たれども、敵の勢もこれより衰へたること、唐書に見えたり。故に漢の韓信百萬の兵をひきゐて三秦を落し、趙魏を平け、向ふ所敵なく、破竹の勢の如く攻なびけ、其勢に乗じて燕の國を攻んとせしかば、廣武君諫めて、将軍倦み疲れたる兵を擧て、堅城の下に頓しめば、恐くは城を抜くこと能はじと云けるも、此段の意なり。久暴師則國用不足とは、師とは大軍を云、暴すとはもと日にてらるることを云により、人數を敵國へ押出しては、野にふし、山にふし、雨にうたれ、日にてらるると云意にて、暴師と云なり。大軍を遠國へ押出しては、兵粮の運送、金銀の入目夥しく、國家の用度必不足して、君も臣も民も皆貧困に及ぶなり。漢の世に文帝景帝二代倹約を專にして、民を撫養ひ玉ひしかば、國豊かに民富みける。武帝に至て、天下富饒なる力に乗じて、大軍を催し、匈奴と云ける北の夷を攻め、其外朝鮮を平け、南越交趾を退治し、西域を從へらる。武帝もとより英雄の主にして、賢臣名将朝廷にみちみちたれども、數十年の間四方を征伐し玉ふゆゑ、遂には上も下も悉く貧困して、盗賊盛んに起り、已に騒動に及ばんとせしも、孫子が此誡めを犯せるゆへなり。
○孫子評註:『其の戦を用ふるや勝つも。』
戦を用ふるは即ち作戦なり。勝の字は始計篇に接して來る。
○俗人は勝(かち)を以て絶大の事と為す。而して孫子は曰く、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」と。呉子は曰く、「五たび勝つものは禍あり(『呉子』図国篇に出ている。これに続いて「三たび勝つものは覇たり、二たび勝つものは王たり、一たび勝つものは帝たり」とある。)、四たび勝つものは弊(つい)ゆ(民を疲れさせ苦しめることになる。)。此の處亦應(まさ)に是(か)くの如きの觀を作(な)すべし。
『久しければ(長期戦におちいると。)則ち兵を鈍らし鋭を挫き(武器が損傷し補充もできず、軍を疲弊させ志気を衰えくじけさせる。)、城を攻むれば則ち力屈し、久しく(長期間、軍隊を遠国へ派遣していると、兵糧の運送・金銀の支出などがおびただしいので、国の用度が不足してくるという意。)師を暴せば則ち國用足らず。』
三句、句法錯落(さくらく)(入りまじる。)、而して則の字を以て之れを齊(ととの)ふ。
孫子十家註:『其戦に用ふるや、勝つこと久しければ則ち兵を鈍らし、鋭を挫く。城を攻むれば則ち力屈す。』
○曹公:鈍弊なり。屈し盡すなり。
○杜牧:勝つも久しければとは、淹[①水にひたす。漬ける。茶をいれる。②久しくとどまる。とどこおる。③深い。広い。]れるも久しくして後に能く勝つことなり。言うこころは敵と相持し、久しくして後に勝てば、則ち甲兵 鈍弊す、鋭気挫衄す。城を攻むれば則ち人力殫盡し、屈折するなり。
○賈林:戦は人勝つと雖も、久しければ則ち利無し。兵は全き勝を貴ぶ。兵を鈍らし鋭を挫き、士傷つき馬疲るれば則ち屈す。
○梅堯臣:勝と雖も且つ久しければ、則ち必ず兵仗(ひょうじょう、へいじょう)[①兵器。刀や戟の総称。②宮殿の護衛。③つえ(にする)。]鈍らし弊す。而して軍氣 鋭を挫く。城を攻むるも久しければ、則ち力必ず殫屈す。
○王晳:屈窮するなり。勝を求めるも久しくを以てすれば、則ち鈍弊 折挫す。城を攻むれば則ち益(ますます)甚だし。
○張預:兵を交らし合戦に及ぶや、久しくして後に能く勝てば、則ち兵疲れ氣沮[①はばむ。ふせぐ。じゃまをする。②(気が)くじける。がっかりする。]むなり(矣)。千里にして城を攻むれば、力必ず困屈す。
孫子十家註:『久しく師を暴せば、則ち國用足らず。』
○孟氏:久しく師を暴すとは、衆千里の外に露(あら)わすことなり。則ち軍國費用相供に足らず。
○梅堯臣:師久しく外に暴せば、則ち輸用給せず。
○張預:日に千金を費やし、師久しく暴せば、則ち國用豈に能く給するや。漢武帝窮征し深く討つ。久しくして解せず。其の國用空虚に及ぶ。乃ち哀痛の詔を下すが若しは是れなり。
意訳
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○金谷孫子:[従って、]そうした戦いをして長びくということでは、軍を疲弊させて鋭気をくじくことにもなる。[それで]敵の城に攻めかけることになれば戦力も尽きて無くなり、[だからといって]長いあいだ軍隊を露営させておけば国家の経済が窮乏する。
○浅野孫子:こうした規模と形態の軍が戦闘という行動様式を用いるにあたり、対陣中の敵に勝利するまで長期持久戦をすることになれば、軍を疲労させ鋭気を挫く結果になり、また敵の城を攻囲すれば、戦力を消耗しつくしてしまい、また野戦も攻城もせずにいたずらに行軍や露営をくり返して、長期にわたり軍を国外に張りつけておけば、国家経済は窮乏する。
○町田孫子:さて、戦争をはじめたなら、それが長びけば軍を疲弊させ、鋭気をも挫き、城攻めにでもなれば、戦力は尽きはててしまい、だからといって長期にわたる軍の露営は、国家の財政をはなはだしく損(そこな)う。
○天野孫子:十万の大軍が敵と戦って、勝つとしても、それが持久戦であれば、兵力をにぶらせ、盛んな士気をくじけさせる。敵の城を攻めると、戦闘力は尽きてしまう。久しい間大軍を戦場にさらすと、国家の費用は足りなくなる。
○フランシス・ワン孫子:勝利こそが戦争の第一の目的である。戦争が長期化すれば、武器・装備は劣弱となり、軍隊は戦力を失って士気は鈍る。敵の本拠地である城塞都市を攻撃するころには、その力は尽き果てていよう。軍が長期戦にのめりこめば(陥れば)、いかなる国力を以てしても、その必要を充たせるものではない。
○大橋孫子:したがって、戦争では、たとえ勝っても、長くなれば、兵力を弱め、士気を衰えさせるし、城を攻めれば、戦力を消耗する。また長い間軍を戦場におけば、国費は不足する。
○武岡孫子:したがって戦いが長引けば、たとえ敵に勝っても軍は疲れ、士気はくじけ、そこで城攻めともなれば戦力も尽き果てる。だからといって包囲状態で露営させておけば国の経済がもたない。
○著者不明孫子:作戦を行っていくには-戦いには勝っても、長い間戦ったうえで勝つのでは、武器を傷め士気をくじく結果になる。城をせめたりすると、戦力が尽き果てる。また、長らく軍隊を戦場にさらしておくと、国家の財政が賄えなくなる。
○学習研究社孫子:そして、軍隊を戦闘に動かすと、勝っても戦いが長期間になれば、兵卒は疲弊し、士気の鋭さもなくなってしまう。城を攻めた時は、体力・軍備力の消耗がひどい。また、長期間、軍隊を出動させるだけで、国家の経済力は不足してしまう。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!
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『其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、則ち兵を頓らせ鋭を挫く。城を攻むれば、則ち力屈き、久しく師を暴さば、則ち国用足らず。』:本文注釈
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竹簡本では「…用戦勝久則頓…」となっている。これは「其の戦いを用いての勝は、久しくせしめんとす。則ち兵を頓れしめ鋭を挫けしむ。城を攻むらしめて、則ち力を屈せしめ、久しく師を暴さしめて、則ち国用足らざらしむ。」とも読め、「戦を用いて勝つとは、相手を長期にわたり戦争に奔走させることである。そうして、相手の兵力を疲弊させ、盛んな士気をくじけさせるのである。城を攻めらせることで戦闘力を尽きさせ、長いこと敵軍を戦場に曝させれば、敵国の国費を不足の状態とさせることができる。」とも解釈することができる。一般的な解釈である「勝っても長期にわたって戦争が続けば、兵を疲弊させ鋭気を挫かせてしまう。」という意味に捉えても当然有用であることは疑いない。また、もう一つ有力な解釈に、「戦争をおこなうということは、勝つということが至上目的(勝つことを貴ぶということ)である。だらだらと戦争を続けていれば兵力も国力も尽きてしまう。」というような解釈がある。これも有用である。なお、趙本学の説に『其の戦いを用うるや、勝つことを貴ぶ』と、勝の字の上に貴の字を入れた方がよい、というものがあるが、この場合、のちにでてくる「故に、兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず」の文と非常に相性がよくなる。この説も説得力がある。今文の読み方を「其の戦いを用うるは勝たんとす。久しければ則ち…」としてもいいと思う。勝つことが戦の目的なのに、戦争が長びくうちに、戦争を続けることが目的となってしまうような錯覚に陥りやすいため、戦争の目的とはあくまでも勝つことである、とここでことわった、ということも考えられる。ところで『城を攻むれば、則ち力屈く』の文は、なにか唐突に文の真ん中に入っているような気がするが、当時、城を攻めるということがどれだけ消耗戦につながったかということがこの文からわかる。攻城戦を強く戒めるために文中に入れたものであろう。
也-①断定の助字。なり。…である。②提示の助字。や。…は。…ということは。③疑問・詠嘆の語気を表す助字。や。中国では中世以後、「亦」と同じく、…もまた、…もやはり、の意味に用いられるようになり、現代に及んでいる。
久-ひさしい。時間的に長い。長時間そのままになっている。【解字】会意。背の曲がった老人と、これを引き止める意を示す印とから成る。曲がりくねって長い意、長く止まる意などを表す。
則-①きまり。規定。のり。②手本として従う。のっとる。③すなわち。㋐上の条件を受けて下に帰結を示す助字。…ならば(その場合は)。…すると。㋑他と区別して強調する助字。…については。…の場合は。【解字】会意。「鼎」(=かなえ)の省略形+「刀」。かなえにナイフを添える意から、ぴったりよりそってはなれない意。
頓-①ぬかずく。ひたいを地につけておじぎをする。②一ところにとどまる・とどめる。とどこおる。おちつける。③すぐその場で。たちどころに。にわかに。とみに。→字訓「とみ」は字音「トン」の転化。
鋭-①するどい。刃物などの先がとがっている。②勢いが強い。反応がはやい。動きがすばやい。③するどくする。【解字】形声。「金」+音符「兌」(=外がわをはぎとる)。金属の外がわをけずり取ってとがらす。
挫-くじき折る。途中で勢いが衰える。くじける。
屈-①折れまがる。折りまげる。かがむ。かがめる。②やりこめられる。くじける。③ゆきづまる。④つよい。頑丈である。【解字】会意。「尸」(=しり)+「出」。からだをまげてしりをつき出す意。
暴-①力ずくで人をそこなう。あばれる。あらあらしい。②度を過ごす。むやみに。③思いがけなく急に。にわかに。④素手で打つ。⑤あばく。日にさらす。【解字】会意。「日」と両手と動物をさいてひらいた皮革の形とから成る。動物の皮革を両手でささげて日光にさらす意。内の物を外に出す意から転じて、勢いよくふるまう、あばれるの意に用いるようになった。
国用-こく‐よう【国用】 国家の費用。国費。
註
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○金谷孫子:勝久-『太平御覧』巻二百九十三では「久」の字だけで、上下の意味からするとそれがよい。
兵を鈍らせ-鈍は謀攻篇の「兵頓せず」の頓と同じ。竹簡本では「頓」。弊の意。軍の器材が損傷するばかりで補充がつかずに疲弊すること。
屈-竭の意。尽くす。
○浅野孫子:◎頓-疲弊する、疲れ苦しむ、つまずき倒れるの意。 ◎屈-尽と同じで、尽きはてるの意。
○町田孫子:(1)宋本では「久」の上に「勝」の字があるが、『太平御覧』の引用にしたがって除いた。
○天野孫子:○其用戦也勝久則鈍兵挫鋭
「其」は「十万之師」を受ける。「用」はおこなう。「久」はここでは戦争が長期にわたるの意。「兵」は兵力。「鈍兵」は兵力をにぶらせるの意。一説に「鈍」は「頓」の意として、つかれると。魏武帝は「鈍は弊なり」と。張預は「兵疲る」と。また一説に兵器をにぶらせると。趙本学は「其兵鋒を鈍らす」と。「鋭」は鋭気の意。軍争篇に「善く兵を用ふる者は其鋭気を避けて、其惰帰を撃つ」と。なお「鈍兵」「挫鋭」について一説に『発微』は「鈍兵・挫鋭は互文なり」と。また『略解』は「鈍兵は兵器のなまる事を云ひて、士卒の志の怠る事を云ひ、挫鋭も矛戟の切先の折れくぢける事を云ひて士卒の気のたはむ事を云ふ」と。この句について賈林は「戦ひて人に勝つと雖も、久しければ則ち利無し」と。一説に杜牧は「勝久とは淹久(えんきゅう)にして而る後に能く勝つなり。敵と相持し、久しくして而る後に勝たば則ち甲兵鈍弊し、鋭気挫衂(ざぢく)するを言ふ」と。淹久は久しきにわたる。挫衂はくじける。この場合「勝つに久しければ」と読む。また一説に『直解』は「其の之を用ひて以て戦ふや、速にして必ず勝つに在るを貴ぶ。若し相持すに日久しければ、則ち吾の兵鋒を鈍らし吾の鋭気を挫く」と。この場合「其の用ひて戦ふや勝たんとす。久しければ則ち…」と読む。趙本学は「勝の上、疑ふらくは一の貴の字を脱せん」と。
○攻城則力屈
「攻城」は敵を攻める中で最も下策な攻めかた。謀攻篇に「上兵は謀を伐つ。其の次は交を伐つ。其の次は兵を伐つ。其の下は城を攻む」と。『発微』は「城を攻むとは久しく城を攻むるを言ふ」と。「屈」について魏武帝は「尽なり」と。つきる意。「力屈」は戦闘力がつきる。
○久暴師則国用不足
「暴」はさらす。ここでは山野にさらす。「師」は大軍。「用」は費用。
○守屋孫子:たとい戦って勝利を収めたとしても、長期戦ともなれば、軍は疲弊し、士気も衰える。城攻めをかけたところで、戦力は底をつくばかりだ。長期にわたって軍を戦場にとどめておけば、国家の財政も危機におちいる。
○大橋孫子:暴す-戦場におく
○武岡孫子:暴せば-戦場におく
○佐野孫子:【校勘】其用戦也
「竹簡孫子」には「戦」の下に「也」の字がない。この「也」は、「~は、~の時には」の意で、物事を提示しており、あった方が文意はより明確である。「十一家註本」、「武経本」に従って補う。
【語釈】◎久暴師則国用不足
「暴」はさらす。ここでは山野にさらす。「国用」とは、国家の財政・経済をいう(F・ワン仏訳「孫子」)。
○フランシス・ワン孫子:『其用戦也貴勝。久則鈍兵挫鋭、攻城則力屈。』
註 一、「その戦いを用うるや、勝つを貴ぶ」
本項は、本篇の結語である「故に、兵は勝つことを貴ぶも、久しきは貴ばず」(二十一項)と呼応する言であり、以下の孫子の用兵論を貫く骨幹の思想である。「勝つことを貴ぶ」は、仏訳は、「勝利こそが戦争の第一の目的である」と解しているが、ではそれはどのような勝利であるかというに、速やかに勝つことを貴ぶ、即ち戦争は切り上げの早きことを以て肝要とするの意であり、孫子はこれを六項に於て「拙速」なる言を用いて説明している。
一、「久しければ、即ち兵を鈍らし鋭を挫き、城を攻むれば則ち力屈す」
曹操は「鈍らすとは、(国民と軍隊の)弊(つか)るるなり。屈すとは、(国力と兵力の)尽くるなり」と註しているが、その語感には悲痛を覚えざるをえぬものがある。君主にして将帥をも兼ねた曹操の、国家と戦争の経営に於ける苦心のほどが偲ばれてくる所である。当時、曹操に対抗して天下の覇を争うべく、蜀漢帝国の経営に腐心した諸葛孔明も、本項の問題について「後出師の表」で次の如く述べている。「臣が漢中に到りしより、まだ一年に過ぎない。然るに、趙雲以下の軍の骨幹である勇将・猛士を多数失ってしまった。彼らは一州の有する所にあらず。皆、十数年の歳月をかけて四方より糾合せる所であり、天下の精鋭である。もし戦争が長期化し、さらに数年続くとすれば、残りの三分の二も損耗させてしまうこととなろう。その場合は何を以て敵を図ることができようか」と。戦力の不足・国力の未充実にも拘らず、長期戦を回避し、敢えて決戦的攻勢に出る所以を説いて、これまた悲痛である。
一、近代の長期戦である第一次大戦について、ドイツのフォン・デル・ゴルツ元帥がその著『国民皆兵論』で語る所に聞いてみよう。「戦争が長年月に亙るに従って、軍隊が初に発揮した不断の活動は漸次衰退してくる。数次の会戦を経た軍隊は優良なる将兵を失い、戦闘を交うる毎に優良なる分子を減じて、而もその補充に苦しむに至るのである。軍は磁鉄の如く使用するに従って益々その効力を益すというわけには行かぬ。元来、兵士は、何れも皆、或る期間までは戦争の困苦欠乏を甘んじて忍ぶものであるが、数ヶ月・数年に亙って同一の忠誠心・奉公心を以て之に堪えるというわけには行かぬ。初心の勇士が美しい空想を描いている所の会戦や戦闘は、人間の力には堪え難いほどの労苦がある。それがため、将兵の勇気は漸次消沈し、国家の大事に付いての自覚などは起こらなくなる。心身の過度の疲労は、人をして無感覚に陥らせる。また、内地国民の堅実なる態度も、戦争が長期化するに従って、その重荷に苦しむようになってくる」と。以上は、殆ど、第二次大戦に於ける我々の体験を語るものとして用うることができるのではなかろうか。而して、この長期戦に伴う国民の心理的経過は、ベトナム戦争や中近東の戦争、近くはアフガニスタンに於ても見る所であり、優勢を誇る超大国と雖も例外ではないのである。
一、なお、本項は一般には次の如くなっている。「其用戦也、勝久則鈍兵挫鋭、(以下は同文)」と。即ち「其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、…」である。意味を変えるものではないが、仏訳は「其の戦いを用うるや、勝つことを貴ぶ」の方をとっている。結言との関係から言えば、仏訳が適当である。
『久暴師則国用不足。』
註 「国用」とは、国家の財政・経済を言う。
○重沢孫子:実際に武器をとって渡りあう段階になると、何よりも勝つことが一番。長引けば武器は鈍るし、兵士の鋭気は挫折する。敵の拠城を攻めれば、力屈して続かない。長期間部隊を外地にむき出しにしておけば、国の費用は足りなくなる。
○田所孫子:○其用戦也とは、その国が戦争するにはというほどの意。
○勝久則鈍兵挫鋭とは、たとえ勝っても、戦が長引けば、武器の鋭さが鈍り挫け、士気が衰えるとの意。
○攻城則力屈とは、城を攻めても余り長引けば、将兵の力がたるんで来るとの意。
○久暴師則国用不足とは、長い間軍隊を戦場に出しておけば、国家の費用も足りなくなる[との意。]。
○著者不明孫子:【其用戦也】 「用戦」は「用兵」と同じような意味であるが、「用兵」よりも狭く、具体的に戦場で軍隊をどう動かすかという戦闘の問題を指すのであろう。「其」は「用戦」という語そのものを指示し強める。「也」も強めの助字。
【挫鋭】 「鋭」は士卒の鋭気。
【攻城】 城を包囲攻撃する。とかく戦いが長引くし、味方の損害が大きいからいけないというのであろう。次の謀攻篇第三の二でも「城を攻める」ことは「下」だとされている。あるいは本来「久しく城を攻めれば」と「久」の字があったかも知れない。
【力屈】 「力」は人的および物的戦力をいう。「屈」は縮小する、なくなる。
【暴師】 「暴」は音バク。野外にさらす。「暴師」は軍隊を戦場にさらす、つまり、軍隊を戦闘状態に置いておくこと。
○孫子諺義:『其の戦を用ひて勝つや、久しきときは則兵を鈍し鋭を挫き、城を攻むるときは則力屈す。』
其の戦を用ひて勝つやと云ふは、十萬の兵日に千金のつひてあり、かるがゆゑに、其の戦を用ひて敵に勝つの術、野合の對陣、日月をふること久しきときには、兵具そこね、士卒の氣ことごとくつかる。況や城をせむるときは、軍勢力きはまり屈するなり。屈は竭(つ)くす也。兵は兵器をさす。鈍は弓をれ矢そこね、劔戟もにぶく、諸々の兵器やぶるる也。鋭は士卒の氣のするどなるなり。兵士の氣はじめいさみすすむといへども、長陣なるときは、退屈して鋭氣みなひしげかじくる也。挫は折也。力屈すとは、城を攻むるは力を用ふるものなるゆゑに、久しくして城落ちざるときは、兵士力屈する也。以上野合の對陣幷(ならび)に城攻ともに久しきをきらふことをいへるなり。戦は交戦と城攻と兩様に(を)出でざるゆゑ也。舊説に、勝久を一句にいたせるあり。杜牧は之れに從ひ、勝ちて久しければ亦利あらずと也。又勝の字の上に雖の字を入れて、戦の用ふるや勝つと雖も久しきときは則利無しと云ふ心にもみる。賈林・梅堯臣の注是れ也。しかれども其の戦を用ひて勝つやと句をきりて見る可し、也の字、勝の字の下にある心にみてよし。古人の文法此の如きもの多し。又云はく、戦を用ひて勝つやとは、言(いふこころ)は戦を用ふるは速に勝つを貴ぶと也。この注のときは勝たんと也と云ふ心なり。戦はすみやかにかつべきがためなりと云ふ心也。一説に、其用戦也勝、五字上文に連續せしめて一句とす。然る後に十萬之軍擧ぐ矣、其の戦を用ふる也勝つと、是れまで連續す。袁了凡此の説を用ふ。しかれども其の説味なし。李卓吾云はく、前後勝の字相應ず。
『久しく師を暴すときは、則國用足らず。』
以前には、軍前戦のつひえを論ず。是れは國内の財寶用事不足を云へり。師を暴すとは、永々對陣せしめ、士卒外に居り、兵器ことごとく風雨にあたりさらさるるを云ふ。暴は家をはなれて外にあらはれをるを云ふ也。
○孫子国字解:『其の戦を用ること、勝つも久ければ則兵を鈍らし鋭を挫く、城を攻れば則力屈く、久く師を暴せば則國用足らず、』
上の段には、まづ軍の物入の夥(おびただ)しきことを云て、此段には長陣の害を云へり。其用戦也、勝久則鈍兵挫鋭とは、上の段をうけて、箇様に十萬の人數にて、千里の外に働くは費多きことなるが、其人數にて戦をなさば、とかく手間を取らず、日數をくらぬ様にすべきなり。たとひ戦に勝つとも、久しく日數をくり、長陣をすれば、勇氣たゆみ、将も卒も皆惰る氣になりて、思はぬ不覺を取るものなり。兵を鈍らすとは、兵は兵具なり。鈍らすとは、わざのよき切れものの刃こぼれ、鈍刀になるに喩へて、勇氣のぬくることを云なり。鋭を挫くは、鋭はするどなりとよみて、矛の先き劍の先きの、とがりたることを云なり。劍戟のきつさきのくじけ折たる如く、武勇の鋒なまるとなり。むかし楽毅と云名将、燕の昭王の命を銜み、齊の國へ攻入り、暫時の間に、齊の國の七十餘城を落したりしかども、莒と即墨との二城をおとしかねて、三年まで平け得ず、遂に田單に破られたるも、久しきの失なり。攻城則力屈とは、これも上下の句の勢にて、久しくと云字を言外にこめたり。久く城を攻と見るべし。落かぬる城を、久しく日數を費して攻れは、将も士卒も力くたびれ屈するなり。其間に必さまざまの變出て來て、縦ひ城を攻落したりとも、其益なきことなり。むかし玄宗の時、安禄山が亂起りしに、張巡許遠と云大将、睢陽城にこもりたりしを、敵の大将、尹子奇令狐潮これを攻む。張巡許遠天に誓ひ、命をすてて城を守りしかば、年月を經て漸くに攻落したり。城は落たれども、敵の勢もこれより衰へたること、唐書に見えたり。故に漢の韓信百萬の兵をひきゐて三秦を落し、趙魏を平け、向ふ所敵なく、破竹の勢の如く攻なびけ、其勢に乗じて燕の國を攻んとせしかば、廣武君諫めて、将軍倦み疲れたる兵を擧て、堅城の下に頓しめば、恐くは城を抜くこと能はじと云けるも、此段の意なり。久暴師則國用不足とは、師とは大軍を云、暴すとはもと日にてらるることを云により、人數を敵國へ押出しては、野にふし、山にふし、雨にうたれ、日にてらるると云意にて、暴師と云なり。大軍を遠國へ押出しては、兵粮の運送、金銀の入目夥しく、國家の用度必不足して、君も臣も民も皆貧困に及ぶなり。漢の世に文帝景帝二代倹約を專にして、民を撫養ひ玉ひしかば、國豊かに民富みける。武帝に至て、天下富饒なる力に乗じて、大軍を催し、匈奴と云ける北の夷を攻め、其外朝鮮を平け、南越交趾を退治し、西域を從へらる。武帝もとより英雄の主にして、賢臣名将朝廷にみちみちたれども、數十年の間四方を征伐し玉ふゆゑ、遂には上も下も悉く貧困して、盗賊盛んに起り、已に騒動に及ばんとせしも、孫子が此誡めを犯せるゆへなり。
○孫子評註:『其の戦を用ふるや勝つも。』
戦を用ふるは即ち作戦なり。勝の字は始計篇に接して來る。
○俗人は勝(かち)を以て絶大の事と為す。而して孫子は曰く、「百戦百勝は善の善なるものに非ず」と。呉子は曰く、「五たび勝つものは禍あり(『呉子』図国篇に出ている。これに続いて「三たび勝つものは覇たり、二たび勝つものは王たり、一たび勝つものは帝たり」とある。)、四たび勝つものは弊(つい)ゆ(民を疲れさせ苦しめることになる。)。此の處亦應(まさ)に是(か)くの如きの觀を作(な)すべし。
『久しければ(長期戦におちいると。)則ち兵を鈍らし鋭を挫き(武器が損傷し補充もできず、軍を疲弊させ志気を衰えくじけさせる。)、城を攻むれば則ち力屈し、久しく(長期間、軍隊を遠国へ派遣していると、兵糧の運送・金銀の支出などがおびただしいので、国の用度が不足してくるという意。)師を暴せば則ち國用足らず。』
三句、句法錯落(さくらく)(入りまじる。)、而して則の字を以て之れを齊(ととの)ふ。
孫子十家註:『其戦に用ふるや、勝つこと久しければ則ち兵を鈍らし、鋭を挫く。城を攻むれば則ち力屈す。』
○曹公:鈍弊なり。屈し盡すなり。
○杜牧:勝つも久しければとは、淹[①水にひたす。漬ける。茶をいれる。②久しくとどまる。とどこおる。③深い。広い。]れるも久しくして後に能く勝つことなり。言うこころは敵と相持し、久しくして後に勝てば、則ち甲兵 鈍弊す、鋭気挫衄す。城を攻むれば則ち人力殫盡し、屈折するなり。
○賈林:戦は人勝つと雖も、久しければ則ち利無し。兵は全き勝を貴ぶ。兵を鈍らし鋭を挫き、士傷つき馬疲るれば則ち屈す。
○梅堯臣:勝と雖も且つ久しければ、則ち必ず兵仗(ひょうじょう、へいじょう)[①兵器。刀や戟の総称。②宮殿の護衛。③つえ(にする)。]鈍らし弊す。而して軍氣 鋭を挫く。城を攻むるも久しければ、則ち力必ず殫屈す。
○王晳:屈窮するなり。勝を求めるも久しくを以てすれば、則ち鈍弊 折挫す。城を攻むれば則ち益(ますます)甚だし。
○張預:兵を交らし合戦に及ぶや、久しくして後に能く勝てば、則ち兵疲れ氣沮[①はばむ。ふせぐ。じゃまをする。②(気が)くじける。がっかりする。]むなり(矣)。千里にして城を攻むれば、力必ず困屈す。
孫子十家註:『久しく師を暴せば、則ち國用足らず。』
○孟氏:久しく師を暴すとは、衆千里の外に露(あら)わすことなり。則ち軍國費用相供に足らず。
○梅堯臣:師久しく外に暴せば、則ち輸用給せず。
○張預:日に千金を費やし、師久しく暴せば、則ち國用豈に能く給するや。漢武帝窮征し深く討つ。久しくして解せず。其の國用空虚に及ぶ。乃ち哀痛の詔を下すが若しは是れなり。
意訳
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○金谷孫子:[従って、]そうした戦いをして長びくということでは、軍を疲弊させて鋭気をくじくことにもなる。[それで]敵の城に攻めかけることになれば戦力も尽きて無くなり、[だからといって]長いあいだ軍隊を露営させておけば国家の経済が窮乏する。
○浅野孫子:こうした規模と形態の軍が戦闘という行動様式を用いるにあたり、対陣中の敵に勝利するまで長期持久戦をすることになれば、軍を疲労させ鋭気を挫く結果になり、また敵の城を攻囲すれば、戦力を消耗しつくしてしまい、また野戦も攻城もせずにいたずらに行軍や露営をくり返して、長期にわたり軍を国外に張りつけておけば、国家経済は窮乏する。
○町田孫子:さて、戦争をはじめたなら、それが長びけば軍を疲弊させ、鋭気をも挫き、城攻めにでもなれば、戦力は尽きはててしまい、だからといって長期にわたる軍の露営は、国家の財政をはなはだしく損(そこな)う。
○天野孫子:十万の大軍が敵と戦って、勝つとしても、それが持久戦であれば、兵力をにぶらせ、盛んな士気をくじけさせる。敵の城を攻めると、戦闘力は尽きてしまう。久しい間大軍を戦場にさらすと、国家の費用は足りなくなる。
○フランシス・ワン孫子:勝利こそが戦争の第一の目的である。戦争が長期化すれば、武器・装備は劣弱となり、軍隊は戦力を失って士気は鈍る。敵の本拠地である城塞都市を攻撃するころには、その力は尽き果てていよう。軍が長期戦にのめりこめば(陥れば)、いかなる国力を以てしても、その必要を充たせるものではない。
○大橋孫子:したがって、戦争では、たとえ勝っても、長くなれば、兵力を弱め、士気を衰えさせるし、城を攻めれば、戦力を消耗する。また長い間軍を戦場におけば、国費は不足する。
○武岡孫子:したがって戦いが長引けば、たとえ敵に勝っても軍は疲れ、士気はくじけ、そこで城攻めともなれば戦力も尽き果てる。だからといって包囲状態で露営させておけば国の経済がもたない。
○著者不明孫子:作戦を行っていくには-戦いには勝っても、長い間戦ったうえで勝つのでは、武器を傷め士気をくじく結果になる。城をせめたりすると、戦力が尽き果てる。また、長らく軍隊を戦場にさらしておくと、国家の財政が賄えなくなる。
○学習研究社孫子:そして、軍隊を戦闘に動かすと、勝っても戦いが長期間になれば、兵卒は疲弊し、士気の鋭さもなくなってしまう。城を攻めた時は、体力・軍備力の消耗がひどい。また、長期間、軍隊を出動させるだけで、国家の経済力は不足してしまう。
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2012-09-18 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
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『則ち内外の費・賓客の用・膠漆の材・車甲の奉、日に千金を費して、然る後に十万の師挙がる。』:本文注釈
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竹簡孫子では「内外」は「外内」となっている。
内外-ない‐がい【内外】‥グワイ ①うちとそと。内部と外部。特に、国内と国外。②(数量を表す語に付けて)それに近い値。前後。
費-①金品や労力を使いへらす。ついやす。②物品を買ったり仕事をしたりするために使う金銭。ついえ。【解字】形声。「貝」(=財貨)+音符「弗」(=分散させる)。散財する意。
賓客-ひん‐かく【賓客】丁重に扱わなければならない客。ひんきゃく。
用-①つかう。役立てる。もちいる。②はたらき(がある)。③する必要のある仕事。必要な金品。④もって(=以)。【解字】長方形の板に「卜」(=棒)を加え、板に棒で穴をあける意を示す会意文字。力や道具の働きの意。
膠漆-こう‐しつ【膠漆】カウ‥①にかわとうるし。②転じて、きわめて親密で離れにくいこと。
材-①山林から切り出した木。建築・工作の原料となる木(その他の物質)。②ある目的に用いる、もととなるもの。資料。③用いて役に立つ能力。うでまえ。才能がある人。【解字】形声。「木」+音符「才」(=たち切る)。たち切った木の意。
甲-①かに・かめなどの外面をおおう、から。②堅い外被。よろい。「冑」と取りちがえて、「かぶと」とよむことがある。③手・足の上の方の面。④十干の第一。きのえ。転じて、順序・成績の第一番目。第一位。二つ以上のものの一つを指していう語。⑤昔、中国で、隣保組織の単位。⑥カン音声の高い調子。⑦「甲斐国」の略。【解字】種子の外皮、または、からをかぶった草木の芽を表す象形文字。
日-①太陽。ひ。②太陽の出ている間。ひる。③昼夜二十四時間の一くぎり。ひ。④ひび。ひごとに。⑤七曜の一つ。「日曜日」の略。⑥「日本」の略。⑦「日向ひゅうが国」の略。【解字】太陽の形を描いた象形文字。
千金-せん‐きん【千金】①千枚の判金。千両。②多額の金銭。また、極めて高い価値。
師-①先生。人を教えみちびく人。人の手本となる人。②一芸にすぐれた人。技術の専門家。高僧や講談師・浪曲師などの姓名に添えて敬称にも用いる。③軍隊。周代の軍制では二千五百人を一師とする。④多くの人のあつまる所。みやこ。【解字】会意。集団+「帀」(=あまねし)。あまねく多くの人々を集めた集団の意。転じて、その長・指導者の意。
挙-①高く持ちあげる。上にあげる。②目立つように事をおこす。くわだて。③体を動かす。ふるまい。④人をとりたてる。登用する。⑤召し上げる。⑥とりあげて示す。ならべたてる。⑦こぞる。すべて。のこらず。あげて。【解字】形声。「手」+音符「與」(=ともに持ち上げる)。手で高く持ちあげる意。
註
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○金谷孫子:則-武経本・平津本・桜田本ではこの字が無い。
○浅野孫子:●外内-民衆と政府。ここと似た表現は用間篇の冒頭にも見え、作戦篇の「外内の費(ついえ)」は、用間篇の「百姓の費、公家の奉(まかない)」に相応する。民衆には、臨時の軍事税、牛馬の供出、物資運搬の労役などの経済的負担がかかり、また政府には、遠征軍に持参させる外交・工作費、動員した兵士を待機させる間の宿営費、留守家族への慰問費用、牛馬の飼料代、荷車の借り上げ料などの負担がのしかかる。
●膠漆-膠(にかわ)は皮革を張り合わせる接着剤として、漆は皮革の表面を塗り固め、強度を増す補強剤として用いる。
●奉-俸と同じで、供給の経費、賄い費を指す。
●千金-黄金千斤(約二百五十キログラム)。
○天野孫子:○則内外之費 『武経』には「則」の字がない。「内外之費」とは国内・国外においてついやす費用。「内外」について王晳は「内とは国中を謂ひ、外とは軍所を謂ふ」と。
○賓客之用 「賓」は客と同じ。この句は客を接待する費用、すなわち外交上についやす費用。
○膠漆之材 「膠」はにかわ。物を接着するに用いる。「漆」はうるし。塗料として用いる。共に兵器の製造・修理に必要なもの。「材」は材料。
○車甲之奉 「車」は戦車と輜重車。「甲」は甲(よろい)と冑(かぶと)。「奉」はまかなうこと、供給。一説にこの句を車・甲にそなえるものと解して、張預は「車甲とは膏・轄・金・革の類なり」と。膏はあぶら。轄はくさび。以上の二句について王晳は「膠漆・車甲は細と大とを挙ぐ」と。
○日費千金 「金」について、秦代黄金の一鎰(いつ)をもって一金としている。一金は二十両(一説に二十四両)、一両は二十四銖(しゅ)。一両は今の十六グラム。この句は一日に極めて多くの金額を費すことを言う。
○然後十万之師挙矣 「然後」について『評註』は「極めて重きの意を見(あら)はす」と。『纂注』は「然る後とは、師の挙げ易からざるを言ひて、宜しく速かにすべき意、言外に在るなり」と。「師」は軍隊の意。「十万之師」は大軍。「挙」はあげて用いるの意。『国字解』は「挙るとは、地にあるものをあげ動かす意なり」と。
○守屋孫子:したがって、内外の経費、外交使節の接待、軍需物資の調達、車輛・兵器の補充などに、一日千金もの費用がかかる。さもないと、とうてい十万もの大軍を動かすことができない。 ※膠漆の材 ニカワとウルシ。ともに装備の補強に使う。
○大橋孫子:膠漆-武具製造補修用のにかわとうるし 車甲の奉-戦車と武装兵を養う費用 師挙がる-軍隊を動かせる
○武岡孫子:膠漆-武具製造用、補修用のにかわとうるし 車甲の奉-戦車と甲冑に要する資材費 師挙がる-軍隊を動かせる
○佐野孫子:【校勘】内外-「竹簡孫子」には「外内」とある。言葉としては「内外」の方が通りがよく、意味を変えるものではないので、「竹簡孫子」には従わない。
【語釈】◎賓客之用 「賓」は客人。「用」はついえ、ものいり。従って「賓客之用」とは、客を接待する費用の意であるが、ここでは関係諸国(同盟国・友好国・中立国・敵対国)との外交上についやす費用、と解する。
◎膠漆之材 「膠」はにかわで物を接着するのに用いる。「漆」はうるしで塗料として用いる。共に、弓矢・甲(よろい)の製造、修理に必要なものであるが、ここでは一般に武器・装備を製造、修理するために要する材料を指す、と解する。
◎車甲之奉 「車」は前記の戦車(軽車)・輜重車(重車)。甲はよろい。「奉」はまかなうこと。
◎日費千金 「一金」は一鎰(いつ)のことで、一鎰は二十両(二十四両・三十両などの説もある)。一両(周代の一両は、約十六グラム)は二十四銖(しゅ)。「千金」は千鎰となるが、ここでは金額がきわめて多いことを指す、と解する。
○フランシス・ワン孫子:註 曹操は、その外に、将兵の功労に報いるための費用があると註している。
○田所孫子:○内外之費とは、国内国外で費う軍の費用。 ○賓客之用とは、戦争関係の外国使節に使う費用。
○膠漆之材とは、武器・戦車等の装備に使用する膠や漆の資材。
○車甲之奉とは、戦車に乗った将士に対する戦時特別手当のごときもの。
○日費千金とは、一日に軍用金が千金かかるとの意。
○然後十万之師挙矣とは、そこで始めて十万の軍隊が動かせるとの意。
○重沢孫子:本国から糧食を供給するとすれば、国内国外の費用は、外交関係の使者の接待費、器物補修用の膠・漆などの資材、車・甲の補給費などを合せると、一日単位で千金となる。これだけの出費をしてこそ、はじめて十万の部隊が動かせるのである。
○著者不明孫子:【内外之費】「内外」は、王宮の内と外、都城の内と外、国内と国外、国内と戦場等々いろいろに解釈できるが、それらを厳密に意識して区別した言いかたではあるまい。「内外の費」は一般の行政上の経費をいうのであろうが、戦争になれば、そのための人件費・食糧費・輸送費などが急激に増加する。
【賓客之用】外国からの使臣(つまり賓)に対する接待費。一種の外交費。これも戦争が始まれば、それに伴って外国との関係が重要になるから、この経費も飛躍的に増大する。
【膠漆之材】「膠」はにかわ、「漆」はうるし。「膠漆」は兵器・器材の類の製作・補修に必要な資材。「材」は材料。
【車甲之奉】兵車や甲冑のための経費。「奉」は供給・支出の意。
【日費千金】毎日大金を費やす。黄金一鎰(二十両)、または一斤(十六両)を一金といった。正確なことは分からないが、だいたい二五〇~三〇〇グラムぐらい。「千金」はその十倍であるが、この前後、千とか十万とかいうのは、もちろん実数を挙げているのではない。
【然後】「…してはじめて」という意味の接続詞。
【十萬之師擧】「師」は軍隊。「挙」は軍隊を出動させること。
○孫子諺義:『千里糧を饋(おく)るときは、内外之費、賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日びに千金を費す、然して後に十萬之師擧ぐ矣、』 千里は本朝の百五六十里也。これ軍を遠くはたらかしむる大數をいへる也。糧を饋るとは、兵粮を先々へおくり軍旅の用事を我が國よりつぐのうことを云ふ。必ず糧食にかぎらず、諸事について我が國よりこれをはこびおくる、皆是れ糧を饋る也。内外之費とは、内は國中をさす、外は軍場をさす。云ふ心は、十萬の軍を出すときは、國中軍場のつひえ諸色多き也。賓客之用とは、彼我の間、使者間人の往來、他方よりのつけ届け、諸牢人其の旗下をかりて之れ有るの輩などの用也。膠漆は兵具に用ふる所のうるしにかは也。膠漆を材と云ふ也。材はうつはものと云ふ心也。車甲之奉は車甲冑のつぐのひのこと也。奉は物也、車甲をさす也。日に千金を費すは、一日のつひえ千金にみつ、此の如くあらざれば十萬の軍を用ふることあたはざる也。千金は秦は一鎰を以て一金と為す、漢は一斤を以て一金と為す、何休(後漢の學者、春秋公羊解詁その他著書多し)公羊の注に萬錢を一金と云ふ。いづれにてもつひえの大也。以上用兵の大なる費によつて、将たらんもの兵を用ふるを愼む可きことをいへる也。凡そ十萬の兵にて、千里の遠きにはたらく、是れ軍旅を用ふる大數也。二十萬卅萬五十萬の兵を用ふること多しといへどもまれなること也。十萬の軍をおこすことは、諸侯つねに之れ有るゆゑに、十萬と云へり。千里は必ず千里にかぎらざれども、其の大數をあげたる也。兵書又は經書にも遠きことには千里と云へり。ことに一國は方千里なり。しかれば千里をこゆると云ふは、敵の國中へふかく働き入るをさせるなり。用間篇に、凡そ興師十萬、出征千里と。尉繚子に云はく、十萬之師出づれば、日に千金を費すと。三略に云はく、千里糧を饋ると。大全に云はく、國家最も財を費す事、兵に逾(こ)ゆる莫し。一日難に勝たざれば、已に一日之費あり。個の日に費すの二字を説く所以は、全く是れ兵を用ふる警醒[けい‐せい【警醒】①人のねむりをさますこと。②警告を与えて人の迷いをさますこと。]を要する的の意思なり。以上第一段也。
○孫子評註:『内外の費(ついえ)、』 此の句、下の三句を領す。内は國中を謂ひ、外は軍所を謂ふ。下段の軍費、多くは内外を分ちて言ふ。此の句又以て之れを領するに足る。
『賓客の用(客人の費用。)、膠漆の材(弓などの兵具に用いる膠(にかわ)や漆(うるし)の材料。)、車甲の奉(軍事や甲冑(かっちゅう)の供給。)、日に千金を費して、然る後十萬の師擧ぐ(十万人の軍隊を動かすことができる。) 。』然る後の二字、極めて重き意を見(あらわ)す。
○曹公:贈賞猶お外に在るを謂う。
○李筌:夫れ軍外に出れば、則ち帑藏[金品をしまっておく所。かねぐら。]内に竭く。千金を擧ぐとは多費を言う也。千里の外に糧に贏[①ありあまるほど、もうける。もうけ。あまり。②かけや競争で勝つ。まさる。]れば、則ち二十人一人を奉[①たてまつる。うやうやしくさしあげる。つつしんでする。②主君などの命令をうけたまわる。大事におしいただく。③身をささげて目上に仕える。]ずるなり。
○杜牧:軍は諸侯交聘の禮有り。故に賓客を曰うなり。車甲器械、完緝修繕す。膠漆を言う者は、其の細微を擧ぐ。千金とは費用多きを言うなり。猶お贈賞は外に在るなり。
○賈林:計費足らざれば、未だ以て師を興し衆を動かす可からず。故に李大尉曰く、三軍の門、必ず賓有りて居して論議す。
○梅堯臣:師を擧げるに十萬、糧を饋るに千里、日の費此の如し。師久しく之を戒めるなり。
○王晳:○王晳:内は國中を謂う。外は軍所を謂うなり。賓客は諸侯の使いの若し。及び軍中吏士を宴饗するなり。膠漆車甲、細と大とを擧げるなり。
○何氏:師を老し財を費す。智者之れを慮る。
○張預:國を去るに千里とは、即ち當に糧に因るべし。若し供餉[ぐ‐しょう【供餉】‥シヤウ 供物(くもつ)。]を須(もち)うれば、則ち内外騒動し、路に疲困し、蠧(と)[①樹木のしんを食う虫。きくいむし。②虫が食う。むしばむ。物事をそこないやぶる。]耗し極まり無きなり。賓客とは使命を遊士に與えることなり。膠漆とは飾器械を修めるの物なり。車甲とは膏[①肉のあぶら。脂肪。②あぶらぐすり。③つや。うるおい。④地味が豊か。⑤体内の、心臓の下の部位。]・轄[くさび【楔・轄】①堅い材木または金属で、一端を厚く他端に至るに従って薄く作った刃形のもの。物を割ったり、押し上げたり、また、物と物とが離れないように、両方にまたがらせて打ち込んだり、ほぞあなに挿し込んだりする。責木(せめぎ)。②物と物とをつなぎ合わせるもの。また、二つの物に挟まれるもの。③車の心棒の端にさして車輪のぬけるのを防ぐもの。④華道で、枝を切り撓(たわ)めて形の戻らないように張るもの、またその技法。]・金[①かね。かなもの。銅・鉄などの鉱物。②こがね。ゴールド。金属元素の一つ。金位を示す語としても用いる。③(のように)固い。(のように)美しい。ねうちがある。④おかね。通貨。昔、中国で貨幣の単位。漢代では黄金一斤をいう。⑤五行の一つ。色では白、方位では西、四季では秋に当てる。七曜の一つ。⑥将棋の駒こま「金将」の略。⑦中国の王朝名。女真族が建てた国。【解字】形声。「土」+「ハ」(=二つの点。砂金など地中の金属)+音符「今」(=ふくむ)。土中に含まれる鉱物の意。中国殷・周時代には主として青銅を、春秋時代以後は黄金をさす。]・革[①毛を除いて陰干しにした獣皮。なめしがわ。②獣皮で作った武具や楽器。③古いものを新しく変える。あらためる。あらたまる。【解字】象形。動物の全身の皮をはぎ、さらしてぴんと広げた形。たるんだものをぴんと張る意から、あらためる意に用いる。]の類なり。其の費やす所を約し、日に千金を用いて、然る後十萬の師興る。千金とは重ねて費やすを言うなり。贈賞は猶お外に在り。
意訳
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○金谷孫子:内外の経費、外交上の費用、にかわやうるしなどの[武具の]材料、戦車や甲冑の供給などで、一日に千金をも費してはじめて十万の軍隊を動かせるものである。
○浅野孫子:民衆と政府との出費、外国使節の接待費、膠や漆など装備の工作材料の購入、戦車や甲冑の供給などの諸経費は、日ごとに千金もの莫大な金額を投じつづけ、そうした念入りな準備ののちにようやく十万の軍が動けるようになる。
○町田孫子:内外の経費、賓客への進物の費用、膠や漆のはてから、戦車・甲冑の供給など、一日に千金を費やして、はじめて十万の軍を動かせるのである。
○天野孫子:国の内外での費用、外交使節などに要する費用、小はにかわ・うるしなどの材料から、大は戦車・輜重車・甲冑などの供給で、一日に千金の大金を要することとなる。こうして初めて十万の大軍を動かすことができる。
○大橋孫子:国の内外での軍費、外交使節などの費用、武具製造補修用の膠や漆の購入費、武装兵や輓馬を養う費用などのために、一日に千金を必要とする。十万の軍を動かすにはこれだけの出費を覚悟しなくてはならないのである。
○武岡孫子:内外の諸経費、外交関係費、武器及びその製造補修用のにかわとうるしの購入費、戦車や甲冑の調達費などの支払いのため、一日に千金という大金が必要である。したがって戦争を決意するときは、これだけの軍事費を最初から用意してかからねばならない。
○フランシス・ワン孫子:また、国内と戦地に要する費用、外交・工作のための出費、兵器・器材等の製作・補修に必要な膠や漆のための費用、戦車や甲冑に要する資材費は、一日に千金に上るであろう。この戦費の調達ができて、初めて十万の兵の徴募・出動は可能となるのである。
○著者不明孫子:他国からの使節の接待費など朝廷内外の経費、兵車・武器およびその材料などを賄うのに、日々千金の巨額を費やして、はじめて十万の軍隊が動員できる。
○学習研究社孫子:内部・外部での費用、外交接待の費用、補修用の膠や漆の材物、車やよろいの必要経費等をあわせると、一日に千金を消費すると見積もってはじめて、この十万の軍隊を挙兵させることができる。
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『則ち内外の費・賓客の用・膠漆の材・車甲の奉、日に千金を費して、然る後に十万の師挙がる。』:本文注釈
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竹簡孫子では「内外」は「外内」となっている。
内外-ない‐がい【内外】‥グワイ ①うちとそと。内部と外部。特に、国内と国外。②(数量を表す語に付けて)それに近い値。前後。
費-①金品や労力を使いへらす。ついやす。②物品を買ったり仕事をしたりするために使う金銭。ついえ。【解字】形声。「貝」(=財貨)+音符「弗」(=分散させる)。散財する意。
賓客-ひん‐かく【賓客】丁重に扱わなければならない客。ひんきゃく。
用-①つかう。役立てる。もちいる。②はたらき(がある)。③する必要のある仕事。必要な金品。④もって(=以)。【解字】長方形の板に「卜」(=棒)を加え、板に棒で穴をあける意を示す会意文字。力や道具の働きの意。
膠漆-こう‐しつ【膠漆】カウ‥①にかわとうるし。②転じて、きわめて親密で離れにくいこと。
材-①山林から切り出した木。建築・工作の原料となる木(その他の物質)。②ある目的に用いる、もととなるもの。資料。③用いて役に立つ能力。うでまえ。才能がある人。【解字】形声。「木」+音符「才」(=たち切る)。たち切った木の意。
甲-①かに・かめなどの外面をおおう、から。②堅い外被。よろい。「冑」と取りちがえて、「かぶと」とよむことがある。③手・足の上の方の面。④十干の第一。きのえ。転じて、順序・成績の第一番目。第一位。二つ以上のものの一つを指していう語。⑤昔、中国で、隣保組織の単位。⑥カン音声の高い調子。⑦「甲斐国」の略。【解字】種子の外皮、または、からをかぶった草木の芽を表す象形文字。
日-①太陽。ひ。②太陽の出ている間。ひる。③昼夜二十四時間の一くぎり。ひ。④ひび。ひごとに。⑤七曜の一つ。「日曜日」の略。⑥「日本」の略。⑦「日向ひゅうが国」の略。【解字】太陽の形を描いた象形文字。
千金-せん‐きん【千金】①千枚の判金。千両。②多額の金銭。また、極めて高い価値。
師-①先生。人を教えみちびく人。人の手本となる人。②一芸にすぐれた人。技術の専門家。高僧や講談師・浪曲師などの姓名に添えて敬称にも用いる。③軍隊。周代の軍制では二千五百人を一師とする。④多くの人のあつまる所。みやこ。【解字】会意。集団+「帀」(=あまねし)。あまねく多くの人々を集めた集団の意。転じて、その長・指導者の意。
挙-①高く持ちあげる。上にあげる。②目立つように事をおこす。くわだて。③体を動かす。ふるまい。④人をとりたてる。登用する。⑤召し上げる。⑥とりあげて示す。ならべたてる。⑦こぞる。すべて。のこらず。あげて。【解字】形声。「手」+音符「與」(=ともに持ち上げる)。手で高く持ちあげる意。
註
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○金谷孫子:則-武経本・平津本・桜田本ではこの字が無い。
○浅野孫子:●外内-民衆と政府。ここと似た表現は用間篇の冒頭にも見え、作戦篇の「外内の費(ついえ)」は、用間篇の「百姓の費、公家の奉(まかない)」に相応する。民衆には、臨時の軍事税、牛馬の供出、物資運搬の労役などの経済的負担がかかり、また政府には、遠征軍に持参させる外交・工作費、動員した兵士を待機させる間の宿営費、留守家族への慰問費用、牛馬の飼料代、荷車の借り上げ料などの負担がのしかかる。
●膠漆-膠(にかわ)は皮革を張り合わせる接着剤として、漆は皮革の表面を塗り固め、強度を増す補強剤として用いる。
●奉-俸と同じで、供給の経費、賄い費を指す。
●千金-黄金千斤(約二百五十キログラム)。
○天野孫子:○則内外之費 『武経』には「則」の字がない。「内外之費」とは国内・国外においてついやす費用。「内外」について王晳は「内とは国中を謂ひ、外とは軍所を謂ふ」と。
○賓客之用 「賓」は客と同じ。この句は客を接待する費用、すなわち外交上についやす費用。
○膠漆之材 「膠」はにかわ。物を接着するに用いる。「漆」はうるし。塗料として用いる。共に兵器の製造・修理に必要なもの。「材」は材料。
○車甲之奉 「車」は戦車と輜重車。「甲」は甲(よろい)と冑(かぶと)。「奉」はまかなうこと、供給。一説にこの句を車・甲にそなえるものと解して、張預は「車甲とは膏・轄・金・革の類なり」と。膏はあぶら。轄はくさび。以上の二句について王晳は「膠漆・車甲は細と大とを挙ぐ」と。
○日費千金 「金」について、秦代黄金の一鎰(いつ)をもって一金としている。一金は二十両(一説に二十四両)、一両は二十四銖(しゅ)。一両は今の十六グラム。この句は一日に極めて多くの金額を費すことを言う。
○然後十万之師挙矣 「然後」について『評註』は「極めて重きの意を見(あら)はす」と。『纂注』は「然る後とは、師の挙げ易からざるを言ひて、宜しく速かにすべき意、言外に在るなり」と。「師」は軍隊の意。「十万之師」は大軍。「挙」はあげて用いるの意。『国字解』は「挙るとは、地にあるものをあげ動かす意なり」と。
○守屋孫子:したがって、内外の経費、外交使節の接待、軍需物資の調達、車輛・兵器の補充などに、一日千金もの費用がかかる。さもないと、とうてい十万もの大軍を動かすことができない。 ※膠漆の材 ニカワとウルシ。ともに装備の補強に使う。
○大橋孫子:膠漆-武具製造補修用のにかわとうるし 車甲の奉-戦車と武装兵を養う費用 師挙がる-軍隊を動かせる
○武岡孫子:膠漆-武具製造用、補修用のにかわとうるし 車甲の奉-戦車と甲冑に要する資材費 師挙がる-軍隊を動かせる
○佐野孫子:【校勘】内外-「竹簡孫子」には「外内」とある。言葉としては「内外」の方が通りがよく、意味を変えるものではないので、「竹簡孫子」には従わない。
【語釈】◎賓客之用 「賓」は客人。「用」はついえ、ものいり。従って「賓客之用」とは、客を接待する費用の意であるが、ここでは関係諸国(同盟国・友好国・中立国・敵対国)との外交上についやす費用、と解する。
◎膠漆之材 「膠」はにかわで物を接着するのに用いる。「漆」はうるしで塗料として用いる。共に、弓矢・甲(よろい)の製造、修理に必要なものであるが、ここでは一般に武器・装備を製造、修理するために要する材料を指す、と解する。
◎車甲之奉 「車」は前記の戦車(軽車)・輜重車(重車)。甲はよろい。「奉」はまかなうこと。
◎日費千金 「一金」は一鎰(いつ)のことで、一鎰は二十両(二十四両・三十両などの説もある)。一両(周代の一両は、約十六グラム)は二十四銖(しゅ)。「千金」は千鎰となるが、ここでは金額がきわめて多いことを指す、と解する。
○フランシス・ワン孫子:註 曹操は、その外に、将兵の功労に報いるための費用があると註している。
○田所孫子:○内外之費とは、国内国外で費う軍の費用。 ○賓客之用とは、戦争関係の外国使節に使う費用。
○膠漆之材とは、武器・戦車等の装備に使用する膠や漆の資材。
○車甲之奉とは、戦車に乗った将士に対する戦時特別手当のごときもの。
○日費千金とは、一日に軍用金が千金かかるとの意。
○然後十万之師挙矣とは、そこで始めて十万の軍隊が動かせるとの意。
○重沢孫子:本国から糧食を供給するとすれば、国内国外の費用は、外交関係の使者の接待費、器物補修用の膠・漆などの資材、車・甲の補給費などを合せると、一日単位で千金となる。これだけの出費をしてこそ、はじめて十万の部隊が動かせるのである。
○著者不明孫子:【内外之費】「内外」は、王宮の内と外、都城の内と外、国内と国外、国内と戦場等々いろいろに解釈できるが、それらを厳密に意識して区別した言いかたではあるまい。「内外の費」は一般の行政上の経費をいうのであろうが、戦争になれば、そのための人件費・食糧費・輸送費などが急激に増加する。
【賓客之用】外国からの使臣(つまり賓)に対する接待費。一種の外交費。これも戦争が始まれば、それに伴って外国との関係が重要になるから、この経費も飛躍的に増大する。
【膠漆之材】「膠」はにかわ、「漆」はうるし。「膠漆」は兵器・器材の類の製作・補修に必要な資材。「材」は材料。
【車甲之奉】兵車や甲冑のための経費。「奉」は供給・支出の意。
【日費千金】毎日大金を費やす。黄金一鎰(二十両)、または一斤(十六両)を一金といった。正確なことは分からないが、だいたい二五〇~三〇〇グラムぐらい。「千金」はその十倍であるが、この前後、千とか十万とかいうのは、もちろん実数を挙げているのではない。
【然後】「…してはじめて」という意味の接続詞。
【十萬之師擧】「師」は軍隊。「挙」は軍隊を出動させること。
○孫子諺義:『千里糧を饋(おく)るときは、内外之費、賓客之用、膠漆之材、車甲之奉、日びに千金を費す、然して後に十萬之師擧ぐ矣、』 千里は本朝の百五六十里也。これ軍を遠くはたらかしむる大數をいへる也。糧を饋るとは、兵粮を先々へおくり軍旅の用事を我が國よりつぐのうことを云ふ。必ず糧食にかぎらず、諸事について我が國よりこれをはこびおくる、皆是れ糧を饋る也。内外之費とは、内は國中をさす、外は軍場をさす。云ふ心は、十萬の軍を出すときは、國中軍場のつひえ諸色多き也。賓客之用とは、彼我の間、使者間人の往來、他方よりのつけ届け、諸牢人其の旗下をかりて之れ有るの輩などの用也。膠漆は兵具に用ふる所のうるしにかは也。膠漆を材と云ふ也。材はうつはものと云ふ心也。車甲之奉は車甲冑のつぐのひのこと也。奉は物也、車甲をさす也。日に千金を費すは、一日のつひえ千金にみつ、此の如くあらざれば十萬の軍を用ふることあたはざる也。千金は秦は一鎰を以て一金と為す、漢は一斤を以て一金と為す、何休(後漢の學者、春秋公羊解詁その他著書多し)公羊の注に萬錢を一金と云ふ。いづれにてもつひえの大也。以上用兵の大なる費によつて、将たらんもの兵を用ふるを愼む可きことをいへる也。凡そ十萬の兵にて、千里の遠きにはたらく、是れ軍旅を用ふる大數也。二十萬卅萬五十萬の兵を用ふること多しといへどもまれなること也。十萬の軍をおこすことは、諸侯つねに之れ有るゆゑに、十萬と云へり。千里は必ず千里にかぎらざれども、其の大數をあげたる也。兵書又は經書にも遠きことには千里と云へり。ことに一國は方千里なり。しかれば千里をこゆると云ふは、敵の國中へふかく働き入るをさせるなり。用間篇に、凡そ興師十萬、出征千里と。尉繚子に云はく、十萬之師出づれば、日に千金を費すと。三略に云はく、千里糧を饋ると。大全に云はく、國家最も財を費す事、兵に逾(こ)ゆる莫し。一日難に勝たざれば、已に一日之費あり。個の日に費すの二字を説く所以は、全く是れ兵を用ふる警醒[けい‐せい【警醒】①人のねむりをさますこと。②警告を与えて人の迷いをさますこと。]を要する的の意思なり。以上第一段也。
○孫子評註:『内外の費(ついえ)、』 此の句、下の三句を領す。内は國中を謂ひ、外は軍所を謂ふ。下段の軍費、多くは内外を分ちて言ふ。此の句又以て之れを領するに足る。
『賓客の用(客人の費用。)、膠漆の材(弓などの兵具に用いる膠(にかわ)や漆(うるし)の材料。)、車甲の奉(軍事や甲冑(かっちゅう)の供給。)、日に千金を費して、然る後十萬の師擧ぐ(十万人の軍隊を動かすことができる。) 。』然る後の二字、極めて重き意を見(あらわ)す。
○曹公:贈賞猶お外に在るを謂う。
○李筌:夫れ軍外に出れば、則ち帑藏[金品をしまっておく所。かねぐら。]内に竭く。千金を擧ぐとは多費を言う也。千里の外に糧に贏[①ありあまるほど、もうける。もうけ。あまり。②かけや競争で勝つ。まさる。]れば、則ち二十人一人を奉[①たてまつる。うやうやしくさしあげる。つつしんでする。②主君などの命令をうけたまわる。大事におしいただく。③身をささげて目上に仕える。]ずるなり。
○杜牧:軍は諸侯交聘の禮有り。故に賓客を曰うなり。車甲器械、完緝修繕す。膠漆を言う者は、其の細微を擧ぐ。千金とは費用多きを言うなり。猶お贈賞は外に在るなり。
○賈林:計費足らざれば、未だ以て師を興し衆を動かす可からず。故に李大尉曰く、三軍の門、必ず賓有りて居して論議す。
○梅堯臣:師を擧げるに十萬、糧を饋るに千里、日の費此の如し。師久しく之を戒めるなり。
○王晳:○王晳:内は國中を謂う。外は軍所を謂うなり。賓客は諸侯の使いの若し。及び軍中吏士を宴饗するなり。膠漆車甲、細と大とを擧げるなり。
○何氏:師を老し財を費す。智者之れを慮る。
○張預:國を去るに千里とは、即ち當に糧に因るべし。若し供餉[ぐ‐しょう【供餉】‥シヤウ 供物(くもつ)。]を須(もち)うれば、則ち内外騒動し、路に疲困し、蠧(と)[①樹木のしんを食う虫。きくいむし。②虫が食う。むしばむ。物事をそこないやぶる。]耗し極まり無きなり。賓客とは使命を遊士に與えることなり。膠漆とは飾器械を修めるの物なり。車甲とは膏[①肉のあぶら。脂肪。②あぶらぐすり。③つや。うるおい。④地味が豊か。⑤体内の、心臓の下の部位。]・轄[くさび【楔・轄】①堅い材木または金属で、一端を厚く他端に至るに従って薄く作った刃形のもの。物を割ったり、押し上げたり、また、物と物とが離れないように、両方にまたがらせて打ち込んだり、ほぞあなに挿し込んだりする。責木(せめぎ)。②物と物とをつなぎ合わせるもの。また、二つの物に挟まれるもの。③車の心棒の端にさして車輪のぬけるのを防ぐもの。④華道で、枝を切り撓(たわ)めて形の戻らないように張るもの、またその技法。]・金[①かね。かなもの。銅・鉄などの鉱物。②こがね。ゴールド。金属元素の一つ。金位を示す語としても用いる。③(のように)固い。(のように)美しい。ねうちがある。④おかね。通貨。昔、中国で貨幣の単位。漢代では黄金一斤をいう。⑤五行の一つ。色では白、方位では西、四季では秋に当てる。七曜の一つ。⑥将棋の駒こま「金将」の略。⑦中国の王朝名。女真族が建てた国。【解字】形声。「土」+「ハ」(=二つの点。砂金など地中の金属)+音符「今」(=ふくむ)。土中に含まれる鉱物の意。中国殷・周時代には主として青銅を、春秋時代以後は黄金をさす。]・革[①毛を除いて陰干しにした獣皮。なめしがわ。②獣皮で作った武具や楽器。③古いものを新しく変える。あらためる。あらたまる。【解字】象形。動物の全身の皮をはぎ、さらしてぴんと広げた形。たるんだものをぴんと張る意から、あらためる意に用いる。]の類なり。其の費やす所を約し、日に千金を用いて、然る後十萬の師興る。千金とは重ねて費やすを言うなり。贈賞は猶お外に在り。
意訳
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○金谷孫子:内外の経費、外交上の費用、にかわやうるしなどの[武具の]材料、戦車や甲冑の供給などで、一日に千金をも費してはじめて十万の軍隊を動かせるものである。
○浅野孫子:民衆と政府との出費、外国使節の接待費、膠や漆など装備の工作材料の購入、戦車や甲冑の供給などの諸経費は、日ごとに千金もの莫大な金額を投じつづけ、そうした念入りな準備ののちにようやく十万の軍が動けるようになる。
○町田孫子:内外の経費、賓客への進物の費用、膠や漆のはてから、戦車・甲冑の供給など、一日に千金を費やして、はじめて十万の軍を動かせるのである。
○天野孫子:国の内外での費用、外交使節などに要する費用、小はにかわ・うるしなどの材料から、大は戦車・輜重車・甲冑などの供給で、一日に千金の大金を要することとなる。こうして初めて十万の大軍を動かすことができる。
○大橋孫子:国の内外での軍費、外交使節などの費用、武具製造補修用の膠や漆の購入費、武装兵や輓馬を養う費用などのために、一日に千金を必要とする。十万の軍を動かすにはこれだけの出費を覚悟しなくてはならないのである。
○武岡孫子:内外の諸経費、外交関係費、武器及びその製造補修用のにかわとうるしの購入費、戦車や甲冑の調達費などの支払いのため、一日に千金という大金が必要である。したがって戦争を決意するときは、これだけの軍事費を最初から用意してかからねばならない。
○フランシス・ワン孫子:また、国内と戦地に要する費用、外交・工作のための出費、兵器・器材等の製作・補修に必要な膠や漆のための費用、戦車や甲冑に要する資材費は、一日に千金に上るであろう。この戦費の調達ができて、初めて十万の兵の徴募・出動は可能となるのである。
○著者不明孫子:他国からの使節の接待費など朝廷内外の経費、兵車・武器およびその材料などを賄うのに、日々千金の巨額を費やして、はじめて十万の軍隊が動員できる。
○学習研究社孫子:内部・外部での費用、外交接待の費用、補修用の膠や漆の材物、車やよろいの必要経費等をあわせると、一日に千金を消費すると見積もってはじめて、この十万の軍隊を挙兵させることができる。
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