2012-04-30 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『計、利として以て聴かるれば、乃ち之れが勢を為して、以て其の外を佐く。』:本文注釈
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解釈を二通り示してみます。
①古くからの解釈では、「利」は有利な状況、利益というようになっているが、それでは「呉王闔閭が吾が計謀を利益があるとして聴き入れられたならば、」という意味となる。聴きいれるのは自分に利益があるとおもえば当然であろうから、あえて文で表すことなのかどうか、どうもおかしく感じられる。また、利益があると思って聴きいれるだけで、「勢」が生まれるものなのかどうか、これも疑問に感じられる。それよりも、「利」の意味を「するどい」の意で解釈してみてはどうであろうか。「呉王闔閭が吾が計謀を、注意を持って微細を穿つかのように聴きいれられれば、」となり、自然である。また、次の「之が勢を為す」にも自然とつながる。「勢」とは、例えば十人いれば、十人の力を一つにまとめて大きな力を発揮することである。また、逆に呼吸が合わねば十人の力はそれぞれ一人一人の力となり、弱いものとなる。つまり、呉王である闔閭が孫武の計をよく理解すれば、ほかの将軍にも要点をついて任務を与えることができ、その将軍も任務の意味がよく理解できれば、末端の兵士までそれぞれの役割をもたせることができる。よって全軍の力が存分に機能し、その力を発揮できるようになる。その全軍一丸となった形が「勢」であり、また、その兵の「勢」を利用することで、あらかじめ用意していた計謀だけでは届いていなかった所も補佐するかのような効果を生むということである。
②『吾が計謀を廟算の結果、利益が大きいと判断し、聴きいれ、正しくさばいたならば、吾が計謀がそこではじめて実質的な力、即ち勢いとなり、その勢いをもって、吾が計謀を「常法」(経または正)とするなら、その外である「変法」(権または奇)の助けとします。』
勝負事はデータ(五事・七計、彼を知り己を知る)なしでは勝てないし、データだけでも勝てるものではない。そしてその勝負事を決定するもの(権)は、ロジックの限界との境目の臨界点から発生するものである。そのロジックを超えた非論理的な力を味方につけなければ勝つことはできない。そのロジックの臨界点から生まれるものが、自分の経験則から導き出される直感である。これが「以て其の外を佐く」、いわゆる計算外の事態をたすける「勢」につながっていく(勢を為す)。ただし、その直感は自分ひとりが活用するものではない。戦争は常に自分を含む多数の味方と一緒に行うものである。自分ひとりの世界のものであれば、その直感を生かすだけでよいのだが、多数の味方がいる場合、周りのみんなに理解してもらうことが大事である。よって自分の考え(計謀、計算)を味方が利があると思って聴きいれてくれることが重要となる。ただ、戦争は不合理に思うことも実行しなければならないこともある。そんなとき、味方には秘匿しなければならない時もでてくるかもしれない。そんなとき味方が言うことを聴いてくれない、などという事態があってはならない。戦場では指揮系統が乱れることは死を意味する。故に上の立場の者は下の立場の者の人事権をしっかり握ることが必須となるのである。(『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れを留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』の文がこれに当たる。)そして、下の者の人事権を掌握することは、計を味方の皆に明らかにする以前に行われるべきものであるため、本文の文の順序もこの通りになっているのである。
利-①するどい。刃物の切れ味がよい。②役に立つ。役に立たせる。㋐効用がある。きく。好都合。よい。㋑うまく使う。㋒ためになるようにする。③もうけ。得。【解字】もと、刀部5画。会意。「禾」(=いね)+「刀」。いねを刃物で切る意。転じて、するどい意。
聽-①耳をそばだてて聞く。聞きとる。「聴」に対し、「聞」は、音声が自然に耳にはいってくる意。②ききいれる。ききしたがう。ゆるす。【解字】形声。「耳」+「悳」(=徳。まっすぐな心)+音符「壬」(=問いただす)。よく聞いて正しくさばく意。
勢-①他を押さえ従わせる力。いきおい。②自然のなりゆき。様子。③人数。兵力。④男性の生殖器。⑤「伊勢」の略。【解字】会意。上半部「埶」は「芸」(=藝)の原字で、草木を植える意。「力」を加えて、草木を植え育てる人の力の意。
外-①そと。そとがわ。うわべ。②ほか。㋐よそ。㋑正統からはずれている。ある範囲のほか。③はずす。のぞく。④身うちで母・妻または嫁とついだ娘の側。【解字】形声。「卜」(=うらない)+音符「月」の変形。月の欠け具合を見てうらなう意。転じて、月が欠けて残ったそとがわの部分の意。一説に、うらないでひびわれが現れる亀甲の表面、すなわちそとの意とする。
佐-①たすける。②すけ。令制で、兵衛府・衛門府の次官。軍隊の将校の階級の一つで、将の下。【解字】形声。「人」+音符「左」(=たすける)。「左」がもっぱら「ひだり」の意味に使われるようになったので、「人」を加えて区別した。
註

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○天野孫子:○計利以聴-「計」ははかりごと。前文の「吾計」を受ける。一説に殆んどの註家は彼我両国の優劣の計算と解する。従って「計利」を彼我両国の優劣を比較計算してわれが有利であるとする。『諺義』は「計利とは、彼我相かんがへくらべて、利我に多くして、必勝の道そなわるなり」と。なお一説に『兵法択』は「利を計りて」と読み、「利を計るとは、之を計りて利あるなり」と。「聴」は聞き入れられるの意。聞き入れる者は、君主、呉王闔廬。『講義』は「計利為り。君之を聴す」と。一説に諸将であると。『新釈』は「諸将亦之に傾聴同意す」と。また一説に主将であると。『管窺』は「主将之を聴用す」と。 ○乃為之勢以佐其外-「乃」はそこではじめての意。「之」は「計」をうける。『新釈』は「『之』の字は『計』を受ける」と。「之勢」とは、はかりごとに利があることから生ずる勢い。「為之勢」ははかりごとが有利であるということから勢いをつくり出すの意。一説に張預は「兵勢を為す」と。また一説に『詳解』は「之に勢を為(あた)へて」と読んで、「威力を、計を聴くの将に賜与して三軍を統領せしむ」と。「其」は「計」を受ける。『詳解』は「其の字は計を指す」と。「其外」とは、はかりごとを内とし、それに対しての外を言う。「佐其外」とは外的条件をよくするの意。前句とこの句に注して一説に『纂注』は「蓋し五経(五事)七計は、兵の常法にして、自治の道なり。自治既に立てば、則ち兵以て挙ぐべし。然れども徒らに自治を恃みて堅を攻め鋭を摧(くだ)き、以て勝を鋒鏑(ほうてき)の間に争へば、則ち亦善戦者と為さず。故に之が勢を設為して以て常法の外を助く」と。鋒鏑は刀と矢。
○大橋孫子:計、利にして…其の外を佐く-戦理にかなった状況判断が採用されれば、勢いを生じ、廟堂の外、戦場における戦いが有利となる
○武岡孫子:計、利にして以て聴かるれば-五事七計に基づく戦争計画が有利として聴許されたなら 乃ちこれが勢を為して-その計画を実行するために、可能で有利な状勢を作為すること 以て其の外を佐く-作戦軍の国外における軍事活動を支援する
○佐野孫子:計利以聴-「利」とは、「計」に「勝ち目が輝き、勢いがあること」を言う。「聴」は聞き入れられるの意。 乃為之勢-「乃」はそこではじめての意。「之」は「計」を受ける。「之勢」とは、はかりごとに利があることから、生ずる勢い。 以佐其外-「其」は計を受ける。「其外」とは、はかりごとを内とし、それに対しての外を言う。「佐其外」とは外的条件をよくするの意。ここでは、正しい戦略による戦争の主動権確保は一種の優勢となって、戦いにおいて勝利を収める外部的条件と成ることを言う。
○フランシス・ワン孫子:一、「計、利として以て聴かるれば」 五事・七計に基づく戦争判断(政・戦略判断)が有利であるとして聴許されたならば、の意である。 一、「乃ち之が勢を為して、以て其の外を佐く」 「之が勢を為す」は、戦争判断に基づく戦争計画によって状勢を作為すること(形勢作為)。「以て其の外を佐く」とは、作戦軍の国境外に於ける軍事活動を支援すること。「外」とは内に対する外、いわゆる閫外(王城の外)の意である。梅堯臣は「計、内に定まれば、勢を外に為し、以てその勝ちの成るを助く」と註している。つまり、本項は、作戦軍の活動を容易にするための状勢作為(政・戦略的舞台の作為)の必要を説くものである。
○守屋孫子:さて、以上述べた七つの基本条件において、こちらが有利であるとしよう。次になすべきことは、「勢」を把握して、基本条件を補強することである。
○田所孫子:○計利とは、道天地将法の五経で敵と味方との内情を比較研究して、計算の結果がわれに有利であるとの意。 ○以聴とは、君主がよろしいと嘉納するとの意。 ○為之勢の之は君主がよろしいと嘉納したこと。勢とは激水の奔流するさま。君主が嘉納したことに意を強うして、着々と宣戦布告に至る準備態勢。 ○佐其外とは、側面・外面から戦闘準備工作をすすめるとの意。
○重沢孫子:わが作戦のすぐれたことが、すでに理解いただけました上は、”勢”-軍の作戦にはずみをつける謀略とでも申しますか-そういうものを臨機応変に編み出しまして、正規の用兵作戦を外側から援助いたします(といった前置きよろしく)、以下”勢”なるものについて、孫子は解説してゆきます。
○著者不明孫子:【計利以聴】「吾が計」が利ありとされて、そして聞き入れられたなら。「計の利なること以(すで)に聴かるれば」の意にとる説(王晳など)もあり、「計利」を「利を計る」と解する説(杜牧など)もある。 【乃為之勢】「乃」は「そこで」の意。「之が勢を為す」とは、そこに勢いを加えること。勢いとはふつう「成り行き」の意であるが、ここでは特に「因利而制権」という解説がついている。権ははかりの分銅で、それを動かして物の目方を量る。そこから、固定した常道でなく、時と場合に応じて妥当な対処の仕方を選ぶことを権という。「権を制す」とはそういう権の方法を実際に選んで決定すること。 【佐其外】「佐」は助ける。「其外」は「計」の外。最初の計画の中に含まれていた、原則的に予想された事態以外の状況をいう。
○諺義:計利とは、彼我相かんがへたくらべて、利我れに多くして、必勝の道そなはる也。以て聽せとは、兵を用ひ敵に從つて相戦ふのことをゆるす也。云ふ心は、五事七計を以て考ふるに、我れに利あらば乃ち敵とはだへを合せたたかひをなさんとすでにゆるすとき、勢と云ふものを以て戦法のたすけとすべき也。勢はつまびらかに兵勢篇に之れ在り。外と云ふは兵をあらはし戦場にのぞみて、兩軍相戦ふのときを云へり。右五事七計は皆内にあつて、我れを正し兵をととのへ、勝敗をかんがふる道也。勢は相臨んで外に戦ふときの術也。この段に外の一字をしるして、以前の説は皆廟堂帷幄の内の謀なることをしめす。凡そ五事は内、七計は外也。五事七計は内也、勢は外也。佐と云ふは本といたすことにあらず、これをたすけといたす也。主君のたすけになるものを輔佐の臣と云ひ、大将のためにたすけたるものを、副裨と云ふ。佐は輔副の心也。右の五事七計を以て本として、勢をそのたすけといたすと云ふ心也。此の一句孫子兵を談じて古今に超出し、萬世これをのつとるゆゑんなり。五事七計ととのふときは必勝なりと云ふ上は、勢は論ずるにたらざると云ふ可き所に、計利あらば以て聽せ、乃ち之れが勢を為し、以て其の外を佐けよ、と云ふ一句を以て、權道機變奇道を臨戦のたすけとなすべしと論ず。ここにおいて内外ととのひ、經權並行し、常變相通じ、正奇相序で、兵法全き也。古今兵を論ずるもの、或は權謀にながれて道を知らず、或は仁義に拘りて變に合ふを知らず、このゆゑに兵法の全備と云ふべきあらざる也。
○孫子国字解:此段より下、不可先傳也とあるまでは、勢ひのことを云へり。右の五事七計のつもりにて、勝負は分るることなれども、軍には不意の變動と云ものあり。天地の氣も、日々夜々に生々して止まず、人また活物なれば、兩軍相對する上にて、無盡の變動起ること、先たちてはかるべからず。故に五事七計何れも宜しくて、味方の勝にきはまりたる軍にても、何事なくして勝べきに非れば、兵の勢と云ことをなして、軍の勝を助くることを云たるなり。計利以聽とは、右の七計にてつもり計て、味方の勝利と知り、軍の手當てをせんに、主将尤と聽入れ玉ひ、上下一致していよいよ勝利に究まりたれども、猶又兵の勢と云ことをなして、其助けとするとなり。佐其外とは、右の五事七計にてはかりつもりて、設たる手當ては、出陣前にきはまることにて、是を内謀と云なり。内謀にて及ばず届かぬ處あるを、兵の勢ひにて助け手つたひて、全き勝利をなすゆへ外を佐くとは云なり。
○孫子評註:「計(五事七計によって作戦を練ってみて戦争が我に有利であることがわかり、その作戦が聴許される場合には、それを「勢」すなわち実戦的な力に転じて外の作戦の展開を助ける。)利にして以て聴かるれば、」-四字(原文の四字を指す。)は順に上の兩項を承(う)く。利とは即ち勝負を知るなり。聽とは即ち吾が計を聽くなり。
「乃ち之れが勢を為して、以て其の外を佐(たす)く。」-廟算(朝廷での作戦計画。)は内なり。故に戦地は之れを外と謂ふ。 ○孫子の兵を論ずるや活潑々地(魚がはねるようにいきいきとして、勢いのよいさま。)、誰れか能くここに及ばんや。
○曹公:常法の外なり。
○李筌:計利既に定れば、乃ち形勢の便に乗じるなり。其の外を佐くとは、常法の外なり。
○杜牧:利害を計算す。是れ軍事の根本なり。利害既に聽用し見れば、然る後常法の外に於いて更に兵勢を求め以て其の事を助佐けるなり。
○賈林:其の利を計り、其の謀を聽き、敵の情を得れば、我れ乃ち奇譎の勢を設け以て之れを動かす。外とは或は傍らを攻めざらん或は後を躡まざらんことを、以て正陳を佐く。
○梅堯臣:計 内に定れば、勢外に為り、以て成勝を助く。
○王晳:吾計の利已に聴く。復た當に變に應じ以て其の外を佐くことを知るべし。
○張預:孫子又謂へらく、吾計る所の利、若し已に聽き従えば、則我れ當に復た兵勢を為し、以て其の事の外を佐助けるべし。蓋し兵の常法とは即ち人に明言す可からん。兵の勢を利すとは、須らく敵に因りて為すべし。
意訳

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○金谷孫子:はかりごとの有利なことが分かって従われたならば、[出陣前の内謀がそれで整ったわけであるから、]そこで勢ということを助けとして[出陣後の]外謀とする。
○浅野孫子:計謀をご自身の利益だと判断されてお聞き入れになりますならば、国内で準備すべき勝利の体制はそれで整いますから、つぎにはあなたの軍隊に勢を付与して、外征後の補助手段とします。
○町田孫子:はかりごとの有利さがおわかりいただけたら、次には勢というものを醸成して、外側からの助けとします。
○天野孫子:およそ、そのはかりごとが有利であるとして、それが聞き入れられるならば、そこで始めて有利なはかりごとが勢をつくりだし、それが外的条件をよくする。
○大橋孫子:戦理にかなった状況判断が採用されれば、勢いを生じ、廟堂の外、戦場における戦いが有利になる。
○武岡孫子:ところで戦争指導において、前述のように戦理にかなった状況判断を行なって結論を出し、それが君主に許可されれば、次はそれを実行するために有利な状勢を作り出すことがたいせつである。つまり、作戦軍の活動を容易にするとか、その成果を生かす外部環境を整えるなどである。
○フランシス・ワン孫子:将軍は、私の軍事論(方策)が明らかにした利点を考慮して、それを実現しやすい状勢をつくり出していかねばならない。
○著者不明孫子:もし我が方策が有利とされて採用されるなら、さらに勢いを用いて、計画外の事態に対する補いとする。
○学習研究社孫子:計算と有利さとを基準として判断し、敵よりも力量が大きくなるよう努める。そのことによって、実力の及ばない点を補助する。
○佐藤堅司 孫子の思想史的研究:五事七計の内謀がわれに有利であることがわかり、戦争が聴許される場合になすべきことはなんであるか。その時には、事計の静的な力を動的な力すなはち「勢」(兵勢篇に詳述)に転じて、外の戦争を助けよ。
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『計、利として以て聴かるれば、乃ち之れが勢を為して、以て其の外を佐く。』:本文注釈
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解釈を二通り示してみます。
①古くからの解釈では、「利」は有利な状況、利益というようになっているが、それでは「呉王闔閭が吾が計謀を利益があるとして聴き入れられたならば、」という意味となる。聴きいれるのは自分に利益があるとおもえば当然であろうから、あえて文で表すことなのかどうか、どうもおかしく感じられる。また、利益があると思って聴きいれるだけで、「勢」が生まれるものなのかどうか、これも疑問に感じられる。それよりも、「利」の意味を「するどい」の意で解釈してみてはどうであろうか。「呉王闔閭が吾が計謀を、注意を持って微細を穿つかのように聴きいれられれば、」となり、自然である。また、次の「之が勢を為す」にも自然とつながる。「勢」とは、例えば十人いれば、十人の力を一つにまとめて大きな力を発揮することである。また、逆に呼吸が合わねば十人の力はそれぞれ一人一人の力となり、弱いものとなる。つまり、呉王である闔閭が孫武の計をよく理解すれば、ほかの将軍にも要点をついて任務を与えることができ、その将軍も任務の意味がよく理解できれば、末端の兵士までそれぞれの役割をもたせることができる。よって全軍の力が存分に機能し、その力を発揮できるようになる。その全軍一丸となった形が「勢」であり、また、その兵の「勢」を利用することで、あらかじめ用意していた計謀だけでは届いていなかった所も補佐するかのような効果を生むということである。
②『吾が計謀を廟算の結果、利益が大きいと判断し、聴きいれ、正しくさばいたならば、吾が計謀がそこではじめて実質的な力、即ち勢いとなり、その勢いをもって、吾が計謀を「常法」(経または正)とするなら、その外である「変法」(権または奇)の助けとします。』
勝負事はデータ(五事・七計、彼を知り己を知る)なしでは勝てないし、データだけでも勝てるものではない。そしてその勝負事を決定するもの(権)は、ロジックの限界との境目の臨界点から発生するものである。そのロジックを超えた非論理的な力を味方につけなければ勝つことはできない。そのロジックの臨界点から生まれるものが、自分の経験則から導き出される直感である。これが「以て其の外を佐く」、いわゆる計算外の事態をたすける「勢」につながっていく(勢を為す)。ただし、その直感は自分ひとりが活用するものではない。戦争は常に自分を含む多数の味方と一緒に行うものである。自分ひとりの世界のものであれば、その直感を生かすだけでよいのだが、多数の味方がいる場合、周りのみんなに理解してもらうことが大事である。よって自分の考え(計謀、計算)を味方が利があると思って聴きいれてくれることが重要となる。ただ、戦争は不合理に思うことも実行しなければならないこともある。そんなとき、味方には秘匿しなければならない時もでてくるかもしれない。そんなとき味方が言うことを聴いてくれない、などという事態があってはならない。戦場では指揮系統が乱れることは死を意味する。故に上の立場の者は下の立場の者の人事権をしっかり握ることが必須となるのである。(『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れを留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』の文がこれに当たる。)そして、下の者の人事権を掌握することは、計を味方の皆に明らかにする以前に行われるべきものであるため、本文の文の順序もこの通りになっているのである。
利-①するどい。刃物の切れ味がよい。②役に立つ。役に立たせる。㋐効用がある。きく。好都合。よい。㋑うまく使う。㋒ためになるようにする。③もうけ。得。【解字】もと、刀部5画。会意。「禾」(=いね)+「刀」。いねを刃物で切る意。転じて、するどい意。
聽-①耳をそばだてて聞く。聞きとる。「聴」に対し、「聞」は、音声が自然に耳にはいってくる意。②ききいれる。ききしたがう。ゆるす。【解字】形声。「耳」+「悳」(=徳。まっすぐな心)+音符「壬」(=問いただす)。よく聞いて正しくさばく意。
勢-①他を押さえ従わせる力。いきおい。②自然のなりゆき。様子。③人数。兵力。④男性の生殖器。⑤「伊勢」の略。【解字】会意。上半部「埶」は「芸」(=藝)の原字で、草木を植える意。「力」を加えて、草木を植え育てる人の力の意。
外-①そと。そとがわ。うわべ。②ほか。㋐よそ。㋑正統からはずれている。ある範囲のほか。③はずす。のぞく。④身うちで母・妻または嫁とついだ娘の側。【解字】形声。「卜」(=うらない)+音符「月」の変形。月の欠け具合を見てうらなう意。転じて、月が欠けて残ったそとがわの部分の意。一説に、うらないでひびわれが現れる亀甲の表面、すなわちそとの意とする。
佐-①たすける。②すけ。令制で、兵衛府・衛門府の次官。軍隊の将校の階級の一つで、将の下。【解字】形声。「人」+音符「左」(=たすける)。「左」がもっぱら「ひだり」の意味に使われるようになったので、「人」を加えて区別した。
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○天野孫子:○計利以聴-「計」ははかりごと。前文の「吾計」を受ける。一説に殆んどの註家は彼我両国の優劣の計算と解する。従って「計利」を彼我両国の優劣を比較計算してわれが有利であるとする。『諺義』は「計利とは、彼我相かんがへくらべて、利我に多くして、必勝の道そなわるなり」と。なお一説に『兵法択』は「利を計りて」と読み、「利を計るとは、之を計りて利あるなり」と。「聴」は聞き入れられるの意。聞き入れる者は、君主、呉王闔廬。『講義』は「計利為り。君之を聴す」と。一説に諸将であると。『新釈』は「諸将亦之に傾聴同意す」と。また一説に主将であると。『管窺』は「主将之を聴用す」と。 ○乃為之勢以佐其外-「乃」はそこではじめての意。「之」は「計」をうける。『新釈』は「『之』の字は『計』を受ける」と。「之勢」とは、はかりごとに利があることから生ずる勢い。「為之勢」ははかりごとが有利であるということから勢いをつくり出すの意。一説に張預は「兵勢を為す」と。また一説に『詳解』は「之に勢を為(あた)へて」と読んで、「威力を、計を聴くの将に賜与して三軍を統領せしむ」と。「其」は「計」を受ける。『詳解』は「其の字は計を指す」と。「其外」とは、はかりごとを内とし、それに対しての外を言う。「佐其外」とは外的条件をよくするの意。前句とこの句に注して一説に『纂注』は「蓋し五経(五事)七計は、兵の常法にして、自治の道なり。自治既に立てば、則ち兵以て挙ぐべし。然れども徒らに自治を恃みて堅を攻め鋭を摧(くだ)き、以て勝を鋒鏑(ほうてき)の間に争へば、則ち亦善戦者と為さず。故に之が勢を設為して以て常法の外を助く」と。鋒鏑は刀と矢。
○大橋孫子:計、利にして…其の外を佐く-戦理にかなった状況判断が採用されれば、勢いを生じ、廟堂の外、戦場における戦いが有利となる
○武岡孫子:計、利にして以て聴かるれば-五事七計に基づく戦争計画が有利として聴許されたなら 乃ちこれが勢を為して-その計画を実行するために、可能で有利な状勢を作為すること 以て其の外を佐く-作戦軍の国外における軍事活動を支援する
○佐野孫子:計利以聴-「利」とは、「計」に「勝ち目が輝き、勢いがあること」を言う。「聴」は聞き入れられるの意。 乃為之勢-「乃」はそこではじめての意。「之」は「計」を受ける。「之勢」とは、はかりごとに利があることから、生ずる勢い。 以佐其外-「其」は計を受ける。「其外」とは、はかりごとを内とし、それに対しての外を言う。「佐其外」とは外的条件をよくするの意。ここでは、正しい戦略による戦争の主動権確保は一種の優勢となって、戦いにおいて勝利を収める外部的条件と成ることを言う。
○フランシス・ワン孫子:一、「計、利として以て聴かるれば」 五事・七計に基づく戦争判断(政・戦略判断)が有利であるとして聴許されたならば、の意である。 一、「乃ち之が勢を為して、以て其の外を佐く」 「之が勢を為す」は、戦争判断に基づく戦争計画によって状勢を作為すること(形勢作為)。「以て其の外を佐く」とは、作戦軍の国境外に於ける軍事活動を支援すること。「外」とは内に対する外、いわゆる閫外(王城の外)の意である。梅堯臣は「計、内に定まれば、勢を外に為し、以てその勝ちの成るを助く」と註している。つまり、本項は、作戦軍の活動を容易にするための状勢作為(政・戦略的舞台の作為)の必要を説くものである。
○守屋孫子:さて、以上述べた七つの基本条件において、こちらが有利であるとしよう。次になすべきことは、「勢」を把握して、基本条件を補強することである。
○田所孫子:○計利とは、道天地将法の五経で敵と味方との内情を比較研究して、計算の結果がわれに有利であるとの意。 ○以聴とは、君主がよろしいと嘉納するとの意。 ○為之勢の之は君主がよろしいと嘉納したこと。勢とは激水の奔流するさま。君主が嘉納したことに意を強うして、着々と宣戦布告に至る準備態勢。 ○佐其外とは、側面・外面から戦闘準備工作をすすめるとの意。
○重沢孫子:わが作戦のすぐれたことが、すでに理解いただけました上は、”勢”-軍の作戦にはずみをつける謀略とでも申しますか-そういうものを臨機応変に編み出しまして、正規の用兵作戦を外側から援助いたします(といった前置きよろしく)、以下”勢”なるものについて、孫子は解説してゆきます。
○著者不明孫子:【計利以聴】「吾が計」が利ありとされて、そして聞き入れられたなら。「計の利なること以(すで)に聴かるれば」の意にとる説(王晳など)もあり、「計利」を「利を計る」と解する説(杜牧など)もある。 【乃為之勢】「乃」は「そこで」の意。「之が勢を為す」とは、そこに勢いを加えること。勢いとはふつう「成り行き」の意であるが、ここでは特に「因利而制権」という解説がついている。権ははかりの分銅で、それを動かして物の目方を量る。そこから、固定した常道でなく、時と場合に応じて妥当な対処の仕方を選ぶことを権という。「権を制す」とはそういう権の方法を実際に選んで決定すること。 【佐其外】「佐」は助ける。「其外」は「計」の外。最初の計画の中に含まれていた、原則的に予想された事態以外の状況をいう。
○諺義:計利とは、彼我相かんがへたくらべて、利我れに多くして、必勝の道そなはる也。以て聽せとは、兵を用ひ敵に從つて相戦ふのことをゆるす也。云ふ心は、五事七計を以て考ふるに、我れに利あらば乃ち敵とはだへを合せたたかひをなさんとすでにゆるすとき、勢と云ふものを以て戦法のたすけとすべき也。勢はつまびらかに兵勢篇に之れ在り。外と云ふは兵をあらはし戦場にのぞみて、兩軍相戦ふのときを云へり。右五事七計は皆内にあつて、我れを正し兵をととのへ、勝敗をかんがふる道也。勢は相臨んで外に戦ふときの術也。この段に外の一字をしるして、以前の説は皆廟堂帷幄の内の謀なることをしめす。凡そ五事は内、七計は外也。五事七計は内也、勢は外也。佐と云ふは本といたすことにあらず、これをたすけといたす也。主君のたすけになるものを輔佐の臣と云ひ、大将のためにたすけたるものを、副裨と云ふ。佐は輔副の心也。右の五事七計を以て本として、勢をそのたすけといたすと云ふ心也。此の一句孫子兵を談じて古今に超出し、萬世これをのつとるゆゑんなり。五事七計ととのふときは必勝なりと云ふ上は、勢は論ずるにたらざると云ふ可き所に、計利あらば以て聽せ、乃ち之れが勢を為し、以て其の外を佐けよ、と云ふ一句を以て、權道機變奇道を臨戦のたすけとなすべしと論ず。ここにおいて内外ととのひ、經權並行し、常變相通じ、正奇相序で、兵法全き也。古今兵を論ずるもの、或は權謀にながれて道を知らず、或は仁義に拘りて變に合ふを知らず、このゆゑに兵法の全備と云ふべきあらざる也。
○孫子国字解:此段より下、不可先傳也とあるまでは、勢ひのことを云へり。右の五事七計のつもりにて、勝負は分るることなれども、軍には不意の變動と云ものあり。天地の氣も、日々夜々に生々して止まず、人また活物なれば、兩軍相對する上にて、無盡の變動起ること、先たちてはかるべからず。故に五事七計何れも宜しくて、味方の勝にきはまりたる軍にても、何事なくして勝べきに非れば、兵の勢と云ことをなして、軍の勝を助くることを云たるなり。計利以聽とは、右の七計にてつもり計て、味方の勝利と知り、軍の手當てをせんに、主将尤と聽入れ玉ひ、上下一致していよいよ勝利に究まりたれども、猶又兵の勢と云ことをなして、其助けとするとなり。佐其外とは、右の五事七計にてはかりつもりて、設たる手當ては、出陣前にきはまることにて、是を内謀と云なり。内謀にて及ばず届かぬ處あるを、兵の勢ひにて助け手つたひて、全き勝利をなすゆへ外を佐くとは云なり。
○孫子評註:「計(五事七計によって作戦を練ってみて戦争が我に有利であることがわかり、その作戦が聴許される場合には、それを「勢」すなわち実戦的な力に転じて外の作戦の展開を助ける。)利にして以て聴かるれば、」-四字(原文の四字を指す。)は順に上の兩項を承(う)く。利とは即ち勝負を知るなり。聽とは即ち吾が計を聽くなり。
「乃ち之れが勢を為して、以て其の外を佐(たす)く。」-廟算(朝廷での作戦計画。)は内なり。故に戦地は之れを外と謂ふ。 ○孫子の兵を論ずるや活潑々地(魚がはねるようにいきいきとして、勢いのよいさま。)、誰れか能くここに及ばんや。
○曹公:常法の外なり。
○李筌:計利既に定れば、乃ち形勢の便に乗じるなり。其の外を佐くとは、常法の外なり。
○杜牧:利害を計算す。是れ軍事の根本なり。利害既に聽用し見れば、然る後常法の外に於いて更に兵勢を求め以て其の事を助佐けるなり。
○賈林:其の利を計り、其の謀を聽き、敵の情を得れば、我れ乃ち奇譎の勢を設け以て之れを動かす。外とは或は傍らを攻めざらん或は後を躡まざらんことを、以て正陳を佐く。
○梅堯臣:計 内に定れば、勢外に為り、以て成勝を助く。
○王晳:吾計の利已に聴く。復た當に變に應じ以て其の外を佐くことを知るべし。
○張預:孫子又謂へらく、吾計る所の利、若し已に聽き従えば、則我れ當に復た兵勢を為し、以て其の事の外を佐助けるべし。蓋し兵の常法とは即ち人に明言す可からん。兵の勢を利すとは、須らく敵に因りて為すべし。
意訳


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○金谷孫子:はかりごとの有利なことが分かって従われたならば、[出陣前の内謀がそれで整ったわけであるから、]そこで勢ということを助けとして[出陣後の]外謀とする。
○浅野孫子:計謀をご自身の利益だと判断されてお聞き入れになりますならば、国内で準備すべき勝利の体制はそれで整いますから、つぎにはあなたの軍隊に勢を付与して、外征後の補助手段とします。
○町田孫子:はかりごとの有利さがおわかりいただけたら、次には勢というものを醸成して、外側からの助けとします。
○天野孫子:およそ、そのはかりごとが有利であるとして、それが聞き入れられるならば、そこで始めて有利なはかりごとが勢をつくりだし、それが外的条件をよくする。
○大橋孫子:戦理にかなった状況判断が採用されれば、勢いを生じ、廟堂の外、戦場における戦いが有利になる。
○武岡孫子:ところで戦争指導において、前述のように戦理にかなった状況判断を行なって結論を出し、それが君主に許可されれば、次はそれを実行するために有利な状勢を作り出すことがたいせつである。つまり、作戦軍の活動を容易にするとか、その成果を生かす外部環境を整えるなどである。
○フランシス・ワン孫子:将軍は、私の軍事論(方策)が明らかにした利点を考慮して、それを実現しやすい状勢をつくり出していかねばならない。
○著者不明孫子:もし我が方策が有利とされて採用されるなら、さらに勢いを用いて、計画外の事態に対する補いとする。
○学習研究社孫子:計算と有利さとを基準として判断し、敵よりも力量が大きくなるよう努める。そのことによって、実力の及ばない点を補助する。
○佐藤堅司 孫子の思想史的研究:五事七計の内謀がわれに有利であることがわかり、戦争が聴許される場合になすべきことはなんであるか。その時には、事計の静的な力を動的な力すなはち「勢」(兵勢篇に詳述)に転じて、外の戦争を助けよ。
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2012-04-20 (金) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』:本文注釈
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解釈を二通り示してみます。
①この文の解釈には諸説あるが、浅野裕一氏の解釈が最も妥当で優れていると思う。呉王闔閭に謁見したときはまだ孫武は将軍でも軍師でもないため、将軍の罷免権も当然もっていない。よって、私の言うことを用いる将軍は留めよ、用いない者は罷免せよ、と解釈するのは不自然すぎる。また「将」を呉王闔閭と解釈するのはやや抵抗がある。これまで主君のことを「主」と表わしてきたものがなぜ「将」になるのか、これも疑問が残る。以上の事から、「将」は「もし」と解釈し、留まる・去るというのは孫武自身の去就を指す、とした方が最も自然であると考えられる。
孫子兵法には、のちに孫氏学派と呼ばれる後世の学者たちが付け加えた文章をみることができる。そのなかでも、孫子(孫武や孫臏)が語ったとされる言葉がしばらく後に歴史的にその通りになったというものもしばしばある。この『将し吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留まらん。将し吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』の言葉も、あるいは孫子の最後の時の形をあらわしている可能性がある。歴史上、孫子(孫武)は呉で活躍した後、その後どうなっていったのかということは不明のままであるが、この文章から推察するに、孫武は最後に自分の計を受け入れられない主、あるいは将に会い、呉の国を去って行ったのではないであろうか。それを孫氏学派はあたかも予言をしたかの如く孫子が言ったかのように記述したのではなかろうか。そう思えてならない。ちなみに『李衛公問対』によると、張良、孫武、范蠡の三人は功なり遂げた後、うまく引退できたという記述があるので、闔閭亡き後うまく引退できたのではなかろうかというのが私の予想である。
②「孫子」を子細に検討してみると、『孫子兵法十三篇』は明らかに孫武一人の著作ではなく、文章も前後のつながりに欠ける箇所がかなり多い。このことからも『孫子兵法十三篇』は孫武とその他の人物(孫臏など)の口述・著述を集めた名言集である可能性が高いと思われる。また、このことからも、今に伝わる『孫子兵法十三篇』は当時呉王闔閭に奏上された孫武著作の「兵法」そのままの形のものではないことは明白である。よってこの『孫子兵法十三篇』を解釈していく上で、『孫子兵法十三篇』は、呉王闔閭に実際奏上した「兵法」とは異なるということを念頭に入れて、読み進めていかねばならないであろう。そして、また、この「孫子十三篇」は純粋な「兵法」の塊としてみるべきであろう。
それを考えた時、この『将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之。』は、孫武が立案した計謀が、採用されるか否かにより孫武自身が去就を決める、というように解釈するということは有り得ることなのであろうか。「兵法」である以上、軍を孫武が指揮していくというのなら話がわかるが、自分の計謀が採用されないため、自分が軍を去ろう、と解釈するのは有り得ないことではないだろうか。よって、この『将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之。』は『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』と読み、『将が、吾が計を聴きいれて正しくさばけば、兵を用いれば必ず勝つ。その場合その将を留任させる。聴きいれずに誤った用兵をすれば必ず敗れる。その場合、その将を罷免させる。』と解釈すべきであろう。当時、軍師は将軍の任命権や罷免権などの人事権を有した絶大な権力を手に入れていたことがこの文から推測できる。
註

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○金谷孫子:『将 吾が計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これを留めん。 将 吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る、これを去らん。』 将-助字とみて「もし、あるいは、」の意にとる説も有力。そのばあいには、「これを留めん」「これを去らん」は、孫子自身がその国に留まり、また去ることと解される。
○浅野孫子:『将し吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留まらん。将し吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』 ●将-「もし」の意を表す助辞。将軍の意に解する説も有力であるが、以下の理由から成立しがたい。『史記』孫子呉起列伝や竹簡本『孫子兵法』見呉王篇の伝記によれば、斉から呉にやってきた孫武は、あらかじめ十三篇の兵法書を呉王に提出して自己の任用を求め、それを読んだ呉王に会見して、才能を認められた後に将軍職に就任している。もっとも呉王は、会見の時点ですでに孫武を将軍と呼んでいるが、これは呉王がはじめから孫武を将軍として採用せんとする意志を表明して、相手への敬意を示そうとしたことと、現に孫武が婦人の部隊を指揮して、将軍役を演じていたことによるもので、孫武はまだ正式に将軍とはなっていない。とすれば、『孫子』十三篇は、このとき孫武が呉王に提出した兵書であるように全体が構成・叙述されているから、いまだ任用が確定していない外臣としての不安定な立場上、その時点で孫武が、現在の将軍の去就に口出ししたように記述されることはありえない。しかも将軍の意に取ると、将軍が孫武の計略を聞き入れた場合、孫武は将軍ではなく軍師・参謀として、呉に留まろうと考えていたことになるが、婦人を兵卒に見立てて指揮し、将軍としての有能さを実証せんとする孫武の言動は、最初から将軍就任を望む孫武の意志を表しており、両者は矛盾をきたす。さらに十三篇は直接呉王に対して提出した兵書とされており、その間に将軍は全く介在していないから、孫武の計謀を受納するか否かを決断する相手としては、呉王のみが想定されていたを見なければならない。以上の理由から、ここの将は助辞と解釈して、自説の採否の如何によって、呉に留まるか国外に退去するか、自己の去就を判断するとの孫武の発言として、全体が叙述されていると理解すべきであろう。
○町田孫子:『将、吾が計を聴かば、これを用いて必ず勝たん。これに留まらん。将、吾が計を聴かずんば、これを用いるといえども必ず敗れん。これを去らん』 <将、吾が…これを去らん>将軍がわたしのはかりごとをきき入れるなら、その将軍を任用しなさい。しないなら解雇しなさい、とも解釈できる。「将」を「もし」と読む説もある。
○天野孫子:『将 吾が計を聴きて之を用ふれば、必ず勝たん。之に留まらん。将 吾が計を聴きて之を用ひずんば、必ず敗れん。之をさらん。』 ○将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之- 「将」はここでは呉王闔廬を言う。君主は必ずしも将軍ではないが、呉王闔廬は一国の将軍としても活躍した人物。この文は、孫武が闔廬に仕えることを求める言として解釈する。陳皥は「闔閭軍を行り師を用ふ。多く自ら将たり。故に主と言はずして将と言ふなり」と。『講義』『解』『略解』『合契』などはこの見解。「将」について諸説がある。『新釈』は「(孫子は)此の書によって呉王に自分を自薦してをるのである。そこで此所の意味も孫子は自分の計を呉王に聴き入れて貰いたいといふ気持があるのであらう。故に此の『将』の字を呉王を指すと見れば意味がよく通ずるのである。故に古来の註の中には左様に見てをるのもある。然し孫子十三篇を通じて孫子は決して王のことを『将』とは呼んでをらない。王のことは『主』と呼んで明かに『将』と区別してゐる。七計中に於ても『主の道』と『将の能』とは明かに区別してをったのである。故に『将」は呉王を指すと見る説は明かに誤りである」として『新釈』は王の輔佐役たる将を指しながら王を言外に表わしたものとしている。また一説に孟氏は「将とは裨将なり」と。裨将は副将。これに伴って後文の「之を留めん」「之を去らん」の「之」は副将をさすこととなる。この見解をとるものに趙本学がおる。また一説に主将(将帥)を指すと。『諺義』『正義』『管窺』『詳解』がそれ。ただ『諺義』は孫子みずから去留を決するとするのに対して、『詳解』は「蓋し孫子、汎く世の人主に将帥を去留するの道を告ぐる者なり。注家は闔閭一人に告ぐると為す。其見狭し。此将も亦世の諸将を指す。或は裨将と為し、或は語辞と為すは皆非なり」と。また一説に『直解』は「二将の字は、君に対すれば大将を指して言ひ、将に対すれば偏裨を指して言ふ」と。この説に従うものに『開宗』『評識』『義疏』がある。その他単に「将」としているのに『提要』『口義』『評註』がある。また一説に副詞として「まさに…せんとす」または「はた」と読む。この場合省かれた主語を呉王としている。梅堯臣・張預・『国字解』『集説』『活説』『存疑』などがそれである。「吾」は孫武自身を言う。「計」ははかりごと、すなわち平生軍備をなし、いよいよ事急な時彼我の軍備の優劣を計算するという、このはかりごと。一説に孟氏は「計画」と、陳皥は「計策」と。また一説に七計と。『国字解』は「右の七計を云ふなり」と。『諺義』は「吾計とは、孫子が右に云ふ処の五事七計をさす。その内、計の字は全く七計の上に心あり」と。「用之」の「之」は吾計を受ける。『開宗』『国字解』『折衷』『略解』などがそれ。一説に兵を指すと。張預・『講義』『約説』『諺義』『評註』『活説』『纂注』『存疑』などがそれ。この場合「不聴吾計用之」を「吾計を聴かずして、之を用ふれば」と読む。また一説に将をさすと。『直解』・趙本学・『約説』『義疏』『正義』『詳解』『大意抄』などがそれ。この場合「之を留めよ」「之を去らせよ」と読む。
○フランシス・ワン孫子:『将の吾が計を聴く、之を用うれば必ず勝つ之を留めよ。将の吾が計を聴かざる、之を用うれば必ず敗る。之を去れ。』 一、計篇の講義は十四項までが前段で、以下後段に移るのであるが、その開始に当たって、孫子は次の如く言うのである。即ち、前段で述べた如く、戦争はその基本要素である五事を知り之を七計を以て校量することによって「その情」(勝敗の情・戦争の性格と輪郭)を把握することができ、従って勝敗の帰趨も予測が可能となる。而して、五事・七計は客観的要素であるが故に、その評価・算定は誰しもが納得する所となる。しかし、戦争の特質は、以下述べる、五事・七計に立脚した兵法(政・戦略と作戦・用兵)という主体的要素が加わることによってその内容と様相を変え、従って勝敗もまた姿を異にしてくる所にある。つまり、戦争に於ては、いわゆる兵法に出番があるのである。しかし、兵法は詭道を以て本質とし要素とするものであるが故に、人はその意義と価値を頭では理解しても、実際の状勢・問題に適用する場合には、必ずしもその価値と効用を納得するものではなく、またその万人が納得せず認識しえない所に価値と特質がある-つまり兵法(作戦・用兵)は原則自体に秘密があるわけではないのである- 而して、戦争指導・作戦用兵に於て最も重要なことは、君主(最高政治指導者)と将軍が、その詭道の計画と実行に於て思想的に一致し、そこに相互信頼があることであり、これなくしては戦争の遂行はもとより、勝利の収穫もありえない。従って、自己(孫子)が軍師として用いられる以上は、以下述べる用兵原則とそれに基づく作戦・用兵を納得できないとする者は、将軍に起用してはならない、と。無論、言外に、それが入れられない以上、自分もまた用いられることをしないであろうの意を含んでいる。 一、史記を見るに、孫子は、当時既に著名な兵法家であったようである。しかし、当然のことであるが、呉国の君臣特に呉王は、その所説に対し疑う色が濃かったのであろう。このため、孫子は、列席の将軍にことよせて、もし自分の所論が真面目に聴かれないのであれば講義をやめて帰ってもよい、つまり、自己の進退に関して宣言したわけである。曹操は「(吾が方略を聴きて)、計を定ること能わざれば、則ち退きて去らんとなり」と註している。なお、本項は次の如くも読む。即ち、「将、吾が計を聴きて之を用うれば必ず勝つ。之に留らん。将、吾が計を聴かずして之を用うれば必ず敗る。之を去らん」と。この場合の「将」は王将即ち呉王若しくは呉王の将軍を指し、「之に留らん」の「之」は軍師(軍事指導者)としての地位を指す。梅堯臣は次の如く註している。「王将、我が計を聴きて戦いを用うれば必ず勝つ。我は当に此に留まるべし。王将、吾が計を聴かずして戦いを用うれば必ず敗る。我は当に此を去るべしとなり」と。「将」は、別に「将し」(もし)或は「将に」(まさに)など読む者もいるが、意味を変えるものではない。 一、しかし、本項は、孫子が自身の任用を求めての駆引きの言とする者も少なくない。たとえば、張豫は「将に辞せんとするなり。…此を以て辞を激しくして、呉王に用いんことを求むるなり」と、いかにも支那的解釈をしている。しかし、孫子が、本項以降全篇に亙って展開している将帥論から見れば、斯の如き見解は浅薄で見当違いと言わざるをえない。本項は、孫子の自己の兵法に対する自信のほどを示す言と解すべきであろう。 一、何れにせよ、孫子にあっては、戦争に於ける将軍の存在は絶対であり、またその将軍と君主(政治指導者・政府)との間には絶対の相互信頼関係がなければならないのである。従って、最高指揮官の任免に於て、その能力を無視した政治的妥協の如きは許さるべきではなく、ましてや、最高方略に反対若しくは納得せぬ将帥を起用したり或いは留任せしむるが如きは論外である。我々としては、昭和の陸軍の派閥人事、或いは海軍のいわゆるハンモック・ナンバー(海兵の卒業序列)による人事が生んだ、数々の遺憾な事態を思い浮かべざるをえぬ所であろう。
○守屋孫子:王が、もしわたしのはかりごとを用い、軍師として登用するなら、必ず勝利を収めることができる。それなら、わたしは貴国にとどまろう。逆にわたしのはかりごとを用いなければ、かりに軍師として戦いにのぞんだとしても、必ず敗れる、それなら、わたしは貴国にとどまる意志はない。 ■「史記」孫子列伝によれば、孫武が呉王闔廬に見(まみ)えたときにの様子がつぎのように記されている。 「孫子武は斉人なり。兵法を以って呉王闔廬に見ゆ。闔廬曰く、『子の十三篇われ尽くこれを観る。以って少しく試みに兵を勒すべきか』対えて曰く、『可なり』。闔廬曰く、『試みに婦人を以ってすべきか』。曰く、『可なり』」 ということで、このあと孫武が婦人部隊を練兵する有名な場面が紹介されている。この『史記』の記述によると、孫武は、すでに『孫子』十三篇を著し、それをもって闔廬に謁見を求めたことがわかる。したがって、訳文に王とあるのは闔廬、貴国とあるのは呉の国のことである。孫武は、このときの実地試験にパスし、闔廬の軍師としてとどまることになった。
○田所孫子:『将に吾計を聴き、これを用ひんとすれば、必ず勝ち、これに留まらん。将に吾計を聴き、これを用ひざらんとすれば、必ず敗れ、これを去らん。』 ○吾計とは、孫子の五事の計。留之・去之の之は呉王のところをさす。
○重沢孫子:『将(=若)しわが計に聴きて之を用いれば、必ず勝つ。ここに留らん。将しわが計に聴きて之を用いざれば、必ず敗る。ここを去らん。』 勝利への見通しがはっきりした後をうけて、孫子は自分の考えている作戦の基本的性格について語りはじめます。相手は、呉国(江蘇省地域)の君主でその名は闔閭。もしわが作戦に耳を傾けてそれをお取り上げになれば、必ず勝ちますから、私はこの呉国に留まります。もしわが作戦に耳を傾けもせず、お取り上げにもならなければ、敗れるに決まっていますから、私はここを立ち去ります。
○大橋孫子:『将、吾が計を聴き、之を用うれば必ず勝つ。之に留まらん。将、吾が計を聴き、之を用いざれば必ず敗る。之を去らん。』 之を去らん-我が進言を採用しない将のもとにはとどまらない。
○武岡孫子:『将、吾が計を聴き、これを用うれば必ず勝つ。これを留めん。将、吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る。これを去らん。』 これを去らん-我が進言を採用しないような将軍は敗北が必至だから罷免せよ
○佐野孫子:◎将聴吾計、用之必勝、留之 「将」は副詞として、「これから~しようとする」、「~となるであろう」又は「もし・もしや」の意味で、近い未来に関する意思や予想・事態の進行を表わす語。この場合、主語である「主(呉王を指す)」は省かれていると解する。「吾」は孫武自身を言う。「用之」の「之」は、呉王の兵(軍隊)を指す。「用之」とは、孫武が将軍として呉王の兵の作戦を指揮することを言う。「留之」の「之」は呉国を指して言う。ここでは、戦略と戦術あるいは目的と手段の関係に言及し、戦略なき戦術は無意味であり、戦略の失敗は戦術で補えないことを言うものである。即ち、戦場で自己の指揮作戦が効果を発揮するためには、自己の戦略思想が「主」と一致し、これが受け入れられていることが大前提であり、然ざれば、例え戦場で自己の用兵術を巧みに用いたとしても、所詮は敗北せざるを得ない、と言うのである。
○著者不明孫子:『将に吾が計を聴きて之を用ひんとすれば、必ず勝ちて之に留らん。将に吾が計を聴きて之を用ひざらんとすれば、必ず敗れて之を去らん。』 【将聴吾計用之】この「将」の理解には諸説ある。呉王闔廬に向かって王を指すとする説(陳暭)、将軍とする説(孟氏)、行う意の動詞とする説(王晳)、助字とする説(杜牧ほか)など。下文とのつながりぐあいから、助字とみて「…することになるなら」の意に解するのがよい。なお、杜牧は「将」を「若」(もし)と説明している。「聴」は聴従の聴。聞き入れる、それに従う意。「吾計」の計は七計ではなく、一般的な計謀・画策などの意。また、「聴いて用いる」主格をだれとするかによって、下の「去」も、孫子自身がそこを去ると解するか、将をやめさせると解するか、解釈が分かれる。今、「将聴…」の主語を国君(呉王とはかぎらない)と解し、したがって、「去る」のは孫子がその国あるいは国君の下を去ると解する説をとる。下の「将不聴…」の解釈も同様。
○学習研究社孫子:『将、吾が計を聴かば、之を用うれば必ず勝つ。之を留めん。将、吾が計を聴かざれば、之を用うれば必ず敗る。之を去らす。』 之-彼
○諺義:『将吾が計を聴きて之れを用ひば必ず勝たん、之(一)留まらん、将吾が計を聴かずして之れを用ひば必ず敗れん、之(一)去らん、』 ((一)素行はかかる場合の之字を讀まざること多し) 将は主将をさす。聽とはよくききいれてそれにしたがふこと也。吾が計とは孫子が右に云ふ處の五事七計をさす。その内計の字は全く七計の上に心あり、之れを用ひばとは兵を擧げ軍をなすこと也。云ふ心は、主将吾が云ふ處を信用し相從つて軍旅を用ひば、必勝の道あり、故に我れ又ここにとどまるべき也。之れを聽かずして兵を用ふるにおいては必ず敗るべし。此の如き處は吾れ速に去つて留る可からざる也。この比(ころ)孫子兵を談じて諸侯に師たり。故に危邦(論語秦伯篇第十三章に、「危邦には入らず、亂邦には居らず」とあり)には入らず、亂邦には居らずの心なれば、我が計にしたがふべき大将の地にはとどまるべし、然らざれば去つて留る可からずと云へる也。此の段に必勝必敗の兩事をあぐ。凡そ兵に必勝の理あり、必勝あるときは又必敗あり。今孫子は所謂五事七計を以て相計るときは、勝敗忽ちあらはれて之れを隱くす可からず、是れ必勝也、必敗也。勝敗を兩陣の間に爭ふは下策にして上兵にあらず。勝を廟堂の上にきはめ門戸を出でず兵を暴(さらさ)ずして、古今にたくらべ萬世にしめして、其の勝疑ふ可からざるを必勝の兵と云ふ、是れ乃ち孫子が所謂必勝也。三略に云はく、夫れ義を以て不義を誅するは江河を決して(三略諺義第三には、決の字を捜字に作る)爝火に漑ぎ、不測に臨みて墜ちんと欲するを擠すが若し、其の克つことや必せり。是れ又必勝の理をつくせる也。此の段留之の二字、孫子自稱の言也。陳皡・梅堯臣・王晳・張預が説及び講義之れに從ふ。劉寅が直解、鄭希山が武經通鑑には、将の任を留めてまかすると将の任をさらしむると見る也。中にも直解は、孫子が去留と云ふときは、此れ忠厚の心に非ず、恐らくは孫子の本意を失はんと。袁了凡云はく、此れ勝を制する者は先づ将の去留を選むを言ふ、二轉して上を結び下を起す云云と、是れ又将の任を去留せしむるの心とみたり。魏武帝・杜牧が註には、我れと彼れと引合せかんがふるに、我が計にかなふときは其の地に留まりて戦ふ、然らざればひいてさるべしとみる也。今案ずるに、此の如き所は一篇の文段にして、させる義理のあることにあらず、いづれの注にしたがひても害なし。只だ必勝必敗の字によく心をつくべし。但し鄙見にまかせて云へば、孫子が去留とみてよし。然らざれば文段附會にちかし。況や孫子自稱して吾が計といへれば、時の大将に對していへる言に疑ひ無き也。舊説に呉王を激して用ひんことを求むと云へるはあやまり也。孫子が自らの出處去就を云ふ也。直解の説は張其の説を皇して覺えず附會するの言也と。之れを取る可からず。其の書をよくとかんために入らざることに言をつひやして、附會牽合するは學者の通弊也。余往昔尤も此の病有り。将の字平聲に用ふるときは語の辭也、まさにともはたともよむべし。魏武・張昭・王晳・張預・杜牧皆しかり。陳皡・孟氏及び講義・全書(武徳全書の著者は李氏と云ふ、その他不明)には大将の字義とす。陳皡云はく、其の時闔閭軍を行り師を由ふるに、多く自ら将と為る、故に主と言はずして将と言ふ。全書に云はく、是れの二つの将字は活看を要す、人君に在りては則大将を指し、大将に在りては則褊裨を指す云云。
○孫子国字解:『将(はた)吾計を聽て之を用ひば必勝ん、之に留まらん、将(はた)吾計を聽て之を用ひずば、必去ん。』 此段は、勝負の道は、右の五事七計にて明かに分るることを、丁寧に云へり。将(はた)とは辭なり。もしと云意なり。吾計とは、即孫子が勝負のつもりなり。右の七計を云なり。もし呉王闔廬孫子が、右の如く五事七計にてはかりつもりて、此戦は勝なり、負なりと定めたるを、尤と聽入れて用ひ玉はば、必勝利あるべし。尤と思はず、聽入れず用ひ玉はずは、必敗北に及ぶべし。されば右の七計を尤と思召さば、留まりて仕へ奉るべし。用玉はずば、留り仕へてもせんなきことなるゆへ、立去るべしと云ことなり。然れば孫子が心は、合戦の勝負は此五事七計にて、戦はぬ前に定まると云わけを、第一とするなり。将の字をはたと讀むこと、王晳張預が説なり。陳皡梅堯臣は将の字を主将と見る。一段の意は王晳張預と同じけれども、總じて始計篇の内にて、主将を将とは云ず、文例相違せり。はたとよむ説宜しからん。又孟氏が説は、裨将と見る。是は大将の下の士大将のことなり。施子美が説には、はたと讀むと、諸将と見ると、兩説をあげたり。黄獻臣は、君より見れば總大将を指し、總大将より見れは士大将を指すと云へり。将の字を總大将士大将と見る時は、下の文を、これに留めん、これを去んとよむべし。吾計を用ひぬ士大将をば、除き去るべし。用る士大将をば、留め置て召仕ふべしと云意なり。一段の義理は、何れにても通ずるなり。されども此段の吾計と云は、即上文の七計のことなれば、聽用ると聽用ざるをば主将へかけ、留まると去をば孫子へかけて見ねば、始計一篇の文勢通貫せぬなり。さるにても将の字をはたとよまずして、主将と見ることは、文例に合はぬゆへ、今王晳張預が説に從ふなり。尤吾申すことを用ひ玉はずは立去るべしと云こと、忠臣の道にはづれたる様なれども、戦國七雄の時は、いまだ君臣の約束をなさねども、客卿客将などとて、他國の人来て其國に居るもの多し。孫子も齊の國人にて、この時呉國へ来り、呉王闔廬といまだ君臣の分定まらざる前に、此書を作りて獻じたりと見えたり。故に史記の孫子が傳にも、孫子初て呉王にまみえたる時、呉王の詞に、子之十三篇悉觀之矣とあるなり。又本文の用之とある字を、兵を用ると見る説あり。其時は、はた吾計を聽ずしてこれを用ひばとよむなり。字法穩ならず。從ふべからず。
○孫子評註:「将、吾が計を聴いて之れを用ふれば必ず勝つ。之れ(将軍として留めよう。松陰の解釈は本注のとおりであるが、「将」を「もし、あるいは」の意の助字と考え、「留之」「去之」は孫子自身がその国に留まり、また去ることと解する説もある。)を留めん。将吾が計を聴かずして之れを用ふれば必ず敗る。之れ(将軍をやめさせよう。)を去らん。」-是れ自(おのずから)ら一段、将を以て重しと為す。諸々の「吾」と稱するは、孫子自ら吾れとするなり。其の立言を觀るに譬(たと)へば齊威(普通の説に従えば、『孫子』の著者孫武は春秋時代斉の人で呉王に仕えた。孫臏はそれより百年あまり後の人であって斉の威王の軍師となった。田忌はその時の将軍である。昔の軍師は今の参謀長のようなものであるが、軍師は時には将軍の地位をも左右したことが下文によって知られる。)、田忌を以て将と為し、孫臏之れが師となれるが如し。之れを用ふとは兵を用ふなり。留去は用捨を言ふなり。是の時に當り、田忌の用捨、孫師(軍師孫臏。)の言下に在り。噫(ああ)畏るべきかな。此れ(作戦計画をたてるうえで、軍師の権限を強く打ち出しているところが孫武の本領であるという意。)に非ずんば何を以て孫武と為さんや。
○曹公:計定まる能わざれば、則退きて去るなり。
○孟氏:将は裨将なり。吾計畫を聽きて勝たば、則之に留まらん。吾計畫に違えて敗らば、則之を除去せん。
○杜牧:若し彼自ずから備え護らば、我が計に從わず、形勢均等にして以て相加うること無し。用いて戦えば必ず敗る。引て去らん。故に春秋傳に曰く、允當たれば則歸るなり、と。
○陳皡:孫武書を以て闔閭に干して曰く、用いて吾計策を聴かば、必ず能く敵に勝つ。我當に之に留まり去らざるべし。吾計策を聴かざれば必ず當に負敗すべし。我之を去りて留まらず。此れを以て感動す。庶必ず用い見る。故に闔閭曰く、子の十三篇、寡人盡く之を觀る。其の時闔閭軍を行るに師を用う。多くは自ら将と為す。故に主を言わずして将を言うなり。
○梅堯臣:武 十三篇を以て呉王闔閭に干す。故に首篇此の辭を以て之を動かす。謂へらく王将吾が計を聽きて用いて戦えば必ず勝つ。我當に此れに留まるべし。王将我が計を聽かずして用いて戦えば必ず敗る。我當に此れを去るべし。
○王晳:将に行かんとす。用とは兵を用いるを謂うのみ。言うこころは行きて吾此の計を聽きて兵を用うれば、則必ず勝つ。我當に留まるべし。行きて吾此の計を聽かずして兵を用うれば、則必ず敗る。我當に去るべし。
○張預:将とは辭なり。孫子謂へらく今将し吾陳する所の計を聽きて兵を用うれば則必ず勝つ。我乃ち此れに留まるなり。将し我が陳する所の計を聽かずして兵を用うれば則必ず敗る。我乃ち去りて他國に之かん。此の辭を以て呉王を激して用を求む。
意訳

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○金谷孫子:将軍がわたしの[上にのべた五事七計の]はかりごとに従うばあいには、彼を用いたならきっと勝つであろうから留任させる。将軍がわたしのはかりごとに従わないばあいには、彼を用いたならきっと負けるであろうから辞めさせる。
○浅野孫子:もし主君が、私が先に述べた五事七計の計謀を採用されるならば、あなたの軍隊を私が将軍として運用して必ず勝利します。ですから私はこの地に留まりましょう。もし主君が私の計謀を採用されないときは、たとえ私が将軍としてあなたの軍隊を運用しても敗北は必至です。そうであれば、私はこの国を退去いたしましょう。
○町田孫子:将軍が、このわたしのはかりごとをおききとどけ下さるなら、わたしにお任せになって、勝利は間違いございますまい。わたしはあなたのもとにとどまりましょう。はかりごとをおききとどけ下さらぬなら、わたしを任用なさっても敗れるに決まっています。わたしはこの地を立ち去りましょう。
○天野孫子:主君がわたしの以上のようなはかりごとを聞き入れて、このはかりごとを用いたなら、必ず敵に勝つでしょう。そうすればわたしはこの国にとどまりましょう。主君がもしわたしのはかりごとを聞き入れて用いることがないならば、必ず敵に敗れるでしょう。そうすればわたしはこの国を去りましょう。
○フランシス・ワン孫子:私の説く軍事論(戦略・方法)を心に留めて、これを実行に移す将軍を起用すれば、勝利は必定である。彼を手離してはならない。この方策の採用を拒む将軍を起用すれば、敗北は必定である。彼は罷免すべきである。
○大橋孫子:このような考えをもつ私の献策を、将軍が採用すれば必ず勝てるから、そのもとにとどまって働くが、採用しないような将軍は必ず敗れるから、そんなところからは去る。
○武岡孫子:私の説くこのような戦略理論を心に留めて聴くような将軍なら、彼は必ず勝つであろうから、その地位に留めさせたらよい。反対に聴こうとしないような将軍なら、その人は必ず敗れるであろうから解任すべきである。
○著者不明孫子:右のような私の方策を聞き入れて採用してくれるなら、必ず勝つであろうから、私はその国にとどまろう。私の方策を聞き入れて採用してくれないなら、必ず敗れるであろうから、私はその国を去ろう。
○学習研究社孫子:指揮官が、私の計を聴き入れるときは、その指揮官を用いたならば必ず勝つから、彼を留める。指揮官が、私の計を聴きいれない時は、彼を用いると必ず敗れるから、彼を罷免する。
○佐藤堅司 孫子の思想史的研究:呉王が私(孫子)の計(五事七計)を採用して戦争をするなら、必ず勝つに相違ないから、私は軍師となつて留らう。王が私の計を受け入れないで戦争をするなら、敗北は疑ひないことであるから、私は直ちに立ち去らうと思ふ。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』:本文注釈
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解釈を二通り示してみます。
①この文の解釈には諸説あるが、浅野裕一氏の解釈が最も妥当で優れていると思う。呉王闔閭に謁見したときはまだ孫武は将軍でも軍師でもないため、将軍の罷免権も当然もっていない。よって、私の言うことを用いる将軍は留めよ、用いない者は罷免せよ、と解釈するのは不自然すぎる。また「将」を呉王闔閭と解釈するのはやや抵抗がある。これまで主君のことを「主」と表わしてきたものがなぜ「将」になるのか、これも疑問が残る。以上の事から、「将」は「もし」と解釈し、留まる・去るというのは孫武自身の去就を指す、とした方が最も自然であると考えられる。
孫子兵法には、のちに孫氏学派と呼ばれる後世の学者たちが付け加えた文章をみることができる。そのなかでも、孫子(孫武や孫臏)が語ったとされる言葉がしばらく後に歴史的にその通りになったというものもしばしばある。この『将し吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留まらん。将し吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』の言葉も、あるいは孫子の最後の時の形をあらわしている可能性がある。歴史上、孫子(孫武)は呉で活躍した後、その後どうなっていったのかということは不明のままであるが、この文章から推察するに、孫武は最後に自分の計を受け入れられない主、あるいは将に会い、呉の国を去って行ったのではないであろうか。それを孫氏学派はあたかも予言をしたかの如く孫子が言ったかのように記述したのではなかろうか。そう思えてならない。ちなみに『李衛公問対』によると、張良、孫武、范蠡の三人は功なり遂げた後、うまく引退できたという記述があるので、闔閭亡き後うまく引退できたのではなかろうかというのが私の予想である。
②「孫子」を子細に検討してみると、『孫子兵法十三篇』は明らかに孫武一人の著作ではなく、文章も前後のつながりに欠ける箇所がかなり多い。このことからも『孫子兵法十三篇』は孫武とその他の人物(孫臏など)の口述・著述を集めた名言集である可能性が高いと思われる。また、このことからも、今に伝わる『孫子兵法十三篇』は当時呉王闔閭に奏上された孫武著作の「兵法」そのままの形のものではないことは明白である。よってこの『孫子兵法十三篇』を解釈していく上で、『孫子兵法十三篇』は、呉王闔閭に実際奏上した「兵法」とは異なるということを念頭に入れて、読み進めていかねばならないであろう。そして、また、この「孫子十三篇」は純粋な「兵法」の塊としてみるべきであろう。
それを考えた時、この『将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之。』は、孫武が立案した計謀が、採用されるか否かにより孫武自身が去就を決める、というように解釈するということは有り得ることなのであろうか。「兵法」である以上、軍を孫武が指揮していくというのなら話がわかるが、自分の計謀が採用されないため、自分が軍を去ろう、と解釈するのは有り得ないことではないだろうか。よって、この『将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之。』は『将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』と読み、『将が、吾が計を聴きいれて正しくさばけば、兵を用いれば必ず勝つ。その場合その将を留任させる。聴きいれずに誤った用兵をすれば必ず敗れる。その場合、その将を罷免させる。』と解釈すべきであろう。当時、軍師は将軍の任命権や罷免権などの人事権を有した絶大な権力を手に入れていたことがこの文から推測できる。
註


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○金谷孫子:『将 吾が計を聴くときは、これを用うれば必ず勝つ、これを留めん。 将 吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る、これを去らん。』 将-助字とみて「もし、あるいは、」の意にとる説も有力。そのばあいには、「これを留めん」「これを去らん」は、孫子自身がその国に留まり、また去ることと解される。
○浅野孫子:『将し吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留まらん。将し吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。』 ●将-「もし」の意を表す助辞。将軍の意に解する説も有力であるが、以下の理由から成立しがたい。『史記』孫子呉起列伝や竹簡本『孫子兵法』見呉王篇の伝記によれば、斉から呉にやってきた孫武は、あらかじめ十三篇の兵法書を呉王に提出して自己の任用を求め、それを読んだ呉王に会見して、才能を認められた後に将軍職に就任している。もっとも呉王は、会見の時点ですでに孫武を将軍と呼んでいるが、これは呉王がはじめから孫武を将軍として採用せんとする意志を表明して、相手への敬意を示そうとしたことと、現に孫武が婦人の部隊を指揮して、将軍役を演じていたことによるもので、孫武はまだ正式に将軍とはなっていない。とすれば、『孫子』十三篇は、このとき孫武が呉王に提出した兵書であるように全体が構成・叙述されているから、いまだ任用が確定していない外臣としての不安定な立場上、その時点で孫武が、現在の将軍の去就に口出ししたように記述されることはありえない。しかも将軍の意に取ると、将軍が孫武の計略を聞き入れた場合、孫武は将軍ではなく軍師・参謀として、呉に留まろうと考えていたことになるが、婦人を兵卒に見立てて指揮し、将軍としての有能さを実証せんとする孫武の言動は、最初から将軍就任を望む孫武の意志を表しており、両者は矛盾をきたす。さらに十三篇は直接呉王に対して提出した兵書とされており、その間に将軍は全く介在していないから、孫武の計謀を受納するか否かを決断する相手としては、呉王のみが想定されていたを見なければならない。以上の理由から、ここの将は助辞と解釈して、自説の採否の如何によって、呉に留まるか国外に退去するか、自己の去就を判断するとの孫武の発言として、全体が叙述されていると理解すべきであろう。
○町田孫子:『将、吾が計を聴かば、これを用いて必ず勝たん。これに留まらん。将、吾が計を聴かずんば、これを用いるといえども必ず敗れん。これを去らん』 <将、吾が…これを去らん>将軍がわたしのはかりごとをきき入れるなら、その将軍を任用しなさい。しないなら解雇しなさい、とも解釈できる。「将」を「もし」と読む説もある。
○天野孫子:『将 吾が計を聴きて之を用ふれば、必ず勝たん。之に留まらん。将 吾が計を聴きて之を用ひずんば、必ず敗れん。之をさらん。』 ○将聴吾計用之、必勝。留之。将不聴吾計用之、必敗。去之- 「将」はここでは呉王闔廬を言う。君主は必ずしも将軍ではないが、呉王闔廬は一国の将軍としても活躍した人物。この文は、孫武が闔廬に仕えることを求める言として解釈する。陳皥は「闔閭軍を行り師を用ふ。多く自ら将たり。故に主と言はずして将と言ふなり」と。『講義』『解』『略解』『合契』などはこの見解。「将」について諸説がある。『新釈』は「(孫子は)此の書によって呉王に自分を自薦してをるのである。そこで此所の意味も孫子は自分の計を呉王に聴き入れて貰いたいといふ気持があるのであらう。故に此の『将』の字を呉王を指すと見れば意味がよく通ずるのである。故に古来の註の中には左様に見てをるのもある。然し孫子十三篇を通じて孫子は決して王のことを『将』とは呼んでをらない。王のことは『主』と呼んで明かに『将』と区別してゐる。七計中に於ても『主の道』と『将の能』とは明かに区別してをったのである。故に『将」は呉王を指すと見る説は明かに誤りである」として『新釈』は王の輔佐役たる将を指しながら王を言外に表わしたものとしている。また一説に孟氏は「将とは裨将なり」と。裨将は副将。これに伴って後文の「之を留めん」「之を去らん」の「之」は副将をさすこととなる。この見解をとるものに趙本学がおる。また一説に主将(将帥)を指すと。『諺義』『正義』『管窺』『詳解』がそれ。ただ『諺義』は孫子みずから去留を決するとするのに対して、『詳解』は「蓋し孫子、汎く世の人主に将帥を去留するの道を告ぐる者なり。注家は闔閭一人に告ぐると為す。其見狭し。此将も亦世の諸将を指す。或は裨将と為し、或は語辞と為すは皆非なり」と。また一説に『直解』は「二将の字は、君に対すれば大将を指して言ひ、将に対すれば偏裨を指して言ふ」と。この説に従うものに『開宗』『評識』『義疏』がある。その他単に「将」としているのに『提要』『口義』『評註』がある。また一説に副詞として「まさに…せんとす」または「はた」と読む。この場合省かれた主語を呉王としている。梅堯臣・張預・『国字解』『集説』『活説』『存疑』などがそれである。「吾」は孫武自身を言う。「計」ははかりごと、すなわち平生軍備をなし、いよいよ事急な時彼我の軍備の優劣を計算するという、このはかりごと。一説に孟氏は「計画」と、陳皥は「計策」と。また一説に七計と。『国字解』は「右の七計を云ふなり」と。『諺義』は「吾計とは、孫子が右に云ふ処の五事七計をさす。その内、計の字は全く七計の上に心あり」と。「用之」の「之」は吾計を受ける。『開宗』『国字解』『折衷』『略解』などがそれ。一説に兵を指すと。張預・『講義』『約説』『諺義』『評註』『活説』『纂注』『存疑』などがそれ。この場合「不聴吾計用之」を「吾計を聴かずして、之を用ふれば」と読む。また一説に将をさすと。『直解』・趙本学・『約説』『義疏』『正義』『詳解』『大意抄』などがそれ。この場合「之を留めよ」「之を去らせよ」と読む。
○フランシス・ワン孫子:『将の吾が計を聴く、之を用うれば必ず勝つ之を留めよ。将の吾が計を聴かざる、之を用うれば必ず敗る。之を去れ。』 一、計篇の講義は十四項までが前段で、以下後段に移るのであるが、その開始に当たって、孫子は次の如く言うのである。即ち、前段で述べた如く、戦争はその基本要素である五事を知り之を七計を以て校量することによって「その情」(勝敗の情・戦争の性格と輪郭)を把握することができ、従って勝敗の帰趨も予測が可能となる。而して、五事・七計は客観的要素であるが故に、その評価・算定は誰しもが納得する所となる。しかし、戦争の特質は、以下述べる、五事・七計に立脚した兵法(政・戦略と作戦・用兵)という主体的要素が加わることによってその内容と様相を変え、従って勝敗もまた姿を異にしてくる所にある。つまり、戦争に於ては、いわゆる兵法に出番があるのである。しかし、兵法は詭道を以て本質とし要素とするものであるが故に、人はその意義と価値を頭では理解しても、実際の状勢・問題に適用する場合には、必ずしもその価値と効用を納得するものではなく、またその万人が納得せず認識しえない所に価値と特質がある-つまり兵法(作戦・用兵)は原則自体に秘密があるわけではないのである- 而して、戦争指導・作戦用兵に於て最も重要なことは、君主(最高政治指導者)と将軍が、その詭道の計画と実行に於て思想的に一致し、そこに相互信頼があることであり、これなくしては戦争の遂行はもとより、勝利の収穫もありえない。従って、自己(孫子)が軍師として用いられる以上は、以下述べる用兵原則とそれに基づく作戦・用兵を納得できないとする者は、将軍に起用してはならない、と。無論、言外に、それが入れられない以上、自分もまた用いられることをしないであろうの意を含んでいる。 一、史記を見るに、孫子は、当時既に著名な兵法家であったようである。しかし、当然のことであるが、呉国の君臣特に呉王は、その所説に対し疑う色が濃かったのであろう。このため、孫子は、列席の将軍にことよせて、もし自分の所論が真面目に聴かれないのであれば講義をやめて帰ってもよい、つまり、自己の進退に関して宣言したわけである。曹操は「(吾が方略を聴きて)、計を定ること能わざれば、則ち退きて去らんとなり」と註している。なお、本項は次の如くも読む。即ち、「将、吾が計を聴きて之を用うれば必ず勝つ。之に留らん。将、吾が計を聴かずして之を用うれば必ず敗る。之を去らん」と。この場合の「将」は王将即ち呉王若しくは呉王の将軍を指し、「之に留らん」の「之」は軍師(軍事指導者)としての地位を指す。梅堯臣は次の如く註している。「王将、我が計を聴きて戦いを用うれば必ず勝つ。我は当に此に留まるべし。王将、吾が計を聴かずして戦いを用うれば必ず敗る。我は当に此を去るべしとなり」と。「将」は、別に「将し」(もし)或は「将に」(まさに)など読む者もいるが、意味を変えるものではない。 一、しかし、本項は、孫子が自身の任用を求めての駆引きの言とする者も少なくない。たとえば、張豫は「将に辞せんとするなり。…此を以て辞を激しくして、呉王に用いんことを求むるなり」と、いかにも支那的解釈をしている。しかし、孫子が、本項以降全篇に亙って展開している将帥論から見れば、斯の如き見解は浅薄で見当違いと言わざるをえない。本項は、孫子の自己の兵法に対する自信のほどを示す言と解すべきであろう。 一、何れにせよ、孫子にあっては、戦争に於ける将軍の存在は絶対であり、またその将軍と君主(政治指導者・政府)との間には絶対の相互信頼関係がなければならないのである。従って、最高指揮官の任免に於て、その能力を無視した政治的妥協の如きは許さるべきではなく、ましてや、最高方略に反対若しくは納得せぬ将帥を起用したり或いは留任せしむるが如きは論外である。我々としては、昭和の陸軍の派閥人事、或いは海軍のいわゆるハンモック・ナンバー(海兵の卒業序列)による人事が生んだ、数々の遺憾な事態を思い浮かべざるをえぬ所であろう。
○守屋孫子:王が、もしわたしのはかりごとを用い、軍師として登用するなら、必ず勝利を収めることができる。それなら、わたしは貴国にとどまろう。逆にわたしのはかりごとを用いなければ、かりに軍師として戦いにのぞんだとしても、必ず敗れる、それなら、わたしは貴国にとどまる意志はない。 ■「史記」孫子列伝によれば、孫武が呉王闔廬に見(まみ)えたときにの様子がつぎのように記されている。 「孫子武は斉人なり。兵法を以って呉王闔廬に見ゆ。闔廬曰く、『子の十三篇われ尽くこれを観る。以って少しく試みに兵を勒すべきか』対えて曰く、『可なり』。闔廬曰く、『試みに婦人を以ってすべきか』。曰く、『可なり』」 ということで、このあと孫武が婦人部隊を練兵する有名な場面が紹介されている。この『史記』の記述によると、孫武は、すでに『孫子』十三篇を著し、それをもって闔廬に謁見を求めたことがわかる。したがって、訳文に王とあるのは闔廬、貴国とあるのは呉の国のことである。孫武は、このときの実地試験にパスし、闔廬の軍師としてとどまることになった。
○田所孫子:『将に吾計を聴き、これを用ひんとすれば、必ず勝ち、これに留まらん。将に吾計を聴き、これを用ひざらんとすれば、必ず敗れ、これを去らん。』 ○吾計とは、孫子の五事の計。留之・去之の之は呉王のところをさす。
○重沢孫子:『将(=若)しわが計に聴きて之を用いれば、必ず勝つ。ここに留らん。将しわが計に聴きて之を用いざれば、必ず敗る。ここを去らん。』 勝利への見通しがはっきりした後をうけて、孫子は自分の考えている作戦の基本的性格について語りはじめます。相手は、呉国(江蘇省地域)の君主でその名は闔閭。もしわが作戦に耳を傾けてそれをお取り上げになれば、必ず勝ちますから、私はこの呉国に留まります。もしわが作戦に耳を傾けもせず、お取り上げにもならなければ、敗れるに決まっていますから、私はここを立ち去ります。
○大橋孫子:『将、吾が計を聴き、之を用うれば必ず勝つ。之に留まらん。将、吾が計を聴き、之を用いざれば必ず敗る。之を去らん。』 之を去らん-我が進言を採用しない将のもとにはとどまらない。
○武岡孫子:『将、吾が計を聴き、これを用うれば必ず勝つ。これを留めん。将、吾が計を聴かざるときは、これを用うれば必ず敗る。これを去らん。』 これを去らん-我が進言を採用しないような将軍は敗北が必至だから罷免せよ
○佐野孫子:◎将聴吾計、用之必勝、留之 「将」は副詞として、「これから~しようとする」、「~となるであろう」又は「もし・もしや」の意味で、近い未来に関する意思や予想・事態の進行を表わす語。この場合、主語である「主(呉王を指す)」は省かれていると解する。「吾」は孫武自身を言う。「用之」の「之」は、呉王の兵(軍隊)を指す。「用之」とは、孫武が将軍として呉王の兵の作戦を指揮することを言う。「留之」の「之」は呉国を指して言う。ここでは、戦略と戦術あるいは目的と手段の関係に言及し、戦略なき戦術は無意味であり、戦略の失敗は戦術で補えないことを言うものである。即ち、戦場で自己の指揮作戦が効果を発揮するためには、自己の戦略思想が「主」と一致し、これが受け入れられていることが大前提であり、然ざれば、例え戦場で自己の用兵術を巧みに用いたとしても、所詮は敗北せざるを得ない、と言うのである。
○著者不明孫子:『将に吾が計を聴きて之を用ひんとすれば、必ず勝ちて之に留らん。将に吾が計を聴きて之を用ひざらんとすれば、必ず敗れて之を去らん。』 【将聴吾計用之】この「将」の理解には諸説ある。呉王闔廬に向かって王を指すとする説(陳暭)、将軍とする説(孟氏)、行う意の動詞とする説(王晳)、助字とする説(杜牧ほか)など。下文とのつながりぐあいから、助字とみて「…することになるなら」の意に解するのがよい。なお、杜牧は「将」を「若」(もし)と説明している。「聴」は聴従の聴。聞き入れる、それに従う意。「吾計」の計は七計ではなく、一般的な計謀・画策などの意。また、「聴いて用いる」主格をだれとするかによって、下の「去」も、孫子自身がそこを去ると解するか、将をやめさせると解するか、解釈が分かれる。今、「将聴…」の主語を国君(呉王とはかぎらない)と解し、したがって、「去る」のは孫子がその国あるいは国君の下を去ると解する説をとる。下の「将不聴…」の解釈も同様。
○学習研究社孫子:『将、吾が計を聴かば、之を用うれば必ず勝つ。之を留めん。将、吾が計を聴かざれば、之を用うれば必ず敗る。之を去らす。』 之-彼
○諺義:『将吾が計を聴きて之れを用ひば必ず勝たん、之(一)留まらん、将吾が計を聴かずして之れを用ひば必ず敗れん、之(一)去らん、』 ((一)素行はかかる場合の之字を讀まざること多し) 将は主将をさす。聽とはよくききいれてそれにしたがふこと也。吾が計とは孫子が右に云ふ處の五事七計をさす。その内計の字は全く七計の上に心あり、之れを用ひばとは兵を擧げ軍をなすこと也。云ふ心は、主将吾が云ふ處を信用し相從つて軍旅を用ひば、必勝の道あり、故に我れ又ここにとどまるべき也。之れを聽かずして兵を用ふるにおいては必ず敗るべし。此の如き處は吾れ速に去つて留る可からざる也。この比(ころ)孫子兵を談じて諸侯に師たり。故に危邦(論語秦伯篇第十三章に、「危邦には入らず、亂邦には居らず」とあり)には入らず、亂邦には居らずの心なれば、我が計にしたがふべき大将の地にはとどまるべし、然らざれば去つて留る可からずと云へる也。此の段に必勝必敗の兩事をあぐ。凡そ兵に必勝の理あり、必勝あるときは又必敗あり。今孫子は所謂五事七計を以て相計るときは、勝敗忽ちあらはれて之れを隱くす可からず、是れ必勝也、必敗也。勝敗を兩陣の間に爭ふは下策にして上兵にあらず。勝を廟堂の上にきはめ門戸を出でず兵を暴(さらさ)ずして、古今にたくらべ萬世にしめして、其の勝疑ふ可からざるを必勝の兵と云ふ、是れ乃ち孫子が所謂必勝也。三略に云はく、夫れ義を以て不義を誅するは江河を決して(三略諺義第三には、決の字を捜字に作る)爝火に漑ぎ、不測に臨みて墜ちんと欲するを擠すが若し、其の克つことや必せり。是れ又必勝の理をつくせる也。此の段留之の二字、孫子自稱の言也。陳皡・梅堯臣・王晳・張預が説及び講義之れに從ふ。劉寅が直解、鄭希山が武經通鑑には、将の任を留めてまかすると将の任をさらしむると見る也。中にも直解は、孫子が去留と云ふときは、此れ忠厚の心に非ず、恐らくは孫子の本意を失はんと。袁了凡云はく、此れ勝を制する者は先づ将の去留を選むを言ふ、二轉して上を結び下を起す云云と、是れ又将の任を去留せしむるの心とみたり。魏武帝・杜牧が註には、我れと彼れと引合せかんがふるに、我が計にかなふときは其の地に留まりて戦ふ、然らざればひいてさるべしとみる也。今案ずるに、此の如き所は一篇の文段にして、させる義理のあることにあらず、いづれの注にしたがひても害なし。只だ必勝必敗の字によく心をつくべし。但し鄙見にまかせて云へば、孫子が去留とみてよし。然らざれば文段附會にちかし。況や孫子自稱して吾が計といへれば、時の大将に對していへる言に疑ひ無き也。舊説に呉王を激して用ひんことを求むと云へるはあやまり也。孫子が自らの出處去就を云ふ也。直解の説は張其の説を皇して覺えず附會するの言也と。之れを取る可からず。其の書をよくとかんために入らざることに言をつひやして、附會牽合するは學者の通弊也。余往昔尤も此の病有り。将の字平聲に用ふるときは語の辭也、まさにともはたともよむべし。魏武・張昭・王晳・張預・杜牧皆しかり。陳皡・孟氏及び講義・全書(武徳全書の著者は李氏と云ふ、その他不明)には大将の字義とす。陳皡云はく、其の時闔閭軍を行り師を由ふるに、多く自ら将と為る、故に主と言はずして将と言ふ。全書に云はく、是れの二つの将字は活看を要す、人君に在りては則大将を指し、大将に在りては則褊裨を指す云云。
○孫子国字解:『将(はた)吾計を聽て之を用ひば必勝ん、之に留まらん、将(はた)吾計を聽て之を用ひずば、必去ん。』 此段は、勝負の道は、右の五事七計にて明かに分るることを、丁寧に云へり。将(はた)とは辭なり。もしと云意なり。吾計とは、即孫子が勝負のつもりなり。右の七計を云なり。もし呉王闔廬孫子が、右の如く五事七計にてはかりつもりて、此戦は勝なり、負なりと定めたるを、尤と聽入れて用ひ玉はば、必勝利あるべし。尤と思はず、聽入れず用ひ玉はずは、必敗北に及ぶべし。されば右の七計を尤と思召さば、留まりて仕へ奉るべし。用玉はずば、留り仕へてもせんなきことなるゆへ、立去るべしと云ことなり。然れば孫子が心は、合戦の勝負は此五事七計にて、戦はぬ前に定まると云わけを、第一とするなり。将の字をはたと讀むこと、王晳張預が説なり。陳皡梅堯臣は将の字を主将と見る。一段の意は王晳張預と同じけれども、總じて始計篇の内にて、主将を将とは云ず、文例相違せり。はたとよむ説宜しからん。又孟氏が説は、裨将と見る。是は大将の下の士大将のことなり。施子美が説には、はたと讀むと、諸将と見ると、兩説をあげたり。黄獻臣は、君より見れば總大将を指し、總大将より見れは士大将を指すと云へり。将の字を總大将士大将と見る時は、下の文を、これに留めん、これを去んとよむべし。吾計を用ひぬ士大将をば、除き去るべし。用る士大将をば、留め置て召仕ふべしと云意なり。一段の義理は、何れにても通ずるなり。されども此段の吾計と云は、即上文の七計のことなれば、聽用ると聽用ざるをば主将へかけ、留まると去をば孫子へかけて見ねば、始計一篇の文勢通貫せぬなり。さるにても将の字をはたとよまずして、主将と見ることは、文例に合はぬゆへ、今王晳張預が説に從ふなり。尤吾申すことを用ひ玉はずは立去るべしと云こと、忠臣の道にはづれたる様なれども、戦國七雄の時は、いまだ君臣の約束をなさねども、客卿客将などとて、他國の人来て其國に居るもの多し。孫子も齊の國人にて、この時呉國へ来り、呉王闔廬といまだ君臣の分定まらざる前に、此書を作りて獻じたりと見えたり。故に史記の孫子が傳にも、孫子初て呉王にまみえたる時、呉王の詞に、子之十三篇悉觀之矣とあるなり。又本文の用之とある字を、兵を用ると見る説あり。其時は、はた吾計を聽ずしてこれを用ひばとよむなり。字法穩ならず。從ふべからず。
○孫子評註:「将、吾が計を聴いて之れを用ふれば必ず勝つ。之れ(将軍として留めよう。松陰の解釈は本注のとおりであるが、「将」を「もし、あるいは」の意の助字と考え、「留之」「去之」は孫子自身がその国に留まり、また去ることと解する説もある。)を留めん。将吾が計を聴かずして之れを用ふれば必ず敗る。之れ(将軍をやめさせよう。)を去らん。」-是れ自(おのずから)ら一段、将を以て重しと為す。諸々の「吾」と稱するは、孫子自ら吾れとするなり。其の立言を觀るに譬(たと)へば齊威(普通の説に従えば、『孫子』の著者孫武は春秋時代斉の人で呉王に仕えた。孫臏はそれより百年あまり後の人であって斉の威王の軍師となった。田忌はその時の将軍である。昔の軍師は今の参謀長のようなものであるが、軍師は時には将軍の地位をも左右したことが下文によって知られる。)、田忌を以て将と為し、孫臏之れが師となれるが如し。之れを用ふとは兵を用ふなり。留去は用捨を言ふなり。是の時に當り、田忌の用捨、孫師(軍師孫臏。)の言下に在り。噫(ああ)畏るべきかな。此れ(作戦計画をたてるうえで、軍師の権限を強く打ち出しているところが孫武の本領であるという意。)に非ずんば何を以て孫武と為さんや。
○曹公:計定まる能わざれば、則退きて去るなり。
○孟氏:将は裨将なり。吾計畫を聽きて勝たば、則之に留まらん。吾計畫に違えて敗らば、則之を除去せん。
○杜牧:若し彼自ずから備え護らば、我が計に從わず、形勢均等にして以て相加うること無し。用いて戦えば必ず敗る。引て去らん。故に春秋傳に曰く、允當たれば則歸るなり、と。
○陳皡:孫武書を以て闔閭に干して曰く、用いて吾計策を聴かば、必ず能く敵に勝つ。我當に之に留まり去らざるべし。吾計策を聴かざれば必ず當に負敗すべし。我之を去りて留まらず。此れを以て感動す。庶必ず用い見る。故に闔閭曰く、子の十三篇、寡人盡く之を觀る。其の時闔閭軍を行るに師を用う。多くは自ら将と為す。故に主を言わずして将を言うなり。
○梅堯臣:武 十三篇を以て呉王闔閭に干す。故に首篇此の辭を以て之を動かす。謂へらく王将吾が計を聽きて用いて戦えば必ず勝つ。我當に此れに留まるべし。王将我が計を聽かずして用いて戦えば必ず敗る。我當に此れを去るべし。
○王晳:将に行かんとす。用とは兵を用いるを謂うのみ。言うこころは行きて吾此の計を聽きて兵を用うれば、則必ず勝つ。我當に留まるべし。行きて吾此の計を聽かずして兵を用うれば、則必ず敗る。我當に去るべし。
○張預:将とは辭なり。孫子謂へらく今将し吾陳する所の計を聽きて兵を用うれば則必ず勝つ。我乃ち此れに留まるなり。将し我が陳する所の計を聽かずして兵を用うれば則必ず敗る。我乃ち去りて他國に之かん。此の辭を以て呉王を激して用を求む。
意訳


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○金谷孫子:将軍がわたしの[上にのべた五事七計の]はかりごとに従うばあいには、彼を用いたならきっと勝つであろうから留任させる。将軍がわたしのはかりごとに従わないばあいには、彼を用いたならきっと負けるであろうから辞めさせる。
○浅野孫子:もし主君が、私が先に述べた五事七計の計謀を採用されるならば、あなたの軍隊を私が将軍として運用して必ず勝利します。ですから私はこの地に留まりましょう。もし主君が私の計謀を採用されないときは、たとえ私が将軍としてあなたの軍隊を運用しても敗北は必至です。そうであれば、私はこの国を退去いたしましょう。
○町田孫子:将軍が、このわたしのはかりごとをおききとどけ下さるなら、わたしにお任せになって、勝利は間違いございますまい。わたしはあなたのもとにとどまりましょう。はかりごとをおききとどけ下さらぬなら、わたしを任用なさっても敗れるに決まっています。わたしはこの地を立ち去りましょう。
○天野孫子:主君がわたしの以上のようなはかりごとを聞き入れて、このはかりごとを用いたなら、必ず敵に勝つでしょう。そうすればわたしはこの国にとどまりましょう。主君がもしわたしのはかりごとを聞き入れて用いることがないならば、必ず敵に敗れるでしょう。そうすればわたしはこの国を去りましょう。
○フランシス・ワン孫子:私の説く軍事論(戦略・方法)を心に留めて、これを実行に移す将軍を起用すれば、勝利は必定である。彼を手離してはならない。この方策の採用を拒む将軍を起用すれば、敗北は必定である。彼は罷免すべきである。
○大橋孫子:このような考えをもつ私の献策を、将軍が採用すれば必ず勝てるから、そのもとにとどまって働くが、採用しないような将軍は必ず敗れるから、そんなところからは去る。
○武岡孫子:私の説くこのような戦略理論を心に留めて聴くような将軍なら、彼は必ず勝つであろうから、その地位に留めさせたらよい。反対に聴こうとしないような将軍なら、その人は必ず敗れるであろうから解任すべきである。
○著者不明孫子:右のような私の方策を聞き入れて採用してくれるなら、必ず勝つであろうから、私はその国にとどまろう。私の方策を聞き入れて採用してくれないなら、必ず敗れるであろうから、私はその国を去ろう。
○学習研究社孫子:指揮官が、私の計を聴き入れるときは、その指揮官を用いたならば必ず勝つから、彼を留める。指揮官が、私の計を聴きいれない時は、彼を用いると必ず敗れるから、彼を罷免する。
○佐藤堅司 孫子の思想史的研究:呉王が私(孫子)の計(五事七計)を採用して戦争をするなら、必ず勝つに相違ないから、私は軍師となつて留らう。王が私の計を受け入れないで戦争をするなら、敗北は疑ひないことであるから、私は直ちに立ち去らうと思ふ。
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2012-04-16 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『吾れ此れを以て勝負を知る。』:本文注釈
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吾-①われ。わたし。自分。話し手自身をさす語。②友人・同輩を親しんで呼ぶ語。古くは、「吾」は主として主格・所有格に、「我」は主として目的格に用いた。
知-①心に感じとる。道理をわきまえる。わかる。しる。しらせる。②よくしっている。親しい交わりがある(人)。しりあい。③つかさどる。治める。④真理をさとる心のはたらき。ちえ。【解字】形声。音符「矢」(=まっすぐに飛ぶ)+「口」。よく理解してずばりと言いあてる意。
註

○田所孫子:吾以此知勝負矣の此は上に述べた比較のこと。それによっていずれが勝つか負けるかわかるとの意。
○天野孫子:「吾」は論者みずからを言う。「此」は前文の彼我両国の比較を受ける。この句について張預は「七事俱に優れば則ち未だ戦はずして先づ勝つ。七事俱に劣れば、則ち未だ戦はずして先づ敗る。故に勝負は預め知る可し」と。
○守屋孫子:わたしは、この七つの基本条件を比較検討することによって、勝敗の見通しをつけるのである。
○重沢孫子:以上七事項の総合判断によって、勝負のほどははっきり予見できる、と孫子は明言するのですから、廟算最大の問題はこれで最終結論に達した、といえるでしょう。
○諺義:此れとは七計をさせり。主将士卒兵衆法令賞罰の上に、天時地利をくはへて、十二品々を以て考へ、我れと彼れと両国此の十二品いづれか有餘不足ありと較計するときは、ゐながら勝負明白也。是れ乃ち始計の本意、内をととのへて外をかんがふる也。但し此の中に軽重あり。主将天地法令兵衆賞罰と次第せる、是れ乃ち其の心得也。第一に主、第二に将、第三に天地、第四に法令也、兵衆士卒賞罰はこれに相續す。そのゆゑは、主将法令の内に兵衆士卒賞罰はこもるべきこと也。初段自り此の段迄を、一篇の内の第一段と見る可し。一段の内にも又小段ありといへども、先づ此の一段を一章とすべし。
○孫子国字解:吾とは孫子がみづから云たるなり。此とは右の七計を云。孫子は此七計にて、敵味方をくらべはかりて、敵味方いつれか勝ち、何れか負ると、明かに知るとなり。
○曹公:七事を以て之を計れば、勝負を知る。
○杜佑:上の七事を以て敵の情を料れば、勝負在る所を知る。
○賈林:上の七事を以て彼我の政を校ぶれば、則勝敗見わる可し。
○梅堯臣:能く其の情を索むれば則勝負を知る。
○張預:七事俱に優れば則未だ戦わずして先ず勝つ。七事俱に劣れば、則未だ戦わずして先ず敗る。故に勝負は預め知る可し。
意訳

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○金谷孫子:わたしは、これらのことによって、[戦わずしてすでに]勝敗を知るのである。
○浅野孫子:私はこうした比較・計量によって、開戦前からすでに勝敗の帰趨を察知するのである。
○天野孫子:この計算によってわたしはあらかじめ彼我両国の勝敗を知ることができる。
○町田孫子:わたしはこれらのことから戦わずして勝敗を知るのである。
○大橋孫子:の七点を検討すれば、私なら戦う前に勝敗がわかる。
○武岡孫子:このような戦力比較によって、私はどちらの軍が勝ち、どちらの軍が負けるかを予測することができる。
○フランシス・ワン孫子:このような比較によって、私は、どちら側が勝ち、どちら側が敗けるかを予測することができるのである。
○著者不明孫子:私はこれによって勝敗が分かるのである。
○学習研究社孫子:私は、この七つの比較により勝敗を知るのである。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『吾れ此れを以て勝負を知る。』:本文注釈
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吾-①われ。わたし。自分。話し手自身をさす語。②友人・同輩を親しんで呼ぶ語。古くは、「吾」は主として主格・所有格に、「我」は主として目的格に用いた。
知-①心に感じとる。道理をわきまえる。わかる。しる。しらせる。②よくしっている。親しい交わりがある(人)。しりあい。③つかさどる。治める。④真理をさとる心のはたらき。ちえ。【解字】形声。音符「矢」(=まっすぐに飛ぶ)+「口」。よく理解してずばりと言いあてる意。
註


○田所孫子:吾以此知勝負矣の此は上に述べた比較のこと。それによっていずれが勝つか負けるかわかるとの意。
○天野孫子:「吾」は論者みずからを言う。「此」は前文の彼我両国の比較を受ける。この句について張預は「七事俱に優れば則ち未だ戦はずして先づ勝つ。七事俱に劣れば、則ち未だ戦はずして先づ敗る。故に勝負は預め知る可し」と。
○守屋孫子:わたしは、この七つの基本条件を比較検討することによって、勝敗の見通しをつけるのである。
○重沢孫子:以上七事項の総合判断によって、勝負のほどははっきり予見できる、と孫子は明言するのですから、廟算最大の問題はこれで最終結論に達した、といえるでしょう。
○諺義:此れとは七計をさせり。主将士卒兵衆法令賞罰の上に、天時地利をくはへて、十二品々を以て考へ、我れと彼れと両国此の十二品いづれか有餘不足ありと較計するときは、ゐながら勝負明白也。是れ乃ち始計の本意、内をととのへて外をかんがふる也。但し此の中に軽重あり。主将天地法令兵衆賞罰と次第せる、是れ乃ち其の心得也。第一に主、第二に将、第三に天地、第四に法令也、兵衆士卒賞罰はこれに相續す。そのゆゑは、主将法令の内に兵衆士卒賞罰はこもるべきこと也。初段自り此の段迄を、一篇の内の第一段と見る可し。一段の内にも又小段ありといへども、先づ此の一段を一章とすべし。
○孫子国字解:吾とは孫子がみづから云たるなり。此とは右の七計を云。孫子は此七計にて、敵味方をくらべはかりて、敵味方いつれか勝ち、何れか負ると、明かに知るとなり。
○曹公:七事を以て之を計れば、勝負を知る。
○杜佑:上の七事を以て敵の情を料れば、勝負在る所を知る。
○賈林:上の七事を以て彼我の政を校ぶれば、則勝敗見わる可し。
○梅堯臣:能く其の情を索むれば則勝負を知る。
○張預:七事俱に優れば則未だ戦わずして先ず勝つ。七事俱に劣れば、則未だ戦わずして先ず敗る。故に勝負は預め知る可し。
意訳


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○金谷孫子:わたしは、これらのことによって、[戦わずしてすでに]勝敗を知るのである。
○浅野孫子:私はこうした比較・計量によって、開戦前からすでに勝敗の帰趨を察知するのである。
○天野孫子:この計算によってわたしはあらかじめ彼我両国の勝敗を知ることができる。
○町田孫子:わたしはこれらのことから戦わずして勝敗を知るのである。
○大橋孫子:の七点を検討すれば、私なら戦う前に勝敗がわかる。
○武岡孫子:このような戦力比較によって、私はどちらの軍が勝ち、どちらの軍が負けるかを予測することができる。
○フランシス・ワン孫子:このような比較によって、私は、どちら側が勝ち、どちら側が敗けるかを予測することができるのである。
○著者不明孫子:私はこれによって勝敗が分かるのである。
○学習研究社孫子:私は、この七つの比較により勝敗を知るのである。
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2012-04-14 (土) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
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『賞罰孰れか明らかなる、と。』:本文注釈
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明-①光があたってあかるい。はっきり見える。あかるさ。あかり。②はっきりしている。あきらか(にする)。あかす。③頭脳がはっきりしていて、かしこい。物を見通す力(がある)。④夜があける。次の日・年になる。あくる。⑤〔仏〕智慧ちえ。学者の修めるべき科目。光明の意。⑥神。祭られた死者。⑦ミン中国の王朝の名。一三六八~一六四四年。【解字】会意。「日」+「月」。あかるい意。また一説に、「冏」(=あかりとりの窓)の変形+「月」で、窓から月光がさしこんで物がはっきり見える意。
註

○天野孫子:「明」はここではあいまいにせず正しく行なうの意。この句も前述の五事にはなかったもの。以上の七句において述べたものが七計と言われる。これについて一説に『直解』は「按ずるに旧説に上の文を七計と為す。愚謂へらく、強と曰ひ練と曰ひ明と曰ふ。軍を行ふに法ある者に非ざれば能はず。孫子必ず詳にして言ひ、以て人に示さんと欲するのみ。豈五事の外に、而も別に七計あらんや」と。また『発微』[篠崎司直の『孫子発微』]も「夫れ令は必ず法に由り、法は必ず令を以て行はる。法令相待つ。是れ豈二物ならんや。故に曲制官道主用は皆令を待ちて行はる。兵衆の強、士卒の練、賞罰の明も亦未だ嘗て法令に由らずんばあらず。故に此三者は法令の外に非ず。之を法令の下に陳ぶる所以なり」と。また『折衷』[平山兵原の『孫子折衷』]は「徐象卿云ふ、兵衆の句は主用の二字を発明す。言ふこころは軍資其用を得るは兵衆強き所以なり、となり」「徐象卿云ふ、士卒の句は曲制の二字を発明す。言ふこころは部曲の整斉は、士卒、練れる所以なり、となり」「徐象卿云ふ、賞罰の句は官道の二字を発明す。言ふこころは官を有道に分つは、賞罰明なる所以なり、となり」と。
○守屋孫子:賞罰はどちらが公正に行なわれているか。
○重沢孫子:第七は賞罰。信賞必罰の原則が、両国のどちらでより正しく守られているかの比較です。士気に直接かかわる事柄だけに、勝敗の可能性を判断する重要な条件となりえます。
○田所孫子:最後には賞罰が如何に公明厳正に行なわれているか否かについて、敵味方の両々比較研究して計算してみよと、孫子は言う。
○著者不明孫子:【賞罰孰明】賞罰が明らかとは、賞罰がいいかげんでなく、厳格公正適切に施されることをいう。
○諺義:賞は有功を賞する也。罰は下知をそむくもの法をやぶるものを罰する也。明とは賞罰はありといへども明ならざれば其の實を得ず、このゆゑに明の字を用ふる也。軍旅のこと就中賞罰の明なるを以て三軍の要とす。名将皆手柄功名のひはん(批判)に念を入れて、少しもくらからざるごとく戒あり。戦場は人の生死一大事のかかる處也。此所において功を立つる時、上くらくして其のせんさくひはん邪路なるときは、勇士皆軽薄を事とし、實儀を失ひて、遂には軍事やぶるべし。このゆゑに両国の賞罰孰れか明なると考ふる也。三略に云はく、賞罰必ず信なること天の如く地の如く、乃ち人を使ふ可しと、又云はく、軍は賞を以て表と為し、罰を以て裏と為す、賞罰明なることは則将の威行はると。以上是れを七計と云ふ。其の言相かはれりといへども、根本五事より出でたり。外に七計ありと云ふにあらず。然れば五事をよく工夫せしむるときは、七計おのづから備はる也。主将・士卒・兵衆は其の人にかかる。天地は天の時地の利也。法令賞罰は兵を用ふるの用法也。主は道に志を厚くし、将は材を逞しうして、能く事機に應ずるが如くならしめ、士卒は常にこれが耳目手足をねりて、其の心を一ならしめ、兵具器械は其の制作に念を入れ、其の事を心得たらん輩をあつめてこれをなさしめ、人馬は遠きにこたへ寒暑にいたまず、重きをになひけはしきをあゆみて疲労せざるがごとくならしめ、其の上に法を定めて曲制・官道・主用をととのへ、下知法度を立て人の心を定め、賞罰を明にして邪曲をただし、下の情を通ぜしめ、而る後に材能五徳あらん大将を命じてこれをひきゐしむるときは、兵法かくる所あらざる也。
○孫子国字解:賞みだりなれば、費多けれども士卒恩と思はず、罰みだりなれば、殺せども士卒恐れず、故に功あれば、意趣ある人をも賞し、罪あれば、親子にても赦さず、かやうなるを賞罰明かなりと云。敵と味方とは、何れか賞罰明かなりと、たくらべはかることを、本文にかく云へり。右の七計の内、兵衆孰強と云より、末の三は皆法のよく立たる上のことを、又委細に學たるものにて、七計を五事に合せ見れば、末の四は皆五事の内の法なり。五事の内にては、法と云もの尤肝要なることゆへ、孫子が念を入れて、細かに分けて云たる也。諸葛孔明も、名ある将の備にても、法なき軍は破りやすし。名なき将の備なりとても、法ある備は破り難しと云へり。
○杜佑:善に賞し、悪に罰す。知るや誰か分けて明なるぞ。故に王子曰く、賞度ること無くば則費して恩無し、罰度ること無くば則戮して威無し、と。
○杜牧:賞して僭[分を越える。下の者が身分不相応に上の者をまねる。おかす。]らず、刑して濫れず。[①水があふれ出る。②度が過ぎる。みだれる。みだりに。むやみに。【解字】形声。「水」+音符「監」(=中にとじこめるわく)。水がわくを越えて外へはみ出す意。]
○梅堯臣:有功を賞し、有罪を罰す。
○王晳:孰れか能く賞して必ず功に當て、罰して必ず情に稱す。[情に称す-その事態の様子に釣合わせる。]
○張預:賞を當てるとは、仇怨むと雖も必ず録すなり。罰を當てるとは父子と雖も舍かざる[舍-すておく。]なり。又司馬法に曰く、賞は時を逾えず、罰は列を遷さずば、誰に於いて明と為さん、と。
意訳

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○金谷孫子:賞罰はどちらが公明に行なわれているかということで、
○浅野孫子:賞罰はどちらが明確に実施されているか、といったことである。
○町田孫子:賞罰はどちらが公正に行なわれているか、の七つである。
○天野孫子:いずれがよりよく賞罰を明らかにして行なわれていようか。その優劣の数をそれぞれ計算する。
○フランシス・ワン孫子:そして、何れの方がより公正な賞罰を行っているか。
○大橋孫子:賞罰はどちらが厳正公明に行われているか、の七点を検討すれば、
○武岡孫子:賞罰はどちらの軍隊が厳正公明に行なわれているか。
○著者不明孫子:賞罰はどちらが厳正であるか-の七項目で、
○学習研究社孫子:賞罰は、どちらのほうが公明正大に行われているか」
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『賞罰孰れか明らかなる、と。』:本文注釈
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明-①光があたってあかるい。はっきり見える。あかるさ。あかり。②はっきりしている。あきらか(にする)。あかす。③頭脳がはっきりしていて、かしこい。物を見通す力(がある)。④夜があける。次の日・年になる。あくる。⑤〔仏〕智慧ちえ。学者の修めるべき科目。光明の意。⑥神。祭られた死者。⑦ミン中国の王朝の名。一三六八~一六四四年。【解字】会意。「日」+「月」。あかるい意。また一説に、「冏」(=あかりとりの窓)の変形+「月」で、窓から月光がさしこんで物がはっきり見える意。
註


○天野孫子:「明」はここではあいまいにせず正しく行なうの意。この句も前述の五事にはなかったもの。以上の七句において述べたものが七計と言われる。これについて一説に『直解』は「按ずるに旧説に上の文を七計と為す。愚謂へらく、強と曰ひ練と曰ひ明と曰ふ。軍を行ふに法ある者に非ざれば能はず。孫子必ず詳にして言ひ、以て人に示さんと欲するのみ。豈五事の外に、而も別に七計あらんや」と。また『発微』[篠崎司直の『孫子発微』]も「夫れ令は必ず法に由り、法は必ず令を以て行はる。法令相待つ。是れ豈二物ならんや。故に曲制官道主用は皆令を待ちて行はる。兵衆の強、士卒の練、賞罰の明も亦未だ嘗て法令に由らずんばあらず。故に此三者は法令の外に非ず。之を法令の下に陳ぶる所以なり」と。また『折衷』[平山兵原の『孫子折衷』]は「徐象卿云ふ、兵衆の句は主用の二字を発明す。言ふこころは軍資其用を得るは兵衆強き所以なり、となり」「徐象卿云ふ、士卒の句は曲制の二字を発明す。言ふこころは部曲の整斉は、士卒、練れる所以なり、となり」「徐象卿云ふ、賞罰の句は官道の二字を発明す。言ふこころは官を有道に分つは、賞罰明なる所以なり、となり」と。
○守屋孫子:賞罰はどちらが公正に行なわれているか。
○重沢孫子:第七は賞罰。信賞必罰の原則が、両国のどちらでより正しく守られているかの比較です。士気に直接かかわる事柄だけに、勝敗の可能性を判断する重要な条件となりえます。
○田所孫子:最後には賞罰が如何に公明厳正に行なわれているか否かについて、敵味方の両々比較研究して計算してみよと、孫子は言う。
○著者不明孫子:【賞罰孰明】賞罰が明らかとは、賞罰がいいかげんでなく、厳格公正適切に施されることをいう。
○諺義:賞は有功を賞する也。罰は下知をそむくもの法をやぶるものを罰する也。明とは賞罰はありといへども明ならざれば其の實を得ず、このゆゑに明の字を用ふる也。軍旅のこと就中賞罰の明なるを以て三軍の要とす。名将皆手柄功名のひはん(批判)に念を入れて、少しもくらからざるごとく戒あり。戦場は人の生死一大事のかかる處也。此所において功を立つる時、上くらくして其のせんさくひはん邪路なるときは、勇士皆軽薄を事とし、實儀を失ひて、遂には軍事やぶるべし。このゆゑに両国の賞罰孰れか明なると考ふる也。三略に云はく、賞罰必ず信なること天の如く地の如く、乃ち人を使ふ可しと、又云はく、軍は賞を以て表と為し、罰を以て裏と為す、賞罰明なることは則将の威行はると。以上是れを七計と云ふ。其の言相かはれりといへども、根本五事より出でたり。外に七計ありと云ふにあらず。然れば五事をよく工夫せしむるときは、七計おのづから備はる也。主将・士卒・兵衆は其の人にかかる。天地は天の時地の利也。法令賞罰は兵を用ふるの用法也。主は道に志を厚くし、将は材を逞しうして、能く事機に應ずるが如くならしめ、士卒は常にこれが耳目手足をねりて、其の心を一ならしめ、兵具器械は其の制作に念を入れ、其の事を心得たらん輩をあつめてこれをなさしめ、人馬は遠きにこたへ寒暑にいたまず、重きをになひけはしきをあゆみて疲労せざるがごとくならしめ、其の上に法を定めて曲制・官道・主用をととのへ、下知法度を立て人の心を定め、賞罰を明にして邪曲をただし、下の情を通ぜしめ、而る後に材能五徳あらん大将を命じてこれをひきゐしむるときは、兵法かくる所あらざる也。
○孫子国字解:賞みだりなれば、費多けれども士卒恩と思はず、罰みだりなれば、殺せども士卒恐れず、故に功あれば、意趣ある人をも賞し、罪あれば、親子にても赦さず、かやうなるを賞罰明かなりと云。敵と味方とは、何れか賞罰明かなりと、たくらべはかることを、本文にかく云へり。右の七計の内、兵衆孰強と云より、末の三は皆法のよく立たる上のことを、又委細に學たるものにて、七計を五事に合せ見れば、末の四は皆五事の内の法なり。五事の内にては、法と云もの尤肝要なることゆへ、孫子が念を入れて、細かに分けて云たる也。諸葛孔明も、名ある将の備にても、法なき軍は破りやすし。名なき将の備なりとても、法ある備は破り難しと云へり。
○杜佑:善に賞し、悪に罰す。知るや誰か分けて明なるぞ。故に王子曰く、賞度ること無くば則費して恩無し、罰度ること無くば則戮して威無し、と。
○杜牧:賞して僭[分を越える。下の者が身分不相応に上の者をまねる。おかす。]らず、刑して濫れず。[①水があふれ出る。②度が過ぎる。みだれる。みだりに。むやみに。【解字】形声。「水」+音符「監」(=中にとじこめるわく)。水がわくを越えて外へはみ出す意。]
○梅堯臣:有功を賞し、有罪を罰す。
○王晳:孰れか能く賞して必ず功に當て、罰して必ず情に稱す。[情に称す-その事態の様子に釣合わせる。]
○張預:賞を當てるとは、仇怨むと雖も必ず録すなり。罰を當てるとは父子と雖も舍かざる[舍-すておく。]なり。又司馬法に曰く、賞は時を逾えず、罰は列を遷さずば、誰に於いて明と為さん、と。
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○金谷孫子:賞罰はどちらが公明に行なわれているかということで、
○浅野孫子:賞罰はどちらが明確に実施されているか、といったことである。
○町田孫子:賞罰はどちらが公正に行なわれているか、の七つである。
○天野孫子:いずれがよりよく賞罰を明らかにして行なわれていようか。その優劣の数をそれぞれ計算する。
○フランシス・ワン孫子:そして、何れの方がより公正な賞罰を行っているか。
○大橋孫子:賞罰はどちらが厳正公明に行われているか、の七点を検討すれば、
○武岡孫子:賞罰はどちらの軍隊が厳正公明に行なわれているか。
○著者不明孫子:賞罰はどちらが厳正であるか-の七項目で、
○学習研究社孫子:賞罰は、どちらのほうが公明正大に行われているか」
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2012-04-12 (木) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
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『士卒孰れか練いたる、』:本文注釈
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士卒-(古くはジソツとも)①武士(士官)と兵卒。②兵士。軍兵。
士-①一人前の男子。学徳のある、りっぱな人。女子にもいう。②官位を有し、人民の上に立つ者。役人。昔、中国で、卿・大夫の下に位する官僚。③兵卒を指揮する者。もののふ。さむらい。四民のうち最上位の身分。④ある資格を有する者。【解字】男子の性器の象形。おとこの意を表す。
卒-①上官の身の回りの世話をする下級の兵士・従者。②にわか。あわただしい。③おわる。おえる。④死ぬ。「卒去そっきょ・しゅっきょ」四位・五位の人についていう。⑤ついに。③④⑤は正しくは字音「シュツ」だが、④の「卒す」以外は慣用的に「ソツ」とよむ。【解字】会意。上半部は「衣」。「十」を加えて、うわっぱりを着て十人ずつ一隊となって行動する下級の兵士の意。
練-①ねる。くり返し手をかけて質をよくする。きたえる。②ねれる。なれる。【解字】形声。「糸」+音符「柬」(=よりわける)。生糸を煮て不純物を除去する意。
註

○守屋孫子:六、兵卒は、どちらが訓練されているか。
○重沢孫子:第六は、もう一つの決定要素と見られる戦闘技術の長短。人対人の直接的なぶつかり合いが主で、戦車戦はまだそれほど普及していない状態ゆえに、個人の技術に大きな比重がかかっていた。熟練度は勝敗を分ける大きな要因でした。
○著者不明孫子:【士卒】戦士・兵士。上の「兵衆」と同じものを指すことになるが、ここでは、「兵衆」は軍隊の兵員を総体的にとらえていい、「士卒」のほうは個々の人員を取り上げていったもの。なお、「士」(卿・大夫・士の士。身分階級の名。軍隊では下級幹部となる)と「卒」(一般の兵卒)とを分けて「士卒」と並称したとも考えられる。
○諺義:士は甲冑を帶する兵士也。卒は足軽等の歩卒也。練とは兼て軍事をねりならはしむるのこと也。故に両国の士卒いづれ(か)練不練を考ふる也。士卒にはねると云ひ、兵衆には強と云ふ、尤も精しき意味あり。兵衆は大概土地の風俗による、士卒は主将の常々のをしへによることなるゆゑ也。一字と云へども、おろかならざる心得也。練と云ふは鍛錬の義也。つねづね内習を詳にいたして、金鼓旌旗を以て、耳目を練り、狩漁技藝を以て進退往来せしめて、其の手足を練り、下知法令約束を以て、其の心をねる、是れ古来兵を教ふるの法也。
○孫子国字解:練とは、熟することなり。熟するとは、法に熟するを云。旗合符しをよく覺へ、金太鼓の合圖をよくわきまへ、備を分け、備を合せ、懸るも引も、起つも坐くも、よく合圖を違へず、手間とらず、馳引達者にて、武藝に調練したることなり。敵味方何れかかやうなると、たくらべはかることを、本文にかく云へり。
○杜佑:知るや誰か兵器強ければ利なる。士卒簡びて練う者なり。故に王子曰く士は素より習わざれば、陳に当りて惶惑す。将素より習わざれば、陳に臨みて闇變す。
○梅堯臣:車騎[兵車と騎馬。また、車馬にのった兵。]閑に習わば、孰れの國か精粗[くわしいことと大まかなこと。こまかいこととあらいこと。]ならん。
○王晳:孰れの訓之れ精[①しらげる。米をついて白くする。②くわしい。こまかい。綿密。③えりすぐられて、まじりけがない(もの)。エキス。④たましい。㋐生命の根源。元気のもと。㋑山川の神。もののけ。㋒まごころ。【解字】形声。「米」+音符「靑」(=よごれのない澄んだ水の色)。よごれなくしらげた米の意。転じて、まじりけのない心の意。]なり。
○何氏:勇怯・強弱なり。豈能く一概[①すべてを同じにみて一つにすること。ひとしなみ。一様。②あることをそうだと思いこむこと。また、強情。頑固。]ならんや。
○張預:離合・聚散[離合集散(聚散は集散に同じ。)-はなれたり集まったりすること。分離したり合併したりすること。]の法なり。坐作・進退[坐作進退-すわることとたつこと。たちい。動作。]の令なり。誰か素より閑に習う。
意訳

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○金谷孫子・大橋孫子:士卒はどちらがよく訓練されているか、
○浅野孫子:兵士はどちらが軍事訓練に習熟しているか、
○天野孫子:いずれの士卒がよりよく熟練していようか。
○武岡孫子:将兵はどちらの軍隊がよく訓練されているか。
○町田孫子:兵士はどちらが訓練されているか、
○フランシス・ワン孫子:将兵は、何れの方がよりよく訓練されているか。
○著者不明孫子:士卒はどちらがよく訓練されているか、
○学習研究社孫子:第六に、士や兵卒は、どちらのほうが訓練されているか。
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『士卒孰れか練いたる、』:本文注釈
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士卒-(古くはジソツとも)①武士(士官)と兵卒。②兵士。軍兵。
士-①一人前の男子。学徳のある、りっぱな人。女子にもいう。②官位を有し、人民の上に立つ者。役人。昔、中国で、卿・大夫の下に位する官僚。③兵卒を指揮する者。もののふ。さむらい。四民のうち最上位の身分。④ある資格を有する者。【解字】男子の性器の象形。おとこの意を表す。
卒-①上官の身の回りの世話をする下級の兵士・従者。②にわか。あわただしい。③おわる。おえる。④死ぬ。「卒去そっきょ・しゅっきょ」四位・五位の人についていう。⑤ついに。③④⑤は正しくは字音「シュツ」だが、④の「卒す」以外は慣用的に「ソツ」とよむ。【解字】会意。上半部は「衣」。「十」を加えて、うわっぱりを着て十人ずつ一隊となって行動する下級の兵士の意。
練-①ねる。くり返し手をかけて質をよくする。きたえる。②ねれる。なれる。【解字】形声。「糸」+音符「柬」(=よりわける)。生糸を煮て不純物を除去する意。
註


○守屋孫子:六、兵卒は、どちらが訓練されているか。
○重沢孫子:第六は、もう一つの決定要素と見られる戦闘技術の長短。人対人の直接的なぶつかり合いが主で、戦車戦はまだそれほど普及していない状態ゆえに、個人の技術に大きな比重がかかっていた。熟練度は勝敗を分ける大きな要因でした。
○著者不明孫子:【士卒】戦士・兵士。上の「兵衆」と同じものを指すことになるが、ここでは、「兵衆」は軍隊の兵員を総体的にとらえていい、「士卒」のほうは個々の人員を取り上げていったもの。なお、「士」(卿・大夫・士の士。身分階級の名。軍隊では下級幹部となる)と「卒」(一般の兵卒)とを分けて「士卒」と並称したとも考えられる。
○諺義:士は甲冑を帶する兵士也。卒は足軽等の歩卒也。練とは兼て軍事をねりならはしむるのこと也。故に両国の士卒いづれ(か)練不練を考ふる也。士卒にはねると云ひ、兵衆には強と云ふ、尤も精しき意味あり。兵衆は大概土地の風俗による、士卒は主将の常々のをしへによることなるゆゑ也。一字と云へども、おろかならざる心得也。練と云ふは鍛錬の義也。つねづね内習を詳にいたして、金鼓旌旗を以て、耳目を練り、狩漁技藝を以て進退往来せしめて、其の手足を練り、下知法令約束を以て、其の心をねる、是れ古来兵を教ふるの法也。
○孫子国字解:練とは、熟することなり。熟するとは、法に熟するを云。旗合符しをよく覺へ、金太鼓の合圖をよくわきまへ、備を分け、備を合せ、懸るも引も、起つも坐くも、よく合圖を違へず、手間とらず、馳引達者にて、武藝に調練したることなり。敵味方何れかかやうなると、たくらべはかることを、本文にかく云へり。
○杜佑:知るや誰か兵器強ければ利なる。士卒簡びて練う者なり。故に王子曰く士は素より習わざれば、陳に当りて惶惑す。将素より習わざれば、陳に臨みて闇變す。
○梅堯臣:車騎[兵車と騎馬。また、車馬にのった兵。]閑に習わば、孰れの國か精粗[くわしいことと大まかなこと。こまかいこととあらいこと。]ならん。
○王晳:孰れの訓之れ精[①しらげる。米をついて白くする。②くわしい。こまかい。綿密。③えりすぐられて、まじりけがない(もの)。エキス。④たましい。㋐生命の根源。元気のもと。㋑山川の神。もののけ。㋒まごころ。【解字】形声。「米」+音符「靑」(=よごれのない澄んだ水の色)。よごれなくしらげた米の意。転じて、まじりけのない心の意。]なり。
○何氏:勇怯・強弱なり。豈能く一概[①すべてを同じにみて一つにすること。ひとしなみ。一様。②あることをそうだと思いこむこと。また、強情。頑固。]ならんや。
○張預:離合・聚散[離合集散(聚散は集散に同じ。)-はなれたり集まったりすること。分離したり合併したりすること。]の法なり。坐作・進退[坐作進退-すわることとたつこと。たちい。動作。]の令なり。誰か素より閑に習う。
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○金谷孫子・大橋孫子:士卒はどちらがよく訓練されているか、
○浅野孫子:兵士はどちらが軍事訓練に習熟しているか、
○天野孫子:いずれの士卒がよりよく熟練していようか。
○武岡孫子:将兵はどちらの軍隊がよく訓練されているか。
○町田孫子:兵士はどちらが訓練されているか、
○フランシス・ワン孫子:将兵は、何れの方がよりよく訓練されているか。
○著者不明孫子:士卒はどちらがよく訓練されているか、
○学習研究社孫子:第六に、士や兵卒は、どちらのほうが訓練されているか。
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2012-04-10 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『兵衆孰れか強き、』:本文注釈
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「兵衆」の「兵」の意味の解釈に二通りあるが、「軍隊」と解する方が後ろに続く「衆」とのつながりがよい。また「武器」とした場合、兵の強弱以外にも、どのような武器がどれだけあるかなど、情報収集の項目が増え、より具体的に敵味方の状況を把握できるようになるが、「軍隊」でも「武器」でも、「兵」の解釈としてはどちらでも問題はないと思う。もう一方、「強」の意味に、「軍隊が強い」と、「数が多い」の二通りがある。いずれにせよ、相手の情況をこまめに探るということが大事である。例えば敵に食糧がなく元気がない様子の場合は「弱」、指揮があがっている場合は「強」、猛将に弱兵なし、故に「強」等と判断をおこなっていくのである。しかし、戦場は常に変化することから、臨機応変に判断・対応できるよう将は「智」に最も優れていなければならない。ゆえに五事の将の重要な素質において「智」が一番であることはいうまでもない。
強-①がっちりしてかたい。気力・体力・勢力が十分でつよい。(心が)しっかりしている。かたくこわばっている。②つよめる。力をつける。③無理をおす。しいる。しいて。あながち。④その数よりやや数量が多い。【解字】形声。「彊」(=じょうぶな弓)の省略形が音符。「虫」を加え、かたいからをかぶった虫の意。転じて、かたくてじょうぶの意。
註

○天野孫子:『兵衆孰強、士卒孰練』 「兵」は徒歩の兵、軍隊。「衆」は多くの人々。『通鑑』は「衆は是れ軍衆なり」と。『古文』には「兵衆孰強」が脱落している。「兵衆」は軍隊。「士」は卿・大夫・士の士で、平時下級官吏として仕え、戦時は小部隊の長となる。「卒」は徒歩の兵。『孫子』十三篇には「兵」の字を多く用い、「士」「士卒」は後から附加した衍文にあるので、「士卒」の字は後人の用いたものであろう。『詳解』は「士卒も亦兵衆なり。唯其の辞を異にするのみ」と。一説に『新釈』は「『兵』は雑兵の意。『衆』は大衆・衆愚等の衆である。従つて『兵衆』は未だ軍隊的組織編制十分ならず、何等の教練をも受けざる烏合の衆である。『士』は武士、勇士、士官、下士等の士であるから『兵』とか『衆』とか『卒』とかいふより階級の高いものである。『卒』は士の下に従属する兵卒である。故に『士卒』と言へば士と卒との上下の階級が現はれてゐる。『兵衆』といふのとは響がちがふ。『兵衆』に教練を加へた軍隊的組織編制をなしたものが『士卒』である」と。「練」は軍事に熟練すること。この二句は前述の五事になかったもの。
○守屋孫子:五、軍隊は、どちらが精強であるか。
○重沢孫子:第五は兵・衆の強弱。兵は武器、衆は兵士。この二つの要素こそ、戦闘能力を決定的に左右するもの。
○諺義:兵は周禮[三礼(さんらい)の一書。周代の官制を記したもの。古くは「周官」、唐以後「周礼」と称。周公旦の撰と伝えるが、戦国時代に編纂されたもの。秦の焚書の後、漢の武帝の時、李氏が「周官」を得て河間の献王に献上、さらに朝廷にたてまつられたという。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官の6編より成る。冬官1編を欠いていたので「考工記」を以てこれを補ったとされる。]の司兵に出づる所の五兵五盾の類也。五兵は、戈・殳・戟・酋矛・夷矛也。五盾は、干櫓の屬 五等有り、いづれも兵器をさす。衆は雜人也、雜人と云ふは、軍旅に出づる所の夫・人足・雜人を云ふ也。云ふ心は、兵具器械其の制作をつつしみ、其の國の名器を集め、四時について其の用を詳にすること、既に周禮の考工記等に之れを出す。しかればつねづねのたしなみこしらへあり。又其の土地によつて名器を出すことあり、其の主将の心得にて器械の衆寡強弱大いにことなり。人馬は其の國地の俗によつて自然と剛臆[(古くは清音)剛勇と臆病。]強弱そなはるべし。尤も雜人・乗馬・荷馬有餘不足あり、又国の険易によつて、馬のよくこたふると不堪なるとあり。このゆゑに兩國をあはせかんがへて、いづれかつよきとはかる也。強の字は兵具器械のつよくこたへ、久しくしてそこねざるを云ふ。又下人雑兵の土地の風俗について勇怯なるを指してもいへる也。舊説に言ふ所は、兵衆と士卒とわかたざるゆゑに、まぎれてしれざる也。講義・開宗・直解、皆兵衆を以て士卒と同義に注す。武經通鑑に云はく、兵は是れ兵器、衆は是れ軍衆と注す。杜牧・張預は車堅く馬良く士勇に兵利なるを以て強と為す、しかれども各々註解審ならざる也。兵衆に強と云ひ、士卒に練と云ふ、皆其の心得あること也。
○孫子国字解:兵は軍兵なり。衆は人衆なり。強と云は、士卒武勇に、馬つよく、兵具もよく、士卒太鼓を聞ては喜び、金を聞ては怒るを云なり。敵と味方とは、何れかかやうなると、たくらべはかることなり。
○孫子評註:「兵衆孰れか強き。士卒孰れか練れたる。賞罰(以上、「主孰有道」から「賞罰孰明」までが七計で五事についで作戦をたてる上での要件である。)孰れか明かなる。吾れ此れを以て勝負を知る。」-兵衆・士卒・賞罰は、是れ主将(「主孰有道」と「将孰有能」に加説したものである。)に陪説せるなり。吾れ此れを以てとは結束の語なり。
○杜牧:上下和して同じく戦うに勇ましくを強と為す。
○梅堯臣:内に和して外に附す。
○王晳:強弱以て相形して知るに足る。[強弱によって、相形して知ることができる]
○張預:車堅く馬良く士勇なるは兵に利なり。鼓聞きて喜び、金聞きて怒る。誰ぞ然るを為す。[だれがこのようにできようか、できる者はいない]
意訳

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○金谷・町田・大橋孫子:軍隊はどちらが強いか、
○浅野孫子:兵力数はどちらが強大か、
○田所孫子:第五は兵衆の強さについて、
○天野孫子:いずれの兵がよりよく強いであろうか。
○フランシス・ワン孫子:何れの兵士の方が強健であるか。
○武岡孫子:どちらの兵士が強健か。
○著者不明孫子:兵力はどちらが強いか、
○学習研究社孫子:第五に、民はどちらが強いか。
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「兵衆」の「兵」の意味の解釈に二通りあるが、「軍隊」と解する方が後ろに続く「衆」とのつながりがよい。また「武器」とした場合、兵の強弱以外にも、どのような武器がどれだけあるかなど、情報収集の項目が増え、より具体的に敵味方の状況を把握できるようになるが、「軍隊」でも「武器」でも、「兵」の解釈としてはどちらでも問題はないと思う。もう一方、「強」の意味に、「軍隊が強い」と、「数が多い」の二通りがある。いずれにせよ、相手の情況をこまめに探るということが大事である。例えば敵に食糧がなく元気がない様子の場合は「弱」、指揮があがっている場合は「強」、猛将に弱兵なし、故に「強」等と判断をおこなっていくのである。しかし、戦場は常に変化することから、臨機応変に判断・対応できるよう将は「智」に最も優れていなければならない。ゆえに五事の将の重要な素質において「智」が一番であることはいうまでもない。
強-①がっちりしてかたい。気力・体力・勢力が十分でつよい。(心が)しっかりしている。かたくこわばっている。②つよめる。力をつける。③無理をおす。しいる。しいて。あながち。④その数よりやや数量が多い。【解字】形声。「彊」(=じょうぶな弓)の省略形が音符。「虫」を加え、かたいからをかぶった虫の意。転じて、かたくてじょうぶの意。
註


○天野孫子:『兵衆孰強、士卒孰練』 「兵」は徒歩の兵、軍隊。「衆」は多くの人々。『通鑑』は「衆は是れ軍衆なり」と。『古文』には「兵衆孰強」が脱落している。「兵衆」は軍隊。「士」は卿・大夫・士の士で、平時下級官吏として仕え、戦時は小部隊の長となる。「卒」は徒歩の兵。『孫子』十三篇には「兵」の字を多く用い、「士」「士卒」は後から附加した衍文にあるので、「士卒」の字は後人の用いたものであろう。『詳解』は「士卒も亦兵衆なり。唯其の辞を異にするのみ」と。一説に『新釈』は「『兵』は雑兵の意。『衆』は大衆・衆愚等の衆である。従つて『兵衆』は未だ軍隊的組織編制十分ならず、何等の教練をも受けざる烏合の衆である。『士』は武士、勇士、士官、下士等の士であるから『兵』とか『衆』とか『卒』とかいふより階級の高いものである。『卒』は士の下に従属する兵卒である。故に『士卒』と言へば士と卒との上下の階級が現はれてゐる。『兵衆』といふのとは響がちがふ。『兵衆』に教練を加へた軍隊的組織編制をなしたものが『士卒』である」と。「練」は軍事に熟練すること。この二句は前述の五事になかったもの。
○守屋孫子:五、軍隊は、どちらが精強であるか。
○重沢孫子:第五は兵・衆の強弱。兵は武器、衆は兵士。この二つの要素こそ、戦闘能力を決定的に左右するもの。
○諺義:兵は周禮[三礼(さんらい)の一書。周代の官制を記したもの。古くは「周官」、唐以後「周礼」と称。周公旦の撰と伝えるが、戦国時代に編纂されたもの。秦の焚書の後、漢の武帝の時、李氏が「周官」を得て河間の献王に献上、さらに朝廷にたてまつられたという。天官・地官・春官・夏官・秋官・冬官の6編より成る。冬官1編を欠いていたので「考工記」を以てこれを補ったとされる。]の司兵に出づる所の五兵五盾の類也。五兵は、戈・殳・戟・酋矛・夷矛也。五盾は、干櫓の屬 五等有り、いづれも兵器をさす。衆は雜人也、雜人と云ふは、軍旅に出づる所の夫・人足・雜人を云ふ也。云ふ心は、兵具器械其の制作をつつしみ、其の國の名器を集め、四時について其の用を詳にすること、既に周禮の考工記等に之れを出す。しかればつねづねのたしなみこしらへあり。又其の土地によつて名器を出すことあり、其の主将の心得にて器械の衆寡強弱大いにことなり。人馬は其の國地の俗によつて自然と剛臆[(古くは清音)剛勇と臆病。]強弱そなはるべし。尤も雜人・乗馬・荷馬有餘不足あり、又国の険易によつて、馬のよくこたふると不堪なるとあり。このゆゑに兩國をあはせかんがへて、いづれかつよきとはかる也。強の字は兵具器械のつよくこたへ、久しくしてそこねざるを云ふ。又下人雑兵の土地の風俗について勇怯なるを指してもいへる也。舊説に言ふ所は、兵衆と士卒とわかたざるゆゑに、まぎれてしれざる也。講義・開宗・直解、皆兵衆を以て士卒と同義に注す。武經通鑑に云はく、兵は是れ兵器、衆は是れ軍衆と注す。杜牧・張預は車堅く馬良く士勇に兵利なるを以て強と為す、しかれども各々註解審ならざる也。兵衆に強と云ひ、士卒に練と云ふ、皆其の心得あること也。
○孫子国字解:兵は軍兵なり。衆は人衆なり。強と云は、士卒武勇に、馬つよく、兵具もよく、士卒太鼓を聞ては喜び、金を聞ては怒るを云なり。敵と味方とは、何れかかやうなると、たくらべはかることなり。
○孫子評註:「兵衆孰れか強き。士卒孰れか練れたる。賞罰(以上、「主孰有道」から「賞罰孰明」までが七計で五事についで作戦をたてる上での要件である。)孰れか明かなる。吾れ此れを以て勝負を知る。」-兵衆・士卒・賞罰は、是れ主将(「主孰有道」と「将孰有能」に加説したものである。)に陪説せるなり。吾れ此れを以てとは結束の語なり。
○杜牧:上下和して同じく戦うに勇ましくを強と為す。
○梅堯臣:内に和して外に附す。
○王晳:強弱以て相形して知るに足る。[強弱によって、相形して知ることができる]
○張預:車堅く馬良く士勇なるは兵に利なり。鼓聞きて喜び、金聞きて怒る。誰ぞ然るを為す。[だれがこのようにできようか、できる者はいない]
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○金谷・町田・大橋孫子:軍隊はどちらが強いか、
○浅野孫子:兵力数はどちらが強大か、
○田所孫子:第五は兵衆の強さについて、
○天野孫子:いずれの兵がよりよく強いであろうか。
○フランシス・ワン孫子:何れの兵士の方が強健であるか。
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2012-04-06 (金) | 編集 |
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『法令孰れか行なわる、』:本文注釈
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令-①上からの言いつけ。命ずる。②法制上のきまり。のり。特に、古代国家の(行政法などの)法典。③おさ。長官。④よい。美しい。よくする。他人の親族に対する敬称にも用いる。⑤使役の助字。「…をして…(せ)しむ」とよむ。…させる。⑥仮定の助字。もし。たとい。【解字】会意。上半部は、集める意。下半部「卩」は、人がひざまずいた形。人を集めてひざまずかせ、したがわせる意。
行-①ゆく。㋐歩いていく。すすむ。㋑よそへ出かける。旅(にゆく)。㋒ゆかせる。すすめる。動かす。㋓持ちあるく。㋔歩きながら。ゆくゆく。②おこなう。㋐ある事をする。おこない。ふるまい。㋑ギョウ〔仏〕悟りにいたるための実践。③とどこおらない。㋐ギョウ漢字の書体の一つ。㋑漢詩の一体。音調がとどこおらない詩。④ギョウ(文字の)たてのならび。⑤ギョウ令制で、官位を称する際、官が位に相応せず低い官である場合に挿入する語。⑥問屋。みせ。「銀行・行員」もと、同列に並ぶ意から、中国の唐・宋そう以後に起こった同業組合の称。【解字】十字路を描いた象形文字。人通りの多い大通り(を歩いて進む)の意。
註

○天野孫子:「法」はおきて、制度。ここでは広く国の政治上のおきてを言う。「令」は命令。「法」が恒常的なものであるのに対して「令」は臨時的なもの。「行」は法令通り行なわれる、法令が守られるの意。一説に『諺義』は「法は曲制官道主用なり。令は号令なり。主将の下知を号令と云へり」と。この句について一説に『旧』[旧岩波文庫 山田準・阿多俊介『孫子』]は「軍規の厳正如何を見ること」と。
○守屋孫子:四、法令は、どちらが徹底しているか。
○重沢孫子:第四は、前記”法”の項に列挙された事項が、より規定どおりに正しく処理されているのは、どちらの国なのか。軍の規律の問題です。これで五事関係は完了。
○著者不明孫子:【法令】軍法と軍令。「令」のほうが具体的な命令をいうのであろう。
○諺義:法は曲制・官道・主用也、令は號令也、主将の下知を號令と云へり。三略に云はく、将の威を為す所以の者は、號令なり、戦の勝を全うする所以の者は、軍政なり、士の戦を軽んずる所以の者は、命を用ふるなり、故に将は令を還す無し、と云へり。法令ありと云へども、おこなはれざれば正しからず。このゆゑに行の字を用ふる也。舊説に法令を以て法度下知の心也と、一つにいたしみるは非也。
○孫子国字解:法は法度なり。令は下知なり。されば法はかねて定るを云、令は當座の下知なり。行はるるとは、下知法度のきくことなり。上より下知法度をたてても、下たる者是を守らず、或は表向ばかり守る様にして、實は是を守らざるは、行るると云ものにてはなき也。是は人の守り難き法度をたて、又賞罰に依怙贔負ある時は、法令行れぬなり。總じて下知法度は事多きを嫌ふなり。法度の箇條すくなくして、法を犯す時は、たとへ貴人高位にてもゆるさず、法におこなふ時は、下知法度のきかぬと云ことはなきなり。魏の曹操此段を注して、設て犯さず、犯せば必誅すと云へり。誠に名言なり。設とは法を立ることなり。上より法度を立るに、下たる者是を犯すなれば、法度と云ものにてはなきなり。法は下たる人の犯さざるを以て法と云なり。故に設て犯さずと云なり。法度を犯す時は、誰人によらず必誅するなれば、法を立る程にて、犯す者はなきなり。故に犯せば必ず誅すと云なり。古の名将皆かくの如し。孫子始て呉王闔廬にまみへたる時、闔廬女にも軍法をならはすべしやと問ふ。孫子答て、女なればとて、敎らるまじきに非ずと云。闔廬則、宮女百八十人を出さる。孫子其内にて、闔廬の寵愛の美人二人を組頭と定め、百八十人に戟をもたせ、二組にわけて備を立て、下知して曰く、汝何れもむねと、左右の手と、せなかとを知やと問ふ。宮女何れもなるほど存知たりと云。孫子が曰く、前は胸を見よ、左は左の手を見よ、右は右の手を見よ、後は背を見よと云。何れも畏まると云。孫子則合圖の太鼓を打てば、宮女大きに笑ふ。孫子が曰く、合圖の示し合せ調はざるは、士卒の罪に非ず、将の罪なりとて、又右の如く委細に云ひ含め、再び合圖の太鼓を打つ時、宮女大きに笑ふ。孫子が曰く、合圖の示し合せをもとくとしたるに、法を守らざるは士卒の罪なりとて、組頭と定めたる両人の宮女を斬んとす。闔廬大きに驚き赦すべきよしを仰せけれども、将たるもの、軍に在ては君命を受ざる所ありとて、遂に是を誅し、二番目の宮女を組の頭と定め、再合圖の太鼓を打しかば、坐作進退みな法の如にして、一人として法に背くものなかりきなり。又呉子魏の國の軍兵を率ひて、秦の國と取合ひける時、一人の勇士ありて、下知なきに敵陣にかけ入り、首取て歸る。軍法に違ひぬれば、功あればとて赦すべきに非ずとて、呉子是を誅したり。又齊の景公の時、燕晋両国より齊の國を攻て、味方軍に利を失ふこと有し時、晏平仲と云賢臣、司馬穰苴を薦む。景公則穰苴を将軍の官になし、燕晋両国の敵を禦しむ。穰苴申して曰く、臣賤しき者にて、今にはかに将軍の官となれば、士卒重んぜず、願くは君の寵臣を一人軍の奉行になし玉へと云。景公則荘賈と云寵臣を添らる。穰苴荘賈と約束するやう、日中に軍門に来り玉へと云。荘賈君の寵臣なれば、もとより穰苴が下知を用ひず、漸く暮時になりて軍門に来る。穰苴なに故遅く来るやと問ふ。荘賈答て曰、親類の者共なごりを惜み、餞するに隙をとりて遅かりしと答ふ。穰苴が曰く、将たる者は、家をも身をも、親類をも忘るるを以て忠とす。今敵深く我国に攻入り、国中騒動し、君の憂甚し。汝かやうなる重き任を受ながら、何として親類のなごりを惜て、出陣の刻限を違たるやとて、軍正を呼て問ふて曰く、軍の法には、合圖の日限刻限を遅なはりたる人をば、如何様の罪科に處するやと問ふ。軍正が曰く、斬罪なりと答ふ。穰苴則荘賈を誅して其由を軍中に相觸る。士卒大きに恐れて、穰苴が法を違へず。遂に燕晋の敵を逐拂て取られたる郡を取返したるなり。又孔明が下の士大将に、馬謖と云しもの、孔明が下知を守らずして敗軍に及しかば、孔明涕を流して是を誅す。呉の呂蒙も、我同郷の人の、幼少よりなじみたるもの軍中にて笠を盗たれば、涕を流して是を斬る。又魏の曹操は、士卒に田畠を蹂み作物をそこなふべからず、背くものは斬罪に處せんと、法令を出せしに、曹操の馬はなれて、麥畠を蹂損したり。我が出したる法令を、自身破るべきに非ずとて、既に自害せんとす。群臣様々と諫ければ、されば是なりとも、我頸の代にすべきとて、自身我髪を切たり。是等は皆古今にすぐれたる名将の、一たび法を出しては、かりそめにも破ることをせざりしためしなり。かやうなる程なれば、法令よく行はるるなり。敵味方をたくらべはかるに、何れかかやうに法令の行るると考ることを、本文に、法令孰行と云たるなり。
○曹公:設けて犯さず。犯せば必ず誅す。
○杜佑:設けて犯さず。犯せば必ず誅す。號を發し令を出すこと、知んぬ誰か能く施行する[いったい誰がよく施行するであろうか]。
○杜牧:法に縣け令を設ける。貴賤一の如し。魏絳僕を戮し、曹公髪を斷ずるは是なり。
○梅堯臣:衆を齊えるに法を以い、衆を一にするに令を以いる。
○王晳:孰れか能く法を明らかにし令すれば便ち、人聽きて從うなり。
○張預:魏絳 揚干を戮す。穰苴 荘賈を斬る。呂蒙 郷人を誅す。臥龍馬謖を刑す。茲に謂う所[所謂-古人の謂う所の、の意。ここでは曹操の言を指す。]の「設けて犯さず、犯せば必ず誅す」とは、誰か此の如く為さん。
意訳

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○金谷孫子:法令はどちらが厳守されているか、
○浅野孫子:軍法や君主と将軍が下す命令はどちらが徹底して遂行されているか、
○天野孫子:いずれが制度と命令がよりよく遵守されていようか。
○町田孫子:法令はどちらのほうが徹底して行なわれているか、
○フランシス・ワン孫子:軍紀に対しては、何れの軍隊の方がより大きな敬意を払い、命令はよりよく実行されているか。
○大橋孫子:法令はどちらがよく行われているか。
○武岡孫子:規則や命令はどちらがよく行われているか。
○田所孫子:第四には軍の編成兵站等について、
○著者不明孫子:軍法はどちらがきちんと励行されているか、
○学習研究社孫子:第四に、法令は、どちらがゆきわたっているか。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『法令孰れか行なわる、』:本文注釈
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令-①上からの言いつけ。命ずる。②法制上のきまり。のり。特に、古代国家の(行政法などの)法典。③おさ。長官。④よい。美しい。よくする。他人の親族に対する敬称にも用いる。⑤使役の助字。「…をして…(せ)しむ」とよむ。…させる。⑥仮定の助字。もし。たとい。【解字】会意。上半部は、集める意。下半部「卩」は、人がひざまずいた形。人を集めてひざまずかせ、したがわせる意。
行-①ゆく。㋐歩いていく。すすむ。㋑よそへ出かける。旅(にゆく)。㋒ゆかせる。すすめる。動かす。㋓持ちあるく。㋔歩きながら。ゆくゆく。②おこなう。㋐ある事をする。おこない。ふるまい。㋑ギョウ〔仏〕悟りにいたるための実践。③とどこおらない。㋐ギョウ漢字の書体の一つ。㋑漢詩の一体。音調がとどこおらない詩。④ギョウ(文字の)たてのならび。⑤ギョウ令制で、官位を称する際、官が位に相応せず低い官である場合に挿入する語。⑥問屋。みせ。「銀行・行員」もと、同列に並ぶ意から、中国の唐・宋そう以後に起こった同業組合の称。【解字】十字路を描いた象形文字。人通りの多い大通り(を歩いて進む)の意。
註


○天野孫子:「法」はおきて、制度。ここでは広く国の政治上のおきてを言う。「令」は命令。「法」が恒常的なものであるのに対して「令」は臨時的なもの。「行」は法令通り行なわれる、法令が守られるの意。一説に『諺義』は「法は曲制官道主用なり。令は号令なり。主将の下知を号令と云へり」と。この句について一説に『旧』[旧岩波文庫 山田準・阿多俊介『孫子』]は「軍規の厳正如何を見ること」と。
○守屋孫子:四、法令は、どちらが徹底しているか。
○重沢孫子:第四は、前記”法”の項に列挙された事項が、より規定どおりに正しく処理されているのは、どちらの国なのか。軍の規律の問題です。これで五事関係は完了。
○著者不明孫子:【法令】軍法と軍令。「令」のほうが具体的な命令をいうのであろう。
○諺義:法は曲制・官道・主用也、令は號令也、主将の下知を號令と云へり。三略に云はく、将の威を為す所以の者は、號令なり、戦の勝を全うする所以の者は、軍政なり、士の戦を軽んずる所以の者は、命を用ふるなり、故に将は令を還す無し、と云へり。法令ありと云へども、おこなはれざれば正しからず。このゆゑに行の字を用ふる也。舊説に法令を以て法度下知の心也と、一つにいたしみるは非也。
○孫子国字解:法は法度なり。令は下知なり。されば法はかねて定るを云、令は當座の下知なり。行はるるとは、下知法度のきくことなり。上より下知法度をたてても、下たる者是を守らず、或は表向ばかり守る様にして、實は是を守らざるは、行るると云ものにてはなき也。是は人の守り難き法度をたて、又賞罰に依怙贔負ある時は、法令行れぬなり。總じて下知法度は事多きを嫌ふなり。法度の箇條すくなくして、法を犯す時は、たとへ貴人高位にてもゆるさず、法におこなふ時は、下知法度のきかぬと云ことはなきなり。魏の曹操此段を注して、設て犯さず、犯せば必誅すと云へり。誠に名言なり。設とは法を立ることなり。上より法度を立るに、下たる者是を犯すなれば、法度と云ものにてはなきなり。法は下たる人の犯さざるを以て法と云なり。故に設て犯さずと云なり。法度を犯す時は、誰人によらず必誅するなれば、法を立る程にて、犯す者はなきなり。故に犯せば必ず誅すと云なり。古の名将皆かくの如し。孫子始て呉王闔廬にまみへたる時、闔廬女にも軍法をならはすべしやと問ふ。孫子答て、女なればとて、敎らるまじきに非ずと云。闔廬則、宮女百八十人を出さる。孫子其内にて、闔廬の寵愛の美人二人を組頭と定め、百八十人に戟をもたせ、二組にわけて備を立て、下知して曰く、汝何れもむねと、左右の手と、せなかとを知やと問ふ。宮女何れもなるほど存知たりと云。孫子が曰く、前は胸を見よ、左は左の手を見よ、右は右の手を見よ、後は背を見よと云。何れも畏まると云。孫子則合圖の太鼓を打てば、宮女大きに笑ふ。孫子が曰く、合圖の示し合せ調はざるは、士卒の罪に非ず、将の罪なりとて、又右の如く委細に云ひ含め、再び合圖の太鼓を打つ時、宮女大きに笑ふ。孫子が曰く、合圖の示し合せをもとくとしたるに、法を守らざるは士卒の罪なりとて、組頭と定めたる両人の宮女を斬んとす。闔廬大きに驚き赦すべきよしを仰せけれども、将たるもの、軍に在ては君命を受ざる所ありとて、遂に是を誅し、二番目の宮女を組の頭と定め、再合圖の太鼓を打しかば、坐作進退みな法の如にして、一人として法に背くものなかりきなり。又呉子魏の國の軍兵を率ひて、秦の國と取合ひける時、一人の勇士ありて、下知なきに敵陣にかけ入り、首取て歸る。軍法に違ひぬれば、功あればとて赦すべきに非ずとて、呉子是を誅したり。又齊の景公の時、燕晋両国より齊の國を攻て、味方軍に利を失ふこと有し時、晏平仲と云賢臣、司馬穰苴を薦む。景公則穰苴を将軍の官になし、燕晋両国の敵を禦しむ。穰苴申して曰く、臣賤しき者にて、今にはかに将軍の官となれば、士卒重んぜず、願くは君の寵臣を一人軍の奉行になし玉へと云。景公則荘賈と云寵臣を添らる。穰苴荘賈と約束するやう、日中に軍門に来り玉へと云。荘賈君の寵臣なれば、もとより穰苴が下知を用ひず、漸く暮時になりて軍門に来る。穰苴なに故遅く来るやと問ふ。荘賈答て曰、親類の者共なごりを惜み、餞するに隙をとりて遅かりしと答ふ。穰苴が曰く、将たる者は、家をも身をも、親類をも忘るるを以て忠とす。今敵深く我国に攻入り、国中騒動し、君の憂甚し。汝かやうなる重き任を受ながら、何として親類のなごりを惜て、出陣の刻限を違たるやとて、軍正を呼て問ふて曰く、軍の法には、合圖の日限刻限を遅なはりたる人をば、如何様の罪科に處するやと問ふ。軍正が曰く、斬罪なりと答ふ。穰苴則荘賈を誅して其由を軍中に相觸る。士卒大きに恐れて、穰苴が法を違へず。遂に燕晋の敵を逐拂て取られたる郡を取返したるなり。又孔明が下の士大将に、馬謖と云しもの、孔明が下知を守らずして敗軍に及しかば、孔明涕を流して是を誅す。呉の呂蒙も、我同郷の人の、幼少よりなじみたるもの軍中にて笠を盗たれば、涕を流して是を斬る。又魏の曹操は、士卒に田畠を蹂み作物をそこなふべからず、背くものは斬罪に處せんと、法令を出せしに、曹操の馬はなれて、麥畠を蹂損したり。我が出したる法令を、自身破るべきに非ずとて、既に自害せんとす。群臣様々と諫ければ、されば是なりとも、我頸の代にすべきとて、自身我髪を切たり。是等は皆古今にすぐれたる名将の、一たび法を出しては、かりそめにも破ることをせざりしためしなり。かやうなる程なれば、法令よく行はるるなり。敵味方をたくらべはかるに、何れかかやうに法令の行るると考ることを、本文に、法令孰行と云たるなり。
○曹公:設けて犯さず。犯せば必ず誅す。
○杜佑:設けて犯さず。犯せば必ず誅す。號を發し令を出すこと、知んぬ誰か能く施行する[いったい誰がよく施行するであろうか]。
○杜牧:法に縣け令を設ける。貴賤一の如し。魏絳僕を戮し、曹公髪を斷ずるは是なり。
○梅堯臣:衆を齊えるに法を以い、衆を一にするに令を以いる。
○王晳:孰れか能く法を明らかにし令すれば便ち、人聽きて從うなり。
○張預:魏絳 揚干を戮す。穰苴 荘賈を斬る。呂蒙 郷人を誅す。臥龍馬謖を刑す。茲に謂う所[所謂-古人の謂う所の、の意。ここでは曹操の言を指す。]の「設けて犯さず、犯せば必ず誅す」とは、誰か此の如く為さん。
意訳


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○金谷孫子:法令はどちらが厳守されているか、
○浅野孫子:軍法や君主と将軍が下す命令はどちらが徹底して遂行されているか、
○天野孫子:いずれが制度と命令がよりよく遵守されていようか。
○町田孫子:法令はどちらのほうが徹底して行なわれているか、
○フランシス・ワン孫子:軍紀に対しては、何れの軍隊の方がより大きな敬意を払い、命令はよりよく実行されているか。
○大橋孫子:法令はどちらがよく行われているか。
○武岡孫子:規則や命令はどちらがよく行われているか。
○田所孫子:第四には軍の編成兵站等について、
○著者不明孫子:軍法はどちらがきちんと励行されているか、
○学習研究社孫子:第四に、法令は、どちらがゆきわたっているか。
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2012-04-05 (木) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『天地孰れか得たる、』:本文注釈
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天地-①天と地。天壌。あめつち。②宇宙。世界。世の中。③書物・荷物などの、うえした。ここでの「天地」の意は、大自然の法則であり、陰陽・寒暑の順逆の対応を利用した勝つための法則である「天」と、高下・広狭・遠近・険易・死生などの空間把握力の「地」で、合わせて「天地」となる。
得-①手に入れる。求めて自分のものにする。うまくかなう。②…できる。…しうる。動詞のあとにつくこともある。③理解して自分の身につける。さとる。④もうけ(をとる)。利益。 【解字】形声。右半部は音符で、「貝」(=財貨)+「寸」(=手)。財貨を手にする意。「彳」(=ゆく)を加えて、出かけて行って物を手に入れる意。
「得たる」の意を考えたとき、二つの意が考えられる。第一は「どちらの国が有利となる天と地を手にいれているか」と解釈する場合である。一般的にはこの意味でこれまで考えられてきた。第二は「敵と味方のどちらの将が天と地の特性をより理解し、体得しているか」と解する場合である。この場合は意味が大きく違ってくる。例えば有利な地形や難攻不落の要害があれば、そう簡単には覆ることはないが、歴史上覆らなかったものもない。そう考えれば、現状の状態云々よりも敵味方の将の能力がものを言ってくることは間違いない。兵法は相手に勝つためにあるのだから、勝利への道をつくることが大事となる。つまり現状が悪い状態でも策を練り実行することでよい状態をつくるということの方が重要になってくる。そう考えれば二番目の意味でとらえた方がよいかと思う。また第二の意味を採用したとき、前文の「将孰れか能なる」と意味合いが重複するが、後文の「兵衆孰れか強き」と「士卒は孰れか練いたる」を考えたとき、似たような意味の文章が二つ並んでいるため、「孫子」においてはさほど違和感がないものと思われる。
註

○天野孫子:「天地」は天地の恩恵の意。天は慈雨を降し、地は万物を生ずるような恩恵。この句は彼我両国のいずれが天地の恩恵にあずかりそれを活用して物資が豊富であろうかの意。一説に杜牧は「天とは上に謂ふ所の陰陽・寒暑・時制なり。地とは上に謂ふ所の遠近・険易・広狭・死生なり」と。この意であるならば、彼我両国の比較は広大に亘って困難であろう。仮に比較し得たとしても彼我両国に一長一短があって、その優劣の判断は困難であろう。また一説に杜佑は「両軍の拠る所を視て、誰か天時地利を得たるかを知る」と。これは、彼我両軍の既に拠る所を視てから天時・地利の彼我の優劣を比較する意であるならば、「之を校するに計を以てして其の情を索め」「吾此を以て勝負を知る」の開戦前の比較を否定する。これは、もし両軍の拠る所を仮定しての言であるならば、その拠る所は多くあり、またその地によっての天時の相異もあって、その比較は複雑多岐にわたろう。また一説に梅堯臣は「天の時を稽合し、地の利を審察す」と。稽合は考え合わせる。卜占によって、われに天時が幸するか否かは知ることができても、敵のそれについては知り得ないから、両者を比較することはできないであろう。古来注家は前文の天と地との説明をもって、この句の天と地とを解しているが、それは無理であろう。
○守屋孫子:三、天の時と地の利は、どちらに有利であるか。
○重沢孫子:第三は、前記”天”と”地”の諸条件が、両国のどちらにとってより有利であるかの比較。”得”は有利の意。
○諺義:天の時地の利、其の宜を得るやと、両軍の是非を較計する也。
○孫子国字解:天とは天の時、地とは地の利なり。前の五事の内にては、天と地を二箇條にしてあり、爰には一箇條につづめて云へり。天の時地の利をば、敵の方に得たるか、味方に得たるかとくらべはかることなり。天の時も、地の利も、主しを定めぬものにて、味方に得れば味方の利となり、敵方に得れば敵方の利となるゆへ、天地孰得たると云へり。敵味方孰れか得たると云意なり。五事の次第には、道天地将法と次第して、此處には道将天地と次第したることは、天地に逆ふて軍をすることはならねば、尤重きことなるゆへ、五事の時は、同じき地の利なるに、将のとりはからひ様にて、敵の利にもなり、又味方の利にもなるゆへ、天地を得ると得ぬとは、将の功不功にあるゆへ、爰には道将天地と次第を立たり。
○孫子評註:「天地孰れか得たる。法令孰れか行はるる。」-天地を合して一と為し、法に陪(くわ)ふるに令を以てして、以て相對す。
○曹公:天時・地利なり。
○李筌:天時・地利なり。[曹公=曹操 に同じ]
○杜佑:両軍據る所を視て、誰か天時・地利を得たるかを知る。
○杜牧:天とは上に謂ふ所の陰陽・寒暑・時制なり。地とは上に謂ふ所の遠近・険易・広狭・死生なり。
○梅堯臣:天の時を稽合し、地の利を審察す。
○王晳:天とは上に謂ふ所の陰陽・寒暑・時制なり。地とは上に謂ふ所の遠近・険易・広狭・死生なり。[杜牧に同じ]
○張預:両軍擧がる所を觀て、誰か天時・地利を得たるや。魏武帝 盛冬 呉を伐ち、慕容超 大峴に據らざれば則天時・地利を失う者なり。
意訳

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○浅野孫子:天と地がもたらす利点はどちら側が獲得しているか、
○金谷孫子:自然界のめぐりと土地の情況とはいずれに有利であるか、
○町田孫子:天の時と地の勢はどちらに有利であるか、
○天野孫子:いずれがよりよく天地の恩恵をうけて物資が豊富であろうか。
○フランシス・ワン孫子:気象・天候条件や地理的条件は、何れの軍の方に有利であるか。
○田所孫子:第三には天地のよろしさに敵味方のどちらがよりかなって準備が整っているかということ、
○大橋孫子:自然現象と地勢はどちらに有利か。
○武岡孫子:天候・気象条件や諸般の時間的要因、地理的条件はどちらの軍に有利か。
○著者不明孫子:時期や地勢のぐあいはどちらが有利であるか、
○学習研究社孫子:第三に、自然条件はどちらに有利か。
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『天地孰れか得たる、』:本文注釈
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天地-①天と地。天壌。あめつち。②宇宙。世界。世の中。③書物・荷物などの、うえした。ここでの「天地」の意は、大自然の法則であり、陰陽・寒暑の順逆の対応を利用した勝つための法則である「天」と、高下・広狭・遠近・険易・死生などの空間把握力の「地」で、合わせて「天地」となる。
得-①手に入れる。求めて自分のものにする。うまくかなう。②…できる。…しうる。動詞のあとにつくこともある。③理解して自分の身につける。さとる。④もうけ(をとる)。利益。 【解字】形声。右半部は音符で、「貝」(=財貨)+「寸」(=手)。財貨を手にする意。「彳」(=ゆく)を加えて、出かけて行って物を手に入れる意。
「得たる」の意を考えたとき、二つの意が考えられる。第一は「どちらの国が有利となる天と地を手にいれているか」と解釈する場合である。一般的にはこの意味でこれまで考えられてきた。第二は「敵と味方のどちらの将が天と地の特性をより理解し、体得しているか」と解する場合である。この場合は意味が大きく違ってくる。例えば有利な地形や難攻不落の要害があれば、そう簡単には覆ることはないが、歴史上覆らなかったものもない。そう考えれば、現状の状態云々よりも敵味方の将の能力がものを言ってくることは間違いない。兵法は相手に勝つためにあるのだから、勝利への道をつくることが大事となる。つまり現状が悪い状態でも策を練り実行することでよい状態をつくるということの方が重要になってくる。そう考えれば二番目の意味でとらえた方がよいかと思う。また第二の意味を採用したとき、前文の「将孰れか能なる」と意味合いが重複するが、後文の「兵衆孰れか強き」と「士卒は孰れか練いたる」を考えたとき、似たような意味の文章が二つ並んでいるため、「孫子」においてはさほど違和感がないものと思われる。
註


○天野孫子:「天地」は天地の恩恵の意。天は慈雨を降し、地は万物を生ずるような恩恵。この句は彼我両国のいずれが天地の恩恵にあずかりそれを活用して物資が豊富であろうかの意。一説に杜牧は「天とは上に謂ふ所の陰陽・寒暑・時制なり。地とは上に謂ふ所の遠近・険易・広狭・死生なり」と。この意であるならば、彼我両国の比較は広大に亘って困難であろう。仮に比較し得たとしても彼我両国に一長一短があって、その優劣の判断は困難であろう。また一説に杜佑は「両軍の拠る所を視て、誰か天時地利を得たるかを知る」と。これは、彼我両軍の既に拠る所を視てから天時・地利の彼我の優劣を比較する意であるならば、「之を校するに計を以てして其の情を索め」「吾此を以て勝負を知る」の開戦前の比較を否定する。これは、もし両軍の拠る所を仮定しての言であるならば、その拠る所は多くあり、またその地によっての天時の相異もあって、その比較は複雑多岐にわたろう。また一説に梅堯臣は「天の時を稽合し、地の利を審察す」と。稽合は考え合わせる。卜占によって、われに天時が幸するか否かは知ることができても、敵のそれについては知り得ないから、両者を比較することはできないであろう。古来注家は前文の天と地との説明をもって、この句の天と地とを解しているが、それは無理であろう。
○守屋孫子:三、天の時と地の利は、どちらに有利であるか。
○重沢孫子:第三は、前記”天”と”地”の諸条件が、両国のどちらにとってより有利であるかの比較。”得”は有利の意。
○諺義:天の時地の利、其の宜を得るやと、両軍の是非を較計する也。
○孫子国字解:天とは天の時、地とは地の利なり。前の五事の内にては、天と地を二箇條にしてあり、爰には一箇條につづめて云へり。天の時地の利をば、敵の方に得たるか、味方に得たるかとくらべはかることなり。天の時も、地の利も、主しを定めぬものにて、味方に得れば味方の利となり、敵方に得れば敵方の利となるゆへ、天地孰得たると云へり。敵味方孰れか得たると云意なり。五事の次第には、道天地将法と次第して、此處には道将天地と次第したることは、天地に逆ふて軍をすることはならねば、尤重きことなるゆへ、五事の時は、同じき地の利なるに、将のとりはからひ様にて、敵の利にもなり、又味方の利にもなるゆへ、天地を得ると得ぬとは、将の功不功にあるゆへ、爰には道将天地と次第を立たり。
○孫子評註:「天地孰れか得たる。法令孰れか行はるる。」-天地を合して一と為し、法に陪(くわ)ふるに令を以てして、以て相對す。
○曹公:天時・地利なり。
○李筌:天時・地利なり。[曹公=曹操 に同じ]
○杜佑:両軍據る所を視て、誰か天時・地利を得たるかを知る。
○杜牧:天とは上に謂ふ所の陰陽・寒暑・時制なり。地とは上に謂ふ所の遠近・険易・広狭・死生なり。
○梅堯臣:天の時を稽合し、地の利を審察す。
○王晳:天とは上に謂ふ所の陰陽・寒暑・時制なり。地とは上に謂ふ所の遠近・険易・広狭・死生なり。[杜牧に同じ]
○張預:両軍擧がる所を觀て、誰か天時・地利を得たるや。魏武帝 盛冬 呉を伐ち、慕容超 大峴に據らざれば則天時・地利を失う者なり。
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○浅野孫子:天と地がもたらす利点はどちら側が獲得しているか、
○金谷孫子:自然界のめぐりと土地の情況とはいずれに有利であるか、
○町田孫子:天の時と地の勢はどちらに有利であるか、
○天野孫子:いずれがよりよく天地の恩恵をうけて物資が豊富であろうか。
○フランシス・ワン孫子:気象・天候条件や地理的条件は、何れの軍の方に有利であるか。
○田所孫子:第三には天地のよろしさに敵味方のどちらがよりかなって準備が整っているかということ、
○大橋孫子:自然現象と地勢はどちらに有利か。
○武岡孫子:天候・気象条件や諸般の時間的要因、地理的条件はどちらの軍に有利か。
○著者不明孫子:時期や地勢のぐあいはどちらが有利であるか、
○学習研究社孫子:第三に、自然条件はどちらに有利か。
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2012-04-03 (火) | 編集 |
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『将孰れか能なる、』:本文注釈
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竹簡本のみ「能なる」、他の諸本は「有能なる」につくる。
註

○天野孫子:「能」はできるの意。「有能」は広く事をなしとげる働きを有するを言う。『合契』は「能は任に勝ふるなり」と。一説に杜牧は「将孰れか有能なるとは、上に謂ふ所の智・信・仁・勇・厳なり」と。
○重沢孫子:第二は将と能力。指揮官に要求される前記五種の能力について、双方の将を比較する。
○守屋孫子:二、将帥は、どちらが立派な政治を行なっているか。
○孫子国字解:将とは士大将を云なり。能とは才能にて、器量のことなり。即上の文にある、智、信、仁、勇、厳の五徳備はりたるを、有能と云なり。此本文の意は、敵の士大将共と、味方の士大将ともとは、何れか器量まさりたると、くらべはかることなり。むかし漢の高祖の時、魏王魏豹が謀叛を起したると聞玉ひて、外のことをば尋玉はで、魏豹が方の總大将は誰ぞと尋玉へり。柏直と云人なりと申ければ、いまだ口わきの黄なる若者なり。何として此方の韓信に及ぶべき、心安しとあり。又騎馬の大将は誰とぞ尋玉ふ。馮敬なりと答ふ。是はよき弓取なれども、此方の灌嬰には及ばずとあり。又歩卒の大将は誰と尋玉ふ。項它と答れば、此方の曹參にかけ合ふべきに非ず。扨は心安しとて、外のことを尋玉はず。軍をはじめ、一かけ合にて魏豹を生取りにし玉ふも、此意なり。
○曹公:道徳・智能なり。
○杜佑:道徳・智能・主君なり。必ず先ず両国の君主を考校し能なるや否やを知るなり。荀息 虞公貪りて寳を好み、宮の奇懦にして強諫能ざるを料るは是なり。
○李筌:孰れか實なるや。有道の主、必ず智能の将有り。范増楚を辭し、陳平漢に歸る。即ち其の義なり。
○杜牧:将孰れか能有るとは、上に所謂の智・信・仁・勇・厳なり。漢の高祖魏将柏直韓信に當たる能わざるを料るが若きの類なり。
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○金谷孫子:将軍は[敵と身方とで]いずれが有能であるか、
○浅野孫子:将軍はどちらが能力的に優れているか、
○町田孫子:将軍はどちらのほうが有能であるか、
○天野孫子:いずれの将軍がよりよく有能であろうか。
○フランシス・ワン孫子:主将は何れがより有能であるか。
○田所孫子:第二には軍に将たるものの統率力、
○大橋孫子:どちらの将軍が有能か。
○著者不明孫子:大将はどちらが能力を持っているか、
○学習研究社孫子:第二に、どちらの指揮官が有能か。
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『将孰れか能なる、』:本文注釈
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竹簡本のみ「能なる」、他の諸本は「有能なる」につくる。
註


○天野孫子:「能」はできるの意。「有能」は広く事をなしとげる働きを有するを言う。『合契』は「能は任に勝ふるなり」と。一説に杜牧は「将孰れか有能なるとは、上に謂ふ所の智・信・仁・勇・厳なり」と。
○重沢孫子:第二は将と能力。指揮官に要求される前記五種の能力について、双方の将を比較する。
○守屋孫子:二、将帥は、どちらが立派な政治を行なっているか。
○孫子国字解:将とは士大将を云なり。能とは才能にて、器量のことなり。即上の文にある、智、信、仁、勇、厳の五徳備はりたるを、有能と云なり。此本文の意は、敵の士大将共と、味方の士大将ともとは、何れか器量まさりたると、くらべはかることなり。むかし漢の高祖の時、魏王魏豹が謀叛を起したると聞玉ひて、外のことをば尋玉はで、魏豹が方の總大将は誰ぞと尋玉へり。柏直と云人なりと申ければ、いまだ口わきの黄なる若者なり。何として此方の韓信に及ぶべき、心安しとあり。又騎馬の大将は誰とぞ尋玉ふ。馮敬なりと答ふ。是はよき弓取なれども、此方の灌嬰には及ばずとあり。又歩卒の大将は誰と尋玉ふ。項它と答れば、此方の曹參にかけ合ふべきに非ず。扨は心安しとて、外のことを尋玉はず。軍をはじめ、一かけ合にて魏豹を生取りにし玉ふも、此意なり。
○曹公:道徳・智能なり。
○杜佑:道徳・智能・主君なり。必ず先ず両国の君主を考校し能なるや否やを知るなり。荀息 虞公貪りて寳を好み、宮の奇懦にして強諫能ざるを料るは是なり。
○李筌:孰れか實なるや。有道の主、必ず智能の将有り。范増楚を辭し、陳平漢に歸る。即ち其の義なり。
○杜牧:将孰れか能有るとは、上に所謂の智・信・仁・勇・厳なり。漢の高祖魏将柏直韓信に當たる能わざるを料るが若きの類なり。
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○金谷孫子:将軍は[敵と身方とで]いずれが有能であるか、
○浅野孫子:将軍はどちらが能力的に優れているか、
○町田孫子:将軍はどちらのほうが有能であるか、
○天野孫子:いずれの将軍がよりよく有能であろうか。
○フランシス・ワン孫子:主将は何れがより有能であるか。
○田所孫子:第二には軍に将たるものの統率力、
○大橋孫子:どちらの将軍が有能か。
○著者不明孫子:大将はどちらが能力を持っているか、
○学習研究社孫子:第二に、どちらの指揮官が有能か。
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2012-04-01 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!
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『曰く、主孰れか道なる、』:本文注釈
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現行孫子はいずれも「曰く、主孰れか有道なる、」につくる。竹簡孫子のこの部分の場所の竹簡が欠損しているため、原文を推定してみると、竹簡孫子の七計の説明の箇所において、「孰れか」の後が必ず漢字一文字で来ているため、「有道」ではなく「道」となっていたと思われる。なお、浅野孫子のみ「主は孰れか賢なる、」につくる。
主-①中心である。おも(な)。②つかさどる(人)。③中心となって管理する。④一家・一国・一団などの長。あるじ。ぬし。⑤宇宙の支配者。神。⑥それを中心とする。⑦他にはたらきかける側。他人を迎えて接待する側の人。客。⑧そこにとどまっているもの。みたましろ。【解字】燭台(しょくだい)の上で静止して燃えたつ炎をかたどった象形文字。一か所にじっと留まる意から、あるじの意となる。「住」「注」「駐」などはこれから派生。
註

○天野孫子:「主」は一国の君主。一説に『国字解』は「主は主将なり」と。「孰」はここでは彼我両国のいずれかの意で、その優劣を問う。「有道」は有徳と同じ。君の有徳。『約説』[何言の「孫子約説」]は「両国の主孰れか道徳ありと為す」と。この句は彼我両国の君主のいずれが有徳の政治を行なっているかの意。従って前段の文における道の定義とは異なった意味を持つ。前段の文の説明には、君の有徳の政治に触れることなく、政治の効果すなわち人心収攬のみを説いている。そこで『外伝』も言うように、それは聖人の道ではないと言われる。一説に梅堯臣は「誰か能く人心を得たる」と。また一説に「道」は民の道であるとして『新釈』は「五事中の『道』の定義を見ると『令民与上同意』であるから、寧ろ『民の道』である。故に主孰れか道あるといふのは『敵か味方か孰れの君主が、より強く民の道の中心となつてゐるか』といふ意である」と。
○重沢孫子:第一は主と道。彼我両国の君主について、そのどちらが前記の”道”の要素をより多く身につけているかを比較する。
○守屋孫子:一、君主は、どちらが立派な政治を行なっているか。
○田所孫子:主孰有道とは、敵と味方の君主のいずれが道に合っているかとの意。孰は敵と味方のどちらかとの意で、以下すべて同様。
○著者不明孫子:【主孰有道】「有道」は「戦うについての正しい道理が有る」との意であるが、この「道」は上の「五事」の第一項に挙げられた「道」であるから、直接には「人の和を得る、民心を得る」ことを意味する。「孰」は「どちらが」の意。
○諺義:『主孰れか道有る、将孰れか能有る、』 主は主人也。主は道を以て本とす。道を心得ざる主人は、たとひ才知かしこくとも人物の大義にくらし。このゆゑに、たとひ軍は當坐のかち(勝)ありともまことの勝をしる事之れ有る可からざる也。道は五事に注せる所の道、人民皆上にしたしみおもひ付きて危きを畏れざる也。孰とは彼我との二つを合せての言也。二國人心の向背いづれか人の心を得て道あるぞと校計してしる也。能と云ふは、材能也。材能と云ふときは、専ら智にかかれり。大将は智を以て第一とす。このゆゑに能と云へり。しかれどもすべて云ふときは智信仁勇厳をさす。此の五つ相備はるを能将と云ふ、乃ち良将の義也。彼の将と我が将といづれが此の五つのものをよくするぞと校計する也。主には道と云ひ、将には能と云ふ、尤も其の心得あること也。主は大要をつくすにあり、将は其のことわざを能く心得て、それそれのわざをつくすべき也。漢祖の将に将たるは道也、韓信の多々益々辨ずるは能也。項羽の嗚呼叱咤して(而)千人廢するは能也。漢祖の寛仁大度[寛大でなさけ深く、度量の大きいこと。]は道也。
○孫子国字解:この曰と云より下は、上文に校之以計と云へる、其たくらべ様を説けり。此品七つあるゆへ、曹操王晳が注より、是を七計と云ひ習はせども、五事の外に、別に、七計なしと知べし。主は主将なり。孰有道とは、敵の主将が道あるか、味方の主将が道あるかと、敵味方をたくらべはかることなり。有道と云は、則前の五事の内に、道者、令民與上同意、可與之死、可與之生、而不畏危也ある處に叶ふを、道あると云なり。むかし韓信項羽を背きて、高祖に歸したりし時、項羽は諸侯の権を取て、威天下に振ひたれども、生得あらけなき大将にて、人を殺すことを好み、さし當りは禮義ありて愛敬らしけれども、人に國郡を與ふることを惜み、又人の異見を用ひぬ人なれば、智謀ある人、みな項羽に従はず、又高祖はわづかに漢中の王にして、小身なれども、器量大やうにして、民を苦しめず、細かなる法度を立ず、面にむかひて人を悪口し、又人をうやまはぬ過あれども、人に國郡を與ることを惜まず、又よく人の諌を用る人なれば、始終の勝利は、高祖の方にあらんとはかりしが、後其はかりたりし如くなりしも、此本文の意なり。
○孫子評註:「曰く、主(双方の君主のうち、前述の君民一体の道を体しているのは、どちらであるか。)孰れか道ある。将孰れか能ある。」-五事には主の字を露(あらわ)さず、ここに至つて點出し、将と對す。智信の五字を約して一の能の字と為す。将とは大将なり。他皆之れに倣(なら)へ。
○杜牧:孰れは誰かなり。言うこころは我敵人の主と誰か能く佞[口先がうまい。へつらう。おもねる]を遠ざけ賢に親しみ、人に任せ疑わざるやとなり。
○梅堯臣:誰か能く人心を得たる。
○王晳:韓信 項王匹夫の勇、婦人の仁、名は覇を為すと雖も、實は天下 心を失う、を謂い漢王武關に入りて、秋毫害する所無く秦の苛法を除けば、秦民 大王の秦の王を欲さざる者は亡ぶを言うが若きは是なり。
○何氏:書に曰く、我撫せば則后にし、我虐げれば則讎す。撫虐の政、孰れか之れ有る。
○張預:先ず二國の主、誰か恩信の道有るを校ぶ。即ち上に所謂の民をして上と意を同じうせ令むる者の道なり。淮陰項王仁勇高祖に過ぎて有功を賞さず、婦人の仁を為して料るが若きは亦是なり。
意訳

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○浅野孫子:その内訳を述べれば、敵国と自国とで、君主はどちらが民心を掌握できる賢明を備えているか、
○金谷孫子:すなわち、君主は[敵と身方とで]いずれが人心を得ているか、
○町田孫子:すなわち、君主はどちらのほうが道を体得しているか、
○天野孫子:すなわち、彼我両国において、いずれの君主がよりよく有徳であろうか。
○フランシス・ワン孫子:為政者と国民の関係は、何れがより親密であるか(より大きな精神的影響力を持ち、民意を得ているか)。
○大橋孫子:すなわち、どちらの君主がよい政治をしているか。
○田所孫子:まず第一には、わが君主と敵の君主と、どちらが前述の道ということ、すなわち君主と兵士との間に意思の共通点がどれだけあるかということ、
○著者不明孫子:それは-君主はどちらが民衆の心をとらえているか、
○学習研究社孫子:そこで言う。「第一に、どちらの君主が、より多く道を体得しているか。
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『曰く、主孰れか道なる、』:本文注釈
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現行孫子はいずれも「曰く、主孰れか有道なる、」につくる。竹簡孫子のこの部分の場所の竹簡が欠損しているため、原文を推定してみると、竹簡孫子の七計の説明の箇所において、「孰れか」の後が必ず漢字一文字で来ているため、「有道」ではなく「道」となっていたと思われる。なお、浅野孫子のみ「主は孰れか賢なる、」につくる。
主-①中心である。おも(な)。②つかさどる(人)。③中心となって管理する。④一家・一国・一団などの長。あるじ。ぬし。⑤宇宙の支配者。神。⑥それを中心とする。⑦他にはたらきかける側。他人を迎えて接待する側の人。客。⑧そこにとどまっているもの。みたましろ。【解字】燭台(しょくだい)の上で静止して燃えたつ炎をかたどった象形文字。一か所にじっと留まる意から、あるじの意となる。「住」「注」「駐」などはこれから派生。
註


○天野孫子:「主」は一国の君主。一説に『国字解』は「主は主将なり」と。「孰」はここでは彼我両国のいずれかの意で、その優劣を問う。「有道」は有徳と同じ。君の有徳。『約説』[何言の「孫子約説」]は「両国の主孰れか道徳ありと為す」と。この句は彼我両国の君主のいずれが有徳の政治を行なっているかの意。従って前段の文における道の定義とは異なった意味を持つ。前段の文の説明には、君の有徳の政治に触れることなく、政治の効果すなわち人心収攬のみを説いている。そこで『外伝』も言うように、それは聖人の道ではないと言われる。一説に梅堯臣は「誰か能く人心を得たる」と。また一説に「道」は民の道であるとして『新釈』は「五事中の『道』の定義を見ると『令民与上同意』であるから、寧ろ『民の道』である。故に主孰れか道あるといふのは『敵か味方か孰れの君主が、より強く民の道の中心となつてゐるか』といふ意である」と。
○重沢孫子:第一は主と道。彼我両国の君主について、そのどちらが前記の”道”の要素をより多く身につけているかを比較する。
○守屋孫子:一、君主は、どちらが立派な政治を行なっているか。
○田所孫子:主孰有道とは、敵と味方の君主のいずれが道に合っているかとの意。孰は敵と味方のどちらかとの意で、以下すべて同様。
○著者不明孫子:【主孰有道】「有道」は「戦うについての正しい道理が有る」との意であるが、この「道」は上の「五事」の第一項に挙げられた「道」であるから、直接には「人の和を得る、民心を得る」ことを意味する。「孰」は「どちらが」の意。
○諺義:『主孰れか道有る、将孰れか能有る、』 主は主人也。主は道を以て本とす。道を心得ざる主人は、たとひ才知かしこくとも人物の大義にくらし。このゆゑに、たとひ軍は當坐のかち(勝)ありともまことの勝をしる事之れ有る可からざる也。道は五事に注せる所の道、人民皆上にしたしみおもひ付きて危きを畏れざる也。孰とは彼我との二つを合せての言也。二國人心の向背いづれか人の心を得て道あるぞと校計してしる也。能と云ふは、材能也。材能と云ふときは、専ら智にかかれり。大将は智を以て第一とす。このゆゑに能と云へり。しかれどもすべて云ふときは智信仁勇厳をさす。此の五つ相備はるを能将と云ふ、乃ち良将の義也。彼の将と我が将といづれが此の五つのものをよくするぞと校計する也。主には道と云ひ、将には能と云ふ、尤も其の心得あること也。主は大要をつくすにあり、将は其のことわざを能く心得て、それそれのわざをつくすべき也。漢祖の将に将たるは道也、韓信の多々益々辨ずるは能也。項羽の嗚呼叱咤して(而)千人廢するは能也。漢祖の寛仁大度[寛大でなさけ深く、度量の大きいこと。]は道也。
○孫子国字解:この曰と云より下は、上文に校之以計と云へる、其たくらべ様を説けり。此品七つあるゆへ、曹操王晳が注より、是を七計と云ひ習はせども、五事の外に、別に、七計なしと知べし。主は主将なり。孰有道とは、敵の主将が道あるか、味方の主将が道あるかと、敵味方をたくらべはかることなり。有道と云は、則前の五事の内に、道者、令民與上同意、可與之死、可與之生、而不畏危也ある處に叶ふを、道あると云なり。むかし韓信項羽を背きて、高祖に歸したりし時、項羽は諸侯の権を取て、威天下に振ひたれども、生得あらけなき大将にて、人を殺すことを好み、さし當りは禮義ありて愛敬らしけれども、人に國郡を與ふることを惜み、又人の異見を用ひぬ人なれば、智謀ある人、みな項羽に従はず、又高祖はわづかに漢中の王にして、小身なれども、器量大やうにして、民を苦しめず、細かなる法度を立ず、面にむかひて人を悪口し、又人をうやまはぬ過あれども、人に國郡を與ることを惜まず、又よく人の諌を用る人なれば、始終の勝利は、高祖の方にあらんとはかりしが、後其はかりたりし如くなりしも、此本文の意なり。
○孫子評註:「曰く、主(双方の君主のうち、前述の君民一体の道を体しているのは、どちらであるか。)孰れか道ある。将孰れか能ある。」-五事には主の字を露(あらわ)さず、ここに至つて點出し、将と對す。智信の五字を約して一の能の字と為す。将とは大将なり。他皆之れに倣(なら)へ。
○杜牧:孰れは誰かなり。言うこころは我敵人の主と誰か能く佞[口先がうまい。へつらう。おもねる]を遠ざけ賢に親しみ、人に任せ疑わざるやとなり。
○梅堯臣:誰か能く人心を得たる。
○王晳:韓信 項王匹夫の勇、婦人の仁、名は覇を為すと雖も、實は天下 心を失う、を謂い漢王武關に入りて、秋毫害する所無く秦の苛法を除けば、秦民 大王の秦の王を欲さざる者は亡ぶを言うが若きは是なり。
○何氏:書に曰く、我撫せば則后にし、我虐げれば則讎す。撫虐の政、孰れか之れ有る。
○張預:先ず二國の主、誰か恩信の道有るを校ぶ。即ち上に所謂の民をして上と意を同じうせ令むる者の道なり。淮陰項王仁勇高祖に過ぎて有功を賞さず、婦人の仁を為して料るが若きは亦是なり。
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○浅野孫子:その内訳を述べれば、敵国と自国とで、君主はどちらが民心を掌握できる賢明を備えているか、
○金谷孫子:すなわち、君主は[敵と身方とで]いずれが人心を得ているか、
○町田孫子:すなわち、君主はどちらのほうが道を体得しているか、
○天野孫子:すなわち、彼我両国において、いずれの君主がよりよく有徳であろうか。
○フランシス・ワン孫子:為政者と国民の関係は、何れがより親密であるか(より大きな精神的影響力を持ち、民意を得ているか)。
○大橋孫子:すなわち、どちらの君主がよい政治をしているか。
○田所孫子:まず第一には、わが君主と敵の君主と、どちらが前述の道ということ、すなわち君主と兵士との間に意思の共通点がどれだけあるかということ、
○著者不明孫子:それは-君主はどちらが民衆の心をとらえているか、
○学習研究社孫子:そこで言う。「第一に、どちらの君主が、より多く道を体得しているか。
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