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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒2013年01月
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2013-01-27 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。』:本文注釈

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当時、食糧の輸送は困難を極めたことを証明する文章である。よって、孫武よりも昔の名将と呼ばれた武将も、敵の食糧をいただくことを常に考えていたということがわかる。逆に考えれば、それだけ食糧(輜重隊)をえさにして、敵を誘い込むといった謀は相当有効であった、ということが考えられるであろう。また、時代が経つにつれ、それが常套手段になっていったであろうことも想像に難くない。罠か、罠でないかを見抜くには偵察隊の老練な目によるより他はなかったであろう。また、この文は、自国内での速戦速決を計る軍隊には当てはまらず、敵国の中まで入りこんでいる軍隊の対処法であることがわかる。自軍が敵国に入った場合は、自軍の食糧は敵国の食糧に依存するようつとめればよいが、敵に妨害されたり、食糧をえさに誘き出されるという事態も起こりかねない。逆に、敵が自国に攻め込んできた場合は、敵が自国の食糧を奪わんと躍起になってくるであろうから、十分気を付けなければならないであろう。戦争というのはこのように大量の資源が必要となるものだから、孫子は戦争を長びかさないよう常に心がけていたに違いない。このころの時代は、相手国を滅ぼすという考えは存在しなく、講和により終止符がうたれていた。この時代が、まだ長期の戦に耐えられるほど、食糧の備蓄も整わなかったのは、農業もまだ十分に発展していなかったということが考えられる。逆に、農業が発展し、備蓄を多くすることが可能となってくると、軍隊の数も多くなってくる。戦国時代では強国となると、十万~百万ちかくまで軍隊の数が膨らみ、相手国を滅ぼすまで戦争が続けられるようになった。自国だけで食糧の大量生産による供給が可能となったからである。それにしても、曹操は屯田兵をつくり、食糧の供給という面では、革命的なものを生み出したにも関わらず、注にはそのことは記述されていないのだが、皆さんはお気づきになったであろうか。謙遜して書かなかったのであろうと私は思うのだが、このあたりが真の曹操の魅力といえるものではなかろうか。

この文は、自軍の兵士の食糧と馬の食糧の二つを、敵側の食糧を奪うことによって、自分の軍を養うのだ、ということをいっている。方法としては、敵軍の兵糧が備蓄されている場所や輜重隊から貨物を奪ったり、敵の農地から農作物を刈り取ったり、などということが考えられるだろう。


務-引き受けた役割を遂行するために力を出す。つとめる。つとめ。【解字】もと、力部9画。形声。音符(=ほこを使って困難を排する)+「力」。力を尽くして困難を打開する意。

鍾-①あつめる。かたまってあつまる。②中国周代の容積の単位。約四九・七リットル。③かね。つりがね。鐘。④酒器。さかつぼ。さかずき。

石-こく【石】 (慣用音。漢音はセキ) ①体積の単位。主として米穀をはかるのに用い、1石は10斗、約180リットル。斛。②和船の積量で、10立方尺。③材木などで、10立方尺の実積の称。約0.28立方メートル。④鮭さけ・鱒ますなどを数える語。鮭は40尾、鱒は60尾を1石とする。⑤大名・武士などの知行高を表す単位。





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○金谷孫子:敵の一鍾を…-一鍾は六斛(こく)四斗のかさ。日本の斗升の約十分の一にあたるから、今の約120リットル。遠くへ運搬する間の費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるという意味。
 一石-は豆がら、はわら、一石は百二十斤(きん)の重さ。二千四百粒の黍(きび)の重さを両といい、十六両が一斤。

○浅野孫子:○鍾-容量の単位。一鍾は約五十リットル。
 ○-は豆がら、(稈)はわら。
 ○石-重量の単位。一石は約三十キログラム。

○町田孫子:<二十鍾に当たる>鍾は古い量(ます)の名、一鍾は中国の六斛(こく)四斗(と)で、約百二十リットル。輸送のあいだの費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるというのである。
 <一石>百二十斤の重量。約三十キログラム。

○天野孫子:○智将務食於敵 「智将」は兵法に通じてよく智恵を働かせる将軍。「務」は精力を出すの意。「食」はここでは食糧を食う意。
 ○食敵一鍾当吾二十鍾 「一鐘」は現在の約五十リットルに該当する。この句について孟氏は「千里の転運を計るに、道路に耗費し、二十鍾にして一鍾を軍中に致す可し」と。二十鍾と一鍾は概略の計算で、これは経験から割り出したものであろう。
 ○ 「」は箕(き)に同じ。豆の実を取り去ったあとの茎、まめがら。「」は稈(かん)と同じ。稲などの穀物の茎、わら。「」も「」もともに牛馬の飼料。
 ○一石 百二十斤を言う。一斤は二百五十六グラム。一石は約三十キログラム。

○フランシス・ワン孫子:註
 一、「敵に食(は)む」は、「糧は敵に因る」と同意語であり、掠奪・掠取の意ではない。仏訳の如く、利用する・充当するの意である。既述の如く、それは、古代にあっても調達によって可能となるのであり、掠奪に頼るときは、忽ち四散・消滅して自らを苦しめるものとなるのみならず、住民の背反・抵抗を招いて、軍隊行動を危殆(きたい)に陥れることが少なくなかった。このため、ギリシアの古戦史等を見ても、軍は対価の支払いにつとめており、状況によっては、むしろ対価以上の支払いを積極的に行うことによって、その獲得・集積に成功している。物が不足している場合と雖も、相場以上のものを払えば集まる道理は、当時も今も変りはないのである。
 一、しかし、現代戦が動員する大軍の場合は、たとえ相応の対価を支払うとも、現地調達に依存し得る割合は著しく低下し、今や殆どを後方からの補給に依存するより外はなくなっているのが実状である。このため、「遠輸」の問題も、単に戦争経済上だけではなく、文字通り軍隊の生存に関わる問題となり、戦略範囲・戦場決定上の重要要素となっている。
 一、なお、掠奪・掠取の問題に関連して、さらに一言しておく。それは、敵の糧秣倉庫・集積地を攻撃し奪取する、若しくはこれに脅威を与える意義は、当時にあっては、現代に比して遙かに重要且つ決定的であり、時としては、戦わずしてその軍を崩壊に至らしめることもあった。このため、このこと自体を作戦目標の一つとすることも珍しくなかった。現代で言えば、真珠湾攻撃に於て、着意されることはなかったが、攻撃目標に敵の石油施設の破壊を加えるようなものである。

○守屋孫子:一鍾-六斛(こく)四斗。今の一二〇リットルに相当するという。
 一石-は豆がら、はあわがら。ともに牛馬の飼料。一石は一二〇斤。
 こういう事態を避けるため、知謀にすぐれた将軍は、糧秣を敵地で調達するように努力する。敵地で調達した穀物一鍾は自国から運んだ穀物の二十鍾分に相当し、敵地で調達した飼料一石は自国から運んだ飼料の二十石分に相当するのだ。

○田所孫子:○智将務食於敵とは、智将は本国からの糧秣輸送にたよらないで、務めて敵国内の物資によって糧秣を充足するとの意。
 ○食敵一鍾、当吾二十鍾とは、敵国の占領地から一鍾すなわち六斛四斗の食糧の徴発を行なえば、本国から二十鍾の輸送を受けたことに当るとの意。
 ○とは、は豆がら、は稲藁のこと。
 ○一石とは中国では百二十斤くらい。

○重沢孫子:(以上のように糧食の長距離輸送は経済の破滅を招くから)、有能な指揮官はつとめて敵地において糧食を手に入れる。敵地で手に入れる一鍾の穀物は、本国の二十鍾に相当し、一石の藁(わら)は本国の二十石に相当するのである。

○大橋孫子:一鍾-六石四斗
 -豆の茎や米麦のわらなど牛馬の飼料

○武岡孫子:敵に食む-敵地の食糧を奪って食べる
 一鍾-六石四斗、今の約三〇リットル
 -豆やわら等の牛馬飼料

○佐野孫子:○食敵一鍾 「鍾」は春秋時代の容量の単位で、六斛(こく)四斗(斗は十升、斛は十斗であるから、六百四十升)。当時の一升(日本の斗升の約十分の一)は〇.一九四リットルにあたるから「一鍾」は今の約一二〇リットル。
 ○一石 「(き)」は「箕(き)」(まめがら・豆の実を取り去った枝や茎)に同じ。「(かん)」は稈(かん)(わら)と同じ。「」・「」ともに牛馬の飼料。「一石」は百二十斤(きん)(当時の一斤は二五六グラム、一石は約三十キログラム)の重さ。

○著者不明孫子:【食於敵】敵地の食糧を食らうこと。
 【一鍾】「鍾」は容量の単位。一鍾は六斛四斗。当時の一鍾は約一二五リットル。
 【稈一石】「」は豆がら。「稈」は稲わら。牛馬の飼料。「石」は重量の単位。一石は百二十斤。当時の一石は三十キログラム。なお、石を、容量の単位である斛と同じに用いることもある。

○孫子諺義:『故に智将は食を敵に務む。敵の一鍾を食ふは、吾が二十鍾に当る。一石は、吾が二十石に当たる。』
 智将は智恵辨才ある大将、孫子将の五徳を論ずるに第一に智を以てす。しかれば智将は良将の通稱也。務むとははげましつとむるなり。糧食の用一日もかくるときは士卒力つくるゆゑに、糧食をして有餘ならしむるの法、我が國より運送せんことは甚だ其のつひえあれば、敵地の所々において是れを相聚めて、彼れが地の糧食を用ふるがごとくはかるべし。彼の地にて粮一鍾をうるときは、我が國よりももちはこぶ廿鍾にあたる也。も亦然り。これ百姓二十鍾をつひやさざれば、一鍾を運送すること叶はざる也。古人糧を敵に因るのゆゑん尤も大也。鍾は六石四斗のこと也、石は百二十斤也。は太豆也、又云ふ豆稭(ろうかつ)也。は禾藁わらくさ也。は牛馬の食也。人の食ありても牛馬の食あらざれは不足ゆゑに、此の兩種をあぐる也。王晳云はく、は今萁(き)に作る。稈は故書芊に為る。當に稈に作るべし。又云はく、敵の米穀稈を奪ひ取りて、味方に用ふるのことをいへる。是れ乃ち本朝の亂取せしむる心也。此の説亦通ず。敵國所々にて糧米をあつめしめ、尚ほ足らざるときは止むを得ずして民屋を追捕し亂取をいたし、間人を發して敵の粮米をうばふのはかりごとをなすべし。開宗に云はく、蓋し轉輸の法、費え十にして方に其の十を得、況や敵一鍾一石を失ひ、我れ又一鍾一石を多くす。故に二十鍾二十石に當る可し。大全に云はく、食を敵に務むは、糧を敵に因ると、旨趣相同じと雖も、但だ務の字と因の字と各所説有り。因は其の空隙に乗じて之れに因るに過ぎざるなり。務は則ち専ら敵の糧を注して、以て必ず得るを求むるの意、孫子前に糧を敵に因ると説く。人の視て偶ま一たび之れを為すの事と為すを恐る。所以(このゆえ)に又一の務の字を説き、人の必ず敵に食するを要するの意を以てす。以上第三段也。

○孫子国字解:『故に智将は敵に食することを務む。敵の一鍾を食すれは吾が二十鍾に當る。一石は吾が二十石に當る。』
 この段は上に千里に糧を饋る費を説たるをうけて、又糧に敵に因るわけを云へり。智将は智の深き大将なり。務食於敵とは、敵の兵糧を食することを務ると云ことなり。務るとは是を專一のこととして、精を出してかやうにすることなり。前の段に云ふ如く、本國より兵糧を運ふ費莫大なるゆへ、智深き大将は、さしあたる合戦の勝負に心を用るばかりに非ず。合戦に勝ちても、末々國のよはりになることを慮て、敵の兵糧を食することを專一とするとなり。されとも敵の兵糧を食すること、是又智将に非れば能はざることなり。一鍾とは六石四斗を一鍾とす。日本の六斗ばかりなり。當吾二十鍾と云は、敵の兵糧を一鍾食すれば、手前の兵糧二十鍾がけの、つよみなりと云意なり。そのわけは、轉輸(の)之法、千里に糧を輸せは、二十を費して一を得とあり、是は治世の如くに馬次にても、他領の人馬を用べきに非ず。吾國より敵國の陣場まで、日本道百里ばかりの長途の、舟のかよはぬ陸地を、兵糧をはこぶ時は、人馬の食物諸事の入目を引て、二十分一ならでは、さきへ届かぬと云ことなり。いかさまに一疋の馬をつぎもせず、一人の夫かはりもせず、衣類雨具まで取付けて百里ほどの道をゆかば、次第に人馬もくたびるべければ、日數も往來かけては三十日に近かるべし。馬にも多くは駄すること叶ふまじく、路次の警固、野陣の入目をかけては、二十分とつもりたる名将の法、違まじく思はるるなり。前漢の趙充國[趙 充国(ちょう じゅうこく、紀元前137年~紀元前52年)は、前漢の将軍。字は翁孫。隴西郡上邽の人で、後に金城郡令居に移住。]が語に、一馬を以て、自ら三十日の食を駄負すと云へり。三十日の食とは、米二斛四斗、麥[麦]八斛にて、一日の食人に米八升、馬に麥二斗六升のつもりなり。日本の升目にしては、人に米七合、馬に麥二升餘のつもりなり。一疋の馬につけたる食物を、人一人馬一疋にて三十日に食ひ盡すなれば、三十日路ほどある處へ、兵粮を本國より送ることはなり難きはずなり。然れば味方より取りよすれば、二十倍の物入かかるを、敵地にて直に敵の兵粮を食するなれば、一鍾當二十鍾なり。とは、は萁の字と同じく、豆がらのことなり。は稈ともかきて、いねわらのことなり。是皆馬の食物なり。一石と云ははかりめなり。百二十斤を一石と云、前に論ずる如く、一斤は四十三錢三分なれば、一石と云は、五貫百九十六錢なり。古は豆がら稻わら何れもちぎりにて、重さをはかりて用るゆへかく云へり。二十分一のつもり前に同じ。二句の意は、智将は務て敵の兵粮を食するは、二十倍のつよみになる故なりと云意なり。

○孫子評註:『故に智将は敵に食することを務む。』
 智将は即ち上の「善く兵を用ふる者」なり。但し彼れは略にして此れは詳(つまびら)かなり。文乃ち複せず。食の字は活讀す(動詞に読むことをいう。)。下の食敵の食と同じ(次の節の「食敵一鍾」の食敵。)
『敵の一鍾(周・春秋戦国時代の量の名。一鍾は六斛(こく)四斗(異説もある)。日本の斗升の約十分の一にあたるから、今の約一二〇リットル。遠くへ運搬する間の費用や減損を考えれば、二十倍の値うちがあるという意。)を食へば吾が二十鍾に當り、(豆がらとわら。いずれも馬の飼料。一石(せき)は一二〇斤(きん)の重さ。二四〇〇粒の黍(きび)の重さを両といい、一六両が一斤。)一石は吾が二十石に當る。』
 此の篇多く算數を以て言ふ。一を食へば二十に當るとは、是れ遙かに千里に照す(前の「千里糧を饋(おく)る」に照応する)。頗(すこぶ)る所謂算博士に似たり。然れども兵家の切要(大切で重要なこと。)は則ちそこに在り。

孫子十家註:『故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に當り、一石は吾が二十石に當る。』 

○曹公:六斛四は鍾を為す。計りて千里に轉運す。二十鍾は而して一鍾を軍中に致るなり。は豆稭なり。は禾藁なり。石とは一百二十斤なり。轉輸の法は、二十石を費やし一石を得る。一に云わく、の音は忌にして、豆なり。七十斤は一石を為す。吾が二十に當る。遠くに費やすを言うなり。

○孟氏:十斛は鍾を為す。計りて千里に轉運す。道路耗して費やす。二十鍾は一鍾を軍中に致るべし。

○李筌:遠くに師すれば一鍾の粟を轉じ、二十鍾を費やし方(まさ)に達するべし。軍将の智なり。務めて敵に食む、を以て己の費を省くなり。

○杜牧:六石四は一鍾を為す。一石は一百二十斤なり。は豆稭なり。は禾藁なり。或いは言わく、は藁なり。秦 匈奴を攻めるに、天下の運糧を黄瑯琊負海の郡に起る。北河に轉輸し、率(おおむ)ね三十鍾にして一石致る。漢武建元の中、西南夷を通り、作る者數萬人、千里に負擔(ふたん)し糧を饋る。率ね十餘鍾にして一石致る。今 孫子の言を校するに、敵に食む一鍾は、吾が二十鍾に當る。蓋し平地の千里轉輸の法を約す。二十石を費やし一石を得るは道里を約さず。蓋し漏闕なり。黄の音直(ただ)瑞反す。又音誰ぞ。東萊北河に在れば、即ち今の朔方郡なり。

○梅堯臣:注は曹公に同じ。

○王晳:曹公曰く、は豆稭なり。は藁なり。石とは百二十斤なり。轉輸の法は二十を費やせば乃ち一を得る。晳謂へらく上文の千里にして糧を饋らば、則ち轉輸の法は千里を謂うのみ。は今萁に作る。は故(すなわ)ち書に芉と為す。當にと作るべし。

○張預:六石四は鍾を為す。一百二十斤は石を為す。は豆稭なり。は禾藁なり。千里にして量を饋らば、則ち二十鍾石を費やし、而して一鍾石は軍所に到り得ん。若し險阻を越えらば則ち猶お啻[ただ。ただそれだけ。「不啻…」は「ただに…のみならず」と訓読し、単に…だけでなく、の意を表す。]のみならず。故に秦 匈奴を征するに、率ね三十鍾にして一石致る。此の言は能ある将は必ず糧を敵に因るなり、と。


意訳

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○金谷孫子:だから、智将は[遠征したら]できるだけ敵の兵糧を奪って食べるようにする。敵の一鍾を食べるのは身方の二十鍾分に相当し、豆がらやわら[の馬糧]一石は身方の二十石分に相当するのである。

○浅野孫子:だからこそ遠征軍を率いる智将は、できる限り敵地で食糧を調達するよう務める。敵方の穀物一鍾を食(くら)うのは、自国から供給される二十鍾分にも相当し、牛馬の飼料となる豆がらや稈(わら)一石は、自国から供給される二十石分にも相当する。

○町田孫子:だから、智将はなるべく敵の食糧を奪取してまにあわせる。敵の一鍾を奪って食うのは味方の二十鍾分に相当し、敵の馬料の豆がらや藁(わら)一石(せき)は味方の二十石分に相当するのである。

○天野孫子:それゆえに、智恵ある将軍はつとめて敵の食糧によって軍を養う。敵国から食糧の一鍾は自国から転送した食糧の二十鍾に該当し、敵国から得た牛馬の糧秣、すなわち豆がら・わらの一石は自国から転送したそれの二十石に該当する。

○フランシス・ワン孫子:従って、智将(先見の明ある将軍)は、軍が敵地の食糧を利用できるように配慮する。なぜなら、敵地で充当する一桝の食糧は本国の二十桝に相当し、敵地の秣(まぐさ)五十瓩(キロ)は本国の一噸(トン)に相当するからである。

○大橋孫子:ゆえに智将はつとめて敵国の食糧によって軍を養い、追送糧秣にたよらないようにする。敵国の食糧一鍾は追送食糧二十鍾の価値があり、敵国の馬糧一石は追送馬糧二十石に相応する。現地物資の利用は輸送力を必要とせず、国内の糧秣を減らさず、敵国の糧秣を減らすからである。

○武岡孫子:だから頭のよい将軍は、敵地の食糧を奪って賄おうとする。敵の百二十リットルの食糧は、実に国から追送する食糧の二十倍に相当し、馬糧も同様に一石が二十石に相当するからだ。

○著者不明孫子:そこで、智将は敵地の食糧を利用することに努める。敵地の食糧を一鍾食べれば、その価値は自国の食糧二十鍾に相当し、敵地の豆がらや稲わらなどの飼料一石は、自国の二十石に相当するのである。

○学習研究社孫子:そこで、知恵のある指揮官は、食糧を敵から取ることに務める。敵から食糧一鍾(しゅ)を取るということは、我が方の二十鍾分にも相当する価値がある。豆がらやわら一石を取るということは、我が方の二十石を輸送してきたことに相当する。

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2013-01-21 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(8)

『孫子』を学びたい方はぜひともこの問題集に挑戦していただきたいと思います。『孫子兵法』はあなたの人生を変えることができる数少ない書物のひとつと言えるでしょう。深く知ることで応用の幅も広がることは間違いありません。ぜひともチャレンジしてみてください。








【1問目】『孫子』の、有名な「風林火山」の四句の前に、「故に兵は(1)を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。」、とありますが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)権
(2)詐
(3)理
(4)算

【2問目】『孫子』軍争篇より問題です。
本文に、「衆を用うるの法は、高陵には向かう勿れ、倍丘には迎うる勿れ、佯北には従う勿れ、囲師には(1)を遺し、帰師には遏(とど)むる勿れ。」、とありますが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)闕(けつ)
(2)疾
(3)懟(つい)
(4)翳(えい)

【3問目】『孫子』地形篇の六つの将の過ちの箇所から問題です。
本文に、「将は敵を料(はか)ること能わずして、少を以て衆に合い、弱を以て強を撃ち、兵にも先鋒無きは、(1)と曰う。」、とありますが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)走る
(2)陥る
(3)弛む
(4)北(に)ぐる

【4問目】『孫子』地形篇より問題です。
本文に、「故に進みて名を求めず、退きて罪を避けず、唯だ(1)を是れ保ちて、而も利の(2)に合うは、国の宝なり。」、とありますが、さて、空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)家 (2)君
(2)(1)財 (2)法
(3)(1)民 (2)主
(4)(1)国 (2)衆

【5問目】『孫子』計篇で、五事七計と勢、詭道について述べた後、「此れ兵家の勝にして先には伝うべからざるなり。」、の文が見えますが、この文の解釈として、適当でないと思われるものは次のうちどれでしょう?

(1)兵家の勝ち方は秘密のものだから、人に伝え洩らすことはできない。
(2)五事七計を理解していない者に、詭道を先に伝授することはできない。
(3)兵家の勝ち方は臨機応変の奇策によるものであるから、あらかじめどのようにして勝つかは人に話すことができない。
(4)兵家の巧妙な権謀による勝ち方というものは、私が君主に召し抱えられる前には伝えることはできない。

【6問目】『孫子』の一番最初の篇名は「始計」、又は「計」ですが、ではこの篇名の由来はどこからきていると考えられるでしょう?
次のうち由来の一つとして当てはまらないと思うものを、選んでください。

(1)五事七計を計算すること
(2)詭詐の謀事
(3)廟算
(4)臨機応変の処置

【7問目】『孫子』九地篇に、「敢えて問う、敵衆(おお)くして以て整にして将(まさ)に来たらんとす。之れを待つこと若何(いかん)。曰く、其の(1)を奪わば、則ち聴かん。」とありますが、さて、この空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)及ばざる所
(2)戒めざる所
(3)輸(いた)す所
(4)愛する所

【8問目】漢の劉邦の臣下の韓信が、背水の陣をしき勝利した後、戦にどうして勝ったのかわかっていない部下たちに、「兵法に、『これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く』、とあるではないか。」と説明しましたが、さて、この言葉は『孫子』の何篇にでてくる言葉でしょう?

(1)九変
(2)地形
(3)軍争
(4)九地

【9問目】『孫子』地形篇より問題です。
本文に、「故に曰く、彼れを知りて己れを知れば、勝 乃ち殆うからず。(1)を知りて(2)を知れば、勝 乃ち全うすべし。」とありますが、さて、空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)用 (2)妙
(2)(1)地 (2)天
(3)(1)機 (2)先
(4)(1)利 (2)敏

【10問目】『孫子』作戦篇の、「故に敵を殺す者は怒なり。」の解釈には2つあり、一つは、「敵に勝って強さを増す方法として、『怒』の感情を用いよ。」という解釈である。

そしてもう一つのほうが、火攻篇の「主は怒りを以て師を興すべからず。将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず。」の文を根拠として、「『怒』の感情は軍を破滅にもたらすものであるから、『怒』の感情をもって、敵をむやみに殺してはならない」、というものである。
では『怒り』ではなく、何によって軍を動かすべきだと火攻篇で孫子は言っているでしょう?

(1)分合(集合分散)の法
(2)安定した心
(3)利に合うかどうか
(4)即戦速決








【1問目解説】

この文の意訳は、「そこで、戦争は敵の裏をかくことに主眼をおき、利のある所に従って行動し、分散や集合で変化の形をとっていくものである。」、となる。

計篇で、「兵は詭道なり。」と孫子は言っていますが、おなじようなことをここでも孫子はまた強調して述べています。、我々は、敵を欺くことが、戦争の基本戦術であるということを理解しなくてはなりません。


【2問目解説】

正解は(1)。

(3)の懟は、怨み怒ること、の意。

(4)の翳は、かげり、くもり、の意。

この文の意訳は、「そこで兵の運用の方法は、高い丘の上に陣取っている敵軍には攻め上がってはならず、丘を背にして攻撃してくる敵軍を迎え撃ってはならず、偽って敗走する敵軍を追撃してはならず、包囲した敵軍には逃げ口を残しておき、故国に帰還しようとする敵軍を遮って止めたりしてはならない。」、となる。

闕とは、「欠」と同意で、ここでは包囲網の一角をわざと開けておくこと。

逃げ場をつくることで、敵に、もしかしたら逃げ延びることができるかもしれない、と思わせ、戦意を失わせる策である。逃げ場を作らなければ、敵は死にもの狂いで戦うことになり、自軍にとって不利となる。敵に背水の陣をとらせることなく、戦意を失わせ、逃走させてから、自軍は猛追撃を行い、敵軍を壊滅させるということが、この策の狙いである。


【3問目解説】

正解は(4)。

(1)の「走る」とは、「夫れ勢い均しきとき、一を以て十を撃つは曰(すなわ)ち走るなり。」、と本文にあります。

(2)の「陥る」とは、「吏の強くして卒の弱きは曰ち陥るなり。」、と説明されています。

(3)の「弛む」とは、「卒の強くして吏の弱きは曰ち弛むなり。」と本文に説明があります。

この文の意訳は、「将軍が敵情を考えはかることができずに、小勢で多勢の敵と戦い、弱い勢いで強い敵を攻撃し、軍隊の先鋒に優れた兵士もいないのは、必ず戦闘に敗退する軍隊と呼ばれる。」、となる。

将軍は、大勢の味方の感情に流されること無く、軍を統制し、兵の実力に見合った用兵をおこない、冷静に敵軍に対処しなければならないことを強く誡めている。


【4問目解説】

正解は(3)。

この文の意訳は、「だから、功名を求めないで進むべき時に進み、罪になることをも恐れず退くべき時に退き、ひたすら人民を大切にし、主君の利益にも合致するような将軍は、国家の宝である。」、となる。

ほとんどの者は、最後の決断を迫られたとき、自分の判断の方が正しいとわかっていても、上司の指示にやみくもに従うなどして、もしも事態がうまくいかなかったとき、責任を自分がとらなくてもいいようにしてしまう。これは、うまくいかなかったとき、罪を部下に擦り付けることが日常化している職場におこる現象である。周辺の環境がこのようでは、ここの本文にある「国の宝」が生まれる可能性は皆無に近い。下の声を取り入れる土壌や、部下にある程度の裁量権を任せ、干渉しないといったことが、より多くの利益を生むこつと言えるだろう。


【5問目解説】

正解は(4)。

この「先には伝うべからざるなり。」の文は、注釈者によって、問題の選択肢にあるように、これまでいろいろな解釈がなされてきた。
この(1)、(2)、(3)のうちのどれかが孫子の意に沿ったものと言えるであろうが、どれが真意であったかは今のところはわかっていない。
少なくとも、詭道の説明のあとにこの文が続くことから、詭道に関わりがあることだけは確かであることがわかる。


【6問目解説】

正解は(4)。

計とは、「はかり考えること」、又は「計謀」の意も含まれると考えられる。この意味に一致しないものは(4)番のみである。

(4)は本文の「勢とは利に因りて権を制するなり。」の言葉から引用。

『孫子』にいう「計」の本来の意味は「はかり考えること」であり、「五事七計」のみ最初の編纂当時には記載されていたものが、「計」には「権謀」という意味もあることから、後の時代に「詭道」の文が付け足されたとする説もある。


【7問目解説】

正解は(4)。

「敵の愛するところを奪え」、という言葉はこれまでに、どこかでみなさんもきいたことがあったかもしれません。その由来が『孫子』のこの文です。

この文の意訳は、「お尋ねしたいが、敵が秩序立った大軍でこちらを攻めようとしている時には、どのようにしてこれに対処したらいいだろうか。孫武がいうには、まず敵が大切にしている(重視している)もの(地点)を奪い取れば、敵はこちらの思い通りになるでありましょう。」、となる。


【8問目解説】

正解は(4)。

韓信は、中国秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。

韓信は兵を操らせては人に並ぶものがないものであったが、大局的な世の中の流れを見ることに関しては欠けていた。ひとことでいえば、「戦術」は超一流であったが、「戦略」はお粗末であった。最後は信用していた蕭何に裏切られる形で捕えられ処刑されてしまった。並ぶ者のない大将軍の末路としては残念なものであった。

『孫子』は処世術としても応用できる書物である。戦場のみでその真価を発揮するものではない。木をみて森をみないことがあってはならない。


【9問目解説】

正解は(2)。

「地」と「天」の位置が逆の本もある。
また、「全うすべし」が「窮まらず」となっている本もある。

この文の意訳は、「だから、『敵情を知って味方の事情も知っておれば、そこで勝利にゆるぎがなく、土地のことを知って自然界の巡りのことも知っていれば、そこでいつでも勝てるのである。』といわれるのである。」、となる。

「全うする」の語は、謀攻篇にもでてきており、損害を少なくして敵に勝つという意味で使われてきた。ここでも同じような意味でよいだろう。


【10問目解説】

正解は(3)。

火攻篇の、「主は怒りを以て師を興すべからず。将は慍(いきどお)りを以て戦いを致すべからず。」の文の後に、「利に合えば而(すなわ)ち動き、利に合わざれば而ち止まる。」とある。
一時の感情で開戦することが当たり前だった当時の世界観を戒めたのがこの言葉であった。
孫子はこのあとに「亡くなった国は建て直すことはできず、死者は生き返らせることはできない。」と言っている。










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2013-01-20 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『公家の費、破車罷馬、兵戟矢弩、甲冑楯櫓、丘牛大車、十に其の七を去る。』:本文注釈

⇒意訳に移動する

竹簡孫子では「十に其の七」となっており、それ以外の諸本では「十に其の六」となっている(六か七かは、どちらでもそんなに変わりはないから気にする必要はないだろう。)。「兵戟矢弩」、「甲冑楯櫓」の語も、本によって若干表現が違う。


公家-こう‐か【公家】朝廷。官家。おおやけ。

破車-やれ‐ぐるま【破れ車】こわれた車。

罷-①中途でやめる。中止する。②官職からしりぞける。やめさせる。③つかれる。疲。④まかる。退出する。日本での用法。つとめをやめて帰る意から。【解字】会意。「罒」(=あみ)+「能」(=力がある)。力のある者があみにかかって動けなくなる、つかれる、の意。

甲冑-かっ‐ちゅう【甲冑】‥チウ 鎧と冑。戦闘に際して戦士が身体を保護するためにまとう武具。平時も用心のために、または儀礼に威儀を添えるために着用することもあった。





○金谷孫子:『公家の費、破車罷馬、甲冑弓矢、戟楯矛櫓(戟楯蔽櫓)、丘牛大車、十に其の六を去る。』
 矢弩-武経本・平津本は「矢弓」。桜田本は「弓矢」で『御覧』と合う。
 蔽櫓-武経本・平津本・桜田本では「矛櫓」。『御覧』も同じ。
 其六-古注に一本では「其七」とあるという。竹簡本と合う。

○浅野孫子:兵戟-ここでの兵は、矛や戈などの武器・兵器の意。戟も兵の一種であるから、戟だけ別にして兵と並べるのは厳密さを欠くようであるが、古代の文献にはこうした表現がしばしば見られる。
 丘牛-まるで丘のような巨牛と解する説もある。しかし、物資の運搬には極めて多数の牛が動員されるが、それらがすべて丘のように巨大であったとは考えにくい。前記の兵賦の中には、丘ごとに馬一頭と牛三頭を供出する規定が存在した。ゆえに丘牛は、荷車の牽引用に、丘里より軍役の一環として徴発した牛を指すと解するのがよい。

○町田孫子:『公家の費は破車罷馬、甲冑弓矢、戟楯矛櫓、丘牛大車、十に其の六を去る。』
 ○宋本は「矢弩」とある。桜田本や『太平御覧』の引用によって改めた。
 ○宋本は「蔽櫓」とあるが、諸本にしたがう。

○天野孫子:○公家之費  「公家」は朝廷。以下朝廷の費用の主な品目を挙げる。
 ○破車  損傷した戦車。
 ○罷馬  疲労した馬 
○甲冑  「甲」はよろい。「冑」はかぶと。
 ○矢弩  『七書』は「矢弓」、他の『武経』は「弓矢」に作る。『古文』も同じ。「弩」は石弓、矢や石などをばねじかけで射る強弓。
 ○戟楯  「戟」は二つの枝のあるほこ。「楯」はたて。
 ○蔽櫓  車の上に立てる大きなたて。『武経』『古文』は矛櫓に作る。「矛」はほこ。
 ○丘牛大車  「丘牛」は丘役の牛。「丘役」参照。『詳解』は「蓋し牛馬は皆是れ公家の物なり。平常無事の時丘甸の民但(ただ)之を畜養するのみ」と。一説に大牛と。李筌は「丘は大なり」と。「大車」は輜重車。張預は「大車は必ず革車ならん。始め破車・疲馬と言ふは、攻戦の馳車を謂ふ。次に丘牛・大車を云ふ。丘牛とは丘は大なり。大きな牛と云ふことなり。その牛をかけて引かする大車のことなり」と。以上の品目はいずれも戦闘に用ひるものと解する。前段の文に「用を国に取」るとあり、その用とは以上の品々と解するからである。車と馬のみ、破車・罷馬とあるのは、「十去其六」を後に誤解して役に立たなくなったものを意味するとして、「破」「罷」を後から附加したのであろう。一説に『直解』は「車破損して馬罷困し、甲冑・弓矢・戟楯・矛櫓・丘牛・大車に至るまで或は損壊し或は遺失す」と。『発微』も「車・馬は破・罷と曰ふ。而るに甲冑・弓矢以下は破・罷と曰はず。是れも亦省文なり」と。
 ○十去其六  戦闘に用ひる器材、その補給など、戦闘力を維持するために費す費用が、朝廷の収入の十分の六に当たる。残りの十分の四は朝廷の維持費となる。趙本学は「公家に於て之を計るに、破車・罷馬と器用とに費すこと、其の財の官に在る者、十分して当に其の六を去るべし」と。一説に前述のように、諸器材など破損、罷困、遺失して、公家の費用の十分の六を去ると。『新釈』は「政府の費用に於ては、戦車を破損し軍馬を疲労せしめ、其の他、甲冑弓矢、戟盾矛櫓、輜重車等、凡ての破損を計算すれば、政府の全財産の十分の六が消費し去られる」と。百姓が十去其七で、公家が十去其六であるのは、朝廷は他国との友好などの体面上のことなどがあって、その維持費がかかるものであろう。一説に「十去其七」と「十去其六」とは互文であると。『国字解』『正義』『発微』などがそれである。これに対し『評註』は「七を去り、六を去るは、百姓を重くして言ふ。互文に非ず」と。なお『孫子集註』に、一本は「十去其七」と作る、と。李筌本がそれ。

○フランシス・ワン孫子:註  「矢弩」は「弓矢」、「蔽櫓」は「矛櫓」となっているテキストもある。また、「十に其の六を去る」は、一本には「十に其の七を去る」と作る、と。仏訳はこれをとっている。

○守屋孫子:蔽櫓  大盾でおおった攻城用の兵器。
 丘牛  大牛に引かせた輜重車。
 また、国家財政の六割までが、戦車の破損、軍馬の損失、武器・装備の損耗、車輛の損失などによって失われてしまう。

○重沢孫子:国の経済的損失は、破損車両・廃馬・甲冑・矢・大弓・戟・楯・大型の楯・大牛・輜重車などで、十のうちその六を消耗している。

○田所孫子:○公家之費、破車罷馬、甲冑弓矢、戟楯矛櫓、丘牛大車、十去其六とは、公家すなわち卿大夫のような家では、車は破れ、馬はなくなり、その他甲冑弓矢、戟楯矛櫓、農耕用の牛、貨物輸送車等々貨財や武器等の六割が徴発されてなくなるとの意。

○大橋孫子:公家-国家
  戟-大型なほこ
  矛-小型なほこ
  櫓-大型なたて
  丘牛-役牛

○武岡孫子:公家の費-国家の経費
  櫓-大型のたて
  丘牛大車-役牛の牽引する大きな運搬用の車

○佐野孫子:○公家之費  「公家」は、君主の家、王室、国家。ここでは国家財政の意。
 ○破車罷馬  「破車」とは、破損した戦車(軽車)。「罷」は「疲」と同じで「罷馬」とは、疲労して走るに耐えられない馬の意。
 ○甲冑矢弩  「甲」は「革製のよろい(金属製を鎧という)。「冑」は兜。「弩」は石弓(ばねじかけで矢や石を射る武器)。
 ○戟楯蔽櫓  「戟」とは、枝刃のある矛の意。「楯」はたて。「蔽櫓」とは、おおだて(戦車の上で防禦する武具)。
 ○丘牛大車  「丘牛」は輸送用に徴発した丘役の牛。「大車」は輜重車(重車)。

○著者不明孫子:【公家】公(国家・官)の機関をいう。
 【罷馬】「罷」は疲れる意。
 【戟楯矛櫓】「戟」と「矛」とはともにほこの一種。「楯」は盾とも書く。たて。「櫓」は大きな盾。地上に立て並べて矢や石を防ぐ。
 【丘牛大車】「丘牛」は大牛(李筌・張預の説)。上文の「破車罷馬」は戦闘用の馳車についていい、「丘牛大車」は輜重運搬用の革車についていったものとする張預の説が分かりよい。「丘牛」は丘役として徴収する牛、「大車」も賦課として徴収する兵車とする説(曹操など)もあるが、それでは「公家の費」に含めがたい。

○孫子諺義:『公家の費、車を破り馬を罷(つか)らかし、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、十にして其の六を去る。』
 公家はおほやけ也、朝廷を指す。車馬甲冑矢弩は字の如し。弩は大弓也、あやつりを以て大弓をはつて大矢を射出すを云ひ、遠きを射、大勢を射る弓也。戟はほこ也、ほこは今のやりの類也。楯はたてなり。蔽櫓は士卒をおほふ大たて也。又蔽は士卒をおほふ小屋具・陣具。帷幕の類也。一本に蔽を矛に作る、矛も又ほこ也。丘牛は民の役にて出しおく牛也。又云はく、丘は大也、大牛と云ふ心也と。大車は雜具荷物をつむ車也。破車罷馬の車はいくさ車也。以上是れ等のつひえ朝廷又十にして六分の失あり。一本に十其の七を去るとある本之れ有り。廣註(書名、李卓吾著)に云はく、但言ふ國用足らざれば、勢必ず足を民に取り、百姓則(財カ)竭くるに到る。直に是れ奈何ともす可き無し。此れ武子喫緊人を打動する處、費を算せざるを得ざるの意を見る。案ずるに、力屈し財殫き、中原内家に虚なるときは、百姓之費十にして其の七を去るとあるときは、車を破り馬を罷かし、甲冑矢弩、戟楯蔽櫓、丘牛大車、公家之費十にして其の六を去るとかくべきを、孫子文を倒にして、互に相守りてかける也。兵書の内孫子が文章尤も奇文多し。

○孫子国字解:上三段には下の費を云て、此段には上の費のことを云へり。公家とは、公はおほやけとよう。家は國家の意にて、上の意のことを公家之費と云なり。甲はよろひ冑はかぶとなり。倭訓には取違て、甲をかぶと冑をよろひとよめり。矢弩は、矢はやなり弩は弩弓なり。弩弓を云へば常の弓もこもるなり。異朝には多く弩弓を用ゆ。材官蹶張とて、大力の男をえらび、脚にてふませて弓をはらするなり。萬鈞の弩、千鈞の弩とて、弓の至極つよきは、此弩弓にこえたることなし。一放しに矢の二三百も出る様にしかけたるもあり。弩弓ならでは弓の大わざはなきことなり。日本にても、古は大宰府などには、弩師とて弩弓を敎る役人ありて、習はしめたること、古書に見えたり。講義本には、矢弩を矢弓に作り、開宗説約大全などには、弓矢に作る、今集注本に從ふなり。戟楯とは戟はほこなり。かぎの二つあるほこなり。十文字のるいなり。楯はたてなり。蔽櫓は車の上に立る大盾なり。一本には矛櫓とあり。矛は長刀の如くにて、かぎのあるほこなり。丘牛大車とは、兵糧をはこぶ大車を云。丘牛とは、丘は大なり。大きなる牛と云ことなり。その牛をかけて引かする大車のことなり。一説には、前に注せる丘甸の法にて、五百七十六家より、牛十二疋を出すにより、民より軍役にて出す牛を丘牛と云とも云へり。然れば牛をば民より出し、車をば上より申付ると見えたり。十去其六と云は、是も過半の損亡と云ことなり。前の百姓の費には、十去其七と云ひ、ここの公家の費には、十去其六と云たるは、兩方文を互にして、十に六七を失ふと云ことなり。かたかたには七と云ひ、かたかたには六と云たるに拘るべからず。集注本の注に、一本作十去其七とあり、然れば兩方共に、七の字にかきたる本もありと見えたり。此段の意は、上の段にある如く、民百姓の費夥しく、それのみならず、上の費は戦車を打破り、馬もつかれ煩ひ、甲冑弓矢、戟もちたて、大盾小荷駄車まで、十のもの六七は損失するとなり。

○孫子評註:『公家の費(ついえ)、車を破り馬を罷(つから)し、甲冑弓矢、戟楯矛櫓(げきじゅんぼうろ)(戟と矛はほこ。楯と櫓はたて。)、丘牛大車(兵糧を運ぶ大車。丘牛(大きな牛)で引かせるからいう。この語は諸家の別説もある。)、十に其の六を去る。』
 公家の費、百姓の費、首尾に迭置し(前の節には節尾に百姓の費という句があり、この節には節首に公家の費という句を置く。迭置は交互に置くの意。)、章法長短同じからず。而も同じく「十に去る」の句を以て之れを整ふ。七を去り六を去るは百姓を重んじて言ふ。互文(置きかえれば同意になる文のこと。すなわち、ここを互文として解すると百姓の費と公家の費は二者一であって同じことを言ったことになる。)に非ず。

○曹公:丘牛は丘邑の牛を謂う。大車は乃ち長轂車なり。

○李筌:丘は大なり。此の數器は皆軍の須なる所なり。言うこころは遠近の費、公家の物、十に七を損するなり。

○梅堯臣:百姓 財糧力役を以て軍の費を奉じて、其の資十に七を損ぜんや。公家 牛馬器仗を以て軍の費を奉じて、其の資十に六を損ぜんや。是れ以て賦竭き兵窮し、百姓弊す。役急にして民貧しくして、國家虚し。

○王晳:楯は干なり。蔽は以て屏蔽すべし。櫓は大盾なり。丘牛は古の所謂匹馬丘牛なり。大車は牛車なり。易に曰く、大車以て載す、と。

○張預:兵は車馬を以て本と為す。故に先ず車馬疲蔽を言うなり。蔽は櫓楯なり。今 之れ彭排するを謂う。丘牛は大牛なり。大車は必ずや革車なり。始め車破り馬疲れるを言う者、攻戦の馳車を謂うなり。次に丘牛大車と言う者は、即ち輜重の革車なり。公家車馬器械亦十に其の六を損す。


意訳
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○金谷孫子:公家(おかみ)の経費も、戦車がこわれ馬はつかれ、よろいかぶとや弓矢や戟(刃の分かれたほこ)や楯や矛や櫓(おおだて)や、[運搬のための]大牛や大車などの入用で、十のうち六までも減ることになる。

○浅野孫子:一方、政府の経常支出も、戦車の破損や軍馬の疲労、戟をはじめとする武器や矢や弩、甲冑や楯や櫓(おおだて)、輸送用に村々から徴発した牛や大車などの損耗補充によって、平時の七割までもが削減される。

○町田孫子:公家(おかみ)の財政も、戦車がこわれ、馬は疲れ、甲冑(よろいかぶと)や弓矢、戟(ほこ)や楯や矛や櫓(おおだて)、運搬用の大牛や大車の入用で、十のうち六までが失われることになる。

○天野孫子:朝廷においては、その費用の中、破損した戦車、疲労した馬、よろいかぶと、矢と石弓、たてとほこ、大だて、牛と輜重車などの負担で、十分の六を失うに至る。

○フランシス・ワン孫子:政府の出費に関していえば、戦車の破損・軍馬の消耗、甲冑・弓矢・強弓、槍・大小の楯、運搬用の動物・輜重車のなどの補充による出費は、国庫の総計七割にのぼるであろう。

○大橋孫子:国家は破損した馬・甲冑・弓矢・大型ほこ・車用の大たて・役牛・荷車などの更新・補修・休養などのために、国費の六割を失う。

○武岡孫子:国の財政も、戦車はこわれ馬は疲れ、よろいかぶとや弓矢、戟や楯や矛、櫓(おおだて)や運搬用の大牛や大車などは十のうち六までも失ってしまう。

○著者不明孫子:国の財政も、壊れた車や疲れた馬、甲冑や弓矢、矛や盾の類、丘牛や大車などの補給のために十のうち六が失われる。

○学習研究社孫子:国家の費用も、車は壊れ、馬は疲れるという状態で、甲冑・矢・弩・戟・楯・大楯・大牛・大車は、十分の六を消費してしまう。

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2013-01-14 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『力を中原に屈くし、内は家を虚しうすれば、百姓の費、十に其の六を去る。』:本文注釈

⇒意訳に移動する

この文は読み方に諸説ある(当然読み方が変われば解釈も変る。)(しかし、「国民の生活がひどくなる」、という大意さえ押さえておけば、この文にそんなにこだわる必要はないだろう。)。また、諸本では「十に其の七を去る」と記載されているが、竹簡孫子のみ「十に其の六を去る」となっている。また、竹簡孫子と武経本、『御覧』には「財殫」の二字がない。


中原-ちゅう‐げん【中原】①広い野原の中央。②中国文化の発源たる黄河中流の南北の地域、すなわち河南および山東・山西の大部と河北・陝西せんせいの一部の地域。③天下の中央の地。転じて、競争の場。逐鹿場裡(ちくろくじょうり)。

内-①うち。㋐一定の範囲の中。㋑家庭。家の中㋒心のうち。精神。②朝廷。宮中。③表向きでない。ひそか(に)。うちうち。【解字】「内」は、もと入部2画。会意。「冂」(=屋根の形)+「入」。おおいの中にとりこむ、転じて、かこいのうちの意。

費-①金品や労力を使いへらす。ついやす。②物品を買ったり仕事をしたりするために使う金銭。ついえ。【解字】形声。「貝」(=財貨)+音符「弗」(=分散させる)。散財する意。

去-①その場から離れて行く。時間が経過してゆく。②遠ざける。とりのぞく。③漢字の四声の一つ。【解字】ふたつきのくぼんだ容器を描いた象形文字。くぼむ、ひっこむ意。一説に、からの容器からふたをはずした会意文字で、とりさる意。もと、厶部3画。





○金谷孫子:『力は中原に屈き用は家に虚しく、百姓の費、十に其の七を去る。』
 力屈財殫中原内虚於家-読み方に異説多く難解。竹簡本・武経本と『御覧』には「財殫」の二字が無い。恐らくそれがよく、「内」字は「用」の誤りであろう。力と用と対する。なお竹簡本では「屈力」となっている。

○町田孫子:宋本では「力屈(つ)き、財殫(つ)き、中原内は家に虚しく」とあるが、武内義雄『孫子考文』によって改めた。

○天野孫子:『力屈し財中原に殫き、内家に虚し。百姓の費、十に其の七を去る。』
 ○力屈財殫中原内虚於家  これについてはさらに二通りの読みかたがある。その一つ(前者)は「力屈し財殫き、中原の内、家に虚しく」と、他の一つ(後者)は「力屈し財殫き、中原の内虚し。家に於ては」と。主として「中原」の意味と文中におけるその役割とによって読み方を異にする。「中原」はいずれに属して読むも据(すわ)りが悪い。そこで『発微』は「中原内虚」を句とし「於家」を衍字とする。「力」はここでは民の運輸につくす力。張預は「糧を運べば則ち力屈す」と。一説に兵力と。『諺義』はこの句を前者の読み方をして「力屈すとは、軍旅の兵、気力のつかるるなり」と。なお前文に「力を屈し貨を殫す」とある。ただこの場合は、その前句の「城を攻むれば則ち力屈す」を受けて言う。ここで「力屈」は唐突である。『詳解』は「力屈」について「此の二字、疑ふらくは上文に因りて衍ならん」と。「財」は金銭・布帛・玉璧・粟米などを総称して言う。ここでは主として民の生産するものを言う。「財殫」の二字は太平御覧にない。『講義』もこの二字を欠いていて、「力、中原に屈し、内、家に虚し」と読んでいる。静嘉堂蔵『武経七書』(以下『七書』と略称す)も「財殫」の二字がない。「中原」は普通、黄河河畔の原野をさす。黄河河畔は文化発祥の地であるから天下の中央部の意味を持つが、ここでは自国内の原野を中原と称したと解する。『諺義』は「中原は国中の原野と云ふ心なり」と。『俚諺鈔』も「ここには国中を指して云ふ」と。一説に天下の中央部の意として『国字解』は「中原は中国を云ふ。…此の書は孫子が呉王に説きたる書にて呉国より遠境へ軍を出すと云へば、皆中原へ働くことなる故、遠国の陣処にて、民の精力屈し、財宝竭くると云ふことを、力屈して財中原に竭くと云ひたるなり」と。また一説に原野と。どこの原野か明示せずに、魏武帝は、「糧を運びて力を原野に尽す」と。また一説に『詳解』は「中原とは原中なり。猶中谷・中心の例のごとし。中原は戦場を指すの称なり」と。また一説に『外伝』は「中原は国中なり。国都を云ふなり」と。「内」は中原の外に対して家を言う。一説に国内であると。『国字解』は「内とは領内なり」と。この句を前者及び後者の読みかたをすると中原内の意となる。「虚」は内がからであるの意。「家」は下の百姓の家をさす。
 ○百姓之費十去其七  民は全収入の中の十分の七が軍事費で失われる。残りの十分の三は生活維持費。趙本学は前句について後者の読みかたをして「私家に於て之を計るに、百姓の遠輸と貴売と丘役とに費すこと、其の財の民に在る者、十分して当に其の七を去るべし」と。一説に『大系』は「遠輸の弊は百姓十を費して其七は軍費とならずして輸送等に費え、実際軍に供するところは三のみ」と。

○フランシス・ワン孫子:『力屈し財殫き、中原の内、家に虚し。百姓の費、十に其の七を去る。』
 註  本項は次の如く読む者もいる。即ち、「力屈し、財は中原に殫き、内、家は虚し。百姓の費、十に其の七を去る」(力屈、財殫中原、内、虚於家。百姓之費、十去其七)と。或いは、「力屈し、財殫き、中原、内に虚し。家に於ては、百姓の費、十に其の七を去る」と等。しかし意味に変りはない。

○守屋孫子:かくして、国力は底をつき、国民は窮乏のどん底につきおとされ、全所得の七割までが軍事費にもっていかれる。

○田所孫子:○中原内虚とは、中国の内地が空虚になるとの意。 ○於家百姓之費、十去其七とは、人民の家では、その資財の七割を徴発されてなくなるとの意。

○大橋孫子:力屈し-戦力弱化 財中原に殫き-国内が貧乏となり
 内家に虚しく-国民の家には何もなくなり
 百姓の費-国民の財産 十に其の七を去り-70%を失い

○武岡孫子:力は中原に屈き-戦力は中原の戦場でなくなり
 用は家に虚しく-国民の家には何もなくなり
 百姓の費-国民の財産 十に其の七を去る-70%を失い

○重沢孫子:こうして人民の力はゆき詰るし、財かはつきるというわけで、中央平野部の農業地域では家庭内がすっからかんになり、庶民の経済的損失は、十のうちその七を消耗し、

○佐野孫子:【校勘】○力屈中原、内虚於家 「十一家註本」には「力屈」の下に「財殫」の字があるが、「武経本」にはない。「竹簡孫子」では「屈力中原、内虚於家」となっている。意味を変えるものではないので、ここでは「武経本」に従う。
 ○百姓之費、十去其七 「竹簡孫子」では「十去其六」となっているが、ここでは「十一家註本」に従う。
【語釈】○力屈中原、内虚於家 「中原」は普通、黄河河畔の原野をさし、天下の中央部の意味をもつ。ここでは曹操註に従い、どこの原野か明示せずに、「糧を運びて力を原野に尽す」と解す。また一説に「中原は、戦場、戦地(前線)を指す」と。「内」は中原の外に対して国内(領内)の意と解する。「虚」は内がからであるの意。
 ○百姓之費、十去其七 民は全収入の中の十分の七が軍事費で失われる。

○著者不明孫子:【力屈中原】「力」は主として民衆の労働力を指すのであろう。「屈」はそれが低下し、なくなること。「中原」は野原。曹操以下、多く「原野」と注する。戦場や輸送路などを指し、食糧の輸送などのために民力が浪費されることをいう。「中原」はここではいわゆる中原の地(華北中央部)をいうのではない。
 【内虚於家】「内」は上文の「中原」に対して国内をいうのであろう。「家に虚し」とは民家の家の中において生気が欠乏して空虚なこと。
 【十去其七】十のうち七(つまり十分の七)を除く。七割を減ずる。

○孫子諺義:『力屈し財殫き中原内於は家に虚なるときは、百姓の費十にして其の七を去る。』
 力屈しとは軍旅の兵氣力のつかるる也。財竭きは百姓の財用ことごとくむなしき也。是れ外軍前を云へり。中原内家に虚なるときとは、國中原野の民、家業ことごとく虚する也。しかれば百姓の費十にして七分のつひえたる也。中原は國中原野と云ふ心也。國中は國の中也。原野は國外郊野をいへり。魏武は百姓力を原野に屈し財をうしなふと註せり。李筌・杜牧・講義之説亦之れに從ふ。故に中原の字を上へ連續せしむる也。力を以てするときは則中原に屈し、内を以てするときは則家虚なりと云ふ、是れ也。一本、力中原に屈しとあつて財竭の字之れ無きあり。王晳が註には、中原虚と句をきりて、國中公義の虚をさす。於家は百姓の家をさすとみたり、直解・通鑑皆之れに從ふ。しかれども力屈財殫と云ふ、是れ乃ち外軍前のつひえなり。中原内家に虚なると云ふ、是れ内百姓の家業を失ふ也。内の一字にて上の力屈し財殫きは外なることをしるべし。開宗に云はく、今七十萬家の力を以て、十萬の師に千里の外に供餉す、百姓安ぞ貧ならざるを得ん、秦皇の率は三十萬鍾にして一石を致し、漢武の率は十餘鍾にして一石を致し、關中進まずして民夷號泣し、西海戍守[じゅ‐しゅ【戍守】まもること。まもり。守戍。]して百姓業を失ふが如し。

○孫子国字解:『力屈し財中原に殫き、内家に虚しく、百姓の費十に其の七を去る。』
 一本に、財殫と云二字なくして、力屈中原とあり。上の二段に、領内と陣處にての費多きことを云たるを、此段に結びて云へり。皆下の費なり。上の費のことは下の段にあり。力屈財殫中原と云句は、上の近於師者貴賣、貴賣則百姓財竭、財竭則急於丘役と云三句を結て、陣處にての費を云へり。力屈するとは精力屈しくたびるることなり。中原は中國を云、中國と云は中華の總名をも云へとも、ここにては呉國より云たる詞にて、齊魯晉宋の國々は、諸國の中にて原野うちつづきたる國共なるゆへ、中原と云、呉の國、越の國、楚國などの様なる邊國の君、弓矢を取て軍をするには、中國の方へ打て出る時は、威名を天下にふるひ、覇王の業を成就するゆへ、是を專途とすること、日本にても戦國の時分は、京都の方へと働くを弓取の一のかせぎとするが如し。此書は孫子が呉王に説たる書にて、呉國より遠境へ軍を出すと云へば、皆中原へ働くことなるゆへ、遠國の陣處にて、民の精力屈し、財寶竭ると云ことを、力屈して財中原に竭くと云たるなり。古來の注には、中原を只野原のことと見て、大軍の陣處は大形野原なる意に心得て、陣處と云ことを、中原と云たると説けり。尤中原は只野原のことに用ること、詩経なとにはあれども、此書などにては、親切ならぬなり。内虚於家とは、上の國之貧於師者遠輸、遠輸則百姓貧と云二句を結びて、領内の費を云へり。内とは領内なり。家とは士卒の面々の家々なり。虚しとは財寶悉く竭て、家内には何もなきことなり。遠境へ兵粮を運ふ時は、領内の民家は皆空虚になると云意なり。百姓之費十去其七とは、中原の陣處も力屈し、財寶竭き、領内の民家も皆空虚なる様にある時は、下たる百姓の費は、十の物にして、七つほどなくなりたる積りなりと云意なり。十に七つと云は、只過半と云ことと心得べし。施子美が一説に、七十萬家を以て、十萬人を養ふと云算用にて注したれども、それは十に七を失ふとは云ひ難し。用べからず。

○孫子評註:『中原に力屈し財殫(つ)き、内、家に虚(むな)しく、百姓の費(ついえ)、十に其の七を去る。』
 中原は中國なり。呉の國より齊・晉を斥(さ)す。物茂卿(荻生徂徠。その著、『孫子国字解』(『漢籍国字解全書』に収めてある)参照。)之れを言へり。「力屈し」は直ちに「丘役に急なり」を承(う)け、「財殫き」は、超えて貧竭(ひんけつ)に接す。中原の句たる、直ちに「師に近き云々」を承け、「内、家に虚しく」の句は、超えて「師に貧し云々」に接す。一字一句、下し得て苟(いやしく)もせず。

○曹公:丘は十六井なり。百姓 財殫きること盡(ことごと)くして兵 解さずば、則ち運糧 力 原野に殫きるなり。十に其の七を去るとは破費する所なり。

○李筌:兵久しくして止まざれば、男女怨み曠[①むなしい。広々としてなにもない。②むなしくする。何もしないであけておく。]しくし、輸を輓[①ひく。㋐車や舟をひっぱる。㋑特に、葬式のひつぎ車をひく。②人をひきあげ用いる。③時代がおそい。]き丘役に困りて、力屈し財殫きて、百姓の費 十に其の七を去る。

○杜牧:司馬法に曰く、六尺は歩を為す。歩は百にして畝を為す。畝は百にして夫を為す。夫は三にして屋を為す。屋は三にして井を為す。四井は邑を為す。四邑は丘を為す。四丘は甸を為す。丘蓋し十六井なり。丘 戎馬一匹牛四頭有り。甸 戎馬四匹牛十六頭、丘車一乗、甲士三人、歩卒七十二人有り。今言う兵を解らざれば、則ち丘役益(ますます)急なり。百姓の糧盡き財竭き、力 原野に盡き、家業十に其の七を耗(へら)す。

○陳皡:丘を聚むるなり。賦役を聚斂[しゅう‐れん【聚斂】①あつめおさめること。②過重の租税をとりたてること。]し、以て軍須いて應ず。此の如くすれば則ち財 人に竭き、人困らざること無きなり。

○王晳:急とは常に賦を暴(さら)すなり。魯の成公 丘甲を作(な)すが若きは是れなり。此の如くすれば則ち民費太(はなはだ)半ばす。公費の差は減じらるを要す。故に十に七と云う。曹公曰く、丘十六井、兵解せざれば則ち運糧 力原野に盡く、と。

○何氏:國は民を以て本と為す。民は食を以て天と為す。人 上に居る者は、宜しく重く惜しむべからんや。

○張預:糧を運べば則ち力屈し、餉を輸(いた)さば則ち財殫き、原野の民、家産 内に虚し。其の費える所を度(たく)[計算する]さば、十に其の七を無くすなり。


意訳
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○金谷孫子:戦場では戦力が尽きて無くなり、国内の家々では財物がとぼしくなりて、民衆の生活費は十のうちの七までが減らされる。

○浅野孫子:こうして前線では国力を使いはたし、国内では人民の家財が底をつく状態になれば、民衆の生活費は普段の六割までもが削られる。

○町田孫子:外では軍隊が戦力を消耗しつくし、内では家々の財物も乏しく、こうして民衆の経費の十のうち七までが失われる。

○天野孫子:こうして国民は輸送に力を使いはたし、国内においては財貨が欠乏して、どの家も家の内には何もない。国民は軍事費のためその収入の十分の七を失うに至る。

○フランシス・ワン孫子:このように国民の力と財貨が消耗すれば、中原の民の暮しは極度に貧窮し、その資力の七割は水泡に帰することとなろう。

○大橋孫子:このようにして民力つき、国内では民家の外の財貨は欠乏し、民家の中は空になる。国民はその財産の七割を失う。

○武岡孫子:戦場では軍隊の戦力が尽き、国内では家々の財物が乏しくなって、民衆の生活は平素の三割にまで落ちこんでしまう。

○著者不明孫子:かくて、民衆の力は戦場で尽き果て、国内では生活が窮乏して、家計は十のうち七まで奪い去られる。

○学習研究社孫子:出兵した軍隊は、武力、体力ともに日一日と消耗していき、留守をあずかる本国は、財物がからっぽになってしまう。臣下の費用は、十分の七が失われる。

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2013-01-13 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(7)

遂に、問題集も本格化!『孫子』をより理解できるよう「本文」に重点を置いた問題をズラリ、揃えました!何問解けるかな?








【1問目】勢篇より問題です。
本文の、「故に善く戦う者は、これを勢に求めて人に責(もと)めず。故に能く人を擇(えら)びて勢に任ぜしむ。」の「人を擇びて」の解釈には2通りあります。通説として知られているのは、「人をえらぶ、えらびぬく、えらびわける」の意ですが、もう一つは、「擇」の字を「斁(えき)」の借字として、「人を(1)。」というように解釈します。さて、(1)に当てはまるものは次のうちどれでしょう?

(1)頼る
(2)称える
(3)鼓舞する
(4)あてにしない

【2問目】虚実篇より問題です。
本文に、「故に、人を形して我無形なれば、則ち我(1)にして敵(2)。」とありますが、さて、空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)約  (2)寡(すくな)し
(2)(1)専ら  (2)分る
(3)(1)衆  (2)空し
(4)(1)無窮  (2)至らず

【3問目】虚実篇より問題です。
本文に、「故に戦いの地を知り、戦いの日を知らば、則ち千里にして(1)すべし。」、とありますが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)会戦
(2)行軍
(3)疾戦
(4)駐留

【4問目】火攻篇より問題です。
本文に、「故に明主はこれを慮(おもんぱか)り、良将はこれを修め、利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わず。」、とありますが、さて、本文の「これ」とは、いったい何を指しているでしょうか?

(1)順詳
(2)必取
(3)費留
(4)詭道

【5問目】行軍篇より問題です。
本文に、「凡そ此の四軍の利は、黄帝の四帝に勝ちし所以なり。」、の「四軍」とは、「ある地形にいる軍隊」を指しますが、次の4つのうち、正しくないものはどれでしょう?

(1)深谿(しんけい→深い谷)に処るの軍
(2)平陸に処るの軍
(3)斥沢(せきたく→沼沢地)に処るの軍
(4)水上に処るの軍

【6問目】九地篇より問題です。
本文の、「敢えて問う、兵は率然(首と尾が自在に素早く動く常山の蛇)の如くならしむべきか、曰く可なり。夫れ呉人と越人との相い悪(にく)むや、其の舟を同じくして済(わた)りて風に遇うに当たりては、其の相い救うや(1)の如し。」は、有名な「呉越同舟」の語源となった文章ですが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)兄弟
(2)左右の手
(3)師弟
(4)刎頚(ふんけい)の友

【7問目】世に有名な「風林火山」は『孫子』の何篇にでてくる言葉でしょう?

(1)軍争
(2)火攻
(3)行軍
(4)九変

【8問目】「風林火山」の「其の疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。」の、この言葉は広く知られています。実はこのあとに似たような文が続くのですが、そちらはあまり世に知られていません。

では、ここで問題です。

この「風林火山」の文の後に、「知り難きことは(1)の如く、動くことは(2)震の如し。」と続くのですが、では空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)陰 (2)雷
(2)(1)闇 (2)怒
(3)(1)天 (2)地
(4)(1)幽 (2)星

【9問目】形篇より問題です。
本文に、「昔(いにしえ)の善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるは(1)に在るも、勝つべきは(2)に在り。」と、みえますが、さて、空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)守 (2)攻
(2)(1)正 (2)奇
(3)(1)己 (2)敵
(4)(1)形 (2)勢

【10問目】形篇より問題です。
本文に、「古(いにしえ)の所謂(いわゆる)善なる者とは、勝ち易きに勝つ者なり。故に善なる者の戦うや、(1)無く、智名無く、勇功無し。」、とありますが、さて、空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)大敵
(2)巧久
(3)恒形
(4)奇勝









【1問目解説】

正解は(4)。

この文の意訳は、「そこで、戦に巧みな者は、戦いの勢いによって勝利を得ようと求めて、人材に頼ろうとしない。だから、人をあてにしないで、軍を勢いに乗せるということに重点を置く。」、となる。

「擇」をすてる、損するの意味ではなく、えらぶの意味で訳す場合は、「(いろいろな長所を持った)人々を選び出して、(その人々が創りだした)勢いに軍隊全体を乗せるのである。」、となる。


【2問目解説】

正解は(2)。

この文の意訳は、「そこで、敵には、はっきりした態勢をとらせて(虚)、こちらでは、敵に本来の意図を読み取られないように態勢を隠している(無形)(実)というのであれば、こちらは(敵の態勢に応じて)兵力を自在に集中させ、敵はこちらの意図がわからないから守りの各要所に兵を分散させる(またはこちらの(本来の意図を隠した、眼に見える表立った)軍の動きにあわせて兵を分散させる。)。」、となる。


【3問目解説】

正解は(1)。

この文の意訳は、「そこで、戦うべき場所がわかり、戦うべき時期が分かったなら、遠い道のりでも合戦することができる。」、となる。

敵が、戦う場所や時期が逆にわからなければ、敵がいくら大軍でも、すばやく臨戦態勢がとれないから、不意をつくことができるのである。

こちらが戦う場所・時期がわからないと、備えを充分にもっている敵に襲われ、大敗を喫することになるかもしれない。


【4問目解説】

正解は(3)。

(1)は、つまびらかにおしはかること。九地篇にでてくる言葉。

(2)は、兵士に賞罰を与えることで、軍を統制していく「必勝(必ず勝ちを取る)の軍」。行軍篇の言葉。

(4)は、欺きの道。計(始計)篇の言葉。

この文の意訳は、「だから、聡明な君主はよく思慮し、立派な将軍はよく修め整えて、有利でなければ行動を起さず、利益がなければ軍を用いず、危険が迫らなければ戦わない。」、となる。


【5問目解説】

正解は(1)。

四軍は(2)、(3)、(4)のほかに、「山に処るの軍」を指す。

ちなみに、「山に処るの軍」の利とは、「山越えをするときは、谷に沿って行き、高いところをみつけては高所に居り、高い所で戦うときには上にいる敵に立ち向かってはならない」、ということである。


【6問目解説】

正解は(2)。

呉王闔閭は孫武に「兵は率然のようにならせることができるであろうか。」と問いた答えが、この文である。「呉越同舟」の場合のように、兵をこのような条件におくことが、兵をおさめる要訣である、と孫子はいっている。だから、いくら陣が固くみえるようでも、このように兵が結束していなければ、もろい、ということである。


【7問目解説】

正解は(1)。

「風林火山」はだれでも知っている言葉ですが、この問題は難しかったかな?

『孫子』には「風林火山」以外にも名句が多いので、みんなも気に入ったものがあったら、ぜひ覚えてね!


【8問目解説】

正解は(1)。

「風林火山」のみでなく、このあとに続く2句も覚えやすいので、記憶にとどめておくとよいでしょう。

この2句の意訳は、「暗闇のようにわかりにくくし、雷鳴のように突然激しく動く。」、となる。


【9問目解説】

正解は(3)。

この文の意訳は、「むかしの戦いに巧みであった人は、まず(味方を固めて)だれにも打ち勝つことのできない態勢を整えた上で、敵が(弱点を現わして)誰でもが打ち勝てるような態勢になるのを待ったのである。誰にも打ち勝つことができない態勢を作れるのは味方であるが、味方が打ち勝てる態勢を作るのは敵である。」、となる。

敵が勝つような状況は、味方がしっかりしていれば現出しない。だから負けることはないが、こちらが勝つ条件が揃うのは、敵次第なので、勝てるかどうかはわからない、ということである。

つまり、まず「守り」を万全にすることが第一であり、それから、いつでも敵に隙があれば撃破できるように、備えを万全にして、「積極的」に「待つ」、ということである。

ただし、敵に勝てる条件がそろわないうちに、出撃することがないよう気を付けなければならないことは言うまでもない。

「待つこと」と、「出撃」のタイミングをしっかり捉えられることが、将にとって重要な能力の一つとなる。


【10問目解説】

正解は(4)。

この文の意訳は、「昔の戦いに巧身と言われた人は、勝ちやすい(普通の人では捉え難い)機会をとらえて、そこで打ち勝ったものである。だから戦いに巧みな人が勝った場合には、人目を引くような(人が珍しいと思うような)勝利は無く、智謀が優れている、というような名誉もなければ、武勇が優れている、という功名もない。」、となる。

それだけ、勝利をスムーズに得られる機会を捉えることは、難しいということであり、また、スムーズに勝利してしまうことにより、世の中にその名が広く知れ渡るということもない、ということである。

勝てるタイミングを逃さない、ということが大事なのである。

ちなみに孫子は、世の中に名が知れ渡るのを別に嫌がっているわけではないので注意してください。










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2013-01-13 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『近市なれば貴売す。貴売すれば則ち財竭く。財竭くれば則ち以て丘役に急なり。』:本文注釈

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いうまでもなく、これは自軍が駐屯する場所の近くの、自国における「市」の状態を指す。敵国に侵入し、敵国の「市」で、敵国のものを高く買って軍資金を消耗することは通常ありえない。


市-①多くの人が集まって物品の売買や交易をする所。いち。転じて、取引。あきない。②人家の多い、にぎやかな所。まち。③行政区画の一つ。【解字】形声。音符「止」+「平」。

貴-①身分が高い。とうとい。あて。②ねだんが高い。ねだんが上がる。大切である。とうとぶ。③相手にかかわる事物に冠して、敬意を表す語。【解字】会意。本字は「貝」(=財貨)+「臾」(=両手で高く持ち上げる)。高いねだん、目だつ財貨の意。

竭-あるかぎりを出す。尽くす。尽きる。

丘-おか。小さい山。小高い地形。【解字】周囲が小高くて中央がくぼんだ盆地を描いた象形文字。孔子の名の「丘」は、頭の形がこれに似ていたので名づけたという。

役-一、ヤクの読み  ①割りあてられた仕事・任務。つとめ。職分。②割り当てられた(特別の)はたらき。  二、エキの読み  支配者が人民の労力を使う。働かせる。①人民に課された義務労働・租税。えだち。②いくさ。戦争。「慶長の役」「戦役」兵として役使される意から。【解字】会意。「彳」(=ゆく)+「殳」(=ほこを手に持つ)。武器を持って遠くへ行く意。転じて、苦しいつとめをする意。

急-①いそぐ。早く行き着こうとする。②進行がはやい。③変化がはやく、大きい。にわか。④さし迫っている。⑤傾斜の度合いが大きい。けわしい。【解字】形声。「心」+音符「及」(=追い付く)。追い付こうと気ぜわしい意。




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○金谷孫子:近於師者-武経本・平津本・桜田本には「於」の字が無く、『通典』『御覧』と合う。「戦場に近い所では」と解して、以下を出陣の兵士のことと見るのが通説であるが、落ちつかない。
 百姓財竭-『御覧』では「百姓虚、虚則竭、竭則急於丘役、」とある。
 丘役-丘はもと土地区劃(かく)の谿、ここでは村里の意。役は軍役。

○浅野孫子:丘役-丘は行政上の区画単位。一丘は百二十八戸。丘役は丘賦ともいい、丘ごとに課す軍事税。

○町田孫子:宋本では「近於師」と「近」の下に「於」の字があるが、ここでは諸本のないものによった。

○天野孫子:○近於師者貴売  「貴売」は売るを貴(たか)くすることで、物価を高くつり上げて売る。物価騰貴について『約説』は「師旅の地に近き者は、人多くして物少なし。售(しう)売必ず貴し」と。售は売ること。一説に魏武帝は「師に近き者は財を貪りて皆貴売す」と。『武経』には「於」の字がない。
 ○貴売則百姓財竭  「百姓」は自国の百姓。この句は物価が騰貴すればその物資を補給するために国民のたくわえている財貨は尽きはてるの意。『兵法択』は「其価暴貴すれば、則ち民の供給するに、其財尽きざるを得ず」と。一説に自国の従軍兵の持参した財貨がつきると。『国字解』は「百姓は味方の百姓なり。吾国の民の軍兵に調(えら)まれて敵国に在陣するものを指して云ふなり。士卒のことなりと見るべし。吾陣所の近辺にて、売物の価、高値なる時は、手前の軍兵の財宝竭くると云ふことを百姓財竭と云ふなり」と。また一説に師に近い地の自国の民の物資がつきはてると。梅堯臣は「遠き者は役に供して以て転饋し、近き者は利を貪りて貴売す。皆国を貧しくし民を匱(とぼ)しくする道なり」と。
 ○財竭則急於丘役  「兵役」とは一丘すなわち百二十八家の民に課する税。周代の制度に、九百畝を井形に九等分し、中央の田百畝は八家が共同耕作しその収穫物を税としておさめるところの公田とし、周囲の八つの私田は民八家が耕作して生活するという井田法がある。この八家を一井と言い、四井を邑、四邑を丘、四丘を甸と言う。一丘には馬一匹、牛三頭を税として課すが、戦時にはさらに増税して穀物牛馬を徴する。杜預の『左伝』成公元年注に「周礼に九夫井を為し、四井邑を為し、四邑丘を為す。丘の十六井は戎馬一匹、牛三頭を出す。四丘を甸と為す。甸の六十四井は長轂(こく)一乗、戎馬四匹、牛十二頭、甲士三人、歩卒七十二人を出す。此れ甸の賦す所なり」と。夫は田地畝を受ける一人前の男子。長轂は兵車。一説に丘は兵の誤りと。『発微』は「昔、錦城先生予に語りて曰く、丘役・丘牛の丘は皆当に兵に作るべし、と」と。『折衷』も同意見である。「急」は民が急ぐとみて、民が忙しくなること。『新釈』は「物資に余裕なき故に徴発に応ずべくいろいろやりくりに忙しい」と。一説に朝廷が急ぐとみて増税にいそぐと。『講義』に「上の人乃ち且つ財を得るに急にして、以て其の用に供す」と。

○守屋孫子:丘役-丘は古代の行政単位。今でいえば村にあたる。村ごとに軍役を課したので丘役という。
 また、軍の駐屯地では、物価の騰貴を招く。物価が騰貴すれば、国民の生活は困窮し、租税負担の重さに苦しむ。

○フランシス・ワン孫子:註
 一、「師に近き者」は、一般には軍隊に近き者はの意に解されているが、仏訳の如く、戦争となればの意とする方がより適切と言える。曹操は「軍を行(や)りて已(すで)に界(国境)に出づれば、師に近き者は戦を貪らんとして、皆、貴売す。則ち百姓の虚竭(けつ)するなり」と註する。「貴売」すとは貴(たか)く売るであり、その結果は物価高騰・インフレとなる。
 一、「丘役」とは、当時の軍の徴発の単位で、一井(せい)を九家、十六井を丘といった。百姓の財が涸渇した結果、人馬及び物資の実物徴発を急ぐに至るのである。
○大橋孫子:師に近き者は貴く売る-戦場付近では物価が上がり、軍費が増大し、国民が貧する 丘役に急-戦いのための賦役(一丘は百二十八家、一丘に課せられる賦役は馬一頭と牛三頭というが、ここでは労務提供であろう)の取り立てがきびしくなる

○武岡孫子:戦場付近では物価があがり、軍費が増大し、それを賄う国民は窮乏する 丘役は急となり-戦いのための賦役(一丘は百二十八家、一丘に課せられる賦役は馬一頭と牛三頭というが、ここでは労務提供であろう)の取立てがきびしくなる

○佐野孫子:【校勘】
○近師者貴売  「十一家註本」には「近」の下に「於」の字があるが、「武経本」、「桜田本」、「竹簡孫子」にはない。ここでは「於」の字を削る。「竹簡孫子」には「師」が「市(いち)」とある。「師」は多くの人々の意で、ここでは大軍と解する。即ち「市」とは軍隊が駐留する近所にできた軍市のことであり、この場合、「近師」なるときは「近市」でもあるため、ここでは「近師」に従う。曹操は「軍行きて已(すで)に界(さかい)を出ずれば、師に近き者は貴売し、貴売すれば則ち百姓の財竭く」と。
○貴売則百姓財竭  「竹簡孫子」は「近市(師)者貴□、□□□則□及丘役」に作る。「釈文校註」は「貴□」と「則の上の二字」に反復記号が附されていた可能性があるとする。それによれば前後の文脈からして不明の上四文字には「売、則、財、竭」の字が推定されるので本句は「近市(師)者貴売、貴売則財竭、財竭則□及丘役」と読まれる(因みに「急」の本字は「及+心」である)。特に意味を違えるものではないので、ここでは「十一家註本」に従う。尚、この場合の「百姓」は「遠者遠輸則百姓貧」における「百姓」即ち「民」の意とは異なり、「自国の従軍兵」と、又、次の「財竭則急於丘役」における「財竭」は、「軍兵の持参した財貨がつきる」意と解される。

○田所孫子:○近師者貴売とは、戦争にもなれば、物価が騰貴するとの意。
 ○貴売則百姓財竭とは、物価が騰貴すると、人民の資財が窮乏して経済生活が行詰るとの意。
 ○急於丘役とは、井田制の夫役を按じて、人馬・物資等の実物を徴発をきびしくするとの意。

○重沢孫子:というのは、軍の駐屯地近くの人びとは、(高値で売れるのをよいことに)物資を高く売りつける。その結果は、(一時的には儲かるようでも、最終的には)持てる財貨が底をついてしまうのである。財貨が底をついた以上、(徴発しようにも現物が乏しいのだから、生産の督促以外に方法はないので)例えば丘(百二十八戸の共同体組織)に対する役務を厳しくする。

○孫子諺義:『財竭くるときは則丘役に急なり。』
 丘役とは田地の大小廣狭について、役を出すを云ふ。十六井を一丘と為す、戎馬一匹牛四頭を出すといへり。丘甸(きゅうでん)の數、詳に司馬法に見ゆ。急とは迫也、せはしくなりてつぐのひなりにくきを云ふ。云ふ心は、民の財竭くれば定まれる役義を出すこと叶はざる也。課役を之れを出す能はざるときは、軍用之れを辨ずるを得ざる也。

○孫子国字解:『師さに近き者は貴かく賣る。貴賣ときは則ち百姓財竭く。財竭ときは則丘役に急也。』
 この一段は、下の費の内にて、戦場にての費を云なり。近於師者とは、師とは吾が陣處なりわが陣處の近邊に居る、敵方の在家を云なり。近於師者貴賣とは、大軍の陣を取りたる近邊は、其處のものども利を貪て、必諸色のもの、何によらず高直になるものなるを云ヘリ。貴賣則百姓財竭とは、百姓は味方の百姓なり。吾國の民の軍兵に調まれて、敵國に在陣するものを指して云なり。士卒のことなりと見るべし。吾陣所の近邊にて、賣物の價高直なる時は、手前の軍兵の財寶竭ると云ふことを、百姓財竭と云なり。財竭則急於丘役とは、丘役とは、十六井を丘と云、役は軍役なり。周の司馬の法に、民の家一軒に就て、百畝の田を耕し、九軒にて田九百畝を一井と名つけ、其一井を四つ合せて、民の家數四九三十六軒、田地高も四九三千六百畝を一邑と名つけ、其一邑を又四つ合せて、民の家數三四の十二に、又四六二十四合せて百四十四軒、田地の高も同し算用にて、一萬四千四百畝を一丘と名づく。是十六井を一丘と云なり。其一丘を又四ツ合て、一四の四に四々十六を二つ重ねて、民の家數五百七十六軒、田地の高も同じ算用にて、五萬七千六百畝を一甸と云て、此一甸よりの軍役、馬四匹、牛十二匹、軍車一兩、武者七十五人を仕立てて出す也。是を丘甸の役とも云ひ、丘役とも云なり。張預が注に七十萬家の力を以て、餉を十萬の師に供すると云たるも、右の算用にて、八分一のつもりに合なり。財竭則急於丘役とは、財竭ると云は、上の句の百姓財竭と云をうけたる詞にて、軍兵に調れたる百姓の、敵國に陣取て居るものどもの財寶を、陣場にて物の價高直なる故に、悉く使ひ竭したることを云なり。かく陣所にて財寶竭れば、國本の吾が組合ひ、一丘の民百四十四軒、一甸の民五百七十六軒へ、金銀を取にさしこすゆへ、右のなかまにて、もやひて出す金銀の高增して、勝手なことの仆にせはしくなることを、急於丘役とは云なり。

○孫子評註:『師に近きものは貴賣す(敵国に出陣している味方の軍隊の近くに居住する敵方の住民は物を高く売る。)。貴賣すれば則ち百姓の財竭く(人民の、軍隊に徴集されて士卒になっている人たちの財宝はなくなってしまう。)。財竭くれば則ち丘役に急なり(周代の井田法で、一里四方の土地を一井といって八家で耕し、四井を邑、四邑を一丘、四丘を一甸(てん)という。周の司馬の法では、一甸よりの軍役(軍事のための徴発)は馬四匹・牛十二匹・軍車一輛・士卒七五人であり、これを丘甸の役、又は丘役という。ここでは、戦陣にいる士卒の財宝が尽きるので、郷里からの徴発の必要が切実となってくることをいう。)
 財竭くるは即ち貧しきなり。但し百姓貧しとは、是れ國内の民貧しきなり。百姓の財竭くるは、是れ軍所の士卒の財竭くるなり。曰く貧し、曰く竭く、字各々當るあり。稍(や)や句法を變じ、粗(ほ)ぼ對偶(対句法。)を用ふ。乃ち「財竭くれば則ち急なり」の一句を安(すえ)て以て之れを結ぶ。

孫子十家註:『師に近き者は貴賣す。貴賣すれば則ち百姓財竭く。』

  御覧は百姓虚、虚とは則ち竭に作る。
 
○曹公:軍行きて已に界を出づ。師に近き者は財を貪りて皆貴賣すれば、則ち百姓虚竭するなり。

○杜佑:言うこころは軍の師に近き市は、非常の賣多し。當時に貴く貪りて、以て末の利を趨らば然る後財貨殫盡て、國家虚なり。

○李筌:夫れ軍に近きは必ず貨易有り。百姓財徇りて産殫きて之れに從うは竭くなり。

○賈林:師徒に聚する所、物皆暴貴す。人非常の利を貪りて、財物竭き以て之れを賣る。初めて利を獲り殊に多しと雖も、終に力疲れ貨竭くに當る。又云わく、既に非常の斂有り。故に賣者は價を求め厭無し。百姓力竭き之れを買う。自然(じねん)家國虚盡するなり。

○梅堯臣:遠き者は役を供し以て轉饋す。近き者は利を貪りて貴賣す。皆國に貪りて民を匱(とぼ)しくするの道なり。

○王晳:夫れ遠く輸さば則ち人労費す。近市は則ち物騰貴し是故に久しき師は則ち國患いを為すなり。曹公曰く、軍行きて已に界を出づ。師に近き者は財を貪りて皆貴賣す、と。晳謂わく将に界を出でんとするなり、と。

○張預:師に近きの民、必ず利を貪りて貨其物 遠く來る輸餉の人貴くせば、則ち財竭ざるを得ず。

孫子十家註:『財竭くれば則ち丘役に急なり。』

 御覧は財の字無し。

○張預:財力殫竭くれば、則ち丘井の役、急迫して供に易からざるなり。或いは曰く、丘役 魯の成公 丘甲を作るが如きを謂うなり。國用急迫して、乃ち兵 甸賦に出づら使む。常に制違うなり。丘十六井、甸六十四井。


意訳

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○金谷孫子:近くでの戦争なら物価が高くなり、物価が高くなれば民衆の蓄えが無くなる。[民衆の]蓄えが無くなれば村から出す軍役にも苦しむことになろう。

○浅野孫子:国境近くに軍隊が出動すれば、近辺の商工業者や農民たちは、物資の大量調達による物不足につけ込んで、物の値段をつり上げて売るようになる。物価が高騰すれば、政府は平時よりも高値で軍需物資を買い上げることになり、国家財政は枯渇してしまう。国家の財源が枯渇すれば、民衆に対する賦税も厳しさを増す。

○町田孫子:また、近くでの戦争の場合には、物価が騰貴するからである。物価が騰貴すれば民衆の蓄えはなくなる。民衆の蓄えがなくなれば、村ごとにわりあてられる人夫の徴用にも苦しみ、

○天野孫子:一方、大軍のおる地では物価が騰貴する。物価が騰貴すれば物資補給のための国民のたくわえた財貨は尽きはててしまう。国民の財貨が尽きはててしまえば、朝廷は増税して、国民はそれに応ずるため忙しくなる。

○フランシス・ワン孫子:戦争は自国並に関係諸国の物価を高騰させる。物価が高騰すれば、国民の貯えは涸渇する。国家の財貨(富)が底をつく時、国民は膏血を絞られることとなる。

○大橋孫子:なんとならば戦場の軍の付近にいる者は足もとをみて、品物を高く売るから、軍費は増大し、これをまかなうための増税で、国民は貧困となり、納税できなくなれば労役に駆り立てられる。

○武岡孫子:また戦場に近い處では物価が高くなり、物価が上がれば民衆の蓄えは無くなる。蓄えがなくなれば軍役に駆り出される羽目になる。

○著者不明孫子:また、戦争が近くである場合には物が高く売られ、高く売られると、物価が上がって民衆の財力が尽き果て、財力が尽きると、村に割り当てられる税の納入に追い立てられる。

○学習研究社孫子:一方、軍隊の駐屯地に近い地方では、物価が高くなる。物価が高くなれば、臣下の財産がなくなってしまう。臣下の財物がなくなれば、賦役を急(さしせま)って求めることになる。

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2013-01-07 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(6)

いにしえの名軍師にまさるとも劣らない智恵をあなたのものに!








【1問目】『孫子』冒頭の言葉、「兵は国の大事なり。」の「兵」の解釈は、現在「戦争」とするのが主流となっていますが、では、北条氏長の『士鑑用法』や、山鹿素行の『孫子句読』では、「兵」をどのように解釈しているでしょう?

(1)兵士
(2)軍事
(3)武器
(4)武術

【2問目】『孫子』計篇から問題です。
「故に之れを経するに五を以てし、之れを効すに計を以てし、以て其の情を索む。」、の「経」の字の解釈には諸説ありますが、次のうち「経」の字の解釈として適当でないものはどれでしょう?

(1)大綱
(2)おさめる
(3)度(はか)る
(4)学ぶ

【3問目】計篇の「五事」の一つ、「天」の説明で「天とは陰陽・寒暑・時制なり。」、とありますが、この「陰陽」の解釈には諸説が存在します。では、この「陰陽」の解釈として、適当でないものは次のうちどれでしょう?

(1)日取、時取、方角、年月の吉凶、十干、十二支、五運のくり様、雲気煙気の見様。
(2)明暗、晴雨、乾湿
(3)陰陽師、卜占、天官、聖人・君子
(4)剛柔、晦朔、三光、盈縮

【4問目】計篇の、「七計」の中で、次のうち当てはまらないものはどれでしょう?

(1)賞罰孰れか明らかなる。
(2)兵衆孰れか強き。
(3)法令孰れか行わる。
(4)主孰れか能なる。

【5問目】『十一家註孫子』に、「地とは遠近・険易・広狭・死生なり」とみえますが、諸説ある「死生」の解釈として、適当でないものは次のうちどれでしょう?

(1)地形の高い所を「生」、低い所を「死」。
(2)疫病が流行し死者が多い地を「死」、人が生き生きと暮らせる良い環境の地を「生」。
(3)草木が繁茂している地を「生」、荒れ地を「死」。
(4)軍隊の死生を決める地勢。

【6問目】計篇の、「五事」のひとつ、「将」の「五能」とよばれるもののうち、適当でないものは次のうちどれでしょう?

(1)勇
(2)厳
(3)義
(4)智

【7問目】計篇の、「詭道十四変」とよばれるもののうち、適当でないものは、次のうちどれでしょう?

(1)佚にして之れを労す。
(2)近くとも之れに遠きを視(しめ)す。
(3)怒にして之れを撓(たわ)める。
(4)強にして之れに備える。

【8問目】計篇の、「勢とは利に因りて権を制するなり。」の文の、「権」の解釈には諸説ありますが、さて、次のうち「権」の解釈として、適当でないものはどれでしょう?

(1)バランス
(2)道理
(3)臨機応変の対応
(4)権謀術数

【9問目】計篇の、「夫れ未だ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。」の文の、「廟算」の意味として、適当なものは次のうちどれでしょう?

(1)宗廟で君臣一同、彼我の戦力を比較検討すること。
(2)祖廟で君主が座して、占い師が戦争の勝負を占うこと。
(3)朝廷において、敵の力の情報収集および敵の戦力を計算し、必勝を祖先の霊に誓うこと。
(4)廟堂において、軍師が一人籠って戦争をシュミレーションすること。

【10問目】世に有名な「風林火山」の句は『孫子』の何篇にでてくるでしょう?

(1)軍争
(2)火攻
(3)行軍
(4)九変










【1問目解説】

正解は(1)。

この、「士」という解釈では、狭義すぎるので、現在では用いられておりません。

ちなみに、山鹿素行は、最初は師である北条氏長の「士=兵士」という解釈を引き継いでいましたが、のちに『孫子諺義』を著したときには、「軍旅=いくさ」と解釈を改めています。

(2)の「軍事」という解釈もなかなかよいのでは、と私はちなみに思っています。


【2問目解説】

正解は(4)。

「経」の字は、数多の注釈家がさまざまな解釈を試みています。
主な解釈としては、「経度=はかる」、「縦糸の意味から変じて、大綱」、「経緯、経権の字義から、常、または常法」、「おさめるの意味から、軍備をなす」があります。

あなたならどう解釈しますか?


【3問目解説】

正解は(3)。陰陽師・卜占・天官は、「陰陽」の意味に含まれますが、聖人・君子は含まれません。

(1)は『孫子国字解』(荻生徂徠)の解釈。

(2)は現在の主な解釈の一部。とくに、「太陽の光の明暗」という解釈が多い。また、『孫子』本文で、迷信の類を否定している文があることから、荻生徂徠の解釈にあるようなものは、現在の注釈家は否定している。

(4)は『国語』の越語の注。


【4問目解説】

正解は(4)。

「主孰れか有道なる」が正しい。
または、「将孰れか能なる(有能なる)」が正しい。

これらの彼我の比較検討が戦争の勝敗を決める。自分はすごくがんばったと思っても、相手がそれ以上であれば負けてしまうのである。客観的な目を持ちましょう!


【5問目解説】


正解は(2)。

ここでの「死生」に当てはまるものは、いずれも「地勢」をさしており、それ以外のもの(疫病など)は関連していない。

あなたならどう解釈する?


【6問目解説】

正解は(3)。

将の五能とは、「智・信・仁・勇・厳」を指す。

孫子は、五能の始めに「智」を挙げていますが、「智」を最重要視していたのはこのことからもわかります。


【7問目解説】

正解は(4)。

正しくは、「強にして之れを避く。」、または「実にして之れに備える。」となる。

孫子は「兵とは詭道なり。」と、敵に勝つには敵を欺くことが基本である、といっています。嘘をつくのが上手な人は現代の世でも得をしています。あなたも孫子に倣い、上手な嘘をつけるよう特訓しましょう!


【8問目解説】

正解は(2)。「道理」という意味はない。

「権」とは、もともと「秤のおもり」という意味で、この意味を発展させ、「臨機応変の処置」や「バランス」という意味が各注釈者から生じた。
また、「ものごとをはかり考えること」の意味から、「権謀」という解釈もある。


【9問目解説】

正解は(1)。

正解のポイントは、
1、宗廟(祖廟)または朝廷(廟堂)において、
2、君主と家臣が一同会して、
3、敵と味方の戦力を把握し、作戦・計画をたてること。

の以上となる。

よって、(2)は占うことと言っているので間違い。

(3)は自分の側の力がわからないから間違い。

(4)は軍師一人だけが、計算しているので間違い。


【10問目】解説


正解は(1)。

「其の疾きことは風の如く…」は、「武田信玄」の旗印として有名ですが、何篇にでてくるかまで答えられる人はなかなかいなかったのでは…。

豆知識としてどうぞ。










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2013-01-07 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(5)

私がよりディープな『孫子』の世界にあなたを誘います。さあこの問題が解けるかな!?








【1問目】『孫子』火攻篇の本文に、「凡そ火攻に五あり。一に曰く 火人、二に曰く 火積、三に曰く 火輜、四に曰く 火庫、五に曰く 火隧。」、とありますが、この『火隧(かつい)』の意味として適当なものはどれでしょう?

(1)民家に火をかけること。
(2)火薬を用い爆発させること。
(3)橋などの行路に火をかけること。
(4)城塞に火をかけること。

【2問目】『孫子』形篇の本文に、「勝を称(はか)る者の民を戦わしむるや、(1)を千仞(せんじん)の谿(たに)に決するが若き者は、形なり。」、とみえますが、この空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)激水
(2)積水
(3)木石
(4)円石

【3問目】『孫子』勢篇の本文に、「乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。治乱は(1)なり。勇怯は(2)なり。強弱は(3)なり。」、とみえますが、さて、空欄(1)、(2)、(3)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)形  (2)数  (3)勢
(2)(1)勢  (2)形  (3)数
(3)(1)形  (2)勢  (3)数
(4)(1)数  (2)勢  (3)形

【4問目】『孫子』用間篇の本文に、「(1)に非ざれば間を用うること能わず、(2)に非ざれば間を使うこと能わず、(3)に非ざれば間の実を得ること能わず。」、とみえます。「間」とは間諜(スパイ)のことですが、では、(1)、(2)、(3)の空欄に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)君子  (2)忠信  (3)賢
(2)(1)聖智  (2)仁義  (3)微妙
(3)(1)愛民  (2)廉潔  (3)厳
(4)(1)上智  (2)明君  (3)神紀

【5問目】『孫子』虚実篇の本文に、「故にこれを策(はか)りて(1)を知り、これを作(おこ)して(2)を知り、これを形(あらわ)して(3)を知り、之れに角(ふ)れて(4)を知る。」とありますが、さて、空欄(1)、(2)、(3)、(4)に入る組み合わせとして正しいものは次のうちどれでしょう?

ア 死生の地 イ 得失の計 ウ 有余不足の処 エ 動静の理

(1)(1) エ (2) イ (3) ア (4)ウ
(2)(1) ウ (2) ア (3) エ (4)イ
(3)(1) イ (2) エ (3) ア (4)ウ
(4)(1) ア (2) ウ (3) イ (4)エ

【6問目】『孫子』九変篇の本文に、「是の故に、智者の慮は必ず(1)(2)に雑(まじ)う。(1)に雑りて而(すなわ)ち務めは信なるべきなり。(2)に雑りて而ち患(うれ)いは解くべきなり。」、とありますが、さて空欄(1)、(2)に入る言葉はどれでしょう?

(1)(1)利   (2)害
(2)(1)奇   (2)正
(3)(1)強   (2)弱
(4)(1)安   (2)危

【7問目】『孫子』行軍篇の本文に、「敵近くして静かなる者は其の険を(1)。敵遠くして戦いを挑む者は人の進むを(2)。其の居る所の易なる者は(3)。」とあり、(1)、(2)、(3)には次のア、イ、ウの言葉が入りますが、組み合わせとして正しいものは次のうちどれでしょう?

ア 利するなり イ 恃むなり ウ 欲するなり

(1)(1)ア  (2)イ  (3)ウ
(2)(1)ウ  (2)ア  (3)イ
(3)(1)イ  (2)ア  (3)ウ
(4)(1)イ  (2)ウ  (3)ア

【8問目】『孫子』九地篇で、地形の用兵の法の一つに「衢地(くち)」があり、その説明で、「先に至らば而ち天下の衆を得る者は衢と為す。」とありますが、さて、もしも自分の軍が衢地に至った時はどうすべきであると孫子は言っているでしょうか?

(1)間髪を入れず死闘せよ。
(2)隊列を切り離してはならない。
(3)敵に先にそこを占拠された場合は、攻めてはならない。
(4)諸侯たちと親交を結べ。

【9問目】『孫子』九地篇の本文に、「無法の(1)を施し、無政の(2)を懸くれば、三軍の衆を犯(もち)うること一人を使うが若し。」、とみえますが、さて、空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)慈  (2)徳
(2)(1)賞  (2)令
(3)(1)功  (2)善
(4)(1)政  (2)法

【10問目】『孫子』九変篇の本文に、「諸侯を屈する者は(1)を以てし、諸侯を役する者は(2)を以てし、諸侯を趨(はし)らす者は(3)を以てす。」、とありますが、さて、この空欄(1)、(2)、(3)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)業  (2)利  (3)害
(2)(1)利  (2)害  (3)業
(3)(1)害  (2)業  (3)利
(4)(1)業  (2)害  (3)利









【1問目解説】

正解は(3)。

『通典』では「火墜」とあり、十一家の注釈者の梅堯臣、賈林、何延錫の註には「火隧」の文字がみえる。

「隧」は、道路の意味であるが、特に両側を塀で囲い、外からみえないようにしてある甬道(ようどう)や、崖に沿って木を組み渡してある桟道(さんどう)を指す。

この文の意訳は、「およそ火を用いる攻撃には五種類ある。第一は、兵営に火を放ち兵士を焼き討ちする火人、第二は、野外の集積所に貯蔵されている物資を焼き払う火積、第三は、物資を輸送中の輜重部隊を焼き討ちする火輜、第四は、屋内に物資を保管している倉庫を焼き払う火庫、第五は甬道や桟道などの行路を炎上させる火隧である。」、となる。


【2問目解説】

正解は(2)。

因みに、住宅産業の積水ハウスやセキスイハイムなどの、「積水」の名前の由来は、『孫子』のこの文章にあるそうです。十分な用意・体制を持って一気に決める勝者の戦いをすることが大切である…という気持ちが込められている、ということです。なるほど!

この文の意訳は、「彼我の勝敗を計量する者は、人民を戦闘させるに当たり、満々とたたえた水を千仞の谷底へ決壊させるように仕組むのである。それこそが勝利に至る態勢である。」、となる。


【3問目解説】

正解は(4)。

この文の意訳は、「混乱は整治から生まれ、臆病は勇敢から生まれ、軟弱は剛強から生まれる。(これらはそれぞれに動揺しやすく、互いに移りやすいものである。)乱れるか治まるかは、部隊の編成(分数)の問題である。臆病になるか勇敢になるかは、戦の勢いの問題である。弱くなるか強くなるかは、軍の態勢の問題である。」、となる。


【4問目解説】

正解は(2)。

(4)の上智、神紀は用間篇にでてくる言葉。「上智」は優れた知恵者、「神紀」の「神」は、神秘不可思議の意で、間諜の用い方が外に洩れない巧妙さを褒めた言葉。「紀」は治に同じ。間諜の治め方、用い方、の意。

この文の意訳は、「聡明な思慮深さがなければ間諜を利用することができず、思いやりが深くなければ間諜を使うことができず、微妙な事まで察知する洞察力がなければ間諜の情報の真実を把握できない。」、となる。


【5問目解説】

正解は(3)。

この文の意訳は、「そこで、(戦いの前に敵の虚実を知るためには、)敵情を目算してみて、利害損得の見積もりを知り、敵軍を刺戟して動かせてみてその行動の基準を知り、敵軍のはっきりした態勢を把握して、その敗死すべき地勢と敗れない地勢とを知り、敵軍と小競り合いをしてみて優勢な所と手薄な所とを知るのである。」、となる。


【6問目解説】

正解は(1)。

物事はかならず「利」と「害」の両面を考えるようにしましょう。利だけにとらわれると、足元をすくわれますよ。

この文の意訳は、「こういう理由で、智者の考えというものは、(ひとつのことを考えるのに)必ず利と害とを交え合わせて考える。利益のあることにはその害になる面も合わせて考えるから、仕事はきっと成功するし、害のある事にはその利点も合わせて考えるから、心配事も解消する。」、となる。


【7問目解説】

正解は(4)。

敵がこういう行動をとっている場合は、こういうことである、という状況認識の仕方をのべている。これは本文のほんの一例。

この文の意訳は、「敵がこちらの近くに居りながら静まりかえっているのは、その地形の険しさを頼みとしているのである。敵が遠くに居ながら合戦を仕掛けるのは、こちらの進撃を望んでいるのである。その陣所が険しい地形でなく平坦な所にあるのは、利益を示して誘い出そうとしているのである。」、となる。


【8問目解説】

正解は(4)。

本文に「衢地には則ち交を合わせる。」とみえる。

(1)は死地の場合の対処方法。
(2)は交地の場合のこと。
(3)は争地の場合のこと。

これから行く地、いま自分がいる地は何の地に当たるのか把握することが大事、ということである。


【9問目解説】

正解は(2)。

日本では、織田信長が、無法の賞を部下にやるのが巧妙であったと言われています。

この文の意訳は、「普通のきまりを越えた重賞を施し、普通の定めにこだわらない非常措置の禁令を掲げるなら、全軍の大部隊を働かせることもただの一人を使うようなものである。」、となる。


【10問目解説】

正解は(3)。

これを基本として、応用すれば、他国の蓄え・戦力を、労費・疲労させ、翻弄することができる、ということである。

この文の意訳は、「外国の諸侯を屈服させるには、その害になることばかりを強調し、外国の諸侯を使役するにはどうしても手を付けたくなるような魅力的な事業を仕向け、外国の諸侯を奔走させるには、その利益になることばかりを強調するのである。」、となる。










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2013-01-05 (土) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(4)

オリジナル問題集です。「論語に始まり、孫子に終わる」と言われている『孫子』の兵法を生涯学ぶべし!








【1問目】『孫子』虚実篇の本文に、「夫れ(1)の形は(2)に象(かたど)る。(2)の行は高きを避けて下(ひく)きに趨(おもむ)く。(1)の形は実を避けて虚を撃つ。(2)は地に因りて行を制し、(1)は敵に因りて勝を制す。故に(1)に常勢なく、常形なし。」、とありますが、では、この空欄(1)、(2)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)(1)軍  (2)車
(2)(1)兵  (2)円石
(3)(1)軍  (2)無形
(4)(1)兵  (2)水

【2問目】『孫子』軍争篇の本文に、「甲を巻きて趨(はし)り、日夜処(お)らず、道を倍して兼行し、百里にして利を争うときは、則ち(1)。勁(つよ)き者は先きだち、疲るる者は後(おく)れ、其の法十にして一至る。五十里にして利を争うときは、則ち(2)。」、とありますが、さて、空欄(1)、(2)に入る言葉はどれでしょう?

(1)(1)将の過ちなり  (2)用兵の災いなり
(2)(1)三将軍を擒(とりこ)にせらる  (2)上将軍を蹶(たお)す
(3)(1)諸侯の難至る  (2)軍を乱して勝を引く
(4)(1)深間も窺うこと能わず  (2)智者も謀ること能わず

【3問目】『孫子』九地篇より問題です。本文に、「是の故に始めは(1)の如くにして、敵人 戸を開き、後は(2)の如くにして、敵 拒(ふせ)ぐに及ばず。」とありますが、では、この空欄(1)、(2)に入る言葉はどれでしょう?

(1)(1)嬰児  (2)驕子
(2)(1)群羊  (2)率然
(3)(1)泰山  (2)江河
(4)(1)処女  (2)脱兎

【4問目】『孫子』行軍篇の本文に、「軍の旁(かたわら)に(1)、必ず謹んでこれを覆索せよ。此れ伏姦の処(お)る所なり。」とありますが、さて、この空欄(1)に入る言葉は次のうちどれでしょう?

(1)険阻・潢井・葭葦・山林・翳薈ある者は
(2)衆樹の動く者、衆草の障(おおい)多き者、鳥の起つ者、獣の駭(おどろ)く者あらば
(3)山林・険阻・沮沢の形あらば
(4)絶澗・天井・天牢・天羅・天陥・天隙あらば

【5問目】『孫子』九地篇の本文に、「塗(みち)に由らざる所あり。軍に撃たざる所あり。城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。(1)に受けざる所あり。」とありますが、さて、空欄(1)に入る言葉はどれでしょう?

(1)天命
(2)地の利
(3)君命
(4)賞罰

【6問目】『孫子』の兵法に、「故に三軍の親は(1)より親しきは莫(な)く、賞は(1)より厚きは莫く、事は(1)より密なるは莫し。」とありますが、さて、この空欄(1)に入る言葉はどれでしょう?

(1)将
(2)謀臣
(3)嚮導
(4)間

【7問目】『孫子』軍争篇の本文に、「故に三軍には気を奪うべく、将軍には心を奪うべし。是の故に朝の気は(1)、昼の気は(2)、暮れの気は(3)。故に善く兵を用うる者は、其の(1)気を避けて其の(2)(3)を撃つ。」とみえますが、さて、この空欄(1)、(2)、(3)に入る言葉はどれでしょう?

(1)(1)満  (2)欠  (3)落
(2)(1)鋭  (2)惰  (3)帰
(3)(1)勝  (2)敗  (3)亡
(4)(1)険  (2)方  (3)円

【8問目】「孫・呉の書を蔵する者は、家ごとに之れ有り。」と古の中国の文献にみえますが、さて、この文が載っている書物の名前は何でしょう?

(1)淮南子
(2)呂氏春秋
(3)韓非子
(4)史記

【9問目】「吾れ兵書・戦策を観ること多きも、孫武の著(しる)す所は深し。」とある昔の文献に記載されていますが、さて、この文章を著した人は誰でしょう?

(1)曹操
(2)司馬遷
(3)孫臏
(4)武田信玄

【10問目】第一次大戦終結後に亡命先のロンドンで初めて『孫子』に接し、もし、二十年前にこの書を得ていたならば、あのような惨敗を免れたであろうに、と悔やんだ人は誰でしょう?

(1)ナポレオン
(2)ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
(3)ロシア皇帝ニコライ2世
(4)ドイツ皇帝ウィルヘルム2世









【1問目解説】

(4)が正解。

この本文の意訳は、「そもそも軍の形は水を模範とする。水の運行は高い場所を避けて低い場所へと走る。同じように軍も、敵の兵力が優勢な実の地点を回避し、敵の備えが手薄な虚の地点を攻撃して勝利する。だから水は地形に従って運行を決定し、軍は敵の態勢に従って勝利を決定する。軍にはできあがった一定の勢いというものはなく、決まりきった固定した形というものもない。」、となる。


【2問目解説】

(1)は九変篇の言葉。

(2)が正解。

(3)は謀攻篇の言葉。

(4)は虚実篇の言葉。

一里は当時の中国で約400メートル。百里で40km。五十里で20km。40kmに渡って軍がバラバラになれば、全将軍が捕まってしまうと言っています。

この文の意訳は、「こういうわけで、よろいをはずして走り、昼も夜も休まずに道のりを倍にして強行軍し、百里の先きで有利な地を得ようと競争するときには、(上軍・中軍・下軍の)三将軍ともに捕虜にされる(大敗となる)。強健な兵士は先きになり、疲労した兵士は後におくれて、そのわりあいは十人のうちの一人が行きつくだけである。(またこのようにして)五十里の先きで有利な地を得ようとして競争するときには、(先鋒の)上将軍がひどいめにあう。」となる。


【3問目解説】

(1)は地形篇の言葉。嬰児は赤ん坊、驕子は驕り高ぶった子供。

(2)は九地篇の言葉。群羊は従順な軍隊のたとえ、率然は動きの素早い蛇の名前。

(4)が正解。

結構有名な言葉だったから一度は聞いたことがあるかもしれません。


【4問目解説】

(1)が正解。

この文の意訳は、「軍隊の近くに、けわしい地形や池や窪地や葦の原や山林や草木の繁茂した所があるときには、必ず慎重に繰り返して捜索せよ。これらは伏兵や偵察隊の居る場所である。」、となる。

(2)は行軍篇の言葉。この本文の後に見える言葉。

(3)九地篇の言葉。「山林・険阻・沮沢の形を知らざる者は、軍を行(や)ること能わず。」の言葉から引用。

(4)は行軍篇の言葉。「凡そ地に絶澗・天井・天牢・天羅・天陥・天隙あらば、必ず亟(すみや)かにこれを去りて、近づくこと勿(な)かれ。」と見える。


【5問目解説】

(3)が正解。

この文の意訳は、「道路は(どこを通ってもよさそうであるが)通ってはならない道路もある。敵軍は(どれを撃ってもよさそうであるが)撃ってはならない敵軍もある。城は(どれを攻めてもよさそうであるが)攻めてはならない城もある。土地は(どこを奪取してもよさそうであるが、)争奪してはならない土地もある。君命は(どれを受けてもよさそうであるが)受けてはならない君命もある。」、となる。


【6問目解説】

(3)はその土地に詳しい案内役のこと。

(4)が正解。

間は間諜=スパイのこと。
当時、スパイを制するものが戦争を制していたと言っても過言ではない。これは現代においてもそうであることは疑う余地もない。

この文の意訳は、「そこで、全軍の中での親近さでは間諜が最も親しく、賞与では間諜のが最も厚く、仕事では間諜のが最も秘密を要する。」、となる。


【7問目解説】

(2)が正解。

この文の意訳は、「だから、(敵)の軍隊についてはその気力を奪い取ることができ、(敵の)将軍についてはその心を奪い取ることができる。そこで、朝方の気力は鋭く、昼ごろの気力は衰え、暮れ方の気力は尽きてしまうものであるから、戦争の上手な人は、相手の鋭い気力を避けてその衰えてしぼんだところを撃つ。」となる。


【8問目解説】

(3)が正解。

とにかく、昔の中国全土に普遍していたのがわかります。


【9問目解説】

(1)が正解。

この文は魏武帝「孫子序」にみえます。
曹操は孫武の言葉に大変感銘を受けたようで、「魏武帝註孫子」という、孫子注釈書において一番有名な書物をつくっています。「魏武帝註孫子」は後世の注釈家に大きな影響を与えました。


【10問目解説】

(1)のナポレオンも『孫子』を愛読していたそうです。

(2)のハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は、1914年にフランツ・フェルディナント大公夫妻が暗殺されると(サラエボ事件)、この事件に端を発してセルビア王国への宣戦布告を行うこととなる。この一連の流れは第一次世界大戦の引き金ともなった。

(3)ロシア皇帝ニコライ2世は、日露戦争・第一次世界大戦において指導的な役割を果たすが、革命勢力を厳しく弾圧したためロシア革命を招き、一家ともども殺された。

(4)が正解。

これも、『孫子』を読んだことがある人は、一度は目を通したことがある逸話の一つかもしれません。










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2013-01-05 (土) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『国の師に貧なるは、遠き者遠く輸せばなり。遠き者遠く輸さば則ち百姓貧し。』:本文注釈

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貧-①財産・収入がとぼしい。まずしい。②足りない。みすぼらしい。【解字】形声。「貝」(=財貨)+音符「分」(=わかれる)。財貨が分散して少ない、まずしいの意。

輸-①(車で)物を運ぶ。別の所へ移す。送りとどける。②まける。やぶれる。ばくちに負けて、かけ金が他者の手にうつる意。【解字】形声。「車」+音符「兪」(=移す)。車で別の場所に運び移す意。

百姓-ひゃく‐しょう【百姓】‥(ヒャクセイとも)一般の人民。公民。





○天野孫子:○国之貧於師者遠輸  「国」は一国、国家の意。一説に「国」と下の「百姓」とを同一視して『新釈』は「この遠輸の為に民百姓が貧乏するから、従って国家が貧乏するといふのである」と。「師」は多くの人々。ここでは大軍。「貧於師」は大軍のために貧窮する。「遠輸」は食糧などの軍用品を輸送すること。なにを輸送するのか、この文から明確に知り得ないが、一応食糧などの軍用品と解する。『新釈』は「兵糧・武器等を遠征軍の出先へ輸送すること」と。
 ○遠輸則百姓貧  「百姓」は庶民。百姓が遠輸で貧窮するのは、物資を輸送して百姓の物資が欠乏するからであろう。一説に『諺義』は「人民遠所にいくさだち致し、用器を運び道路につかはれて百姓ことごとく貧しくなるなり。…是は国中の百姓の役に苦しみ貧しくなるの故を云へり」と。

○フランシス・ワン孫子:註 「百姓貧し」の言、孫子の声調には真に悲痛なものがある。戦争特に長期戦は、必ず重税を伴う。重税と労役は忽ち国民を疲弊させ、それは軍隊の基盤を危うくする。ドゴールは「軍隊の士気が決定するのである」(剣の刃)と。

○守屋孫子:戦争で国力が疲弊するのは、軍需物資を遠方まで輸送しなければならないからである。したがって、それだけ人民の負担が重くなる。

○田所孫子:○国之貧於師者、遠輸とは、国家が軍隊を動かすことによって財政窮乏に陥るのは、軍需品を遠方の戦場に輸送するからであるとの意。

○重沢孫子:国が軍隊を動かしたために貧しくなるのは、物資の遠距離輸送による。遠距離輸送をやると、百姓(身分なき庶民)は貧困化する。

○佐野孫子:【校勘】遠者遠輸、遠者遠輸則百姓貧  「十一家註本」、「武経本」では「遠輸、遠輸則百姓貧」と作るが「竹簡孫子」には「遠者遠輸則百姓貧」とある。中国「銀雀山漢墓竹簡整理小組」編の『孫子兵法釈文校註』(以下「釈文校註」と言う)によれば、「通典」では「遠師遠輸、遠師遠輸者則百姓貧」と作るため、これを校勘するに「竹簡孫子」の「遠者遠輸」四字の右側残欠部分に反復記号(これは竹簡中かなりの頻度で散見される)が附されていた疑いがあるとする。それによれば本句は「遠者遠輸、遠者遠輸則百姓貧」と読まれる。この方が文意がより明確となって適当であるため、ここではこの説に従って改める。因みに「通典」の「遠師遠輸」は次句の「近師者貴売」を意識して改めたものと思われるが、この「近師」は「遠師」に対するものではなく「近市」の意と解せられること、又、戦争遂行のための物資の大量調達による物不足は遠師、近師を問わず起こるものであるから、その意味で「遠者」を「遠師」とするのは適当ではない。

○著者不明孫子:【貧於師】戦争のために窮乏する。「師」は軍隊。ここでは戦争。
 【遠輸】「輸」は輸送する。

○孫子諺義:『國の師に貧しき者は遠く輸(いた)せばなり。遠く輸すときは則ち百姓貧し。師に近き者は貴(たか)く賣る。貴く賣るときは則ち百姓の財竭く。』
 輸は運也、云ふ心は、師を起すの國は、必ず財用貧しきもの也。そのゆゑは、人民遠所にいくさだちいたし、用器をはこび道路の運送につかれて、百姓ことごとくまど(貧)しくなる也。遠く輸すとは、遠方へ物をもちはこび往來いたすを云へり。是れは國中の百姓の役にくるしみまどしくなるのゆゑをいへり。さて師場にて云ふときは、四方よりあつまる處の商買人、軍場へ出でて買賣せしむるは、命をすてて交易を事とするゆゑに、諸色常のあたひに十倍す。是れ師に近き者は貴く賣る也。たとひたかしといへども、其の物其の品によつて買ひとらざれば叶はざるがゆゑに、下々ことごとく財を失つて財竭くるにいたる也。是れ外軍場において雑兵諸人のつひえ也。凡そ戦場へのぞむもの、兵士は少くして雑兵下人多し。兵士は諸國よりのあつまり勢あり、雑兵下人は皆國内の百姓也。ことに異國は農兵と號して、百姓の内より役にて兵士をこしらへ出すゆゑに、兵士も所の百姓也。この段の百姓は兵士雜人ともにかけて、見る可き也。大全に云はく、遠輸の害は、孫子の言、其の詳盡を極むと謂ふ可し。然りと雖も猶ほ言ふ可き也。唯だ中途接せざれば、則ち師に近き者必ず貴く賣る。貴く賣るときは軍に於て買はざるを得ず。但し軍に於て價一分を加ふれば、即ち民に於て賦一倍を加ふ。而して百姓の財竭く。勢必ず丘役(春秋時代の賦税。次節に出づ)供給の家に急にす。又云はく、古くは兵民分れず、故に三軍財竭くと言はずして、百姓財竭くと曰ふ、丘役供給の人、自然意を要す。

○孫子国字解:これより下、十去其六と云までは、又前の意を反復して、遠境へ軍を出すこと、上下共に費多きことを云て、十去其七と云までは、其内にて取りわきて下の疲れを云、この一段は、下の費の内にて、領内の疲れを云なり。國とは領分の民を云。貧於師とは、軍陣あるゆへに、勝手あしくなることなり。遠輸とは遠國へ兵糧をはこぶことなり。領分の民の軍陣ゆへに、勝手あしくなり、貧乏すると云は、遠國へ兵糧を運ぶ故なりと云意なり。尤近境にて戦ふも、事なきにはしかざれども、遠國へ兵糧を運ぶこと、民の大きなる愁なる故、かく云へり。遠輸則百姓貧とは、遠國へ兵糧を運ぶ時は、領分の民百姓、かならず貧困するなり。

○孫子評註:『國の師に貧しきは遠く輸すればなり(軍隊のために国が貧しくなるのは、兵糧を遠方まで輸送するからである。)。遠く輸すれば則ち百姓(人民)貧し。』
 又尋常の兵略を説くこと一番。上の軍食より遠輸を拈出(文句などを考え出すこと。)(ねんしゅつ)し、文反(かえ)つて前と犯さず。

○孟子:兵車 千里の外に轉運すれば、財則ち道路に費やし、人困窮する者有り。

○李筌:兵役數た起りて、賦斂[ふ‐れん【賦斂】税を割り当ててとりたてること。]重し。

○杜牧:管子曰く、粟三百里行けば、則ち國一年の積無し。粟四百里行けば、則ち國二年の積無し。粟五百里行けば、則ち衆飢色有り。此れ粟重き物軽きを言うなり。推移する可からず。之れ推移すれば則ち農夫耕牛俱に南畝[①せ。耕地面積の単位。一畝は一反の十分の一。三十歩。約一アール。周代には百歩を一畝(ぼう)とした。②畑のうね。【解字】会意。「亠」(=十)+「田」+「久」(=あし。あるく)。十歩あるいて測る十歩平方(=百歩)の田畑の面積を表す。]を失う。故に百姓貧しからざるを得ざるなり。

○賈林:遠輸すれば則ち財道路に耗(へ)らし、轉運に弊し、百姓日(ひび)に貧し。

○張預:七十萬家の力を以て、十萬の師を千里の外に供せば、則ち百姓貧しからざるを得ず。


意訳
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○金谷孫子:国家が軍隊のために貧しくなるというのは、遠征のばあいに遠くに食糧を運ぶからのことで、遠征して遠くに運べば民衆は貧しくなる。

○浅野孫子:国家が軍隊を起こしたために貧しくなる原因は、遠征軍が遠くまで補給物資を輸送するからである。遠征軍が遠方まで補給物資を輸送すれば、その負担に耐えかねて、民衆は生活物資が欠乏して貧しくなり、

○町田孫子:国家が戦争のために窮乏するのは、遠征して遠くまで食糧を運ばなければならないからである。遠征して遠くまで食糧を運べば民衆は貧しくなる。

○天野孫子:国家が大軍のために貧窮するのは、遠方に食糧などの軍用品を輸送するからである。遠方に食糧などの軍用品を輸送すれば、国民は貧窮する。

○フランシス・ワン孫子:国家が戦争のために窮乏するのは、遠距離に輸送するのが原因である。遠隔の戦地に対する補給は国民を疲弊させる。

○大橋孫子:戦争で国が貧しくなるのは遠征して、輸送距離をのばすからである。輸送距離がのびれば国民は貧窮する。

○武岡孫子:国の財政が窮迫するのは、遠征部隊の食糧を運ぶからで、税金を払う民衆は貧しくなる。

○著者不明孫子:国が戦争のために窮乏するのは軍糧を遠くまで運ぶためで、遠くまで運べば民衆は困窮する。

○学習研究社孫子:国家が軍隊のために貧しくなるというのは、食糧や資材を遠くへ輸送するためである。遠くへ物資を輸送すれば、臣下や人民は貧しくなる。

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2013-01-02 (水) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

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『用を国に取り、糧を敵に因る。故に軍食足る可きなり。』:本文注釈

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どの注釈者も『軍食』を「兵糧」と解釈しているが、ここでの『食』の意味は、「養う」の意味であろう。この文の意味は、「『用』(軍の器材・諸用具などの軍需品)を自国から補給し、『糧』(兵糧)を敵から奪うことで、軍を十分に養っていくことができる。」となる。この「軍食」の解釈の仕方は「用を国内で賄うこと」も考慮に入れなければならず、「糧を敵に因る」の文だけで「兵糧」と解釈するだけでは片手落ちになってしまう。


敵-①対等に立ち向かう。相手になる。②戦争や競争の相手方。③うらみに思う相手。かたき。あだ。【解字】形声。音符「啇」(=まっすぐに当たる)+「攵」(=動詞の記号)。まともに立ち向かう意。

食-①たべものをくう。くらう。たべる。②生活のかてを得る。禄をはむ。③めしをくわせる。やしなう。④めし。たべもの。⑤少しずつくいこむ。むしばむ。【解字】会意。(=あつめてふたをする)+「艮」(=器に穀物を盛った形)。食器に食物を盛ってふたをする意から、たべもの(をくう)の意。





○天野孫子:○取用於国  「用」は用いるもの、道具の意。『諺義』は「用は軍用なり。器械・兵具・諸用物のことなり」と。「国」は自国を言う。『諺義』は「国の字は敵の字に対して我国にかかるなり」と。この句について魏武帝は「兵甲戦具、用を国中に取る」と。
 ○因糧於敵  この句について魏武帝は「糧食は敵に因る」と。一説に『直解』は「糧食足らざれば則ち敵人に掠取す」と。これに対して『評註』は食糧を買い取ると解して、「因糧を以て専ら侵掠と為すは兵に浅し」と。以上の四句について、論者の意図するところが不明である。前二句の「役不再籍」と「糧不三載」とは前段の文の拙速に関連して速戦速決のための限界を示すものと理解されるが、後二句の「取用於国」と「因糧於敵」は何を表明するものであろうか。「因糧於敵」は速戦速決のための限界を超えた場合の方法を示すと解するならば、その間にある「取用於国」は何を表明するものであろうか。「用」は自国に依存し、「糧」は敵国に依存するについて、張預は「器用、国に取るは、物軽くして致し易きを以てなり。糧食敵に因るは、粟重くして運び難きを以てなり」と解しているが、それについて『国字解』も言うように、攻城の具、雲梯・望楼の類は決して軽くない。また『講義』は「器用は其の便を欲す。故に必ず国に取る」と。『兵法択』も「夫れ五方、器を成し、制度、巧を異にす。之を国に取るは其の用に適する所以なり」と言うが、『国字解』も指摘するように、敵の兵器は味方の役に立たないことはないであろう。そこで『国字解』は「取用於国と云ふ句も、下の因糧於敵と云ふ句を云はん為に、本国より持ち行かずして叶はぬ物を云ひたるなり。…兵具の類も、損失多き時は、敵の兵具を奪って時の用をたすも、戦場の通法なり。況んや此の篇の末にも、敵の車を奪ひ取つて用ひることを云ひたれば、強ちに本国の器用ならでは用ひざれと云ふことには非ず。唯兵糧を本国より運ぶこと、費多きことを云はん為に、言ひたる句なりと軽く見るべきことなり」と。しかし論旨を曖昧にしてまで「取用於国」を軽く添えるということになお問題があろう。
 ○軍食可足也  この句は前句の「因糧於敵」から展開するもの。一説にこの句は「軍用」を省略していると。『発微』は「軍用・軍食、足る可きなり」と。

○大橋孫子:用を国に取り-軍費、軍用品は本国から追送する

○武岡孫子:大橋孫子に同じ。

○佐野孫子:◎取用於国  「用」は用いるもの、道具の意。ここでは軍の器材等の諸用具を指す。
 ◎因糧於敵  糧食を敵地に依存する理由の一つは次のことにある。即ち、糧食は兵用・装具とは性質を異にし、輸送に大量の馬匹・車輛を必要とする上に、生鮮食料品は長期保存が困難で、中途の損耗が甚だしいからである(F・ワン仏訳「孫子」)。尚、「糧は敵(地)に因る」とは、必ずしも、「敵より掠取す」の意に非ず。謀(はかりごと)を巡らし現地調達によりこれを確保せよ、の意と解する。

○守屋孫子:装備は自国でまかなうが、糧秣はすべて敵地で調達する。だから、糧秣の欠乏に悩まされることはない。
 ■敵の軍需工場はわれらの武器庫
  敵の装備や兵器を奪取して味方の戦力を増大させていけば、「勝ってますます強くなる」のも道理である。近年これをやって、みごと『孫子』の説を実証してくれたのが、中国の人民解放軍である。第二次世界大戦中、連合軍はしきりに蒋介石の国民政府軍に武器・弾薬をはじめ、さまざまな軍需物資を援助した。国民政府軍は日本軍との戦いを回避して、もっぱら共産党との内戦に、それらの武器や軍需物資を投入したが、次々に敗北を喫し、連合国からの援助物資は国民政府を経由して共産党の側に渡っていったのである。だから、同時、毛沢東は、満々たる自信をもって、こう言い切ることができたのだ。「われわれの基本方針は、帝国主義と国内の敵の軍需工業に依存することである。われわれはロンドンと漢陽の軍需工場に権利をもっており、しかも敵の輸送隊がこれを運んでくれる。これは真理であって、けっして笑い話ではない」(『中国革命戦争の戦略問題』)。

○田所孫子:○取用於国とは、兵機・武具等は故国から取り寄せるとの意。
 ○因糧於敵とは、兵糧は敵国のもので間に合わせるとの意。
 ○軍食可足也とは、軍隊の糧食にはそれで間に合わせることができるとの意。

○フランシス・ワン孫子:註
 「糧は敵に因る」 一般には、敵地に全面的に依存するの意とされ、なかには掠奪によって調達するの意とする者も少なくない。これに対し、仏訳は、その不足分は敵地にて補充するの意と解して妥当である。戦史を繙(ひもと)けば明らかであるが、古代でも、糧食のすべてを敵地に依存することが可能な場合は少なく、まして掠奪を行った場合は、忽ち四散。涸渇して、今日の用は充足しても、却って明日からの用に苦しむ因となるのが通例であった。当時の農業生産の実態から見て当然であろう。このため、智将は、特別な場合を除いては適当な対価を払うことにつとめている。当時でも、対価を払う所には物資は集まっているのである。この問題は後にも出てくるが、掠奪論者は、孫子は「敵(地)に因る」と言っているのであって、「敵より掠取す」などと言ってはいないことに注意すべきである。糧食を敵地に依存する理由の一つは次のことにある。即ち、糧食は兵用・装具とは性質を異にし、輸送に大量の馬匹・車輛を必要とする上に、生鮮食糧品は長期保存が困難で、中途の損耗が甚だしいからである。張豫は「糧食を敵に因るは、粟(ぞく)は重くして運ぶに難きなり」と註している。なお、敵地に徴発するのは敵を疲弊させるためといった解釈をする者もいるが、短期戦の場合、準備した敵に対しては効果が薄く、それに、これは、「故に軍食足るべきなり」の言を忘れた見解である。

○重沢孫子:つまり、戦闘用具は本国において調達し、食糧はあくまで敵に倚存する。だからこそ軍の食糧を充足しておけるのである。

○著者不明孫子:【取用於國】 「用」は費用・経費。ただし、兵器・甲冑その他の用具と解するのが曹操以下諸注の説。それらを国内から調達する。
 【因糧於敵】 食糧は敵地のもので賄う。「因」は依存する意。

○孫子諺義:『用を國に取り、糧を敵に因る、故に軍食足る可し也(原本の訓點により也を讀まず、素行は屢々讀まざる習慣なり)
 用は軍用也、器械兵具諸用物のこと也。國は我が國也、糧は粮食也。云ふ心は、軍旅の法、諸用物は國中にて用意せしめて持參いたすこと也。食物は國内より運送いたさんには、甚だ人馬舟車のつかれつひえなるがゆゑに、其の働き入る國々へ、先んじて郷導を入れ、地下人を引入れて、粮食の多きごとくならしむべし。是れ用を國に取り、糧を敵に因る也。此の如きときは軍中粮食かくることあらざる也。敵に因ると云ふは、敵のかくし置く粮を奪取亂妨せしむる類を云ふにはあらず、先んじて敵國へ間人を入れ、使をつかはし、所々に兵粮をあつめおくこと也。尤も其の便なからんには、亂取亂妨も仕る可し。又敵の兵粮をとるにたよりよくばこれを奪ふ可き也。國の字は敵の字に對して我が國にかかる也。器械用具等は國俗に隨つて兵士の長ずる所有り、又得ざる處あり、故に國に取ると云ふ。取るはこしらへ作るの心也。竹木金鐵の入るものなれば、取ると云ふ也。取は易き心と云ふも亦通ず。因はちなむ心也、敵國にたよりて用ふると云ふ心也。凡そ千里の遠きに軍を出すと云へども、千里ながら敵國の地を行きてかれをうつと云ふにはあらず。我が國をはなれて一里出でたりとも、敵つよくささへばそれより先へは行くこと叶ふ可からず。しかれば千里先へ行けば、そのつかへて行く能はざるの地までは、皆我が手に入りたる地ならずしては動き入る(「動入」は「働入」と同様に使用せるらし、或は動は働の誤記か)ことを得可からず。たとひ敵地なりとも或は道をかりゆくときは、是れ又粮食にことをかくべからず。然れば孫子が糧を敵に因ると云ふの心、全く是のはたらく所々へ兵粮をあつめしめて、こなたより運漕せしめざるを云ふ。又云はく、千里粮を饋ると云ふは、千里こなたより糧をもちはこぶと云ふにあらず。千里に軍だち(立)あれば、近國より粮食をあつめざれば、十萬の兵食足らず、このゆゑに四方の兵粮をまはす。是れ千里粮を饋ると云へり。此の説尤も相通ず。袁了凡云はく、此の言用兵之利、食を足らすに在り。以上第二段。

○孫子評註:『用を國に取り、糧を敵に因る。』(必要な器材は自国から持って行き、兵糧は敵国のものを使う。) 
 大議論、唯だ八字を用ふるのみ。用は資用なり。資用は輕くして致し易し。故にこれを國に取る。資用を散じて糧食を収む、自ら深謀ありて存す。糧に因るを以て、専ら侵掠と為すものは兵に淺し(戦争に関する知見の浅いものである。)
 『故に軍食足るべきなり。』
 「軍食足るべきなり」の一句乃ち了す、復た縦論せず(ほしいままに論ずること。)。灰蛇草線(松下村塾発行の木版本には灰線草蛇とある。奇妙な言葉で、恐らく松陰の造語であろう。)[文法で、草蛇灰線法というのがある。これは特定の語彙を繰り返す文法を言う。松陰の造語ではない。]、作法奇眩なり。軍食足らば則ち久し(長期に戦争する。)と雖も三たび載するを待たず。其の戦、必ず利に合して動き、士卒を殺さず、故に再び籍するを待たず。用を取りて糧に因る、功效是(か)くの如し。是れ孫子本色の議論なり。

○曹公:兵甲戦具、用を国中に取る。糧食は敵に因るなり。

○杜佑:兵甲戦具用を國中に取る。糧食は敵に因るなり。資用を我が國に取る。糧食を敵の家に因るなり。晋の師 穀を楚に館すは是れなり。

○李筌:我れ戎器を具え、敵の食に因る。師を出すこと千里にすと雖も匱乏(とぼ)しきこと無きなり。

○梅堯臣:軍の須用[必要とするもの]は國に取りて、軍の糧餉[りょうしょう:兵糧]は敵に因る。

○何氏:因って兵 境を立て聚(しゅう)に鈔(かす)めて野に掠(かす)め、敵に克ちて城を抜くに至りて、其の儲けを積み得るを謂うなり。

○張預:器用を國に取るとは、物を輕くして致し易きを以てなり。糧食を敵に因るとは、粟を重くして運び難きを以てなり。夫れ千里に糧を饋らば、則ち士 飢える色有り。故に糧に因らば則ち食足る可し。


意訳
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○金谷孫子:軍需品は自分の国のを使うけれども、食糧は敵地のものに依存する。だから、兵糧は十分なのである。

○浅野孫子:戦費は国内で調達するが、食糧は敵地に依拠する。このようにするから、兵糧も十分まかなえるのである。

○町田孫子:当初の装備は自国にまかなわせるが、その後の食糧はすべて敵国のものに依存する。そうしてこそ、食糧は確保できるのである。

○天野孫子:軍の器材などの諸用具は自国のものではたし、食糧は敵国のものをたよりとする。従って全軍の食糧は充足することができる。

○フランシス・ワン孫子:武器・装備は自国で調達するが、糧食の不足は敵地にて補充する。(但し、敵地の供給能力を充分に考慮しなければならない)こうすれば、軍はたっぷりと給養されることとなる。

○大橋孫子:軍費、軍用品は本国で調達するが、大きな輸送力を必要とする糧秣は敵地で調達し、追送はしない。ゆえに糧秣に不足することはない。

○武岡孫子:軍需品は自国のものを使うけれども、食糧は敵地のものを奪って賄う。だから兵糧は十分なのである。

○著者不明孫子:経費は国内で賄うが、食糧は敵地のを用いる。そうすれば軍糧は十分に確保できる。

○学習研究社孫子:資材は国内から取り、食糧は敵地に依存する。このようであれば、軍の兵糧は十分である。

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2013-01-01 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(3)

オリジナル問題集です。基本問題から難問までご用意いたしました。解けるかな~?








【1問目】我が国で、応仁の乱以前に著述されたと伝わっている「闘戦経」からの問題です。
「闘戦経」の本文で、「孫子十三篇。(1)の字を免れざるなり。」と言っていますが、(1)の空欄に入る言葉はどれ?

(1)懼
(2)詭譎
(3)奇
(4)軽

【2問目】甲州流武学中興の祖である小幡景憲の門人、北条氏長は、『孫子』の始計三本(五事・七計・詭道)の五事を(1)、七計を(2)、詭道を(3)という言葉に変えて表わしました。
さて、(1)、(2)、(3)に入る言葉はどれ?

(1)(1)主 (2)将 (3)士
(2)(1)治内 (2)知外 (3)応変
(3)(1)上 (2)中 (3)下
(4)(1)大綱領 (2)方円神心 (3)聖人之道

【3問目】有名な『孫子』注釈書である『孫子諺義』を著した山鹿素行は、その自伝の『配所残筆』で、「漸く八歳之頃迄に、(1)大方読み覚え候。」と記している。このことからも、幼少のころより大変な才能があったことがわかるが、さて、(1)に入る言葉はどれ?

(1)四書・五経・七書・詩文の書
(2)論語・孟子・大学・中庸・兵法の書
(3)孔孟・老荘・史書・医書・經書
(4)為政の書・経文・和漢の古への書

【4問目】『孫子』の有名な注釈者である山鹿素行は、『孫子』から、言葉をもらい「素行」の名前をつけましたが、この「素行」の名前の由来となった、「令、素より行われ、以て其の民を教うれば、則ち民服す。」の文は、『孫子』の何篇の言葉でしょう?

(1)九地
(2)九変
(3)軍争
(4)行軍

【5問目】『孫子』の他の篇の言葉から類似の意味の語句を拾い出し、その文章を説明するという、斬新な注釈法を以て著した、江戸時代中期の儒学者としても知られる新井白石の『孫子』注釈書の名前は?

(1)孫子新釈
(2)孫子事活鈔
(3)孫武兵法択
(4)孫子略解

【6問目】江戸時代の儒学者でもある新井白石は、自著の『孫子』注釈書の中で、「(1)」の文章二十余条を引用して、『孫子』を解説している。白石は、「(1)」と『孫子』は非常に関連性が高いと考えていた。『孫子』の原作者である孫武は、軍学において先輩である(1)の兵法を学んで『孫子十三篇』を書いたと、白石は確信していたのである。
さて、(1)に入る人物名はどれでしょう?

(1)老子
(2)諸葛孔明
(3)管子
(4)韓信

【7問目】『孫子』の『勢』篇の文で「戦勢は(1)に過ぎざるも、(1)の変は勝げて窮むべからざるなり。(1)の還りて相い生ずることは、環の端なきが如し。孰か能くこれを窮めんや。」とありますが、さて、(1)に入る言葉はどれ?

(1)虚実
(2)衆寡
(3)得失
(4)奇正

【8問目】『孫子』の最も有名な言葉で、「彼れを知り己れを知らば、百戦殆うからず。」がありますが、その後に続く言葉はあまり知られていません。この文のあとには、「彼れを知らずして己れを知らば、一勝一負す。彼れを知らずして己れを知らざれば、(1)」と続きますが、さて、(1)に入る言葉はどれでしょう?

(1)未だ勝つ者有らざるなり。
(2)戦う毎に必ず殆うし。
(3)百戦殆うし。
(4)当に其の地を離るるべし。

【9問目】『孫子』の有名な言葉より問題です。
『孫子』軍争篇に、「軍争の難きは、(1)を以て(2)と為し、患を以て利と為す。故に其の途を(1)にしてこれを誘うに利を以てし、人に後れて発して人に先んじて至る。此れ(1)(2)の計を知る者なり。」とありますが、さて、(1)、(2)に入る言葉はどれ?

(1)(1)分 (2)合
(2)(1)詭 (2)詐
(3)(1)戦 (2)道
(4)(1)迂 (2)直

【10問目】孫子兵法に『用間』篇がありますが、さて、この篇名の『間』の字の意味は次のうちどれ?

(1)長さ・重さの測定法
(2)スパイ
(3)無(特に無形・無声を指す。)
(4)空間









【1問目解説】

(1)の「懼」が正解。

『闘戦経』の著者は、「剛毅・真鋭こそ、日本の武教である。これに反して、漢文(「孫子」のこと)は詭譎を説くにすぎない。」と、『孫子』を全否定している。


【2問目解説】

(1)、(3) 北条氏長は「兵は国の大事なり。」の「兵」を「士」と解釈した。そしてこれを「此士の内にも上中下あり、上は主、中は将、下は士の三段也」と注釈している。

(2)が正解。

(4) 「大綱領」とは、氏長の『孫子外伝』に出てくる言葉から引用した。『外伝』本文で、「兵は国の大事なり、此の語十三篇の大綱領。」と『孫子』の最初の文について解説している。
「方円神心」とは、氏長の『士鑑用法』で、「我流は方円神心の一理を以て始終を云。」と言っており、氏長流の兵理の根本のことを指している。
「聖人之道」とは、『外伝』の言葉から引用した。『外伝』の五事の「道」の説明で、「道は一種の兵の道なり。聖人の道を謂うに非ざるなり。」と本文にみえる。


【3問目解説】

(1)が正解。それにしてもすごい記憶力ですね!

(2)「論語・孟子・大学・中庸」は「四書五経」の内の「四書」です。


【4問目解説】

正解は(4)です。

素行は『孫子』の注釈書を何回か世に出しています。素行はとにかく『孫子』が大好きだったみたいですね。


【5問目解説】

(1)は藤塚鄰、森西洲が著した近代の注釈書。

(2)は江戸時代後期の薩摩藩の軍学者徳田邕興が著した注釈書。

(3)が正解。

(4)は江戸時代後期の仙台藩の藩士桜田迪が著した注釈書。


【6問目解説】

正解(3)

(2)と(4)の諸葛孔明と韓信は孫武より後の時代の人物。

(1)の老子は孫武と時代が同じで、孫武も学んでいた可能性が高いが、白石の注釈書で引用が多かったのは、(3)の管子(管仲)の文。管子は「管鮑の交わり」などで有名な中国春秋時代の斉の国の政治家。孫武より前の時代の人で、管子の兵法は『孫子』が世に出るまでは、当時としては有名な兵法書であったことは間違いない。


【7問目解説】

本文の「戦勢は(1)に過ぎざるも、(1)の変は勝(あ)げて窮むべからざるなり。(1)の還(めぐ)りて相い生ずることは、環の端なきが如し。孰(たれ)か能くこれを窮めんや。」の現代文訳は、「戦闘の勢いは、奇法と正法との二つの運用に過ぎないが、奇法と正法との混じり合った変化は、無数のもので、とても窮めつくせるものではありません。奇法と正法とが互いに生まれ出てくる(奇の中に正があり、正の中に奇があり、奇から正が生まれ、正から奇が生まれるという)その有様は、丸い輪に終点がないようなものです。誰にそれが窮められるでしょうか。」となる。
よって、正解は(4)の「奇正」。


【8問目解説】

正解は(2)です。ご存知の方も多かったとは思いますが、迷っていただくために選択肢づくりに苦心しました。


【9問目解説】

(4)が正解です。

『孫子』で有名な「迂直の計」の説明箇所です。作戦を以て、物理的(時間・距離・速さ)、心理的(意外)に、相手より先回りし、戦を有利にもっていくのが、迂直の計の真髄です。


【10問目解説】

(2)が正解。間は間諜(スパイ)のこと。










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2013-01-01 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(2)

オリジナル問題集です。これは難しいはず!








【1問目】『形』篇より問題です。
本文に、「是の故に勝兵は先づ勝ちて、而る後に戦を求め、敗兵は先づ戦いて、而る後に(1)を求む。」とありますが、この(1)に入る言葉はどれ?

(1)実
(2)全き
(3)勢
(4)勝

【2問目】『勢』篇より問題です。
本文に「凡そ戦は(1)を以て合い、(2)を以て勝つ。故に善く(2)を出す者、窮まり無きこと天地の如く…。」とありますが、この空欄(1)と(2)に入る言葉はどれ?

(1)(1)実 (2)虚
(2)(1)形 (2)勢
(3)(1)正 (2)奇
(4)(1)守 (2)攻

【3問目】『計』篇より問題です。
軍備をおさめる為に必要な基本項目として、孫子が挙げているものはどれ?

(1)曲制・官道・主用
(2)智・信・仁・勇・厳
(3)仁・義・礼・智・信
(4)道・天・地・将・法

【4問目】『呉越春秋』によると、孫子(孫武)はどこの出身?

(1)斉
(2)魏
(3)楚
(4)呉

【5問目】幕末維新期の軍学者『恩田仰岳』の著した『孫子』の注釈書はどれ?

(1)孫子纂注
(2)孫子講註
(3)孫子兵法択
(4)孫子詳解

【6問目】『謀攻』篇より問題です。
本文に「是の故に百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。」とみえますが、では、この文の「是の故」とは何を指すでしょう?

(1)已に敗るるに勝つ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(2)上兵は謀を伐つ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(3)窮寇には迫る勿かれ、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)
(4)全きを以て上と為す、故に(百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。)

【7問目】『孫子』注釈書で、林羅山(江戸時代初期の朱子学派儒学者)が著したものではない注釈書が一つあります。さて、それはどれ?

(1)孫呉摘語
(2)孫子提要
(3)孫子諺解
(4)孫子抄

【8問目】孫子兵法の原作者である孫武が仕えた君主の名前は『闔廬』ですが、では、闔廬が楚に行っている間に呉でクーデターを起こして王となった、闔廬の弟の名前は?

(1)夫概
(2)諸樊
(3)僚
(4)寿夢

【9問目】『行軍』篇より問題です。
本文に「凡そ地に(1)有らば、必ず亟(すみや)かに之を去りて近づく勿かれ。吾は之に遠ざかり、敵は之に近づかしめ、吾は之を迎へ、敵は之を背にせしめよ。」とありますが、この(1)の空欄に入る言葉はどれでしょう?

(1)圮地・衢地・絶地・圍地・死地
(2)弛む者、陥る者、崩るる者、亂るる者、北ぐる者
(3)通なる者、挂なる者、支なる者、隘なる者、險なる者、遠なる者
(4)絶澗・天井・天牢・天羅・天陥・天隙

【10問目】孫子注釈書に『十一家注孫子』がありますが、つぎのうち『十一家』でない者は誰?

(1)何延錫
(2)趙本学
(3)梅聖兪
(4)曹操










【1問目解説】

正解(4)

戦の前に勝てるかどうか十分に考えてから戦わないと、戦に敗れるということを言っています。


【2問目解説】

正解(3)

「大体、戦というものは、正攻法で相見え、正攻法以外の思いもかけない奇策、謀を以て敵に勝つものである。」ということである。つまり、正攻法だけではなかなか勝利には結びつかない、ということを言っている。


【3問目解説】

正解(4)

(1)は五事の「法」の中身。
(2)は五事の「将」の中身。
(3)は儒教の五常(五徳)。
(4)が正解。この五事が軍事の大本となる。


【4問目解説】

正解(4)

『史記』によれば、孫武は「斉」の人、と紹介されている。しかし、『呉越春秋』では孫武は「呉」の人となっている。はて、真相は果たしてどっち?


【5問目解説】

(1)が正解。
(2)は有沢武貞が著したもの。
(3)は新井白石が著したもの。
(4)は伊藤鳳山が著したもの。


【6問目解説】

(1)「已に敗るるに勝つ」、とは「形篇」の言葉。
(2)「上兵は謀を伐つ」、とは「謀攻篇」の言葉。問題文の本文の後に続く文。
(3)「窮寇には迫る勿かれ」、とは「軍争篇」の言葉。
(4)が正解。戦って相手を破ることよりも、自国の資源を保全して、敵を負かすことを最上とした。


【7問目解説】

(2)が正解。「孫子提要」は久留米藩の儒官、梯隆恭(かけはしたかやす)の著したもの。


【8問目解説】

(1)が正解。ちなみにクーデターを起こしたあとは、闔廬にすぐに鎮圧され、楚に逃げて行った。
(2)諸樊は、春秋時代の呉の第2代の王。姓は姫。名は遏、あるいは謁と表記される。寿夢の子。紀元前561年9月、父の寿夢が死去すると、跡を継いで王となった。闔廬(闔閭)と夫概の父である。
(3)僚は、父は初代の王の寿夢あるいは第4代の王の余昧。闔廬に弑せられ、その後、闔廬は呉王となっている。
(4)寿夢は、春秋時代の呉の初代の王。姓は姫。名は乗。去斉の子。紀元前586年、父の去斉が死去すると跡を継いだ。寿夢の代に呉は強大となり、彼が初めて王を名乗った。

寿夢には4人の子がおり、それぞれ諸樊・余祭・余昧・季札といった。死に際し、寿夢は兄弟の中で最も優秀な末子の季札に跡を継がせようと考えたが、季札は兄たちに遠慮してこれを辞退した。そのため、寿夢の死後は王位を兄弟間で順番に継承する方式を採った。後に余昧の子である僚へと王位が継承されたが、この王位継承順に納得のいかなかった闔廬が反乱を起こし、闔廬が呉王となった。


【9問目解説】

(1)は九変篇の言葉。
(2)、(3)は地形篇の言葉。
(4)が正解。
絶澗とは、嶮(けわ)しい絶壁にはさまれた谷間。
天井とは、四方がそびえ中がくぼんで渓水の落ちこんでいる自然の井戸。
天牢とは、三面が囲まれて入りこむと出られない自然の牢獄。
天羅とは、草木が密生して行動できない自然の捕り網。
天陥とは、地形の落ち込んだ泥沼で自然の陥し穴。
天隙とは、ほら穴のように狭まった深く長い地隙。
いずれの地形も軍が圧倒的不利に陥ることは間違いない。このような地形には、相手を誘い込むことはあっても、絶対に自軍の本命の部隊を行かせてはならない。


【10問目解説】

(2)が正解。明の時代の人。『趙註孫子』を著した。
(3)は十一家である梅堯臣のこと。字を聖兪という。










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2013-01-01 (火) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集:孫子 兵法 大研究!

孫子兵法問題集(1)

オリジナル問題集です。全部解けるかな?







【一問目】春秋時代、呉王闔閭が目を通したとされる孫子兵法の著者はだれ?

(1)孫臏
(2)孫武
(3)孫書
(4)孫明

【二問目】『魏武帝註孫子』は、孫子兵法の文と注釈が載っている有名な『孫子兵法』のひとつであるが、さて、これを記した「魏武」とはだれを指すでしょう?

(1)曹豹
(2)曹植
(3)曹丕
(4)曹操

【三問目】現在、主流となっている孫子兵法の篇数は、何篇?

(1)十三篇
(2)三十六篇
(3)八十二篇
(4)八十九篇

【四問目】戦国時代、武田信玄が軍旗に掲げた孫子兵法の一節の言葉は何?

(1)兵貴拙速
(2)知彼知己百戦不殆
(3)風林火山
(4)攻其無備出其不意

【五問目】「孫子兵法」にある「最上の勝利」とはどれ?

(1)百戦百勝
(2)戦わずして勝つ
(3)城や領土を攻め取る
(4)兵を温存し、持久戦で無傷で勝つ。

【六問目】孫子兵法の著者の一人と考えられている孫武の子孫である孫臏の宿命のライバルはだれ?

(1)曹操
(2)勾践
(3)田忌
(4)龐涓

【七問目】日本に最初に「孫子」を伝えたとされる人物はだれ?

(1)徐福
(2)吉備真備
(3)小野妹子
(4)藤原佐世

【八問目】孫子兵法の「孫子」の「子」とはどういう意味?

(1)先生
(2)神
(3)聖人
(4)帝王

【九問目】中国の主な兵法である、『孫子』『呉子』『尉繚子』『六韜』『三略』『司馬法』『李衛公問対』をまとめて何と言う?

(1)五輪書
(2)闘戦経
(3)兵法三十六計
(4)武経七書

【十問目】孫子兵法の原作者が仕えた人はだれ?

(1)夫差
(2)恵王
(3)闔閭
(4)楽毅









【1問目解説】

(1)は孫武の子孫。

(2)が正解。

(3)は孫武の祖父にあたる人。

(4)孫武の子にあたる人。

『史記』によれば、呉王闔閭が孫武の書いた十三編の兵法を読んだことが記されています。よって、孫武が著者といわれています。ですが、今に伝わる孫子兵法は、孫武一人の著作ではないことが定説となっています。これは、孫武が呉王闔閭に初めてまみえた当時には、記述されることがありえないようなことが記載されていたりしているためです。ですから、孫子兵法は時代とともに、孫子の弟子や子孫(いわゆる孫氏学派)が加説していき作られてきたと考えられています。


【2問目解説】

(1)三国志で有名な陶謙の重臣で、下邳県の相の地位にあった。曹操が陶謙を攻めた時、将軍として曹操軍と戦ったが、敗退している。陶謙の死後、劉備の家臣となった。ちなみになぜ曹豹が世に知られているかというと、光栄のゲーム『三国志』最弱キャラとして有名になってしまったから。

(2)曹植は曹操の正嫡の三男。

(3)曹操の子。三国時代の魏の初代皇帝。

(4)が正解。

曹 操(そう そう、永寿元年(155年) - 建安25年1月23日(220年3月15日)は、中国後漢末の武将、政治家。詩人、兵法家としても業績を残した。字は孟徳(もうとく)、幼名は阿瞞また吉利。沛国譙県(現在の安徽省亳州市。また河南省永城市という説もある)の人。

後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。廟号は太祖、謚号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。


【3問目解説】

(1)が正解。

(3)は『漢書』芸文志にある「呉孫子兵法」の篇数。

(4)は『漢書』芸文志にある「斉孫子兵法」の篇数。

現在は孫子兵法といえば、十三篇が主流。前漢時代以前はもっと篇数が存在していたようで、1972年4月に中国、山東省臨沂県銀雀山において十三篇以外の孫子兵法と思われるものが一部みつかった。


【4問目解説】

正解(3)

風林火山とは、甲斐の戦国大名・武田信玄の旗指物(軍旗)に記されたとされている「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」(疾(はや)きこと風の如く、徐(しず)かなること林の如し、侵略(しんりゃく:おかしかすめる)すること火の如く、動かざること山の如し)の通称。


【5問目解説】

正解 (2)

孫子の思想は基本的に勝算がなければ戦わないという考えです。どうしても戦わなければならない状態になったら、自国の力を損なうことなく敵に勝つことを旨としています。(4)は無傷で勝つという点は良いのですが、持久戦は「孫子」では戒めています。作戦篇の「故に兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久しきなるを睹ざるなり。夫れ兵久しくして国の利するは、未だこれ有らざるなり。」という文からもわかるように、いかに作戦がうまくいっても、持久戦は国の費用をたくさん使い、兵も疲れさせるため、持久戦はできるかぎり避けるようにしています。


【6問目解説】

(1)は三国時代の奸雄といわれた漢の丞相、曹操孟徳。

(2)勾践は、中国春秋時代後期の越の王。范蠡の補佐を得て当時華南で強勢を誇っていた呉を滅ぼした。春秋五覇の一人に数えられることもある。臥薪嘗胆という故事の元となった逸話で有名。

(3)田忌は孫臏が仕えた将軍。

(4)が正解。

『史記』によれば、龐涓は若いころ、孫臏とともに兵法を学んでいたが、孫臏にはかなわないことを知り、孫臏を罪に陥れた。その後、孫臏は斉国の軍師となり、敵国の将軍となっていた龐涓を見事作戦にて追い詰め、龐涓は「遂成豎子之名(遂に豎子の名を成さしむ)」と言い残して自刎した、とされる。しかし、1972年に銀雀山で出土した竹簡によれば、龐涓は最後捕えられた、となっている。


【7問目解説】

(1)の徐福は、司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衝山列伝」によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て、王となり戻らなかったとの記述がある。また、徐福がひとつの孫子兵法を日本に伝えた可能性があるという期待が昔にあったそうである。

(2)が正解。

(3)の小野妹子は、『日本書紀』によると大唐に派遣され、大禮(冠位十二階の位)蘇因高と呼ばれた。日本の通説では『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされる。

(4)の藤原佐世は、『日本国見在書目録』で、『孫子兵法二巻 呉将孫武撰 孫子兵法書一巻 巨詡(賈詡の誤りであろう)撰、孫子兵書三巻 魏武解、孫子兵書一[巻]魏祖略解」、「孫子兵法八陣図二[巻]」、「続孫子兵法二[巻]魏武帝撰」の六点が見える。

我が国に初めて「孫子」を伝えたのは吉備真備とされている。「続日本紀」に、吉備真備に諸葛亮の八陳・孫子の九地・結営の向背を習わしめられたとあるのがその根拠となっている。


【8問目解説】

正解 (1)

子は敬称である。この選択肢の中からは、(1)の「先生」が意味としては妥当である。(2)(3)(4)は敬称としては、ちょっといきすぎであろう。まあでもひとによっては「神」もありと考える人はいるかもしれないが…。


【9問目解説】

(1)『五輪書』(ごりんのしょ)は、宮本武蔵の著した兵法書。武蔵の代表的な著作である。

(2)『闘戦経』(鬪戰經 とうせんきょう)は、平安時代末期に成立したとみられる日本の兵法書(後述)。現存する国内独自の兵法書としては、最古の兵法書である。

(3)兵法三十六計(へいほうさんじゅうろっけい, 中: 三十六?)とは中世頃の中国の兵法書。兵法における戦術を六段階の三十六通りのに分けてまとめたものである。「三十六計逃げるに如かず」という故事が有名だが、この故事自体は兵法三十六計とは関係ない。

(4)が正解。

武経七書(ぶけいしちしょ)は中国における兵法の代表的古典とされる七つの兵法書。


【10問目解説】

(1)の夫差は、中国春秋時代の呉の第7代、最後の王。姓は姫。春秋五覇の一人に数えられる。先代の呉王闔閭の次男。越王勾践によって討たれた父・闔閭の仇を討つため、伍子胥の尽力を得て国力を充実させ、一時は覇者となったが、勾践の反撃により敗北して自決した。

(2)の恵王は、中国戦国時代の魏の第3代君主(在位:紀元前369年 - 紀元前319年)。または初代の王。

(3)が正解。

(4)楽毅は、、中国戦国時代の燕国の武将。燕の昭王を助けて、斉を滅亡寸前まで追い込んだ。昌国君、または望諸君とも呼ばれる。

呉王闔閭は「史記」によれば、婦人の兵を孫武に指揮させ、その用兵を見て孫武を登用したとされる。










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