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孫子研究ブログです。孫子兵法は別名『孫子兵経』、『SUNTZU』、『The Art of WAR』ともよばれています。ナポレオンや毛沢東も愛読していました。注釈者には曹操、杜牧、山鹿素行、荻生徂徠、新井白石、吉田松陰、等の有名人も多いです。とにかく深いです。

孫子 兵法 大研究!トップ⇒2012年07月
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2012-07-28 (土) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

「計篇」全文:孫子 兵法 大研究!

「計篇」全文


『計』

孫子曰く、兵は国の大事なり。
死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり。
故に之れを経するに五を以てし、之れを効すに計を以てし、以て其の情を索む。
一に曰く道、二に曰く天、三に曰く地、四に曰く将、五に曰く法。
道とは民をして上と意を同じうせ令むる者なり。
故に之れと死す可く、之れと生く可くして、民詭わざるなり。
天とは、陰陽・寒暑の時を制するなり。順逆にして兵は勝つなり。
地とは、高下・広狭・遠近・険易・死生なり。
将とは、智・信・仁・勇・厳なり。
法とは、曲制・官道・主用なり。
凡そ此の五者は、将は聞かざること莫きも、之れを知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
故に之れを効すに計を以てし、以て其の情を索む。
曰く、主孰れか道なる、
将孰れか能なる、
天地は孰れか得たる、
法令孰れか行なわる、
兵衆孰れか強き、
士卒孰れか練いたる、
賞罰孰れか明らかなる、と。
吾れ此れを以て勝負を知る。
将、吾が計を聴かば、之れを用いて必ず勝つ。之れに留めん。将、吾が計を聴かざれば、之れを用うるも必ず敗る。之れを去らん。
計、利として以て聴かるれば、乃ち之れが勢を為して、以て其の外を佐く。
勢とは、利に因りて権を制するなり。
兵とは詭道なり。
故に能なるも之れに不能を視し、
用なるも之れに不用を視し、
近くとも之れに遠きを視し、
遠くとも之れに近きを視す。
故に利にして之れを誘い、
乱にして之れを取り、
実にして之れに備え、
強にして之れを避け、
怒にして之れを撓め、
卑にして之れを驕らせ、
佚にして之れを労し、
親にして之れを離す。
其の無備を攻め、其の不意に出づ。
此れ兵家の勝にして、先には伝う可からざるなり。
夫れ未だ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わざるに廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは敗る。況んや算无きに於いてをや。吾れ此れを以て之れを観るに、勝負見わる。

以上で孫子兵法「計篇」は終了です。各文をクリックすれば、解釈のページにとびます。

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2012-07-26 (木) | 編集 |
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本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『夫れ未だ戦わざるに廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。未だ戦わざるに廟算して勝たざる者は、算を得ること少なければなり。算多きは勝ち、算少なきは敗る。況んや算无きに於いてをや。吾れ此れを以て之れを観るに、勝負見わる。』:本文注釈

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「宋本十一家註本」では「…算少なきは勝たず。而るを況んや算なきに於いてをや。」と「況」の字の前に「而」の字が見える。
   
一度にこれだけの文を解釈するのには最初少し違和感があったが、昔から注釈者達は一度にこれだけの長文をひとまとめにして解釈していたので私も伝統に則ることにする。


廟算-びょう‐さん【廟算】ベウ‥廟策(びょうさく)に同じ。 びょう‐さく【廟策】ベウ‥廟堂すなわち朝廷のはかりごと。廟謨(びょうぼ)。廟算。

算-①数をかぞえる。②思いはかる。見つもる。見込み。③年齢。④「算木さんぎ」の略【解字】会意。「竹」+「具」(=そろえる)。数とりの竹をそろえてかぞえる意。

得-①手に入れる。求めて自分のものにする。うまくかなう。②…できる。…しうる。→動詞のあとにつくこともある。③理解して自分の身につける。さとる。④もうけ(をとる)。利益。【解字】形声。右半部は音符で、「貝」(=財貨)+「寸」(=手)。財貨を手にする意。「彳」(=ゆく)を加えて、出かけて行って物を手に入れる意。

勝負-しょう‐ぶ【勝負】①かちまけ。勝敗。②争ってかちまけを決すること。③ばくちをすること。かけごとをすること。

見-①みる。みえる。②物のみかた。考え。③人にあう。対面する。まみえる。④あらわれる。まのあたり。目の前に。同義「現」。⑤受け身を表す助字。「る」「らる」と訓読する。→そういう目に会うの意から。【解字】会意。「目」+「人」。人が目にとめる意。



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○金谷孫子:廟算-開戦出兵に際しては、祖先の霊廟で画策し、儀式を行なうのが、古代の習慣であった。廟算は『淮南子』兵略篇の廟戦と同じで、宗廟で目算すること。兵略篇「凡そ用兵者は必ず先ず自ら廟戦す。…故に籌(はかりごと)を廟堂の上に運(めぐ)らして勝を千里の外に決す。」

○浅野孫子:●廟算-開戦に先立ち、祖先の霊を祀る宗廟において、計算用の竹製の棒(籌(ちゅう))を運用して、彼我の勝算を比較・計量し、それに基づいて作戦計画を立案・策定すること。
 ●之-『孫子』全体の構成や竹簡本『孫子兵法』の記述からして、「之れを観る」とは、具体的には呉と越の戦争を想定した表現であろう。

○町田孫子:<廟算>宗廟での作戦会議。『淮南子』の「廟戦」と同じ。その兵略篇に「凡そ兵を用うる者は必ず先ず廟戦す。…故に籌(はかりごと)を廟堂の上に運らして勝を千里の外に決す」とある。この廟算をうけたものであろう。

○天野孫子:◎未戦而廟筭勝者得筭多也 「未戦」について『評註』は「未だ戦はずとは、即ち篇目の始の字なり」と。『武経』は始計篇に作っている。その「始」の由来を示す。「廟」は祖先の霊をまつるところ。国家に大事があれば、君臣ともにみたまやに至り、その事を君主の祖先の霊に報告し、霊前において大事を議す。『諺義』は「吉は事の大なるをば潔斎して祖廟に告ぐ。況んや軍旅を起すは国家の大事なるを以て、君臣とも祖廟にいたり、謹んで軍旅を起すことを告げ、而して廟前において軍事を相談し、はかりごとなす」と。「筭」は算の本字。かぞえる、計と同じ。『評註』は「計を換へて算と為す」と。「廟筭」は彼我両国の軍備の優劣を比較し、その得点の数を計算すること。一説に朝廷(廟堂)ではかりごとをなすと。これは前述の軍備の優劣と無関係に言う。張預は「籌策(ちゅうさく)深遠なれば、則ち其の計得る所の者多し。故に未だ戦はずして先づ勝つ。謀慮浅近なれば、則ち其の計得る所の者少なし。故に未だ戦はずして先づ負く」と。籌策ははかりごと。『諺解』などもこの見解。これについて『直解』は「按ずるに筭は即ち計なり。正に五事七計を指して言ふ。別に一意を立てて説く可からず。恐らくは孫子の本意に非ず。道・天・地・将・法の五者は国を治むるの常事なり。故に経と曰ふ」と。また一説に『思想史』は「廟算といふのは、祖廟の前で、五事・七計・詭道を計量し勝敗の数を算定することである」と。「得筭多」とは彼我両国の軍備の優劣を道・将・天・地・法の五部門においてそれぞれ比較して得点の数の多いこと。『直解』は「五事七計を以て、之を校量するに、或は八九を得れば是れ筭を得ること多くして必ず勝つ」と。一説にはかりごとを十分にねると。『諺義』は「多算と云ふは、談合の品々いくへいんもいたして、勝敗の義をかずかずはかるを云ふ」と。
 ◎不勝者得筭少也 『直解』は『五事七計を以て之を校量するに、或は四、五を得れば、是れ筭を得ること少なくして勝たざるなり」と。また一説に『諺義』は「少算は談合こまやかならず、計、品すくなきを云ふ」と。
 ◎而況於無筭乎 得点の数がないにおいては、全く勝たないことは言うまでもない。一説に『諺義』は「無算は、廟に告げたる計にて談合評議の内習これ無きことを云ふ」と。内習は下稽古。
 ◎吾以此観之勝負矣 「此」は廟筭を受ける。「之」はそのさすものが漠然としている。一説に『詳解』は「之の字は戦の字を指す」と。
「以此観之」は廟筭の立場から見るとの意。「見」は現と同じ、現われる。以上の文について、王晳は「此れは、学者先に伝ふ可からざるの説に惑ふを懼る。故に復た計篇の義を言ふ」と。

○守屋孫子:開戦に先だつ作戦会議で、勝利の見通しが立つのは、勝利するための条件がととのっているからである。逆に、見通しが立たないのは、条件がととのっていないからである。条件がととのっていれば勝ち、ととのっていなければ敗れる。勝利する条件がまったくなかったら、まるで問題にならない。この観点に立つなら、勝敗は戦わずして明らかとなる。

○フランシス・ワン孫子:一、本項は本篇の結言であるが、冒頭の句「兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」と呼応して、孫子の戦争観・用兵思想を一層明らかにするものである。
  一、「廟算」 廟算とは、前段で説く五事・七計による彼我の戦力の客観的な算定・評価の上に立って、後段に説く政・戦略による形勢(状勢)作為と詭道を本質とする用兵による戦争の可能性を検討すること、つまり、主体的な努力によって、どのような性格と輪郭の戦争が可能となるか、逆に言えば、どのような戦争をすれば勝算が見出せるかを検討し総合評価することである。
  一、しかるに、現在の我国の孫子研究では、この「廟算」を五事・七計のこととのみ解する者が少なくない。無論、その原因は、大東亜戦争に於て敵の物量の前に完敗したこと、それが未だに決定的印象となって残っていることがあげられる。しかし、他にも有力な理由があるのである。それは、即ち、本項の結句「吾れ、此れを以て之を観るに勝負見(あら)わる」と全く同趣旨と思われる句が、既に前段の結句として述べられているからである。即ち「吾れ、此れを以て勝負を知る」(十四項)であるが、この場合の「此れ」が、五事・七計を意味することは明らかである。このため、両者の意義と関係、つまり存在理由を把握しかねた者の中には、「観る」と「知る」、或いは「見わる」の字義の違いを詮索する者もいる。また、両者は同義語であるから何れか一方を削除すべきであると主張し、なかには、十五項以降二十七項までは単なる戦略・戦術論(用兵論)で計篇には適してなく、衍文であろうとする者もいる。しかし、曹操はさすがに孫子の意を得て明快である。既述の如く、彼は、十四項では「七事を以て之を計れば勝負を知る(察知できる)」と註しているが、本項では、「我が道を以て之を観るなり(観察する)と註している。つまり、本項の「此れ」は「吾が道」のことであり、「吾が道」とは、十五項以降に述べる「詭道」を以て本質とする用兵のことと解するのである。戦争は五事、七計によって知ることのできる国力(戦力)が基本であるが、勝負は単にそれだけで決するものではない。その国力(戦力)に相応した勝ち方・勝負の法があるのであって、それによって戦争はその形態と帰趨を大きく異にしてくる。而して、それが政・戦略と用兵(詭道)の効用である、と孫子は言うのである。
 一、五事・七計と兵法(詭道)との関係  たとえば、日露戦争である。その本質は大東亜戦争と同じであるが、五事・七計からすれば、国力・軍事力の相対比は、より貧弱であり絶望的ですらあった。極言すれば、日露戦争の勝利は、短期・限定化を目途とした政・戦略と用兵の勝利以外の何物でもなかったと言い得るのである。米国の朝鮮戦争以降の各種の失敗、就中ベトナム戦争に於ける敗退を、彼らの国力・軍事力が劣弱であったためと考える者はいまい。彼らが「我々は自己の戦力を過信し、政・戦略不在の戦争を行った」と慨歎していることは、天下周知の事実であろう。興味をそそられるのは、日・米がともに、勝利の場合は、五事・七計に基づく客観的な戦力判断と主体的な要素である政・戦略が一体化し縦横の機略を発揮する者でありながら、敗北の場合は、これが遊離し、徒に当面の詭道(機略)を弄(もてあそ)ぶ者となっていることである。人が必ずしも経験と共に進歩する者ではなく、特に勝利者がその勝利に学ぶ者とはならないという歴史の教訓は、ここにも見ることができる。しかし、現在の我々にとっての問題は、我々が、米国の保護下に、敗北にも学ぶ者でなくなっていることであろう。
 一、「多算勝ち、少算は勝たず」 廟算の結果が「算を得ること多き」場合とは、無論、その総合的国力・物理的戦力が敵に比して優勢な場合だけを言うものではない。そのような算定ならば、中学生と雖もなし得る所である。また、もしそれだけで勝負が定まるのであれば、古来見られる、強大国の弱小国に対する敗北の如きはありえず、そもそもこの世に、大国と小国との戦争といった事態は成立するはずがないのである。繰り返すが、廟算とは、次の意である。即ち、曹操が「(戦争は)七事を以て之を計れば勝負を知る」とした上で、「吾が道(詭道)を以て之を観るなり」と言えるが如く、客観的な戦力の算定に基づいて彼我の状勢を察知し、之を詭道を以て本質とする主体的な政・戦略と用兵の面から観察、どのような目的を追求することが可能か、つまり、どのような戦争をすれば勝算を見出せるかを総合判断することである。
一、「而るを況んや算無きに於てをや」 注意すべきは、孫子は、算が多い場合は戦争にふみ切ってもよいとか、算が少ない場合は戦争を用いてはならないなどと言っているのではないことである。彼は、「多算は勝ち、少算は勝たず」が原則であるから、廟算(戦争判断)に際しての問題点は、本篇の後段に述べる詭道による状勢作為と用兵によって、その算をいかに高め得るかにあり、決断はその上に立って下すべきであると言うのである。而して、その算が見出せない場合は、結果は明らかであるから、戦争は断念或いは回避して後図を策するのが賢明である、と。 この種の状況に於ける決心については、易経の蹇(けん)の卦(か)でも、「険を見て能く止まるは知なる哉」と言っている。しかし、この種の決心の奨めが、単に戦争さえ回避すれば後はどうにかなるなどといった無責任な思考に発するものではないことは言うまでもあるまい。なぜなら戦争を回避しても、そもそも戦争をすら覚悟せざるをえなかった事態(状勢)の原因は、何ら解消するものではないからである。このことは、我々が、もし大東亜戦争を回避した場合、その後にはどのような事態を迎えたであろうかを想像すれば分かるであろう。従って、易経は続けて次の如く言っている。「この種の”険を見て止まる”決心は、それだけで終わるものではなく、次のような行動を要求する。即ち、このような困難な時節(時代史的状況)に於ては、さらに、偉大な人物を指導者と仰ぎ、上下一致して国家を正しくする道を守り、逆境を切り抜ける努力をしなければならない。状勢が閉塞した蹇難の時に於ける働き-国家・社会の領導と運用は-誠に重大である」と。即ち、戦争を回避することによって迎えるであろう事態を運命は、ただ赤旗・白旗を立てて降参すれば万事目出度くすむといった論者が想像するようなものではない。恐らくは戦争(敗北)に匹敵する、否、それを上回る困難な事態であり、もし之に対処する覚悟と用意がなく行ったものであれば、より深刻な災厄と不幸を招くだけのものとなろう、と警告するのである。このことは現に見る所であり、例証の必要はないと思う。
 一、我々の歴史に於ける「而るを況んや算無きに於てをや」の場合の決断の典型は、日清戦争直後の露・独・仏の三国干渉に対し、時の明治政府が行った遼東半島の還付を伴う戦争回避の決断であろう。而して、これが、その後に迎えねばならぬ長い臥薪嘗胆の日々を、国民が政府と志を一にして甘受するであろうとの信頼の上になされたものであること、また国民が之を裏切る者でなかったことは、我々の今も忘れえざる所であるが、思えば僅かに百年前のことである。それにしても、日露戦争後の特色となり、第二次大戦の経験にも拘らず、今も変ることなく我々を毒している精神、即ち「何も考えないで済むような論理に身を委ねて、すぐに絶対という言葉を振りかざすだけの精神構造」(哲学者・田中美知太郎)と較べる時、その何と異なることか。ドゴールは、このような精神構造・心理を批判して次の如く言っている。「これは危険きわまりない傾向である。危機や意外な事態を回避し制圧できる原理を所有していると信じこんだ時、人間の精神活動は弛緩し、未知の状況は無視してもよいという幻想が生まれてくる」と。
 一、最後に言及しておきたいことがある。それは、現在の我々の軽佻浮薄なる、孫子の解釈にも現れ、本篇を以て、戦争の勝敗は単に物理的な戦力の優劣によって定まることを説くものとし、なかには、孫子自体を「不戦の書」とあがめ、得々として軍備無用論の根拠とする愚か者も出てきていることである。しかし、これらは、何れも大東亜戦争の悲惨な体験に淫して事実を見る目を失った結果生じたものであり、また、大東亜戦争を以て唯一普遍の戦争とする考えに立った所論にすぎない。そもそも、孫子が、彼らの言うが如き書であるならば、始計篇はもとより、以下の各篇も悉く無意味な存在となり、むしろ無きに如かずとなることを、我々は思うべきであろう。

○重沢孫子:実戦突入以前、廟算-最高首脳会議-の情勢分析・討論の段階で勝ったのは、得点が多いからであり、勝たなかったのは、得点が少ないからである。多いのは勝ち、少ないのは勝たない。ましてや得点零においてをや。この事実をもって観察すれば、実戦で勝つか負けるかは、ありありと目に見える。

○田所孫子:◎未戦而廟算勝者とは、まだ戦争にはならないうちに、朝廷で御前会議を開き、勝敗の要因を数えて勝つということになるとの意。
 ◎得算多也とは、戦勝の要因が多いこと。
 ◎多算勝とは戦勝の要因の多いものは勝つとの意。
 ◎而況於無算乎とは、戦勝の要因が無ければ、負けるにきまっているとの意。
 ◎吾以此観之とは、戦勝の要因によって観察してみるとの意。
 ◎勝負見矣とは、勝敗の決が明らかにわかっているとの意。

○大橋孫子:廟算-先祖をまつった廟堂で状況を判断する  算多し-勝つ見込みが多い

○武岡孫子:廟算-政府内で行なう推算のこと。古代の習慣

○佐野孫子:◎夫未戦而廟算勝者 「廟算」とは、前段で説く五事・七計による彼我の戦力の客観的な算定・評価の上に立って、後段に説く政・戦略による形勢(状勢)作為と詭道を本質とする用兵による戦争の可能性を検討すること、つまり、主体的な努力によって、どのような戦争をすれば勝算が見出せるかを検討し総合評価をすることを言う(F・ワン仏訳「孫子」)。
 ▼而況於無算乎 孫子は、算が多い場合は戦争にふみ切ってもよいとか、算が少ない場合は戦争を用いてはならないなどと言っているのではない。彼は、「多算は勝ち、少算は勝たず」が原則であるから、廟算(戦争判断)に際しての問題点は、本篇の後段に述べる詭道による状勢作為と用兵によって、その算をいかに高め得るかにあり、決断はその上に立って下すべきであると言うのである(F・ワン仏訳「孫子」)。そして、戦争を用いると決断した場合に於ても、直ちに武力行使と言う短絡的な思考ではなく、飽く迄も<第三篇 謀攻>に曰う「戦わずして勝つ」即ち、「上兵は謀を伐つ、其の次は交を伐つ」を第一義とする両面作戦の構えが必要であると言うのである。換言すれば、兵法「三十六計」の第十計に曰う「笑裏蔵刀(笑いの裏に刀を蔵(かく)す、即ち敵には武力行使はないと信じこませ、油断させ、たかをくくらせておき、こちらは密かに積極的に準備し、時機を待って不意打ちに出る謀略)」の意である。例えば、ペルーの日本大使公邸人質事件に於けるフジモリ大統領の戦略・戦術の如きである。即ち、一九九六年十二月十七日、天皇誕生日の祝賀レセプションで賑わうリマの日本大使館がトゥパク・アマル革命運動のテロリスト十四人の武装グループに襲われ、ゲストら多数が人質となった。平和解決と人質の安全を優先する日本政府の動きで突入はないと安心しているテログループの虚に乗じ、事件発生後から百二十七日目の四月二十二日午後三時二十三分、百四十人のペルー軍特殊部隊をもって地下トンネル及び地上から突入、三十七分間の掃討でテロリスト全員を射殺、人質を解放した(この際、人質一人と突入将校二名が死亡した)。これを逆の立場から曰うものが<第九篇 行軍>の「辞の卑(ひく)くして備えを益す者は、進むなり」、「約なくして和を請う者は、謀るなり」と解する。又、見方を変えれば、この事件におけるフジモリ大統領の多角度・多面的な作戦は正しく孫子が<第二篇 作戦>で曰う「拙速(勝ち易きに勝つ)」を地で行くものであり、従って又、自らの責任で武力突入を決断した最高指導者としてのフジモリ大統領の心境は、正に本篇巻頭言に曰う「兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざる可からざるなり」であった筈である。
 ◎吾以此観之 「此」は廟算を受ける。「之」は「戦」を指すと解する。

○著者不明孫子:【夫】「発語の辞」といわれる。何かを言い始めるときに最初に発する語。そもそも・さて。 【廟算】宗廟(国君の先祖を祭ってあるお霊屋)において計算する。戦争開始に先立ち、宗廟で軍議を開き、諸般の事態について検討し、有利な条件と不利な条件を比較して数える。これを「廟算」という。そのとき、恐らく算木(数取りの棒)を使ってそれを数えたであろう。算が多いとか少ないとかいうのは、その棒の多少をいうものと思われる。
 【而況於無算乎】「而況於…乎」(しかるをいはんや…においてをや)は漢文の基本的な句法の一つ。「まして…の場合はなおさらだ(なおさら勝ちめはない)」の意。 【以此觀之】以上のことから考えると。「此」は上文にあることを受けていう。「觀之」は観察する意。「之」は特定の語を指さない。
 【見矣】「見」は現と同じ。現れる、分かる。「矣」は強くいう感じを表す。

○孫子諺義:廟算と云ふは、古は事の大なるをば潔斎して祖廟に告ぐ、況や軍旅をおこすは、國家の大事なるを以て、君臣とも祖廟にいたり、謹みて軍旅を起すことを告げ、而して廟前において各々軍事を相談し、はかりごとをなす、是れを廟算と云ふ也。算は計の字と同意にして、はかりごとの數をかぞへて評議せしむるの心也。第一は先祖を敬するの心、第二は君臣相敬して其の心を一にするの心、第三には謀を洩す可からざるの心也。多算と云へば、談合の品々をいくへにもいたして、勝敗の義を、かずかずはかるを云ひ、少算は談合こまかならず、計品すくなきを云ふ。無算は廟に告げたる計りにて、談合評議の内習之れ無きことを云ふ。云ふ心は、未だ戦はざる以前に廟算せしうるに、勝つべきものは、内習重習幾通もこれあり、勝つ可からざるものは内習もつぶさならず、はかりごとも詳しからざる也。然れば同じ談合内習ありても、其の多少によつて勝負あり。況や内習談合も之れ無くして兵をあげんことは云ふに足らざること也。算の字について説多しといへども之れを用ひず。此の一段は始計一篇の結句にして、計算の道未だ詳かならざることを以て兵法の本とす。乃ち是れ上文の詭道を押へ、遂に又計算のことを云ひてこれを結ぶ也。吾れ此れに於て之れを觀れば勝負見はる矣とは、この計算の多少を以て彼れと我れとの勝負をみるに遁る可からざる也。孫子の兵、勝を廟堂の上に決して後に兵を外に用ふるは、此の心也。此の段は一篇の意を統べて、變詐に依らずして始計を以て兵の要と為すを申(の)ぶ。計算の少き者は、兵を輕んじ事を易んじて怠驕の多き也。故に未だ戦はずして廟算勝負此の如し、況や五事七計の校量無く、明辨審算無き者をや。孫子兵の勝敗を觀るに、始計に於て顯然たり矣。觀は視の詳也。李靖も亦曰はく、多算は少算に勝ち、少算は無算に勝つ。張昭(宋代の學者)曰はく、有數は無數を擒にすと。是れ皆計算の説也。大全に云はく、始計一篇は算字を以て結尾とす。妙最なり。夫れ算は個の廟算を説く。而して算字は重きを歸する處、却りて多字の上に在り。這は未だ戦はざるは是れ竟に戦はざるにあらず。尚ほ未だ戦はざるに過ぎず。這の勝は是れ竟に勝つにあらず。算の勝つに過ぎず。未だ戦ざるの時に當り、廟算已に勝有り了(おわ)る。豈是れ算を得るの多きにあらざずや。然る後去りて戦ふ。自ら是れ一戦一勝、百戦百勝なり。又云はく、多は是れ千萬の説にあらず。少は一二三の説に非ず。總て是れ校計して情を索めば、一著千慮の上に超ゆ。

○孫子国字解:此段は、一篇の結語なり。夫は發語の詞にて、詞の端を更むる時置く詞なり。前に戦に臨み、兵の勢をなすことを云たるによりて、爰(ここ)に至て一篇の主意に反り、語の端を更めて、又五事七計を説て、一篇を結びたるなり。廟算と云は、廟は墓のことには非ず。宗廟とて先祖を祭る處なり。國王の宮殿の東の方にあり。總じて、軍は國の大事にて、其國の存亡のかかるわけゆへ、軍を起さんとする時は、國の老臣を宗廟へ集め、先祖の神主の前にて、右の五事七計にて軍の勝負を目算するなり。是を廟算と云、得算多少と云は、右の五事七計にてめやすを立てて、算木を以て數をとり、敵にいくつ、味方にいくつと、目算するなり。其時その算木の數を多く得たる方勝ち、少く得たる方負くるなり。少きさへ負るを、まして況んや五事七計の内に、一つも叶はずして、算木を一つも置べき様なきをや、是を算なしと云。滅亡すべきこと決定せりとなり。吾れ孫子この廟算を以て、合戦の勝負を觀るに、其勝負のさかひ、明かに見ゆるとなり。

○孫子評註:未だ戦はずとは即ち篇目の「始」の字なり。計を換へて算と為し、悠然として本意に歸入す。勝負見るは「勝負を知る」と照應す。讀みて篇末に至りて然る後五事を囘顧すれば、方(まさ)に始めて著實(ちゃくじつ)(文意がおちつく)なり。蓋し算の多からんことを欲せば、經するに五事を以てするに如くはなし。
 ○五事以て之れを内に經し、計(前述の七計によって、いくさの諸要件を外敵とひきくらべてみる。)以て之れを外に校し、詭道以て之れを外に佐く。此の篇特(ひと)り十三篇の總括たるのみならず、乃ち天下古今の事、孰れか其の範圍を出づるものぞ。大學(儒教の経典、四書の一。もと『礼記』(らいき)の一編。学問修養にもとづく政治の理想を述べている。)の一書の如き、亦唯だ道の字の註解のみ。孫武の立言、未だ必ずしも然らずと雖も、讀書は須(すべか)らく此(か)くの如く觀るべきなり。

○曹公:吾が道を以て之れを觀るなり。

○李筌:夫れ戦う者は勝ちを廟堂に決し、然る後に人と利を爭う。凡そ叛を伐つは遠きを懷す。亡を推すは存を固にす。弱きを兼ねるは昩を攻む。皆物の出づる所、中外の離心、商周の師の如き者は、是れ未だ戦わずして廟算して勝を為す。太一遁甲は算を置くの法なり。六十算自り已上は多算と為す。六十算已下は少算と為す。客多算にして少算に臨まば、主人敗る。客少算にして多算に臨まば、主人勝つ。此れ皆勝敗見われ易きなり。

○杜牧:廟算とは廟堂の上に於いて計算するなり。

○梅堯臣:多算、故に未だ戦わずして廟謀先ず勝つ。少算、故に未だ戦わずして廟謀勝たず。是れ算無しとする可からず。

○王晳:此れ學者先ず傳う可からざるの説に惑うを懼る。故に復た計篇の義を言うなり。

○何氏:計は巧拙有り。成敗は繫ぐなり。

○張預:古くは師を興し将を命ずるに、必ず齋 廟に致す。授くは成算を以て、然る後に之を遣わす。故に之れ廟算を謂う。籌策 深遠ならば則ち其の計得る所の者多し。故に未だ戦わずして先ず勝つ。謀慮 淺近ならば、則ち其の計得る所の者少なし。故に未だ戦わずして先ず負く。多計は勝つ。少計は勝たず。其の計無きは安くんぞ敗ること無きを得ん。故に曰く、勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求む。敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む、と。計有る計無し、勝負見われ易し。


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○金谷孫子:一体、開戦の前にすでに宗廟(おたまや)で目算して勝つというのは、[五事七計に従って考えた結果、]その勝ちめが多いからのことである。開戦の前にすでに宗廟で目算して勝てないというのは、[五事七計に従って考えた結果、]その勝ちめが少ないからのことである。勝ちめが多ければ勝つが、勝ちめが少なければ勝てないのであるから、まして勝ちめが全く無いというのではなおさらである。わたしは以上の[廟算という]ことで観察して、[事前に]勝敗をはっきりと知るのである。

○浅野孫子:そもそもまだ開戦もしないうちから、廟堂で籌策してすでに勝つのは、五事七計を基準に比較・計量して得られた勝算が、相手よりも多いからである。まだ戦端も開かぬうちから、廟堂で籌算して勝たないのは、勝算が相手よりも少ないからである。勝算が相手よりも多い側は、実戦でも勝利するし、勝算が相手よりも少ない側は、実戦でも敗北する。ましてや勝算が一つもないというに至っては、何をか言わんやである。私がこうした比較・計算によって、この戦争の行方を観察するに、もはや勝敗は目に見えている。

○町田孫子:いったい、開戦の前の宗廟(おたまや)での作戦会議で、あらかじめ勝利の見こみがたつというのは、上のような五事七計で考えてみて、勝利の条件が多いからのことである。作戦会議で勝利の見こみがたたないのは、勝利の条件が少ないからのことである。勝利の条件が多ければ勝てるし、少なければ勝てない。勝利の条件が全くないというのでは、これは話にならない。わたしは、以上のような観点から、勝敗のゆくえをはっきり見抜くことができるのである。

○天野孫子:戦争に先立って祖先の霊を祭るみたまやで、彼我両国の軍備の優劣を道・将・天・地・法の五部門において計算するに、戦って勝つ者はその得点の数が多く、戦って敗れる者はその得点の数が少ない。得点の数が多ければ戦に勝ち、少なければ勝たない。まして得点の数がないにおいては全く勝つことはできない。このみたまやにおける計算からみると、彼我両国の戦の勝負は既に明らかに現われている。

○フランシス・ワン孫子:扨て、政府・軍首脳による戦争決断会議に於て、客観的総合算定が敵よりも味方の”力”が優勢を告げるものであれば、勝利を意味する。若しも味方の劣勢を告げるものであれば、敗北を意味する。多方面から(客観的)算定をする者は勝利を可能とすることができるが、あまりにも僅かな方面から-主観的・手前勝手な算定しかなさない者には、勝利は不可能である。しかるに、この計算を全くなさない者は、自ら勝利のチャンスを逸する者と言える。私が戦争の勝敗の決末を予測できるのは、以上のような算定によって状況を詳(つまびら)かにするからである。

○大橋孫子:開戦を決するには祖先を祭る霊廟の前で軍議を開くが、ここで心を清め、純白な頭脳をもって合理的に判断した結果、勝利の見込みが多ければ勝ち、少なければ負ける。まして勝つ見込みがないのに勝てることなど絶対にない。合理的に判断すれば、勝算の多少・有無は開戦前でも必ずわかる。無謀なことをしてはならない。兵は国の大事なのである。

○武岡孫子:さて、政府・軍首脳部による宗廟(みたまや)における和戦決定会議において、客観的勝算の算定結果が敵より味方の方が優勢なら勝てる。反対に少なければ敗れる。したがってその算が見出せない場合は戦争は回避・断念すべきである。以上の思考過程によって勝算の有無を詳細に検討すれば、戦争の勝敗を事前に予測することは可能である。

○著者不明孫子:さて、そもそも戦争を始める前に宗廟で五事七計について比較勘定した場合、戦って勝つほうは、有利な条件の数が多く得られ、勝てないほうは、その数が少ししか得られない。有利な条件が多ければ勝ち、少なければ勝てないのであって、まして有利な条件がゼロの場合には全然勝てるはずがない。私は、以上のことから考えて、どちらが勝ちどちらが負けるかが分かるのである。

○学習研究社孫子:こういう現場での変化ということはあるにしても、戦う以前に宗廟(祖先の御霊屋)での計画の段階で勝つというのは、勝つ要素が多いということである。戦う以前に、宗廟での計画の段階で勝てないというのは、勝つ要素が少ないということである。勝つ要素が多い者が勝ち、少ない者は勝てない。まして、勝つ要素が全くないものは、もちろん勝てない。私は、こういう観点から判断して、勝敗を知るのである。

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2012-07-16 (月) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『此れ兵家の勝にして、先には伝う可からざるなり。』:本文注釈

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竹簡孫子においても「勝」の字は「勢」ではなく「勝」となっている。

「先には伝う可からざるなり」の解釈が何通りかある。
 ①五事七計が基本であり詭道は応用であるから、それを理解していない者には詭道を伝授することはできない。
 ②兵家の勝ち方とは臨機応変の奇策によるものであるから、あらかじめどのような方法で勝つかは人に話すことはできない。
 ③兵家の勝ち方とは、秘密のものであるから人に伝え洩らすことはできない。
 の三通りが主な解釈の仕方である。

兵家-へい‐か【兵家】 ①軍事にたずさわる人。武士。兵法家。②中国、春秋戦国時代の諸子百家の一つ。用兵・戦術などを論じた学派。孫子・呉子の類。

勝-①相手をまかす。かつ。②他の上に出る。㋐すぐれている。まさる。㋑地勢・風景がすぐれている。③もちこたえる。たえる。「勝」は「あげて」とも訓読する。ことごとくの意。【解字】もと、力部10画。形声。「力」+音符「朕」(=上にあげる)。力を入れて重さにたえ、物を持ち上げる意。

先-①位置的に、さき。進んでいく方向のいちばん前。②時間的に、さき。さきだつ。㋐今より前。以前。すぐ前。㋑それにさきだつ。さきんずる。③まず。まっさきに。【解字】会意。上半部は足のうら、下半部は人。人の足さきの意。

伝-①とりつぐ。つたえる。つたわる。②世間にひろめる。③語りつたえる。言いつたえ。一代記。④経書などの注釈。後人に教えつたえる意。⑤馬継ぎの施設。宿駅。⑥(つたえられてきた)例のやりかた・方法。【解字】形声。「人」+音符「專」(=転)。人から人へ回す意。



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○金谷孫子:兵家之勝-武内義雄『孫子考文』(以下『考文』という)にいう、古注から考えると「勝」の字は「勢」の字の誤りで、この「勢」は上文(第二段の末[勢とは利に因りて権を制するなり。])を承けたものである。字形が近いための誤写であろうと。

○町田孫子:(1)宋本には「勝」とある。武内義雄『孫子考文』にしたがって改めた。

○フランシス・ワン孫子:一、「此れ、兵家の勝(かち)」  以上が五事・七計とは別に、戦争の勝敗・帰趨を決するいま一つの要素である用兵(詭道)の要訣である、と言うのである。なお、「兵家の勝」は「兵家の勢」であるとする者もいる。この場合は、以上が軍事行動を支援するための形勢作為の要諦であり、いわゆる用兵(詭道)の要訣でもある、の意となる。十六項の「勢」との関係から言えば、この方が適切とも考えられるが、大意としては変らない。
 一、「先ず伝う可からざるなり」 一般には、仏訳の如く、用兵は五事・七計の如き常法によるものとは性質を異にし、「常法の外にあるもの」(曹操)、即ち状況即応の変法であるから、予(あらかじ)め、それはこうといった如く策定しておくことはできないものである、の意に解されている。しかし、曹操は次の如く註する。即ち『伝うるは猶(敵に)洩らすが如きなり。兵には常勢無く水には常形無し。敵に臨みての変化はまず伝う可からざるなり。故(かれ)(その理由は)、敵を料るは(将軍の)心に在り、機を察するは(将軍の)目に在ればなり」と。つまり、次の如く言うのである。軍事作戦の計画や用兵上の方略・構想を予め関係者特に政府関係者に伝達することは、たとえ厳な箝口(かんこう)令の如きものを布(し)こうとも、敵に洩らす(伝聞せしむる)ようなものである。元来、用兵というものは「詭道」を以て、本質とし、水が地形によって流れを変えるが如く、一定のパターンがなく、状況即応、「能く敵に因って変化して勝を取る」(虚実篇)ことを以て要訣とする。しかし、この臨機応変の用兵は、将軍の心眼に委任することによって可能となるものであり、機密が保持されてこそ生命を得るものである。従って、機密の保持のためには、それは、たとえ相手が君主であろうとも、事前に伝えることは許されぬ性質のものである、と。機密保持の面からみた解釈であるが、謀攻篇の「君の軍に患うる所以の者、三あり」につながり、戦場の用兵(戦場統制)に於ける政府と軍司令部の関係の基本にふれて、この方がより適切と言えよう。

○天野孫子:此兵家之勝-「此」は以上の戦術を受ける。「兵家」は兵法(戦術)に明るい人。この句は「此れ兵家の勝の法」の意。

○守屋孫子:これが勝利を収める秘訣である。これは、あらかじめこうだときめてかかることはできず、たえず臨機応変の運用を心がけなければならない。

○田所孫子:此兵家之勝、不可先伝也とは、これが戦争に勝つ方法であって、これ以上に如何にこれを妙用するかは、伝授することができないとの意。

○重沢孫子:こんなわけで、兵家必勝の計謀は、とても先走って軽々にお伝えできるものではありません。(それ故に相手が自分の作戦を評価したことを確認し、自分が呉国に留る決意を固めた後に、はじめて謀略に言及している。)

○大橋孫子:兵家の勝-兵法に明るい人が勝つ秘法  先に-正道を教える前に  伝う-詭道を教える

○武岡孫子:先に-ぎりぎりまで、また正道を教える前にとの説もある

○佐野孫子:◎此兵家之勝  以上が五事七計とは別に、戦争の勝敗・帰趨を決するいま一つの要素である用兵(詭道)の要訣である、と言うのである(F・ワン仏訳「孫子」)。
 ◎不可先伝也  「詭道」を本質とする用兵は、状況即応、臨機応変、自在に駆使すべきものであるから、あらかじめこうだと決めてかかれるものではない。

○著者不明孫子:【此兵家之勝…】「此」は「このように」の意。「兵家」は兵法者、戦争をする者。ここは儒家・道家などと並ぶ学派あるいは思想家集団としての兵家ではない。「先伝」は先立って人に告げる、予言する。

○孫子諺義:「此れ兵家の勝なり、先づ傳ふ可からざる也」 兵家とは兵法を談ずる家也。兵家者流と云ひて、孫子・呉子がたぐひ、皆兵法を以て時の諸侯の師となり、大将にそなはり、軍事を用ふる、是れを兵家者流と云ふ。云ふ心は、此の詭權の術は、兵家是れを用ひて變に應じ勝をとるの道也。是れ乃ち兵は詭道也と云ふ所也。先づ傳ふ可からずとは、兵法は正を敎へて奇を敎へざる也。五事七計を以て敎の正法とす。このゆゑに五事七計を常につとめて内をととのへをさむるの道とすべし。五事七計相ととのほりて後に勢權を用ひて變に應ずるのたすけとす。故に先づ傳ふ可からざる也。是れ孫子道を以て本とし、詭詐を以て末とするの心也。人心は危くして詭詐に落入りやすし。内五事七計のつとめは常法にしてめづらしからずと心得、權道を用ひてだて(手段)をなして、人の目をさまさしめんことを欲するは人の通情也。内を經(おさめ)ずして専ら權を弄するときは、つひには敗亡の道たり。このゆゑに權道の説を抑へて先づ傳ふ可からずと云へり。これを秘して先づ傳ふ可からずと云ふにはあらざる也。一説に先づ傳ふ可からずとは、傳は猶ほ洩らすがごとし、此の謀を外にもらすべからずと云ふの心也、はかりごともるるときは勝全からざるのゆゑなりと云へり。魏武帝之れに從ふ、講義の説も亦之れに同じ。しかれども此の一句勢權の條々を結せる言なるゆゑに、前説を以て味ありとす。ことに洩と言はずして傳と云へば、傳は敎示の心にして、将吾が計を聽くと云ふにあたりたる語意也。古來權道は中材の人用ふ能はずと云へり。是れ乃ち先づ傳ふ可からざる也。權道をあしく心得て用ふるときは、悉く詐偽に陥りて、道の實を失ふこと多し。五事七計においては、必勝必敗と必の字を入れて、結句とここには兵家の勝とのみいつて、必の字を用ひず、尤も其の心得あること也。五事七計は、本よりこれを勤むれば必勝あり、つとめざれば必敗也。勢權の奇道は是れ勝を取るの一術なれば、これを以て必勝と心得可からず。是れ又兵家の勝をなす術なりと云ふ心也。以上是れ迄を第二段とす。初段は内を調ふるの要法也。此の段は詭術を用ひて、外のたすけたらしむることを論ぜり。

○孫子国字解:これは上を結ぶ詞なり。兵家之勝とは、兵家軍に勝つの妙用と云ことなり。先傳と云ふ傳の字は、傳示傳泄と註して、云ひ述ることなり。此一段は、上の計利以聽、乃為之勢、以佐其外と云より、下の文を承けて、此二句にて結ぶなり。始計一篇の文勢、前に五事七計にて、戦はぬさきに勝負を知ることを云て、其次に其五事七計のつもりにて、勝利あるべきと目算せんに、主将も尤と聽入れ玉ひて、出陣に及ばば兵の勢と云ふことをなして、兼て定めたる手當ての助けとして、全き勝を取るべきなり。然れども、其兵の勢と云は、その兼て勝利あるべきと定めたる手あての上にちなんで、時に當て、千變萬化の妙用をなし出すことなり。其ゆへは、兵はもと詭道なるによりて、其仕形一定することなし。或は能しても能はざる様に見せかけ、用ることをも用ひぬ様に思はせ、遠國へ働くをば、近國と云ひ習はし、近國へ働くをば、遠國と云ひふらし、或は利欲を以て引出し、亂れぬ備をば、方便を以て是を亂し、實したる敵をば、油斷せずして時節を見、ほこさき強き敵をば、暫くさけて衰るを待ち、或は辱しめて怒らせ、或は敬ひて驕りをつけ、ゆたかなるをば疲らかし、或は一和するをばへだへだになし、畢竟は敵の備なき油斷の處をせめて、敵の思ひがけぬ處より計を出してこれを挫くこと、是兵家の軍に勝つ妙術なれども、皆軍に臨んで變に應ずる上のことなれば、今出陣の前戦はぬ先に、云ひ述ぶべきに非ず。それゆへに軍に先だちた勝負を知るは、五事七計を以て定むることなりと云意なり。この本文の傳と云を、傳授の意に見る説もあり。これにても通ずるなり。

○孫子評註:「此れ兵家の勝、先づ傳ふべからず。」(いじょうが兵家のいくさに勝つ妙術であるが、戦わぬ先に云い述べるべきではないの意。)  之勝(原文「兵家之勝」の之勝。)とは猶ほ勝つ所以と言ふがごとし。語勢少しく頓(とどま)る(修辞学の術語。抑揚頓挫の頓で、文勢を急に変えること。)。傳ふとは、曹操(三国時代、魏の武帝。『孫子』の注を作った。現存孫子注の最古のものである。)曰く、「猶ほ洩すがごとし」と。杜牧(唐の詩人。この注は『孫子十家注』に出ている。杜牧は十家の一人。)曰く、「言ふなり」と。皆之れ得たり(本文の意味をよくつかんでいる。)。深く此の字を味ひて、然る後益々「勢を為して外を佐(たす)くる」の活潑々地[かっぱつ‐はっち【活溌溌地】極めて勢いのよいさま。気力がみちみちて活動してやまぬさま。]たる所以を知る。而して文の撇開(へいかい)(撇は閉に同じ。)は夷(つね)の思ふ所に非ず(易の渙の卦六四の爻辞にある語。常人の考え及ぶ所ではないの意。)

○曹公:傳は猶お洩らすがごときなり。兵 常勢無く、水 常形無し。敵に臨みて變化す。先ず傳える可からず。故に曰く、敵を料るは心に在り、機を察するは目に在るなり。

○李筌:備え無きにして意(おも)わずとは、之を攻めれば必勝なり。此れ兵の要秘にして、傳えざるなり。

○杜牧:傳は言なり。此の言 上の陳(の)べる所なり。悉く兵を用い勝ちを取るの策とは、固より一定の制に非ざるなり。敵の形を見、始めて施くを為す可し。事を先にして言う可からざるなり。

○梅堯臣:敵に臨みて變に應じて宜しきを制するなり。豈に預め前に之れを言う可けんや。

○王晳:夫れ計を校べて兵を行る。是れ常法を為すなり。若し機に乗じて勝を決すれば則ち預め傳え述ぶる可からざるなり。

○張預:言うこころは上陳べる所の事とは、乃ち兵家の勝策、須らく敵に臨みて宜しきを制すべし。以て預め先ず傳え言う可からずとなり。


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○金谷孫子:これが軍学者のいう勢であって、[敵情に応じての処置であるから、]出陣前にはあらかじめ伝えることのできないものである。

○浅野孫子:これこそが兵法家の勝ち方であって、その時どきの敵情に応じて生み出す、臨機応変の勝利であるから、出征前に、こうして勝つと予告することはできないのである。

○町田孫子:これが兵法家のいう勢であって、敵情に応じて変化するものであるから、戦争前からあらかじめこうだと伝えることのできないものである。

○天野孫子:これが戦術に明るい人の勝を得る方法である。しかし、これは軍備論の後に伝授さるべきものである。

○フランシス・ワン孫子:以上は、用兵家にとって勝利の鍵をなすものである。これらのことは、何れも、出陣前に詮議立てする(策定する)ことのできないものである。

○大橋孫子:これが兵法家の勝ち方である。しかしこれは権すなわち応用であり、これを用うるには、その前に合理的手法すなわち原則をマスターすることが必要である。五事七計による正道を修得していない者に詭道を教えてはならない。

○武岡孫子:この勝ち方こそがプロの兵法家の勝ち方だが、このような計略はややもすれば敵に洩れやすいので、実行のぎりぎりまで部下にも教えてはならない。

○著者不明孫子:このようなわけで、武人がどのようにして勝つかは、人に予告することはできないのである。

○学習研究社孫子:これらのことは、兵法家が奇策によって勝利するということであり、あらかじめいうことのできる法則ではない。

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2012-07-08 (日) | 編集 |
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『其の無備を攻め、其の不意に出づ。』:本文注釈

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 「其の無備を攻め、其の不意に出づ」の本文と前後の文とのつながりを見ていくと、「能なるも之れに不能を示す~親にして之れを離す。」までの文とは、何らかのつながりはあるであろうが直接的なつながりがあるかどうかははっきりとはしない。しかし続く後文の「此れ兵家の勝~」の冒頭の「此れ」は、明らかに前文の「其の無備を攻め、其の不意に出づ。」を指していることがわかることから、後文の「此れ兵家の勝にして~」とは密接な関係にあることがわかる。
 又、この本文は「能なるも之れに不能を示す~親にして之れを離す。」を要約した文とも受け取れる。このことから「能なるも~親にして之れを離す」までの文の一つの解釈の仕方として、「其の無備を攻め、其の不意に出づ」の要素を取り入れて一環とした解釈を行なった注釈者も少なくない。
 この「其の無備を攻め、其の不意に出づ」が兵法家の勝ち方である(「勝」を「勢」とする説もあるが後に述べる。)、と孫子は言っており、五事の「天」の説明に「順逆にして兵は勝つ」とあるが、その「順逆」をどのように活用するかを述べたものが、この「其の無備を攻め、其の不意に出づ」であろう。敵・味方に関するあらゆることを順用・逆用することで、相手の隙をつき、態勢を崩すことが、時には将軍であり時には軍師である兵法家としての勝ち方であり、この勝利の方程式を知ることが、勝敗を分けることになるのである。
 謀戦も高度になってくると、相手の裏をかいたと思ったのに、又その裏をかかれたということもでてくるようになる。謀を行なう以上は、それに伴うリスクは必ず発生するものだから、失敗してもそれはしょうがないことであるが、失敗した場合の対策をあらかじめ講じておけば万全であることは間違いない。後はできるだけ被害を最小限に抑える必要がある。100回負けても大勢に影響がなければ問題はない。しかし、一回負けただけでもそれが二度と立ち上がることもできないような負け方であれば国は亡ぶのである。逆に100回勝っても、相手に余力が十分残っているようでは、いつ攻めに転じられてもおかしくはない。しかし、たった一回の勝利だけでも敵に致命傷を与えることができれば戦は味方の勝利でそこで終わるのである。また、相手の裏をかくことがうまくできたとしても、同じやり方は二度は通用しないものであるから相手の先を行く思考を常に心がけておかねばならないことは言うまでもない。
 謀を仕掛けるのはたやすいが、仕掛けられた謀を防ぐことは難しい。謀というのは通常こちらの知らない間に仕掛けられるものである。この謀を見破るには「智」が最も必要となるであろうが、仕掛けられた対象が人物であった場合、事の真偽を判断できる最も有効なものは「信」である。もっとも、真偽を判断する者のもっている「智」の度合いにもよるが、謀を仕掛けられた人物が信用に足る人物であれば簡単に罠に落ちることはなくなるであろう。人との親密な付き合いを指す「仁」をおこなうには、信用を勝ち取る「信」は絶対条件である。孫武在命時の戦国時代では礼楽も尊ばれていたことから、味方から決して疑われることのない将の重要な要素としての「信」は最も尊ばれていたことが分かる。
 又、謀を仕掛けられた場合、その謀が進行しないように防ぐことが味方を守るために最も有効であると考えられるが、相手を破るために最も有効な手段は、この場合「虎穴に入らずんば虎児を得ず」、つまり相手の謀にかかったふりをすることが一番である。相手がうまくいっていると思っている間、相手はこちらの本来の意図している動きに対しては無防備となり、注意をひきつけることができる。ただ、相手の謀にかかったふりをするというのは、危険もかなり伴うものである。相手の打つ手の先々を読めないと、せっかくの好機をのがしてしまいかねず、最悪の場合わなにかかったふりのつもりが本当にわなにかかってしまうという結果にならないとも限らない。知勇兼備の士でよほど慎重かつ大胆な手を打てる者でないと務まらないであろう。当時、それを行なえる者が「兵法家(兵家)」と呼ばれ、戦のプロ集団のことを指していた。「孫子」本文に「兵家」とみえることから、「孫子」編纂時にはすでにこうした戦のプロ集団はすでに存在していたものと推測されるのである。。(最も「此れ兵家の勝にして先には伝う可からざるなり」が衍文であったとしたら、「兵家」は戦国時代より後の時代に生まれたことになるが…)
 では仕掛けられた謀はどうやって探知できるものなのであろうか。情報収集だけでは調べなければならない項目数だけでも膨大なものとなり人手も全然足りなくなるであろう。はっきりいって情報収集という方法では不可能、或いは不適である。ではどのような対策をとればよいのであろうか。それは敵国(軍)の立場にたって我国(軍)の弱点をみつけ、そこから最も効果的に突き崩すことを考えてみればよいのである。そうすれば敵がどう動くか、それに対しどう動けばいいかがわかってくる。 またこの場合、相手に我国(軍)の何がみえているのかというのが重要である。敵(敵のスパイ)がどこに現れるかが予想できれば、情報操作により敵を誘導することも可能となるからである。よって戦争においては詭道こそ重要であることがわかる。嘘の情報を流すことにより敵に誤まった情報が伝われば、「其の無備を攻め、其の不意に出づ」ことができるようになるのである。このことからも「詭道」は勝つために重要な手段の一つであることがわかる。もちろん「五事・七計」が根本にある事を忘れてはならないことはいうまでもない。


攻-①兵を出して敵をうつ。相手の欠点を突いてとがめる。せめる。②玉や金属を磨いて加工する。「攻玉」。転じて、知徳を磨く。研究する。おさめる。【解字】形声。音符「工」(=上下の面に穴を突き通す)+「攵」(=動詞の記号)。突っこむ、相手をせめる意。

意-①あれこれ思いはかる。心の動き。こころばせ。かんがえ。気持ち。②物事にこめられている内容。わけ。③感嘆する声。ああ。【解字】会意。「音」(=口に含む)+「心」。心中に含んで外に出さない思いの意。

不意-ふ‐い【不意】 思いもよらないこと。思いがけないこと。意外。転じて、突然。だしぬけ。

出-①内から外へ移る・移す。でる。だす。いだす。②あらわす。あらわれる。生ずる。うまれる。③限度をこえる。でる。【解字】会意。「止」(=あし)+「凵」(=あな)。足が穴から外にでる意。



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○天野孫子:○攻其無備 「其」は敵をさす。次の句においても同じ。「無備」について『通鑑』は「無備とは是れ関防[かん‐ぼう【関防】クワンバウ①中国で、関所のこと。②書画の右肩に押す印。関防印。]せざる処、関防し得ざる処なり」と。
 ○出其不意 「不意」について『通鑑』は「不意とは是れ料度し到らざる処なり」と。料度ははかり考える。なお『諺義』は「無備は形にかかり、事にかかる。不意は其の心にかかるなり。無備は虚なり。不意は怠るなり」と。この句は敵の思いもかけないことをするの意。一説に「出」を「攻」と同意に解して、孟氏・杜牧は「其懈怠を襲ふ」と。以上の句について趙本学は「以上の十二勢を用ひて以て敵を詭り、彼をして我が攻むるに備えず、我が出づるを意はずして、空虚不便の患あらしむ。然る後に神速に兵を出し、其の処を掩襲せば、則ち人心震駭[しん‐がい【震駭】おそれてふるえおどろくこと。]し、散走し易し。倉卒[そう‐そつ【倉卒・草卒】サウ‥(「怱卒」とも書く)①あわただしいさま。あわてるさま。②にわかなさま。突然。]の間、我の多寡を測らず、計定まる能はず、兵集る能はず、陣整ふ能はず。猛将精卒ありと雖も、亦能く禦ぐ無し」と。一説に『国字解』は「此二句は、上の十二句の骨髄にて、上の十二句の様々の方略[ほう‐りゃく【方略】ハウ‥①はかりごと。計略。計画。②(方略試・方略策の略)古代の官吏採用試験の一形式。国政の根本にかかわる問題、「何故に周代に聖多く殷代に賢少なきや」の類の課題に対して、答案を漢文で2編作成するもの。律令制では秀才試の科目、のち文章得業生(もんじょうとくごうしょう)試の科目とされた]は、皆この二句の意に帰するなり」と。

○守屋孫子:敵の手薄につけこみ、敵の意表をつく。

○フランシス・ワン孫子:孫子は次の如く言うのである。即ち、十八項から二十五項まで、詭道の要領について述べてきたが、その「利(害)に因って権を制する」(十六項)方略による形勢作為の目的は、要するに、「其の備え無きを攻め、其の不意に出ずる」所にある、と。曹操は「その懈怠[かい‐たい【懈怠】 ①け‐たい【懈怠】(ケダイ・ゲタイとも)㋐仏教で、悪を断ち善を修めるのに全力を注いでいないこと。精進に対していう。㋑なまけ、おこたること。怠慢。②〔法〕一定の行為をなすべき期日を徒過して責任を果たさないこと。]を撃ち、その空虚に出づるなり」と註しているが、第二次大戦の初期、ドイツ軍が行った西方攻勢は、まさに英・仏連合軍の懈怠を攻撃するものであり、その核心をなしたアルデンヌの森林地帯の突破作戦は、その空虚に出づるものであった、と言えよう。

○田所孫子:○攻其無備とは、相手方の軍備の手薄なところを見出し、そこから戦争をしかけること。
 ○出其不意とは、相手方が一向に準備していないところへ急に戦争をしかけて行くこと。

○重沢孫子:以上のように謀略というものは、敵側に備えのないところにつけ込んで攻撃を仕掛け、敵の意表に出るのが本領です。

○大橋孫子:敵の備えのない隙を攻め、敵の思いがけないことをする。

○武岡孫子:このように敵がこちらのトリックにかかって不覚を取り、無防備の弱点を暴露したところを不意に攻めるのが詭道である。

○著者不明孫子:【出其不意】「不意」は思いがけないこと、意外なこと。そこに「出る」とは、そのようなことを「する」意。軍隊がある場所に「進出する」意味では必ずしもない。

○孫子諺義:「其の備へ無きを攻め」 備はかねてそのことを設くるなり、是れ預め具ふる之謂也。備へ無しと云ふは、ここへは人來る可からず、このことはかれ知る可からずと存じて、その設なきを云へり。或は險固をたのんで備へず、或は大軍をたのみ、剛強なるにたよりてかねて其のまうけなきは、皆備へざる也。この處を攻撃するときは力を入れずしてかつことをうるなり。人無きの地を行くの心也。
 「其の不意に出づ」 意は意度也、心の能く料るを意と云ふ。不意と云ふは、備はありといへども、怠りて意のつかざるを云へり。備へ無しとはかはれる也。たとへば備ありといへども、この處よりはかれ來るまじき、今日はかれよせまじき、此の風雨にはかれうつこと叶ふ可からずなど存ずる處へ、おしかけてうつ、これ其の不意に出る也。不備には攻と云ひ、不意には出ると云ふは、出は兵を其の處へ出しはたらくを云ふ也。不備は形にかかり、事にかかる。不意は其の心にかかる也。無備は虚也。不意は怠也。武經通鑑に云はく、備無きは是れ關防せざる處、關防し得ざる處、不意は是れ料度せざる處、料度し到らざる處と。今案ずるに、此の二句は、大都(すべて)兵家勝を取るの道なり、舊説二句を以て一義と為すは、甚だ非なり。又云はく、不意は意に知料すと雖も、兵勢盛にして、之を拒禦する能はざるの謂なり、兵家の不意と曰ふは、多く此の意思有り。

○孫子国字解:「其備へ無きを攻め、其の不意に出で」 此二句は、上の十二句の骨髄にて、上の十二句の様々の方略は、皆この二句の意に歸するなり。本文の二つの其と云字は、皆敵を指して云なり。無備とは、用心なく油斷したる處を云なり。不意はをもはずと讀て、敵の思ひかけぬ處を云なり。敵の油斷したる處をせむれば、敵これを禦ぐことあたはず、敵の思ひかけぬ處より出れば、敵仰天して度を失ふゆへ、戦はぬ前に勇氣折くるなり。總じて兩人相戦んに、或は臥したる處を打ち、或は後より切らば、何程の勇士なりとも、輙く弱兵に打るべし。是愚かなる者も知ることにて、別に奥ふかき道理に非ず。百千萬の兵を聚めて、敵味方と分れ、備を張り、陣を設け、國を爭ひ城を抜くこと、兩人相戦ふと、大小多寡の異あれども、其道理一般なり。故に太公望の詞にも、動くこと不意より神なるは莫く、謀ることは不識より善きは莫しと云へり。

○孫子評註:「其の備なきを攻め、其の不意に出づ(以上が前述の十四目の内容で、我が国の武学者は、これを詭道十四条と唱えている。)。」 對仗(対句の意。)にして結びと為す。人をして覺らざらしむ。上文(上文に「之の字は皆敵を斥す[斥-①おしのける。しりぞける。②こっそり様子をさぐる。うかがう。ものみ。【解字】会意。「斤」(=おの)+「丶」。おので物をたたき割る意。]」とあるので、この節の「其」は敵をさす。)の之の字、ここには代ふるに其の字を以てす。

○曹公:其の懈怠を撃つ。其の空虚に出づ。

○孟氏:其の空虚を撃つ。其の懈怠を襲う。敵をして敵所以を知らざら使むなり。故に曰く、兵とは無形妙を為す。太公曰く、動くこと不意より神なるは莫く、謀ること不識より善なるは莫し。

○杜佑:其の懈怠・不備の處を撃つ。其の空虚の塗(みち)を攻む。太公曰く、動くこと不意より神なるは莫く、謀ること不識より善なるは莫し。

○李筌:懈怠を撃つ。空虚を襲う。

○杜牧:其の空虚を撃つ。其の懈怠を襲う。

○何氏:其の備え無きを攻めとは、魏太祖烏桓[う‐がん【烏桓・烏丸】‥グワン 漢代、遼河の上流老哈(ラオハ)河畔に拠った東胡の後裔。前漢時代には匈奴に服属、後漢になるとしばしば中国に侵寇したが、207年に魏の曹操に敗れ、余類の多くは鮮卑の諸部に逃れた。]に征く。郭嘉曰く、胡其の遠きを恃みて、必ず備え設けず。其の備え無きに因って、卒然として之れを撃つ。破り滅す可きなり。太祖行きて易水に至る。嘉曰く、兵は神速を貴ぶ。今千里に人を襲う。輜重[し‐ちょう【輜重】(「輜」は衣類をのせる車、「重」は荷をのせる車)①旅行者の荷物。②軍隊に付属する糧食・被服・武器・弾薬など軍需品の総称。また、その輸送に任ずる兵科。]多く以て利に趨ること難し。如かず輕兵道を兼ねんには、以て出で其の不意を掩う。乃ち密にして盧龍塞を出づ。直に単于庭を指す。合戦し大いに之を破る。唐李靖十策を陳(つら)ねて、以て蕭銑を圖る。管三軍を總しての任、一を以て靖に委ねる。八月兵夔州に集まり、銑 時秋潦[潦-路上・庭などにたまった雨水。にわたずみ。]に屬し、江水泛漲[泛-うかぶ。水面にうかびただよう。うかべる。 漲-みなぎる。水が満ちあふれる。物事が盛んに広がる。]す。三峡路危うきを以て、心して靖進む能わずして謂えらく、遂に備え設けず。九月靖兵率いて進む。曰く、兵神速を貴ぶと。機失う可からず。今兵始めて集まる。銑 尚未だ知らず。水漲の勢に乗じ、倐忽ち城下に至る。所謂疾雷耳を掩う及ばず。縦使(たとえ)我れを知れども、倉卒[(「怱卒」とも書く)①あわただしいさま。あわてるさま。②にわかなさま。突然。]以て敵に應ずるところ無し。此れ必ず擒を成すなり。兵進みて夷陵に至る。銑 始めて懼る。江南兵を召し、果たして至る能わず。兵勒して城を圍む。銑遂に降る。其の不意に出づとは、魏末将鍾會・鄧艾 蜀を伐つに遣わす。蜀将姜維劍閣を守る。會 維を攻めるに未だ克たず。艾上言して請う陰平に従い徑に由るや劍閣に出でん。西は成都に入る。奇兵其の腹心を衝く。劍閣の軍必ず還りて涪に赴けば則ち會 軌に方じて進む。劍閣の軍還らずば、則ち涪に應じるの兵寡きなり。軍志之れ有り。曰く、其の備え無きを攻め、其不意に出づ。今其の空虚を掩い、之れを破るは必ずなり。冬十月、艾陰平自り無人の境を行く。七百餘里、山を鑿[穴をあける。掘る。うがつ。]ち道を通り橋閣を造作す。山高く谷深し。至りて艱險を為す。又糧運将に匱[とぼしい。中身が不足している。]しくならんとす。危殆に瀕し、艾氈[氈-獣毛で織った敷き物。フェルト。]を以て自ら裹[裹-つつむ。くるむ。すっぽりおおう。](つつ)み自ら轉じ乃ち下る。将士皆木に攀[攀-①よじのぼる。よじる。②すがる。とりつく。たよる。](よじ)り崖に縁(よ)る。魚貫きて進む。先んじて登り江油に至る。蜀守将馬邈降る。諸葛瞻(しょかつせん)涪自り綿竹に還り、陳を列して相拒む。大いに之れを敗る。瞻及び尚書張遵等を斬る。軍を進め成都に至る。蜀主劉禪降る。又齊神武東魏将を為す。兵率いて西魏を伐つ。軍 蒲坂に屯[たむろする。多くのものが寄り集まって一か所にとどまる。]す。三道浮橋を造り河を渡る。又其の将竇泰 潼關に趣き、高敖曹 洛州を圍み遣わす。西魏将周文帝廣陽に軍を出す。諸将を召し謂いて曰く、賊今吾が三面を掎[ひく。ひっぱる。足をひっぱる。]く。又河に橋を造り、必ず渡らんと欲すを示す。吾が軍を綴り[綴-つづる。つなぎ合わせる。糸でとじる。(文字を)つらねる。「テツ」の音は、本来、とめる・とどめる意だが、混用される。]、竇泰をして西に入るを得ら使めんと欲すのみ。久しく與に相持つ。其の計行なうを得る。良策に非ずとも、且つ高く歡(よろこ)び兵を用う。常に泰を以て先んじて驅を為す。其の下鋭卒多し。屢(しばしば)勝ちて驕る。今其の不意に出で之れを襲えば必ず克つ。泰に克てば則ち歡び戦わずして自ら走るなり。諸将咸(みな)曰く、賊近きに在り。捨てて遠きに襲う事若し蹉跌[蹉跌-①つまずくこと。②失敗すること。]なるも、悔やむに及ぶこと無きなり。周文曰く、歡ぶ前に再び潼關を襲い、吾が軍霸上に過ぎず。今者大いに來る。兵未だ郊を出でず。賊固より吾但だ自ら守るを謂うのみ。遠くに鬥[二人の人が手に武器を持って向かい合って争う姿を描いた象形文字。たたかう意を表す。](たたか)うに志無し。又志を得んと狃[①なれる。なれしたしむ。くり返す。②こだわる。とらわれる。](じゅう)す。我れを軽くする心有り。此れに乗じて之れを撃つ。何ぞ往きて克たず。賊橋を造ると雖も、未だ征きて渡る能わず。五日中の比(ころおい)吾れ竇泰を取るは必ずなり。公等疑う勿れ。周文遂に騎六千を率いて長安に還り、聲に言いて隴右に往かんと欲す。辛亥濳みて軍を出づ。癸丑(みずのとうし)[晨-①あさ。早朝。②星の名。房星。二十八宿の一つ。]潼關に至る。竇泰卒(にわか)に軍至るを聞き惶懼[おじ‐かしこま・る【惶ぢ懼まる】おそれつつしむ。 こう‐く【惶懼】おそれいること。恐懼。]す。山に依り陳を為す。未だ陳して列する及ばず。周文撃ち之れを破る。泰を斬り首長安に傳う。高敖曹 適(ゆ)きて洛州に陷いる。泰沒するを聞き、輜重を焼き、城を棄てて走る。

○張預:備え無きを攻めるとは、懈怠の處、敵の虞(おそ)れざる所の者、則ち之を撃つを謂う。燕人鄭三軍を畏れて制人を虞れず、制人敗るる所を為すが若きは是れなり。不意に出づとは、虚空の地、敵以て慮を為さざる者、則ち之れを襲うを謂う。鄧艾蜀を伐つに、無人の地を行くに、七百餘里の若きは是れなり。


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○金谷孫子:[こうして]敵の無備を攻め、敵の不意をつくのである。

○浅野孫子:敵が自軍の攻撃に備えていない地点を攻撃し、敵が自軍の進出を予想していない地域に出撃するのである。

○町田孫子:手薄な備えを攻め、敵の不意を襲う。

○天野孫子:こうして後に、敵の備えのないところを急に攻め、また敵の予想もしないことをするのである。

○フランシス・ワン孫子:敵の備えの無い所を衝き、敵の予期せざる時に攻撃せよ。

○大橋孫子:敵の備えのない隙を攻め、敵の思いがけないことをする。

○武岡孫子:このように敵がこちらのトリックにかかって不覚を取り、無防備の弱点を暴露したところを不意に攻めるのが詭道である。

○著者不明孫子:相手の備えのないところを攻め、意表に出るようにする。

○学習研究社孫子:敵の備えていない所を攻め、敵の思い及ばない行動にでる。

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2012-07-01 (日) | 編集 |
孫子 兵法 大研究!

本文注釈:孫子 兵法 大研究!

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『親にして之れを離す。』:本文注釈

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「親而離之」の解釈にも諸説あるが、有効と思われるのは以下の三説である。

 ①「親にして之れを離す」と読む場合、「相手(敵国)に近寄り関係を密にしておいてから、スパイを送り込み、相手の友好関係にある国同士のつきあいや君臣の仲を悪化させる」、となる。
 ②「親なるも之れを離せしむ」と読む場合、「こちらの君臣の仲や各諸侯との関係は良好であるが、敵国にはよくいっていないように見せかける」、となる。
 ③「親なれば之れを離す」と読む場合、「敵国の君臣の仲や各諸侯との関係が良好であれば、謀(計)を用いて(スパイを利用して)うまくいかなくする。

 ③は一般的には「離間の計」と呼ばれることで知られ、主に敵国の君臣の仲を裂くために、古くから使われてきた謀である。例をいくつか挙げると、敵国の有能な部下を排除するために、偽手紙を使い、敵国の有能な部下が敵と内通しているかのように敵国の君主に思わせたり、配下の将軍が不平不満を言っているといった噂話(流言)を広めることで君臣の仲を裂いたり、敵が窮地に陥った時に敵部将の地位の保証や本領安堵を約束することで敵部将を寝返らせたり等々、歴史においては様々な例がある。有名な例では、項羽と范増の仲を裂くために劉邦の部下の陳平が用いた離間の策がある。項羽が漢に使者を送ってきたとき、陳平が天子様を迎えるのと同じくらい豪勢に手厚くおもてなしをしたのだが、この後項羽の使者に向かって「この使者は范増様の使者ではなかったのか。」と言い、粗末なもてなしに変更した。このことで項羽の使者は范増と劉邦がつながっていることを確信し激怒しながら後に項羽に事の成り行きを伝えることになる。その後、項羽が范増を側近の座から引きずり下ろすことになるのは想像に難くない。
 この場合もそうであるが、敵国の君主を疑心暗鬼にさせるだけの要素が揃っていると、相手は謀にかかりやすいことが分かる。この場合、それがたとえ敵の謀とわかっていても、項羽が范増を警戒せざるを得ないような流れにもっていったのが、陳平のすごいところである。当時范増は項羽から尊敬の意味を込めて「吾が父」と呼ばれ、信頼も厚く、権力も相当なものであった。しかし項羽は人を心からは信用しない性格の人物と言われており、この時項羽は実力者の范増に寝返られては自分の身も危ういと考えたのであろう、ついに范増は左遷されることとなる。陳平はその項羽の性格を利用し見事君臣の仲を裂くことに成功する。
 「親而離之」は戦場においては、城攻めの際にもよく用いられた。敵の城中の武将の寝返り工作がそれにあたる。できるだけ自軍の兵を損じずに、相手の兵も自軍に吸収できることから、この戦略は常套手段であったと言えるだろう。相手が劣勢になればなるほど、この寝返り工作が功を奏したであろうことは想像に難くない。
 また、「遠交近攻策(遠国と交わって近国を攻める)」というのがあるが、これは中国でも日本でも国が乱立していた時代の戦策としては基本のものであった。敵国のこの外交政策を崩すことができれば、外交上敵国を孤立させることができ、隣国の軍が敵国の味方となる事態を心配することもなく、敵を攻略することができるようになる。 以上のことからもわかるように、この「親而離之」も敵の態勢を切り崩す上で非常に重要な謀であったことが確認できる。


親-①おや。父母。②みうち。みより。縁つづき。③身近に接する。㋐したしむ。仲よく交わる。したしい。㋑なれ近づく。④したしく。自分みずから。(天子が)みずからする。【解字】形声。音符+「見」。

離-①はなれる。遠ざかる。わかれる。はなす。②易の八卦はっかの一つ。【解字】形声。「隹」+音符「离」。


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○天野孫子:親而離之-敵国にくみする他国と、または敵の一方と親交して、敵国と他国、または敵同士の親しい間柄を離間させる。『兵法択』は「示すに親暱(しんぢつ)を以てして之を離間す」と。また一説に「親しむをば之を離す」と読んで、『国字解』は「親しむとは、君臣の間親しきをも、又鄰國の交りをへだて、孤立の勢として是を破ることなり」と。魏武帝を始め多くの注家は、敵国の君臣間を、または敵国と他国間を離すには間者によるとする。この句は他の句と異なって、戦闘上における詭道としてあるのではないところに問題がある。

○田所孫子:親而離之とは、相手方の有力者に親しみ、これを味方につけて相手方から離れさせ、孤立化させること。

○守屋孫子:団結している敵は離間をはかる。

○フランシス・ワン孫子:一、「親なれば之を離す」とも読むが、意味に変りはない。しからばいかにして離間せしむるか。曹操は「間を以て之を離す」と言い、杜牧は「厚利を啗(くら)わして之を離間す」と。何れを以てするにせよ、離間を策する対象は、内部的には、敵国の指導者相互(君主と将軍・政治家と軍人・政治家相互)、指導者と国民、国民相互、国民と軍隊、統帥部と軍隊、軍隊相互、将校と兵士等の如きであり、外部的には、敵の同盟国・友好国相互である。
 一、同盟国離間の最近の成功例としては、第二次大戦に於けるイタリーの脱落、また数次に及ぶ中近東戦争に於けるアラブ側諸国の分裂・脱落があげられよう。この場合、その工作のために米・英連合国或いはイスラエルが対象としたのは、決して単一ではなく、前記のすべてに亙るものであり、成功はその総合的結果としてもたらされたものであることを、我々は認識すべきである。ベトナム戦争に於ける米国の孤立化と国内分裂も、同様にベトナムと之を支援する側の総合的努力の結果であるが、この場合特に注目すべきは、マスコミ就中テレビを利用した世界的な世論工作の威力である。
 一、なお、本項は「親みて(親しくして)、之を離す」と読む者もいる。この場合は、離間せんとする対象の一方と親しくしてその団結・友和を破壊する、の意となる。前記ベトナム戦争に於て、ベトナム側が行った米国の指導層と国民・国民相互・軍隊と国民の間の離間工作の成功は、反政府的有力勢力就中マスコミと「親しくする」ことによってえられた好例である。実際、その効果は目を瞠(みは)らせるものがあったのであり、社会主義国がその謀略工作のため、今も、有りもせぬ金を撒き散らす所以である。而して、我が国民が、この種の離間工作に対しては、殆どナイーブとも言うべき無思慮・無防衛の状態にあること、また、政治家・財界の一部が、「利を以て誘えば」(杜佑)釣り上げが容易であること、というよりも利によって釣り上げられることを欲する者であることは、敵・味方の双方が認める所である。無論、この中にはマスコミ関係者も入っている。

○重沢孫子:敵に親しむ素振りをしながら、実は敵の内部に水をさす。

○大橋孫子:親しんで之を離す-敵の同盟国と友好をはかって敵より離す

○武岡孫子:親しければ而ちこれを離す-敵の同盟国や友好国と親しくして敵より離す

○著者不明孫子:【親而離之】「親」は敵軍の上下の間が親密であること。「離」は隔てる、離間する。

○孫子諺義:「親しきときは之れを離す、」  かれが謀臣良将の間相親しきときは、ひそかに間人をいれて、君臣の間にうたがひ出來(いできた)る如くなる手段をまうくる也。君臣の間ばかりにかぎらず、其の國の親しき與力の大将あらんには、此の手段を用ひて疑を生じ、たがひに救ふこと叶はざるごとくいたすなり。利亂實強怒卑佚親、此の分皆かれにかけてみ、誘取備避撓驕勞離は、我れにかかる言也。我がいたしやうにて、かれ皆あやまる、是れ詭道也。しかれば彼れ利をこのまば利をあたへてあざむき、かれみだれば之れを取る。かれ怒りをこのまばみだし、かれ人をいやしめば我れへりくだりて驕らしめ、彼れ佚を好まば之れを勞し、彼れ専ら親しむことを欲せば、はなるるごとくいたせとみても同意也。

○孫子国字解:「親しむをば之を離なし、」  親むとは、君臣の間したしきをも、又隣國と親しきをも云なり。皆てだてを以て、君臣の間をはなし、隣國の交りをへだて、孤立の勢として是を破ることなり。

○曹公:間を以て之を離す。

○杜佑:利を以て之を誘う。五間をして并び入り、辯士説を馳せ、彼君臣に親しくし、其の形勢を分離せ使む。秦 反間を遣わし、趙君を欺誑し、廉頗をして廢して、趙奢の子に任せ使む。卒長平の敗有るが若し。

○李筌:其の行い約するところを破る。其の君臣を間して、後攻めるなり。昔秦 趙を伐つ。秦 相して應侯 趙王に間して曰く、我れ惟だ趙 括を用いるを懼れるのみ。廉頗 與(くみ)し易きなり。趙王之然らば乃ち、括を用い頗に代えるは、秦 敗する所を為す。卒四十萬長平に坑すは則ち其の義なり。

○杜牧:言うこころは敵若し上下相親しければ、則ち當に厚利を以て啗わし、而して之を離間すべし。陳平漢王に言いて曰く、今項王骨鯁の臣、亜父・鍾離昧・龍且・周殷の屬(やから)に過ぎざれば、數人に過ぎず。大王誠に能く數萬斤金を用い其の君臣を間し、彼れ必ず内相を誅す。漢因りて兵を擧げるに而して之を攻むれば、楚滅ぶは必ずなり。漢王之然らば、黄金四萬斤を出し平に與える。之れ反間をして項王果たして亜父を疑い急撃し滎陽を下さざら使めて、漢王遁去す。

○陳皡:彼爵禄を恡すれば、此れ必ず之を捐てる。彼れ財貨を嗇しめば、此れ必ず之を輕んず。彼れ殺罰を好めば、此れ必ず之を緩む。其の上下相猜い因れば、離間の説行くところを得る。由余秦に歸る所以にして、英布漢を佐ける所以なり。

○梅堯臣:杜牧の註に同じ。

○王晳:敵相親しければ、則ち計謀を以て之を離間す。

○張預:或いは其の君臣に間し、或いは其の交援に間す。相離し貳つにして、然る後之れを圖ら使む。應侯趙を間して廉頗を退く。陳平 楚を間して范増を逐う。是れ君臣相離すなり。秦 晉相合し以て鄭を伐つ。燭の武 夜に出で秦伯を説いて曰く、今鄭得れば則ち晉に歸る。秦に益無しなり。如らずんば鄭を捨て以て東の道主と為らん。秦伯悟りて師を退く。是れ交援し相離すなり。


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○金谷孫子:[敵が]親しみあっているときはそれを分裂させる。

○町田孫子:団結しているものは分裂させる。

○天野孫子:敵国にくみする他国と、または敵の一方と親交して、敵国と他国、または敵同士を離間させたりする。

○フランシス・ワン孫子:団結した敵は、之を離間させよ。

○大橋孫子:敵の同盟国と親しくして、敵国と離間させる。

○武岡孫子:敵が同盟国とスクラムを組み、スキをみせないときは仲間割れをするよう離間策を行なって孤立させる。

○著者不明孫子:親密であれば離間し、

○学習研究社孫子:敵が和同して団結の固い時は、離間させる。

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