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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒2013年02月
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2013-02-24 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。』:本文注釈

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この文の「是れ」とは、「故に敵を殺す者は、怒なり。~卒は共して之れを養わしむ。」までの文を指す。兵法を知らぬ者は、戦争をすれば互いに兵力を消耗し合い、利益となるものなどないと考えるだろう。しかし、歴史を振り返ってみれば、戦争に勝ってどんどん兵力が増してゆくという本来ありえないことが起きている。これはなぜか。孫子は敵の軍需品を我物とするからだ、と言っている。これが戦場における軍のパワーアップのやりかたである。当然できることなら、敵の投降兵や捕えた兵も自国の兵に組み入れられるものなら組み入れたほうがよいだろう。
あと孫子はここでは述べていないが、兵力を増やすには、領土を増やし敵国の民百姓を自国のものとするという考え方もあったであろう。しかし、『孫子』には敵の領土を奪取すれば自国の有利となる、という漠然とした考えは述べていない。戦いに即した要害の地を得る、とか戦いのやり方そのものを述べている。つまり、敵の領土をいたずらに占領しても、戦のポイントの場所を押さえずに領土にのみこだわっていれば、軍の大敗は免れないと言っているのである。だがことわっておくが、孫子は全く領土というものに興味がないというわけではなく、大ありなのである。なぜなら一番最初に「国の存亡は戦争に懸っている」と言っているからである。だが、戦いのポイントとなる地を押さえなければ国を守ることも、敵よりも優位に立つこともできないといっているのである。敵の領土にある要害の地を占領することで、敵の領土を我が領土とし、国や軍を強くできるのである。だが、領土を奪うというのは大仕事である。それよりは、我軍を強くするには敵軍から兵器や軍需品を奪うほうがたやすいことであろう。また、こういう積み重ねがどんどん軍を強くしていくことは誰の目から見ても明らかである。だが、これこそがなかなか戦場ではできないことである。普通は戦に勝ってしまえばそれで終わりだからである。だから、この「敵に勝ちて強を益す」という、敵に勝って自軍の強さを増すというやり方は、兵法家の秘伝のようなものであったにちがいない。当然、敵に勝って強さを増すというやり方は、『孫子』に記載されているやり方以外にもいろいろあったであろうことは想像できる。おそらく、その秘伝は、代々「孫氏の兵法家」たちに伝わっていったことであろう。『孫子十三篇』にはいちいち例を記載していないが、多分、相当詳しい例が載っている「孫子」の伝書みたいなものがほかにもあったのではなかろうか。わたしはこういうのも含めて、たとえば、班固の『漢書』芸文志の『呉孫子兵法八十二篇』なども組まれたのではないかと推察する。しかし、時代の変化により、戦闘方法なども変化し、次の世代に残す価値もないと判断され歴史上徐々に失われていったのではないだろうか。『孫臏兵法』が世の中から失われていったことを考えるとそうとしか思えない。


強-①がっちりしてかたい。気力・体力・勢力が十分でつよい。(心が)しっかりしている。かたくこわばっている。②つよめる。力をつける。③無理をおす。しいる。しいて。あながち。④その数よりやや数量が多い。【解字】形声。「彊」(=じょうぶな弓)の省略形が音符。「虫」を加え、かたいからをかぶった虫の意。転じて、かたくてじょうぶの意。

益-①ます。ふやす。加える。多くなる。②ますます。③ためになる。役に立つ。④もうけ。【解字】会意。上半部は「水」の字を横にした形。「皿」を加えて、皿から水があふれ出る意。





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孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:天野鎮雄○天野孫子:註なし。抜け落ちか。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:註
 一、杜牧は「敵の卒を得るなり。敵の資に因って己の強を益す」と註し、梅堯臣は「卒を得れば即ちその長とする所に任じ、之を養うに恩を以てすれば、必ず我が用と為るなり」と。王晳も「敵卒を得れば則ち之を養うに吾が卒と同じくし、善き者は之を侵辱すること勿れ、と謂うなり」と。
 一、満州事変でも見られた現象であるが、支那事変の当初に於ても、我軍が北支に進攻するや、住民があげて歓迎し、その後も協力を続ける地区が少なくなかった。特に大東亜戦争に於ては、東南亜地方の住民は、より一層の熱意を以て我軍を歓迎し、印度国民軍の誕生の如きもあり、明るい積極的協力の空気が漲っていたことは、参加将兵の未だに忘れ得ざる所であろう。一方、ドイツ軍も、ウクライナに進入するや、独立を希望する同地区の住民が、民族軍を編成してまで協力する状況に遭遇している。しかし、日・独共に、宣撫工作に任じた機関に属した人士を除いては、概ね、この状勢を利用するに必要な根本の思想と精神に於て充分ならず、むしろ征服者として行動することによって事々に彼らの期待を裏切り、遂には敵にまわして、今日に禍根を残すに至っている。特に我軍の場合、日清・日露戦争時に於ける軍との相違・あまりの変化が問題とされる所である。前述の如く、このことに成功したのは、最近では中共軍であり、これを思想的武器にまで高めた彼らは、蒋介石の率いる国民軍を次々と背反させ、「自己の用」となしている。
 一、なお、戦時下の我軍の占領地区に於ける行動について、現在では、あまりにも誤解が多いので、これを正し且つ本項の意義を理解する参考として、次に筆者の同期生桑原嶽氏の言を記してみる。「結局は中国民衆の心をつかんだ者が最後の勝利者となるという見地から、軍に於ても、中国民心の収攬・把握に賢明の努力を続けたのである。…、歴代連隊長・大隊長・中隊長など各級指揮官のすべて、その部下に対する精神教育に於ては、この点を最も重視し、中国民衆を我の味方に引き入れるためには、軍はいかにあるべきや、また兵の平素の心構えはどうあるべきかと、懸命に説きかつ実践につとめたのである。町に外出した兵が、中国人に対して些細なことをしても、それが憲兵の耳に入れば、すぐ取り上げられ、憲兵隊から部隊に連絡がある。中隊長がその弁明に大童(おおわらわ)となるというようなことも、ままあったことである。九九・九パーセントの兵は、よく支那事変の意義を理解し、軍人勅諭の「慈愛を専一と心掛け」のお言葉を、そのまま中国民衆に対してもあてはめて、その行動を律していたことは事実である。ただ、〇・一パーセントの不心得者がいたため、皇軍の名誉が傷付けられ、それが戦後誇大に報ぜられていることは、まことに残念の極みである。我が占領下の中国民衆の心の中はどうあったか。それは別として、表面上は頗る従順で協力的であったことは、まぎれもない事実である。この従順と協力があったればこそ、あの広大な地域を一握りの僅かな兵力で治安を確保できたのである。これは、中国人の国民性による所も大であるが、中国民衆に対する我軍の取扱いが、寛厳よろしきを得たことも見逃してはならない。あの長期間にわたる日本軍の占領下に於て、一度たりとも中国民衆の蜂起暴動が発生しなかったことは、これを歴史的に観察したとき、特筆大書すべきことではないだろうか。ナチス独逸占領下の各地に於ける民衆の反独闘争、またベトナム戦争に於ける米軍占領下の治安状況と対比してみたとき、自ら判然とするのである。作戦戦闘に於て、中国の民衆が我方の労務者として、荷物の運搬、道路・陣地の構築などその労働力を提供し、我に協力した事実を忘れてはならない。兵力の不足している我軍にとって、彼らの労働力の提供がなければ、我の作戦戦闘そのものが成立しなかったと言っても、決して過言ではない。まさしくその労働力は貴重な戦力であった。勿論、彼らは日本軍に強制的に徴集され、心ならずも命令に従っただけのものであろう。しかし彼らの動きは積極的であって、嫌々ながら適当にやるという非能率的なものでは決してなかった。事実、敵弾の飛んでくる下でも、弾丸運びなどしているのである。我が師団が五年間の長期にわたり、その作戦・警備任務が支障なく完遂できたのも、一に中国民衆の協力あったればこそである。また、彼らをそうさせるために、我軍将兵が懸命に努力した事実も忘れてはならない。特に、作戦戦闘の出動に際しては、指揮官は必ず第一に、軍紀風紀の確立を要望し、中国民衆に対する心得を訓示していたのである」(以上、『風濤-一軍人の軌跡』より)。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:守屋洋○守屋孫子:勝ってますます強くなるとは、これをいうのだ。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:田所義行○田所孫子:○是謂勝而益強とは、敵に勝つたびにわが戦闘力を強大にするとの意。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:重沢俊郎○重沢孫子:こういうやり方こそ、敵に勝ってますます強くなるものといえよう。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:敵に勝ちて強を益す-敵に勝利して敵の兵器、軍需品を味方の戦力として補強し、味方の戦力を強化する

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『是れを敵に勝ちて其の強を益すと謂ふ』
 此の如くいたすときは、戦勝ちて日々に士卒つよる(強よる。強くなる。)也。勝つといへども、将おこたりて有功のひはん(批判)もなくわかたずんば、勝ちて後、士卒二度戦をなす心あるべからず。然れば勝ちて後いよいよまけになるべき也。以上第四段也。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『是れを敵に勝ちて強を益すと謂ふ。』
 一句反應す。已(すで)に勝ちて強を益す、啻(ただ)に鈍挫屈彈(「兵を鈍らし鋭を挫き、力を屈し貨を殫(つく)せば云々」の鈍・挫・屈・殫をさす。)を患へざるのみならざるを言ふ。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:己の強を益す。

○李筌:後漢光武 銅馬賊を南陽に破る。虜衆數萬。各部曲を配す。然るに人心未だ安らかならず。光武 各本營をして歸らしむ。乃ち其の閒輕行し、以て之れを勞す。相謂いて曰く、蕭王 赤心を推して人の腹中に置く[○赤心を推して人の腹中に置く(せきしんをおしてひとのふくちゅうにおく)[後漢書[光武紀上]]まごころを以て人に接し、少しもへだてをおかないこと。また、人を信じて疑わないこと。]。安くんぞ死を投ぜずを得んや。是に於いて漢益振すれば、則ち其の義なり。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:杜牧:孫子十家註○杜牧:敵の卒を得るなり。敵の資に因りて、己の強を益す。

孫子の兵法:是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。:是謂勝敵而益強。:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:卒を獲らば則ち其の長なる所に任す。之れを養うに恩を以てせば、必ず我が用を為すなり。

○王晳:敵の卒を得れば則ち之を養う。吾が卒と同じ。善くする者は之れを侵辱すること勿れと謂うなり。若し初めに附くに厚撫すれば、或は人心を失う。

○何氏:敵に因りて以て敵に勝つ。何(いづ)くに往(ゆ)くとして強からざらんや。[「安往而不○」-いったいどこに行ったとて…ない所があろうか、どこに行っても…される。]

○張預:其れ敵に勝ちて其の車と卒とを獲る。既に我用を為さば、則ち是れ己の強を增す。光武 赤心を推して人人死を投ずの類なり。


意訳
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○金谷孫子:これが敵に勝って強さを益すということである。

○浅野孫子:こうしたやり方が、敵に勝つたびに、自軍の戦力の強さを増してゆくということなのである。

○町田孫子:これこそ敵に勝っていよいよ強さを増す方法というものである。

○天野孫子:これを敵に勝って益々わが軍を強大にするという。

○フランシス・ワン孫子:これこそが、勝つほどに益々強大となる用兵であり方策であると言える。

○大橋孫子:これこそ、敵に勝っても戦力を消耗せず、逆にますますわが軍を強くする方法である(普通は、戦えば、たとえ勝っても戦力を消耗する)。

○武岡孫子:これが敵に勝って強さを増すということである。

○著者不明孫子:これを「敵に勝って強さを増す」というのである。

○学習研究社孫子:これが、敵に勝って、こちらが強さを増すということである。

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2013-02-18 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

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『故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共(もてな)して之れを養わしむ。』:本文注釈

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 この文のポイントは、①「其の先ず得たる者を賞し」と、「車は雑えて之れに乗らしめ」の②「之れ」と、③「卒は共して之れを養わしむ」をどう訳すかである。
 ①の「其の先ず得たる者を賞し」の「賞し」とは功のある自軍の兵士に使う言葉であろう。例えば敵の投降兵に金銭を与える場合は「賞する」とは言わずに、「与える」などという言葉を使うはずである。よって、この文は「最初に敵の戦車十乗以上を得た自軍の功有る者を賞するのである」、という意味のものであろう。
 次に、②の「車は雑えて之れに乗らしめ」の文であるが、これは「敵から奪った戦車と自軍の戦車とそれぞれに自軍の兵士を乗せて」という意味に解するやり方と、もう一つ「味方の戦車に敵の投降兵を混ぜて乗らせて」とする解釈がある。この解釈について私見を述べさせてもらうと、当時戦車には三人しか乗るスペースはなかったことから、「味方の戦車に敵の投降兵を乗せる」という解釈は全くあり得ないものであると思う。よって、この文は、「敵から奪った多数の戦車と、もともとあった自軍の戦車と混ぜて自軍の兵士が活用する。」という意味になると解したほうがよいだろう。
 さて、次の③の「卒は共して之れを養わしむ」であるが、この解釈は大きく二つに分かれるであろう。一つは、「共」を「ともにする」と訳す場合である。この場合、「敵の投降兵は自軍の兵士と飲食などの待遇を同じにする。」というような意味となり、投降兵を自軍に組み入れることを前提とした文となる。前に出てきた本文の「敵を殺す者は怒なり。」の、「怒」を否定的に捉えた場合(「怒」は愚かな感情であるからむやみに敵を殺してはならない、とする説)、「共」を「ともにする」と訳した方が、より文意が一貫としてつながる。しかし、わたしは「怒」を肯定的に捉えたほうがより自然であると思うため、この「共」を「ともにする」というようには訳さない。ではどう訳すかであるが、ここは浅野裕一さんの、「共」を「供(「饗」の代用字)」の意としてとらえる説をとる。つまり「共」を「もてなす」という意味として捉えると非常にうまくいく。そうすると、この文は「功の有った自軍の兵士(卒は低い身分の者であろう)には、酒食を供応する場を提供してもてなし自由に飲食させる。」という意味となる。

 ここで、「養」の字の意味についてもう少し深く考察してみたいと思う。「養う」は原義から考えれば「ごちそうを食べる」、または「ごちそうを与える」の意となる。しかしその意味では、ここの「卒は共して之れを養わしむ」の文では、「共(もてな)す」と「養わしむ」がほとんど同意となり、意味が重複してしまう。それでは、他に何か適当な意味が考えられないか、過去の文献から探してみると、『論語』の第十七 陽貨篇に、「子曰わく、唯(ただ)女子と小人とは養い難しと為すなり。これを近づくれば則ち不遜、これを遠ざくれば則ち怨む。」と見える。この意味は、「先生は言われた。「女子と小人とだけは取り扱いにくいものだ。親しみ近づけると無礼になり、疎遠にすると恨みをいだくからね。」」となる。ここでの「養う」の意味は「取り扱う」という意味になる。この「取り扱う」の意味を、『孫子』の「卒は共して之れを養わしむ」にも適用すれば、「功の有った自軍の兵士(卒は低い身分の者であろう)には、酒食を供応してもてなして取り扱うようにする。」、となり自然な文意となる。


旌旗-せい‐き【旌旗】はた。のぼり。

更-①あらたまる。あらためる。かわる。かえる。こもごも。かわるがわる。②夜がおそくなる。ふける。日没から日の出までの一夜を五等分したそれぞれの時刻の呼び名。③さらに。㋐そのうえに。一段と。㋑けっして。いっこうに。【解字】もと、曰部。会意。「丙」(=ぴんと張る)+「攴」(=動詞の記号)。ゆるんだものを張ってぴんとさせる、転じて、あらためる意。

雑-①種類のちがったものが入りまじる。まざる。まぜる。②まざって整理されていない。まとまりがない。ごたごたしている。③念入りでない。④どの分類にも入らない。(その他)さまざま。【解字】本字は[襍]。形声。「衣」(=ころも)+音符「集」(=あつめる)。はぎれを寄せ集めてつくった衣の意。転じて、多種類がいりまじる意。

共-①ともに。いっしょに(する)。仲間になる。②「共産主義」「共産党」の略。和語で、接尾語「ども」に当てる。【解字】会意。上部は物を示し、下部は左右の手でそれをささげ持つ形を示す。両手をそろえて物をささげる意から、の意を派生した。

供-①物を神仏にささげる。そなえもの。②役立てるように、さし出す。人に物をすすめる。もてなす。③尋問されて事情を述べる。④とも。従者。おともする。【解字】形声。「人」+音符「共」。「共」は、両手で物をささげる形であるが、「ともに」の意に転じたため、のちに「人」を加えて区別した。

養-①食物によって体力を増す。②食物を与え(て育て)る。③心や知性をみがいて豊かにする。【解字】もと、食部6画。形声。音符「羊」+「食」。おいしいごちそうを食う・食わせる意。





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孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:金谷治○金谷孫子:一 其の先ず得たる者-最初に捕獲した身方の一番乗り。また最初に降参して来た敵兵と解する説もある。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:浅野裕一○浅野孫子:共-供と同じ。酒食を供応してもてなすこと。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:天野鎮雄○天野孫子:○故車戦得車十乗已上、賞其先得者  『武経』『古文』には故の字がない。「車戦」は戦車同士の戦闘。「得車」は敵の戦車を捕獲すること。「已上」は以上と同じ。「其」について、『新釈』は、「『其』の字は『その車十乗以上を得たる場合の』といふやうな意を現はす漠然たる意味の字」と。「賞其先得者」は最初に戦車を捕獲した者を賞すの意。それはほかの兵を励ますためである。張預は「車一乗は凡そ七十五人なり。車を以て敵と戦い、吾士卒能く敵車十乗已上を獲れば、吾士卒は必ず千余人を下らず。其の人衆きを以ての故に、徧く賞する能はず。但厚利を以て其の陳を陥れ先に獲たる者を賞し、以て余衆を勧む」と。一説に「其の先づ得らるる者を賞す」と読んで『国字解』は「最初に降参したる者に、先づ賞を与ふるなり。それにて残る敵も亦降参する心になるなり」と。
 ○更其旌旗  「其」は敵の戦車を指す。「旌」も「旗」もはたの総称。この句について『開宗』は「我車上の旌旗を以て、易へて、敵人の車上に樹(た)つ」と。味方の戦車として用いるを言う。
 ○車雑而乗之  「之」は上の雑えた車をうける。この句は捕獲した敵の戦車を味方の戦車の中にまじえ、敵の降参した兵をまじえ乗せるの意。『直解』は「得る所の車は、吾車と相雑へて乗る可し。彼の車をして相聚るを得ず、彼の卒をして車を同じくするを得ざらしむ。其の変叛を防げばなり」と。これに対して『新釈』は、この句は次の句「卒は善くして之を養ふ」と対になっていて、次の句が卒について言うのに対して、この句は車について言うのであり、そして車雑は車を雑ぜるのであって人を雑ぜるのではないと言い、「乗之」を「之に乗り」と読んで「鹵獲(ろくわく)したる敵の戦車を、味方の戦車隊の中へ雑へ編入して乗用する」と解する。鹵獲は敵の軍用品を奪う。しかし車を雑ぜることのみを言うのであるなら、この句は「車は雑へて之を用ふ」と、「乗」を「用」と作るべきであろう。この句の「乗」はわが兵が乗るの意ではない。わが兵がわが戦車に乗るのは当然である。またここではわが兵が乗ることに特別の意味を持たせるものでもない。わが兵が乗るのであるなら、乗の字は使用するまでもないことであろう。ここでは敵兵が乗るという意味で用いている。すなわち味方の兵が乗っているその中に敵兵を乗らせるのである。また仮に、味方の兵のみが乗るというのであるなら、初めより、敵の戦車を味方の戦車の中にまじえると言う必要はないであろう。「之を用ふ」のみで十分である。また一説に『俚諺鈔』は「敵より取り得たる車を一所に置かずして、所々に分け置くことは、若し不意の変を生じ、心がはりなどさせまじきが為に、参雑して、之を乗り用ふ。日本にて、降参人の備を先登に用ふるが如し。彼、誠に我に降るときは、死をかへりみず、忠を尽す」と。また一説に『評註』は「或は雑乗して諸軍に散置し、或は專乗して独り先鋒に任ず。皆可なり」と。
 ○卒善而養之  「卒」は敵の兵。「之」は「卒」をうける。この句について『直解』は「当に恩信を以て之を撫養すべし。帰るを思はざらしめ、我が用を為さしむ」と。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:註
 一、「敵に取るの利は貨なり」の方策をとり、「敵に勝ちて強を益す」ことを図る以上、それに応じた手段をとるべきであり、本項はその一例とし言うのである。
 一、「其の先を得たる者を賞す」 一般には、「其の先ず得たる者を賞す」と読み、真っ先に捕獲した者の意と解されている。別に、「其の先ず得らるる者を賞す」と読み、最初に投降してきた敵兵に賞を与えるの意とする者もいる。投降してきた敵兵は善く給養して寝返りさせよとする次項との関係からすれば、一理なしとしない。この方策が、その奨励・宣伝のため、たとえば航空機持参の脱走者・亡命者らに対し、常に用いられていることは、現に見る所であろう。
 一、「敵に勝ち強を益す」ことを実現するために必要な根本の精神である。張豫は「獲る所の卒は、必ず恩信を以て之を撫養し、我が用と為さしむ」と註している。しかし、このことがその場限りのものではなく、全軍的に実施せられ、敵軍だけでなく敵国の全体に及ぼす力となるためには、全軍的な思想として徹底し精神となっていることが必要である。最近の有様は無残と言う外はないが、革命戦(内戦)時の中共軍は、この事に成功している。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:守屋洋○守屋孫子:それ故、敵の戦車十台以上も奪う戦果があったときは、まっさきに手柄をたてた兵士を表彰する。そのうえで、捕獲した戦車は軍旗をつけかえて味方の兵士を乗りこませ、また俘虜にした敵兵は手厚くもてなして自軍に編入するがよい。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:重沢俊郎○重沢孫子:だから車戦で敵の戦車十両以上を奪取した場合には、まっ先に奪いとった者に賞をとらせ、そして奪った戦車の旗を、わが方のものに取りかえる。その戦車は(奪った本人を乗せはするものの)、わが方の戦車にまじって使用し、捕虜となった敵兵は誠意をおって撫養する。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:田所義行○田所孫子:○車戦得車十乗以上、賞其先得者とは、車戦の場合に敵の戦車十台以上捕獲したものは、その最初に手柄を立てたものを重く賞し、兵を激励するとの意。
 ○而更其旌旗とは、敵の旌旗をおろし、味方の旌旗を建てるとの意。
 ○車雑而乗之とは、捕獲した戦車は、味方の戦車の中に交雑して配備し、捕虜をこれに乗せるとの意。
 ○卒善而養之とは捕虜はよくこれを懐柔して、役に立つようにするとの意。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:大橋武夫○大橋孫子:旌旗を易え-敵の旗をおろし、味方の旗を掲げる
 車を雑えて之に乗り-分取り戦車を味方の戦車隊にいれ

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:車戦-戦車戦、中原での主力部隊どうしの会戦は戦車戦
 旌旗を更め-これまで掲げていた敵の幟(のぼり)や旗をおろし、代りに味方の旗を掲げる。戦車そのものの形態は変わらないのでそれでおかしくなかった
 車は雑えて-分取った戦車を味方の戦車の中に入れ 
 卒は善くして-敵の戦車の御者はよい待遇をして味方の兵とし

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:佐野寿龍○佐野孫子:【校勘】卒共而養之  「竹簡孫子」では「善」が「共」となっている。「共」は「供・恭」と同意で、「うやうやしくする(礼儀正しい、礼儀にかなって丁重である)」の意。「卒」はここでは「降参した敵兵」の意と解する。「養」は「給養(物をあてがって養うこと)」で、ここでは「手厚く処遇すること」の意と解する。つまり、この句は「降参した敵兵は礼儀にかなった丁重な取扱いを旨とし、手厚くこれを処遇すること」を言う。その目的は言うまでもなく、敵に勝ちて強を益すために敵の降参兵を心服させて我が味方とし、我が用を為さしむことにあるのである。その意味においては「善」も「共」も意味を違えるものではないが、敵の降参兵に対する取扱いの原点を明確にするものとしては、「共」の方がより適当であるためここでは「竹簡孫子」に従って改める。
 【語釈】○車雑而乗之 戦争に於ては、単に敵の打倒だけを目的とするのではなく、敵の財貨・器材はもとより、その兵も味方のものとし、再使用することを企図するものでなければならない。ここではその一例として、捕獲した敵の戦車に降参兵と我が兵が雑えて乗り、共に戦っている状況が説明されているが、例えば、このことを「敵に勝ちて強を益す」と曰うのである。
 ○卒共而養之 この句は、「敵に勝ちて強を益す」ことを実現するために必要な根本の精神を表す。毛沢東曰く「投降した者を殺すは不可、捕虜を殺すはとりわけ不可」と。

○著者不明孫子:【車戦】兵車の部隊どうしの戦闘。
 【賞其先得者】兵車を最初に捕獲した兵士に賞を与える。賞を与えるのはあまりにも当然のことと思われるから、ここでわざわざ「賞す」というのは、相当の重賞を与えることをいうのであろう。なお、全員に賞を与えることはできないから、代表者として一人を賞し、他の者の戦意を高める趣旨だとふつう理解されている。また、「先づ得らるる者」(最初に投降して兵車を捕獲された敵兵)を賞するのだとする説(曹操など)もあるが、これは不自然であろう。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『車戦に車十乗以上を得るときは、(其の)(其の字、解説中に見る、ここ誤脱なるべきにより補へる)先づ得る者を賞して、其の旌旗を更(か)ふ』
 更は換也。車戦のとき、車十乗より上を味方に取得、是れ大なる勝也。車一乗に七十五人つく、しかれば十乗は七百五十人、車十乗以上を得ると云ふは、敵の兵を千餘うつとりたる也。此の如き大利をえたらんには、乃ち撰功をつまびらかにいたして、其の内にて一番の高名をとげたるものを賞し、其の旌旗をかへて、人にもそのものの勇武功名をしらしむる也。先づ得る者と云ふは、後世の先登[せん‐とう【先登】①まっさきに敵城に登ること。まっさきに敵城に切り入ること。いちばんのり。さきがけ。先陣。②まっさきに到着すること。また、まっさきに物事を行うこと。]さきがけの心、一番の高名也。(其)之旌旗を更ふとは其の有功者の旌旗をかふること也。たとへばつゐ(對)のさしもの、なみのしるしなりしを、改めて其のものの思ひざし心次第のしるし旗を用ひしむるの心にかなふ也。舊説に、而其の旌旗を更ふの五字、下の車は雑へて之れに乗りの句に連續せしめ、其の得る所の車を旗をとりかへ味方のはたをたてて、この車を敵にしらしめざる也と註す。魏武・李筌・張預が註皆然り。舊説に、其の先づ得る者を賞すと云ふは、大勢有功のものあるをあまねくは賞せられざるゆゑに、其の先づ得る者を賞すとしるせりと、諸注皆然り。今案ずるに、此の説あやまれり。先づ得る者をば厚く賞して、其の旌旗をかへ、人の耳目をことならしむる、先づ得るもの此の如きときは、其の外末々の手柄高名のものども、それぞれに賞功あらんこと推して知る可き也。然らざれば敵の利を取る者は貨すれば也の一句空言也。書は言外を味ひて、推して其の實を知るにある也。
『車は雑へて之れに乗り、卒は善(よ)みんして之れを養ふ』
 車は得る所の車也。卒は敵方より分捕せしむる處の卒也。車は則ち味方の車と一つにいたして、我が軍用にまじへ之れを用ふ、是れ雑へて之れに乗る也。魏武註に、得る所の車に敵の士卒もあらん間、味方の兵とまじへのせて敵兵ばかりのせざるもの也。其の變叛を防ぐ也。直解も亦之れに從ふ。分捕はよみんしてこれをやしなひ恩を厚くすべし。善と云ふは、彼れ元無心也、主将敵味方とへだたるゆゑに死を顧みず一戦して不意に分捕せらる。しかれば更に彼れをにくむべきにあらず、彼が必死の地に入りて快戦せしめしを褒美し、よみんすべきことなるがゆゑに、善と云へり。養ふはそのほどほどにつけて祿をあたへ、衣食をゆたかにして、味方に志をおとしつくべき也。凡そ賊を討ち仇を撃つ、その國民にとがなし、士卒に怨あらざること也。これまことの良將の作略と云ふべき也。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:『故に車戦に車十乗以上を得ば、其の先づ得らるる者を賞して其の旌旗を更へ車をば雜へて之に乗しめ、卒をば善くして之を養へ、是を敵に勝て強を益すと謂う』
 故の字諸本になし。今集注本に從て是を加ふ。此段は、上の取敵之利者貨也と云を承て云へれば、故の字あるをよしとす。車戦は車にて戦ふなり。戦に車戦、騎戦、徒戦あり。是は車戦の一つを例に擧て、上の句の取敵之利者貨也と云意を説けり。車十乗以上を得とは、一乗に甲士三人、歩卒七十二人ありて、十乗以上なれば敵七八百人以上なり。敵七八百人以上を此方の手に入るることを得ると云ことにて、敵の此方へ降参するを云なり。賞其先得者とは、先へ降参したる者に賞を與ふることなり。十乗に大将分の甲士三十人、十乗以上にて三十人以上なれば、一々には賞を與へがたし。故に最初に降参したる者に、先づ賞を與ふるなり。それにて殘る敵も亦降参する心になるなり。更其旌旗とは、旌旗は相符しなるゆへ、降参したる車の上に立たるはたをば取て、此方の旗じるしを立ることなり。車雜而乗之とは、一乗の武者七十五人の内、車にのるは三人にて、歩卒七十二人なり。その三人の内、一人も二人も味方の車にのらせ、新参と古参を入れまぜて、互に車にのらすることなり。是は方便を以て降参することもあるものゆへ、用心の為に入れ雜ゆるなり。卒善而養之とは、歩卒を念比に撫養ふてなつくる様にすべし。降参したる士卒は、諸事うゐうゐしく気遣ふ心多きものゆへ、隨分心を付べきことと云意にて、善してと云なり。善くするとは、どこからどこ迄も隨分に念比にすることなり。かくの如くする時は、敵の利となるべき敵方の軍兵みな吾が利となるゆへ、是を勝敵而益強と云なり。敵をば殺すべきことばかり思はず、戦を用ひず、貨を以て敵をなづけ、敵の士卒を此方の用に立る時は、敵に勝つほど味方の強み益すなり。若し敵を殺して勝を取るとばかり思ふ時は、敵に勝ちても、味方の軍兵增さず、いつも同じことなるゆへ、勝敵而益強と云ものにてはなきなり。此段の意によく徹底せば、智将の務食於敵のはかりごと窺ひ見るべし。古説に得車十乗以上と云を、戦を以て敵を追落して、敵方の車を味方へ奪取ることに見、賞其先得者と云を、先づうるものとよみて、味方の軍兵の敵の車を褒美に與ふると見たり。是にても通ずる様なれども、戦て敵を殺す一邊に拘はるゆへ、孫子が深意を失ふなるべし。そのうへ下の文の、其旌旗と云、其の字降参したる車の旌旗を指して云なれば、其先得者と云其の字も、降参の車を指して云と見て、二の其の字一意になり、文例穩かなり。古説の如く見れば、一は味方を指し、一は敵を指して、文例合はぬなれば、かたかた從ひがたし。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『車戦に車十乗以上を得れば、其の先づ得たる者を賞す。』
 兵家は先を貴ぶ。適(ゆ)くとして然らざるはなし。兵機の在る所、宜しく意を注ぐべし。
 『而して其の旌旗を更(か)へ(旌旗ははたの総称。敵のはたを、味方のはたに代えて立てるの意。)、車は雑へて之れに乗り(降参した車には、味方と降参した敵とを入れまぜて乗る。)、』 或は雜乗(味方と降参した敵とを入れまぜて乗る。)して獨り先鋒(先陣に進むもの。)に任ず、皆可なり。余謂(おも)へらく、洋艦を奪ひて雜乗するの法最も妙なり。
 『卒は善くして之れを養ふ。』
 善養、最も術あり。

孫子十家註:『故に車戦車十乗已上を得れば、其先づ得たる者を賞す。』 

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:車戦を以て能く敵の車十乗已上を得れば之れを賞賜[しょう‐し【賞賜】シヤウ‥賞して物を賜うこと。また、そのもの。]す。車戦に車十乗已上を得らるる者は之れを賞すと言わず。而して得る者を賞すを言うは何ぞ。言うこころは、其の車を得る所の卒を賞すを開示[かい‐じ【開示】明らかにし示すこと。教えさとすこと。かいし。]せんと欲するなり。陣の車の法なり。五車は隊を為す。僕[①男の召し使い。しもべ。②男子の自称。やつがれ。もと自分を卑下していう語であったが、現在は同等ないしそれ以下の相手に対して用いる。【解字】形声。「人」+音符「菐」(=荒けずり)。粗野な人の意。一説に、「菐」を撲うつ意に解し、馬にむちうつ御者の意とする。][僕射(ぼくや)は、官名を指す。]は一人なり。十車は官を為す。卒長は一人なり。車十乗は、乗る将吏は二人なり。因りて之を用う。故に別に之れを賜るを言う。将をして恩を下に及ぼしめんと欲するなり。或いは云わく、言うこころは車十乗已上をして有るを自ら敵と戦わしむ。但だ其の功有る者に取りて之れを賞す。其の十乗已下は、一乗獨り得ると雖も、餘九乗皆之れを賞す。進み率いて士を勵ます所以なり。

○李筌:賞を重くして勸進するなり。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:杜牧:孫子十家註○杜牧:夫れ車十乗已上を得る者は、蓋し衆人 命を用い之れを致す所なり。若し徧(あまね)く之れを賞すれば則ち力其の獲る所の車と足らざるなり。公家仍(しき)りに自ら財貨を以て其の唱謀 先登[せん‐とう【先登】①まっさきに敵城に登ること。まっさきに敵城に切り入ること。いちばんのり。さきがけ。先陣。②まっさきに到着すること。また、まっさきに物事を行うこと。]する者を賞す。此れ士卒を勸勵する所以なり。故に上文に云わく、敵の利を取る者は貨なり、と。十乗を言う者は、其の綱目を擧ぐるなり。

○賈林:未だ得ざる者を勸め自らをして勉めしむるなり。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:徧(あまね)く賞すれば則ち周難し。故に一を奨めて百を勵ますなり。

○王晳:財を以て其の先ず得たる所の卒を賞す。

○張預:車一乗凡そ七十五人、車を以て敵と戦う。吾が士卒良く敵の車十乗已上を獲る者、吾が士卒必ず千餘人に下らざるなり。其の人の衆きを以て、故に徧く賞す能わず。但だ厚利を以て其の陳に陥いて先ず獲る者を賞す。以て餘衆を勸める。古人兵を用いるに、必ず車をして車を奪わしむ。騎は騎を奪う。歩は歩を奪う。故に呉起 秦の人と戦う。三軍に令して曰く、若し車は車を得ず、騎は騎を得ず、徒は徒を得ざれば、軍を破ると雖も皆功無し、と。

孫子十家註:『而して其の旌旗を更へ、』
 
孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:吾れと同じなり。

○李筌:色をして吾れと同ぜしむ。

○賈林:識らざらしむるなり。

○張預:敵の色を變じ己と同ぜしむ。

孫子十家註:『車は雜へて之に乗り、』 

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:獨り任ぜざるなり。

○李筌:夫れ降虜の旌旗、必ず其の色を更え、而して其の事を雜う。車は乃ち用う可きなり。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:杜牧:孫子十家註○杜牧:士卒自ら敵の車を獲るに、雜然として自ら之れに乗るを任ずる官は録せざるなり。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:車は雑えて乗るを許す。旗は故(もと)因り無し。

○王晳:謂わく敵の車を得るに、我が車と用を之れに雜う可きなり。

○張預:己の車は敵の車と参じ雜えて之れに用う。獨り任ず可からざるなり。

孫子十家註:『卒は善くして之を養ふ。』
 
張預:獲る所の卒、必ず恩信を以て之れを撫養す。我をして用を為らしむ。


意訳
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○金谷孫子:だから、車戦で車十台以上を捕獲したときには、その最初に捕獲した者に賞として与え、敵の旗じるしを身方のものにとりかえたうえ、獲得した車は身方のものにたちまじって乗用させ、降参した兵卒は優遇して養わせる。

○浅野孫子:したがって、戦車戦で兵車十台以上を捕獲したときには、全部を最初に捕獲した者に賞として与え、さっそく敵の旗じるしを自軍のものに取り換えたうえ、それらの戦車は、賞を受けた者の部隊に混じえて配属して乗車させ、その戦功のあった部隊の兵卒は、特別に飲食を供給して厚遇する。

○町田孫子:だから、車戦で戦車十台以上を捕獲した場合には、その最初に捕獲した者に褒賞を与え、その戦車は旗じるしをとりかえたうえで味方にくみ入れて乗用させ、捕虜の兵卒は優遇して手厚く保護させる。

○天野孫子:従って戦車戦において、敵の戦車十台以上を捕獲した場合、最初に捕獲した者にのみその功を賞し、敵の戦車はその旗印を変え、これを味方の戦車の中にまじえて、降参した敵兵をも乗らせ、敵の兵にはよい待遇をして養い、わが用に役立たせる。

○フランシス・ワン孫子:それ故に、戦車戦に於て、十輛以上の戦車を捕獲した場合は、その指揮官車(先頭車)をぶん取った者達に賞を与え、捕獲戦車の旗印を味方のものと取り代え、我が隊列に加えて再使用せよ。捕虜は丁重に取扱い、手厚く給養せよ。

○大橋孫子:したがって、敵の戦車を奪ったような場合には、率先して戦った者に賞を与え、捕獲戦車の旗印を味方のものと代えてわが戦列に加え、敵の乗員はよく待遇してそのまま使う。

○武岡孫子:したがって敵と戦車戦を行なって敵戦車十台以上を奪い取れば、まずその捕獲部隊に賞を与え、次に敵戦車の隊旗を味方のものに取り替え、彼らを味方に編入し、その兵卒は優遇してわが軍用に使う。

○著者不明孫子:車戦にあたって敵の兵車十台以上を捕獲した場合は、最初に捕獲した者に賞を与え、そして、その旗印をつけ替えて、兵車は味方の兵車の中に交ぜていっしょに使い、捕虜の兵士は厚遇して養ってやる。

○学習研究社孫子:そこで、車戦で、十台以上の戦車を獲得した時には、最初に獲得した者には褒美を与えて、獲得した車には自軍の旗をつけ、自軍の車と同様に使う。敵の戦車に乗っていた兵卒については、彼らが善い性格の者であれば、養って自分の兵卒とする。

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2013-02-12 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(9)

世界の兵法の歴史に燦然と輝く『孫子』の兵法。その兵法は二千五百年の長きに於いて語り継がれてきた珠玉の名言の数々によって構成されている。あなたもその歴史に触れてみませんか?孫子問題集第九作目を世に今送ります!








【1問目】『孫子』用間篇から問題です。
間諜から得た情報が、まだ表沙汰になっていないうちに、外から耳に入ってきた場合は、その情報をもたらした間諜と、そのことを知らせにきた者とをどうすると孫子は言っているでしょう?

(1)情報源はどこなのかをよく聞き出す
(2)殺す
(3)監禁する
(4)追放する

【2問目】『孫子』九変篇より問題です。
本文に、「故に用兵の法は、其の(1)を恃むこと無く、吾れの以て待つ有るを恃むなり。其の(2)を恃むこと無く、吾が攻むべからざる所あるを恃むなり。」とみえますが、さて、空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう。

(1)(1)来たらざる  (2)攻めざる
(2)(1)退く  (2)進まざる
(3)(1)変  (2)数
(4)(1)守らざる  (2)地の利

【3問目】『孫子』に出てくる言葉で「費留」という言葉がありますが、さて、「費留」の説明として正しい本文の説明はどれでしょう?

(1)五間俱に起こって其の道を知ること莫し
(2)三軍既に惑い且つ疑うときは、則ち諸侯の難至る
(3)軍の進むべからざるを知らずして、これに進めと謂い、軍の退くべからざるを知らずして、これに退けと謂う
(4)夫れ戦勝攻取して其の功を修めざる者は凶なり

【4問目】『孫子』行軍篇より問題です。
敵の軍勢が半進半退しているのは、どういう狙いであると、孫子はいっているでしょう?

(1)陣立てをしようとしている
(2)誘い込もうとしている
(3)退却の準備をしようとしている
(4)決戦の準備をしようとしている

【5問目】『孫子』九地篇より問題です。
本文に、「兵の情は速を主とす。人の及ばざるに乗じて不虞の道に由り、其の(1)を攻むるなり。」とありますが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)愛する所
(2)備わざる所
(3)戒めざる所
(4)懼れざる所

【6問目】『孫子』九地篇より問題です。
本文で、「将軍の事は、静かにして以て幽(ふか)く、正しくして以て治まる」と、将軍の仕事全般のことをいっており、また、後文で「三軍の衆を聚めてこれを(1)に投ずるは、此れ将軍の事なり」と、戦場における将軍の仕事について語っているが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)死地
(2)千里
(3)亡地
(4)険

【7問目】『孫子』の作戦篇の冒頭の言葉は次のうちどれでしょう?

(1)孫子曰く、凡そ用兵の法、車騎千駟、革車千乗、帯甲十万…
(2)孫子曰く、凡そ用兵の法、馳車千駟、革車千乗、帯甲百万…
(3)孫子曰く、凡そ用兵の法、馳車千駟、革車千乗、厮徒(しと)十万…
(4)孫子曰く、凡そ用兵の法、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万…

【8問目】『孫子』用間篇より問題です。
孫子は間諜には五種類の用い方があるといっています。このうちの一つである「反間」とは次のうちどれでしょう?

(1)味方の間諜に偽り事を伝え、敵に告げさせること
(2)敵の間諜を利用して働かせること
(3)敵の役人を利用して働かせること
(4)敵の村里の人々を利用して働かせること

【9問目】『孫子』勢篇より問題です。
本文に、「衆を闘わしむること寡を闘わしむるが如くなるは、(1)是れなり。」とありますが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)金鼓
(2)忿速
(3)分数
(4)形名

【10問目】『孫子』勢篇より問題です。
本文に、「故に善く敵を動かす者は、これに(1)敵必ずこれに従い、これに(2)敵必ずこれを取る。」とありますが、さて、空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)怒すれば (2)和すれば
(2)(1)報いれば (2)奉ずれば
(3)(1)形すれば (2)予(あた)うれば
(4)(1)乗ずれば (2)誘えば








【1問目解説】

正解は(2)。

本文には、「間事未だ発せざるに而も先ず聞こゆれば、間と告ぐる所の者と、皆な死す。」と見える。

情報がより重要であるほど、その情報は千金以上の価値があるものであり、その扱いも当然千金以上のものとなる。その情報が戦争の勝負を左右するものであり、国の命運にかかわるものであれば、より慎重な扱いをしなければならない。間(スパイ)はその軍や国の命運を左右する役目を負っており、褒賞も莫大なものを与えられるが、命をそのためには失うことも日常茶飯事であった。彼らは特別な訓練を受け、その隠密性ゆえに歴史の表舞台に出てくることは決してなかった。手練れといわれる者は、そのあまりに巧妙な手口に各国の要人たちに恐れられていたことであろう。彼らは暗殺も手掛け、敵の将軍級の首を狙うこともあった。逆にそれを守るための活動も「間」は行っていたに違いない。これらの活動ができるのも情報収集あってこそである。『孫子』には、人を暗殺するときは、「必ず先ず守将・左右・謁者・門者・舎人の姓名を知り、吾が間をして必ず索めてこれを知らしむ。」とある。

【2問目解説】

正解は(1)。

本文の意訳は、「そこで、戦争の原則としては、敵のやってこないことを当てにして頼りとするのではなく、いつやってきてもよいような備えがこちらにあることを頼みとするのである。また、敵の攻撃してこないことを当てにして頼りとするのではなく、攻撃できないような態勢がこちらに有ることを頼みとするのである。」となる。

人間は自分の命を左右する場面においても、気分次第では人任せにしてしまい、なあなあになってしまいかねない。孫子はこれを強く戒め、備えは完全だと思える位にしておけ、と言っている。この文のあとでは、孫子は「軍を覆し将を殺すは、必ず五危(必死、必生、忿速、廉潔、愛民)を以てす。察せざるべからざるなり。」と、軍隊を滅亡させ、将軍を戦死させるのは、必ずこの五つの危険のうちのどれかであるから、十分に注意しなければならないと言っている。敵よ来ないでくれ、と祈り僥倖を頼りとすることは、油断極まる行為であり、これは五危の一つ、「必生」に当る。勇がなければ折角要害の地を得ても、それを生かすことができず、守ることはままならない。ここの地点さえ攻撃されなければ大丈夫だろう、と思うことは、敵もそう思っていることであり、ここの地点から攻めれば敵を崩すことができると相手に思わせ、敵を誘い込むことになる。弱点をそのまま放置するのではなく、必ず対策をしなければならないのである。

【3問目解説】

正解は(4)。

(1)は用間篇にでてくる「神紀」の説明。

(2)は謀攻篇の「軍を乱して勝を引く」の説明。

(3)は謀攻篇の「軍を縻す」の説明。

この文を意訳すると、「そもそも戦って勝ち、攻撃して奪い取っておきながら、その戦果を収め整えないで無駄な戦争を続けるのは不吉なことである。」となる。

竹簡孫子の本文は若干これと異なる。

戦闘で勝利を得ても、その勝利が大局的に見た場合、何の効果もなかったものであれば、これは無駄な勝利となる。そればかりか時間も、兵士も消耗し、戦略的には失敗であるといえるだろう。それ故に、この文は無駄な戦力の労費を戒めた言葉といえる。
局地戦でいくら勝利を収めても、大局的な勝利を収めなければ意味はない。ゆえにこの本文は、戦術よりも戦略を重んじた言葉であるとも読むことができる。

【4問目解説】

正解は(2)。

(1)は「軽車の先ず出でて其の側(かたわら)に居る者は陣するなり。」で、「戦闘用の軽車を前に出して、軍の両横を備えているのは、陣立てをしているのである。」という意味。

(2)は「半進半退する者は誘うなり。」で、「敵の部隊の半分が進み、半分が退いて統率がとれていないようであるのは、こちらに誘いをかけているのだ。」という意味。これが正解。
これは詭道の一つである。わざとこちらに「虚」の状態をつくり、敵を十分に誘い込んだ上で、味方を「実」に転化させ、狙っている敵部隊を殲滅する作戦である。

(3)は、「辞の強くして進駆する者は退くなり。」で、「言葉つきが強硬で、進攻してきそうなのは、退却の準備である。」という意味。

(4)は、「奔走して兵を陳(つら)ぬる者は期するなり。」で、「忙しく走り回って兵士を整列させているのは、決戦の準備である。」という意味。

行軍篇には、敵がこういう状態の場合には、こういうことである、といった例がたくさん載ってある。これらの例はほんの一例らしく、当時、軍師に敵がこういう状態のようだが、これはどういったことか、と問えば瞬時に答えられたようであるから、様々なパターンを兵法家たちは事前に頭に入れておいていたのであろう。
戦の状況判断は一瞬一瞬が勝負である。軍師はその一瞬に勢いを乗せ、一瞬に軍形を変える指示を出さねばならない。血のたぎる熱き戦場に、独り冷徹な心で戦況を判断しなければならない軍師には、特別な訓練も必要であったであろう。それには必ず戦場に赴くことも必要であった筈である。それらの血の通った兵法の結晶が『孫子』であり、古より二千五百年引き継がれてきた所以なのである。

【5問目解説】

正解は(3)。

本文を意訳すると、「戦争の実情は迅速が第一である。敵の配備がまだ終わらない隙をついて思いがけない方法を使い、敵が警戒していない所を攻撃することである。」となる。

作戦篇に「兵は拙速を聞く」と本文に見える。この文は、「拙速は巧遅に勝る」や「拙速は巧遅に如かず」、「拙速は巧遅に優る」などと一般に言われ、迅速が一番である、という意味に捉えられてきた。ちなみに本文では「巧遅」ではなく「巧久」となっている。これは「巧遅」が「おそくてもうまい」という意味に対し、「巧久」は「長期戦でもうまい」という意味で、厳密に言えば意味が異なる。これはひとまず置いておいて、まず「拙速」の意味であるが、「拙速」は、少々拙くとも速さが第一である、という意味で一般には知られている。しかし、「拙」の意味には『老子』によると、「自然な」や「手をかけない」といった意味があり、「あれこれ余計なことを考えず、素早く行動せよ」というのが、本来の「拙速」の意味であると思われる。それでこそ、敵の不意をつくことができ、大戦果を収めることができる秘訣であろう。

【6問目解説】

正解は(4)。

本文の意訳は、「全軍の大部隊を集めて、そのすべてを決死の意気込みにするような危険な土地に投入する、それが将軍たる者の仕事なのである。」、となる。

「険」とは険しい危険な地形のことであるが、ここの本文の場合、「険」は喩えであり、兵士を背水の陣に追い込めと言っているのである。往く所無き所に兵士を追い込めば、兵士は死にもの狂いで敵と戦う。たとえ味方が敵の数に及ばなくとも、味方の絶対的な状況(地形)の不利が、味方に決死の思いを抱かせることになり、実力以上の力を発揮させることができるのである。ここの本文では、それこそが将軍の仕事であると述べている。決死の場面を潜り抜けてきた者でなければ決して出てくることのない言葉である。

【7問目解説】

正解は(4)。

(2)の「帯甲百万」はもうすこし後の時代になってからのこと。

厮徒とは「めしつかい。しもべ。」のこと。

この問題は『孫子』をよく読んでいる方にとっては簡単だったかもしれないですね。この文からわかることは、孫武生存時は戦の規模はこのくらいが主流だったということでしょう。或いは若干誇張された数字かのどちらかだろうと思われます。

唐の時代の詩聖杜甫の詩にもでてきますが、戦があれば周辺の物価は跳ね上がり、とてもそこには住めなくなり移住を余儀なくされ、遠くの知人を頼りにするしかなかったそうです。なにしろ男手はすべて駆り出され、誰もいないからと言って年よりのおばあさんまでも飯炊きに連れて行かれたというのだから戦場の惨状が目に浮かぶようです。また結婚式の次の日に旦那が駆り出された詩も載っており、戦争の悲惨な現実がよくわかります。

【8問目解説】

正解は(2)。

(1)は死間のこと。

(3)は内間のこと。

(4)は因間(郷間)のこと。

敵の間諜を自分の間諜として働かせる二重スパイは相当貴重な存在である。ちなみに日本では山本勘助が有名である。逆に言えば、自分の間諜が相手の反間となっていないかの警戒を怠ってはならないということである。これは間諜が間諜を相互に見張らなければなかなか見破ることはできないであろう。そのためには互いに疑われることの無いようにするための間諜同士の掟もあったはずである。これらの網をかいくぐって反間として働く間諜はまさに宝石中の宝石であったことであろう。

【9問目解説】

正解は(4)。

(1)の金鼓は形名の一部。形名の一部としては他には旗・幟などがある。

(2)は怒りはやること。

(3)は、本文の「闘わしむる」が、「治むる」になれば「分数」で正しい。

この本文の意訳は、「大勢の兵士を戦闘させても、まるで少人数を戦闘させているように整然といくのは、旗や鳴り物などの指令の道具がそうさせるのである。」、となる。

金鼓などの音が鳴るものは、真っ暗な夜間に効果を発揮し、旗や狼煙などの目で見てはっきりわかるものは日中に効果を発揮する。これらの道具や手段があれば、兵士たちの耳目を一つにすることができ、例え暗闇でも整然とした部隊行動がとれ、より効果的に敵部隊を攻撃することもスムーズに退却することもできるのである。

【10問目解説】

正解は(3)。

この本文を意訳すれば、「そこで、巧みに敵を誘い出すものは、敵にわかるような形を示すと、敵はきっとそれについてくるし、敵に何かを与えると、敵はきっとそれを取りに来る。」となる。この文は、計篇の詭道の一つである、「利にして之れを誘う」の文を詳しく説明したものとも解釈できる。敵を誘うには、自分の形をはっきり敵に示せばよく、そうすれば敵はそれに対応した形をとってくるので、敵をやっつけることができるその時まで十分に引き付けよ、と孫子は言っている。速すぎてもダメ、遅すぎてもダメ、要は釣りと同じであろう。そのタイミングを誤ることなくその時が来たらば相手の様子に合せ素早く対処するということである。それができるのは百戦錬磨の将しかおるまい。軍師は敵の将のレベルに合せた味方の将を繰り出すべきである。この本文にあるような臨機応変の駆け引きこそ戦の醍醐味であり、この駆引きの中に「勢い」を作り出すことができる将こそ「国の宝」とよばれるべきである。










2013-02-10 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『敵の利を取る者は貨なり。』:本文注釈

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この文の解釈には諸説あるが、まずは「貨」の意味から考えていきたいと思う。貨には金銭、財貨、品物、または非常に価値のある物という意味がある。仮りに貨の意味を財貨としてみると、ここの文は「…は財貨である」という意味になる。次にこの文の後に続く文を見てみる。後には「故に車戦して車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し…。」と続く。ここで「其の先ず得たる者を賞し」の文に注目していただきたい。この「其の先ず得たる者を賞し」であるが、仮りにこの文がなくとも実はスムーズに文の流れが続いていくのである。つまり、必ずしもこの文は必要はないということである。ということは、逆に考えればこの「其の先ず得たる者を賞し」の文は、別になにかしらの必然性があって記されたものと解釈せざるを得ない。これが何を意味するかであるが、この本文が存在する理由を考えながらこの文の意味を考えると、「最も貴重な軍備品である上に、戦場で大いに戦力となる戦車を敵から手に入れた者には、兵士は財貨を欲するがゆえに財貨を以てその功に報いよ。」という意味が考えられる。今風に言えば「貴重な戦車を手に入れた者にはマネーなり」であり、意味は「敵の戦車を手に入れた者にはお金を与えよ」となる。そして、「敵の利を取る」とはこの文の場合、「敵の車十乗已上を得たこと」である。現代においての戦闘機一機分くらいの価値が、当時の戦車にはあったといわれていることから、十乗以上ともなると、莫大な価値があったにちがいない。また、「敵の利」は戦車以外にもいろいろあるだろうから、これを踏まえて改めて本文に戻り解釈をおこなうと、「敵の有利・利益となっている物を奪い取る(得る)には、財貨を以て兵士に報いよ」となる。しかし、これだけでは本文の記述が、「敵の利を取る者は貨なり」、と「貨」の一言ですませている理由を考えた場合、今一歩何かが足りないような気がする。つまり、私が言ったような意味ならば、本文の記述も分かりやすく、「敵の利を取る者は貨を以て報ず」や、「敵の利を取る者は貨を欲す」等となるはずである。よって「貨」の意味を、これから十分に考察していく必要がある。
さて、この本文の後に続く文の中に、「金銭・品物・財貨・貴重なもの」に相当するものは「敵の車十乗以上」が該当する。このことから、本文の「利」と「貨」は『孫子』本文の転記の際、誤って入れ替わったものとする注釈者もおり、その場合「敵の貨を取る者は利なり」と読ませている。この説は合理的であるし、これまでの諸本と竹簡孫子の本文とで、意味が全く真逆になりえるものもでてきているため、可能性としてありえないことではないが、私はそれまでの諸本の本文を尊重し、直ちにこの説を採ることはしない。又、後ろに続く文も「こちらの利となること」を語っているが、結文は「是れを敵に勝ちて強を益すと謂う」となっている。つまり、勝って敵の貨を得て自軍を増強するのであると言っており、増強するには敵の貨が重要であるということを言っている。つまり、ここの本文は、「…者は貨なり(である)」と結ぶのが妥当であろうと私は考える。作文のテクニックの一つとして重要な事を言いたい場合、それは最後に述べた方が読者にとって強烈な印象を与えることになるのは間違いないからである。
ここで、一方でこの本文を「敵に取るの利は貨なり」と読ませる説があることについて触れてみたい。仮りに「貨」を「財貨」と訳していくと、この場合「敵から得て我れに有利なもの、利益とは財貨である」、というような意味となる。しかし、敵から得て利益となるものは財貨に限らずいろいろあるであろうと私は考える。例えば、地の利や人(敵将や敵のスパイ(間))、またはいささか脱線気味だが、当時陰陽思想が流行っていたことを考えると、「敵の運」までをも考えられるであろう。よって、この場合の「貨」とは「財貨」ではなく、「貴重なもの」という意味に捉えると解釈がスムーズに行える。「敵の車十乗已上」も当然「貴重なもの」であるからである。しかしながら、私はこの文の「貨」を「貴重なもの」という意味で捉えることには何か違和感を感じるのである。『呂氏春秋』にも「奇貨居く可し」と言ったように、貨は品物(つまり財貨も同義)という意味に捉えた方が当時において、より一般的だったのではないかと思うのである。或いは金貨や貨幣などで漢字として使われている、「貨」の「金銭」という意味が日常的な意味ではなかったのではないだろうかと思うのである。よって、「貨」を「貴重なもの」とする説には、ややまわりくどい感があるため釈然としないのでこの説は私は採らない。また、この本文を「敵の利を奪い取るということは、貴重な事である」と訳すと文意がおかしくなる。よって、「貨」を「貴重なもの」とは訳さない。
では、ここで「貨」の意味についてもう一度よく考えてみたい。「貨」とは金銭・品物・財貨などの意味が主であろうと私は考える。これらは金銭そのものであり、金銭に換えられるものであり、それ相応の価値があるものである。ここで、「貨」の主な意味である「金銭」「財貨」に共通するものを考えてみると、「貨」を「価値ある物」と考えることができる。これを踏まえて本文を訳してみると、「敵の利を取ることは価値のあることである」となる。この場合、この文を前の文の「故に敵を殺す者は怒なり」の対句として扱ってもうまく文意がつながっていく。つまり「無思慮な怒りを戒めよ、敵の利を取る行為こそに価値があるのだ」、と訳すことができる。しかしながら、「故に敵を殺す者は怒なり」を戒めの言葉として捉えるならば、孫子特有の言い回し「察せざるべからず」などが、文の後ろについてもよさそうなものである。よって、ここでは「怒」を否定的な意味ではなく肯定的な意味として捉えていってみる。そうすると、文の区切りとしては「故に敵を殺す者は怒なり。敵の利を取る者は貨なり」で一区切りで考えた方がわかりやすい。これらの文は孫武が戦争で勝つための言葉を将に向けて言ったものである。このことは後に、「兵を知るの将は民の司命云々」という文が見えることからも間違いないと思われる。「敵の利を取る者は貨なり」の文の、その後の「故に車戦して…卒は善くして之れを養わしむ。」は、敵の利を取って価値あるものの一例を挙げた文と考えられる。また、「是れを敵に勝ちて強を益すと謂う」の一例を挙げた文でもあろう。この場合、「其の先ず得たる者を賞し」の文も、敵に勝って強を益すというやり方の単なる一例を示しているものとなる。このように考えると、文の流れや区切りも後々まで綺麗にまとまっていくことになる。


取-手ににぎる。自分のものにする。えらびとる。【解字】もと、又部6画。会意。「耳」+「又」(=手)。獲物の耳を手でつかむ意。

貨-①ねうちのある品物。財宝。商品。②交易のなかだちをするもの。金銭。かね。③ ほかのものと取り替えることのできない、特に大切なもの。また、かけがえのない人。【解字】形声。「貝」+音符「化」(=かわる)。交換して他の品物にかわる貝の意。昔は子安貝を貨幣として用いた。





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孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:金谷治○金谷孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 ※利者貨也-文意からすると、「利」と「貨」とは誤倒であろう。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:町田三郎○町田孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 宋本には「取敵之利者貨也」とあるが、文意からして「利」と「貨」とは誤倒であろうとする金谷治の説にしたがって改めた。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:天野鎮雄○天野孫子:「敵に取るの利は貨なり」
 ○取敵之利者貨也 「貨」は金銭・珠玉・布帛の類を言うが、ここでは主として穀物・武器などを指す。この句は敵から奪い取ってわれに有利なものは敵の財貨であるの意。『詳解』は「敵より奪取して利益多きは糧穀・(きかん)を取るに如くは無きを言ふ」と。この句について諸説がある。一説にこの句を「敵を取るの利は貨なり」と読んで、敵を取った味方の兵に褒美として財貨を与えると。梅堯臣は「敵を取れば、則ち吾人を利するに貨を以てす」と。また一説にこの句を「敵の利を取るは貨なり」と読む。この場合、種々の解釈がある。一つはおのれの貨で敵の物を手中に収めると。『国字解』は「敵の利を此方に取って、我が利とするは貨なりと云ふことなり。敵之利とは敵の所持したる土地・人民・士卒・兵糧の類なり、貨とは金銀・財宝なり」と。一つは敵の利を取るのは味方の貨を貪る心によってであると。『講義』は「人の能く敵の利を取る所以の者は其の貨を貪るを以てなり」と。また一つは「貨」をまいないする(宝を贈る)の意に解して、趙本学は「士卒に敵の利を取らしめんと欲すれば、当に其貨を以て之を賞すべし」と。この解釈に従う註家が多い。また一説に「之利」を衍字とするものがある。『発微』がそれで、「敵を取るは貨なり」と読んで、その意は計篇の「利して之を誘ひ、乱して之を取る」と同じとする。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:「敵に取るの利は貨なり」
  一、つまり、戦争(作戦)計画に於ては、敵を殺すことを主目的とすべきではなく、その兵員・器材・物資を諸共に我が有にすることを以て目的とすべきである、と言うのであり、前項とともに、「敵に勝ちて強を益す」の思想を明らかにするのである。
  一、しかし、本項も一般には仏訳の如き解釈はとらず、作戦篇とは無縁の解釈が行われている。たとえば、「敵の利を取る者は貨なり」と読み、敵の物資の奪取は、将兵がそれによって利益をえようとする(分け前にあずかろうとする)精神による、といった如き解釈である。梅堯臣は、本項は前項の「敵を殺す者は怒りなり」の対句として、「敵を殺すには、則ち吾れ人を激するに怒を以てし、敵を取るには、則ち吾れ人を利するに貨を以てす」と註し、敵の兵員・物資・器材を取るためには、将兵に財貨を与えることが必要である、の意と解している。曹操は「軍に財無ければ士来らず。軍に賞無ければ士往かず」と。しかし、何れも、本項だけの理解としてならば説得力はあるが、作戦篇の思想との関連を欠いた解釈である。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:守屋洋○守屋孫子:「敵の利を取るものは貨なり」
 また、敵の物資を奪取させるには、手柄に見合うだけの賞賜[しょう‐し【賞賜】シヤウ‥賞して物を賜うこと。また、そのもの。]を約束しなければならない。
 ■人事管理のコツ このくだりはまた、企業の人事管理の参考にもすることができる。「敵を殺すものは怒りなり、敵の利を取るものは貨なり」とは、①やる気を起こさせる、②業績は正当に評価してやる、ということに通じよう。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:重沢俊郎○重沢孫子:「敵の貨を取るは利なり」
 敵の物資を奪い取るのは、利益のためなのである。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:田所義行○田所孫子:「敵に取るの利は貨なり」
 ○故殺敵者怒也、取敵之利者貨也とは、敵を制圧する戦闘力は怒、すなわち敵愾心であるが、敵から取上げてわが戦闘力を旺盛ならしめるものは、敵のもっている貨財であるとの意。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:大橋武夫○大橋孫子:「敵の利を取る者は貨なり」
 貨-兵器や軍需品

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:「敵の貨を取る者は利なり」
 貨-兵器や軍需品

○著者不明孫子:「敵の利を取る者は貨なり」
 【取敵之利者貨也】 諸説があるが、いずれも分かりにくい。敵の有利な条件を奪うのは財貨(広い意味での財貨、つまり兵器・食糧などをも含む)による、敵の財貨を奪い利用することによって敵の利を取り上げることができる、という意味に解した。これを「敵を(または「敵に」)取るの利は貨なり」と読みこともでき、天野鎮雄『孫子』は「敵に取る…」と読んで「敵から奪い取って我に有利なものは敵の財貨である」と訳している。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『敵の利を取るの者(は)、貨(たから)すればなり』
 貨とは、士卒に財寶をあたへ其の志をいさましめ、賞功を厚くして士卒の志をうる也。士卒敵地に入りて敵の利する處をいさみすすんで奪ひ取ることは、かれ賞厚を喜ぶがゆゑ也。三略に云はく、軍に財無きは士來らず、軍に賞無きは往かずの心也。李卓吾云はく、敵の利を取る者は貨、貨を以て人に與ふ、乃ち敵を取る可し、趙充國(漢代の名将軍、蕃族西羌叛する時将軍年七十餘、命を受け出陣し忽ちにして降し屯田兵の制を設け後患なからしむ。先零は羌族の一種。)金城を守り、羌豪を誘ひ、自ら相斬捕し、一人を獲る毎に、錢四十萬を予ふ、羌人自ら攜(くづれ)(摧カ)、先零坐して困しむが如き、是れ也。又云はく、敵の利を取るとは、敵人の民家を亂取し敵の倉庫をやぶつて、かれが利あるの所を我が士卒いさみて奪ふことは、これをうれば貨を多く得ると思ふゆゑ也と云ふ説あり。又敵をうつと(討取)れば必ず利をうるとおもふは、賞功のむくいあつければ也。これ杜佑が説也。人敵に勝つときは厚賞の利有るを知らば、則白刄を冒し矢石に當る、而して樂しみて以て進み戦ふ者は、皆貨財賞勞の誘に酬ゆれば也。このときは敵を取ること之れ利とするは、貨也とよむべし。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:『敵の利を取るは、貨なり。』
 この段の意は、敵の利を此方へ取て、我か利とするは貨なりと云ことなり。敵之利とは、敵の所持したる、土地、人民、士卒、兵粮等のるいなり。貨とは金銀財寶なり。尤上の段に云如く、敵を殺して猛威をふるふは士卒の奮激の氣を以て、小勢にて大敵をも挫けども、そればかりにては全き利を得ることかたかるべし。總じて身あるもの欲心あらずと云ことなし。故に金銀財寶を以て、或は敵方の郷民を味方へ引付けて案内をさせ、間道より攻入り、或は放火し、或は兵粮を奪ふ便とし、或は敵方の将吏の、欲心あるものを味方に引入れて、方便を以て敵の土地人民士卒兵粮、何にても敵の利となるものを味方の利となすこと、是全き勝を取る道なり。かくの如く、智将は威を以て挫き、利を以て誘(おび)き、一たびはおどし、一たびはなづけて勝利を得ること速なるゆへ、長陣の費なしと云意なり。この篇は作戦篇と名づけて、戦を説たる篇なるに、孫子たたかひの一途を專にせぬ意を説けるは、其心地活潑にして、圓機妙轉せること、後人の及ぶべきに非ず。一説に貨と云を、重賞之(の)下、必ず勇夫有りと注して、味方の士卒に、金銀財寶を與へ、軍功を褒美して、軍に勝ち、敵の利を此方へ取る意に見たる説あり。是にても苦しかるまじけれども、其意は、上の句の殺敵者怒也と云内に備れり。其上其説は、とかく戦を以て敵に勝つと云ばかりに歸して、戦わずして人の兵を屈するところ、孫子が深意なることを知らぬなり。此深意を會得して後よく、火急に戦を決して、軍兵の氣のたゆまぬ様にすること掌に握るが如し。故に上の殺敵者怒也、取敵之利者貨也と二句を並べて云へるなるべければ、今其説に從はず。又一説に、取敵之利と云を、敵を取るの利とよませて、貨と云は何にても士卒の敵方より奪ひ來る物を、直に褒美として、士卒に與ることと見たる説あり。かくある時は、吾士卒敵を打取ることの吾に利あることを知るゆへ、戦を勵むと云意なり。この説にても、とかく戦を以て敵に勝つと云ばかりに歸するなり。其上士卒に亂妨をすすむる意あれば從ふべからず。此段の微意、前の段に、因粮於敵と云は、貨を以て敵方の将吏郷民を味方へ引入れずんば、なり難しと云意を含で云へるなり。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『敵の利を取るものは貨なり。』
 怒は以て敵を殺すべし。私忿(しふん)公怒、皆自(おのずか)ら用ふべく、之れを用ふるは将に存す。貨は以て利を取るべし。利は是れ敵に食ふなり。然れども啻(ただ)に敵に食ふのみに非ず、「車に乗り卒を養ふ」、是の類何ぞ限らん。之れを取るは貨に在り。貨は下の賞養を兼ねて言ふ。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:軍に財無くば士來ず。軍に賞無くば士往かず。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:杜佑:孫子十家註○杜佑:人 敵に勝ちて厚賞の利有るを知らば、則ち白刄を冒し矢石に當たる。而して以て進みて戦い楽しむ者は、皆貨財 勳に酬い勞を賞すの誘なり。

○李筌:利とは軍の寶を益すことなり。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:杜牧:孫子十家註○杜牧:士をして敵に取るの利を見らしむ者は貨財なり。謂うに敵の貨財を得れば必ず以て之れを賞す。人をして皆欲有らしめば、各(おのおの)自ら戦いを為す。後漢荊州刺史 度尚 桂州の賊帥卜陽潘鴻等を討つ。南海に入り其の三屯を破る。多く珍寶を獲りて鴻等黨(党)を聚(あつ)め猶お衆たり。士卒驕りて富めり。鬭志有る莫し。尚曰く、卜陽潘鴻賊を作(な)し十年なり。皆攻守に習う。當に須らく諸郡 力を併せて之れを攻むる可し。今軍恣(ほしいまま)に射獵をすと聴く。兵士喜悦す。大小相與え禽に從う。尚ほ乃ち密かに人をして潜めしめ其の營を焚く。珍積 皆盡く。獵する者は還り來たる。泣涕せざる莫し。尚曰く、卜陽等の財貨 數世を富ますに足れり。諸卿但だ力を併せざるのみ。亡き所少少なり。何をか意を介すに足りて衆聞きて咸(みな)憤踴し戦うを願う。尚 馬の秣(牛馬の飼料。まぐさ。)の蓐(しとね:草を編んだ敷き物。ねどこ。)を食らわしむ。明けて晨(朝)徑(みち)に賊の屯(たむろする。多くのものが寄り集まって一か所にとどまる。)に赴く。陽鴻備えを設けず。吏士鋭に乗じて遂に之れを破る。此れ乃ち是れなり。

○孟氏:杜牧の註に同じ。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:敵を殺さんとすれば、則ち吾れ人を激すに怒を以てす。敵を取らんとすれば、則ち吾れ人を利するに貨を以てす。

○王晳:厚賞を設くを謂うのみ。若し衆をして利を貪るに自ら取らしめば、則ち或いは節制を違えるのみ。

○張預:貨を以て士を啗(くら)わすなり。人をして自ら戦を為さしめば、則ち敵の利を取る可し。故に曰く、重き賞の下、必ず勇夫有り。皇朝太祖 将を命じ蜀を伐つ。之れを諭(さと)して曰く、得る所の州邑當に我れに與えるべし。竭くる帑(かねぐら)庫を傾きて以て士卒を饗(もてな)す。國家欲す所惟だ土を彊くするのみ。是に於いて将吏死して戦う。至る所皆下す。遂に蜀を平す。


意訳
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○金谷孫子:敵の物資を奪い取るのは実際の利益のためである。

○浅野孫子:敵の物資を奪い取るのは、利益を得ようとする精神がそうさせるのである。

○町田孫子:敵の物資を奪い取らせるものは、その褒賞である。

○天野孫子:敵から奪い取ってわれに有利なものは敵の財貨である。

○フランシス・ワン孫子:思慮深き者は、敵の兵員・器材・物資を我が物とせんと図るのである。

○大橋孫子:敵の利を取るためにはその財貨を奪うことである。

○武岡孫子:国力の重要性に思いを致すものは、作戦に当り敵の兵員・兵器・資材および戦略物資の鹵獲[ろ‐かく【鹵獲】‥クワク (「鹵」は捕らえて奪う意)戦勝の結果、敵の軍用品などを奪い取ること。]を目的として行なうべきである。

○著者不明孫子:敵の利を奪い取るのは財貨による。

○学習研究社孫子:敵から取る利益は、物質的な財産でなければならない。

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2013-02-05 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『故に敵を殺す者は怒なり。』:本文注釈

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「故に敵を殺す者は怒なり。」の主な解釈としては二つ知られている。
 ①一つは、敵を殺すのは怒りの感情(又は励まし)によるものである、という解釈で、敵は生かすよりも殺すものであるとも解釈できる。この思想は、行き過ぎれば殲滅主義とも捉えられかねない。もちろん、降伏・投降してきた国や兵においては別であろうとは思うが、基本としては敵は殺すということであろう。火攻篇の最後の段で、怒りは禁物であるという旨の文があるが、これは君主の一時の感情で戦争を起してはならないということで、もはや戦争が始まった段階で戦場に於いて敵と遭遇した場合に於いては、怒りの感情(励まし)によって、敵を攻撃するということは、ごく自然のことであろう。ただ目の前に殺し合いが迫っているということで、士気が下がるといった状況パターンも考えられるため、兵を鼓舞するためには怒りの感情を引出すのだ、と孫武が言ったということがここでは考えられるだろう。又、この文が、戦争は速戦速決の方がよいという文や、食糧や軍の用度品(武器やさまざまな道具)はできるだけ敵から奪え、という文の後に続くことから、この文は怒りの感情をもとにして速戦速決し、敵の物を奪い我がものとせよという意味であろうと推測される。しかし、怒り狂っていては、敵の物を奪うまでもなく、破壊してしまう可能性も少なからず出てくると考えられる。つまりここでいう「怒」とは、一般に思うような怒り猛り狂った状態というよりは、ある程度抑制のきく精神の高揚状態にある敵愾心というようなものと考えられなくもない。すでに述べてあるが、計篇の「怒にして之れを撓め」、の文の「怒」も同様の意味の可能性がある。ただし、火攻篇の最後の段の「怒」の説明は、明らかに悪い意味で戒めの対象となっていることから、これには当てはまらないと考えてもおかしくない。しかし、利益を考えず、興奮した感情をもとに戦争を起してはならない、と解釈すればおかしくはならないであろう。
 ②二つ目の解釈は、火攻篇の最後の段で、「主は怒りを以て師を興こすべからず。将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず。」の文があることを根拠として、「怒りは軍を滅ぼす愚かな感情であるから、これを戒めよ。」とするものである。この場合、「速戦速決、敵の物を我がものとせよ」の文の後に続くこの文の解釈としては、「速戦速決や敵の物を自分のものとするには、歯止めがきかない猛り狂った怒りの感情ではなく、理性的な精神・行動によるものが不可欠である」、という意味になる。火攻篇の怒りを禁じた文の主旨は、「国を安んじ軍を保全させるには、怒りの感情で軍を起こしてはならず、利益に照らして行動することを君主や将は心がけよ。」、となる。よって作戦篇の「故に敵を殺す者は怒なり。」の文も、怒りを戒め、利益に照らして将は軍を行動させよ、ということをいっていると考えられる。
 この二つの解釈に共通な点は、自軍の利益を主眼におき、「速戦速決・敵の物を自分のものとする」精神に矛盾しない所にある。一番目の解釈と二番目の解釈と違いが生じていることから、以降の文にも、それぞれの解釈の違いが引き継がれていくと考えて間違いない。まず一つ目の解釈では、敵兵を自軍に組み入れるという発想は少なくとも第一義としては存在しない(ただし、食糧や軍の用度品は別。)ことから、以下の文の解釈もそれを踏まえたものになる。二つ目の解釈では、敵軍の投降兵を自軍に組み入れ増強させるという方法を否定はしないことから、敵兵を我が軍に組み入れ役立たせるといった、敵兵を活用するやり方を踏まえた解釈を以下の文にも適用していってもおかしくはない、ということになる。
 『老子』に、「善為士者不武善戦者不怒」 (善い知識人たる者はたけだけしくない。善い戦士は、激しくない(怒らない)。 )という言葉がある。『孫子』のこの文の「怒」は将の「怒」ではなく、兵の「怒」であることは明白であるが、『老子』のいうような怒りを否定するものなのか、はたまた怒りを肯定するものなのかどうかは定かではない。ただし、「怒」の意味に迫っていくには、いくつかの手掛かりがある。その中の一つは、この段の後に「故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。」とあることである。つまり、この「故に敵を殺す者は怒なり。」の文は、戦争の早期の勝利に役立っているということを言っている。この事を考えると、二番目の解釈では、速戦速決には直ちにはつながるものではないことがわかる。逆に、一番目の解釈は、怒りの感情(はげまし)をもって速戦速決を計る、という意味に捉えられることから、こちらの方が後ろの文の「故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。」とのつながりがよいことがわかる。もうひとつは、「故に敵を殺す者は怒なり。」の前の文の「故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。」との文意のつながりにある。こちらは「敵の物を自分のものとして利用していく」、という考えの文のあとに、「故に敵を殺す者は怒なり。」の文が来ていることから、「敵の資源は味方の資源になりえるからむやみに敵の資源を役に立たなくする行為は慎め」、というように流れがつながっていくことになる。この場合は、二番目の解釈の方がよりふさわしいということがわかる。しかし、この段のまとまりの点から考えると、よくまとまるのは一番目の解釈である。このようにいろいろ考えてみると、私自身の考えとしては、二番目の解釈は言いたいことはわかるのだけれど、少々まわりくどいような感じがする。『孫子』は抽象的な表現が多いが、この文の表記だけではそこまでの意味とはならないような気がするのだがどうであろうか。二番目の解釈をとれば、敵兵は我軍に吸収されることもありうるが、この場合はもちろんその兵士を新たに養っていくということである。しかし、その費用はいったいどこから出していくというのであろうか。食糧や武器などの道具はいくらあってもまず困ることはないが(輸送の手間はもちろんかかるが)、兵士の場合、吸収した兵の多寡によっては費用も莫大なものとなりかねない。又、敵兵にも当然故郷に家族がいて、仲間もいるに違いない。昨日までの仲間を敵として殺せと命令されても、当然士気は上がるものではない。それよりも見逃してやると言って、恩を与えて解放し、又はその中から優秀と思われる者を自国のスパイとして養成した方が長い目で見れば、より有益であろう。以上のような理由から、「故に敵を殺す者は怒なり」を、「怒」を戒め敵の食糧を我物とする意味として捉える所まではいいのだが、敵兵を我軍に吸収し自軍を増強していくことを促すものとして捉えることは、それから様々な問題点を抱えていくことになり、現実として応用していくのはより困難なものとなるであろう。よって次の文では、食糧や軍の用度品は利となると言っていることから、食糧や軍の用度品を敵から奪うことは有利であることは明白であるが、敵兵を我軍に組み入れることは必ずしもそうではないことはもはやお分かりのことと思う。例えば捕えた(降参した)敵兵が、言語も通じず、文化も大きく異なっている様子であれば、こちらとしてはより扱いにくくなることは想像に難くない。又、「智将は務めて敵に食む」と言っていることからも、信用のできない敵兵を自軍に組み入れて、いたずらに軍費を消耗することは常識的に考えても考えられないことである。しかし、例えば投降兵を囮に使い、逃げられても構わない、または死んでも構わないといったことを前提にした用兵を行なうというような場合は別であろう。このような用兵も『孫子』では否定はしていない。また、当時は敵国の身分の低い捕虜を奴隷として使うことも何らおかしいことではなかったから、投降兵を国に送り奴隷とするという選択肢もあったであろう。『孫子』では自国の民や国の財産を保全することが、戦の最終目的であることを、火攻篇の末尾で述べているから、そのためには計篇でも言っているように、自軍を保全するためなら、敵をどのように欺いてもよいのである。
 「孫子」の文の意味を一概にそうであると考えることは、思考を停止させ利を手離すことにつながりかねない。「孫子」の文面のみ、表面のみをとらえて解釈することは危険につながり、また、自分のものとするには程遠くなる。論語の言葉で「故(ふる)きを温めて(たずねて)新しきを知る」という言葉がある。この温故知新の精神をもって、「孫子」を自家薬篭中の物[自家薬籠中の物(じかやくろうちゅうのもの) 自分の薬箱の中の薬のように、いつでも自分のために役立て得る物や人。思うままに使いこなせるもの。]としていくことがわれわれの理想といえるだろう。



殺-一 サツ・セツ ①命を絶つ。ころす。②そぐ。除く。消し去る。③程度がはなはだしい。はげしく…する。  二 サイ へらす。【解字】会意。「乄」(=刈りとる)+「朮」(=もちあわ)+「殳」(=動詞の記号)。もちあわを刈り取って実をそぎ落とす意。

怒-①腹を立てる。いかる。②たけりくるう。【解字】形声。「心」+音符「奴」(=力をはりつめる)。気ばる、気ばっていかる意。





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孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:天野鎮雄○天野孫子:○殺敵者怒也  「怒」ははげむ、奮い立つの意。敵愾心を言う。『諺義』は「怒ははげますと云ふ心なり。かれをいからしめて、心を激しはげます。乃ち作戦の篇註に(作について)しるせるごとく、振作の心なり。荘子(逍遙遊篇)に怒飛と云ふも、はげんでとぶと云ふの心なり」と。一説にいかりの意として、この句について趙本学は「士卒に敵を殺さしめんと欲すれば、当に之を激して怒らしむべし」と。また一説にこの句は怒りを慎むべきことを言うと。『兵法択』は「旧説皆、吏士を激怒せしむれば、則ち敵、殺す可しと謂ふ。最も其の義を失ふ。孫武の一書は、未だ嘗て殺すを言はず。且つ是の篇の如きは兵に久しくするを以て、戒めと為す。故に曰く、兵を知るの将は民の司令なりと。安んぞ其の敵を殺して以て吾人を激する者に在らんや。武且つ言あり。曰く、主は怒りを以て師を興す可からず、将は慍りを以て戦を致す可からず。亡国は以て復た存す可からず。死者は以て復た生く可からず。故に曰く、明主は之を慎み、良将は之を警む、と(火攻篇)。其の警戒の意、亦復た此の如し。読者、察せざる可からず」と。『新釈』もこの意見である。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:註 一、「故に」は、本篇の前段である十五項までを受けて言うものである。つまり、戦争に於ては、内外ともに、これほどの労苦と犠牲・困難の克服を必要とし、しかも問題が生ずるのを避けることはできないのであるから、ただ敵を殲滅し殺傷するだけを目的とするが如き戦争(作戦)は敵の抵抗を強化し、戦争を長期化させるだけの狂気の沙汰であり、激情に駆られて思慮分別(理性・冷静さ)を失ったものと言うべく、それは、覇王にとって、本来の戦争目的を達成する所以ではない、と。
 一、「拙速」を以て方針とし、戦争の長期化を避けてその目的を達成せんとする以上は、戦争指導・用兵も、すべてこの思想を以て一貫し、その実現を目指すものでなければならないのである。孫子にあっては、支那の古戦史が好んで記す「敵の何十万を坑(あな)にす」といった如き形態の戦争(作戦)はとらざる所である。なぜなら、そのような敵の覆滅を企図する戦争(作戦)は、平時より多大の軍備を必要とするのみならず、戦時その遂行に於ては、エネルギー節約の戦争経済の法則に反するものとなるからである。また、かかる絶対型戦争は、自身にも耐え難い損害を与えることが多く、たとえ勝利を得た場合に於ても、「諸侯、その弊に乗じて起る」状勢を招来し、結局は自ら斃るる道をつくるものとなる虞(おそ)れが大きいからである。このことは、第一次大戦に於てドイツに、第二次大戦に於ては日・独に対し、絶対型戦争指導を行った連合国が、米・ソ以外は、その勝利にも拘らず却って弱化し、特に第二次大戦後は、その弊に乗じて起った植民地の抵抗・独立運動をめぐって苦慮した事態を見れば明らかであろう。のみならず、勝ち誇って世界を二分支配したかに思えた米・ソも、歴史の命運とはいえ、僅かに四十年にして、早くもその覇権には動揺が生じている。絶対型戦争指導或いは孫子のいわゆる「戦勝攻取するも其の功を修めざる」(火攻篇)式の戦争指導が与える損害の中には、勝利をも空しくする驕慢の心・精神の荒廃の発生があるのであり、成功に心傲った彼らは盲目となり、積年の非道・横暴に対して天の摂理とも言うべき歴史的性格の復讐を受けながら、なおこれに気付くことができないでいるのである。無論、我々に、この事を嗤う資格はない。
 一、従って、孫子は「敵を殺すことだけを目的とするのは思慮を失った用兵である」(仏訳)とし、以下、戦争指導(作戦)は、すべからく「敵に勝ちて強を益す」(二十項)ことを以て主眼とするものでなければならない、と説くのである。つまり、戦争に於ては、単に敵の打倒だけを目的とするのではなく、敵の財貨・器材はもとより、その兵も味方のものとし、再使用することを企図する者でなければならない、と言うのである。いわゆる王者の軍である。しかし、この事は、その場の思い付きでできることではない。それは、戦争(計画)の当初より全軍が一致して有する理念・思想となっており、且つその実行について、予め具体的にして明確な工夫・配慮が行われている場合にのみ実現が可能となるものである。本項以下は、素朴であるが、この事について例をあげて説くものと言えよう。
 一、ところで、この孫子の「敵に勝ちてその強を益す」思想は、従来の単純なる敵の覆滅のみを事とする戦争を否定するものであるが、恐らくは、孫子一人の心に生じた思想ではあるまい。戦争の愚による悲惨から万民を救うため、群雄割拠を打破して天下の一統を実現する必要を痛感していた当時の識者にとって、その促進を図る有効な道として、認識せられはじめていたのではなかろうか。古い起源を有する将棋が、敵方の駒をとって場合、それを味方の駒として再使用することを許すルールとなっていることは、当時の戦争に対する考え・現実の反映であろう。
 一、この古代支那に誕生した思想は、近世に於ては忘れられる所となっていたが、現代に至って、たとえば(敵に寝返りを打たせる)人民戦争の如き概念となって復活し、一時期、共産主義国・社会主義国が自己の思想的武器として専売特許の如く使用、威力を発揮し、現代戦争の性格の重要な一面を形成するものとして、無視することを許さぬものとなったことは周知の事実であろう。しかし、これも、彼らの理想とする所の実態が明らかとなり、単なる方便に過ぎぬことが認識されるにつれて、急速に信を失い、再び忘れ去られつつある。
 一、しかし、この思想の根本精神は、そもそも「皇軍」を自称した我軍が理想とし建軍の本義とした所であり、今もその価値を失っていない。確かに我々も、昭和の戦争に於ては消化不良を起し、その実現に失敗している。しかし、我々は、過去の失敗に懲りることなく、この思想が、本来我々が軍事思想として有する神武-神武にして戈(ほこ)を止むの意-の精神に合致し、建国以来伝統としてきた諸民族を大和せしむることを以て理想とする祖宗の精神を具現する所以であることを再確認し、信念を以てその復活に取り組むべきであろう。実際、この思想的武器なくして我軍はありえないのである。なお、苦しむ敗者を救い、その武徳により、期せずして彼を傘下に入れた例は、我国では、大楠公の渡辺橋の例を始めとし、今次大戦に於てすら無数である。
 一、本項に対する誤解 ところで、本項も、一般には仏訳の如く解釈されてはいず、殆どは、軍隊を勇敢に戦わせて敵を殺傷するためには、軍隊を激励して憤怒させる(敵愾心を起させる)必要があることを説くものと解しているのである。曹操の如きも「威怒は以て敵を致すなり」と註している。このため、本句は作戦篇には似合しからぬ唐突の言句として、その存在に疑問を呈する者も少なくない。無論、このような意に解すれば当然であろう。しかし、これは、六項の「拙速」に対する誤解と同じく、本篇が作戦篇であることを忘れたために生じた誤解である。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:守屋洋○守屋孫子:兵士を戦いに駆りたてるには、敵愾心を植えつけなければならない。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:重沢俊郎○重沢孫子:もともと兵士が敵を殺すのは、敵に対する怒気のためであり、

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:田所義行○田所孫子:○故殺敵者怒也、取敵之利者貨也とは、敵を制圧する戦闘力は怒、すなわち敵愾心であるが、敵から取上げてわが戦闘力を旺盛ならしめるものは、敵のもっている貨財であるとの意。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:大橋武夫○大橋孫子:怒-敵愾心

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:怒-思慮を欠いた浅はかな用兵。敵愾心と訳したら後の文章と意味が合わなくなる。 本文の最初の「敵を殺す者は怒なり」を「敵を殺すのは奮い立った気勢による」と解釈する者が多い。怒を敵愾心とするからである。だがこの解釈では後の文章とつながらないばかりでなく、金や物資の重要性を述べた作戦篇とそぐわない唐突な解釈となる。したがってこの文は先の通解のように解釈すべきである。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:佐野寿龍○佐野孫子:○故殺敵者、怒也  「怒」は励む、奮い立つの意。この句は一般に「兵士を敵との戦いに駆り立て、進んで敵を殺すものは奮い立った敵愾心(戦意)である」と説明される。用兵上、闘争本能を活性化させ、兵士の士気を高揚させることは勿論重要であり、そのために、「怒り」などの非理性的な心理を活用することは有効な手段となる。然し乍(なが)ら、これはあくまでも指揮操作の対象となる兵士全体について言うものであり、指揮の主体者たる将軍個人の「怒り」を指すものでないことは明らかである。老子曰く「善く戦う者は怒らず」と。<第十二篇 火攻>にも「故に、明主は之を慎み、賢将は之を警(いまし)む」とあるが如く、指揮する者は、むしろ常に冷静さが要求される。つまりこの句は、将軍たる者、必要に応じ時には兵士の敵愾心を煽り、軍の戦意高揚に努める場合もあるが、それはあくまでも一つの方便にすぎず基本的には本来の戦争目的(兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず)を達成するために「敵に勝ちて強を益す」方策、即ち敵の力の有効活用を常に企図するものでなければならないと言外に言うものである。斯る見地よりすれば、「敵を殺す」と言う選択肢以外に、他の方法(敵の力の逆用・活用)があり、然もそれが可能であるにも拘わらず、むやみやたらに敵を殺す者は、単に怒りの激情に駆られただけの思慮分別を失った無益な行為(即ち斯るやり方は敵の抵抗を強化し、戦争を長期化させるだけの狂気の沙汰であり我にとって利とならないもの)にすぎず、賞賛の対象どころか、むしろ批判されるべき行為であると断ずるのである。孫子はこの意味で、「故に、敵を殺すものは怒りなり」と曰うのである。これに対して、「敵の利を取るものは貨(物資等の価値あるもの、ここでは人も含むと解する)なり」は、本来の戦争目的を達成する所以たるものであり、これを実行する者は我にとって利、つまり敵に勝ちて強を益すものとなるため、大いに賞賛すべきであると言うのである。況んやその一例として、敵の戦車ばかりでなく、その乗員までも捕獲することは、前記のただ怒りにまかせて敵を殲滅し殺傷するだけの無益な行為に比べ、はるかにレベルの高い仕事だと評価するのである。故に、当然の結果として「その先ず得たる者を賞する」のである。右の如く解することにより、本篇の前段である「糧は敵に因る」と後段である「敵の利を取る者は貨なり」の説明が本句をキーワードとして何等矛盾することなく繫がり、然も孫子の意に適うものとなるのである。

○著者不明孫子:【故】「故に」という接続詞は、上文の内容を理由として「だから…」「それゆえに…」と下文に続けていく場合に用いられる(もっと強くいう場合は、「是の故に」「…を以ての故に」などの表現をとる)が、いつもそうであるとはかぎらず、「そこで」「このように」「かくて」というほどの軽い意味に用いられる場合も多く、また、「そして」「さて」など、上文の内容とは違うことを言い出す場合の接続詞としても用いられる。
 【殺敵者怒也】「怒」は憤激の情。「こん畜生」と思っていきりたつ気持ち。計篇第一の五「怒而撓之」の怒と同じ。そういう気持ちがあってはじめて敵を殺すことができるということ。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『故に敵を殺す者は怒(はげま)せばなり。』
 怒ははげますと云ふ心也。かれをいからしめて、心を激しはげます。乃ち作戦の篇註にしるせるごとく、振作の心也。荘子に怒飛と云ふも、はげんでとぶと云ふの心也。云ふ心は、味方の兵士戦ふことをこのみ、敵を撃殺することを快くすることは、兵士をはげまし、其の氣を振作して、いさましむるにある也。凡そ良将の兵をつかふこと、よく士卒の勇を考へて、或はこれをかくし或はこれを出し、或は抑揚し、或は褒貶す。皆是れ士卒の氣をはげましいさましむべきの術也。故にかれ戦をこのむといへどもわざと戦はず、かれ出でんことを欲すれどもわざと出でず、彼れ勇力をあらはさんと欲すれどもわざと勇力をあらはさしめず。紀渻子(假設の人、列子黄帝第二及び荘子外篇十九に出づ、要は闘鶏を養ふに、始めは殺気を養ひ、後には沈著にして威あり、敵自ら伏するに至らしむとなり)が雞を養ふ術のごとくならしめて、其の機をはり、其の心をはげましむること、良将の作略也。尉繚子云はく、民の以て戦ふ可き者は、氣也と。百戦奇法(武徳全書中章氏闘書編にありと云ふ)に云はく、凡そ敵と戦ふ、須らく士卒を激勵し、忿怒せ使めて後に出で戦ふべし。法に曰ふ、敵を殺す者は怒り也と。大全に云はく、怒は軍に蔵くす、心觸るる有れば斯に發す、發する有れば則勝つ、而して機權以て之れを激する有るに在り。之れを激すれば則怒り心從り生ず。以て水に入るも濡れず、火を蹈(ふ)むも烈(もえ)ざる可し。其の敵を殺すに於て也何か有らん。田單燕を誑(たぶらか)し城外の塚墓を掘らしめて、士卒遂に激怒して燕を攻むるが如き、是れ也。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:『故に敵を殺すは、怒なり。』
 故とは、又上の文を承けたるなり。上の文に云へる如く、遠境へ働き長陣を張ては、國家の費夥しく、士卒の氣たるむものなるゆへ、士卒の勇氣たはまず、きほひぬけぬ内に、戦を決して早く引取り、長く敵地に居らぬ様にせよと云ことを云たるなり。殺敵者怒也とは、總じて平生怯きもの弱くかひなき人も、一旦怒に乗じては、人と爭ひ闘爭にも及ぶなり。然るに合戦と云ものは、上の催促によりて我に意趣も遺恨もなき人と戦て、是を殺んとす。上下心を同くして、上の怒り玉ふを見ては、我私の仇の如く骨髄に徹して怒るに非んば、誠に世話に云る軍役と云ものになりて、精力を奮て、是非ともにこれを殺んとまでは思ふまじきなり。名将は人情のかくあることを明かに知て、方略を設けて士卒の氣を奮激せしめ、その奮激の氣に乗じて、一戦をはじむる時は、よくわが私の仇を伐つ如く、身命を忘れて戦ふゆゑ、多くの敵を殺して、大軍をも切り崩すことなり。然れば敵を殺して勝利をなすは、此奮激の氣なり。もし長陣に及で、力疲れきほひぬけ、奮激の氣たゆむ時は、軍に勝つことあるべからず。此篇を作戦篇と名付けたるも、此意にて、上の文に長陣を戒めたるも、專ら此道理を説ん為なれば、此一句尤この篇の肝文と云つべし。但しこの怒と云に付て、古來の名將、方略を設て士卒を怒らしめ、軍に勝たるためし少ならず。齊の國七十餘城を燕の國の將軍樂毅に攻め落され、僅に莒即墨の二城のこりたる時、樂毅は讒によりて本國に喚反され、別の大將代りに來れり。即墨の城には田單こもりけるが、田單反間を放つて城中より降參したる者は、城中のものと意趣ありて、殊の外に悪むなり。悉く劓りなば城中の士卒喜ぶべしと云はせければ、彼將尤と思ひ悉く劓る。城中の者ども悪き燕の大將のしかたかな、命の惜しきとて、さやうに辱められては生たるかひなし、降參はすまじきことぞとて、愈々(いよいよ)城を固く守りける。田單また反間をはなつて、城中の者共は、先祖の墓をほり崩され、死骸を焚く。城中のもの涕を流し無念がり、怒氣奮激するを見て、田單切ていで、燕國の軍を追くつし、齊の七十餘城を取りかへしけり。又後漢の班超天子の命を銜(くわえ)て西域へ使に行き、鄯(ぜん)善國へ至り、蹔(しばら)く滞留したりし時、折節匈奴より使來る。鄯善王匈奴の使者を殊の外に馳走しければ、班超か下司の士僅に三十六人ありけるが、班超これに向て云やう、匈奴の士はの來りけれは、それを馳走して、吾々をは輕しむる體(てい)たらく、悪き仕形なり。いかさまにも吾々をからめとり、匈奴に送るべしと思はる。然らば身を犲(読み⇒さい:やまいぬ)狼の食にせられ、空しく朽はてんことの腹立しさよ。虎穴に入らざれば虎子をば得ぬぞとて、夜に入り大風に乗して、風上より匈奴の使者の居處へ火をかけ、三十六人の内十人に太鼓を打せ、火の手上るを合圖にして、夥しく太鼓を打たせ、おめきさけんで切入りければ、匈奴の使者は大勢なりしかども、班超がわつか三十六人の手勢を、夥しき大軍と思ひ、驚き亂れてにげちるを、悉く打取りしかば、此比までは漢と匈奴と兩方へ從ひて、漢へ全くは從はざりし鄯善王、終に降參して、班超抜群の賞に預りしも、怒を以て士卒を激せしゆへ、味方もなき它國のおぼつかなき處にて、成がたき大功を立たり。このやうなる類猶もあるべけれども、畢竟士卒を怒らすると云は、士卒の勇氣を專一にすることなり。怒らざれは敵を殺すこと能はずと云には非ず。張預この段を注して、尉繚子を引き、民の戦う所以は氣なり。氣怒るときは則ち人人自ら戦を謂ふと云へり。氣怒ると云は、怒る時の如く、勇氣の專一なることを云なり。荘子に大鵬と云鳥の、九萬里の天に飛上ることを、怒て飛と云へり。これは彼鳥力を出し氣を奮て飛上ることを、人の怒に喩へて、怒て飛と云て、何も腹立ことあるを云には非ず。故に荘子をよむもの、怒ると云字をはげむと訓じて、はげんで飛とよめり。此本文の怒の字を荘子と同じ意に見て、只勇氣を專一に奮ふことと見ば、孫子が本意に通徹せんか。強ちに士卒を怒らしむるが、孫子の本意と思ひ、事の便りもなきに、強ゐて士卒を怒らしめんとのみ思はば、却て文字に滞り泥(なづ)むなるべし。まして本文一篇の文勢、長陣をして氣のたゆむことを云て、其次に此段を云へば、戦は氣にあるわけ、本文の骨髓なるべし。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『故に敵を殺すものは怒なり。』
 此の句唯だ以て下を起す、意義あることなし。猶ほ詩の所謂興(中国古代の詩の六義(六つの形式)の一つで、ある事物を比喩にかりて、自分の所感を述べるもの。)のごとし。然れども兵理に於て則ち然り。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:威怒を以て敵を致す。

○李筌:怒とは軍威なり。

孫子の兵法:故に敵を殺す者は怒なり:故殺敵者怒也:杜牧:孫子十家註○杜牧:萬人 能同じうして心皆怒るに非ず。我れ之れを激して勢を以て然ら使めるに在るなり。田單即墨を守るに、燕人をして降る者の劓(鼻をき)らしめ、城中の人の墳墓を掘らすの類是れなり。

○賈林:人の怒る無ければ、則ち肯(あ)えて殺さず。

○王晳:兵は威怒を主(つかさど)る。

○何氏:燕 齊の即墨を圍み、齊の降る者盡く劓(鼻を切)る。齊の人皆怒る。愈(いよいよ)堅く守る。田單又反間を縦(ほしいまま)にし曰うに吾れ燕の人 吾が城外の家墓を掘らば、先人を戮辱し、為に寒心となるべし。燕軍 盡く墓を掘り死人を燒く。即墨の人 城上に從い望み見て皆泣涕す。其れ出でて戦を欲し、怒りて自ら十倍す。單 士卒を用うる可きを知れり。遂に燕の師を破る。後漢 班超 西域に使う。鄯善に到りて、其の吏士三十六人と會う。共に酒を飲み酣(たけなわ)となる。因りて之れを激怒して曰く、今俱に絶域に在り。大功を立て以て富貴を求めんと欲す。虜使 到りて裁き数日にして、王禮貌 即ち廢す。如(し)吾が屬を収め匈奴に送らば、骸骨長じて豺狼の食と為すなり。官屬皆曰うに、今危亡の地に在り。死生司馬に從う。
超曰く、虎穴に入らずんば虎子を得ず。當に今之の計をすべし。獨り夜に因りて火を以て虜を攻め、彼をして我れ多少知らざらしむ。必ず大いに震怖[しん‐ぷ【震怖】ふるえおそれること。]し、殄[すべてがほろびる。絶えはてる。ほろぼしつくす。]盡(つく)る可し。此の虜を滅さば則ち功成り事立つなり。衆曰く、善し。初夜 吏士を将とし虜營に奔る。天の大風に會う。超 十人をして鼓を持たせ虜舍の後ろに蔵す。約して曰く、火然ざれば皆當に鼓を鳴らし大いに呼ぶべし。餘人悉く弓弩を持ち、門に來りて伏す。超風に順い火を縦にす。虜衆驚亂す。衆悉く燒き死ぬ。蜀の龐統 劉備に勸むに益州の牧 劉璋を襲え、と。備曰く、此れ大事なり。倉卒[そう‐そつ【倉卒・草卒】サウ‥(「怱卒」とも書く)①あわただしいさま。あわてるさま。②にわかなさま。突然。]とするべからず。璋 備をして張魯を撃たせしむに及ぶ。乃ち璋に從い萬兵及び資寶を求め、以て東行せんと欲す。璋 但だ兵四千を許し、其の餘り皆半ばを給す。備因りて其の衆に激怒して曰く、吾れ益州の為に強敵を征す。師徒に勤瘁す。寧ろ居に遑あらず。今帑藏(かねぐら)の財積みて功を賞し恡[おしむ、やぶさか、ねたむ]む。士大夫の為に死力を出し戦いに望むに其れ得べけんや。是れに由りて相與に璋を破る。

○張預:吾が士卒を激す。上下をして同じく怒らしむれば、則ち敵殺すべし。尉繚子に曰く、民の戦う所以の者は氣なり。謂ふに氣怒らば則ち人人自ら戦う。


意訳
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○金谷孫子:そこで、敵兵を殺すのは、ふるいたった気勢によるのであるが、

○浅野孫子:そこで、敵兵を殺すのは、忿怒の感情からであるが、

○町田孫子:そこで、戦士に敵兵を殺させるものは、軍中にみなぎる殺気であるが、

○天野孫子:それゆえ、進んで敵を殺すものは奮いたった心であり、

○フランシス・ワン孫子:従って、敵を殺すだけを目的とするのは、思慮を失った無謀の用兵である。

○大橋孫子:敵を急速に圧倒するには敵愾心が必要である。

○武岡孫子:したがって、敵を殺すことだけを目的とする作戦は、思慮を欠いた無謀の用兵である。

○著者不明孫子:さて、敵を殺すのは憤激の情により、

○学習研究社孫子:そこで、敵を殺すことは、戦闘意欲という心の作用によるのであるが、

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