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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒2013年03月
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2013-03-31 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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篇名:『謀攻』:本文注釈

謀-①問いはかる。人に相談して計画を立てる。たくらむ。はかりごと。②あれこれと思いはかる。よく考える。【解字】形声。「言」+音符「某」(=よく分からない)。分からぬ将来について相談してさぐり求める意。

攻-①兵を出して敵をうつ。相手の欠点を突いてとがめる。せめる。②玉や金属を磨いて加工する。転じて、知徳を磨く。研究する。おさめる。【解字】形声。音符「工」(=上下の面に穴を突き通す)+「攵」(=動詞の記号)。突っこむ、相手をせめる意。





孫子の兵法:謀攻篇:金谷治○金谷孫子:※桜田本は「攻篇第三」。武経本・平津本は「謀攻第三」。 一 謀りごとによって攻めること、すなわち戦わずして勝つの要道をいう。

孫子の兵法:謀攻篇:浅野裕一○浅野孫子:実際の戦闘によらず、計謀によって敵を攻略すべきことを述べる。『武経七書』本や平津館本の篇名は「謀攻第三」、十一家注本は「謀攻」である。竹簡本では篇名を記した竹簡が発見されていないが、やはり十一家注本と同じく「謀攻」であったと思われる。

孫子の兵法:謀攻篇:町田三郎○町田孫子:自国の保全を大前提として、そこから戦わずして勝つ方法、すなわち謀で攻むべきことについて説く。篇名を「攻」とするものもある。

孫子の兵法:謀攻篇:天野鎮雄○天野孫子:本篇は、戦争または局地的戦闘において、自国の軍隊に何の損傷をも来たさないことが最上の策であって、そのために取るべき方法のあることを論じたものである。戦争または戦闘において、自国の軍隊に損傷を来たせば来たすほどその取る方法は下策であるから、損傷を来たさないために取るべき戦術は、まず第一に戦う前に敵のはかりごとを察知して、これが実現する前に挫折させることである。もしそれが不可能であれば、次に敵への救援などを断ち切って敵を孤立無援にさせることである。もしそれも不可能であるならば、敵と対等の条件の下に交戦することである。最もまずい戦術は敵に城を攻めることである。本篇は兵をもって敵を攻めるのではなく、計謀(はかりごと)をもって敵を攻める方法を最上とするという意味で、謀攻を篇名としたものである。『古文』は攻篇に作る。

孫子の兵法:謀攻篇:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:前言 一、「謀攻」とは、攻むるを謀る若しくは謀を用いて攻むるの意であり、仏訳は端的に「攻勢戦略」と解し、曹操は「敵を攻めんと欲すれば、必ずまず謀る(謀を先にす)」と。本篇は、前篇の戦争(作戦)計画について、さらに、天下の覇者を志す呉王がとる攻勢戦略の見地から、次の如く論述するものである。即ち、覇者たらんとして戦争を用うる者の主眼は「久しきを貴ばず」・「敵に勝ちて強を益す」ことにあって、徒らに敵兵を殺傷し或いは敵国を破壊することではない。要は、「必ずや全きを以て天下を争う」(十一項)ことにある。従って、その攻勢戦略は、力戦によって敵を打倒するのではなく、「謀攻」によって、「人の兵を屈するも戦うには非るなり。人の城を抜くも攻むるには非るなり。人の国を毀(こぼ)つも久しきには非るなり」(十項)の状勢を実現することを以て理想とする、と。而して、そのための作戦・用兵の根本は彼我の状況を適時適確に把握していることにあるとして、有名な「彼を知り己を知らば、百戦殆うからず」を以て結言とするのである。なお、本篇は、古くは「攻篇」となっている。
 一、本篇はまた、以上と関連して次のことを強調するものである。即ち、謀攻を以て本質とする攻勢戦略・軍事力行使の成功のためには、作戦には兵力と状況に応じた用兵原則と勝を知る五つの道(要訣)があることを知る者でなければならない。もし、この事を理解しえずして、将軍から指揮の自由を奪い或いは拘束するようなことをすれば、たとえすぐれた謀攻であっても、それは絵空事に終るであろう、と。
 一、なお、前篇でも注意を促した所であるが、今や弱者(被侵略者)の立場に立つに至った我国にとっては、本篇は、強国(侵略者)が我国に対して行う謀攻の本質を教うるものとして理解すべきである。

孫子の兵法:謀攻篇:大橋武夫○大橋孫子:謀攻-はかりごとをもって敵を攻める

孫子の兵法:謀攻篇:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:謀攻-はかりごとをもって敵を攻める。または攻めるを謀る。英・仏訳には単に攻勢戦略とするものもある

孫子の兵法:謀攻篇:佐野寿龍○佐野孫子:【通観】 「謀攻」とは、謀(はかりごと)を用いて攻むる若しくは策謀で敵を攻略するの意で、政治・外交的手段はもとよりのこと、謀略(計謀)・調略等を用いて戦わずして敵の意図を封ずる軍事力運用の一形態を言う。ここでは右の定義を受ける形で、まず、戦争に於ける「目的と手段」の体系的構造に言及し、その当然の帰結として「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」を導き出し、そのための具体的手段として、自国の軍事力を裏付けとする「謀攻」の重要性を説くのである(老子曰く「善く士たる者は武ならず。善く戦う者は怒らず。善く敵に勝つ者は与(あらそ)わず」と)。因みに、孫子、マキアヴェッリと共に古今東西における政治・軍事論の嚆矢(こうし)とされるクラウゼウィッツは政治と戦争に於ける「目的と手段」の関係について次のように言う。即ち「政治的意見は目的であり、戦争はそのための手段である(いかなる場合でも、手段は目的を離れては考えることができない)。(斯る前提の上に)戦争とは、敵を屈服させて我が意思を実現しようとするために使われる武力行為(ゲバルト・実力行使)である。敵に我が意思を押しつけることが戦争の目的であり、この目的を達成するための手段として、敵の抵抗力を破砕することが、戦争行為の目標である」と。次に孫子は、(そういう訳であるから)最善の方策は敵国による自国侵攻の意図を逸速く諜知し、謀略を用いてその策謀を未然に打ち破ることであり、次善の策は、調略によって敵陣営を孤立化させ、戦意を喪失させることである。(それでも開戦のやむなきに至った場合)第三の策として敵軍を野戦に誘い込み、策を用いてこれを撃破することが適当であり、攻城戦は下策としてこれを避けるに若(し)くは無しとする。特に孫子はこの攻城戦に於ける「無策な力攻め」を例に挙げ、これを最も愚劣にして無益な戦法と断じている。ところで、謀略(計謀)・調略は言うまでもなく「戦わずして勝つ」の目的に対する一つの手段であるが、この策が効を奏さず、開戦のやむ無きに至ったときは、その目的も「戦わずして勝つ」から「戦って勝つ」に否応なく変わり、その手段も又、それに適合してものとなるのは蓋し当然のことである。孫子は斯る場合、何は扨措(さてお)きまず為すべきことは彼我両軍の兵力比を冷静に算定・評価し、それに応じた基本方針を明確にすることであり、これなくして(敵を謀るための)戦略・戦術は立てられないと言うのである(因みに「戦わずして勝つ」場合の大前提は敵国内部の状況把握にあることは言うまでもない)。尚、この段における兵力比互角の戦法を曰う「敵則能戦之」の句は、次篇<形>の主題として詳説されるものであり、又、「小は大に当ること能わざるなり」を曰う「少則能逃之」及び「不若則能避之」の句は、その故にこそ謂(いわゆる)「弱者の戦法」の理論的根拠を述べる<第六篇 虚実>と密接に関連するのである。次に、孫子は補佐役たる将と君主との関係、及び戦略・戦術の不一致による害を述べ、更に作戦・用兵の根本として「勝ちを知る」ための五条件に言及し、最後に有名な「彼を知り己を知らば、百戦殆(あや)うからず。彼を知らずして己を知らば、一勝一負す。彼を知らず、己を知らざれば、戦う毎に必ず殆うし」を以て結言とするのである。
【校勘】第三篇 謀攻 「十一家註本」の篇名は「謀攻篇」。「武経本」では「謀攻第三」。「桜田本」は「攻篇第三」。「竹簡孫子」では篇名が欠落しているが、他の篇名が「十一家註本」とほぼ一致することから、やはり「謀攻」であったと推定される。ここでは、「竹簡博物館本」に従って「第三篇謀攻」とする。

孫子の兵法:敵の利を取る者は貨なり:取敵之利者貨也:重沢俊郎○重沢孫子:読んで字の如く、謀をもって敵を攻める独自の戦術を論じます。物理的手段よりも智謀的手段を優先させるところに、孫武の兵法の重要な特徴がありました。それなら、勝利を追求することに変りはないにせよ、真の勝利とは何なのか、彼はいかなる勝ち方を求めていたのか、という種類の疑問が、おそかれ早かれ読者の大脳を走るでしょう。この篇で彼はそれに、いとも明快に答えています。読めばすぐわかりますが、言ってしまえば”無疵のままで、そっくり頂戴する”ことです。地上地下を問わず敵の全財産はもちろん、一人の兵士一本の刀も、彼我ともに損しないで勝利する-これを百パーセント実現するには、武器なき戦い以外に方法はありますまい。かくして高度の謀略戦登場という次第。謀略戦成功のためには、相手はもとより自分の実力を正確に知る必要があります。かくして名言登場-知彼知己者、百戦不殆(危)-。

孫子の兵法:謀攻篇:田所義行○田所孫子:○謀攻とは、はかりごとをもって敵を攻めること。

○著者不明孫子:【謀攻】攻(戦争の実行)を謀る。
 【補説】この篇は、「攻」(戦争行動を起こして敵に対する攻撃を行う)につき、その根本問題にまでさかのぼって、いかに考え、いかになすべきかを論じている。戦わずに勝ち、敵味方の一兵も損ぜず、一円の戦費も使わず、敵の国あるいは敵の軍隊をそっくり手つかずの状態で降服させ取ってしまうのが最上の戦いだという。これが孫子の兵法の真髄というべきものであろう。百戦百勝(戦えば必ず勝つ)というのは最善ではない、戦わずに敵を降すのが最善である、と孫子はいう。兵法(用兵の法、戦争の仕方)を説く孫子が、戦わずに敵に勝つこと、戦争なき戦争を主張するのは、一見矛盾するようでもあるが、ともかくこのように戦わずに勝つことを戦争の極意とするところに孫子の戦争観の大きな特色がある。戦争をして敵に勝つためには、敵を殺し、味方を殺し、敵・味方双方の労力と物資を空費し、民衆の生活と国家の経済を破壊する等々のマイナスを必然的に伴うから、上記のような孫子の戦争観は、非常に健全であったということができる。なお、この戦争観は『老子』と関係が深く、「民は不祥の器にして君子の器に非ず。已むを得ずして之を用ふれば、恬澹(てんたん)を上と為す。勝ちて美とせず。而して之を美とする者は、是れ人を殺すを楽しむ。夫れ人を殺すを楽しむ者は、志を天下に得可からず」(第三十一章)、「天かを取るには事無きを以てす。其の事有るに及びては、以て天下を取るに足らず」(第四十八章)などの語が想起される。思想において相通ずる点が多い。

孫子の兵法:謀攻篇:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:謀攻 作戦の次に此の篇を置くことは、所々の戦、かれ不利の後は、かれ必ず城にこもるもの也。我れ又はじめより城をせむることを好む可からず、敵を引出して野合の一戦をいたすべし。しかれども彼れ城の堅きをたのみてこれに楯籠れば、已むを得ずして之れを攻む。是れ乃ち戦の次に攻城を用ふるゆゑ也。其の旨趣前篇此の篇に明著也。凡そ作戦は戦ふことを論じ、謀攻は攻むることを云へり。攻は城を攻め、かたきをやぶるを云ふ。城をせめ堅きをやぶることは、勇将猛士の功名といたすことなれども、孫子が此の篇に云ふ處は全く然らず。謀を好んで鐵城忽ち落ち、堅陣忽ち屈し、力を費さざるごとくいたすにあり。このゆゑに謀の字を上に加へて謀攻と云へり。然れば謀を以てかれを屈せしむること是れ攻の本意にして、力を以てするにあらざること明白也。作戦は士卒の志を振作興起せしめて而る後に戦ひ、謀攻は謀を以て敵を屈し而る後に攻む。實に戦攻の本意也。舊説攻は城攻を云ふにあらず、攻撃の字にして敵をうつの意也。前篇に戦を云ひて未だ攻撃に及ばざるゆゑ、ここに攻撃のことをしるせりと註す。魏武の注之れに從ふ、直解・開宗皆同意也。案ずるに、攻の字は攻堅の字義たり。故に古來皆攻城を攻戦と云ひ、堅陣を攻撃するを攻と云ふ。敵の堅陣は城を以て極とす。しかれば謀攻は攻城の謀にきはまれり。攻城の謀を論ずる内に、堅陣を攻撃するの心得自ら相含む也。此の篇發端よりの語意皆力を以てするの誤をしるし、中間に攻城の義をあらはして之れを結ぶ。然れば攻の字全く城にかかりて、堅陣を攻撃の義亦其の内にありと見る可き也。案ずるに、前篇は戦をおこすの法、及び速かにして勝つの道、士卒の用法をつくし、此の篇は攻城の道、はかりごとにあることを論ず。兵の道は、戦と攻と兩段の外あらず。此の兩様をよくしるときは、兵をしると云ふ可き也。この二段にて兵法の戦の品は事すむ也。この二篇をよく考へて野合の戦、城の攻撃を詳に得心すべき也。謀の字、計の字にこと也。能く内に思ひはかつて、てだてをめぐらし謀をつくすを謀と云ふ也。今案ずるに、杜牧曰はく、廟堂の上計算已に定まり、戦争の具、粮食の費、悉く已に用ひ備へて以て謀攻す可し、云々、是れ謀字を以て輕しと為すなり。曹操・張預皆智謀を以て攻城と為す、是れ謀字を以て攻城の智謀と為すなり。愚謂へらく、謀字猶ほ輕し、此の一篇は全の字を以て主と為す、全は、謀の效也、且つ曰はく全を以て天下に爭ふ、故に兵頓(やぶ)れずして利全かる可し、此れ謀攻の法也、是れ謀字を以て甚だ重しと為す也。袁了凡曰わく、作戦は則ち戦を欲せず、謀攻は則ち攻むるを欲せず、是れ此の老の主意。

孫子の兵法:謀攻篇:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:謀攻とは、謀を以て攻るなり。陣を合するを戦と云ひ、城を圍むを攻と云と注して、陣は備立てなり。我備を以て敵の備と合せて、勝負を決するは戦なり。城を圍て落さんとするを攻と云。故に作戦篇の次に此篇を設けり。城を攻るには力を以て攻るを下とし、謀を以て攻るを上とす。故に謀攻篇と名付く。尤一篇の中、しろをせむることばかりを云には非れども、城を攻ることを本にして、外の事にも云ひ及せるなり。

孫子の兵法:謀攻篇:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:孫の文、句々著實(ちゃくじつ)なるものあり。始計・行軍・地形・九地の如き是れなり。通篇全く虚にして、一二の要言の以て之れを實にするものあり。軍形・虚實の如き是れなり。此の篇の如きは、前半(此の篇の大段は「大敵の擒なり」に在り。今、「此れ謀攻の法なり」に至るまでを謂ひて前半と為す)は是れ虚にして、謀を伐つの四要言を以て之れを實にす。後半は則ち句々著實にして、復た始計・行軍の下に在らず。註家多く虚實を分たず。瞶々(きき)(物事を見あやまる。瞶は目にひとみのないこと。)を致す所以なり。謀攻は謀を以て人を攻むるなり。篇中、謀を伐つ、國を全うす、爭を全うするは即ち其の事なり。謀を伐つに謀を以てするは、全しと為す所以なり。攻むるを以て城を攻むと為すものは拘(かかわ)れるかな。

孫子の兵法:謀攻篇:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:敵を攻めんと欲すれば必ず先ず謀る。

○李筌:陳を合して戦を為す。城を圍みて攻むるを曰う。此の篇を以て戦の下の次ぎとす。

孫子の兵法:謀攻篇:杜牧:孫子十家註○杜牧:廟堂の上、計算已に定まり、戦争の具え、粮食の費、悉く已に周りに備え、以て謀攻す可し。故に謀攻と曰う也。

○王晳:敵を攻むるの利害を謀る。當に全き策を以て之れを取るべし。兵を伐ち城を攻むるに鋭かざるなり。

○張預:計議已に定まり、戦具已に集まれば、然る後に智を以て攻を謀る可し。故に作戦の次とす。

意訳

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2013-03-11 (月) | 編集 |
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2013-03-11 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

「作戦篇」全文:孫子 兵法 大研究!

「作戦篇」全文


『作戦』

孫子曰く、凡そ用兵の法、馳車千駟、革車千乗、帯甲十萬、千里にして糧を饋らんとすれば、
則ち内外の費・賓客の用・膠漆の材・車甲の奉、日に千金を費して、然る後に十万の師挙がる。
其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、則ち兵を頓らせ鋭を挫く。城を攻むれば、則ち力屈き、久しく師を暴さば、則ち国用足らず。
夫れ兵を頓らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くさば、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者有りと雖も、其の後を善くすること能わず。
故に兵は拙速を聞くも、未だ巧久しきを睹ざるなり。
夫れ兵久しくして国利あるは、未だ之れ有らざるなり。
故に盡く用兵の害を知らざる者は、則ち盡く用兵の利を知ること能わざるなり。
善く兵を用うる者は、役は再びは籍せず、糧は三たびは載せず。
用を国に取り、糧を敵に因る。故に軍食足る可きなり。
国の師に貧なるは、遠き者遠く輸せばなり。遠き者遠く輸さば則ち百姓貧し。
近市なれば貴売す。貴売すれば則ち財竭く。財竭くれば則ち以て丘役に急なり。
力を中原に屈くし、内は家を虚しうすれば、百姓の費、十に其の六を去る。
公家の費、破車罷馬、兵戟矢弩、甲冑楯櫓、丘牛大車、十に其の七を去る。
故に智将は務めて敵に食む。敵の一鍾を食むは、吾が二十鍾に当たり、(きかん)一石は、吾が二十石に当たる。
故に敵を殺す者は怒なり。
敵の利を取る者は貨なり。
故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共(もてな)して之れを養わしむ。
是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。
故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。
故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり。

以上で孫子兵法「作戦篇」は終了です。各文をクリックすれば、解釈のページにとびます。

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2013-03-10 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり。』:本文注釈

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 「兵を知るの将」と、「民の司命、国家安危の主」とのつながりを考えて見ると、ここでの「兵」の意味は「兵士」ではなく、「戦争」であることがわかる。兵士を知るというだけでは、民の命や国家の安泰は守りきれないからである。つまり「兵を知るの将」とは、「戦争というものを広く知っており、その対処方法を熟知している将軍」という意味であり、民の命運と国家が安泰・危機のいずれかとなる鍵を握っている者、ということである。意訳すると、「民の命や国家を安泰たらしめるのは、戦争を熟知した将軍である。」ということである。このように戦争のことをよく知り、しかも天下にその名が轟いている将軍が自国にいれば、敵国の軍は容易に我国に攻め込むことができず、強力な抑止力となると、孫子は暗に言っているのである。戦争のことを良く知り、孫子が理想とするような者がいるかどうか、日本の戦国時代に遡って考察してみると、何人かの戦上手の大名の名前が思いつく。しかし、その中でも格が違って飛び抜けていたのは武田信玄である。「 人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の言葉でも知られるように、家臣一同の団結力こそ、武田家が天下にその武を誇れた第一の要因であった。当時、戦上手な大名はキラ星の如く存在したが、信玄だけは別格であり、上杉謙信を除き誰も信玄存命時は刃向かうことはできなかった。信玄は戦術だけでなく、外交やスパイの活用にも長けており、何より戦を必要以上に行わず、民の信頼も厚かったから国も富んでいた。このような戦上手がいる国に、そもそも攻め込もうと考えようとすることは非常に難しいことである。ゆえに、孫子も戦争を熟知している将軍を重宝したというわけである。ここで念を押しておくが、「兵を知るの将」とは、単に「戦が上手な将」という意味ではない。「戦争に関連するありとあらゆることを知っていて、それに対処できる将」という意味である。又もう一度例に出すが、日本の戦国時代の大名である武田信玄を例にするとわかりやすいだろう。信玄は戦に単に強いというだけではなく、民心も掴み、むやみに戦争を行なわずに力を貯え、自国の有利になる様に様々な外交政策もおこない、独自の忍者軍団も従え情報収集にも事欠かなかった。このような将軍を、孫子は理想としたわけである。人情の機微、五事・七計に長けた将は孫子存命の時代にもそうはいなかったであろう。まさにこのような将軍こそ国の宝と呼ばれるにふさわしいと言えるのではないだろうか。


司-①つかさどる。とりしきる。②つかさ。㋐役所。職務として行う所。㋑職務をとりしきる人。役人。かさ。【解字】会意。「人」の変形+「口」(=穴)。人が小さな穴からのぞき見る意。転じて、つかさどる意。一説に、「祠」の原字で、まつる意から転じて、おさめる意。

命-①下位の者に言いつける。神や目上の人のおおせ。②名づける。名簿に名を記す。③天から授かったもの。㋐いのち。㋑めぐりあわせ。④めあて。目標。⑤みこと。神の称号。【解字】もと、口部5画。会意。「口」+「令」。口で言いつける意。

司命-生殺の権を持つもの。また、たのみとするもの。中国において、本来、北斗七星の魁(かい)(桝(ます)の部分)の上方にある星座文昌宮六星の第4星を司命という。古来、人間の寿命をつかさどる天神と考えられ『楚辞』九歌には大司命、少司命の2神が見え、文昌宮第5星の司中、第6の司禄とともに祭祀の対象とされた。とくに道教では人間の寿命台帳を管理し、人間の行為の善悪を監視する三尸虫(さんしちゅう)や竈神(かまどがみ)の報告に基づいて寿命の増減を行う神と考えられた。

安危-安全か危険かということ。

主-①中心である。おも(な)。②つかさどる(人)。㋐中心となって管理する。㋑一家・一国・一団などの長。あるじ。ぬし。㋒宇宙の支配者。神。③それを中心とする。④他にはたらきかける側。他人を迎えて接待する側の人。⑤そこにとどまっているもの。みたましろ。【解字】燭台の上で静止して燃えたつ炎をかたどった象形文字。一か所にじっと留まる意から、あるじの意となる。「住」「注」「駐」などはこれから派生。





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孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:金谷治○金谷孫子:『故知兵之将、生民之司命、國家安危之主也。』 ※生民-岱南本は後漢の『潜夫論』や『通典』などに従って「生」字を除く。武経本・平津本・桜田本にも無い。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:浅野裕一○浅野孫子:司命-元来は、人の生死を司どるとされた星座(西洋の水瓶座、アクエリアスに相当する)の名称である。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:町田三郎○町田孫子:「民」の上に「生」が宋本にはある。孫星衍の岱南閣本『十家注孫子』の校訂にしたがって除いた。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:天野鎮雄○天野孫子:○知兵之将 「兵」は前句の「兵」すなわち勝を貴びて久しきを貴ばずの兵を受ける。この句について一説に『諺義』は「知兵之将とは兵法をよく知るの将をさす」と。また一説に『国字解』は「知兵之将とは、よく兵道を知りたる将と云ふなるべし」と。また一説に『思想史』は「山鹿素行はこの場合の兵を兵法としてゐるが、それよりも大きく、これを戦争と解した方がよい。本篇冒頭の『用兵之法』における兵を戦争とみる以上、その結びにおける兵を同じ意味に解するのは、けだし当然であらう」と。
 ○生民之司命 「生民」は民。『武経』『古文』には『生』の字がない。「司命」は星の名で、大司命と小司命との二つの星があり、いずれも人の寿命と運命とをつかさどる神とされている。ここではその星の名をかりて生命と運命をつかさどる者の意。この句について『大全』は「民の字は醒見を要す。軍中一切の粮草・用具、皆民命の関はる所なり。倘(も)し師老い財匱(とぼ)しくば、民何を以てか堪へん。将能く速勝を知らば、則ち民命全きを得。豈司命に非ずや」と。
 ○国家安危之主也 「安危」の「危」は安の対立語として軽く添えたもので、この場合は意味がない。「主」はつかさどる者、支配者。以上の兵を知るの将についての句について、一説に『諺義』は「将の善悪・知不知によって、士卒の死生、国家の安危のかかる処なれば、将は生民の命のつかさなり。国家を安くするも危くするも将の心にあることなれば安危の主なるなり」と。また一説に『国字解』は「この人存すれば国家安穏に、この人死すれば国家危亡するゆえ、国家安危の主なりと云へり」と。また一説に『詳解』は「民の司命とは我の民を生かし、敵の民を殺すを云ふなり」「我が国家をして安んじ、敵の国家をして危からしむ。故に国家安危の主なりと曰ふ」と。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:一、「故に、兵を知るの将は、生民の司命にして、国家安危の主なり」 「兵を知る」とは、「拙速」を知り、「敵に勝ちて強を益す」を知ることを言う。「生民の司命」とは、文字通り国民の生命を司る者の意、「国家安危の主」とは、国家の守護神の意である。曹操は「将の賢なれば、則ち国は安きなり」と言い、張豫は「民の死生・国の安危は将の賢否に繋(か)かる」と。梅堯臣は「此れ、将を任ずることの重きを言うなり」と註する。何氏は「民の性命・国の治乱は、皆、将の主とする(主(つかさ)どる)所なるも、将材の難きは、古今の患えとする所なり」と。しかも、日露戦争後の我国は、これを、必ずしも患えとする者ではなかったのである。現在に至っては、国家に於ける将材の必要すら理解しえなくなっていると言えるのではなかろうか。なお、八項の「故に、尽く兵を用うることの害を知らざる者は、尽く兵を用うることを知る能わず」は、将を任ずるに当って、その資質(将材)を判定するための基準の一つである。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:守屋洋○守屋孫子:この道理をわきまえた将軍であってこそ、国民の生死、国家の安危を託すに足るのである。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:重沢俊郎○重沢孫子:それ故、戦争に理解の深い指揮官は、庶民の命の主であり、国家の安危を左右する根本である。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:田所義行○田所孫子:○知兵之将、民之司命とは、兵法をわきまえた名将は、人民の命をつかさどるものであるとの意。
 ○国家安危之主也とは、国家の安危をつかさどる主人であるとの意。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:大橋武夫○大橋孫子:司命-生死を決する責任者  安危の主-安危を決する責任者

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:武岡淳彦:新釈孫子○武岡孫子:司命-生死を決めることのできる責任者  安危の主-安危を決する責任者

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:佐野寿龍○佐野孫子:○民之司命 「司命」は星の名で、人の生死を司る神とされている。ここではその星の名を借りて生命と運命を司る者の意。

○著者不明孫子:【知兵】「知」はよく知っていること。
 【司命】命をつかさどる。生殺の決定権を握るもの。人の寿命をつかさどる星や神の名でもある。
 【國家安危之主】国家の安危を左右する主人公。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『故に兵を知るの将は、民の司命、國家安危の主なり。』
 兵を知るの将とは、兵法をよくしるの大将をさす。将の善悪知不知によつて、士卒の死生、國家安危かかる處なれば、将は生民の命のつかさ也。國家をやすくするも危くするも、将の心にあることなれば、安危の主なる也。生民は萬民をさす。司命星と云ひて、人の命を司どる星あり、其の名をかりて司命と云へり。司命はいのちをつかさどる也。始計篇には、發端に兵の大事死生の地存亡の道なることを云ひ、此の篇は兵を知るの将は、生民國家の重任たることを云ひて、一篇の結句とす。而して兵を知るの将の太節なることを盡せる也。右の段々皆大将の作略にかかることなれば、愼まざる可けんや。六韜に云はく、兵は國の大事、存亡の道なり、命は将に在りと。三略に云はく、将は國の命也と。太公又曰はく、将は人の司命なりと。以上第五段也。孫子が書文章の奇尤も多し。此の篇、故の字を下すこと甚だ多くして、故の字一准ならず、著眼して之れを覩る可し。大全に云はく、民の字醒見を要す、軍中一切の粮草用費、皆民命の關する所、倘(もし)師老い財匱(とぼし)くば、民何を以て堪へん、将能く速勝を知らば、則民命全きを得、豈司命に非ずや。又云はく、師を興し衆を動かす、已に是れ民を勞し財を傷ぶるの事、賴みて将と為す所の者は、危きを轉じて安と為すの道有り、速勝に在る而已(のみ)、國家此の人を得、眞に乃ち民の司命、危を轉じて安と為すの主也。李卓吾曰はく、戦を作すと曰ふと雖も、其の實は皆是れ戦を欲せざるの意のみ、何となれば、蓋し此の如くならば則兵を鈍す、不可也、此の如くならば則力屈す、不可也、此の如くならば則財殫く、不可也、此の如くならば則國遠輸に貧しく、財于貴賣に竭く、不可也、此の如くならば則中原内虚に、私家の費十に其の七を去り、公家の費十に其の六を去る、不可也、唯だ粮を敵に因り食を敵に務むる有りて、乃ち可なるのみ、然れども亦以て久しふす可からざる也、故に已むことを得ざるに至りて戦ふ、寧ろ速なるとも久しきこと毋れ、寧ろ拙なるとも巧なる毋れ、但だ能く速に勝てば、拙なりと雖も可也、拙を愛するに非る也、以て速勝は巧の至り為るを言ふ、而して人知らざる也、故に之れを終ふるに勝を貴びて久しきを貴ばざるを以てす、而して又叮嚀(ていねい)以て之れに告げて曰ふ、此れ民の司命國家安危の主也と、誠に以て愼まざる可からず也、然らば則ち善く戦ふ者は上刑に服すとは、正に孫武子の赦さざる所なり。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:『故に兵を知るの将は、民の司命、國家安危の主也。』
 知兵之将とは、よく兵道を知たる将と云ことにて、前の不盡知用兵之害者則、不能盡知用兵之利と云句を合せ見るべし。畢竟孫子が意は、用兵之害をよく盡して知たる将を、知兵之将と云なるべし。かくの如き将は、よく速勝の理を知て、久しき戦を好まず、戦の一途に泥まず、計を以て敵を從ゆるゆへ、是を民の司命と云なり。司命と云は、天の文昌星[ぶんしょう‐せい【文昌星】‥シヤウ‥中国で、北斗七星中の6星の称。]の第五の星なり。人の吉凶禍福を司る星なり。右の如き将は、よく民の艱苦[かん‐く【艱苦】なやみ苦しむこと。艱難と苦労。なんぎ。辛苦。]を知り、民を傷らぬゆへ、司命の星を尊ぶ如くに、民の思ふと云ふことなり。國家安危之主也とは、右の如の将は、この人存すれば國家安穏に、この人死すれば國家危亡するゆへ、國家安危の主なりと云へり。蜀の諸葛孔明、唐の郭子儀、みな其身天下國家の安危にかかれり。まことに文昌司命の星に非ずや。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『故に兵を知るの将は、民の司命(天の文昌星の第五の星の名。人の吉凶禍福を司る星。)、國家安危の主なり。』
 孫子毎篇、體あり用あり、大あり、細あり、是れ及び易からずと為す。而して獨り是の篇稍(や)や降等たり。然れども猶(な)ほ將を以て結穴(けつけつ)と為す。是れ其の大關係の處なり。其の文字の精緻著實(せいちちゃくじつ)なるに至りては、猶ほ諸篇に出づ。抑々(そもそも)相模の戍(じゅ)(相模の海岸地帯における外艦に対する警備をいう。毛利藩は長らくこの任に当たっていた。)、遠輸貴売(国の師に貧しきは遠く輸すればなり。云云」と「師に近きものは貴売す。云々」参照。)、官吏の苦しむ所なり。我れ孫武を起して之れを籌(はか)らんと欲す。然りと雖も、是れ將の任なり。寧(いずく)んぞ私に言ふべけんや。

孫子十家注:『故に兵を知るの将は、民の司命』

註なし。潜夫論・通典・御覧に生の字無し。

孫子十家注:『國家安危之主也。』

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:将 賢なれば則ち國安きなり。

○李筌:将 殺伐の權威有り。敵に却って欲す。人命繫ぐ所、國家安危 此に於いて在るなり。

孫子の兵法:故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。:故車戦得車十乗已上、賞其先得者、而更其旌旗、車雑而乗之、卒共而養之。:杜牧:孫子十家註○杜牧:民の性命[せい‐めい【性命】万物が天から授かったそれぞれの性質と運命。いのち。生命。]、國の安危、皆将に由るなり。

孫子の兵法:故に兵を知るの将は、民の司命、国家安危の主なり:故知兵之将、民之司命、国家安危之主也:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:此れ将を任ずるところの重きを言う。

○王晳:将 賢なれば則ち民其の生を保ち、而して國家安きなり。否(いな)ならば則ち民毒殺を被(こうむ)る。而して國家危うきなり。明君任じて屬(つ)[屬:①つきしたがう。ある範囲に入る。つく。②つらなる。つづく。つらねる。③なかま。㋐みうち。同類。㋑生物分類上の一区分。科の下、種の上。④ショク つける。よせる。たのむ。同意語⇒嘱。⑤さかん。令制で、職・坊・寮の第四等官。明治の官制で、判任官の文官。【解字】形声。下半部「蜀」が音符で、目の大きな蚕。上半部は「尾」の変形。蚕が交尾して、子がつぎつぎと続いて生まれる意。転じて、続く、くっつく、みうちの意。]かば精ならざる可きや。

○何氏:民の性命、国の治乱は、皆、将において主(つかさ)どる。将の任の難きは、古今の患いとする所なり。

○張預:民の死生、国の安危は将の賢否に繋(か)かるか。


意訳
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○金谷孫子:以上のようなわけで、戦争[の利害]をわきまえた将軍は、人民の生死の運命を握るものであり、国家の安危を決する主宰者[しゅ‐さい【主宰】人々の上に立ち、または中心となって物事を取りはからうこと。また、その人。]である。

○浅野孫子:そうであればこそ、戦争の利害・得失を熟知する将軍は、人民の死命を司どる者であり、国家の安危を主宰する者となるのである。

○町田孫子:だから、戦争の本質をわきまえた将軍は、人民の生死の鍵を握り、国家の存亡を決する者なのである。

○天野孫子:以上のような訳で、戦争は速かに勝つことにあるという道理を知っている将軍は、国民の生命・運命をつかさどるものであり、国家を安泰にするものである。

○フランシス・ワン孫子:それ故に、戦争のこの本質を理解している将軍は、国民の運命の守護神であり、国家の命運を双肩に担う者といえる。

○大橋孫子:速戦即決が戦いの要訣であることを知らない将軍は、国民の生死、国家の安危を担う者としての資格はない。

○武岡孫子:このことは戦争指導上最も大切なことで、これをわきまえた将軍は、国民の生死を握り国家の安危を決する主宰者である。

○著者不明孫子:それで、戦争のことをよく心得ている大将は、民衆の生死の決定者であり、国家の安危の担い手なのである。

○学習研究社孫子:そこで、軍事をよく知っている指揮官は、人民の命を左右する者であり、国家の安危を担う主体者である。

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2013-03-03 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。』:本文注釈

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「貴ぶ」の意味は「敬意を表して仰ぎ見る」、「非常に価値がある」、「尊ばれる」となる。この文は「戦争は勝つことに価値があり、長期戦は尊ばれない。」というような意味となる。この意味をよく吟味してみると、勝利はともかく、完全には長期戦を否定している意味ではないことがわかる。これまでの文で、長期戦は国家の財政や民の負担に危機的な状態をもたらし、他国の侵略をも許し、どんな知恵者であってもどうすることもできなくする、と言っており、歴史上長期戦で国に利があったことはないとまで言っている。なのに、ここの文では「久しきは害なり」というような文ではなく、「久しきを貴ばず」と、長期戦に価値は見いだせない、というような意味となっている。つまり、長期戦は価値がないものだが、完全否定はせず、戦争に勝てるのであれば後々の選択肢としては存在しうる、という意味なのである。これは、『謀攻篇』の「謀・交・兵を伐てなければ城を攻める」という文からもその真意が読み取れる。城攻めは基本、長期戦を覚悟しなければならないものである。しかし、孫子は謀・交・兵を伐てなければ城を攻めろ、と言っているのである(ここで注意すべき点があるが、孫子は、城を攻めるにしても、兵を以て攻めるのは下策としており、後の文で「戦巧者は、城を破るにしても攻めるのではなく、自軍の兵を保全させることを主眼におくのだ」と言っているのである。単に兵を以て攻めろとは孫子は言ってはいない。)。この事からも分かるように、長い目で見れば戦略的に自軍の有利となるのであれば、「長期戦」という選択もあり得るということなのである。従って、この文の意訳も長期戦を完全否定しないという含みを残したものにしなければ、孫子の真意から外れたものとなろう。
また、歴史上の長期戦を見ると、日本では豊臣秀吉の城を包囲しての水攻めや兵糧攻めなどが有名である。持久戦に持ち込む場合、相手の城を包囲し、豊富な物資を味方に供給することが勝利への必要条件となるが、昔はこの豊富な物資を供給するということがなかなかできることではなかったのである。しかし、時代が進むにつれて、農業・流通の発達などにより、この条件が満たされ、秀吉の時代には持久戦が可能となった。それまでの日本の戦は、実は籠城していた方が有利で、戦っているうちに援軍が来て敵の後方を突き、城からも打って出て敵を挟撃するのが必勝パターンだったのである。これらの必勝パターンを封じ自軍の兵を損なうことなく、(時間はかかったが)敵の城を落としていった秀吉はまさに『孫子』に通じた用兵を行なっていたといってもおかしくはあるまい。参謀に竹中半兵衛・黒田官兵衛がいたことからも秀吉は兵法に深く通じていたことがわかる。
ちなみに、ここで孫子が言っている「勝つことを貴ぶ」の、「勝つこと」とは何を指しているのかという疑問が残る。『孫子』では、最後に勝てばすべてよいのだ、という趣旨の文は存在しない。つまり、単に勝つことという意味ではないことは明白である。よって、他の意味であることがわかる。この、「勝つこと」に関連する文が、この文の前にあるかどうか見てみると、「故に車戦に車十乗已上を得れば、其の先ず得たる者を賞し、而して其の旌旗を更め、車は雑えて之れに乗らしめ、卒は共して之れを養わしむ。是れを敵に勝ちて強を益すと謂う。」の文があることがわかる。これは敵に勝って敵の軍需物資等を奪い、我が戦力とするという文意のものであるから、「勝つこと」に十分当てはまるものと考えられる。つまり、「勝つこと」とは、敵の力を我が力とすることとイコールであることが分かる。表面上の勝利という字だけ見ていると、見落としてしまいがちであるが、この意味を見逃してはならない。
では、次に「久しきを貴ばず」の、「久しきこと」であるが、これは何を指しているかという問題が当然もう一つ出てくる。これも前の文から読み解いていくと、「其の戦いを用うるや、勝つも久しければ、則ち兵を頓らせ鋭を挫き、力を屈くし貨を殫くさば、則ち諸侯其の弊に乗じて起こる。智者と雖も、其の後を善くすること能わず。故に兵は拙速を聞くも、未だ巧久しきを睹ざるなり。夫れ兵久しくして国利あるは、未だ之れ有らざるなり。」の文が、この長期戦を戒めたものに該当することから、「久しきを貴ばず」の「久しきこと」の意味も、「長期戦においては利益となることは決してない」というものになることが分かる。つまり、「久しきを貴ばず」の意訳は、「国の利益となることは決してありえないので、高く評価することはない」となる。逆に言えば、歴史上はなかったことだが、国の利益となるような長期戦であれば高く評価をしないということもない、ということである。ここでも、単に「久しきを貴ばず」という表面上の字からは、ここまで読み解くことはできないが、『孫子』を深く読み解き、「久しきこと」とはどういう意味のことを孫子がいっているのかを明らかにすれば、正しい理解を得ることができる。


貴-①身分が高い。とうとい。あて。②ねだんが高い。ねだんが上がる。大切である。とうとぶ。③相手にかかわる事物に冠して、敬意を表す語。【解字】会意。「貝」(=財貨)+「臾」(=両手で高く持ち上げる)。高いねだん、目だつ財貨の意。

久-ひさしい。時間的に長い。長時間そのままになっている。【解字】会意。背の曲がった老人と、これを引き止める意を示す印とから成る。曲がりくねって長い意、長く止まる意などを表す。





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孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:天野鎮雄○天野孫子:○兵貴勝不貴久  この句について『大全』は「速を貴ぶと曰はずして勝を貴ぶと曰ふ。字を下すに極めて斟酌[しん‐しゃく【斟酌】(水または飲料などをくみわける意から)①あれこれ照らし合わせて取捨すること。参酌(さんしゃく)。②その時の事情や相手の心情などを十分に考慮して、程よくとりはからうこと。手加減すること。③ひかえめにすること。さしひかえること。遠慮。辞退。]あり。速かにして勝たずんば何ぞ速かを貴ばん。惟速かにして能く勝つ。此れ貴ぶに足る所以なり。久しきの貴ぶに足らざる若きは、又何ぞ言ふを待たん」と。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:守屋洋○守屋孫子:戦争は勝たなければならない。したがって、長期戦を避けて早期に終結させなければならない。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:フランシス・ワン仏訳 孫子○フランシス・ワン孫子:註 一、「兵は勝つを貴び、久しきは貴ばず」 曹操は「久しければ則ち利あらず」と註し、さらに七項の李筌の註、「兵は猶火の如きなり。戢(おさ)めざれば将に自らを焚(や)かんとす」を引用している。張豫も「久しければ則ち師老い財竭き、変を生じ易し」と繰り返すこと同断である。「拙速」が、方略が多少拙くとも戦機を主体として速やかに勝負に出でよなどといったいわゆる速勝の奨めではなく、戦争を速やかに短期に終結に導くための要訣として言うものであることは、本項によって一層明らかであろう。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:重沢俊郎○重沢孫子:もともと戦争は、勝利を貴び、持久戦を貴ばない。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:佐野寿龍○佐野孫子:【語釈】◎故兵貴勝、不貴久 戦争の目的は勝利にあり、戦争の長期化ではない、の意。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:山鹿素行:孫子諺義○孫子諺義:『故に兵は勝つことを貴んで久しきことを貴ばず』
 此の一句初段に云ふ處の、其の用ひて戦を勝やと云ふ勝の字と相應ずるなり。兵は勝つべきがため也、久しく弄するをよしと云ふにあらざる也。速かなるを貴ぶといはずして勝つことを貴ぶと云ふは、速かにても勝たざるときは兵の本意にあらざるゆゑ也。此の一句上文を結して、久しきことを貴ばずと云へる也。一篇の首尾鉏鋙[そ‐ご【齟齬】(上下の歯がくいちがう意)くいちがい。ゆきちがい。]せざる也。大全に曰はく、速なるを貴ぶと曰はずして勝つことを貴ぶと曰ふ、字を下すこと極めて斟酌有り、速にして勝たずんば、何ぞ速なるを貴ばん、惟だ速にして能く勝つ、此れ貴ぶに足る所以也、久しきの貴ぶに足らざるが若きは、又何ぞ言ふを待たん。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:荻生徂徠:孫子国字解○孫子国字解:『故に兵は勝つことを貴て、久きを貴ず』
 この段は一篇の大意を結べり。一篇の内に、右の如く委細に説たる道理なるうへに、軍は勝つことを貴べども、久しく戦ふことを貴ばず、勝つとも久しく戦はば其費多からん。戦をやめて早く引取るべし。上の文に云へる如く、戦を以て敵を殺し、貨を以て敵を懷け、一邊に滯らざる時は、速勝の利を得べしとなり。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:吉田松陰:孫子評註○孫子評註:『故に兵は勝を貴びて久を貴ばず。』 此の篇の主意、久を持して敵を制するに在り(長期戦の構えをして敵を制圧することにある。)。反(かえ)つて人の久を以て貴しと為さんことを恐る、故に言ふ。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:曹操孟徳:魏武帝註孫子:孫子十家註○曹公:久しければ則ち利ならず。兵猶ほ火の如きなり。戢(おさ)めざれば将に自らを焚(や)かんとす。

○孟氏:速勝・疾還を貴ぶなり。

孫子の兵法:故に兵は勝つことを貴び、久しきを貴ばず。:故兵貴勝、不貴久。:梅堯臣:梅聖兪:孫子十家註○梅堯臣:上に言う所の皆速きを貴ぶなり。速ければ則ち財用を省き民の力を息す[①いき。呼吸。呼吸する。②生きる。生存する。③やすむ。いこう。④やむ。やめる。しずめる。⑤生まれたもの。㋐生んだ子。特に、むすこ。㋑利子。元金を親に、利子を子にたとえる。【解字】会意。「自」(=鼻)+「心」。心臓の動きによって鼻で(やすらかに)いきをする意。]なり。

○何氏:孫子の首尾[しゅ‐び【首尾】①くびとお。②はじめとおわり。終始。③物事のなりゆき。事のてんまつ。結果。④都合よくゆくこと。都合をつけること。都合。]兵久しきの理を言う。蓋し兵は玩(もてあそ)ぶ可からず、武は黷(けが)す可からずを知るは之れ深きなり。

○張預:久しければ則ち師老いて財竭き、以て變を生じ易し。故に但だ其の速勝・疾歸を貴ぶ。


意訳
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○金谷孫子:以上のようなわけで、戦争は勝利を第一とするが、長びくのはよくない。

○浅野孫子:こうした理由から、戦争ではすみやかな勝利をこそ最高と見なして、決して長期戦を高く評価したりはしない。

○町田孫子:そこで、戦争は勝利を至上とするものではあるが、長期戦によるのはよくない。

○天野孫子:それゆえ、戦争は敵に勝つことを貴び、持久戦になることをいやしむのである。

○フランシス・ワン孫子:戦争の目的は勝利にあり、戦争の長期化ではない。

○大橋孫子:戦いは勝つことが大切であるが、勝てばよいというものではない。勝っても長引いてはだめなのである。

○武岡孫子:以上のようなわけで、戦争は勝利を目的とするが長びかせてはならない。

○著者不明孫子:このように、戦争は勝つことが重要なのであって、長期にわたるのはよろしくない。

○学習研究社孫子:従って、戦闘は、勝つということを尊重するものではあるが、勝ちいくさでも長期戦になるというのは尊重しない。

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