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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

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2012-01-25 (水) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。』:本文注釈

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 ここでは、「道」が五事の筆頭に来ていることが注目されるべき点であろう。普通戦争において重要な事と言えば何かと問われた場合、真っ先にまず戦場を思いつき、軍隊に関することが答えとして挙がってくるに違いない。しかし、孫武はまず上下・君民の心を一つにすることだと言っている。ここで私が連想したのは『論語』顔淵篇の「子貢政を問う。子曰く、「食を足らしめ、兵を足らしめ、民をして信あらしめよ。」」の後に続く孔子と子貢の問答である。子貢が、「食糧の充足と軍備の充実、信頼される政治の三つのうち、やむを得ない場合はまず何を省けばよいか」と孔子に問うと、孔子は「食糧である」と答え、そのあとまた、「死は誰も免れることが出来ない生命の理であるが、人民には信頼がなければ国家は成り立たない」と、孔子は子貢に説いた。このことからもわかるように、孫子の言う「道」とは孔子の言う「民の信頼を得ること」と一致する。しかし、民の信頼を得るだけでは、戦争に関わる軍事行為とは直接のつながりがでてこない。ということはつまり、「道」とは戦争に於ける勝敗の前の段階を指していることが分かる。戦争の前段階のことをここで述べているわけだから、当然前の文の「故に之を経するに五を以てし、之を効するに計を以てして、以て其の情を索む。」の文も、戦争の前段階に於いてのことを少なくとも含んでいるということが、同様に分る。又、後に出てくる一般に「七計」と言われる敵味方の能力の比較検討も、主に戦争前に行われておくべきものであることがこの事からわかる。
 では、次は二番目に配置された「天」について考えてみたい。ここで、なぜ二番目に「天」がきているのかという疑問が生じてくる。『孫子』の原典が存在したであろう孫武の時代の後のことであるが、後に『孟子』が世に出てくる。その『孟子』には、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」とあり、「天地人」のうち、一番大切にすべきものは人であるとして、以降地、天と続く。つまり、『孫子』とは真逆なのである。『孟子』の考えが『孫子』に反映されているとすれば、「道、将、地、天、法」と順番に並んでいたはずである。そうではなく、孫武は「道、天、地、将、法」としている。これは戦の勝敗につながるものは、将の統率よりも、大自然そのものである「天」「地」の方であると考えたと思われる。一番上の「道」だけが別格で、後の四つは同列とみる考えも注釈家によってはあるが、そんなわけはあるまい。ご丁寧に孫武は番号まで振っているのである。つまり、孫武は将の智信仁勇厳の五能よりも、天・地をうまく利用した者が勝つと言いたかったのではなかろうか。これはおそらく、当時において歴史上の戦いを見た時、いくら智能や武力で相手に勝る者も、結局は天の時、地の利を得た者には敵わなかったという事実があったのかもしれない。こう考えれば、五事の「天」「地」が「将」の上にくることも納得できる。
 しかし、これでは前にも述べたが、『孟子』の言っていることとは真逆となる。やはり何かこれだけの理由では釈然としない。古代の思想家たちはお互いの思想を学び合い、或いは影響を受け合いながら、自家の思想を発展させていった。つまり、孔子の思想の流れを汲む『孟子』のいうことと、『孫子』の言っていることは、これまでも見てきたように思想に共通点も多く、あまりそう違わないはずなのである。ではなぜ五能の順番が「道、天、地、将、法」なのか。これは、当時の一般的な考えとして「天地人」と三つ並んでいた場合、「天地人」と順番に並べることが常識であり、当たり前のことであったのではないだろうか。そうであれば、孫子の言う五能も本質的には、「道、将、地、天、法」の順番で大事なものだと考えたに違いないのである。ちなみに、現代においても「天地人」と文字が並んでいた場合、「人地天」とわざわざ並び替えて読むことはしない。当然「天地人」と読む。当然孫武もごく当たり前のことは当たり前に述べたに違いないから、「道、天、地、将、法」という順番になったのであろうと思われる。また、『孫子』は一般の家にも広く普遍した兵法書であるから、暗記する場合も言葉の語呂(流れ)というものも重視されたに違いない。古代の言語の発音においても、人地天と発音するよりは、天地人と発音したほうがきれいに聞こえ、覚えやすかったのではなかろうか。詞の発する音の美しさというものは、他の何物にも勝る甘美なものである。それは暗唱を容易にさせ、長く伝えらることが可能となる。『孫子』が二千五百年の間、数えきれない人々の間で深く愛されたのも、こういった美点があったからこそである。『孫子』は大変語呂がよく、その言葉の調子の良さに一度聞いた者は、決して完全に忘れることはない。例え一時忘れてしまったとしても、心のどこかで言葉が引っかかっており、こちらからヒントを言えばすぐに思い出すことができる。正に魔法のような書物なのである。


道-①通りみち。②すじみち。宇宙を支配する根源的な真理。条理。③神仏の教え。特に、老子・荘子を祖とする教え。④やりかた。専門の技芸・理論。⑤言う。⑥みちびく。⑦〔仏〕衆生が行きつく迷界。⑧地方公共団体の一つ。律令制の行政区画。【解字】形声。「」+音符「首」(=頭)。頭を進行方向に向ける。人の通るみちの意。

天-①地上はるかに高く地球をとりまく空間。そら。地。宗教上、神・精霊などの居所とされる。②万物を支配する神。造化の神。③大自然(の法則)。④天から授かったまま。うまれつき。⑤物の上部。てっぺん。地。⑥最初。はじめ。⑦天子に関する事柄に冠する語。【解字】指事。「大」の字なりに立った人間の頭部を「一」で示し、頭頂の意を表す。転じて、頭上に広がる大空の意となる。


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孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:天野鎮雄○天野孫子:道・天・地・将・法-前文で言う五事。以下の文はその説明。

孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:佐野寿龍○佐野孫子:【語釈】一曰道-「道」とは大義名分(錦の御旗)の意。ここでは内政の正しい在り方をも含むものと解する。孟子曰く「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と。
 五曰法-「法」とは軍事制度(体制)と解する。

孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:一、「道」は、孫子が戦争判断に於ける根本要素とする五事の中でも第一にあげる所であるが、仏訳は、これを、次の四項に於ける孫子自身の説明にそって、「主権者と国民の関係」と解している。
一、「法」も、一般には法制の意と解するが、仏訳は、軍事制度(体制)と明確に解している。

孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:五事は孫子兵法の根源といたす處なるがゆゑに、ここに一二三四五と次第をあらはして、五事をのべたり。此の如く次第をいたして用ふべき也。文法一二三と次第してしるすこと、必ず此の如くついでてよきことに之れを用ふ。第一に天と云ふべきを、道を以て第一といたせること、古今の兵法孫子を以て本とし、軍旅の用法皆道義にかなふゆゑんなり。道あらざれば天地を以てすと云ふとも、事の実を得る可からず、義を以て不義を誅し、有道を以て無道を伐つを上兵と云ふ、このゆゑに第一に道と云へり。而して天地はこれに次ぎ、将法は又これにつぐ。天は時也、地はところ也。将は人也。そのつかさどりて事を行ひ下知をいたすものを将と云ふ。法とは兵の作法也。法はのりとよめり、物に定まりて作法のあることを、法と云ひ、のりと云ふも、定めてのっとるべきかたのあること也。兵を用ふるの道に法あり、法をしらずしては無理に其の事をなすことならざる也。たとへば道理を心得たりと云へども、其の作法にくらければわざに通ぜざることあって、其の道明ならざるがごとし。このゆゑに法と云ふものあることをいへり。凡そ天下の大小事成否のかかる處、ことごとく此の五事を出でざる也。孫子は兵法の至極に通ずるを以て、其の説く所ひろく事物におしわたる也。此の五事を詳に心得るときは、兵法の至理[至理-至極もっともな道理。]能く通ずる也。…。

孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:この五つは、即上の文にある五事なり。この道天地将法の五を目録にたてて、是にて敵味方をはかりくらぶることなり。扨この五のひとつひとつのわけは、次の文に委く説けり。

孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:始計の文、假に經傳(聖人の書を經といい、その注釈を伝という。始計篇の文を仮に経文の部分と注釈の部分とに分けて考えてみればということ。)と為して看れば、是れ其の經なり。

『一に曰く道』
孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:杜佑:孫子十家註○杜佑:徳化[徳化-徳によって教化すること。また、徳に感化されて善に移ること。]なり。

○張預:恩信[恩信-情け深く誠のあること]して民を使う。

『二に曰く天』
孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:杜佑:孫子十家註○杜佑:惠覆[天からの恵で覆われていること。]なり。

○張預:上は天の時に順う。

『三に曰く地』
孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:杜佑:孫子十家註○杜佑:慈愛[いつくしみ愛すること。]なり。

○張預:下は地利を知る。

『四に曰く将』
孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:杜佑:孫子十家註○杜佑:経略[経略-①はかり治めること。国家を経営統治すること。②天下を経営し、四方を攻めとること。]なり。

○張預:賢に能く委任す。

『五に曰く法』
孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:杜佑:孫子十家註○杜佑:制作[制作-定めつくること。かんがえ定めること。]なり。

孫子の兵法:一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法:一曰道、二曰天、三曰地、四曰将、五曰法:杜牧:孫子十家註○杜牧:此の五事を謂うなり。

○王晳:此の経の五事なり。夫れ兵を用いるの道は人の和を本と為す。天の時は地利を與る。即ち其の助けなり。三者具われば然る後兵を挙げることを議る。兵挙がれば必ず須らく将を能くすべし。将能くすれば然る後法修むる。孫子の次の所とは此れを之謂うなり。[「…とは、これをこれいふなり」…というのは、つまりこのことをいうのである、の意。]

○張預:節制[節制-規律正しく、行動に節度があること。放縦に流れないように欲望を理性によって統御すること。]・厳明[厳明-きびしくて道理に明らかなこと]なり。夫れ将、法と與に五事の末に在るは、凡そ兵を挙げ罪を伐つなればなり。廟堂の上、先ず恩信の厚薄を察し、後に天の時の逆順を度り、次に地形の険易を審らかにし、三者已に孰し、然る後に将を命じて之を征し兵既に境を出づる。則ち法令一なれば将に従う。此れ其の次序なり。


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○ほとんどの孫子注釈書:五つの基本事項の第一は道、第二は天、第三は地、第四は将、第五は法である。

○学習研究社孫子:第一の観点は、君主が道を体得しているかどうかということである。第二の観点は、天、つまり、気候条件や季節の変化が行動に有利かどうかということである。第三の観点は、地の利はどうかということである。第四の観点は、指揮官が優秀であるかどうかということである。第五の観点は、法令が整備されているかどうかということである。

○フランシス・ワン孫子:その要因の第一は主権者と国民の関係であり、第二は天候・気候条件、第三は地理的条件、第四は将帥の能力、第五は軍事制度(体系)である。

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孫子 兵法 大研究!

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『故に之れを経するに五を以てし、之れを効すに計を以てし、以て其の情を索む。』:本文注釈

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現行孫子は「故に之れを経するに五事を以てし、之れを校ぶるに計を以てして、(而)其の情を索む」につくる。桜田本のみ「計」を「七計」につくる。「校之以計、而索其情」の句は、前文と後文の繫がりがおかしくなることや、後にまたこの句が出てくることから衍文説、錯簡説、錯簡衍文説がある。

経-①織物のたていと。②たて。南北の方向。③すじ。すじみち。④(すじが通って)変わらない。一定。つね。⑤儒教・仏教などの不変の道理(を説いた書物)。⑥すじみちをつける。治める。管理する。⑦ヘる。そこを通り過ぎる。時間がたつ。⑧首をくくる。【解字】形声。右半部「」は音符で、織機の台の上に糸を縦にまっすぐに張ったわくを置いた形を描いたもの。「糸」を加えて、織物のたて糸の意。 

経を「はかる」と読む場合、「経度-はかる(度-長さをはかる【解字】形声。音符「庶」(=尺)の略形+「又」(=手)。尺とり虫のように人の手尺で一つ二つとわたして長さをはかる意。)」の意味となる。「おさめる、おさむる」と読む場合、すじみちをつける。治める。管理するの意となる。「けい」と読む場合、経の字の意味の一つ「織物の縦糸」から考えられたもので、「常、常法または箇条目録、大綱」などの意となる。

效-はたらきかける。力をいたす。ききめをあらわす。【解字】形声。「攵」(=むちでうつ)+音符「交」(=知識をさずける)。むちうってならわせる、ならう意。転じて、その結果、ききめの意。「効」は俗字。

校-①(地方の)教育機関。まなびや。②くらべる。考え合わせる。③陣営で将軍の居所にめぐらした木の垣根。転じて、指揮官。【解字】形声。「木」+音符「交」(=まじわる)。木材を交差させた垣根、また、知識の授受が交差して行われる建物の意。

計-①数をかぞえる。数量をはかる(道具)。はかり。②総数。しめて。③みつもる。くわだてる。はかりごと。(限定の意を表す助詞「ばかり」にも当てる。)【解字】会意。「言」+「十」(=集約する)。口でよみあげた数(=言)を集約する意。

索-(糸をたぐるように)手づるを求めてさがす。【解字】会意。「糸」+「?」(=麻の茎から繊維をはぎとる)。一本ずつ離れた繊維の意。転じて、ひも・つなの意。

「経」は経緯、経紀の意で、「秩序立てて統べ治め整える」の意味と、「経度」の意で「はかる」の意味と合わせて理解したほうがよい。「効」は効果、効力の「効」で、「効果的なものとする」の意。この文を意訳すると、「それゆえ、五つの事で自分の陣営側の軍事を治め、敵味方の五つの要素をはかることで、軍事を効果的なものとし勝つための結果をだすには、敵味方のあらゆる情報を集計し、廟算をすることにより、現在の彼我の実情を求めるのである」、となる。また後文で、計算の対象として「七計」を孫子は列挙しているが、孫子はそもそも七つの計と最初に断ってはおらず、「計」としか言っていない(桜田本では「七計」とあるがよくない。)。それゆえ、「七計」は「計」の一例として捉え、それ以外のあらゆることも「計」の対象となりうる、というように解釈すべきである。

『効』は「いたす」と読み、「正しい結果を得る」の意となる。今文孫子の『校』の字の「比較・検討する」の意味とは異なるものである。「七計」の内容が、敵味方の状況の比較検討になっているため、後世の者が文の意をわかりやすくするために改めたものであろう。
言うまでもなく「戦争」の目的は自国にとってよい結果を出すことである。そしてそのために計算をするわけである。比較検討するための計算は、勝算を得るまでの過程である。この点に、竹簡孫子と今文孫子には雲泥の差がある。孫子の本意は『勝利という結果を出すために、計算を以て、戦争における彼我の情実を求める』ということである。よって、今文孫子の『校』の字よりも、はるかに『効』の字のほうが文意として適切であることがわかることと思う。

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○天野孫子:①故-前文と何かの関係があって、それによって後文を引きだす場合に用いる接続詞。一般に前文が原因・理由を示し、後文がその結果・帰結を示す場合が多いが、その他、後文が前文を要約したり、前文から結語を引き出す場合、前文と同意のことを換言して具体的に述べたり、抽象的に論じたり、比喩したりする場合もある。「孫子」の本文には「故」の字がかなり使用され、多くの場合、前文と後文との間に密接な関係がなく、前文中の些細な事に関連して後文が延べられることがある。②経之以五事-「経」はおさめる。「之」は兵を受ける。「詳解」は「之の字は兵を指す」と。ただこの場合「兵」は軍事の意となる。「五事」とは後文に見える道・天・地・将・法。「経之」とは、軍事をでおさめるというから、軍備をなすの意。従って「五事」は軍備の基本的なもの。この句について諸説がある。③校之以計而索其情-「校」はくらべる。「之」は前の五事を受ける。「計」は計算する。…七計とは後文に見える天地法令兵衆士卒賞罰を言う。…「索」は探し求める。「其情」は後文によって知るように、彼我両国の実情。

○金谷孫子:以計-桜田本では「計」の上に「七」の字がある。なお「通典」巻百四十八では、ここの二句を「故経之以五校之計、」と一句にし、岱南閣十家注本(以下岱南閣本という。)はそれを取るがよくない。

○大橋・武岡孫子:経-糸をはって測量すること、調査。 情-実情を確かめる、状況判断。

○武岡孫子:校ぶる-比較検討。

○佐野孫子:【校勘】故経之以五-「十一家註本」、「武経本」には、「五」の字の下に「事」の字があるが、これは後の註者が「七計」と対称させるために補ったものと考えられる。(「桜田本」では「計」の上に「七」の字がある)。前後の文意を通観すると、この「五」は、五つの基本的要素ともいうべきものであるため、「事」の字を補わぬほうが適当である。 【語釈】故経之以五-「経とは経度なり」(杜牧)で、度るの意。戦争に当たっては、先ず彼我の総合戦力の優劣、延いては戦争の帰趨を予測するために、その基本的要素とも言うべき、五つの比較項目を彼我相方に適用し、これを比較考慮することを言う。 校之以計-「校とは校量なり」で、比較・校べるの意。「計」とは、ここでは「計らう(処理、方法)」の意で、五事(彼我の優劣・特質、延いては戦争の性格)をより精察するために、更に具体的且つ明確な比較・計量する方法(七つの比較ポイント、即ち七計)を用い、一つ一つ判定を下していくことを言う。<第四篇 形>に曰く「勝兵はまず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵はまず戦いて而る後に勝を求む」と。

○田所孫子:経之以五事の経とは織物の縦糸の意で、始めから終りまで常に重要なものであるとの意であり、之とは戦争のことであるから、故に戦争をするのには、次の五事を重要なこととして常に守らなければならぬとの意。

○著者不明孫子:経之以五-五事(五つの事項。下文二に具体的に説明がある)について考慮する。「経」は度(はかる)の意(杜牧の説)。経紀・経緯(順序立てる意)と解する説もある(梅堯臣や王晳など)が分かりにくい。 校之以計-七計(下文三に具体的に説明がある)について比較する。「校」は比べる。「計」は計算・勘定。 索其情-「索」は求と同じ意。「情」は感情ではなく、実情・実態。ここでは双方の戦力の実情。

○フランシス・ワン孫子:「経とは経度なり」(杜牧)で、度るの意。「校とは校量なり」で、比較・校べるの意。五事・七計によって戦争の本質(根本的な性格と実態、クラウゼヴィッツのいわゆる戦争の性格と輪郭)を把握するのである。

○佐藤孫子:五事の説明にあたって、先決条件となるのは、「経之」の意味である。王晳の「経は常也。…兵之大経は道天地将法より出でざる耳[ここでいう耳は語勢を強める意。]。」は、最も正鵠を得ている。王晳は「之」を「兵」すなわち「戦争」とし、五事をもって戦争の大経すなわち常法としたのである。山鹿素行の見方も、これと同様であって、後にあらわれる「権」すなわち変法と対比している。…これを要するに、五事は孫子兵法の常経であり、正法である。戦争の勝敗を決する鍵は、結局そこにある。だから、孫子は「経之」といっているわけである。これこそ平時においてなすべき軍備の最重要事であって、「知己」の極致である。孫子がいかに五事の重要性を強調していたかは、「凡そ此の五者は将聞かざること莫し。之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。」と断じたのに徴してあきらかである。

○学習研究社孫子:経る-調べる。

○孫子新釈:「経」は縦糸といふ意味より転じて、「終始一貫の大綱」といふ意。ここは動詞に用ひられてゐるから、「国家の大綱を定めるには」の意。「之」は、文章の調子の為に附ける意味の助字であるから強ひて訳するに及ばない。然し強ひて之を言へば、文法上では上の「兵」を受けるのであるが、前後の関係で、意味の上から察すると、寧ろ上の「国」を受けると言ったほうがよい。国家を経営する上の大綱を定めるのである。

○孫子諺義:是より始計を論ずる也。故とは、上をうけて下を云ふの言也。経とは経緯の経の字の心あり。又経権の字の心あり。故に常なりと註す。両義ともに用いてよし。いふ心は、五事を以て兵法のたてと致し、これを常法と致すの心也。校は較と同じ、彼此を相たくらべて有余不足を考へ、勝負の実をしる也。索其情の三字、経之以五事、校之以計の九字へかかりたる言也。此の如くして其の実をしると云ふの心也。情はまこと也、此の五事七計にてつまびらかにただし考ふれば、まことの勝敗あらはるる也。然らずして当座の事にて勝敗あるは、実と云ふべからざる也。索は曲求むる也、捜也、手にて物をさぐり求むる也。大方目に見えずして手にものをさぐると云ふに此の字を用ふ、摸索の心也。しかれば、いまだ戦をば成さずと云へども、此の如く詳に考ふるときは、戦を作さず其の事を見ずして、而其のまことのをさぐり知ると云ふの心也。廟堂之上に修めて、千里之外に折衝す。又勝を制するは兩楹(堂上の二本の柱即ち廟堂を云ふ)に在りと云ふ、これ也。此の一篇五事をば直に五事と云ひて、七計をば計とばかりいへり。後世七段あるによって、後人是を七計と云へり。孫子が心は五事は定りて一二三四五と相次第して五つの品なり。計は必ずこれに限らず。此の如く我と彼とをはかるべしと云ふの心にて、計とばかりかけり。…。

○森山定志「孫子管窺」:五事を以て常に内を治む。

○桜田景迪「孫子略解」:経之以五事とは軍をなす上の常法定規とするに五箇条の事を目算(めやす)に立ておく事を云ふ。…七計は五事を以て彼我を計る事なれども、それを詳しく七通りにして、かけくらべる故七計と云ふ。其七箇条の事は下にみえたり。さて五事は彼我の勝負を廟堂の上にかけくらべる時の目算の名なり。七計は算木にて彼我をかけ合せて算木の多少をはかるを云ふ。

○孫子国字解:此段は上の文に不可不察と云へるによりて、その察し様を云へり。故とは上の文を承る詞なり。上の文に云たる如くのわけゆへにと云意なり。経はつねとも讀む機のたて絲のことなり。機の横絲は左右へ移り動けども、たて絲は一定して動かず、絹布の骨になる物なり。このゆへに経之以五事と云は、軍の勝負を察し考る上には五つの事を以て、一定したる箇條目録にして、是にて察し考ると云こと也。この経の字を直解には常と訓するに泥みて、主将たる人の常常守りて軍の本とすることと云へり。道理はさることなれども始計一篇の文勢に暗きなり。一篇に、主意は、この五つに叶ひたる人は勝ち、叶はぬ人は負ると云ふ目録に挙たるなり。扨この五つに叶ひたる人は軍にも勝つなれば、主将たる人のつねづね守るべきことと云ふわけは、おのづから見ゆるを、其意にて経の字の義を説くはあしきなり。又武経大全には経理なりと注してをさむる意にし、黄獻臣は経緯の意と見たるは、何れも的切の注にあらず。用べからず。扨その五事は次の段にあるなり。校とは敵と味方と何れかまさる何れか劣ると、くらべ見ることなり。計とは目算なり。其情とは敵味方の軍情なり。軍情と云は軍に勝べき所、まくべき所の外に見ゆるを軍形と云、形はかたちと讀みて外に見ゆる意なり。勝べきわけ負べきわけの、内にかくれて外へ見えぬ所をさして軍情と云なり。軍理などとも云ふべけれとも、理と云へば理窟になるなり。理はなるほど聞えても合はぬことあるものなり。情は情実とて実に手に取たる如くたしかなる所を云、又人の腹中へたち入て其人情を知る程ならねばならぬわけゆへ、軍情と云ふ詞あるなり。扨この一段の意は、上文にある如く、軍は其家の大事にて多くの人の生死家の存亡のかかる所なれば、勝負の境を察し考へずして叶はぬわけゆへに、其察し考る仕様は次の段にある五事を箇條目録にして、我目算を以て敵味方をはかりくらべて、敵味方何れか勝べき何れか負べきと云ふ軍情を尋ねもとむべきことなりと云ふ意なり。尋ね覔ると云は、失ひて叶はぬ物を失ひて一大事と尋ね覔る如く、此軍情を尋ね覔めて必ず得べきことなり。

○吉田松陰「孫子評註」:「故に之れ(戦争を検討するときの根本的要件として次の五事を考察するの意。)を經するに五事を以てし、」-是れ計の本なり、計には非ず。  
「之れを校するに計を以てし、而して其の情(敵味方いずれが勝ちいずれが負けるかという軍情をたずねもとめる。)を索む。」-便に隨ひて先づ此の句を挟みて下段の張本(後述する文のもととなる事柄。)と為す。計(後出の主・将・天地・法令・兵衆・士卒・賞罰の七計をさす。前の「之れを經するに五事を以てし」の形にならって「之れを校するに七計を以てし」としなかったのを「文も又変化あり」と評したのである。)に七と言はずして而して其の情を索むの四字を加ふ。文も亦變化あり。

○賈林:彼我の計謀を校量し、両軍の情実を捜索すれば則長短知る可くして勝負見れ易し。

○張預:経は経緯[経緯-秩序を立てて治めととのえること。]なり。上は先ず五事の次序[次序-順序づけること。]を経緯し、下は乃ち五事を用い、以て彼我の優劣を校計し勝負の情状を探索す。

○曹公:下の五事、彼我の情を謂う。

○杜牧:経とは経度なり。五とは即ち下の所謂五事なり。校とは校量なり。計とは即ち篇首の計算なり。索とは捜索なり。情とは彼我の情なり。此の言、先ず須らく(須らく~すべし。「…することが大切である。」)五事の優劣を経度し(経度ははかる。)、次に復計算の得失を校量すべし。然る後始めて彼我勝負の情状を捜索す可し。

○王晳:経は常なり。又経緯なり。計とは下の七計を謂う。索は盡く[みなのこらず、すべて、全部。ここでは、索(求)めるものは彼我の実情のすべてである、の意。]なり。兵の大経は道・天・地・将・法より出でざるのみ[のみは語勢を強める意。ここでは出ることは絶対ない、の意。]。就而、之を校べ七計を以て然る後に能く彼己の勝負の情状を盡(尽)くす。[尽くす-ありったけを出し切るの意。ここでは勝負の行く末の予想をことごとくおこなっていくの意。]

○李筌:下の五事を謂うなり。校量なり。計は遠近を量りて、物情を求め、以て敵に應ず。

○梅堯臣:五事を経紀[経紀-のり。みち。綱紀。また、のりを定め法を立てること。ここでは統べ治めるの意。]し、利を計りて校定す[校定-書物の字句などを比較して定めること。ここでは彼我の実情を比較し断定することの意。]


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○浅野孫子:そこで、死生の地や存亡の道を事前に謀り考えるために、五つの基本事項を適用し、さらに死生の地や存亡の道を明確に策定するため、彼我の優劣を具体的に計量する基準を当てはめる方法によって、双方の実情を探るのである。

○金谷孫子:それゆえ、五つの事がらではかり考え、(七つの)目算で比べあわせて、その場の実情を求めるのである。

○大橋孫子:すなわち五つの条件ではかり、七つの条件で比較検討して、状況を判断する。

○武岡孫子:それには彼我の五つの根本要素に照らして、戦争の利害得失を判断し、後に列挙する七項目で現状を比較検討せよ。そうすればその戦争の本質を理解することができる。

○守屋孫子:それには、まず五つの基本問題をもって戦力を検討し、ついで、七つの基本条件をあてはめて彼我の優劣を判断する。

○天野孫子:そこで平生軍備をなすのに次の五つの事を基本としている。そしていよいよ彼我両国の軍備を比較する時には、その優劣の数を計算して、彼我両国の実情を求め知るのである。

○重沢孫子:まず五つの事項を軸に問題を整理し、さらに(七つの)計を尺度にして、勝敗を左右する双方の実情を探求します。

○学習研究社孫子:そこで、五つの観点から調査を行い、それらについての敵と我との比較によって力量の程度を量り、敵と我との実情を割りだすのである。

○フランシス・ワン孫子:彼我の五つの根本要素に照らして、戦争の価値判断(損得判断)をなし、後に列記する彼我の七つの要素を比較せよ。そうすれば、その戦争の本質(根本的な性格と実態)が理解できるであろう。

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2012-01-25 (水) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり。』:本文注釈

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「死生の地」は、戦争により兵士の生き死にが決まる場の事を言っている。「存亡の道」は、在るか亡いかであるから、国家のことを言っている。「察せざるべからざる也」は、孫子のお決まりのフレーズで、何回も使いまわされている言葉であり、孫子の口癖ではないかとも言われている。「察せざるべからず」は、深く知らないということがあってはならない、という意味だから、これを知らなければ話しにもならない、ということであろう。「兵は国の大事なり。死生の地・存亡の道」の文は、それだけ特に孫子が強調したい言葉であったことがわかる。恐らく、当時戦争を起す際、勝つための算を充分に立てるというようなことはあまり行われず、一時の流れや、君主の怒りの感情によって突発的に戦争を起すことが、常態化していたのではないだろうか。もちろん、一方ではきちんと勝算を立ててから戦争を起す君主もいたであろうが、この文は明らかに、これから君主になるであろう呉王闔閭に向けたもので、「戦争は民(兵士)の生死・国家の存亡に関わるものであるから、決して軽々しく起すものではなく、又勝算を得ることなく、勝つための方法を知らずして戦争を起してはならない」と、強く注意を促した言葉であろう。逆に、闔閭がこの言葉を軽んじていたならば、孫武は呉を去っていたであろうから、孫武が呉に残り将軍となったということは、闔閭は孫武のこの意見を呑んだということであろう。そればかりか、全面的に信頼しなければ将軍とはなれなかったはずであるから、孫武の仕官の計は大成功を収めた、ということであろう。これは、呉王闔閭がどういう人物であったかを事前に調査していなければできないことであろうから、何らかの協力者がいたに違いない。
孫武が呉王闔閭に初会見したときの宮廷の女達を兵士に見立てたときのエピソードは有名なものであるが、何と言ってもクライマックスは、呉王の寵姫二名を斬った場面であろう。呉王が斬らないでくれといっているのに、王命に逆らって、しかも呉王の寵姫を斬るということは、仕官前の者という立場などを考えても、常人ではできぬことである。それだけ軍の規律というものは絶対であるということを、呉王にも他の周りの者たちにも知らしめたかったということであろうが、この時の呉王の様子と、孫武のセリフを『史記』から読み取り、推測してみると、呉王は軍の規律がどれだけ重要であるかはわかっていたようであるが、本当に寵姫を斬られるとは思っていなかったため、深く落ち込んでいたようである。そして、その後孫武が「王様は兵法はお好きのようだが、上っ面だけのようだな」、と呉王をバカにしたようなことを言っているが、これは大変危険な事である。結果としては、呉王はこの言も許容し、孫武を将軍に任命したわけである。闔閭は、この孫武の挑発ともいえる発言も、寵姫二人を斬られたことも許したわけであるが、これは呉を一大強国にしたいという大きな理想があったからのことであろう。この行動や発言から見るに、孫武は異端の人のようにみえなくもない。時代が戦争に明け暮れていることが常態化した異常な狂った世の中であるから、これを治めるには常軌を逸した人物でなければ治まらないと、呉王闔閭は考えたに違いない。部下として見たとき、孫武はある意味呉王闔閭の理想の人物であったことだろう。
その後の孫武のことを考えれば、この仕官時の孫武の言動は、すべて計算づくのことであったであろうことが窺われる。というのは、孫武は『李衛公問対』によると、張良・范蠡と同じく、後に国の要職から、すんなりと静かに引退したことが知られている。名誉も地位も平気でドブに捨てれるような智者でなければ、こうはできない。余談であるが、孫武が呉を去った理由を考えてみよう。闔閭の死後、息子の夫差が王となったが、夫差はご存知越の王、勾践と共に「臥薪嘗胆」の故事で知られ、後に覇王となる人物である。その部下であり、闔閭の時代では孫武と共に重臣であった伍子胥がいるが、伍子胥は最初夫差のもとで大きく取り立てられていたが、最後は夫差に誅殺されてしまうことになる。このことからもわかるように、孫武は夫差の性格を、あらかじめ間諜の報告やまわりの評判、直に対面したときの様子・印象からもある程度(というか相当)把握していたはずであるから、夫差が王となる時、自分の行く末についても予想できたはずである。つまり、私の予想では、闔閭が死に、夫差が王となると決まった時に、新しく王に決まった夫差に対して失礼とならないよう、老齢を理由に国政から外してもらう、又は病を装うなどの、呉から出る策を考案済みだったに違いない。又々私の予想だが、恐らく孫武が呉を出る際、夫差や周りの者には故郷に帰ると告げたにちがいあるまい。それは呉ではないことは確かである(孫武は夫差は呉の国を滅ぼすと思っていたに違いないから)。ではどこかというと、それは「斉」である。『史記』をみると、孫武の出身地は「斉」であるといっていることから(呉越春秋では「呉」の人となっているから本当はどちらかわからないが)おそらくそうであろう。だが、本当に孫武一向が斉に向かったかどうかは分からないが、「斉」に向かうと周りの者に告げたことは間違いないと思う。その際、孫武は夫差に、自分は無価値な人間であることをアピールしなければ、出向かう先の斉をいずれ強国にしてしまう可能性があるとして、夫差に殺されてしまう可能性があることも考えたに違いない。
そして、このための用心も当然したことであろうと思われる。又、一方で夫差に対して自分は信頼のおける人物であるということもアピールしたであろうと考えられる。なにしろ孫武は、父闔閭の時代の重臣であり、名将の名をほしいままにした者である。夫差は当然このことを知っていたから、自分に対して実力者である孫武が盾突かないかどうかというのは、孫武を免職し、出国を許す際の重要なポイントとなったにちがいない。そして、孫武は夫差の信頼を勝ち得、次代の人間として夫差にとっては必要ない人物であると判断されたことで、孫武は命を長らえたということであろうと思う。このように推測されることから、やはり孫武は並々ならぬ智謀の人であったということが言えるであろう。

死生-し‐せい【死生】死と生。いきしに。しょうじ。 し‐しょう【死生】‥シヤウ 死と生。生死。しせい。

存亡-そん‐ぼう【存亡】‥バウ 存在することと滅亡すること。のこるかほろびるか。

察-①あきらかに(する)。くわしく知る。細かにしらべる。②おしはかる。思いやる。【解字】形声。「宀」(=いえ)+音符「祭」(=神に供える肉を十分に清める)。家の中を十分に清める意。転じて、曇りなく清らか、はっきりする、の意。


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孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:佐野寿龍○佐野寿龍「戦わずして勝つ 孫子兵法 その科学的体系と思想を講む」:不可不察也-「察」は研究。ここでは「真摯(まじめでひたむきなこと)に考察しなければならない」の意。

○著者不明孫子:「死生之地」-人々の生死が決定する場。 「存亡之道」-国家の存続または滅亡に通ずる道。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:金谷治○金谷孫子:察也-桜田本では「察焉」。[この「焉」は語勢を強めるもので読まない。]

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:天野鎮雄○天野孫子:「地」は草木発生の地で、ここでは死生を生ぜしめる地の意。「道」はここでは存への道を亡への道とのわかれ道の意。この句は兵を地・道に即して比喩したもので、戦争は死生・存亡を左右するの意。死生は国民について、存亡は国家について言う。…「地」「道」については諸説ある。「察」はあきらかにする、つまびらかに知る。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:田所義行○田所孫子:死生之地とは、人間が生きるか死ぬかの境地との意。存亡之道とは、一国の亡びるか栄えるかの分れ道との意。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:死生之地と云は、地は場所なり。軍は場所を大切なりとす。死する場あり生る場あるゆへ死生の地と云なり。存亡之道とは存は家のたつことなり。亡はほろぶるなり。道とは軍に勝て家のたつ道と負て家の亡る道とあることを云なり。不可不察也とは明かに察し知らずしてはならぬ事なりと云意なり。されば死生之地存亡之道不可不察也とは、兵は国の大事にて多くの人の生死も家の存亡も軍の勝負によることなれば、かやうなるを軍に勝て生べき地とし、かやうなるを軍に負けて死すべき地とす。かやうにするは軍にかちて家の存する道なり。かやうにするは軍にまけて家の亡る道なりと云ことを察し知らずして叶はぬことなりと云意なり。かやうに説出して勝負の知りやうを下の文に説きたるなり。…。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:死生之地、存亡之道とは、兵の用法当たらざれば、人民これに死し、ついで其の国亡ぶ。用法その理にあたるときは、人民命を全くして国興る。これ兵の大事なるゆゑなり。死生には地と云ひ、存亡には道と云ふ。地はところと云ふの儀なり。死生する處と云ふ心と見る可し。道は存亡のよる處と云ふ心也。地の字、道の字、深く心をつくるところにあらず。諸説多しといへども、甚だ鑿して之を用ひざるなり。…察はふかく考ふる心也。孫子の内處々に察の字あり、心をつけて其の内外始終をよく考ふるを察と云ふ也。視観察(事物を精詳に視観察するを云ふ)の察の字の心也。…今案ずるに、死生之地を存亡之道の先にいへることは、兵事は戦也。戦は民人士卒の生死よりおこりて、つひには国家存亡のもとたり。これ自然に先後あるゆゑんなり。凡そ文道は祀を大事とし、武義は兵事を大事とす。武文と相対すること、地の天に対し陰の陽に対するがごとし。文にくらぶれば武はたけくいさみて、物をそこなふ處あり。このゆゑに老子云はく、兵は凶器也と。荘子云はく、末徳也と。范蠡云はく、勇は逆徳也、争は事之末也と。孔明は云はく、兵は凶器、将は凶任也といへり。しかれども、一日も武を忘るれば忽ち其の患有り。春夏に秋冬の相つくがごとし。天地の理皆此の如し。武義の品(種類)兵事を用ふるを以て大事とす。兵を用ふることは已むを得ざるのことわりより出でたり。三略に云はく、聖人(王)之兵を用ふること之れを樂むに非ず(也)。将に以て暴を誅し亂を討たんとする也。夫れ兵は不祥之器なり。天道之れを惡む。已むを得ずして之れを用ふと。是れ天道といへり。然れば兵を大事也と論ずること尤もそのゆゑあり。後世の学者古来聖賢の道を詳らかにせずして、兵法を疎にする事、甚だあやまれり。

○平山兵原「孫子折衷」:今、兵師を以て国政中の最大事と為すは何ぞや。蓋し民の死生、国の存亡、皆兵に之れ由るを以ての故なり。

○劉寅「七書直解」:死生は戦陳を以て言ふ。故に地と曰ひ、存亡は得失を以て言ふ。故に道と曰ふと。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:太公望呂尚:六韜○六韜:太公曰く、兵者国之大事、存亡之道なり、命は将に在りと、孫子は此の段之語意を力むる也。

○鄭友賢「孫子遺説」:或ひと問ふ、死生之地は、何を以て存亡之道に先なるか。曰はく武(孫武子)の意は兵事之大は将其の人を得るに在り、将能ならば則兵勝ちて生く、兵外に生くれば則国内に存す、将不能なれば則兵敗れて死す、兵外に死すれば則国内に亡ぶ、是れ外之生死は内之存亡に繫るを以て也。是の故に兵長平(戦国時代趙の邑(くに、むら)なり。秦の白起大いに趙括の軍を敗り降卒四十萬人を坑にせし處なり。)に敗れて趙亡び、師遼水(隋の煬帝高麗を攻む。遼河に於て大敗す。隋の衰運はこれより始まると云ふなり)に喪ひて隋滅ぶ。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:太公望呂尚:六韜○六韜:太公曰く、知略大謀無く彊勇輕戦せば、軍を敗り、衆を散じ以て社稷(昔の中国で、建国のとき、天子・諸侯が壇を設けて祭った土地の神(社)と五穀の神(稷)。国家。朝廷。)を危くす。王者慎みて将為ら使むる勿れ。此れ其の先後之次也。故に曰く、兵を知る之将は生民之司命、国家安危之主也と。

○宋の施子美「七書講義」:兵に勝負あれば則民に死生あり、兵に当否あれば則国に存亡あり。死生は民に係る。故に地を以て言ふ。存亡は国に係る。故に道を以て言ふ。

○張預:民の死生、此に兆せば、則国の存亡彼に見はる。然れども死生に地と曰ひ、存亡に道と曰ふは、死生は勝負の地に在りて、存亡は得失の道に繫るを以てなり。重ねて愼みて審らかに察せざるを得んや。[重ねて慎みて審らかに察しないでいられようか、察せざるにいられるわけはない。]

○李筌:兵は凶器なり。死生・存亡は此に繫がるなり。是を以て之れ重し。人軽く行うことを恐るる也。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:杜牧:孫子十家註○杜牧:国之存亡は人之死生は皆兵に由る。故に須からく審らかに察すべし(審らかに察することが大切である(必要である))

○賈林:地も猶所なり。亦師が陣し、旅が振う戦陳の地を謂う。其の利を得れば則生き、其の便を失わば則死す。故に死生之地と曰う。道とは、權機に立ちて勝の道なり[権→支配する力。物事を処置する威力]。之を得れば則存す。之を失わば則亡ぶ。故に察せざるべからざるなり。書に曰く、存する道有りとは、輔[力を添えてたすける。解字:形声。「車」+音符「甫」(=ぴったりくっつく)。車を補強するそえ木の意。]にして之を固め、亡ぶ道有りとは推[解字形声。「手」+音符「隹」(=ずしりと重みをかける)。圧力を加えておし出す意。]して之を亡ぼす。

孫子の兵法:死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり:死生之地、存亡之道、不可不察也:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅聖兪:地は死生の勢有り。戦は存亡の道有り。

○王晳:兵擧がれば則死生存亡之に繫がる。


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○金谷孫子:(国民の)死活がきまるところで、(国家の)存亡のわかれ道であるから、よくよく熟慮せねばならぬ。

○天野孫子:国民の生死を決めるものであり、国家の存亡を左右するものである。この事は慎重に考察しなければならない。

○浅野孫子:軍の死生を分ける戦場や、国家の存亡を分ける進路の選択は、慎重に明察しなければならない。

○フランシス・ワン孫子:戦争は、国民にとって生死が決せられる所であり、国家にとっては、存続するか滅亡するかの岐れ道である。我々は徹底的に研究する必要がある。

○守屋孫子:国民の生死、国家の存亡がかかっている。それゆえ、細心な検討を加えなければならない。

○大橋孫子:国の死活に関し、国家の存亡に関する。よくよく考えねばならない。

○重沢孫子:個個の人間にとっては、それが死か生かの分れる場であり、国にとっては、存立か滅亡かの分れる道程といえるからに外なりません。これほど深刻で決定的な重みをもつ以上、戦争は人間としても国家としても、軽軽しく踏みこむべき性質のものではない。国をあげての頭脳を動員した上で、あらゆる主観的・客観的条件を、洗いざらい慎重に検討する作業からまず着手しなければならない。

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